預言によってはっきりされた現在の出来事

Modern Events Are Made Clear By Prophecy

預言によってはっきりされた現在の出来事

サンバルダルディーノ カリフォルニア州 アメリカ合衆国

説教番号: 65-1206

日付: 1965年12月6日(65-1206)

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1. ここにいられることはまさに特権であり又、この素晴らしい会衆を見る事と素晴らしい歌、素晴らしい小さなクワイヤーです。私は違った事を考えていました。彼等少年たちがそこに立っていました、綺麗な見た目の人達、髪もきれいに切られていました。私が昨晩考えていました、私がいる場所には、沢山の不良青年がそこに来て、プールである少年を溺れさせようとしていました、彼等はなにかを呼び出してそこから取り出されたのです。立って福音の音楽を歌っている子供達と何と違うのでしょう。なんという差でしょうか。

2. これはひどい時代なのですが世界に福音を宣べ伝える為には最も栄誉のある時でもあるのです。そうなる時のちょっと前に立つことが出来たならば、そして父が私を見て「これらの時代の中でいつの時代に伝道したかったかい?」と言われました。私は今であると言えます。イエス様の再臨の直前なのです。

4. 「あなた方はここから9時30分には出ることになっている」というのです。
「その契約を一切していない」と
この女性は今晩、ここに来ています。(本当に素敵な女性です)彼女は言いました、「あなたがそれが欲しい事を理解しました」と「使いたいだけどうぞ」と言ってくれましたそれはとても素晴らしかったです。そしてそのことをとても感謝しています。それはかなり大丈夫です。

5. ここのブーン兄弟が牧師をしているアッセンブリーオブゴッドにお呼びいただくという特権も昨晩ありました。
それはそれは素晴らしい時間をそこのグループの人々と過ごしました。そして明日の夜はこちらの別の場所に行く予定です。(その場所については私は今はわかりません)そしてそれは別のチャプターになります。彼らがそれについて世話してくれています:私はただ祈り、御言葉を読み続けるのです、そしてそれが私が続けることが出来る全てなのです。

7. さて、今、今晩、ここにいくつかの聖句をテキストにして暫くお話ししたいのです。ある特定の時間にはなりません。30分以内に終わるかもしれませんというのはあなたが疲れるかもしれないからです、私は常に、聖霊のうちにゆだねるようにしていればただ彼の導かれる方向に何であれ導かれるからです。

8. 全能の神様、この書の著者であられる方にイエスキリストを通してお祈りします。我々は今晩既に聞いたことに感謝しています。もし我々がこのミーティングを「アーメン」という事で閉じて家に帰るならば、それはここでも素晴らしいのです、つまり我々はあなたが一緒に居て下さることを分っているからです。父よ、我々はこの言葉を開きます、直接この御言葉を通して語ってください、そのことによって今生きているこの時代を知ることが出来るかもしれません。もし生きている時代が分かるならばその時の為に準備する事が出来るのですしかしもし何がどこで起こっているのかをまったく知らなければどのように準備するかを分らないでしょう。だから父よ、我々は、その場所の箱舟を見せてそして扉を開いて下さいそしてそのメッセージが我々を呼んでいることをです。イエスキリストの御名によってそれを受け入れて下さい。アーメン。

9. この日、ふたりの弟子が、エルサレムから七マイルばかり離れたエマオという村へ行きながら、
このいっさいの出来事について互に語り合っていた。
語り合い論じ合っていると、イエスご自身が近づいてきて、彼らと一緒に歩いて行かれた。
しかし、彼らの目がさえぎられて、イエスを認めることができなかった。
イエスは彼らに言われた、「歩きながら互に語り合っているその話は、なんのことなのか」。彼らは悲しそうな顔をして立ちどまった。
そのひとりのクレオパという者が、答えて言った、「あなたはエルサレムに泊まっていながら、あなただけが、この都でこのごろ起ったことをご存じないのですか」。
「それは、どんなことか」と言われると、彼らは言った、「ナザレのイエスのことです。あのかたは、神とすべての民衆との前で、わざにも言葉にも力ある預言者でしたが、
祭司長たちや役人たちが、死刑に処するために引き渡し、十字架につけたのです。
わたしたちは、イスラエルを救うのはこの人であろうと、望みをかけていました。しかもその上に、この事が起ってから、きょうが三日目なのです。
ところが、わたしたちの仲間である数人の女が、わたしたちを驚かせました。というのは、彼らが朝早く墓に行きますと、
イエスのからだが見当らないので、帰ってきましたが、そのとき御使が現れて、『イエスは生きておられる』と告げたと申すのです。
それで、わたしたちの仲間が数人、墓に行って見ますと、果して女たちが言ったとおりで、イエスは見当りませんでした」。
そこでイエスが言われた、「ああ、愚かで心のにぶいため、預言者たちが説いたすべての事を信じられない者たちよ。
キリストは必ず、これらの苦難を受けて、その栄光に入るはずではなかったのか」。
こう言って、モーセやすべての預言者からはじめて、聖書全体にわたり、ご自身についてしるしてある事どもを、説きあかされた。
主が彼の祝福を彼の御言葉を読み事によって我々に加えて下さいますように。

10. もし主イエスの時代の人々が神のみを見出そうとしていたならばそして何が起こるかを知っていたならば、イエス様を殺すような事は無かったでしょう。しかしそれが起こった理由は、聖句は成就しなければならなかったからです、ユダヤ人は盲目にならなければならなかったからです。我々は皆そのことを知っているはずです。
さて皆さんはこの今我々が生きているまさにその時代に再びその約束がされている事を認識していますか?
ラオデキア教会時代、この我々が今生きている7つ目の教会時代は、裸で、みじめで、見えておらずそのことを知らないのです。選ばれた人々へのメッセージが伝えられる目的で同様にされたのです、神は今日同じことをすると約束されていました。

11. そしてそれは同じやり方のです、それは「まさにあなた方に言う、彼は既に来ている、そして彼等は彼にする事をしたのです。
彼らが彼に尋ねた時、「なぜ、その律法学者は言っている又、聖句が「エリヤが先に来なければならい」と書かれています。彼等はそれをイエスに行ったのです。
彼は「彼は既に来ているがあなた方は彼を知らない」
分かりますね。そしてそれは多分、その方法で再び終わるのです。

13. もちろん、私は彼が私を批判したからと言って彼を批判したりはしません。しかし異教徒として、その本は書店に並ばなければならないからです。そして彼は言いました。「ある神は座っていて彼は公開を開き彼の人々を解放るる事が出来ると言うそしてそれから彼が手を広げて、彼は暗黒時代にクリスチャン達が色々な場所でライオンによって殺されているのを見ているだけの思いさえある、その母親たちはタールの中に髪の毛を付け込まれて十字架にかかり焼かれていた、そして彼らの赤ちゃんたち、、妊娠中の母親たち、彼等は腹を裂いて、子供達のセックスをかけあったりそれらの事が起こらせ人々はそれでもこの神の僕たちだと言う人たちがこの様な事を行っている。

14. バプテストの聖書者にしばらく前に話しました、彼は「正しいギリシャ語を学ばない限り、我々は、、、
私は言いました、「ニカエア会議で、それが起こる前彼等は聖書のギリシャ語の言葉について口論していました」それを知る事は無いでしょう。
聖書は霊感によって明らかにされるのです。それは啓示によるのみなのです。イエス様はペテロに、「この岩の上に」この啓示の岩、彼に明かされたもの「ヨナの子シモン、あなたは幸いであり、血肉がこれをあなたにこれ尾を明かしたのではなく、天にいる私の父があなたのこのことをあらわされたのである、そしてこの岩の上に、私は私の教会を建てよう」とペテロの上ではありません、彼自身ではなく、霊的な彼自身が誰であるかという啓示の上です。
そして彼は御言葉なのです。!ヨハネの1章に、「初めに言葉があった、言葉は神と共にあった、言葉は神であった。そして言葉は肉体を取って我々の内に住まわれた」とあります。へブル13:8には「イエスキリストは昨日も今日もいつまでも変わる事がない」と

15. 私は教育を受けていない人間ですが、神の選びを崩すことは出来ませんというのは神は引き続きそのような形で技をなさるからです。ちょうど私が言った様に、太陽は昇り又下ります、そのことで一日が過ぎて行くのです、ちょうど学校の時の様に、そして夜には死になり死ぬのですが翌朝には又日が昇るのです。その木は冬の時期にはかれますが、根は張っていて、春が来ると芽が出て葉となるのです。
気が付いて下さい、神は麦の粒のようにその花嫁を好んでいますと言うのは、神はその様になさらなければならないからです。素晴らしい本物の純粋な教会はペンテコステの日に創られ、ペンテコステの日からずっとどんどん成長して来てある素晴らしい教会になりました、それは暗黒時代に地に落ちて全ての種が植えられるようになったのです。それは一度死ななければならなかったのです、それによって再び改革の時に上がってきたのです。それは改革の為の人の中に、つまりはマルチンルターでした。そしてそこから、ちょうど麦の茎のように。。初めに上がって行き、二つの芽と葉が出て、葉を加えて行き、マルチンルターそしてツヴィングリそしてその後、カルビン彼等は動き続けたのでした。

16. ペンテコステ時代から来てそれはとても近いのです、もし茎を見るのであれば本物の麦の粒の様なのです。しかしもし麦を取る様になりそれが動くのです、まったく粒はなかったのです、それは粒の形の中に在るからでしかありませんでした。しかしそれは目的があったのです、粒を守るものとなり、太陽が当たってそれをだめにしてしまわない様にでした。
それは特定の時までそこにいなければなりませんでした、そしてすべてその命が空を出るまで(それは茎を離れ、花粉も)殻を離れて麦に行きそして再びその様に形作られて地に降りて行くようになるのです。

18. 神ご自身を彼が来られた時の事を見て下さい。「素晴らしい小さな預言者、ラビ、ガラリアの預言者」さて、彼の御仕事は素晴らしかったです、彼は全ての教会から歓迎されました。
しかしある日彼は座って言ったのです。「私と父は一つである」
「何てこと!」それは異なっていたのです。「そのような人とは離れよ」
「人の子の肉を食べ、彼の血を飲まなければ、あなた方の内には命はない」
「なぜ、彼は人食い人種だ!そのような人から離れよ!」分かりますか?
さて。そこには印が従わなければなりませんでした。何かが従っていたのです。
殻はそれを覆っていましたが、殻がそこから抜き出さなければなりませんでした。そして覚えておいてください、20年間が経ちましたが、そこからは宗派は出来ていませんそしてそうはならないのです。我々は宗派の終わりなのです、その麦は形を取ったのです。しかし今の麦の問題は何でしょうか?あなたにはできません、それは御子のご臨在の中に置かれて引き上げられる前に立ちあげられなければならないのです。

19. さて、聖書は他の宗教書とは全く異なる本なのです。他には聖書の様な本はありませんなぜならば、聖書は神が言葉の形で表れたものだからです。言葉というのは表現された思いなのです。神の考えがそこで表現されたのです。神の言葉が預言者達を通してそして彼らが聖書を言葉の形として書いたのです。そしてイエス様はそれを「種」と呼ばれました。そしてどの種も正しい状況で正しい環境の中でその種類の物が育つようになるのです。さて、この書は、、、この預言の書は将来の出来事を先に告げているのです。さて、その書にはイエスキリストの啓示の全てが書かれているのです。あなた方はそれからっ取り去ってはいけませんそしてすべての啓示はそれに追って怒らなければならないのです。分かりますね、それは神の言葉でなければならないのです。

20. もし神からくるものであるならばそれは御言葉(聖書)によらなければなりませんでなければそれは神のご臨在を証明したり指定する事にならないからです。そして彼は先に全ての事をご存知ですから、、、彼の素の先見の知識により、神は決められ、あらかじめ定められたのです。(それは聖書では、あらかじめ定めたとされています)全ての時代そしてその場所そしてすべての人がその場所にあり、そしてすべてのメッセンジャーもその位置に置かれるのです。彼は神であり、悪魔は何も彼から引き出すことはないのです。そしてイエスは神でありそして全ての事が起こる様に定めておられそしてちょうど彼の言葉通りにその様になっているのです。
だからもし我々が彼の言葉により、我々が生きている時代と時が分かるのです、あなたはそれを聖書の中で見ることになります、この時代、、我々はちょうどどのようになるか、この時代にどの様な事が起こることになっているのかをです。

21. しかしこの書は預言者、それは他の本とは違うのです。聖書は将来を先に告げる神の御言葉なのです。それは先に警告するために先に告げられているのです。
もし神が何かを送られたのならば、彼は聖書の中で言われ約束されたのです、何も地上で起こる事は彼の僕である預言者にあかすことなしに起こる事は無いと(アモス書3:7)そして神は嘘をつくことは出来ません。彼はそれを顕かにされるのです、それが神のやり方で時代を通して同じように全てされてきました。彼はそれをする事について決して変わる事はありません。

22. そしてこの御言葉に明らかにされて、ある人は言います「さて、これが分った。そして神を祝福しよう。それはその様だ」それがちょうどイエス様がはじめに来られた時と同じなのです、皆が競技を持っています。皆がこれを持っているのです。それは何か神から送られたものでなければなりません。そして神はそれを約束されたのです。そして彼がされる勇逸の方法は、同じパターンを守る事です。彼は我々にそれを送ると約束されました、終わりの時にです、マラキ4章によると、預言者は地上に来て、人々の心、子供達の心を使徒の父たちに再び戻すと。彼は彼の御言葉の中で約束されたのです。ルカ17章と多くの他の場所でも彼はそれを約束されています、彼はこれらの終わりの時にこのことを指定された御言葉として齎すことを約束されていました。

23. 我々はペンテコステの時代には、生きていません、別の時代に生きているのです。我々はメソジスト時代にも生きていません。他の時代なのです。我々は今、ここまで花嫁の時代に生きています、呼び出された教会が携挙の為に集まるのです。その時代に今我々は生きているのです。正直な意見として、それが全くの真理なのです。

24. しかしその教会は固くなり遠くに離れてしまっていますその兄弟がここで言っていたようにです。そして我々の教会も同じ様になっています、何かに揺さぶられて御言葉に戻るまではそうなのです。我々はどの様にしてそうなるかを知っているのでしょうか?それは神ご自身の計画によるからです。それは平信徒からもビジネスマンからも来ることなのです、それは教会によって来ることもないのです。神は神の計画を既に置かれているからです。

25. そして彼等は皆凄く霊感されて、叫んでいました、彼等は全て宗教的な行動をとったのです。そしてそれは神のご意志とは完全に反対だったのです、そこにはナタンという名の預言者がその地に居たのですが、そのことについて相談をされていませんでした。そして我々がそれについて分かるのは、彼等はたとえ誠実であって神の御仕事をなそうとしていてもそれだけでは上手く行かない事です。

26. これらの現在の出来事は凄く速く滑っていきそしてある日我々は何もなく残されてしまっていることを見出すことになりますそして分からないままに獣の印によって封印されてしまってつかまってしまうのです。

27. しかしそれは全ての時代に言えるのです、人々は神学によって自分糧tな解き明かしを持っていますそして神の聖なるそれを指定した物を信じないのです、(それは神の霊感です)私が言った事ではなく、誰かほかの人が言った事でもなく、神が約束されそして神がなさり神が神ご自身の言葉を解き明かすことを証明されているのです。

28. 家に戻り、これは他の人達のミーティングでは話しません。「サーパントの流れ」について話すつもりです、そしてそれをもしテープを得ているなら聴いて下さい。

29. しかし分かりますね、神が約束された通りの事を確証する時、彼等はイエスが来るべき世的に受け入れられる方法を持っていたのです、つまり、救い主としてです。
救い主は彼らのグループに来なければならなかったのですでなければ彼は救い主ではありませんでした。さて、それがその道で、ほとんど、今日と同様です、「私の眼鏡を通してみないならば、あなたは何も見ていない」分かりませうん、そしてそれがそういう事だったのです、それが真理です。我々はその様に考えたくないけれどもそれが全くの真実なのです。

30. 分かりますね、人によって書かれたのではないのですがそれは神によって書かれたのです。それは人の書でもなく、神学者の書でもないのです。それは神の書であり預言者によって書かれ預言者達によって解き明かされた預言の書なのです。聖書はこう告げています。「主の言葉は預言者に来る」その通りです!

31. すか?
神は言われました、神が神の子羊である人を犠牲に捧げる時が来ると書かれていると言いました。そしてイエスが来られるとき彼に知らされるともいわれました。ご存知のように神はここに立っておられるのです、そしてそのことをあなた方は知りません。神は我々の中におられますが、あなた方はそのことを知りません。
ある日、イエス様が出て行かれたころヨハネが上を向いてそして神の上にその印が見えたのです。彼は言いました、「見よ、この世の罪を取り除く神の子羊」同じ時にイエス様は彼が人々の前に指示されていた言葉でした。彼は言いました、同時にイエス様は彼がその時代に指定されていることを知っていました。「初めに言葉があった、言葉が神と共にあった。言葉は神であった。そしてその言葉が肉体を取って来られ我レの中に住まわれた」そしてここに神は居られます、、地上の御言葉(完璧です!)預言者に水を通してきているのです。

33. そしてそれにより我々は神が毎時代にそうされるのを見出しています。神はご自身のあらかじめ定められた方法によって預言者をその時代の為に選ばれるのです。彼の性質によって、人間の性質、人の話すスタイルー賜物そしてすべてその時代の挑戦に見合うように選ばれるのです。神がその人を創られて送られたのです。そして彼ご自身の中で(昨晩そのことを話しましたが)我々は神の細胞の中の種なのです。神はその人が来ることをその時代にまだ分子や光となる前地上がそうなる前からご存知でした。

34. そしてあなたが神の息子あるいは娘であるならば、あなたは常に神の内に居たのです。しかし彼はいつどこの寝床であなたが植えられたかをご存知でした。又今、あなたは神の子として、神の息子または娘としてあらわれる様に創られており、このじだいの生きとし生ける神の真実の挑戦に合うように指定されているのです、この時にそのメッセージが出る様にです。その通りなのです!あなたは世の初めからその様にされていたのです。もしそうでなければ、、もしその様に選ばれていないのであればどれ程人まね子ザルをしようとも上手くは行きません。そこに血がない時に蕪からどのようにして血を得ることが出来るでしょうか?

36. 昨晩話したのですが、私はその捧げられた犠牲について話していましたそれこそが子羊でした。それは7日間で7つの教会時代を表していました。膨らむパンは人々の中にはありませんでした、7日間にわたってです。その意味は、それには何も混ぜ物がなかったという事です、それは継続的に膨らまなかったのです。そして私達は信条は欲しくありません、膨らんだり、混ぜ物になっている物も欲しくないのです。世が我々と混ざって欲しくありません。神の種入れぬパンでなければならないのです、神の御言葉、混じり気のない神の御言葉、「人は神の口から出る一つ一つの言葉によって生きるのである」

37. 我々は福音を完全な形で語らなければ神が指定した力により、その時代の約束に従って、それが御心であるとまさに証明する必要があるのです。それ以外では、ただの教会のメンバーであるだけです、どれ程努力しても、どれ程神に奉仕しようとしてもです。奉仕の集まりに行こうとどれ程教会に忠実であったとしても、永遠の命があらかじめあなたの為に定められてその遺伝子があり、神の息子、娘になる事になっていなければ、何かおかしな形で育つのですが決して本当の神の息子、娘にはなれません。

38. 鷲の卵がかえった時ひよこたちの間で、彼はおかしな見かけでした。彼には雌鶏が泣く方法が分かりませんでした、彼が聞きたい方法で話してくれていませんでした。雌鶏は農家の裏庭で食べ物をついばんでいたのです、それは鷲の食べ物ではありませんでした。彼は彼らの間では醜いアヒルの子だったのです。そして雌鶏は泣きましたが彼には分かりませんでした。雌鶏はこちらへ行ったり、これやあれやを食べましたが、彼には分かりませんでした。そしてある日彼の母親が、南部では、「Mammy」と言います。
さて、とにかく、彼の母親が彼女は二つ卵があった事は分かっていてそして一つしかなくなっていたのです。彼女はもう一つを探していました。国中を飛び回ってそして最後にその農家の裏庭の上を終に飛びました。彼女は年寄の雌鶏に従っているのを見つけたのです。彼女は叫びました。「息子よ、お前は鶏ではない。鷲なんだよ!」その音がちょうど彼が聞きたかったのです。どうしてでしょうか?彼は初めから鷲だったからです。

39. 彼らが言い続けるのは、「ママ、どうしてここから飛べるようなるの?」
彼女は「ただ跳んでご覧、私が捕まえるから」と言ったのです。
そしてそれがあなたがしなければならない唯一の事です、足で神に向って飛ぶのです、1つの約束、、「主イエス様、私は全身であなたを信じます、その時代のメッセージを信じます。その確証が分かります、そしてそれが正しいと分かっています」あなたの足で飛ぶとママが捕まえてくれます。心配しないで、あなたは鷲なのです、彼女はそこにあなたを捕まえるためにいてくれるのです。

40. ご存知ですよね、私はこの国を通して、国中に短髪の女性が居なくなるまで語ってきています。しかし毎回戻ってくるともっと短髪の女性がそこにいるのです。どうしてでしょうか?何か間違っているのです!御言葉がそう言っているのを知っていますね!「そこに何の違いもない」とあなたは言うでしょう。そこには大きな違いがあるのです。

41. 私は言いました。「彼等はそれをしないから」と「さて、、、
彼は言いました。「さてそれはあなたの仕事ではないただ病人の為に祈りなさい」
私は言いました「それはそうしたら誰の仕事ですか?私は福音を宣べ伝えるために召されています」
彼は「あなたに手を押して神がそれをあなたから取り去られるように」と言ったのです。
私は言いました。「もし私にもあなたに手を置くように許して下さるならば、」分かりますね。そして私は言いました。「私は神があなたの芽を開きそれを理解する事が出来る様に祈ります」そうです。それは正しいのです。
彼は言いました。「あなたは説教をする必要がある、、その人々はあなたが僕だと信じている、神の預言者だと」彼は言いました、「女性達にどの様に素晴らしい賜物を得る方法や預言やその他を教える必要がある」
私は言いました。「彼らにもし彼らがABCすら信じていない時に、台数を教えることがどうしたら出来るのですか?」とその通りです。そんな事あなたには出来ません。全ての事に言えるのです。もしあなたが一般的な事が出来ないなら、霊的な事をどうしてできましょう。その自然な事。間違いない事です!兄弟、姉妹、それは冗談のように聞こえるかもしれませんがそれは福音なのです。福音の真理です。その通りなのです。

42. イエス様は言われませんでしたか、「その日、多くの者達が私の所に来て、多くの業を行い悪霊を追い出し預言を死ましたそれは神の賜物ではないのですか?彼は言いました、「悪行を行う者よ、行ってしまえ、私はあなたを知りもしない。多くの物がその日に来るようになる」

43. 我々は沢山それらを取る事が出来ます、ここに書き出しました。バラムはどうでしたか?彼は、、あなたは、「神は彼の心を変えた」神は神の思いを変えられません!
バラムが預言者として出て行き、そこにいる司教、説教師何でも呼びたいように呼んでください、彼は偉大な人でした。しかしそこに行くときに神と相談をしたとき、イスラエルを呪うように(彼はもともと彼等の事が好きではなかった)そして彼は行くように呼ばれたとき、神様は「行くな!」と言われました。
そして彼等は威厳ある人々が沢山送られ何人かは多分、司教とか祭司あるいは何かその様な、より教育を受けた者が彼を説得しに来たのです。彼は戻って神に再び尋ねました。神に2度尋ねてはいけません。神が一度最初に言われたらそれがそれなのです。何も待つ必要はないのです。
リベカは2つ目の勧めを待ちませんでした。彼等は彼女に言ったのです、行きますか?と 「彼女に言わせなさい」
彼女は言いました。「行きます!」彼女は強く神からの勧めを受けたのです。彼女は聖書の中の女王の一人となり、御霊が彼女の中に動き間違いなく真理の中でそれを受け入れてそれを信じたのです。

44. それはそうです。彼等は皆同じ神を信じていました、彼等は皆エホバを拝していました。バラムの捧げものを見て下さい、7つの祭壇、神の完全な数字、7つの教会。分かりますね、7匹の子羊、主の来臨について話しているのです。基本的に、彼はモーゼと同じくらい原理主義者でしたが、分かる様にそれは神からの指定がなかったのです。そこでは彼等は両方とも預言者でした。
しかしモーゼの御仕事の下では、超自然的な火の柱があり、光がキャンプを照らしていました。そこには神の癒しがあり、王の叫び声があり、大きな印、癒し、奇跡が彼らの中で行われました。それが彼の人々の中に生きる神がおられる印なのです。
原理的に、彼等は両方とも正しかったのです。そしてバラムは人々を説得しようとしていましたそして彼らをその中にいれようと。いつ?約束の地に着く直前でした。
あと一日か二日で彼等は約束の地に入る事になっていました。

45. バラムは言いました。「我々の子供達は結婚しているというのは実際我々は同じ神を信じているから」
「二人が同意していなければどうして共に歩むことが出来ようか?」あなたが神の御言葉に同意していない限りどの様にして神と歩めるのでしょうか?神がそうしない様に定めそれをしない様に命令されている時に信条などを足すことが出来るのでしょうか?そんなことは出来ません。それをする方法はないのです。兄弟姉妹。種入れぬパんと種の入ったパンを混ぜ合わせる事は出来ません。油と水はまざりません。闇と光は重なりません。光は凄く力があるのです、闇を消してしまうのです。

47. そしてだから教会が義化、清め、聖霊のバプテスマを通って(賜物の回復)キリストの姿に正しく創られることによって。キリストは花婿で教会は花嫁そして花嫁は花婿の一部なのです。それは御言葉の教会でなければならないのです、宗派の教会ではないのです。それは御言葉の教会になりその御言葉は神の御言葉と指定指定されていることにより知られるようになっているのです。

48. パロも分かりませんでした、彼の真ん前で指定されていたにもかかわらずです。
ダサンも分かりませんでした。ダサンはそこを出て、そしてモーゼを見て知っていました。彼はそこに行き言いました、「その集まりの中の唯一だと考えようとしている。全会衆は聖い」」神はそのようには決してされません。彼はそれよりも良く知っているはずです。そして彼は言いました。「さて、その全会衆が聖いのです。あなた自身も、、、(もし今日言うならば、)海岸にある唯一の小石?」
そしてモーゼは神が彼をそこに送られたことを知っていました。そして彼は言ったのです。「主よ、」幕屋の戸口に
そして神は言われました「彼から離れよ」そして彼らを飲み込まれたのです。

49. さてしっかり見て下さい、聖書は言っています。「終わりの時には二つの霊が」
マタイ24:24それはあまりにも似ているので、もし出来るならば選民おも惑わす」その殻は麦と全く同じように見えますが、それは麦ではないのです。それは麦ではなく見た目が全く同じなのです。凄くよく似ているのです、それが選民をも惑わすのです。宗派によって分けられているから宗派におちて行き、乾き切って死ぬのです、そして麦は動いてそこから反れます。。分かりますねそうなのです。殻は運びますがそれは麦ではないのです。
覚えておいてください、麦はただ続けて行くのです。その回復の時、麦の強さが、麦に来て、その頭を作り、素晴らしい回復となるのです。
決して許されない罪!

50. さて、今晩も同じだとしたら?5百万人のクリスチャンが世界にいるとされていますそれは数値として。もし携挙が今晩来るとしたら、5百人だけになるのです。さて、多くの人々がいつか、、、彼等は数えられていません。花嫁は連れて行かれます、我々が思っているのはその事だけなのです、そして人々は正しく説教をし続け、彼等はこれやあれやその他を得て、欺きになっていくのです。その様になると言ったとして、私が言ったわけではないのです、私は知りません。それについての権威はありません。神がそれを裁かれる方です。しかしそれがどれ程簡単に起こるかは分かります。全ての数値や物事、それが証明されるかをです。

51. 「そうです!」
「我々の子供達は飢えていて、そしてシリア人達(我々の敵)は彼らの子供達をお腹いっぱいになるまで我々の物であるべき麦で養っている」それは聖句的に正しいのです。そして言いました。「私と一緒にそこへ行ってそれを取ってくるのを助けてくれるだろうか?
さて時々良い人は悪い者達の影響かにいる事があります。しっかり気を付ける必要があります。教会飲みなさい、本当にしっかりと見て気をつけましょう。

52. そして彼は言いました、オーアハブ王、「疑いもなく、我々はそれを考える必要があります、さて、、我々は、、」
「主の預言者がいますか?」
そして言ったのです、「神学校いっぱいに。ここに400人います、最高の人々です。彼等は皆博士号や学士号を持っていて、全て他の事はそれに繋がります。彼等は皆、、、」さて覚えておいてください、彼等はヘブライ人の預言者で、預言者学校の出身でした。「彼らを連れて来て下さい、彼らから聞きましょう」と言ったのです。

53. さて、それらの残りも預言されていました。「それはまさにその通りなのです」彼等全てが、神学校全体が同意していました。そして
アハブは言いました。「分かりますね?」
ヨサパテはある意味霊的になっていましたね。(彼は完全には乾き切っていませんでした」
彼は言いました、「他にもう一人我々が相談できるものが居ませんか?」
「あなたは他の物に何を相談したいのですか、すべてがエキュメニカルになっているのに、、、すべての協議は、それは正しいと言っている時に?(すみません分かりますよね)「全体がこういっているのです、我々はそれをすべきだと」分かりますね?それが我々がすべきことだと」
彼は言いました、「しかし他に誰かもう一人どこかにいませんか?」その変わり者、
彼は言いました。「はい、います。まだ一人います。イムラの子ミカヤがしかし私は彼が嫌いです」いつもそのような形なのです、「私は彼を嫌いですと言うのは彼はいつも我々の人々に激しく非難するからですそして私を呪い私を全て悪く言うのです。私はその人が嫌いです。」
そして言いました。「オー王にその様に言わせないように」
そして言いました「行って彼を連れ来なさい」

54. しかし神が持っておられる人が居なければならず彼等名その人に手を置くことは出来なかったのです。神と神の手が彼の上に在ったのです。彼は神の真理の反射板の様なのです。そして言いました。「分かりました」「私は行きますが、神が私に入れてくれた言葉のみを語ります」神の人が居て彼は言いました。「一晩与えて下さい」そしてその夜に来て、主がその預言者に(何でもない小さき者)に語られたのです。そして初めの事、彼は翌朝に来ました。
そして言いました。「イムラ、それはどうなっている?」
彼は言いました、「行き続けます」しかし「イスラエルの民が丘の上の羊のように羊飼いなしに散らされているのを見る」と言ったのです。
彼は言いました。私があなたに言った事!それについて何を言ったか。そして彼は言いました。

55. さて分かりますね、イムラは神の子であり、本物の神の預言者だったのです、彼は彼の幻を御言葉の内に調べたのです。もしそれが御言葉と叶っていないならばそれは間違っていますね。その時代の為の御言葉です。さて彼は言いました、聖句的にもその土地は彼等に属していてその土地は彼等の物でした。聖句的に見て全ての事は正しく見えたのですがある一つの事を除いて。
覚えていますね、1つの言葉が全ての堕落と汚れを齎したのです、エバが一つの神の言葉を信じなかったからです、聖書の初めに、在る様に一つの言葉が問題を起こしたのです。イエス様は聖書の真ん中で来られます。そして言われます「人は神の口から出る一つ一つの言葉によって生きるのである」そして聖書の最後に、「誰でも一つの言葉を加えたり、、取り去るものは、、、

56. しかし御言葉の全て、その時代の御言葉が確認されているのです。そして我々は神がそれを語る為に立ち上がる預言者が神に油注がれるまでそれをする事はありません。そして神が確証され、それが正しいと証明されるまで。人々の中でそれが滑る事もあるでしょうそして彼等はそれを知る事は無いのです、それがちょうどいつもそのようなのです。
あなたがカトリックの人達はちょうどジャンヌダルクを魔女として焼いたように、のちにあなた方は祭司の身体を2百年後に掘り起こしてそれらを川に投げたりしました。あなた方は聖パトリックや残りの人達を知りません。
それは再びあなた方の手の内に入る様になりますまず知ってください。神はそれをなさるのですそしてあなた方はそれがなされたことを知る事さえないのです。分かりますね、神はそこを通り抜けて、彼の花嫁を連れて上がって行くのです、彼女を盗人のように人々の間から連れて行くのです。

57. このラオデキア教会時代に神がそれに敵対しているのに良い事を私が語ることなど出来るでしょうか?あなた方は裸でみじめだ!あなた方は、「私は豊かで良くなり、、、メソジストや、バプテストや長老派の様な教会を持っている。これやあれを持っているこれやあれやそれ以外の最高の物を持っている」そうなのですが、あなた方は裸で目蔵でみじめであることを知らない、神がされている本当の事を知らないのです。あなた方はそこに行き、そこに動きます。遅くなりすぎる前に、どうか皆さん信じて下さい。

58. ミカヤは「神が御座に座っているのを見た、そして天の者達を呼び行った、誰が降りて行ってアハブを欺くことが出来るのか?と言っていました」そしてだます霊が降りて来て神の前に行ったのです。欺きの霊。そして覚えていますね、嘘をつく霊はそれらの預言者に入り、彼等は御言葉によらない事を語っていたのを彼等は知っているべきでした。しかし彼等は王の預言者だったから、すべてが良い状態だったのでそれを続けたのでした。

59. 私の息子が先日テレビを見ていて電話してきました、それは人々が来て歌うシンギングビーの様なものでした。そこに色々な人たちの集まりが居て、こんな感じでロックンロールのようにして讃美歌を歌っていました、それはイエスキリストに対しての冒涜です。
現在教会には全く厳粛さがありません。まるでロックンロールのように全てがなっていて、ファッションショーのように、生きる神の教会である代りに、イエスキリストが力を持って顕す場所の代りにその様になってしまっているのです。そうであるべきではありません!何かがどこかで間違っていてあなたは外れてしまっているのです。そして聖書は言っています、そうなる時が来ると。あなたがいる場所を見て下さい。遅くなりすぎる前に気を付けて目を覚ましてください。

60. 彼は言いました、「王がこう言います、この者を獄屋に入れ、わずかのパンと水をもって彼を養い、わたしが勝利を得て帰ってくるのを待て私が彼を世話をする」
ミカヤは強くたち、神の御霊を持っていることを知っていました。彼の預言と幻は正しかったのです。彼のメッセージは正しかったのです、何故ならそれはっその幻の中で主がこう語られるだったからです。主が御言葉からこう語られたのです。それは正しくなければならないのです。それは「主がこう言われる」なのです。彼は言いました。「もしあなた方が戻ったのならば、神は私に語られていなかった」そしてご存知の通りそれは間違いなく起こりました。
悟ってください。兄弟。聴いて下さい。

61. それはもし私がもう一度そのことを繰り返して話したら驚かせるでしょう。聖書は彼は外にいてそれを叩いて居たけれども誰も彼を入れてくれなかったのです。「私を愛するものを訓練し叱るとそして私は叱り、彼を揺らすがそれは私が彼を愛しているからです。それを開いて私を入れて下さい」「覚えていてください、私はその教会には入りたくない」それは個人としての神なのです。彼は教会に入れませんでした、彼は神を締め出したのです。彼等の組織すべてで、この教会時代では神はその組織の教会の外にいるのです。締め出されているのです。拒否され、受け取られなかったのです。彼は一時的に他の教会で示されたのです、それは義化された形などで、しかしここではないのです、その時代が今来ています。イエスキリストの指定された完全な表れは昨日も今日もいつまでも変わる事がないのです。オー私は沢山のなりすましを得る事を認めることになりますが、初めの物を調べてみて下さい。そのオリジナルをです。

62. そしてご存知のように、終わりの時にも同じことが約束されていますね?ヤネスとヤンブレがモーゼに逆らったようにこれらの人々も、真理に逆らうのである。知性の腐った、信仰の失格者である」続いて行きます。組織。。。ある人をその組織化から取っていてそれは神から来たものではありませんでしたと言うのは神はそのような事で人々の思いに魅惑していたからですそしてそのメッセージはそれに続いたのです。もしそうでなければそれは神の物ではありません。それは神ではないのです。神はいつもそれをされるのです。
ユダはそれを理解できませんでした。彼は彼と共に歩いていました、しかしあれはそれが分らなかったのです。

63. メソジストの言葉でも、バプテストの言葉でもないのです。覚えておいてください。もし捧げものの残り物があったとしたら、それは朝になる前に焼かれなければなりませんというのは、将来の別の教会時代があるから。そうですか?出立。それが真実です。そのシンボル。捧げもののタイプ。

64. 神は彼の名前をイエスの中に置かれたのです。それを信じますか?彼は神の御子でした。全ての息子は彼の父の名前を持ってきます。彼は言いました。「私は父の名で来たのにあなたは私を受け入れなかった」私の父の名によって来て、あなたの父の名によって来た。イエスは彼の父の名によって来たそして彼のの父の名前はイエスですその通りなのですと言うのは彼は父の名によって来たからです。
「そしてあなたは私を受け入れなかった。他の物が来るそして彼をあなたは受け入れるであろう」あなたは宗派を取ってそれと共に生き続けるのですね、どうぞ続けて下さい。聖書はこう言っています。「彼等はこの場所で育ち成就することになる。目が見えず、裸でありながらそれを知らない」教会、宗教。アー、カインがつくった犠牲と同様にそれはとても敬虔だったのです。ちょうどアベルがした様に全ての物を作りました。しかし啓示によって何が聖餐になるのかが明らかにされたのです、手で創られた畑の果物ではなかったのです。
信仰者は御言葉が肉になるを見ることが出来ます、他の人には出来ないのです。

65. そして神は決して彼を許しませんでした彼は彼等を荒野で滅ぼしたのでした。
そしてイエス様はご自身に言いました。「彼等は来ることはないでしょう、誰も救われていない。とイエス様は言われました。
彼らは言いました。「我々の父祖達は、40年の間荒野でマナを食べました。
彼は言ったのです、「彼等は皆死んだ、永遠に神から離れてしまった。彼等は皆死んだ」その通りです!彼等は間違いを聞いて居たからでした。モーゼが神が指定した預言者で約束の地への道を見せた指導者だった時に彼等は遠くまで来たのですが、彼等は彼と共に行かなかったのです。
さて、信者たちはそれを見ることが出来ましたが信じない者達はその立証を見ることが出来なかったのです。

66. しかしそこには数人の信仰者が座っていただけでした。弟子たちがイエス様が「私と父は一つである」と言った時理解できたと思いますか?彼等には説明が出来ませんでした。彼が「人の子の肉を食べ血を飲まなければ、永遠の命はない」と言ったのです。彼等はそれを説明できましたか?いいえ。しかし彼等はそれを信じたのですと言うのは彼等は神が立証した物が肉を創られたことを見たからです。

67. 「さて、カイパもその言葉を知っていました!」しかしそれはその時代の為の言葉ではありませんでした。彼はパリサイ人が彼を指さした言葉それはその時代の為の言葉ではなかったのです。
「彼等は私の声を知っている、私の印、奇跡が分かる」さて今、
オーそれでは我々のテキストに戻りましょうと言うのは、この聖句をただ見失るからです、もしそうしないならば、しっかりと次の数分の内にしなければなりませんどうにかして、あと数分で10時になってしまうからです。イエス様を愛しています。アーメン。

68. 協会は私を持っているわけではないのです。彼等は私を欲しがってはいません。いいえ。それは正しいのです。彼等は私を下ろしました。彼等は、「彼はイエスのみ」あるいは彼は何かその様なある意味狂信的の様な。。。イザベラの様な。。」そして私はそれを探し、彼等は私の主を「イザベル」と呼んだのですそして彼等は彼を、、、イザベルではなくベルゼバブと呼びました。」彼等は彼を酷い名前で呼んだのです。「もしその家の主人をベルゼバブと呼んだならば、どれ程彼の弟子たちを悪く呼ぶだろうか?だからそれには何の違いもありません。
そしてあなた自身は神の助けにより、、、大いなる偽善者としてあなた方に何かを告げるために私が立っていると思いますか?それとも、神から来たものと信じることにかなっている事を告げるために来ているのでしょうか?

70. 彼等は言いました。「いいえ、サムエル、あなたはそのような事は一度もしていません」
そして言いました「主イエスの名によって起こると言った事でおこらなかったことがありましたか?
「オーその通りです、サムエル。私はあなたを神が送られた預言者だと信じています。その通りです。全てあなたが言われた事は起りました、サムエル。しかし、それでもそうしたいのです」何が起こったか分かりますね。兄弟、その聖句は何度も繰り返し、言われていますと言うのはそれが神のやり方だからです、そのような時になっているのです。
我々のテキストに急いで行きましょう。ここまで来ているのに、まだテキストに行ってさえいないのです。

71. メソジスト派言います、「それは我々の教会の中で」バプテスト派も長老派も、ここで、そしてこれの中でと。
しかし主はこう言われます、「私が彼等の一つの場所である、そこには私の名が記されている場所である」それはイエスキリストの内でなのです。そこに神が彼の名を置かれたのです。そこが唯一の彼があなたに会う場所です。そしてキリストは御言葉です、昨日も今日もいつまでも変わることが無いのです。足から、腿に成長していくのです、そして今それは頭に行くように決められています、完全な形で表れているのです、花嫁が花婿と同じになるのです。

72. テキストについて考えたいのです。
それは又起こっています。テキストはいつも。神は彼の預言者を彼の御言葉でマラキの3章で、私は主が帰られる前にあるメッセンジャーを送るであろうと約束されていました。
さて、もしあなたがその指定が欲しいならばそれを証明したいならば、マタイ11章に同じように指定されています。ヨハネの弟子達が来てイエスに会いに来た時、彼等は言いました。「ヨハネは獄にいます」そして「我々はあなたに尋ねに来ました、彼は、、
ヨハネは鷲の目でそれを記録していました。そして彼は獄に居て、彼は殺されることになっていました。「彼に尋ねに行きなさい」と言ったのです。
分かりますね。ヨハネは言ったのです、「オー彼は手に扇を持っている、彼は床をしっかりと分けている」彼は至福千年がそこから始まっていると思いました、彼はその麦の粒は準備されていると思っていたのです。しかしそれは死に茎になり又花嫁になるために上がってくる必要があったのです。そして彼は言いました。「麦を集めて蔵にいれるそして彼はそれ(茎)を火で焼く」その時代におけるキリストの前走者を見て下さい、彼が言った事が起こる事を「その粒は、、、」

74. そして彼の弟子たちは丘を越え始めました、彼は戻ってきて言いました。「ヨハネに会いに行った時、あなたは何を見ましたか?」ある人が柔らかい服を着て食事をしているのを、回る襟などを見たのですね?彼は言いました。「彼等は王の宮殿にいました、彼等は赤ちゃんにキスをしたり死人を葬っていました、彼は二つの手で刀を持つ方法を知りませんでした」「あなたは何を見に行ったのですか?風邪に揺らぐ葦であるのか?ヨハネ何を言っているのだ、ここに行くrならばもっと金をやろう!」(わて、神を誉めましょう、私はもうメソジスト派ではなく、ペンテコステ派になりましょう、長老派になりましょう、これやあれや彼等がお金がある限り?)と言ったのです。「あなたは風に揺らぐ葦を決してみませんでした」「あなたはそこで預言者を見ましたか?」彼は言ったのです。「はい、そしてそれは預言者以上の方でした」と

75. しかし、見て下さい。イエス様はそのことを知っていました。彼は向き直り賛辞を与えたのです、そして言いました。「あなたは何を見に来たのか、風に揺れる葦か?」と言いました。「女から生まれた人でヨハネよりも偉大な者をこの時代にはいない」とその通りです!人に対するこれほども素晴らしい賛辞がありましょうか!
しかし分かりますか、その通りです、預言は彼の目の前で成就したのです、前走者が来てマラキが言ったのとちょうど同じようにです、さてそれはマラキの3章でありマラキの4章ではありません。
洗礼者ヨハネはマラキの3章です、イエスはそう言いました。彼等は彼に尋ねた時でした、「その書では何と言っているのか?」と。
「彼は酢でい着ている。彼等はそう言っていました」と言ったのです。
しかし覚えていますね、マラキ書の4章、マラキ4の預言者は4回目の洗礼者ヨハネの出現あるいはエリヤ。4回目の出現は黙示録の2章の証人彼が来るときはユダヤ人の残っている人達に来るのです。しかし神は同じ霊を5回使われました、恵み(GRACE-JESUS)それは皆イエスの霊なのです。。信仰(FAITH-GRACE などなど、その5という数字は恵みの数字で神はそれを使われました。3回だけでなく2回だけでも3回だけでも4回だけでもなく5回彼はそれを使われるのです。

76. しかしマラキ4章では、預言者が預言した直後に、全世界は焼かれ、義人は悪人の灰の上を歩くのです。その通りです。それがマラキ4の預言なのです。
そしてルカ17章を見て下さい、彼はこう言っています。「終わりの時はまるでソドムとゴモラの時の様であろう」分かりませんか?我々はソドムとゴモラを再び見る様になるのです。全ての国々を見てみて下さい。彼がちょうどイギリスについて言った事、すべてが乱れ変態化しているのです。食物でさえも、、そしてここで科学がしていることを見て下さい。リーダースダイジェストでも、それは先月だったと思います、「少年少女が中年になるのが20歳か25歳位になるつまりは更年期障害がそれほど早く来るだろう。それはなにが腐っているからでしょうか?食物の変態化ハイブリッド化、それらはまさに乱れて退廃堕落しているという事なのです。それは汚れ以外の何者でもないのです。ちょうどハイブリッド化された植物の様な。。。

77. ないのです。そしてそれがまさに教会の問題になっているのです、我々がハイブリッド化されているのです。
それがペアリーグリーンの古い馬の問題なのです。(彼はその子を先日捨てました)彼はただの古いクオーターの馬なだけなのです。唯一それは、ちょうど騾馬と同じです、騾馬は彼の父親あるいは母親を知らないのです、彼は何も知りません、彼は半分騾馬で半分馬そして半分これで半分ロバなのです、彼は彼がなんであるか知らないのです。彼はあなたをける様になるまでずっと待っているのです。その通りなのです。彼を「お出でお出で、」という事は出来ます。彼は耳を挙げて「ホーホーホー」と分かりますか?

78. そして聖霊によって生まれ神の力、御言葉に満たされている純粋なクリスチャンは、誰が彼の父であり、母であり、祖父であり、祖母であったかを知っていて、彼は全てそれらの事を知っています。あなたは彼に何かを教えることが出来るのです。
しかし半分の者それが教会に来ているのです。ハイブリッドつまりは世と宗教組織の間に居て、ここそこで小さな言葉を十分欺くだけ受けているのです。そうなのです。本物の神の言葉が洗われている時、ちょうどカイパにあらわされたように、彼等はそれから離れるのです、彼等はそれを知らないからです。ハイブリッド!

79. エリヤがどうだったか覚えていますね、彼が殺された理由は?イザベル、イザベルが彼の死をもたらしたのです。それが彼を荒野に走らせました。
洗礼者ヨハネは、荒野を愛する者であり、狩猟者、森の人でした。彼を見て下さい。彼には教育はありませんでした。彼の書いたものを見て下さい、彼は神学者の様ではありませんでした。「オー蝮の子らよ」荒野で見つけられる最もきたない物、最も卑劣なのはヘビなのです。そして彼はそれらの祭司達を「お前たち蝮の子らよ!」と呼んだのです。誰があなたに怒りから離れる様に警告しましたか?この様に言い始めない様に、「我々はこれに属している、これやあれやを持っている;私はあなた方に言います、神はこれらの石から、彼等を起こす事が出来る。そしてその斧をその木の根に起き、すべての木で良い実を実らせない者を切り火にくべるだろう」アーメン。

80. そして我々は今、これはまさに起こっている事だと分かります。彼等は彼を信じませんでしたと言うのは彼は彼等の一員ではなかったからです。彼等は普通、、、彼等はそれが分かりませんでした。彼等は神の言葉であるマラキ書3章を信じていませんでしたあるいは、それを戦争者としてまっすぐに理解していなかったのです。彼等は400年間預言者が居なかったのですそして一人突然に立ち上げられたのです。そしてその人々、信仰者すぐに彼を信じました。彼等はそれを信じなかったのです、彼等は神が言われなさった事の完全な確証だったのですそしてはっきりとその言葉が指定されていて水に預言者が来ることも、、分かったのです。そしてそこに彼等は立っていました。

81. イエス様は言われました「そうさせてくださいと言うのは、あなたが私達になられ、我々は全ての義を成就するのです。ヨハネあなたは預言者なのですから捧げものはそれが捧げられる前に洗われなければならない事を知っています。そして私がその捧げものですそしてあなたは預言者でそれを知っています。だからヨハネはイエスに洗礼を授けました。分かりますね。彼はそれを知っていたのです。

82. 私は彼等は同じように今日の純粋な者のなりすましが居なかったとは言いません。彼等にもいました、絶対的に。しかし覚えておいてください。偽札があるところには本物があるのです。なりすましのクリスチャンがいるのを見るならばどこかに本物のクリスチャンがいるのですそうでなければ必ず元の者オリジナルがあるからです。あなたはオリジナルを得なければいけません。しかし初めにそれを調べて下さいもしそのオリジナルが約束通りであるならば。もしそうならばそれを信じて下さい、それがその時代の約束なのです。
そしてヨハネの預言は神の秩序の中で指定されていました。御言葉は預言者に来て人として本当に指定されていたのです。

84. 覚えていてください、いつも全ての集まる人々には3つのグループがあるのです、信じているふりをしている人、未信者、そして信者です。我々はどのグループにもいるのです。彼等はいつもいる尾です。そこにはソドマイトが居てそこにはロトが居てアブラハムもいたのです。

85. あなたは「それは天使だった」というのです。
アブラハムは彼を「主よ」と呼んでいます、大文字のLORDです。聖書を読む人ならば誰でも大文字のLORDはエロヒムをさすのです。「初めに神があった、主なる神、エロヒム、全能の方。アブラハムは彼を、「主なる神エロヒム」と呼んだのです。

86. しかしアブラハムのグループが受け取っている印の種類を見て下さい。
さて、我々はアブラハムの忠実な種子(子孫)なのです。イサクは自然な子孫でした。しかしその信仰の種、信仰は約束の言葉の中に在るのです、約束の言葉(見失わない様に)は忠実な種だったのです。アブラハムの信仰。「我々はキリストの内に死んだのです、我々はその約束によりアブラハムの子孫なのです。
気が付いてください、全ての事が起こった時、ソドムには素晴らしいメッセージを語る二人の説教師が居たのです。

87. 彼は言いました、さて、覚えていますね、彼の名前は数日前まではアブラムでしたそしてSARRAはSARAH(王女)ではありませんでした。そしてこの人は、彼の背中を幕屋に向けていました。
その女性たちは今とは違っていました。彼らは夫の仕事や全てほかの事に入りやらなければならなかったのですしかし彼らはそれをせず後ろの居続けていたのでした。
そして天使たちがそこに座っていました。そのメッセンジャー、そして彼は言いました、「アブラハム、あなたの妻、(SARAH サラ)は何処にいますか?彼はどのようにそれを知っていたのでしょうか?どのようにして知ったのでしょうか?
アブラハムは言いました、「彼女はあなたの後ろにある幕屋の中に居ます」
彼は言いました、「私はその時間によって、私があなたに約束したときにあなたを訪問する。あなたに訪れる」そしてサラは、ある種彼女自身に対して笑っていたのでした。

88. そして覚えていますね、イエス様は言われました、「ソドムの時代と人の子が来るともきも同じよういなるであろう」我々は今の時代がソドムの状態にあることを皆が同意しているのがわかります。ロサンゼルスの新聞を読んでいた時、そして、(思うに)それはロサンゼルスでホモセクシャルの割合が20~30%毎年増加している。おーなんてひどいのでしょうか!我々の政府そしてどこでもすべての事が狂って倒錯されてきているのです。それは事実なのです!そのすべての事、全ての体制、教会そしてすべての事が狂っているのです。倒錯された時代にいるのです。

89. でも、ここで見ていて、我々は彼の名前が今の時代になる前HAM(ハム)で終わる名前の人がソドムにいたことはありませんでした。今までスパージョン、ウェズリールターそしてほかの色々おられましたが国際的なメッセンジャーで彼の名前がハムで終わる人はいませんでした。そうなのです、わかりますね、G-R-A-H-A-M、ビリーグラハムは有名な伝道師で偉大なる神の技をして神から送られた人でした。彼はそれによって国全体を揺らし正義化に導いたのです。
オーラルロバーツを見てください、ペンテコステ派になりました。それらがそうなったときにはどうでしたか?6文字、7文字ではありません。アブラハムを(ABRAHAM)は7文字で、ビリーグラハム(G-R-A-H-A-M)で6文字です。
さて、そのメッセンジャーを見てください。その我々が居る時代を、歴史上そうあったときは今までなかったのです。各々のグループに彼が下さった同じ印を見てください。彼らがその時何処にいたかを。同じ、ちょうど、その立ち位置が順番になっているのです。自然、世界、全てがちょうどその通りになっています。

90. さて、今我々が生きている時代を見てください。我々ははちょうどソドムの時代に生きていないでしょうか?アブラハムのグループにあてられたメッセンジャーをみてください。その数字、文字、彼の名前の数秘術を見て下さい。「名前にな何もない」と言うでしょう。しかし誰にもそのような事を言わせないでください。何故アブラムの名前をアブラハムに、サライをサラに変えたのでしょうか?シモンの名前をペテロにその他諸々。そこには間違いなく理由があるのです。

92. 預言者イザヤは言いませんでしたか?「彼は全能の神と呼びませんでしたか?」イザヤ9章6節『ひとりのみどりごがわれわれのために生れた、ひとりの男の子がわれわれに与えられた。まつりごとはその肩にあり、その名は、「霊妙なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君」ととなえられる。』その通りです。又。ヨハネ1章1節。「初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。言葉は肉体を取って我々の中に宿った」あなたをそれを信じますか?彼はただそれだけでなく預言者だったのですが、彼は預言者以上の方だったのです。彼は神であり預言者だったのです。なぜ彼は来なければならなかったのでしょうか?

93. 彼は彼自身を「神の御子」とは呼びませんでした。それは知っていますね。彼は人の子、預言者、エホバご自身。その父が、エレミアは、「小文字の人の子」と呼んでいました。預言者は人の子で、、彼はその様に来たのです。
さて、彼は五旬節の日の後に来て、彼は聖霊の形で戻って来たのです。超自然的な霊で。さて、彼は神の御子です。
その至福千年で彼はダビデの子となり、ダビデの御座に座るのです。
彼は、神の子、人の子、ダビデの子なのです。

95. そしてここで、彼等は他の全ての事をなりすましまねしているのです、彼の本を得た全ての人々がやっているのです。そして、あなた方は決してこのセンセーションを聞く事は無いでしょう。「そして私は悪魔の匂いを嗅ぐ」そしてこれら全ては、、まったく聖書にかなっていないのです。

96. 気が付いて下さい、イエス様がこれらの弟子たちをどのように知っていたのでしょう、さて、我々は間もなく閉めます。
これらの二人の弟子達、カヤパ、クレオパスという風が、、そして彼の友人。さて、我々は復活の中にいるのです、その朝復活の後、初めの復活です、何と素晴らしい朝でしょう、イエスは、死から蘇り彼の人々の中にいるのです。何と素晴らしい考えでしょうか!
彼はここにその日と同じように今日もおられるのですと言うのは彼は昨日も今日もいつまでも変わる事がないからです。彼自身がより他の時代読みももっと彼自身をその日以来はっきり明らかにされているのです、麦を通してそして茎と殻(それは全て過去になりました)我々は再び麦の中にいるのです。我々はその麦の粒の中に戻ったのです。

97. 彼を見て下さい!彼は御言葉として参照されているのです。彼は出て来て彼等に言った事は無いのです。「私を知らないのか?私は救い主で復活したのだ」とは。。彼はそのような事は決して言われませんでした。分かりますね。彼は聖句を示しただけでした。ヨハネがした世に、他の人達がしたのと同様に。彼等は彼等自身を引き上げなければなりませんでした。彼等は彼等自身を裁く必要がありました。さて、眠らないでください、自分自身を裁かない様に。
「預言者が言った事は成就しなければならない。愚か者よ、それを信じない事が無いように」神を知っていると言っていた者達に対する何という叱責でしょう。

98. 彼は、、ヨハネは、聖書の言葉が彼を認識させているのです、彼がそれらをしたことによって。それは全くはっきりさせられています。もし尊がが彼を認識させるのはそれは単純です、彼等が見ている約束の方なのです。彼等は誰かがその時代に来なければならない事を知っていました。
ただあなたは言うでしょう。「今、この時代に何が起こるか御言葉言っていることを見せさせてください」

99. 間違いなくあなた方は私が話していることが分かりますね。見て下さい。それは認識が要らないほどはっきりしています。彼は言いました、彼が地上に居た時に、「聖句を調べなさい、あなた方が永遠の命を持っていると思うならばそれが私で私が誰かを告げるのです」と
気が付いて下さい。彼は預言者モーゼと共に始めたのでした、申命記18:15ここで聖句を見ています。申命記18:15でモーゼは言っています。「あなたの神、主が、、、
分かりますね。神は山の上で彼に語られたのです。そしてオー、何という事。その嵐が起こり、彼等は行ったのです。「モーゼを語らせよ、神ではなく、そうしなければ、我々は死に行くあろう」
神は言いました、「彼等は良く言った、私は彼等にこの様に語る事は無いだろうが彼等の中から預言者を起こす」そしてそれが全ての時代で神のメッセージはその道になってきたのです。それが終わりの時に全てをはっきりする事になるのです。そうなるのですと言うのは、主の言葉は預言者に来なければならないからです。それだけが出来る事なのです。もしそうじゃないと神の御言葉をやぶることになり、彼がそれは間違った事になるからです。それは神学校に行く事は無いのです。ただ預言者に来るのです。そして預言者は神によって指定されて送られているのです。そしてあなた方がご存知のように、人が言った事ではないのです。

100. しかしこの地上に来るのは、神の約束によるのです、純粋な神の僕に、神によって認識されるのです。(この時代の答えが神の言葉によって来るのです)それが花嫁に決められるのです。(小さな本物の教会)そしてそれを取るのです。その通りです!彼は紹介されるのです。「見よ、私が語った方が来られる」
そしてすべて預言者が彼について語ったこと、そしてこの時代に彼について話した興味深い事であることは間違いないです。彼が言われたことを聞きたくないですか?「全ての預言者が語ったこと」
覚えていますね、イエス様は預言者が彼について語ったと言ったのです、彼自身が言われたのでした、彼が言われた事(そして彼こそが御言葉でした)を言われていました。

101. さて、彼等は十字架刑の最後に起こったこと全てをはなしていました、墓場での話でした、そして女性達は彼をみていました、そして他の人が彼等を見たりしていたのでした。彼等はそれを彼に話していたのです。そして彼は御言葉を通して彼自身について話していました。
さて、ゼカリヤ書12章の中で見てましょう。(彼はゼカリヤ11:12を告げていたのは違いありません)「30枚の銀貨で彼は売られる」救い主は30枚の銀で売られるはずではありませんでしたか?
詩篇41:9で彼は友達に裏切られますね?
ゼカリヤ13:7で弟子達から捨てられます
詩篇35:11で偽の証人から訴えられ
イザヤ書35:7で彼を訴える者達の前で口をきかず、口をまったく開けなかった(分かりますね、)
イザヤ50:6で彼は苦しめられたのです。
詩篇22章で、彼は十字架で泣き、「我が神、我が神、なぜ私を捨てられるのですか?私の骨を彼等は見ています。彼等は私の手と足にくぎを刺します。
(彼が話している預言を見て下さい。)
イザヤ書9:6  ひとりのみどりごが処女にわれわれのために生れた、ひとりの男の子がわれわれに与えられた。
そして詩篇22:18 彼らは互にわたしの衣服を分け、わたしの着物をくじ引にする
イザヤ書7:14では おとめが身ごもる
詩篇22:7と8では、彼の友達であるとされる敵たちに馬鹿にされる、彼の敵たちはその教会に居たのです。
又もう一度詩篇22ですが、その骨は数えることが出来又、手と足が刺し抜かれていた。
イザヤ53:12 それゆえ、わたしは彼に大いなる者と共に/物を分かち取らせる。彼は強い者と共に獲物を分かち取る。これは彼が死にいたるまで、自分の魂をそそぎだし、とがある者と共に数えられたからである。しかも彼は多くの人の罪を負い、とがある者のためにとりなしをした。
詩篇53:9では 彼は暴虐を行わず、その口には偽りがなかったけれども、その墓は悪しき者と共に設けられ、その塚は悪をなす者と共にあった。
詩篇の16:10  彼は死から蘇られる。
ダビデはあなたはわたしを陰府に捨ておかれず、あなたの聖者に墓を見させられないからである。
彼は死から蘇られたのです。
マラキ書の3章で、洗礼者ヨハネは彼の戦争者だったのです。
そしてすべての彼がだするだろうとされていた事がタイプとなっているのです。イサクが山で行われた事も主のタイプだったのです、山でアブラハムが彼の父を創世記22章で連れて行く所です。

102. しかしここで、すべてのこれらの事は十字架上で起こることになっていたのです。「愚か者、心の低い物は預言者の言っていたことを理解する、救い主は苦しんで彼の栄光に入り3日目に蘇る。
彼等は未だに「オーそれはそうですね。私達の心は燃えていませんか?彼等は言いました。だから彼らの心が燃えていたのです。彼が与えていた預言が成就していたからです。

103. それは今同じ時なのです、教会の皆さん。夕暮れの光はやってきます。へブル13:8に「イエスキリストは昨日も今日もいつまでも変わる事がない」とあります。オー預言によってはっきりさせられている出来事は今日も同じなのです。夕暮れの光が神の預言者によってゼカリヤ14:7で約束されています、再び本物の信者たちの目が開かれて今日その出来事が起こる時その預言により我々が終末にいる事を証明するのです。イエス様はいらしています。それはまさに、、、

104. 親愛なる天のお父様、あなたが我々の祈りに答えて下さったゆえに今晩あなたに再び感謝します。この可愛そうな女性がそこに寝ていて、手術に失敗しました。しかし神様、初めて地上でされた手術を覚えています。あなたがされました。アダムの脇からあばら骨を取りそれを交えて妻を創られたのです、父なる神さん、今晩あなたの手がここに来て我々がおたずねしている偉大なることをなさってくださるようにい居ります。そしてこれらの鉾の事もです、主よ。この女性は精神的抑圧(うつ病)に苦しんでいます、他の祈りのリクエストをくれている全ての人々に対してもあなたに委ねます。父なる神様、心から祈ります。主イエスキリストの名によってアーメン。
彼は言いました。「もうその時には夜や昼などとは呼ばなくなる」彼は言いました。「しかし夕暮れには光がある様になる」さて、我々は地理的に、太陽は東から昇って東に沈むことを知っています。さて、預言者は言いました。長い時間っ狩り、それは終わる、ある意味、それは昼とか夜とか呼ばれないです。それはある意味暗く、苦しい時になるのです。
さて、どこに御子は昇られてるのでしたか?それは我々が話している 御子についてです。それは自然な太陽は東から西に行くのです。そのまさに同じ神、同じ神と言うべきでしょう。その神の御子が初めに東から昇って東の人々の所に行きます。
そして今、彼が去った後、彼等はなにをしましたか?3百年後の事です、彼等ははじめての組織を作りました、ローマカトリック教会でした。暗黒時代の間中彼等は行き、入ってきました。彼等はなにをしたのですか?同じことです。その時代にも一日は 昼とか夜と呼ばれていませんでした。彼等には十分なやり方があり、そして彼等は彼が神の御子だと信じていました。光の中に歩いていたのです、彼等は教会を作りました、そして病院や学校などを建てたのですそして、神学校があり、彼等の子供達を学校に送ったのでした。

105. さて、ルカの17:30と比べてみましょう。
「人の子が現れる時も、ソドムの日のように世の中がなっているであろう」
夕暮れの時には光があるであろう。
その様にして栄光を間違いなく見出す
であろう。
素晴らしい!我々は今どこに居るのでしょうか?
国々は、滅亡仕掛けており、イスラエルが起こり
ました。
その印は預言者が既に話していた事です。
異邦人の日々が苦しくあるのは
数えられていました。
(海に滑り入っていくのを見て下さい!)
離れていた者ヨ、戻りなさい。
あなたの贖いの日は近い、
人の心は怖れに陥りる、
御霊に満たされて、
あなたの灯りを綺麗に
しておきなさい。
上を見ていなさい!
あなたの贖いの日は近い。
(その方が絶対に良いでしょう)
兄弟、姉妹、それは恐ろしい時です。
預言されていたことをしっかりと見て下さい。
起こっている物事を見て下さい。
既に成就された予言を全て見て下さい
そうすると我々はそれが何であるかを
理解するのです。それはただの狂信主義では
ありません。それは神がまさにはっきりと
御言葉で確証している事です。その岩は
砕かれています、友たちよ、できる限り速く
主に逃げるのです。預言は今我々が生きているその時代を
指定しているのです。

106. オー何という事、あなた方は今生きている時代を認識していますか?神と争うのでしょうか?彼が既に証明されている時に彼は間違っているというのでしょうか?彼は彼自身が解き明かされます。彼に仕えたいですか?
さて、頭を垂れて心も低くしてください、兄弟、姉妹。
これは我々の最後の集会になるかもしれません。私がもし生きていれば、1年後の今日戻ります、その時沢山の人で今ここにいる人がいないでしょう。裁きの場で今日話した全ての事について答えるために会わなければならないでしょう。

107. さてここを見て下さい、友よ。ヨハネが話した時代に生きていたとしたらどうでしょうか?イエス様がここにいた時代に生きていたとしたら?誰の側を取っていたでしょうか?イエス様の中に生きていたら、、、覚えていますね、もし、、彼が、もしあなたがその時代に生きていたら、それはまさに今の様なのです。同じイエス様が彼の御言葉によって知られるようになっているのです。そしてそれはとても人気がありません。

108. ペンテコステ派の皆さん、あなた方は世的になり過ぎています。世を追いかけすぎています。それは簡単です、テレビを見たりこれら全ての事をし続けそして彼等がするようなやり方で生きているのです、すべてのこれやあれやをはじめにあなたが知っている事。
その神学校、学校はここそこで妥協し始めているのです、その他諸々でもです、初めにする事はそこから離れる事です。そのペンテコステ派の教会は、大きな支援でありました、それに敵対する事を自分として言う事は出来ませんが、私が声を上げることは、「わが兄弟達、そこから出てきなさい!」以前の様な集会を持つことはなくなっています。人々はもう以前の様ではありません。しかしイエスキリストは同じなのです。彼に入って行きましょう。

109. そして今晩、私が分かっている限りでは、その教会は、多分。その呼び出されたときは既に終わっているかもしれませんが私には分かりません。それを言う事は出来ません。覚えて下さい、人々は集会を持って同じように十字架のイエスをおっているのです。
そしてすべての人々、彼等は来るでしょう、彼等は、見て下さい!彼等は説教の中に入って、彼等は救われるなど全ての事を言います。「世はその通りに続ける」彼等は言うのです。しかしその時では、もう遅すぎるのです。

111. そしてあなた自身の目でそれを見ることになります、もしあなたが霊的ならばです。それを説明する事は出来ません。それを説明する必要がないのです。「私の羊は私の声に聴き従う」今主に行きましょう、我々にまだ機会があるうちに。そうされますか?

112. さて聴いて下さい。今晩全てご自身の持っている万尾を必要な物も捧げて下さい。心から委ねた心で本当に、ただ立ち上がり神に手を挙げるならば、そして、「親愛なる神様、私はここに居ります。私を受け入れて下さい。主よ。自分自身の思いや自分自身の解き明かしを使う事は申しません。あなたの言葉は私は「聖く」なければならないと言っています。生まれ変わらなければならないと、御霊に満たされなければならないと、そしてその時御霊が全ての真理に私を導くであろうと。親愛なる神様ここに私はいます、導いて下さい」そこまでしますか?そうするならば、手を挙げて下さいそして、「それをします。それをします」と言ってください。

113. 何の願いもなくただ私が、
しかしあなたの血は私の為に流された、
そしてあなたが私にあなたの下に来るようにと
神の子羊(唯一の神の扉)私は来ます!
(さて、あなたの全ての仕事、その他諸々、疲れなど、
今死ぬとしたらどうでしょうか?)
ただこのままの私であなたを受け入れます、
許し、清め、解放を歓迎
します。
なぜならば 私は、、
(この説に手を挙げられますか?)
あなたの約束を信じます。
神の子羊、 私は行きます。!
さて、オルガン弾きが引き続き弾き続けて
我々一人一人は...

114. 姉妹、髪を短くしたいですか?ナザレ人に神が長い髪を持つと言う栄誉を下さっている時に?彼女が髪を切るのは恥なのです。」これらの小さなスカ―トや体を見せるような不倫理的なドレスを着ますか?皆あなたと姦淫を彼等の心におかさせるようになるのです。その様にするならばです。女性達、化粧をするとしたら聖書で化粧をしたのは一つしかない事を知っていますか?そして神は彼女を犬に食べさせました。イザベル、その名前は彼女の時代以来忌み嫌われてきましたと言うのはその彼女の行動の故です。預言者エリアは彼女を呪い、その行動を呪って呼び出したのです。バプテスマのヨハネがへロディアにしたことを知っていますか?世的なハリウッドのようになりたくないですね。「もし世や世の物を愛するならば、神の愛はあなたの内にはない」のです。

115. あなた方は、「えーっと、私は、、その。。」
今はペンテコステ派の時代ではありません。ペンテコステの時代は過去なのです。もう植わったのです、これは収穫の時ですね。そして収穫はその粒なのです、その水は注がれたのです、その粒は実っているのです。その粒を探しに行きましょう、親愛なる兄弟達。私の言う事を聞き信じて下さい。もし私が神の僕だと信じるならば、皆謙虚に頭を垂れて祈りを捧げましょう。「このままの私を神様、お使いください」
そして、兄弟姉妹の皆さん。今晩私自身も祭壇に捧げます。神様、私を練り、変えて下さい。何かを行ってください、神様、私をあなたのようにしてください。
ここに立って人々を砕くこの様な事が簡単だと思いますか?それは難しいのです。でもそれをしないとしたら、神からの怒りが私に来るのです。

116. そしてこの7人のむつ海はアリゾナの山の後ろから山頂に来ていました、それは国中にある雑誌にさえ乗りました。イエス様ご自身が空に居られて見下げておられたのですそして、「黙示録10:7にある、7人目の御使いのメッセージ、これらの封印が解かれる時神の奥義が知らされる」改革者たちはそれを得る程長く行きませんでした。そしてここでこの7つ目の封印がこの日に開かれました。そしてこれらの指定されて起こる前に語られていた大いなる印や奇跡が起こりましたそしてあなたは一度も失敗されませんでした全てあなたが語られたことをされてきました。

117. 我々の罪を許されている事です。
親愛なる神様、あなたは我々の病をいやし、今、罪を許して下さっています、主よ、我々はあるべきクリスチャンになっていませんが、完全なる福音の男女になる事を告白すべきでありそしてここで我々は宗派の者どものようにならないようにしたいのです。どうか助けて下さい、親愛なる神様、我々を取りあなたの聖霊によってゆすってください。そしてもし何かあなたの様でない何かがあるならばそれを取り去って下さい、主よ。そして神の聖い言葉の上で我々の足元に植えて下さいそして聖霊が我々の心を焼き不信仰やこの時代の眠気から覚ましてください。オー我々自身が立ち上がりゆすられるようにしてください。受け入れて下さい。神様。清めて下さい。作り変えて下さい。神様。受け入れて下さい!

118. 主なる神様、私は彼等をあなたに捧げます。彼等が誰だかは知りませんが、あなたはご存知です。私はあなたの言葉を伝え説教する事にのみ責任があります、主よあなたが明かされたからです。それ以外の事はあなたの責任であり種がどこに置かれているかもです。私はそれを蒔いただけなのです。主なる神様、それが良き、豊かな地に今晩落ちたように祈ります。それを多くの人が見ますように主よ、そしてこの終わりの時に輝くクリスチャンとして立ち上がり、これから来ようとしている大いなることを期待しているのです、来たりませ。
どうか受け入れて下さい。主よ。あなたはあなたの教会を連れて行かれます、あなたの花よ雨そして彼女を家に連れていかれるのです。我々はそれを準備しているだけです。主イエス様来たりませ。全てをあなたに捧げます、イエスキリストの御名によって、その結果の為に。アーメン。
彼を愛す。 彼を愛す。
何故なら初めに私を愛して下さり、
カルバリーの丘で私の救いの為に
支払ってくださった。

119. 彼を愛す、 彼を愛す、
初めに私を愛して下さり、
救いをカルバリーで
買ってくださったから、
さて、彼に賛美を捧げましょう。その曲を
何人が知っていますか?
彼を賛美しよう。 彼を賛美する。
罪びとの為に死なれた子羊を
賛美しよう。彼に栄光、すべての人々。
彼の血は全てのシミを
洗い流された。
さてこれを歌いましょう。
彼を賛美しよう。 彼を賛美する。
罪びとの為に死なれた子羊を
賛美しよう。彼に栄光、すべての人々。
彼の血は全てのシミを
洗い流された。
綺麗に洗われたと感じませんか?手を挙げて腔言ってください。「気分を良くしてくれた」兄弟。この様な古い曲が好きです。あなたはどうですか?心に染み入りますね。
彼を賛美しよう。 彼を賛美する。
罪びとの為に死なれた子羊を
賛美しよう。彼に栄光、すべての人々。
彼の血は全てのシミを
洗い流された。

120. 主なるイエス様、感謝します。あなたを誉めます。主よ。我々は呼び出されたもの達、バビロンを離れた者達の為にあなたを賛美します。あなたの御子イエスキリストの血を感謝します。あなたがこの時に我々を清めて下さった事であなたを感謝します。我々の街が居や愚かさを許して下さるように求めます。我々は闇の中をさまよっていました。オー神様、立ち上がり輝けるようにしてください、夕暮れの光の中を歩めるようにそしてその木の実となり夕暮れの光によって出てこられますように。受け入れて下さい。親愛なる神様。我々自身の全てをあなたにイエスキリストの御名によって委ねます。頭を垂れ続けて下さい、牧師達に戻します。