1. 人のことを決して悪く言わない姉妹の話を聞いたことがあるでしょう。
「あなたは、悪魔のことをどう思いますか?」
「ええ、悪魔は抜群の敵です。」そういうものなのです、悪魔は。
2. さて、今朝は「血による庇護のもとで」という題の話をしようと思っていたのですが、なぜか聖霊がわたしに、変更を促している気がしました。それで昨夜、こう尋ねました、「なぜ主は、『血による庇護のもとで』という題の話をしようとする気を変えようとされるのでしょうか?」約束の地に向かうイスラエルが血の守りのもとにあったことが、話の内容です。いずれまた、この話もするでしょう。
6. 彼のことを話すついでに、みなさんが知らない彼のことをお話ししましょう。彼は腹心の兄弟です。彼がこの世を去った後に花輪を送るより、今、彼に花束を送りたいと思います。彼は本当に良い点がたくさんあるのです。
ロイ兄弟とその家族は、わたしにとって本当の兄弟です。彼は一生懸命に働き、家族を養い、子どもたちを育てました。彼の子どもたちをよく知っています。彼の息子が幼くして亡くなった時、わたしは葬儀の説教をしたことがあります。
8. 彼の妹のエヴェリナは、(多分、どこかに座って聞いていますね)「ブランハム兄弟、わたしの家は、売っても300ドルくらいにしかならないでしょうが、わたしたちはそれをそのために充てます。」これこそ正真正銘、本物です。わたしの書によれば、これこそ真正です。
それからしばらくたって、わたしは初めての宣教集会に出かけていました。セントルイスで大きな集会をもっていたところ、電報が届いて、「娘が危篤 スローター兄弟 スグカエレ」とありました。急いで荷物をまとめました。彼をがっかりさせることはできなかったので、すぐに家に戻り、ニューアルバニーにあるカトリックの病院の病室にとんで行きました。病院側はもう助かる見込みがないと諦めていたのですが、わたしたちが病室に入った途端に、主イエスがスローター兄弟の娘を癒してくださいました。ここにその彼女がいます。水に浮かべたパンのように、恩恵はいつの日か戻ってくるのです。
9. すると彼は言いました、「いいか、ビリー。どれほど練習を積んでも、どれほど運動経験を積んでも、おまえの等級でどれほど強くても、こんなふうに打たれて、強打で血を止めなきゃダメなんだ。今は俺のことを憎いと思うだろうが、リングに立った時に、ありがたみがわかるさ。」「打たれることで体が鍛えられて回復が早くなるんだ。打たれたら、リングに倒れる。そしてカウントされる。しかし体が鍛えられていれば、強打に持ちこたえることができるようになる。そうしたら、豪打されてもすぐに回復してもう一度立ち上がることができる。ノックアウトされても、またリングに戻る。」そう言って彼はわたしを場外まで打ち飛ばしました。それから言いました、「とにかくやってみるんだ。わかるか?」彼はわたしを殺すところでした。彼はわたしより15キロほど体重が上でしたし、彼は闘士で、わたしは生徒でしたから、本当に殺されかけました。しかし彼が言った「リングに立てば、ありがたみがわかる」という言葉は、真理でした。
12. 「そんなボートでは渡ることができない。」とわたしは言いました。
「でも、こうすれば時速80キロで走ることができますよ。」
「それは岸辺だったら浮かんでいられるでしょうが、ここを渡っていくには無理です。」
彼は、「それなら、彼らを連れて行きなさい。」と言いました。見ると、ウッド兄弟とフレッド・ソスマン兄弟がいました。この二人はわたしが夢を見た夜にちょうど一緒にいたのです。夢の中で彼らは、操帆装置を取り付けた緑のカヌーに乗っていました。キャンプ用品も載せていました。船頭は「彼らと一緒に行きなさい。」と言いましたが、
わたしは答えて言いました、「彼らは船頭ではありません。わたしは船頭で、カヌーの操り方もわきまえていますが、彼らには無理です。それにそんなカヌーでは駄目です。」
「でも、彼らはあなたを慕っていますよ。」「それなら、ここに戻ってきて蓄えたらいかがですか?」
13. 「たくさん貯蓄しなさい」という声がしました。
わたしはそこで貯め続けているときに、目が覚めました。最初はただの夢だと思ったのですが、ずっと頭に残っているのです。でも意味がわかりませんでした。それでウッド兄弟や多くの兄弟に迷惑をかけたのですが、やっと意味がわかりました。今まで何回も言ってきたように、わたしは待たなければならなかったのです。ある事柄が順次起こらなければ、わからなかったのです。
14. わたしがいつも、「主が望まれるなら、海外遠征に出かけるつもりです。でもまだはっきりわからないのです。」と言うのを、皆さん聞いてこられていますね。わたしは主からの答えを待っていたのです。そしてこれがその答えです。ジョージ・スミスは、(彼はわたしの最初のトレーナーであり、今日の若者が束になってかかっても相手にならないほどの闘士でした。)わたしの最初のプレイヤーラインの訓練を意味していました。つまりこうです。人々を前に立たせて、待っていますと、幻が来ます。次の人が前に立って、幻がきて、次の人が立って、幻が来て。文句なしにうまくいきました。
16. さて、アーガンブライト兄弟が先日電話でこう言いました、「ブランハム兄弟、これは大きな休暇になりますよ。シャカリアン兄弟が心臓麻痺で倒れてしまったので、海外での集会がキャンセルになったのです。」それで彼はスイスでの集会にわたしを誘いましたが、聞くとたった一晩の集会だと言うのです。集会はたった一晩だけで、あとは現地で休暇をとり、あちこち散策できるというのです。とてもいい話です。アーガンブライト兄弟は上等なクリスチャンで、わたしと家族の腹心の友でもあります。
17. すると彼は、「それなら、彼らのやり方で、彼らとともに行きなさい。」と言い、
わたしは、「彼らは船頭ではありません。宣教師です。わたしは福音の奉仕者です。もし彼らと行くなら、キャンプをしたりして、休暇を楽しむことになるでしょう。」と言い、その誘いを断りました。これが夢の解釈です。
数日前に、アーガンブライト兄弟が電話をくれました。シャカリアン兄弟の状況のために海外での集会がキャンセルになったことはすでに知っていましたが、スイスで一晩だけ集会があるというのです。それでメーダの意向も聞いておかなければならないので、ジョージアから彼女に電話しました。「アーガンブライト兄弟が言うには、5月20日に発たなければならないそうだ」
すると彼女は、「駄目、それは駄目。子どもたちの試験期間だわ。それは無理。」と言い、彼女は旅行に参加しないと意思表示しました。これは彼女のための休暇旅行だったのです。さて、そういうことです。夢とはいえ、すべてのことに意味が含まれています。すべてのことがどこかに意味を含んでいました。こういうわけで夢には解釈があるのです。
19. わたしが、「どんな混乱が起こっても関係ない。わたしが行かなければならないのなら、どこであれ、わたしは行きます。構いません。」と言ったところで、幻が終わりました。今言ったことはテープに録音されました。この幻は実現します。覚えていてください。幻に現れたことは実現します。
20. それからその次の日曜日には、アーガンブライト兄弟がロル兄弟を連れてここに来ます。ロル兄弟は3、4人の大統領に仕えたワシントンの外交官です。彼らはここで新しい映像を見せてくれますから、できたらみんな集まってください。わたしも来たいと思っています。
22. 去年の秋の狩で一緒だった宣教の友人である兄弟は、妻とともに、家を離れて奉仕していました。彼の手やあちこちが赤剥けしていたので、どうしてか尋ねたところ、ノミ、シラミ、南京虫にやられたとのことでした。彼と妻は、家を離れてインディアンと生活をともにしていたのです。彼は集会に何人かのインディアンを連れて来ました。(彼らは皆カトリック教徒ということになっていました)その集会で、聖霊がインディアンのチーフをはじめ、連れて来られたインディアンたちに臨み、みんな癒されました。彼らは漁師で、ボートであちこちの海岸に出かけていました。エディー兄弟から呼ばれたので、そこに行こうと思っています。それからそこを発って、1日かけて移動し、フォート・セント・ジョンで2〜3日の夜の集会を開きます。アラスカハイウエイの途中にあります。それから2晩そこで過ごします。
23. それから10日にそこを発って、11日と12日はサウスカロライナ州のコロンビアにいるビグビー兄弟のところにいます。
24. それから昨夜、すでに西海岸にいるロイ・ボーダー兄弟に電話しました。35〜40の教会が、カリフォルニアのセダリアとグラスシティで行われる集会に協力してくれることになっているそうです。それからグラスシティを発ってオレゴンに行き、それからワシントン州に行きます。
25. さて、わたしがしようとしていることは、ここで語っているこれらのメッセージを、糧として貯畜、配給することです。何処といって特定の場所はないのですが、行こうと思っています。行って、種を蒔こうと・・・
27. 彼女の手紙の続きです、「夫がわたしを連れて行ってくれました。友人も一緒でした。」「わたしがこれ以上一日ももたないことを、主はご存知でした。」(彼女はそれほどもひどい病気だったのです)「あなたの息子のビリー・ポールが券を渡してくれました、わたしが一番先でした。その晩あなたの夫が番号を呼んだ時、わたしが一番先に祈られることになったのです。」「ステージに立つとすぐ、彼はわたしの人生とわたしがしたこと、あらゆることを明らかにしました。そして、『もう苦しみは終わったと、主が言われる。』と、そう言われた瞬間からもう痛みがなくなりました。」「以前は体重が30キロくらいしかありませんでしたが、今は70キロくらいになっています。」「ブランハム姉妹、世界中の人があなたの夫を必要としているので、あなたが寂しいと思う気持ちがわかります。」「でも、彼が主に心を捧げたおかげで、カンザスの名もない主婦が、あの苦しみから自由になったことを、どうか覚えていてください。」
わたしはこの手紙をビリーに見せて、「これをあのメソジスト大学に送ってほしい。」と頼みました。
彼は山積みの手紙を見せ「これらも読んでみて。」と言いましたが、
「わかっている。どれも皆素晴らしい証が書いてある。しかしこの手紙だけでじゅうぶんだ。」と、わたしは言いました。
29. 主よ、みな、あなたを愛しています。だからここに集まっているのです。いったい誰が、ただ顔を見せるためだけに、立たされても壁にもたれても足が痺れるのにもかかわらず、何キロもドライブしてここに来るでしょうか。
30. 病気の人を癒してください。これからの集会の予定のことを話しましたが、まだはっきりわかっているわけではありませんが、あなたの望みであるなら、種をばらまくためにわたしは出かけて行きます。良い土地に種が蒔かれたならそれは芽を出すでしょう。主よ、良い土地に導いてくださるよう祈ります。
31. 主よ、先ほど話したカンザスの夫人のことを思います。彼女は、痛みがなくなり、どこも悪いところがなくなって、トランキライザーや睡眠薬に頼らなくてもぐっすり眠ることができるようになり、今では幸せに暮らしています。すべてが順調になりました。ああ、主よ、あなたが来てくださると、本当にすべてのことが良好に変わります。感謝します。
さて、父よ、わたしたちはみことばに向かいます。どうかあなたのみことばを祝福してください。決して虚ろにあなたに戻ることがなく、必ず最初の目的を成し遂げることができますように。イエスの御名によって願います。アーメン。
32. 先週の日曜日は・・少し遅くまでかかりました。ひどく長い集会になってしまって、ああいうのは好みません。(わたしはちっとも構いまので、)座っている人が時々立っている人を見て、席を交換して休ませてあげたいと思ったら、どうぞそうしてください。クリスチャンの素晴らしい行為です。今度のイースターまでに、多分、別の集会を開くと思います。
33. 戦いが進行する、おお、キリストの兵士よ、
断固として敵に向かえ
(この歌きいたことあるでしょう。)
武器がきらめき、軍旗がひらめく
この日、正と悪が交戦した
(そうですね)
戦いが進行する、弱ってはいけない
強くあれ、神の力によってしっかり立て
神が味方なら、神の旗印は我らが頭上に
最後に勝利を歌うのは我らだ!
(そのとおり)
34. 「まことに、まことに、あなたがたに告げます。羊の囲いに門から入らないで、他の所を乗り越えて来る者は、盗人で強盗です。
しかし、門から入る者は、その羊の牧者です。
門番は彼のために開き、羊はその声を聞き分けます。彼は自分の羊をその名で呼んで連れ出します。
彼は、自分の羊をみな引き出すと、その先頭に立って行きます。すると羊は、彼の声を知っているので、彼について行きます。
しかし、ほかの人には決してついて行きません。かえって、その人から逃げ出します。その人たちの声を知らないからです。」
35. 生きていくための拠り所は二つしかありません。ひとつは知恵で、もうひとつは信仰です。知恵が何をもたらすか、また、信仰が何をもたらすか・・・今日はこの二つの拠り所について、聖書から答えをもらいながら、日曜学校の授業としたいと思います。この二つが何なのか、これから何をするのか、過去に何をしたのかを、主の助けを求めながら、解いていきましょう。
40. みなさんは、知恵が悪魔から出たものだと言われて、変なことを言うと、まず思ったのではないでしょうか。でも本当のことなのです。知恵は悪魔から出たものなのです。悪魔が知恵の創始者です。
もちろん、悪魔の持っているものはすべて、神が創造されたものを堕落させたものです。罪とは、義を堕落させた結果の産物。姦淫は正しい行為を堕落させたもの。嘘は真理の堕落。
41. サタンにも、ある程度信仰が伴います。サタンを受け入れるためにはサタンを信じなければなりません。だから、堕落したものには、堕落した信仰があるのです。神のことばを捻じ曲げようとするものはすべて、そして間違ったことを大したことだと言うものもすべて、悪霊であって、神の知恵に逆らって、悪知恵を与えようとしているのです。そういうわけで、サタンの信仰ではなく、知恵の方を調べていきます。
信じている多くの人たちは、誠実で、あらゆる信仰を持って信じています。彼らは正しいと信じています。でも確かめなければなりません。信仰が二極化しているのです。真実を信じるための確かな方法は、最初のみことばに戻ることです。すべてのことの基礎となっているのは、みことばです。
42. どちらの側にも子どもがいます。さて、今話している知恵とは何ですか? すべての神からのことばが真理であることを否定するものです。もっと高い知識、もっとたくさんの知恵を用いて、真理から引き離そうとするものです。このような知恵がサタンから来るのであれば、その子は知恵によって生きます。他方、神の信仰が神から来るのであれば、神の子は信仰によって生きます。聖書は言っていますね、義人は知恵によって・・あ、違った・・信仰によって生きると。「義人は信仰によって生きる」のです。学習したことによってではなく、信じることによって生きるのです。そうです。
43. 「さて、神である主が造られたあらゆる野の獣のうちで、蛇が一番狡猾であった。蛇は女に言った。「あなたがたは、(サタンも神の言われたことばを知っているのです)園のどんな木からも食べてはならない、と神は、本当に言われたのですか。」
女は蛇に言った。「私たちは、園にある木の実を食ベてよいのです。
しかし、園の中央にある木の実について、神は、『あなたがたは、(神のことばの引用です)それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬと行けないからだ』と仰せになりました。
(彼女もそこまでは信仰を持っていました。さてここから注意してください。)
そこで、サーパントは女に言った。「あなたがたは決して死にません。」
44. 「あなたがたは決して死にません。」サタンが何をもくろんでいるかわかりますか? 彼の説得に応じさせようとしているのです。神のことばを自分なりに判断しようとした途端、あなたは信仰を失います。「はい、いいえ、多分」などど思考してはいけません。みことばにとどまりなさい。エバは最初のうちは正しい方向に進んでいましたが、彼の推論に耳を貸してしまったのです。
45. 「そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。」
あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」
46. そのような声がしたなら、聞いてはいけません。離れなさい。それはサタンの声です。良さそうに聞こえても、話を聞いてはいけません。神が言われたことだけを信じなさい。さて、
「そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、(ね、わかりますか? サタンの説得に乗ってしまったので、それが正しい、真理の行為に思えてきてしまったのです。)目に慕わしく、賢くする(信仰を持つ? いいえ、賢くするのです)というその木はいかにも好ましかった。(ね、わかりますか? サタンは、賢くするという、みことばと相反する知識を与えたのです)それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。このようにして、ふたりの目は開かれ、それで彼らは自分たちが裸であることを知った。そこで、彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちの腰のおおいを作った。」
47. ああ、このことを主題としてどれだけお話ししたいことか。しかし、ここに4〜50ページのノートがありますから、先に進まなければなりません。
48. 例えば、先ほど引き合いに出したことですが・・・これはあまり一般的な例ではありませんが、母が亡くなる前のことです。わたしは同胞たちに、一緒に狩りに行くことを約束していましたが、主は、それができないことを知っておられたので、幻を与えて教えてくださいました。そして、主の促しでブリティッシュ・コロンビアに行きました。そこでガイドが、「生まれてからずっとこの地に住んでいますが、今まで一度もシルバーチップ(グリズリーベア)を見たことがありません。それに、馬に乗って羊の放牧地を登っていくのですよ。シルバーチップがいるわけありません。絶対にそんなものを仕留めることはできませんよ。」と、念を押しました。ね、サタンは理屈で、神が示されたことから引き離そうとしているのです。
サタンはわたしに囁きました、「そんなことあるはずない・・・あなたは幻の解釈を間違えているんだ。」
「いいえ、そんなことはない。幻は『神がこう言われる』なのだから、必ず実現する!。」
49. わたしは答えました、「これは『主が言われる』ことです。」
わかりますか? サタンはわたしに幻を信じなくさせようと試みたのです。
50. わたしはにやっとして言いました、「疑っているのかい?」
「いいえ、とんでもない。」
それから80メートルくらい下りてきたとき、彼は言いました、「あと80メートルくらいしかありませんよ。」
「そのとおり」わたしは答えました。
彼は言いました、「どう考えたって、たった80メートルの間に・・・」理屈を打捨てなさい。「見てくださいよ。ここからはすべてを見渡せますが、何もいませんよ。」
わたしは言いました、「しかし、みことばをくださった神は、創造主ですよ。あれこれ推し測るのをやめて信じなさい。憶測に耳を貸してはいけません。そんなの無駄なことです。神が言われたことを信じる。それだけです。
わたしは辺りを見回していましたが、黄色いハナゴケだけしか見えませんでした。日が暮れはじめ、丘が美しく照らされていました。わたしのいるところから5キロほど上まで、はっきりと見渡せました。しかし、ふと振り向いたとき、2.4〜3.2キロほど前方に、2.7メートルあるシルバーチップグリズリーが立っていました。グリズリーが、どのようにしてそこに来たのかわかりません。しかしそこにいました。ですから、理屈ではないのです。信じることです。どんな状況に置かれたとしても、状況に注目してはいけません。神のことばを信じなさい!
51. ところが、サタンはこんなふうに言いました、「ちょっと言わせてください。神が真理だというのは本当です。わたしたちはみな、みことばを信じています。」「わたしはもちろん信じていますよ。でも、聞いてください。言っておきますが、神はそういう意味で言われたのではないのです。」
神は複雑な言い回しを決してされません。神が言われたことは、言われたとおりのことを意味しているのです。
さらにサタンは言いました、「それでは、神がなぜそんなことを言ったか教えてあげましょう。あなたはまだ賢くなっていませんよね。知恵を受けていないからです。今のあなたは導きを必要とする羊にすぎません。まだ自分自身になれていないのです。」その状態こそ、神があなたに望むものなのです!「あなたはまだ博士号も取得していませんね。あなたは善と悪についても知らないのですよ。そのようなものが存在することは気づいていても、それが何なのか知らないのです。だからわたしが教えてあげましょう。」これが、サタンがエバに教えたかったことです。彼の狙いはここです。「だからわたしが、どうすればいいか教えてあげましょう。」
エバは答えました、「でも死んでしまいます。」
サタンは、「神は確かにそんなことはされませんよ。でも、あなたたちも賢くなることをご存知なのです。」わかりますか? 彼は神のことばに背かせるために知恵を用いているのです。このような知恵のことをわたしは今お話ししています。知恵と信仰の対決・・・信仰に反対する知恵のことです。これが初めの戦いでした。神のことばは変わることなく真理です。彼らは神から禁止されたことをしたので、死にました。そしてそれ以来ずっと、死が継承されいます。疑う余地もなくはっきりしています。ちょっとの間それを調べていきましょう。
52. 医者がなんと言おうと・・・
さて、先ほど証を読んだあの女性の例を取りましょう。医者はもう手の施しようがないと言いました、「いろいろ試みましたが、もうあなたには、なす術がありません。精神病院に行きなさい。そこに彼女を連れて行きなさい。」
彼女は言いました、「精神病棟に入れられる前に、自殺しよう。」
それからどうなりましたか? 神が介入されました。イリノイ州ブルーミントンで集会があることを、彼女は遥かカンザスで耳にしました。「信仰は聞くことから始まる」のです。彼女の夫が彼女と一緒に集会にやって来ました。(彼らはお互いに愛し合っていたのですね。)しかし、考えてもみてください。4年間で4回の大手術を受け、15〜16のトランキライザーを打ったのですよ。それだけでも人を殺すのにじゅうぶんな量です。それからそれ以外の注射を週に2〜3回打ち・・・、ひとつはレキシトロンで、別のはなんていう名前だったか忘れましたが。精神安定のための注射でした。それに加えて、二つの睡眠薬も飲んでいたのです。それでも眠ることができなかったのです。治る見込みがなくて、惨めな気持ちで、毎日毎夜、何年にも渡って病に苦しんでいたのです。しかし、信仰は聞くことから始まります!
53. すると彼女は頭の中で、素早く考えを巡らせました。「待って。彼はさっき、キリストは過去も現在も未来も変わらないと言ったわ。そして聖書で、終わりの日に教会にキリストが現れると約束された聖句を確認したわ。(その日わたしは、ソドムでの出来事などを説教しました。)彼はソドムで起きたようなことがこの終わりの日に起きると言った。そしてまさに今、この場所でそのことが現実となっている。」
54. 「いったいどこから彼はその情報を知ったのかしら? 誰が教えたの? この頭髪の薄い人がそんなことを知っているはずがないわ。どうしてわかったのかしら?」
「それからあなたは、ここに来る途中、〇〇のことに遭遇しましたね。」
「あらまあ!これは彼がさっき説教したとおりのことが実際に起こっているのだわ。これは神からのことばだわ。」
しかしサタンは囁くのです、「ねえ、もしそんなことを信じたら、あなたの牧師がどう思うか・・・」そんなことは関係ないのです。あらゆる思惑を捨て去りなさい。「でもあなたの医者はあなたが精神病院に入った方がいいと言いましたよ。」あらゆる思惑を捨て去りなさい。
「わたしは神がなんと言われるかを聞くわ。」そうです。
わたしは何を言えばいいか知らなかったのですが、聖霊が引き受けてくださり、暴露されました。彼女は信じました。彼女はあれこれ考えなかったのです。「何年も何年も、ノイローゼが続き、正気でいられなくなり、手術や投薬でボロボロになったわ。ここで即座に完治するなんて考えるのはまともではないわ。」などどは考えなかったのです。彼女はあれこれ考えずに、信じました。信仰がそれをさせたのです。それで彼女は即座に癒されました。もし彼女に手紙を書きたいなら、ビリーが彼女の住所を知っています。
55. さて、聖書を読みましょう。時間が切迫するまでローマ書の4章を読みましょう。わたしは聖書を読むのが本当に好きなのです。読むといいことがあります。ローマ書4章の17節から読みます。
56. 聖書に書かれているように、(パウロは聖書に忠実だから好きなのです。)聖書に書かれているように、
「わたしはあなたをあらゆる国の人々の父とした。」
過去形で書かれています。アブラハムはその時75才で、若いときからずっと妻と一緒に暮らしていました。妻は半分アブラハムと血が繋がっていました。ふたりのあいだには子がなく、彼も彼女も不妊症でした。しかし、神はアブラハムに会ってこう言われたのです、「わたしはあなたをあらゆる国の人々の父とした。」(過去形です。もちろん世界が造られる前からのことです。)多くの子どもの父ではなく、あらゆる国の人々の父ですよ。考えてもごらんなさい。
「このことは、彼が信じた神、すなわち死者を生かし、無いものを有るもののようにお呼びになる方の前で、そうなのです。」
57. 「彼は望みえないときに(望みがなかったのですよ。もし彼がものの道理など考えていたらどうなっていたことでしょう。しかし彼にはいちるの望みもありませんでした。)望みを抱いて信じました。それは、『あなたの子孫はこのようになる』と言われていたとおりに、彼があらゆる国の人々の父となるためでした。」
誰がなんと言おうと、「神がそう言われた。」これで決まりです。ああ、もしエバもそのようにしていたなら!しかし、彼女は立ち止まって考えを巡らし、知恵をつけてしまいました。アブラハムは知恵など欲しがりませんでした。彼はみことばを求めたのです。「神がそう言われたのだから、そうなる。決定。」このことをなんども説教で話していますよね。オムツやピンや、赤ちゃんに必要なものを用意して、サラは赤ちゃんの靴を編んで、それから何年も何年も経っても、「主をほめ称えます。赤ちゃんが生まれますから。」と言っていました。そうです。
医者は言ったことでしょう、「でも、彼女は赤ちゃんを生めませんよ。到底無理です。」
「何も言わないでください。わたしたちには赤ちゃんが生まれるのですから。」そうです。
58. 「アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが死んだも同然であることと、サラの胎の死んでいることとを認めても、その信仰は弱まりませんでした。(希望は死に絶え、彼の体は死に体となり、サラの胎も死んでいるにもかかわらず、彼がどうしたのですか?)
彼は、不信仰によって(知恵のことです)神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、
神は約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。
62. ああ、兄弟よ、そんなふうに言う人たちがいるのです。キリストの教会と称していながら、その実そんなものなのです。信心を装いながら、その実、みことばを否定する者たちです。でも、あなたは信じなければいけません。あれこれ推論しないで信じなさい。知恵をつけようとせずに、ただみことばを信じなさい。
知恵はあれこれ思考してより良い方法を与えようとします。サタンがエバに試した方法がそれです。「あなたたちは決して死ぬことはありませんよ。決してそんなことありません。だって神はよいお方ですから。」
65. ローマカトリック教会はこんなふうに言います、「わたしたちが教会です。それに比べれば、聖書は価値が劣ります。」
シーン司教は、「聖書をもとに生きるのは、泥水の中を歩くようなものだ。」と言いました。
67. 彼はエバに「神は本気でそう言われたのではないのです。神はよいお方だから、そんなことするはずありません。確かにあなたたちは死にませんよ。」
しかし実際には彼らは死にました。それ以来、人は死んでいきます。みことばには従わなければいけないのです。
知恵はより良い方法を取ろうとします。現代的で、人気を博し、もっと簡単な方法です。
69. 知恵は説得を試みます、「ねえ、ちょっと、今はそんなことできませんよ。」それでもわたしたちはそんなことをしなければならないのです。知恵は無難な方法を選ぼうとします。聖書が言っていることと違う解釈をさせて、あたかも聖書がそう言っているように仕向けるのです。
70. 神のことばの意味と違う解釈をさせて、あたかも神がそう言っているように仕向けるとき、こんなふうに彼らは言います、「ブランハム兄弟、あなたの解釈は間違っています。」聖書で、預言のことばは個人的に解釈してはいけないと書いてあります。どうして個人的に解釈してはいけないのでしょう? それは、主のことばは預言者に臨むからです。だから預言者が解釈しなければいけないのです。預言者がすでに解釈して人々に教えたことを、誰かが個人的に解釈することはできません。聖書にそう書いてあります。だからそのやり方を守るべきです。
72. さあ、ここからが重要なところです。神の思いは神のことばです。「初めにことばがあった・・・(それは永遠の次元のことです。始まりが最初に始まったときから、時が存在し始めました。)初めにことばがあった。(神の思いのことです。)ことばは神と共にあった。ことばは神であった。」神の思いが神ご自身なのです。あなたもそうですよ。あなたの思いがあなた自身なのですよ。あなたは善良な人として暮らしているかもしれないけれど、心の中で姦淫やら何やらを犯しているなら、それがあなたなのです。あなたが思っていることがあなたなのです。そして神の思いは神のことばです。神のことばは神と共にあり、神の内にあります。そして神のことばは神です。
「初めにことばがあった。ことばは神と共にあった。ことばは神であった。」そのことばは人となりました。神の思いが人体の中に現れ、人となり、わたしたちの間に宿られたのです。そうです。
73. 知恵は理屈を用いて、みことばを、神が言われたことと違う意味に受け取らせようと仕向けます。
「本当にそうですか? ブラナム兄弟」
それなら創世記に戻って調べましょう。創世記3章4節です。神が言われたことと違う意味に、みことばを受け取らせようと仕向けていないか、確かめてみましょう。創世記3章4節を読みます。
「そこで、蛇は女に言った。『あなたがたは決して死にません。』」
蛇が言ったことを聞きましたか? どんな言い回しをしましたか? みことばを、神が言われたことと違う意味に受け取らせようとしました。神が言われたことは、「あなたがたは死ぬ。」でした。
74. 誰か、「使徒信条」を記した箇所を聖書に見つけることができる人がいますか? 聖書に「聖徒の交わり」について書かれていますか? なのにプロテスタントもカトリックもこのことを信じているのです。聖書のどこにこんなことが書かれているのか、知っていたら教えてほしいものです。
75. 罪は美しいことを知っていますか? ここにいる人たちで50才以上の人はどれだけいますか? 手をあげてください。(女性にはこんなこと聞いてはいけないことを重々承知しているのですが、みんなで真実を認めなければなりません。)あなたたちに伺います。世界中のこんにちの女性は、平均的にみて、昔の女性より倍もきれいになっていると思いますか? もしそう思うのなら、手を挙げてください。そうなのです。昔より倍もきれいになっているのです。昔の写真があります。
76. ところが今日の女性はどうでしょう。体の線が見えるドレスを着て、動くたびに罪を犯しています。メイクアップをして、つま先で通りを歩き、マックスファクターの化粧で素顔を隠し、若く見えるような髪型にし、スカートは膝の上まで短くし、まるで洋服など着ていないみたいです。でも見てください。美しく見えるのです。サタンはどうすれば美しく見えるかわかっています。彼は美の創始者ですから。このような美しさは、罪をもたらします。
77. そんなに昔のことではありませんが、あるインディアンが言いました、「白人よ、わたしはもう生きていたくはない。もう戦うこともやめた。」「我々の子どもたちはどこに行ってしまったのか? 彼らは飢えて死ぬだろうか? わたしの妻はどこに行ってしまったのか?」「あなたたちが、白人女性やウィスキーや罪をこの大地にもたらす前は、我々は平和に暮らしていた。ここは神が与えてくださった我々の土地であったのに、あなたたちがそれを奪ってしまった。いつかその償いをしなければならないときが来るであろう。」
80. どうしてですか? 地球の胎は千年紀をもたらさないからです。代わりに、本来あるべき姿からねじ曲げられたものをもたらしています。なぜ? 知恵をつけようとしているからです。
フロリダの人に対して悪意があるわけではないので、フロリダから来られた人たちはどうぞ悪く受け取らないでください。わたしが初めてフロリダに行って、ジョージアに戻ってきたときのことです。州の境界線のジョージア側に立ち、わたしは言いました、「アメリカ合衆国の国民の一人として、フロリダをセミノールに返還します。」なぜなら、セミノールインディアンの方が、わたしが自分の髪の毛の手入れをするよりも、ずっと上手に庭の世話をすることができるでしょうから。フロリダはすべてが虚飾に満ちているのです。通りのヤシの木には点灯がくくりつけられているし、大きくて贅沢なヨットやらなにやらがあり、まるで千年紀が訪れたかのようです。悔い改めもしていないのに。わたしにしてみれば、それらのものは無用の長物です。そんな場所にいるよりは、ブリティッシュコロンビアの山の頂上で、神が造られた山々の連なりを眺め、人の手に汚されていない自然を眺める方が百万倍も素晴らしいです。
81. 信仰は聖書に書かれたことを信じ、こう言います、「みことばには何も欠陥がない。」
奉仕者がこう言うのを聞いたことがありますか?「キングジェームス版、あるいは改訂版、あるいは別の版、それはほんの少しの違いなのですよ。そういうことを意味しているわけではないのです。」そんなふうなことを聞いたことがありますか? おや、まあ!それで世界が汚染されているのです。しかし、信仰はそんな言い分を信じません。信仰は、わたしが聖書に頼って生きることができるようしてくださっている神を信じます。もし、わたしが生きる拠り所としている聖書に不備があったなら、わたしを造られた神は、なさけない神だということになります。しかしわたしは、聖書のすべてのことばが真実であると信じます。そうです。
82. 「本当に神はその人を殺されたのか。契約の箱が落ちそうだったので手を添えようとした人が、レビ人でなかったという理由で、神は本当にその人の命を奪われたのか・・・。」どんなに神が憐れみ深い神であっても、彼はその人の命を奪ったのです。なぜなら神はレビ人だけが契約の箱に触れることができると言われたからです。神はご自分が言ったとおりに実行されました。それでご存知のとおり、ダビデの心が掻き立てられたのです。
83. さて、信仰は何をしますか? 書かれているとおりに聖書を信じます。始めのときから今日に到るまで、神が備えておられる道はこれです。そしてわたしにとって、それは神のことばなのです。神はそういう行為を褒めてくださいます。そしてみことばの真理によって、信仰を完全なものにしてくださいます。
84. 同様なことをする男性に対して、女性は信頼を置くことができるでしょうか? 信頼を置くことができる基となる要素がありませんから、無理です。
85. 「天と地は滅びるでしょう、しかしわたしのことばは決して滅びません。」とイエスは言われました。なぜ? 永遠だからです。イエスははじめに存在し、神のことばを現すために来られました。イエスは神の現れです。神は御子をとおしてご自身を現されました。
86. みんな、羊とヤギを見たことがありますよね。気づいていましたか? 羊とヤギは鳴き方がとても似ているのです。本物の羊飼いでなければその違いがわかりません。あなたがヤギを連れてきて鳴かせてみて、それから羊を連れてきて鳴かせてみて、両者の鳴き方を比べても、同じにしか聞こえないはずです。しかし本物の羊飼いなら、聞き分けることができるのです。
イエスは言われました、「わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。」羊かヤギか聞き分けることができるのです。なぜなら、イエスご自身が羊ですから。「わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。彼らは知らないものについていかない。」イエスの声とは? そうです。みことばです。「わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。」彼らは誰にも、「わたしも神の声を語りますよ。これによるとこれはこうなのです。」なんて言わせません。しかしサタンは・・・それについて語る前に、少し熱を冷ましましょう。
87. イブは、「わたしたちがそれを食べたなら、その日のうちに死ぬと主は言われました。」と言ってから、相手の反応をうかがいました。
サタンは言いました、「でも、お聞きなさい。可愛い子よ、確かに神は、目的があってあなたを造られたのだ。そうでしょう? あなたは女ですよ。あなたは女の目的で造られたのです。今はまだわからないかもしれないが、あなたはこの目的のために造られたのです。あなたは愛くるしいものですよ。なんてまあ、華奢な手をしていることでしょう。確かにあなたは・・・」
「でも主は、わたしたちがそうしたら、死ぬとおっしゃいました。」
するとサタンは言いました、「まあまあ、善良で優しい父なる神が、そんなことすると思っているのですか?」そこで彼女はどうしましたか? サタンの言い分に耳を傾けてしまったのです。そしてこう言う彼の知恵を受け入れ、それになびいてしまいました、「これは喜びの木ですよ。あなたは望まれるものになるのですよ。」そうなのです。そしてその後どうなりましたか? どの女もそうであるように、彼女はなびいた途端、そこでいのちを失いました。そうなのです。
わかりますか?彼女は種を抱いていました。そしてやがては母になるはずでした。神の御意思により、仰せのことばによって、彼女はやがて母になるはずでした。しかし彼女はそれまで待てずに、先走りしてしまったのです。
91. 「でも、マタイ28:19で、父と子と聖霊の名によって洗礼を授けなさいと言っているじゃありませんか?」
そう、そのとおりです。もしそれが正しくなかったら、彼らが正しいことをしていなかったことになります。そうなれば、イエス・キリストの名によって洗礼を授けるというペテロの信仰が、間違った啓示だったことになり、残りの聖書記述も間違いだったことになり、神が間違った啓示に祝福を与えていたことになります。すると、さかのぼって初めの時に・・・神はエバの行為を祝福せねばならないことになってしまいます。
92. 「どっちだって、大して変わりはありませんよ。」
そういうなら、名前の代わりにあなたの肩書きを小切手に書いて見なさい。「わたしは小切手にサインしました。主婦の名によって。」
啓示によってはっきり示されているのに、それでも神のことばを信じないのと同じくらいナンセンスです。さて、次にいきます。
93. これら二つの拠り所、あるいは雰囲気とでもいいましょうか、それについて調べて見ましょう。それらが何を生み出すのか。ちょっと見てみましょう。
94. 牧師がこんなふうに語る教会に行ってみなさい、「ちょっと待って、そんなことあるはずありません。ナンセンスです。わたしは神による癒しなんてことは信じません。聖霊のバプテスマについても。」そこでは会衆も皆・・・。もし一羽の鷲がそんなところにいたら、ニワトリ集団から逃げ出すことでしょう。必ずそうします。これは真理です。鷲はそんなところにいることができません。鷲ですから、空高く舞い上がるのです。鶏小屋で我慢できるはずありません。そうです!鷲は舞い上がりますよ。
96. そのような人々の集いに行くと、「わたしは癌の末期でしたが、癒されました。」なんていう証を聞きます。
「わたしは、目が見えなかったのですが、今では・・・」とか。
そんな証を初めて聞く人は、「え?なにそのつまり、どうなっちゃったのですか?」なんて驚くでしょう。
「医師の診断書をお見せしましょう。うちにいらっしゃいな。夕食をうちで一緒に食べましょう。そこで詳しくお話ししましょう。以前のわたしがどんな状態だったか、近所の人が知っていますよ。何年もずっと麻痺していたので、祈ってもらったのです。」
ね、わかりますか。その教会にはみことばが宿っているのです。そしてみことばを信じる人たちがその雰囲気を作っているのです。
98. 『カウボーイの瞑想』の歌詞を読んだり歌ったりしたことがありますよね。彼らは迷い子の一歳の子牛をスープにして食べちゃったんです。その子牛には烙印が押されていなかったから。他の牛たちは牧草地に連れて行かれました。群れの親分は自分の牛を知っているのです。だからもし・・・烙印は痛いものです。
100. ビタミンCも含んでいます。判断力を兼ねそなえた「常識 」です。
ビタミンRも含んでいます。「推論 」です。彼は論理的に考えることができますが、使いものになりません。
ビタミンBも含んでいます。「美しさ」です。サタンは美しいし、罪も美しいです。罪はさらに美しさを増し始めています。今の家は、丸太の家よりどれほど快適で綺麗になっていることでしょう。昔に比べて女性もどれほど美しくなっていることでしょう。フロリダは、神が造られた頃よりどれだけ綺麗になっていることでしょう。どれだけの人が、サタンが美の極みであり、美を追求し、もっともっと美しい王国を造ろうとしていることを知っていますか? 本当のことです。サタンは美しいのです。
101. ちょっとサタンの知識を用いて、こういうことを信じないか、みてみましょう。このビタミンは、あなたたちが座っているその場所で成長していきます。ある人があなたに知識を与えるとします、「もしわたしたちが、この荘厳な大聖堂で、泣いたり叫んだり、異言を語ったり、走り回ったり、狂犬病のように口に泡を吹いたりすることを許したらどうなるでしょう。教会の執事である市長がなんと言うでしょう。もしそんなことをこの場所で許可するとしたら。」確かに現代的に偏ってきていますね。「もしうちの教会員が町の通りでタンバリン片手に立っていたら・・・もし姉妹が長い髪を垂らしていたらどうなるでしょう。町を行く他の女性たちが、彼女を見て、『見て見て!この教会の頭領だわ。(とかなんとか言って)・・・まるで旧型車みたいじゃない? スペアタイヤが後ろでパンクしているわ。』なんてささやきあったとしたら。」現代的に考えると、こんな感じなのです。
102. こんにちの女性たちのように現代的です。そうです。ああ、現代的とはなんということでしょう!「町でもっとも現代的な人たちは、教会に通います。」そうなんです。なぜなら、現代的ビタミンと理知的ビタミンの土壌で、彼らが育ったからです。彼らが育ったのはそういう土壌なのです。だから彼はその作物なのです。理知的です。
しかしそのような環境で育つと、みことばに対して死んでいます。そのようなものになるためには、みことばを否定しなければならないからです。わかりますか。罪人になるには、神のことばを否定しなければならないのです。罪とはなんですか? 不信仰のことです。何を信じないのですか? 神のことばです。まず、神のことばを否定しなければならないのです。
103. 聖書に神がなさったことが記録されています。神は、彼女を犬にくれてやったのです。そのことを重く受け止めるべきです。
104. いいえ、神はそう願っておられます。神はイヴに、死んではいけない、生きよと言われました。イエスは、「人は、神の口から出るひと言ひと言によって生きる」と言われました。他でもないイエスが言われたのです。そうですね? 「もし誰かが違うことを言うなら、その人は嘘つきです。神のことばが正しいのです。天と地は滅び去りますが、わたしのことばは滅びません。」そうです。
だからビタミンDはサタンの処方箋に含まれています。現代的です。そうです。
105. すると会衆たちが鶴の首を伸ばしてあたりを見回します。キョロキョロして囁くのです、「なんですって?」
それから気をとりなおした説教師が説教を続けます、「神の御子、イエス・キリスト・・・」
「神に栄光!そのとおり。」また叫びます。
106. それからサタンは、毒のスプレーを撒いて、あなたのいのちの胚芽を死滅させようとします。「こんにち、神が癒しをなさると信じている人たちがいます。でも、現代において神は、病を癒すために医師をわたしたちに与えられたと考えるのが、理にかなっています!」
さて、心ある医師に、医者が癒しを行うかどうかたずねてみましょう。彼はこう言うでしょう、「いいえ、とんでもない。わたしは歯を動かすことはできますが、歯茎を癒すことはできません。」そうです。
わたしは、腕を貸すことはできますが、癒すことはできません。
確かにそのとおりです。神が癒されるのです。どうしてそのような土壌にいのちが育まれることがあるでしょうか? どうしてみことばの種がそのようなところで育つことができるでしょうか? 単純に考えて無理です。そのような雰囲気では育つことができません。絶対に無理です。
108. 信仰が育つのは、聖霊のいのち、永遠のいのちの中です。ゾーィ(Zoe)とは神ご自身のいのちのことです。信仰がみことばを聞いて、それが神からのことばであると信じたとき、信仰は力を発揮します。聞いて信じると、ゾーィの中で信仰が成長し、語られたみことばを実現させるのです。
109. 「気体から。」
「それなら主よ、気体はどこから来たのですか?」「あなたは水をどうやって造られたのですか?その化学式は?」
「H2O」
「それならどこから水素や酸素を手に入れたのですか?」
こんな調子です。らちがあきません。神はなんと言われましたか? 世界は神の思いの中にあったのです。神の思いは神のことばが現れる前の状態です。そして神の思いが発せられて、「光よ、あれ」と言われたとき、そのようになったのです。そこに信仰の基があります。
110. 「わたしは信じます、ブラナム兄弟。」心の中で信じることができます。信じたら、それを口にするのです。「わたしは信じます。」そして口にしたら、絶対に心変わりしてはいけません。とどまりなさい。そしてそこから何が成長するか確かめなさい。信仰からは、みことばが生まれます。知恵はみことばから引き離しますが、信仰はみことばをもたらします。
112. 「どんな楽しみがあるのですか?」
「たまには外で飲もうじゃないか。ちょっとした楽しみだよ。大したことないよ。」わかりますか。ちょっとしたことだと言うのです。それが彼らのビタミンです。どうすれば、そのようなビタミンが、みことばを育てることができるでしょう。みことばがそのようなビタミンを否定しているのに。「もしあなたがこの世とこの世のことを愛するならば、神の愛はあなたのうちにありません。」と聖書が語っています。ですから、どうすれば神のことばがそのようなビタミンのもとで成長できるでしょう?
113. ところで、雑草は場所を選ばずほとんどどこででも育ちます。そうですね? 教団という雑草はどこにでも生えます。しかし、兄弟よ、いのちの実を実らせたいなら、みことばにたどりつかなければなりません。そうです。確かにそうです。
みんなを長く引き止めて、いつまでも話をしたくないと思っています。
114. 「その日、イエスは家を出て、湖のほとりにすわっておられた。
すると、大ぜいの群衆がみもとに集まったので、イエスは舟に移って腰をおろされた。それで群衆はみな浜に立っていた。
イエスは多くのことを、彼らにたとえで話して聞かされた。
『種を蒔く人が種蒔きに出かけた。
蒔いているとき、道ばたに落ちた種があった。すると鳥が来て食べてしまった。
また、別の種が土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったので、すぐに芽を出した。
しかし、日が上ると、焼けて、根がないために枯れてしまった。
また、別の種はいばらの中に落ちたが、いばらが伸びて、ふさいでしまった。
別の種は良い地に落ちて、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結んだ。
耳のある者は聞きなさい。』(知恵のある者でなく、耳です。聞くことです。)」
115. それはカトリック教会です。彼らは岩の上に教会を建てたと言っています。わたしも同意見です。そのとおりだと思っています。地面に土がないので、根を張って育つことができないのです。どうしてでしょう? 聖書を信じていないので、聖書のビタミンをつくり出すことができないのです。彼らにはドグマという教理があります。ローマのドグマですが、まったくみことばが含まれていません。だからなのです。
117. 共産主義を恐れてはいけません。それは神の駒です。わたしは共産主義を信じません。それは悪魔から出たものだからです。しかし神は悪魔をも利用されます。ネブカドネザル王を利用してイスラエルを捕らえさせたときと同じです。聖書がそれを証明しないか注視していましょう。いつかそれを見ることになるでしょう。神が共産主義を立ち上がらせ、大淫婦が神の子にしたことの復讐をさせるのです。聖書にそのことが書かれています。彼らが火で彼女を焼き、彼女に審判が下るのです。必ずそのとおりのことが彼女に起こります。それがカトリックです。岩の上に落ちたので、育つための土がなく、枯れました。それが人知を超えた知恵でした。
118. 聖霊はマルチン・ルターの時代に降りました。ジョン・ウェスレーの時代にも降りました。そして初期ペンテコステ教会の時代にも降りました。しかし教団は何をしましたか? 自分たちの知恵を優先させて聖霊を追い出したのです。種を塞いで枯らしてしまったのです。種とはなんですか? みことばです。「その言葉はそういう意味でなく、実はこうなんです。」プロテスタントはこんな感じで、みことばを塞いてしまうのです。
119. わたしは、「あなたにとって、神のことばと教会とどちらが重要ですか? 」と言いましたが、宗派の埃にまみれていると、それ以上話し合いを進めることはできないのです。しょうもない。みことばを否定するのは間違いです。そこには人の作り出した知恵が働いています。
123. ある種は、苦しい試練が待ち受けている迫害の谷に落ちました。谷間の百合がベルゼバブと呼ばれたように、彼もあらゆる悪い名前で呼ばれるでしょう。でも谷には清流が流れています。
124. 「幸いなことよ。
悪者のはかりごとに歩まず、(知恵です。アーメン、アーメン、アーメン、アーメン)
罪人の道に立たず、
あざける者の座に着かなかった、その人。
まことに、その人は主(みことば)のおしえ(みことば)を喜びとし、
昼も夜もそのおしえを口ずさむ。
その人は
水路のそばに植わった木のようだ。(水路って何ですか?霊の9つの賜物です。ひとつの霊である水から流れる複数の水路です。でも9つの別の源から流れます。水の流れる水路です。)
時が来ると実(霊の実)がなり、その葉は枯れない。
その人は、何をしても栄える。」
126. 「そのとおり、アーメン!」
「イエスは昨日も今日もいつまでも変わることがない。」
「アーメン!」
「イエスは変わらず今も癒されます。」
「アーメン、アーメン、アーメン!」わかりましたか?
水路のほとりに植えられた者。あちこちから流れてきた流れが、同じ水が流れる水路(複数)になります。
だから枯れることができないのです。だから彼がそこに植えられたのです。ある種はそこに落ちました。絶えることなく水路のほとりで実をつけます。そうです。彼は水路からいのちを汲み続けることができるのです。水路は新約聖書と旧約聖書です。アーメン。それによって養われます。兄弟よ、
神を愛しますか?アーメン
神を賛美しますか?アーメン
神を礼拝しますか?アーメン
アーメン、アーメン!
127. どんな実をつけるのですか? ヨハネ14:12で、イエスは、「わたしを信じる者は、わたしがする業をその人もおこなう・・・」と言われました。どうしてですか? 同じみことばがその人の内にあるからです。イエスはみことばでした。そうですね?「もしあなたがわたしの内におり、わたしのことばがあなたの内にあるなら、願いをなんでも言いなさい。」
128. わたしは言いました、「それでは・・・」
さて、どうしますか? こんな時、まず第一にするのは何ですか? みことばに、父にお願いすることです。「もしあなたがわたしの内におり、わたしのことばがあなたの内にあるなら、願いをなんでも言いなさい。」そう、みことばのとおりにするのです。ただみことばが言われたとおりにするのです。
130. ちょうどその時、幻が舞い戻って来ました。黄色っぽいシャツを着た若い男が、車を運転していました。彼は元はクリスチャンでした。みことばが彼を一喝しました、「あなたは間違いを犯している。」みことばは彼を捕らえました。神は、神のことばを遣わして犯人を捕まえたのです。「あなたは、こんなことをしているといつか捕まる。そして法によって裁かれる。戻ってその車を返しなさい。」
131. 彼は、「はい」と答えました。
「車の中のあなたの所持品には手がつけられていませんが、ガソリンは半分に減っていますよ。犯人がボーリンググリーンに行くちょうど中間地点まで走ったので、約160キロ分のガソリンを使ったからです。」彼が車を見つけると、ちょうどそのとおりの状態でした。どういうことだったのでしょう? みことばが遣わされて彼を捕らえたのです。
132. 「不憫な人だ」と、わたしは思い、「祈りましょう」と言いました。(彼は400ドル借りていました。)わたしがみことばを送ると、みことばが出て行ってその男を追跡し、発見しました。わたしたちは、行って彼を見つけると、彼は笑い飛ばしました。彼は無神論者でした。一度誰かが彼を教会にさそいましたが、彼はこう言いました、「説教師がしゃべっている間、可愛いブロンドでも物色しているよ。」だから、はっきりしています。それは悪魔です。
133. 天の神のみ知ることです。わたしには何も聞かされていませんでした。何も知らなかったのです。
134. 彼は言いました、「でも、そこを通ると50キロ近く回り道することになりますよ。」
道を走りながら、わたしはこう思いました、「彼は見つけるだろう、彼は見つけるだろう。そうしなければならないんだ。」
車にはエヴァンス姉妹も乗っていました。しばらくして彼が、「ねえブラナム兄弟、どうしてわたしは気づかなかったのだろう。さっきあなたはボーリンググリーンと言いましたよね。」と尋ねました。
「確かに。」
「あの男がわたしの金を持って、逃げたこと知ってますよね。」
「確かに。」
「彼はボーリンググリーンにいるのです。ずっと考えていたのですが・・・あれこれ考えてみなければならない問題があって、あの男の居場所を突き止めて、それから・・・」
それでわたしは言いました、「あなたはどうしたいのですか? そこに行ってお金を取り戻しますか?」
もしわたしが彼に伝えれば・・・しかしこれは彼自身でなんとかしなければいけないことでした。彼が決めなければならないことなので、わたしは彼に伝えることができなかったのです。もしそうしてしまったら、幻が無効になってしまいますから。
135. イエスはなぜ立って収穫を見ていたのでしょう。(イエスが収穫の主であることを信じますか?)彼は弟子たちに言いました、「収穫の主に願って、収穫のための働き人を送ってくれるよう祈りなさい。」言い換えれば、「わたしがこれからすることを、わたしがするように、わたしに願いなさい。」
136. もし彼が行かなければ、もうお金を取り戻すことができないことがわかっていましたので、わたしは言いました、「もしわたしだったら、今すぐに行ってお金を取り戻すだろうけど。」そこで彼は実行しました。その男をベッドから起こして問いただしたとき、幾らかのお金を取り戻すことができました。それから彼は近所の人を呼んで、残りのお金も取り戻すことができました。どうしてそれができたのですか?みことばの働きです。みことばを信じる人がいれば、現れて力を発揮します。
141. それから、みことばは言い表わされなければなりません。「死よ、少年を返せ!イエス・キリストの御名によって、このことばを伝える。」するとみことばは、ボーリンググリーンで車を盗んだ青年を追跡したようにして、追跡を始めます。そして死んだ少年の魂を捕まえ、少年のところに戻し、みことばが前もって知らせたとおりにその少年を生き返らせたのです。そうなのです。何がそうさせたのですか? 信仰です。知識ではありません。
143. 「それがイエスがなさったしるしですか?」イエスは、会堂長の一人娘が死んで冷たくなって横たわっている家に入りました。イエスが家に入った時、多分少女は死んで2時間ほどたっていたでしょう。人々は彼女を小さな寝椅子に横たわらせ、香料で防腐処置する用意をしていました。そのような状況の時にイエスが入ってきたのです。彼らは嘆き悲しんでいました。イエスは彼らにこう言って、みなを外に出しました、「ここから出て行きなさい。さあ、出て行くのです。」「ペトロとヤコブとヨハネはここにいなさい。あなたたちは信じるとわかっている。」そして父親にも声をかけました、「あなたは信じますか?もし信じないのであればわたしについてきてはいけません。」
母親が言いました、「主よ、わたしは信じます。」
「それなら、ここにとどまっていなさい。」
イエスは直視して少女のそばに立ち、言いました、「タリタ、」(「少女」という意味です。)ハレルヤ!イエスは祈り求める必要ありませんでした。彼はみことばですから、祈る必要がないのです。なぜなら、みことばはすでに用意ができているからです。わたしはみことばを受けるために祈らなければなりません。祈って、神が何を言われるか知る必要があるのです。それから神が言われたことを言います。でもイエスはみことばそのものでした。アーメン!
「少女よ、あなたに言います、起きなさい。」彼女の手を取りました。それだけです。ああ、なんと、これぞ種類に従って実を実らせることの明示であり、現れです。
「わたしを信じる者は、わたしがする業をその人もおこなう。」というのが、イエスのことばです。
144. どうしてこんなことが起こるのですか? どうすれば神の真理のことばが、ショートカットへアやミニスカートやタバコ吸いや、ボーリング場に入り浸る者や、教会に所属する者たちの内で成長することができるでしょう? 愉快なことを求め、歓楽を愛し、大衆と迎合してこの世的なことを愛する者たちに、どうして神の愛が訪れるでしょう? どうしてそのような土壌で、神の種が成長できるでしょう? けっして根を貼ることはありませんし、どんな命の胚芽も実ることはありません。土埃のかぶった教団の岩の上で朽ち果てるだけで、決していのちを実らせることはありません。そのとおりです。
神の愛より、愉快なことを求める人、快楽を愛する人、・・・恐ろしいことです。しかし彼らは賢い。彼らは神の子より倍も賢いです。そうです。彼らは、賢くて、教育があり、エバがしたように知恵を追い求める人たちです。エバと同じ処方箋で一服盛られているのです。これは本当のことです。
149. 「それなら彼らは真剣に間違っているというのですか?」そのとおりです。人は、ひまし油と間違えて、本気でヒ素を飲むことができるのです。効果のない真剣さ。これは真理です。残念ながら、嘘偽りのない真理です。
151. 「わたしたちはこんなにも立派な教団を立ち上げました。神は必ずわたしたちを受け入れてくださるでしょう。」神はみことばのほかは何も受け入れません。
「見てください。ブランハム兄弟、もし毎年これほど多くの福音奉仕者を輩出すれば・・・。私たちの宣教プログラムは昨年10万ドル以上供出しました。」それは良いことでしょうが、しかし、みことばを認めてみことばに従うまでは、死んだ活動をしているにほかなりません。そのとおりです。
154. あのみことばは成就しなければなりません。彼らはここで組織を作り獣が彼らの上に立つのです、彼らは親しく交わり、獣にものを言う権利を与えます。ああ、兄弟よ、あのみことばはすでに成就し始めています。世界を支配するのは共産主義ではありません、しかしローマ主義がそうなのです。
155. 人は苦しみたくありません。でもそれがこんにちの問題なのです。もし自分の教会から追い出されないなら、もし笑い者にされないのなら、彼らは直ちにこのみことばを信じるでしょう。彼らが望んでいるのは植物の命、知恵の一種です。「この命はそれと同じくらいいものです。」いいえ、そうではありません!どこからそんな考えがきたか、主が望まれるなら、教えましょう。
156. さて、アベルは、・・・ヘブル書11によれば、「信仰によって、アベルはカインよりすぐれたいけにえを神に捧げました。彼は死にましたが、その信仰によって、今もなお語っています。」とあります。
157. 母親はこんなふうに言ったかもしれません、「それはわたしが悪魔の嘘に耳を傾けたからですよ。あなたのお兄ちゃんは、これこれこんな事情で生まれたのですよ。だから、神がわたしたちを追放されたのです。」
彼は言いました、「そうか、それで園の門に近づくことさえできないんだ。ケルビムは剣を抜いて命の木を警備している。」だから信仰によって・・・
158. 彼は知恵によってそのことを教えませんでした。それは知恵によってではなく、信仰によってわかることなのです。聖書はこう記しています、「アベルは信仰によって・・・」彼は何を捧げましたか? 動物を殺してとった血です。わたしたちも動物です。恒温動物です。そうです。わたしたちは動物界で最高クラスの霊長類のうちでも最高峰であるヒトであり、魂を持っています。そしてそれがいのちです。
159. アベルは信仰によってみことばにとどまりました。知恵によってではなく、信仰によって、それが血を伴う性行為であることを理解したのです。血球は男性から生じます。男性の精子の中に血球があるのです。ヘモブロビン・・・血は男性から生じます。罪の原因となって、エデンの園から追い出されたのが、りんごや桃やジャガイモや何やらが原因でないことをアベルは知っていました。原因は血を伴う性行為です。だから彼はいけにえとして血をお返ししたのです。信仰によって彼はこうしました。知恵によるのではありません。聖書に書かれているすべてのことと神の教会は、信仰による神の啓示をもとにして出来上がっています。それならば、どうして知恵によってそれを理解できるでしょう?「この岩の上に、わたしの教会を建てる。」とあるとおりです。
「ええ、確かにわたしたちはそれを信じます。」そう言うなら、キリストのいのちはどこに形作られていますか? キリストのいのちはどこにありますか?
160. もしあなたが信じるならば、イエスは言われました、「信じる者には、これらのしるしが伴う。(伴うかもしれないではなく、断定です。)」「もしわたしを信じるなら、わたしのする業を、その人もするのである。わたしを信じるなら、 わたしのする業を、その人もするのである。」キリストは戯れにこう言われたのではありません。彼は言ったことを実行されます。どうしてそんなことができるのでしょう? 信じた者の内にキリストのいのちがあるからです。知恵が生まれるのではありません。信仰に生きるためには知恵を否定しなければなりません。みことばに信仰を持つのです。みことばにある知恵を学習するのではありません。みことばに信仰を持つのです。
162. 聖霊は永遠のいのちのしるしですが、彼らはそれを否定します。「異言を語るなんてありえない。神の癒しや聖霊のバプテスマは今は存在しない。それらは使徒たちのものだ。」
パウロはこう預言しました、「終わりの日には、最後の時には、これらのことが起こるだろう。」彼らの生きた時代ではなく、今の時代のことです。「聖霊が強調してこう言われます、『終わりの日には、後の日には、信仰の失格者となる者がでるだろう。』」云々。信心を装う者が現れるのです。
168. このようなことを、彼らは知恵を用いて自分の手で行なっています。だから、賢さや知恵がもたらすのは死なのです。単純になって神のことばを信じ、生きる者となりなさい。知恵を選べば死にます。そうです。終わりのときの収穫で、彼らは滅びます。
169. ノアは箱舟を造り、その扉のところに立って、「雨が降るぞ。」と言いました。誰もが彼を狂人と呼びましたが、彼は預言者でした。アーメン!彼は何をしましたか? 彼のことばを信じる人と助かりたいと願う人に救いをもたらしたのです。質素で無教育の人種がもたらしたのは、信じること、信仰を持つということです。もう片方の人種は知識を信じて、人類に死を招きました。質素な人たちは信仰を持って何をしましたか? 救いをもたらしました。主の預言者が現れて、終わりのときが近づいていることをしるしを用いて知らせました。
教育を受けた人たちがそれを信じたと思いますか? 鼻であしらい、立ち去りながら、こんなふうにがなり立てました、「いったい雨はどこから来るのか? 空に水があるというのなら、科学的に立証してみなさい。」それが科学者というものです。知ったかぶりをして、神など存在しないと科学的に証明しようとします。
172. 「ラビ、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、誰もおこなうことができないからです。」そのとおりです。ニコデモの告白にあるとおりです。
173. だから、いのちのみことばの種は知恵が働く環境では育つことができないのです。
175. 「そこで、兄弟たち、私はあなたがたにぜひ次のことを知ってもらいたいのです。私たちの祖父たちはみな、雲の下におり、みな海を通って行きました。
そしてみな、雲と海とで、モーセにつくバプテスマを受けました。」
176. ほかの人たちは、コラの知恵に従って、踊ったり、服を脱いだりすることを好みました。みな同じひとつの洗礼を受けていたのです。
178. ある日、知恵と信仰が対決するときが来ました。イエスとサタンが向かい合いました。そうです。イエスとサタンの二つの大勢力が真っ向から対立したのです。知恵と信仰の対決の時がやって来ました。
両勢力とも、みことばを用いました。そうですね?(ああ、兄弟よ、おもしろくなってきました。どうか聞き逃さないでくださいよ。『神よ、わたしの心を開いてください。』)両勢力とも、神のことばを用い、同じ聖書を用いました。しかし、回心していない側にはみことばの効き目はありませんでした。そうです。確かに。両者とも神のことばを用いましたが、サタンは頭の知識からそれを用いたので、効き目がありませんでした。
179. 「こういうわけで、神の安息に入るための約束はまだ残っているのですから、あなたがたのうちのひとりでも、万が一にもこれに入れないようなことのないように、私たちは恐る心を持とうではありませんか。
福音を説き聞かされていることは、私たちも彼らと同じなのです。ところが、その聞いたみことばも、彼らには益になりませんでした。みことばが、それを聞いた人たちに、(知識によって? 知恵によって?)信仰によって、(信仰によってどうなりました?)結びつけられなかったからです。
180. さて、サタンはみことばを知っていました。聖書を最初から最後まで知っていました。想像するにもしサタンに称号があるとするなら、彼の称号を書き留めるのに4〜5ページを要するでしょう。博士、尊師、長老、Ph、LL、QDなどあらゆるアルファベットが並んでまだまだ続くことでしょう。彼は聖書の博士号も持っているでしょう。聖書のすべての言葉を知っていますから。間違いなく、彼は知っています、わかりますね。
182. それに対して、イエスは言われました、「聖書にはこうも書いてある。」
184. さて、大きな教団に目を向けましょう。ちょっと考えてみてください。彼らは、「わたしたちにはみことばがある。」と言いますが、みことばが実際におこなわれているか、見せてほしいものです。カトリックは、自分たちが最初の教会であると言いますが、どうでしょう。信仰の伴わない働きというものを見せてください、そうすればわたしは、信仰による働きを示しましょう。これは、みことばが言ったことです。
185. 出来るでしょうか?トウモロコシの種を植えて、それが育つなら、モロコシ以外のものが実りますか? じゃがいもの種芋を植えたなら、じゃがいも以外のものが収穫できますか? 花の種を植えたなら、その花の種類以外の花が咲きますか? だったら、あなたの心に神の種が蒔かれたなら、あなたは神の子になるはずです。イエスは言われました、「もしわたしを信じるなら、わたしの業をその人もおこなう。」もし信じると言いながら、イエスに従わないなら、その人は嘘つきということになります。「わたしを信じる者は、わたしが行うわざを行い、またそれよりもさらに大きなわざを行います。わたしが父のもとに行くからです。」これはすごいことですよ。もし種が、滑ってどこかの岩の上に落ちることなく、谷間に落ちたなら、そこでは風に吹き飛ばされることもなく、鳥に食べられることもありません。だから育ちます。種があなたの心の中に隠されたなら。
186. またイエスは言われました、「あなたの名はわたしの手の甲に刻まれている。」だから、忘れられることがあるでしょうか? そんなことはありえません。
188. アーメン、アーメン、アーメン、アーメン、アーメン!
神を愛しますか? アーメン!(もちろんです!)
あらかじめ定められていた教会が、終わりの日の今、ここにあります。種を蒔かれ、聖霊を注がれ、自分の立場をわかっている教会です。サタンよ、覚悟しろ。
189. イエスに向き合ったとき、サタンは何をしましたか? 彼は、「わたしだってみことばを知っているのだ。」と、あらゆる宗教的教会の力を尽くして、イエスに飛び込んでいきました。サタンが宗派の土埃を、いくらイエスに投げつけても、それにはいのちがありません。彼は飛び去りましたか? 彼は飛びつくより速く墜落しました。なぜ? 100億ボルトの電線に激突し、羽が焦げたからです。だから彼はすぐイエスから離れました。イエスから墜落したのです。その電線にはおびただしい電流が流れていましたから。
190. アーメン、アーメン!
神を愛しますか?
神に仕えますか?アーメン!
宗派につながるのではなく、この発電機につながりましょう。兄弟よ、いいですか? つながるのです。そうすれば力を発揮します。イエスに働いたのと同じみことばですから。
191. サタンの電線には電流が通りません。無意味な教条です。同じ電線にも関わらず・・・イエスは天の父のみことばを用いました。サタンも天の父のみことばを用いました。サタンはサタン、イエスは神です。そこが大きな差です。本当のことです。かたや教条、かたやみことばです。かたや偽物、かたや真理です。一方は実りをもたらし、一方は不毛です。同じ電線なのにです。そうです。同じ電線なのにです。ヘブル4:2
を見てみましょう。
192. 神を愛しますか?アーメン!
神に仕えますか?アーメン!
神を信じますか?アーメン、アーメン、アーメン!
わたしは神を信じます。信じますとも!アーメンとは、「そうなりますように。」という意味です。主よ、今朝のわたしの祈りは、ここにいる信者一人残らずに電流を流してくださることです。いのちの電流を流し、ブンブン音を立てて神の栄光を光らせる者にしてください。そうです。電流を流して下さい。
194. 信仰は電流です。電流であり、霊です。知恵は宗派教団の様式です。サタンは、イエスを天の父のみことばへの信仰から引き離そうと試みました。これが、彼がした試みです。彼は地上に建つ大きな宗教的教会組織をイエスに見せ、「さあ、いらっしゃい。ここに属すれば、あなたを司教にしますよ。」と言いました。しかし彼を誘惑することはできませんでした。
イエスは言いました、「聖書にはこう書いてある。」そうです。サタンはイエスを誘惑することはできませんでした。彼はそんなことを超越していました。
195. さて、急ぎましょう。もう何ページも省いて話しています。
196. 「私があなたがたのところに行くことはあるまいと、思い上がっている人たちがいます。
しかし、主のみこころであれば、すぐにもあなたがたのところへ行きます。そして、思い上がっている人たちの、演説ではなく、力を見せてもらいましょう。」
その当時でき始めていたのはローマ教会です。聖書にこう書いてありますね、「彼らは私たちから離れて行きました。彼らが私たちの仲間ではなかったからです。」そうです。
「神の国は言葉にはなく、力にあるのです。」
197. 「神の国は言葉にはなく、力にあるのです。
あなたがたはどちらを望むのですか。私はあなたがたのところへむちを持って行きましょうか。それとも、愛と優しい心で行きましょうか。」
198. 「さて兄弟たち、私があなたがたのところへ行ったとき、私は、すぐれたことば、すぐれた知恵を用いて、神のあかしを宣べ伝えることはしませんでした。」ね、知恵を用いなかったのです。
199. 「なぜなら私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、すなわち十字架につけられた方のほかは、何も知らないことに決心したからです。
あなたがたといっしょにいたときの私は、弱く、恐れおののいていました。(わたしはあなたと共にいる。)
そして、私のことばと私の宣教とは、説得力のある知恵のことばによって行われたものではなく、御霊と御力の表れでした。(ブース・クリボーンが言うごとく、「やあ、誰がノックしたの?」わたしは神学論をもってあなたがたのところに来ませんでした。)
それは、あなたがたの持つ(F-a-i-t-h)信仰が、人間の知恵にささえられず、神の力にささえられるためでした。」
アーメン!信じますか? 「あなたの持つ信仰が、宗派教団の知恵にささえられず、神の力にささえられるためでした。神の力を信じる信仰です。
200. 急いでその例をあげて、話します。
エサウとヤコブはその典型です。両者とも敬虔で、両者は双子です。エサウは宗教的教会型でした。彼は賢くて、道徳的でしたが、自分が持っている生得権の価値を軽んじていました。ヤコブはその生得権を得るためには手段を選びませんでした。この二人が一緒にいる間は、何も得るものがありませんでした。そうですか? お互いに敵対しあって暮らしていましたから。言いたいことがわかりましたか?アーメン!「そこから出て来なさい。離れなさいと、神が言われる。彼らの汚れたものに触ってはいけない。わたしがあなたを受け入れるからだ。」
ヤコブは、神から祝福を受けるために、兄の教団から離れなければなりませんでした。神はアブラハムにも同じことを告げました。イスラエルとモアブも。イスラエルの400人の預言者がミカヤの前に立っていましたが、彼は彼らから離れて神からのことばを受け、みことばを携えて戻って来ました。モーゼとコラも同様に、妥協して協力することはせず、分離しました。そうですね?
205. 祭司たちは立ち上がってこう言ったでしょう、「もちろん、わたしたちは・・・」
彼は答えました、「そうです。」
「わたしたちにはこのような立派な父がいます。わたしたちはこのようなことを成し遂げました。」
「そうです。あなたたちとあなたたちの伝統は、神の戒めを無効とし、人の戒めを教義として教えています。」
「わたしたちに教えようとするとは、いったいあなたは何者ですか? どこの学校を出たのですか?」
「わたしのする業がわたしを証ししています。もしわたしがメシアがするはずの業をしないのであれば、わたしを信じる必要はありません。でも、もしわたしがメシアの業をするなら、あなたたちにはわかるはずです。あなたたちは業を信じますから。それはわたしを証しするものです。もしわたしがその業をしないのであれば、わたしを信じる必要はありません。」
彼も知恵を用いる宗派教団と対立しました。イエスには信仰がありました。何の信仰? 神の子であることです。そうです。
206. 現在も同じことです。さてとどめの一発をさしましょう。ゼカリア4:6をもっておしまいにします。聖書は、「権力によるのでなく、力によるのでなく、わたしの霊によってと主が言われる。」と記しています。「知恵によるのでなく、知識によるのでなく、宗派によるのでなく、わたしの霊によって、わたしのことばにいのちをふきこむ。」
208. 神を愛しますか? アーメン!
神に仕えますか? アーメン!
神を信じますか? アーメン、アーメン、アーメン!
歌いましょう。
神を愛しますか? アーメン!
神に仕えますか? アーメン!
神を信じますか? アーメン、アーメン、アーメン!
神を愛しますか? アーメン!
神に仕えますか? アーメン!
神を信じますか? アーメン、アーメン、アーメン!
おお、神を愛します。あなたは? 信仰によって、知恵によってではなく、信仰によって、わたしたちは救われました。そうですね? 「知恵によってではなく、知識によってではなく、わたしの霊によってと主は言われる。」
210. 「そして彼は水路のほとりに植えられた木のようになる。その葉は枯れることなく、その人は何をしても繁栄する。不信心な者はそうではない。不信心な者はそうはいかない。」それは罪人のことではなく、不信心な人、信じると言いながら実は信じない人のことです。そうです。
不信心な者はそうではない。彼らは正しい人とともに裁判の席に着くことはできない。とても無理なことです。だから時が来て、種がまかれ、前もって定められていた者たちは・・・前もって定められていた者たちだけが、正しい人の席に着くことができます。
211. 神を愛しますか? アーメン!
神に仕えますか? アーメン!
神を信じますか? アーメン、アーメン、アーメン!
ちょっとみんなで練習しましょう。わたしはこの歌を気に入っています。いいと思いませんか? これはフェニックスの決まり文句の歌です。でもわたしは気に入りました。もう一度歌いましょう。
神を愛しますか? アーメン!
神に仕えますか? アーメン!
神を信じますか? アーメン、アーメン、アーメン!
212. 今朝プラグを差し込みましたか? アーメン!
スイッチを入れて!アーメン!
電流が流れていますか? アーメン、アーメン、アーメン!
成長が始まりました。アーメン!
実をつけます。アーメン!
それを現しましょう。アーメン、アーメン、アーメン!
素敵ではないですか? こんなに長くみんなを引き止めてしまってごめんなさい。でも今は50年の解放の年を迎えた気分です。素晴らしいです。大丈夫です