1. そして、私たちのほとんどがよく知っている、神に敬虔な、聖徒のような年老いた兄弟が、今は栄光へと移されましたが、F・F・ボズワース兄弟でした。彼はいつも、実に豊かなユーモアの感覚を持っていました。
私は以前、少し用心深く見たり聞いたりしていました。というのも、私は「然りは然り、否は否」としたかったからです。しかし、この敬虔な年老いた方が、あのようなユーモアの感覚を持っているのを見た時、またヴェイル兄弟や、ここにおられる他の偉大なしもべたち、またすべての兄弟たちが一緒になると、少しユーモアを交えているのを見た時、私は思いました。「まあ、これはこの終わりの日の奉仕者たちの間にある、ひとつの習わしなのかもしれない」と。
そしてその後、私はニカイア公会議以前の文献や、ニカイアの教父たち、またそのほか、過ぎ去った時代におけるキリストの偉大なしもべたちについて読んでいました。すると、彼らにもユーモアの感覚があったのです。
そして、皆さん、私はついに分かるようになりました。神にもユーモアの感覚がおありなのだ、ということです。
2. 「ブラナム兄弟、あなたは“交わり”というものが何か知っていますか?」
私は言いました。
「はい、知っていると思います。」
すると彼は言いました。
「それは、一つの船に二人の仲間が乗っていることですよ。」
つまり……そこでは、かなり近くに一緒にいることになりますね。ですから、それが交わりなのです。そして今はまことに、交わりの素晴らしい時であります。
さて、私は……少し年を取ってまいりますと、パーカー兄弟のような若い人であった頃のようには、頭の回転が速くなくなってきます。彼が少し前に話しておられましたが、奥さんにいつも、「あなたは年を取ってきているけれど、私は若返っているんだ」などと言っているそうです。
私も家でそれを試してみるのですが、あまりうまくいきません。まあ、それをうまく通せるかどうかは別として……。けれども、私が彼に、私たちの年齢の差はたった十歳だと言った時、こう言いました。
「あなたも、あと十年ほどこの道を進んでごらんなさい。そうすれば、その聖書をそんなふうに遠ざける代わりに、少し年を取った時には、二つの眼鏡を通して見なければならなくなりますよ。」
3. 私は少し時間を持っておりました……。ここにおられるパーカー兄弟が、いくつかの聖句について私に説明してくださっていました。そして私は、皆さんがあちらの建物で、幕屋で、その聖書の教えについて、どのようなことを通っておられるのか分かっています。
そして彼が、ある事柄について私に話す時、なんとへりくだった、優しい近づき方をされたことでしょう。私は彼に言いました。「それを紙に書きまとめたら、すぐに私にください。そうすれば、私は腰を下ろして、それについて学ぶことができます」と。
私はそのような近づき方が好きなのです。皆さんもそうではありませんか。人に何かを無理やり押しつけようとするのではなく、ただへりくだって、優しく差し出すようなやり方です。
4. 「神の癒しを説教するなど、ばかげている。」
ああ、何ということでしょう。彼らは聖書を全部知っている、というわけです。そして言いました。
「そんな時代は、もうずっと昔に過ぎ去ったのだ。」
私は言いました。
「そうですか、兄弟。どこかで、それはまた戻って来たようですね。というのは、私は確かに……。」
そして彼らは私に言いました。教育も受けず、聖書学校にも行かず、何かを学ぶこともせずに、説教しようなどとすべきではなかった、と。
私は、彼らが話し終えるまでただ待っていました。そして言いました。
「皆さん、ご存じですか。こう申し上げましょう。兄弟方、あなたがたは本当に素晴らしい時を持っておられるに違いありませんね。」
私は言いました。
「私のすべての誤りや失敗の中にあっても、主が私をこれほど愛してくださるのです。その愛に、私は時々、耐えきれないほどになるのです。」
そして言いました。
「では、本当に真理の中にいる人たちは、いったいどうやってそれに耐えているのでしょうね。主がそのように愛してくださるのなら。」
私たちが入っていると言われている、このすべての誤りの中にあってさえ、主がこれほど私たちを愛してくださるのなら、本当に真理を持っている人たちはどうなのでしょうか。きっと彼らは本当に素晴らしい時を持っているのでしょうね。そう思いませんか。
ですから、主が私たちの誤りを示してくださるまでは、私たちは今のままでおりましょう。そしてその時には、彼らが真理だと思っているものへと、さらに進んで行きましょう――もし主がそれを真理だと言われ、御言葉がそれを明らかにしているなら、です。
5. 今朝、私たちがここに共に座っている時、私たちはすでに死んでいるのです。その仕事はもう済んでいます。そして私たちは……葬られているのです。その通り、みな葬られています。
そして、それだけではありません。私たちはまた、よみがえらされたのです。私たちはキリストの復活の中で、キリストにあってよみがえらされました。私たちはその一部なのです。
そして今、私たちはキリスト・イエスにあって、天上の所に共に集められているのです。分かりますか。私たちはバプテスマによって彼の内にいるのです。分かりますか。一つの御霊によって、みな一つの体へとバプテスマを受けたのです。そして今ここに、主イエスの体として集められているのです。
6. けれども私は、何か少し証しのようなものを取り上げるだけにして、そうすれば教会へ戻れるだろうと思いました。私もそこにいて、キリストの偉大なしもべたち、ヴェイル兄弟、あちらの兄弟、そして私たちの尊いパーカー兄弟、アイバーソン兄弟、ここにおられる他の多くの兄弟たちの教えの下に座り、彼らの話を聞きたいのです。
彼は私に、集会の進め方について話してくれました。御霊が動かれるままにする、ということです。私はそれが好きです。そして次に立ち上がる人が、その流れを調和のうちに引き継いでいくのです。さて、それこそ聖霊です。その通りです。
しかし、誰かが入って来て、それに反するようなことを言い出すと、その交わりの時は壊されてしまいます。壊れてしまうのです。分かりますね。その中には何か間違ったものがあるのです。
7. 外の世の中の人々の前では、そういうことは話せません。何か一言でも言うと――私はそれを見てきました――ある人はそれを受け取って、こちら側に傾けて解釈します。別の人はそれを受け取って、あちら側に傾けて解釈します。そして気がつくと、それは最初に話していたこととは、まったく違う話になってしまっているのです。
そしてそれが人々の間に広まって、ある人たちは言います。「ブラナム兄弟はこう言った」と。けれども……まあ、それは私だけのことではありません。そのような兄弟であれば、誰にでも起こることです。
ですから、奉仕者たちと共に座り、そこで立ち上がって話す特権があるということ……。そして、あなたがたを純粋にしてくれるのは、まさにそこなのです。腰を下ろして耳を傾け、互いの思いを分かち合うことができる時なのです。
8. どうか、私のためにお祈りくださるようお願いいたします。私はこれから……ここから南へ下ってコロンビアへ行かなければなりません。そして急いで家に帰ります。水曜日の夜に家に着き、木曜日の朝には出発します。水曜日の夜、九時か十時ごろに家に帰り、木曜日の朝四時ごろには、西海岸へ向かって出発し、カウ・パレスで集会を始めるのです。
そこから……それは大きな家畜の……カリフォルニア州サウスゲートでの西部家畜博覧会です。そしてそこから、グラスバレーへ上って行きます。それはネバダ州の方へ向かったあたりです。
それから今年の万国博覧会の州へ上って行き、さらにカナダへ入ります。そして今のところ予定としては、様子を見ながら……カリフォルニアから、そこからアラスカへ行くことになっております。
ですから、どうか私のために祈ってください。
9. 兄弟姉妹の皆さん、今朝はただ、心から皆さんにお話ししたいと思いました。私のために開かれている扉は、そう多くはありません。そして私は……そのことで兄弟たちを責めているのでは、決してありません。
けれども私は、時にはこういうことがあるのだと思うのです。ちょうど先ほど申し上げたように、人々が間違った態度でそれを受け取り、こちらへ傾けたり、あちらへ傾けたりします。そしてそれが兄弟たちの間に混乱を生じさせるのです。
そして私は、彼らが羊飼いであることを見ていますし、そのことも理解できます。もちろん、私はそれを予期しておりましたし、そうなるだろうとも信じていました。そして、すべての奉仕者がそうであるように、私にも自分自身の確信があります。
私は、会衆の間で不和を蒔くようなことはしないよう努めています。なぜなら、それは神が憎まれることの一つだからです――兄弟たちの間の不和です。
10. 私はただそれらのことを教えています。神の癒しなどもそうです。それは……私たちフルゴスペルの者たちなら、確かに皆が一致していることでしょう。
そして兄弟方、知っていただきたいのです。私が自分の教会で教えているテープが、皆さんの間に、また皆さんの会衆の間に出回りました。そして私には私自身の確信があります。
もちろん……さて、自分の確信を取り下げるということは、私はしません。なぜなら、そうすれば私は偽善者になってしまうからです。分かりますか。そうするなら、私は偽善者になってしまいます。
ですから、私はそのテープで教えたことを信じています。その一言一句を信じています。私は人々に間違ったものを食べさせようとはしません。
そして、もし私が間違っているなら、そのことについて神が赦してくださるようにと祈ります。なぜなら、それは私の理解の最善を尽くしたものだからです。
11. 私はある時……少し前のことですが、ある恵み深い兄弟がいまして――姉妹方、どうぞお許しください――私はフェニックスにおりました。私の愛する尊い兄弟との、実に栄光に満ちた集会でした。
すると彼が、私を自分の部屋に呼びました。彼はとても真剣でした。そして言いました。
「ブラナム兄弟、あなたは私があなたを愛していることを知っていますね。」
私は言いました。
「ありがとう、兄弟。私も本当にあなたを愛しています。」
すると彼は言いました。
「私たちは、あなたのミニストリーが、いわば最良の実りのようなものだと感じているのです。」
私は言いました。
「ああ、そんなことを言わないでください。それは……私は……それは正しくありません。」
私は言いました。
「私はただ主に従ってきただけです。そしてあなたも同じことをしてこられました。主があなたをどれほど祝福されたかを見てください。私にされた以上に、そして主があなたに与えられた偉大なものを見てください。」
私は言いました。
「主は私には、そのようなことをなさいませんでした。」
そして私は言いました。
「あなたは多くのお金を扱わなければならないでしょう。けれども私は、献金を集めることをしませんでした。おそらく主は……分かりますね、主は……もしかすると、私にそれを任せることがおできにならなかったのかもしれません。」
そして私は言いました。
「もう一つあります。私の小さなミニストリーは……私は、小さな小さな場所にも行けない、というようなものではありません。」
つい最近も、わずか二十人ほどしかいない集会を持ちました。しかし、主が私をそこへ導かれたのです。そして私は、主が導かれる所へ行きたいのです。私にはお金は必要ありません。分かりますね。私はただ、自分が導かれていると感じる所なら、どこへでも行きたいのです。
12. その兄弟は言いました。
「さて、ブラナム兄弟、私があなたに言いたいのはこういうことです。」
彼は言いました。
「あなたは……あなたは少し急進的すぎます。」
私は言いました。
「まあ、私は第一の誕生では、生まれながらのアイルランド人です。そして第二の誕生では、ユダヤ人です。」
そして私は言いました。
「とにかく、それを一緒に混ぜ合わせたら、何が出てくるか分かりませんね。」
そして言いました。
「たぶん、私は本当に急進的なのだと思います。きっと、そういう性質なのでしょう。私は全心で進んでしまうのです。何かが正しいと思うと、自分の持っているものをすべてそれに明け渡してしまうのです。分かりますね。」
そして私は言いました。
「私にとって、キリストに対してもそうでした。
そして今、私より前の私の家系の人々は、もともとはカトリックでした。」
そして私は言いました。
「アイルランドから来たのです。皆、ダブリンから来ました。」
そして私は言いました。
「それから彼らは……その……。私が小さな少年だった頃に、起こった出来事について聞きました。私の人生には召しがあったのです。」
13. そして私は言いました。
「六百、七百、あるいは九百ほども異なる教派がある中で、どうやって何が正しいのか分かるのでしょうか。ですから私は、ただ聖書に行き着いたのです。そして、自分が読んだ通りの道に留まり、それをそのまま保っているのです。」
すると彼は言いました。
「でも、一つあります。」
彼は言いました。
「あなたはいつも、女性たちを責め立てています。」
私は言いました。
「私は彼女たちに対して、ねたむほどの思いを持っているのです。」
すると彼は言いました。
「あなたは彼女たちに、どのように服を着なければならないかとか、彼女たちがあまりにも性的に見えるとか、そういう服を着るべきではないとか、ショートパンツをやめなさいとか、髪を切るのをやめなさいとか、あなたが言ってきたそういうことを語っています。あなたはそこを強く打っているのです。」
私は言いました。
「まあ、それは聖書にあることです。」
すると彼は言いました。
「それは私も知っています。」
私は言いました。
「ペンテコステ派の奉仕者であるあなたは、それを信じていないのですか。」
彼は言いました。
「信じています。しかし、ブラナム兄弟、人々はあなたを預言者だと信じています。」
私は言いました。
「いいえ、私はそうではありません。」
彼は言いました。
「しかし、人々はあなたをそのように信じているのです。そしてあなたは、女性たちにどうすれば偉大な霊的賜物を受け取れるのか、そういうことを教えるべきです。そうすれば教会はもっと良くなるでしょう。」
私は言いました。
「兄弟……。」
彼は言いました。
「あなたが神にあってより深いところにいるのなら、人々にも神にあってより深くなることを教えなさい。」
私は言いました。
「ABCにさえ耳を傾けようとしない人たちに、どうして代数を教えることができるでしょうか。」
私は言いました。
「ですから、それはまさに……。」
14. 「では、ブラナム兄弟、私があなたのために何かできるでしょうか。」
彼は言いました。
「もしあなたがただそのことをやめて、そのまま病人のために祈ることに進んでくれるなら、私は……そのままにしておけばよいと思うのです。神はあなたを、病人のために祈るために召されたのです。」
私は言いました。
「それは本当です。」
彼は言いました。
「それなら、ただそこに留めておきなさい。分かりますか。病人のために祈ることだけにしておきなさい。」
私は言いました。
「けれども、このほかのことについてはどうなのですか。」
彼は言いました。
「私もそれを信じていないわけではありません。」
しかし彼は言いました。
「でも分かりますか。もし私がそのようなことを言ったなら、まあ、私は……彼らはああだこうだと……。」
私は言いました。
「そこなのです。そこなのです。分かりますか。」
私は言いました。
「もし私たちがそのために立たないなら、いったい誰が立つのでしょうか。この世代は裁かれなければなりません。」
そして私は言いました。
「それなら、それはどこかから出て来なければならないのです。」
彼は言いました。
「では、こうしましょう。私があなたの上に手を置いて、神があなたの目を真理に向かって開いてくださるよう祈ることを、許してくれますか。」
私は言いました。
「一つの条件のもとでなら、そういたしましょう。あなたがそのご厚意を、私からもお返しさせてくださるならです。」
彼は言いました。
「よろしいでしょう。」
それで、私たちは互いのために祈りました。私は、それが私に大いに助けとなることを望んでいます。本当にそう願っています。彼の祈りが私の助けになることを願っています。なぜなら私は……もし……私は助けられたいのです。私はその目的のためにここにいるのです。
ヨハネによる福音書 6章36節から48節。
15. マタイによる福音書5章8節……。いや、ちょっと待ってください。もう少し読もうと思います。ほかにも読みたい箇所があります。今、心に浮かんできました。どこだったか、今見つけられればよいのですが。もし……たぶん見つけられると思います。確かではありませんが。ここで、ヨハネによる福音書から読まなければなりません。
はい、ここから読みたいと思います。ヨハネによる福音書、6章です。6章の36節あたりから始めましょう。
「しかし、わたしはあなたがたに言った。あなたがたはわたしを見たのに、なお信じない。
父がわたしにお与えになる者はみな、わたしのもとに来る。そして、わたしのもとに来る者を、わたしは決して外へ追い出さない。
わたしが天から下って来たのは、自分の意志を行うためではなく、わたしを遣わされた方の御心を行うためである。
わたしを遣わされた父の御心は、父がわたしにお与えになったものを、わたしが一つも失わず、終わりの日によみがえらせることである。
また、わたしを遣わされた方の御心は、御子を見て、御子を信じる者がみな永遠の命を持つことである。そしてわたしは、その人を終わりの日によみがえらせる。」
イエスは――失礼しました……。
「そこでユダヤ人たちは、彼が『わたしは天から下って来たパンである』と言われたので、彼についてつぶやいた。
彼らは言った。『これはヨセフの子イエスではないか。私たちはその父も母も知っている。それなのに、どうして彼は、「わたしは天から下って来た」と言うのか。』
そこでイエスは彼らに答えて言われた。『互いにつぶやいてはならない。
わたしを遣わされた父が引き寄せてくださらなければ、だれもわたしのもとに来ることはできない。そしてわたしは、その人を終わりの日によみがえらせる。
預言者たちの書に、「彼らはみな神に教えられる」と書いてある。それゆえ、父から聞き、父に学んだ者はみな、わたしのもとに来る。
だれかが父を見たというのではない。ただ神から出た者だけが、父を見たのである。
まことに、わたしは……まことに、まことに、あなたがたに言う。わたしを信じる者は、永遠の命を持っている。
わたしは命のパンである。』」
16. 今朝、私は思いました。人々を動かしているものは何なのだろうか、と。ここには、テキサスからはるばる国を横断して来てくれた友人がいます。カナダから来て座っている友人たちもいます。そして今朝、この小さな集まりの中には、各地から来た友人たちがいます。私たちの中には奉仕者もいれば、働く人たち、主婦の方々、その他さまざまな人々がおります。
では、私たちが共に集まる目的は何なのでしょうか。
皆さんの多くは、毎年、私たちの尊い兄弟とその教えを聞くために来られます。また、多くの方々は彼の記事を読んでおられます。私もそれらを読みましたが、実に深いものだと思います。
私たちのキャンペーンの秘書であるビリーは、いつもその『真夜中の叫び』を私のために取っておいてくれます。私は、パーカー兄弟の聖書への近づき方を読むのが好きだからです。
それを読むと、考えさせられます。そして集会がある時、私たちは共に集まります。それは、私たちの内側に、もっと聞きたい、何かをつかみたいと願うものがあるからです。
それは命です。
今朝、私たちが考えることのできる言葉の中で、「命」より偉大な言葉はありません。
「御子を信じない者は、命を見ることがない。」
17. さて、私たちはそれを「見る」と言うかもしれません。しかし「見る」という言葉は、ただ目で眺めるという意味ではありません。「見る」とは、それを理解するという意味なのです。
イエスはニコデモに言われました。
「人は新しく生まれなければ、神の国を見ることはできない。」
言い換えれば、あなたが何かを見ていて、「私には見えません」と言う時、それは「理解できません」という意味です。私たちが普通「見る」と呼んでいるのは、目で眺めることです。しかし聖書の言い方で「見る」とは、私たちが見ているものを理解すること、それが啓示されることなのです。
そして私たちがこのように共に集まるのは、キリストが私たちの間に啓示されるためです。大会が開かれる目的は、そこにあります。
そして、「命」という、これほど偉大なものが……。
18. 私は以前、「私たちに父を示してください。そうすれば満足します」という題で説教したことがあります。たぶんここでもしたかもしれません。いくつもの場所で語りました。私たちの周りの至るところに神を見る、ということについてです。
昔、川の下流の方に、一人の老人が住んでいました。今はもう召されております。彼は年老いた漁師でした。その小さな男の子は、よく彼と一緒に川を上って釣りに行っていました。
ある日、その小さな子が川を下って来る時のことでした。雨が降って、空のほこりを洗い流し、木々の葉もすっかり洗われていました。そして西の方、あるいは東の方に、虹が現れました。彼らはオハイオ川を西へ向かって下っていたのです。
すると、その年老いた漁師は……虹を見つめながら、大粒の涙を頬に流し始めました。
その小さな子は、すっかり心を動かされて、舟の中ほどまで立ち上がり、こう言いました。
「おじさん、一つ質問したいことがあります。」
彼は言いました。
「私の牧師先生も、母も、日曜学校の先生も、それに答えることができません。」
そして言いました。
「もし神がそんなに偉大なお方なら、なぜ人は神を見ることができないのですか。」
すると、その老人は、その小さな子の言葉に胸を打たれ、その子を腕に抱き寄せました。そして言いました。
「かわいい子よ、神の祝福がありますように。わしがこの五十年間見てきたものは、すべて神だったのだよ。」
分かりますか。彼は神を見ることができたのです。命を見ることができたのです。
神は命です。命は神です。
19. 私たちは野営しておりまして、私は汚れていました。兄弟方の前でこのような表現をするのは、たいへん失礼なのですが……私は二週間、風呂に入っていませんでした。それで、実際かなり……まあ、相当それが必要な状態でした。
しかしウッド兄弟も私と同じくらい必要でしたので、私たちは互いに気にしないことにしていました。
それで……森の奥はひどく乾いてきていました。顔にはひげも伸びておりまして、それで私たちは……。
リスというのは、藪を踏んで歩くと、それを聞きつけるのです。いやはや!脱出名人のフーディーニでさえ、あの小さな連中にはかないません。そしてあちらでは、撃たれでもすると、とにかくすっかり警戒してしまいます。彼らはただ逃げてしまうのです。
それで彼は言いました……。私は言いました。
「ウッド兄弟、もしどこかに沢筋のような場所が見つかれば……。」
この兄弟たちはご存じでしょうか。どれくらいの方が “hollow” というものを知っていますか。大丈夫です。それは……分かりますね、森の中を下っていく溝のようなものです。普通そこでは水が流れ出て下って行きます。そして葉を湿らせたままにしてくれるのです。
20. 「もし、そういう場所があれば……。」
私たちが猟をしていたのは、広い平坦な森でした。それで私は言いました。
「もし、湧き水で湿ったままになっている、深い沢筋のある場所を見つけられれば、もっとリスを見つけやすいでしょう。」
すると彼は言いました。
「ああ、そういう場所を知っていますよ。」
私は言いました。
「では、行きましょう。」
それで私たちは車に乗り、キャンプ地を離れました。そこへ向かう道中で、彼が言いました。
「ブラナム兄弟、言っておきたいことがあります。話すのは私に任せた方がいいですよ。」
私は言いました。
「分かりました。どうぞ、あなたにお任せします。」
すると彼は言いました。
「その人は不信者です。それも、この地方で一番ひどい部類の人です。」
私は言いました。
「分かりました。それなら、あなたが話してください。」
それで彼は言いました。
「たぶん彼は私のことを知っていると思います。」
ウッド氏は、その地方の出身だったのです。
21. そして、ある場所に着いた時、大きな家の前で車を止めました。そこには二人の年老いた男性が座っていました。かなり年を取っておられたようで、おそらく七十代くらいだったと思います。リンゴの木陰に座っていました。
私たちが車で近づくと、ウッド氏が降りました。すると私は、ケンタッキーらしい昔ながらの言い方を聞きました。
「入っておいで。」
ご存じでしょう、インディアナの人々が「フージャーズ」と呼ばれるようになった、そのあたりのことです。昔、ケンタッキーは南部でした。ですから、南部の家に近づいて行って、「こんにちは」と言うと、向こうは「入っておいで」と言うのです。
あなたが誰であろうと関係ありません。歩いて来た人で、靴を履いていようが、履いていまいが、とにかく入っておいで、歓迎しますよ、というわけです。
けれども、州境を越えてインディアナに入ると、少し疑い深くなります。「こんにちは」と言うと、彼らは「誰だ」と言うのです。まず知りたがるのです。私は自分が南部の人間でよかったと思います。そして、そういうところが少し好きなのです。
それで彼は言いました。
「入っておいで。」
それでウッド氏が上がって行きました。そして、その人の名前を呼んで言いました。
「あなたが、その方ですか。」
すると彼は言いました。
「わしがその厄介者だよ。」
22. ウッド氏が言いました。
「お願いしたいことがあるのですが……。まず、自己紹介をさせてください。私の名前はウッド、バンクス・ウッドです。」
そして彼は言いました。
「私はリス猟をしておりまして、ある場所で猟をしていました。そこは平坦な森なのですが、あちらはすっかり乾いてしまいました。それで、あなたがこのあたりに、沢筋のある土地をいくらか持っておられることを知っていましたので、来てお願いすれば、猟をさせていただけるのではないかと思ったのです。」
その老人は、噛みタバコを大きく吐き出して、言いました。
「お前はジム・ウッドの息子か。」
彼は言いました。
「そうです。」
老人は言いました。
「ジム・ウッドのか。」
さて、彼らはエホバの証人でした。ご存じでしょう。デイヴィッドは――たぶん今朝ここに来ていると思います。彼らは集会で本を売っていますが――彼の脚は、体の下に引きつったように曲がっていました。
そしてウッド氏は、エホバの証人でしたが、ある集会に来たのです。私がその建物を出る前に、聖霊が私に告げてくださいました。そこに一人の少年がいる、と。そして言われました。
「その父の名はウッドであり、彼らはケンタッキー南部の出身である。」
そして言われました。
「その少年は小児麻痺を患っている。」
また言われました。
「御言葉を語りなさい。彼は歩くようになる。」
私はその幻の少年を見ようとして、辺りを見回しました。しかし、その少年は見えませんでした。それで私は進んで行きました。しばらくして、ずっと後ろの方に彼を見つけました。彼の名前を呼ぶと、その脚はまっすぐになったのです。分かりますね。
それで彼は、もはやエホバの証人ではなくなりました。
私は……神の恵みによって、彼の家族全員を――彼の父はエホバの証人の朗読者でしたが――みなキリストへ、そして聖霊のバプテスマへと導き、全員に再びバプテスマを授けました。その後も……主が幻によって与えてくださること、また起こる事柄を語ることによって、そうなっていったのです。
23. 「ジム・ウッドの息子に関係のある者なら、どこででも好きな所で猟をしてよい。自由に使いなさい。」
そして言いました。
「ここには五百エーカーの、手つかずの森がある。好きなように使いなさい。」
彼は言いました。
「牧師も一緒に連れて来ているのですが、彼が行っても構いませんか。」
すると老人は言いました。
「ウッド、お前はそこまで落ちぶれて、どこへ行くにも説教者を連れて歩かなければならなくなった、というのか。」
それで彼は言いました。
「まあ……。」
私は、そのあたりでそろそろ車から出る頃合いだと思いました。分かりますね。それで車から降り、横の方へ回って行き、言いました。
「こんにちは。」
ウッド氏が私を紹介しようとしていました。しかし、彼がそうする間もなく……。私は二週間伸びたひげを生やし、リスの血もついていて、スカンクのような臭いがしていました。それで私はそちらへ回って行き、言いました。
「こんにちは、旦那さん。」
すると彼は言いました。
「それで、あんたが説教者か。」
私は言いました。
「まあ、そうありたいとは思っています。私は……。」
すると彼は言いました。
「まあ、わしは……分かるだろう、わしはいわゆる不信者ということになっている。」
私は言いました。
「それは、あまり自慢できることではありませんね、旦那さん。」
すると彼は言いました。
「いや、確かにそうではないだろうな。」
彼は言いました。
「ただ一つ、あんたたちに対して気に入らないことがある。」
私は言いました。
「はい、旦那さん。一つだけなら……あなたはかなり良い状態ですね。今日まで私が出会った人たちの中には……クリスチャンだと言われている人たちでさえ、私に対してそれ以上のことを持っている人がたくさんおりますから。」
私は言いました。
「まあ、それならまだ良い方です。」
彼は言いました。
「わしがあんたたちに対して気に入らないのは、こういうことだ。あんたたちは、自分たちが何も知らないことについて、いつも大声でわめき立てている。」
私は言いました。
「たとえば、何についてでしょうか、旦那さん。」
すると彼は言いました。
「神について話していることだ。そんなものは存在しない。」
「ああ」と私は言いました。「それが問題なのですか。」
彼は言いました。
「そうだ、それだ。」
私は心の中で思いました。
「主よ、どうか助けてください。」
24. 私は思います……。ここで少し話を止めて、こう申し上げてもよろしいでしょうか。おそらく、それが私や、多くの兄弟たちにとって問題となっていることだと思うのです。
私たちはここに、素晴らしいものを持っています。しかし、それを世の人々に差し出す時の近づき方が、あまりにも間違っていることが多いのです。そのために、私たちは孤立した者のように見られてしまうのです。分かりますね。
それは、それ自体で人に伝わるものです。ただ、それを生きればよいのです。分かりますか。
「あなたがたは地の塩である。」
そして塩は、塩の中にその味があるかぎり、触れるならば保存する働きをします。しかし、もしその味を失ってしまったなら、私たちがここでどれほど大声で叫んでも、どれほど飛び跳ねても、それを裏づける命が外に現れていなければならないのです。
25. 「主よ、かわいそうな年老いた方です。この古い土くれの上で、あちこち打ちのめされながら生きて来たのでしょう。もし私の父が生きていたなら、ちょうどこの方くらいの年齢だったでしょう。今、ここであなたが私に言わせてくださる、何か小さな一言がきっとあるはずです。それが、この老人の目を開く助けになるでしょう。」
私は、自分を不信者だと言う人たちをたくさん見てきました。そして、彼らがこの世を去ろうとする時、そのそばに立ったこともあります。彼らは本当の不信者ではありません。ただ口から勢いよく言っているだけなのです。分かりますか。まあ、これは世間の言い方ですが、皆さんにはその方が分かるでしょう。勢いで言っている、蒸気を抜いているだけなのです。
それで私は言いました。
「まあ、それは……もちろん、それはご意見ですね。」
そう言って、私たちはしばらくそこに立っていました。私たちはリンゴの木の下にいました。
彼は言いました。
「わしはそういう集会に行ったことがあるが、あれはまるで嘘つき犬みたいなものだ。」
彼は言いました。
「昔、わしは嘘つきの猟犬を飼っていたが、撃ち殺してやった。」
そして言いました。
「毎晩そいつについて行ったものだ。そいつをここへ連れて行くと、ワンワン吠える。それであっちへ行く……。そいつはアライグマ猟の犬のはずだった。」
そして言いました。
「アライグマは木の上にいるはずだ。ところが気がつくと、そいつはこんなふうに別の木に向かって吠えている。それでわしがそこへ回って行って、懐中電灯で上の方まで全部照らしてみる。すると、アライグマはもう木の上を伝って逃げてしまっているのだ。」
26. 「しかし、旦那さん、結局のところ、アライグマはそこにいたのです。ただ犬がそうだっただけです。」
分かりますね。私が何を言いたかったのか、彼に伝わったことを願います。そして皆さんには、きっとお分かりでしょう。
すると彼は言いました。
「それで、わしはそいつを撃ったのだ。」
そして言いました。
「わしは嘘をつくものが嫌いだ。人が何かを話すなら、自分が何を話しているのか、ちゃんと分かっているべきだと思う。」
私は言いました。
「まったく同感です。」
彼は言いました。
「わしが聞いた説教者の中に、一人だけ……もしその人に会うことができるなら……。」
彼は言いました。
「わしはその人の話を直接聞いたことはない。だが、その人のことは聞いたことがある。もしその人に会うことができるなら、わしはその人の話を聞きに行くつもりだ。」
私は言いました。
「それはとても良いことですね。」
彼は言いました。
「その人は、ここから少し行ったところにある、アクトンという小さな場所に来たのだ。そこはメソジストのキャンプ場だ。」
するとウッド兄弟が私を見ました。私は首を振りました。
彼は言いました。
「この丘の上にいる、あの年老いた何とかさん――名前は忘れたが、姉妹とは呼ばなかったな、ミス何とかという人で、六十五歳くらいだ――彼女は胃がんで死にかけていた。」
そして言いました。
「ここルイビルから医者たちも来ていた。」
また言いました。
「彼らはあそこの上に立派な農場を持っていて、そういう費用を払うこともできたのだ。
彼らは彼女を手術のためにルイビルへ連れて行った。だが、少しも良くならなかった。医者たちは彼女を切り開き、そして縫い合わせただけだった。がんが、もう彼女の体中に巻きついていたのだ。」
27. 「彼女はここで、何か月もの間、少しずつ死に近づいていった。」
そして言いました。
「ついには、あまりにもひどい状態になって、私は……。」
兄弟、姉妹、どうぞお許しください。彼は言いました……。ここは、彼が言った通りに表現します。
彼女は、もう便器の上に身を起こすことさえできませんでした。人々はそれを彼女の下に差し込むこともできませんでした。彼女をそこまで持ち上げることができなかったのです。ですから、下にゴムのシーツを敷き、その上に横シーツを敷いて使わなければなりませんでした。
彼は言いました。
「妻と私は毎朝そこへ行って、妻が彼女の寝床を替えてやった。私は彼女の下からシーツを抜き取るのを手伝ったり、そういうことをしていた。」
そして言いました。
「彼女はただ……医者は、彼女が死ぬまで、できるだけ楽にしてやるために、少しモルヒネか何かを与えるようにと言った。彼女の命は、あと二週間ほどだと言われていた。」
28. 「そこへ、インディアナから一人の説教者がやって来た。ここから向こうのメソジストのキャンプ場に来たのだ。」
彼は言いました。
「その説教者の話を聞くために、何百人もの人がそこに集まっていたそうだ。」
そして言いました。
「その夜、その説教者が語っている時のことだ。」
彼は言いました。
「彼女の妹が、後ろの方に座っていた。こちらの別の尾根に住んでいる、ミセス何とかという人だ。」
そして言いました。
「その説教者には、何か特別なものがあるとされていた。人々が何をしたのか、なぜ病気なのか、そういうことを言い当てることができる、というのだ。」
そして言いました。
「わしもその話は聞いていた。もちろん、そんな急進的なことは信じていなかったがな。」
しかし彼は言いました。
「ところが、その夜、その婦人が集会に座っていた。そして、その奉仕者が語っている最中に、彼はその婦人の方を向いたのだ。彼女は建物の後ろの方に座っていた。そしてこう言った。
『今夜、あなたが家を出る時、ミス何とかさん、あなたはそちらで、化粧台の上から、小さな青いハン……小さなハンカチを取りました。その隅には青い模様が入っていました。そしてそれを財布の中に入れました。』
そして言った。
『あなたは後ろの方で、あなたの年上の姉妹のために祈っています。その方は死にかけており、名前は何とかさんで、この丘の上に住んでいます。主はあなたの祈りを聞かれました。さあ、その小さなハンカチを持って行き、あなたの姉妹の上に置きなさい。そうすれば、がんは彼女から去ります。』」
29. 誰かを困らせるつもりはありませんが、それはそこに座っているベン兄弟でした。ご存じでしょう、あのベン兄弟のよく聞き覚えのある、「アーメン!」という叫び声です。あちらの集会で毎晩、会場を揺るがすほどの声を出す、あの方です。
ベン兄弟は、その婦人を……彼女を、その姉妹のところへ連れて行き、そのハンカチを彼女の上に置いたのです。そしてベン兄弟は、それを信じていました。ですから、事が起こる前から、もう叫び始めていたのです。彼は先にそれに取りかかっていたわけです。そういうベン兄弟なのです……。
その老人は言いました。「わしは、その女の人が死んだのかと思った。まあ、真夜中ごろだったからな。それで翌朝、妻とわしがそこへ行った。」そして言いました。「分かるかね。その女の人は起き上がって、朝食を作っていて、揚げりんごパイを食べていたんだ!」
30. そして私はメソジストではありません。バプテストですからね――私はそれを糖蜜で“バプテスマ”したいのです。分かるでしょう、たっぷりかけて、それから食べるのです。熱いバターをのせて……んー、んー、んー。
それで彼女は、その揚げりんごパイを食べていたのです。
そして彼は言いました。
「それは本当に、妻とわしを腰が抜けるほど驚かせた。」
そして言いました。
「もしそれを信じないなら」
と、彼は指を差して言いました。
「今すぐあそこへ連れて行って、その女の人を見せてやる。彼女は……。」
すると、そこに座っていたもう一人の老人が言いました。
「あれは本当のことだ。」
もう一人の老人です。分かりますね。
私は言いました。
「ああ、信じますよ。」
すると彼は言いました。
「その人が、キャンベルズビルのスタジアムに来ると聞いている。だから、わしはその人の話を聞きに行くつもりだ。そして、その人と話をするつもりだ。」
私は言いました。
「はい、旦那さん。」
彼は言いました。
「そして、その女の人について、どうしてあんなことが分かったのか、また彼女が良くなると、どうして分かったのか、その人に尋ねるつもりだ。」
そして言いました。
「どうにも、わしにはそれが分からないのだ。」
31. そして私は心の中で思いました。
「主よ、今どうか助けてください。次に何を言えばよいのでしょうか。」
けれども、私は年老いた母がよく言っていたことを思い出しました。
「牛に十分な縄を与えれば、自分で首をくくるものだよ。」
ご存じでしょう。これは南部の昔ながらの言い回しですが、本当にその通りです。そこで私は、彼が本当にどれほど関心を持っているのか、少し見てみようと思いました。話題をそらしてみることにしたのです。
私は言いました。
「そのリンゴを一ついただいてもよろしいですか。」
彼は言いました。
「スズメバチどもが食い荒らしている。まあ、一つくらいなら取ってもいいだろう。」
スズメバチが何か分かりますか。リンゴの周りで汁を吸っているのです。八月の中ごろでした。
私は一つ拾い上げ、それを血で汚れた古いズボンでこすり、それから一口かじりました。
そして言いました。
「いやあ、これは立派なリンゴですね。」
彼は言いました。
「ああ、そうだ。立派なものだ。」
私は言いました。
「この木はどのくらい……何年くらい経っていますか。」
「そうだな」と彼は言いました。
「わしがそれを植えたんだ。」
私は言いました。
「ああ。」
32. 「あそこの丘の上に、古い煙突が立っているのが見えるかね。わしはあそこで生まれたのだ。」彼は言いました。
「そして、わしの親父が死んだ時……。この下の方にこの家を建てたんだ。」
そして言いました。「それからわしはここへ移って来た。そして、わしの子どもたちはみな、ここで生まれた。」また言いました。「それ以来、ずっとここに住んでいる。そして、あの木を植えたのだ。ほんの小さな苗木だった。それで、わしはあの木と一緒に育ってきたようなものだ。」「はい、分かります」と私は言いました。そして言いました。「リンゴがみな落ちているのに気づきました。」
彼は言いました。「ああ、そうだ、そうだ。」私は言いました。「葉も落ちていますね。」「そうだ。」私は言いました。「不思議ですね。」彼は言いました。
「どういう意味だ。」私は言いました。「ご存じのように、まだ霜は降りていません。それなのに、その葉が落ちているのです。」
そして言いました。「それが、私たちがこの沢筋に猟をしに来た理由なのです。木々の葉が落ちているからです。」そして言いました。
「どうして、霜が降りる前に葉は落ちるのでしょうね。」
「ああ」と彼は言いました。
「葉は霜が降りる前に落ちるものだ。」
私は言いました。「はい、旦那さん。」そして言いました。「何がそれを落とさせるのでしょうか。」彼は言いました。「まあ、命がそこから離れたのだ。」
私は言いました。「なるほど。それで、その命はどこへ行ったのですか。」
彼は言いました。「木を下って、木の根の中へ戻って行ったのだ。」
「ああ、なるほど」と私は言いました。「言い換えれば、もしその葉がそこに残っていて、命もそこに留まっているなら、その命が葉をそこに保っている、ということですね。」「ああ、そうだ。」私は言いました。
「それで、その葉は木から離れ、命は身を隠すために根へと戻って行くのですね。」「そうだ。」私は言いました。「なぜそこへ下って行くのですか。」
「まあ」と彼は言いました。「もし命がそこに留まっていたら、冬が木を殺してしまう。命は根の中へ、暖かい地面の中へ下って行かなければならないのだ。命を保つために。そして次の秋に、また別の葉を出させるためだ。」
「ああ」と私は言いました。「分かりました。そして、その命が上がって来るたびに、あなたにたくさんのリンゴや、そういうものを実らせてくれるのですね。」
「そうだ。その通りだ。」
33. 彼は言いました。「よかろう。」
私は言いました。「どうか教えてください。その葉に――いや、その木の中にある命に対して、いったいどんな知性がこう告げるのでしょうか。『ここにいてはいけない。根の中へ下って行きなさい。そうしなければ死んでしまう』と。」
そして私は言いました。「それから春になると、その命はまた新しい葉を出して来ます。では、その命を木の根の中へ下らせるものは何なのですか。」
「ああ」と彼は言いました。「それは、水が下へ落ちるという自然の働きだ。」
私は言いました。「分かりました。では、ここにある柱の上に水の入ったバケツを置いてみましょう。すると八月の中ごろには、その水は柱の下の方へ下って行き、来年の春にはまた戻って来るのでしょうか。」
彼は言いました。「いや、そんなことはしない。」
私は言いました。「なぜ、そうしないのですか。」「まあ」と彼は言いました。
「それは、その水にとって自然ではないからだ。」
私は言いました。
「自然とは何ですか。誰が自然を支配しているのですか。では、なぜ松の木にはそれが起こらないのですか。松はそのまま上に留まっています。その違いを生じさせているものは何なのですか。」
34. 「お分かりでしょう、旦那さん。そこには知性がなければならないのです。なぜなら、その木自体には知性がないからです。それは動かされなければならないのです。それは機械仕掛けの装置ではありません。木の命を根へと下らせる知性があるのです。ちょうど死と、埋葬と、復活のようにです。」
彼はそれだけの長い年月を生きてきながら、命を見ることができなかったのです。
私は言いました。
「私は……。」
私は宣教師です。そして、あらゆる異なる考えを聞いてきました――仏陀、ヒンドゥー、そしてさまざまな理論です。しかし、それらはみな間違っています。キリスト教は、埋葬と復活に基づいているのです。
再生産ではありません。復活です。
それに似た別のものが出て来るのではありません。下って行ったその同じものが、再び上がって来るのです。
同じイエスです。
35. 朝には、太陽が生まれます。十時ごろには、それは少年期、青年期にあります。正午には、その力の満ちた状態にあります。そして夕方には沈んでいきます。それで終わりでしょうか。いいえ、ただ再び昇って来るためなのです。
誕生、命、死、復活。
神は絶えず、命の中で証ししておられるのです。
木は再び下へ戻ります。樹液は根の中へ下り、翌年また命を生み出すためです。私たちは……あなたも私も、命の木にぶら下がっているのです。私たちはその木の実なのです。
その老人は、しばらくそこに座ってから言いました。
「そんなふうには、考えたことがなかった。」
私は言いました。
「あなたはまだ私の質問に答えていません。私はあなたに教えていただきたいのです。その木の中の命を支配し、それを下へ行かせる、その知性とは何なのですか。この知性は、その命に語ることができるのです。木にではありません。命にです。あなたの中にある命をご覧なさい。その命を支配し、それをここ下の方へ走らせ、そこに隠すのです。」
ちょうどヨブが言ったように、
「どうか、あなたが私を墓に隠し、秘密の所に守ってくださればよいのに。」
そして、それから春になると、それを再び連れ戻して来るのです。
彼は私に答えることができませんでした。
36. 「その木の中にある命に語って、『生きたいなら身を隠しなさい』と言う、その同じ知性こそが、あの婦人にどうすれば生きることができるか、信じることができるかを、私に語らせたのです。」
彼は言いました。
「あんたが、その説教者なのか。」
私は言いました。
「はい、旦那さん。私がそうです。」
その日、その地面の上で、ただ素朴な小さな話を通して……。もう時間が遅くなっているのは分かっています。私はもう……出発していなければならない頃です。まだ続きがあるのですが。
しかしその日、その地面の上で、その人がただ命を見るという、ほんの単純なことによって、私は彼をキリストへと導きました。
去年、私は再びそこへ戻りました。すると、私が近づいて行った時、彼の未亡人が玄関先に座っていました。彼女は私に会いに来ました。そして私の手を両手で握りしめて、こう言いました。
「ブラナム兄弟、彼は主イエスへの信仰のうちに亡くなりました。彼は先に行きました。」
37. そうであるなら、私たちにとって、それは難しいことではありません。私たちの命を支配している何かがあることを、私たちは見ることができるのです。
私たちがここに求めに来ているのは、それです――命、しかもさらに豊かな命です。
そして今朝、この朝食の場において、私たちが豊かな命を持つことができますようにと、私は神に祈ります。
その知性をもって木に語ることのできるお方。その木は、もし命を保ちたいなら身を隠せという主人の呼びかけに、すぐに従います。
そして私は、命を保つための、もう一つの偉大な隠れ場を知っています。今朝、私たちはそこに隠れましょう。
防空壕の中ではありません。
彼の翼の下に、私たちは隠れましょう。
お祈りしてもよろしいでしょうか。
38. 太陽が昇り、沈むのを見ます。花々が咲くのを見守ります。そして霜がそれらを打つと、葬列がやって来ます。秋の雨が大粒の涙を流して、それらを埋めるのです。それらは墓の中に横たわり、朽ちていきます。
しかし、それで終わりではありません。あなたはその命を保っておられるのです。
そして、太陽――s-u-n、自然の太陽――が昇り始めるやいなや、その種がどのような状態であっても……。たとえ大きな岩がその上に置かれていても、また冬の間、その種が埋められている場所の上に何ヤードものコンクリートが流し込まれていても、植物の命を支配するあの暖かな太陽が地を温め始める時、その種は芽を出して来ます。
私たちは、歩道の縁に沿って最も濃く草が生えているのを見ることがあります。それは、そこに埋められていた種なのです。
命を隠しておくことはできません。命は芽生え出なければならないのです。
それをかごに入れ、そのかごの底に埋めて、木に吊るしておくこともできるでしょう。しかし、その小さな命は、神への賛美へと向かって伸びていくのです。
39. そして今朝、キリスト・イエスにあってここで交わりを持っている、その愛すべきあなたの子どもたちの中に、どれほどなおさら、私たちはあなたを見ることができることでしょう。キリスト・イエスこそ命であられます。
主よ、すべての巡礼者を……。私たちはこの世のものではありません。私たちは巡礼者であり、旅人であり、寄留者です。そして、ジョージアから、カナダから、テキサスから、またあらゆる所から来た寄留者たちが、この小さな場所に共に集まり、互いの思いを分かち合い、あなたの栄光の証しを語り合っています。
どうか私たちが、この集会から、永遠の命に豊かに満たされて出て行くことができますように。そして、その命を見いだす道を、ほかの人々にも教えることができますように。
イエスの御名によってお願いいたします。
アーメン。
ありがとうございます。
[誰かがブラナム兄弟に何かを言う]
ああ、大丈夫です。
40. そして私はあちらで集会を持っておりますので、すぐにそちらへ急いで下りて行かなければなりません。皆さんは永遠の命を持っています。ただ、それを信じてください。
けれどもここでは……私が人々と話し始める時、分かりますね……。もし何か間違ったことがあると、それが私の内側で気になり始めるのです。あなたがそれを感じ取るのです。そしてそうなると、それがまたその晩、私を粉々に引き裂くようになるのです。分かりますね。クリスチャンの方々なら、それをきっと理解してくださると思います。
私があなたがたを愛していない、ということではありません。とんでもありません。もしあなたがたがいなければ、私のミニストリーは何になるでしょうか。そこにいる人々はどうでしょうか。
どれほど偉大なミニストリーであっても、あなたがたがそれを偉大なものにしてくださらなければ、それは偉大にはなり得ません。私一人では、それをすることはできません。それをなすには、あなたがたと私が共に必要なのです。分かりますね。
私一人では、何もありません。あなたがた一人ひとりだけでも、何もありません。しかし私たちが共にいる時、主がご自身のミニストリーを生み出してくださるのです。
もしあなたがたがそれを信じなかったなら、それは決して起こらなかったでしょう。あなたがたは、それを信じなければなりません。そして、それがそれを起こらせるのです。あなたがたが信じるからです。
神があなたがたを祝福してくださいますように。