1. 「ルカ、私たちは長い道のりを一緒に歩んできたね。」
ルカは言いました。
「ええ、本当にそうですね、パウロ。」
すると彼は言いました。
「考えてごらん。あと五分もすれば、私はイエス・キリストの御前に立つんだ。その義に覆われてね。」
そして兄弟の手をしっかり握ったまま、息を引き取りました。
ああ、それこそがその姿です。それこそです。
私は ボズワース兄弟 がこの世を去る時、そばに立っていました。
また ムーディー が世を去る時の証しも聞きました。
そして、私たちもまた、やがてその時を迎えるのです。
私は、腕の中で人が死んでいくのを抱えたことがあります。
体が冷たくなっていくのを感じながら、そのまま力尽きていくのを見ました。
そしてまた、別の人たちは体を起こし、
憐れみを求めて叫び、助けを求めながらこう言いました。
「ブラナム兄弟、あなたの胸にもう一度横たわらせてください。」
そして手を上げて、こう歌ったのです。
「ハッピー・デー、ハッピー・デー
イエスが私の罪を洗い流してくださったその日から。
主は私に教えてくださった
見張り、祈ることを。」
2. 私は彼を抱いていました。
彼は言いました。
「見えませんか、ブラナム兄弟。あの方が来られます。」
そして言いました。
「それでは、兄弟、向こう岸であなたに会うまでお別れです。」
彼は両手を上げて言いました。
「向こう岸でお会いしましょう。」
そして言いました。
「おお、主イエスよ。」
そう言って頭を垂れ、私の膝の上に倒れ込みました。
これこそが、行くべき姿です。
そう、それが正しいのです。
彼は愛らしい、聖なる少年でした。
そして聖書に書かれていることを思い出します。
確か ダビデ がこう言ったと思います。
彼は、悪しき者が力を持ち、
青々とした大きな木のように広がり、
繁栄し、何でもうまくいっているのを見た、と。
しかし主はダビデに言われました。
「だが、その終わりを見たことがあるか。」
大切なのは、終わりなのです。
ここでどうであるかではありません。
最後がどうであるかなのです。
だからこそ、私は心から人々を
その終わりへ目を向けさせようとしているのです。
3. しかし、私がこのことを強く言わなければならない理由がここにあります。もしあなたが霊的にそれをつかめないなら……。
(それから、エゼキエル33章33節について私に手紙を書いてくれたあなた、あなたは的を射ています。しかし、今は黙っていてください。)
さて、アーン・バクスター兄弟が私にこんな話をしてくれました。
カナダで、新しい シュウィン(Schwinn)の自転車を賞品にした競技があったそうです。
それは、幅十四インチか十六インチほどの板の上を、たしか百ヤードほど走る競争でした。
しかも、その板は二フィートか三フィートほどの高いランプ(坂)の上から始まるのです。
そのランプをまっすぐ下っていき、落ちずにどれだけ終点に近くまで行けるか。
一番遠くまで行けた者が、その自転車をもらえるというわけです。
さて、バクスター兄弟は言いました。
自分はきっと勝つと思っていたそうです。
なぜなら、彼は町へ出て母親の買い物をして帰ってくるときでも、
ハンドルに触らずに自転車に乗れるほどだったからです。
「ただこうして走っていくだけさ……」
皆さんも自転車の乗り方は分かるでしょう。
彼らはみんな自転車の名人のような人たちだったのです。
4. 彼は言いました。“さて、皆さん、それが何であったかを皆さんに話します。” 彼は言いました。“私はあなたたち一人一人がどこで間違いを犯したかに気づきました。” そして言った、“私はあなたの間違いによって繁栄しました。” “あなたが自転車に乗って、押しのけられたとき、” は言いました、“あなたがこのように自転車をボードの上に置こうとしていることに気づきました。” 彼は言いました。“ほら、このように見ると緊張するんだよ。” 彼は言いました。“彼らが私を突き飛ばしたとき、私は最後まで目を離さず、じっとしていました。”
5. 今日や明日ここで起こっていることばかりを見てはいけません。
終わりに目を向けて、しっかりと進みなさい。
もしこう考え始めるなら……
「もしこれをしなかったらどうなるだろう。
もしあれをしなかったら……もし私が……」
そうやってあれこれ気にし始めたら、
必ず落ちてしまいます。
だから、ただ 終わりに目を向け続けなさい。
そして覚えておいてください。
どんな人生の終わりにも、あなたはイエスに会うのです。
そのとおりです。
だから、終わりに目を向けて、揺らがずにいなさい。
祈りましょう。
父なる神よ、
私たちは今、あなたの御前に入ろうとしています。
あなたの聖所、
そこには神の恵みが蓄えられており、
それは 隠されたマナ として
あなたの民のために備えられています。
神よ、どうか今朝、
このあとわずかな時間の学びの中で、
それを私たちに惜しみなく分け与えてください。
あなたのしもべ、
偉大な族長アブラハム についての
この大きな学びを締めくくるにあたり、
どうか私たちにあなたの糧を与えてください。
6. また、この牧師と、彼の勇敢な立場のゆえにも感謝いたします。
父よ、彼が祝福され、助けられている様子を見ることができるのは、私たちにとって大きな喜びです。
私は、カナダにいる彼の尊い年老いた父親のことを思います。
その父が、自分の時代と自分の務めの中で、正しいことのためにしっかりと立ったことを思い出します。
神よ、どうかその息子もまた、その足跡に従わせてください。
決して妥協することなく、
御霊と福音に対してまっすぐに立ち続けることができますように。
私は、この教会のためにも祈ります。
ここに召し集められた、この愛する人々のために。
天の父よ、
あなたは私たちを矯正の家へと導かれます。
そして矯正は、神の家から始まるのです。
裁きはここから始まります。
ある人々の罪は彼らに先立って行き、
またある罪は後からついてきます。
主よ、どうか私たちの罪は先に出て行きますように。
私たちがそれを誤りであったと告白するとき、
どうか御子イエスを通して
憐れみと恵みを受けることができますように。
7. どうかあなたの御霊を、「はるかに豊かに満ちあふれるほどに」与えてくださるよう祈ります。
そして、今始まっているこの小さなリバイバルが、
イエスが来られるその日まで決して終わることがありませんように。
どうかそれが、私たち一人一人の心の中の小さな火となりますように。
主よ、皆が理解していると私は確信しています。
私があなたのために取っている立場は、まっすぐでなければならないということを。
道は狭い道であり、
その道には、自分とイエス以外のものが並ぶ余地はありません。
ですから私たちは、その道を歩かなければなりません。
主よ、どうかこの会衆がその幻をつかみ、
それが決して心から離れることがありませんように。
今夜の癒しの集会へと向かうこの夜の間も、私たちを祝福してください。
今夜、あなたの癒しの力が非常に力強く働く集会となりますように。
足の不自由な者が歩き、
盲人が見るようになりますように。
主よ、彼らがここに来て、
あなたとともに静かに心を閉じ、
あなたを仰ぎ見ることができますように。
あなたの偉大な御霊がここにありますように。
彼らが何かの思い込みや迷いを持って来るのではなく、
ただ一つ、あなたが豊かな祝福を注いでくださるという大きな期待をもって来ることができますように。
そして、彼らの心の願いをかなえてください。
私たちは、父がすべての子どもに恵み深くしてくださることが御心であると信じています。
聖書にはこう書かれています。
「あなたがすべてのことにおいて栄え、
また健康であることを、
私は何よりも願っています。」
主よ、私たちは体が弱り、病んでいるときには、
あなたに仕えることができません。
しかし、最も良い状態にあるとき、
私たちは最も良い働きをすることができます。
どうか、私たちが最も良い状態でいられるよう助けてください。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
8. 祈りのカードを少し配ることになります。
係の兄弟たちがここに来て、祈りのカードを配ります。
午後六時に、この前の席に座っていてください。
その時間になると、彼らがここに立ってカードを混ぜ、それから皆さんに配ります。
ですから、必ず六時に来てください。
もし来なければ、カードを受け取ることができません。
そして、この集会のやり方を説明されている方々の指示に従ってください。
祈りのカードは交換できません。
カードをもらって、それをジョーンズさんに渡したりしてはいけません。
本人が来ないようなことがあってはいけないのです。
カードを受け取ったら、
そのまま自分の席に座り、
自分の番号が呼ばれるまで待っていてください。
そして、正確に六時に来てください。
たぶんここでは、ほかの集会の予定もあると思います。
多くの教会がそうであるように、いくつかのプログラムがあるでしょう。
ですから、早めに来ていただき、
この準備を済ませたいのです。
それから私は、
七時半ごろ、あるいは七時四十五分ごろ(そうだったと思いますが、兄弟?)に来て、
病人のために祈る予定です。
9. 彼らをここに上げて、私の近くに座らせたいのです。
昨夜は、そのあと少し歩かなければなりませんでした。
あのメッセージをあれほど深く語ったあとで、油注ぎが降りてきたのです。
それから主の御霊が降り、
識別の賜物などが働き始めました。
ここで私の後ろに、ある愛する兄弟が座っていました。
私は振り返って何かを見て、その兄弟にうなずきました。
それから外の部屋でその人に会いました。
そして、今はもうすべて良くなっていることを、神に信頼しています。
ですから……この働きには注意が必要なのです。
人々は、これがとても簡単なことだと思っています。
しかし、これはあなたが今までに取り組んだ中で最も難しいことです。
私はあることを語り、家に帰ってから
枕が濡れるほど泣いたこともあります。
夜中に、妻が来て私を抱きしめ、
床の真ん中に座りながら一緒に泣いたこともありました。
時には、自分ではしたくないことをしなければならないのです。
それは御霊がそうさせるからです。
人は、自分が本当にそうであるもの以外にはなれません。
もし自分の霊の導きに従わず、
導かれていないことをしてしまうなら、
それは偽善者になってしまいます。
だから、自分が何であるか、そのままでいなさい。
どんなものであっても、
そのままでいなさい。
ただ、それでいなさい。
しかし、それは本当に大変なことなのです。
10. 向こうを見ただけで、いろいろなことが見えてしまうのです。
この前も、ある日、何人かの牧師たちとテーブルに座っていました。
ああ、あそこに座らなければよかったと思いました。
集会を終えたばかりだったのです。
彼らが「一緒に食事をしましょう」と言ったので、行ったのですが――。
その男がそこに座っていて、
テーブル越しに私を見て、あることを言いました。
正直に言いますが、もしできるなら、
あの食事に行かなかったことにするために、今すぐ五百ドルでも払いたいと思うほどです。
なぜなら、私はその人のことを、これまでずっと
非常に尊敬していたからです。
しかし、そのとき……私が見たものは……。
皆さん、これが簡単なことだと思っているでしょう。
しかし兄弟、あなたは分かっていません。
本当に分かっていないのです。
それがどんなことか……
これは人を消耗させるものなのです。
そして、ほんの少しでもそれが働くと……
誰かと話して、その人の状態や何かについて触れるだけでも、
まるで……。
11. その幻を引き起こしているのは、あなた方なのです。
私ではありません。あなた方なのです。
私はそれを起こすことはできません。
私はそれをコントロールしていません。
むしろ、それが私をコントロールしているのです。
(あと五分ほどいただけますか。そうすれば、この集会の助けになると思います。)
さて、今から癒しの集会に入ろうとしています。
そこで、こんなふうに考えてみてください。
今、私たちはみんな小さな男の子で、
サーカスを見に行こうとしているとします。
町にカーニバルやサーカスがやって来たのです。
みんなでそこへ行きます。
ところが、そのサーカスは板の塀の向こう側にあって、
中を見ることができません。
そのとき、たまたま私は
背が高くて細長い男だったとします。
あなたは背が低い。
私たちは一緒に歩いてきて、こう考えます。
「どうやって中を見るんだろう?」
塀の向こう側にあるのです。
すると私は上を見上げて、
塀の高いところに節穴(のぞき穴)があるのに気づきます。
そこで私が中をのぞき込みます。
すると皆が言います。
「ねえ、ブラナム兄弟、
中では何が起こっているんですか?」
私は言います。
「ジャンプして、のぞいてごらん。」
すると彼らは言います。
「いやあ、僕たちじゃ届かないよ。」
12. 私たちは、自分が何であるか、そのとおりでいなければなりません。
賜物と召しは、取り消されることのないものです。
あなたがこの世に生まれる前、
いや、世界が始まる前から、
神はあなたを知っておられ、
あなたをその位置に置かれました。
もしそれが違うのなら、
聖書も違うことになります。
まさにそのとおりなのです。
神は、あなたが祭壇の前に来たときに
あなたの名前をいのちの書に書かれたのではありません。
世界の基が据えられる前に書かれたのです。
それが聖書の言っていることです。
では、小羊はいつ屠られたのでしょうか。
世界の基が据えられる前です。
そしてそのとき、
あなたの名前が小羊の書に書き記されたのです。
神はその予知(前もって知ること)によって、
すべてのことを見ておられました。
神は無限の方です。
初めから終わりまで知っておられるのです。
神は、誰一人として滅びることを望んでおられません。
それは神の願いではありません。
しかし神である以上、
誰が救われ、誰がそうでないかを
知っておられなければなりません。
たとえば、エサウとヤコブのようです。
彼らがまだ生まれる前、
何もする機会が与えられる前から、
神は
一人を愛し、もう一人を憎まれたのです。
なぜなら、神は神であり、
すべてのことを知っておられるからです。
13. 賜物と召しは、取り消されることがありません。
イエスは、神の御子であることを避けることはできませんでした。
なぜなら、イエスは世界の基が据えられる前から、
あらかじめ定められ、選ばれていた神の御子だったからです。
そして、小羊として屠られたことさえ、世界の基が据えられる前から定められていたのです。
そのとおりです。
イザヤは、ヨハネ(バプテスマのヨハネ)が生まれる七百十二年も前に、
こう言いました。
「彼は、荒野で叫ぶ者の声である。」
そうですね。
ヨハネは、自分がヨハネであることを避けることはできませんでした。
彼がバプテスマのヨハネであったのは、
神が彼をそのように定めておられたからです。
確か……
エゼキエルだったでしょうか、あるいはエレミヤだったでしょうか。
いや、エレミヤだったと思います。
エレミヤ書1章4節で主はこう言われました。
「あなたが胎に形造られる前から、
わたしはあなたを知っていた。
あなたが母の胎から出る前に、
わたしはあなたを聖別し、
諸国の民への預言者として立てた。」
彼がまだ母の胎の中で形造られる前からです。
確かにそうです。
ですから、神は教会の中に
まず使徒を、次に預言者を、そして……
そのように定めておられるのです。
14. 「最もすぐれた賜物を熱心に求めなさい」
と言ったとき、それは教会の賜物のことを言っています。
それは職務(オフィス)ではありません。
賜物と職務は別なのです。
職務というのは、たとえば預言者のことです。
預言者と預言の賜物のあいだには、
大きな違いがあります。
預言の賜物が教会で語られる前には、
識別の賜物を持つ二人か三人の人の前で吟味されるべきです。
それが語られてよいものかどうかを判断するためです。
しかし、イザヤが語るときに、
誰かが前に立ってそれを裁いたということはありませんでした。
なぜなら、彼は生まれながらの預言者だったからです。
そのような預言者たちは、
生涯を通して「主はこう言われる」という言葉をもって語りました。
ですから、そこには大きな違いがあるのです。
私は思います。
教会に本当に必要なのは、
これらのことについてのしっかりした聖書的な教えです。
そうすれば、混乱や間違いが起こらなくなります。
もし誰かが立って異言を語るなら、
別の人が解き明かしを与えるべきです。
私は裁く者ではありません。
しかし、識別によってそれが分かることがあります。
中には、ただ肉的なものもあります。
たとえば、
「見よ、主が来られる。見よ、主が来られる。」
と同じことを繰り返すようなものです。
しかし、それは違います。
なぜなら、私たちは皆知っているからです。
神はこう言われました。
「むなしい繰り返しをしてはならない。」
主はそれをしてはならないと命じられました。
ですから、神ご自身がそのようなことをされるはずがありません。
15. 私が最初にペンテコステ派になり、教会を導いていたころ、
もし預言が語られるなら――
まず、賜物を持っている人たちが集まっていました。
彼らも教会の一部として奉仕していたのです。
たとえば、誰かが異言を語り、
別の人が解き明かしを与えたとします。
それは必ず、教会に対する直接のメッセージでなければなりませんでした。
たとえば、こういう内容です。
「〇〇兄弟に伝えなさい。
そのことから離れなさい。
それをしてはいけない。
あるいは、その時間にあの角にいてはいけない。
なぜなら、あることが起こるからだ。」
そして、そのような言葉が教会で語られる前に、
二人か三人の識別の賜物を持つ人たちによって吟味されました。
彼らはそれを確認すると、
自分の名前を書いた紙を私の机の上に置きました。
それから私が、それを教会に伝えたのです。
もしそれが実際に起こったなら、
神に感謝しました。
しかし、もし起こらなかったなら、
その人がその悪い霊から解放されるまでは、もう語らせませんでした。
そうです。
そのとおりです。
16. ペンテコステの空には、本物がたくさんあるのです。
本物があるのに、どうしてまがい物を取る必要があるでしょうか。
確かに、本物が現れると、そこには間違いがありません。
すぐにはっきり分かるのです。たとえば、こういうふうに語られるならです。
「主はこう言われる。『今夜、ブラナム兄弟に伝えなさい。
一人の女がここに来る。彼女はオハイオから来る。ある特定の服を着ている。
彼女はがんを持っている。しかし彼女が小さな女の子だったころ、
ある金庫からお金を盗んだ。そのため彼女は癒されることができない。
そのお金を返して、そのことを正しなさいと伝えなさい。』
主はこう言われる。『そうすれば彼女は癒される。』」
こういうものです。もしこのように誰かに対するはっきりしたメッセージでなければ、それは肉から出たものでした。だから、私たちはまったく受け入れませんでした。
17. 「主が私に告げられた。この中に腎臓の病気の人がいる。」
さて、ここに腎臓の病気の人はどれくらいいますか。
この建物中にたくさんいるでしょう。
私は、こういうものが神の賜物のまねごととして使われているのを、何度も見てきました。「主が私に語られた……ハレルヤ。私は感じる。
ここに神経が弱っている人がいる。」もちろんです。
この会衆の中にいくらでもいます。
しかし、それではありません。誰なのか。どこから来たのか。
何が原因なのか。そして結果はどうなるのか。
それが語られなければならないのです。
そういう曖昧なものは、肉的なまねごとです。
そしてそれは、神の前では肉的なものなのです。
本物があるのに、なぜそんなものを受け入れるのでしょうか。
本物があるのに、なぜ偽物を取るのでしょう。
さて、こういうことです。
私は高いところに手を伸ばして、それを引き出す。
それが賜物です。人がそこに立っています。
私は上を見て言います。「私はキリンを見ました。」
「え、本当ですか?」さて、これは何を意味するか分かりますか。
これはたとえ話で説明しています。
自然の世界で言えば、
ある兄弟たちは力が強くて、
水を運ぶような仕事ができるかもしれません。
しかし私は、たまたま
背が高く生まれたのです。
神は私たちをそれぞれ
ある形に造られます。
ある者は伝道者、
ある者は牧師、
ある者は使徒、
ある者は預言者。
神が教会の中に置かれるのです。
人が思い煩って
自分の身長を一キュビトでも伸ばすことができますか。
できません。
だから、
自分がこの人であるのに、
別の人になろうとしてはいけません。
自分が何であるか、そのままでいなさい。
さて、今起こっていることは何でしょうか。
それは、
あなた方がそれを引き起こしているのです。
私は身を起こして――
それはほとんど私を倒れそうにさせます。
「キリンを見た」と言う。
すると人が言います。
「ほかに何が見えましたか?」
ああ、またです。
もう一度身を起こします。
「象です。」
「え、本当に?」
18. 壇上で起こっているのは、まさにそういうことです。
それが、神の賜物が働くときのあり方なのです。
あのイエスの衣に触れた女がしたのも、まさにそれと同じでした。
イエスは決して
「わたしがそれをした」
とは言われませんでした。
イエスはこう言われました。
「あなたの信仰があなたを救った。」
女が御衣に触れたとき、
イエスはこう言われました。
「わたしから力が出て行ったのを感じる。」
そして群衆の中を見回し、
その女を見つけてこう言われました。
「あなたの信仰があなたを救った。」
そのように言われたのです。
しかし、今度はこちらを見てください。
ラザロが死ぬことを、父がイエスに示されたとき――
覚えておいてください。
イエスは、父がまず示されないかぎり、何一つ行われませんでした。
それを知っている人はどれくらいいますか。
ヨハネ5章19節です。
「まことに、まことに(すなわち、本当に、確かに)
あなたがたに言います。
子は、父がしておられるのを見て行うのでなければ、
自分からは何一つすることができない。」
そのとおりです。
19. 「今はそこを離れなさい。
ラザロは死ぬことになる。
そして四日ほどした後に戻りなさい。
そのとき、あなたに彼をよみがえらせるようにする。」
そこでイエスはその場を離れました。
どこへ行くのかも告げませんでした。
そのころ、ラザロは病気になりました。
人々はイエスを呼びにやりました。
しかしイエスは、そのまま行かれました。
もう一度呼びに来ましたが、
それでもイエスはそのままでした。
まるで無視しているかのようでした。
それは普通のイエスの様子とは違っていました。
しかし、神の御霊に導かれている人は、
自分が見た幻に従っていると信じ、
その導きに従うのです。
そして、その人は
人に何をすべきか説明できるとは限りません。
ですから、ただそのままにしておくしかないのです。
それからイエスは、
父が示しておられた時が満ちたことを知ると、こう言われました。
「わたしたちの友ラザロは眠っている。」
すると弟子たちは言いました。
「主よ、もし眠っているのなら、
それなら良くなるでしょう。」
「それで大丈夫です。」
20. 「ラザロは死んだ。
そして、わたしがそこにいなかったことを、あなたがたのために喜んでいる。
だが、わたしは彼を起こしに行く。」
そして墓の前で、イエスはこう祈られました。
「父よ、あなたがすでに聞いてくださったことを感謝します。
(しかし、これはここに立っている人々のために言うのです。)」
つまり、彼らに示すためでした。
一つの模範としてです。
それからイエスは
ラザロを墓から呼び出しました。
そしてその人を、
死の眠りからよみがえらせたのです。
彼は四日間も墓の中にいました。
四日も経てば、
鼻は落ち、体には腐敗が始まります。
皆さんもそれを知っています。
しかしイエスは
その人の霊を呼び戻し、彼をよみがえらせました。
そしてそのあと、
彼と一緒に食事をしたのです。
ラザロは生きていました。
そのとおりです。
しかもそのとき、イエスは
ご自身が弱くなったとは一言も言われませんでした。
しかし、あの女がイエスの衣に触れたとき、
力がイエスから出て行きました。
分かりますか。
それは、父がその賜物を用いられたときだったのです。
21. 私はホテルの部屋にいても、
あるいは家にいても、どこにいても、
聖霊がこう語られることがあります。
「飛行機に乗って、ある場所へ行きなさい。
ある町へ下って行きなさい。
そこへ行けば、入るべき場所が分かる。」
そのように導かれるのです。
そして、大きなことが起こります。
たとえば、皆さんが新聞で見たあの出来事のようです。
あれは、誰がしたのか、誰も知りませんでした。
今でも分かっていません。
そうです。
それはその時のために備えられていたことだったのです。
そのとき、聖霊が私を
結核(TB)のその男のところへ導きました。
そしてこう言われました。
「十セントストアの角に立っていなさい。
やがて一人の男が、
聖書を手に持ち、車椅子に乗ってやって来る。」
新聞にはこう書かれていました。
「不思議な出来事が起こった。
車椅子の男が癒され、
そしてその男は姿を消した。」
しかし、私は消えたわけではありません。
その十セントストアの中を通り、
裏の路地へ抜けて、
そのまま空港へ向かったのです。
まさにそうでした。
しかし人々には、
それが何であったのか分からなかったのです。
なぜなら、それは……
人間の働きではないからです。
22. それが、私が人々を呼んで手を置かない理由です、たとえば “受け取ってください、兄弟。'これだ それ' ”
それはいいけど、それはやりすぎだ。.. 言ってください、“ブラナム兄弟が私に手を置きました。神に栄光あれ、私は癒されました。” ブラナム兄弟には関わらないでください。
“私は主イエス・キリストを見て、彼は私に手を置きました。私は彼に手を置きました。私は祈りの列にさえいませんでした。私はただそこに座って信じていました。すると彼はブラナム兄弟をひっくり返して、何々と言いました。” そこにいる。それじゃ。それが本物だ。さて、ほら、それが違いです。
23. そして彼女はこう言いました、“どうやってやるの?” ほら、そのとき私は彼女の精神を捉えます。
数分、それが奇妙な振動や面白いことなら、私は、“ああ、ああ、それは今何かを引っ張ろうとしている人です。ちょっと待って。” 彼らに何が起こるか見てください。彼らがそれをプラットフォームからどのように梱包するかを少し見てください。
私は言います、“どうやってやるの?” 彼らに話しかけて、何かを言いに行きましょう。そしてまず最初にわかることは。… それが正しくないと思われる場合は、ただ待って、聖霊の言葉を見てください。そして……
24. そして私は言いました、“どうしますか、先生?” そして彼は言いました。.. 私は言いました、“さて、あなたは私を彼の召使いだと信じていますか?” ほら、天使が私にそう言ったんです、“人々にあなたを信じ込ませてください。”
“はい、先生。” そしてそれは正しく聞こえませんでした。登録されませんでした、ほら。私自身としては、…まあ、見た目はいい男だけど、ただ見た目がいい男だからね。
私は言いました、“はい、先生。” 彼と話して、私は言いました、「“あなたには何も問題はありません」。あなたは完全に健康です。”
言った、“あなたは間違っています。”
私は言いました、“いいえ、そうではありません。”
彼は言いました。“祈りのカードをそこに置いて見てください。” “結核、癌、” すべて、何でも言いました。
私は言いました、“あなたがその祈りのカードに何を書いたかは気にしません。” 私は言いました、“あなたには何も問題はありません。”
彼は言いました。“なんと、私の祈祷カードにそれが書いてあるんです。”
25. そして彼は言いました、“そうですね、そうです。”
私は言いました。“まあ、あなたは会議に出席する前に癒されるだけの信仰を持っていたのかもしれません。”
彼は言いました、“そしてそれが現実です。”
私は思いました、“ここで何が起こっているのですか?” 彼はクリスチャン男性のように見えました。周りを見回した。そこで私は壁をこちらに向かって見渡すと、そこから外へ移動しているのが見えました。そして私は彼の方を向きました。それが起こったとき、今ここに座っている人の多くはちょうど会議に出席していました。そして私は言いました、“なぜ悪魔にそのようなことを頭の中に入れさせるのですか?” 私は言いました、“今、あなたは奇跡の時代が過ぎ去ったと信じていない特定の教会です(名前は呼びません)。そして先日の夜の会議で、あなたは私にこう言いました。..そして、これは単なる精神的なテレパシーだと心の中で言いました。”
そして私は言いました、「“バルコニーに座っているあの男は、赤いネクタイを締め、灰色のスーツを着ていて、先日の夜、あなたは彼の家にいました。」 あなたはテーブルに座っていて、このように布を引っ張られていました。そして、あなたはここに来て、それを祈りのカードに書くつもりだと心の中で決心しました、ここに入ってください。”
そしてその男は叫びながら、「“それが生きた真実だ”」と言い、そのように壇上に座りました。
26. ほら、私たちは教会ごっこをしているわけではありません。私たちは聖霊の前で生きています。アナニアとサフィラを思い出してください。それを試す前に、神に対して誠実で正しい態度をとったほうがよいでしょう。覚えておいてください、生ける神の手に落ちるのは恐ろしいことです、ほら。それが彼に降りかかり、症例の診断とすべてが彼が癌と結核の両方を患っていることを示しました。彼はそう言った、そして彼の言葉は現実になった。まさにそれです。
彼は、ダビデがナタンの前に立って言ったときとまったく同じように、自分の破滅を封印しました。“その男は必ず死ぬでしょう。” ほら、お金を払わないといけないよ。ネイサンが彼に何を言ったか知っていますね。彼は自らの破滅を封印した。だから、それはまだ同じ神です。私たちは別の日から別の神に仕えることはありません。さて、それが現実です。ですから、ただ神を信じてください。
28. さあ、すぐに気づいてください。できれば最高位を目指します。その直後、あの小さなアイザックが生まれたことがわかりました。神は彼女を美しい若い女性に、彼を若い男性に背を向け、小さなイサクが生まれました。そして、イサクが約12歳になったとき(私は美しいユダヤ人の少年を想像します)… そして、何年も経って、その母親と父親にとって、それはなんと素晴らしい感情だったのでしょう、そして確信を持っています。。
29. さて、アブラハムは自分がその約束を守り、それを実現したことを知っていました。それで彼はその小さな男の子が生まれるのを見ました。そこで主は言われた、「“今、私は彼らをロングビーチの神の集会に人々として送り、約2500年後に彼らに真の保証を与えるつもりです。そしてアブラハムの子孫全員に、私が祈りに答える神であり、民との約束を守っていることを知らせてください。」”
30. さて、それはアブラハムにとって何という試練だったのでしょう。それが何だったか考えてみてください。今、私たちは創世記 22 章にいます。さて、彼はおそらくサラに言いたくなかったのでしょう。彼は彼女に言いたくなかった、“サラ、今朝アイザックを殺すつもりだ。” いいえ、彼はそんなことはしたくなかったので、早起きして木を切り刻み(聖書にはこう書いてあります)、それを。..おそらく何かの小さな袋に入れて、ラバの背中に乗せ、召使いを連れてイサクを連れて、3日間の旅をしました。
31. さあ 見て。彼は文明から3日前に戻ってきました。それから彼は目を上げて、遠くに主が示された山を見ました。さあ、彼がどこへ行ったか見てください。さて、そこに近づくと、彼は小さなラバを止めて縛り、木を取り出してアイザックの肩に置き、こう言いました。。 さあ、これを聞いてください。ああ、これはとても美しいです!これについてたくさんの時間があればいいのにと思います。とても美しい!彼は言いました、「“あなたはラバと一緒にここで待っています。」。私と若者は礼拝のために向こうへ行き、また戻ってきます。”
34. もしあなたが罪人で、何かが言うなら(ブランハム兄弟が説教壇をノックする)、“私はあなたを救う主です。” それは神の声です。向きを変えて、それに注意してください。それを受け入れて、歩き続けてください。神が決してノックしないなら、なぜ、あなたにはそれができないのでしょうか。だから、“望む者も、走る者も、慈悲を示すのは神である。” そうだね。ほら、もし神があなたの心をノックするなら、それはあなたがこれまでの人生で得た最大の特権です—誰もが持っていた—それは、神があなたに神のところに来るよう招待することです。
さて、アブラハムは子供を25年間待っていたので、信仰を持っていたことがわかります。そして今、神は彼に同じ子供を連れて殺すように言いました。さて、それはなんと試練だったのでしょう。しかしアブラハムは神の約束に決してよろめきませんでした。彼は言った、「“もし神が彼を死者の中から私に与えてくださったなら、神は彼を死者の中からよみがえらせることができるでしょう。」 すぐ続けます。なぜなら、神は私が国家の父であると私に言われたからです。”
35. “ああ、そうです、私は神を愛しています。”
“では、もしあなたが神を愛しているなら、どのようにして証拠そのものを破壊し、あなたが国家の父であるという唯一のことを破壊しているのでしょうか?” ほら、“破壊したらどうやってそれをやるつもりですか—あなたは国家の父になるでしょう—…?あなたが持っている唯一の種は、この女性を通して約束されたこの少年です。さて、どうやってやるんですか?”
“まあ、もし神が私に国家の父であると言ったとしたら、それをするのは神次第です。神がそう言ったので、それで解決します。”
アイデアはわかりますか?医者から死ぬと言われたらどうやって治るの?神はそう言ったので、それで解決します。
36. さて、しかしアブラハムは神を信じました。さあ、何が起こったのか見てください。ああ、これは美しいと思います。さあ 見て。アブラハムは自分で木材を梱包したことはありませんでした。彼はその木をアイザックの背中に乗せた。ほら、それから数百年後、アブラハムの真の種であるキリストがゴルゴタに自らの犠牲を詰め込むだろうということを示してください。イエスがゴルゴタに登るのを見るとき。..つまり、アブラハムとその幼い息子イサクが立ち上がり、イサクがこの木を詰めるのを見ると、それはイエス・キリストがゴルゴタに登って犠牲に向かう前兆でした。従順。
37. そして、アブラハムの力強い声、彼が息子にどのように答えたかを見てください。ほら、おそらく彼は自分が何を言ったのかさえ知らなかったのでしょう。彼は言った、「“神は全焼のいけにえとして子羊を用意してくださるでしょう」。神は与えてくださるでしょう。エホバ・ジレ—主はご自身に犠牲を捧げられます。” ああ、私はそれが好きですよね?
38. “プラットフォームに立っているとどうやってわかるんですか。..?” 神が備えてくださる、それだけです。彼がそれを約束したことは知っています。私たちは神の言葉を受け入れ、それを信じ、それがそれを解決します、それだけです。そこから離れて歩いてください。神がそう言ったから、そうあるべきだ。
二人は一緒に山を登っていきました。ついにある場所に来ました。..彼は岩を転がし、木材を順番に置きました。そして、キリストのように死に従順な小さなイサクを見てください。彼は両手を後ろに引いて、両手を縛り、足を縛り、そこにこの小さな男の子を乗せました。彼の一人息子、約束された種となる子孫が彼を祭壇の上に置きました。小さな髪を顔から撫で返しました—かわいい男の子です。あなたが家に帰って、その息子を殺さなければならなかったと言ったら、母親は何と言うでしょうか?しかし、あなたが神の言葉に従っている限り、神は備えてくださるでしょう。
39. たとえあなたが何か間違ったことをして従順な道を歩んでいたとしても、聖霊はあなたを止めるためにそこにいます。あなたはこう言います、“もし聖霊を受けたら、わいせつな行為をしてしまうのではないかと心配です。” 心配しないで。もしそれが聖霊なら、いつあなたを止め、いつあなたを始めるべきかを神は知っているでしょう。彼は手にボタンを持っています、わかりますか。したがって、神はいつオンにしてオフにすべきかを知っています。ただ彼のなすがままに身を投じるだけだ。
40. それで、彼が自分の幼い息子を刺し殺し始めたとき、聖霊が彼の手を捕まえたに違いないことがわかりました、「“アブラハム、アブラハム!」 手を離さないで。あなたが神を恐れていることが今分かりました。あなたが私を愛していることは知っています。” そして何が起こったのでしょうか?その頃、彼は後ろで何かを聞きました。そこには角で茂みに捕らえられた雄羊(雄の羊です)がいました。
さて、最後にクラスに何か聞きたいことがあります。あの雄羊はどこから来たの?彼はそこら中に岩を転がし、祭壇を作り、木などをすべて建てました。どこから来たんだ?彼は文明から少なくとも75マイルから100マイル—3日間の旅でした。そこにはライオンやジャッカルなど、羊などを捕食するあらゆる種類の野生の凶暴な獣がいます。生き残ることはできなかったでしょう。そこには文明はない。雄羊はどこから来たのですか?
41. 本文で説明されている。彼はエホバ ジレです。彼は雄羊を誕生させた。今ではそれはビジョンではありませんでした。ビジョンは出血しません。彼は行って雄羊を取りに行き、祭壇の上に置き、喉を切ると、血が流れ出ました。それはビジョンではありませんでした;それは雄羊でした。そしてそれが、アブラハムがその場所の名前を“エホバ ジレ”と呼んだ理由です 神が約束をしたなら、神はその約束のために物を提供することができます。エホバ ジレよ、主はご自身を養ってくださいます。その雄羊は一分で誕生するように語られました。次の瞬間、それは消滅しました—しかし、それは神の目的を達成しました。
42. 神が何かを言うとき、“それはどうなりますか、ブランハム兄弟?” 知らんよ。知ることは私には関係ありません。神がそれを与えてくださるでしょう。神はご自身を養ってくださるでしょう。
“さて、ここを見てください、ブランハム兄弟、医師は私が癌を患っていると言い、死ぬと言いました。まだ30日生きられない。彼は私が死ぬと言った。さて、一体どうして私には見えず、触ることも、感じることも、嗅ぐことも、味わうこともできないものなのでしょうか、一体どうやってそのようなものが私から癌を取り除くのでしょうか?何がここに来て、文字通りその癌を動かすのでしょうか?”
分かりませんが、神はそれを約束し、神はそれを行うための何かを提供することができます。
43. その夜、主の天使がそこで私に会い、そこの川に降りてきて、約一万人の前でその言葉を語ったときのことを覚えています。言ったよ、言ったよ。… メッセージを聞いたことがあるでしょう。彼が言ったことは本の中にあります。それがいかに正確に、完璧に、一語一語実現するかを見てください。確かに。まさに彼が約31年前に言った言葉です。どこに行くのか、何をすべきか、費用はいくらになるのかを教えてくれました。神様が言ったのです。
44. 私は言いました、“彼はそう言いました。”
言った、“ビリー、その夜の夕食は何を食べましたか?”
私は言いました。“光と闇は一緒に交わることはできないので、今すぐ交わりカードを手放したほうがよいでしょう。” まさにその通りです。
彼は言いました、“誰があなたを信じると思いますか?”
私は言いました。“神が私を遣わすなら、神はメッセージを受け取るために誰かをそこに用意するでしょう。なぜなら、神はそれを無駄にしないからです。”
それからペンテコステ派を見つけたとき、私は彼らと一緒に自分の運命を投げました。まさにその通りです、なぜなら彼らはそれを信じていたからです。彼らはそれを探していました。彼らはそれが真実だと信じていました。神はこれらの石を使って子供たちをアブラハムのもとに育てることができます。はい 先生。
45. “どのように機能しますか、ブランハム兄弟?” 知っておけばよかった。分かりませんが、神はそれを約束し、神のエホバ・ジレも約束されました。彼はそれを行う方法を提供することができます。アーメン。彼はそれを組織内、組織外、またはやりたいことで提供できます。神は神であり、エホバの神であるため、神はやりたいことをすることができます。彼はこれらの石を使って子供たちをアブラハムのもとに育てることができます。彼はエホバ ジレです。
今はその言葉を心に留めておいてほしい。20分以上お待ちしましたが、それらのことを心に留めておいていただきたいと思います。
“神は私をどのように癒してくれるのでしょうか?”
“私の母、ブラナム兄弟は非常に病気です。”
“私の赤ちゃんは重病です、”あれやこれや。
“彼らを助けられますか?”
“いいえ、私にできることは何もありません。”
“さて、どう言いましたか。…?”
“まあ、神ならできるよ。…”
46. 私は、苦しみ、水頭、ねじれ、その他すべてが、今日ではまったく正常で順調に生まれた人々を何千回も見てきました。神はどうやってそれをしたのでしょうか?知らんよ。私が知っている唯一のことは、彼はエホバ ジレです—主は犠牲を捧げてくださいました。主は子羊をささげられました。
覚えておいてください、それは雌の羊ではありませんでした。それは雄羊でした。イエスは人間でした;人間は神でした。神は彼の中に住まわれました。彼は犠牲の雄羊であり、すでに与えられています。私たちは神が来られるのを待つ必要も、犠牲として何か別のものが提供されるのを待つ必要もありません。それはすでに提供されており、私たちがしなければならない唯一のことは、すでに提供されている神の犠牲に自信と信仰を置くことです。提供されているとどうやってわかるのですか?さて、ここで神は私たちの中にいて、地上で行ったのと同じことをしています。アーメン。あなたは彼を愛していますか?頭を下げましょう。
47. そして、天の父よ、今日、皆さんが家に帰って勉強し、近所の人たちに電話して、今夜6時にその人々をここから出させてくださるよう祈ります。エホバ神が彼らに道を与えてくださいますように。来る。彼はまだエホバ ジレです。どうすれば彼らを来させることができるでしょうか?主よ、私たちが自分の役割を果たすなら、あなたは自分の役割を果たすことができます。そうなりますように、お父さん。
48. それは私たちにとって大したことではありません。私たちはただ。..それは私たちの同情であり、私たちの心です。それが人々の助けになると感じています。それは教会を助けるためのものです。なぜ私たちはここにいるのでしょうか?今朝、妻と赤ちゃんたちと一緒に幕屋で家にいるほうがずっと良いと思いませんか?(そして彼らは私に電話をかけ、泣きながら孤独でした。) ああ、神様、私は人生の31年間をここのフィールドで過ごしてきました。私にとって家に帰るのはどれほど簡単でしょう。
しかし、神よ、私の心の奥底にはこうあります。“罪が満ち溢れている西海岸に留まりなさい。壁の場所に留まってください。..東と西で会い、そして。.. 風のように、この西海岸を横切り、汚染を吹き飛ばします。そこでは、カルトや国内の他の場所では知られていないことが行われています。
49. どうやって壁を壊すんだ?わかりません、主よ、しかしあなたは自分自身に道を提供できるエホバ・ジレです。私たちは立ち上がります。なぜなら、ハリウッドの魅力やその他のあらゆるものの中で、この海岸沿いで苦労しているあなたの貴重な小さな教会を助けることができると心の中で感じているからです。神様、どういうわけかあなたは自分が選出されたと呼ぶでしょう。“神があらかじめ知っておられた人々を神は召された。神が召された人々を神は義とされた。神が義とされた人々を神は栄光を与えた。” 主よ、彼らはここのどこかにいます。主よ、私たちが働き、働き、愛するように、あなたの教会を混乱から救い出すために彼らに話してください。許可してください、お父さん。
50. あなたは言いました、“あなたは地球の塩ですが、塩の風味が失われれば、それは立ち去らされるでしょう。”
人々はただこう言うでしょう、“そうですね、彼はキリストの到来について話しています、そしてあなたが何をしているのか見てください。そしてあなたは自分が違うと言います。あなたに違いは見当たりません。” おお神よ、異教徒の口を閉じなさい。許してください、主よ。人々が「“キリスト教徒の集団がいたとしたら、彼らはそこにいる」と言うまで、あなたの教会をこれほどまでに違った、これほど塩辛いものにしてください。彼らは全く違います。” 許してください、主よ。
そしてあなたは言った、“もし私が持ち上げられたら、すべての人を私のところに引き寄せるでしょう。” そして、私たちの人生と証言があなたを持ち上げ、世界が世界の救い主を見ることができるように。偉大なエホバ・ジレよ、それを許してください。私たちはあなたのささげられた犠牲、あなた自身の御子イエス・キリストの名においてそれを求めます。アーメン。
私は彼を愛しています、私は彼を愛しています
なぜなら、彼は最初に私を愛していたからです。
そして私の救いを購入しました
カルバリーの木に。
51. 私は彼を愛しています、私は彼を愛しています
(彼を受け入れなさい。彼を抱きしめてください
心への信仰によって存在すること。)
… 彼は最初に私を愛していました。
(エホバ ジレを讃えよ)
そして私の救いを購入しました
カルバリーの木に。
52. 今朝、私は自分の部屋にあるテレビでオーラル・ロバーツを見つけようとしていました。やっと見つけた。私は先に進み、お風呂に入って髭を剃っていて、それを見て。..何が起こっているのかを見るために外に戻りました。そして、私の、最も不敬虔なこと!
女性用のスカートを宣伝しようとして、女性の体のあらゆる動きを見せたと語った。どうやって。.. 神は女性をこれほど高いものにし、彼女の心を貶めるでしょう—神が彼女を隠すために羊皮をかぶせたとき、彼女は自分の体のあらゆる形を見せるニットドレスを欲しがりました。
53. 私は通りに出て行きました。朝食を一口食べようと思いました。教会に行く男性とその妻がやって来て、その女性は蒸気機関か何かのように両側からタバコの煙を吹いています。祖母がハイヒールを履いて通りを下り、こっちへ、こっちへ、こっちへ、こっちへ、こっちへ出てきました。からかってないよ。ただあなたに伝えようとしているだけです。
そして私の魂はとても悲しんでいました。私は思いました、“神よ、私は正義の奉仕者としてここにいます。そして私はそれを声に出して言うことができ、それが彼らに私を憎ませます。私に何ができるの、主よ?私に何ができる?それはあなたの人々です。”
54. 私は言いました、「“主よ、大胆さを与えてください。」。それが愛であることを人々に見てもらいましょう。It isn't to be different; it's love。違うことではない;それは愛だ。私はイエスが亡くなった私の小さな教会を見て、救いを語ろうとしています。” それから私は角に座りました。私は座って、通りの向こう側を見ると、2、3人の若い女性がやって来ました。リッキーの髪型をした男の子がやって来ました。そして私はこう思いました。“ああ、神様、教会から来て、手にタバコを持っています。反対側の通りを歩いてくると、ギャングが全員現れ、そのうちの一人が本当に面白い、不道徳なジョークを言っていました。
私は通りを歩き始めました。私は思いました、“神様、ここは私の家ではありません。重力を失わせて、いつかここから出て行ってくれませんか?放して 主よ。” “ああ、それは言えないと思いました。おお神よ、誰が叫ぶでしょうか?どうするんだ?どうするんだ?” まるで何かが心の中に落ちていくように感じました。私は思いました、“あなたの子供たち、娘たち、息子たちがこれに捕らえられたということですか、神様?彼らはこれに捕らえられたのでしょうか?”
55. そして私は心の中で聖霊が泣いているのを感じました。“ああ、ペンテコステ、ペンテコステ、私はどれほど頻繁にあなたを翼の下に連れて行きましたが、あなたはそうしなかったでしょう。”
だから、別れの時間が近づいているのだと思います。ああ、神から召されたクリスチャンよ、それを目的地にしないでください。上を見上げろ 上を見上げろ!あらゆる線から自分を解放してください。世界のものに売り渡してください。地球に縛られないでください—深海に航海してください。深みに出ろ。そうするじゃないか?
56. 世界は終わりだ。私たちは、すべての小さな国が原爆と水爆を持っているのを目にします。。 彼らの中には、100マイル四方の深さに175フィートの穴を地面に掘る者もいた。おお神よ、もし彼らのうちの誰かが緩んでレーダー画面に入ったらどうなるでしょうか?どの国も発砲するだろう。じゃあ終わりはここだ。分からない、まだ今日かもしれない。
お父さん、わかりませんが、私は今日と同じように生きるつもりです。許してください、主よ。あなたは私がそれをするのを手伝ってくれます。
57. あなたがぬるいと言ったので、あなたは口から吐き出さなければならなかったので、彼ら全員がそれをしないことはわかっています。しかし、小さな残骸は取り込まれます。神は、今日ここにいるすべての人がその小さな残党と呼ばれることをお許しくださいます。付与する。彼らが小さな残党の報酬を得られますように。
59. 主よ、私はそれらをあなたの手に委ね、自分自身を委ねます。あなたは私を彼らのところへ、そして彼らを私のところへ導きます。父よ、私たちが聖霊によって愛と愛の絆で溶け合った生ける神の教会となるようにしてください。私たち自身ではこれを行うことはできません。それを行うには御霊が必要です。ですから、父よ、私たちはあなたの御子、私たちの救い主イエス・キリストの名においてあなたの手に委ねます。アーメン。
60. 愛してる。
61. その日、私がそこに立って神を見つめるとき、聖霊がこう言われたらどうなるでしょうか。“私はあなたに油を注ぎ、あなたを遣わしましたが、あなたは我慢しました。”
そしてあなたは私に手を振ってこう言うでしょう。“ブランハム兄弟、もし私に言ってくれていたら。” ふんー。私ならそんなことはないでしょう。正直に言います。私はあなたを本当に愛しているので、あなたに対して誠実です。そして神はそれが真実であることを私に記録してくださいます。今夜お会いするまで、牧師さん。神のご加護がありますように、バンテイン兄弟。