海の上の証し

A Testimony On The Sea

海の上の証し

ダラス テキサス州 アメリカ合衆国

説教番号: 64-0307

日付: 1964年3月7日(64-0307)

PDFダウンロード:

1. それからすぐ、イエスは群衆を解散させておられる間に、しいて弟子たちを舟に乗り込ませ、向こう岸へ先におやりになった。
そして群衆を解散させてから、祈るためひそかに山へ登られた。夕方になっても、ただひとりそこにおられた。
ところが舟は、もうすでに陸から数丁も離れており、逆風が吹いていたために、波に悩まされていた。
イエスは夜明けの四時ごろ、海の上を歩いて彼らの方へ行かれた。
弟子たちは、イエスが海の上を歩いておられるのを見て、幽霊だと言っておじ惑い、恐怖のあまり叫び声をあげた。
しかし、イエスはすぐに彼らに声をかけて、「しっかりするのだ、わたしである。恐れることはない」と言われた。

3. あなたは全知、全能であり、無限の神であられ、人々の心の中を知っておられます。わたしたちの思いを、それが生み出される前から知っておられるお方です。主よ、いま私たちの願いがあなたに届くとき、どうか天から見下ろしてください。そしてこれらの願いをその御心のうちに受け取って、その栄光の富に応じて答えてくださいますように。
どうか私たちの心の願いを叶えてください、それらが神の御心に叶ったものでありますように。御心を叶えられるのはあなたの喜びだと知っています。どうか今夜もあなたの御臨在をおおいに注いでください。主よ、病人を癒し、失われたものを救い、罪と不法のうちに死んでいるものたちを生き返らせて、新しい命を今夜与えてください。どうかイエスを見られますように。その御名によって祈ります。アーメン。どうぞ座ってください。

4. 今朝かれらと交わりの時を持つことができました。ゴードン・リンジー兄弟や大勢とね。これからバーモントで開催される集会のスポンサーであるペリー・グリーン兄弟、彼も今夜私の後ろに座っています。ドン兄弟とその奥様、本当に皆さんにここにいてもらえて嬉しいことです。主の祝福がありますように。

5. そしてもしあなたが病気で、祈られるために来たいけれど自分の教会で明日の午後の礼拝があるのなら、自分の牧師に訳を話してその理解を得てください。私たちが、ここダラス一帯に逗留するイエス・キリストの共同体を助けるため協同で働いているのだと、あなたの牧師に知らせてください。
ですから明日の午後、たしか二時半に、宣教のための説教をします。それから病人のために祈りましょう。今まで配ったプレイヤーカードをすべて取り上げて、今週祈り残した人々すべてのために、明日一日を使って祈りましょう。

8. そしていま彼を見ている方がずっとその頃よりも素晴らしいんです。私はもっとイエスに信仰を抱いています、その時代に生きていたよりももっとたくさんの信仰を。それは二千年の間に福音が真理だということが証明されたからです。二千年経った今でもイエスはまだ生きていて、その頃とおなじ働きをしているのです。
ですから私たちはその時代の彼らよりももっと確証を、そしてもっと信仰の土台を得ているのです。なぜってイエスはそこら辺を歩いているただの人間で、神のもとからきた神の子だと言っていて、彼を通じて神がその時代に語りかけているのだと言っていたのですから。
そしてみな彼のことを疑っていました、特に神学者たちはね。それにしてもねえ、可哀想なはなしですよ。だってこの神学者たちは、神に盲目にされていなかったら信じていたに違いないんですから。聖書にそう書いてあります。

9. だからこういう人たちにはもう可哀想だとしか言えません。この時、この時代に成就すると神様が約束されていることに、盲目で気づくことができないのですから。それが私たちにははっきりして、見えているのです。人々は見ても、首を振って言うでしょう「何も見えないよ」と。だから可哀想なんです。それでも聖書の言葉は成就されなくてはいけません。そうならなくてはならないのです。

11. わたしが国中、世界中を旅するとき、このことでいつも心を痛めるのです。お友達を作って、そして置いていくということで。裁きの日に再会するまで、もう二度と会えないだろうと思うと、なんだか悲しくなるのです。

12. それからペトロは舟に乗り込んで、他の弟子たちの間をかき分けて座りました。きっと彼の兄弟アンドレの隣だったでしょうか、そして艪を手に取ったのです。風もなく、弟子たちはこともなく、舟は進んでいきました。彼らは二人一組になって座っていて、二人がこちら側、そして… 六組か八組の艪があったのでしょうか。漕いだり休んだり。そうして風に乗って舟を平穏に進ませて、常の風が吹けば帆を揚げて、舟が走り出すのです。

13. とっても静かで、晴れていて、暑い午後でした。太陽が照っていて、彼らが漕いだり手を休めたりしながら、人々に手を振って「またいつか会おうねえ」などと言いながら海に漕ぎ出すと、日が暮れ、黄昏時が訪れて、やがて闇に呑まれて行きました。
彼らはかなり早い速度で漕ぎ出していました。海に浸かった、大きくて重い艪を動かすのは、大変な仕事です。彼らの大半は漁師で、大きくて強い、海の男たちでした。
彼らはきっとイエスがいまにも追いついて、舟に乗られるのだと思っていました。ただ舟を出して岸辺をちょっと漂っていようと。舟を出して、ゆっくり漕いでいようと。

14. そうやってきっと彼は座って、頭を下げていたと思うと、証しの集会を始めだしたことでしょう。これこそわたしが話したいことなのです。きっと彼がまず立ち上がって、「兄弟たち、人々が何と言おうとも、どれだけ疑おうとも、ぼくはもう今日こそ確信しました、ぼくたちが従っているのは偽者じゃないって。ぼくたちが従っているのは神以外の何者でもありません。だって、神以外のだれが今日彼の行ったような業をできるっていうんですか。ねえ、彼が今日ビスケットを手にとって割って、五千人に食べさせたとき、あれ以上にすごいことはないと思ったんです。今日までのぼくには少し疑いがあったかもしれない。(わたしはその証しを復誦しているだけなんです、そのままにね。)でもこれで決着がつきました。」

17. 「母は言いました、「違うわ、おちびちゃん、あなたはまだちっちゃいからわからないのよ。いい、エホバは創造主なの。オーブンはいらないのよ。彼はただ語るだけで、そのことばがほんとうになるの。彼は偉大なエホバだから、語るだけでいいの。彼が語って、それを天使たちが地上の人々に届けたのよ。」

18. 「あれはエホバ以外ではありえないとぼくはわかったんです。だってエホバのされたことそのままなのだもの。エホバのみが創造することができるのです。だからあの方は偽者なんかじゃないって。創造主はたったひとり、エホバだけです。だから色々見てきたけれど、これでぼくは満足しました。ぼくの心はもう完全に彼に従っているんです。ぼくは心から信じています、彼はただの預言者じゃないって。預言者だけれど、預言者以上です。神であるエホバが、ぼくたちのあいだに住んでいる、それこそが彼です。パンを創造する、それはエホバのされることでしょう。だから彼は「もしわたしが父のわざを行わないとすれば、わたしを信じなくてもいい。そのわざを信じなさい。それがわたしがだれなのかという証しをするからだ。」と言えるんです。人々にも簡単にわかりそうなことじゃありませんか。
こうやってヨハネは、彼がメシアだと納得したのです。イザヤが「ひとりのみどりごがわれわれのために生れた、ひとりの男の子がわれわれに与えられた。まつりごとはその肩にあり、その名は、「霊妙なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君」ととなえられる。」と呼んだ方。ヨハネはその目でみた事柄によって納得したのです。
若者が証しをしている…

19. でもよ、兄弟たち、俺の年老いた父さんのことを知っていないかい。ヨナって名前なんだけどよ、すごくしっかりとした信仰のひとだったんだ。今も覚えているのは、父さんと母さんと、俺たちがみんな集まっているときのこと。俺たちは漁師だから、魚が獲れないときは、パンが買えないわけだ。そんなときにみんなで床に膝をついて、神さまに祈ったんだ。「神さま、どうか今日も魚を捕まえさせてください。どうか魚を売って、借金を返して、食べ物を買えるようにしてください。」
「そういうふうにして嵐のなかを漁にでたんだ。嵐なんかへっちゃらだったんだ。」

20. 「「もう四千年も経つじゃないか」とお前はいうかもしれんが、しかしわしはメシアが来るのを信じている。すべてのユダヤ人が自分の一生のうちにメシアを見られると信じて生きてきた。わしも生きているうちにメシアを見たいと思う。しかしわしは年老いてきた。もう漁も辞めにゃあならんだろうし、体のあちこちが痛むでの。わしが生きている間には多分見られないだろう。しかし、息子よ、もしかしたらお前なら見られるかもしれん。だからお前に聖句をよおく教えておきたいのじゃ。いいか、メシアが登場する前には、いろいろなことが起きるだろう、いろいろいんちきなことがな。なぜってサタンは、本物のメシアが来たときの評判をぶち壊そうとするからじゃ。いつだってそうじゃよな。(今もその通り)」

21. 「わしらユダヤ人は預言者を信じるようになっているんじゃ。そしてメシアの地上での歩みは、神さまが約束してくださった神の語られた御言葉じゃ。御言葉はいつだってまず預言者に来る。そして預言者はそれを証明するのじゃ。ゆめゆめ忘れるでない、息子よ。大がかりな何かが起こるじゃろう、そして人々はそれに夢中になって一世を風靡するやもしれぬ。しかしメシアは預言者になるのだからな。なぜって神は決してそのやり方を変えられはせぬのじゃ。そのお方がメシアは預言者、とおっしゃったのじゃからな。だから息子よ、覚えておけ、預言者というのは主の言葉を語るひとのことで、メシアが来るとき、彼は預言者になるのだからな。」」
「いまもまだ父さんの腕の感触がするみたいだ」シモンが言いました、「父さんがこう腕を回して、アンドレはそこに立って網を洗っていた。アンドレ、お前も覚えてるだろ?」
「ああ、シモン。覚えているとも。」

22. 「そうしてアンドレに誘われて、そのイエスというひとのいるという集会を見にきたんだ。噂ならいろいろ聞いていた。このイエスの前にもイエスというやつがいて、なんだかすごいことをすると公言して四百人を連れ出したが、みんな滅びちまった、そういう話をいろいろな。俺は今回も同じようなものだろうと思っていた。また熱に浮かれた大がかりなリバイバルとか、なんか大きな教団を作ろうとしている奴らとか、そういう類だと思っていたんだ。でもある日、弟のアンドレについていってみることにした。」

23. そして言いました、「そうしてそこに行って、彼の目の前までやって来たとき。初めてなのに、彼は俺の目をまっすぐに見つめて、俺の名前を言ったんだ。俺たちは初対面だったんだよ。俺のことを知っているばかりか、彼はあの敬虔な俺の父さんのことも知っていた。俺に聖書を教えこんでくれた父さんを。それでこれはメシアだってわかったんだ。それで納得した、その場でな!あれは… あれで俺は納得したんだよ。」

24. ナタナエルが言いました、「僕が話そう、僕に話させてよ!」
ねえ、ご存知でしょう、イエスさまに何かをしていただくと、わたしたちはじっとしてはいられないんです。自分で話したくてたまらなくなるんです。その通りでしょう。それがほんとうのことであったら、話さずにはいられなくなるんです。聖霊で満たしていただいたとき、私はそのことを話さずにはいられませんでした。誰かにそのことを知って欲しくって。他の誰かに話してもらうんじゃない、自分の口で話したくて仕方ないんです。

25. そうしたら君は、人類史上最高の良い返しをくれたね、「来て、見なさい」と。」それは今日にも通用することです。そうですとも、家に留まって批判をしなさるな。やって来て、自分の目で確かめてごらんなさい。
「ナザレから何か良いものが出るだろうか。」
「「来て、自分で見てみなさい。」それから君は僕にこう言ったね… そうして僕がイエスのもとにくると、彼は言ったんだ。僕がヘブルびと、イスラエル人で、正直な人間だって。…それは僕にもわかってたんだ。でもどうしてと僕は思った。彼は普通のひとに見えた。僕はメシアっていうのは、天の黄金の回廊から、この大きな教団のど真ん中に、エルサレムに降りたって、歩きながら「カヤパ、わたしが来たぞ」っていうものだと思っていたから。」
「でも彼はナザレの出身で、しかも貧しい家の生まれで、それに私生児だなんていう噂のあるひとだというじゃないか。彼は祭司の服装をするでもなく、普通のひとの格好をしているし、僕はそこに歩いていくまでに思っていたんだ。「どうしてこのひとがメシアであろう」って。彼の着ている服は、若い頃からの着古しのオンボロで、ずっとそのまま着ているみたいだったし、髪の毛は背中にこう垂らしていて、街で見かける普通の人そのものだったのだもの。それから彼は僕のことを見ていったんだ、「わたしは、あなたがピリポから話しかけられる前に、いちじくの木の下にいるのを見た」と。それで僕は納得した!御言葉に誓ってこのひとはメシアだって!彼こそメシアだって!」

26. アンドレが言いました、「ちょっとの間、おれの頭を悩ませていたことがあるんだけれど、そのことを話してもいいかい。覚えているかい、みんなでエリコに行ったときのこと、彼が「ここを登らねば。わたしはサマリアを通らなくてはならない」っていったこと。そうしてみんなでサマリアに登っていくと、シカルという町で、彼はおれたちに町まで行って食料を買いにいくようにと、全員を追いはらったのを。」
「ああ、覚えているとも!」
「もちろん。」
「うん。」
舟はもう大揺れでした。リバイバルが終わったあと、みんなで素晴らしい証しを分かち合っていたのです。そのようにしてこの証しの集会が開かれたのです。

27. 「彼がこういうのが聞こえた、「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」おれたちは思った、「ふうむ、もしかすると勘違いしていたのかも。この女、ほんとうはちゃんとした既婚女性だったのかもしれない」と。」
「すると彼女は、イエスの顔を見ていった、「わたしには夫はいません」と。
「みんなががっかりしたのを覚えているかい。我々が信じている偉大なメシアが、嘘をついていたと。あの板ばさみの状態。なぜって彼は「あなたの夫を連れて来なさい」と言ったのに、この女は夫はいないって証言したんだから。撃ち返し玉が彼にむかってきたわけだ。覚えているかい、みんな驚いて、息が止まってしまったのを。」
「ああ、覚えているとも。」
「そして彼の次の言葉を覚えているかい、彼は言った、「あなたは真実を言った。あなたには五人の夫がいたが、今連れ添っているのは夫ではない。」」
「ああ、覚えているかい、あの茂みの裏での証し集会を!もう、まったく持って、彼の裏をかくなんてことできないんだ、彼は神なんだから!」
「おう、それこそまさしく…」シモンが言いました。
「これでおれは納得したんだ。」とアンドレ。

28. 「ああ、いいとも、したいならどうぞ。時間ならいくらでもあるんだ。彼はまだ来ていないからね。ちょっとこの辺を漕いでいればいいよ。どうぞ、バルトロマイ、証ししてください。」
「では、わたしにとってすごいことのうちの一つを。エリコにいる姉妹で、リベカというひとを覚えているかい。」
「ああ、彼女のご主人がそこでレストランをやっているという、うんうん。」「彼はビジネスマンで、名前をザアカイっていう、」「ああ、ああ、彼のことならよく覚えているよ。」

29. 「「くだらない!」ザアカイは言った。「わしは祭司たちを信じてる。祭司のいうことでわしは満足なんでね。」なんといっても彼は町のいろんな団体に所属していたからね、実業家クラブとか色々に。だから彼にはその信頼を裏切るわけにはいかなかったんだ。」
「リベカはわたしたちに祈るようにいった、祈るようにと。でもわたしたちが彼が預言者だって少しでも口の端に載せようものなら、ザアカイは言うんだ。「くだらない。祭司たちは言っているじゃないか、あいつはベルゼバブだ、悪魔だと。悪魔の力であんな業をしているんだと。彼はメンタルテレパシーをやる奴だと。それだけだ、それ以上の何もないのだ。」と。」
「「今の時代にそんなことが起こるはずはない。我々にはもう何百年も預言者はいないのだ。どうしてその男、教団のライセンスも持ってない男が、預言者であり得るんだ。そんなはずはないに決まってる!」」

30. ある朝、イエスが町にやって来たとき、リベカがわたしたちに言った、ザアカイは彼を見るために通りに出ていったと。ザアカイはイエスが預言者だとは信じていなかった。だから彼はこう言ったんだ、「ただちょっと彼をじっくり見てみたいと思ってね。」ザアカイはこの前、レストランで一緒に食事をしていたときにそう証言していた。」
「そうして彼はイチジク桑の木に登って、言った。「そうだ、こうしよう。わしがここに隠れていれば、彼からは見えるまい。わしは背が低くて、小柄だからな。下で人混みに紛れていては、何も見えないからな。木に登ってみていることにしよう。」そうしてザアカイはふたつの大枝の元にのぼって、そこに座った。」
これはじっくり座って学ぶのに良いところ。ふたつの道、あなたの思いと神の思いが出会うところ。ねえ、じっくり考えるに値することでしょう。

31. 「そうしてザアカイは見ていた。葉っぱをもって、背伸びしながら、イエスが角を曲がってくるのを見ていた。そうしてイエスが曲がり角を曲がって、道をこちらへと歩んでくる、そう、あちらこちらと視線を移しながら。弟子たちは呼びかける。「すみません、脇に寄ってください(病気のお子さんをお持ちの方や皆さん)、すみません、先生はとっても疲れているんです。昨晩の集会はすごかったもので。」そうやって低い物腰で、「すみませんが、どうぞ脇によってくださいませんか。先生を通してください。いま町に入られるところなんです。申し訳ありませんが、ちょっと隅にお寄りください。」」
「そうしてザアカイは、木の上に腰掛けて、イエスを見下ろしていた。」

32. 「それでわたしは納得した。イエスはザアカイがそこにいること、その名前、彼の職業も知っていたんだ。これでわかった。これがわたしのメシアだと!そうだとも、メシアがそれをすると知っていたのだから。そうだとも。そうしてその日イエスはザアカイとともに行き、夕飯を食べた。なんて素晴らしいときだっただろう。いまでも覚えている。」

33. それこそ今日のわたしたちに多くおこってきたことではありませんか。この混乱の時代において、全世界にリバイバルの波が押し寄せたのを、わたしたちは見てきています。すべての国々でリバイバルの火が興され、燃えています。偉大な癒しの集会。何千人何万人ものひとびとが聖霊のバプテスマを受けて。その熱狂のさなかに、この弟子たちがイエスのことを「おお、彼がこうするのを見た、彼がこれをするのを見た」と証ししているように、そのさなかにわたしたちは弟子たちと同じように、イエスを置き去りにしてしまったのです。

34. それからまた共産主義の勉強会だの、反共産主義だの… 近頃ひとびとが話すことといえば、みんなそればっかり。そしてまず気が付くのに、サタンが目をつけるのは、われわれの反共産主義のプログラムだの、教団のプログラムだの、そのほか何億ものいろいろなわけなのです。そういうふうにして昔風な祈りの集会や、聖霊のバプテスマの回帰などから離れ去ってしまい、ついには炎が下火になってしまったのです。
心から叫んで、人々を祭壇のもとに来させようとすると、かれらはまるで死んだかのようにして祭壇のもとまで歩いてくるのです。来るのを恐れているかのように。そして牧師たちに一緒に祈ってくれといいます。「ねえ、なんて祈ったらいいんですか」そうしてそこに座って(そうさせるのも一苦労ですが)何分間かじっとしていたかと思うと、あなたの方を見て、そして自分の席に戻って行くのです。
わたしに言わせてもらえば、炎は消えてしまったのです。何かが起きたのです。いいですか、いま必要なのは、罪人たちがキリストを見あげて、悔い改め、両手をあげて祭壇に走り寄っていって、叫びながら憐れみを求めるような、そんなリバイバルなんです。そしたら教会全体が、神の栄光の火に燃えるようになるのです。

35. ペンテコステ派のひとびとよ、昔はペンテコステだったというのに。いま我々の女性達は髪をボブスタイルに切ってしまい、化粧をしています。男性たちがそれを許しているからです。牧師たちがそれを許しているのです。みんなそれについて何か言うのを恐れているんです。何か言ったら教会を追い出されてしまうと。おお、何が必要かって、説教壇から会衆にいたるまでの大掃除ですよ!これは恥です、不名誉です!

36. わたしは言いました、「聖書は女性がそうするのは恥だといっています。それによって彼女は夫に恥をもたらすのです。」そう、それこそあなたが神から離れていってしまった印なのです。サムソンの場合、長い髪はナジル人としての証しでした。俗世を離れて、神の言葉へと身を投じた印だったのです。
そして女性の皆さん、あなたが髪をバッサリと切るとき、あなたは自分のナジルびとの印を否定することになるのです。聖書に戻るのではなく、ハリウッドに身を捧げたのです。聖書がいっています、「彼らをそのままにしておけ」これは恥です。それなのに牧師たちはなにも言わないのです。

37. 「わたしは自分が預言者だなんていったことはないですよ。」わたしは言いました。
「みんながそういっているんです。かれらにどうやれば霊的な賜物を受け取れるかとかそういうことを教えたらどうなんです。もっと大きなことを、偉大なことを教えるべきじゃないですか。」
「どうしてABCもわからない人たちに、幾何学を教えることができるっていうんですか。真っ当な生き方も出来ないのに。」どうしろっていうんですか。
そう、まず基本から始めるのです。毎年、国中を巡っていると、物事はひどくなる一方です。何かが間違っているんだ、御言葉がじゃない。だからリバイバルの火を燃やすことができないんだ。いまこそ大掃除のときです。わたしたちがそれをしないなら、神が働かれることはないでしょう。大掃除が必要なのです。

38. だから偉大な癒しの集会だのが開けないんです。どこかで何かがおかしいから。それはサタンです、わたしたちのことを見ている… 「でももし何かを言ったら、教会の会員証をとりけされてしまう…」いいですか、クリスチャンはペットじゃないんです。クリスチャンはもっと荒くれた、洗練されていない存在なんです。神の男、神の女であり、神のために立ち、誰がなにを言おうとも関係ない。かれらは懇願されたり、説得されたり、ちやほやされたり、甘やかされたりする必要がないんです。そういうのは温床育ちの、なんのためにもならない交配種のすることです。何も生み出すことがない。

39. もうすぐ巣作りの季節がきます。スズメが麦を咥えて巣に運んでいますけど、いまはちいさな鳥たちも、もうすぐ自分の巣を作りはじめて、自分たちの小さな卵を孵すようになるのです。ちいさな鳥は巣の卵の上に座って、何分かごとにちいさな足をもって卵をひっくりかえしては、またその上に座るのです。もしちいさな母鳥があたためている卵を冷たくさせてしまったら、卵は孵りません。母鳥はちょっと飛びたって口一杯の食べ物を得ると、また卵のもとに帰ってくるのです。
そして知っているでしょう、可哀想な母鳥は、じっと卵の上に座って二分ごとにひっくり返してやっていて、自分では… 巣から出る力もなくなるまで、犠牲になって飢えているのです。しかしそれでも、もし母鳥が雄鳥と接触しなかったのなら、これらの卵は孵らないのです。いくらどうやっても… どれだけ可愛がろうが、孵りません。ただずっと巣にあって、腐ってしまうのです。

40. 私たちはメソジストやバプティスト派のひとたちが仲間に加わったなんていって喜んでいますけどね、あなたがたは知らないのですか、眠れる乙女たちが油を買いに来るのは、花婿が来る正にその時なのを? そして彼女たちは油を買えなかったのです。そう、携挙はあまりにひっそりと起こるので、それが起こるときには、起きたことさえ気づかれないくらいなのです。携挙が起きてから、あなたはなにがあったんだろうと考えるのです。

41. 彼は言いました、「彼はもう来た、あなた方が知らなかっただけだ。」
いつか同じことが起きます。あなたは言うでしょう、「艱難の時代の前にこんなことが起きるはずじゃなかったのか。携挙が起こるのだとおもっていたのに。」
御言葉が返ってきて、「それはもう起きた、あなたが知らなかっただけだ!」 時代はあなたが思うよりずっと終わりに近いかもしれません!おお、目覚めなさい、教会よ!
こんなこと止めなくちゃ。ここに来たのは教義を教えるためじゃないんです。ちょっとここで話しておけば、皆さんがそれをとっておけますからね。

42. そんなテストがあったなら… まず初めに、聖霊降臨(ペンテコステ)の試験がありました。二階の部屋で高きところより火が降り、神の力が下るのを待つテストです。これが試験です。どこかの俗にまみれた、半分酔っ払いのような心理学者がそこに立っていて、人をちょっと興奮させようとするだとか、そんな類のものではないのです。「あなたはまったくもって不合格ですね」だなんて。ひとが神経質だというのはその人が霊的である証しだというのに。霊的になるにはそういう状態にならないといけないんです。だからそういうことです。神様が長年されようとしてきたことをめちゃくちゃにして、自分たちのプログラムだのなんだのでなんとかしようとするんです…

43. 「もしみんなをワンネスに出来たら…」
「もしみんなをメソジストに出来たら…」
メソジストはすべての人をメソジストにしようとする、バプティストはみんなをバプティストにしようと、ペンテコステはみんなをペンテコステに。おお、もうどうしようもありません!神が世界の基礎が据えられるときからそう定められていたのですから。
われわれは福音を説教せねばなりません、それだけです。でも私たちの大きなプログラムが…だって? わたしたちは火を置き去りにしてしまったのです。置き去りにして、自分たちで勝手に火を作ってしまったのです。

44. でもわたしが怖れているのは、ペンテコステ派のみなさん、教会統一(エキュメニカル)運動があなた方を連れていくことです。それが問題なのです。それが獣の印となって、あなた方が組織であるゆえに、それに加わらざるをおえなくなるでしょう。入るか、出るかのどちらかです。それが問題なのです。だれでも善良で、理解があって、霊的なひとはそのことを知っています。われわれに必要なのはもう一度「海の上の証し」をすることなのです。
いまわかっていることといえば、我がペンテコステ派のひとびとがそれを信じ込んでしまったということ。「なんて素晴らしいことだろう、メソジストも、長老教会派も、ルター派も、チャーチオブクライストも、ペンテコステ派もみんなひとつになるとしたら…」あなたがたは偉大な使徒行伝の教えを否定するはめになるでしょうよ。みんなそうしないといけないのです。それに加わったらもうそうしなくちゃいけないのです。すべてはローマに吸収合併されてしまうのですから、確かなことです。聖書がそう言っているのですから。

45. 神の御国の印を受けなさい。キリストの体というのは、神秘のキリストの体であって、聖霊のバプテスマによってその仲間となるのです。入会するんでも、入れてもらうんでも、説得されて入るんでも、異言を語ることによって入るんでも、叫んで入れるんでもないんです。聖霊の生まれ変わりによってその家族に生まれるんです!そうですとも、もちろん。

46. そして悪魔は丘を上がって、その毒の息を吹きはじめました。[ブラナム兄弟が息を吹く音をたてる。]「奇跡の時代は過ぎた。」
「結局のところ、こいつらはただ神経質なだけなんだ。海外宣教に送り出すまえに精神テストを受けさせなくては。」ペンテコステ派!まったくもって。
ね、毒の息吹が御言葉を殺すのです。「おお、なにか違うことに違いない。きっと…」
ね、他の多くの宗派教団と同じこと、ただ退行していってるだけなんです。それこそ彼らの歩んでいる道です。殺してしまうのです。組織にしようとしたその瞬間に、死んでしまっているのです。これまでもこれからもずっとそうなのです。立ち上がることはありません。歴史上そんなことはなかったのですから。
このラオデキア教会時代に、キリストは教会の外に立って、戸を叩き、中に入ろうとしているのです。彼らはそれに耐えられないのです。その音を聞くのに耐えられないのです。
さて、これこそわたしたちの生きている時代です。騒乱がやってきたのでした。

49. どういうことでしょう、わたしたちは熱に浮かされて組織を作ろうと、あれを建てようと、これを建てようと、何か大きくてキラキラしたものを作ろうとしてしまったのです。近所のひとと比べたり、メソジストと比べたり、バプティストと比べたり、長老派教会と比べたり。あなたたちは彼らと違います。違うのですとも。
彼らは宗派教団のひとびとで、それはそれでいいのです。彼らに敵対しているわけではないのです。彼らの中にはたくさんの善良なクリスチャンがいます。でもあなたはその不信心なグループと交わってはなりません、御力を否定する人々とは。あなたは彼らの一味となってはなりません。

50. わたしたちは彼らの側に行くことは出来ないのです。彼らをこっち側に呼び込まなくてはならないのです。なんでもギラギラしていて。いいですか、ハリウッドは世俗さでピカピカ光るのですが、福音は謙虚さによって内から輝くのです。ピカピカ光るのと、内からの光で輝くのと、全くもって違うことなのです。福音は謙虚さと従順さ、そして謙遜と力によって輝くのです。ハリウッドは光って、みんなが「ウォー」だなんて叫んだりするのです、ね。そんなのわたしたちには必要ありません。

51. われわれのすごいかんしゃく、つまりメソジストやバプティストと較べ合わせようと、大きな建物や大きな場所、立派な教育を受けたひとびとだの、すごい学校やもっと大きな大学だの、そんなこんなによって、われわれはかんしゃくを起こしたのです。そしてここに問題が起きて、霊的な心のあるひとは見渡して言うのです、「あれ、どうしたんだろう。われわれはみんな世界統一教会(エキュメニカル協会)に加わらなくてはならないんだろうか?われわれの団体はみんな加わることになってしまうんだろうか?」そうですとも、あなたはそうするでしょう。そうですとも。見ていてごらんなさい、その通りになるから。聖書がそうなると言っている。その通り。キリストは外に出されてしまうのです。
この間の晩に、天にしるしが現れて、月はみずから暗くなりました ー教皇が来る前に、ローマに最初のひとりが着く前にー 。予測されていなかったことが、起きたのです。主がこの時代になされることといったら、実に素晴らしい!

52. でも、そう、すべての望みが絶えて、もう救われないと思い、彼らが叫び出そうとしたその時に…突然彼らはイエスが水の上を歩いてやってくるのを見たのです。暗闇の時に、イエスは歩いてやってき来られたのです。

53. そう、イエスはこれが起こるのを知っていました。この日が来るのを予測していたのです。「人の子が来て、表わされる日は、ソドムの時のようになる。」ですから子が表わされなくてはならないのです。
邪悪で姦淫にみちたこの時代はしるしを求めます。しるしは与えられるけれど、ソドムの時代と同じく、それを拒絶することでしょう。しかしこれこそが復活のしるしです。イエスはいまも生きていて、同じわざを行なっておられるのです。

54. さて今回は、イエスは山に上がられたのではなく、墓から上がられて、空を月と星々を超えて昇られて、高く高く昇り、天から見下ろされているのです。そうして高きところにイエスは座しておられます。「一羽の雀さえ主は守りたまう。(だからわたしたちのことはもっと見守ってくださっている。)イエスは見ておられるのですよ。

56. 彼女は言いました、「でも、ブラナム兄弟、ご存知?こういう服しか売っていないんですよ。」
わたしは言いました、「店に行けば、ミシンを売っているじゃありませんか。言い訳はできませんよ。」
聞いてください。親愛なる友たちよ、あなたがたに言いたいことがあります。馬鹿にしているわけじゃない。そうじゃない、わたしは皆さんが苦しみを免れられるようにと思っているんです。あなたのうちに霊があるかぎり、あなたはそれを行うことでしょう。そうだとも。あなたはその中に産まれでなくてはいけない。今の言葉を好きにしたければすればいい。でもこれだけは言わせてください。いいですか、あなたの心のあるところに、その宝もあるのですよ。

57. イエスは言いました、「誰でも女を見て欲情するのなら、彼はもう心の中で彼女と姦淫を犯したのだ。」そしてあなたを見たことで姦淫を犯した、罪人の男が罪を問われるときに、誰がそれを提供したと言うのですか。考えてもごらんなさい!ペンテコステ派の女性たち、恥を知りなさい。あなたがたを愛しているから、言っているのです。愛は過ちを正すものです。

58. それから共産主義の風だの、教会主義の風だの、教会統一運動(エキュメニカル運動)の風だの、これらは…いまは結合の時代なのです、労働組合を組織する時代なのです。組合は労働者たちを団結させようと、ガタガタ言っています。国々を… 国連がひとつにしようとしています。教会たちはひとつになろうとしています。これらは何を示そうとしているのでしょう?これはキリストと花嫁がひとつになろうとしていることを示しているのです。このことを語っているのです。すべてこれらの否定的な事は、来たろうとする肯定的な事を示しているのです。

59. 同じことが再び起こっていないと誰が言えますか!彼らは怖がっているのです。運勢占いを怖がっているのです。イエスがこの時代に起こると言ったように、なにか悪魔の力なのではないかと怖がっているのです。彼らを救えるのは、イエスキリストしかいません、なにか別の宗派教団ではないのです、すべての宗派教団がひとまとまりになったって敵わない。それはことを史上最強に悪くするだけだ。あなたを助けられるのは、イエスキリストだけなのです。

60. あなたがたの前に、たくさんの預言を何十個も並べて、起こるべきとこを示すことができます… それなのに両手を広げてそれを受け取るべき教会は、「あー、ぼくちょっとなんだか怖いな。あれはぼくのグループから出てはいないしね。」なんて言っているのです。ね。
彼らは怖がっているのです。彼らをキリストのもとに運ぶことのできる唯一のものは、キリストご自身なのに、彼らは恐れて怖がっているのです。
「あー、わかんないよ。あれは霊に取り憑かれているのかもしれないし、ねえ、ぼくにはわかんないよ。」自分を助けることのできる唯一のものを恐れているのです。

61. 神は御言葉です、そうでしょう?神は御言葉を変えることなど決してありません。今晩、御言葉がこう言っているのが聞こえませんか。「神は昨日も今日も永遠に変わることがない。恐れるな、わたしだ。」と。
さあこうべを垂れましょう。

62. 主なる神よ、いつの日か、その水の中にいる最後の魚が… あなたはおっしゃいました、いろんな種類のものが釣れると。福音の網は種々のものを捕まえます。カメや、ナマズや、蜘蛛に、蛇、死肉に群がる魚も獲れます。わたしたちには、なにが獲れるかわかりません。しかしそこにはあなたが追い求められている魚たちがいるのです。あなたが判断する方です。でもカメやナマズはすぐに泥穴に戻ったり、元の水に戻ってしまうので、わたしたちにもわかります。
しかしいつの日か、定められた最後の魚が、あらかじめ来ると定まっていた魚が来て、御体を構成する最後のパーツが、湖から引き上げられるのです。

63. 主よ、今宵もここにそのうちのひとりが座っているでしょうか。もしそうであれば、その人を福音書に出てくる井戸端の女のようにしてください。彼女は売春をしていても、あなたをメシアとして認識したのです。彼女はしるしを見て、納得したのです。「あなたは預言者だとお見受けします。」と彼女は言いました。その方がメシアだとは思いもよらなかったのです。彼女は言いました、「私たちはメシアを探しているのです。」つまり言い換えれば、「私たちはメシアが来ることを知っています。彼が私たちにこれらのことを教えてくれるのです。」
そしてあなたは言いました、「私がそれである。」それで決まりだったのです。

64. どうか今晩ここを去るときに、わたしたちの心が、エマオから来た者たちと同じことを言いながら、去ることができますように。「彼が今宵この建物で語っていたとき、神の臨在の中で、わたしたちの心は燃えていたではないか。」彼らはそれがあなただと知っていたのです、彼らはあなたを招き入れ、そして目が開かれたのです。どうか今晩ここにいる皆が全て、あなたを招き入れることができますように。理解できなくとも、とにかくあなたを招き入れられますように。それがあなたがご自分を明かすことのできる、唯一の方法だからです。あなたが復活ののちにご自分を明かされた方法は、十字架につけられる前にされたのと同じやり方でした。
さあ今宵来てください、主よ。あなたはご自分が、昨日も今日もそして永遠に変わられないとおっしゃいました。あなたが肉体をもって地上におられた頃と同じように、どうぞわたしたちのためにしてください。そのように心かるく、家に帰ることでしょう。イエスの御名によって祈ります。アーメン。

65. そしてもしわたしが忠実でいるなら、だれかそれを必要としているひとがいるんです。だから私は忠実になるのです。そしていつの日か、私は聖パウロが言ったように、こう言いたい、「わたしの手には誰の血も付いていない」と。ふむふむ。皆さんに真実を語りたいのです。わたしがなんだっていうのじゃなく… みなさんのことを愛していますよ。

66. さて、神からのひとこと、一言は、私が生涯をかけて喋る一億の言葉に優ります。それは神ですから。わたしたちは神の約束を知っています。神がなさると約束されたことを知っています。
さて、ちょっとわたしにはわからないのですが、これから…

67. それはここにいるからってわけではないのですが…

68. ね、プレイヤーカード(祈ってもらう順番を整理するの為のカード)なんてただの… いまだってそんなもの必要ないんです。昨晩のように、プレイヤーカード無しにしたっていいんです。昨夜はカードを使いませんでした。カードを持っていない人たちのあいだに聖霊が降ったのです。さて、わたしには確かかわからないので、見たことは見たけれど何も言わなかったことがたくさんあります。まだ暗闇の中にあるなのです。それはそのままにしておきます。わからなかったのですから。それを言いだしたっていいことはない。なんであれ神のおっしゃったことが正しいのですから。だから神の言うことに耳を傾けなさい。

69. それからまた、わたしが来ると、わたしは… どこでも、どこからでも心に置かれた番号から呼ぶんです。ですからわたしが… またときどきわたしは、一列に何人いるかを数えて、それをこっちの列の数で割って、その答えを使うんです、ね。そうでなかったら、真っ先に思いついた数をまず呼ぶんですよ。

70. いいでしょう、さてあまり同時にここにたくさんの人が立っているふうにはしたくないのです。もしこの数をこなしてまだ時間が余っていたのなら、もっとたくさんの人を呼びましょう。われわれは…もしかしたら…あと数人呼ぶことにしましょう。あと5人呼ぼう。Jの21から25まで。どうか立ち上がってください。21から25番まで。1、2、3、最後列にいた、4。1、2、3、4、これで5だ、よろしい。さてここで止めておきましょう。これで列には25人並びました。ここに列を作っています。

71. ですからもし、わたしが御言葉に忠実でいて、神が、聖書がこう言っているのだと言ったなら… もし主の天使が来て、聖書にないことをわたしに語ったのなら、それは主の天使ではあり得ません。そうですとも。彼は一度たりとも、御言葉にないことを語ったことはない、みなさんが覚えているとおりだ。彼は何百、何千の何千の何千回のうち一度たりとも、(そして世の言語の内でも)間違えたことを語ったことはないし、語ったことが実現しなかったこともないのです。

72. ここでみなさんが見るものは、そのうちでもまだ初歩に属するようなことばかりです。そうでしょう、兄弟たちよ。なんていったって、外にでると… 私生活のなかでは、神が「あそこの場所に行って、これを見なさい、するとこのことが起きるだろう」とか、「ここで、あそこで、このことを言いなさい」とか、年がら年中、ずっと絶え間なく語られるのです。聴衆のひとたちが見るのは、ほんの一部分に過ぎないのです。
しかしさて、どうか敬虔にしていてください… さて、この祈りの列に並んで、ここに立っている皆さんは、わたしとは見知らぬ他人の間柄ですか? もしそうなら、手を挙げてください、いいですか。ここに並んでいないみなさんのうちで、わたしがあなたのことを何も知らないとわかっている人はどれだけいますか? 手を挙げてください。さていまのうち… ありがとう。あなたがどこにいたって構わない、バルコニーのうえにいても、後ろで壁に寄りかかっていても、下のこの辺りにいても、どこにいようとも、わたしは… これはあなたに良かれとしているのです。これはあなたのためになることなのですよ、ね。あなたのためなのです。

73. ですから覚えていてください、わたしはあなたを助けようとしているってことを。神がそれを知っていてくださいます。わたしが助けようとしているってことを。さあ、いいですか、神がわれわれのうちに来てくださった時に、あなたがそこから利益を得られるようにしたいのです。さあ考えてもごらんなさい、終わりの日にそうなさると約束してくださったとおりに、イエスキリストの人格が肉体を持ってわれわれのあいだに働いてくださるのを… どれだけの人が、神がそう約束してくださったことを知っていますか? まるでソドムの時代のように、背を向けた天使が… それは神だったのです。それが神であったことを信じますか? どれだけのひとがそれが神であったと信じますか? そうですとも。聖書がそうだと言っています。イエスもそれについて語りました。
さあ、気づいてください。

74. この列に並んでいるひとびとを見ますと、ひとりも見知った顔はありません。この聴衆全体をみても、二、三人しか、知っている人はいません。いまここで誰だと言える人はひとりもいないと思います。エドムンド・ウェイを数分前に見かけたような気がしましたけど、見失ってしまいました…

75. ちょっと前に、彼は ー91歳の時にー 心臓発作を起こして、完全に心臓が止まってしまったんです。彼の奥さんがわたしに来てくれるようにと電話しました。彼はあの時死にかかっていたんです。ねえ。

76. 彼の医者に会いました、若いユダヤ人です。(いや中年かもしれない、ユダヤ系の人なんです。「彼はどうしていますか?」とわたしは聞きました。
「彼にはもう少しの望みも残されていないだろうよ。彼はいま、酸素テントの下にいるんだ。あそこで死ぬことになるだろうね。いいかい、もう91なんだから。」彼は言いました。
わたしは言いました、「ええ、先生。」
「心臓が完全に止まっちゃったし、もうなすすべはないよ。もうお呼びの時が来たんだね。」彼が言い、わたしは「ええ、先生」(彼は死なないぞ、それだけのことさ!)と言いました。
わたしは入っていって、酸素テントの下に手をさしいれました。わたしは言いました、「ダウチ兄弟、聞こえますか?」彼はわたしを見上げました。彼の名前なんですが、彼はドイツ系でね、ほんとは、D-a-u-g-hというんだが、わたしはDowっていうふうに発音しているんですよ。ね、わたしはテントの下に手をさしいれて、言いました、「わたしの声が聞こえますか、ダウチ兄弟?」彼は「ああ」と答えました。
わたしは言いました、「あなたは死にません。あなたが死なないことを、わたしは見たんです。」

77. このあいだ言ったんです(わたしは彼と話していたんですが)、「ダウチ兄弟、あなたのために何ができるでしょうか?」
「たったひとつお願いがあります、ブラナム兄弟。主がこられる時に、わたしも一緒に行きたいのです。」
「心配なさるな。それはもう確実ですとも。」そうですとも。
さて、あのひとが来て、洗礼を受けていました。みんな… やってきて聖霊のバプテスマやすべてを受けて、なんとすばらしいキリストの僕であることでしょう。

78. みなさん、静かに座っていてください、敬虔になって、よく見て、祈ってください。

82. あなたはちょっと緊張していますね、だからこういうふうにしているんです、わかるでしょ。これがあなたの問題のひとつですー神経質だってこと。その通り。それからあなたは糖尿病でもありますね。これがもうひとつあなたの悪いところー合併症ですね。とにかくいろいろなものが悪いんだ。そうでしょう? その通りだとしたら、手を挙げてください。神が癒してくださると信じますか?信じる? さて、そのあなたの神経質というのはあなたの年齢のせいですね。でもいま、全部それらはあなたを立ち去るでしょう。
そしてわたしは信じます、信仰によってわれわれがカルバリに行き、主の血を受けることを。

83. さて、イエスがシモンに会ったとき、イエスはシモンが誰なのかを告げました。あなたは神が、わたしにあなたの名前を教えられると信じますか? そうすればあなたはもっと信じることができますか? できる? ミス・ストロング、ストウト。信じますか? 行って、信じなさい、そしてあなたは… これでおしまいです。アーメン。

86. 主があなたを祝福してくださいますように。

88. さて、あなたは伝道者だったことがあるか、それか伝道者であるかどちらかでしょう。さて、あなたはいまも伝道者ですね。あなたが説教壇の上に立っているのが見えます。ならば神に信仰を持ちなさい、そうすれば神経過敏はあなたから去っていくでしょう。神に仕える者達はみなそうなのですよ。あなたも大丈夫。説教壇に戻って、神に従い、御言葉に忠実であり続けなさい。
あなたの背中の不調も治って、椅子に座れるようになると信じますか? 信じます? ならよろしい。進み続けなさい、「主よ、感謝します」と言いながら。

89. 腎臓の不調と、あなたの背に、背中の問題がありますね。神があなたを癒し、今晩あなたを良くして下さると信じますか? 神があなたを良くして下さると信じますか? いいでしょう。そのまま進みなさい。
ご婦人よ、いらっしゃい。わたしはあなたとは他人です。わたしがあなたに何か言わなくても、ここにいる神のご臨在があなたの病を癒して下さると信じますか? 信じます? なら、もしあなたが、あなたの胃の問題が… 私の話は終わりです。それはもう消えましたよ。

90. あなたは胃に問題があって、神経過敏になっているのですね。食後に消化性潰瘍のせいで辛くなるんだ。それが無くなると信じますか? さあ何かを食べにゆきなさい。
あなたは起き上がるのが辛いのですね。背中の痛みに苦しめられているのですね。あなたが信じるのなら、もう痛むことはありません。信じますか? いいでしょう。ゆきなさい、そして主イエスに完全に良くしていただきなさい。
なにをそんなに神経質になっているのですか? さあおゆきなさい、そして「もう神経質になんかならないぞ」と言いなさい、そうすればもうならないでしょう。そうですとも、あなた。

91. さあ、いま外科医がナイフを取り上げようとしている…

92. あなたは信じますか? すべてのことは可能なのです。あなたは信じますか? 聴衆の皆さんはどうですか? さあ、みんな立ち上がろうではありませんか。いまこそその時です!さあすべてのひとよ、いますぐ、みんなこの足で立ち上がりましょう! 神に賛美を捧げましょう! 手を挙げてください。主イエス様、ありがとうございます!あなたの偉大さとその癒しの力を賛美します。