1. 天の父よ、今晩あの美しい賛美歌を聞いていたので、あなたが近くおられると思っていました。主よ、今晩わたしたちをあなたの子として受け入れてくださるよう祈ります。すべての罪と咎を許し、祝福で満たしてください。わたしたちには、必要が沢山あるのです。
そして、わたしたちが生きているこの大いなる時代に・・・世界は年を重ねるごとにどんどん暗くなってきています。そして主の到来は、あなたのみことばとあなたの現れが明らかになるたびに、ますます明るくなってきています。わたしたちは今夜も集会に参加するためにやって来ました。そして、この書の第3の封印を解いてわたしたちに理解できるようにしてくださるよう祈ります。わたしたちが何をし、どのように生きたらよいか、どのようにすれば良いクリスチャンになれるか、わかるためです。
2. 主よ、今晩ここにいるあらゆる病気の人が癒されるようにしてください。彼らは、あなたが必要不可欠なことを自覚しています。父よ、あなたの誉れと栄光のためになされたあらゆる事、あらゆる発言を祝福してくださるように祈ります。イエスの御名によって、アーメン。
4. 多分こうしたらよいと思うのですが、できたら日曜日の朝・・・わたしたちは誤解されることを願ってはいないのですが、度々誤解されます。ですから、このことに関して質問したいことがあれば、土曜日の夜までにそれを書いてデスクに渡してください。そうしたら、わたしは日曜日の朝にそれに回答したいと思います。主が望まれるのならそうしましょう。そうしたほうがいいとおもいます。というのは、時々誤解を受けるからです。そのようにして、わたしは・・・わたしが直接誤りを正していくのがいいのではないかと思います。そうすれば、事実の歪曲を正していけると思います。
このように言うのは、わたしは度々・・
5. それから誰かが、こう言いました。もし土曜日に主が最後の封印を解き明かしてくださったら、イエスは日曜日の朝にここに来られるのだと。だからそういうことは・・・つまり、・・・そうではないのです。わたしたちは知りません。もし誰かが、いつイエスが来られるか知っていると言うなら、そもそもその人が間違っていることがわかります。それは誰も知らないことだからです。でもわたしたちは、あたかも今、イエスが来られるかのように、今日を生きたいと願います。
7. 時には読んでいるだけでは・・・。さて、よくよく慎重になってください。読む時は・・・。テープを入手してしっかりと聞いてください。テープを聞けばわかります。テープを再生すれば、ことは簡単明瞭です。そうすれば、はっきりわかります。
8. ですから、もしわからないことがあったら、質問を紙に書いて、今から土曜夜の間に提出してください。わたしは日曜日の朝に・・・もしちょっとした謎だったら、「これはなんという意味かちょっとわからないのです。」というふうに書いてください。わたしの言いたいことがわかるでしょう。そうしたら、日曜日の朝に答えるようにします。主のご意志によって
9. わたしは、人々が活動を始める前に、朝早く起きて、ずっと一日中祈り続けます。
11. また、第三の封印を解いた時、第三の生き物が「きたれ」と言うのを、わたしは聞いた。そこで見ていると、見よ、黒い馬が出てきた。そして、それに乗っている者は、はかりを手に持っていた。
すると、わたしは四つの生き物の間から出て来ると思われる声が、こう言うのを聞いた、「小麦一ますは一デナリ。大麦三ますも一デナリ。オリブ油とぶどう酒を、そこなうな」。
14. ところで、子羊が出てきたのを見ましたね。子羊はみ座に座っておられる方の手からその書を受け取って、封を破りました。そして人々に封印を解き放ちました。そこにいた四つの生き物と教会時代で取り上げた四つの生き物は同一で、(聖書一貫して四つの生き物といえば同一です。)彼らは、封印が解かれる時に宣言する役割がありました。さて、・・・わたしたちはそれが贖いの書であることを知っています。
18. それで最後の一人の魂が入ったら、贖いの時は終了します。すると子羊は、ご自分が購ったものすべての権利を要求するために現れます。これが創造のすべてです。地とすべてのものはキリストのものです。わかりますか? 彼はご自分の血でそれを贖われたのです。彼がこの書を開くために来られると、おやまあ、・・・ヨハネはもう泣きませんでした。彼が見ると、この子羊は殺害された子羊でした。それは・・・殺されたが、生きかえった子羊でした。
20. それで、すでに仕事は終えたルツは、ただ待っていました。彼女は、何であれ働きましたが、今や待っていました。教会は、キリストが近親者の贖いの勤めを果たしてくださっている間、多くの者たちは(そのうちのほとんどは、地下で休んでいます)待って休んでいます。
21. さて、気づいてください。すべてが終了した後、キリストのとりなしの役目が終わった後、彼はやって来て、神の御手からその書を受け取りました。すると、ヨハネや天のあらゆるものたち、祭壇の下の魂たちが叫び始めました。第六の封印の時にそのことを話します。彼らがどれほど喜んだことでしょう。(長老たちは)ひれ伏し、聖人たちの祈りを注ぎ出しました。祭壇の下の魂は叫びました、「あなたこそは、ふさわしいお方です。わたしたちを贖い、わたしたちの神のために、わたしたちを王や祭司として地上に戻してくださいます。」ああ、おびただしい数が居るのです・・・。
22. それから彼は、「子羊は贖いの書を受け取るのにふさわしい。」と言っています。今やその書は裁き手の元にあるのではなく、贖い主のものとなったのです。彼は贖いの勤めを果たされましたから。
さて、彼はご自分がなされることを教会に示されます。それから彼は・・・。でも、その書は封じられていました。誰にも、何が書いてあるのかわかりませんでした。それが贖いの書であることだけはわかっていました。しかし終わりの時に、書いてあることが明らかにされるのです。黙示録10章によれば、第七の御使いがそのメッセージを受けることになっています。第七の教会時代が音を発するとき・・・。第七の御使いが音を発するとき、その時までに、神のすべての奥義が成就されるからです。そして奥義が明らかにされた後、御使いが、それはキリストのことですが、天から地上に降りてこられます。メッセンジャーとしてです。
キリストは下りて来られ、黙示録10章に書いてあるとおりに、片方の足を地に、もう一方の足を海に置き、頭に虹をいただき、目と足は火のようでした。彼は右手を上げて永遠に生きておられ御座におられるお方によって誓いました。「もう時がない。」と
23. それから、子羊が封印を解き始めたとき、彼らが皆困惑したのを見ました。子羊が第一の封印を解いたとき、ヨハネは思ったことでしょう、「さあ、彼がこう言うだろう『誰々が王座を受けて、これこれのことをして、こうなって』というふうに」しかし、実際には、騎手を乗せた白い馬が飛び出してきたのでした。なんと、「彼は、弓を手に持っており、また冠を与えられて、勝利の上にもなお勝利を得ようとして出かけた。」それだけのこと。
26. さて、そのことは単純明快にされていると思います・・わたしたちは、そうなることを待ち望んでいます。終わりの日に、どこかで、油注がれた人物が現れます。今、多くの狂信的なことを聞きますが、それは単に・・・。それは悪魔が、本物から注意をそらすためにしていることです。しかし、それは適切に見分けられることでしょう。エリヤがどんな人物だったか知っていますね。それを観察すれば、識別できるでしょう。選ばれた人なら、わかります。他の人にはわかりません。彼らにはできません。彼らは100万キロもピントを外すことでしょう。
27. イエスはそのような人を、決して彼の弟子にしませんでした。彼が採用したのは漁師など無学な人々です。教会などに関わりを持つ人はいませんでした。イエスは、取税人、農夫、漁師など普通の人を神の働きのために選びました。彼らが知識を持っていなかったからです。彼らが無知だったからこそ、イエスは彼らを用いることができました。彼らが自分たちが無知であることを知っている限り、神は彼らを用いることができるのです。もし彼らが自分たちには知識があると考え始めるなら、知るべきことを何も知らないことがわかっていないのです。そう聖書が語っています。それが分かっています
28. ちょうど、別の面をとるようなものです。王のような権力を持ちながら、本当の王ではないというような、そういう人々がはいってきて・・・。聖書で用いられる言葉づかいなどには、注意を払わなければいけません。さて、しかし、神の義についての不可解な部分や、聖別の不可解な部分や、聖霊のバプテスマの不可解な部分、それらが尻切れとんぼになっている理由・・・。エバが食べたのはリンゴだったのか、ざくろだったのか、別の物だったのか、わかりますか?
サーパントの種とは? 父と子と聖霊の名による洗礼と、主イエスの名による洗礼とどちらが正しいのか? ああ、何百という事項が未解決のまま残されています。わかりますか?
29. ヨハネが現れて洗礼を施すことになっていたとき、それはどれほど重大なことだったでしょう。考えてもみてください。イザヤ、マラキなど歴々の預言者たちが、彼が来ることを預言したのです。実際に彼が登場すると、それは孤立し年とった、無学のやからで、顔中ヒゲだらけでした。髪の毛はもじゃもじゃと毛羽立ち、古びた羊の一枚はぎを体に巻きつけていました。学問はまったくありませんでした。わたしたちが知る限り、彼は一度も学校に行ったことはありませんでした。そんな彼が荒野から現れました。教壇から歓迎されることもなく、ヨルダン川に立って、人々に悔い改めを呼びかけ始めました。想像できますか?
30. 現代と同様、当時の人々も、彼の人物像を勝手に決め込んでいたことでしょう。でも実際は、彼はとても目立たなかったので、弟子さえも、判断を誤りました。彼らは言いました、「でも聖書はどうして・・・? あなたは捧げられるために上って行こうとしてますが、聖書はどうして、まずエリヤが現れなければならないと言っているのですか?」
イエスは答えました。「彼はすでに現れたが、あなたたちはそれを知らなかったのだ。人の子についても、人々は同様に扱うであろう。」彼は言いました、「ヨハネは、彼について記されているとおりのことをしたのだ。そして彼らはなるべくして彼を勝手にあしらったのだ。」「人の子も同じように・・・苦しみを受ける。」
でも、ユダヤ民族全体の3分の1も、イエスが地上にいたことさえ知らなかったと思います。どこかで何か狂信的なことが起こったことを聞いたことはあるでしょう、でも、それに注意を払うことなく、自分のしたいことをしていました。「彼はご自分の民のところに来たが、彼の民は彼を受け入れなかった。」
31. イエスは言いました、「それはすでに起こったのだ。それをあなたたちは知らなかったのだ。」
そのようになるでしょう・・・夜中に押し入る泥棒のようなものです。わたしが読んだ本のようです。なんでしたっけ?ロミオとジュリエット、そうでしたっけ? 昔の話ですけど、夜中に彼は家の壁に梯子をかけて、彼女をさらっていきました。
32. ただ、誰かがいなくなったと言うだけです。わたしが想像するに、今日の世界を見渡すなら、毎日500人が行方不明になっているでしょう。誰も何も知らないのです。ただ、行方不明になっているのです。でも、携挙の時は、あまり多くの人が連れて行かれるのではないでしょう。
33. 「ああ、それならわたしが努力しても仕方ないか」と言う人がいるかもしれません。そう言うのは、その人が必要な信仰を持ち合わせていないからです。もし携挙されるのが一人だとしたら、それはわたしです。わたしは神を信じていますから。そのように信じるべきです。「その一人はわたしになります。」そうです。わたしは神に近く生きていたい。キリストが来られるとき、わたしを連れていってくださることを知っています。そう信じています。誰もかれもがおいていかれても、わたしは神の恵みによって連れていってもらえます。そう約束してくださったからです。わたしは必ずそうなることを知っています。神は嘘がつけないからです。わたしの魂と生活が保証しますが、わたしは毎日を、キリストが来られる日のように過ごしています。だから、わたしは連れていかれます。このようにあなたたちも感じてほしいのです。もし8人だけなら、わたしはその8人の一人になります。もし500人なら、わたしはその500人の一人になります。他の人のことはわかりませんが、その500人のうちの一人になります。
そのように覚えていてほしいのです。そのように思わないのなら、あなたの信仰は間違っています。あなたはまだ救われているかも定かでないのです。ただ救われているのではないかと推測しているだけです。それはやめてください。
34. 封印の解き明かしですが、覚えていてください、それは1節だけなのです。まず宣言があって、次の節で・・・。それについての解説を読んで、ほとんどの解説の中の彼らの考えも読みました・・・。わたしも、他の人たちと同様、初めの馬に乗っていた者とは初代教会のことだとずっと信じていました。でも、聖霊が解き明かしてくださったので、本当は全く逆のことだったのだと知りました。そうなると、全容が見えてきました。それでわたしは・・・
37. さて、物事には常に自然の面と霊的な面があります。教会のために、今回の封印を解く前に、わたしは型を示したいと思います。この封印は、主から示されて今ここに書き留めてあります。いくつかの聖句を引用し、7〜8ページあります。注意してください。わたしは教会の型を、明白なかたちで示しますので、あなたたちは必ずそれがわかるようになります。
39. そしてもし、わたしの幼い子の死すべき命が失われているとしたら、わたしはその子が救われることを信じるでしょう。わたしでさえそうだとしたら、神は、永遠に失われているご自分の子に対してどれほどのことを思われるでしょう? その子を何で守られるのでしょう? 神は、ご自分のことばでその子の命を守られます。そのことばを守っている限り、安全です。「もしあなたがわたしのうちにおり、わたしのことばがあなたのうちにあるなら、なんでも願いなさい・・・」そのとおりです。それが約束のことばです。
40. こう言い返すことができます、「キリストが打たれた傷によって、わたしは癒されました。」
「あなたはもうじき死ぬよ。」
『神はわたしをよみがえらせてくださいます。」
41. それで気づきましたか? キリストもまったく同じことをされたのです。贖いのためには、神の方が早く到達する必要があったのです。なんのことかわかりますか? ヨゼフがマリアを知るより早く、聖霊が彼女に到達している必要があったのです。アーメン。わかりますか? そのようにして贖い主はやって来たのです。
43. ヨハネ1章、「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。・・・」そして神は肉体となり、わたしたちのうちに宿られたのです。キリストは御言葉なのです。言葉になる前は、思いでした。思いは創造されなければなりませんでした。そうです。それで神の思いは、ことばして発せられたときに、創造物となりました。神があなたに思いとして与えられたこと、それは神の思いですが、それがあなたに与えられたなら、それはあなたが言葉にして発するまでは思いのままでとどまります。
45. 何はさておき、モーゼの話ですが、緑色の大型バエがブンブンいいだし、しばらくすると1平米に2キロくらいのハエがうじゃうじゃ発生したのではないかと思います。いったいどこから発生したのでしょう? 神が創造されたのです! わかりませんか?
神は、お望みなら、今夜ブヨを発生させて世界を破壊することもできるのです。なぜなら、ブヨを月に届くくらい積み上げることができるからです。そうするためには、ただ、「ブヨが月に届くくらい発生せよ。」と言われるだけでいいのです。それだけで、すべてのことは起こります。化学もなにも必要ありません。ブヨはただ増殖して増殖して増殖していくのです。
46. さて、神がエバに、しばらく時がたったら、「御言葉があなたに戻ってくる。」と言われたことに気づいてください。さて、エバは何につまづきましたか? クラスの皆さん、答えてください。彼女は何につまづきましたか? 御言葉です。そうですね? 御言葉だったのです。そして神は、彼女が御言葉に戻れるよう救いの道を開くと言われたのです。しばらく時がたった後で、御言葉は、彼女に知られるようになるのです。そうです。御言葉は一つの目的の為のみに来られるのです。。
47. 神は彼女に、みことばがもう一度訪れると言われました。でもその時まで、その血のための代用を神は与えられたのです。あくまでも、本物が現れるまでの間です。それで、神は彼女に本物の血の代用として、捧げものを用意されました。捧げものは牛や羊やヤギなどの血でした。それは彼女の罪を覆い隠すためで、彼女から罪を取り去ることはできませんでした。それは、あくまでも罪を覆い隠すためのものでした。それは動物の血であり、動物の血は、動物の命でしかありませんでした。それは単に、本物の、(さあ、襟を正して聞いて!)本物の人の血が、神が人となってその血が流されるまでの代用でした。性交なしに、処女が産んだ子がそれを成し遂げるのです。
48. だからヨハネが泣いたのです。誰もふさわしい人がいなかったからです。みな、深い亀裂の向こう側の溝にいました。でも、動物の血の代用が必要でなくなる時が訪れます。その時には、本物の人の血が、神が血と肉を持って現れてくださるのです。聖書は神がそうであったと言っています。1テモテ3:16です。「・・・確かに偉大なのは、この信心の奥義である。『キリストは肉において現れ、霊において義とせられ、・・・』とあります。そうです。処女が産んだ子がそれを成し遂げたのです。
49. 人間にも、地上のいかなるものにもそのようなことはできません。神以外のいかなるものにも、創造のみ業はできません。悪魔には、創造はできません。彼は、創造されたものを悪用することには長けていても、創造することはできないのです。罪は義の歪曲にすぎません。わたしの言っていることがわかりますか? 嘘とはなんですか? それは真理の曲解です。姦淫とは? 正しい法的行為の逸脱です。罪のうちにあるすべては・・・。罪は単に真理の歪曲なのです。
50. イスラエルの人たちよ、今わたしの語ることを聞きなさい。あなたがたがよく知っているとおり、ナザレ人イエスは、神が彼をとおして、あなたがたの中で行われた数々の力あるわざと奇跡としるしとにより、神からつかわされたものであることを、あなたがたに示されたかたであった。
52. 「でも彼らはまだ結婚していなかったじゃないか。」そうです。でもヨセフは結婚する前に彼女を去らせようとしました。婚約の段階で。
そして神が、神の約束のみことばが、結婚のために来られると、なんと彼女は代用品にすっかり覆われており、本物の約束であるみことば、つまりキリストを受け入れる気はありませんでした。
54. 自然体のエバは、エデンの園で、神のことばを侮るサタンの論理に耳を貸してしまい、堕落しました。彼女が堕落したのはそのような理由です。そうです。彼女はそうしてしまったために堕落しました。霊的エバは、(それは教会を指し、キリストの花嫁のことですが、)エデンではなく、ローマで堕落しました。わかりますか? ニケア会議によって堕落したのです。ペンテコステによって誕生した教会がニケアに行き、御言葉を守る代わりにローマの論理を聞き入れたので、堕落したのです。彼女を取り巻くすべてのものが、彼女とともに命を亡くしてしまったのでした。
55. エデンの園でイブが、徳の力を持つ権利を失い、その権利をサタンに与えてしまったように、キリストの花嫁である教会も、ローマで同じことをしてしまいました。教会は、聖書の代わりにドグマや知性を取り入れたのです。
どの様にその型ができていることがわかりませんか? 型どおりにことが進んで、うまく収まるようになっているのです。もし私の手が・・・。もしわたしが、一度も自分の姿を見たことがないとして、自分の影だけを見てきたとしたら、影が自分の姿だと思うことでしょう。わかりますか? しかし、これから何が起こるかを知りたいのなら、過去の出来事を調べてみるのです。「昔あったすべてのことは、これから起こることの影である。」と聖書が語っているからです。そうです。
それで彼女は、聖書を売りわたして、教会にはみことばを変える権利があると言い張る人を代わりに置き、神のことばである力の御言葉を失ったのです。そして彼らはそれを実行しました。ペンテコステのときに生まれたキリストの花嫁は、ニケア会議に貞操を売ってしまいました。それは、エデンの園でエバがサタンに貞操を売ったのと同じです。まさしくその通りなのです。
56. 使徒信条とかいうものが、聖書のどこに記されているのか、誰か見つけてみてください。それは使徒の教えではなく、カトリックが作った教えです。使徒2:38を読んでください。それが使徒の教えです。使徒たちはその教えを用いて活動していたのです。
57. 同じことをしました。宗派を組織立ててしまったのです。ローマがそれをさせたのです。教会は宗派を作り上げ、人をかしらに立てました。そしてメソジストも、バプテストも、ペンテコステも、その他のものも、同じことをしました。リーダーたちを選び、かしらに立てたのです。
神がなんと言おうと、彼らは自分たちの道を押し通すのです。いったい、どういうことでしょう? 霊的姦淫に他なりません。悪い女です。そうです。人が作った偽物の教えです。それで彼女は、(さて、それを証明しましょう)そうした途端に、神にとってふしだらな女となったのです。聖書がそう言っていることを信じますか? そうです。彼女の娘たちも同じことをしました。
58. さて、この女には娘たちがいたことを覚えていてください。この女が組織制度を取り入れて組織体となったのなら、その制度全体が間違っているのです。エバが神に逆らってすべてを死に投げやってしまったように、死は彼女の支配下にあったのです・・・。そして組織化した教会も、教会の支配下にあった死に、すべてを投げやってしまいました。そのとおりです。すべてを失いました。まさに御言葉のとおりのことが起こったのです。
59. 「彼女は淫らな女になった。」黙示録の17章を読めば、書いてあります。彼女は何をしたのですか? 彼女は自分の夫を裏切って姦淫を犯したのです。「でも、・・・」あなたは反論するかもしれませんが、いいえ、そう聖書が言っているのです。御言葉は神です。もし聖書からひと言取り去るなら、・・・。あなたは自分の妻に他の男とキスしてもらいたいですか? もし彼女がそれ以上のことはしなかったとしても、あなたは彼女に、そんなことはしてほしくないでしょう。彼女が不誠実であることが、それでわかったのです。「誰でも、この書からひとことでも取り除いたり、付け足したりするなら・・・」ハレルヤ!
61. 名もない男がやってきて、こう言います、「わたしは神に仕えたい。」
すると彼らは答えます、「それでは、こうするのがいいでしょう。行って、悔い改めなさい。」
「はい、そうします。神に栄光!行って悔い改めます。」
「そうしたら、わたしたちの仲間に加わりなさい。」
そら、きました。こうなんです。このようにして、命を失ってしまうのです。聖書がそう教えています。わかりますか、これはわたしが言っていることではないのです。聖書が言っているのです。そうです。
62. 前にも言ったように、「銃を撃って、命中しなかったら、どこで的を外したかを見つけ出しなさい。そしてそこに戻ってやり直しなさい。」もし戻るとすれば、ニケアに戻らなければいけません。そこからやり直すのです。わかりますか? 戻って、組織や組織化された教会から離れることです。
今までわたしたちは、見事に封印が解き明かされるのを見てきています。なぜわたしがこんなにも組織というものに抵抗しているのか、自分でもずっと考えてきました。人々に対してではないのです。人々はわたしやあなたたちと変わりありません。わたしが糾弾するのは、教会の組織化です。ここでやっとその訳がわかりました。今までわからなかったのです。そうです。
63. さて注意して聞いてください。はっきりとわかってもらいたいのです。神はエバに、時が来たら、彼女の子孫によって御言葉が回復すると約束されました。この御言葉自体が、彼女の子孫となるのです。それまでの代用として、代用品が与えられると、彼女は代用品を守りました。そして、みことばがやって来たとき、彼女はどうしましたか? 「そんなものは欲しくない。」と突っぱねました。あまりにも素朴で見劣りがして、彼女にはふさわしく思えなかったのです。
「厩ですって? おやまあ、そのような者が。えっ、学校に一度も行ったことがない? 到底受け入れられませんね。メシアであるわけがない。あんな連中に蹴られたりあしらわれたりしているような者がメシアですって? 自分を預言者だと言っていたのに、ボロを纏わされたり、頭を叩かれたりしているなんて。本物の預言者なら、あんな連中を吊るし上げるでしょうに。」
彼らには預言者というものがわかっていませんでした。イエスがそう言われました。「もしあなたたちが、預言者を知っていたなら、わたしをも知っていただろうに。」
64. 神が言われたとおりに、彼女はそれを別ものとしてとらえました。イスラエルの花嫁 へブルの花嫁 花嫁のことを話しているのです。それはエバからの事です。御言葉が彼女のもとに現れたとき、彼女は退けました。代用品の方が好きだったからです。
さて、神はペンテコステのとき霊的エバに約束しました・・・それが起こる前に(教会が堕落する400年も前に)、神は、彼女が堕落することを告げました。しかし神は、終わりの日に再びみことばを送ると約束されました。
65. 宗派に関係していないなら、わたしの知ったことではありません。」
イスラエルの花嫁がしたのと同じです。そうです。わかりますか? 彼らは代用品のいうことを聞くのです。神は本物を送ることを約束されました。でも本物がやって来ると、彼らは拒否しました。あまりにも素朴で見劣りがしたからです。
66. 神はそのような人物をわたしたちに送られるのです。神がご自分のことばを送られたのは、預言者にです。改革者ではありません。今は改革者のときではありません。その時が近づいています。だからわたしたちはその者が現れるのを注意して見ているのです。彼はとても素朴でやさしくて、だから・・・。
67. 「なぜ、ペンテコステが含まれているのか?」と、あなたは言います。
ペンテコステはラオデキアの時代です。「わたしたちは豊かで
何も欠けたところがない。」と言っています。しかし聖書は、「あなたは自分が貧しいことを知らない」と言っています。あなたたちは、なん億ドルもする建物を建てるかもしれませんが、貧しいことに変わりありません。霊的に貧しいのです。
「いや、すべてわかっている。」とあなたは言いますが、実はあなたは目が見えていないのです。
「でも、神の祝福で覆われている。」と言いますが、実はあなたは裸なのです。
「でも、我々の子どもたちは・・・・我々には神学校がある。」それなのに神のことを知りません。
逆もまた同様です。さて、ラオデキア時代の状態がそのようであると聖書が言っているのですから、誰も今が最後の時代であることを否定できません。ラオデキアの教会時代は第七の時代で、今がその時なのです。キリスト誕生から2000年の時が終わろうとしています。もうこの先に教会時代はありません。
そういうわけで、『のちの雨』運動の兄弟たちは新たに教団を作ることができないのです。この先がないのですから。そうです。今が終了のときです。アーメン!もうこれ以上、新たな教会時代はありません。おしまいです。
68. イエスが十字架の上で殺されたとき、彼の体から物質が出てきて、新たに生まれ出ました。兵士が彼の脇腹を刺すと、血と水が出てきました。そしてイエスは、「あなたの御手にわたしの霊をゆだねます。」と言われました。彼の体から出たのは、水と血と霊でした。第1ヨハネの5:7で、そのことを語っています。
69. 義とされなくても、聖別されることはできます。聖別されなくても、義とされることもできます。聖霊を受けなくても、聖別されることはできます。まさにそうです。ヨハネ17:17によれば、弟子たちは聖別され、悪霊を追い出す権能を受けましたが、聖霊は受けていませんでした。そうです。聖霊が臨むためには、五旬節まで待たなければなりませんでした。ユダが本性を現したのはそんな時です。神によって義とされ、聖別されただけでも、霊は勝手に働くことができるのです。でも終いには、彼は本性を現しました。そうです。
70. 聖書は、「終わりの日のこのメッセンジャーは、・・・もとの信仰に彼らを立ち帰らせる、つまり父の信仰に戻させる。」と言っています。でも、本当に彼らが立ち帰ると思いますか? いいえ、とんでもない。マラキ4章によれば、神は終わりの日に、彼女から剥奪されたみことばをもとどおりに回復されます。
さて、彼女はニケアにおいて、みことばを喪失しました。エバはエデンにおいて喪失しました。エバは、カルバリで拒絶し、ニケアの団体は終わりの日に拒絶します。同じことの繰り返しです。でも、御言葉が人となって来られたとき、ヘブルの教会であるエバは、彼を拒絶しました。彼女は当時、すべての魂を持つ者達の母でした。彼女は伝統や教義に没頭していたので、御言葉を見失いました。今回のエバも、まさに同じことをします。
71. 彼女は、代用である伝統を守って・・・イエスが彼女のもとを訪れたというのに、彼女は代用品の血に固執して、御言葉なるイエスの、本物の血を拒みました。彼女が伝統の方を守ったからです。御言葉の現れであるイエスが、イスラエルの花嫁に言いました、「あなたがたは、伝統を大切にして、神のことばを虚しいものにしている。」これでは御言葉の力が発揮できないのです。
72. 花嫁は、まだリバイバルを経験していません。まだ、どこにもリバイバルは起こっていないし、花嫁を揺り起こす、神の訪れもありません。わかりますか? それが起こるのをわたしたちは待ち望んでいるのです。いまだ不明の、あの七つの雷が語った言葉が、花嫁を再び目覚めさせることでしょう。神は本当のリバイバルを起こされます。約束してくださいましたから。さて、よく注意して聞いて。彼女は命を失ったのです。
74. さて、モア兄弟たちが外食もせずに一生懸命編集していることを、わたしは知っています。彼は、革靴を履く部類の人の中でもっとも素晴らしい人物の一人だと思います。でも、彼でさえ、わたしたちに預言者が必要であることがわかっているのです。そしてモア姉妹は、もっとも優れた女性の一人です。ああ、かわいそうに。彼らは犠牲を払っています。わたしの感想では、「キリスト再臨の先駆者」は最高の冊子の一つです。でも彼らはずっと、「預言者の再来を求む!預言者の再来を求む!」と叫び続けているのです。わかりますか? そのことが彼らの話題なのです。
75. 光と闇は仲良く共存できません。光が来れば、闇は去ります。光はもっとも力があります。闇によって光を消すことはできません。光によって闇を消すのです。そうです。そしてキリストは光です。キリストは御言葉です。やっともとに戻りました。それを偽りとしたり、間違いとすることはできません。きちんともとの場所に戻ってきます。そうです。
77. のです。自分たちの伝統を守って、神のことばを虚しいものにしています。霊的エバも同じです。彼女は伝統を守り神のことばを遠避けます。神のことばを受け入れる代わりに、宗派や新条や、長老の伝統を守っているのです。
そして終わりの日に現れると約束されたみことばが彼女のもとを訪れても、彼女は受け入れないでしょう。彼女が伝統にしがみついているからです。イスラエルの花嫁がしたように、本物の御言葉が現れて、それが本物であることが証明されたにもかかわらず、彼女は受け入れないのです。なぜでしょう? それは型ができているからです。そうです。彼女にはできないのです。型を打ちこわすことはできません。わかりますか? 彼女がそうすることは予見されていました。そうなることを避けるにはどうしますか? 唯一の方法は、あなたがいる状態に満足すること、それだけです。覚悟してください。
いいでしょう。終わりの日に、ご自身を明らかにし、御言葉を彼女に証明すると、神は約束されました。それでも彼女は受け入れません。神が彼女に、僕である預言者によって約束したことのすべて・・・。神は、イエス・キリストによって、ヨエルによって、パウロによって、マラキによって、黙示録のヨハネによって、最後のメッセージが彼女に訪れるという約束をされました。
78. 何が起こるか、まさにそのとおりのことが記されています。教会にとって、それはどういうことでしょう? 永遠のことばが、人となり、ご自分の民のもとを再び訪れたのです。でも彼らはそれを信じません。
79. カペナウムでは、彼はほんの少数にしか癒しを行われませんでした。そして彼らの思いを明らかにして、去って行きました。それだけです。だから彼らは、何が力強いわざなのかわからないのです。彼らは、誰もが目覚めるような
絶大な行事でなければならないと考えているのです。判事が演説し、楽隊が奏し、旗が舞い、着飾った女性たちがちょこんと座り、Ph.DやLL.Dなどの肩書を持つ人たちや立派な帽子をかぶり、ローマンカラーをつけた人など、すべてがやって来なければならないのです。そういうのが、とても立派なことなのです。でも神は言われます、「あほらしいことだ。」
81. 人々はこう言いだしました・・・。もちろん、先駆者であるヨハネが来たときも、彼らは言いました、「あなたはメシアか?」
ヨハネは答えました、「いいや。だが、遠くないどこかにおられる。」わかりますか? なぜそんなことを言ったのでしょう? 神のメッセージが現れるとき、神が何をされるか知っていたからです。彼には神のなさることがわかっていました。
82. そこに立っていた人たちが言いました、「あなたがメシアではないのか?」「我々は本部から遣わされて来たものである。」「我々の長老が我々をここに寄こしたのだ。もしあなたがメシアなら、こんなところでこんな連中といないで、我々のところに来て自分を知らしめたらどうか。さあ、来て、みずから名乗り出なさい。」
ヨハネは言いました、「わたしはメシアではない。」「わたしは荒野で呼ばわる声である。」
いくら聞いても、彼らにはちんぷんかんぷんでした。彼らは何も知らずに探していたのです。でも、こんな男がそうであるわけがない。そうだったらひどいことだ。
「どこの学校を出たのか?」
「学校になど行っていない。」
「会員証を持っているか?」
83. 彼は預言者以上の者でした。彼は契約の使者だったのです。彼は、古い時代が終わり、神が定められた新しい時代の始まるちょうど真ん中に位置していました。だから、預言者以上の者でしたが、彼らにはわからなかったのです。彼らには理解できませんでした。彼は一風変わった人物でしたから、彼らは見損なってしまったのです。わかりますね。
84. ところが神はどうされたでしょう。神は無学で貧しい漁師や木こりや農夫や売春婦をご自分のものとされ、高位の者たちを残されました。なぜ神はそのようなことをされるのでしょう? 想像できますか? なぜなら、これらの人々は、イエスが神のことばであることがわかったからです。
86. そこで、彼がやってきました。するとこれらの高位に着く者たちは本性をあらわしました。彼らは代用品と密接だったために、こんなふうに言いました、「メシアが来られるなら、当然カヤパのところに来られるに違いない。我々の宗派に来られるはずだ。サドカイ派のもとに来られるに違いない。」
サドカイ派は、「それはあなたたちの思いすごしだ。彼はサドカイ派のところに来られるのだ。」
87. みんながきちんとのみこめるように説明させてください。ちゃんと理解してもらいたいのです。それが今日の問題でもあるのです。御言葉を知らないということです!
イエスは言われました、「あなたがたは空模様を見分ける事が出来る
のに、時のしるしを見分ける事が出来ない・」
彼らは言いました、「でも、わたしたちにはモーゼがいます・・・」
イエスは答えられました、「もしあなたがたがモーゼを知っていたのなら、わたしをも知るはずだ。」彼らはモーゼを知らなかったのです。だから彼らには理解できませんでした。彼らが知っていたのは、信条でした。そこから生まれたのですから。
88. 彼の兄は言いました、「さあ、行ってみようや。あれが、この間俺たちが見たのと同じ人物だ。彼と一緒に、一晩過ごしたのだ。俺が話したヨハネを知っているだろう?」
「ああ、あの荒野の男だろう?ああ、聞いたことあるよ。」シモンは続けて言いました、「彼についてはあっちで聞いたことがあるよ。ああ、行ったことがあるんだ・・・2〜3か月前だったかなあ。そうだ。」
「ある日、彼は立って、おかしなことを言ったんだ。こう言ったんだよ、『さあ、今すぐにも彼がやってくる。』みんなが、『どうして、わかるんだい?』と聞いたら、彼は向こうの方を見たんだ。するとそこになんの変哲もない男が立っていた。すると彼は、『彼の上に、神の霊が鳩のように降ってくるのを見たのだ。そして声がこう言うのを聞いた。『これが、その人だ。これがわたしの愛する子、わたしはこの者のうちに宿る。』そして彼は水に入って行ってその人物に洗礼を授けたんだ。彼はその人物を知っていると言っていた。」
「さあて、どうかな。」シモンは言いました、「そんなことをなんども聞いたがね。」こんなことがあって、彼は今やってきたのです。しかし彼の心の奥に、定められた種が蒔かれていました。イエスがそう言われました。そうです。彼はイエスのところにやってきました。「さあて、集会に行って確かめてみるか。」
89. 「ちょっと待ってくれ。どういうことだ? この人はわたしに会ったことがなかったし、父のことを知っているはずもない。彼は随分と前に亡くなったのだから。でも今彼ははっきりわたしのことをそう言った。待てよ、聖書がこう言ってたなあ。(長老が言っていたのではなく、聖書が言っていたのです。)『メシアは預言者である』と。彼がその人だ。彼がそうだ。」
90. 「でも、あなたはユダヤ人じゃありませんか。そんなことしちゃいけません。わたしはサマリア人です。あなたがわたしに話しかけるのは、常識はずれです。」
「でも、あなたに話しかけているのが誰かわかったなら、あなたの方から水を飲ませて欲しいと頼むことだろう。」
「あなたのバケツはどこです?つるべは?」
「だが、わたしが与える水は、いのちだ。」
「え、なんのことです?いったい。」彼女は言いました、「あなたたちは礼拝の場所をエルサレムにしています。わたしたちの先祖は・・・」
「ああ、そうだ。わたしたちユダヤ人は何を礼拝しているかわかっている。だが、人々がエルサレムでもこの山でもなく礼拝するときが来る。彼らは霊によって礼拝するようになる。神が霊だからである。彼らは霊と真理によって礼拝するようになる。」
すると彼女は考えを頭にめぐらし始めました。
「あなたの夫をここに連れてきなさい。」
「夫ですって?夫なんていません。」
「そうだ。あなたは本当のことを言ったわけだ。これまで5人とつき合ってきて、今のは6人目だ。あなたには5人の夫がいた。だからあなたは本当のことを言ったのだ。」
91. 彼女は言いました、「失礼ですが、あなたは預言者とお見受けします。」「わたしたちは(わたしは)、メシアが来られるとき、彼はそのような方であることを知っています。そして何百年も預言者は現れていません。何百年も本物の預言者がいないのです。」そして続けて言いました、「・・・あなたは、わたしに今まで何人の夫がいたかなど言い当てました。」「よくわかりませんが、」「メシアが来られると、このようなことをなさるはずですが、でも、あなたは誰ですか?」
イエスは答えました、「わたしがその者である。」これで決着しました。彼女は売春婦でした。
92. さて、これが相反するところです。今日も同じことです。まさに同じことが起こっています。そうです。彼女には光が当たったので、わかりました。
それから漁師、木こり、農夫、取税人、売春婦、などは、イエスのうちに、聖書が語っていることの成就を見ました。一方ファリサイ人にはそれがわかりませんでした。彼らが伝統にとらわれていたからです。(編注:ブラナム兄弟が話を止めて、ジェスチャーをする。会衆が肯定的にそれに反応する。)彼らは伝統にとらわれていたので、わかりませんでした。でも売春婦や農夫たちはわかりました。前もって定められたいた者たちはみな、疑いが払拭されれば、種の成長を始めます。そうです。
93. ルカでもこう言っています、「ノアの時代に起きたようなことが・・・」いかにして神は人の姿になって現れて、ご自分の後ろに誰がいるか、サラが何をしているか(彼女はテントの中で笑いました。)言い当てられたでしょう。それから、終わりの日に起こることを預言した、マラキなどすべての聖句。ヘブル4章では、「御言葉が戻ってこられると・・」。マラキ4章では、「御言葉は、ひとりの人をとおして戻ってくる」と語り、ヘブル4章では、「神の言葉は人の心の思いを見極める。」と語っています。そのようなことが行われたのだから、彼らにもわかるはずだったのに、彼らは立ち去りました。彼らの伝統が彼らをめくらにし、御言葉を無意味なものにしたのです。そして私たちは、ここにいます。それだけのことです。
94. 聖書は、「わたしたちが、初めの御言葉に戻って、初めの信仰をもう一度取り戻すために、約束どおりに御言葉が現れる」と言っています。そしてもし彼がご自分の民の中に住んで、これらのことをしていることが明らかになっても・・・科学的に証明するために写真にご自身を写されたとしても、それでも彼らは信じないでしょう。カメラの目が、同じ火の柱として、神がそこに立っておられるのを技術的にとらえて映し出し、それが本物と証明されたにもかかわらず・・・ヘブル13:8に書いてあるキリストは昨日も今日も永遠に変わらないお方であることが科学やその他の方法で証明されたにもかかわらず。科学的にも、霊の領域においても、あらゆる面から証明されています。ずっと証明されてきているのです。でも、彼らは同じ態度を取ることでしょう。彼らは立ち去って、ヘブルの教会と同じことをするのです。
95. さて、読みましょう。教会の状態が見えてきましたね。教会の過去の状態、彼らが何をしたか、どこに来るべきだったのか、そして何をすべきだったのかを見てきました。彼らはそのとおりのことをしたのです。さて、わたしたちはどこにいつかわかりますか? 自分で判断してください。わたしにはできません。わたしには、ただこの御言葉を伝えるという義務があるのです。教えられたとおりに、伝えることはできます。教えられない限り、伝えることはできません。誰にもできません。
また、第三の封印を解いた時、第三の生き物が「きたれ」と言うのを、わたしは聞いた。そこで見ていると、見よ、黒い馬が出てきた。そして、それに乗っている者は、はかりを手に持っていた。
すると、わたしは四つの生き物の間から出て来ると思われる声が、こう言うのを聞いた、小麦一ますは一デナリ。大麦三ますも一デナリ。オリブ油とぶどう酒とを、損なうな」。
96. それからヨハネは、人間に似た生き物がこう言うのを聞きました、「来て、それが何か見なさい。」この奥義は、地が造られて以来続く贖いの年月を通してずっと、封印して隠され、何が起こるのか誰もわかりませんでした。それが今、「来て、それが何か見なさい。」子羊が封印を解くと、雷が鳴りました。
97. ヨハネはこんなふうに立っていたでしょう、そこからこちらにやって来ました。子羊が封印を解いたとき、彼は近寄ったのです。第一の封印の時のように、まず雷が鳴ります。彼は何が起こるのかを確かめ、ひとりの人が最初に白い馬に乗ってやってくるのを見ました。ヨハネは彼が馬に乗って駆けていき・・・。ヨハネは彼を最後まで見届けました。彼は白い馬に乗って彼がやってくるのを見たのです。乗っている者は手に弓を持っていましたが、矢は持っていませんでした。次にわかったのは、彼が駆けて行きながら、冠をかぶっていたことです。
98. さて、子羊が次の封印を解きました。人に似た生き物が、「きたれ」と言い、ヨハネは近寄って自分の目で確かめました。すると、今度は黒い馬に乗った人が現れました。
99. すると、わたしは四つの生き物の間から出て来ると思われる声が、こう言うのを聞いた、小麦一ますは一デナリ。大麦三ますも一デナリ。オリブ油とぶどう酒とを、損なうな。
100. 今、我々はこれらすべての事が聖句から取られているのを見ました。
101. 第一の教会時代はなんでしたか? ニコライ派が教義を打ちたてました。初めの時代からこの調子です。それから、このニコライ宗の教義
が、容認されて、実際に行われるようになりました。それで人々はこの乗っている者に冠を与えたのです。それからこの反キリストの霊は、人として現れました。あとでわかりますが、彼は悪魔として現れるようにもなるのです。悪霊の次に、悪魔がやってくるのです。
102. 彼らの最初の3年間...教会時代の最初の三つ段階は、暗黒時代をくぐりぬけました。それからの三つの段階、神の義、聖別、聖霊によるバプテスマをとおして神の教会は、神を現すものとなります。
103. この騎士は同一人物ですが、別の段階の役割をします。最初の段階では、白い馬のときですが、彼は教師でした。反キリストの教えを広める者でした。神のことばを否定する者だったのです。どうすれば反キリストになれますか? 聖書に書かれたことばの一つでも否定する者、そうするように教える者が反キリストです。彼らが御言葉を否定するからです。神は御言葉です。
104. サタンはエバに言いました、「ねえ、あなたは知恵が欲しいんでしょう? だってあなたは何が正しくて、何が悪いのか知らないのですから。」「もしあなたの目が開けるなら、わかるようになりますよ・・・」「その実はとても美味しいのです。良いものですよ。目にも心地よいですよね。取ってみなさい。それがいいのか悪いのかわからないんでしょう?」
「ええ、でも神はそうしてはいけないと言われました。」
「でも、まあ!」
「ええ、わかってます。でも、神はこうすると言われました・・」
「本当に神はそんなことされませんよ。」できる限り甘い言葉で誘いをかけたのです。その結果がどうなったことか。
この反キリストの霊が初代教会の中で、ニコライ宗の教えとして立ち上がってきたのです。「ニコ」は平信徒を支配し、聖職者を作ったのです。
「でも、私たちはただ、親交を深めているのです。あなたたちはてんでばらばらです。誰も、誰がどこにいるのかわかりません。組織を作って改善するべきです。ともに集まるべきです。それで、集合できるところを作るべきです。」
105. 「父がわたしに与えてくださったものは皆、わたしのもとに来ます。父が呼んでくださらない限り、誰もわたしのところに来ることはできません。だから父が与えてくださったものは、皆わたしのところに来るのです。」そうです。子羊は最後の一人が入って来るまでは、そこに座ってとりなしをしていてくださいます。ベルがチリンと鳴ると、彼はそこを立ち去り、ご自分のものをみな受け取ります。それでおしまいです。彼のものである教会を家に連れて帰り、敵を火の池に投げ込まれます。彼に属するものはみな彼とともに行きます。そして私達は至福千年に歩んでいくのです。
107. さて、次にわかることは、悪魔がこれまでも、これからも、すべての政治を牛耳っているということです。マタイ4:11 に書いてあります。サタンはすでに政治を手に入れていましたが、今度は教会を乗っ取ろうと試みて、教会を騙しにかかります。彼はスーパーマンを得て、組織の中で働かせ、代理の座につかせました。別のキリストです。つまり、神の代わりに働くキリストです。この者は神に取って代わる代理人なのです。同じことです。神に取って代わる者、彼の任務は、キリストのもとで代理人として働くことです。
109. 昨夜解き明かされた第二の封印で、地上から平和を奪って、互いに殺し合う力が彼に与えられたことがわかりました。ローマ・カトリック教会が編纂した殉教者のリストによれば、この組織は、ヒッポのアウグスチヌスの時代から1580なにがし年の間に、68百万人のプロテスタントを殺害しました。6千8百万人もですもし読みたければ、スマッカーの『輝かしい改革Glorious Reform』という本です。)殉教者の数が6千8百万人と記録されています。
110. 彼には大きな権力が与えられました。天の代理人となり、神として崇められ、地上を治める者となったのですから。彼は教会と国家を一つにすることで、地上を支配する冠を受けました。彼には煉獄から魂を救い出すために祈ることができます。神に代わって、彼は地上において神のようでした。
111. 黙示録6:5
さて、ヨハネは彼が黒い馬に乗っているのを見ました。彼は鞍替えしたのです。さて、わたしはこのことを、神から与えられたので、言わなければなりません。もし与えられたことが、他の聖書箇所と食い違っていたら、神はそれを教えてくださらなかったでしょう。聖句の一つひとつは、・・・。それはそのように重大なことです。聖句は他の聖句と整合性が取れなければいけません。もし聖書に矛盾することが・・・。もし主の御使いが聖書に矛盾したことを教えるなら、わたしは彼を信じません。
112. わたしは言いました、「わたしが教えていることに、あなたたちは反対しています。それが問題なのです。さあ、誰か、自分の聖書を持ってここにきて、わたしの隣に立って、その教えのどこが間違っているのか証明しなさい。」あたりはこの上ないほど静まりかえりました。「いったい、どうしたというのですか?」「もしみことばに対して堂々と反論できないのなら、引き下がっていなさい!」
113. 誰も何も言いませんでした。みんな知っていますね。かつてないほど静まり返っていました。わかりますか? 彼らは、わたしが何も知らないかのように騒ぎ立てるのです。さて、そこでです。わたしは、人に議論をふっかけるのはよくないと思いますが、人から議論にひきずりこまされそうになったなら、・・・。わたしだったら行かなかったでしょうが、聖霊がこう語りかけてくれました、「さあ、行きなさい。わたしがあなたに味方する。」
114. 集会の晩は嵐でした。主が言われました、「3番目のドアの、あの窓のところに立ちなさい。」そこでわたしは行って立ちました。こんなふうにして外をみていると、主が言いました、「彼らはあなたに罠を仕掛けた。彼らは大シカゴ合同奉仕者大会で、あなたに話すように促すだろう。」「わたしのことばをあなたが教えるので、それについて彼らはあなたに罠を仕掛けるのだ。」「彼らは予約していた場所をキャンセルする・・・彼らはその場所を利用することができない。そこで彼らは別の場所、これこれの場所を使うことになる。」
115. 神は言われました、「行きなさい。わたしがあなたに味方するから。」そして、そうされたのです。そうです。ここにいるあなたたちは、あの時あの場所に居合わせて知っているので、そのことの証人です。テープもあります。そのとおりだったのです。
116. 彼は暗黒時代を馬で駆け出しました。黒い馬が表しているのは『暗黒時代』です。暗黒時代は、残存の真の信者にとっては、真夜中です。教会時代のメッセージで、真ん中の教会時代を調べてください。それは暗い教会時代です。主がこう言われましたね、「あなたは力が弱かった。」彼ら、真の信者にとって、それは真夜中でした。
117. さて、よく聞いて。すべての希望がなくなったのは黒い馬のせいです。彼は白い馬に乗りました。それはずる賢く欺くためです。それから彼には力が与えられ、平和を奪い、何百万という人々を殺しました。彼が馬上でやってきたことがそれです。彼は今でもそうしています。わかりますか? さて、今度は黒い馬に乗って現れました。
暗黒時代、当時はそういう時代でした。教会が設立されて力を持つようになった頃から、彼らは全てを制圧して、それが何百年も何百年も何百年も続きました。それがみんなが知っている暗黒時代です。どれだけの人が暗黒時代を知っていますか? 黒い馬は暗黒時代を表しているのです。
118. 騎士は手に秤を持っており、こういう声が聞こえました、「小麦一ますは一デナリ。大麦三ますも一デナリ。」小麦と大麦は生きるために必要な自然物です。パンなどはそれで作られます。でも、彼はこれに課金していたのです。その意味するところは、・・・彼は、生きる希望となるようなものを作って彼らに提供し、それにお金を取っていたのです。つまり、その頃から彼は、祈りを施すことにお金を取り始めたのです。有料の祈りです。今でもおこなわれていますね。ノベナです。なんでそんなことを彼はしていたのでしょう? 世界中の富を所有するためです。秤ではかって、「小麦一ますは一デナリ。大麦三ますも一デナリ。」
黒い馬に乗っているものは、・・・信者からお金を搾り取りました。聖書はそのことを、世界中の富を彼がかきあつめると、前もって記しています。昨晩ロシアなどについて話したように、彼らはお金を取って、人々からあらゆるものを搾取します。そうなのです。
119. 父よ、感謝します。ああ、本当に、わたしは嬉しく思っています。そうです。ここまでわかったのは、ひとえに神の恵みです。そうです。真夜中だったのです。理解できるようになりましたか? 彼は生きるための手段に課金しています・・・。それが大麦や小麦のことです。それは自然に関することで霊的なことではありません。大麦パンや小麦パンのことです。彼はそういった命に関わるものに課金して、信者に与えていたのです。煉獄から救うために、司祭による祈りをして信者からお金を取ったりして。お金を取るというのは、歴史的事実です。ノベナと言うんだと思います。そうです、みんな知っていますね。ノベナというのは、いやでもしなければならないことで、懺悔のようなものです。誰かが、そのためにお金を請求しなければならないのです。
自分のために、自分の教会のために世界中の富を引き寄せ、乗っている者は、いまだに馬上で駆けています。本当にそうです。今でも騎士となって乗り続けています。
120. よければいくつかの聖句を挙げましょう。レビ記8:12。アロンは神殿に入る前にオリーブ油を注がれなければなりませんでした。それからゼカリア書4:12。二本の管から油が注がれて、「これはわたしの霊である」という箇所です。もっと知りたければ、マタイ14・・・25。そこには愚かなおとめの話があります(25:3)愚かなおとめは油を持っていませんでした。つまり聖霊のことです。それからマタイ25:4。賢いおとめはランプに油も持っていました。つまり、聖霊に満たされていたということです。油は聖霊の型です。ああ、素晴らしい!わかりましたか?よろしい、
123. さて、彼らは、「さあ、待っていよう。主は我々の働きのためにここで待つようにと言われたのだから。」と言って8日間待ったのち、「そうだ、こうしようか・・・」「我々はすでに約束のものを受けたんじゃないか?そう思わないか?そうだよ、もうすでに受けているんだよ。なんでまだ待っているんだ?もう宣教しに町にくり出すべきだよ。主はここで待つように言われたけど、もう8日もずっとここにいるのだから。」とマルコが言い、
マタイは、「でも、もう1日だけ待とうよ」と言いました。
それから9日がたち、マルコか誰か、多分ヨハネが、言いました、「もうこれ以上、待つ必要はないよ。すでに約束のものを受けたさ。そうじゃないか?」
124. 聖書の中で、ぶどう酒はなんであると書いてありますか? 元気を回復するものです。これが主のみ前からくる元気回復剤です。それは聖書的なものなのです。
だから、わかりましたか? ぶどう酒は啓示のための刺激剤なのです。聖霊が降って彼らの上に神の炎が下りると、彼らは活気づくのです。それで、彼らは興奮しすぎて、周りの人から酔っ払っていると勘違いされました。でも酔っ払っていたのではなく、啓示を受けて活気づいたのでした。
125. だからペトロは立ち上がってこう言えたのです、「さて、ユダヤのみなさん、エルサレムに住むみなさん、わたしに耳を傾けてください。お偉い方々、わたしがこれから語ることを聞いてください。」ああ、なんと素晴らしいことが起こったのでしょう。約束されたことばが、今こそはっきりわかったのです。それが立証されたとき、彼らは非常に活気づきました。これはその時だけのことではありません。今でもそうです。
127. その通りです。彼らは、約束が自分たちを通して成就したという啓示を受けてとても活気づきました。打ち破りがあったのです。神が約束を解き明かしてくださたとき。周りの人々が、「彼らは、新しい酒に酔っているのだ」と言うくらい、爆発的喜びが起こったのです。主は解き明かすだけでなく、それを実証されました。これがわたしがいつも言っていることです。「人はなんとでも言うだろうが(人はなんでも言いたがるのです)、神が来られてそのことを実証されたら・・・」
128. あのサマリアの女は・・・。メシアが来られたら、こういうことをすると聖書が記していることを、目の前に立っている人がしたとき、聖書が記したとおりのことを行ったとき、彼女は言いました、「この人がメシアだ!さあ、みんな、来て確かめなさい。これこそ聖書が起こると言っていることの実現ではないでしょうか?」
129. 主が言われました、「わたしがそれである。」
すると奮起し始め、彼女は跳んでいき、町中で叫びました。水瓶を置き去りにし町の男たちに言いました、「行って確かめなさい。」
132. 「もしできるなら・・・」言い換えれば、「わたしの油とぶどう酒で満たされている小さな群れ(純粋なみことばのぶどう酒と油です)を捕まえて、殺そうとするなら、それがおまえのしていることだが、彼らに『めでたし聖寵満ち満てるマリア』と無理やり唱えさせたり、おまえの信条を押し付けたりしてはならない。彼らから手を離せ。わたしの油が注がれているので、彼らは行く道を知っているのだ。それにわたしの油を注がれているために、彼らには喜びのぶどう酒がある。彼らがわたしの約束のことばを知っているので、わたしは彼らを復活させる。このことを妨害してはならない。彼らを混乱させてはいけない。手を離しなさい。」いえいえ。
133. さて、乗っている者が、はかってお金を取っていることがわかりました。そうです。麦は自然の命です。麦は生きる糧です。でもオリブ油とぶどう酒の喜びは霊を象徴しています。「それは霊のいのちである。それを損なってはいけない。手を触れるな。」言い換えれば、「ローマよ、それに触れてはいけない。それはわたしのものだ。わたしに属するものだ!」
134. 「小麦一ますは一デナリ。大麦三ますも一デナリ。オリブ油とぶどう酒とを、損なうな」。
さあ、よく聞いて、
「すると、わたしは四つの生き物の間から出て来ると思われる声が、こう言うのを聞いた、・・・」
では誰が語ったのでしょう? 子羊です!四つの生き物ではなく、子羊が語ったのでした。なぜ? 子羊はご自分のものを受け取ることになっているからです。彼らは子羊に属しているのです。アーメン。「そのオリブ油に触ってはいけない。」そう、それは四つの生き物ではなく、子羊が語ったのでした。そうです。子羊です。四つの生き物は語りませんでした。子羊が語ったのです。四つの生き物は「きたれ」と言い放ち、ことが始まり、それを見ることができました。そして彼が言ったのです、「小麦一ますは一デナリ。それと同じように大麦もそこそこ・・・」その時、子羊が生き物の間から叫んだのです。「オリブ油とぶどう酒とを、損なうな。」そうです。聞き入ってください。「それに触ってはいけない。さもないと、いつか痛い目にあうからな。」おや、9時半です。
135. 明日の晩は青白い馬にとりかかります。今現在は、わたしにはわかりません。わかっていません。それが本当であることを神はご存知です。何ひとつわかりません。古いテキストを調べました。ちょっと前にグラハム・スネリング兄弟を見かけました。彼は出て行ったのかもしれません。でも前にここで説教した時、何を言ったのかを調べました。何年も前のことですが、いつか黙示録を通しでお話しすると言ったのです。四人の馬の騎士をいっぺんに。
136. 次は黒い馬です。わたしはその黒い馬について何と言ったか覚えていませんが、あ、赤い馬のことです。わたしは言いました、「その赤い馬は、多分、行く手に待ち受ける困難のことだ。」「多分多くの戦いが起こるのだろう。」「それが解釈である。」
137. それから、「青白い馬は、これから多くの病気がはびこることを表している」と言いました。でも今は、それが何を意味しているのかわかりません。とにかくこれらが当時のわたしの解釈でした。それが最善の解釈だったのです。でも今・・・おっと、何かを言ってしまうところでした。ああ、あとでわかります。注意していてください。さて、今のこの時を幸せだと思いませんか?(編注:会衆が「アーメン」と言う)今はこれらのことがめきめき明らかになってくるのですから。
国々は没落し、イスラエルは覚醒す
聖書が予告したしるし
異邦人の時の幕切れが迫り
恐怖が邪魔をする
戻って来い。四方に散らされたものよ。
贖いの日は近い
人の心は恐れで崩折れんばかり
御霊に満たされよ。
ともし火の手入れをせよ。
見上げよ。あなたの贖いは間近だ。
偽預言者がうそぶく。
神の真理を否定する
イエスキリストは我らの神
(そう信じますか?)
しかし我らは使徒の歩んだ道を歩く
贖いの日は近い
人の心は恐れで崩折れんばかり
聖霊に満たされよ。
ともしびの手入れをせよ。
見上げよ。あなたの贖いは間近だ。
138. 夕べの刻に光がある
栄光の道は必ず見つかる
水の中の道は今日の光
尊いイエスの名のもとに隠される
老いも若きも、罪を悔い改めよ
聖霊が必ず訪れる
夕べの光がやってきた
神とキリストはひとつである
139. まもなく子羊が花嫁を迎える
永遠にかたわらに
天の軍勢が集められ
輝かしい光景となる
聖人はみな真っ白な衣を着
イエスとともに永遠の饗宴
主人が呼びかける「さあ、食べて」
「さあ、食べて」
イエスの食卓で永遠の饗宴
群衆に食べさせ
水をぶどう酒に変えたお方
飢えているものに呼びかける「さあ、食べて」
主人が呼びかける「さあ、食べて」
「さあ、食べて」
イエスの食卓で永遠の饗宴
群衆に食べさせ
水をぶどう酒に変えたお方
飢えているものに呼びかける「さあ、食べて」
140. 愛します。愛します。
彼が先に愛してくださったから
そしてわたしのために救いを買い取ってくださった。
カルバリの木の上で。
141. 話していますー編集。〕