預言によってはっきりさせられた出来事

Events Made Clear By Prophecy

預言によってはっきりさせられた出来事

ジェファーソンビル インディアナ州 アメリカ合衆国

説教番号: 65-0801E

日付: 1965年8月1日(65-0801)

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1. 神様、今晩私達は病人や必要を抱えている人達に奉仕をしに来ました、どうか助けて下さい。我々は祈ります、神様、今晩ここを去る時誰も病気の人がいない様になりますように。あなたの力により、ここと国全体でつながっている人達も全員が癒されどの建物や集まりから今夜弱い人がだれもいない様になる様に祈ります。あなたの御霊によって彼等が羽の中で癒されますように。義の太陽が彼の羽の中で癒し、信仰の光線が前に進み御言葉を聞くことによって全ての心が聖霊の表れを見る事によって、神が今も生きているという事を彼等に説得する事になりますように。我々はこれらの祝福を求めて祈ります、父よ、イエスの聖名によって。アーメン。(おかけください)

3. さて、ある通知をしたいのです。これhた特に特に西側にあるどこでもその教会達に対して、どこでも来たい方たちにです。我々の素晴らしい兄弟、ペリーグリーン兄弟が、ある人がこの電話をここにつなげる発起人なのです。主が彼の心にツーソンに我々を訪問するように働きかけられて、ツーソンでリバイバルを始めるにあたって、本当にそれが必要です。そしてペリー兄弟はツーソンに来ます。彼と連絡を取りたいなら、我々の事務所に連絡を取ってください。それは8月10日、11日、12日と13日になります。彼はその事を長い間彼の心に置かれていて、私は彼に思いを無くすにはそれをしてくるしかないと言いました。そして彼はクリスチャンの兄弟で、本物の神の僕です。そしてツーソンの皆さん、彼がそこのどこかで、多分ラマダインあるいはどこでも主が供給される場所で、彼はここでは得られませんでしたので、奉仕しまた説教をする事によって祝福されます。しかし私はグリーン兄弟の神の御言葉を我々に解き明かすのを聞くことによって祝福されます。多分病人の為に祈ったり、何で神がさせるために油注がれた仕事によって。。

6. そしてそれこそが「そこに獲物があると鷲が集まってくる」をあらわしているのです。そしてあなた方に今晩言うかもしれません、この小さなグループの中に、国際委的な集まりなのです。実質的にここに3分の2の州からの代表が居て5つの海外の人々が居ます、ロシアでさえ、そして国中のいろいろなところから、ベネゼエラ、ジャマイカその国の他の所からここに人々は来ています、神への飢え渇きなのです。何と素晴らしい時でしょう!

8. 〔ペテロは立って墓へ走って行き、かがんで中を見ると、亜麻布だけがそこにあったので、事の次第を不思議に思いながら帰って行った。〕
この日、ふたりの弟子が、エルサレムから七マイルばかり離れたエマオという村へ行きながら、
このいっさいの出来事について互に語り合っていた。
語り合い論じ合っていると、イエスご自身が近づいてきて、彼らと一緒に歩いて行かれた。
しかし、彼らの目がさえぎられて、イエスを認めることができなかった。
イエスは彼らに言われた、「歩きながら互に語り合っているその話は、なんのことなのか」。彼らは悲しそうな顔をして立ちどまった。
そのひとりのクレオパという者が、答えて言った、「あなたはエルサレムに泊まっていながら、あなただけが、この都でこのごろ起ったことをご存じないのですか」。
「それは、どんなことか」

9. 祭司長たちや役人たちが、死刑に処するために引き渡し、十字架につけたのです。
わたしたちは、イスラエルを救うのはこの人であろうと、望みをかけていました。しかもその上に、この事が起ってから、きょうが三日目なのです。
ところが、わたしたちの仲間である数人の女が、わたしたちを驚かせました。というのは、彼らが朝早く墓に行きますと、
イエスのからだが見当らないので、帰ってきましたが、そのとき御使が現れて、『イエスは生きておられる』と告げたと申すのです。
それで、わたしたちの仲間が数人、墓に行って見ますと、果して女たちが言ったとおりで、イエスは見当りませんでした」。

10. そこでイエスが言われた、「ああ、愚かで心のにぶいため、預言者たちが説いたすべての事を信じられない者たちよ。
キリストは必ず、これらの苦難を受けて、その栄光に入るはずではなかったのか」。
こう言って、モーセやすべての預言者からはじめて、聖書全体にわたり、ご自身についてしるしてある事どもを、説きあかされた。
それから、彼らは行こうとしていた村に近づいたが、イエスがなお先へ進み行かれる様子であった。
そこで、しいて引き止めて言った、「わたしたちと一緒にお泊まり下さい。もう夕暮になっており、日もはや傾いています」。イエスは、彼らと共に泊まるために、家にはいられた。
一緒に食卓につかれたとき、パンを取り、祝福してさき、彼らに渡しておられるうちに、
彼らの目が開けて、それがイエスであることがわかった。すると、み姿が見えなくなった。
彼らは互に言った、「道々お話しになったとき、また聖書を説き明してくださったとき、お互の心が内に燃えたではないか」。
そして、すぐに立ってエルサレムに帰って見ると、十一弟子とその仲間が集まっていて、
「主は、ほんとうによみがえって、シモンにあらわれなさった」と言っていた。
そこでふたりの者は、途中であったことや、パンをおさきになる様子でイエスだとわかったことなどを話した。

12. さて、聖書は他の全ての聖いと言われるほんとは異なっています。聖書は違う本なのです。それは預言の本であり、将来の出来事が先見されているのです。そしてそれは又、イエスキリストの黙示でもあるのです。すべて創世記から黙示録にいたるまで、彼の全ての事が彼の過去今について書かれているのです。そしてその全体の完全な書が黙示録1章1-3節にかかれている様に、その書はイエスキリストの黙示、つまりは神の御言葉ーイエスキリストの黙示(啓示)神の御言葉。

14. そしてこの御言葉への真なる信仰者は、その形で受け入れて信じるのですそして、忍耐を持ってその預言の約束、すべての物がその時代に顕されるのを待つのです。全ての信仰者はそれを見ているのです。全ての信仰者は示されるのをしっかりと見ていて待つのです。

15. そしてクリスチャンは、どこでも今晩世界中で同じような状態に立っています。矛盾なく、それが事実なのです。ルターが書いたかあるいはウェズリー、サンケー、フィニー、ノックス、カルビンなどが書いた幾つかの倫理規制を見直そうとしているのです、どこに居てもです。我々がそれに対して悪い事は言えないのですが、それは過去の時代の為のものでした。

16. しあk氏覚えていますね、モーゼがここに居た時、彼等は彼がどこから来たかを知りませんでした、分かりますね。そして今、彼等は、、、だからイエス様は彼等に言ったのです「29 偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは預言者の墓を建て飾り立て、あなた方が彼等をそこに入れている」彼等のメッセージが出て行ったあと、あるメッセージが成就され人々はそれを見て、彼等はそれを馬鹿にする(世はそうする)そしてその後、使者(メッセンジャー)の時代が終わると、そのメッセージは終わりになるそして彼等はそのメッセージの上に宗派教団を作るのです。そして彼等が死ぬとその後、その命に来る事は無いのです。

18. 気が付いて下さい。聖書は決して失敗はしません。神の言葉が失敗する事は絶対にないのです、神はそれをされる前に著者の行動を先に告げられるのです。

19. しかしこの聖書ははっきりと、誰がどこで、何を探すかという事そして一度もそれがなかった事は無いのです。それ故、聖ハート教会の祭司と一緒に最近話し合っていた小さな話し合いの中で、彼は言いました。「ブラナム氏、あなたは聖書と口論しようとしている」と言って、「それは教会の歴史なんだ」
私は「それは歴史ではなく、それは神ご自身が印刷されている」と言いました
彼は言いました「神は彼の教会の中にいる」
私は言いました。「神は彼の事がの中におられる。そしてそれに反対するものは、嘘となる。又k実は、「私の言葉が真実であり、すべての人の言葉は嘘になる様に」と言われています。
彼は言いました。「私達は口論はしません」と言いました。
私は言いました。「私は口論しようとは言いませんでしたが、聖書は、さて我々は互いに論じよう」と言っています。

20. さて、それは単純に全ての人がそれを理解できるようにはなっていません、イエス様が神にそれを感謝されています、それらの事を知恵ある者や賢い者に隠し、幼子に見せて下さいました。全能の神が彼自身の言葉の上に立たれていることを考えて宇田祭、金持ちや認識者や教育を受けた学者たちの目を閉じ、彼等自身の目は神を見る事が出来なくし、貧しい者や無学な者の目を開いて下さいました。

21. それが神がそれらの祭司や律法学者にしたことなのです、というのは彼はそうするという事がかかれていたからです。神が彼等の目を閉ジる事によって我々に機会が与えられるのです。気が付いて下さい。彼等は分かりませんでした、どれ程学んでいた学者たちも、どれ程高位の祭司でどんなことをした人たちであったとしても彼等にはそれは分らなかったのです、見えなかったのです彼等は盲目だったからです。彼等の目がたとえ肉体的には完璧な視力を持っていたとしてもです。しかし彼等の霊的な視力は盲目でした。

22. それは聖書に書かれています。「それから、七つの鉢を持つ七人の御使のひとりがきて、わたしに語って言った、「さあ、きなさい。多くの水の上にすわっている大淫婦(教会達)に対するさばきを、見せよう。
地の王たちはこの女と姦淫を行い、地に住む人々はこの女との(霊的)姦淫のぶどう酒に酔いしれている」ー宗派教団。

23. さて、それはまるでカレンダーでその火tがいつかを探すような感じです。もし考えてみてください、これは、「この土曜日、日曜日それは?」カレンダーを見ます。そのカレンダーはそれが何日かを告げてくれます。人々の行動を見る時、教会に行くときかもしれませんね。ベルが鳴っている時、その日が何の日か考えますね。カレンダーを見ると、それがあなたに何の日かを告げるのです。

24. この聖書は預言によって我々が生きている時代そしてその時がいつでありどのような出来事が起こるかを告げているのです。その文書がはっきりと一つの時代も見逃すことなく常に告げているのです。一度も見逃された時代はありません、そしてそうなる事もないのです、誰でもあらかじめ定められた人はそれを火r買いすることになるのです。イエス様は言われました。「誰も私を通らずに父の御許に行くことは出来ないそして父が私に与えた者は殻らず私の下に来る」それは御言葉が御言葉に繋がっているという事です。それ以外にできる事は無いのです。その日を知っていてそれが我々が生きている時代なのです。

26. しかしその民は彼等自身の解釈をしていました!さて、気が付いて下さい、皆さんにお見せしますね友の皆さん。その教会達はその解釈を彼等自身でも同意できませんでした。メソジストはバプテストと同意せず、バプテスト派長老派と、長老派はペンテコステ派と。。そしてペンテコステ派には40以上の異なる組織があり、彼等はお互いに合意できません。さて分かりますね、バビロンが再び起こっているのです、混乱です。
しかし神は彼女真の言葉の解釈があります。彼はその約束をされました、そしてそれは神ご自身がなさるのです。彼が(彼ご自身)その解釈を与えるのです、というのは彼ご自身がその時代の事をご存知だからです。キリストの体がどれ程大きくなってもそれは足から頭まで!

28. イザヤがイザヤ9章6節で言っていることを彼等は知っていなかったのしょう。「 ひとりのみどりごがわれわれのために生れた、」を彼等は預言者イザヤが言われた「処女が身ごもって」うを知らなかったのでしょうか?彼等はこれらの事を知っているべきでした。しかし分かる様に、そのことは彼等はそれをどこか別の所に当てはめていたのです。
そしてこの人は彼等にとっては、その仕様とみあっていなかったのです。しかし彼は彼等に「聖句を調べて、あなたが永遠の命を持っているならば、彼等は私のメッセージを語る事になる」神学者が言ったのではなく、神ご自身の言葉そういっているのですそしてそれが起こっているのです。
アーメン。
さて、それが今なのです。聖句を調べて、我々が生きている時代に彼等が行っていた事、そのことがこの時代にまさに起こっているのです。それらにあなた方は委ねるべきなのです、彼等がイエスキリストの人として証明しているのです。聖書はこう言っています。「彼は昨日も今日もいつまでも変わる事がない」なぜならば、彼のその言葉の啓示はその時代のものだからです。それが違う事はあり得ません。

29. 気が付いて下さい、然し人々には、「私が愛している者達を私は叱責する」さて、もし主から叱責されているならば、あなたがしていることに対して、そこから出てくるのです、そこから離れるのです、「私は愛する限り私は叱責する」

32. わかりますね、その世界とその人々は小さなはけ口、小さな、抜け道、又幾つかの小さな近道を見つけようとしていたのですが、神の御言葉には近道はないのです。一つのパターンしかありません。自分自身を切ってそのパターンに合う様にする必要があるのです、パターンをあなたに会わせるのではないのです。誰でも、それをしなくてはなりません。そしてそれが神がお持ちになっている唯一の道なのです。

33. ある人は言いました、「それはただのヘブライ語の本にすぎない」ヘブライ人は彼自身を批判するために手紙を書くのでしょうか?ユダヤ人は自分たちで作り、磨き上げた国家ではないですか、彼等自身の不法や罪を書いて彼等自身を批判するでしょうか?間違いなくそれはないです。自分自身の罪を言い、偶像崇拝に入っていき、神の御言葉に対して姦淫を犯していることを言うのですか?あり得ません。彼等の様なプライドの高い国家が。。。
それは人の本ではないのです、それは神の本なのです。そして人々はその幻を見てあるいは神の声を聞いて、自分自身を理解する事はありませんでした(多くの時)多くの場合で、分かりますね。人が聖書を書いたのではありません。神が聖書を書かれたのです。それは人の本ではないのです、それは神の本なのです。それは神の思いを人の唇を通して表現したものです。それが聖書を作り上げたのです。思いの表現が言葉です。そして神の思いから始まった居るのです。彼は彼の預言者の唇を通して彼の下毛達を通してそれを表現されたのです。気が付いて下さい。

34. 各時代の終わりに、教会は世にそして罪に戻っている時、そして御言葉を人の解釈に頼っている時。それは彼等はいつもその時代の終わりに、いつも神学者や祭司たちがそのような滅茶苦茶な事をするのです。いつも彼等の解釈は間違っています、間違いでなかったことはありません。そして神の御言葉は一度も間違ったり失敗した事は無いのです。それが違いなのです。

36. すべてその選ばれた者、神によって送られた男性によって、彼は憎まれるのです。さて、すべての状況を調べてみてくださいそしてそれが正しいか間違っているかを見て下さい。神に送られた者達だけ!「彼は彼自身の者達に来たのに、彼自身の者達が彼を受け入れなかった、然し彼を受け入れた者、すなわちその名を信じた者には神の子となる力を与えた」気が付いて下さい。その言葉の一つ一つを調べて、すべての状況において、すべての時代の終わりあるいはクライマックスあるいはその次に行く過程において、私はその事を何回も話してきました。

37. アブラハムの時代、アブラハムのグループは信じていました。その御使いたちがソドムに行って説教している時、ロトト彼の妻と彼等の二人の娘達だけが出て来て、そして妻は振り返ったので塩の柱にされました。
モーゼの時代、イスラエルの選民たちだけが出て来て、パロは彼を憎みました。
エリヤの時代、すべての(ほとんど)しかし7千人いk街全ての人が彼を憎みました、その国全体が。
エレミヤの時代、熟れていない実を彼に彼等はなぜか投げたのです、彼を狂信者と呼びました、というのは、彼の脇には沢山の日々があり、反対側には印があったのです。彼等は彼を憎みました。
預言者イザヤ、彼はその民族を批判しました、彼等は彼を轢き殺し二つにするまで、、その通りなのです。

38. しかし、本物の聖書の信仰者は御言葉を開けてその時代に指定されたものを開けるのです、そして彼等は信じます。信じる事を止める方法はないのです。彼等は彼等の血によって彼等の証を封印する事さえします。彼等はそれを信じているのです。それで、彼等には、そのあらかじめ定められた者達、その特定の時代において、理解し見て、信じているのです。

40. 7千人が正しいです。エリヤの時代、2,3百万人の中から7千人の人々が正しく見ていました。100分の一もいませんでした。しかし彼等が見ていた物が正しかったのです。彼等は神のあらわれをが理解できたのです。その年寄のやもめにエリヤが送られた年寄のやもめは、彼女は枝を集めてパンを作っていました、ちょうど彼女と彼女の息子に十分な分だけでそのまま彼等は死ぬつもりでした。しかし、エリヤが見ていて言ったのです、「初めに私の為につくりなさい。主がこう仰せられる、そうすれば油も粉も主なる神が地に雨を送られる日まで乾く事は無くなる」疑問もなく、その通りの事を彼女は、したのです、彼にパンを作って渡したのでした。彼は言いました。「まず私のものを作った後で、あなたとあなたの息子の為に創りなさい」彼女は曽於人を見て彼が言っていることを聞いたのです、彼女はあらかじめ定められた種であり子孫でした。

41. 彼は言いました。「あなたがイスラエルの問題の原因である」神が誰なのかを知ってください、誰の言葉を神が指定していたのですか?彼自身の言葉です。
さて、聖書は彼等はこの目的の為にたてられたと言っていますが、不信仰者にとってその時。しかし今真の信仰者がその時代の言葉が肉体を取って来られたとき、神は人の唇を使ってそして同じ様に、彼が語られたことを語られた方法で、その様になる様に語られているのです。

43. 「もう一人?、400人が賛成している」と彼は言いました。「はい、ここにもう一人いるのですが、私は彼を憎んでいます」こう言ったのです、「彼はいつも我々を叱り、いかに我々はひどい罪びとであるかについて言っているのです。私は彼が憎んでいます。彼はイムラの子ミカヤです」
彼は言いました「王様そのようなことを言わないでください。行って、彼の言っていることを聞きましょう」
そして彼等は彼をそこに連れてきた。彼は言った。「私に今晩下さい、主がそれについて何て仰せられるか見てみましょう」と
アハブは言った。「幾度、あなた方に真実だけを告げてくれるように言ったら告げてくれるのでしょ」
そしてその人は来て言った。「もしよい交流に戻りたいならば、他の人達と同じように言いなさい」と言いました。
ミカヤは「神が仰せになる事だけを私は言います」
そして次の朝、彼等は出かけて行きました。そしてその王たちは、彼等の衣を着て、その門の中に座っていました、すべての偉い人達でした。そして預言者達はそこに立って言いました。「さて、狂信者よ。お前は何というのであろうか?」
言いました。「上がってきなさい」彼は言いました。「イスラエルは牧者のいない羊たちの様にさまよっています」

45. 分かりますね、預言、エリヤは既に言っていました。「その犬どもがあなたの血をなめる」
そして彼がその嘘をつく霊をその下に見たので言ったのです、神の御前に上がってきなさい。そして「私は降りて行って、彼の預言者、アハブの預言者に、そして彼等の預言が嘘であるという事の原因となる」

46. 彼は言いました。「私が来るとき、その人を刑務所に入れなさい、悲しみの水と悲しみのパンを与えなさい。私が戻った時、彼を取り扱う。
彼は言いました。「もしあなたが戻ってきたら、神は決して私に語らなかった」それは彼が彼の幻はちょうどその時代の為の一つ一つの言葉と同じだった。それがアハブの時代だった。
兄弟、 姉妹、これはその時代、バビロンから呼び出された時代だった。その夕刻の光があるのです。歩みの中での光それが光がある間。気が付いて下さい。その信仰者は御言葉があらわれていてそれを信じたことが分かったのです。イエス様は言われました。「私の羊は私の声、御言葉その時代の私の印を知っている。偽物には彼等は従わない。」

47. 神は彼の預言者ヨハネを送りました、神の御言葉にマラキ書3章で約束されています、「見よ、わたしはわが使者をつかわす。彼はわたしの前に道を備える。」ヨハネは同じ方法で証されました。そして我々はイザヤ40章3節の中でも又見つけました、イザヤは、「3 呼ばわる者の声がする、「荒野に主の道を備え、さばくに、われわれの神のために、大路をまっすぐにせよ」全てのこれらの預言!そして見て下さい、そしてすぐい彼を御言葉が認定しているに気が付いて下さい。
彼等が「あなたは誰なのか?あなたは救い主か?」という時
彼は言いました「私は違います」
「あなたはエレミヤや?預言者の一人であるのか?」
彼は言いました。「私は違いますが、私は預言者イザヤが言った荒野で呼ばわる声です」
彼等がそれを信じたと思いますか?いいえ、なぜでしょうか?教会から来なかったから。彼等は彼等の、、、者ではなかったのです、、分かりますね。彼は荒野に9歳の時に行きました、30歳になって出てきたのです。彼のメッセージは神学校を通るには偉大過ぎたのです、彼は救い主を紹介するものだったのです。そしてみんながこちらやあちらの道を引っ張っていました。そして神ご自身が彼の父であるゼカリヤの死の後彼(ヨハネ)を荒野に送ったのです。そして彼(ヨハネ)は祭司でしたが、決して父の流れには従いませんでした。
というのは預言者はそのような方法ではあらされないのです。彼等は荒い場所、荒野から出てくるのです。彼等がどのようにその場所に現れたのかは誰も知らないか彼等の履歴も分からないのです。彼等はその時に出て来て御言葉を宣べ伝えたのです、それが神が彼等を起こされて、彼等が行くところを整で、その世代を非難し、神の御言葉を続けて、その偉大なる日を待っているのです。

48. 彼は預言者だったのです。「あなた方にエリヤを送る」そして彼がそのすべての荒い方法出来たのです。彼の性質はエリヤとよく合っています。エリヤは荒野の人でした、そしてヨハネも野外に居ました。彼は滑らかな人ではありませんでした、無骨な人でした。
気が付いて下さい、エリヤは女性を嫌っていました、彼はイザベルに彼女の化粧やそして着るもの似ついて話していました。そしてヨハネもでした。イザベルはエリヤを殺しました、彼女の神々の刀を使って、彼の頭を切り落としたのです、又へロディアも同じことをしました。
何時も彼等のメッセージを見て下さい、彼等が何をしたかを気を付けて下さい。さて、我々はもし彼等が振り返り聖書が何と言っているのかを見たかどうかが分かるのです。そしてその人の性質とその時代の聖書と全てがあっているか、彼等は彼について知っているべきでした。6人位の人は知っていました。そうなのです。でもそれ以上の人は認識しなかったのです。彼等は彼の言う事を聞きに行きましたが、彼等はそれを信じませんでした、分かりますね。なぜでしょうか?彼等はその預言を彼等の時代のものという認識を信じなかったのです。

49. 偽預言者が居なかったという意味ではありません、ヤンネとヤンベルの様な。しかしあなたがやりたい方法で、御言葉によってその元々のメッセージを検討するので、そしてそうすると理解します、どの時代にいるのか、預言がその時代に在っているのかをです。

50. 彼等は「我々は何をしなければならないのですか?」と言いました。
彼の靴の紐を解く値打ちもないものであるしかしあなた方に間に立っている、彼はあなた方に聖霊と火によってバプテスマを授ける。彼のファンは手の内に在り彼はしっかりとその床を清めて消える事のない火によってその殻を焼いて、その中に在る実をとっていました」なんという預言者なんでしょう!イエス様は言われました、その時に女性から生まれる者の中で彼よりも偉大な者はいない。オー何という荒れ狂った状態なのでしょう!彼は彼が立っている場所をどのように知っていたのでしょう!彼はしっかりと知っていました。彼は神ご自身から聞いて居たのですそれは御言葉そのものでした、そして彼は人びとが何と言おうが気にしませんでした。彼はそれを話しそれを何とかして予言していたのです。そして見て下さい。人が真理の上に立つとき、神にその人を真理に導く義務があるのです。

51. さて、彼がこの時代にされたことを見てみましょう。その通りです。

53. さて、彼等は預言者達が彼に対してそうするであろうと告げていたことをしました、彼等はこのまさにラオデキア時代にソンことをしているのです。神ご自身を教会から締め出したのです。「めくらで裸な事を知らない」ちょうど預言者が言った様に、聖書の預言者です。人の伝統によって目蔵にされていて、彼を御言葉を教会から締め出している、彼等についていつも預言されているのと同様にです。

55. 彼等はその話をしてくれます。彼等は全てのイベントが起こったのを知っていました。彼等は皆悲しかったのです。彼等は彼に言い始めたのです。「ここでは知らない人だったあるいはエルサレムで何が起こったかを知らないのですか?」
彼は言いました。「どんな事?」ー彼が知らないとしたら。彼は時々、彼がそれについて分かるのです。分かりますね?言いました、「どんな事?それは誰?何が起こったの?」
「あなたはただ知らない人ですね?」そしてその人が彼等は3年半住んでいたのです、彼を知らなかったのですね。
「どんな事?なにがおこったの?」
さて、彼等は言いました。「ナザレのイエス、彼は預言者でした。我々の思いは疑いはありませんでした、彼は御言葉の中にそして全ての人々の前でそういう行動をしてきたのです。我々はこの時代の為に神の預言は彼が認定した我々が理解していました。我々はそれをしています。そして我々は彼はイスラエルを贖うために贖い主となると信じていました。
そして彼はひっくり返して言いました。「25 そこでイエスが言われた、「ああ、愚かで心のにぶいため、預言者たちが説いたすべての事を信じられない者たちよ。?」彼を見て下さい。預言に戻りましょう。信仰者に対する何という叱責でしょう、彼等は神を信じると言っている人達です。

56. 彼は「我々はモーゼを知っている」と言いました。
彼は「もしモーゼを知っていたならば私の事を知っているはずである」彼は言ったのです。「モーゼは私の事を書いていた」こう言われたのです「聖書を探りなさい、あなたが永遠の命を持っているならば、私の事を証言するはずである。行って聖書を見て、それを理解しなさい。」と

57. ヨハネは同じことをしました。「御言葉を探り、戻って見なさい、荒野で叫ぶ声がする。私はどこから来たのですか?」彼等はそれをすごく単純にしてあげていたのです。その通りです。
今日もそれは単純になっているのです、それを聖霊をとおして我々は理解しているのです。彼は言いました。「御言葉を探りなさい」そして彼は今日も我々にそれをしてほしいのです。

58. さて、彼はこう言ったかもしれません、「クレオパスとあなたの友達はここに居て、モーゼがこれらの日々に主である神が預言者を立ち上げたとは言いませんでしたか?そして彼等が従事kにかけたこと人は、その事全てに見合っていませんでしたか?さて、モーゼはこれを予言していました。そして今、難波y九年も何y爆年も前からある預言者が居なかったのですがこの人がここで立ち上がったのです。そしてこの人の前走者としてあなたは行っていませんでしたか?分かりますね?そしてすべての預言者は彼について彼の時代として言われたのでした、彼は彼に言っていました。それは彼から興味を持って聞くことは確かでした。彼から聞くのは好きではないですか?彼から聞きたいのです、聞くのです彼がその預言者に彼について言った事をしかし彼はそれが彼だとは言いませんでした。彼は預言を彼等に見せただけでした。彼はただ言いました、「その預言者達がこれが起こったという事を言いました」分かりますね。

60. わたしは自分の骨をことごとく数えることができる。彼らは目をとめて、わたしを見る。 わたしは自分の骨をことごとく数えることができる。彼らは目をとめて、わたしを見る。」彼は言ったのです、疑いなくその時に彼の手は縛られていたのです。イザヤ53:12でとがある者と共に数えられたからである。しかも彼は多くの人の罪を負い、とがある者のためにとりなしをした。詩篇53:9では、悪い者(金持ち)と共に葬られたと書かれています。詩篇16章10では、10 あなたはわたしを陰府に捨ておかれず、あなたの聖者に墓を見させられないからである。そしてマラキ3章ではこの人の前走者だったとありませんでしたか?」オー彼のクォートを聞きたいのです。預言達を見て下さい。気が付いて下さい、彼が通たのと同じ全ての形式だったのです、イサクについて創世記22章では神がイサクの前景となられたのです、父であるアブラハムがどのように息子をその丘の木の中に入れて、彼自身の息子を捧げようとしたことによってその形式なのです。

64. 「お前たち、愚かな者達は、悟りに遅く、信じる遅い、(それについてずっと何度も考え続けている)全ての預言者達が救い主について言った信じるようになったのですそれが起こらなければならないのですよね?さて、彼はこれらのポイントは全て戻って預言者が起こると事が見られるようになるのです。そして彼等は理解し始めるのです。そして彼は言いました、、彼はまるでその様に続くように行動していたと言いました。彼等はこの人が好きでした。彼等は言いました。「あなたは私達が考えたことがない事を与えてくれた、彼はどこかで来ている」彼等は彼と話しているのです、知らなかったのですか?だから彼は彼等を悲しそうに見ていたのは間違いないでしょう、そして彼はその隣で歩き続けていたのですが、彼は彼等が彼を招待してくれるまで待っていたのです。彼は今晩もあなたが彼が招待してくれるのを待っているのです。

70. この時代の神聖の内に、この様に言わせてください、神様、天のわが父、我々の肉はあなたにとって貧しい住処です。しかし主よ、あなたの聖い恵み、聖霊をここに来させてください。今いらしてください。全ての疑い、イラつき、疑念、懐疑的な態度の全て、我々の中に在るものを清めて下さい、完全に疑い殻解放されて自由になり、ペテロの様に大胆に、「キリストは昨日も今日もいつまでも変わる事がない」告白できますように。

72. そしてアブラハムは彼に答えました。「彼は天幕の中に居ました、彼女はあなたの後ろの天幕の中にいます」
そしてあなたは、何が起こっているのかと言われました、そして彼女はここの中で疑っていました。そしてあなたはアブラハムに、「なぜサラはここの中で疑っているのだ、これらの事はそうはならないと?神に不可能な事などあろうか?」
オー神様!イエス様は神の御言葉のあらわれでした。言われました「ソドムの日に在ったように」その世の中は今異教徒の時代の混乱の前に起こっている状況なのです、異教徒のあらわれの時代。ここに我々はいます、ソドム人がその核でした。そして又あなたは人の子と言われました、常にそれは「預言者」を見る世に、その時代の事をあらわすのは預言者に、、あなたの御言葉を神様あなたを信じる子供達としての私たちの内で成就してください誠実な心で待っています、信仰を与えて下さい、すよ、プレイヤーラインがある時、人々はそれを信じるのです。それは夕刻の時間なのです、父よ。神の御子の光がその夕刻の時代に輝けますように。(彼はその方であり、それがいずれ来るのです)彼自身を予言によって彼自身が言ったものによってあらわされるのです。イエスキリストの御名によって、アーメン!

73. それゆえに彼が再来するのを待っているのです、彼がいつ来ても、彼は言いました、「その時はあなたが考える時でも世界が考える時でもないから、そして彼は現れるのです。さて、私が知っている限り、
私は、ここ私のタバナクルの中にいますそして私が知っている人は数人しか座っていません。ブライト兄弟はここに座っている人の数人の一人です、ここにいるのです、わたしは知っています。しかし、あなた方の多くの人を知りません。そしてこれを今晩する神がされるのはどの様にするかは分かりません。我々は過去何年も何年もその様にされてきたのをしみてきましたが、彼は今晩はされないかもしれませんが私には分かりません。彼次第なのです。神は神聖な方です。彼は彼がなさりたい事をされるのです誰も神にこれをせよという事は出来ません。彼はご自身で御心を神のやり方でなさるのです。しかし約束されたので、それをしてくださるように尋ねているのです。我々の為ではないですがそれを必要としていますが知らない方たちの為に聖霊が油注ぎを下さるのです、今我々に下っているのです。さてどれ程私に神が油注がれても、神はあなたに油注がれます、間違いなく信じる事なのです。

74. クリスチャンが持っている武具の中に科学的な物は一つもありません。知っていましたか?愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、 柔和、自、忍耐、信仰、御霊の実ですね。全ては科学によっては見えないものです。そしてそれが唯一本物であり継続するのです。全てあなたが地上から見る事は地上に戻ってしまいます。しかしあなたが目で見えない事しかしそれ自身が証明する物それが永遠の世界なのです。

75. 私を知っている皆さんは皆、私がどこで成長した街に今いるのをご存知です。私は中学校卒業の教育さえありません。それは全くの事実です。そして私を長く知っている人達は、私が正直で誠実であるという事を生き方で見せてきたと望んでいます。私は偽善者ではありません。私の批判者さえそのことは言いません。彼等は、「あなたは偽善者ではないが、ただたんに間違っている。あなたは無知で間違っている。」というのです。私は無知で間違っているとは思いませんというのは神の言葉が私のメッセージを承認しているからそしてそれが誰だかそれが告げているのです。そしてあなたは私がはっきりとそれは私ではないというのを聞いて居ますそして神でなければならないのです。それは正しいですね?神に信仰を持ちましょう。そしてこちらの方を見て、神を信じています。もし神を信じられるならば、神はあなたの事を受け入れて下さいます。神が以前にしたことがあるならそれをおできになります、まだ神でおられるからです。それを信じますか?

76. あなた方は私がその女性を見ているのを知っているでしょう、彼女は私を見ていました、その聖霊をあなた方に見せたいのです。ここを見て下さい、この小さな女性が私の足元のここに今座っています。私がそれを言った時、それは同じ事彼女が望んでいたのは聖霊のバプテスマです。あなたはそれを受け入れることになると信じていますね、姉妹?あなたの手を挙げて下さい、そして私は人生で一度もその女性に会った事も見たこともありません。

77. この若者(男性)がここに座っています、聖霊のバプテスマを望んでいます。神があなたにそれを与えて下さると信じますか、白いネクタイして居る人?神はそれを受け入れられるでしょう。
この人は彼の妻の為に祈っています。彼女は病院にいます。あなたは神が彼女を癒されると信じていますか?そう信じますか?そうなります。
あなたの喉に手を当てて、神が心臓の問題を癒されると信じるならば、お腹の問題を持っているならば?そこに座っていその状態にありますね。そうですよね?神があなたを癒されると信じますか?そうすれば癒されます。 アーメン。

78. ここの後ろ側に座っている人がいます、背中の問題があり、私を見ています。私は彼を知りませんが、トンプソン氏。あなたは信じますか?立ち上がってください、そこで、そして私はあなたを知りません。そうですね。しかしあなたは園に座って祈っています。あなたの腰の問題は今癒されました。イエスキリストがあなたを良くしてくださったのです。

79. 目を気にしないでください、神は病や苦しんでいる人々を癒されます。
ここにいる人の何人が病気ですか?あなた方の手を見せて下さい。引張がある様にみえます。何人がプレイヤーカードを持っていますか?どのようにここまであなたに来ていただけるか分かりません。あなたの為に祈りたいのですそしてそれをどうしたらよいか分かりません。壁を見て下さい、そこに彼等をそこに行けるようになるか壁を見て下さいますか?通路をがとても込んでいたら、他の所はブロック、皆そこで止まっていてください。

83. これらのハンカチは我々が祈ったものでそれらは病気や苦しんでいる人達の所に行く為に祈っていました。同じ聖霊が彼自身が今証明され、すべての患者がこれらを置くことによって証明されます。神のご臨在が信仰によって病気が完全に癒されて満たされますように。これを神の栄光の為にイエスキリストの臨在の中で、イエスキリストの御名によって、お願いします、イエスキリストの僕としてお願いします。アーメン。

84. 電話線でつながっている人達、もしあなた方が心から信じるならば、奉仕者(聖職者達)があなた方に手を置くならば、愛する人たちが手を置くならば、、もし全身全霊で信じているならば、それは終わっているのです。その偉大な聖霊が、タバナクルに今晩ここにいるのです。人々の上に彼がその壁の反対側で彼自身が泡われていたのです、ここに降りて来て、建物を通って、ここの秘密を見せてくれていたのです、彼の臨在を証明するのです、彼が昨日も今日もいつまでも変わる事がない事を見せるのです。彼は我々の中におられるのです。彼は神なのです、決して失敗する事のない神です。

87. なんという瞬間、何という時!
信じれば、
ただ信じれば、
何でもできるただ信じれば、
これを歌いましょう。
さて、今信じます、今信じます。
何でもできる、信じるから、
今信じます、オー信じます。
何でもできる信じるから、
それはあなたの証ですか?今我々は頭を下げて
祈ります。
又会う日まで、 また逢う日まで、
イエスの足元で会う日まで
合う日まで会う日まで
神ともにいますように
また逢う日まで、
'ブラナム兄弟がまた逢う日までをハミングする。
、、、イエス様の足元で
また逢う日まで、また逢う日まで
神の守りまた逢う日まで。

88. また逢う日まで、また逢う日まで、
イエスの足元で
また逢う日まで、
また逢う日まで、また逢う日まで
神の御守りが共にまた逢う日まで!