イースターの封印

The Easter Seal

イースターの封印

アメリカ合衆国アリゾナ州フェニックス

説教番号: 65-0410

日付: 1965年4月10日(65-0410)

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1. ご存知のように私も先週誕生日を迎えました、そして、まさにそのチャプターよりほんの少し年上です。彼がそのチャプターは5年だと言ったと思います。
先日、誰かが言っていました、「あなたは何歳ですか、ブラナム兄弟?」
私は「26歳です。」と言いました、「最初の25年間はかき消されています。私はその時代にはあまりよく主に仕えていませんでした」。と言いました、「彼にもそうしてほしい。」彼(神)にそうしてもらうのは異なったことになるでしょう。

2. そして今、あなた方の時間を多くをとりたくはありません、なぜならこれらのすばらしい証しや起こっていることのいくつか、そして歌を聞きます。そして、追加できるものがあれば、追加したいと思っていますのでなにかそれゆえにごちゃごちゃにしたくないのです。
今朝その歌を歌ったあの兄弟、黒人の兄弟、私はとてもそれを感謝しています。「雀の上にさえ注がれる神の目(歌のタイトル)」そして、この歌を歌ったこれらの姉妹。私が初めてここに来た時から、それは私の助けの一つでした。私はレコードでそれを手に入れて、そして、それを演奏しました、「彼と共にそれについて話をしたい〔歌のタイトル)」。私の友人であるドーソンラリー兄弟にそこで尋ねました。彼らのうちの何人かが、まだこの世にいるのであれば、今朝再びあの曲を歌ってくれるようにお願いしてもらう事を尋ねたのです。テリーが理解してくれたと望んでいます。私は彼がしたと思います。本当にその曲が好きなので、そこからレコードか何かに多分それを取りたいのです。それについて彼と話し合うことは私の願いです。我々全員がそうしたいと思います。だからこそ我々は皆今朝ここにいるのです。

3. そうすれば我々はそこから戻ってきて、そして私はその時南アフリカに行きます。今日からたった1ヵ月後、我々は南アフリカへ向かって航海し、そこから3カ国程の国々で主にある素晴らしい時を過ごすことを期待し予定しています。それ故あなた方の祈りが間違いなく必要となりますのでお祈りください。私が戻ってくるまで、出かける事を主が引き続きお望みであるならばしばらく皆さんに会えないと思われます。我々が帰国した際に素晴らしい報告がある事を期待しています。

5. 神が再びそれを繰り返すことを願っています。我々がそこに行こうとしているからだけでなく、主の再来を期待しているからです。その歌の様に、我々はその失われた小さな羊たちを探しています。彼はその羊が入ってくるまでは帰っては来られないでしょう。その囲いの中にみんなが入らなければならないのです。それで、最後の一人が入るまで彼はドアを閉める事はありません。
さて牧師である兄弟たち、私は今朝あなた方と一緒に最後の羊を見つける努力をしていると確信しています。それは今朝の一人フェニックスにいるかもしれません。わかりませんが、最後の一人が入ると、羊飼いがその扉を閉めるのです。[誰かが、「ブラナム兄弟、一言よろしいでしょうか?とそして何かについて話し始めて通知する事を忘れていました]

6. つまり我々は主の再臨を待っているのです。主があなた方全員を祝福されますように。ここで起きて…ここに座り、これらの人々が証しするのを聞いて、そして「さて私は起きる時何かを言うべきである」と考えるでしょう。そして言うべきことがたくさんあり、あなたはそれを一日中いう事になるでしょう。しかし、間違いなく皆さん全員に感謝しています。このこの小さなグループがただ成長し続ける事でしょう。フェニックスのすべての教会がイエス様が戻られるまで引き続き成長し続ける様にと心から祈ります。さて、少し休止を取ったから、祈りの間立っていただいてもよろしいでしょうか?

7. 主よ、我々の間に罪があるのなら、あなたのヒソプで清めてください。そして天のお父様あなたが我々の中にいる全ての病人を癒してくださるように祈ります。そしてもしこの偉大な聖霊のバプテスマの中であなたを知らない人々がいるのであれば、主よ心からそれについてお願いがあります、神よ、この終わりの日の聖句によれば、それは「絶対」であると書かれています。我々は祈ります、神様、彼が今日も我々の上にやってきて、この教会の中に新たにバプテスマを施して、外にいる人たちも連れて来てください、天のお父様。
あなたの御言葉を読み、それが御言葉の真実であることを話すように努めるがゆえに祝福してください。偽りの口を閉ざし真実であることに我々の心と口を開いてください。あなたの真理を話すために口を使い、聞くために耳を使い、受け取る心として用いてください。それをイエスの御名によってお祈りし求めますそれがその通りになりますように。アーメン。

8. さて、我々はイースターに近づいていて、そして、あなた方はその箇所を見つけて印をつけていますね、次の週は間を通して最も歴史的な週であると思います。今週に祝う最も素晴らしいこと、来たる週はこれまでに地上で起こった最大の出来事であったと思います。私は他の何かがそれを上回ることができるとは思いません。「さて十字架は素晴らしい事だった。」とあなた方は言う。しかし、多くの人々が亡くなりました。我々の主と同じ時代にも、多くの人が十字架にかけられました。しかし、死者からよみがえったのは一人だけでした。それは封印されました。

9. さて、安息日が終って、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリヤとほかのマリヤとが、墓を見にきた。
すると、大きな地震が起った。それは主の使が天から下って、そこにきて石をわきへころがし、その上にすわったからである。
その姿は稲妻のように輝き、その衣は雪のように真白であった。
見張りをしていた人たちは、恐ろしさの余り震えあがって、死人のようになった。
この御使は女たちに向かって言った、「恐れることはない。あなた方が十字架におかかりになったイエスを捜していることは、私にわかっているが、
もうここにはおられない。かねて言われたとおりに、蘇られたのである。
さあ、イエスが納められていた場所をごらんなさい。そして、急いで行って、弟子たちにこう伝えなさい、『イエスは死人の中からよみがえられた。見よ、あなた方より先にガリラヤへ行かれる。そこでお会いできるであろう。』あなた方に、これだけ言っておく」。
そこで女たちは恐れながらも大喜びで、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。
すると、イエスは彼らに出会って、「平安あれ」と言われたので、彼らは近寄りイエスの御足をいだいて拝した。
そのとき、イエスは彼らに言われた、「恐れることはない。行って兄弟たちに、ガリラヤに行け、そこでわたしに会えるであろう、と告げなさい」。
(マタイによる福音書第28章1-10節 口語訳[翻訳者])

10. わたしは彼を見たとき、その足もとに倒れて死人のようになった。すると、彼は右手をわたしの上において言った、「恐れるな。わたしは初めであり、終りであり、また、生きている者である。わたしは死んだことはあるが、見よ、世々限りなく生きている者である、アーメン。そして、死と黄泉とのかぎを持っている。」(ヨハネの黙示録第1章17-18節 口語訳[翻訳者])
ローマ人への手紙、第8章と第11節で始まる:
もし、イエスを死人の中からよみがえらせたかたの御霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリスト・イエスを死人の中からよみがえらせたかたは、あなたがたの内に宿っている御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも、生かしてくださるであろう。
(ローマ人への手紙第8章11節 口語訳[翻訳者])

11. イースターを見ている中で。。。。それを私自身の心の中で最も偉大な集会として、または年最大の出来事として決めています。(ちょっと私にお時間を頂きたいのです、あなた方には轟音のようなものではありませんでした?大丈夫ですか?そのように聞けましたか?大丈夫ですか?あなた方はそれを聞けなかった。良くなりましたか?大丈夫でしょうか?皆さんに近すぎないようにあってほしかったのです。)

12. 今日はかなりたくさんの事あります。我々がイースターの封印を得る事ことについて話します。さて、私は今朝イースターの封印について話したいと思います。
それは我々がお金で買うものとは異なる封印で、結核協会、または彼らがそう呼ぶものは何でも行くための手紙を閉じる封印のような物とは、この封印は少し違う封印なのです。そして、イースターは神の子供であると主張する我々クリスチャンにとってその年の内の素晴らしい日であるので、私はそれに入り込んで、キリストが我々のためにしたこの偉大なこととどう交わるべきかを見たいと思います。

13. しかし、それ以上に、私はイースターが全てを封印したと思います。

14. それは真の信者のために永遠に神が御言葉を封印されたのでした。あの至福の朝には、すべての暗闇と疑問がぶっ潰されたのです。その様に、今日まで、刑務所の中の様に、宗教的な人々に対してさえも、閉められていました。彼らが大きな宗教的な動きや聖霊の移動などを見たからですが、ある人が死んだときにはそれを解決したようです。しかし、これがやって来て言いました「私には人生を据え置く力があり、またそれを取り戻す力がある」、それから彼が言ったことを証しに行き、それこそが封印されているのですと。何かが言われたとき、そしてそれは向きを変えて証明されたのです。

15.  それは封印されました。他の宗教の迷信的なすべての物を締め切り散らしたのです、その場所には、素晴らしい人々が居て、立ち上がらせ、又素晴らしい事をしていたのです。しかし彼らは今皆墓の中にいます。しかし我々キリスト教だけが唯一空の墓を持っているのです。そして彼こそが死んだ者と生きて居る物両方の神であることを証明しています。彼は死んだ人を蘇らせることが可能なのです。この力を持ち、彼の霊によって長年に渡って証明されているのです。彼だけが死んだ人を蘇らせることの出来る方です。

16. 私が思うに、「神は、この聖書を信じるクリスチャンとして、我々が話していることを証しできる日を早めたのです。」それがその理由で、しばらく前に言われたように、それは地の塩を作り出すものです。その姉妹は言いました、「そうです。世はこの塩を探しているのです」。そして我々の生き方と聖書によって証明することができるとき、我々の生活はその御言葉が今日生きていることを立証しています。それが…我々が探している時代なのです。

17. (ローマ人への手紙第8章11節 口語訳抜粋) 彼は、自分がエホバ - 贖い主であり、死、地獄、そして墓をも支配する力を持っていることを我々に証ししただけでなく、我々自身も我々自身が同じ御霊にアクセスするし強められるというできるという保証を与えてくれました。なぜなら、イエスを死からよみがえらせた御霊があなたの体に宿るから、それはまたあなた方の肉体的な体をも蘇らせるでしょう。
今や「蘇る」という言葉は、「死んだ後に生き返る」という意味です。それは詩であり、それは力を入れられ蘇らせられるのです。

18. イエスが言われたように、「あなたがたはそのために行って、すべての国を教え、彼らに神の力を示すことによって彼らに証ししなさい。信じる者にはこのような印が伴うであろう。」約束されているそれらを信じると言う者は、これらのしるしが信じる者に伴うということを、彼は我々にそれについての明確な理解を与え、それこそが彼らの証の証明となるのです
さて、我々は信じると言うことができますが、それが我々の上にあると彼が言われたという証しされたしるしがあるまで、それなら我々は、ただ信者であると告白しているだけで、信者の持ち物として持っているわけではありません。

19. 彼はそれがペンテコステの時代の使徒たちにのみ与えられたものであり、それで終わっているのだと言いました。30年後、パウロはこれらの賜物を教会に定めています、コリント人への手紙第15章であったと思います。彼は異言を語ること、奇跡、そしてその他のこれらすべての賜物をその教会に設定したのです。

20. 「どこまで?」全世界に。
「誰に?」すべての作られたものに。彼らはまだそれを受け取ったことがない。
「信じる者には、このような印が伴う。」(マルコによる福音書第16章17節 口語訳[翻訳者])
「どのくらいの間」全世界に伝わるまで。
「だれに?」すべての生き物。これらの印は全世界、そしてすべての造られたものに対して伴うのです。
「信じる者には、このようなしるしが伴う。すなわち、彼らは私の名で悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、へびをつかむであろう。また、毒を飲んでも、決して害を受けない。病人に手をおけば、いやされる」。(マルコによる福音書第16章17-18節口語訳) それが教会への彼の最後の任務でした。マルコによる福音書、第16章。

21. 私はペンテコステが終わりを告げずに始まったと信じています。ペンテコステが常に残るべきであり、ペンテコステの祝福は人々にあるべきというとは、すべての被造物にとって、すべての時間において、すべての場所においてのことであると信じています。

22. 福音そのものが「良いたより」を意味するのも不思議ではありません。何の良い知らせですか?彼は死から復活しました。「そして、私は生きているので、あなたも生きています。」かつて死んでいたあなたがたは、罪と罪を犯し死んでいて、神はその御霊によってイエスを死から蘇らせ、我々は彼と一緒に天的な場所に今一緒に座って、一緒に親しく交わり、彼と語り合います。それが真理であると信じるその話を伝えるのはなんという喜びでしょう。

24. 今、クリスチャンとして、我々は皆、彼の御霊によって死から命へと蘇られたので、彼が生きていると主張しています。そして、我々が蘇らなければ、我々は生かせられていません。

25. 今、これはあなた方自身の命です。これは私の命です。それがその場所です…。もしこれが真実でなければ、私が言おうと決心していること、それから私は世界で最も愚かな人々の一人です。私にはなにもすることがない何かのために私の命を与えたので、あなた方は持っています。しかし、もしそれが真実ならば、自分自身であるすべてのものを負っています。そして我々は熱意を失うべきではないと思います。
イースターが近づいているのを見ると、それは私の中で何かをしているだけです。それは、そのことが神の目の前で永遠に封印された日であることを知っているからです。

27. 今、あなた方体について話しています。イエスは御言葉でした。あなたはそれを信じますよね?「はじめに[ヨハネによる福音書第1章]、初めに言があった。言は神であった。この言は初めに神と共にあった。そしてその御言葉は肉体をとられ、我々の中に住まわれた。」

28. 今これが本当の意味で明確になることを願っています。イエスは、人であり、肉体がありますが、それは彼の内に住む御霊が必要だったのですー御霊。「御仕事をするのは私ではなく、私の中に住む私の父のされることです。彼はその仕事をされるのです。」イエスご自身は御言葉であったのは…神様の御前で…これは使うには悪い言葉です、そしてあなた方が群衆の前でそれを正しく使うことを私は願っていますが、彼は神のあらかじめ定められた神の予知によって、神の救い主が贈られるというご計画がそのようになった様子や、そしてこの救い主は彼自身の御子ご自身しかありえないという事でした。
それはエデンの園からの神の約束であり、イエス様はここにおられたのでしょう。
さてここのおられたのは彼です、処女から生まれた人でした、しかしそれは神のその御言葉が働くために神の御霊が必要だったのです。そして彼は御言葉を施されています。その時代の為に御言葉が動かれたのです。
あなた方が救い主を持たなければならない時が来ました。律法は失敗しました。他のことは失敗しました。さて、それには救い主を必要とします、そして彼は約束された救い主でした。彼は神の御言葉によって蘇られたのでした。

31. あなた方の属性なので、それが唯一の可能性の道なのです。それは思考の表現が言葉になっており、言葉が命を取り、それは永遠です。それは我々が永遠の命を持っている理由です。救い主である神の偉大な御子と同じ理念なのです。我々は同じ御霊を通して、同じ神の予知によって神の息子と娘になるのです。

32. さて、素晴らしい声明があります。牧師である兄弟たちにもこれを理解してもらいたいです。初めに、神、偉大な御霊…彼はその時神でさえなかった。彼は永遠のものでした。神というのは崇拝の対象です。彼には彼を崇拝するものが何もなかった。御使も、おらず、ただ神だけだったのです。彼だけが永遠でした。しかし、神になるためには、崇拝するものが何かがなければなりませんでした。それで、彼は、彼を崇拝するために、御使、人間、そしてケルビムなどを創られた。彼のすばらしい計画は繰り広げられ始めました。

33. 神は、あなた方が立っている場所について考えています。彼の考えでは、私は今朝、説教壇に立ちました。彼は無限であり、すべてのことを知っているからです。それゆえに彼は永遠であるので最初から終わりを告げることができました。そして、あなた方は、神の子または神の娘であるので、初めから彼の思考のうちにいました。

34. 私は長老派の兄弟のことを聞きました。バプテスト派のことを聞き、(そこにいて、彼は自由意志のバプテストで、彼はできるところどこでも説教しています、私の仲間である兄弟)あなた方の中に入れたことのない何かがあるのです。あなた方がそこにいることを望むことができなかったということです。それは自身の性質に反するものです。それは起こるまえの神の予知なのです。
神の御言葉、

35. ああ、今朝の手に負えない男女、あなた方がここに座っていて、これが正しいと言う何かが中にある時、それは我々が今生きているというこの時代に関しての真理の知識をもたらすこと求めてあなたを探している聖霊です。過ぎてしまったある時代ではなく今がその時代なのです。

38. ワシはあらゆる教会から、どこかれでも生まれます。そして、この小さなワシはめんどりと長い間歩いてきました、しかしコッコッという鳴き声はちょっと奇妙ですね。彼は彼女が庭の肥料杭の無駄によって触った時、鶏が何を意味するのか理解していませんでした。それは彼にとって食べ物ではありませんでした。彼女はわしが食べないように虫などを食べます、それで彼にはすべて奇妙に思えました。彼は醜いアヒルの子でした。彼は、この冒涜的なことを言っているのではなく、多分彼は自由意志のバプテスト派だったのかもしれません…しかしそのような宗派か、あるいは長老派だったのかもしれません。

39. あらゆる時代に神はその時代のために彼の教会を定められました。その時代へのメッセージ。彼らは法律と望むことなら何でも持つことができました。しかしその時が来ると、神の聖霊は、初めはその時代のことを考え出し、語り、その御霊はその卵を探すのです。そして彼がそのメッセージを聞いたとき、それを保持しようとしている教会の宗派はありません。それ高い所に上り詰めるのです。そうでなければならないのです。
それは違う鳥なのです。違う生き物なのです。彼はワシで、そして彼はその鳴き声を聞くことになります。「わたしの羊はわたしの声に聞き従う。」(ヨハネによる福音書‬ ‭第10章27‬節一部 ‭口語訳‬‬) 誰かが言ったように(ウィリアムズ兄弟)、「羊の食べ物」。「私の羊は私の声をに従います。知らない人には従わないのです」
たとえ教会がどれほど忠実であっても、それがどれほど有名になったとしても、「わたしの羊はわたしの声に聞き従う。[それは御言葉]ほかの人には、ついて行かないで逃げ去る。その人の声を知らないからである」 ‬彼らはそれができます。まるで磁石のようです。

40. そして「私はどうしたのだろうと思っているです」と言いました。
彼は言いました、「それは何ですか、先生?」
私は言いました、「そのうちのいくつかは上がらなかったことに気づきました。」
彼は言いました、「それはアルミニウムです、そして、磁石はアルミニウムには着きません」。
「なるほど」と私は言いました。それから私は言いました、「では、あなたはそこに鉄片があるのに気づいておられましたか?」
「でもねえ、それはボルトで固定されています。」
「なるほど」と私は言いました。彼がそれを取り出したとき、私は言いました、「さて、そこに何が起こるのですか?」
彼は言いました、「それは工場に戻ってきて、溶鉱炉を通って流れ出て、そしてすぐに戻って、そしてもう一つの車輪を作ります。」
私は言いました、「主を誉め讃えよう。」
そうなんですね。

42. 神の御言葉の伝道が先に出て、その正当さが立証されますまたこの時代に神の御言葉だと証明されるので、信者の中には何かがあるのです ― 彼の父親が教会に対してどれほど忠実であったか、または母親がいかに忠実だったか、彼の祖父母はそうだったのか、そしてその教会が聖霊のバプテスマのこの時に逆らって教えているかどうかは関係ありません ― 叫び声の中が彼の中にあります。彼は農家の庭から去っていく事でしょう。彼はそうしなければならなかったのです。鶏の日がいつの日か来るなるかもしれませんが、これはワシの時代なのです。それは違うのです。それは彼が去っていかなければならない何か - 昔の小屋 - そして空へと飛び去ることです。それからこの地上の体は蘇らせられた御霊によって神の御言葉への従順となり、聖霊によって早められるのです。

44. さてすぐ気づいてください、施す力をもたらしたのです。さて、イエスにやって来たその蘇りの力は、その時代の御言葉のすべての約束を現すために、彼を蘇らせたのでした。この日に我々の上に来る聖霊もそうです。それが偽りの聖霊ではないのなら、それが聖霊を嘲笑する悪魔ではないのであれば、本当の聖霊であるなら、それはこの時代の約束を明示するでしょう。
それがルターに降りかかったとき、それはその時代のその約束を明らかにしました。それがウェズリーに下されたときには、それはその時代の約束を明示しました。それがこの時代に落ち、それはこの時代の約束をあらわにするのです。それがモーセに下り、それがその時代の約束を表しました。それがノアに下り、それがその時代の約束を表しました。それがイエスの上に下り、それはその時代の約束を表しました分かりますね。

45. さて、その小さなワシ、おそらく、農家の庭の中の小さなワシの食事は大丈夫でしたが。しかし彼はそれが確実に正しくないことを知っていました。しかしそれから彼が真理を聞いたとき、彼はこの真理を受けとりました。
さて、ヨハネによる福音書第14章、ヨハネによる福音書第5章24節で、イエスはこのように言われました、「わたしの言葉を聞いて、わたしをつかわされたかたを信じる者は、永遠の命を受け、またさばかれることがなく、死から命に移っているのである。」(口語訳[翻訳者])それがどれほど単純であるかを考えてください。「信じる者」正しい言い方は「悟っている者。」です。

46. 「もちろん。」
「彼が神の子であると信じますか?」
「当然です。」
「バプテスマを受けましたか?」
「もちろん」
酔っ払いに行き、「それを聞きましたか、その説教者の説教を聞きましたか?」と言います。
「うん」
「それを信じますか?」
「もちろん」

47. この新しい永遠の命があなた方の中に宿るとき、それは死から不死へと蘇られる可能性あるいは誠実であり続ける事なのです。もう一度言いましょう。この御霊があなた方、個人を見つけ、あなた方の上に下る時、それは神があなた方のことを考え、世界の創造の前に創られた永遠の相続の可能性なのです。それがあなた方の可能性なのです。そのようにあなた方が私に樫の木を頼み、どんぐりを与えたなら。さあ、樫の木の命はどんぐりの中に在るのです、さて、それが成長するまで待つ必要があります。

48. それはキリストが出血し死なれて、そして神が、彼を見つめて、彼の復活を見て、教会は彼の上にイースターの日に教会を復活したのです。さて、ここで少しばかり私が言いたいのは、神のご意志を手に入れたから皆一緒にこの様に集まりたいのです。

49. 注目してください、あなた方は今あなた方の道を進んで、完全な復活へと成長しています。一晩で木が生えることはありません。成長する必要があります。我々は神の恵みと知識の中で成長します。あなた方は聖霊でバプテスマを受けました。さて、聖霊のバプテスマを受けたペンテコステ教会として成長し始めています。四肢は死に、彼はそれらを刈り取りましたが、その木はまだ成長しています。それはまだ続いていて、それは復活に来なければなりません。
彼らは御霊によって導かれています(信者であるあなたに御言葉を蘇らせるため)。あなたが上肢の第一肢、第二肢、第三肢に来るとき、御言葉は蘇り続けます。それはただ蘇るばかりです。神の御霊はあなた方のそれを蘇らせ続けます。

50. 考えてみてください、さてここに複数の男性の漁師、徴税人、謙虚な小さな女性、ただ普通の主婦たち、小さな処女の少女たちが居ました。彼らは信者でした。彼らはこれが真理だと信じていました。彼らは、イエスが死んだとき - 彼らは彼を信じました - そして彼が死から再び生き返ったとき、彼らは、彼は命へと蘇らせられた、完全な神の証しであると信じました。
さて、彼らはペンテスコテの日に彼らの見えない信仰を受け取るために生きました。あなた方は抽象的な物が何であるか知っていますか?行為がクリアにされたときです。彼らは抽象的な物を受け取るためにそこに上がり、そして彼らは力を受けたのでした。ああ、なんてドキドキすることでしょう!彼らは土地を買いました - 彼らのために購入されたのでした。彼らはそれを受け取りました。
「それは本当かどうか?我々は彼が復活したのを見ましたが、今我々はどうでしょうか?我々は証人なのです。立ち上がって十字架につけられた方を見ました。我々は地上に雲が降りてきて空を暗くし、地が揺れ、神経の衰弱があったのを見ました。それから彼らが彼を墓に寝かせた時、彼らは彼の心臓に突き刺し、彼の体を倒してそれをアリマテアのヨセフの墓の中に寝かせました。、それから三日目に彼は復活したのです。」そして、弟子たちは言いました、「我々はこのことの証人です。彼が復活したのを見ました。彼が生きているのを知っているのです。」

51. さて、私はあなた方長老派、そしてメソジスト派の兄弟方、あなた方は主イエス・キリストを信じることについて潜在な力を受け取ると思うところがあります。しかし見えない信仰(聖霊)はまだ来ていません。それが聖めの行為なのです。

52. そして、我々がイエス・キリストを救い主として信じ、悔い改め、バプテスマを受け、そして彼を信じるようになると、神は我々の悔い改めと彼への信仰を認め、その抽象的な物(聖霊)を送ります。その中所的な物は保証です。それはすべてのあなた方が持っていたすべてのことを保証している、徹底的に悔い改めた。ハレルヤ!そして資産が買われ、保証のための要約(聖霊)を保持しているのです。

53. 我々は、彼が復活したのと同じくらい確実に引き上げられているのですというのは、我々は彼の内に引き上げられているからです。アーメン。全ての事…それは我々の肉体の死は何をいみするのでしょうか?それは我々の天にある喪にに対して愛を与えるのです、そして煙草、酒やギャンブルなど以前にしていた物は全て死ぬのです、それはあなた方の下に行くのです。

54. 注意してください、ペンテコステの日に人々が聖霊によって蘇らせられたのですー聴いて下さい、神からの抽象的な行為(聖霊降臨)を受けたときにそこにいたのです。!確かに、それは彼らの魂に栄光を与えたのです彼らは叫び、彼らはそれぞれの上に火の様な舌が分かれていくのを見ました。そしてそれは彼らがもう地上の言語で話すことさえできなくなるまで彼らの体に力を与えたのです。それは彼らの体を天的な言語を語る力を与えたのです - 彼らが行こうとしていた場所 - へと蘇らせました。
神の蘇らせる力は彼らの肉体を震わせ、全ての一般的な言語が変わって不滅の言語となりました。なんという蘇りの力でしょう!…何かに、属しているのです…「死からイエスを蘇らせた御霊があなたの肉体に宿るなら、それはまたあなたの肉体を蘇らせるでしょう。」
我々は、生きる神の力によって、その時力を受けるのです。異言が - 彼らに話すための新しい天国的言葉を語る力を受けるのです。携挙によって今迄住んでいたのとは違う環境に引き上げられるのです。又、彼らの新たに蘇った命により、彼らにそれが入り、彼らの言語がよみがえらされ。彼らは新しい言語で語ります。はいそうなります!

55. 、彼らが病人に手を置くと、癒されました。新しい言語で語りました。それは神の約束の中にあったからです。奇跡や印を来なったのです、それは神の約束の中に在ったからです。そして、イエスが彼らのことを贖うために死んだとき、それは神の子らに属していた地がありそこに戻ったのです、彼は神が何であるかを示しました。それを社交化にして組織に組み込もうとするとはいかなることでしょうか?我々にはそんなことをする権利はないのです。

56. 聖霊ご自身が、この時代の記録をここに載せるとき…イエスがそう言われました。彼は昨日も今日もいつまでも変わる事がありません。だれがそこからそれを消し去ることなど出来るのでしょうか!

57. あるグループの人々が集まり、それらの印が現れているのを見ると、それは聖霊そのものが神の持ち物であるという証拠になるのです。アーメン。
さて我々も又イースターなのです。我々は今我々のイースターににいます。我々はすでに引き上げられたのです(ハレルヤ!)世のものから神の約束のものです。未来形ではありません。今の事なのです。それは可能性なのです。

58. 気がついて下さい、彼らは病人に手を置きました 全て神の約束にあります。「私は終りの日に、私の御霊をすべての肉体に注ぎ出すだろう。老人たちは夢を見。若者たちは幻を見るであろう。」そして主がされたこれらすべての異なる約束があります。すべてが神の約束の中にあるのです。
イエス様は我々を贖われたのです。そして、我々がそうなるとき、あるいは我々が…その地に定められているなら、(ワシが鶏の巣の中を歩いているように)我々がその地にいるように定められているなら聖霊はあなた方を見つけるためにここにおられるのです。そしてそれがあなた方を見つけたとき、あなたはその召命を認識するでしょう。自分が生きている時代が分かっていて、これらのことがおそらく起こるだろうであることを知っています。急いであなた方は出会うために携挙で挙げられるのです、そして今、あなたはキリスト・イエスと共に天的な場所に座っています。おお、なんていう約束でしょう!これらのことを我々に与えてくれるなんという天の父なのでしょうか!

59. どうすればこの様になれるのでしょうか…あなた方が神の御霊を得たと言って、神の働きを否定するのでしょうか?そんなことは出来ません。

60. 見て見なさい、私はあなた方に…私が今教会のことを話していること、そしてまた彼の命を蘇らせることをあなた方に見せようとしています。それらは初めに主の属性でしかありませんでした。しかし、もし神が「この日、ジョン・ドウが罪のうちに生まれ[初めに戻り]私の僕になる」と何百年も前に言われたのなら…。今、ジョン・ドウは罪で生まれ、不義となり、嘘を言いつつ世に入っていきます。なぜなら彼には肉体があるから、彼は人間だからですが、少し宗教的な気分になるかもしれません。彼は教会に加わります。多分彼はペンテコステ派の教会に加わるでしょう、私にはわかりません。彼は何にでも参加するかもしれません。しかし、一度彼を神の環境にさらさせてください。ジョン・ドウは彼の父親が誰であるかを認識するように縛られているのです。そのワシが母親が誰であったかを認識したように。
それを認識する必要があります。ジョンドウは語られた御言葉となる神の属性にあるのです、そしてその時聖霊がその御言葉を語るのです。そうなるのです。神は彼を呼んで、彼に永遠の命を与えて、そして神のご臨在に連れて来ます、神の御言葉にです。

61. もしあなた方がそのうちの一人であるならば、古いものは消え去り、新しいものになり、そして救いの計画は完成します。あなたは神が今まで語られたすべての御言葉に従う準備ができています。あなた方は彼の御言葉に従う物なのです。
その契約、その通り、その契約への条件。その証書はあなたに属しています。負債はすべて支払われます。それはペンテコステの日にあったように、すべて打ち切られたのです。

62. 気がついて下さい、この力を与える力が来るのみなのです。

63. サタンはそれらどのようにでも偽装することができます。そのことは分っています。宣教師たちでさえも、あなた方はそれが偽装されているのを見ることができます - 叫び、踊り、異言で語る、そしてこれらすべてのこと - それがどこでも偽装されているのを見ることができます。間違いなく - 異教徒の中で、、イエス・キリストが神の子である事を否定するというようなことがあります。
彼らはそれらすべてを彼等自身で行います、しかし信者に来る本当の黄泉がえりを齎す力のある御霊は神の御言葉によって力を与えるのです。それはまたワシの食べ物に戻すために戻り、生きられる場所に戻すのですに。「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである」(マタイによる福音書第4章4節 )

64. ペンテコステの日、彼らは皆そこで待っていました。彼ら自身も恐れていました、ユダヤ人たち、しようとしていたことのゆえに、恐れが起こったのです。何が起こったのでしたか?この蘇らせる力が天から下った時、彼らを勇敢にしました。彼らが数時間前にそれについてあまり確信していなかったところで何か、そこにに悟りが来たのでした。
彼が死んだことを知っていて、蘇られたことを知り、途中で彼と話をしました。しかし、それは彼らの為だったのかそれとも単にイエス様ご自身のためだったのでしたか?しかし、ここペンテコステの日には、聖霊が信者たちに下りました。それが彼の復活の一部とし、彼の交わりの一部となったのです。彼らは潜在的に臆病者から勇敢な人へと引き上げられたのですというのは、聖霊がやって来てそうなる事を確信したからです。

65. 彼がその御言葉であることを知っていました。ユダヤ人でさえそれを認めなければなりませんでした。ニコデモは言いました、「ラビ(教師を意味する)、あなたは神から来られたラビであることを我々は知っています。神と共におられるないならば、誰もあなたがすることは出来ません。今、我々はそれが分かります。認識しています。
ですから、弟子たちは…ペテロも彼のご臨在の中で誓ったのです。彼ら全員が十字架につけられた時イエス様を見捨てました、しかしここで今彼らは神のご臨在の中で上の部屋にいるのです。
そして突然、この聖霊が天から下ってきて、それが彼らに力を与えました。そして、ほどこしが起こったとき、彼らは信じて真理であると知ってメッセージの証人になることを恐れませんでした。そうでなければ、彼らはそれを恐れていたのでした。

66. あなた方は彼の復活の一部ですか?それとも信条の崇拝者の集まりにすぎませんか?教会に通っているだけですか?そこにあなたの名前があり、罪の内に死んでいますか?神の完全なる御言葉を信じていないならば罪びとなのです。

68. それとも、どこかにある信条に仕えて、「教会に行きなさい。あなたと同じくらいいいよ」と言いたいだけでしょうか。あなたがそれらの長子の権を持っているなら…それを分かりいはしないし、それを見ることはできません。しかし、あなた方がこの長子の権を保持しているならば、それはあなた方の一部であり、それの一部であるので、それを理解せずにはいられません。
どうして私を産んでくれた母親を否定できるでしょうか?自分の血が私の中にあることをどうやって父親が否定することができるのでしょうか?チャールズ・ブランハムが私の父親であることをどのようにして私に否定することができるでしょうか?出来るわけがありません。私は彼の息子なので、彼の非難や他の何かに立ち向かいたいと思っています。ハレルヤ!そして神の子であり - そして彼は神の御言葉で - イエス・キリストが昨日も今日もいつまでも変わらないという真理がある聖書を否定できるでしょうか?そして我々が生きている時を見て、教会はイースターを必要としています - 復活(蘇り。我々は、神の命じられた御言葉の力である事を際立たせるための信仰のために男女の復活が必要です。

69. その様にして、バプテスト派が生まれ、メソジスト派が生まれたのです復活の日にでした。しかし、彼らはワシの代わりにめんどりに寝返ったのです。

71. タカはかつて自分だけのマナを獲っていました。しかし、今日彼は自動車がひいた、ハゲタカが食べるようなものを食べるのです。彼はハゲタカと同じようにチョンチョン跳びをしてハゲタカの様に見えるのです
我々は現代の世界のやり方にはまってしまっていました - 女性は髪を切ってショーツを履き、男性は説教壇に立って真理を語るには足りません。我々は長い間、御言葉を柔らかいものにして来ました。
おお、神よ、聖霊を送って、何が起ころうともどこにでも知らない所に飛んでいける、どこかで準備ができているそれらのワシを見つけ出させてください。電話線の上に座るのでもなくまた日曜学校の為の文書を探して入ってくるのでsもなく。私に御言葉を持たせて下さい-それは貴重です - 聖霊の力とその表れの活動において。我々にはイースターが、復活の潜在的能力が必要なのです。
友よ、もしあなた方が世のそのような腐敗した状態に満足しているならば、何か問題がああると言えるでしょう。

73. この時代の神学校や学校によって多くの神学や娯楽、そして教会内のすべてのものを備えた沢山のリッキー達が出て来てそれが祈りの集会に取って代わっているのです。
私たちは服装によって、現代主義者がやろうとしていることを成就させ、彼らを勝ち取ろうとしました。その方法では彼らを勝ち取ることは不可能なのです。あなた方が持っている者よりも彼らが得ている者の方が多いからそれらに打ち勝つことは出来ないでしょう。彼らはあなた方が持っている以上の物を持っているから。彼らの立ち位置では何事も成し遂げられるわけがない。彼等をあなたが持っている本物の洗礼や本物の復活が輝いている所に来させるのです。…。
彼らのような教会を建てるような事はしないように。そのような牧師を持とうとするなんてことは止めなさい。あれこれするのは止めるのです、世の者となるのは止めなさい。彼らはハリウッドの中で輝いているから。

74. さて早く進んでいきましょう、さあ、いくつか見ていきましょう…

75. 神はその時のように、従順であるように、教会に息子を呼び求めるのです。「わたしはいつも父にとって喜ばしいことをする。あなたがたのうちの誰かがわたしに罪を非難できるでしょうか。[つまり、不信こそが罪なのです。] わたしについて書かれた御言葉で私が成就しなかったものはありますか?するべきことでしなかったことを示してください?誰がわたしを非難できますか?どれが私の父の言葉を成就させていないと指させる人がいますか??
ああ、ペンテコステ派教会がその位置に着いたとき、「だれが私を不信であると非難できるでしょうか?」

76. ヘブライ語では、彼らが荒野を通過したとき、死んだマナを食べようとし、悪臭を放つようになりました。腐ってしまっていました。つまりその中に虫が湧いていたのです。あなた方は我々が何を意味するのか知っています。それは汚染され、腐っていて、ウジがわいていたのです。
何年も前に死んでしまった食べ物を食べるのはなぜですか?形式や形にはなっているかもしれませんが、新鮮ではありません。あらゆる世代の食料を新しいものにしなければなりません。旅をしているように、ワシはその食物を世代ごとに探します。
気がついて下さい。

77. 彼らはそれを聞きたくなかった。彼らの信条に反し、彼らの宗派に反していました。そしてその男を石で打ち殺しました。そして彼は両手を上げて天に向かって見上げ言いました、「私は天が開いていて、イエス様が右側にお立ちになられているのを見ます…」。何故?彼はイエス様の胸の中に彼を連れて行った復活と、蘇りの力を持っていました。

78. 「ああ、ステパノよ、おまえは去ることができない!」
「しかし、できるのです。神はそう言われたから」そして彼は砂漠に出て行き、そこで彼はこの宦官を見つけました。そこで何が起きたのでしょう?言いました「わたしは、イエス・キリストを神の子と信じます。あなたがまごころから信じているなら、受けてさしつかえはありません。」と。彼がバプテスマを受けたとき…見て、彼は砂漠に出て行くために何千人もの人々の復活を一人の男に渡すためにこの蘇りの力によって力を与えてくれたのです。
ああ、それはすべての理由に反するでしょう。なぜここにあなたが望んでいる1万人がいるのですか、それ以外にも彼を待っている1人がいるのです。そして蘇りの力は彼を神の定められた場所に送ったのです。ハレルヤ!

80. 大丈夫です。さあ、気付いてください。

81. 彼は何ですか?彼は神の子でした。その時代に呼ばれていたワシであり、その時代が来たとき、彼はその蘇らせる力にとても満ちて…忘れないでください、彼は神の前に500年以上歩いていて、そして彼は一度も神の御言葉を逃しませんでした。彼の御言葉を一度も彼自身のことを誤解しませんでした。彼は一度もしませんでしたが、証しをし続けました。神が彼にするよう言われたことはすべて、彼は行ってそれをしました。それについて言い争う事は出kないのです、彼はただ行ってそれを行いました。たとえ他の誰かが何を考えても、彼は行って行いました。どうして?彼はその蘇らせる力に満ちていたからです。
その老人が死ぬ時が来た時、神はただ梯子を下ろして彼は家に歩いて上がったのでした。神は蘇らせて彼の肉体を取り上げ携挙させました。アーメン!それはその蘇らせる力です。

82. 神は彼を天から養われ、連れ出して脇に置きました。彼が死ぬ時が来たとき、非常に蘇りの力で満たされてたので、ヨルダン川が開き、そして、彼はただ歩いて上がっていったのです…戦車が下りて来て、そして彼を家に連れ帰りました。その蘇らせる力に満ちあるれた彼はまさに真の純粋なる神の子となりました。

83. それらは両方とも教会の中でそこに表されています。いくつかの聖人は行き、そして幾人かは永眠しています。しかし注目してください、エリヤが携挙したとき…。それからエリシャは、蘇らせる力に満ちた神の中で眠りにつきました。
彼が死ぬ直前の予言を見てみましょう。

85. 私のような年配の男にとってなんという希望でしょう。わたしは、56歳で、もうすぐ終わりの日が近づくのを待っています。小さな少年の頃から、これを宣言しようとしてここに立ってきて以来、私は自分の中に神様がおられること、自分がしたことが何もないことを知っています。私の内におられるよみがえらせる力が全てをしたのですから
ある日、私は若者として世のことから、永遠の命に至るまでにその力が私を蘇らせました。起こったことすべて - 私が見た幻、預言として与えられたことされたこと-彼は決してそれらを失敗されることはありません。私は他の言語で語りました。預言しました。それらのことを私の中に宿り神の御霊によって行いました。それは蘇らせる力です。
私はいつの日か知るでしょう…。

86. 私は今イースターを感じています!敗訴の通りです。私は何年もそれを持っていました。私の中にあります。あなたの中にあります。イエスを死から蘇らせた御霊があなた方の体の中に宿るなら、それは世のものから神の御言葉へとあなた方を蘇らせるのです。それはあなた方をこの世から永遠の命へと蘇らせました。
かつて罪と罪による死で死んでいたあなた方は、キリスト・イエスと共に天的な場所に座るために、天からのマナによって養われて、神の手が現れてこの時代の約束を神が表されるために来られる為に力を受けているのです。

87. 見てください、毎回、世界の政治的権力の挑戦に立ち向かうために宗教的権力が進み出て来ていたのでした。宗教的権力を獅子が立ち上げたとき、ローマの権力を満たすために進み出ました。それからそれが犠牲の時に来るとき、彼は主の犠牲の獣であるので、牛が行きました。そしてそれから改革者が来ます。教会の時代を通して人の表に出るのです。そして改革者は送られました - ペンテコステ時代まで、ルター、ウェズリー、カルビンが送られてきました。しかし最後のメッセージが進んでいき、飛ぶワシが現れました。ワシの時代、啓示の時代、神の御言葉は明らかにされ、神の御言葉は証明されました。
ああ、子供たちよ、この聖霊のバプテスマの中に歩みいりなさい。入ってきて全身全霊を込めて神があなたを満たしてくださると信じなさい。

88. イエスは言いました、「わたしをつかわされた父が引きよせて下さらなければ、だれもわたしに来ることはできない。わたしは、その人々を終わりの日によみがえらせるであろう。」(ヨハネによる福音書第6章44節 口語訳) ああ、なんということ。イースター、なぜ、我々はイースターにいるのです。彼が蘇られたとき、彼と共に蘇りました。彼は(抽象的な物(聖霊)を送り返しました。我々はそれを持ち続けているのです。それが聖霊のバプテスマなのです。彼は永遠に、昨日も今日も、そしていつまでも変わらずに生き続けておられますます。ヘブル人への手紙第13章8節がそれを証明しています。彼は同じなのです。

89. 私はそれを見ているようにその事を言うことができればと望んでいます。それが共にできる教育があったらと思います。あなた方にもわかる様に。私は神、聖霊がそこに降りてきて私の意味するところを見るためにあなた方の心の中においてくださるように望んでいます。

91. モーセはその蘇らせる力を持っていました。それを信じますか?イエス様まで彼のような人は一切いませんでした。彼は幻を見ただけでなく、神と顔と顔を合わせて方りあったのです。、預言者ミリアムでさえある日彼の言葉に異議を唱えました。「神を恐れていないのか?私のしもべモーゼについて考えなさい。この時代に世には、彼のような人は誰もいなかったのです。」モーセのような人はひとりもいませんでした。「わたしはモーセに語る。」それが本当ではなかったと彼は今まで何と言いましたか?私はモーセに語ります。神を恐れないのか?彼に反対する言葉をかたってはいけない。」そしてその時彼女はらい病に襲われて死にかけていました。彼女はその後あまり長生きしませんでした。
モーセは彼女のために祈りました、

93. そして彼の試練の中で、我々が今も経験しているように…そして地上で彼に最も近い彼の妻でさえ、「なぜあなたは神を呪って死なないのですか」と言いました。
彼は言いました、「お前は愚かな女のように話す。主が与え、主が取られる、主の名を祝福せよ。」そして、神の御霊が彼の上に来て、そして彼が予言し始めたとき、彼は言いました、「わたしは知る、わたしをあがなう者は生きておられる、後の日に彼は必ず地の上に立たれる。 わたしの皮がこのように滅ぼされたのち、わたしは肉を離れて神を見るであろう。」(ヨブ記‬ ‭第19章25-26‬節 ‭口語訳‬‬)そして彼は自分を葬る場所を作りました。「この土地を買う」と言いました。そしてそこを買い、自分自身を葬ったのでした。

94. アブラハムはイサクを産み、イサクが死んだ時、同じ地でアブラハムと共に埋葬されたのです。
さて、イサクがヤコブを産み、ヤコブはエジプトで亡くなりましたが、しかし、預言者になることで、この可能性を秘めた力で、この蘇らせる力で、彼は言いました、「私をここに埋葬するな、ヨセフよ。我が預言者の息子よ。神がダメにしたこの腰におまえの手をおきなさい。天の神に誓うなら、おまえは私をここに埋葬しないでだろう。」あの男は何者だったのですか?なぜエジプトは他の場所と同じになりえなかったのでしょうか?彼は預言者でした。彼は復活がどこ起こるかを知っていました。それはパレスチナであることになっていて、エジプトで起こる事はありまなかったのです。彼は言いました、「あなたの手を私の不自由な腰にあてる、私の仕えている神によってあなたは誓う事いなす。 - おまえは私という預言者の息子である - 私の骨をここに埋葬してはならない。私をそこ連れて行きそこで埋葬しなさい。」

95. ヨセフが死んだとき、彼は言いました、「おまえは私をここに葬るな。ここに葬るな。」何故でしょう?神はいたるところにおられますか、計画をお持ちなのです。ヨセフは預言者でした。彼は言いました、「いつの日か[彼の言葉に耳を傾けて]主なる神があなたを訪ね、この地から連れ出し、あなたが行くとき、私の骨をとるのです。」それらの骨に蘇りの力がありました。
ああ、もし死からキリストを蘇らせた彼の御霊があなた方の中に宿るなら、彼はあなたの肉体をも蘇らせるでしょう。
「私の骨をここに置くな。それらの約束のものと共に埋葬しなさい。」

96. ここに、聖句があります、マタイによる福音書第27章51節、イエスが死から蘇られたとき。ヨブはそれが来るのを見て言いました、「わたしは知る、わたしをあがなう者は生きておられる、後の日に彼は必ず地の上に立たれる。 わたしの皮がこのように滅ぼされたのち、わたしは肉を離れて神を見るであろう。」(‭‭ヨブ記‬ 第‭19章25-26節‬ ‭口語訳[翻訳者]‬)
彼らはそれが預言者であることを知っていました。アブラハムは預言者でした。イサクは預言者でした。そしてヨセフは預言者でした。そして神の御言葉に従って神の啓示を受けました。
そのイースターの朝、その人たちが来て、主を信じていたすべての人たちを贖ったとき、聖書によれば、彼らもまた蘇らされたのでした。

97. 聖書はそのように言っています。マタイによる福音書第27章、そして51節は、それが地上のほこりで眠っていた多くの聖人が復活し、彼がイースターの朝に来た時に彼と共に墓から出て来たと言っています。
どうしてでしょう?彼らは可能性の力を持っていたのです。その蘇らせる力を持っていて、そして死からよみがえり、そして復活において彼と共に行きました - 彼らがその蘇らせる力に満ちていたので、彼と共に復活を楽しんでいました。
彼らはその本物のイースターの封印を持っていました。「そうですね」と「旧約聖書に戻っていきたい」あなた方はというでしょう。ちょっと待ってください。テサロニケ人への第一の手紙第4章、第16節をあなた方にを読んでもらいたい。「兄弟達眠っている者たちについて無知でいてもらいたくないあるいは他の希望を持たない者の様に悲しんでも悪しくない、イエスキリスト死んで3日目に蘇ったと信じている私達と同様(信念ではなく、我々は信じています)、そのようにしても、神が彼と共に眠っている彼らも連れて来られるのです。」
新約聖書の聖徒達は、その蘇らせる力をもって、二度目の復活の時にも復活させられるのです。旧約聖書の聖徒が間違いなくすべてその蘇らせる力で彼らの骨、昇天、そして力などは神に示されたのですから。
そして、キリスト・イエスのにあるすべての人が復活のために神と共に来るという神の約束つまりその骨を神の蘇らせる力の上に共に蘇りを見るのです。

99. 彼は言った、「ブラナム兄弟、長い間続いているんだけど分からない。」と
私はただ手で彼を取った。それは彼の耳にある大きな癌だった。一言も言わないで、ただそれを持っていた。それは兄弟それはなくなります。その後1、2日後には、傷も残っていませんでした。それは彼の尊重によるものだった。そして天の神の彼の蘇らせる力によってそのガンを殺し、ドノバン・ウェーツの命を救ったのです。そのとおりです。

100. 今、ワシからハゲタカに対しては働かないのです。ワシからワシへは、巣箱から天国へとあげられているのです。「これらの印は、信じる者に従う」 - それらが両方ともが信じている時に。

101. 注目してください、鳥はそれ自身のバランスをとるために二つの翼をもっているわけですよね。そのですね?エリヤは変換された翼であり、エリシャは復活した翼なのです。分かりますね、両方とも聖徒達を一緒に代表しておりその生徒たちは生き続けているのです。
覚えていてください、過ぎ去ったカーテンを見るために蘇らせられました。この時代にカーテンを見渡して見下ろすために、これらの人々がどのようによみがえらされて戻って来たかを。
それらの預言者…

102. 一つの物事が起こるのも見逃さずに今日にある予見する蘇らせる力を見て下さい。一度も失敗することはないのです。蘇らせる力 - 人の力ではなく、神の力なにです。復活させられたイエス、イースターの抽象的な物、復活のイエスは我々の間に既に彼によって蘇りの力が与えられていることを保証するために送られたのです。

103. 私はその朝が「過ぎ去った」ことを覚えていて、そして、私の妻はそこに座って、その朝私と同じベッドの上に横たわっていました。私が立ち上がって見たところ、彼女は眠っていました。私は言った、「主のために何かをするつもりならば、急いでください、少年よ。おまえは50歳を過ぎています。」それから聖霊が私を捕えました。私は向こうを見て、それらの聖徒を見せられた-ここにこの奥義の書物が横たえて、本当に確実にこの机のそばに福音の牧師が立っていました。

104. 私はそこに立ってその時を見回しました、私は何万、何千、何千倍もの若者や女性達が私の周りで走り、私に腕を回して抱き着きながら、叫んでいるのを見ました。私は後ろを振り返り、自分がベッドに横になっているのを見ました。ああ、主よ、私は時間を超えた状態を見せて下さい!
それは何なのでしょう?我々を捕まえて連れて行く蘇らせる力-偉大な蘇らせる力です。蘇らせる力はこの終りの日に来るのです。

105. 七人の御使いがやってくるのを見ました。霧が浮かんでいて27マイルの高さと30マイルの幅の物がありましたねそれをライフマガジンが報道しませんでしたか??フレッド・ソットマンと他の者、ジーン・ノーマンはそこに座っていませんか…七人の御使たちが丘の上に現れたとき、そこに立っていたのではありませんでしたか?何マイルもの間、丘を揺り動かしました。そこには七人の御使いが立っていました(持っていた刀を出していました)そして、「家に帰りなさい、与えられたこれらの七つの封印を開きなさい」と言いました。そして彼らはここで - 結婚と離婚の真の謎、へび(サーパント)の種(子孫)、そしてこれらのことすべてについて大騒ぎしています。それは「こう主が仰せられる。」ことなのです。
それは何ですか?教会にやってくる蘇らせる力は、この時代に彼女を準備させるための - 蘇らせる力です。ああ、神様、我々が受け取るの助けて下さい。信じられるように助けて下さい。それはどんな良い態度を取るかにかかっているのです、それは何か良いことをするつもりかそうでないのかにかかわっているの。それを信じなければならない。もしそれを信じていないのなら、何もあなたにとって良い事にはならないでしょう。

106. 「いや、ただ、我々は王様が欲しい。」
それが今日の教会のあり方です。彼らは自分の考えを欲しがっているのです。あなたに少しも注意を払うことはないでしょう。そのあたりを歩き回ります。さて、それはただ蘇らせる力がそこにないことを示すことになるだけなのです。
「ああ」あなた方は言います、「私は異言で話した。跳んだ、叫んだ。」
それで大丈夫ですが、蘇らせる力があるのなら、あなたがたは認識するでしょう - あの小さなワシのように、それが彼のマナです - 御言葉、それは「主がこう仰せられる。」それが神が約束されたことです。それが予見されたものです。それがまさに起こったことなのです。
我々は疑いの影を超えて、潜在的に今すでに復活しています。聖徒たちは空中に引き上げられる準備をしています。

107. どうして?なぜイエス様はそうを言えるのでしょうか。尋ねたいのです。なぜイエス様はそのようなことを言われたのでしょうか?彼がその方である事をご存知だったから…アーメン。私はその杖を作ることができたらいいのにと思います。彼は自分が誰であるかを知っていたのです。神がそこに書かれたすべての御言葉を成就していたことを知っていました。ダビデが語った者であるという事を知っていたのです。
あなた方は自分が聖書で語られているものであることを知っていますか?自分の立場がキリストにあることを知っていますか?キリストの中にいて新しく造られた者でしょうか?この御言葉がまさにあなた方の日々の生活そのものだと分かっていますか?どうしてでしょう。もちろん。あなた方のものです。あなたはワシです、それがあなた方の食べ物なのです。

108. 彼は言った、「この神殿を破壊し、私は3日で再びそれを建てるだろう。」なぜ?彼はすべての御言葉を蘇らせるその蘇らせる力にかなり満ちていました。彼は振り返って、神が主について書かれたすべての御言葉を見て、そして預言者は言った、彼はそれを成就されました。彼はそれが成就されることも知っていました。

109. 気がついて下さい、ワシは信じます。疑うことなく、彼らはそれを信じるのです。
注意してください。

110. イエス様を死からよみがえらせた御霊であり、もしあなた方の体に宿っているならば、あなた方の体も蘇らせるでしょう。それからそれを撃ち、燃やし、したいことを何でも。からかったり、それを引き裂き、それを引き下げ、あなたがしたいことをしてみなさい、神がよみがえらされるでしょう。
その約束を持っているすべての神の聖人は、それが真理であることを知っています。だから恐れるない事です、兄弟よ、我々はすでにイースターに入っているのです。

111. モーセに代表される死んだ聖徒たちがいます。復活があり、そこに復活がありイエスキリストが栄光を受けたのです。エリヤ、モーゼ、エリヤとイエス様は一緒に山に立っておられました、その死んだ聖徒達と、携挙された聖徒達そしてイエス様が栄光を受けたのです。
ああ、なんと素晴らしい!

112. 彼らがこのすべての力を彼らが見回した時、イエス様だけを見ました。そして真の信者は、彼が宗派を支持しているのか、それとも何もしていないのかを気にしません。彼はただ一つのことを望みます - あなた方がその栄光のキリストを見ること。どんな違いがある、本物の山の変容経験がイエス・キリストを賛美するだけです。
それをモーセに栄光を与えず、またそれがエリヤに栄光を与えるわけでもなしそれ自身のも栄光を受けるわけではないのです。しかし、彼らは栄光を受けたキリストを見たのでした。そして真の信者なら誰でも、それが彼の心の中にあるのです - イエス・キリストに栄光を帰すること。それは彼が人々に見せるようにしようとしていることです。「いや、あなたが我々の集まりに来て参加するなら、これをやったり来たりしたら…」と言ってはいけないのです。だから、そうしないでください。してはいけないのです。復活のこの素晴らしい時間の中で、キリストであり、拡大され、そしてこの日の約束を成就する神の御言葉を見てください。
そしてそれは、我々が主、彼の肉の骨、そして彼の骨の骨と共にあることを知ることを彼らに喜びに与えます。なんて喜びとなるでしょう。それが本当の信者が気にかけている唯一のことなのです。

113. 彼らはこれら他の女性がするようなことはしません。これらの男性達もそういったことはしないでしょう。、ある組織と共に彼らは一緒に居たり子供達の周りに居たりもしないでしょう、そこから離れているでしょう、又、、食事券を持っていないのではないかと心配するかもしれません。彼らはそのようなことは気にしません。それは彼らにとってばかばかしいことです。唯一の心の願いがある、それはイエス・キリストに栄光が帰されることです。
彼らの行動は神と共にあるはずなのです。それは絶対に、絶対にイエス・キリストの栄光以外の何ものでもありません。御言葉。その通りですね?
さて、注目してください…そして彼の復活を証明している同じ正当な方法で見ています。それは何でしょうか?彼が約束によるあなたの人生を見て、つまりその言葉、彼はいまでも生きていて昨日も今日もいつまでも変わらないのですと言ったのですそれこそが、彼がまだ生きていることを証ししているのです。

115. 私はいつの日か…海で溺れるかもしれないし、アフリカで殺されるかもしれませんし、私に何が起こるかわかりません - しかし私が知っている一つの重要なことがあります。私が抽象的な物(聖霊)を持ち続けるという事です。ハレルヤ!全ての扉が閉じられる可能性があります。それは私に何の違いも齎すことはありません。私は、ある人やある組織、私自身、又その集まりのどれにも栄誉を与えようとしているのではないのです。人々にイエス・キリストが死から復活し、彼の御霊が生きているのを見て欲しいのです。彼は昨日も今日もいつまでもかわることがない。

116. さて、我々がこの御霊を我々の中に持っているとき、その抽象的な物(聖霊)が、すべての疑問が打ち消されたことを示しています。しかし、キリストは生きておられます。私が生きているのではなく。キリストが私の内に生きておられるのです。あなた方が生きているのではなく、あなた方の中でキリスト・イエスが生きておられる。キリストはあなたの内に生きておられます。彼の生きている御言葉はあなた方の中に生きているからです。あなた方メソジスト派、バプテスト派、そしてペンテコステ派の考え、それらの考え方は、そして他のすべてはイエス・キリストを通して消し去られるのです。

117. 復活の朝、死の封印が破られるとき、我々は蘇るでしょうハレルヤ!我々は蘇ります。アーメン。

118. 地獄にいる悪魔がわたしの蘇りの邪魔など出来っこないのです!その朝、彼は私の顔にどらを閉じられるわけもないのです。封印が解かれたのですから。ハレルヤ!私は自由なのです。私はワシなのです。もはや檻の中になどいません、自由なのです。死からイエス・キリストの新しい命へと蘇らされたのです。私だけではなく、ここに座っているすべての男、女、少年、少女がその神の御霊に満たされ、キリストの新しい創造物なのです、あなた方はワシなのです。

119. オー世を取るなり、何でも好きなようにしてください、でも私にはイエス様をください。アーメン。私は、彼を愛しています。彼は私にとって全てなのです。そして、あなた方は彼の一部であり、私はあなた方の一部であり、あなた方は私の一部であり、そして共に居て我々は彼の一部となっているのです。

120. どこかに小さな羊が出ていて、そしてそれがその群れに入るまで彼は満足しません。神の助けを借りて、そして幻によって、そして「こう主が仰せられる」ことにより、私は海を渡って戻ってきました。あの最後の小さな羊は、あのあたりにいる黒い羊となるかもしれません。私が知っているのは彼らは魂を持っているとさえ考えていないかもしれませんが神は違うことを知っています。それがどこであろうと、それを見つけるために人生最後の日まで探し続けるのです。

121. その可能性を(それがあなた方の中にないのであれば)今すぐあなたの命を蘇らせましょう。今すぐ受け取りたくありませんか?この部屋はそれであふれています。私を今からだじゅうで感じています。私はここにある事が分かっています - 神の力。偉大な幻を見る預言者、今後起こる事を先見し告げる事が出来決して失敗する事のないもの、だれもそれに「違う」と言うことができない偉大な者。彼は誰も閉じる事をの出来ないものを開くことが出来る方。一度死んだけれども今生きておられ、そして今日もここフェニックスに生きておられ、新しく生まれた花の中を歩いておられるのです。

122. 喜びの涙が我々のほおを流れるのも不思議な事ではないのです。同じ変革の力が我々の心に入り我々を満たし命を与え、天国から来る我々に許可されたとさえいえる言語で語ることも不思議ではありません。
我々はそこに預言し、予見し、予見されたことを告げるために神のご臨在の中で素晴らしく我々に力をアが得られたのです、だから全てが完璧に御言葉と会っているのです。もしその預言が御言葉に反対に預言しているのなら、それを信じないでください。しかし、もしそれが御言葉と会っているならば、それはすでに語られている、「こう主が仰せられる。」つまり既に語られているのです「、「恐れるな。(わたしは初めであり、終りであり、死んだことがあるが世よ限りなく生きている者である)‬‬ それが神のイースターの封印なのです。
その封印はこ御言葉により全ての文字があなたの心の中に刻まれています。封印とは何でしょう?あなたは書かれた書簡であり、すべての人があなたを読んでいるのです。あなた方はそれを知っています。しかし、神があなたの事を要求されたとき、イースターの封印であなたを封印されキリストと共に蘇らせ、そして新しく創られたものとなりました。今現在、封印されていない場合は、頭を下げて祈る時に受け取ってください。
[予言のメッセージが聴衆の誰かによって与えられる。]
それを聞きましたか?祈り頭を下げながら今考えてください、ローマ人への手紙第8章11節:「もし、イエスを死人の中からよみがえらせたかたの御霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリスト・イエスを死人の中からよみがえらせたかたは、あなたがたの内に宿っている御霊によって、あなたがたの死ぬべき体をも、生かしてくださるであろう。)

124. カモメや魚を餌にしているものはすべて餌を食べるのを辞めたのです。早朝彼らはふつう餌を食べる時なのです。彼らは土手に座って崖やものから逃げ出しました-ほんの数分で海の苔が海底から離れて地球の外から吹き出し始めました。それが起こる前に、魚や動物たちはそれを知っていました。

125. わかりませんか?霊に満ちた人々、何かが起こるのは決まっている事ですね?根本的ないくつかの大きな普遍性を探してはいけません - 主イエスの到来を除いて。ただ、ただ言葉、主の約束を覚えていてください。

126. もしその復活に入る事にすることを知らない人がいて、復活の力が彼らの中にあるのかどうかわからない人がいるのであれば…皮膚の虫がそれを破壊したとしても、原爆があなた方のいるど真ん中で爆発したとしても、蘇りの復活の力は決して破壊されることはないでしょう。いいえ、、姉妹、兄弟、あなた方の大切な名前は小羊の命の書にかかれています。だれもそれをこすり消すことはできません。彼の血がそれを買ったところにある本からあなた方の名前をこすり消すのに十分な研磨剤は地上にありません。よくわからない場合は、今そのチャンスを失わないでください。
どこかでバリケードを通り抜けて殺されない状況を通りすぎる機会がかもしれませんが、あなたはこのバリケードを通り抜けることはありません。いいえ いいえ、それを手に入れるのです。あなたがそれをする必要はありません。今点滅している赤い電気が点滅している今。自分自身の考え方を無視して、世のものを無視するのです。

127. 今週あなたの心の中で祝う事ができますか?もしできないのなら、あなたはただ神に手を挙げて、「神よ、それについて確信が持てません。それを全部やることができるかどうかわからないのです。助けてくださいますよね?。手を挙げますので、主よ。助けてください。」
神の祝福がありますように。神の祝福がありますように。いいですね。「主よ、あなたが欲しいのです、主よ。助けてください。私は引き上げられたい。私は今すぐに潜在的な可能性を持ちたい。私は正しいことを知りたい。私は正しいことを知りたいのです、主よ。」
私にはできません…そして何の間違いもいらないのです、それは手遅れになってしまうでしょう。今がその日です。今がその日なのです、待っていてはいけません。

128. そのとおり。ビザを取得しましたか?もしビザを持っていないのなら…パスポートを持っているかもしれませんが、あなたのビザを持っていないなら、土地に入ることができません。ご存知ですか?あなたの…すべてを準備しましたか?そうでなければ、今こそそうする時です。
恐れる内でください。あなたが少しでも怖いのであれば、ここには約100人の手があるので、ここから行っている人達がいるから怖いのであれば、今一緒にそれを解決しましょう。

129. あなたは小さなワシがもうその農家の庭にとどまることが可能だという事が想像できますか?ムリ!に違いありません、もうここにいないでください、友よ。共に携挙しましょう。そうするための神の恵みがここにあります。

130. 科学者らによると、我々がやり終わったかもしれないと分かっています。6〜7年前、我々は真夜中まで3分でした。どれだけの時間が残っているのか知りませんが、我々はそこにいることを知っています。ああ、神よ、慰めを与えて下さい!我々の心が神のすべての約束を「アーメン」としているのを見るために。我々の中に入って来た御霊そのものが我々の存在を蘇らせるのを見ることをです!
神よ、今朝、私の兄弟達に分からせてください。兄弟達に、その御霊が入ってきて御言葉を蘇らせることを見せてください。私の姉妹達にも同じことを見せてください、主よ。そして、もし彼らがその御言葉を蘇らせることができない何かを彼らが見たならば、ああ神よ、すぐにそれを取り除いてください。それを認めてください、天のお父様。それは今あなたの手の中にあります。
私は多くのことに失敗し、失敗し続けていることを知っています、しかし、主よ、私はやり方を知っているすべてをしました。今それはあなたの手の中にあります。彼らはイエスの御名の中であなたのものです。彼等を受け入れてください、お父様。

131. 遅くなっているのを知っていますが、今何が起こりうるのでしょうか?何が起こり得るのかただ考えてください。可能性はあなた方の中にあるのです。
手を挙げて、あなたは神への宣誓の様に取ったのです。私は何かが私に起こったことを知っています。私がいるべきと所に居ないかもしれません。

132. 今老人としてではなく、何年も、何年も前にそれが起こったのです、そして私が大きな困難を経験したときにその病院に入っていった。その日を覚えています…。私は妻が死んだことを見せられ、彼女の命のために主に求めました。「私は何をしたでしょう、しかし街角に立って病人のために説教して祈る以外に?」
そしてサタンは言った、「まあ、彼はあなたの祈りに答えないでしょう。」彼女が死ぬのを見ましたが、彼女の中にその復活の力があることを知っています。それらの骨は再び蘇るでしょう。
私の赤ちゃんがそこに横たわっているのを見ました。その上に手を置いて、「神よ、連れて行かないでください。」と言いました。神が幕を引き下ろしたように見えましたそして「もうあなたから聞くこともないのでしょうか」と言いました。
サタンは言った、「あるよ。ただ一言だけ。」私がそれを知っていたので、彼は神がいなかったと私に言うよりもよく知っていました。しかし、彼は神は私を愛していない、保護しないと彼は言った。見てください、あらゆる理由付けをして言いました、「あなたはたかが20歳の青年です。奥さんは遺体安置所に横たわっている、そしてここにあなたの赤ちゃんがいてそこにまもなく行くのだ。そしてあなたは彼が偉大な癒し主だったと言い、そして、彼はこのことの全てをやっているのだ。そして、分かるのか彼が何をするのか?と一言で。彼はそれを話す必要さえなく、ただそこを見下ろして言うだけです…頭をうなずくと、ただそれだけなのです。それは起こり、そして癒されるでしょう。しかし、あなたは分るのです、彼はあなた方を愛していません。あなたのことを気にしていないのです。赤ちゃんがそこで死ぬのを待ちましょう。この暗黒の時代に祈りを聞くのを拒んでも。」と

133. 私は彼に同意する準備が出来ていそうでしたーそして私の中に在る何かーあの蘇らせる力。私は「主が与え、主が取られる、主のみ名は誉むべきかな。」と言ったのです。
すべての望みを諦める時、
その時、彼が私の望みの全てであり共におられるのです。
堅い岩キリストの上に私は立ちます。
他のすべての地は沈む砂の様なもの、
主がラッパの音と共に来るとき、
ああ、彼を私は見つけられるかもしれない….
私自身のものではなく、彼の義の衣に包まれたのです。私にはありません。私のものは汚れていて、汚れた雑巾の様なものです。
私の説教で天国に行こうとするのはあり得ない事です。私の幻で天国に行こうとするのは嫌なのです。彼の恵みを心に抱いているから私は天国に行くのです。それゆえに私は行くのです。我々は皆その様にして行くのです。

135. 彼らのうちの何人かは言った、「あなたは宗教を守りましたか、ブラナム兄弟?」
私は言った、「いいえ、それが私を守ったのです。私が持ち続けたわけではないのです。私が守っていようがなかろうか。彼が持ち続けていようがいまいが、彼は必要はなくとも持ち続けてくるのですそれは彼が守っているかいないかではない。
御使はすべての木に座っていました。指を緩めて引けばいいのです。ただ十字架から(それを取る必要はありません)指をさすのですしてください。ただ指さしてそれを見るだけです…あのバカにしていた人々が見えますか?でも、もし彼がそうしたのなら、私は今日この証しを持つ事は無かったのです。あなた方もその証がありませんしかし彼が十字架にかかってくださったので、彼が持ち続けて下さったから私も彼と共に守り続けるのです。
堅い岩であるキリストの上に私は立ちます。
全て他の地は沈む砂の様なものです....

136. 蘇らせる力を忘れないでください、イエスを墓から蘇らせたその力。あなた方は自分の体の中に持っているものに信仰を持ってください。手を置いたその人を助けて下さい。それがあなたの中に宿るなら、それはまたあなた方の肉体をも蘇らせるでしょう。

138. 神のご臨在の中で、あなたの御言葉から私が語ったこの示された真理に気が付いてください。彼は裁かれまた、我々は彼が我々を贖われたことの証人なのです、そして、神の恵みによって、その蘇らされる力を我々に置かれたのです
我々の友達は病気で、手が置かれています。オー神様、我々は今朝の信仰の中で、人々に手を置いて悪魔に挑み、そして私の手を人々の上に伸ばして命じました。この真理とご臨在の下で人々を拘束しようとするあらゆる病気、苦痛がイエス・キリストの御名の下に現れるのを許しましょう。これらの人々が今日解放されるように。
我々の神の言葉である聖書は、「彼らが病人に手を置くなら、癒される」と言われました。そして、我々の手は、神であるあなたに向けて手を挙げています。

141. 私は目の前に危険を冒しています。私はそれを知っています。そして、私はあなたを水を飲むかのように撃つかもしれない異教徒と会います。そしてあなたはただそのために支払われているのです。あなたは彼等の土地に来たのです - 同様に簡単に聖書の中であなた方に挑戦する悪魔がやって来ます。しかし、時代を一度も見たことがないですが、我々の神が勝利を収めたのです。私は彼の御名の下で、主イエス・キリストの御名の下で、永遠の命の望み、復活、そして人生を持っているのです。
「生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。」私はそれが神の永遠の御言葉であると信じています。あなた方は同じことを信じますか?私のために祈ってくださいますか?お祈りします。
我々がまた会う日まで神が我々を見守ってくださいますように。

142. 彼を愛し、彼を愛します。
彼が最初に私を愛したからです。
そしてカルバリーの木の上で
私の救いを買い取ってくださった。
今、我々は歌を変えようとしています
私の信仰はあなた、を見上げます。
カルバリーの子羊であるあなた
救い主であられる聖い方
今、私が祈っている間に
全ての罪の意識を取り去ってください
ああ、この日から
あなたの物にしてください。

143. ファニークロスビーは書いた曲です:
私を通り過ぎないでください、優しい救い主よ、
謙虚な叫びを聞いてください。
他の人々をあなたが呼び出される間、
私を通り過ぎないでください。
あなたが安らぎの流れ全てなのです。
命より以上に
あなた以外に私のそばに誰がいるでしょう?
天国にもあなた以外には誰もいません。
素敵ではないですか?それで、「私は彼を愛しています」を歌いたくなりませんか。今からこれから、「私は彼を愛しています」を歌う間。我々が互いに愛し合いましょう。もし、お互いに愛し合っていないならば彼を愛することはできません。さて、ただお互い握手をして、立って、テーブルの向こう側に手を伸ばして、お互いに握手をしましょう。
彼を愛している、彼を愛している
彼が最初に私を愛して下さり。
そして私の救いを
カルバリーの木に
私の救いを買い取ってくださいました。
さて頭を下げて祈りましょう。

144. 若いクリスチャンであるウィリアムズ兄弟を愛しています、そして、彼は本当に小さな家族でキリストのしもべであると思います。これらの、そして貴重なモーズリーの男の子たち、そして彼ら全員とたくさんの交わりを持っています。我々は一緒にいて、そしてここフェニックスにいる親愛なる多くの友人たち全てを心から愛しています。そしてその日の朝の幻の中で、彼は言った、「あなたが今までに愛していたすべてのものと、あなたを愛しているすべてのもの、神はあなたに与えられたのです。」と思います。

145. 親愛なる神よ、フェニックスに残されたあの小さな羊ですか?私は知りません、神様あなたがご存知です。でもいつかそうなるでしょう。しかし、天のお父様、これは疑いなくそうです。ですから、あなたが今彼女を助けて下さるように祈ります。優しく扉を開けてください。「さあ、私の子よ、着なさい。疲れ迷った道から来るのです。あなたは暗闇の中でそこにつまずいてきました。私はあなたを受け取るために今日出てきました。今」それは私の霊があなたに語り掛けています今その群れの中にあなたを入れる様にそれを与えてください、神よ。この若い女性がまさに人生の曲がり角にいるのです…「御子を信じる者は永遠の命をもつ。」(ヨハネによる福音書第3章36節一部 口語訳[翻訳者]) この若いクリスチャンにそれを授けてください、神様。
「父がわたしに与えて下さる者は皆、わたしに来るであろう。そして、わたしに来る者を決して拒みはしない。」(ヨハネによる福音書 第6章37節 ) 聖徒が若い女性の為に立って祈っている間、死ぬほどひどく投石されたパウロでさえ、彼は死にかかっていました。なぜなら、それらの聖徒たちの体の中には、その蘇らせる力が命の霊を聖パウロにもどしたのです。神様、それは確かに…死の祈りを祈れますあるいは、命への信仰の祈りによる人の死から命への信仰の祈りを祈ることができます。それをお与えください、親愛なる神様。我々はあなたを待っているので、今祝福してください。イエス・キリストの御名によって、祈ります。さて、頭を下げて、ウィリアムズ兄弟に尋ねます。