1. 私達は、今、この世の歴史の終わりにある事を信じています、まもなく永遠に入る事によって時が消えていくと信じています、そしてその時の為に準備していたいのです。だから今朝この場所に、その時の為の準備の為に集まっているのです。沢山の電話が今朝国中に繋がっていて、沿岸から沿岸に渡っているのです。私達の声が来るために、小さなグループを祝福されていました。彼等の中で病気の人を癒します。そしてあなたが彼等の魂を全ての悪い者から清めて下さるように祈ります。そして今朝タバナクルで大きな特権を楽しんでいること又、ここにいる私達を助けて下さい。
2. これらの事を認めて下さい主よ、そして礼拝を閉めるときに異なる家々に国全体で帰ることになりますが、エマウスから来ている人達の様に。「その道で主は我々に語られたとき心が燃えなかっただろうか?」と言えますように。
さて、父よ、私の言う事は間違いなく十分ではないという事は分っています。国全体の素晴らしいクリスチャンを通して、彼等が聞いて居ます、それは十分ではないのです。同じカテゴリーにいるから、我々は何かをより良くできるというようなことではありません。我々は人間であり、死すべきものですが、偉大なる聖霊に語っていただくならば、彼はその御言葉をしっかりと鳥、彼自身をあらわしてくださいます。我々はイエスの名によって待っています。アーメン。ご着席ください。
6. この大きなハンカチと生地の山は、リクエストによってこの場所に置かれているのです。-あなたが全てをご存知です。父よ。-私は祈りますので、彼等全てを癒してください。イエスキリストの御名によってアーメン。
9. ただ 誰かが言ったからと言わないでください。
12. 神は、むかしは、預言者たちにより、いろいろな時に、いろいろな方法で、先祖たちに語られたが、この終りの時には、御子によって、わたしたちに語られたのである。神は御子を万物の相続者と定め、また、御子によって、もろもろの世界を造られた。3 御子は神の栄光の輝きであり、神の本質の真の姿であって、その力ある言葉をもって万物を保っておられる。そして罪のきよめのわざをなし終えてから、いと高き所にいます大能者の右に、座につかれたのである。
何と美しいのでしょう読んでください、さて、ヨハネ1章1節。
初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
14. そして、この我々が生きている緊張している時代を理解するために、、
15. 人々は今、そして今日の人々は、極度に恐れを持っている状況にいるのです、世界中がです。
16. 私はもし知っているかどうかは知りませんが、終盤立って、聖霊がここでの集会の中で話されたのです、ここに座っている小さな女の子が、ここにいます。。それが呼び出されたときにその子供が何が間違っていたかが分かったのです。彼女は2度目再び何が問題だったのかが分かったのです。「そうであるに違いない、その子供は若すぎる」と分かったのです。しかしそれは、20歳位で更年期障害だったのです、23歳かそのくらいでしたね。
17. さて、20歳に今では下がってきています。人間は今腐ってきているのです。さて、もし我々の体が、ハイブリッドの食事を食べている事で体がおかしくなって腐ってきているから脳細胞おも腐らせているのでしょうか?さて我々は女性が街を裸で歩いている状態であることを見る事があります。我々は時速120マイルで彼等が走っていることなどが分かります。その国全体で全てが怒っているのですこの国だけではなくてどこでもかしこでも精神的におかしくなっています。
19. 人の中には霊と呼ばれるものがあります。そして彼は五感があります。 考えて下さい。考えあるいは思い、そして愛、意識、などなど、分かりますね。
さて、体では考えられない事があります、頭で考えるのです。そして、多くのクリスチャンを辞めているのです。そしてそうできるのです。トウモロコシ畑とその畑の雑草、彼等は同じ聖霊によって油注がれているのです、本当の信仰者と同じものです。しかし内側は次の領域, 第3の領域は魂、そして神によるあらかじめ定められた喪に立ちなのです。それは本当に種でありそこに在るのです。
そして覚えておいてください、もし私がおおなみを取って開けるならば、その麦の中心があり、そこに埋まっていて、その麦がおおなみの外側にあるので、外側が何であれ、それが感情となるのです。
20. さて、我々はそのレッスンを通してあなたのずっと戻って肉的に話すとなると曽祖父にまで戻る事が分かります。そして、あなたは肉的な存在です。時々子供が赤い髪の毛で生まれてきます。それは父親をびっくりさせます、彼の家族でだれも赤い髪の人を又母親もそうではないからです。しかしもし、あなたが数世代戻るとして、誰かが赤い髪であった場合があります。その子孫が引き続きやってきてそして後ろ側にあなた方が自然な人なのです。へブル7章が言っている様に、メルセデック、、アブラハムは彼に10分の一税を払っていました、彼は王を殺したところに戻って来た時、そしてレビ人は十分の一税を受け取り、払っていました、彼はメルセデックの繋がりであり、アブラハムの繋がりであるというよりも、メルセデックにアブラハムが会った時の事でした。
21. この御霊のうち五油注ぎされることがここで可能なのですそして何でも望む事を、然し御言葉に結びついたならば、そこから動く事は無いのです。しっかりと御言葉に安定して真実で居られるのです。それ以外では、どんなことをしてもまだ失われているのです。
22. 初めに言葉があった、言葉は神と共にあった、言葉は神であった。
言葉が肉を取って来られて我々の中に住まわれた。
23. さて、このキリストが彼自身の御言葉の中で明らかにされているという議題について話すつもりです。至福がキリストの絵の中に立っておられるその場所に。それがこの議題の思いのある場所です。
さて、キリストとその御言葉は同じなのです。
24. 私は言いました「すみません、あなたがどのように言われるかは知りませんが、それがユダヤ人のおとぎ話とは信じません」と言いました。彼は言いました「さて、あなたは祈る、誰に対して祈るのだ?私は何某と何某の為にそして特定の事を尋ねたがそれを得なかった」と
25. 若いカトリックの少年をある時知っていました、祈りの本を持っていて、お母さんが生きるように祈っていました。彼女は死んだのですそして彼はその祈りの本を火の中に投げました。さて、私は祈りの本にを使いませんが、とにかく、間違った態度をしているのです。神様にこれをせよと言おうとしているのです。祈りは「主よ私をあなたの御言葉に会う様に変えて下さい」であるべきなのです。御言葉を変えてるのではなく「私を私の思いを変えて下さい。分かりますね?あなたの御心に会う様に私の思いを変えて下さい、そしてその書にあなたの御心は書かれているのです。そして主よ、私があなたの思いになるまで行かせないでください。そしてその時私の思いがあなたの思いの様になった時、あなたの書かれた全ての言葉を信じるようになります。そしてそこで言われました、「あなたを愛するものにとって全ての物が益となる事を知っている、主よあなたを愛しています。それは全て良くなるのです。
26. 私は言った、「もしそれが私の主を喜ばせているのであればそれをになる、彼がなりたいものに何でも成る。彼を愛している。そしてもし地獄に落とさなければならないならば、それでも神を愛している、もし今と同じ霊の内にい叶えれば成らないならば」彼は変な感じで私を見た。私は4人か5人若い人達とその若い素敵な女性達が居たと思います。彼等がどれ程妻たちを愛しているかを知っていました、そして彼等に言いました、「ここにそれをテストする方法があります、もし君の妻があなたと結婚する前に、さて、あなたは戻ってこの結婚生活について言うのです、あなたは結婚していることを夢見ていた。本当は結婚はしていなかったが、そうしていることを夢見ていた。そしてあなたは起きてそしてそこに行ってあなたのガールフレンドに話して言ったのです、そして言ったのです、「実は、僕らが結婚して子供が居て、幸せに暮らしていて、主の再来帰還を待っていたりしていた!」その後、この彼女は言ったのです、「実は、あなたのよりも他の人を愛しているの、他の人との報がもっと幸せになれる」あなたは彼女を十分に愛しているから、心からこう言えますか?「神の祝福があなたにありますように、この他の人と一緒に行きなさい」さて、お互いの彼氏あるいは彼女の事を死ラテて下さいね?さて、もしあなたの愛が正しければ、そうなるでしょう、彼女の幸せに興味があるでしょう。彼女と共に暮らし、彼女が妻に成れるという事でしょう、彼女はそうなります。彼女はあなたと結婚するでしょうしかし、彼女は幸せではないでしょう、彼女はもっと幸せになりえたのです。そして、もし彼女を愛しているならば、彼女に幸せでいたいはずです。しかしながら、神の御心であるならあ、私が幸せであろうがなかろうが、神の御心がなされるようにするのです。私がする事によって神は喜子バレるように行きたいのです。それ故あなたの動機とあなたの目的をチェックするのです、あなたが髪を愛しているかいないかを知っているのです。
もし彼が「あなたは私に仕えていたが、私が落とし込みましたか?
私はどんなことがあっても神よあなたを愛しています」
29. 何故、結婚と離婚で、あなたはこれやあれあれを言った。「私は何度牡行ってきました、これらのテープは私の会衆、兄弟に語っているのです。あなた方シェパードに対して神が与えていることに対して責任はありません、これらの人々を養う霊的な食物の関して責任があるのです。このタバナクルだけの為です。さて、もし人々がそのテープを聞きたいならばそれは彼等の望み通りにしてください。しかし、私は神が私に与えたことを語っているだけなのです。それは彼等の罪でそれは取られていたのです。ある人は書いてきて言いました、「さて、私はこれをしたり、あれをしたりして、あなたは我々の罪を、、、こういった。」私はそれを言ってはいません。
私は言いました。「これを見るために、これはこの人々小鬼居る人たちの為です、ここタバナクルにいる人々、私自身の与えられた群デス」さて、もし人々がハイブリッドの食べ物やその他を欲しがるならば、神からあなたに与えた啓示を得ているのです。私も同じことをするでしょうしかし、これらのメッセージはこの教会の為なのです。
30. あなたがたとえ「それはストライクではなかった、私は、、、」と言っても、それがどうであれ、彼が「ストライク」と言えば、それで決まりなのです。ただ彼が究極なのです。
そして信号はある究極なのっです。もしそれが「進め」と言えば、あなたが「私は急いでいる、渡井は、、、」ダメと言っても、「あなたはそこに立ち続けて他の人達が行くのです。それは究極の決め事なのです。
31. さて、車を買う時がある時、ある究極を決めなければなりません。フォードにするか、シボレーにするかプリムスか会社にするか?何であっても、究極がなければならなないのです。そしてそれはクリスチャン生活にもあるのです。それは究極があるのです。
32. 「なぜ、滴礼にすると言います」さて、もし教会が彼の究極ならば、そうなるのです。全ての物は終わるのです。教会がそういったら、それだけなのです。
33. 「さて、彼は言いました、さて見てみよう、なぜ、その書は書いています、我々は「父、子、聖霊」を使うということで。もし教会が究極ならばその通りです。彼は他が何をいおうと気にしないのです、それが彼の究極だったのです。
34. 聖書は体制の本ではありません。いいえ。それは体制の本でもなければ、倫理のコードでもありません。聖書は体制の本でも、多くの体制の物でもありません。いいえ。それは倫理の本でもないのです。いいえ。違うのです。歴史書でもないのです、神学書でもないのです、それはイエスキリストの黙示なのです。さて、もしそれを読みならば、書類があるのです。その様に書かれているのですー黙示録1:1-3でした。聖書はイエスキリストの黙示なのです。
35. イエスキリストの黙示、神は彼に与えたのです、彼の僕たちを通して見せたのです、それが通るのです、そして彼は送りました、彼の僕であるヨハネへ御使いを通して。
神の御言葉の記録をみて、、イエスキリストの証と彼が見た全ての事。
この証しの言葉を聞き、読み、そこに書かれたことを守るものは幸いである、時が近づいているからである。
36. さて、彼は違うのです、その肉体が神の一部だったのです、そしてそれこそが御子だったのです。
37. さて、しかし彼はその御子その言葉の全ては、エレミヤ、モーゼの中に在ったのです。そしてその言葉は、彼が言った様に、「彼等は私について話していたのです」真実の神の黙示の全てとして御言葉が人間の体になったのです、そして神は肉体を取ったのです。それが理由で、彼は「御子」と呼んだのです、その理由は、彼は「父」とされているのです。単純な理由は、もし神にあなたの心に注がせるならば、となります。神は肉体になって顕されたのです。(気が付いて下さい!)肉体から顕されたあるいは御言葉が肉体となった。それはヨハネ1章14節。 そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。
40. 私は言いました、「いいえ! そうではないのです、聖書の中に7つの封印が書かれているからです、それには7つの奥義が隠されていたのです。それは既に書かれていたのですしかし、彼等はそれが何であるかを理解していませんでした。」彼等が引き続きイエスの名によって聖霊をされたことを見て下さいね?それではなかったのです。主イエスキリストの名前、、分かりますね! これらの事全てがどのようになっていたか、それには沢山のイエスが居たからです、数人の地上にいる友達や聖職者の中にもイエスという名前の人々が居ます。それはそれではないのです、それは我々の主イエスキリストです。著者ではなく神以外に正しい者はいません。
さて、この聖書がどのように書かれてきたかを見てみましょう。
41. ジョージワシントンが我々の大統領だった時、200年ほど前ですが、肺炎のために彼の足の爪を取って、彼の血を取ったことがありました。もし我々が、同じことを少し先に進んでみたとしたら、我々は今日もその化学に魅力を得るでしょう。
我々は40人の異なる科学者を1600年の間に渡ってみたらどんなものが生まれてくるでしょうか?アルフランス人の科学者たちが300年前に科学によって証明しましたが、ぼーーるが回ることによってもしどのようなスピードでも30マイルを1時間で進めるとしたら、地上に残っているものは落ちるのです。科学はそれを戻ってみる事が出来ると思マスか?今もそれが続いているでしょうか、彼等が今日道で運転しているのを見て時速150マイルで動いているのです分かりますね?しかし、彼は科学的にボールが回る圧力によって時速30マイルで何でも落ちるとと証明したのです。
その様なものが継続はしていません:
43. さて、ご存知のようにしばらく前に我々に彼等は聖書は御使いたちが地球の4隅に立っているのを見たと言いましたが、それはあり得ません、地球は丸いのです。しかし聖書は4すみと言っています。さて、2週間前か3週間前にこの記事に関する紙が包まれていました。彼等は世界は正方形だと言っていたのです。それを見た人達はいますか?分かりますね。私は皆そのコピーを得ましたが、誰かがその事について何かを言うのをただ待っています。
49. 覚えていますね、イエス様は言われました。「ソドムの日の様に、、、」
51. さて、我々はあまり長い時間を取りたくないのです。
53. さて、御言葉を絶対に間違って解釈してはいけないのです。「さて、私はこれの意味があると信じています」それはただ言っている通りの意味なのです。それには解釈者の必要はないのです。そして御言葉をお吉が得てはいけません。御言葉の位置を変えてはなりません。そしてこれらの事の一つでもするならば、聖書が混乱とカオスの中に入る事になります。
54. そしてもし、特定の事を言うとしたならば、あなたはそれに関して解釈をしているのですそして別の時にそれを適応しているか他の時にもそれを適応するのです、そのことによって又間違った解釈をする事になります。
57. 聖書の中の全ての聖句は同じ適応をする時、その場所に入る事が出来るのです。そしてそれが間違った場所に置かれると、一つの時代と次の時代に神を置くことによって彼を歴史にして間違った場所に置くことになります。聖句を間違った場所に置いてはいけません。彼は常に神なのです。今日彼を歴史の神にしてしまったならば、戻っても、同じにならなくなってしまいます、へブル13章8をどのようにすることになりますか?分かりますね。彼は昨日も今日もいつまでも変わる事が無い方なのです。
さて、これがあるとして、何がされたのでしょう。それが既に起こったのであれば、彼自身の御言葉でその御言葉を間違った場所に置くことによって否定してしまう事になります。
58. 同じではないのです、というのは、言い換えれば、イエス様の教えとモーゼのメッセージを持っているかもしれません。ウェズリーの教えをルターの時代に、、、今持っているかもしれない、我々の時代の教えは、ペンテコステ、五旬節(ペンテコステ)のメッセージなのです。もしそうでなければどれ程滅茶苦茶になってしまうか分かりますね?ペンテコステは既にその性格が見えていました。ルターは既に彼自身を見せていました、それが宗派に行ってしまったのです。そこでその本物が死んでしまったのです。その時代にはまってそれが続いたのです。
気が付いて下さい。それが組織化されるや否や、御霊が死ぬのです。さて、もしそれが正しくないならば、歴史をめくってみてください。全ての時、組織化が起こるとそこで御霊は死んでいます、それ以上の事は無いのです。この世の神の崇拝者たちになってしまうのです。それが組織化、組織、そして今日は、そしてイリュージョンとなるのです。沢山のリッキーたちがそこに行って、そして自分たち自身の物をそこに置こうとして、彼等自身の考えを入れ込むのです。そして何が起こりましたか?滅茶苦茶になったのです。この世界の神の頭になって、彼等はサタン自身の場所に行って偉大な彼等の世の指導者として彼等自身が平安を作っていると思い込んでいます。
62. さて、ペンテコステ派から出て、彼等はずっと前に古いシューター派があり、彼等は異言を語るという賜物を初めから得たようにしていました。彼等はそれが聖霊の証明だと言っていました。そして彼等は組織化しました。ある人は彼がこれをすると他の人もそれをする。そして彼等は問題が次々と起こりました。それはどうなったのですか?彼等の各々は葉っぱが出て包まれていなくて、国だけで手、それが房にくっついていたのです、彼等はワンネス、つーねす、すりーねすがあり、そして神の教会、そしてこの様な他の物が、どんどんどんどん、開かれなくなっていきました。しかし今、以前の法則により、完全な霊として、そこから何も教える事は出来ないのです。
64. さて、すべての時代を見て来て、直接、それを作り上げてきたとして我々はその終わりの時代にいるのです。殻は取り去られ、我々は15年ありました、まもなく20年になります、国から国へそのメッセージは一掃してきているのですー今朝この国を通してみてーそしてそこには組織はなないのです。それは組織化できません。それは起こりえないし今後もありません。この時代のメッセージと共にあって問題なのは、彼等の心を御子のご臨在の中に置くことによって実がなるのです。メッセージを拾い上げて御子にあなたの中に在る青い所を焼いてもらうことが出来るのです、そのことによって成熟したクリスチャンになれるのです。どういう意味か分かりますか?神は間もなく彼の教会を連れに来られるのです、そして私達はクリスチャンとして彼に受け入れられる種類を持つ必要があるのです。麦は熟れるのです。分かりますね。
65. ある時、私はこの町でとても有名な人と話していました、キリスト教という宗教で大きな位置を持って居る人でした、そして彼は言いました。「黙示録をある夜読もうとした」そして言いました。「ヨハネはきっとおおきな苦しみや悪夢があったに違いない」分かりますよね、ミステリーの本、しかし、
66. 彼は言いました。「私の言葉は霊であり命である」イエス様は又こうも言われています。「その御言葉は種蒔きによって蒔かれた種である」我々はそれが真実であると分かっています。神が御言葉の形であらまレそしてそれは神ご自身によってのみ解釈する事が可能である事。人は神の思いを解釈する力は持っていないのです。小さな人間の有限の頭で無限の思いを理解し解釈することなど出来るのでしょうか、我々が他の人の思いすら解釈する事が出来ないのに。
気が付いている様に、彼だけが解釈する事がおできになる方なのです、神ご自身だけがそうされる方なのです。それは「神は、むかしは、預言者たちにより、いろいろな時に、いろいろな方法で、先祖たちに語られたが、
この終りの時には、御子によって、わたしたちに語られたのである。神は御子を万物の相続者と定め、また、御子によって、もろもろの世界を造られた。」神はいろいろな時にいろいろな方法で神自身を彼の預言者に明らかにされていたのです。
67. さて、どこに居てもそれに浸ってください、神の御言葉の中に彼は隠れておられるのです、御言葉の中に、神学者や世の学校は彼を決して見つける事は出来ませんでした。そして又、彼はそこには座っておられません。「そうなんですかブラナム兄弟?パリサイ人やサドカイ人はどうなんですか?すべての時代についてはどうですか?彼がそうされました。間違いなく!彼は全ての時代でそうされてきました。さて、我々はそれを確認する事が出来ます。ノアの時代について考えてみましょうー賢く、知的な時代ーどのようにして神は彼自身を約束の言葉の中に隠れておられたか。モーゼの時代、彼はどの様にして隠れておられたか、エリヤの時代、どのように隠れておられたか、イエス様の時代、神はご自身をどのように隠されていたのか。「彼は世の中にいた、そして世は彼によって創られたが、世は彼を知らなかった。彼の地震の人々に来た、彼自身の者達は彼を受け入れなかった」分かりますね。
68. あなたが「えっと、これは神父何某博士の物だ」というとしても。私は、彼が誰であろうと気にしません。神が彼から隠れているのですそして神の子供達、あらかじめ定められた子孫(種)が学ぶように顕かにされるのです。
考えてみてください。全能の神が、彼自身の言葉に座っていて、賢い、教育されたこの時代の代表の様な人達からは隠されているのです、彼等にそれが分かる事は無いのです。彼等はそれは狂信的な者達だと思うのです。彼自身が、彼がペンテコステ派、バプテスト派、メソジスト派、長老派の裏に隠れているのです、彼自身が公式に明らかにされていて、すべての種類の事を見せる事にする、その書類の中にそしてそのようなものがあり又、彼等はそれさえも見ていません。オー我々の神、素晴らしい彼自身を彼を誰でも顕かにされているのです。
「オー」あなたは、「ジョーンズ兄弟あるいは誰それ兄弟、彼は素晴らしい人です。彼はそれが分かるでしょう。「オーいいえ、彼は彼が顕かにしたい人に明かされます。「私の妻はそれが分からないそして彼女はクリスチャンです」彼は彼自身を分る人に顕かにされます。さて、起こっている事を顕かにされています、そしてあなたはちゃんと悟れるのです。
69. ヤコブの彼自身の欺きに関しては?ヤコブがした小さな欺きや。。彼のヘブライ人の兄弟へイスラエルの全てが呼ばれていて、その国全体の欺きの父として書くことがあるでしょうか?ヤコブは愛国者でその愛国的な部族の出身でした。聖書は彼を欺きの物として暴露しています。そうですよね?人自身がそれを書いたと思いますか?いいえ!
72. 聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。
神の人は全ての良い業によって常に完全に立てるように準備されていました。
僧であれば、全ての聖句は、霊感によって書かれたのです。イエス様がこの地上におられたときに、言われたのです、天地は滅びても、私の言葉は滅びる事がないと。彼は全ての聖句は必ず成就されなければならないと言われました。だから、人の書いた本ではないのです。それは神ご自身が書かれた本なのです。
78. それは又、この言葉、心の秘密を識別するのです、へブル4章12節。 というのは、神の言は生きていて、力があり、もろ刃のつるぎよりも鋭くて、精神と霊魂と、関節と骨髄とを切り離すまでに刺しとおして、心の思いと志とを見分けることができる。
80. ではないのです-「主がこう仰せになる」分かりますね。
だから御国と教会時代がはっきりしているのです、その時代にそうしたら死刑になっていたからです。誰dも王の所に行って話すとしたらデス。「主がこう仰せになる、、これこれが起こる予定だ」そのようなことを言えば頭を着られていたのです。その教会はすぐにあなたがそうしたらばその様にして殺していました。しかしこれらの預言者達は大胆だったのです。どうしてでしょう?彼等は聖霊によって動かされていたのです。そしてそれが理由で彼等は大胆になれたのです。そして彼等は失敗することの無い神の御言葉を書いたのです。
82. 気が付いて下さい。彼等が聖霊によって動かされていたかどうかという事に。。
84. イエスの時代の前に一人立ち上げられた人が居ました、400人の人々を導いたのでした。そして聖句がこれらの事についてどのように読まれているか知っています、時が来る前にそのようなことをするとどうなるか。そして彼等の何人かは、彼のなりすましになろうとしました、そして彼等は皆これ、それそして他の事をしていたのです。そして彼は終わりの時に、彼等が偽キリストが立ち上がる、又偽預言者も、印と奇跡を行うと言われました。我々はそれらの全てがありますね。しかしそれは本物殻話す事にはなりませ。もっと輝くようにするだけです、何故なら我々は本物のキリストを持っているから、偽キリストではないからです。
85. それゆえ行きなさい。わたしは10 モー?は主に言った、「ああ主よ、わたしは以前にも、またあなたが、しもべに語られてから後も、言葉の人ではありません。わたしは口も重く、舌も重いのです」。
そしてエレミヤが言った、もしエレミヤ1章6節で読みたいならば、エレミヤは言いました。「その時わたしは言った、「ああ、主なる神よ、わたしはただ若者にすぎず、どのように語ってよいか知りません」。彼は一人の預言者と他の預言者を通して唇から耳に語っていたのです、彼は彼の唇を通して全て制御をする事はありませんでした。
86. だから分かりますね、聖書は神の言葉で人の言葉ではないのです。モーゼは言いました。「神が私に声を持って語られました、そして私は彼の声を聞き、彼に言われたことを書いていました。」
エレミヤは言いました。「全てを語ることは出来ない、そして初めにあなたの唇が語っていました、そして私は書いていました」神は彼の唇を通して語りましたそして、それは起こったのです。ダニエル、イザヤ、などなど、すべてこれらの預言者達も同じ事を語っていました。
90. かき裂き、ほえたけるししのように、わたしにむかって口を開く。わたしは水のように注ぎ出され、わたしの骨はことごとくはずれ、わたしの心臓は、ろうのように、胸のうちで溶けた。。神はこの地上に居た時、彼は同じダビデの言葉が言われました。分かりましたか?お分かりですね、それは人の言葉ではないのです、それは神の言葉です。それはダビデの中に神は折られました。それはダビデではなかったのです、彼が言った事がありました、彼は知りませんでした、彼は御霊の中に居ました。それがモーゼの取った方法でした。彼は御霊の中でもありました、その次元を離れて彼はその中に生きていました、そこに顔と顔を合わせて立っていた。焼けた藪の中で、神に神自身に話しています。行ったのです、「靴を脱ぎなさい。聖い地にあなた方を立たせなさい。
私はモーゼがそこを離れた時の事を創造しています、彼は思っていました、「何が起こっていたのであろうか?何が起きたのか?それは何だったんだろうか?
彼は言いました。「それは本当に私に向けられていた、行かなければならない」彼は妻と子供達を得ました、そして彼の子供は、彼の手の内にあり、エジプトから人々を解放する事をしました。
91. 分かりますね、彼等は間違い二のです。それは預言者達ではないのです、それは神なのです、何故なら預言者自身は、これらの事を言う事は出来ませんでした。「誰が我々の報告を信じましたか?」イザヤは言いました、あなたは、「誰が我々の報告を信じましたか?」誰が主の腕を顕かにされたのでしたか?彼は馬屋にいる子牛として育っていくことになります」そしてどのようにして、「 しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。」我々はこの時代にその方法で癒されたのでした、イザヤではキリストが生まれる800年前に語られていました。「打たれた傷によって、既に癒された」オーなんてすばらしい、神の御言葉はどれ程完璧なのでしょう。信頼しましょう。あなたを救われる唯一の方法なのです。
92. 「さて、神がこれを言われた」
「アーメン、我々は共に信じている」
「神がこれを言われた」
「我々はそれを間違いなく信じています」
「さて、しかし神は我々が死ぬと言われました」
「さて、今、ご存知のように、彼は世記紙です」彼はあなたが知っているとは言いませんでした。「しかし、、間違いなく」オー何という事。彼がおられます。そしてもし彼が欺きぶかい存在だったのです、そして聖書が終末に言いました、彼はもしそれが出来るならば選民さえも欺こうとするのです、我々は今日、友人。。。さて、これは小さな日曜学校のレッスンでかなり近い所に行っていたのでしたね、我々の心に対して、だから、、、我々は物凄く近く聞くことが出来たのですそして、その物事によって欺いたのでした。
93. もし私が教会に行ってそして私が正しいと信じているのです、私は正しいとしんじているものに死が見続けようとしています。さて、「袖もまだあなたは失われています」そこには人の目には正しいと思われるものがありますがその終わりは死に至るのです」分かりますね、あなたは救われないのです、失われるのです。人の内側で制御されている必要があるのです。
97. そして再び、我々が黙示録22章18と19節を読みましょう。 「この書の預言の言葉を聞くすべての人々に対して、わたしは警告する。もしこれに書き加える者があれば、神はその人に、この書に書かれている災害を加えられる。命の書から名前が取り去られる
また、もしこの預言の書の言葉をとり除く者があれば、神はその人の受くべき分を、この書に書かれているいのちの木と聖なる都から、とり除かれる。」それほど神は彼の言葉は失敗しないというのです。分かりますね、教会に加えたり、取り去ったりすることは出来ますが、その言葉に加えたり取り除いたりすることは出来ないのです、なぜならばそうなったら命の書からあなたの名を取り去ることになるからです。そしてあなたはそこで終わるのです。あなたはそれに加えたり取り除いたりすることは出来ません。それがその通りなのです。
98. そしてすべての聖句は神によってアが得られ、神によって正しい順序でおかれているのです、全ての事がイエスキリストの啓示なのです。そして新約聖書も旧約聖書も彼が来られることを先に告げている場所があるのです、彼がいつここに来られるか何をなさるかこの時代に来ること、、、だからそれが彼を昨日も今日もいつまでも変わることの無い方です。へブル書の様に、ペテロがそれを書いた時、彼は神であり、イエスキリストは旧約聖書の時代の機能、彼はイエスキリストで今日、肉体によって顕されたのです、そして彼はイエスキリストで御霊によって永久に来られるのです。だから昨日も今日もいつまでも変わる事がないのです。そいて彼は彼の御言葉が生きるようにさえなさり、それがその時代ですると言われました。彼は生きておられるのです。
99. さて、私は小さな何かをここで知らせたいのです、もしあなたがそこに立つことが出来るのです。しっかり見て下さい。イエス様が旧約聖書にその様にされると信じる様な形で顕れたのです。さて、あなたがた説教師はそこにいます、あなた方はそれと口論する事が出来ます、あなた方がしたい事何でもしかし私は私から話します、私が考えていることを、、
イエス様は旧約聖書で神顕体としてあらわされていました、人であるメルセデックとして、祭司ではなく、人としてです、その人は、、、この人は、まだ、生まれていませんでしたが、彼は神顕体だったのですそして、彼には父親も母親もいませんでした。彼は神ご自身だったのです。彼は父も母もなく、初めの日も終わりの日もなかったのです。それは神顕体として人の形で顕されたイエスさまだったのです。それが分かりますか?大丈夫ですね。
101. 分かりますね。我々は今遅くなってきています、急いで行かなければならなくなります。
102. 聖書全体が、イエスキリストの啓示なのです、彼自身を全ての時代に知らせる為なのです。彼はルターの時代に基礎として教会の礎足として、彼自身を知らせました、彼がネブカドネザル法にした様に。覚えていますか、彼がどのようにその夢を見たか。。それは頭の下から始まりましたね。今、彼は足から来て上がって行くのです。バビロン王国で、彼は全てのの旧約聖書の中で、頭からくるように梯子の足の所で肉となって神があらわれてこられるまで。さて、ここで新約聖書では、彼は彼自身を再び頭から顕されています。金納として冠を受けたのです。見て下さい、分かりましたか?神は初めから、引き続き預言者達を通してき続けていたのです、神ご自身が我々の様に人間になるまで、梯子の脚のところまで下ろされたのです。赤ちゃんが馬小屋に生まれ、憎まれ拒否され、馬鹿にされていたのです、そして悪い名前で呼ばれ全て彼は受けたのでした。そして彼は上がり始めました、そして足から彼は教会を建てたのです、花嫁が戻って来たのです、そして今、頭石に来ようとしていますその場所は全ての物が繋がって一緒になっているのです、イエスキリストの体大いなる変容なのです。
103. さて、神は彼自身を夕暮れの時間に明らかにされているのです。
今、見てみましょう。我々は分かります、沢山の聖句がここにかかれているのが分かります、そこに行く角聖句がかかれているかが分かります、しかし我々には12時まで15分しかありません。そこまで行きたいのですそして、今朝、話していましたが、ガラガラ声にはなりませんでした。時々、これらのここにあるエアコンが私の声をガラガラ声にさせるのです。だから、もしネビル兄弟がそうならなければ、今晩は何にも得ていないのですね?(ネビル兄弟は言います、「いいえ、もしそれが良いならば、私は何かを得ています。他紙は、煙草のパックを先日見つけました、森の中に置いてあったのですそして、その煙草のパック殻今日メッセージを目ました、主の御心であれば、さて、私はこれらの聖句を得たので、私は時間を越えたくありません、そうすればちゃんと皆さんが家に戻れます。
104. 私は、森を通して、降り始めていて、そこに煙草の箱がありました。そして私はそこに歩んでいったのです、私は考えた、「さて、誰かが私の前を進んでいます」
そして何かが語りました、「戻ってそれを拾い上げましょう」
私は考えた、「煙草を拾ってくださいね?私ではない」
何かが言いました、「戻ってその煙草を拾いなさい」そして私は曽於に降りて行き、その古い殻の箱をがありました、私は何かが分かりました。私は、今晩御心であrならばそのことを語ります。大丈夫です。
108. 彼が血上に居た時、彼は御子でその様だったのです。そして彼は殺されました。教会は彼の場所を殉教者という形で取り、暗黒時代を超えたのでしたそしてそこから基礎を建て始めたのです。そしてその景色はどこから来たのですか?頭の上から。ビジョンを見てみましょう。ネブカドネザル?さて、彼は異邦人の時代の初めから下がって行ったのです、彼等の為の贖いが血を流す前の事でした。彼等は彼の為の会衆者達でした。しかし気が付いて下さい、それは下に下がって行ったのです、まっすぐに、シンボルの中の一番下に、齎されたのです、それは下から戻って来たのです、教会は脚から戻ってきます。さて、それは頭の時代ー頭の時代。
さて、その光に気が付いて下さい。
110. さて、我々は今、マラキ書4章と比べてみようとしています。彼は夕暮れに光が又来ると約束されましたね。「 5.見よ、主の大いなる恐るべき日が来る前に、わたしは預言者エリヤをあなたがたにつかわす。6 彼は父の心をその子供たちに向けさせ、子供たちの心をその父に向けさせる。これはわたしが来て、のろいをもってこの国を撃つことのないようにするためである」。
さて、ヨハネ、あるいはルカ書の17章28-30節を見てみましょう、イエス様がそこで預言されています。「28 ロトの時にも同じようなことが起った。人々は食い、飲み、買い、売り、植え、建てなどしていたが、29 ロトがソドムから出て行った日に、天から火と硫黄とが降ってきて、彼らをことごとく滅ぼした。30 人の子が現れる日も、ちょうどそれと同様であろう。」さて覚えていますね、気が付いて下さい。これは人の子が明らかにされる時、人の子が顕かに、、さて、人の子は実際、そこで縛らsくの間だけ顕かにされたのです、封土ソドムが焼かれたとき。さて、それはエロヒム、それは神でしたそしてイエスは神です。そして神はそこで明らかにされる可能性がちょうどありました、アブラハムにしばらくの間だけ最後の審判の時に少しだけ話す為に。人の子が現れる。人の子、エロヒム、理解しましたか、教会?人の子、エロヒムは数分だけ明らかにされました庁と次の朝、彼女は焼かれました。いつでしょう?太陽が再び昇る前でした。そして組織は残ることは出来ませんでした、世が開ける直前に焼かれるので、それ以上に昇る事は出来ないのです。リバイバルが国中に拡がっています。もうリバイバルは大きなリバイバルはないのです、この国では、もうそれを受ける事はありません。もしかしたら知的な集まりはあるでしょうしかし、霊的なリバイバルはありません。全てをもう見たからです。分かってくれていると希望します。この様に言うのは皆さんに理解してほしいからです。それはもう終わっているのです。
しばらく前に有名な聖職者が私に言いました、「ブラナム兄弟、もし主の喜びが私の心にありさえすれば。」
私は言いました、「息子よ、そのリバイバルは終わった」分かりますね。
111. 我われはイエス様の中に錨を置いている。
人生の嵐が来ても強く耐える
私はイエス様の中に錨を置いている
風や闇を恐れる事は無い。
113. さて、もし人が、、、
114. 無情な者、融和しない者、そしる者、無節制な者、粗暴な者、善を好まない者、
裏切り者、乱暴者、高言をする者、神よりも快楽を愛する者、
信心深い様子をしながらその実(啓示の力)を捨てる者となるであろう。こうした人々を避けなさい。彼等はそれを信じてさえいないのです。彼等は預言者達の様な事を信じていませんそして、彼等はそれを信じません。彼等はマラキ書4章を特定の教会あるいは特定の組織となると信じています。彼が初めて来た時彼は人でした。彼が2度目に来た時2倍の力を持ってきました、彼は人でした。彼はバプテスマの(洗礼者)ヨハネの形で来られた時、彼は人でした、分かりますね、終わりの時に、夕暮れの光が輝き始める時、絵は開かれ、あなた方はどこに行くかを見るよです。そしてその体は既に形作られて、脚の上に立っているのです、動いていて、聖霊によって動いているのです。何ですか?聖書を書くように預言者達を動かした同じ聖霊が身体の中で動いていて、背入れによって満たされて聖霊は全ての組織や、民族や言語や人民を離れて動かれるのです。
116. 我々の前に神の言葉が表されて見えているのが分かりますか?オー生きる神の教会、あなた方の足に立ち、全身全霊をこめて彼を信じて下さい。小さなタイヤの真ん中にある小さなタイヤをしっかり握り、すべての動きや行動を安定化させましょう。考える全ての事があなた方の中に在る力によってコントロールされるのです、というのは神がこの時代の彼の御言葉お腹に夕暮れの光の中に座っておられて光を前に見せておられるのです。
118. そこでサウルが叫んだことはなんでしたか、「主よ、あなたは私の為に何をお持ちですか?」彼は教会の人々すべてを刑務所に入れる為に道を下っていたのですしかしその時彼は泣き叫んだのです、「私の為にあなたは何を持っておられるのですか?大きな火の柱が彼のウエイ来た時、私の為に何があるのですか?
私はそれはこれを閉めるのに良い言葉だと思います。そして言いました、「主よ、私の為に何がありますか?これほども完璧にこの聖句を見れるように顕かにされた今、主よ私の為に何をお持ちですか?
頭を下げて祈りましょう。
121. 先日、森の中に座って考えていました、バンクウッド兄弟と歩き回っていて、医者が、、、彼の心臓が悪くて、歩くのは大変だと言った時の事でした。そして、そのビジョンを見た後、その山々の中で歩いていてどれ程私が知っていることが少ないかを考え知恵ました。「私は獅子を得なければならない。獅子が殺されるのを見なければならない」そしてそこに降りて来て、そこは「ツーソンのファースカフェテリアでした、そして彼の洋服がぶかぶかで目が潤んでいたのを見て言いました。「神様、どこにライオンがいるかを見せて下さるならば、間違いなく、あなたはウッド兄弟についても見せて下さることが出来ます」
そしてその時、来たのが「彼に手を置きなさい」そして彼は今日、ここに座っています、後ろの方で、我々のバンク兄弟と共に、強く走り上ったり下りたりその山でしているのです。どれ程親愛なる神様に感謝しているでしょう。あなたはウッド兄弟の神であられ我々すべての為の同じ神であられます。我々はあなたが彼を愛しているのを知っています、何故なら彼はあなたの僕であり、正直で誠実です。
125. 彼女は言いました。「私も最後のたばこを吸いました」種を蒔いたのです。「主である私は水を、、私は昼も夜も水を撒く、、、私の手から取り去るものはいない」
129. 立ち上がって、頭を垂れましょう、ネビル兄弟、何か言いたい事がありますか?マン兄弟?分かりました。
皆さん、気分が良ければ、「アーメン」と言いましょう、(会衆たちが繰り返して「アーメン」という)さて、頭を垂れましょう。リーバイル兄弟に出来るならば着て下さるように尋ねます。ここに来られるようならば、バイル兄弟。。。。
バイル兄弟はここにいる我々の兄弟で、それらの本の著者です。そして彼は今その本を出す準備をしています、7つの教会時代と7つの封印と共に働きかけています。そしてすぐにできる限り速く、それらが出る事を期待しています。ありがとう。リーバイル兄弟。神の祝福がありますように。