真の神の預言者のあり方

The Way Of A True Prophet Of God

真の神の預言者のあり方

アメリカ合衆国インディアナ州ジェファーソンヴィル

説教番号: 62-0513M

日付: 1962年5月13日(62-0513)

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3. 天の父よ、感謝の心を持ってあなたの集会に入りなさいと聖書に書いてあります。聖徒の集会で、わたしたちの要望を聞いていただくためです。今朝は本当にたくさんの要望が来ているので、どのようにしてあなたに聞き入れていただいたらいいか、わかりません。でもあなたはそれらすべてをご存知です。そして声に出なかった要望もあります。あなたはそれらもご存知です。ですから、先週の夜シェファード姉妹と兄弟の子どものために祈ったときのように、わたしたちは、心から祈ります。あのとき、聖霊が戻って来てこう言われました、「彼女にはもう、ポリオがありません。彼女は回復します。」これを聞いたとき、わたしたちがどんなに安堵したでしょう。
病気の癒しや、愛する者を亡くした家族や、あらゆる祈りの要望を聞き入れてくださるようお願いします。父よ、それら一つ一つを心にとめてください。わたしの祈りと、みんなの祈りをまとめて、イエス・キリストの御名によって、御前に捧げます。どうぞわたしたちの祈りを聞いてください。アーメン。

7. 次の日曜日には、前に行ったことのある高校の講堂での集会に参加します。なんていう名前の高校でしたっけ? メーサー? ああそう、スティーブン・メーサー高校の講堂です。それから月曜日には、前回シカゴの聖職者協会と話し合いをした場所での集会に参加します。そこでジョセフ・ボゼー兄弟のお別れ会があります。彼はタンガニカ、(確かそういう名前だったと思います)、ケニア、ダーバンなどを回って、南アフリカを始めとするアフリカでのわたしの秋の集会の準備をしてくれます。どうぞわたしたちのことを覚えて、これらの集会のために祈ってください。

8. 彼は、前方にじゅうぶんなスペースを設けなかったために、砲弾が前に発射する代わりに後退してしまいました。それは古いライフルでした。それに飽きたので、改造して別の型の銃に仕上げました。わたしはそれに弾を込め、引き金を引きました。すると、銃は45メートル四方に飛び散り、わたしの手に残った部分は溶けていました。銃身は50ヤード線上に飛び、ボルトは、わたしから27~36メートル後方にある鹿のオリの後ろまで吹き飛びました。そして炸裂した弾の破片は、木の樹皮やあらゆるものを吹き飛ばしました。そのように暴発したとき、わたしの目はその銃から2.5センチほどしか離れていなかったのです。その銃は3,100キロほどの圧力に耐えられるものでしたから、そのときどれだけ大きなエネルギーがかかったのか想像できると思います。それに考えてみてください。銃が暴発したとき、わたしの頭と肩も吹き飛ばされていたはずです。しかし、主がいてくださいました。それでわたしは害を受けることなく、顔の周りをかすっただけで済みました。ひとつの小さな弾の破片がわたしの目の横下の方に入り、目の周りに輪を作りましたが、破片が入ったところは視力に影響を及ぼしませんでした。わたしの頭蓋骨に刺さった破片の中で大きなものは目の周りに刺さり、目には刺さりませんでした。ですから・・・ああ、なんてことでしょう。

9. わたしの目を診察してくれたルイビルの医師で、わたしの友人であるサム・アダル医師にこんな手紙を書いてよこしました、「わたしには、あの朝主がおられて、主のしもべを守られたとしか言いようがないです。そうでなかったら、彼には頭や肩が残っているはずありません。」ですから、イエスは本当によくしてくださいました。感謝します。この事件を通して、もっと神に近づくことができました。神に触れて、影響を受けないことなどありません。

10. さて、これらの集会については、何の導きもありません。でも夏中ここでぶらぶらしているわけにはいかないのです。あちこちで人が死にかけていますから。何があっても、どこにでも出かけて種を蒔かなければなりません。もし芽が出なくても、空の鳥に食べられても、何であっても、種を蒔きたいのです。神がわたしに蒔くものを与えてくださったからです。ですから、種蒔きをしに行く事になります。

13. 連れてきなさい、連れてきなさい
幼な子をイエスのもとに。
わたしは小さい子どもたちが好きです。なにか、いとおしい気持ちにさせてくれるのですよね、子どもたちは。
この子は正真正銘イタリア人ではないですか? そうですね。イタリア人の家族(・・不明瞭・・)先日シカゴに住むあるイタリア人の姉妹が、この家族がイタリア人であると教えてくれました。名前は何といいますか? ジョナサン・デービッド。なんて素敵な名前でしょう。ジョナサン・デービッド。彼のお父さんはイタリア人の名前ですが、赤ちゃんには聖書の名前をつけたいと思ったそうです。聖書にはコルネリアスという名の立派なイタリア人が登場します。知っていますよね。彼はある部隊を指揮していました。良い人で、人々にほどこしをしていました。彼がまだ異邦人であったとき、・・・皆さん、この話は知っていますね。あるとき天使が彼の家を訪ね、神のご計画を知っている人のところに使いを出すように伝えました。そして・・・皆さん、この話は知っていますよね。ペテロは彼らが神を畏れる人たちであることを知ったのです。ペテロがまだ話をしているうちに、聖霊が彼らに降りました。この赤ちゃんも、コルネリウスと同じような人になりますように。

14. 天の父よ、コルネリアスという名の立派な人物の話をしてからもう何年も経ちますが、彼は良い人で、正しい人でした。人々にほどこしをし、神を愛していました。ある日、神の使いが彼の家を訪れました。ああ、神よ、この朝、この幼いジョナサン・デービッドをあなたに捧げます。天の父よ、あなたに祈ります。あなたに捧げるために、この子を母親と父親の手から受け取りました。この子の人生が、あなたに仕える人生となりますように、この祈りを捧げます。この家庭を祝福してください。教会のしっかりした敷石となりますように。父よ、祈りを聞き入れてください。イエス・キリストの名によって、ジョナサン・デービッドをあなたに捧げます。アーメン。
神があなたたちに恵みを与え、この子を神の諭しのうちに育てることができますように。ジョナサンを祝福します。

15. 天の父よ、この若い夫婦は、結合の実りをあなたに捧げるためにここに来ています。神の諭しを受けて育てるようにと、あなたからいただいたいのちです。この幼いマイカを祝福してください。神よ、この子を聖書のマイカのような人にしてくださるよう祈ります。父よ、どうか聞き入れてください。神の祝福をこの子に与えてください。この子の父親と母親に祝福を与え、この子を霊に導かれる者にしてください。キリストのためのしっかりした敷石となりますように。父よ、どうか聞き入れてください。父親と母親の腕から、あなたの腕に、イエス・キリストの名によってマイカ・エドワードを捧げます。アーメン。主の祝福がこの子にありますように。そして父親と母親を祝福し、神の諭しのうちにこの子を育てることができますように。神があなたたちと共におられますように。(・・テープの空白・・)

18. (え、あなたの義理の息子は今朝ここに来ていませんか?)
先週の日曜日にここで説教したとき、ある若者が来ていました。わたしはずっと彼を見ていました。そしてこう思ったのです、「どこかで見たことがある若者だぞ。」それからわかったのですが、彼は旧友ジム・プールの息子でした。なんといっても、わたしたちは小さい頃から一緒に育ちました。彼は、わたしがショットガンの事故にあった原因でした。それからのちになって、彼自身がショットガンで撃たれました。わたしの友人です。あの若者はキリストに導くことができると信じます。彼の父親を導こうとずいぶん苦労しました。今でも希望を捨てていませんし、導くつもりです。あの若者は導けると思います。彼を観察したところ、彼には、(他の人にはこれを適用できませんが、いわゆる、)良い霊の振動を持っていると感じたのです。良い感じです。だから彼をキリストに導くのにそう時間はかからないと信じます。だから、彼のために祈りましょう。そうです。

19. とにかく、みんなのために祈りましょう。それから覚えていてください。祈りの依頼を送ったら、(会堂のどこかに座っているはずの妻なら知っていますが、)すぐにわたしは自分の小部屋に行き、祈ります。何かの促しを受けるまでは、その場を離れません。あきらめずに祈り続けます。

20. 「祈りましょう。」わたしが答えました。

22. そうです!彼の本当の名前はアイザックで、ビルと呼ばれているのですね。聖霊には間違いがありません。絶対に確実です。さて、誰かが言っていました、・・・・わたしは53歳で、31年くらいの間、説教壇の後ろに立って、神がなさる何千も何万ものことを見て来ました。

23. わたしは答えました、「ドルトン兄弟、何千何万回かける何千何万回もこのようなことが起こっているのですよ。」
「それなら、あなたが言ったことを本に書いたらどうですか?」
「ああ、ドルトン兄弟、わたしが見た主のなさったことを本にしようとしたら、本の量は、百科事典サイズで、このボートから向こうまで届くでしょうね。それで一度でも、たった一度でも、神のなさることで間違いがないのです。いつでも完全です。」

26. 先週の日曜の夜、ロバートソン兄弟が電話をくれ、(彼がここにいるかどうかわかりません。はっきり見えないので。)その晩のメッセージの反響を話してくれました。それから、誰かが電話でこう言いました、「あなたが、神がわたしたちにすべてのことを与えてくださったと語った時、わたしは考えてしまいました。」神は与えてくださったのです。神はわたしたちにいのちをくださいました。それなのにわたしたちはいのちを買おうとします。神は愛を与えてくださいました。それなのにわたしたちは愛を買おうとします。神は喜びを与えてくださいました。それなのに、喜びを買おうとします。神は平和を与えてくださいました。それなのに、平安を買おうとします。買う術などないのです。買うことはできません。それからわたしは、こう言いました、「神はわたしたちに死を与えてくださいました。」

27. そうではありません。それは聖書が語っていることなのです。聖書は、神はわたしたちに死を与えられたと言っています。
死をもらっても、どのように対処したらいいでしょう。ご存知のように、パウロは死に際して、「死よ、お前の棘はどこにあるのだ?」と言いました。死は、わたしたちを支配しません。わたしたちが、死を支配するのです。そうです。すべてのことはわたしたちに与えられています。

30. わたしたちは相続の保障をいただいているのです。かつては罪の中に生きていましたが、キリストの名によって洗礼を受けて、キリストとともに復活にあずかってからは、罪から解放されました。もう二度と戻りたくはありません。わたしたちは、罪からすくい上げられたのです。今や、あらゆる死からよみがえる可能性を秘めています。もしわたしたちがキリストを信じる信仰によって罪から上げられたのなら、そしてもし罪が・・・。いったい誰が、罪のゴミ溜めの中に戻りたいと願うでしょう。わたしたちは死からいのちへと移ったのです。それが保証です。アーメン!それが完全な復活のための保証なのです。身体的、霊的、すべての復活です。わたしたちは、すでに死からいのちへと移ったので、霊的死を克服しました。

31. ああ、この話を始めたらきりがなくなります。これでは6時間のメッセージにとりかかることができなくなってしまいます。(注:ネヴィル兄弟がブラナム兄弟に話しかける。)そうです。ネヴィル兄弟、骨つき肉です。まだ油注ぎが残っています。みなさん、嬉しくないですか?

32. それはわたしたちのものです。死は私を支配できません。わたしが死を支配するのです。どうやって? わたしを勝利者にしてくださったキリストによって。わたしはすでに死に勝利しているのです。どうやって勝利したのでしたか?キリストを信じることによって。死は罪の中にあります。罪は不信仰のことです。わたしは不信仰の者ではありません。わたしは信仰者です。わたしはそれを克服して復活しました。それが、わたしが身体的にも霊的にも完全に復活することの保証なのです。そうです。わかりましたか?

35. 戦いの後、彼はメルキゼデクに会いました。アブラハムが道を上ってくる様子が見えませんか? 彼は自分が戦士であることを知りませんでしたが、実はそうであったことを知ったのです。そうです。そして彼は、約束の与え主、メルキゼデクに会いました。

37. 1 イスラエルの子らよ、主があなたがたに向かって言われたこと、わたしがエジプトの地から導き上った全家に向かって言ったこの言葉を聞け。
2 「地のもろもろのやからのうちで、わたしはただ、あなたがただけを知った。それゆえ、わたしはあなたがたのもろもろの罪のため、あなたがたを罰する。
3 ふたりの者がもし約束しなかったなら、一緒に歩くだろうか。
4 ししがもし獲物がなかったなら、林の中でほえるだろうか。若いししがもし物をつかまなかったなら、その穴から声を出すだろうか。
5 もしわながなかったなら、鳥は地に張った網にかかるだろうか。網にもし何もかからなかったなら、地からとびあがるだろうか。
6 町でラッパが鳴ったなら、民は驚かないだろうか。主がなされるのでなければ、町に災が起るだろうか。
7 まことに主なる神はそのしもべである預言者にその隠れた事を示さないでは、何事をもなされない。
8 ししがほえる、だれが恐れないでいられよう。主なる神が語られる、だれが預言しないでいられよう」

38. 主が彼をサマリアに遣わした目的は、多分現代の宣教師がするキャンペーンとはかけ離れていたことでしょう。今日そうすべきと考えられているようなリバイバルのためには、彼は備えられていませんでした。でも彼は現在の宣教師ではなく、預言者です。彼はいっこうに現代的装備には無頓着でした。彼には「主がこう仰せになる。」がありましたから。

39. を知っており、自分のすべきことを知っていました。彼は本当の御言葉の預言者だったのです。
彼がこの町に来た理由は、みことばが彼に臨んだからです。主のことばが、まことのしもべに臨んだなら、状況がどんなであれ、どんなに困難でも、彼は行かなければなりません。準備ができているか、気持ちが向いているか、行きたいと思うか、そのようなことがどうであれ、彼は行かなければならないのです。神が語っておられるのですから、そのメッセージを携えて行かなければなりません。馬鹿げたことに引かれたりしません。お金を求めたりしません。人気を博そうともしません。彼は主の御名を持って行きます。それだけです。彼には、主から遣わされた使命があります。そして彼は、主のことばを携えているので、神のことばです。それこそが主のまことの預言者です。このメッセージの題は、『神のまことの預言者のあり方』です。

40. 先日これを読んでいて、この話が現代の状況にぴったり当てはまると思いました。人がどんなに賢くても、どれほど有能でも、どれほど繁栄をもたらしても、その人が神から離れているなら、その人は国の負債となります。神と神のことばから離れているからです。今日これに当てはまる人がいるのではないでしょうか。テレビに出て、どれだけ賢いか、どれだけ頭がきれるか見せている人たちです。でもそういう人たちは、「主が仰せになる」ことを受け入れることができるほど賢いでしょうか?

41. 彼らに必要なのは、繁栄をもたらす王ではなく、預言者だったのです。主のことばが臨み、それを解釈することができるのは、まことの預言者だけだからです。当時の預言者の様子を見ると、とても荒々しいありさまでした。あらゆる祭司とも、あらゆる説教師とも、あらゆる聖職者とも、そして政府とも、彼は対立しました。しかし、主のことばは彼に臨みました。預言者だけに臨んだのです。彼の聖書は、彼らの聖書と同じものでしたが、それでも彼は正しいみことばを知っていました。みことばは彼に与えられ、神はそのことの正しさを証明されました。

42. アモス書の別の箇所を読みたいと思います。彼らがどこで間違ったのか調べなければなりません。2章の4節を読みましょう。
主はこう仰せられる。
「ユダの犯した三つのそむきの罪、四つのそむきの罪のために、わたしはその刑罰を取り消さない。彼らが主のおしえを捨て、(それがみことばです。彼らはみことばを捨てたのに、それを守っているつもりでいたのです。)そのおきてを守らず、彼らの先祖たちが従ったまやかしものが彼らを惑わしたからだ。(彼らには聖書があったのに、まやかしの偶像に惹かれていったので、惑わされました。)
原因がわかりましたか? 彼らは、みことばに独自の訳や解釈をつけたので、惑わされたのです。現代の状況に当てはまりませんか? あまりにも多くの者が、みことばに独自の考えを付け足して混乱を招いています。なんと的確な神の叱責を、この預言者は語ったことでしょう。

44. その朝、丘の上に立っていた彼は、古びた粗製の田舎服を着ており、歩いて来たために足は泥や土ぼこりで汚れていたことでしょう。そこにたどり着くまでの幾たびの夜、古いざらざらの外套にくるまって寝たことでしょう。彼の時代にバスタブがあったかわかりませんが、もう何日も、体を洗っていなかったことと思います。でもそんなことは、人間の中身には害を与えません!今の時代は、あまりにも人の外見に意識が向けられ、中身がないがしろにされています。毎日体を洗っているか、髪をきちんととかしているか、洋服をとり替えているかなど、そういうことには注意しますが、中身はほったらかしの状態で、相変わらず罪深い衣を着て、信条やドグマで腐臭のする魂のままです。内側を探って、みことばの水で洗い清めてこの世のことから離れようとはしません。

46. さて、そういう振る舞いに、多くの、自称クリスチャンのアメリカ人の食指が動くのです。彼らがロサンゼルスを見下ろすとき、あるいは、わたしは飛行機がロサンゼルスに降りるとき、彼らを見たのですが、(彼らは初めてやって来たのでしょう。)あるいはハリウッドに、あるいはヤシの木にネオンが巻きつけられたフロリダに。ああ、彼らは鼻に新しいパウダーをかけ、化粧を直します。彼らにとっては、それらはとても魅惑的に見えるのでしょう。手入れの行き届いた着こなしの人が街を歩いているのを見て、彼らもそこに行って、自分たちもぴっちりした洋服を着て、腰をひねって通りを歩いて見たいと思うのでしょう。彼らには、それが素敵なことに思えるのです。

47. 彼は堕落を見ました。腐敗した状態です。それが彼の見たものの全てした。それらを見たとき、彼は魅了されるどころか、心から嫌悪をもよおしました。なぜなら、彼は預言者だからです。彼にはわかっていました、神が何に対して祝福を約束されたか、その祝福が何であるか、そしてその祝福を人々がどのように取り扱ったかを。悪魔は、本当の祝福を道徳的退廃に変化させてしまいました。神のみ旨と方法、そして神のいのちへの道をうまく利用して、改心していない人たちの目と欲求をそそるような祝福に変えてしまったのです。

48. 神の霊が、まことの神の預言者に下ると、彼はみことばを叫びます。わたしは批判的になりたくありません。しかしどうして黙っていられるでしょう。誰がそのようなことを見ていながら、そして神のしもべと言っていながら、叫ばずにいられるでしょう。わたしは、教団が何を言おうが、教会が何を言おうが、意に介しません。だからわたしはどこにも属していないのです。彼らの方からわたしを追い出すでしょうけれどね。でもまず神のことばが臨むのです。もし御使いなら、言うべきことばがあるはずです。でももし、このみことばと異なることを言うなら、神の御使いではありません。教団あるいは何かの学説と契約を交わした御使いです。でも神の御使いには、神のことばがあります。そして、アモスに目を向けるなら、彼には神のことばがありました。主のまことの預言者でしたから。
彼らは自分たちでみことばを解釈できると思っていました。「もちろんできますとも、わたしたちのしていることを見なさい。」

49. なぜ彼は、「わたしもイスラエル人である。なんて我が国は繁栄していることだろう。」と言わなかったのでしょうか? 神のまことの預言者である彼に、どうしてそんなことが言えるでしょう?このような状態の結果がわかっており、この後どうなるのかがわかっているというのに。

51. もし司教が、「わたしたちの教団に加わりなさい。そうしたら、あなたのキャンペーンを応援しますよ。」と言ったとしたら、彼は承諾すると思いますか? とんでもない。彼のような人がそんなことをするとは、想像もできません。彼は神から遣わされました。彼には教団の協力など必要ありません。彼には神のことばがあります。神の油注ぎがあります。神が定めた時に彼は現れて、「主が仰せになる。」と語ったのです。彼はまことの預言者です。彼のやり方は、「主が仰せになる。」以外にありません。

54. さて、フェローシップ・カードを提示することはできませんでしたが、彼には神のことばがありました。神が人々に送るのは、神のことばだからです。人々は組織を作り、そこから分派を形成して来ました。でもアモスには組織がありませんでした。彼にあったのは、「主が仰せになる」ことばだけです。

55. しかし、そんなことには関心を示さない男がやって来ました。彼は「主が仰せになる」ことばを携えています。それが預言者のあり方です。誰からも協力を受けません。彼は、これからどんなことに直面するかわかっていました。あらゆることに対立することも、拒絶されることも、締め出しをくうこともわかっていました。でも彼は主の名によって、やって来たのです。
イエスはご自分の前にカルヴァリがあることをご存知でした。でも彼は主の名によって、やって来たのです。これがまことの預言者のあり方です。

56. 今日でも同じです。多くのペンテコステの人々にとっては、神のまことのことばの現れが、異質のことなのです。みことばのまことの解釈、まことの災いや呪い、神のまことの祝福を、ホーリネスと呼ばれる人々は相入れることができません。教会員や、クリスチャンと呼ばれている人たちには、相入れることができないのです。彼らは知らないのです。彼らに話してみなさい。そんなことは聞いたこともないと言うでしょう。それなのに、彼らの組織は成長し、繁栄しています。毎年、規模を拡張し、会員を増やし、組織の数も増えています。そして彼らは、大切なことはすべて、自分たちの宗派から現れると思っています。

57. 預言者は簡単な仕事だと思っている人がいますが、そういう人は自分が言っていることをわかっていません。預言者は、整えられタッセルをつけた馬車で運ばれてくるのではありません。頭に仰々しいものを被った大祭司から、「〇〇博士様、来場」と、お辞儀して迎えられることもありません。それはどこかの組織がやることです。

58. イエスは言われました、「働いておられるのは、わたしではない。」
彼らは抗議しました、「あなたは自分を神にしている。」
イエスは答えて言いました、「もしわたしが神の業をしているのでなければ、わたしを信じなくていい。でもわたしを信じたくなければ、業そのものが証明しているのだから、業を信じなさい。」
アモスは、通りを歩く神のことばでした。彼は無骨な姿で町に入ったことでしょう。世の流行に則してはいなかったはずです。彼は霊の力によってやって来ました。神のことばは、そのようにしてやって来るのです。教団の信条によってではなく、教壇上の女々しいやり方によってでもなく、霊の力によって来て、国とその民に神を現すのです。違うことなのです。全く違います!

59. こんにちのキリスト教会も同じ問題を抱えています。彼らは、知っているつもりでいます。聖書は、知ったつもりになっている人は、知るべきことを何も知らないと言っています。今日の問題は、あまりにも自分に重きを置きすぎ、あまりにも偽善的で、あまりにも教育を求めすぎ、あまりにも宗教的なので、救いの神のことばを何もわかっていないということです。本当に残念なことです。

60. イエスがどの神学校出身か、誰も知りませんでした。そもそも彼はどこの学校にも行きませんでした。「彼はどこの学校を卒業したのか?」彼はどこの学校にも行きませんでした。「彼は何か資格を持っているのか?」彼には神がついておられました。彼はみことばでした。彼らはイエスの学校をつきとめることはできませんでした。神は、神学校出身者を用いられたことが一度もありません。神がそのようなことをされたことがあるか、歴史を調べてみなさい。一度もないはずです。神は、神学校以外から、無名で有望でない者を採用し、神のことばを授け、ご自身がその者を通して現れます。神がそのようにされたので、アモスがそこに立っていたのです。分かりますね。

62. 彼がまずとるだろう行動は、あらゆる組織に、みことばに反しているという理由で対立することです。そうです!彼はすべての仕組みを非難することでしょう。あらゆる教義、信条、教団、すべてを非難するでしょう。わたしには想像できるのですが、ペンテコステの長老がこう言うのです、「まあ、なんと、神に栄光。あのような男は、我々の町にいてほしくないですね。」
それから長老派やバプテスト派はどうすると思いますか?「まあ、なんて無知な。彼のような者はこの国に必要ない。彼はただのつむじ曲がりだ!」彼らは、彼を追い出すためなら、書類を作成して彼を刑務所に送ろうと図ることでしょう。でも彼を刑務所に閉じ込めておくことができると思いますか? とんでもない。神のことばを檻につないておくことはできません。脱出します。彼らが檻に閉じ込めようとしても、ある晩檻の扉が開き、彼の元に一条の光が差し込んで、彼を救出します。確かに彼は、今のわたしたちの体制に異を唱えることでしょう。

63. 彼はあらゆる宗派、信条、教義を基礎から引き剥がし、投げ捨て、永遠の彼方に吹き飛ばします。ペンテコステ派が彼を受け入れると思いますか? とんでもない。バプテスト派、長老派は? とんでもない。ナザレ派は、ピルグリム・ホーリネスは? 彼に間違いなく憎悪を抱くことでしょう。

64. 彼は蔑まれることでしょう。必ずそうなります。彼は、キャンペーンとしてまっすぐ基礎部分に取りかかりますが、決してこのようなことは言わないでしょう、「メソジストの皆さん、来て、手伝ってください。バプテストの皆さん、ここにいる皆さん、ペンテコステの皆さん、あなたがたは神からお呼びがかかる最後のグループだと言っていますが、みんな、わたしのところに来て、わたしのキャンペーンを手伝ってください。」

65. 確かに彼は拒絶されるでしょう。この国のどこでも彼のキャンペーンは阻止されるでしょう。彼は歓迎されません。それでも彼はやって来て、教会をみことばに立ち返らせるでしょう。それが教会の基礎だからです。誰かが他の基礎を立てるなら、それは砂地に置かれた基礎で、沈下していくことでしょう。使徒の教えという、この基礎の上にこそ、神は教会を建てられるのです。

67. しかし、おわかりのように、彼らは教会にお金を入れるために、権威のことばを取り出して、人の作ったドグマに引き渡したのです。彼らの眼中にあるのは、この世のこと、この世的教会、世界を牛耳る権力、政治的権力です。でも神の眼中にあるのは神のことばです。神のことばに反するものはすべて間違いです。わたしが考えるところでは、この世はみことばか虚無かのどちらかです。そうです。そのとおりです!

73. 誰かがこう言います、「主よ、わたしを預言者にしてくださったらいいのに。」神はそうはされません。神はそうされません。

75. アモスは、「お前たち、みじめな偽善者の集団よ。」と叫ぶでしょう。そのとおりです。
「わたしたちは、このグループに属しています。」「わたしたちはあのグループに属しています。」
「あなたたちは悪魔を父とする者たちだ。悪魔はみことばを否定する張本人だからだ。」
あなたは、「わたしは異言を語る」と言いながら、髪を短くするのか!
神に栄光、ハレルヤ!
聖書は、そんなふうに短い髪にした女性が祈ることが不作法だと記しています。それでもあなたは自分をクリスチャンだと言うのですか!恥を知りなさい。どこか人目のつかないところまで這って行き、神との関係を正しなさい。

78. 預言者になるのは素晴らしいと言う人が多くいます。そのとおりです。もしあなたがすべてを売り払って、神と神のことばにとどまるとしたなら。
しかし、彼はどうやっても今日の教団から受け入れられないでしょう。教団は彼と関わりを持つことを嫌がることでしょう。

79. 「でもわたしたちにはアブラハムがいます。律法もありますし、祭司もいます。預言者もいるのです。」
ああ、兄弟よ、彼らを見る彼の目が細くなって、それからあの言葉の爆弾を彼らに向かって落としたのです。そうです。彼らは彼を受け入れませんでした。彼は言いました、「彼らは自分たちが作った教義とともに滅ぼされる」それが今日でも彼の言うことです。当時と同じことを、今も言うことでしょう。「お前たちは神のために(何億円もかけて)教会を建設している。お前たちはエホバのために神殿を建て、神を愛していると言っているが、その神によってお前たちは滅ぼされる。なぜならお前たちが神のみことばを拒んだからだ。」

81. イエスはこう言われました、「あなたがたは自分たちの伝統を守って、神の戒めを無効にしている。」これがまことの預言者のあり方です。こう言うのは、容易なことではありません。誰もが考えるように、飛んだり跳ねたりして叫び、誰からも肩を叩いてもらうといったものではないのです。そんなだったら、それはまことの預言者でないしるしです自分のうちに語るべきことをもっていない、最たるしるしです。

83. 共産主義が世界をなめ尽くそうとしているのは、共産主義ではなく、教会のせいです。人々のせいです。こんにち、クリスチャンと称する人々は、訓練を受けて天使のように歌います。そして大天使のように流暢に語ります。しかし悪魔のように神のことばを信じていません。そうです。歌は大天使のよう、服装は・・・わたしにはわかりません。それで神のことばを否定しています。

85. ヨハネはまことの預言者でした。彼はこう言いました、「木の根元に斧が置いてある。」これが預言者のあり方なのです。

92. 彼らは「ここに一度ブラナム兄弟が来たことがあります。(西の方の町です。)」
するとこの人物は言いました、「ええ、ブラナム兄弟はいい人ですよ。(彼は、誰かに直接批判を加えるような愚かな真似をしません。)でも、彼のテープをきいてはいけませんよ。聞いたら混乱してしまいます。」
そのとき、わたしの友人の一人がそこに居合わせてこう言いました、「ちょっと待ってください。わたしは彼のテープを聞くまでは、ずっと混乱していました。」それが違いなのです。彼は続けました、「わたしは、あなたたちがしているようなことを、どうして聖なる神が辛抱しておられるのか理解できませんでした。」
同じ人物が、別の場所で、別の兄弟に言いました、「ブラナム兄弟は預言者で、物事を識別することができます。それにいろいろなことも・・・でも、彼の教えを聞いてはいけませんよ。それは間違っているからです。」

93. わたしは希望を置く
ほかでもない、イエスの義のことばの上に
・・・・・・
わたしの魂の周囲がみな、崩れ落ちるとき
そのとき、キリストはわたしのすべてとなり、希望となる

94. 聖霊に導かれる人がどうしてそんなことができるでしょう。聖霊に導かれる女性がどうしてそんなことができるでしょう。できないはずです。神は聖なるお方です。神のいのちを宿す人は、神と同じく聖なるものです。神のようになるのです。

95. 私は言いました、「それは神が承認された証拠に、ちっともなりませんよ。」そうです。昨年売春は30パーセント増えました。神が売春と共におられる証拠になりますか? こういう議論はよくないですね。話さないことにします。しかしとんでもない!神が支持されるのはみことばです。誰でも偽りのない人なら、神のことばを支持します。そうです。

97. 彼は彼らを叱責しました。それでも彼らは、相変わらず、神聖な祭司らは神聖な衣をまとって何かを振りまいていました。しかも、このようにもあのようにも手を動かしてはいけず、伝統に従ったやり方にこだわりました。イエスは、「あなたたちは悪魔である父から出たものであって、彼と同じことをしている。」と叱責しました。
それで彼らはイエスを捕え、有罪にし、木にかけました。彼らはイエスを殺したのです。そうです。しかし、神は彼をよみがえらせました。そうです!

99. 両者は、モハメッド教徒や仏教徒や無神論者や罪人や自己中心者などと一緒に、どうして歩調を合わせていけるでしょう。こんな状態のところに神が宿られると思いますか?
「でも、わたしたちは彼らと同盟を組むのです。西側の防衛力を強化するために。」彼らは周辺の国と組んで防衛力を強化しました。しかし、あの預言者はこう言いました、「神はお前たちを滅ぼされる。お前たちが仕えているつもりになっているその神が、お前たちの愚かさの故にお前たちを滅ぼされるのだ。」この朝、彼がここにいたら同じことを言うことでしょう。

100. 「わたしたちの教会を見てください。わたしたちの偉大なる神聖ローマカトリック教会を。」
聖書は、大淫婦と呼んでいます。
「わたしたち長老は、プロテスタント教会をみな集めて結束させ・・・・世界教会協議会と呼ばれるようになりました。」
大淫婦のふしだらな娘。聖書はそう呼んでいます。聖書はまさしくそう言っているのに、教会はまとまらなければいけないと思い込んでいるのです。
友人のコリンズさん(アリゾナかカリフォルニアの兄弟)です、ね、エルマーわたしはこう尋ねました、「あなたは綺麗な小さなメソジスト教会に行っているんでしたよね。」
彼は答えて言いました、「ええそれが、その教会が教会協議会に加盟したので、もう離れました。」
「神の祝福がありますように!兄弟よ、あなたは天の国に近づいています。」
そうです!ドグマとは、人同士の交流や人の作った教義に頼り、神のことばから離れるとはなんということですか。今のわたしたちに必要なのは、このことばを頭から投げつける預言者です。本当にそうです。

101. 「でも、覚えておいてください。わたしたちが保有しているのは・・・」
新聞に載ったすごい記事が手元にあります。誰かがアリゾナから送ってくれました。それによると、某長老がこう語ったそうです、「教皇ヨハネ12世(あるいはそんなような名の。)は、素晴らしい人物です。彼は、カトリックとプロテスタントをまとめて教会の統合を提唱した、またとない人です。わたしたちの時代には実現しないかもしれませんが、15年、20年後にはそうなることでしょう。」
これを読んでわたしは思いました、「まあ、この人はどこかの長老でありながら、預言をしている。しかも、自分が語っていることがわかっていない。」

102. わたしは言いました、「そのとおりです。」これは主のことばですから、必ず実現します。そうならなければいけないのです。確かなことです。
「この聖なる長老は、それ以外のもっと大切なことを知るべきだと思いませんか?」
いいえ、彼が神のことばを否定して、そんなことを追求しているのなら、無理なことです。どれほど多くの教皇や預言者や仲間の聖職者が支持していても、そんなことは構いません。彼らがみことばから逸脱しているのなら、そのまま逸脱し続けるのです。

106. どうして神が国連と共におられるでしょう。両者が合意なしに共に歩くことができないと言われているのに。さて、ここにチャーチ・オブ・クライストと言う団体があって、ペンテコステと合流しました。ペンテコステは、異言を信じ、異言を語ることが聖霊を受けたしるしだと信じています。他にも彼らはあれもこれも信じていて、しるしと不思議も信じています。一方、チャーチ・オブ・クライストはそういうことを愚弄して言います、「なんと無知蒙昧な人たちだろう。そういうことは過去の出来事なのだ。」両者が合意なしに、どうして共に歩くことができるでしょう。なのに彼らは合流してるのです。合流して何をしようというのでしょう。お互いに安全を確保しあっているのです。そんなことからは離れなさい!わたしの安全はキリストとキリストのことばのうちにあります。神のことばは神ご自身だからです。

108. こんな質問が出るかもしれませんね。「アモスはどのようにしてこれから彼らに起こることを知り得たのか?」良さそうに思えますよね。でも見てください。よく聞いて。テープに録音されて世界中に広まることですから。
見て!イスラエルでは、神学校がかつてないほど充実していました。誰も彼らを邪魔しませんでした。彼らには独自の宗教があり、誰も「イェホヴァの神を礼拝してはいけない。」などど言いませんでした。
むしろ異教徒の国々から、「どうぞ礼拝しなさい。お互いに協定を結んでいるのですから。」と声をかけられました。
あの預言者は、その事象の背後を見通していたのです。現代の預言者も、それを見通しています。「どうぞ、そうしなさい。」

111. いいえ、あなたたちは、神のことばから逸脱しています。
「ブラナム兄弟、あなたは神がこれらを滅ぼすというのですか?」
そのとおり。ひとつ残らず滅ぼされます。
「どうしてそんなことがわかるのですか?」
アモスよ、どうしてわかったのですか? 医者のように、診断したからです。医者は患者の病気を見つけると、どう処置したらよいかわかります。彼は患者の病気と進行具合とこれからどのようになっていくのか、わかります。まことの預言者も同じです。あなたたちが何をしようがそんなことは関係なく、預言者は罪が進行しているのを見るのです。癌が進行しています。ペンテコステを始め、すべての教団に癌が進行しています。元に戻ることはできません。癌の末期です。彼らは滅びることになります。

112. 医者と同じく、彼にも疾患が判断できます。どのような症状があるのかわかります。この国を見なさい。「ペンテコステは終わったのか?」彼らは、女性の短い髪を非難する説教者を、自分たちの教会に入れようとしません。しかし、聖書がそれを非難しています。彼らは恐れているのです。説教者が何を言い出すのかと・・・・

113. ボーダーさんはきちんとした紳士ですから、(みなさんも、ボーダー兄弟を知っていますよね)こう言いました、「失礼ですが、ブラナム兄弟は、キャンペーン先では説教をしません。彼は病気の人の祈りを率先します。今度のキャンペーンでもそうします。」
「わたしたちが尋ねているのは、そういうことではありません。」長老の一人が言いました、「彼はイエス・キリストの名によって、洗礼を授けるのですか?」(彼らもテープを持っていますから、知っています。)
「ええ、自分の教会ではそのようにします。彼は自分の教会でしか洗礼を授けません。」
「それです!それが知りたかったことです。彼を受け入れることはできません。そのような異端者を、わたしたちの教会の人達と一緒にさせるわけにはいきません。」
先日、親友のエド・ドールトンが、バプテスト教会から手紙を受け取りました。それには、「我々はあなたをバプテストの親交から除外します。理由は、イエスの名によって洗礼を授ける異端のグループにあなたが属するようになったからです。」と、ありました。
わたしはパウロと立場を同じにしたいです。「この世が異端と呼ぶ、そのような方法でわたしは神を礼拝します。それが神のことばだからです。」そうです!

114. 医者は患者の症状を見て診断します。そうですね? 症状を診て、どこが悪いのか診断します。どのくらい病気が進んでいるのか判断して言います、「もう処置を施すことはできません。」まことの預言者は、みことばによって診断し、治すための薬を投与します。すると人々は、彼の顔にその薬を投げ返します。それからどうなると思いますか?滅亡です。それで終わりです。快楽を愛し、この世に調子を合わせたいわゆる偽善者の群れよ!しかし、これがまことの預言者のあり方なのです。何とも素晴らしい!

115. 「なぜ?」
「お前たちがわたしの戒めを守らなかったからだ。」でも彼らは守っているつもりだったのです。先ほど読みましたね。2章の4節です。「わたしは地上のすべての部族の中から、あなたがただけを選び出した。それなのに、あなたがたはわたしの戒めを捨てた。」

117. ミカは預言者ですから、幻を見ました。「どんなことばが臨むだろうか。」彼は祈りました、「ああ、神なる主よ、わたしはどうしたらよいでしょう。わたしの前に立っている説教者たちに対して、何を語ればいいでしょう。ここには国じゅうの組織が集結しています。そしてわたしに反対しています。主よ、王の前に立たされているわたしは、何を話せばよいのでしょう。」そして幻の中に入っていき、言いました、「さあ、登って行きなさい。」「しかし、わたしには、イスラエルが羊飼いのいない羊のように散らされているのが見える。」

118. 神が言われたことをご存知でしょう? 神は悪魔を送って、彼ら預言者を惑わすようにさせたのです。もとから彼らは、みことばに従っていませんでしたから。もしみことばを信じないなら、神は強烈な妄想を送って嘘を信じ込むようにさせ、それによって罰すると、聖書に書いてあります。まさにこのことが、この国の組織や人々に及んでいるのです。嘘を信じて、それによって神の罰を招いています。「救われるための名前は、天にも地にも、これ以外にないからです。」さあ、覚悟しなさい。組織や、その他諸々よ・・・

119. しかし、ミカは言いました、「それは理にかなっているようですね。」
でもそれはそれです。推論はしたくありません。神が言われたことばを信じたいです。推論してはいけません。

120. 「知っているかい? ブラナム兄弟はただの偽善者なんだよ。」と、悪魔が言ったなら、
「ちょっと待って、それでは彼が教えていることが正しいか、聖書で調べてみよう。」と言うのです。
「だめ、そんなことをしたら・・・」悪魔は調べさせたりはしないでしょう。そしてわたしの悪口を言います。(まあ言われて当然かもしれませんが。)するとあなたはそれを真に受けて、推論し始めるのです。「言われてみれば、彼はこうするべきではなかったり、ああするべきではなかったかもしれない。」

121. さて、わたしたちは、イエスが地上に生まれたことがあるという事実を忘れようとしています。ここに赤ちゃんがいます。彼は国中から、婚外子であると証明された子どもです。彼の母親は、父親と結婚する前に身ごもっていました。そのことは立証されています。さて、彼らは聖書を調べたりせず、みことばには「処女が身ごもる」とありますが、ただ巷で聞いたことを信じました。それで婚外子とレッテルを貼りました。彼らはイエスに向かって、「あなたは罪の中で生まれた者なのに、私たちに教えようとするのか。」と言いませんでしたか?

122. 「あなたはどこの教会に属しているのですか? あなたの父親は誰ですか? ヨセフはあなたの父親ではないのですか?」
「ヨセフはわたしの父ではありません。」
「それなら、誰があなたの父親なのですか?」
「わたしの父は神です。」
「なんということを、あなたは狂っている!」まさにそう言うことでしょう。「あなたは人間なのに、神が父親だと言うのですか!」
もし彼らがみことばを調べていたのであれば・・・ハレルヤ!聖書には、みことばが人となられたとありませんか?しかし彼らは、自分たちのビジョンをみことばに照らし合わせてみることをしませんでした。
それです。現代の問題はそれです。自分のビジョンを・・・自分の預言を、自分の教義を、神のことばに照らし合わせてみません。誰かが真理を語ろうとすると、それを払い落とします。アモスがしたように、あなたも同じことをするでしょう。

123. もしここにいる女性が・・・そうです、みことばを読んで自分の短い髪を改めたらどうですか。みことばはなんと言っていますか? どうしてそうしないのですか?
父と子と聖霊の洗礼を改めたらどうですか。それは三位一体と呼ばれる嘘で、そんなものはこの世に存在せず、本当はおひとりの神の三つの役目、神の三つの称号というのが正しいのです。父は名前ではありません。父、子、聖霊などという名前は存在しません。父、子、聖霊の名前は、主イエス・キリストです。聖書ではどのように洗礼を授けていたか調べて、あなたたちの洗礼を改めなさい。
もしあなたの考えをみことばに照らし合わせるなら、立ち返って、主イエス・キリストの名によって洗礼を授けることになるでしょう。そうするように言ったのは、パウロです。彼はこうも言いました。もし誰かがこれと違ったことを教えるなら、その者は呪われるがいい。それが天使であっても・・・

124. マルチンは彼を見ましたが、何かがおかしいと感じました。
「マルチン、わたしが誰だかわからないのですか? わたしはあなたの主、救い主ですよ。わたしを礼拝しなさい。」
彼は3回こう言い、マルチンはよく見ました。キリストが来られるとき、彼の民が冠を授けることになっています。キリストは黄金の履物など履きません。それで彼は「サタンよ、引き下がれ!」と言いました。ああ、ペンテコステなら信じてしまったのではないでしょうか? まばゆい光の天使ですから。

125. わたしは言いました、「もし主の御使いが、これに反したことを言うなら、それは主の御使いではありません。」
もし御使いであっても、このみことばと違うことを言うのなら、それは嘘です。もし人が、神から遣わされたと言って、父と子と聖霊の名の洗礼が正しいと教えるなら、その人は嘘つきです。もし人が、髪を短くカットしたりするのは構わないと教えたり、教会では覆いとして帽子をかぶらなければならないと教えたりしたら、その人は嘘つきです。神のことばは真実です。みことばに反することはなんでも嘘です。真理はみことばであって、それだけが不変なのです。

126. ああ、もしアモスがここにいたら、彼はみことばにとどまるでしょう。そうです。でも現代の問題は当時の彼らのものと同じなのです。(もうすぐおしまいにします。)わたしたちが抱えている問題は、彼らが抱えていた問題と似ています。彼らは土台から外れたことを教えていました。だからイエスがこう言われたのです、「あなたがたは、自分たちの伝統を重視して神のことばを無意味なものにしている。」
そして、洗礼の嘘、聖霊を受けたしるしの嘘・・・・「手を振ること」がしるしだと言う者がいれば、
「異言をかたること」がしるしだと言う者もいます。
わたしは悪魔が異言を語り、握手をするのを見ました。そんなのはしるしではありません。さて、見てください。このようなことは・・・・あなたたちはこんな伝統を教えて、神のことばから離れているのです。そうです。

127. さて、何から外れたことを教えたのでしょう? 聖霊降臨の父たちが伝えてくれた信仰の基礎です。そう、それは聖書です。煉獄という嘘を教え、嘘の洗礼を教え、嘘、嘘、嘘、原典から離れたことを教えています。そんなことを信じてはいけません。聖書に戻って、煉獄や父、子、聖霊や水のふりかけやそういう類のことが聖書的なことか調べなさい。それが正しい道です。その類のことが基礎に乗っかっているか自分で調べなさい。

128. 間もなく終わりますから最後まで聞いてください。霊的な補聴器をつけてください。さあ、聞いて。わたしたちはみことばの土台から教団の土台に乗り替わったのです。このことをどれだけ長く話せばいいのでしょう。あと3時間ですか? みことばの土台から外れて、この世的快楽、世俗主義、不品行が教会に入り込みました。みことばから外れて信条に乗り替わったからです。このことを説教するには、3週間かけてやっと半分終わることでしょう。今は四つのことの解説をしているところです。みことばから外れて教団に乗り替わってしまいました。教団とみことば・・・教会が教団となった途端、みことばから外れるのです。

129. 楽しみの教団。土台を娯楽や世俗や信条に移して得る結果は、道徳的退廃、霊的堕落です。

130. 友よ、ちょっと見てください。ここにいる人たちの中でどれだけの人が現代の教会に道徳的退廃を見ていますか? そう、わたしたちにはわかっているのです。それなのにどうしたと言うのでしょう。みことばから逸脱しているのです。

131. 教会が、ヤブロアムのような人物を選んだのです。現代のわたしたちも、同じようなことをしていないでしょうか? 良い政府であるとして、岩の上に家を建てようと政府が望んだとしても、人民が砂の上に家を建てることを望んだら、そうせざるを得ません。そうではないですか? だから、「わたしたちの政府は、」と責任をなすりつけてはいけません。あなたが、国が、人民が原因を作り出しているのです。

132. わたしは言いました、「それでも説教しなさい。」
そうです!神のことばですから、そうする義務があります。もし神の預言者なら、みことばにとどまります。そうでないなら、自分の教団にとどまります。帰属しているところによって結果が違ってきます。
見なさい!無理な話なのです。人民が砂の上に快楽の家を建てたがっているなら、政府は岩の上に家を建てることができないのです。

133. テレビ番組を見てください。それがわたしたちの求めているものです。コメディアンにあらゆる下品なジョークを言わせて楽しんでいます。それが見たいから水曜の夜は祈りの集会に行かないで家にいる、あるいは、その番組が見れるように、牧師が早く集会を切り上げる。下品でけがらわしい、5回も6回も結婚した娼婦が、セクシーな服を着て下品なジョークをとばし、そんなことを楽しんでいる番組を、あなたたちは、神の家よりも好きなのです。あなたたちのうちに、どんな霊が働いているのかわかります。

134. ラジオ番組はどうでしょう。なんとまあ、「ロック・オブ・エイジズ」をツイストの曲に変え、「丘に立てる荒削りの」をスイングできるように、ロックンロールに仕立てています。あの「丘に立てる荒削りの」の歌をです。ええ、確かにラジオもテレビもみんな・・・・。

135. ペンテコステは、下品で汚らわしい映画が上映されていてもそんなものは観に行かなかったものです。でも悪魔は、そうさせるために、家にテレビを置くようにさせたのです。
預言者の言葉は厳しいものです。でも真理にとどまりましょう。そうです。

136. リッキーやエルビスやその類の人たちに何かを言おうものなら、撃たれてしまうことでしょう。そして政府は、彼らはまだティーンエイジャーなのだからと彼らの肩を持つでしょう。「まあ、いいじゃないか。彼らにはわかっていないんだ。まだティーンエイジャーなのだから大目に見てあげなさい。」
まことの預言者の定義がわかりましたか? 彼のあり方が、見えて来ましたか?

140. 息子を戦場に送り出し、殺し、虐殺し、あらゆる悲惨な目に合わせるのは、わたしたち自身の行ないの結果なのです。聖書で神がそう言っておられます。神は変わらないお方です。常に同じです。人々自身の欲求がそうさせているのです。

141. 同じことが、わたしたちの政府と国民にも言えます。政府を非難してはいけません。責められるべきは、堕落した教会です。彼らがこのような政治家を政府に送り込んだのです。そう望んだからです。彼らが投票し、望んだとおりの選挙結果を得、神の裁きを招いたのです。彼ら蒔いたものを刈り取ることになるでしょう。彼らは今、種を蒔いていますが、やがてそれを刈り取ることになります。

142. そうしようとした人物がいました。シモンです。ペトロは彼に、「お前はその金といっしょに滅んでしまえ。」と言いました。わたしたちがしていることは、魔術師シモンと同じで、神の賜物を買おうとしているのです。
みことばに帰ってきなさい。神にたち返りなさい。キリストにたち返りなさい。そうすれば共産主義などにビクビクしなくて済みます。正しい人物に投票し、アブラハム・リンカーンやジョージ・ワシントンのような本物を大統領にするのです。今の政府を責めてはいけません。むしろ自分たちを責めなさい。アモスならこのように言うことでしょう。神のまことの預言者なら、神のことばを知っていたら、このように言うことでしょう。もし彼がまことの預言者なら、みことばを知っています。みことばは預言者に臨んだからです。

143. 同じことが起こっているのです。ローマにいいようにされています。なぜならわたしたちがそれを許しているからです。ローマはこの国の政権を握り、議席を確保し、人々の心を引きつけ、この国の教会も乗っ取ろうとしています。わたしたちは何をしていますか? 黙って座っています。そしてうなずいてこう言っているのです、「こういうやり方をしようが、ああいうやり方をしようが、大した違いはない。すべて神のことに変りはないのだから。」
預言者と称する愚かで惨めな堕落者よ、いったいどうしてしまったのですか!そういう人たちは神についての言葉を知りません。みことばを調べることもしません。自分たちで気づいていないのです。共産主義が世界を制覇するなどと言っていますが、そんなことはありません!ローマ主義が世界を制覇するのです!しかもそれをキリスト教の名に隠れて行なっています。聖書は、イエスは言いませんでしたか? 反キリストは非常に似通っていて、できれば選ばれた者をも騙そうとすると。

145. いいえ、あなたは出て行かないでしょう。すでに一部になってしまっているからです。すでに刻印を受けています。刻印がはっきりあなたにつけられています。
エサウは、現実を知って激しく泣きました。彼はやり直す方法を探り、見つけることができなくて、激しく泣いたのです。そうなったら、そこにとどまるしかないでしょう。今こそ逃げ出す時です。

146. 「ええ、わたしたちは聖霊をうけていますよ。」と、彼らは言うでしょう。
それならなぜ、まだ髪を短く切るのですか? なぜ今でも父と子と聖霊の名によって洗礼を授けているのですか? そのほかのことについても、どうして慣行を改めようとしないのですか? あなたの行ないがそれを証明しています。イエスは言われました、「その実によって、その人を知ることができる。」だから、あなたたちは何もわかっていないことを話しているのだと言うことが、わかります。そうですね。

147. さて、おしまいにする前に聖書を一節読みます。3章8節です。
獅子がほえる。だれが恐れないだろう。神である主が語られる。だれが預言しないでいられよう。
聞いてください!もうおしまいにします。これだけは言いたいのです。30分も遅くなってしまって申し訳ないと思います。でもこれだけは言いたいのです。わたしは狩をします。神がこのような好みを与えてくださったことを感謝します。先日銃が暴発したとき、わたしはすぐさま、もう撃つことができなくなるのではないかと考えました。わたしは銃を撃つことの恐れにとらわれたくありません。道路を走っていて衝突したとしても、運転免許を返上したりはしないでしょう。床のカーペットに足を引っ掛けて、窓から落ちたとしても、怖くて歩けなくなるなんてことはないでしょう。神ははっきりと教えてくださいました。あれはサタンの仕業で、神のせいではありません。あれはサタンだったのです。

149. アフリカのジャングルの中で狩をしたことがあります。ライオンがいる場所でキャンプしました。ライオンは百獣の王です。夜、ジャングルに横たわって、ギャーギャー鳴 く声を聞きました。ハイエナは笑ったり唸ったりし、いろいろな動物の声を聞きました。ハイエナが叫ぶ声には血が凍る思いがしました。ひょうが唸り、甲虫や猿やひひや、やおろずのものが、キーキー、ガーガーと鳴いていました。どこに行ってもあらゆるものが鳴いているのが聞こえました。でもライオンがひと声ほえたとき、甲虫でさえ、静まりました。あたりを死の静けさが支配したのです。皆しいーんと静まりかえりました。なぜなら、彼らの王が、ことばを発したからです。アーメン。

150. そして神が語られたのなら、預言者は叫びます。そして御国に属する者は、何が語られたかよく聞くのです。神は語っておられます。神が語られたなら、御国のあらゆるいきものは、語られたことを聞きなさい。祈りましょう。

151. ほえたけってください、ユダの獅子よ。あなたの預言者らを叫ばせてください!神が語られたなら、どうして預言せずにいられよう。これは聖書から出た神のことばです。預言者をとおして御業を働いてください。どうして預言者が黙っていられるでしょう。もし黙っていたら、粉々に吹っ飛んでしまうことでしょう。

152. 神よ、このテープのメッセージを、そして今朝ここにいる聴衆を、あなたに委ねます。あなたが承認してくださることを信じています。そしてこのテープを聞く、あるいはこの声を聞くあらゆる神の息子娘たちの心に届き、彼らが手遅れになる前に悔い改めることができますように。
主よ、わたしは信じていますが、もしあなたがアモスをここに遣わされたら、彼は同じことを叫ぶことでしょう。主の預言者であるなら、みことばを伝える者だからです。彼はみことばを伝えました。みことばと共にいるなら、彼がみことばです。主よ、イエス・キリストの何よって、祈りをかなえてください。アーメン。