1940年、リトアニアの日本人外交官だった杉原千畝は、命令に背いてビザを発行し、何千人ものユダヤ人難民の命を救った。
もう一つ力強い日本の実例は、杉原千畝の物語です。
数千人を救ったビザ
1940年、杉原千畝はリトアニアに駐在する日本の外交官でした。
何千人ものユダヤ人難民が逃げ場を失っていました。ナチス・ドイツがヨーロッパ全土に進撃していたのです。これらの家族は、その場に留まれば投獄か死を待つほかありませんでした。
杉原は、難民たちが日本を経由して逃れることができるよう、東京に通過ビザの発行許可を求めました。
返ってきた答えは「不可」でした。
ここで彼は一つの決断を迫られました。
- 命令に従い、何もしない。
- それとも行動し、自分の経歴、名誉、そして将来を危険にさらす。
彼個人にとって最も安全な選択は、何もしないことでした。
しかし彼は、難民たちにとって、何もしないことは死を意味することを知っていました。
数日間苦悩した後、彼は行動することを決意しました。彼はビザを一枚一枚手書きで発行し始め、時には一日に18時間から20時間も書き続けました。任地を離れる時になっても、彼はビザに署名を続けました。
その決断によって、何千人もの命が救われました。
戦後、彼は外交官としての職を失いました。しかし、彼が助けた人々の多くは生き延び、家庭を築き、新しい人生を歩みました。
転換点
杉原は後に、自分には人々を助ける力があるのに、ただ滅びていく姿を見ているだけではいられなかったと語りました。
彼はあることを理解していました。
何もしないことは、中立ではない。 これらの難民にとって、何もしないことには、何かをすることと同じくらい現実の結果が伴うのです。
聖書との対応
「ですから、善を行うことを知っていながら行わない人には、それが罪なのです。」
「もしこの時、あなたが黙っているなら、ほかから救いと助けが起こるでしょう。…しかし、あなたとあなたの父の家は滅びるでしょう。」
モルデカイはエステルに、行動しないこと自体が一つの選択であると告げました。
もう一つの日本の例:淵田とデシェイザー
淵田美津雄もジェイコブ・デシェイザーも、憎しみの中に留まることが霊的な死を意味する局面に立たされました。赦しを選んだことが、彼らの人生の方向を変えたのです。
このテーマに最も近い聖書の例
列王記下7章3〜4節に登場する四人のらい病人たちは、これを最も明確に言い表しています。
「どうしてわれわれは、ここに座して死を待つのか。」
彼らは自分たちの選択肢を検討しました。
- そのまま留まれば → 死。
- 町に入れば → 死。
- 敵の陣営に行けば → もしかしたら生きられる。
いのちの可能性があるのは、行動することだけでした。
彼らはリスクを取り、神がすでに自分たちより先に道を備えてくださっていたことを知りました。
この型は聖書の中で繰り返し現れます。
- アブラハムは自分の国を出ました(創世記12章1〜4節)。
- モーセはパロに立ち向かいました(出エジプト記3〜14章)。
- ダビデはゴリアテに立ち向かいました(サムエル記第一17章)。
- エステルは王のもとに進み出ました(エステル記5章1〜2節)。
- ペテロは舟から出ました(マタイの福音書14章29節)。
- パウロはすべてを捨ててキリストに従いました(ピリピ人への手紙3章7〜8節)。
いずれの場合も、その場に留まれば一時的な安心は保たれましたが、神が備えてくださった未来は失われていたでしょう。行動することにはリスクがありましたが、それはいのちへの道を開くものでした。