1. そして今、頭を垂れながら、(そして私達の心も頭を下げていると信頼しています)、ここにいる何人が祈りの内に何か特別なことで覚えておいてほしいのかと思っています。そういう方はただ、手を挙げて、「神様、今晩私が探しているものを与えて下さい」と言いましょう。主があなたを祝福されますように。
2. 神様、我々はあなた生きる神に祈りに答えて下さるという、信仰を持っていることを表現するためにここに集まっているので、祈ります。我々は無割礼の世界から出てきたのです、そして心と耳をそれらの人生や生き方から離れてきています、又、我々の信仰をあなたに告白いたします。そして、今晩あなたに向かって、我々は必要を抱えてくることを言いながら、手を挙げています。親愛なる神様、彼等全員のリクエストに答えて下さい。
3. 我々は主の再来が近い事を知っています、預言者達が予見した全ての印により分かるのです。我々はその時が近い事を知っています。どうかあなたの子供達全てが完全な開放を受ける時が近いのです。神様、我々全員がそこに行けるようにしてください。父よ、一人も残されることの無いようにしてください。それがここに私たちが居る目的なのです。主よあなたを愛しています又、その時の為に準備しようとしています。
我々に語ってください、再び今晩病人を癒してくださるように求めます。この建物の中にいる全ての病人を癒してください、彼らを癒して下さるように主よ祈ります、特に特別な必要を持っている人達の為にお願いします。我々は、全ての失われた魂を救ってくださるようにお願いします。全ての信仰者を聖霊によって満たし、あなたを信じる子供達の力を新しくし強めて下さい。これらの事を認めて下さい。父よ。沢山のtことを求めています、あなたが多くを求めなさいと言われたからです、大きな事を沢山の事を求めます―私達の喜びが満たされるからです。そして我々はイエスキリストの御名によって求めます。アーメン。(おかけください。)
6. さて、今晩はあまり長く話すつもりではありませんというのは、明日2回礼拝をするからです。そしてその後、すぐにどこか別の場所で、他の礼拝があるのです。
7. あなたはアビブの月を守って、あなたの神、主のために過越の祭を行わなければならない。アビブの月に、あなたの神、主が夜の間にあなたをエジプトから導き出されたからである。
主がその名を置くために選ばれる場所で、羊または牛をあなたの神、主に過越の犠牲としてほふらなければならない。
種を入れたパンをそれと共に食べてはならない。七日のあいだ、種入れぬパンすなわち悩みのパンを、それと共に食べなければならない。あなたがエジプトの国から出るとき、急いで出たからである。こうして世に生きながらえる日の間、エジプトの国から出てきた日を常に覚えなければならない。
8. 「これは何ですか?」
「さて、彼らは 机です」というでしょう。
これは何のために使うのですか? 分かりますね?
さて、誰かが、これは机ではなくて、板だというかもしれません。
さて、それは板です、でも机なのです。分かりますか、それには真実の答えがなければなりません。何かそれに近いものでもあるかもしれませんが、真実である必要が、あります、全ての質問に直接の答えがいるのです。そしてだから、我々の人生で出てくる全ての質問には、真実で正しい答えがある必要があるのです。
10. さて、我々はここ申命記の初めに、モーゼが聖句を再び行っているのを見つけます。その物事は彼が彼等に行ったことでした、どのようにして、偉大な強い腕によって彼が彼等を連れ出すのか、エジプトを出て行くのかそして初めに彼らを設営しなければなりませんでした。彼らはエジプトを出るまでは「神の人々」と呼ばれていて、そして彼らは「神の教会と」呼ばれていました、教会というのは、集まるものあるいは教会の本当の意味は、呼び出された者たち、つまり、呼び出された人たちという意味なのです。そして、彼らは教会になるためにエジプトを出てきたのでした。
11. さて、900と幾つかの異なる考え方によって、我々は、全ての異教徒の宗教をバイパスさせて、クリスチャンの宗教だけの様に語ってきていますが、異教徒への思いがあり、間違いなく、彼らに話すつもりですが、彼らは間違っています。キリスト教が唯一正しい主教です。私が言っているのは、私がクリスチャンでそれを真理だと信じているからでは二のです。それは正しい唯一の宗教なんです。
12. そしてあなたがブッダに行くとしたら、ブッダは、2300年前に数百年生きた日本の神の一人と言われています。そして彼は哲学者で、ある意味孔子などと同じような感じでした。しかしこれらの全ての創始者やその他は、皆最後死に、彼らの哲学も墓に埋められたのです。しかし、イエスキリストによって打立てられたキリスト教は、空の墓があります。彼が「私には死に蘇る力が命の中に在る」と言われた地上に住まれた唯一の存在です。そして彼はそうされました、そして今日も生きておられるのです。そして今も生きておられることを我々は知っています、彼は我々と共におられ、肉体的な印や奇跡、彼が見せると約束されたものを見せて、又イスラエルの子らを導いた火の柱をも、今日我々と共におられるのです。写真で撮影された物さえあるのです、そして彼の約束された、奇跡と印を今日行っておられ、全て彼が約束されたことが、今日現れています。それ故、残りの異教徒の世界はキリスト教とは全く異なっているのです。
14. さて、それらの律法の一つが世に認識されています、それはシナイ山でのものです。神はモーセとイスラエルに律法を与えられました。それらの律法が彼等を助けられるからではなく、彼らが罪びとであることを認識させる事だけが出来る者でした。その時、律法を得るまで、罪が何であるかを知らなかったのです。罰なしの律法はあり得ません。罰のない律法はないのです。それ故、律法に違反する事が罪であり、罪の報酬は死なのです。それ故神は彼等に律法を与え、彼らが違反しないようにしたのです。もしここに律法がなければ、時速20マイルを超えて走るでしょうそして20マイル以上で走れるのです。しかし法律がそれは出来ないと言っているのです、そして法律には罰が必ずついて回ります。
15. さて、これら二つの律法、申命記を見ています。二つの律法について話しました。二つの律法があります、一つは死の律法もう一つは、命の律法です。
17. 誰か... 自分のしていることを知らず、どのようにするかも知らない、どのようにするかを知らないなら、どのようにするかを知り馬で知りません。あなたはしている事とどのようにするかを知っていなければなりません。
これは神が彼の礼拝者に一つの特定の場所彼に出会う場所がある事を示してくださったのです、彼の礼拝者に神がお会いになる唯一の場所です。
18. そして偉大なる変わらない神様は変わる事はありません。人は変わります。しかしあなたの人生をいつの時でも、全てかっみが言われた物に信頼する事が出来ますというのはそれが真理だからです。それは真理です。私が完全に信頼がおける唯一の事は聖書にある事ですというのは人の言葉は失敗しますが、神は完璧な方です。今年、私は去年知っていた以上に知っているべきです。あなたも同じです。毎日、我々は進歩するから、より知識を増やすことが可能なのです。彼はもともと、完ぺきな方です。全ての決断は完全に正しくなければなりません。
そしてその方法で神が一度されたのだったら、その方法で永遠に彼は動かれなければならいのですもしそうでなければ彼は初めから間違っていたのです。人が神に神に受け入れられたという基本の下に神に救いを主t目に来たとしたらば、その基本は毎回受け入れられなければならないのです。その通りです。もし人が、神の癒しを求めて神に来たならば、神はその人を特定の企保によって受け入れ、次の人が来たら彼は保同じ方法で彼を受け入れる必要があります、そうでなければ端根の人を受け入れた時に神が間違っていたことになります。神は火とに会う時に、基礎を作られます。彼の造った基礎は神がされるのです、どのようにされるかも、そしてエデンの園での犠牲の子羊の地を通して、始められたのです。神には時間の差はなく、それが変わる事もありません。
19. ヨブも保馴染事でした。彼は義人でした、というのは神が彼に要求した犠牲をささげたからでした。
20. 全ての律法は来ようとしていたことの前影でした。ちょうど月が太陽の陰である様にです。それは太陽が居ない時にその仕事をします。教会が神の御子の肉体的存在が居ない時に、見せる様に、光はより少ないですが、教会、信仰者たちが、神に仕え、光を与えて、御子がおられない時の分を使えるのです。しかし、太陽が上がると、もう月を見る事は無くなりますというのは、降るからです。その光はいらなくなるからですというのは、太陽が降った時に第2段階として光を少し与えるだけだからです。
さて、夫と妻のようです、太陽と月、教会とキリスト。さて、我々はこれらの事をキリストの影となる事で見つけました、全ての犠牲、晩餐、そして旧約聖書の中に在る全ての事はキリストの前影だったのです。影が床全体に広がる様に。さて、ここで正しい礼拝の場所を見つける必要があります。旧約聖書のこの場所に戻ってこれらの事が与えられ見れた場所です。
21. それ故、我々が旧約聖書の彼が彼の名を選んでつけられた場所は型という事が分かります、現状に関してはです。さて、影がその床に十字架を見せると、私はそれはマイナスになる型だと言えますそして我々は礼拝者なので、旧約聖書の消えゆく影を新約聖書のプラスの中に行くのを見る事が可能なのです。
今、全ての祭りごと、祝日、全ての幕屋、全ての木、幕屋の中に在る全ての事、全てがキリストの中に在る方にあります。全ての捧げもの、全ての律法、全ての事がキリストの方の中に在ったのです。その幕屋でここでも次から次へと我々は経験を重ねてきています。そしてこれらの事を全ての信条、教会と宗派は置き去られたのを見てきました。それはその人種さえ全く関係ないのです。全ての信条、全ての教会、全ての宗派は完全に置き去られました。彼等には全く場所がなかったのです。
22. 神様は彼の名前をどの宗派を選んでつけたりはなさいませんでした。もしそういう聖句があるなら知りたいです。彼らは彼がそうしたと言いたがるのを知っていますが、神はされませんでした。神は彼の名前を多くの場所につけることは不可能ですというのは、彼の名前は一つの場所につけると言われたからでした。そしてその一つの場所を各宗派が彼等がその場所だと言いたがるのですが、それは逆なのです。ところで彼はどこに彼の名を付けたのでしょうか?
23. 彼は「アブラハムの前から私はいたものである」と言われました。そして私がそれである、燃える藪、火の柱、モーゼの時代に戻って、私はあってあるものである。
24. さて彼が神の礼拝の場所になる事が分かります、そこが彼を礼拝する場所なのです。彼が生まれるずっと前から、彼の名前はイエスと呼ばれていました。それはとても重要だったのです、それは天使ガブリエルによって彼の母に与えられたのです、彼の名目はイエス、神の御子と呼ばれるであろう、それが彼だったのです。
26. さて、どの教会宗派もこれやあれを請求できません。誰がそんなことが可能なのでしょうか?それこそが反キリストの霊です、キリストから取り去ろうとすることです。そんな事あなたには不可能です。キリストのみが神が礼拝者に会う唯一の場所だからです。
28. それはここにおいてとても美しい形式なのです。我々はちょうど7つの教会時代について学びました、神が全ての7つの教会時代を御言葉の内に保たれたのを見せることになります。書く教会時代は御言葉の一部として創られました。そしていつでも、彼らが作られたときには、光を見たのです。強度、人々がイエスの名によって洗礼する事を初めて発見したのと同じです。彼らは何をしましたか?彼らは宗派を作り、そこで死に絶えました。そして神は誰かほかの人に移っていったのです。彼はそれらの信条や人間の作った教義(ドグマ)に留まられることはありません。彼はそれとは全く関係がないのです。神に関して何も間違っている事は無いのです!神の言葉は聖く、混ぜ物はないのです。キリストが神の礼拝の中心の位置なのです。彼こそが神なのです。
全ての7つの祭事はこの一か所に守られる必要があります。他の場所ですることは出来ませんでいsた、その年の7つの祭事は一か所で行われ続ける必要がありました。それ故、7つの教会時代も一つの場所からくる必要があります、それはキリストが7つの教会全てに語られたのです。それこそ正しい事です。7つの教会時代の形式です。しかし彼らはそれから宗派を作り出してしまいました。
29. 我々は出エジプト記の12章で、イエス様が来られるのを見出します。気がついて下さい、それは唯一死が撃つ場所なのです。死がその地を撃つとき、特定の場所である必要がありました、この死によって全てが来たのでした。一つの場所だけでした。さて、それは一つの家を意味したのではありませんでしたが一つの場所それこそ子羊が殺された場所。子羊の地が死の天使によって撃たれることは出来なかった場所、それは神が彼の名を付けた場所だったからです。そしてその子羊は初めからその場所に戻って名前を戻されたのです。気がついて下さい。それこそ彼が撃つことのできなかった一つの場所でした。
30. そして聖霊のバプテスマの瞬間を選ぶとして、そしてそれが実に入っていくのでが分かりますね。神がとどまられる道が分かりますか?彼の名前を同じ様に常に正しいのですというのは彼こそが御言葉だからです。
気がついて下さいね、それは死ぬことが出来ません。命の言葉は死ねません。今こそそれがどれ程完璧かに気がついて下さい。死の天使はエジプトの偉大な知性の高い人々を撃つことを許されていませんでした、その聖地を撃つことは打つことは許されていました。素晴らしい建物や、ファラオやその地の祭司達、天使たちは彼等を撃つことは止められていませんでした。どんな建物でも、場所でも、誰でも、打つことは許されていましたが、子羊のいる場所は打つことが出来ませんでした。死はこの神が与えられた場所をを撃つことは出来なかったのです。そしてそれが子羊の中にいるのです。
気がついて下さい。彼はイスラエルを撃つことさえも許可されていましたあるいは減ブルの祭司達、あるいは彼らの宗派のどれもです。神の選ばれた供給された場所以外は死が撃つことが出来たのです。
31. 気がついて下さい、彼のい選ばれた場所、彼の子羊、その子羊の名前だけが安全な場所なのです。
気がついて下さい、それはオスの子羊です。彼であり、彼女ではないのです。教会ではないのです、それは彼の名前ではありません、彼女の名です、彼が人々に会う場所は彼女の名の中ではないのです、彼の名前、彼、子羊の中です。
33. 私は「私は呼ぶ必要があると信じている」そうですよね。
そして彼は「さて、なぜ彼女は言う必要がない、彼女は初めからジョーンズの名前で全てをするから」
私は「道を歩いて、彼女にジョーンズ来い、彼女はまず結婚式をしてジョーンズに、成らなければ、もしそうしていないならあなたは姦淫の中に暮らしている」そしてもし他の方法でイエスキリストの名でない名前で洗礼をしているならばそれは姦淫の洗礼であり、それは聖書の中で見つけることは出来ない。言葉と行動において全てイエスの名前によってしないならば、のちに何をしても、、まず彼の名に来る必要があります。
34. 世界には、素晴らしい人々がいます、素敵な教会もありますが、イエスキリスト夫人、つまり彼が迎えに来る人達は一つなのです。それは彼の名前を持っている人達。彼を礼拝する場所でそれが彼女の中に在り彼女だけなのです。それは真実です。もちろん。我々はそこに真実を見つけるのです。
さて、だから、言葉と行動をする時全てイエスキリストの名によって行うのです。救いの為に天が下に他に与えられた名はないのです、イエスキリストの名以外にはないのです。使徒行伝で言っています。「この人による以外に救はない。わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである」。その唯一の名こそがイエスキリストです。アーメン!分かってほしいです。全ての最高の天の名は彼の名なのです。天にいる全ての家族はイエスと名付けられているのです聖書がそう言っています。神が選ばれた名前でそこに彼がおかれたのです。それが神を礼拝する場所なのですーキリストイエスの内でです。
35. 彼はどこに置かれたのでしょう?キリストの内にでした。全ての他の教会の名前、信条、タイトルでは死に至るものでしかありません。メソジスト教会が天国に連れて行っていると信頼しているとしているとすると、あなたは失われています。ペンテコステ派の教会が天国に連れて行くと信頼しているとしたら、あなたは失われています。パブテスト、ルター派、長老派、カトリックであれどんな教会でも彼らの名前あるいはタイトルあるいはその信条に信頼しているとしたら、あなたは失われていますというのも、初めに礼拝の場所でに来なければ、礼拝する事さえできないのですから、アーメン! 神が唯一礼拝者に出会う場所は、彼が選んだ彼の名を置かれた場所なのです。全ての他の物をあなたが信頼してるならば、あなたは死に至るでしょう。
38. さて、私が知っているのは、誰かが多少おかしいと思っている様です、14日目に殺されしかし覚えていますね、彼らははその月の10日目に子羊を取って14日目に殺したのです(分かりますね?)4日間保たれていたのです。
さて、イエス、神の子羊の名前は、エルサレムに行き、彼の死後迄決して出てこられなかったのですが、その後 復活されました。彼は4日間と4晩非難にさららせていました。どれ程子羊が完璧に形に入っているのでしょうか?4日間保持されていました。そしてピラトが言ったのです、彼の中に間違いを見つける事は出来なかった。
39. ここでも他の偉大なことに再び気が付きますね。「私はそれを飛ばしたりはしません、彼は捧げものの中で代表され、食事の捧げものの中で。私は一度預言者の学校と聖書の中で呼ばれている学校を彼らが持っていたのを覚えている。そしてそれは凄い学校だった。そしてエリヤがそこに上がって行って、その学校に行ったのを見つけた、そして彼らは、「私達は、、「彼らは彼が去る様に祈って行った、「あなたがここにいる時、物事が厳しすぎた」そして彼らは彼に出て行って欲しがった。彼らは夕食を一緒に取りたがった、そして沢山の祭司たちが出て行った、あるいは彼の為に夕食を作るために預言者達に幾つかの豆を得るために言った。そして彼らがそうした時、彼らは大きなエプロンを集めた。そして彼らが戻って来た時、それは虫の様なものでそれは毒だった。そして彼らは鍋の中にそれを投げて、鍋が沸騰し初めて、誰かが「鍋の中に死がある! さてもう我々は食べる事も出来ない」
そしてエリヤは「少しだけでも食事をくれ」と言った、そして彼はその食事を食べてその鍋を投げて行った、「食べなさいその鍋は癒された」
その食事は捧げられたキリストでした。全ての物は同じようにおかれる必要があり、食事の全ての物は同じように食べ物の捧げものとして置かれていた。彼は癒し主であり、死を取りさり二つの律法によって命を与えられた。ハレルヤ!死がある場所が一つあり、キリストが来て、命がやってきたのだった。彼は昨日も今日もいつまでも変わる事がないのです。そしてそこに死がある場所に命にありったのですというのはキリストが食事の捧げもの中に持ってこられたのです。
これらの事は私達が時間を取ってそれらを壊さった時間は素晴らしい学びでした。
40. そして神はキリストイエス以外の他の全ての場所を拒否されます。彼以外の他の場所では彼を礼拝する事は出来ません。「彼らの私を礼拝するものは全て無駄である、人の命令や競技や教えにすぎない。」今日われわれには信条、ドグマがあり又全てが教えています。「これが道である」そして「あれが道である」とそしてイエスは言われました「私は道であり、真理であり、命である、誰も私によらないでは、父の御許(神の所)に行く事は出来ない」つまりは、私が羊の群れの為の扉であり、それ以外は盗人である。彼が唯一の近づく方法である。彼が扉であり、道であり、真理であり、命であり、それが唯一の入り口で唯一の場所、唯一の礼拝の場所で唯一の名前です。全てがイエスキリストと結びついています。旧約聖書の全ても彼とつながっていました、新約聖書も彼に繋がっていました。そして今日の教会も彼の戒律の言葉によって彼に繋がっているのです。他の場所ではなくあるいは他の名前でもなく、あるいは神が人と会う場所として約束したのは、イエスキリストのみなのです、彼が選んだ礼拝の場所なのです。
42. 彼等がこれを聞く時、彼らが彼等の心を指す時、人々と兄弟達我々は何を出来るのでしょうか?
ペテロは言いました、「悔い改めよ、あなた方全てが、そしてイエスキリストの名によって洗礼を受け、罪が浄められ、聖霊の賜物をうけるであろう、全ての将来の世代への約束である。
43. 初めに言葉があった、言葉は神と共にあった、言葉は神であった。
そしてその言葉が肉体となって我々の中に住んだmm
一つの言葉を否定して、我々が肉体の中にいる事が出来るのでしょうか<あるいはどこか他の場所に、肉体においても?
我々はどの様にしたらよいのでしょうか?
44. 彼の一つの手紙も否定する事は出kませんというのは、同じパートになっていたから。あなたは彼の一部です、だから聖霊によって彼の内に洗礼されたのです。それがイエスキリストの体の内に齎されたのでした。
45. 彼はこの時代の事を語れました、それが今起こっています「この時代の信仰者はこれを信じなければならない、彼が今日約束された事です。箱舟に入った彼等が救われなければならなかったのと同様です、エジプトから出た者たちが救われたのです、彼らは今キリストに入らなければならないのです、その言葉のメッセージに、彼は昨日も今日もいつまでも変わる事がない方だからです。
どのようにあなたはそれに入るのでしょうか?洗礼により?なんの洗礼?水? 聖霊の洗礼によるのです、一つの霊で我々は皆洗礼されこの一つの体になるのです。
46. 彼は父の御仕事についてあったのであり、又今日も同じでなければなりません。
さて、彼は昨日も今日もいつまでも変わる事がない事を覚えておいてください。神があなたに彼の中で会うためには、その唯一の場所は、彼の選んだ彼の名前を付けた場所でなければならないのです。それはイエス、イエスが神の名目です。覚えておいてください、父、御子、聖霊のタイトルの名前がイエスキリストなのです。
49. 我々は一つの場所で礼拝を保つ必要があります、それはイエスキリストその御言葉、昨日も今日もいつまでも変わる事がない方です。アーメン!大丈夫ですね。覚えておいてください。他には礼拝する場所はありません。場所ではないのです・神がそれを選ばれました。
51. 彼等の内の何人かは、「今結婚と離婚について説教するな、ヨハネ、ヘロデがそこに座っているから」といいました。
彼の顔迄貼る居て行って言いました。「あなたがしている事は律法にかなっていない」その通りです。それは何だったのですか?彼は荒野から来た鷲だったのです。人の恐れや幾つかの宗派のいじめの下で訓練を受けてはいませんでした。彼は洗脳の神の力の下で何が正しいかについて訓練されていたのです。彼はメシア(救い主)の認識を知っていました。ハレルヤ(その言葉意味は、「神を褒めたたえます!」恐れないでください、誰もまだ傷つけてはいません。私は興奮もしていません。私がいる場所を知っています)彼について考える時、それは大きな鷲がそこから飛び出して座っていると考えるのです。彼は「彼が来るときには彼を知るであろう」と彼は言った。
52. 彼は「全てが終わった時に、その時彼らは来るでしょう
そして「それはない、あなたは偽預言者だ。
そして周りを見なさいと彼は言いました「見よ、そこに彼がいる、神には選んだ礼拝する場所を持っておられるのです。そこには子羊が居て、世の罪のゆえに取り去られた本物の子羊がそこにはいます。彼はこうは言われなかった、ここにメソジストがいる、ここにバプテストあるいはカトリックがとは、彼は「世の罪の為に取り去られた神の子羊が来られる」と言われたのだった。唯一の安全な場所は、神の子羊の中にいる事、彼だけが救いを持っておられる。どの教会にも、どの信条にも、どの人々にも、どの母親にも父親にも、聖なる人といわれる人にも何にも、聖なる場所と言われるところも、それは聖なる神、主イエスキリストの中に在るのです。神が彼の名前を贖いの為の人間として置かれた場所です、私達罪びとの為にその代価を支払ってくださった方なのです。それが唯一救いを与えられる場所なのです。
53. どの様にヨハネがそれを置いたかを見てみましょう?彼は「あなた方パリサイ人は正しい、佐渡会人、ヘロデの人々が正しい」とは言いませんでした。彼は、「子羊がいる、それがその場所、彼がその名前を持っていて、彼のみで彼以外天下の下には他の名前は何もない。と言ったのでした。
55. 神は彼の場所を選ばれるのです。ヨハネは「そこだ」と言いました。そしてその時、人々は今日マラ気4章の子供達の心を戻す、彼は死んでいない、これらの事は他の時代の為でなく、イエスの名前で洗礼する事はその時代でもされていましたが、これらの事は他の時代にもあるのです、イエスの名による洗礼は、その時代に戻る事だけではありません、彼は今も同じだと言っています。アーメン。全て他の場所での礼拝は意味がなくなるのです。終わりの時の鷲に全ての事を見せると、宗派がいかに馬鹿馬鹿しいか、同じ印を彼がしたのと同じ印を見せると、彼は昨日も今日もいつまでも変わる事がないのです。 ハレルヤ!
56. 改革者の時代がありました、それはただ影の様な時代でした。日とか夜とかは呼べません。しかし全ての時に、わしの時には、
鷲の時についてそこには光がある、
栄光への道を間違いなく見つけるであろう、
その水の道の中で、今日光があります。
素晴らしいイエスの中に
年を取っていても若くても全ての罪を悔い改めよ
聖霊が間違いなくあなたを洗礼する
夜の光がくるから
神とキリストが一つであるという事実である
アーメン! 夜の時間に光がある。神の選ばれた唯一の礼拝の場所。
57. オー教会、人々、罪びとである友たちよ、イエスキリスト以外何も信頼しないでください。どの説教師も誰かほかの人があなたを救う事を信じないでください。どんな教会も、どんな信条も、宗派教団も、ただ唯一イエスキリストに信頼してください。彼がその時代の光です。頭を下げて祈りましょう。
夜の時間に光があるのです。
栄光への道を間違いなく見つけるでしょう
水の中に今日、光があります。
尊いイエスの中に埋められ
若くても年寄りでもあなた方の全ての罪を
悔い改めなさい。背入れが必ず入ってくれます。
夜の光が入るのです。
それこそがキリストと神が一つである事実なのです。
58. 「ブラナム兄弟、誠実に礼拝しています」というかもしれません、カインもそうでした、彼は全ての種類の捧げものをしました、アベルもしました。カインがしたのは間違った捧げものでした。教会に行き、10分の一税を払い、クリスチャンとしての仕事をするかもしれません、誠実な男女として。ここに約30年この町に立って同じメッセージを叫んできました。年を取ってきました。もうこれ以上一緒に居られないかもしれません。でも覚えておいてください。裁きの日には、私の声は記録されていて、あなたに敵対して話すことになるでしょう。
神が彼の名前を置いた場所は一つだけで、それは教会ではありませんが、イエスの中に在るのです。それが唯一礼拝する場所なのです、あなたが受け入れられる場所それは愛するイエスキリストの中です。他の名前は人々には天下の誰にも与えられていないのです、救いうる名ハデス、教会でも、信条でも他の何物でもなく、イエスキリストなのです。そしてそれがその時代のメッセージなのです、そしてこの心が信仰に戻る、つまり回復するのです、一度聖徒達によって解放されるのです。今晩それを受け入れませんか?
59. 神があなた方を祝福されますように、私の左側には300人くらいいますね。さて右側の人手を挙げて下さい。「覚えてほしいという方」私の右側には多分150人かそれ以上いますね。このすぐそばの幕屋に水の大きなプールがあります、素晴らしい牧師である、オールマンネビル牧師、アソシエイツ、ここにいる人たちにあって下さい。毎日、毎晩、毎時間、人々は、洗礼を受けて、悔い改めたいのです。いつも待っています。そしてその命令に従うならば、神の約束によって必ず、もし誠実に心から祈るならば、聖霊のバプテスマを受けることになります。
礼拝をする場所は一か所しかありません。さて、それは幕屋ではありません。それはキリストの内です。彼にどのように入ればよいのでしょうか?一つの例によって、皆洗礼を受けて、一つの子の体に入るのです。祈りましょう。
60. 父よ、数週間待ちから出かけげ戻ってきて、このことについて尋ねました「なぜ彼らは行ってしまったの」
「さてそのことについて?;
「彼らは行ってしまった
親愛なる神様、私達は一人一人呼ばれ、死の影の谷を通って挑戦に出会ってきました。そして私達は皆死すべき体を持っています。しかし今晩、あなたは私達に許しを下さいました。私達が彼を信じ彼の名によって洗礼を受けるならばあなたが我々を受け入れて下さると。そっしてこの身体、キリストの体の中に入れて下さる、教会ではなく、キリストの体に、その体は既に裁きを受けたのです、それは再び裁きに来る必要はないのです。神は彼の錨をその体に注ぎだし、その体は罪から清められ自由になっているのです。そして彼の内に罪から自由になり、自分自身に死んだのです。そして我々はお互いのフェローシップをキリストイエスの血と共に持っているのですそれが我々を全ての罪や汚れから清め続けて下さるのです。
61. 私の兄弟、姉妹、ここにいる友人達、この場所にいるひとたちとこれを超えて電話を通して、異なる州に居て聞いて居る全ての東から西海岸に渡って、祈ります、親愛なる神様、宅孫の砂漠からカリフォルニア、ネバダ、アイダホ、東とテク指すの周り、この招待が与えられている間、人々は小さな教会やラジオ局、家などで聞いて居ます。神様、失われた男女、少年少女がこの時間にあなたに来ますように、今すぐそれを受け入れて下さい。イエスの名によって、時間がある間に安全な子の場所を彼等が見つけますようにイエスの名によって尋ねます。壁に手書き外科医ているのを見る時、地球は苦しくなってきています。解放の時が近づいているのです。我々の国の一部は沈み始めています、他の場所は地震があっがりしています。イエス様あなたが約束されたようにです。それが長くなりすぎませんように、主よ、彼らがそれを今受け入れますように、ミーテイングのトロフィーとしてあなたを受けますように、福音を受け入れますように、イエスの名によって祈ります。 アーメン
62. さて、彼の内にいる間、あなたが彼の中にいるならば、全て彼が死んだ事に繋がれるのです。彼は何のために死んだのですか?我々の罪の為にうたれ、我々の罰を受けて下さったのです、我々の平安は彼の上に有り、彼の打たれた傷によって我々は癒されたのです。それを信じますか?彼の痛みが癒しの為だと信じますか?
65. さてお分かりになる様に主イエス、これらの人々の手はお互いに置かれています。それは信仰をあらわしています。あなたは「これらの印が信じる者には伴う、彼らはお互いに祈っています。隣の人が彼等の為に祈ります。
さて、主よ、この挑戦に答えて下さい、サタン、大きな風船の様な壊れる物、彼は神の子を持つ権利はありません。彼はもう負けています。イエスキリスト、唯一の礼拝の場、唯一の真実の名、カルバリーで彼は悪魔に勝っています。そしてw彼の地によって今、全ての病気、病そしてこの会衆からサタンがイエスキリストの名によって出て行く事を持て\留めます。これらの人から出て行き、彼らを自由にしてください。
66. ラジオやその他で聞いて居る外の回収の皆さんへ、見てほしいです。ここにいる全ての人々が分かっている限り、この時間立ち上がっています。何と素晴らしい時でしょう。主のご臨在があります。それだけなのです。主のご臨在があるところには自由があります。自由があるのです。神の霊は私達を自由にしてくれます。
今、彼が我々を癒されました、そう信じています。彼が我々を救われました。そう信じています。洗礼を受けたい人達は、プールが準備されています。いつでも着たい時に、誰かがそこにいます。そして今、閉める前に、古い教会の讃美歌を歌いましょう。「彼を愛している、何故なら、彼が私を最初に愛してくれたから」「手を神実向けてあげて、心から歌いましょう。私達は明日の朝9時半に同じ建物で会いたいです。結婚と離婚に関する説教をします。大丈夫です。さて一緒に歌いましょう。
I love Him( この大きな会衆に居間一緒に歌ってもらいましょう。
ラジオや何かで聞いている人達も歌ってください。)
彼を愛す
何故なら初めに彼が私を
愛して下さり
私の救いの為カルバリーの
木の上で支払ってくださった。
67. 握手をしてください。旅人たちよ神の祝福がありますように。
愛してる、 愛してる
彼が初めに私を愛してくれたから
私の救いをカルバリーの
木の上で買い取ってくださった
彼を愛していますか?素晴らしい方ではないですか?
彼はあなたを隠して下しますね?彼は苦しい時の岩なのであり、
嵐の時の隠れ家です、唯一の救いです。だから
私の信仰はあなたを見上げる
カルバリーの子羊であるあなた
聖なる救い主
私の祈りを聴いて下さい
私の罪を清めて下さい
今日この日から
完全にあなたの物になりたいです。
歌う時手を上げましょう。
私の信仰はあなたを見上げます。
カルバリーの子羊であるあなたを
聖なる救い主
今、私の祈りを聴いて下さい。
私の罪を取り去ってください。
今日この日から、
完全にあなたの物になります。
頭を下げて今ハミングしましょう
私達の命が暗く迷う中
我々の周りに苦しみが広がる
その時こそあなたが私の導き
暗闇が日になり
悲しみの涙を拭き去り
どこにも離れません。
あなたのそばにいます
頭を下げている間、
愛する牧師の
オールマンネビル兄弟、回収を解散させてください。