2. 又、今我々の良き友であるパーリーグリーン兄弟は電話に付けられる小さなガジェットを得たことを知りました。そして電話だけでなく、それはテレビにも直接つなげることが出来るようになるそうです。そして彼等はそれを今見ているのです。
3. そして私の友人があそこにいます、クンツ兄弟病気の為のリクエストに関して電話をくれましたーそのために祈っています、クンツ兄弟。ただ信仰を持ってください。心配しないで。良くなります。
そしてテキサスーブレア兄弟、今晩、聞いて居るならば、私の兄弟、これだけを覚えておいてください、初めてあなたを連れてきた方は神様である事、そして2回も大丈夫にすることが出来る方も神様である事。そして我々は神様があなたの為にこれを受け付けて下さると信じています。そして悪魔の嘘を何についても聞かないでください。神は神であることをただ覚えて下さい、そして神は居られるのです。そして彼は昨日も今日もいつまでも変わらない方で居続けておられます。そして我々は彼を愛して、信じて、あなたの為に祈っています。
カリフォルニアにいる私達の全ての友人達、、メルシア兄弟とここアリゾナに来て言うr方達、多くの他の場所、フェニックスそしてウィリアムズ兄弟ーそして今晩電話でつながっている全ての方々、いろいろな場所で。本当に感謝しています。ジョージアにも、、、我々は皆さん全員を間違いなく感謝しています。主が皆さんを祝福されますように。
4. 演壇上で私の後ろに座っている男性が言いました、「私を知っているかどうか考えないで」「ヒッチハイクで私を一度拾ってくれた。。。」分からないけどどこかボストンかどこかデトロイトでーヒッチハイク。。
そして私は言いました、「えーっと、普通もし出来ならば、必要のある人を助けようとしている」そして今晩我々は皆必要を抱えています。そして神が今晩、助けの手を下さる様に、祝福と、恵みと憐れみを求めて祈ります。
6. 親愛なる天のお父様、我々は、永遠に共に生きると信じる人々と今晩ここに集まり生きているという特権によって心が喜び踊っています。我々は今、永遠の命を持っているのですなぜならば、あなたがひとり子をお与えに成ったからそして誰でも彼を信じるなら、死ぬことがなく永遠の命を持つからです。彼のここ地上での巡礼の中で、「 よくよくあなたがたに言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをつかわされたかたを信じる者は、永遠の命を受け、またさばかれることがなく、死から命に移っているのである。(ヨハネ5:24)」何故なら我々はそのひとり子、神の御子を信じたからです。この偉大なる救い主をどのように感謝したらいいのでしょう。そして今晩祈ります、彼の大いなるご臨在が今日ここで我々を祝福してくださいますように、彼の言葉を読み、それについて語ります。聖霊が国中の一人一人の心に触れて、人々が集まっている全ての場所におられますように。
演台にいる他の聖職者たちを祝福してください。祈ります、父よ、このグラントウェイアッセンブリーを祝福してください、その牧師、彼の妻、彼の子供達、執事、トラスティ―と全ての役員たち。父よ、神の御国の為に我々の周りに十分な光があるうちに共に働くことが出来ますように。その時が来たら誰も働けなくなるのです。そして父よこの特権がある間、時を行かしても散る事が出来ますように、主よ。そのことを主よ受け入れて下さい。病の人々や苦しんでいる人々がこの土地にいますが、癒してください。
神のご臨在が国中の諸々の場所で今晩、感じられますように。
7. ロトの時にも同じようなことが起った。人々は食い、飲み、買い、売り、植え、建てなどしていたが、
人の子が現れる日も、ちょうどそれと同様であろう。(ルカ17:26-30)」そして我々は今起こっていることを見ています。
「そして、地上では、諸国民が悩み 人々は世界に起ろうとする事を思い、国々は恐怖と不安で気絶するであろう。」神様、我々は終わりの時にいる事は分っています。主よ助けて下さい、あなたがその人生を定めた全ての子供達にメッセージをすべての場所に持っていけるように。受け入れて下さい主よ。我々はイエスの名前で祈ります。アーメン。
主が彼の言葉を今読むので祝福してくださいますように。
8. 空中で出会う日がその日が来る。
優しい優しいその日
あなたに会える、そこで挨拶、
空の向こうの家で
今迄そんな歌は聞いたことがない
死すべき耳には聞こえ牡内
栄光を宣言!
そして神の一人ががそれを導く
空中で主に会う
オーその時そこにいたい。
9. 第 42 章
神よ、しかが谷川を慕いあえぐように、わが魂もあなたを慕いあえぐ。
わが魂はかわいているように神を慕い、いける神を慕う。いつ、わたしは行って神のみ顔を見ることができるだろうか。
人々がひねもすわたしにむかって「おまえの神はどこにいるのか」と言いつづける間はわたしの涙は昼も夜もわたしの食物であった。
ダビデの事を思うと、この詩篇を書いている時、悩みの中に在ったはずなのです。そして普通人が悩みに合う時最高の物を齎すのです。それは事実です、、、その時に神が来られるのです、我々が何度も断食をしたとき、自分の位置を得る為、自分自身お導きを見つける時になります。そしてダビデがこの場所に入った置き、そして主の思いを思っていた問、そのことを考え始めたのです。
多くの時、神は上を向かなけばならない場所に詰め置かれるのです。時々我々は病院で寝なければならなくなることさえあります、あるいはどこかのベッドに、そうする事で、最大の神の祝福が来る場所を見上げる事が出来分かるようになるのです。
10. さて、渇きを何かに持つというのは不自然な事ではありません。渇きは自然なものです。神が我々に何かをしたいという思いを与える事なのです。時々、神様はこれらの異なる切望を制御すしてあなたがその中に座る何か、コントロールタワーを与えて下さるのです、彼にとってそれが必要な事であるという、警告をその切望に対して与えて下さるのです。
13. 我々は今日の大きな問題がある事が分かります、あまりにも多くの人々は、二つの要望の間に生きようとしているのです。片方は地に着くものを望み、他の方は天的な物を欲しがっているのです。
15. 多くの場合、人々の所に行くと 言うのです。「えー、聖霊を求めましたそして私はそれを受けられなかったのです。それは私の為だとは信じられません。毎回起きると病気になるのです。そして祈りに行くと、、、もし私が断食すると病気になります。そしてもし一晩中起きて居ようとすると、眠くなるのです、足が離れられなくなります」覚えておいてください、それは悪魔なのです、神はあなたに聖霊を持たせたいのです。それは誰でも受けたいものの物なのです。
多くの時に、神の癒しのためのミーティングで祈っている時に、そして次の日、あなたはうたがいもなく、悪魔が前日の2倍ひどくしている事に気が付くのです。覚えておいてください、それは神があなたに与えた祝福からのがそうとサタンがしている事なのです。あいつの言う事なんか聞かないでください、常に前に進んでいきましょう。
16. 何時もそれらの教会は私がそこに来てほしくないのではという思いがありました。そして見つける為に来てみました、ある人から手紙を持っていました、、それは、、、彼等は私にそこにいてほしくなかったのです、すべてのその教会そしてある人がある組織のレターヘッドを使って手紙を書いてきてこう書いていたのです、「私達はあなたに来てほしくない」。彼の意味したのは、彼と彼の家族でした、分かりますね。だから、私がそこについて時、、、その「私達」は彼と彼の家族だけの事でした。そしてそれは全ての人々では全くなかったのです。そして今、大きな刈り取りが我々の前に開いているのです。
17. 若い会衆で今晩祭壇にどこかで来た場合このタバナクルか国全体で。そして明日こうなる事を覚えておいてください。お母さんは今まで以上に怒り、お父さんは滅茶苦茶怒り狂い、そして学校の全ての友人も全てがおかしくなります、というのはサタンがあなたに戻って来させようとするからです。サタンはその道殻離れさせようとします。「善をしようと欲しているわたしに、悪がはいり込んでいるという法則があるのを見る。」からなのです。
18. この国に来た時、初期の頃、インディアン達がここにいるのを見つけました。そしてインディアン達、彼等はその時は異教徒でしたが、(彼等は太陽か他の物を崇拝していました)彼等が人間であるならば、彼等の中に在る事があるのです、自然な渇き、どこかに居られる神を呼び求める渇きです。
19. しかし我々がこれらの人々を見つけた時、そのとんでもない状況でした、彼等は礼拝をまだしていました。ライオンを呼び入れる前でした、彼等はいくらかの肉の食事を注ぎ込んでいました(彼等が食べる物)小さい葉っぱの上にそして彼等の手を叩き何かの偉大な霊に呼び掛けていました(彼等はどこにいるかは知りませんでした、パトロン聖徒あるいはカトリックへの何か)で彼等を保護する物、彼等がこのライオンが責める時に殺されない。
20. 神への渇きを持つことは不自然ではありません。自然な事なのです。あなたが持つべきものなのです。神があなたをその様に作られたのです。そしてそれは超人間的ではありません、実際一般的人間です。誰かとくべtな人たちだけのものではないのです。彼等は言います「ある人達は勝利に満ちた人生を送っていて常にトップにいるのを見ています。彼等は神を賛美している。私もその様に感じるようになりたい」と、さてあなたがその様に感じる理由は、あなたの中に渇きがあるからです。それはただ自然な事なのです。全ての人には神への渇きがあるのです。
21. 食べ物がなくても長く生きる事は可能ですが、水なしでは難しいのです。なぜならば、40日間断食する事が出来るからです。イエス様もされました、食べ物なしに、しかし水なしにはそれh℃長くは出来なかったのです。ただ脱水して渇き、死んでしまうのです。水がなくてはなりません。そしてその渇きはあなたに来るのです、というのは、生きるために何かを必要であることを示しているのです。身体は生きるために水を得る必要があります。あなたは80%以上の水と石油で出来ています、とにかく、これらを得ることによって生き続けるのです。私が言った様に、それを大切にしないならば、あなたは死にます。
渇きは警告でもあります。渇きは目覚まし時計なのです。魂に目覚まし時計がセットされてあなたの中の小さなブザーが鳴るのですそして死が近づいていることを告げるのです、もしすぐに水を得ないならば死んでしますと言うのです。そしてそれは終にどんどん置き去りにして言って死ぬようになるまで大きな音になっていきます。何故ならそれは警告時計だからです。
22. そして我々が見つけるのは、、もし犬を見たことがあるならば、その野犬は鹿を捕まえます。そして普通彼はそれらを得るのです、まるでコヨーテ、オオカミのように、そして彼はシカを耳タブの上の所でとらえて、彼の重みをゆするのです。彼はシカの喉を掻き切り、そしてシカのチャンスは無くなるのです。
しかし時々犬は、アフリカでは、その野犬はシカを脇腹で捕まえるのです。もし彼が喉を取れなければ、2度目はその脇腹からです。そしてシカが十分強くて速ければ、犬を振り落とすことが出来るのです。
23. そして、、しかし犬が脇腹の方に来た時、彼はシカの肉で口がいっぱいであったのです。あるいは首を捕まえて居た時、時々、彼は頸動脈の近くを着るつもりで失敗したのです。そしてシカは犬を振り落として、シカの喉から大きな量の御区を引っ張っりました。そして血が流れ始めたのです。そしてその時犬はその血を追跡してきて、シカを折っていました。そしてシカの命が徐々に弱まり始めた時、-血は命の体への泉で、それが減って行ったので、シカは弱まってきていました。そしてその犬あるいはオオカミがシカの真後ろに居ってきたのです。
さて、もしシカが水を見つけられなければ、さて、水には何かがあるのです、シカが水を飲むとき、血が止まるのです。しかしもし、水を得て落ち着かなければ、血がどんどん速く流れ続けるのです、彼は走っているから心臓はドキドキし続けています。しかしもし彼が水に来られれば、そのシカは生きられるのです。
24. さて、彼の鼻が上がっているシカを想像できますね、水がない所ではつかまってしまうのです。
25. しかし我々がそれに来た時、ある意味途中なのです。「さて、膝まづいて主が何をされるかを見る。。。」分かりますね、あなたはまだ本当に乾いていないのです。死と生の間にある渇きである必要があります。そしてその時何かが起こるのです。
28. へびをつかむであろう。また、毒を飲んでも、決して害を受けない。病人に手をおけば、いやされる」
さて、そしてそこでこの様に言う人を見つけるでしょう、「さて、それは使徒達の時代の事」さて今、もし聖霊を受けるならば、すぐに、その感覚を受けることになります。それが設定されるのです、そこに何か間違っていることが分かるのです。彼等はそれを間違った方向で説明しようとします。「それは別の時代の為、、、それは本当に、こんにちはその様な物は必要がない」など
しかしイエス様は言われました。「17 信じる者には、このようなしるしが伴う。」分かりますね、小さな何かがあなたの中に備えられるのです、小さなブザーそれが間違っているということを知るのです。そしてその道は死に至るのです。
29. そしてそれゆえに、ある教会や他の人がどういおうが関係なく、もし神の御霊の中で生まれたならば聖書の一部なのです。神はエゼキエルに言いました、(彼は預言者でした)彼は言いました、「巻物を取って食べなさい」そしてその預言者とその巻物はお互いの一部となったのです。そして彼が聖霊を受け取った時信仰者となるのです。聖霊が聖書を書きました。そして神の御霊が神の言葉です。「私の言葉は霊である」初めに言葉があった、言葉は神と共にあった、言葉は神であった、そして言葉は肉体を取って我々の中に住まわれた。へブル13:8彼は昨日も今日もいつまでも変わる事がない。そして神の御言葉の一部になった時に、何かが御言葉と反するものが来るとき、すぐに小さなブザーが鳴るのです。それが死への道を警告するのです。そのような事はすべきではないのです。又これらの渇きはただ自然な物なのです。クリスチャンにとってそれは自然なのです。それは人間にとって自然なものです。
30. しかし、、、今、何もそれに敵対はしていません。さて、それは良いのです。しかし私にとって、すべての世的な学校に行って、まだ正しい成功を見つけていないのです。そうなのです。なぜならば、ここそこで一時的に物事を楽にするだけの事です。しかしあなたが死ぬとき、それらの全ては置き去りになるのです。そしてこれが我々が持っている経済の全てなのです。
31. 文明は間違いなく、、これからくる世界にはこの様な文明は絶対にありません。これは倒錯された文明なのです。神は彼の初めての文明を彼ご自身のかあられる言葉によってもたれ、そして彼等は出て来て、すべての種類の種はそれ自身の種によって出てきたのでした。そしてその文明には死も、病も悲しみもないのです。そして今、我々はその物簿とを何か倒錯した物の中で科学の世界に入れてみています、それは死をもたらすのです。原子爆弾のように、これらの事の公式は知りませんので、これは間違っているかもしれませんが。彼等はウラニウムを取って、分子として訳て分子を原子にまで壊しました。それはなにをするのでしょうか?それはただ体消滅させるのです殆どただ破壊するのです。
我々がする事は全て、、、
32. 分かりますね、何がなされたか?それはハイブリッド食品など我々が食べている物からくるのです。それは物で、食べ物そして我々が生きているのは命です。科学者がそれを我々に齎したのです、そして彼等はあなた方を殺そうとしているのです。アフリカに居た時、少年たちが人生で一度も薬を飲んだことがない子たちに会いました。彼等はウジ虫のいる肉を食べているんです。彼等は牡牛を殺すような場所の水から水を飲んでいるのです。私は200ヤード位の目標を定めて狩りをして7x50の双眼鏡を使っても見えません弟子tあ。そして私と同じ年齢の男性がそこに立って、どこで撃てるかを彼の裸眼で言い当てたのです。さて、もしこの現在科学が何かをなしたとしたら、彼の目と彼の胃があったらと感じています、そうしたらかなり元気でいられると。はい! でもどうなっていますか。
分かりますね、それが科学、教育、文明がなしたことです。我々はそれによって破壊されているのです。我々は自分たち自身を破戒しています。それはエデンの園で始まっていました、そして今日まで続いているのです。しかし成功への渇きは、、、
そして我々は交わりに対しての渇きがあります。我々は交わりに行きたいのです。
33. さて、人生を生きる中で肉体の中でそれに渇きを持つことに関して多くの事を見出します。それはただ我々の中に置かれているもので、それが欲しいのです。それは絶対必要だ、それをするのは必要だと感じるのです。我あれはこの時代に居て多くの女性達が美への渇きを持っているのを見出しています。さて、それは女性ではなくなります、女性が綺麗になりたいという渇きを持つのは自然な事なのです。それは神が与えた本能なのです。神が彼女にパートナーを与えるのです。そして今、我々は女性達がその方向になりたいという事を見つけています。なぜなのでしょうか?それはただ、神が彼女に与えた何かの故です。女性が美しい事はまちがっていません。彼等は美しくあるべきです。
34. これらの今日通りで見かける変な者達の話ではありません。いいえ!あんな種類の美について話しているのではありません。あれほどひどい景色?を人生で見たことはありません。絶対です。それは倒錯なのです。本当の渇きを倒錯させたものです。
35. なんという事でしょう!今日の人々は。通りを歩いていると女性と男性の見分けすらつきません。そして人間としてそれほどにもひどい見かけの物を生涯今迄見たことがありませんでした。人間を越えているというか、目の周りをその様に塗りたくり、そしておかしなトカゲの目そしてすべての変な見た目の服装。そしてなぜちゃんとしたようにさえ見えない。人間にさえ見えない。そしてここにいる男子の何人かは、髪の毛を姉妹のローラーを使って下に下げたりしている、それは完全な倒錯なんです。その通りです。。
サタンがする事そしてサタンは錯綜家の代表選手です。
36. さて、ある女性について前にも話しました、綺麗になりたいのです。彼女の中に何かがいるのです。彼女は男女同権主義者です。そしてその様でありたいのです。しかし今日の彼等は街にいると、男性の様な髪型西、男性の服を着て、そして男性が女性の服を着るという、髪型も女性の様な髪型にしているのです。それは倒錯なのです、全ての事がです。あなた方の食べ物も倒錯されています、人生も、渇きも、欲求さえも、今は倒錯欺きの時代なのです。
37. 彼等はここにいて、教会にさえ言っています。それは教会の代りにロッジと呼ばれます。教会というのは、誠と霊を持って神に礼拝する為に集まる場所です。そして今日それはロッジになっています。我々はそこに行き握手をする小さな時間があり、共に交わりをして、建物の裏でブラックコーヒーを飲んで、次の週会うまで、家に帰るのです。我々は宗教的な仕事をそれでなしたことに成ります。さて、それこそ倒錯欺きの時代なのです。そしてサタンがこれらの渇きをも倒錯しています、神はあなたに渇きを与えて下さっているのです。サタンがそれらを欺き倒錯しています。さて、その欺き倒錯について知りたいならば、
38. さて、我々はある人物が彼等が欺きを得てー神の為の渇き、に関してその渇きは美しくなりたいという渇きそしてすべてのこれらの渇きは水の為なのですー彼等はその渇きへの満足を酒を飲むことによって満たそうとすることを見出します。神が我々に大きな渇きとして交わりへの渇きを下さいます、そして我々は神を求める渇きをも持てるのです。神は我々に神を求める渇きを持って作られました。そして他の種類の渇きでそれを満足させようとする、他の種類の倒錯されたもので渇きを抑えようとするのです。分かりますね、それは自然の中でどうなっているのでしょうか?霊的にはどうですか?我々が教会に加わることによって満足すrと考えるならば。それだけをすればよいのです。さて、それは全く間違っています。いいえ、神は彼に向かって乾き続けてほしいのです。神様、シカが谷川の水を慕い求める様に、我が魂はあなたを慕い求めます。分かりますよね。分かりますね?
39. そして人間の中の渇きも神がそこに入ってくるまで何も満足させてはくれないのです。彼はそれを得るかしぬしかなにのです。そして誰も世的な物で彼の中に在る聖い渇きを必死になる事で満足させる権利はないのです。全くありません!それは邪悪なやり方です。そしてもし神に対して乾いているならば、牧師と握手をしてあなたの名前を記録書に書いたりしないでください。もし神に対して乾いているならば、唯一満足させることは、神ご自身と会う事だけなのです。もし神に乾いているならば、それが神に出会える唯一の方法でそうしてください。
40. しかしもしサタンがあなたを自然な食欲殻倒錯する事が出来るならば、そして彼は出来る限りの事をしてもし出来るならば、単純にあなたを満足させようとするのです。ある人が、出かけて行って、お酒を飲むかというと、彼は心配していて心が咲かれているのです。彼の中に何かが足らないのです。
41. 私は「知らない」と答えました。
彼は「何か彼が満足していない事があって、お酒を飲むことで心からそれが消えるのではと思っていたのではないか」と言っていました。
そこで分かったのです。神のみがその渇きを本当に満足させられるもの。神ご自身だけ。
神を受け入れる事だけが人間の渇きを満足させられる唯一の事。
42. それをどこかに持たなければならないのです。もし食べ物を見つけられないならば、ゴミ箱から食べますね。そしてもし、水がなくて死にかかっているなら、死にかけているのだからどんな種類の水溜からでも水を飲むのです。しかし、神への渇きがあるならばそこには言い訳はありません、なぜならば神は良きる神だからですー歴史的な何かではないのです。あなたへの魂の渇き、良きる神への、生きた水を与える何か、それがあなたを満足させるのです。
43. さて、神はその様にあなたを創られました。その様にしなければならなかったわけではないのですがそうされました。そしてもし彼がその様に創られなければあなたには渇きはないのです、裁きの場によって言い訳がある様になります、「神への渇きを持った事は無かった」と、しかし言い訳はありません。持っているからです。何とかする必要があります。妻によってあるいは車を持つことによって、他の事で、教会に行く事で、それを満足させようとします。そして、教会に行く事に反対していませんが、それは満足にはならないのです。神を見つける為、生きる神、天の神があなたの魂の中に入りその渇きと切望を満足させるのです。さて彼が神との交わりの為に神にたいする渇きを持つように創られたのです。
さて、純粋な交わりへの渇きがあります。我々はお互いに会う事が好きです。今晩そうしています。ここで一緒に今晩会っていますと言うのは、お互いに交わりするのが好きだからです。どうしてそうするのでしょうか?それは我々の中に何かがあるからです、それがお互いに会いたいと思わせるのです。それはただ自然な事なのです。そして今、ここ共通の場で会うのです。我々は神への渇きを皆持っているからです。
そしてここで定期的に共通の場で交わりをして会っています。教会で今晩、ここで、多くの異なる宗派教団などの味方があるかもしません。しかしその渇きに来ると我々は共通の場で会うのです、一つの場所、我々は皆渇いているのです。ある人達は滴礼を信じているかもしれません、他の人達は浸礼そしてある人は注ぐこと等など。しかし神への渇きという事になると、共通の場所で会うことが出来ます、一つのグラウンド、我々は皆渇いています。ある人は滴礼を信じているかもしれない、他の人は浸礼そしてある人は注ぐことあるいはその他。。しかし神への渇きについて言えば、共通のグラウンドに来られるのです。そして神は我々はその様に創られたのです、彼への渇きと彼との交わりを持ちたいという渇き。
私は全ての事は知りません。
46. そしてその時、彼等はどうなるかを見せました。それが人間の肺に入った時の事です。
彼等の数人は言います「私は吸引していない口の中でパフしているだけ」それが唾の中にどの様に入るかを見せそして同じ様に喉の中に入っていくのです分かりますね。そしてその時、この男性は言いました。「分かる様にフィルターについて凄く話している」彼は言いました、「さて、もし煙草を吸いたいという世急があるならば、1本の自然な煙草がその時の欲求を満たしてくれる。しかしあなたはフィルター得ました、それによって4本吸わないと満足しないのです」そして言いました、「その煙草を吸うのの4/1しかやっていないから」
47. そしてこの国にある煙草の会社について考えましたそしてこの国はそれによって生活しているのです。そしてそれから、間違いなくアメリカ市民たちをそのいわゆる仕掛けがどれ程欺いているのでしょうか。考える人のフィルター?思ったのは、「それは良い考えだ」そうすれば考える人のフィルターがあるーそれはこの聖書です。ある考える人のフィルターはこのフィルターを取るのです。それは義人の味を作り出すのです。分かりますね。
さて、罪をこの聖書のページを通して引っ張る事は出来ません。それは止めます。フィルターがそれを出すのです。さて、教会に行く事も出来ますそして、何でも取る事が出来ます。しかしこの聖書を越えたうえで罪を持ち続ける事は出来ません。そういう風にはなりえないのです。全ての罪をフィルターを通すのです。そしてそれが聖い人の味を齎します。何故なら、もしその人が聖くなりたい神のようになりたいと考えているならば、そして神の息子か蒸す寧なるのですから。そして彼は正しい種類のフィルターを求めています。そして彼はこの聖書の側に言われている全ての罪を辞めます。そして彼は聖書を通して聖霊のみが齎すことが出来るのです。それが聖い人の味になるのです、この考える人のフィルターを持っている人です。
48. そしてその様にして人々は教会に入り込むのです。彼等は教会に加わりたいのですそしてこう言います。「オーその、それだけのこと。今教会に加わりたい」あなたは神があなたの中に植えた大きな聖い渇きを満足させようとしている、制御のタワーが正しい方向にあなたを向けようとしている。そして狂気兄加わることでそれを満足させようとしている、信条を言う事あるいはそのような事で、神のご臨在に包まれること以外に何族させる物はない。彼ご自身に満たされる以外にはあなたの人生を満足させる事はありません。
50. そしてその渇きを満たそうとしています。しかし分かる様に、それは聖書だけが義人をあるいは義なる女性の味を満たすことが出来るのです。-この聖霊、彼等が笑うもの、、そして「頭がおかしくなった」と言いますしかしそれは望んでいたことを満足するのです、世はそれについて何も知りません。
彼等は彼等自身で真実の聖霊のバプテスマを倒錯しました、そして神の御言葉をどの様にでしょうか?
教会の汚水溜め、汚水溜め、ドグマや信条や宗派教団の違いそしてその他、例えば、あなたはクリスチャンですか?の答えに
「メソジストです」
「バプテストです」
「長老派です」
それは神様には何の意味も成しません、全くです。神の聖書からそれらを引っ張り出す事は出来ません。
そして神があなたに与えた渇きを満足させようとしています。そうですね?
52. それが渇きという物なのです。あなたは「もしイエス様の時代に生きていたら、これそれをしたであろう」と言います。なぜ、あなたが彼の時代に住んでいるか、、我々はそれについて何をしていますか?何をしているのでしょうか?あなたは「さて、あなたは何をしたのですか?多分パリサイ人がしたこと、彼等は教会に属してイエスキリストを否定しました。
53. 神が教会を建てたその上に関して啓示があります。そしてもし我々が同じ教会の上にたてなければ、その聖書は語っています、「アベルは信仰によって、 その信仰とは聖なる啓示です。信仰は聖なる啓示なのです。分かりますね、この全体の問題だその啓示の上にたてられていると言う子です。そしてこれが明らかにされていないならば、イエス様は言われました、「父よあなたに感謝します、あなたはこれらの事をこの世の賢者には隠し、幼子が学ぶように顕かにされました」分かりますよね、今その全体の者がそこにたてられています。その人を知る必要があります。
55. 我々は生きる神を持っているのです、1900年前に死んで墓に居続けている方ではなく、蘇られた方です。へブル13:8には、彼は昨日も今日もいつまでも変わる事がないと書かれています。その五旬節(ペンテコステの日)に下って来られたのと同じ聖霊が今日ここに居られるのです。彼は満足させる方ですと言うのは彼は御言葉だからです。その通りです。聖霊が聖書を書きました。彼はその御言葉を解釈したのです。聖書で第2ペテロで言っています、聖霊がせいしょをかいたと、古の人々も聖霊に動かされて聖書を書いたと。さて、あなたにはそれは不可能です。あなたが神ご自身を越えてあなたの中に住んでいる神様、聖霊の中に居られる方と共に聖い渇きを満足させるのであってあなたには出来ないのです。教育、文化、協会員になる事、信条を暗記暗唱する事、あるフェローシップに加わる事、全てこれらの事は良い事です。しかしそれらは聖霊の動きをとめる者にはなりません。ある意味聖い渇きですねー聖い渇きをそれらは潤せないのです。
56. さて、我々はこれらの人々が拍手する何かを見出しているのです。彼等は幸せでした。彼等はなにかをしていたのです。さて、もしあなたが正しいと思っている主義のためイ何か出来たら、そしてある教会に立って、誰かが拍手し足を踏み鳴らし、執事たちが彼等を扉から出て行くように導いて居たら
分かりますね、彼等は彼あrの人々を汚らしい汚水溜めの信条と宗派教団に戻しているのです、彼等を祝福された神の聖い言葉でイエスキリストの復活の力により分け与えられたもので養う代わりにです。
57. あなたは神を経験によってのみ知ることが出来るのです。教育によってそれにはいる事は出来ないし生まれる事も出来ません。それは何か神が与えて下さるものなのです。教育は何の関係もありません。聖書の中の最も偉大な人の一人は、名前を書く事さえできませんでした。聖ペテロ。その通りなのです、彼もヨハネもでした。聖書では彼等は無知で無学だったと書かれています。しかしイエス様を喜ばせたので彼は御国の鍵を当てられました彼は神への渇きがあったからです。アーメン。神への渇き、交わり、その通りです!何と素晴らしい!
58. そしてイザヤはずっと心配していました。というのは彼が神殿に行って祈り始めたのです。彼はしばらく降りて行って祈ろうと考えていました。そして今、見て下さい。その人は預言者でした。しかし神殿に居たのは若い人でした。彼はある日神に泣きついていました、彼にある幻が来ました。そして彼がそれを受けた時、彼は御使いたち、ケルビムが彼等の羽で顔を隠していて足も隠れていて2つの羽で飛んでいるのを見ました。そして彼等は神殿を通って行ったり来たり、登ったり下りたりしていましたそして叫んでいたのです、「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、主なる全能の神」
59. しかしその日神殿の中に居た時、彼はこれらのケルビムがこれらの羽を後ろから前に飛んでいたのを見たのです。これらの羽が前や後に行きました。そしてこれらの御使いたちは神の顔の中で御仕事をしているんだと気が付いたのですそしてそれらの御使いたちは罪が何かすら見る事が出来ませんでした、そしてその預言者は泣き叫んだのです、「災いは我に在れ、汚れた唇の物である。私の神学やその他の私が学んできた全ての事、すべての私の持っていた神が私を持っているという解釈、私は顔と顔とをあわせてみた今と」彼は言いました。「わたしは汚れたくちびるの者で、汚れたくちびるの民の中に住む者であるのに」と言ったのです。
全ての彼等の律法の教え、そして彼等がしたことは、神のご臨在に入る場所に到達する事は無いのです、彼は自分の目で直接天の高い所に座っておられる神を見あのですから。そしてそこに彼はいて実際に顔と顔を合わせてみたのです。そして彼は叫んだのです。「わたしは汚れた唇の物で、汚れた唇の民の中に住む者である」と
60. 話をさせて下さい友よ、私はどれ程多くの教会に加わったことがあなたに在ろうが、どれ程多くの名前を持っていようが、どのように行こうが、滴礼であろうが、浸礼をされていようがどうあれ。人としてイエスキリストにあなた自身が会うこと以外、本当の満足はあり得ないのです。感情だけでは無理なのです。跳んだり跳ねたりしたいだけ叫んだりするかもしれません。あるいは床を駆け上ったり下りたりそして異言で語りたいだけ語ったりするかもしれません。そしてその時物事が聖く手良くなる。それに何も敵対して話したりはしません。しかしイエスキリストに直接出会うまではあなたの体の全ての繊維をとっても勘定によっても満足はないのです、しかし満足によって、、、、
61. そして「Parfait, Parfait]といいはじめたのです。いつもどんどん喉が渇いて行きました。分かりまsね。それを得たので分ける事さえできませんでした、しばらくした凄く喉が渇いたので、さて分かる様にそれは上手く行かないでしょう。
何もそれを満足されるものはないのです。コカ・コーラを飲めるとしても気にしません。好きなものを飲むことが出来ます、甘味料が入った炭酸系の水などなど、良い、素敵な冷たい泉の水だけがその渇きを満足させられるのです。その渇きを潤すのです。全てこれらの物は代替物にすぎません。
62. そして感情だけの上に生きている人々が居ます、、、ある人々は言います「我々のペンテコステ活動の中でそれらを沢山得た」と言うでしょう。そして彼等は、そこに入るのです(それは良いでしょう)彼等のとぉ叩いて、音楽を演奏し。音楽が止まると、すべての物にバケツの水かが、、、分かりますね。さて我々がするのは、、、そのような習慣に入って行ってしまう事、、、我々はそれはただ我々の慣習の一つに過ぎないのです。
63. 人や御使いのように異言を語るかもしれません、貧しい人を施すために全ての物を貧しい人に与えるかもしれません、預言するかもしれません、知識があるかもしれません、そしてすべての奥義や全ての事に通じているかもしれません、そしてそれでもあなたはなににもまだなっていないのです。(第1コリント13章参照してください)何かがその渇きを潤す唯一の者が満足させていない限り。「私の魂は行ける神に渇き、シカが谷川の慕う様に、私がそれを見つけるまで、私は市にかけているのです」その様に神に飢えている時、何かが起こるのです。聖霊が偉大なる神の泉にあなたを導いてくれるのです。その通りなのです!
64. 神の泉が自然の中であなたに満足を送られます、サタンがそれらの全てを汚したのです。彼は彼が出来る全ての物に毒を入れ込んだのです。そうなのです。
彼はその教会の偉大な泉を取りました。それは神のやり方だったのです。イエス様は言われました。「この岩の上に私の教会を建てよう、黄泉の力さえそれに打ち勝つ事は無い」さて、それに対して異なる口論があります。ローマの人々、カトリック入っています、彼はペテロの上にたてた。そしてもしそうであれば、ペテロは恥の内に背教したのです。だからそれはそうではないのです、ペテロの上ではありません。ペトラは小さな岩です。
そしてそれから、プロテスタントはこう言います、彼は彼自身イエスキリストの上にたてた。完全に違うわけではないのですが、彼等とは違います。彼は何方でもない形で建てたのです。彼はイエス様が誰である啓示の上に教会を建てたのです。彼は言われました、「すると、イエスは彼にむかって言われた、「バルヨナ・シモン、ヨナの息子、あなたはさいわいである。あなたにこの事をあらわしたのは、血肉ではなく、天にいますわたしの父である。」知識によるのでもなく、本から学んだのでもなく、教会に加わることによって学んだわけでもなく、叫ぶことから学んだのでもない。そうではなく、聖霊自身があなたを人であるイエスキリストに齎したのです。そしてこの岩の上に私の教会を建てよう。黄泉の力さえそれに打ち勝つ事は無い。聖い渇きが人であるイエスキリストの中で満足したのです。それがそれです。そのものが私達が探しているものです。それによって渇きが潤されるのです。その通りです。
我々はそれを間違いなく見つけて...
65. 彼等は、、、思うに「さて、もし彼等が主イエスキリストが言われたことを理解しないならば、どのようにして私の様な頭の悪い物を私が言っていることを理解するのでしょうか?」と彼等はイエス様すら理解できなかったのです、あれほども単純だったのに。彼はある日「人の事の体の肉を食べ血を飲まない限り、あなたの内に命はない」と言われました。それについて説明はされませんでした。歩いて行ったのです。その通りです。
「えーっと、」彼等は言います。「この人は人食い人種です。我々は彼の体を食べ、血を飲む。彼はバンパイヤです、分かりますね。彼は我々にバンパイヤになって欲しいのです。彼等は知的な人たちです、しかし彼は言いました、「私の羊は私の声に聴き従う。先見により神が選んだものにそれは来る。そして父に、、、誰も私によらないでは、父の御許に行くことは出来ない。そしてすべて神が私に与えた者は私に来る、彼等はそれを悟るであろう。」彼ら弟子たちはそれを理解できませんでしたが信じました。そうなのです。そしてもしあなたがそれを信じるならば、、、私は沢山の事が分かりませんが、何とか信じているのですと言うのは、神がそういわれたからです。
66. パウロは賢い人でした。しかし彼がキリストに来て、聖霊を受け入れた時、コリントに行って言いました、彼は、「そして、わたしの言葉もわたしの宣教も、巧みな知恵の言葉によらなかった、(彼にはそうする事も出来たのにです)」そして言いました、「あなた方に来たのは聖霊と霊と力との証明によったのである。 それは、あなたがたの信仰が人に知恵によらないで、神の力によるものとなるためであった。」
さて、時々我々は教会のプログラムを作ります。彼等は又彼等の牧師を呼びます。教会は牧師を占拠します。彼等は「さて、この牧師は今、大学で二つの学士を取った。彼は4年間心理学を学んだ。彼はこれやあれやその他を取った」そして彼等はそのような人を選び入れるのです。どうして?神の言葉が神によって霊感されている牧師の代りに、その御言葉を説教する人を、人がどのように感じるかに関わらずに。。。
67. でもそれは何ですか?それは彼等の趣味を満足させるのですね。それは世的な教会メンバーの味を満足させるのです。それは聖徒の味を満足させることはありません。彼は毎回御言葉を取るのです。しかし彼等は、「オーさて、今、彼等の人々は頭がちょっと狂ってきているね。彼等はただそれが分からない。彼等は過去の時代に生きようとしている。」
68. さて、今覚えておいてください。それは今日も同じ事です。人は肉体を腐られています。もし彼等が中年の時を通っているとしたら、20歳から25歳で、彼等の脳細胞は腐っています。彼等は十分な理解をもっていないのです。彼等はまともの意味すら知らないのです。彼等は正しい事と間違っている事の違いを知りません。
そして オー彼等の教育プログラム、 彼等は、、、
69. さて、我々はそれを見出します。。。それは彼等の欲求を満足させるので鵜。教会が何か教会の思いをト要求を見せる事になる事を占拠する事にしました、彼等がそれに渇いていることが分かります。彼等は「我々の牧師は心が広い。彼は我々のまぜこぜ状態も気にしません。我々と足並みをそろえています。
70. そしてある牧師は彼の会衆の一人をみて座ります、16歳か18歳の少女をそして彼等を脱がせて、何をするのでしょうか?それが彼が彼自身が汚水溜めから出て来ていることを証明しているのです!神の人がそんなことをするのでしょうか!間違いなく、それはおかしいですが、国全体に話していることに気が付きました。しかし既にご存知のように、兄弟、姉妹、私に真実を離させてください。
71. 聖書の第1ヨハネ2章15で言っています。「 世と世にあるものとを、愛してはいけない。もし、世を愛する者があれば、神の愛は彼のうちにない。」
72. 彼等は、「オー彼等はとても宗教的です。彼等はクリスチャンソングを歌っていました」と言います。そうであるべきではないのです、教会もそのような事を許可さえする必要はありません。これの人達の数人はここから出て、今晩彼等はロードハウスの中にいるのです、踊ったり、音楽をしたり全ての事をしています。そして翌晩に彼等は教会の祭壇に来て鳴くのです。そしてその次の晩には教会の演壇で音楽を演奏します。オー何てこと!どれ程きたなくなっていくのでしょうか?そうです。彼自身が神の人だと証明させてください。これらの事全てでなく、何故なら彼は古いギターを弾いたり何かをすることが出来るから。
あなたの欲求によって、心の御座に誰がいるかを言う事が出来るのです。あなたが愛している物、それが何だかを告げるのです。。。あなたは、、「えっと、物事は大丈夫だと思います、ブラナム兄弟」と言います。えっと、ちょうどいま覚えておいてください、あなたの心の中に、何があるかを知っているはずです。そうです。あなたの魂を養っている物、何に対して渇きがあるか、そしてそれによって満足する事が出来rことが分かるのです、もしそれがこの御言葉でないなら、何かが間違っているのです。聖霊が御言葉の中にのみ生きているからです、分かりますね。
73. リバイバルの為と呼び出します。あなたの教会でリバイバルがあるのを待っています。さて、あなたの為のリバイバルはないのです。リバイバルはあなたの中で始まるべきもの穴のです、神への渇きを知る時に始まります。教会の他のメンバーはリバイバルを求めていないかもしません。もしそこでブレイクアウトするならば、別の場所でブレイクアウトする事になります。
しかし、あなたはその渇きを無視したのです、牛から乳を得る事を見死したのです、牛が、、、父でいっぱいになっていた時にです。そしてもし、牛をそのままにさてていたとしたら、牛は乾いてしまいます。まさにその通りです。もし水を飲むことを無視して、「もう水は飲まない」と言うとします。あなたは死にます。食べ物を食べる事を怠ったら、あなたは死ぬのです。だからもし聖霊に、神の御言葉を与える事を怠ると、あなたは死ぬのです。
74. あなたは個人です。あなたは一つのユニットです。教会として天国に行く事はありません、宗派教団としても。一人の人年て天国に行くのです、それはあなたと神との関係なのです。それだけなのです。どの教会にあなたが属していようが、関係ないのです。そしてもしあなたが聖書を読むことを怠り、そして聖書を信じる事を怠り、聖霊があなたを養う事を怠るとあなたは死にます。イエス様はヨハネによる福音書4:3その聖句をここで私は得ました。イエス様は言われました。人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る全ての言葉によって、その一部だけでないのです。我々はここそこで少しだけ取っています。私はそれを「バイブルヒッチハイカー」と呼びます。彼等は「さて、これは信じますが、今、ここをちょっと見ています」分かりますね。全ての言葉をそのまま受け入れる必要があるのです。
イエス様は「人は神の口から出る一つ一つの言葉によって生きるのである」ご存知でしたか?
そしてご存知ですね、我々は生きているその日を作った、我々がこの時代を作った、宗教の倒錯。
75. どういう事でしょう、誠実さはどこに行ったのですか?我々が以前歌っていた昔からの讃美歌で神の御霊の中で喜び、頬に涙がこぼれるような物はどこに行ってしまったのですか?そして今、いkをとめようとして、息が十分なくなるまで、顔が真っ青になるまで、我々はそのような種類の歌手を見せようとしていたのです。それはハリウッドをコピーしてこれらの我々が見た全てのプログラムはこの知的讃美歌を歌いその声が訓練されている物でした。良い歌を聞くのは好きです。良い古い心に触れるペンテコステの歌を聞くのが好きです。しかし今日の彼等が歌と呼ぶところの甲高い声を聞くのは絶対に嫌いです。嫌なのです。それは最悪な事だと思います。それは倒錯なのです。その通りです。
76. そしてそれは国々でも人々と教会全ての事で同じことがあります。オー神様、そのような事はいつ終わるのでしょうか?主イエスキリストの再臨でそれは終わるのです。
77. 霊感された事と神学的な立ち位置に関して沢山の違いがあります。全てのイエス様の時代の神学者たち、彼等は御言葉を言葉から言葉、ページからページ、すべてが並べられたありました。メシアはこの方法で来萎えればならない。それはその通りになったのでした。そして彼等は皆それを見逃したのです。イエス様が彼が来るときに何と言ったかご存知ですか?こう言われたのです。「あなた方はあなた方の父、悪魔者もである。そして彼の技をするであろう」それは彼等には本当に何と言ったかは顕かにされていませんでした。彼等は小さな角を見失っていたのです、今日と同じです。
「もしこれに属していれば、、、
そして「これに属していればあなたは大丈夫」それは信じないでください、キリストに属している必要があります。そしてもしあなたの中にキリストへの飢えがあるならば、
78. さて、覚えておいてください、もし永遠の命を得たならば、あなたの命は初めから神の中に在ったのです。神は御言葉です。そしてその時、御言葉が肉を取って、キリストイエスに来られたのです、神が彼自身の体の中に住んで降りてこられたのです。(彼自身を神の御子とされた)神が来てその中で住まわれたとき、、、あなたは彼の中に居たのです、彼が十字架にかけられたとき、あなたも彼と共に十字架に付けられて、彼と共にカルバリーで死んだのです。彼と共に山に埋葬され、彼と共にイースターの朝蘇ったのです。そして今、彼と共に天的な場所に座っているのです、彼と共に交わりをしているのです。神様、ご自身が我々の一人となられたのです。誰も父を見た者はいないのです。唯一一人の御子だけなのです。父は彼だと宣言したのです。それは神が人となり、そして彼が人としてあなたと交われるようになったのです。そして今、あなたは肉を持ち、そして彼も肉を持っているのです。
神は肉体になられて、我々の中におられたのです、人として神の子イエスキリスト。そして彼は神だったのです。神は神以外の何者でもありませんでした。彼は神でした。神が御子イエスキリストの中で顕れておられ、彼がインマヌエルを創られその預言者が言った様に彼はそうだったのです。
79. あなたは、世的な物の中で指令は生きられないのですー鳩のように、そしてカラス。カラスは大きな偽善者です。カラスは、、ここに出てくることが出来て、一日中麦を食べられそして古い死んだ肉の上に跳んで行ってそれも食べるのです。彼は畑に座る事も出来そして鳩と共に麦を食べる事も出来、そしてそこに行って死んだ古い肉を食べる事も出来るのです。しかし鳩は一日中麦を食べることは出来ますが、死んだ古い肉は食べられませんそれが鳩の性質だからです。そして鳩は胆汁がないのです。死んだ肉を一口食べたら鳩は死んでしまいます。胆汁がないのです。そしてそれがその生き方なのですー苦み(苦い根)がないのです。
そして本物の純粋なクリスチャンはそうであるのです。彼等は世の物は欲しくないのです。彼等は神の御言葉だけを食べて、それだけが欲しいのですーそれはきれいで、考える人のフィルター、分かりますね。彼等はそれを取ってきていますそしてそれだけなのです。世の死んだ物は、彼等にとって臭いのです。洪水前の古いカラスを見てみましょう、身体から体に飛び回り古い死んだ獲物を食べていました。彼は箱舟に戻ってきませんでした。しかし鳩は休める場所を見つける事が出来ませんでした。だから箱舟に戻って、そこで粒を得たのでした。そして去れが我々のやり方です。我々は神の御言葉によって生きているのです。
80. 気が付いて下さい、ダビデはこの状態にいたのです、彼は下を見ていたのです。彼は彼の愛する街を見ていて、彼が小さかった時の事、羊をこの決まった池に連れて行っていた子をを思い出していました。それは素晴らしい水の町で、またパンの国でもありました。本当に、ベツレヘムの意味は、神のパンの家なのです。そしてその時、ダビデがそこに行きながら覚えて居た時、その素晴らしく冷たい水を飲んでここで横になり、今逃亡していて彼の人々から離れていたのです。行く場所がありませんでした。そして彼の魂は良き冷たい水を求めて泣いていたに違いありません。
81. しかしその魂の渇き、彼の肉体、、彼はそこに上がっていました、多分何かを飲まなければならなかったのです、それは何とか、、古い山羊の革か何か、熱い水が暑い日に在っただけでした。彼は思ったのです、「ただそこに横になり、私にあるこの渇きを潤したい。もしそこに降りていけるならば、ベツレヘムに、その泉に降りて行って横になり、そこで飲むことが出来る」
82. イエス様はヨハネ6:33で、「私は命のパンである、私は命のパンである」と言われています。ベツレヘム、神の家、我々の教会、神の初代教会、その教会は地上のここにー我々はその教会に行くのがこの地上にあるのですが大好きです。しかしエルサレムはそれ以上で上に在り、神の物なのです、天にあるエルサレム、それは神ご自身です。神ご自身と共に居るという大きな魂の渇きは、教会にどこかで加わることによって満足させるよりも大きなものです。分かりますね、教会に加わってもその渇きは満足しません。ダビデがここで証明s手います。その水は神の家その物からくるのです。彼は神からのより良い冷たい飲み物を得るために、ひいきを得る寳保を見つけたのです、彼はそれを地に注ぎました。そのうえでさえ、あなたがの中に在る渇きは魂の渇き、神への渇きはより大きいのです。
84. もし、木が「さて、私が成長するためには土が必要だと知っている。それは良いでしょう。私は土の中で成長する事になっているでも、異なる気になる。街のど真ん中に私を置いてほしい、気が付いてもらうことが出来るから」、彼は長くは生きられないでしょうね。その通りです。深い物は深い物を呼び、ただ教会に加わる以上の事が必要なのです。説教師と握手する以上の事がです。良い正しい人生を送る以上の事。何かあなたを満足させる何かが必要なのです。神が魂に直接注ぎだすものです。「 あなたの大滝の響きによって淵々呼びこたえ、」オー神様、深いものが深い物を呼び答えられますように。
85. 何年か前、ここの山の中に金があった時、ずいぶん前にある物語を読みました。それはいつも私の中に残っています。それはここのどこかに金鉱堀者がに居たと言っていました。そして金を探していたのです。彼は金持ちになると。。そして彼は帰りながら考えていました、町に着いたら彼はどうなるのか、問題がいっぱいになりました。彼は言おうとしたのです、「明日それを、、そして、、私は」一日旅をして街に入って彼は金を持っていたのです。彼は袋いっぱいに持っていたのでした。
86. でもその犬は又鳴き始めたのです。
88. 「谷川の流れを慕う鹿のように、我が魂あなたを慕う、私の魂は生きる神に乾いています」あなた方の中にあるなにかは神の動きを見たいのです。あなた方の魂はそれに乾いているのです。そこまで届かないままで止めないでください。牧師に握手をすればいいとか教会に加わるあるい箱の組織に属さなければならないと言わせないでください。聖い動きを殺さないでください。それはあなたに警告しています。その日はかならず来ます、道の最後まで来るときです。
91. 彼は煙草を消して、入ってきて言いました、「これこれこれこれ、医者を呼んで注射を打ってもらおう」
彼女は、「注射なんていらない」「あなたは人々をあざみている、私は市にかけていて地獄に行く、そして私は救われていない、あなたが真理を告げる事をしなかったから。グッドヒューの娘の所に行って連れて来て彼女をここに、すぐに、彼女は正しい」
現実に面するまで待つのです。その聖なるチェックをとめようとしてはいけません。それを何か現在教育や二連式の銃弾などで撃ち放してはいけないのです。今晩聖霊の警告を聞いて下さいそれはあなたに警告しています。「私は道であり、真理であり、命である、誰も私によらないでは父の御許に行けない」そして彼はその言葉なのです。
頭を下げてしばらく祈りましょう。
92. ある場所に来て、あなた自身のすべてのシステムは宗派主義と小さなカルトやクランによってそして小さな教会の命令(社会の様な)ロッジに加わるなどなど、教会から教会へ、、、すべてが毒されてしまっていますね。悪魔は公害の水をかけてその中でイノシシのようにそこから出ようと、何が真実で、神の渇きを潤すのかをさえ知らない時、あなたの中に住む聖霊によって顕されているのが見えますか?
もしあなたが、もしあなたがその様に今晩、まだ、神に渇いているならば、
聴いて下さい。
血による泉があります
イマヌエルの欠陥によって
罪びとがその洪水の元に居て
全ての罪のシミを消すのです。
死にかけていた盗人がそれをよろこんでみたのです。
彼の時代のその泉
彼がどれ程悪いように見えても、
全ての私の罪は洗い清められ
信仰によって以来、その泉を見ています。
傷をいやすものとなり
愛によって贖う事が私のテーマになりました
そしてそれは私が死ぬまで続くのです。
93. 「オー」あなたは「ブラナム兄弟、私は叫び、霊の内で踊りました」と言います。
それをただ受けないでください。いいえ、聖霊が充満にされてそれによって満足が来るまで待つのです。そしてこれらの喜びが叫びの鈴になり、又異言を語り、御霊の内に踊る事がやってきます。音楽によってする必要はありません。車で運転している時にさえなるのです。床を掃いている時にも、壁にくぎを打っている大工仕事の時にでも。どこに居ても言葉にならない喜びと栄光が、、、さて、祈りましょう。
94. オー神様、これらの手を見て下さい。その下にあるものを見て下さい主よ。その心が飢え渇いています。
95. ただ考えてみて下さい、父よ、どれ程酷い倒錯なのでしょう、本当の真実の言葉を、彼等が「我々は聖書を信じているが、これは違う、これは信じない。これは他の徐台の為だと信じている。我々はこれはあれだと信じている」
ある宗派は彼等の心をその汚水溜めの中に曲げてしまったのです、イエス様が「これから一つの言葉を取り出すあるいは加える者があれば、命の書からあなたは取り去られる」と言っています。
親愛なる神様、裁きの時における、失望感を考えると、人々は良く聖く、聖い人生を送ったのです、教会に行き、彼等が出来る限り忠実にーでも失われているのです。
96. イスラエルがそこに行き、(そしてこれがペンテコステ派への警告となりますように主よ、この土地全土で)
預言者モーゼが、エジプトに来て髪の御言葉を成就し、夕暮れを彼等に齎しました。彼等は偉大な神の奇跡を見たのです、彼等はモーゼに従って、紅海を渡り洗礼を受け、荒野を取って、天使の食べ物を天からくるものを食べて、その後全ての御言葉を拒否したのです。カデシュ・バルネアからカデシュ・バルネアへと戻って来た時、約束の地からですが、こう言いました、「彼等は巨人のようだ。これは出来ない」神様が、「既にあなた方にその地を与えた」と言った時にです。
国境ーイエス様は言われました「彼等の全てが死ぬ」彼等は神なしで死んでいます、彼等がこれら全ての事をしたにもかかわらずデス。彼等はこれらの奇跡を見て楽しみ、ミリアムと共に沿岸を踊りながら上り下りしました、タンバリンを叩いて。。。そして2百万人の内3人だけが行けたのでした。
97. 父よ、それを考える時、心配になります。この世今日、5億のクリスチャンが居ます、もし今晩あなたが来られたら500人。オー神様私達に神の言葉全てをおぼえてその記憶にたてますように。我々はそれを信じなければなりません、従わなければならないのです。そしてあなたが、「悔い改めよ、そしてあなた方全ての物が、イエスキリストの名によって洗礼を受ける事によって罪が許され、聖霊の賜物を受ける。その約束はあなたにも、あなたの子供達にも、そして貼られている者も、主を我が神と呼ぶもの全てに。。。
そして神様、あなたは今晩もまだ呼んでおられます。そしてその約束はあなたが呼び続けて下さる限り。そしていわゆる聖職者たちがそれらの人たちの心を曲げてしまったのです、教育、宗派の神学校、そして「ただ信じれば」という事に導いたことによって。悪魔さえも信じています。しかし彼は聖霊を受けることは出来ないのです。イスカリオテのユダは、そして残りの弟子達全員が、福音を宣べ伝えました。しかし聖霊を受けるときなった時、彼は彼自身の本当の色を見せたのでした。
神様、その地の人々が今晩、敬虔がないならば、彼等は失われていることを認識しますように。今晩、彼等の魂があなたで満足させらますように。主よ、我々は彼等にあなたの御手の内に入る事を勧めています。彼等はあなたの者です、主よ。我々は御言葉に対してのみ責任があります。彼等が心から信じ、聖霊に満たされるように祈ります。イエスの聖名によって、アーメン
愛してる、愛してる、
彼が初めに愛してくれたから
私の救いをカルバリーの木の上
買ってくださった。
98. 愛してる 愛してる
初めに彼が愛してくれたから、
そしてカルバリーの木の上で
私の救いを買ってくれた。
さて、お互いに握手をしました。目を閉じて御霊の内に歌います、手を彼に向ってあげて下さい。
愛してる、愛してる
初めに彼が愛してくれたから
そしてカルバリーの木の上で
私の救いを買ってくれた。
オーイエス様は素晴らしいですね?
素晴らしい 素晴らしい、イエス様
霊妙なる議士、平和の君、
全能の神なる主:
私をすくい、 守り、
全ての罪と恥から
素晴らしい私の贖い主 彼の名を誉めよ
素晴らしい 素晴らしい イエス様
霊妙なる議士 平和の君
全能の神なる主:
私をすくい 守り
全ての罪と恥から
素晴らしい私の贖い主
彼の名を誉めよ!
99. 彼で満足ですね?
嘗ては失われていたが今は見つけられた
全ての糾弾から自由になり
イエスは自由を与える
そして完全なすくい
私をすくい、守り
全ての罪と恥から
素晴らしい私の贖い主 彼の名を誉めよ!
オー素晴らしい 素晴らしい イエス様
霊妙なる議士 平和の君
全能の神なる主
私をすくい 守り
全ての罪と恥から
素晴らしい私の贖い主 彼の名を誉めよ!
100. ご存知のように私はいつも音楽を演奏したかったのです。私の娘のリベカはピアノを取りました。
息子はトランペットを取りました。しかし私は10弦の楽器を学びました。
オー素晴らしい 素晴らしい イエス様
霊妙なる議士 平和の君
全能の神なる主
私をすくい 守り
全ての罪と恥から
素晴らしい私の贖い主 彼の名を誉めよ!
彼を愛していますか?
我々は光の中を美しい光の中を歩む、
憐れみのしずくが来る場所は輝く:
昼から夜まで我々の周りで輝く
イエス様 世の光
我々はその光の中を歩む
何て美しい光
憐れみの眩しい光からくる
昼から夜まで我々の周りで輝く
イエス様 世の光。
101. 聖者が行進していくとき
聖者が行進していくとき
主よ私もその列に居たい
聖者が行進していくとき
オー全ての主に彼等が冠を被す時
全ての主に冠を被す時
主よ私もその列に居たい
全ての主に冠を被す時
太陽が輝きを辞める時
太陽が輝きを辞める時
主よ私もその列に居たい
太陽が輝きを辞める時
それが好きですか?さてあなたの足が改修したのかどうかと思っています。そこではもう世の為にはダンスをしないのです。分かります。主の為に足を鳴らしましょう、主に向かって。あなたの手は改宗されましたかーもう何も盗みませんね?
あなたの唇は改宗されましたーもう嘘をつきませんね?あなたの頭に宗教を入れ込まないでください、すべてをそれだけです!体全外が必要なのです!その通りです。さて、足踏みをしましょう。
聖者が行進していくとき
聖者が行進していくとき
主よ私もその列に居たい
聖者が行進していくとき
聖者が行進していくとき
聖者が行進していくとき
主よ私もその列に居たい
聖者が行進していくとき
今手を挙げましょう
聖者が行進していくとき
聖者が行進していくとき
オー主よ私もその列に居たい
全ての主に冠をかぶせる時
全ての主に冠をかぶせる時
オー主よ私もその列に居たい
全ての主に冠をかぶせる時
102. そしたら光の中を歩くのです。
(主は光、分かりますね)
それは美しい光
憐れみのしずくから来る
眩しい輝き
昼から夜まで我々の周りで輝く
イエス様 世の光。
イエスさまが世の光だと信じますか?信じますか? パウロは、「歌う時、御霊の内で歌い。礼拝するとき、御霊の内で礼拝する」分かりますね。何でもあなたがするならば、すべてその御霊の内でするのです、それが正しいのです。そしてその御霊が命の言葉をム垂らすのです。そうではないですか?その通りですよね。
全てあなた方光の聖者は宣言する
イエスが世の光だと
恵みと憐れみは彼の名の中に
イエス様、 世の光
そして我々は何をするのか?
我々は光の中を美しい光の中を歩む
憐れみのしずくから来る輝きの中で
昼から夜まで我々の周りで輝く
イエス様、世の光。
104. 我々は光の中に居続ける。
その美しい光の中に
憐れみのしずくがある場所で輝く
昼から夜まで我々の周りで輝く
イエス様 世の光。