そうあるべき物事

Things That Are To Be

そうあるべき物事

リアルト カリフォルニア州、アメリカ合衆国

説教番号: 65-1205

日付: 1965年12月5日(65-1205)

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1. 私はそこの駐車場に座っていました、ちょうどいま、そこで行われた行事の一つを思い出そうとしています。アイザックサン夫人はフィンランドで私の通訳者で彼女がそこにいました、私が去ろうとしていた時に車に来られました。そして言われたのです「あなたはフィンランドの声」です。そして私はもしアイザックサン夫人がこの辺りに住んでいたらと思っていたのです。ここに今晩いらっしゃるかは分かりませんーメイアイザックサン夫人?フィンランドの方です

2. そしてその時他の事が怒っていました、そこには小さな赤ちゃんをどこかから(一日運転してかかるところ)から連れてきたのですその赤ちゃんは神ていて、そのお母さんの腕に抱かれていたのですそしてその命を吹き返したのでした。その人はいますか?そしてこの方向から来たと信じています、それはここの上でした。そしてその小さなお母さんは一晩中運電子てきたのですそしてそのお父さんもでした。そしてその小さなお母さんは、そこで悲しそうに彼等の死んでしまっている赤ちゃんを抱いて座っていましたそして思ったのです、「何という信仰!もし私が世界最大の偽善者だとしても、神はその母の信仰に栄誉を下さるのです。」小さな赤ちゃんを私の手に抱いて、祈ると、暖かさをえて動き始めその小さな芽が開いたのです。私はお母さんに赤ちゃんを返しました。そして彼等はどこから来たのですがペンテコステではないと思います、彼等はどこかの教会から来たと信じています、クリスチャンだったかどうかさえ分かりません。彼らに尋ねはしなかったのです。ただ小さな赤ちゃんに命が戻ったことを見て凄く嬉しくなったのは間違いがないのです。
それ以来、ブーン兄弟は、川の深い水の中に行きましたが、我々は同じ神につまり昨日も今日もいつまでも変わらない方に今だ仕え続けているのです。

4. というのは、私は本当に今晩この様な教会に入る事が出来て栄誉に感じていたのです。私はいつも大きな会堂にいるよりも教会にいる方がいつも気分が良いのです。さて、別に大きな会堂に反対しているわけではありません。でもご存知のように、それは迷信かもしれませんが、あるいは私には真理のようにみえるのです。分かりますか、彼等やあなたがこれらの会堂では試合やらレスリングやら寸劇など、その他何でも行われていて悪い霊がその場所にいる可能性がある様にみえるのです。さて、まあそれは迷信のように感じるかもしれませんがそうではないのです。しかし教会に入る時、一般的に普通、間違いなく霊的な会衆なのです、ある意味より自由があると感じられるのです特にここの様な場所ではです。それは何か、そこに神のご臨在がある様にそれは違うように感じるのです。その建物にどの様な効果があるかは分かりませんが、それは人々が集まる場所なのです。もちろんその同じ人々は別の場所にもいますがそれは悪い物のいた場所になるのです。多分、私がその様に考えているのです、しかしながら、今晩はここにいられてとても幸せです。

5. さて、聖書を開く前に、今、皆さんこの状態で肉体的に力がある皆さんは開いて下さいしかし、それには聖霊が私達の為に御言葉を開いてくれる必要があるのです、聖句を我々の悟りを平井て明らかにしていただくのです。私は聖書を信じています。それが神の言葉だと信じています。そして地球も地上の人々もいつかこの御言葉によって裁かれると信じています。今、それはある意味奇妙に見えるかもしれません。さて、それには異なる多くのアイデアがあるからです。

6. そして私は、それを信じているのです。

9. さて、我々はその御言葉を知っているのです、もし彼らがその御言葉を知っていたならば、彼は言いました、「もしあなた方がモーゼを知っていると言うならば、私を知っていたはずなのだ、なぜならばモーゼは私について書いていたからだ」そしてもし彼らば聖句に戻ってみていたならば、目地アがどのようにするかが分かったはずなのですそして彼自身が指定されてきたことが分かったはずなのです、キリストを通して神が彼自身が救い主となる全ての約束を果たされたのです、彼はそれをなさったのです。イエス様ご自身がその御言葉であられたのです、その時代の為の御言葉が生きる様にされたのでした。

10. さて、我々はこれは救いの日だと知っています、神が世から呼び出された神がおられた場所だと、罪の命から神への奉仕の命になると。そしてその時代に、神は彼の御霊を上から大いなる印と奇跡がこの時代の御仕事の為に注ぎ込まれたのでした。これは前の雨も後の雨も同時に降った時の事です。そして我々はそれは大きな印や奇跡がある事を知っているのです、多くの偉大な宗派はそのことを信じていません。しかし私はここのあなた方の牧師の様な若い人々にその霊感が与えられ扉が開かれたことを感謝しています。というのは、彼らのおかげで、、私は年を取り始めているので、私の日々は数えられ始めていますそしてこれらの若い人達がこのメッセージを取る事が出来主の来られるときにもし主が私の世代の内に戻られなかったらまき続けてくれるからです。彼が戻られることを期待しています、毎日その日を待っていますそして気を付けてその時の為に自分自身を守り準備してきているのです。

12. としています。

13. 知っている聖句を今晩読みこれを御心としてテキストとしてお話ししていきます。ほとんど全員がこれを知っています。それは多くの時に葬式の礼拝で使ってきたようです。もしそのような時があった時、葬式の礼拝でそれを話したいのです、それはこの世になる事です。それはこの世で死に再び生まれる様にしてもらうのです。ヨハネ14:1から7節までです、私はここに印をつけていたと思います。
「あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。
わたしの父の家には、すまいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう。あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。
そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。
わたしがどこへ行くのか、その道はあなたがたにわかっている」。
トマスはイエスに言った、「主よ、どこへおいでになるのか、わたしたちにはわかりません。どうしてその道がわかるでしょう」。
イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。
もしあなたがたがわたしを知っていたならば、わたしの父をも知ったであろう。しかし、今は父を知っており、またすでに父を見たのである」。
主が彼の御言葉を読む事によって再び我々が生きている時代を参照しその教会への学びを話している間に祝福を加えられますように。

15. そして私が今晩それについて話したいのです。そしてその議題は「そうあるべき事」となります。そして今昨晩話した「携挙」についても今晩この議題上で話したいのです、それは昨晩のメッセージと結びついていくからです。さて、携挙がある様になります、我々はそのことを知っています。それは将来的な物です。

18. さて、しかし彼が彼らに死んだ後にも命がある事を話しておられました。というのは、「私はその場所を準備しに行く」と言われたからです。そうなんです、彼らを受け入れるために、そこに在る事を見せられたのです(彼は彼等に話しておられました)この人生が終わった後に人生がある事を示されていたのです。そして我々皆が次に行くべく命があると言う事を知ることは素晴らしい慰めになるのです。そして年を取って聞くと、それはより実感になるのです。あなたの人生が終わりかけて行く日々を数えるようになると、より近く閉じ初めて、より大きな事に準備をするのです。それは同じ人生が別の世界、別の場所で続くからなのです。

19. もし我々が神の御言葉を知っているならば、我あれはどこに我々が生きているかを知っているのです。我々が生きている時代すら知ることが出来るのです。何が起こるかすら知っています。何が起こったかも分かります。そして神の書というのはイエスキリストの啓示なのです。彼の技は時代を通して黙示録の書に書かれていて、彼の約束は守られてきています。だから彼の約束の全ては真実なのです。神は確証されていない言葉を語る事は出来ないのです。彼が言われた事の全ては起るのです。  世の始まる前から、、、

20. 彼は、預言者を通して語られました、、、昨晩それについても話しました。我々はイザヤ書を使って話したした、彼は言われました、「処女が身ごもる」とそのような言葉を人が考えて言う事があるでしょうか。「処女が身ごもる」しかし預言者は神の反射鏡の様なものです。彼は自身の言葉を話すことは出来ないのです、彼が語る事は神の言葉である必要があったのです。彼はちょうど反射鏡の様なものでした。そして彼は神の口だったのです。そしてだから、彼は、「処女が身ごもる」と言ったのです。彼は多分それを理解できなかったのですが神が彼を通して勝たれたのですと言うのは神は彼は神の僕預言者を通して顕かにするまで何もしないと約束されたからです。そして彼がそれを言った時、それはそれが起こるちょうど800年前でしたがそれは起こったのです。
終に神の言葉が処女の子宮に響いた時彼女は身ごもりインマヌエルを産んだのでした。「6 ひとりのみどりごがわれわれのために生れた、ひとりの男の子がわれわれに与えられた。まつりごとはその肩にあり、その名は、「霊妙なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君」ととなえられる。」(イザヤ書9:6参照)それはその通りでなければならなかったのです、神が彼の預言者の口を通して語られたからです。そして神の言葉は全て成就されなければならないのです、だからこそ我々はイエスが彼自身の人々を受け入れる場所を準備に行かれたことを知っているのです。今晩ここにいる人々が皆私達も鵜f組めてその一部である事を望んでいます。もしそうでなければ、神が道を作られ、条件を創られたのです、あなたはそうなりたいならその条件に含まれ事が出来ます、あなたは自由に決められるのです、好きな様に行動する事が出来ます。
しかし気が付いて下さい、今、この世はその時代は来ています、、、来ようとしているその世界があるのです。

21. へブル書の中で確か7章だったと思います(パウロがそこにいて、それを書いたのが彼だったと信じています)アブラハムと共に起こった大きな出来事について話していました、彼はメルキセデクに王の虐殺から来て会い、アブラハムの腰に在った10分の一税をレビ人に払うように推奨されていたのです、彼の曽祖父になるにとがアブラハムでした。そして彼は神の言葉を守らない彼らの子供達に何世代も罪のある人々の所に尋ねて下さっています。

23. あなたがどこに居ようと、神はあなたがここに来ることを知っていました、何故ならあなたは神の遺伝子あるいは属性を持っている一人だからなのです。そうでないわけはないのです。もし、あなたが永遠の命を持っているならば、そしてそれはいつも永遠の命なのです。そして神はこの世界が始まる前からここにあなたが来るのを知っておられたのです。そしてその御言葉、あるいは水、御言葉の水の浄めがある時、それはその中で表現されるのです。さてあなたは今父親と交わっています、そして神である方とまるで地上の父親と交わるのと同様にです。あなたはその王の市民なのです、いいえ市民ではなくあなたは子供なのです、もしあなたの中に永遠の命が宿っているならば、生きる神の娘、息子なのです。

24. 初めに言葉があった、言葉は神と共にあった、言葉は神であった、
そして言葉は肉体を取られて我々の内に住まわれた。
御言葉は肉体を創られたのですだから、あなたは神と共に歩ん出来たのです。あなたは彼の中に居たのです、彼が地上におられたときにです。あなたは彼と共に苦しみ、彼と共にしに、共に埋葬されそして今、あなたは神と共に蘇ったのです。そして天の場所に座っておられ既に蘇られた神の属性を表しているのです、新しい命に蘇られてキリストイエスとして天に座っておられる方です。今教会でそれは大きな意味を持ちます。それは我々にとって大きな意味があります、つまり我々がキリストイエスにおける場所が分かるわけですから。

25. マルチンルターは我々が表現している属性を表すことが出来ませんでしたと言うのは、それは初めから、その復活つまりは、地に落ちた麦の一粒の様なものだからです。

26. 分かる様に、すべてのプログラムで教会は神からの黙示によってたてられていたのです。イエス様はマタイ書の16章で言われました、「バルヨナ・シモン、あなたはさいわいである。あなたにこの事をあらわしたのは、血肉ではなく、天にいますわたしの父である。」それは何だったのでしょうか、彼が誰であるかという黙示だったのです。「この岩の上に私の教会を建てよう、黄泉の力さえもそれに打ち勝つことは出来ない。この時代の為のイエスキリストの黙示は他の時代の物ではないのです、彼が今あるべき形になるには。聖書はその花嫁の中に完全な身の丈となって顕れると表現されていますですから、もしキリストの麦の粒がその地に押したならば、その花嫁は暗黒時代にその地に落ちていなければなりませんでした。全ての麦の粒は地に落ちて死ななければなら名のですそうでなければそれ自身が出来る事は無いのです、再生もしません。そして偉大な教会をペンテコステ(五旬節)の時代に聖霊を送られることによって殉教者にならなければならなかったのですそして土の中に入られたのです暗黒時代に地に在ったのです、そしてルターの時代に出て来てこの終わりの時にイエスキリストの花嫁の完全な身の丈としてあらわれるのです。他には方法はないのです。

27. 神の偉大なる先見の明がこれら全ての事を告げているのです。

28. さて、あなたは誕生から成長しました、あなたが生まれた時、この地上にあらわれた時、神はあなたが地上にいるようになることを知っていました、そしてあなたは生まれた時から成熟するように成長してきました。若い女性の中にはものごおてゃ奇妙に見えたかもしれません、あるいは男の子だった時子供として、さて、それは今とても真実に見えるのです。子供の時には理解できなかったのですが今、大人になって悟り始めているのですそしてすべてが正しく定められていたことを見出すのです。それは本当にあなたにとって何か大きな意味を持つことになります。

31. 私が信じる天国はこれと同様に実際の場所で、神様がこの場所の中で我々の霊的成長を始められた場所と同様だと信じています。そして天国はこれと同様に本物であるのです、そこで雲の上に座って永遠にいる場所ではないのです。ただハープを弾いているだけではなく、本当にそこでやるべきことがありそこに住むのです。働くことになり、又楽しみ生きるのです、実際の永遠の命を生きる場補になるのです。天国、パラダイスに行くのです。アダムとエバが働いたのと同様に、そして行き、食べエデンの園で罪が入り込む前に楽しんでいたようにです、我々はそこで再び正しい道を行くようになるのです。その通りです。正しい場所に戻るのです。初めのアダムが罪によって我々をそこから引き出しました、二人目のアダムが義によってその場所に私達を戻してくださるのですー我々を義化し、そこに戻してくださるのです。

32. 分かりますね、彼等はあなたが来るのを準備していました。彼等は小さなベッドや服などを作っていました。彼等はあなたが生まれてくるために全てを準備していたのです。

33. さて、気が付いて下さい。「私の父の家には多くの住まいがある」あるいは、私はそこに言葉を加えたり取り去ったりするつもりはありませんというのは、我々はそうすべきではないからです。黙示録22章で言っています。「この書の預言の言葉を聞くすべての人々に対して、わたしは警告する。もしこれに書き加える者があれば、神はその人に、この書に書かれている災害を加えられる。
また、もしこの預言の書の言葉をとり除く者があれば、神はその人の受くべき分を、この書に書かれているいのちの木と聖なる都から、とり除かれる」加えるのではないのです。ただポイントをそこからはっきりさせたいのです。「私の父の家には多くの住まいがある」天国に行った時、我々は皆同じようになるとは信じていません。皆が同じようになるわけではないのです。皆がブロンドでもブルネットあるいは小さかったり全員が大きかったり全員が巨人になるわけではないと信じています。私は神は多種の神だと信じています。世界がそれを証明しています。彼は大きな山も小さな山も創られました。彼は平野も砂漠も創られました、異なるものを得ておられたのです何故ならその様にされたかたったからです。そして神は季節を作られました、夏、冬、春、秋。彼は四季を創られたのでした。それは主が多種の神であることを示しています。神は色々な形にあなた方を作られました。ある人達は、非常に偉そうで、ある人は本当に教義的で、他の人達は穏やかで、又親切です。そして神の御国にも全て異なるタイプの人々を見出すことになります。
分かりますね。

34. さて、モーゼは旧約聖書の初めの4書を書きました。残りは律法そして王そして詩篇などなど、そして誰か他の人が預言者達についてか買いました。しかしモーゼは律法を書いたのです、初めの4書、つまりは創世記、出エジプト記、レビ記、そして申命記です。そしてそれから、パウロは新約聖書を書きました。それは真実です。
マタイ、マルコ、ルカ、そしてヨハネでは何が起こったかの行動などが書かれていました。しかしパウロは律法と恵みを別々にしてその入るべき場所をはっきりさせました。彼は新約聖書の著者でした。彼は新約聖書を神の御言葉を順序正しくするために与えてくれた人でした。
今、気が付いて下さい、多くの住まい、、多くの種類の住まいです。

35. さて、私は長い道を見られる平野が好きだと言うとします。さて、2つの異なる性質があります、両方とも我々はクリスチャンです。しかし父はあなたがここにいて全て事をあなたがここに来る前に準備されていたのです。アーメン!あなたが初めにここに来た時、彼はあなたがここに来るに合わせて準備されていたのです。神がなさったことを考えるとその素晴らしさを感じられませんか?

36. さて、それらは我々への一時的な贈り物にすぎません、-これらの事ー永遠の物の為に対する単なる表現なのです。それがイエス様が来られて我々の永遠の命の為に準備しに行かれたのです。さて、それらは同じ種類のより偉大な事の表現なのです、何故ならこれらは同じ種類だからです。

38. 私はただここで最近にそれを話しました、(御言葉によって変えられる の中で)そのこの身体は悪い物を持っていますそしてすべて今我々が生きている現在の文明は悪魔からの物です。それを信じませんか?聖書がそう言っているのです。この世、すべての政府(我々はそれを信じたくはありません)しかし聖書がはっきりとタンジュンにその事を記しているのです、そのすべての政府、すべての地上の王国は悪魔によって所有され、悪魔によって支配されているのです。イエス様は、サタンに連れられて、この世の王国の全てを見せられました、それ以上何があるでしょう、そしてサタンは、それは彼のだと言ったのです、そしてイエスはそのことについて口論しませんでした。というのは彼はこの世の小さな神だからです。分かりますね?そしてサタンは言いました、「もし私に膝まづいて拝むならば、それらをお前に上げよう」と分かりますね、彼は犠牲もなしにイエス様にそれらをあげようとしたのです。分かりますね?それは神ご自身と交渉しようとしたのです。しかし世は罪を犯したのです、そして罪の報酬は死だったのですそして彼は死ななければなりませんでした。だから神は肉体を取ったのでしたそして彼がその報酬を支払うために死なれたのでした。戻されるものは何もありませんでした、それは印をつけられていませんでした。それは全く完全に自由に払われたのでした。全ての負債は払われたのです。それが主の物になっているのです。そして我々は神の御国の代表として今晩イエスキリストの名の上にここに集まっているのです、天的な場所にお座りなっておられる我々の王であられる方のです。

40. さて、文明の道にも同じことがあります。皆一緒に、我々は読み、書き、これをしているのですが、それにしっくりする事はあり得なかったのです、あなたの神(小さい)を共産主義の神にする事は無いですね?それはイエスキリストではないのです。

41. 今晩科学的に証明する事は出来ません、この建物の中には神がいます、又私は彼がここにいる事を知っています私の信仰がそれを立証しているのです。アブラハムは科学的に赤ん坊をその女性によって持つことを証明する事は出来ませんでした、、彼女は100歳近くになっていました、、しかし彼の信仰がそれを証明したのです。分かりますね?科学的な証明は必要としません。何故、医者はこの様に言ったのでしょうか、「その年寄は狂っている、ここで彼がその女性、100歳あるいは90歳になっています」しかし神がそう言われたのを知っています、又それが科学を必要としないから、神の御言葉を信じると言う信仰を必要とするのです、科学ではありません。

42. 科学が何をあなたの為に準備していますか?人工衛星スプートニクやこれら全ての者がありますそしてこれら全ての者は死を齎し全ての者は地上に拡がっているのです。それを見ないでください、頭を天に向けて高めにして回してください。上を見上げるのです。神の右の手にイエス様は今晩座っておられます。全て命を受けた者は我々の告白の上でとりなしているのです、我々が神の御言葉と真理もなる様に話しています。

45. そして今、その様にしてあなたは来ました、神を信じることにより義に定められたのです。悔い改めを通して洗礼を受けて、罪に対する許しを受け取りました。罪を神のみ前に告白してそしてあなたの罪を神が許されたのです。そして許されたことを人々に見せるために洗礼を受けました、つまりあなたがイエスキリストがあなたの為に死んでくださったことを信じているという事を世界にあらわす為でした、そして神があなたの代りに、死んでくださったから、今あなたは彼の場所に立っているのです。彼はあなたにになりあなたが彼になれるのです。そして神の力によって清められ過去のあなたの生活の全ての習慣から清められるのです。かつてあなたは煙草を吸い、お酒を飲みその他正しくない事をしていました、嘘をついたりそういった全ての事です。そしてイエスキリストの血の力によって清められたのです、それは全てあなたの者を取り去るのです。何か間違った事を言ってしまったとしたら、「ちょっと待って、ごめんなさい、そういうつもりで言ったのではないのです」分かりますね?悪魔はそこに入ってくるのですが、あなたは本当のクリスチャンならば恵みを得て戻ってくるのです。そして言うのです「私が間違っていた」そうです。だから

48. 死という物の後ろにその偉大な扉はあるのです。そして毎回あなたの心音がなる時、それに近づいていくのです。そしていつか、その扉に来るにが必ず来るのです。そこに行かなればならなくなるのです。しかし、私がそこに行くとき、私はおじけづきたくありません。叫んで後ろに下がろうとしたくないのです。その扉に来て、神の義の衣を着せられた状態でその鳥場に行きたいです。神の義の衣です!この時までに、神の復活の力の中で彼を知っているのです、神が私をキリストのにあって死んだ物の内から呼ばれる時、一緒になるために呼ばれる時このペストハウスから完全に出るのです。この肉体は堕落するとしてもどこでも、それはその地にいたとしてどこでも、私はいつか、神が私に約束されたから、そこから出るのです、そして私達はそれを信じています。そうなんです!堕落できないからだを我々の為に神がつくってくださっているのです。

49. さて、赤ちゃんが生まれる前に、母親はあるものを欲しがるのです、そして父親は、何とかして全て彼女の為に得ようとするのです。分かりますね、それは肉体、彼女の肉体が、、、カルシウムやそういった体の必要の為にビタミンなどを必要とするのです。ジュニーは出来たものを来るべき赤ちゃんの為に欲しがっていました。そして両親は赤ちゃんが生まれるのに完璧で出来るだけ幸せでいられるように準備しようとします。分かりますね、あなたの両親がどのようにするかを。。必要なものがある時、その母親はそれを与えるのです。彼女のシステムはその様に創られているのです。何が生まれてくる子供がこの地上で必要なのが何なのかをそして母親はそれを深く求める様になるのです。

52. そして彼等はそれをするしかなかったのです、、、かわいそうな奴隷たち、
彼等はただ、、、常に泣いていました、又、常に、悲しかったのでした。

53. 彼は言いました、「私は彼を買いたい」
彼は言いました、「いいえ、彼は売れません」
言いました「彼は他の物たちのボスなのか?」
言いました「いいえ」「彼はボスではありません、奴隷です」
彼は言いました「さて、多分彼には他の野のと違う物を食べさせているのだろう」
言いました「いいえ、彼等は皆同じ場所で同じように食べています」
彼は言った、「何がその子を他の者達とこうも違うようにさせるんだろうか?」
彼は言いました、「一つ言えるのは、私もしばらくそのことを考えていましたが、その少年ーアフリカからの外国人ですーしかし彼の父はアフリカでその部族の長でした。そして又、彼は家から遠く離れているのですが彼自身を王の息子として行動しているのです。彼はその土地で彼の父が部族の王であることを知っているのです。そして今、彼は彼自身をその様に行動しているのですと言うのは彼は王の息子だと自分の事を知っているからです。

55. 私は言いました「何と?」
言いました「あのように人々に叫んでいるから:
私は言いました「真理を言っている、、、」
彼は「それは信じています」と言い、「私はペンテコステ派でもあります。女性の短い髪は正しくない又、ズボンも穿くべきではない、そしてこれらの事は彼等はしています、化粧をした顔をあげて、」「彼等はそれをすべきではない、しかし」と言いました、「神はあなたを病の人々の為に祈るために呼ばれた」と
私は言いました「彼は私に福音を伝えさせるために呼ばれた」分かりますね?
そして彼は言いました、「私はそれを信じている」しかし言いました、、「あなたはそれを知っている」
私は言いました、「はい、あなたが得たものを見て下さい、あなたは全てのこれらの大きなプログラム、テレビなどなどを得ました。私には何もありませんが、神は答えて下さるのです。」その通りなのです。「何も持ってはいないが神はそれにこたえられる」彼は言いました、「あなたは自分のミニストリーをだめにするであろう」私は言いました「どんなミニストリーでも神の言葉をだめにするものはダメになるだろう」その通りです!間違いなく。それは絶対なのです。彼は言いました。
「えっと、あなたはそれをだめにするでしょう」

56. 彼は言いました「あなたはすべきことを知っているのですか?」「人々はあなたが預言者だと信じています」と言いました。「あなたはこれらの女性達にどの様に預言の賜物を得たらいいかを教えるべきなのです、そしてそのような事は、そして小さなことの代りにそのより高い事を教えるべきなのです」
私は言いました、「もし、彼らがABCも分かっていないのに代数を教えることがどのように出来るのですか、彼等はまだ一般的な事自然な事すら知らないのです。初めの事も知らない時にそれよりも高いことをどのように語れば良いのでしょう。。。」初めの段に昇る前に梯子の上に行きたいと言っているのです。それが理由であなたは落ちてしまいます。分かりますね?下から始めて、神があなたを上に導いて登っていくのです。分かりますね?すべての人が、神があなたを呼び出し定められたように神の御言葉の全てに従い協力すべきなのです。

57. さて、考えて下さい、もし神の憐れみの中にその母が居たならば、その小さな赤ん坊が生まれる前に、何かビタミンを欲しがるように、そして母の言葉が話す時「父よ、メロンかスイカが欲しい」何か他の、ある意味、、、、」なぜ彼は出来る全てをしてそれを得ようとするのでしょうか、というのは彼は彼の子供が出来る限り完全に生まれてほしいからですね。そして彼は彼の出来る全てをしてそれを得るのです。神は創造主です。どれ程簡単に彼はそれを得られるでしょうか?
さて、彼が彼自身の栄光の身体のように生きる身体を整えることがどのようにできるか考えて下さい。もし私達が行きたいならば、我々の中の何かが生きる様に呼んでいるのです。そしてその何かが正しい事をする様に呼んでいるのです。そして神が誰か演壇あるいは舞台に完全な真理を話す為に呼ばれるのです!どうして?分かりますね?それがあなたに見せるのです、もしあなたが本物の神の子供であるならば、あなたはこう泣き始めます、「神様私を擦れて行ってください、これから割礼してこれらの事を私から取り去って下さい」なぜですか?それはあなたの行こうとしている天の家に必要なのです、そこに神様は準備しておられるのです。あなたは本物のキリストの花嫁、御言葉にならなければならないのです。

58. あなたは、「私はその教会に属している」と言うでしょう。それでは何も変わりません。あなたはキリストの内にいなければならないのです。
特定の宗派の聖職者が先日の夜私に言いました「ブラナムさん、ここを見て下さい。イエス者言われ正板、「誰でも信じるならば」聖書はこう言っています「誰でもイエスキリストが神の御霊の内に生まれた御子だと信じるならば誰でも」

60. 気が付いて下さい、これらの門で毎日、彼等は、新しいコーシャ(ユダヤの聖い食べ物)を食べなければならないのです、彼らの中で7日間を通して膨らませたパンはみつかりませんでした。そうでしたよね?7つの教会時代そして膨らまないパンはなく、信条もなく、他に何も付け加えられていません。それは全く膨らまないパンでなければならないのです。膨らんだパンはあなた方の中で全く見出されませんただ、御言葉そのものによって膨らまされたもの。それだけなのです。そしてその御言葉は神で、神がひととしてのキリストイエスの肉体を取られてそれが門なのです。「神の戒めを守る時私はあなた方にその門で会う」という物です。

61. そして黙示録22章で、イエス様はヨハネがパトモス島にいる時に来られて言われました、「私イエスは、これらの事を告げるために私の御使いを送った。誰でもここから一つの言葉を取ったり足したりしたならば、彼を命の書から消し去ることとする」と

62. あなたは言います「私は義とされている。私の手を聖職者に渡した。私はイエスキリストを信じている」そしてあなたは再び生まれていなければならないのです!聖霊に満たされている必要があります!分かりますか?続けて行く中で加えて行くのです。完全な神の息子、娘の身の丈に成長しているのです!神は我々を準備して何かをしたいという思いにさせる事がお出来になる方です。神をもっと欲しい人達はここに何人いますか?さて、もっとたくさんいるのが分かり政畝?それを心から求めているのです。あなたの産みの苦しみが来ていますね?我々が幸せで自由で完璧なるためにもっと必要なのです。そうなるべきなのです。

63. 神が成長させておられ、我々の場所を準備しに行かれたのです、彼自身と共に永遠にいる場所に、そこにはペストハウスはもうありません、死も、罪も、姦淫もこの世にある汚れもないのです。あなたの思いがそこに在るならば、神に繋がる事はありません。あなたはそれでいっぱいなのです。精神的な幻想の中にいるのです。教会に加わるだけで、「さて、私はこれに属している、母もそれに属していた」お母さんの時代ではそれで大丈夫だったかもしれませんが、我々は別の時代に生きているのです。
ウェズリーのメッセージは決して、、彼はルターの物を取りませんでした、ルター派、義になる事は信じていましたが、ウェズリーは聖く生きることを信じていました。ペンテコステも来て、義化と聖く生きる事だけを取る事は出来ませんでした、賜物の回復の時となっていたからです。さて、我々はそこから進んでいますね?葡萄畑の3つの段階が来ているのです。初めに、小さな芽、ルターは改革をはじめました。大丈夫。それは茎でした。自然を見てみましょう。神と自然は継続的に動いています、神は自然の中に居られるからです。そして次の段階では、房が着て、花粉、メソジストの時代です。そしてペンテコステ派の時代が来ました。なんという事、本当にただ完璧なのですね?麦の一粒がちょうど完全な麦の粒のように、、それが開いて、麦はそこにはありません。それは殻なのですただ運ぶものですが、その命はそれを通して働いていたのです。分かりますね?

64. もしあなたが、「私はペンテコステ派だ」というならば。それは神にとって、ローマカトリックあるいはユダヤ教であれ何であれ、何の意味もないのです。あなたは新しく生まれていなければならないのです。その命は、運ばれてくるのですが、茎に留まってはいないのです、種に留まってはいけません、完全な部分に成るまで出てこなければならないのです。

69. 「はい、パパ、はい、パパ」
「何か違反をしたことがあったら話しなさい。。」分かりますね?さて、それは家庭になるでしょうか?
今、彼女がもし、「あなたは行かれましたね?」さて私は言いたい事があります。ブラナム氏、私はあなたの公的な妻です。出かけている間、他のガールフレンドを持つことはあり得ません」さて、それは家庭でしょうか?さて、何かがあるのです。我々はそのような事はしません。私は彼女を愛し、彼女は私を愛しています。彼女は私が出かける時、彼女は神が私を呼ぶように言われない限り出かけない事を知っています。我々は床に膝まづき共に集まって子供達と一緒に祈るのです。私は「親愛なる神様、私の小さな家族と妻と子供達を守ってください」と言います。彼等は「神様、私達が、、彼が出かけている間、お父さんを世話し守ってください」と言います。そしてそれから我々は出かけるのです。

70. 「もちろんビリー、あなたが私を愛してくれているのは分かっています」
「私がしたことを話すね、ある女の子を家に連れてきた」「それについて許してくれるかい?」と言います。私は彼女が許してくれると信じています。本当に。でもそんなことを私はするのでしょうか?そこに立ってみて居た時、彼らの髪が白くなりつつあるのを見て、彼女と私の間に公的に立っているのを知る時、彼女がいかに本物の妻である続けているかをしていてそんなことを出来るのでしょうか?彼女を傷つけるくらいなら死にたいのです。そうです。そしてももし妻に対する兄弟愛的な愛にいたならば、神の聖い愛はどれ程もっといだいなのでしょうか。アー神を傷つけるようなことは何もしません。絶対に。私は神を愛しているのです。神が私に支えたい全ての事ををしたいのです。神の言われた全ての言葉に合わせたいのです。世がどのように言おうとも、彼等は銅慕って信じる事は無いのです。私は神が私にする様にと言われたことをしたいのです。そしてもし何かに欠けているならば、神に私にそれを与えていただきたいのです。彼の為に生きたいのです、世から我々を離し続けたいのです。

72. 私は言いました、「それは最悪だ、最悪」その通りです。

73. 彼女は言いました、、ある女性が言いました、、「さて、あなたは真理を言いました、あなたはそれを買えません」しかし彼等はモノやミシンを買って持っていますね?そしてそれには全く言い訳がありませんね?それを見せて下さい、姉妹。私はあなたの兄弟です。そして私はキリストの僕で今晩ここで裁きの場で言うべきことを得ているのです。分かりますね。あなたは姦淫の罪を持って立つことになりますと言うのは神の愛があなたの心の外にあるからです。あなたはまだ教会に行っていますが霊の内でまだ踊っていて、異言を語るかもしれません。そしてそれらの事は良いのです、しかしまだそれではすべてではないのです。
聖書が言っていることを覚えて下さい、「終わりの時には、偽キリストが来る」偽イエスではないのです。彼等はまだそこに立ってはいませ。しかし偽キリスト、偽の油注がれた者達。彼等は御霊によって間違いなく油注がれています、聖霊によってそしてそれでもまだ偽物なのです。分かりますね?

74. 覚えて下さい。雨は正しい者にも不義な者にも降ります。同じ雨が降って麦を成長させ又、茨も成長させrますね?それは何でしょうか?種の中には性質があり、その性質それ自体が見せるのです。それは同じ畑の中に立っています、そこには雑草もあります。その雑草と麦は一緒に立っていて、同じように喜んでいます。それは両方とも頭を垂れて、飲み物を求めています。雨が来ると、麦がするのと同様に茨も叫ぶのです。しかし彼らの実によって彼等は知られるのです。分かりますね?

75. 神の鏡の中でどのようにあなた自身を見るのですか?それは神の娘あるいは息子を反射していますか?あなたがある人を憎んだりして言う事を聞いたことがありますか、それは、引っ張って「彼は正しい事は分かっている、それは聖句の中になるから」とそしてそのビタミンがこの身体には必要なのです。それがそこに在る様に定められていたのです、その家はあなたがそこにいる時に必要だったのですね?この家、、もし我々が地上に生まれたならば、。。

77. この身体はただの古いコートの様なものです、いずれあなたはそれをどうしますか?あなたにとってそれはしばらくの間の衣装にすぎませんでした。それは地上の衣装の様なものなのです、この身体、あなたの本当の身体、あなたの本当の自信は、古いコートの中にいるのです、ウィリアムブラナムとあなたが読んだりあるいはスージージョーンズ誰々分かりますね?ある時地上のあなたの思い出のホールに欠けられるようになります。あなたはそれを墓の中に置くかもしれません、誰かが墓石の上に「ここに牧師誰それ、あるいはジョン何某、あるいは何某が眠る」と書かれることになります。そこにあなたの思い出が眠る様になるのです。人々はただこれの中にあなたを見ているのですそしてあなたがどうであったから本当のあなたが内側がどうであったかを。しかし古いコート自身は天的なイメージを持っているにすぎません。アー人々、コートを着替えるために予約をしましたか?天国の為に予約をしましたか?覚えておいてください、あなたは予約を持っている必要があります。それなしに入る事は出来ません。現在用語でその話をしています。それは分かっているはずです、ホテルに行くとしたら、「私は、予約をしていました。。」と言いますよね。

79. そして終に、それはイエス様が話していたユダヤ人の世代でした;彼等は他に何かする事があったのです。して終に彼はそこに送られて「行きなさい、そして彼らに来るように通りや藪に行ってどこでもすすめてくるのです」そしてその後、彼の家は、決められていました、彼の婚宴は準備されていました。そこにはお客さんがいる予定でした。そしてそれから彼は婚宴の服装をしていない人を見つけました。彼はその古いコートを持ち続けたかったのです。そして見て彼は言いました、「友よ、あなたを婚宴に呼んだのに、そして来るように招待状すら送ったのに」と

80. 「私はペンテコステ派である」「私はあれや、これや」と、、、それは全く意味がありません。扉に来るのです。そしてもし扉によって来るならばその衣装を得るのです。

81. 世の物や世を愛しているならば、神の愛はあなたの中に在りさえしません。ね?もし世への愛を持っていて、世的に行動し世の様にふるまいその様にするならば、教会にいるでしょうがその道には麦と一緒に毒麦(茨)となっているのです。彼らの残りの人々と共に喜びをもって叫びましょう。霊的な祝福があなたに下ります。こう言うでしょう「私は預言をした」とカヤパもまたバラムもそうしました。それには何もないのです。。。

82. 「私はメソジスト、母も、、、」お母さんには良いでしょう。
「さて私はペンテコステです:私は、、、に属しています。御言葉にかなっていないならば、何か間違っているのです。そしてあなたは本当の父(神ではない)を見るのです、何故なら始まりは魂の中で起こるからです、そこには霊さえあるのです、それがあなたの魂でした。その魂は神から来たものではないのですそしてそれは初めは神の精子ではありませんでした。あなたは欺かれていました。雑草の所に居て世的な雑草の記録をつけていて世的な行動をし、世を愛していましたと言うのはあなたの中には神の愛がなかったからです。

83. 彼は言うであろう「悪事を行う者どもよ、わたしから離れよ、あなたを知らない」と
「私はペンテコステでした、主よ。主に栄光!と叫びました。異言を語りました。病の人に手を置いたら、彼等は癒され、悪霊を追い出しました。「悪事を行う者どもよ、わたしから離れよ。私はあなたを知らない」

84. オー小さな子供達、今晩ビタミンの必要を何かの為に感じますか?体がそれを待っているのです、彼だが受け入れられることを。皆さん、欺かれないでください!欺かれないで!悪魔は欺くものです。婚宴の衣装でさえ、着なければならないのです。それは絶対なのです。
さて、我々は夕暮れの時にあります。肉体的な体は今溶けようとしていますそして天的な物に入る準備をしているのです。そして我々は今、この偉大なエデンに行く神の奇妙な呼びかけを感じています。そして我々がこの地上に生まれる前、我々の小さな身体は何かの為に泣いていましたそれはもし私達がそうでなかったのならば、ここで病の者であった何かの供給を受けなければならなかったのです。神はそこでは病気はないのです。彼等は皆完全にされていて花嫁はちょうど花婿のように御言葉がしっかりとあらわされるのです。神様今晩ここにいるあなたの子供達全てを受け入れて下さい。行くべき天国があります、だから地獄から離れましょう。

85. 「ヘイ、あなたは私の教会である晩、地上で話していましたね、ブラナム兄弟。」しかし彼は霊です。彼と握手する事は出来ませんでしたと言うのは彼の手は墓にあって腐っていました。私のも同じでした。私はその様に以前考えていました。

86. そして彼等は皆やってきました、長い髪が腰の方に流れていました、白い衣を着て、はだしで、「私達の兄弟」と叫び、鳴いていたのです!
私は思いました「さて、これは奇妙だ」そして振り返って、そして見ると、そこに私は横たわっていて、そこに私の妻も横たわっていました。そして言ったのです「さて、知っているかい私は死んだんだ」「そういう事だったんだ。私は死んだ」そして言いました「多分心臓発作か何かそういう感じの事で。私は死んでいた。そこに体が横たえられている」私の手はその様にして横たわっていました、ただカチカチ状態でした:私は思いました、「妻が居て、何もかもある、私のシャツがベッドの柱にかけられている」そして思ったのは「私はここにいる」でした。

87. 思ったのは「これは奇妙だ」でした。振り返ってそして私はもう年寄ではありませんでした。若かったのです。そして思ったのです。「これはおかしなことだ」思ったのは「これは幻ですか?」指をかみましたそして思ったのは、「違うこれは今まで会った幻とは違う種類の物だ」
そしてその時、何かが私にここで語りかけ始めて行ったのです。「あなたの人々と共に入ったのです」
そして思ったのです「私の人々?これは皆ブラナム家の人々?
彼は言いました「彼等はあなたがキリストに改修させた人達です」そしてこれらの女性達、、私はいつもある種の物と見做されているのを知っていますね。彼等を私を女性を憎む者と呼んでいます。さて、実際は違いますね?何故なら信じているから、、、ね?私は非倫理的な事や下劣で低俗な者は嫌いです、私はキリストにおける純粋な姉妹達が好きです。もしそういう風であれば大丈夫なのです。

88. さて、本物の純粋なる姉妹以上に素敵な物はないと思います。もし神が男性に救いを他にして何か良いものを与えるとしたら彼は妻を与えるでしょう。分かりますね?そしてそうするならば、もし神がより良い事を与えられるならば、彼はそうされています。そして、彼らの中の何人かは妻のように行動する事さえしません、結婚の誓いに忠実でないのですそして、彼らの夫も同じです。覚えていますね、あなたは一緒に生きる様に結び合ったのです。神が地上で結ばれたものは天でも結ばれているのです。分かりますね?

89. そして私は見ていました、、、そしてこれらの女性達、、そして

90. 彼は「地上であなたは指導者だった」と言いました。そして「これらはその人々です」と
そしてある女性が上がってきていました。彼女は言いました。「我々の尊い兄弟」最高に美しい女性、彼女が通って言いました、この声が言ったのです「彼女を覚えていないのかい?」
私は言いました「いいえ!」
その声は「あなたが彼女を彼女が90歳を超えた時にキリストに導いた人だよ。分かりますね?どうして彼女が尊い兄弟と言ったのかが分かりませんか?
そして言いました「はい、あなたは、、、」
彼等は言いました。「いいえ、我々はここで待っています」
私は言いました「さて、もし私がそこを越えたらイエス様に会いたい」
その声は言いました「今は彼に会う事は出来ない。御言葉がこういっている、祭壇の下にある魂。彼は少しまだ高い所に居られる。いつか、彼が戻られる、我々は地上に戻る。ここでは食べたり飲んだりはしない。

91. 覚えておいてください。そして私が子供の頃、地獄の幻を見ました、子供としてでした。そしてご存知のように、今日の女性達(あるいはある女性がその様にしている)目をオオカミか何かのように化粧して、目の下に青いものをつけたりしています。それを見ました。私は沈んで行っていました。小さな子供の時です、注射を打たれて、病院に死にかけて横たえられていました。そしていつも神がいると知っていました。これをまだ話したことはないのですが、初めて行った祈り、祈ろうとしたことで唯一言ったのは、今言おうと思っています。私は打たれて、そこに死にかけて寝ていました、それは唯一願った事でした、神様でなければなりませんでした。こう言ったのです「神様私は姦淫は犯したことはありません、あなたがご存知です」分かりますか?小さな子供でした、確か15歳位でした、正しく生きようとしていました。そして言ったのです。「聖く生きてきました」そしてそれだけが私が言った事でした。彼に差し出せたのはそれだけだったのです。

92. 「永遠」
私は言いました。「オー神様、もしここを出してくださるならば、二度とあなたを恥じる事はありません。絶対にです。神様もう一度チャンスを下さい」と
そして初めて感じたのは、又昇ってきたのでした。そして医者は警告されていました。私の心臓は1分間に17回しか心音を建てていなかったからです。そしてすべてから血が出ていたからです。私は自分の血の上に横たわっていました。そしてそれがいつか起こるのかと考えていました。

93. 「オー、オー」
兄弟、姉妹、言わせてもらいたいのです、今はおかしく見えるかもしれませんが、そこに一度言ったら。それは真剣な事なのです。その方向には絶対に行かない様に!

94. 魚の背にはひれがありましたね、まず初めに水の中で泳がなければならなかったからですあるいはそうでなければひれはありませんでした。地上に木が育つ前、地球はなかったのですあるいは育つ木もありませんでした。木がある理由がなかったのです。そしてこの様に近くするために、、、

95. 「義に飢え渇いている者は幸いである」
我々の中には何かがあるのです。手をしばらく前に挙げて「もっと神の物が欲しい」と分かりますね。必要を抱えているのです。そしてもし、あなたが世を愛しているならば(そしてその方向に行くならば)世の物なのです、世の旅に行くのですそしてあなたは堕落します。分かりますね?そこから出てきなさい。あなたは王の王の息子娘なのです。淑女、紳士、になるのです。クリスチャンとして歩み、クリスチャンとして生き、クリスチャンとして行動するのです。覚えておいてください、あなたはこれらの印の中で裁きに合うようになってしまいます。分かりますね?
今晩眼鏡をかけてみて下さい。「私の進んでいく道は何方ですか、イエス様が私の為に準備している場所ですか?その体は完璧で、その体は正しい方向そうで歩みますあ、それは神のみ前で息子、娘となるのです。そして私は今、その体に入るための産みの苦しみの中にいるのです。もしまだ私が世を愛しているならば、それが分かります、私はそうではないのです。そこには何もありません。教会員にすぎません。私は神の細胞ではないのです。いいえ違います。彼(神様)は私の父ではありません。

96. 「私の父の家には多くの住まいがある、もしなければ、あなたに言っていることになる。そしてそこに行って準備をして私自身であなたを受け入れるためにいるところにする。これらの事は唯一可能性が今あったのです、そうなる様に。
祈りましょう。

97. さて、主なるイエス様が私をあなた、ペンテコステ派の人々にだいぶ前に送られました。ここにあなた方の男の子たちの一人があなた方の牧師になりに上がってきました、ミニストリーから出た結果と言っていました。彼は盲目を主イエスに開かれたのが分かりました、彼はそのおかしな頭になっていたと。私はまだ、癒しの礼拝をしていますが、私は多くの病気の人々の為に祈りました。彼等は癒されました、主は祈りに答えて病気は癒されました。しかしあなたは癒された人の何人かは既に死んでいたのを知っています。そしてどれほど病気であろうとも、もしあなたが癒されるならば、あなたはいつかは死ぬようになるのです。しかしその魂、私の尊い兄弟、その魂、私の尊い姉妹、今そのことを考えられるでしょうか?それは永遠なのです。もしその神の愛はありません、神に尋ねたのです、引くことはないのです、「オー神様、今晩私を始めたのです。私はあなたを愛しています、主よ。私はあなたを愛したいのです、そして私の心は何か私はあなたに近くならなければならないのです。私は今あなたのようになりたいのです、主よ、そうしてください。」もしこの建物の中か外にいる人々、あなた方にキリストの僕としてイエスキリストの名によって、頭を垂れて神に手をあげてこう言っていただけるようにお願いしたいのです、「神様、私を近く近くに導いて下さい、親愛なる神様、全てあなたが神の御言葉の中にあるものにかなう事が出来る様にしてください」今手を挙げて下さい。本当に正直になってください。 ただ考えて下さい。

100. 聖職者達は神学をまなびに神学校に行きそして人々の言葉を取って物事を学びそれを彼らの伝統によって神の戒めを人々に対して効果のない物としてしまっているのです。彼らの言い伝えや伝統では、彼等は教会に属しているべきでそれだけというのです。オー神様、彼等は我々の言う言葉の全てが科学的に証明されていると気が付いています、それは記録にあるのですそして、それは我々が地上に住み始めた時に始まりました、それは我々が死ぬ他時に終わるのです、そしてそれは神のアルバムに置かれて裁きの時に再生されるので、どのようにその神の裁きや怒りから逃げられるのでしょう、もし我々の目の前にそれほども物事がはっきりとされているのに、それを我々が受け入れないとしたら。オー親愛なる神様、これらの言葉は決して敗れる事はありません、それらは永遠に続いていくのです。その記録は裁きの日に再生されるでしょう。あなたはその手が挙がっているのをご覧になりました、乳牡。それは裁きの日にそこに在る様になります。又、彼らの心は、裁きの日にそこにいると言う事を考えていたのです。

101. そしてその祭壇を作っています、何故なら人々が祭壇に沢山座っているからです。そしてその祭壇には椅子があり彼等は座っていて、彼らの心を神の祭壇としようとしているのです。この世を全てのここにいる兄弟姉妹から取り去り動かしてくださいますように。そして命の小さな細胞が神の細胞となり、ただ我々がその事を話す時、神様からの属性として来て神の栄誉と栄光を表すことになりますように。神様そこから世を動かして取り去って下さい。
他には、私は祈れません、主よ、というのは病は死に行くものだからです、そしてそれを動かす理由が何もないのです。しかし誰でもそれが間違っていると知っている人達は動かし彼等の心を清め彼等の魂を今晩清めて下さいそして父よ、彼らをあなたの御霊によって満たし、あなたの光の内を歩む者としてください。

102. これをあなたの御手に委ねます。種はまかれました。その命として指定された種が落ち強く大いなるクリスチャンにここの集まりの為にそして彼らが来ている他の集まりの為にも育つようにしてください。主よ、受け入れて下さい。イエスキリスト、神の御子の名によってそれをゆだねて祈ります。
そして父よ、「 しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。」

106. オー永遠なる神様、あなたの僕の祈りを聞いて下さい。そして今、それは再び書かれているのです。「もしその人々が私の名によって呼ばれ彼等自身が集まって祈るならば、そして私はそれを天から聞くであろう!」オー神様、あなたの子供達の祈りを天から聞いて下さい。聖霊を送りこの会衆に力強い風のように送ってください。
そして我々はこれらの人々を神のみ前に連れて行きます。

107. ハレルヤ!神の栄光を感じなさい。あなたの祈りが答えられたことを知りなさい!あなたの隣に座っている人の祈りを神が答えられたと信じますか?何人が信じますか、手を挙げて下さいますか?すごいですね。素晴らしい。
愛しています 愛していますあ(手を挙げて心から彼に
歌いましょう)
何故なら初めに彼が私を
愛して下さったから(心からそう信じていますね?)
カルバリーの木の上で
私の救いの為に支払われた。

108. 光の内を、美しい光の内を歩みます。
憐れみの露がある場所が輝き
我々の周りで昼も夜も輝くのです。
イエス様、世の光
我々は光の中を歩みます。
それはそれは美しい光。
憐れみの露が落ちる場所は
眩しくなるほど輝く
(彼が我々の為に用意しに行く場所)
我々の周りは昼も夜も輝く。
イエス様、世の光。
光の聖徒達よ皆来て、宣言せよ。
イエス、世の光。
真理と憐れみは彼の名の中に在る、
イエス、世の光
(我々は何をするのでしょうか?)
我々は光の中をそれはそれは美しい光の中を
あゆむのです。
憐れみの露が落ちる場所は眩しく輝く
我々の周りは昼も夜も輝く、
イエス、世の光。
清められ罪を全て取り去られたように感じていませんか、気分は良いでしょう?オー素晴らしい。
又一緒に歌いながら、握手をしましょう。
我々はそれはそれは美しい光の中を歩むのです。
憐れみの落ちる場所は輝く。
我々の周りは昼も夜も輝く
イエス、世の光。
目を閉じて、それをハミングしましょう。(会衆がハミングをしている)
(我々は子供のように動く、我々は子供達である)
オーそれはそれは美しい光、
そして憐れみの露が落ちるところは眩しく輝く
我々の周りは昼も夜も輝く
イエス、世の光。
彼を愛していますか?
私の信仰はあなたを仰ぎ見ます。
カルバリーの子羊
(目を閉じて歌いましょう、御霊の内で
賛美しましょう!)
神なる救い主!
今、私が祈る時
聴いて下さい。
私の全ての罪を取り去って下さい。
この日から完全にあなたの者としてください。
私が歩む人生に暗闇や泳い道がある時、
私の周りに苦しみが広がり、
オー、あなたが私の道を導いて下さい。
暗闇を光に変えて下さい。
悲しみを拭いサリ、怖れを取り去って下さい。
私を迷わせないでください。
隣にいさせてください。
オー何と、あなたは私は古臭い人間であることをご存知です。
例えば、私は全て新しくなった音も負うのです、ロックンロールや、ファングや物真似は何百マイルもやって来たけど。
そして古い詩人はそれらの歌を書いたのです、聖霊がそのペンに触れて彼等は書き始めたのです。何と素晴らしい。私が言っているのは、エディーペロネットや全ての素晴らしい人達、ファニークロスビー:
優しい救い主、私から離れないでください。
私の穏かな祈りを聴いて下さい。

109. そして「さてあなたは、盲目です。天国に行った時、どのようにするのです。。。」
彼女は霊感の内で振り返り、こう言い始めました。
私は彼を知るでしょう。私は彼を知るでしょう。
贖われたものは彼の隣に私はそこに立つのです。
私は彼を知るのです。私は彼を知るのです。(どのように?)
彼の手の釘の痕によって
そうでなければ、「もし彼を見ないならば、彼の手を感じる事でしょう」
私は彼を知るでしょう。私は彼を知るでしょう。
贖われたものは彼の隣に私もそこに立つのです。
私は彼を知るでしょう。私は彼を知るでしょう。
彼の手の釘の痕によって、
それは彼を愛するようにさせませんか?あなたの為に場所を用意しに行かれたのです。そしてもし私が行くならば場所を用意し、私自身があなたを受け入れるために戻って来るであろう。」

110. 「オー」とあなたは言い、「ブラナム兄弟、もう遅すぎます、長い時間説教をし過ぎました」パウロは一晩中説教をこのおないようなメッセージをそして小さな、若い人達は壁に居て彼自身が死んでいました。そしてパウロは同じ種類のメッセージで油注がれ、彼の身体に命が戻って来たのです。彼は今もイエスキリストであられます。昨日も今日もいつまでも変わることの無いからです。彼を愛していませんか?もう一度手を挙げて、
愛してる。愛してる。
ピアニストはどこに居ますか?もしいるならば姉妹、誰でも小さなコードを下さい、
何人が彼を愛していますか?ただ手を挙げて下さい。そして「本当に彼を愛している、心からただ全身全霊で彼を愛している。私は彼を愛している」と言ってください。

111. 愛してる。 愛してる。我々は神を礼拝しましょう。あなた方が説教するときそして、止めて、涙を流し、それを引くのです、これは神が注がれた油で、癒すものです。ギリアドにそのバームが魂の為のバームがあります。さてそれを歌いましょう。そのコードを下さい。
愛してる。 愛してる。
彼が初めに私を愛してくれたから。
そしてカルバリーの木の上で
私の救いを買って下さった。
そしてもし、「あなた方が互いに愛し合うならば、すべての人があなた方が私の弟子である事を知るであろう」その通りです。もし目に見えるお互いを愛し合えないならば、目で見る事の出来ない神をどのように愛する事が出来ようか。
愛してる。 愛してる。
彼が初めに私を愛してくれたから、
そしてカルバリーの木の上で
私の救いを買って下さった。