若いとき、扉は開かれる
信仰の物語 2026-06-09 SPOKENWORD JP

アブラハム、モーセ、カレブ、アンナ ― 社会が「終わった」と見なす年齢で、神が大きな使命を与えられた人々。神の招きには、年齢の制限がない。

若いとき、扉は開かれる

若いとき、扉は開かれます。会社はあなたを雇いたがります。人々は、あなたの話に耳を傾けます。機会は、大きな努力をしなくても、向こうからやってきます。

その背景には、社会の、ある暗黙の問いがあります。「この人は、自分たちのために何ができるのか。」

しばらくの間は、その問いに、有利に答えることができます。体力、エネルギー、可能性、そして、まだ長く続く未来。しかし、その答えは、いつまでも同じではありません。


やがて時が過ぎる

少しずつ、何かが変わり始めます。見た目が変わります。体力が落ちていきます。かつて競うように声をかけてきた会社が、もう連絡をくれなくなります。

日本では、年齢を重ねた働き手が、何十件もの応募をしても、ほとんど返事が来ない、ということが珍しくありません。それは、その人の能力が落ちたからではありません。社会が、価値を「役に立つかどうか」で測りがちで、その「役に立つ」という基準が、年齢によって、静かに書き換えられていくからです。

定年を迎えます。子どもたちは成長し、家を出ていきます。友人たちが、一人また一人と、世を去っていきます。そして、多くの人の中に、ある静かな感覚が広がっていきます。「自分は、見えない存在になった。」

誰もはっきりとは言いません。しかし、メッセージは、痛いほど明確です。「以前は、あなたが必要だった。今は、もうそれほどでもない。」


神は違う方法で働かれる

しかし、ここで気づいてほしいことがあります。聖書の中で、もっとも重要な召しのいくつかは、社会がすでに「終わった人」と見なすような年齢の人々に与えられました。

アブラハムは、75歳のときに、神から呼びかけを受けました。慣れ親しんだすべてを離れ、出て行くようにと。

「アブラムは、主が彼に語られたとおりに出て行った。」(創世記12章4節

彼の人生でもっとも大きな旅は、多くの人が「もう落ち着く時期だ」と考える年齢で始まったのです。

モーセは、約80歳でした。多くの人が、すでに働く年齢を過ぎていると考える年齢です。そのとき、神は燃える柴の中から彼に語りかけ、彼をパロのもとへと送り出されました。

「モーセは八十歳、アロンは八十三歳であった。彼らがパロに語ったとき。」(出エジプト記7章7節

80歳――多くの人が、人生はもう終わりに近いと思う年齢です。しかし、神はそうは思われませんでした。

カレブは、85歳でした。彼は、休息を求めるのではなく、攻め取るべき山を求めました。

「私は今日で八十五歳です。…戦いのためには、今もあの日と同じように力があります。」(ヨシュア記14章10〜11節

そして、アンナという女預言者は、長年、神殿で忠実に仕えてきました。彼女は84歳ほどのとき、メシアを見分けた、最初の人々の一人となりました。(ルカの福音書2章36〜38節


社会が言うこと、神が言われること

この世は、人を、美しさ、生産性、影響力、利益で測ろうとします。しかし、それらは、年月とともに、静かに小さくなっていくものです。

それは、もともと、神の基準ではありませんでした。神は、人が神のかたちに造られているという理由で、その人を価値あるものとされます。そのかたちは、年齢によって失われることはありません。

アブラハムが75歳のとき、神は「わたしに従え」と言われました。モーセが80歳のとき、神は「行け」と言われました。カレブが85歳のとき、神は「その山を取れ」と言われました。

どの場合も、神の召しは、年齢にもかかわらず与えられたのではありません。年齢など、まったく問題にされなかったのです。


もっとも大きな招き

イエスは、こう言われたことはありません。「若いうちだけ、わたしのところに来なさい。」「強いうちだけ、役に立つうちだけ、わたしのところに来なさい。」

イエスが実際に言われたのは、これです。

「わたしのところに来る者を、わたしは決して捨てません。」(ヨハネの福音書6章37節

会社は、もう連絡をくれないかもしれません。社会は、あなたに気づかなくなるかもしれません。友人や家族も、時とともに、距離ができるかもしれません。しかし、キリストは、ご自分のもとに来る者を、これまで一度も拒まれたことはありません。どんな年齢でも。どんな季節でも。


問うべき問い

多くの人は、特に人生の後半において、静かに自問します。「自分の人生は、まだ意味があるのだろうか。」「自分は、まだ何かの役に立つのだろうか。」「自分の良い時期は、もう過ぎてしまったのだろうか。」

福音の答えは、若さや、収入や、見た目によるものではありません。なぜなら、あなたの価値は、もともと、そうしたものに根ざしてはいなかったからです。あなたの価値は、あなたを造られた神から来ています。そして、その神は、あなたのために、ご自分の御子を送られました。

「彼らは年老いてもなお実を結び。」(詩篇92篇14節

神が息を与えてくださる限り、神には、まだ目的があります。世はある時、人を「もう十分」と見なすかもしれません。しかし、神は、ご自分の子どもたちを、決して「もう十分」とはされません。神は、招き、教え、用い続けてくださいます。家に帰るその日まで。

もし、その問いが、あなたの中に静かにありつづけているなら。「自分の人生は、まだ意味があるのだろうか。」その答えは、すでに与えられています。あなたを造られた方にとって、あなたの人生には、意味があります。そして、その方の招きには、年齢の制限も、期限もありません。

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