1. みなさん、おはようございます。この復活祭の朝に、この会堂で礼拝し、わたしたちの救い主イエス・キリストの復活を祝うことができて嬉しく思います。
3. そういうわけで、次回この会堂に戻ってくるまでには、しばらくかかるでしょう。少なくとも、8月か、秋頃になると思います。
みなさんが協力してくださっていることを感謝します。今朝、この会堂にじゅうぶんな席が確保できないことを心苦しく思います。現在は、もっと広い教会の建物を建てる計画の最中ですが、多分まもなくその実施が決まり、建物の建設に取りかかるでしょう。
4. 来る人来る人が、こう言います・・・「ブラナム兄弟に会わせてください。」「あなたのお父さんに会いたいです。」こういった声に対応するのは緊張を強いられます。
それでこう言います、「席がもういっぱいです。」
これがどれほど困惑する状況か想像できないと思います。どんなに多くの人に接しても、できることはこれだけなのですから。
わたしとしても、できれば一人ひとりと座ってじっくり話をしたいです。いつかはそうしたいと願います。でも地上にいる間は無理でしょう。世界中から人が訪ねて来るのですから。今週も海外5~6カ国からの訪問を受け、インタビューを受け、今週世界中の国々からの祈りのリクエストを祈りました。
5. 世界中から、病人の祈りのために、こちらに来てとか、そちらに行ってとか、飛行機のチケットを送ったとか、手配を整えたとか、依頼の電話がかかって来ます。でもひとりの人間にそんなことできないのです。
7. わたしが神経症にかかっているのも無理ないと思うことでしょう。神経症になる材料がじゅうぶん揃っていますから。でもわたしはずっとひとつのことを守って来ました。それは、ものごとに囚われて複雑になる代わりに、カルバリだけを見つめて進んでいくことです。それがだけが、イエスがわたしに望んでおられることです。
わたしは多くの間違いを犯して来ました。神がそれらを許してくださいますよう祈ります。多分行くべき場所に行かなかったことがあるでしょう。わたしは人間ですから間違いを犯します。
8. 誰かも言っていました、「主に会うのは、あなたに会うのよりやさしいから感謝です。」
9. だからわたしはみんなと会えることを願っています。わたしはみんなを愛します。(本当です。)それが友人であろうと敵であろうと、変わりません。
10. アラスカのハイウェイで、狩りの相棒になってくれた宣教の友人は、とてもいい若者で、奥さんとともに素敵な家を離れて宣教活動しています。彼の腕や耳の後ろやあちこちが赤く剝けていて、湿疹だろうかと心配しましたが、それはノミやナンキン虫に喰われたあとでした。どのような生活をしているのか察しました。人々をキリストに勝ちとるためには、その人々と同じ暮らしをしなければなりません。彼らは、キリストが受けとる財産です。キリストは、死の代価を支払って、彼らをご自分のものとされました。だから誰かがインディアンのところに行かなければいけないのです。
11. それで、チーフがそこの海岸辺りを燃え立たせたので、今回わたしたちは、小さなボートに乗って、疎外されているクリー・インディアンの住んでいる海岸沿いの場所をあちこち回って集会を開くことにしています。大きな宣教活動をしている兄弟たちは、彼らのところに行くことができないからです。
14. わたしたちの主がほめたたえられ、祝福されることを心から祈ります。みなさん、わたしのために祈ってくださいませんか。どうぞお願いします。わたしはみなさんの祈りを必要とします。ここに居るあいだはいいのですが、ここから外に出て、実際の戦場に行かなければなりませんので、・・・これは訓練です。
17. 戦いが進行する、おお、キリストの兵士よ、
断固として敵に向かえ
武器がきらめき、軍旗がひらめく
この日、正と悪が交戦した
(そのとおり)
戦いが進行する、弱ってはいけない
強くあれ、神の力によってしっかり立て
神が味方なら、神の旗印は我らが頭上に
最後に勝利を歌うのは我らだ!
18. 今朝、話したいことがたくさんありますが、これほど多くの人たちが、詰め掛けてくれているので、できるだけ短くしようと思います。建物の中に入りきれない人たちのためには屋外スピーカーが用意されていて、車の中で聞いている人には専用のラジオ放送が用意されていますが・・・。この朝、ここに訪れてくださったみなさんに感謝します。
21. わたしの目の前に幻が現れて、その赤ちゃんの名前などが示されました。その母親は祈りのカードを入手できなかったので、列に並ぶことができず、ずうっと後ろの方にいました。でも並ぶ必要はありませんでした。降りしきる雨の中、その母親は赤ちゃんを連れて来ました。
25. わたしは答えました、「もしその人たちが生きているなら、できます。」(こう言ったのは、カトリック教会では、死ななければ聖人になれないからです。)
彼は言いました、「でも死ななければ聖人になれないのですよ。」
わたしは言いました、「パウロは死ぬ前に聖人だったのですか?死んだ後ですか? 彼が手紙を書いた相手は死んだ人たちでしたか? 手紙で彼は、『エペソにいる聖徒たちへ』『どこどこにいる聖徒たちへ』と書いています。もちろん、パウロは死人宛に手紙を書かなかったですよね。」
26. 私「そうです。いいでしょう。」
彼「わたしたちが教会です。」
私「では、教会がそれと同じことをするか見せていただきましょう。」本当は、それができるのは、キリストだけなのですよね。
彼「あなたはカトリック教会のことをどう思っていますか?」
私「その質問をしてほしくはなかったです。」
彼「いいえ、ぜひ聞かせてもらいたいです。」
私「心霊主義の最高峰です。」
彼「心霊主義ですって?」
私「そのとおりです。」
彼「いったいどういうことですか?」
私「あなたたちは聖徒の交わりと言っていますが、それは死者を介してとりなしをすることだからです。」
彼「あなただってキリストに祈るではありませんか。彼は死にました。」
私「でもキリストはよみがえりました。」キリストはよみがえりました。わたしたちがそれを知っているのは素晴らしいことです。キリストはよみがえりました。ありがたいと思いませんか? 頭を下げて、彼に感謝しましょう。わたしたちを義とするために、キリストは墓からよみがえってくださいました。
27. 神よ、聖霊の力によって、わたしたちの心が主イエスキリストを受け入れることができますように。そして主イエスキリストの大使となり、地上における主イエスキリストの僕の模範となって、この地に逗留しますように。願いを聞き入れてください。
28. 全能全知全ての所におられる方よ、よみがえりの力によって、聖霊がわたしたち一人ひとりのうちに臨み、わたしたちの望みが、ほかならぬ義なるイエスの血の上にのみ打ち立てられますように。父よ、願いをかなえてください。
29. どうぞ主よ、絶えることなくこれからも兄弟に油を注いでください。そしてこの小さな教会を祝福してください。そして主よ、メッセージを届けに遠出するわたしを助けてください。イエスが王国に招んでくださる時まで、わたしたちがひとりのひと、ひとつの家族のように寄り添って、祈りあって、聖霊による聖なる一致のうちに暮らすことができますように。キリストの御名によって、その栄光のために祈ります。アーメン。
30. もちろんいいですよ、兄弟。
(ネヴィル兄弟:「わたしたちからの感謝のしるしとして、仲間の若者が描いた作品をあなたに贈ります。ブラナム兄弟、わたしたちからの愛と感謝の気持ちです。」)
ありがとう、ネヴィル兄弟、教会のみなさん。
(ネヴィル兄弟:「この絵を描いた若者はジェリー・ステフィーです。」)
ジェリー・ステフィー兄弟がこの絵を描いたのですか。神の祝福がありますように。とても素敵です。ジェリー。
申し訳ない。この青年がアーティストの学校にいける手立てがあればいいのですが。神は芸術の中に生きておられるとわたしは信じます。そう信じませんか? 神は音楽の中におられます。神は絵画の中におられます。そして神はこの作品の中におられます。こんなに素晴らしい賜物があるのですから、それを伸ばさないのはもったいないことです。もっとたくさん描けばもっと伸びていくでしょう。ジェリー、神があなたを祝福してくださるよう祈ります。
そして、ネヴィル兄弟と教会のみなさん、この素敵な絵画とその下に書かれている句をありがとう。あとで読みます。
(ネヴィル兄弟:「わたしが読みましょうか?」
ええ、ネヴィル兄弟が読んでくれるそうです。わたしには・・・どんな内容か検討が・・・
(ネヴィル兄弟がその句を読み上げる。
彼は背丈の高い人ではない
高慢な態度はとらない;
彼は自分のことを吹聴しない
日々の暮らしの中で。
富や名声を求めないが、
誰も彼のようにはなれない;
彼はただわたしたちが望むように、
私たちの兄弟、ビル兄弟。
彼は忠実に教える
ありのままのことばで、
飾り気がなく、称賛を好まない
ただ主に従うのみ
彼の物言いは優しく穏やか
彼は声を上げない
悪に対して以外は、
それが使命だから。
決して学問を積んでいない
大学も学校も;
でも彼は何が大切か知っている
彼は決して騙されない。
なぜなら彼が受けた知識は
天からの永遠のものだから;
彼は教義を知らない、キリストからの教え以外は
律法ではなく至上の愛を知っている。
立派な告知はなかった
彼の粗末でつつましい誕生のときに、
でもわたしたちにとって彼は偉大なひと
地上に生きているひとたちの中で。
わたしたちは特別な名誉だと思う
彼を友達として知っていることを、
わたしたちは彼の主張を大切にし
最後までそれを守りぬく。
彼は自分は説教師ではないと言う;
彼はことごとく控え目、
でもひとたび説教台に立てば
誰が見ても明らかになる;
彼はあらかじめ運命づけられていた預言者
人にはなんとでも呼ばせておこう
神は私たちの大きな願いをかなえてくださった
ビル兄弟をわたしたちに与えてくださったことによって。
署名:・・・小さな羊の群れ)
31. (ネヴィル兄弟:「彼のお母さんだと思います。」)
わたしはこの賛辞に値しない者です。でもわたしにとって、これは世界中のお金より尊いものです。誰かが、わたしを神の僕と見なしてくれているなんて。どうぞわたしがそのようにずっと忠実でいられますよう祈ります。主があなたを祝福してくださいますように。わたしの思いは、あなたとともにあり、あなたへの愛を表します。
32. ちょっとお話ししようと思っていたのですが、主から幻をいただきました。それに誰かが、主が来られる夢を見ました。(そこでわたしは、これは見過ごしてはいけないことだと思いました。)
33. それからすぐに彼女が戻ってきました。今度は何かを詰め込んだ大きなpocketブックを持ってきました。わたしが、「どこからそんなものを持ってきたんだい?」と尋ねると、
彼女は答えました、「パパ、わたしは足が大きいから、それに合わせて大きなポケットブックが合うのよ。」
まあまあ、そんな彼女ですが、2回夢を見たのです。彼女とわたしとで車に乗っていて、わたしが彼女に、主が現れるのが近いと話す夢です。2回目も同じ夢を見ました。だから3回目の夢を待っています。その時には主がその意味を教えてくださると思います。
34. みなさんご気分はよろしいですか? そう願いますが、もしそうでなかったら、この集会が終わるまでに元気になるように祈ります。この集会が終わったときには。わたしたちの中に、一人も弱っている人がいなくなっていることを願います。
さて、キリストは罪深い人のために死んでくださったことを忘れてはいけません。それはわたしたちのことです。キリストはわたしたちのために、わたしたちが救われるために死んでくださったのです。
37. さて、わたしたちは信じていることを口に出し、「聖書がこう言っている」と、聖書によってそれを証明します。それから神がそれが真実であることを、それを実現させてくださることで証明してくださいますように。
「これはヒマワリの種です。」と言ってから、その種を植え、ヒマワリが咲いたら、言ったことの正しさが証明されるのと同じです。
39. わたしはこれから、明確な召命のない集会を開くために遠出します。でも、世界が滅びていくのを黙って見ているわけにはいきません。パウロも一度そんな経験をしました。彼が他の国に行こうとしていたところ、途上でマケドニアに行けという呼び出しを受けました。今回も神がマケドニア呼び出しをされるかもしれません。そうしたら、計画を変更して神の呼び出しに応じます。
できる限りのことをするつもりです。こっちの角に種を蒔いて、あっちで少し蒔いて、そっちで少し蒔いてというふうにしていきます。その多くを空の鳥が食べてしまい、あるものは窒息してしまうことがわかっています。でも、少数でも良い土壌に落ちて芽を出すかもしれません。今回は種を蒔くことが大きな目的です。
40. 「ペトエルの子ヨエルに臨んだ主の言葉。
老人たちよ、これを聞け。すべてこの地に住む者よ、耳を傾けよ。あなたがたの世、またはあなたがたの先祖の世に、このような事があったか。
これをあなたがたの子たちに語り、子たちはまたその子たちに語り、その子たちはまたこれを後の代に語り伝えよ。
かみ食らういなごの残したものは、群がるいなごがこれを食い、群がるいなごの残したものは、とびいなごがこれを食い、とびいなごが残したものは、滅ぼすいなごがこれを食った。」
今度は2章25節を読みます。
「わたしがあなたがたに送った大軍、すなわち群がるいなご、とびいなご、滅ぼすいなご、かみ食らういなごの食った年をわたしはあなたがたに償う。あなたがたは、じゅうぶん食べて飽き、あなたがたに不思議なわざをされたあなたがたの神、主のみなをほめたたえる。わが民は、永遠にはずかしめられることがない。
41. 「神はまた夢で彼に言われた、「そうです、あなたが清い心をもってこのことをしたのを知っていたから、わたしもあなたを守って、わたしに対して罪を犯させず、彼女にふれることを許さなかったのです。
いま彼の妻を返しなさい。彼は預言者ですから、あなたのために祈って、命を保たせるでしょう。もし返さないなら、あなたも身内の者もみな必ず死ぬと知らなければなりません。」
さて、読んだ聖句から、このテキストの題を『回復』にしたいと思います。
42. さてその後、急いで家に帰って辞書をひき、聖書解説を調べました。そしてコピーしたりしました。それからウェブスターの辞書を引いて取り戻すの意味を調べました。回復とは元の持ち主に戻すことです。あるいは、元の状態に戻すことです。だから今、わたしたちは回復を要求できるのです。
さて、ウェブスターによれば、回復するとは、元の持ち主に戻すこと、元の状態に戻すことです。もし何かを取り戻す請求が上がれば、それを実行することができます。元の持ち主や状態に戻すことができるのです。神がこの乏しい言葉を祝福してくださいますように。
44. ああなんというテキストでしょう。このテーマで2日も話したいくらいです。法的執行。ネヴィル兄弟が説教してくれた内容をわたしが日曜学校の教えとして話そうとしています。だからわたしの話は彼の説教を続期であることを望みます。
45. するとサタンは従わなければなりません。なぜなら、神から仲立ちとして遣わされた聖霊が、私たちの膝元に降って「これは主が言われることである。」と言われるからです。だからサタンは従わざるを得ないのです。聖霊がおられて、それを実行されるからです。
47. 彼は途方に暮れて警察に相談しました。しかしルイビルには大きな密売組織があるのです。盗んだ車の色を塗り替えるのです。ここでは車の売買の際に権利書など必要ないので、好きなナンバープレートに付け替えれば、その場で車の所有者になることができます。
49. さて、ここに法があります。ここではその法の執行者は聖霊です。聖霊を信じず、拒否する人たちはどうなることでしょう。そういう人たちは自身のための平和とあわれみを拒否しているのです。
50. それで、その場所に行ってみると、道路脇に兄弟の車が乗り捨ててあって、ガソリンが(盗まれる前は満タンだったのですが)半分に減っていました。ちょうどボーリンググリーンまでの半分の距離とそこからここまで戻ってくる距離を走った分が減っていました。その場に居合わせた人たちがここにいます。彼らがその証人です。
何が起こったのでしょう? 法には強制力があります。「返しなさい!」それで解決です。これが、今日話している、『回復すること、元の持ち主に戻すこと』です。
51. もしサタンから病気の苦しみを受けているのなら、神の前で、神の法の執行を求める権利があります。その法とはこのことです、「イエスが打たれた傷によって、わたしたちは癒された。」アーメン。彼を戻しなさい。手を離しなさい。お前は彼を死に追いやったが、わたしたちは彼の返還を要求する。彼を戻しなさい。
もう一度元の状態に戻すこと、これが法の執行です。男も女も子どもも病気にかかっていますが、それは自然の状態ではありません。だからわたしたちの要求を実行する権利があります。厳密に言えば、それはわたしたちの要求ではなく、神がわたしたちに与えてくださった要求です。だからそれをわたしたちの要求としているのです。「イエスが打たれた傷により、わたしたちは癒された。彼はわたしたちの罪のために傷を負い、その打たれた傷によって、わたしたちは癒されました。」
わたしたちには法を執行する権利があります。その法律制定者は神であり、神なる聖霊がここに神の仲介としていてくださり、執行してくださるのです。アーメン。
聖霊が働くためには、あなたが神にお願いしなければなりません。そして信じなければなりません。
52. 魚の法則があります。魚の中に法則があって、水の中で生きることができます。その法則にのっとって、魚はまっすぐに海の底に潜ることができます。そうすることで害が及ぶことはありません。平気です。
あなたがそうしようとしても無理です。魚の法則はあなたの中にはありません。それは魚に適用される法則です。魚は空気を収縮させることによって、張り裂けることを防いでいます。魚はそのように造られているので、魚の法則にのっとって、海の底に降下し、そこから上がってくることができます。
56. もし鳥が、「どれだけ早く走れるか試してみよう。もしかしたら飛べるかも。」と言ったらどうでしょう。飛べはしません。落っこちてしまいます。鳥の法則がどのように働いているか、知らなければなりません。
58. このようにするのです。サタンよ、去れ!そうすればあらゆる疑心があなたの心から逃げていきます。すると神があなたを立ち上がらせてくださいます。
59. どうやって? 判決が下り、要求できるようになりました。だから、花はもう一度咲く権利を要求します。神による自然の法則が、大地全体を動かします。自然に作用する神の法則が、復活祭を引きだします。よみがえりです。なんと美しい! 太陽が戻ってきて、冬が大地から絶やしたものを復活させます。
60. 地球が太陽から遠ざかったとき、死が地球を襲います。それが冬です。冬はあらゆるものを枯らします。地球が太陽を避けて回っていると、大地に横たわる種が凍り、果肉がなくなり、みんな絶えてしまいますが、命だけは残ります。
でも太陽が地球に近づいてくると、復活祭がやってきて、回復が始まります。花は咲き、全てが回復します。冬が絶やしたものを太陽が復活させます。そうです。
61. 神は花を、葉を、自然を、大地の種を回復します。それで、神がご自分の住まいも回復するつもりであられることを、わたしたちは知ることができます。神はエデンを回復させ、死が奪ったすべてを元に戻されます。そうです。
それでも元に戻らないものがあるとすれば、それは間違った場所にいるからです。正しい場所にいれば、命を吹き返すはずです。ですから神よ、元のあるべき姿に戻るために、わたしたちが正しいところにいるようにさせてください。
62. 何をするのですか? 太陽が来るというのは、神の法です。神は地球に法則を送りました。重力の法則です。自然界のすべては神の法則によって営まれています。花の生涯が終わり、種ができて土壌の中で朽ち、それから復活します。
種は死んで横たわっていますが、わたしたちには何もできません。ここにある光を点灯したとしても何の役にも立ちません。わたしたちにできることではないのです。でも神の法則があります。太陽があたると種からいのちが生まれるという法則です。もはや死には拘束する力はありません。
63. 神はすべての法則を動かしておられます。考えてもみてください。このことを心に留めておいてくださいね。もう直ぐしたら癒しの礼拝が始まりますから。神はすべての法則を動かしておられます。ということは、すべての法則が神のことばによって作用しているのです。(理解できますか?)神のことばです。神の法則は神のことばによって作用するのです。神は太陽に命じ、月に命じ、地球に命じ、自然界に命じられます。すべてが一致しています。すべての法則は神が仰せになったことばと調和しています。わたしたちのうちにあるいのちの法則も、わたしたちに復活をもたらします。そうなることになっています。そうならないことなどあり得ません。
65. わたしたちがどんなに弱くても、乏しくても、汚れていても、罪深くても、重病でも、悩んでいても、そんなことに関係なく、みことばに基づいて、「それを返しなさい。」と言うなら、相手は従わなければならないのです。これは神の霊の法則がそうさせるのです。アーメン!
ちょっとのあいだ、このことをよく考えてみてください。状態がどうであれ関係なく、強制力を伴って要求できるのです。状態がどうであれというのは、神の法則により、みことばが状態をみことばに合わせてくださるからです。そうなるべきなのです。
ここに花が枯れて横たわっているとします。種が朽ちています。果肉も無くなりました。でもそんな状態に関係なく、花はまた芽を出すのです。なぜなら神がそう定められたからです。
66. それにマタイ27章によると、イエスの死と埋葬と復活の後、多くの聖人が地の眠りから醒め、塵の中から起き上がったと記しています。なぜですか? あの預言者が、神のことばを口にしたからです。みことばが発せられたので、神の法則が、霊によって彼らを生き返らせたのです。聖書によれば、彼らは町に入って、多くの人の前に現れました。イエスがよみがえられただけではなく、聖人たちもイエスとともに生き返ったのです。
67. イエスが、死と地獄と墓と病気に打ち勝って3日目によみがえられたとき、囚われていたものたちを引き連れて天の高みに昇られました。囚われていたものとは? わたしたちに今与えられている約束を、ずっと待ち望んでいた人たちです。彼らは聖霊を受けていませんでしたが、信じて証しました。彼らは信じてライオンの口を閉じ、猛火を消し、剣の刃を逃れ、女たちは死んだものを生き返らせてもらいました。その約束がまだなかったにも関わらずです。でも彼らはそれを待ち望んでいました。羊の生贄では罪を覆うことはできても、取り除くことはできません。でも彼らはそのお方が来られることを信じていたのです。信仰によって、暗がりの彼方にそれを見て、願い求めました。彼らは固く決意して、砂漠をさまよい、羊やヤギの皮をまとい、苦しめられ、困窮し、困り果てました。これらの人々は、よみがえることを待ち望んで、証しながら死にました。そしてあの復活の朝、(神の法則が、ヨブたち預言者の口からみことばとして発せられたことにより、)彼らは、死からよみがえったのです!何と素晴らしい!
70. さて、法廷で判決文が書かれるとします、「本件、〇〇により、被告人に懲役を処す。」法廷が下した判決文は、法の定めにより実行されます。神が仰せになると、それは法です。神の仰せのことばを、聖霊が実働します。(アーメン!)信じる者のためにです。そのためには、あなたが信者であると認められていなければなりません。信者のバッジをつけている必要があります。
誰かは「そんな力があるのですか?」と言います。
いいえ、力はありませんが、権威があります。何かをする力は持っていませんが、権威が与えられているのです。
71. それが教会です。人からは、ホーリーローラー(注:霊に満たされて、礼拝中に声を上げたり飛び回ったりする人に対する蔑称)と呼ばれているかもしれませんが、なんと言われようとも、権威を背負っています。権威がもの言うのです。状態に関わらず、神の法はみことばと共に実働します。教団の信条ではなく、みことばとともに実働するのです。言い換えれば、みことばによってしか実働しません。状態は関係ありません。
72. 王は何をしようとしていたのでしょう。危うくアブラハムは殺されるところでした。アブラハムは、このペリシテ人の王が彼を捉えるのを見た後で、言いました、「妻よ、お前は美しいので、もし彼がお前の美しさに気づいたなら、私は殺されるだろう。彼は私を殺してあなたを妻にするだろう。だから私のことを兄だと言っておくれ。」
74. 神が言われたことに気づきましたか?「そうだ。あなたが正しい心でこの事をしたのを、わたし自身よく知っていた。それでわたしも、あなたがわたしに罪を犯さないようにしたのだ。それゆえ、わたしは、あなたが彼女に触れることを許さなかったのだ。
今、あの人の妻を返していのちを得なさい。あの人は預言者であっって、あなたのために祈ってくれよう。しかし、あなたが返さなければ、あなたも、あなたに属するすべての者も、必ず死ぬことをわきまえなさい。」
そうです。何があっても神のことばが有効なのです。神の約束があるので、誰もサラに手を出すことができませんでした。
76. だから、神は自然の種の子のために、彼女を守りました。それなら霊の子の場合はなおさらです。神は、アブラハムの信仰を受け継ぐ、王の系列の子を守られます!
サタン、手を離して、彼らを返しなさい。お前には彼らを組織や何かに抑え込んでおくことはできない。彼らは自由の身なのだ。彼らを離しなさい。行かせなさい。彼らは王の系列の子孫なのだ。
77. しかし神はヨエルのこの箇所で、ご自分が植えられた果樹の話をしています。神は、聖霊降臨のときに、ある目的を持って果樹を植えられました。その果樹に、神のことばの実をつけるよう求めておられました。神のことばです。聖霊降臨で教会が誕生してから、今日まで、神は教会が神のことばを守ることを求めておられました。イヴは失敗しました。ユダヤ人も失敗しました。律法を守ることができなかったからです。みな失敗しました。だから神は、ご自分のために木を植えられたのです。
78. 誰もエデンの園にあるいのちの木に近づかないようケルビムが守っていました。いのちの木はエデンの園にあるのです。さて、これは霊的なことです。
さて、神が植えられた木のことですが、それは9種類の実をつけることになっていました。つまり9つの霊の実です。9つの霊の実は9つの霊の賜物を伴います。それが神の木です。その木を神は、聖霊降臨のときに、地上に植えられました。
79. ダビデは過去にこの木を見ました。それで何か嬉しい歌を作るときに、まず思い浮かんだのが、この木でした。その木は水の流れのほとりに植えられていました。「その人はこの木のようだ」神が植えられた神の木です。どこに植えられましたか? 水の流れのほとりです。水は単数形で、流れは複数形です。メソジスト派やバプテスト派や長老派あルーテル派などではないのです。単に水の流れです。つまり、同じひとつの霊によって与えられる9つの霊的賜物、同じひとつの経路を通ってくる9つの霊の実のことです。「その人は流れのほとりに植えられた木のようだ。」
81. クリスチャンが嘲られ、笑われ、冷やかしの対象となるときも、同じことが起きます。迫害はクリスチャンを動揺させて、もっと祈らせ、もっと深く神を求めるようにさせ、嵐にも耐えうる信仰を持つようにさせます。
82. ダビデはその人を見ました。その人はこの木のそばに植えられていたので、死ぬことがありません。なぜでしょう? その人がその木の根から命を受けていたからです。木の命はどこにありますか? それは根に宿っています。そうです。根から上がってきて、実をつけるのです。時が来れば実を結ぶために、木の根に命を宿しているのです。
83. こんにちの教会の問題はここです。水の流れから遠ざけられ、霊の賜物から遠ざけられた教会は自然のまま育ちます。霊的賜物や霊的なことから離れた教会は、実を落とします。どんな実を落としますか? この世的な信者です。世俗的な行いをし、盗みや騙しや嘘を働き、喫煙、飲酒、ギャンブルをしています。また、説教師に支払いをするためにトランプパーティやダンスパーティや食事会を催します。こんなことが、彼らが落とす実です。この世と変わりません。不信心者から、「この人たちとわたしたちと、どこが違うのか?」と、疑問をもたれても仕方ありません。
85. 詩篇1です。「悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。このような人は主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う。このような人は流れのほとりに植えられた木の時が来ると実を結び、その葉もしぼまないように、そのなすところは皆栄える。悪しき者はそうでない、風の吹き去るもみがらのようだ。それゆえ、悪しき者はさばきに耐えない。」
86. そこに二つの『彼の』という人称代名詞が使われていないか確かめてください。彼の、神の実を、ときが来て使者が出現するときに、実らせるのです。神の実をもたらす使者は、神のときが来たら、それをもたらすのです。もたらす者のときが到来したら、神の実をもたらすのです。「その人は、彼のときが来れば、彼の実を結びます。」
それはしおれることがありません。なぜなら、前もって定められている実をもたらすものだからです。それは前もって定めらたものなので、滅ぼされません。
88. 罪のために、みな死ななければなりません。しかしキリストによって新しく誕生すると、死ぬことがありません。これが、もうひとつの木です。この木は、エデンの園から始まって、ずっと迫害を受け、嘲りを受けて来ましたが、枯れません。前もって定められているからです。打たれても、殴られても、なんとまあ、いろいろな仕打ちにあって来ましたが、枯れません。彼は死にません。なぜなら彼の内に、前から定められていた神のことばを宿しているからです。何が起ころうともそれは、定められていた彼のときが来たら、神の実を実らせることになっています。
89. なんという木でしょう。この木はエデンの園で成長し始めました。それからどうなりましたか? カインの子孫である虫たちが寄ってたかって茎を食べました。それで神は、その木の収穫を箱舟に乗せ、救出されました。そうです。
90. さて、その実は素晴らしいものになります。その木は聖霊降臨のときに花を咲かせました。聖霊降臨のときに何が起きたか、みてみましょう。イエスはこう言われました、「わたしがする業を、あなたもするようになる。」それで、彼らは病気を癒しました。その日・・・
91. どちらも間違っています。聖霊降臨の日に天から降ったのは、(説教壇から離れて道路に降ったのではなく)天から降ったのは、何でしたか? 司祭? 違います。聖職者? 違います。それは突然激しい風が吹いてくるような音がして、彼らが座っていた家中に響き渡ったのです。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れて、一人一人の上にとどまりました。すると彼らは、どもってまともに話せなくなりました。彼らは余すところなく栄光を受け、聖霊が彼らを満たしたのです。わけのわからないことを口走りながら、彼らは通りに出て行きました。その様子はまるで・・・。威厳のある会衆が出て来て、言いました、「この人たちは新しいぶどう酒で酔っているのだ。みんな酔っ払っている。ごらん、男も女もみんな千鳥足でよたよた歩き続けている。」
92. そのようにして彼らは・・・。カトリックの人たちに言います、祝福された処女マリアがその集団の一人だったことを知っていましたか? そうだったのです。聖霊を受けた後でなければ、神がマリアを天に迎えなかったのなら、あなたたちはどうやって天に上るというのですか? 何か足りなくないですか? ちょっと考えてみてください。そうです。マリアはその集団の中にいました。マリアは、威厳や尊厳を捨てて聖霊に満たされるまで、その場所で待っていなければならなかったのです。
93. しかし、彼らを代表してペトロが立ち上がり言いました、「今は朝の9時であるから、この人たちは、あなたがたが思っているように、酒に酔っているのではない。そうではなく、これは預言者ヨエルが予言していたことに他ならないのである。(今日、わたしが取り上げている預言者です。)すなわち、『神がこう仰せになる。終わりの時には、わたしの霊をすべての人に注ごう。そして、あなたがたのむすこ娘は預言をし、若者たちは幻を見、老人たちは夢を見るであろう。その時には、わたしの男女の僕たちにもわたしの霊を注ごう。そして彼らも預言をするであろう。また、上では、天に奇跡を見せ、下では、地にしるしを、すなわち、血と火と立ちこめる煙とを、見せるであろう。そのとき、主の名を呼び求める者は、みな救われるであろう。』」
ペテロは聖霊降臨の日に、わたしが今日取り上げている預言者の預言を引用して、説教し、この木を植えました。その場所にその木は植えられたのです。上出来でした。彼らは霊の賜物を受けて出て行って、病人を癒し、キリストを宣べ伝えました。そして牢屋に入れられましたが、みことばのためなら、喜んで苦しみを受けました。
94. 神のことばを知っていながら、所属教団の命令に背けなくて、みことばに妥協するなら、同じことが言えます。そんな人は裏切り者です。そうです。しかし、この人たちは裏切り者ではありませんでした。この人たちは、教会がなんと言おうと、構わず叫んだり、泣いたり、わけのわからない言語を口走ったりしていました。それは自分で理解できない言葉を誰かに話しかけているようでした。それで、そこにいた外国から来ていた人たちに、彼らの話している言葉が理解できました。話している本人は何を言っているのかわからず口走っていたのですが、聞く人にはそれが理解できたのです。彼らは言いました、「この人たちは確かに酔っ払っている。」
しかしペテロは言いました、「この人たちは、あなたがたが思っているように、酒に酔っているのではない。聖霊に満たされたのです。」
それからみな、殉教しました。例外はヨハネで、24時間煮えたぎる油の中に入れられたにも関わらず、誰も彼の内に宿る霊を焼き殺すことはできませんでした。黙示録を書いたヨハネは唯一、長寿を全うしました。
96. 「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。
信じる者には、このようなしるしが伴う。すなわちわたしの名によって・・・」
信じる者に伴うしるしは、今ではどのようなものになっているでしょう。牧師と握手すること、教会に属すること、母親か父親が教会員なので自動的に教会の記録に名前が記載されていること。
97. これが、信じる者に伴うしるしです。このしるしは、今ではどこに行ってしまったのでしょう? イエスは、世界に向かって、信じる者にはどんなしるしが伴うか例を掲げてくださいました。イエスは、こうも言われました、「わたしを信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる者は、大きな石臼を首にかけられて、深い海に沈められる方がましである。彼らの天使は、常に、天におられる父の御顔を仰いでいるからだ。」天使です。
98. そこへ、鋭い歯を持った醜い小虫が現れました。ヨエルが見たこの虫は、4段階に分れて登場しました。4段階で姿を変えて現れた虫は、美しい神の木を食い尽くしました。想像して見てください。ヨエルの1章で、彼が何と行ったかみてみましょう。
99. 最初のは、かみ食らういなごで、小さな虫でした。かみ食らういなごが、何をしましたか? その木に実っている果実を喰らい尽くしました。教会の歴史を遡って、最初にどんなことが起きたかをみてみましょう。社会的に地位の高い人たちのグループが現れて、一般の信者に向かってこう言いました、「あなたたちが、病気を癒したり、これらのことができるというのは、素晴らしいことです。ですから、こうしたらどうでしょう。このような素晴らしいことは、町の有力者にも広めるべきです。例えば、町長とか、裁判官といった、もっと地位の高い人たちにです。でもあなたたちが今やっているような方法では、彼らは怖がって近づいてきません。」
「彼らは今でも怖がっています。」と、誰かが言いました。多分それは正しい意見でしょう。そうです。有力者たちは聖霊を恐れています。(失礼)
100. 昔からの聖霊には
悪霊は近づけない
だから人も寄り付かない
でもわたしには最高のもの
ほかには何もいらないくらい
兄弟を愛することができる
密かなことが明るみに出る
だからわたしも最高なのです
(その通り)
嘘がつけなくなる
死に際して救いが来る
悪魔が吹き飛ぶ
だからわたしにも最高なのです
そうです。それだから聖霊を避ける人たちがいるのです。
101. イエスは言いました、「誰が、わたしに罪があると責めることができますか。誰がわたしを非難できるでしょう。」
そうです。罪とは、神のことばを信じないことです。言い換えれば、イエスはこう言われたのです、「わたしがしている業で、神のことばと一致しないことが、ほんの少しでもありましたか? みことばの成就と違うことが、何か少しでもありましたか? 聖書を調べて指摘してみなさい。もしわたしが、父の業をしているのでないなら、わたしを信じなくてもいい。」「あなたたちは、それぞれ偉い者だと言っているが、その業を見せてもらおう。」
それ以降、人々はイエスに何も尋ねなくなりました。彼から離れて行ったのです。悪魔がイエスに飛びかかったのと同じ状態です。悪魔は闇雲にイエスに飛びかかりましたが、100万ボルトの衝撃を受けて、すぐさま飛び退きました。イエスは、悪魔の手に負える相手ではなかったのです。これは本当のことです。
102. それから虫が食いついた実は、・・・。愛が最初にその木に成りました。愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制が聖霊の実です。9つの霊の賜物と9つの実です。
104. さて、次に虫が食べた実は、救いの喜びです。「しぃっ、静かに。あなたたちは騒ぎすぎです。」あらまあ、
105. わたしは言いました、「彼らがそうやって喜びを表現してくれなかったら、わたしは説教しませんよ。」
106. そういうわけで・・・。わたしが知っている中で、一番悪臭を放つのは悪魔です。ですから、わたしがみことばを語っていて、誰かが「アーメン」と言うと、それは「とびかかれ!」という合図となり、わたしたちは悪魔を窮地に追いやることができます。
107. かみ食らういなごは、喜びの実を食い荒らし始めました。「ねえ、ちょっと、あなたたちはうるさすぎますよ。わたしが何か言うと泣いたり、『アーメン』と言ったりして。こうやって叫ぶことは馬鹿げていますよ。やめなさい。」
すると、あなたは死体安置所に座っていることに気づくのです。周りはみんな死体です。教義の教えという防腐処理の点滴が、死体の静脈に射ちこまれています。本来なら、神の霊が流れているはずの場所に、錆びついた教会の教えが点滴されているのです。氷のように冷たくなって、死に体となっているのも無理はありません。霊的温度はマイナス90度です。もし誰かが「アーメン」と言おうものなら、みんなが鶴のように首を伸ばし、誰がなんと言ったのか確かめようとします。こういう状態は恥ずべきことです。神の霊は、喜びと平安と愛をもたらすはずなのです。それなのにこの虫が食い荒らし始め、すべての喜びを食い尽くしてしまいました。
108. 「わたしたちの教会に属するなら、あなたは救われます。」
「その人のところに行くなら、あなたは救われません。救われるためにはわたしたちの教会に属さなければなりません。」
「めでたし聖寵満ち満てるマリアと言わなければなりません。」
「この書に名前を記録しなければなりません。」
「・・・しなければなりません。」
なんということでしょう。これでは喜びも何もありません。でもこれは神の木ではありません。どこにいるかわかりますか? 雑種の木です。わたしがする騾馬の話を知っていますよね。騾馬は雑種です。雑種なので、父親も母親も知りません。でも、血統書付きの馬は、何代にも遡って父親も母親もわかります。聖霊のバプテスマを受けた血統書付きのクリスチャンもそうです。彼らは聖霊降臨の日に誕生したことを知っています。彼らは、始まりのときまで、系図を遡ることができます。ペトロは血統書を持っています。国も人種もずっと遡って、彼らは血統を維持しています。良い血統のクリスチャンは、自分がどこから来たのか知っています。
109. 「わたしは長老派です。」
ああ、あなたたちは雑種です。そうではないですか?
「そういうあなたは誰ですか?」
「わたしは生まれ変わった者です。」
「何に生まれ変わったのですか?」
「神の霊です。」だから雑種ではないのです。正しい生まれです。教会の信条ではなく、神の霊によって生まれ変わったので、神があなたの内に生きておられます。
110. それからこの虫が死に、今度は群がるいなごとなって現れました。これが第2段階で、群がるいなごの登場です。群がるいなごは何をしましたか? 群がるいなごは葉を食べました。そうです、群がるいなごは葉の破壊に取りかかったのです。
かみ食らういなごが残したものを、(この虫は果実を食べ尽くしましたが、葉は残しました。)群がるいなごが来て食べました。
さて、群がるいなごは何をしましたか? 葉を枯らしました。何のために葉を枯らしたのですか? 信じる者たちのつながりを断つためです。そうです。
「彼は長老派だから、わたしたちとは関わりがありません。彼はナザレ派だし、彼はペンテコステ派だし、彼はあの派で、彼はこの派だから、関係ありません。彼はわたしたちのグループに属する者ではないのですから。」
「病気を癒す集会をするですって? ふん、うちの教会はそういう類いのことは信じません。」
111. 「あの礼拝中にうるさく騒ぐ連中のところに行って、意見を言わなければ、気が済まない!」
まあまあ、木陰にちょっと座って。そうすれば落ち着きますよ。でも、あなたのところの木ではそれはできません。なぜなら、群がるいなごに葉を食べられてしまったからです。あなたのところの木の下に座るのは、炎天下に座るのと変わらないので、一息ついて涼むことができません。
112. 男性がタキシードを着て、女性がこんな風に着飾ってているところで、誰かが周りを見てこう言ったとします、「おい見ろよ、あの女性はパーマをかけたことがないな。みすぼらしいじゃないか。イースタードレスも(そんなものがあるとすれば、)着ていないよ。(そうです。イースターに、後ろの方の席で眉をひそめて、ヒソヒソと・・・)イースタードレスも着ていないなんて。おや、あの男性を見ろよ、去年と同じスーツを着ているよ。何考えているんだかわからない。」そんなところでは、場違いな感じがします。
113. 彼女はこう答えました、「どう言っていいかわかりません。わたしは、ある教会に行っていました。」そして泣き出しました。
「どうしたのですか?」と聞くと、
彼女はこう答えました、「わたしがちゃんとした服装をしていなかったので、みんなから軽蔑されたのです。」
114. それなのに、老いぼれた群がるいなごは何をしましたか? やって来て葉を食い尽くしてしまったのです。「あなたはわたしたちのところに属しなさい。さもないとどこにも属せませんよ。」そうやって、霊の清涼感を取り上げてしまったのです。彼は自分を信条にしました。
115. かみ食らういなごが、会衆の中に入り込んで皆に威厳を持たせ、そのあと群がるいなごが、信者同士のつながりを断ち切った後に、このとびいなごが現れて、彼らの宗教を剥ぎ取り、教義を植えつけました。そうです。異端の言葉を植えつけて自分自身を覆いとし、人々を集めて信条を教え込みました。この虫は、樹液を行き渡らせるのに必要な樹皮を、神の木から剥ぎ取って、その大切な宗教を奪ったのです。とびいなご!この虫を知っていますか?
116. 属するのではいけないのです。私はもう53年間もブラナムの一族ですが、一度も家族に属したことはありません。なぜなら、生まれつきブラナムだからです。私はブラナムとして生まれました。クリスチャンも同じです。どこかの教会に属したからクリスチャンなのではありません。それならただ組織の一員です。わたしたちがクリスチャンなのは、聖霊によって生まれ変わったからです。
121. 何と馬鹿げていることでしょう!ただの迷信です。人が作った教義の教えです。神は、神のいのちである聖霊を、像の中ではなく、わたしたちの内に送られました。神が宿りたいと願っておられるのは、像ではなく、あなたです。『聖像』なんて言われていますが、聖像なんてものはあり得ません。あなたが、神の宿る聖なる姿です。聖書がそう言っています。そうです。「あなたは、わたしのために体を用意してくださった・・・」
122. かみ食らういなごが木の果実を食べ、移動するいなごが葉を食べました。そして今度は樹皮、覆うもの、宗教、教義です。それをとびいなごが食べ尽くしました。
124. まずは、水の洗礼についてです!ペテロは、ペンテコステの日に、神のことばである聖霊からインスピレーションを受けてこう言いました、「悔い改めなさい。皆が主イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を許していただきなさい。」
それに対してローマは何をしましたか? 変節して、「父と子と聖霊の名によって、洗礼を受けなさい。」と、聖書の教えを変えて、それを信条にしてしまいました。それが、若いいなごが食べたものです。水の中に漬ける代わりに水をかけるだけにし、名前を父と・・・
126. 「そんなことは、本質的な問題ではない。どんなやり方で洗礼を受けてもいいじゃないか。」
127. 彼らは、「聖霊があるかどうか、聞いたこともありません。」と答えました。
「それなら、どんな洗礼を受けたのですか?」言い換えれば、「どのようにして洗礼を受けたのですか?」
「わたしたちは、洗礼を受けたのです。」
「どのようにして?」
「ヨハネの洗礼です。その人は、イエスに洗礼を授けたのです。だから由緒正しいのではないですか?」
パウロは、「いえいえ、今は違います。「あなたがたは、洗礼を受け直さなければなりません。」と言い、主イエス・キリストの名によって彼らに洗礼を授け、彼らの上に手を置いたところ、聖霊が彼らに臨みました。パウロはこうも言っています、「もし天からの天使がこれと違うことを宣べ伝えるなら、その天使は呪われるがいい。」天使にしてそうなのですから、ましてや宣教師やとびいなごは尚更のことです。
だから、とびいなごが食べたのが何だったか、わかりましたね。イエス・キリストの名によって授ける水の洗礼を食い尽くしてしまったのです。
128. どれだけ多くのルーテル派、プロテスタント信者、カトリック信者が、今朝、堅信を受けて聖体拝領をしたことでしょう。彼らはそれを『ご聖体』と呼びますが、そのラテン語の意味は、『聖霊』です。
130. プロテスタントといえば、聖霊を受ける代わりに、何をしていますか? 教会に登録させて、握手をしています。聖霊が降臨したペンテコステの日に、通りに出て行って握手する人はいませんでした。天から突然力強い風が吹く音がして、彼らがいた家中に聖霊が満ちたというのが真相です。聖霊は木の葉に降り、樹皮に降り注いたのです。
131. わたしたちはカトリックの延長線上にいますが、プロテスタントからも痛手を受けていることを知っていますか? 今日のプロテスタント教会に、聖霊の働きが見られますか? プロテスタント教徒に、聖霊を受けた反応がありますか? ルーテル教会の信者の中に? もしあるなら、わたしはルーテル教会に行って、食事を共にし、素晴らしい時を過ごしたいです。長老派の中に? 聖霊の働きはどこに見られるのでしょう。教会は自然体を受け入れてしまったのです。
ご存知のように、わたしは去っていきますが、このことを決して忘れないようにしてください。自然体を受け入れてはいけません。それは死を招きます。自然体のひとは死にます。なんであれ自然体のものは滅びることに決まっています。ひとを生かすのは霊です。霊はいのちを与え、生き返らせます。それが霊の働きです。
132. 「別に大した違いではないではないか。」
そう言うなら、こんな場合はどうでしょう。ある人が土曜日の支払いの日に、あなたに小切手を渡すとします。彼は自分の名前の代わりに、『上司より』と書いたとします。『今週の賃金150ドルを山田太郎氏に支払う。上司より』と書いてある小切手を持って銀行に行ったらどうなると思いますか? 当然返されてしまいます。
133. みことばが語られたら、それを守りましょう。言葉を置き換えたりしてはいけません。神が言われたとおりに語るのです。わたしたちは、みことばによって裁かれるのですから。
134. それに彼らは、兄弟同士のつながりや交流の代わりに、階級制度を取り入れ、教皇を頂点におき、司教が平信徒に、何をすべきで何をすべきでないかを指示する体制にしました。ペンテコステでも、教区の牧師が、誰を受け入れるべきか指示しています。しかし教会は、キリストに伺いをたてます。
135. 「でも、ブラナム兄弟・・・」
プロテスタントの教会はどこから来ましたか? カトリックからです。黙示録17章に書いてあります。この女は淫婦で、ふしだらな娘たちの母であると。だからプロテスタントもカトリックと変わりません。壺はやかんのことを黒いと笑うことができないのです。だから、カトリックを批判できません。
137. そんなものは馬鹿げています!煉獄から祈りで救い出す、それがとびいなごのした行いです。魂を煉獄から救い出すための祈りに何百ドルものお金が必要となるなんて。聖書に煉獄やらそれに匹敵するものが出てくるか調べてみてください。そんなものは聖書にありません!ところが彼らは、人が死ぬと煉獄に送り込むのです。彼らはこう言います、「聖ボニファスがこれこれのことを言いましたから。」聖ボニファスが何と言ったかなど、どうでもいいことです。
138. 彼女が何をしようと、どうでもいいことです。それは信頼できることばではなく、信頼すべき使徒のことばに反しています。神は使徒に、教会の秩序を委ねられました。教会は使徒の教えの上に建っているのであっって、聖ボニファスら聖人の教えの上に建っているのではありません。みことばに反しています。
わたしは、聖ボニファスや他の聖人や聖スージーや聖マリアが言ったことなどに、かまっていられません。馬鹿げています。もし彼らの言ったことが、みことばに反しているなら、虚偽に他なりません。わたしは権威のない言葉を信じないので、プロテスタントの信条も信じません。それは元をたどればカトリックのドグマです。自分たちもたくさん信じていながら、どうしてプロテスタントは、カトリックのドグマを笑うことができるでしょう。(この辺でやめておきましょう。このことはテープに収められ、世界中に行き渡りますから。)
139. イブがしたことと同じです。悪魔に耳を貸したことにより、地上に死とあらゆる悲しみをもたらしました。彼女が、神のことばを信じずに、霊的不貞をはたらいたからです。それと同じことを今の教会はしているのです。神のことばに対する霊的不貞です。彼らは自分たちの教義に賛成しない人を、教会に入れません。
彼らがわたしによこした手紙によると、「このことをあなたが信じるなら、そしてそれが正しいとあなたが言うなら、あなたを・・・」
わたしは返事しました、「わたしはあなたたちのところに行きません。」とんでもないことです。わたしは聖書に書いてあるとおりに説教し、それ以外は言いません。
140. 彼らはこう言い、ああも言いますが、権威のない言葉は、なんであれ、誰が言おうと、信じてはいけません。もし誰かが・・・
142. そこでわたしは言いました、「聖職者のグループとは、そんなに頼りないものなのですか!もし主の御使いが、このみことばに反することを言うなら、それは主の御使いではありません。」主の御使いなら、みことばを支持します。それがあらゆる時代に、彼がして来たことであり、これからも同じです。彼はみことばを守ります。聖霊による油注ぎを受けた聖職者は、同様に、みことばにとどまります。聖書は最初から最後まですべて聖霊によって書かれているのに、なぜ、聖霊に満たされている人が、聖書が言っていることを否定できるでしょうか。その人のうちに宿る霊が、その間違いを記録に残します。信条の間違いを。
とびいなごは食べ続けていましたが、神の真理を食べ尽くしてしまいました。
143. まさに今ここに神の現れがあります。イスラエルが紅海を渡ったときと同じ神がここにおられないのなら、それは神ではありません。ペンテコステの日に降臨した神が今ここにおられないのなら、同じ神ではありません。それなら、死者の復活も起きないことになってしまいます。もし同じ神が今ここにおられないのなら、歴史の神に何のいいところがあるでしょうか。神のようなお方がおられないのなら、説教師を神学校に送りこんで、孵卵器で雛に返すように育ててあちこちに行かせて、何のいいことがあるでしょうか。
144. 誰も、何をすべきかわからず、混乱しています。そうです。しかし神は教会によって人を裁かれません。神はキリストによって裁かれるのです。そしてキリストはみことばです。聖書にこうあります、「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。・・・そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。」
145. 神はここで何かを言い、別のところで何か違うことを言うことができません。わたしなら、ここで言ったことと別のことを違う場所で言うことができます。あなたもです。人間ですから、だんだんに知識や理解を得て変化していきますが、神はそうではありません。神は全知のお方ですから、神がはじめに決定されたことは永遠に変わらないのです。だから神はここで言ったことと違うことを別の場所で言うことができません。神が神であるためには、神の仰せのことばは常に同じでなければならないのです。
ですから、あなたの内に宿る霊が神からのものであるなら、このことばが真理であることを証言します。言葉のひとつひとつが正しく、そして過去も現在も未来も変わらないことを証言します。そう聖書に書いてあります。そうです。
146. さて、4段階目に登場したのは滅ぼすいなごです。滅ぼすいなごは? この虫は吸血虫です。命を吸い取ってしまいます。霊である命を奪うのが、この虫のしたことで、木の内部に入り込んで樹液を吸い取りました。滅ぼすいなごとはこのことです。このいなごのことを、わたしたちは何と呼びますか? 教団です。それがこの虫の正確な名前です。いのちを吸い尽くす破壊者だからです。
147. 木にはどのような命があったのですか? 聖霊です。どのようにして取り去ったのですか? ドグマと聖霊は共存できません。ドグマを奉ずる場所に聖霊が我慢していられるわけがありません。この虫は木の命を取り去って、ドグマを植え付け、教団を作りました。「聖書がなんと言おうと、わたしたちの宗派はこうします。」
148. そこからはじめに起こった改革がルターによるものでしたが、組織化して死にました。次にウェズリーが登場しましたが、組織化して枯れました。それからペンテコステ派が起こりましたが、これも組織化して枯れました。長老派もルター派全ての他のそしてナザレ派もピルグリム・ホーリネスも、これらの全ての組織がが組織化して同じ結末をたどりました。どれも死に絶えてしまいましった。彼らの状態を見てください。なぜそうなってしまったのですか? 彼らは組織化したことによって死を招いたのです。
彼らが何をしたのですか? ドグマを取り入れたのです。ナザレ派の人たち、素晴らしい・・・ペンテコステの次に現れた教会、あなたたちは清めの教えを信じましたが、聖霊の賜物や異言や神の力の現れについては、それを悪魔の仕業と呼び、いのちを失いました。そうです。ナザレ派は今どうなっていますか? 死んだ状態です。今でも教会員は増えているでしょうが、死体の状態です。
いつかの夜にわたしは見ました。そうです。すべてのことを見ました。牧師が死体にキスして性交しているのを。「どのみち彼らにはもう時間がありません。これがすべてです。」いつかテープでそのことがあなたのところにも届くでしょう。そうです。
149. ルターは霊的な教会を作りましたが、どうなりましたか? ルターが亡くなるとすぐに、教会は造りものになりました。神の人として目覚しい働きをしたジョン・ウェスレーは何をしましたか? 誰が彼のことを神の人ではないと言うことができるでしょう。彼とチャールズが亡くなるとすぐに、教会は組織化され、いのちの輝きを失いました。
歴史を通して、同じことがずっと繰り返されています。 人工的装い、よい職業、町で一番大きな教会、賢い人々を作り上げ、「町の有力者たちがわたしたちの教会に入りたいと言っています。」と自慢します。
150. 今日の教会が生み出すのは、信心を装った、たわごとばかりです。聖書は、終わりの日に、人々は信心を装うが、その実、信心の力を否定するものとなると言っています。なぜですか? 食い尽くすいなごが樹液を吸い尽くしたからです。組織が教会から霊的なものを取り去ってしまったのです。
152. 確かにそうでしょうとも。カトリックはあなたの教会を凌駕しています。昨年共産主義が起こって追い出されるまでは、カトリックはロシアにも大きな勢力を伸ばしていました。メキシコでも同様に勢力をのばしていましたし、世界中のいたるところに勢力を広げようとしています。そうなのです。
153. 聖書に書かれているのは、ローマ主義、つまりカトリックが世界を飲み込むことです。ダニエル書を開いてみてみましょう。金の頭はネブカデネツァール王のバビロン王国で、それを継いだのがメディア−ペルシャで、そのあと起こったのが、ギリシャ帝国で、最後がローマです。10本の足の指は地下のあらゆる王国に通じています。
154. アハブが王位に就いたとき、背後にいたのがイザベルでした。聖書は、カトリックのことをイザベル、淫婦と呼んでいます。アハブは悪い人ではありませんでしたし、ケネディのことも悪い人だとは言いません。わたしは彼が男であるということ以外、あまりよく彼のことを知りません。彼は大統領であり、いい大統領になるでしょう。彼が問題なのではありません。彼の背後にある組織が問題なのです。カトリック勢力が次第に内閣やあらゆる機関に入り込んでいくから、待っていなさい。それからどうなるか注意して見ていなさい。カトリックが他の国で何をしたか、常に何をしているか、見なさい。
155. 聖書は、この獣が小羊のように登ってきたと記しています。宗教の自由、そして、公民と教会の二本の角。それからしばらくすると、彼らは結合して、竜のようにものを言うようになり、竜がしたのと同じことを、竜の前でしました。そして聖書は、彼らが獣の像を作ったと記しています。それは教会連合のことで、ニューヨーク市にあります。大きな遺体安置所のようなものです。メソジストもバプテストもペンテコステも、キリスト教会統一の意志を持った人たちみなが、そのようなことをして、バビロンに属するために自分の生得権を売っているのですよ!いったいどうしてしまったというのですか? まさに、エサウがしたように、ごった煮のために自分の生得権を売っているのです。そして得るものはといえば、獣の像だけです。そうです。だから、共産主義を恐れてはいけません。カトリック(普遍的教会)主義を恐れなさい。
157. アハブが答えて言いました、「確かにそのとおりです。(周知のように、イザベルが見張っていました。)わたしのところに400人の預言者がいますから、連れて来ましょう。」
王の前に出た預言者らは、みな優秀な人たちで、みな預言して言いました、「登って行きなさい。主がともにおられます。」
しかし、神の人であるイスラエル王には、腑に落ちない点がありました。それで、「他に預言者はいないのですか?」と尋ねました。
400人の預言者が、口を揃えて「登って行きなさい。主が言われました。登って行きなさい。」と言ったのに、
「しかし、どこかに別の預言者がいるはずだ。」と言ったのです。
アハブは答えました、「いるにはいますが、実に憎たらしいやつです。」そうでしょうとも!「彼は常にわたしを叱りつけるのです。いつもわたしに対して悪いことばかり言うのです。」
神がアハブに悪いことを言っているのに、どうして良いことが言えるでしょう。
158. すると偉い説教師が司教の元にやって来て、ミカヤの口を打って言いました、「主の霊はどのようにわたしを離れ去って、お前に語ったというのか。」
想像するに、彼はこう答えたでしょう、「もともと、あなたのうちにはおられなかったのです。そのことが後になってわかるでしょう。」
アハブは怒鳴りました。「そいつを獄につないで、難儀のパンと悲しみの水だけを与えておきなさい。戦いから帰って来たときに、処遇を考えよう。」
ミカヤは言いました、「もしあなたが帰還できたのなら、神のことばはわたしに臨まなかったことでしょう。」
159. 主は、ローマ主義が世界を征服するのであって、共産主義ではないと言われました。それはただの操り人形です。しかし、神はそれを作らなければならなかったのです。
160. 神は共産主義を起こさなければならなかったのです。何のために? 遺体安置所を一つにまとめて、教会連合を結束させ、獣の像を作るためです。それが、これから起こると神が言われたことばです。心配する必要はありません。ことが結束していく様子を見ていなさい。
163. いったい、どうなっているのかわかりますか? 彼らが、イエスが戻って来られると信じているとは信じられません。その人たちがしていることが、言っていることよりはるかに多くを語っています。あの宣教師はわたしの集会にやって来たとき、靴を履いておらず、小さなズボンを腰に巻きつけていました。宣教地でノミやアメーバや様々な虫や病気と共に暮らし、彼の手はアメーバにやられてボロボロになっていました。その彼がわたしのところに来て「あなたがブラナム兄弟ですか?」と聞きました。
164. 「ああ、あなたに祝福がありますように。わたしはいつもあなたのために祈っています。」
それを聞いて、こう思いました、「ああ、神よ。どうかこの人に、わたしのためにずっと祈らせてください。この人こそ、その人です。」
「ブラナム兄弟、わたしはあなたの記事を読みました。あなたが言っていることは真実です。わたしたちはあなたの味方ですよ。」
ああ、兄弟よ、これこそ、その人です。貧しい人です。
誰かがこういうのを聞きました、「それが誰か知っているかい?」
「ああ、彼なら私たちの教団には属していないよ。」
わたしは聞きました、「彼は誰ですか?」
「さあ、彼はわたしたちの仲間じゃないな。」
「だから彼は誰なのですか?」
「彼は独立しているんだ。」
「おや、そうですか。では彼は何をしているのですか?」
「あっちで大した仕事はしていないさ。わたしたちのところに所属する気が無いのだからね。」
「でもわたしは、彼についてもっと知りたいのです。」
165. 「彼はホーリローラーだよ。」
おいしい実をつける木のあるところには、かかしが立っているものです。悪魔も同じことをします。近づけないように、脅かすのです。でも心配しないで、かかしを超えて行きなさい。
166. ウッドチャックが穴から出て、インゲン豆を食べるために走って来て紙袋のかかしにぶつかりました。彼は後ずさりしてかかしをこんな風にして見て、ハッとして飛びつきました。かかしは立ったままでした。彼はもう一度見て、もう一度確かめました。後ろを見ると美味しそうなインゲン豆が列になって生えています。彼は彼なりにかかしを見て少しずつ近づいて行き、おどかそうとしましたが、びくともしません。それもそのはず、生きていませんから。かかしなんてそんなものです。
167. 彼は、かかしなんかに妨げられませんでした。かかしの後ろに良いものがあることを知っていましたから。誰かが、「ああ、彼らはホーリーローラーだよ。」なんて言っても、そこで怖気づかないで進んで行きなさい。信じて進んで行くのです。そうしたら、そこに聖霊が臨んでいるのかもしれませんよ。やってみなくてはわかりません。
168. 宗派団体の滅ぼすいなごがしたことを調べてみましょう。肉の教会と霊の教会・・・教団を創ったこの滅ぼすいなごに注目しましょう。神の木はすでに、樹皮が食い尽くされ、実が食い尽くされました。ああ、兄弟よ、すべて失くなってしまいました。霊の賜物を失い、神の癒しも異言も預言も何も無くなってしまいました。彼らはこれらのことを信じません。知らないのです。彼らにあるのは、すべて人が作ったものだけだからです。
169. それなら、肉の教会は何を相続するのでしょう? ひと束に括られ、焼かれるのです。自由の身の女とともに相続人となることはありません。もし奴隷の女が、教団組織の子に縛られているのなら、彼女は自由の身の女とともに相続にあずかることはありません。自由の身の女の子どもは携挙されることになっているからです。そして奴隷の女の子どもは裁きの場に立たされます。追い出せ、そうです。霊の教会は自由の身分なのです。そうです!
170. しかし弟のヤコブは、生得権を欲しがって、そのためなら手段を選ばない覚悟でした。そのために祭壇の前で叫び、わあわあ泣きわめき、鼻水を垂らしても、(失礼)あるいは、外に出て、涙で顔をぐちゃぐちゃにして(失礼、こんなことを言うつもりはありませんでしたが、)それで祭壇の前で、手に入れられるまで泣いたとしても、彼はそれを手に入れるためなら、かまわずそうしたことでしょう。とにかく生得権を手に入れたのです。
171. それなら、あなたはそうはならないでしょう。
あるとき、いつも幸せそうな南部の黒人の兄弟に、雇い主が尋ねました、「なんで、おまえはいつもそう楽しそうなんだ?」
彼は答えました。「心底から信じられる神を知ったからです。」
「そんなことあるわけない。」
「ボス、あなたは、ひとつ間違いを犯しています。そんなことがあるわけないと知っていることです。」彼は別のことを知っていましたから、こう言いました、「あなたはこう言うべきだったのです。『自分で知るまでは、』と。」
172. 黒人の兄弟が言いました、「いつ始めますか?」
「今すぐ」
「いいでしょう、始めましょう。」
雇い主は干し草置き場に行って、言いました、「ここならいい、妻にも聞かれずに済むし、何も邪魔なものがない。」だいたいの人は、このようにしたがるのです。皿の上に乗せて、さあどうぞ、受け取りなさいというようなやり方を。「わたしたちは、ここにひざまずきます。」
しかし、兄弟は言いました、「ここでは駄目です。」
それで馬小屋に行きました。「ここなら大丈夫か?」
「いいえ。」
「それなら、とうもろこし貯蔵所に行こうか?」
「いいえ。」
「じゃあ、どこならいいんだ?」
「ついて来てください。」
そう言うと彼はズボンをまくり上げ、豚小屋に入り、泥の中を必死に歩いて行き、言いました、「さあ、ここまで来てください。ここなら大丈夫です。」
雇い主は言いました、「そんなところまで入って行きたくないね。」
彼は答えました、「ボス、あなたはまだ、本気で神を知りたいと思っていないようですね。まだそこまで熱心ではありません。」
173. エリヤは彼にこう言いました、「あの泥だらけのヨルダン川に行きなさい。その川は地中海に注いでいるので泥だらけである。そこで7度身を浸しなさい。」
ナアマンは言いました、「なんということだ。ダマスコの川の方がずっと水がよいではないか。その方がずっときれいで澄んでいる。」(先日ここでその映画を見ましたから、知っていますよね。)「いや、そんなところに行きたくはないね。行けるはずもない。わたしを誰だと思っているのか。王の軍司令官であるぞ。」
「でも、その重い皮膚病を直したいのなら、ヨルダン川に行きなさい。もし病気のままでいたいのなら、自分のところの川に行きなさい。」
エリヤは、「身を浸せ。」と言いました。ナアマンが水の中に入っていく様子が、わたしには見えます。想像できますか? そうする行為は、彼の威信を大いに傷つけたでしょう。彼が爪先立って、鼻をつまんで入っていく様子が見えます。
174. ああ、偽善者よ。どのみち得られるものは何もないでしょう。人が何と思うか心配する必要はありません。どうせ、得られるものはないのですから。そういう人はまだ本気で願っていないのです。そうです。本気が足りません。本気で願うようになったら、神は与えてくださいます。準備が整ったら、神は与えてくださいます。
175. その虫は、幹の畝に穴を開け、命を支える背骨である教義を取り去りました。穴が開けられると、すぐに次の虫が登場しました。滅ぼすいなごが木の樹液を吸いつくし、教団を組織したので、人はその木からいのちを受けることができなくなりました。いのちはどうなりましたか? 木の根っこにとどまりました。そうです。いのちは根っこに降りてとどまったのです。
同じ虫が、命を奪うまで木の心臓部に穴を開けました。その虫は果実を襲い、葉を襲い、樹皮を襲い、生命線である心臓部を襲ったのです。
176. 最初の段階に戻って、この虫がしたことを調べてみましょう。この虫がまず最初に咎め立てたのは、神が地上に植えられた最初の貴重な果物の木でした。
178. その木とは? イエスはこう言われました、「(ヨハネ書です)もしわたしが、父の働きをしていないのなら、父の果実を実らせていないのなら、わたしを信じなくてもいい。」イエスは神の果実を実らせていました。どんな果実ですか? そのことをちょっと調べてみましょう。何度も繰り返してきましたが、初心に戻りましょう。ここに座っている人たちは、祈ってもらうために待っていますから。
179. それで彼はメシアだとわかりました。聖書に記されたメシアのしるしをイエスが現されたからです。歴史によると、大勢が自分はメシアだと言って現れましたが、誰もイエスがされたようなことはできませんでした。モーゼは言いました、(モーゼが語ったことは神のことばであり、廃れることはありません。)「メシアは、わたしのような預言者として現れるだろう。」だから、初めて会う人を前にして、「見よ、あなたの名はシモン。ヨナの息子である。」と、イエスは言われたのです。そしてペテロはその時、イエスが何者かわかったのでした。
180. 「どうしてわたしをご存知なのですか。」
「ピリポがあなたを呼ぶ前に、わたしはあなたが、いちじくの木の下にいるのを見た。」
「先生、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」
わかりましたか? これこそが神の果実です。「もしわたしが父の業をしないのなら・・・」イエスは彼らの心の思いをご存知でした。
ある婦人がイエスの衣の裾に触れ、そっと抜け出して会衆の中に座っていました。イエスは辺りを見回して言われました、「誰がわたしに触れたのだ?」みな、自分ではないと否定しました。彼は見回してその婦人を見つけました。彼女は下血の問題を抱えていたのでした。イエスは言われました、「あなたの信仰があなたを救った。」
181. 彼女はこう答えました、「ユダヤ人のあなたが、水を飲ませてほしいと頼むのは、通常考えられないことです。」
肌の色や何やらで差別がありました。イエスはそのとき、誰もみな同じ木から生まれた者たちで、違いはないことを伝えておられました。わたしたちはみな、神の息子や娘です。
彼女は言いました、「わたしたちは先祖であるヤコブを崇拝しています。」(わかりますか? ヤコブはユダヤ人の先祖でもあるのです。)「わたしたちの父ヤコブはこの井戸を掘りました。あなたはヤコブより偉いのですか?」
「わたしが与える水は永遠のいのちである。」
182. 「あなたの夫をここに連れて来なさい。そうすれば決着する。」
「わたしには夫はいません。」
「あなたには5人の夫があったが、今のはあなたの夫ではない。あなたの言葉の通りである。」
「主よ、最後に預言者が現れてからもう400年たちましたが、あなたは預言者だとお見受けします。そうでなかったら、わたしに5人の夫がいたことなどわかるはずありません。わたしたちは今がメシア到来の時期だと知っています。キリストと呼ばれるメシアが来られる時、このようなことを知らせてくださいます。」
ここにも果実が現れました。イエスは言われました、「わたしがそれである。」
それを聞いて、彼女は水瓶を置いたまま、町に走って行きました。彼女が放置したのは、宗教宗派組織の古い水の入った瓶でした。ヤコブがいくつ井戸を持っていようとも、彼女は新しい泉を発見したのです。町に行って彼女は叫びました、「さあ、見に来てください。わたしが行ったことをすべて言い当てた人がいます。この方がメシアかもしれません。これが神の果実かもしれません。これがメシアである証拠かもしれません。」
183. イエスは言われました、「わたしはあなたがたを許すが、やがて聖霊が来て、わたしがしたのと同じことをする。そのときに異を唱える者は、決して許されない。」
「わたしが父の働きをしていないのなら、わたしを信じなくてよい。」しかし、その果物の木は、実をつけていました。さあ、ここに注目してください。イエスは、どのような教会をつくると言われましたか? あなたがたカトリックは、イエスが教会を建てたと言いたがりますが、どのような教会をイエスは建てられましたか? イエスが一度でも、教団や信条を口にしましたか? いいえ、彼は常にそれらと対立していました。彼はこう言われました、「あなたたちは白く塗られた壁だ。中には腐って死んだ人の骨が詰まっている。」
184. イエスは、彼らの組織、理論などに異議を唱え、彼らを偽善者、草の中に潜む蛇、悪魔と呼びました。「あなたがたは、あなたがたの父である悪魔から出た者であって、父と同じことをしている。あなたがたの先祖で、わたしが遣わした預言者を迫害しなかった者がいるだろうか?」「そうしておきながら、あなたがたは預言者の墓を建てる。」「彼らを墓に追いやったのは、あなたがたなのだ。」
185. イエスは神の実を実らせておられたのです。聖霊が彼のうちに宿っていたので、神の実を実らせることができました。さて、注意してよく聞いてください。できるだけ早く終わらせて、みなさんのイースターのご馳走が冷めてしまわないようにしますから。もっとも、みなさんのイースターのご馳走は、復活であるべきですね。
191. 「だが、聖書はこう言っている・・・」と、サタンが言うと、
「そして聖書はこうも言っている・・・」と、イエスが答えられました。
192. 今でも同じです。彼らは神の完全は木であるみことばをとって、混ぜ合わせ、信条を作成して掲げています。死といのちを混ぜ合わせることはできません。イエスは葬式に参列されたことがありません。彼が参列されたら死者が生き返ってしまいます。死といのちは共存できないからです。死といのちは相反しています。イエスは葬式で説教をされたことはありません。彼は死者をよみがえらせるのです。アーメン。そうです。
193. だから、もし今あなたが、人が作った木にぶら下がろうとしているのなら、手を離しなさい。その木に、あなたを縛り付けさせてもいけません。それは死者がぶら下がるところですから。人が作った、ルーテル派やバプテスト派や長老派やペンテコステ派の教団は人が作った木です。そんなところでぶらぶらしていてはいけませんし、そんなところに縛られないようにしなさい。彼らは、できるならあなたをそこに縛り付けておいて、彼らの教義を覚えさせ、あなたのいのちを奪ってしまうでしょう。そうです。
194. (史実として残っているのですが、)マグダレナのマリアは、行進のところに走って行って叫びました、「彼が何をしたというのです。彼がどんな悪いことをしたのですか。」彼女は行進を止めて、続けて言いました、「いったい、彼がした何が悪いというのですか。貧しい人たちに福音を伝えただけではありませんか。病気の人を癒し、死んだ人をよみがえらせ、まさに生ける神のしるしが彼のうちに現れていたのではありませんか。どうすれば、こんなに彼を責め立てられるのですか。」
彼らは彼女の口を平手打ちして言いました、「わたしたちの司教をさしおいて、こんな悪評高い女の言うことを聞けるものか。」そうです。今日でも同じことが繰り返されています。
195. 彼らは、イエスの存在を抹殺するために、(自分たちの組織をけちょんけちょんにされて、激しい憎しみを抱いていましたから。)彼を葬って、入り口に巨大な教団の石を転がして封をしました。彼が生き返ることができないように、念を押したのです。
ああ、考えてもみてください。ダビデはこの完全な木を見て言いました、「水の流れのほとりに植えられた木。ときが来れば葉を茂らせ、実をつける。その実は落ちることなく、その葉は枯れることがない。その人はなにをしても栄える。」
イエスは繁栄の子でした。ヨセフはその典型で、彼はヨセフの対型でした。ヨセフは、行くところどこでも成功しました。イエスも同じです。「わたしのことばは成功を収め、決して虚しくわたしのところに戻ることはない。わたしが意図したことを必ず成し遂げる。」イエスはみことばです。みことばは、神によって地上に送られ、神の目的をすべて成し遂げます。さて、よおく聞いてください。これは話の一番おいしいところです。
196. そうです。このことはいつの時代にも当てはまります。そのとおりです。
さて、察してください、「もしわたしが父の働きをしていないのなら、わたしを信じてはいけません。しかし、わたしがそれをしているのなら、わたしを信じなさい。」そう言われて、彼らは何をしましたか? 尊い木を切り倒して、人が作った木にかけました。(そうです。木からいのちを奪い、罵るために人が作った木にかけたのです。)しかし、彼らは気に入りませんでした。大勢の人たちが、悲しみの泣き声を上げて立ち尽くしていたからです。それで彼らは彼を木から下ろしました。
197. それで彼らは、急いでイエスの遺体をアリマタヤのヨセフの墓に入れ、哨兵を何人も使って巨大な石を転がしておきました。(この前、巨石を転がした軌跡の映像を見ましたか? 何トンもの重量です。)彼らは、彼らの組織の巨石を転がして封をし、イエスが生き返ることができないようにしました。でもそんなことで彼を阻止できたでしょうか? とんでもない!「しかしわたしは回復すると、主が言われる。」さあ、今日のテーマです。もう一度言います、「わたしは回復すると、主が言われる。わたしは彼をよみがえらせる。3日後に彼はよみがえる。」
彼らはイエスを岩の後ろに隠しておくことができませんでした。彼らは、視界から彼を消し去ることができませんでした。彼らはイエスの手から逃れることはできませんでした。「わたしは彼をよみがえらせると、主が言われる。」そして3日後に、彼は起き上がり、よみがえりを果たされました。
198. 素晴らしいですね。信じる人には次のようなしるしが伴います。信じるふりをする人ではなく、信じる人です。「わたしがするこれらのことを、あなたたちもします。生きておられる神がわたしのうちにおられるからです。その業をするのは、わたしではなく、わたしの父なのです。同じように、それらの業をするのは、あなたたちではなく、あなたたちのうちにいるわたしなのです。さあ、全世界に出て行きなさい・・・あなたは、わたしにとって花嫁となるのです。」そうです。
199. さて、見てください。花嫁は一人で、いのちの木もひとつです。言い換えれば、夫と妻がひとつであるように、キリストと花嫁もひとつです。同様に、同じ霊、同じ働き、同じしるし、何もかもひとつです。「わたしがする業を、あなたもするようになるからです。」全世界に出て行って、すべての造られたものに対して働くのです。そうですね? よく聞いてください。今から爆弾を落とします。
201. ああ、我らは、あの喜ばしい1000年の時代の到来を眺めている
我らが主、祝福されたお方が、待ち受ける花嫁を迎えに来られる
労苦し、眺め、祈りながら、我が魂は歓喜に満ち溢れている
我らが主がもう一度地上に戻って来られるから
ハレルヤ!そうです。イエスは毒麦を焼き、小麦を倉に納められます。
202. そうです。すでに組織化への動きが始まりました。わたしの言っていることがわかりますか? 友よ、わかったら「アーメン」と言ってください。
あの滅ぼすいなごが食い荒らし始めました。ヨエルはそれを見たのです。よく聞いてください。終わりに近づいています。ヨエルはそれを見て言いました、「かみ食らういなごの残したものを、群がるいなごが食らい、群がるいなごの残したものを、とびいなごが食らい、とびいなごの残したものを滅ぼすいなごが食らった。」預言者がそう言い、そのとおりのことが、神の木に起こりました。虫によってその木が切り倒されたのです。
204. さて、じっとしてよく聞いてください。このことがはっきり分かるように神に心から祈り求めながら聞いて。
205. 初代教会が始まった当時のように・・・わたしは今から教義を取り上げていきます。信じたくなければ、それも構いませんが、事実は調べておいたほうがいいと思います。
はじめに神は、どのようにその木を育てられましたか? ああ、これを話そうとするとわくわくします。こんなふうにしていると神の奉仕者らしく見えないかもしれませんが、構いません。このことをお話しできて、とても嬉しいのです。
207. 「・・・天で証しするものが3つあります。父とみことば(つまり子)と聖霊です。この3者はひとつです。
地で証しするものも3つあります。水と血と霊です。これらはひとつではありませんが、一致しています。」
209. 神が同じ方法によって、木を回復させておられることに気づいてください。まず木が育ち始めたとき、カトリックからマルチン・ルターが現れ、信仰による義を説きました。次に現れた使者は、ジョン・ウェスレーで、聖別を説きました。ルターが、「義なるものは信仰によって生きる」と義を説き、ウェスレーが聖なるものとなることの必要性を,
第二の恵みの働きとして説きました。それから聖霊のバプテスマがありました。神は最初に木を植えられましたが、今度も同じ方法で回復させておられます。わかってきましたか?
210. あの虫はルターにとっかかり、ルター派の枝を枯らしました。そして次にウェスレーにとっかかり、ウェスレーの枝を枯らしました。しかし、木の幹は成長を続けています。
最初の木は、虫に食い荒らされて枯れてしまい、木の命は後退して根っこにとどまりました。しかし今度は、前もって定められていたみことばがあるので、何もこれを押し留めることはできません。神は言われました、「私は回復する。彼らがどれだけ組織を作ろうとも、あれこれ画策しようとも、私は回復する。」これで決着です。どんなに笑ったり、ばかにしたり、嘲ったり、ホーリーローラーと言ったり、いかれていると言ったりしても、この木の息の根を止めることはできません。すでに神のことば、「わたしは回復すると、主が言われる」が、存在しているのですから。
神がイエスを3日後によみがえらせたのと同様に確かなこととして、3段階に分かれて、神はこの教会を完全で力に満ちたものとして回復されます。「わたしは回復すると、主が言われる。」
211. それからウェスレーが現れ、偉大な働きをした預言者ウェスレーが亡くなった後、何が起きましたか? 組織化したので、その枝は枯れました。しかし教会のいのちは継続し、それからペンテコステが現れました。その後、ペンテコステが組織化し、その枝は枯れました。しかし教会のいのちは継続しています。
212. だが神は、すでにみことばを公布されたので、神の法則により、それは成就されなければなりません。遅霜がどれだけ積ろうと、今度の木は枯れることがありません。寒波が襲うかもしれないし、教団間の紛争が起こるかもしれませんが、神が生きておられるのと同様に確実にこの木は成長していきます。そうです。神が、「わたしは回復する。」と言われたからです。
214. すべての教団に食い荒らされてしまったものと、すべての組織に食い荒らされてしまったものが復帰するのです。「わたしはすべてを回復すると、主が言われる。」
215. 神は良き農夫です。樹の手入れをして、枯れた枝は剪定されます。それだけのことです。神は剪定した枝をどうされますか? 燃やします。神はこの木の持ち主です。きちんと剪定して大切な遺産を残します。神の遺産とは? 神のことばです。神はご自分のことばを確かなものとするために見張っておられます。どこでみことばが成就するかしっかり見張っておられます。神が回復作業をしておられるので、教会が組織化して枯れると、神はその枝を切ってしまいます。そして教会は育っていきます。
ルター派が、「我々は組織となって、カトリックよりも大きくなろう」と言ったとき、チョキンと神はその枝を剪定されました。そしてそのあとを別の預言者であるウェスレーが継ぎました。偉大な預言者ウェスレーが亡くなると、メソジスト派が組織されました。そのあとを継いでペンテコステ派が起きました。ペンテコステ派が組織化されると、神はこの枝も剪定されました。こうしてこの木はてっぺんに向かって伸びていっています。神が完全に回復されます。
216. アーメン!神を愛しますか?アーメン
神に仕えますか? アーメン!
神を信じますか? アーメン!
わたしは、心から神を信じます。さて、神は、あらゆる組織の枯れた古い枝を切り落とされます。この木が成長しててっぺんまで届くためです。そしてこの木のてっぺんには、神の実が実ります。
219. すたれることのない神のことばを信じる者たちにとっては、復活の時期が戻ってきました。今は復活のときです。よみがえるときです。神の民は世界中にいますが、それらの人にとって、今は復活のときです。彼らは復活しました。アーメン!彼らは信条や組織宗派から生き返りました。それらのものからよみがえって、復活のときを迎えています。前もって定められていた神の種は、ずっと根っこに潜んでいました。もう何年も何年も何年もみことばの中に潜んでいたのが、今やっと芽を出し始めました。今は復活の時間です。世界の基が気づかれる前から定まっていたこの教会は、立ち上がり始めました。
221. 1日目はまだ死んだ状態でした。2日目もまだ死んだ状態でした。ルターとウェスレーの期です。3日目の明け方、噂が飛び交いました。1日目(ルター)には何もありませんでしたし、2日目にも何もありませんでしたが、3日目(聖霊のバプテスマの期)に、イエスが過去も現在も未来も変わらないお方であるという噂が広まりました。そして3日目の終わりに、イエスご自身が現れたのです。イエスは人々のあいだに姿を現され、「わたしを見なさい。わたしは以前と同じわたしだ。」と言われました。
222. 3日目の終わりに、イエスは彼らのところに現れて、復活されたしるしを提示されました。彼が過去も現在も未来も変わらず生きておられること、生きて存在しておられることの証しをされたのです。イエスが存在しておられることの生きた証しが、まさに今、この終わりの日に、神の教会に属するすべての人に、現されているのです。(腑に落ちましたか?)アーメン。彼らが一致していたからです。アーメン!3日目の終わりにです。
223. 夕べの光はなんのために輝くのですか? 回復するためです。わかりますか? 東の空に輝く朝日と同じ目的を、夕べの光も持っています。ローマによってもたらされた暗黒時代が切り倒してしまったものを回復するためです。神は夕べの光を輝かすことによってそれを回復されます。何を回復するのですか? 余すところのない神のことばです。キリストの全体像を教会に現されるのです。キリストのなされたすべてのことを、同じやり方で、この夕べの光は再現します。言わんとしていることがわかりますか? ああ、素晴らしいと思いませんか? わたしたちはそのことの目撃者となっているのですよ。
224. しかし一方、木のてっぺんでは、初生りの実がみのりました。木のてっぺんにおいてです。だから、夕べの光に照らされるのは、木のてっぺんなのです。
225. 夕べの光が出現して輝き、朝の光がしたのと同じしるしを行います。同じ光が、同じ木を照らすなら、同じ実を実らせます。アーメン!「わたしは回復すると、主が言われる。」ということばが、成就したことを証しするのです。
228. 神のことばは、預言者に臨みます。夕べの光は現れて、何を回復することになっていますか? 子の心を父の信仰に向け直すのです。これが4番目の光です。
229. 「人の子よ、預言しなさい。これらの骨は生き返ることができるか?」(もっと時間があればいいのですが。ここに書き留めてあることを読まずにとばさなければなりません。)「預言しなさい。これらの骨は生き返ることができるか?」教会が生き返るのに、4段階を踏まなければなりませんでした。エゼキエルが見た枯れた骨が生き返るための4段階は何でしたか? 筋が置かれただけでは、いのちはありませんでした。風が吹き付けたとき初めて、いのちが入り生き返りました。4番目の、いのちのメッセージが与えられて、初めて生き返ったのです。「わたしは回復すると、主が言われる。」ハレルヤ!神に栄光!褒め称えます!
231. 国々は分断し、イスラエルは目覚める
預言者が預言したしるし
異邦人の日は限られ、恐れに塞がれる
戻れ、散らされていた者たちよ、
贖いの日は近いからだ
人の心は恐怖でくじける
聖霊に満たされよ
ともしびの芯を整えよ
見よ、贖われる日が近い。
偽預言者は偽り、
神の真理を否定する
キリストなるイエスは神であるという真理を(アーメン!)
・・・
しかし我らは使徒が通った道を歩む
贖いの日が近いから
人の心は恐怖でくじける
(原子力やら何やらで)
それでも聖霊に満たされよ
ともしびの芯を整えよ
見よ、贖われる日が近い。(アーメン!)
232. 「あなたの背後のテントにいます。」
「わたしはあなたのところに戻ってきます。」と天使が言うと、サラは笑いました。「なぜ、サラは笑ったのですか。」彼女はテントの中にいました。アーメン!
イエスが戻って来られるとき、同じようなことが起こると言われました。それから、マラキ4章の夕べの光が闇に輝いて、前もって定められているみことばを照らします。ハレルヤ!
233. 夕べになって光がある
栄光の道を見いだすために
光は今水の流れのなかにある
イエスの御名のうちに隠されて。
老いも若きも罪を悔い改めよ
そうすれば聖霊が満たしてくださる
夕べの光が現れたから。
これは神とキリストがひとつである証拠である。
235. 今や、神の手中にある定められていたみことばが、目の前に現れているのが現実です。それはどういうことでしょう?それは、主が来られる時が迫っている証拠です。そしてこの時、「私は回復すると、主が言われる。若いいなごが残したものを(メソジストの食べ残しを)、食い尽くすいなごが食い尽くし、すべて剥ぎ取って倒してしまったが、夕べの時刻になったら、わたしはそれを回復する。」ああ、なんともまあ、今から説教を始めたいくらいです。本当にそうできそうです。
イエスをどんなに愛していることでしょう
イエスをどんなに愛していることでしょう
イエスをどんなに愛していることでしょう
イエスの愛があるから。
イエスから決して離れません
イエスから決して離れません
イエスから決して離れません
イエスの愛があるから。
アーメン!イエスを愛していませんか? わたしは心からイエスを愛します。さあ、癒しのプレイヤーラインを開始しましょうか?
236. さて、父よ、これはあなたからのことばですから、なんと言おうと、信じます。でも主よ、この復活祭の朝に、あなたのことばが真実であることをどうか実証してくださる事を望みます。ここに初めての方々がおられるもしれません、ですから、あなたが今も変わらずイエスであり、形式の中におられるのではなく、復活された神であり、実際に生きてわたしたちの間におられることを実証してください。父よ、どうぞ祈りを聞き入れてください。あなたをたたえます。イエスの御名って、アーメン。
237. 1番のカードを持っている人はいますか?E-1のカードを持っている人、いたら手を上げてください。手元のカードをよく見てください。1番の人はいませんか? カードの番号が間違っていないかな? いいでしょう、それなら別の番号から始めましょう・・・ああ、そう、あなたが持っているのですね。それなら、1番の人、歩くことができたら、こちらの方に回って来てください。もし歩けなかったら、お手伝いしますよ。1番、2番のカードを持っている人、手を上げてください。2番ですね、こちらに来てください。3番、ここにいますね。4番、5番。みなさん、ちょっとの間座っていてください。5番ですか? 6番の人、手を上げてください。6番、6番、6番?どこ? 誰かが手で示しています。ここからでは見えませんが、ああ、後ろの方にいました。ちょっとまって、7番?後ろの方の女性ですね。8番?
みなさん、ちょっとの間、席から離れないで、静まってください。さあ、これから実証の時間が始まります。
238. 父なる神よ、あなたからのひと言は、わたしたちにとって大きな事なのです。主よ、人々にわからせてください。あなたからのことばを、できるだけ率直に話そうとしましたが、手落ちがあったことを主よ、どうか許してください。たくさん貴方の僕による不首尾がありました。主よ、どうかわたしの失敗に目をとめるのでなく、語られたあなたのみことばに目を止めてくださいますようにそれを告げ知らすのですから、そのことを心から感謝いたします。心から嬉しく思います。主よ、これは命より大切なことです。みことばのためにいつでもわたしの命を捧げます。これは本当です。あなたのことばですから。
239. わたしは自分の罪を告白しました。この人たちの罪も告白します。彼ら一人一人を許してください。わたしたちのしていることが見せかけ行為でないことを、どうか人々が理解しますように。わたしが先に語ったように、これが終わりの日の聖霊の働きで、みことばを実証しているのだということがわかりますように。しかし、父よ、わたしはただの人間で、所詮わたしが何を言っても、彼らは、「そんなのは単なる解釈だ。彼がそう思っているだけだ。」と言います。父よ、あなたが仰せになり、それが正しいことを証明してください。そうすれば彼らは意見を変えなければならないでしょう。それはわたしの解釈ではなく、あなたのものだからです。主よ、どうぞ祈りを聞き入れてください。もしわたしがあなたの僕であり、わたしの罪が許されているのなら、そして、あなたがわたしをこの働きに召し出してくださったのなら、仰せになってください。この願いを聞き入れてくださるよう、祈ります。
240. それから、人々が理解し、みなが、神の栄光のために癒され、救われますように。アーメン。
246. なんて言いましたか? ああ、10人集まっていますね。10、11、12、13、14、15・・・カードの番号が10、11、12、13、14、15、16、17、18、19、20、21、22、23、24、25の人・・・これでちょうどいい数となるはずです。みなさんをあまり長く待たせないといいのですが、でも今・・・いいでしょう、さあ始めましょう・・・
247. 信じなさい、信じなさい、
信じるならば、全てなされる
信じなさい、信じなさい、(何を信じるのですか?
神のことばを、約束を。何のために?)
信じるならば、全てなされる。
248. それで父親はかけていき、イエスの足元に跪いて言いました、「主よ、わたしの子をあわれんでください!悪魔が様々な方法でこの子を苦しめるのです。もう何ヶ月もこんなふうに泡を吹き、痙攣を起こして倒れます。」癲癇です。「いろいろなところで診てもらいました。あなたの弟子たちのところにも連れてきたのですが、よくなりませんでした。」
イエスは言われました、「もしあなたが信じるなら、わたしにはできる。信じる者にはすべてのことが可能となるからである。」
ただ信じるだけでいいのです。(過去も現在も
未来もずっと変わりません。みんな集まりましたね。
静かにしてください。)
信じるならば全てなされる(なんと素晴らしいときでしょう。)
信じなさい
信じなさい 信じるならば
ただ信じるならば全てはなされる。
249. 主イエス・キリストの名によって、ここにいるすべての霊をわたしの支配下に置く。神の栄光のためである。
祈りのために並んでいる列を見ると、誰も知り合いがいません。みんな知らない人たちです。列に並んでいるすべての人は、初めて会う人たちであり、その人が誰で、どんな問題を抱えているのか知りません。列に並んでいる人は、手をあげてください。会堂にいる人の中で、わたしが初めて会う人はどれだけいますか? あなたたちにも、ここに並んでいる人たちと同じ権威があります。ただ、一人ひとりと向き合うかだけの違いです。(こっちのマイクを使いましょう。今度は聞こえますか?)
252. こちらに来て。友よ、わたしたちは遊び半分で教会にいてはいけません。今は終わりの時です。木のてっぺんで実が実っています。そうです。主がやって来られます。
わたしは彼女を知りませんが、神はご存知です。彼女が生まれる前から、神は彼女のことを知っておられます。彼女がここに立って、わたしがここに立っていることをずっと前から神はご存知でした。全知全能の神ですから。そうですね?
さて、神が全知全能で、なんでも知っておられるなら、彼女がなぜここに立っているのかもご存知のはずです。それなら同じ神が・・・
253. イエスが、過去も現在も未来も変わらないお方であり、みことばで約束されたとおり、つまりわたしが話したように夕べの時刻に彼が現れて同じ業をされるなら、待ちどおしいではありませんか。教会がよみがえるのを待っているのですから。
254. さて、わたしたちがお互い見知らぬ人同士であるので、彼女は自分の手を握っています。わたしは彼女を知りませんし、今まで見たこともありませんでした。彼女はただ、知らない人としてここに立っています。それからそちらにいる人たちも同じです。ここに座っている人で幾人かは顔見知りです。でも多くはありません。もちろんコリンズさんは知っています。ベン兄弟の奥さんです。それからドーチ兄弟姉妹の顔が先に見えたのですが、ドーチ兄弟姉妹、後ろの方にいますね。幾人かは顔馴染みですが、多くはありません。馴染みになるほど、あまり長くここにいることがありませんから。そして今日は、この会堂に初めて来た人たちもいますから、祈ってください。
255. イエスはその時、「水を飲ませてほしい。」と言われました。わたしも同じことを言います。わたしが話しているのではなく、キリストです。でも、なぜあなたがここに立っているのか、キリストがわたしに明らかにされるのなら、あなたは彼があなたの人生のすべてをご存知であることを知ることになります。
もし彼が、あなたの過去のことを明らかにされるなら、あなたはそれが正しいか間違っているかわかります。もし彼が、過去のことを知っていて、それをあなたに伝えるのなら、未来のこともわかっていて伝えることができます。それが起こる前に、明らかにすることもできます。
あるいは過去のことも、未来のこともすべてのことを明らかにされます。会衆の皆さん、イエスを信じますか? まさにそのとおりです。あなたが、イエスがそうされたかどうか信じることを信じます・・・まだ信じています。しかし確固たるものにしなければなりません。
256. さて、彼女のことに介入することができるかもしれません。わたしは彼女を知りませんが、これは神にかかっています。神でなければできないことです。わたしにはできませんが、神ならできます。
257. そして彼女は・・・腫瘍ですね。腫瘍が脊柱の右側にありますね。当たっていたら、人に見えるように手を上げてください。さあ、信じますか? あなたには見えませんが、それが正しいと心から信じますか?よろしい。
「もしかしたら、推測しているんではないですか? ブラナム兄弟。」
百万回も、完璧に推測することはできません。彼女を立たせておきなさい。今あなたから光が離れてしまいました。ちょっと待っていて。彼女は大丈夫そうです、クリスチャンですね。ちょっと待って。もし、彼がほかのことも明らかにしてくださらないのなら、・・・ええ、戻ってきました。彼次第ですから。そうです、医者が手術して摘出したがっているのは腫瘍でした。そのことが彼女の問題となっています。でも彼女はキリストを信じてお任せしようとしています。そして・・・彼女はこの近くの人ではありません。彼女は誰かを連れてきています。それは夫で、彼も問題を持っています。そうです。
神が明らかにしてくださると信じますか? あなたの連れ合いのことを、何が悪いのか、見ています。さあ、あなたの夫に、夕食のご馳走を食べてもよいと告げなさい。胃腸の悪いところはなくなりました。
258. 主イエスを信じますか?もしこれが、かつてここにおられた主イエスと同じでないなら・・・女を調べ、彼女に話しかけ、言ったことが真実かどうか尋ねましたね。もしあなたが、ただ信じるなら。納得しましたか? さあ、私にはできないってことがわかりましたね。わたしはただの人です。あなたの兄弟です。でも彼は神です。
さて、次の人ですか?あなたが列に並んでいる人ですね?
260. 奇跡は説明できません。それは誰でも知っています。これは驚くべき奇跡となるでしょう。それは次の奇跡よりももっと奇跡となるでしょう。例えば、車椅子の女性がいて、関節炎であちこち縫合されていたとして、わたしが「立って歩きなさい!」と言うと、その人が歩き出したとします。すると皆が叫び出します。しかし、実際にはその人の信仰の力によるものなのです。立ち上がって、歩く・・・それは可能でしょう。しかし、誰かの人生の過去にさかのぼり、言い当てるのは、それよりもっと大きな奇跡なのです。それができるのは神おひとりですから。だから、それが神の業かどうか、あなたにはわかるのです。
261. もう一度、あなたの信仰のために、あなたに言います。もし他の女性に起こったのなら、あなたにも起こるはずです。あなたの信仰にかかっています。あなたの信仰が奇跡を起こすのです。わたしではありません。あなたが神を信じることです。イエスは決してこうは言われませんでした、「わたしはこれからあの女性に会うことを知っている。」そうではなく、ラザロが生き返るときが来たとき、神はイエスに、何をすべきか示されました。神は言われました、「あっちに行きなさい。」そしてイエスはご自分を証明されました。彼はそこを離れて行かれたのです。それから戻ってくるとこう言われました、「ラザロは眠っているのだ。」そしてラザロのところに行き、彼を墓からよみがえらせました。死んでから4日たっていましたが、彼の魂を呼び戻されたのです。イエスはそのとき、力が出て行って弱くなったとは言われませんでした。それは神が賜物を使ってなされた業だったからです。でも、あの女がイエスの衣の裾に触ったときは、神の賜物を用いたのは彼女だったのです。同じことがここで行われているのです。あなたがするのです。
262. さあ、この女性が幻に現れてきました。幻が動いています。周りを見ることができるようです。女性は病気です。重い病気です。まず胃腸がひどく悪い状態です。それが本当なら手をあげてください。それから合併症もいくつかあります。そうですね。あなたと一緒に来た人がいます。それはご主人です。彼も病気です。もし神がご主人のどこが悪いのか明らかにされたら、わたしが神の預言者であることを信じますか? ご主人は目と耳の状態が非常に悪いです。神はあなたを知っておられると信じますか? あなたの名前を明らかにしたら、わたしが神の預言者で、先見者であることを信じますか? あなたはロバートソンさんで、アラバマ州ハンツビルから来ました。ご主人のもとに戻り達者でいなさい。
あなたは信じますか? 信じるものには、すべてのことが可能なのです。しっかり構えて、神がそうされることを信じなさい。疑ってはいけません。ただ、神があなたを癒し、なんでも願うことを与えてくださると心から信じなさい。
263. あなたが、今感じていることを、僕をとおして神が明らかにしてくださると信じますか? あなたがここにいる理由、あるいはどこか悪いところがあるとか、なんでも。明らかになったことが真実かそうでないか、あなたにはわかります。神が明らかにしてくださいますように。幻がこの男性に訪れました。彼は病気でここに来たのではありません。聖霊のバプテスマを待望しています。それが彼の願いです。正しいですか? あなたはこの地域の人ではありませんね。あなたは、道路を越えていったところの、えっと、インディアナ州セイモアという場所からきましたね。あなたはビルと呼ばれています。ビル、戻って、イエス・キリストの名によって聖霊を受けなさい。
264. みなさん、信じますか? これが聖霊のなせる業であることを信じますか? 素晴らしいと思いませんか? 神を信じますか? どれだけの人が残っていますか?大概は2人か3人が証人なのですが。(注:誰かが「3人、あるいは4人」と言う。)4人ですか。今ここに立っているのは5人目の人ですよね。よろしい。さあ、イエス・キリストは神の子で過去も現在も未来も変わらないお方であることを、みんなで信じましょう。
265. 何か食べたいですか? 神が具合を良くしてくださることだけを思いなさい。あなたから今、去っていきましたよ。アーメン。
266. 初めまして。ああ、悪魔の喘息ですね。ちょと待って。ちょと待って、何かおかしなことが起こりました。いいえ、おかしいのではなく、正しいことが起こりました。あの時あの人をとらえたのと似たような状況が起こっています。それが何か確かめさせてください。ちょっとわたしを見てください。黒人の男性です。このあたりに座ってわたしを見ています。彼は病人を連れています。そうですね? 喘息と蓄膿症です。そうですあなたの信仰が神に触れたのです。あなたはここの人ではありませんね。あなたは北東の方から来られた。ニューヨークですね。そうです。あなたはハントさんです。今信じましたね。あなたの横に座って、祈っているのはあなたの友達ですね。わたしが神の預言者であることを信じますか?あなたは、彼と一緒にここにやって来ました。あなたの名前はコールマンです。あなたは、お父さんの喫煙の問題を祈っていますね。これは「主が言われる。」ことです。信じなさい。
267. あなたは神経の不調に悩ませれています。心から信じなさい。家に帰って健やかでいなさい。
あなたは神経過敏です。神があなたを健全にしてくださると心から信じなさい。少しでも疑ったりしてはいけません。
あなたは神経過敏と心臓の問題ですね。イエス・キリストが癒してくださると信じますか? イエス・キリストの何よって、よくなりなさい。
神経の不調と胃腸の問題と心臓の問題と胃の不調で、食べるものが全て酸っぱく感じてしますね。行きなさい。心に疑いを持ってはいけません。願いは聞き入れられ、不快な症状はなくなります。
あなたの背中が痛むのですね。心から信じますか?それなら行きなさい。イエス・キリストが治してくださいます。
268. ちょっと待って。黒人の男性が見えます。さっきの人とは違います。ちょっと待って。ビリー、ちょっと引っ込んで。あ、わかりました。そこに座っている黒人の男性です。あなたも背中に痛みを抱えていますね。そうです。あなたは私にとって、知らない人です。わたしも、あなたにとって知らない人です。でも、ひとつ、背中の痛みよりもっと大切なことがあります。キリストに心を向けなさい。そうすれば祝福を受けます。さあ、キリストを救い主として受け入れますか? あなたはオハイオから来ましたね。そうです、オハイオからです。家に戻ってよくなりなさい。イエス・キリストがあなたの罪を許してくださいます。家に帰って、癒されなさい。
さて、姉妹、こちらに来て。合併症、神経過敏と衰弱。神があなたを健全にしてくださると信じますか? 席に戻って、「主イエスよ、あなたがしてくださったすべてのことを感謝します。」と言いなさい。
269. 君は信じるかい?神が君をいやしてくれると?言いなさい「神様感謝します。」とそして言って神を賛美しさえすればいいんだよ。
さて、心から信じますか?それな行きなさい。イエスキリストがあなたを癒してくださいます。ちょっと待って、彼女ではありません。そこの女性ではなかった。
ちょっと待って。今、水が飛び散るのを見ています。誰かがどこか海の向こうから、ここにやって来ました。女性です。彼女はオランダから来ました。どこにいますか? ああ、そこにいますね。姉妹よ、大丈夫。あなたは癒しのためにはるばるここまでやって来ました。わたしを預言者だと信じますか? あなたはリューマチと関節炎と凝りに悩まされています。主イエス・キリストを信じなさい。そしてこのメッセージをあなたの仲間に伝えなさい。主の祝福がありますように。
270. 心から信じますか?イエスが死からよみがえったと。(はっきりしない言葉)お祈りしましょう。
主イエスよ、あなたの聖なる力をこの教会に送ってください。この教会に吹きまくって、わたしたちの姉妹のうちにも来て命を助けてください。主よ、彼女に、彼女が求めている偉大な癒しを送ってください。ここにいる人々を癒してください。あなたに栄光がありますように。どうぞ聞き入れてください、主よ。
そしてお互いに手を置きあっている人たちにも。これらのハンカチのためにも、イエス・キリストの名で祈ります。ひとり残らず癒されますように。主よ、しるしを現してあなたのみことばを確かなものとしてください。そしてサタンよ、腐った悪魔よ、お前は敗北した。お前は自分の作った信条で神を裏切ったが、神は、神の子を回復すると言われた。夕べの光が輝くとき、神は元どおりの栄光の姿に教会を戻される。そして今がそのときである。回復すると私たちには権利がある。私たちには大祭司なる弁護者がついている。そのお方に訴え出て、権利を取り戻す。長い間縛られて来たが、もうお前にその力はない。イエス・キリストの名によって、復活の力と、ここにおられる聖霊によってお前に命じる。この会衆から出て行け!(注:会衆が大胆に喜ぶ。)