ただ信じなさい
タラハシー フロリダ州 アメリカ合衆国
説教番号: 53-0217
日付: 1953年2月17日(53-0217)
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1. ありがとうございます、バクスター兄弟。
皆さん、こんばんは。
今夜こうして、私たちの主であり救い主であるイエス・キリストを、皆さんと共に礼拝できることを心から嬉しく思います。
私たちがどれほどこのお方を愛していることでしょう――
また、主が私たちにとってどれほど尊いお方であることでしょう。
「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、人の心に思い浮かんだことのないもの――
神はご自身を愛する者たちのために備えてくださっている。」
まさにその通りです。
主は本当に素晴らしいお方です。
(ブラナム兄弟、小声で)「ありがとう。」
この金属の花のようなもの――ちょっと変わっていますね。
これは、私の声を少し遠くまで飛ばすための道具だそうです。
私は体も小さいし、声もあまり大きくありませんから、
これで少し声を強めて、皆さんに届くようにしてくれているわけです。
つい先ほど、息子から聞きましたが、
ジャクソン兄弟が今夜ここに来てくださっているそうですね。
ああ、そうですか。
神様があなたを祝福してくださいますように、ジャクソン兄弟。
今夜あなたがここにおられるのを見て、本当にうれしく思います。
どうか主が、ジャクソン兄弟を豊かに祝福してくださいますように。
2. 先ほど、ビリーが車で迎えに来てくれた道すがら、こう言いました。
「お父さん、今夜はジャクソン兄弟が来てくださってるよ。」
私は数日前にもお会いできるかと思って探していたところでした。
最初にジャクソン兄弟と出会ったのは、確か兄弟の教会で行われていたリバイバル集会――
あれはミズーリ州ケネット……でしたか?
……いや、サクストンですね。サクストン、ミズーリ州でした。
ああ、ジャクソン兄弟。
あれから本当にたくさんの“時”が流れましたね。
しかしその間、
主はジャクソン兄弟を、本当に特別な方法でお用いになってきました。
彼は教会を通して与えられた大きな賜物の一つ――
病の人々のために祈ると、驚くほどの結果が現れるのです。
そしてそれだけではありません。
今日の時代において特に目立つものの一つ、
聖霊のバプテスマの現れ、按手を通して臨む特別な現象――
その領域においても、
ジャクソン兄弟は主に大いに用いられているのです。
3. さて、初めて私がペンテコステ派の人々の中に入った頃、
彼らが「聖霊を求める」「待ち望む」ということをよく話しているのを聞きました。
私はそれがよく理解できませんでした。
「なぜ“待つ”必要があるのだろう?
聖霊はすでに二千年も前からここにおられるのに……」
しかし、やがて私は“tarry”という言葉の意味が「祈る」ではなく「待つ」であると気づきました。
彼らは“ペンテコステの日が満ちるまで”待たなければならなかったのです。
しかし、それ以後は“待つ”必要はありませんでした。
「ペテロがなおもこれらの言葉を語っていると、聖霊が彼らに降った」
また、
パウロが人々に手を置くと、彼らは聖霊を受けた。
それが聖書の示す姿です。
フィリポがサマリヤに下って説教した時には、
彼らは御言葉を喜んで受け、バプテスマまで受けましたが、
その時点ではまだ聖霊は彼らの上に降っていませんでした。
そこで、ペテロとヨハネがエルサレムから来て、
人々のために祈り、
手を置いたとき――
聖霊が彼らの上に臨んだのです。
私は思いました。
「これこそ使徒時代の姿だ。聖書が教えているそのままの姿だ。」
そしてまさに、
神はこの“按手による聖霊のバプテスマ”の賜物を、ジャクソン兄弟に与えておられるのです。
私はこれまでその奉仕を何度も聞いてきました。
息子のビリーも、ダラスでジャクソン兄弟の奉仕を見たと言っていました。
人々を祭壇に一列に並ばせ、
ひとり、またひとりと手を置いていくと、
その場で人々が聖霊を受けていく――。
それはまさに聖書そのものです。
私はそう信じます。
聖書がそう教えているのだから。
そして私は、本当に嬉しく思います。
主が、主の再臨の直前に、このような賜物を私たちの教会に与えてくださったことを。
なんと素晴らしいことでしょう!
ああ、本当に……
私たちは地上でいちばん幸いな民ではないでしょうか。
4. 私たちは、自分たちの“武具”を用いなければなりません。
神は私たちと共に働き、この“武具”を与えてくださっています。
そしてその武具とは――
すべて“超自然(スーパーナチュラル)”の領域にあるのです。
愛、喜び、平安、寛容、善意、柔和、優しさ、忍耐……
これらすべてが“超自然のもの”です。
そしてあなたが“信仰を神の御霊に解き放つ”とき、
あなたの体は神の贖いの祝福の支配のもとに従う者となるのです。
イエスが十字架で死んでくださったすべてのものは――
今夜、父の右におられるイエス・キリストが、
あなたの“告白”のために執り成しておられるのです。
あなたが
「主がこれをしてくださった」と
心から告白し、信じるなら、
それはあなたの“個人的な財産”となります。
生まれ変わった信者なら誰でも、
贖いの祝福に対する正当な権利があるのです。
あなたが救われたとき、
イエスはあなたに
“人生の旅路を通して使える小切手帳” を
一冊手渡されます。
そのすべての小切手には――
イエス・キリストの御名が署名されているのです。
「必要なものは何でも、わたしの名によって父に求めなさい。
そうすれば、それをあなたにしてあげる。」
ただ小切手を書いて、天に送りなさい。
今夜、あなたは小切手を書くのを恐れますか?
いいえ、恐れる必要はありません。
書いて、送りなさい。
天ではすぐに認められます。
ええ、間違いなく認められます。
そして主は、必ずそれを成し遂げてくださいます。。
5. さて、私は少し時間が遅れてしまいましたので、
私の集会は、皆さんもお気づきの通り、長くは行いません。
“幻(ビジョン)”の下で奉仕するためです。
幻は、私を非常に弱くします――それは、誰であっても同じことです。
ですから、少しだけ御言葉を読んで、
すぐに祈りの務めに入りたいと思います。
では、ルカの福音書第2章を少し読みましょう。
25節から始まる箇所です。
「見よ、エルサレムにシメオンという人がいた。
この人は正しく、信心深く、
イスラエルの慰めを待ち望んでいた。
そして、聖霊が彼の上におられた。
また彼は、“主が遣わすキリストを見るまでは死なない”
と、聖霊の示しを受けていた。
彼は御霊に導かれて宮に入った。
そして、両親が幼子イエスを律法の習わしに従って連れて来たとき、
彼はその子を腕に取り、
神をほめたたえて言った――
『主よ、今こそ、あなたのおことばの通り、
しもべを安らかに去らせてください。
私の目は、あなたの救いを見たからです。』」
6. では、しばらく頭を垂れて祈りましょう。
主イエスよ――
今夜ここに集まった、あなたを信じる民である私たちは、
私たちを栄光の御国へ迎え入れてくださる、
主の再臨を待ち望んでいます。
その御国は終わりのない、限りなく続く時代です。
どうか今夜、
昔のシメオンが幼子イエスを抱いたように、
私たちも“信仰の腕”で救い主を抱きしめる者とさせてください。
あなたは、あらゆる祝福を私たちに約束してくださいました。
そして私たちは、信仰によってそれらを受け取ると信じます。
主よ、
私たちの至らなさ、
あやまち、
罪――
あなたに対するすべての過ちを赦してください。
不信は罪であると悟っています。
ですから、主よ、どうか私たちの“不信”を赦してください。
今夜ここに集まった私たちを助けてください。
教会は違っても、人種は違っても、背景は違っても――
働いておられる神は同じお方です。
どうか今、あなたの祝福を受け取る者にしてください。
そして聖霊よ――
神のものを取って、
ここにいる人々ひとりひとりへお分けください。
主イエス・キリストの御名によって、
これを祈ります。
アーメン。
7. 少しの間、聞いてください。どんな説教者であっても、ここ(講壇)に立って語り始める前に、まず“会衆の霊の状態”を感じ取らなければなりません。霊的な方向(bearing)をつかむのです。そうすると非常に助けられます。
どこに“信仰”があるのかを感じ取ることができるからです。ジャクソン兄弟なら、きっとよくご存じでしょう。どこに信仰が働いているか――それを感じられるのです。さて、先ほどの聖書朗読にもありましたように、“シメオン”という名のひとりの老人が登場します。私たちの言葉で言えば、白い長いひげと髪を持つ“老賢者”あるいは“聖なる老人”と呼べるような人物です。年齢は八十代あたりだったのでしょう。彼はとても敬虔で、信心深い人でした。そして、聖霊がシメオンにこう示されたのです。「あなたは“主が遣わすキリスト”を見るまでは、決して死なない。」彼はその示しを恐れませんでした。人々に向かって、堂々と、はっきりと、
「私は主を見るまでは死なない」と言い表して歩いていたのです。
8. さて、あなたは想像できるでしょうか。
シメオンのこの証しが、人々にはどれほど“狂信的”に聞こえたかを。
私は、当時の人々の声が聞こえてくるようです。
「見てごらん。
あのおじいさん――もう年を取りすぎて、
ちょっと正気を失ったんじゃないか?」
「だって、ダビデでさえキリストを待ち望んだんだぞ。
ずっと昔から、四千年もの間、人々は待ち続けてきたんだ。」
「なのに、この老人は、
今や墓に入ろうという歳になって、
“自分は死なない。キリストを見るまで死なない”なんて言っている。」
「しかも私たちは今、ローマ帝国の支配下にあって、
自分たちでは何ひとつできない状態だ。」
「どう考えても、今キリストがおいでになるはずがない!」
9. しかしシメオンには、
信じるための確かな根拠がありました。
それは――
聖霊が彼に啓示されたからです。
「あなたは、キリストを見るまでは決して死なない」と。
それなら、信じるに足りるのです。
聖霊があなたに示されたなら、それを信じなさい。
この聖書には、私がよく理解できていない部分もたくさんあります。
説明できないところもあります。
しかし――
私は、この御言葉の一語一句を信じています。
たとえ理解できなくても、
私は信じます。
今、私は自分の教会で創世記の連続講解をしています。
創世記全体を取り上げています。
ああ…!
創世記に込められた霊感を見れば、
驚くばかりです。
創世記の最初の章を取り上げるだけで、
それをヨハネ黙示録の最後の章まで、聖書全体に織り込むことができるのです。
どの一節も、どの一言も、
霊感によって書かれています。
神の御言葉全体が、
どれほど見事に一つに組み合わされているか――。
一語一句が霊感によって書かれ、完全に真実なのです。
聖霊は、時代を通して
神の御言葉を守り通してくださいました。
御言葉は全部、霊感によるものです。
10. そして、時の流れの中で――
“古い車輪はゆっくり回る”と言われますが、
ゆっくりでも、確かに回り、必ず目的を成し遂げます。
神が仰せられたことは、
どんなに現実離れして見えても、
その通りに成らなければならないのです。
昨夜もお話ししたように、
かつてこの世には“電気”が存在しませんでした。
しかし、ある人が「必ずあるはずだ」と信じ、
疲れ知らずに働き続け、
ついに発見しました。
テレビも、自動車も同じです。
神はこれらすべてを、人の益のために地上に備えておられたのです。
もし、私たち“超自然の領域”に触れた者たちが、
もう少しだけ本気でそこに踏み込むなら――。
人間は、自分の“五感”に制限されると、
ごく限られた範囲にしか進めません。
しかし、“霊”において歩む人間は、
限界がありません。
“知識の木”は、ある高さまで登ると必ず折れてしまう。
しかし、
“いのちの木”はとこしえに伸び続けるのです。
考えてみてください。
科学は、人の“五感”だけを使って、
私たち信仰の民よりも、
はるか先まで人類を前進させてきました。
ですが――
私たちには、まだ開かれていない“霊的資源”が無限に残されているのです。
「すべてのことが可能である」と言われるその領域が。
原子を分裂させることができると騒ぎ、
目に見えない波を扱うことができると驚きますが――