1. さて、少し暑いですね。私たちはこれまでに、主からの二つの力強いメッセージをいただきました。
2. 中には、はるかケンタッキーの南の方から来ておられる方もいます。ここには、ジョージア州ティフトンから来られたウェルチ・エヴァンズ兄弟とご家族もお見受けします。カリフォルニアから来られた方々にも、外でお会いしました。ドイツから来ておられる方々もいますし、ほかにもさまざまな場所から、この小さな所へ集まって、主に仕えるために来ておられます。
それから、ネリー・コックス姉妹もお見受けします。たしか、そのお義母さんたちも来ておられると思いますが、今夜はおそらく、ケンタッキー、ジョージア、テネシーの方へ、またオハイオの方へと、長い道のりを帰って行かれるのでしょう。ここには私の友人たちもおります。ここにおられる友人のひとり、テッド・ダドリー兄弟は、遠くアリゾナ州フェニックスから来ておられます。ほかにも大勢の方々がおられます。一人一人お名前をお呼びできたらよいのですが、皆さん今日、私たちと共にいるために来てくださったのです。その九十パーセントの方々とは、まだ手を触れてご挨拶することさえできておりません。シカゴから来てくださった友人たちも見えますし、また本当にあちらこちらから来ておられます。
この中で町の外から来られた方は、手を挙げてみてください。
会衆の九十パーセントですね。
さて、ここには、国内のあちらこちらにあるさまざまな教会から来られた友人方が集まっておられるのです。
3. あそこにおられるのはリー・ヴェイル兄弟です。私はほんの少し手を交わしただけですが、彼は私の協力者のひとりです。オハイオのバプテスト教会の方です。
そこにいるのはベンですか。〔「アーメン」〕
まだあなたの「アーメン」を聞いていなかったので、そうでなければすぐ分かったのですが。皆さん、ベン兄弟をご存じでしょう。彼が町の外から来ていることは知っていますが、ちょっと……。
今はどちらから来られたのですか、ベン兄弟。
インディアナ州ボーデンです。
4. そして今夜は、皆さんが長い道のりを運転して帰らなければならないので、あまり長く引き留めるつもりはありません。今夜は皆さん一人一人を自分の家に連れて帰れたらどんなによいかと思います。本当にそう思っているんです。私は明け方の三時から四時の間には出発しなければなりませんが、それでも皆さんを一緒に連れて行けたらと思います。
ここにはアーカンソーから来ておられる私の友人と、その奥様も見えます。あなたは、先日の夜ここで、主が語ってこれらのことを告げられた、あの方ではありませんか。そうだったと思います。こうして見渡しますと、新しい友人たちも、昔からの友人たちも見えます。
ですから神は、私の心の思いをご存じなのです。私は皆さん一人一人にお会いして、自分の家にお連れし、ゆっくり語り合いたいと思っているのです。しかし、いつの日か、私たちはそうできる時を迎えるでしょう。その時には、「急がなくてはならない」「子どもたちを迎えに行かなくては」「誰かが病気だ」などと言う必要はなくなります。その時には、そういうことはみな終わっているのです。あの偉大な日に。
私は、これからもなお何度も皆さんと会えることを願っています。
5. 火曜日に風向きがどう変わるかということは、私にとって、また教会にとって、そしてキリストの働きにとって、大きな意味を持つかもしれません。ですから、どうか必ず私のために祈ってください。
6. そして私たちは、いつの日か、もし政府がそれを差し止めなければですが、ここに教会堂を建てたいと願っています。十分な座席数があり、一階席があって、バルコニー席もある、そうした本当に立派な教会です。さらに空調も整えて、人々が快適に座って礼拝を聞けるような、そんな良い教会にしたいのです――もしそれを許してもらえるならですが。そうなることを願っています。
どうか、私たちのために祈ってください。
7. 今夜お話ししたい題は、
「生ける神の真の教会を見分ける五つの明確なしるし」
です。
真の教会に対する五つの確かな立証、いや、むしろ、真の教会を見分ける五つの明確なしるし、ということです。
必要でしたら、この最後の vindications / identifications の言い直し部分を、ブラナム兄弟らしくもう少し自然な日本語に整えた版もお出しできます。
8. 〔ネヴィル兄弟が祈りを導く。〕アーメン。
(これ、もう音量はこれ以上上がらないのかな。これで全部ですか。これはマイクですか、合ってるマイクですか。)
私の声、ちゃんと聞こえますか。後ろのほう、聞こえますか。
よろしい、結構です。
9. イエスは答えて言われた、
「バルヨナ・シモン、あなたは幸いである。これをあなたに明らかにしたのは肉と血ではなく、天にいますわたしの父である。
そして、わたしもあなたに言う。あなたはペテロである。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。黄泉の門もそれに打ち勝つことはできない。」
神が御言葉に祝福を加えてくださいますように。
10. 「教会とは何か。だれがそれを建てたのか。そのメッセージは何か。私たちはどうすればその一員になるのか。そして、その一員でなければ天国へ行くことはできないのか。」
ということです。
さて、これら一つ一つの題だけでも、行きつ戻りつしながら何時間でも語ることができるでしょう。しかし今夜は、本当の教会が何であるかを示すために、ただいくつかの基本的な要点に触れたいと思います。
それで皆さん、どうか聖書をお手元にお持ちください。
11. イスラエルは、エジプトにいた間はまだ神の教会ではありませんでした。彼らは神の民ではありました。しかし神が彼らをエジプトから呼び出された時、彼らは神の教会となったのです。なぜなら、彼らは呼び出された者たちであったからです。
さて、これは今日でも同じことです。
「教会」という言葉は、「呼び出された者たち」、すなわち、呼び出され、分けられ、他と異なる者とされた人々、という意味なのです。
12. 新約聖書では、それは 「メシヤの帝国」 と呼ばれています。ああ、私はこの言葉が好きです――メシヤの帝国。つまり、メシヤが支配し、治めておられる帝国ということです。そこには教派の壁も何もありません。ただメシヤがご自身の帝国において支配しておられるのです。何とすばらしい考えでしょうか。メシヤの帝国。
それゆえ、教会は組織ではありません。教会は人々の集まりそのものでもありません。教会とは、この世から呼び出されて、別の王国において仕えるために召された神の民なのです。
13. 私は言いました。「あの人はきっとクリスチャンなんだろう。あまりにも違っているからね。」まったく嘆かわしいことです。
そこでこういう疑問が出てきました。「どうしてなの、ビル。私たちクリスチャンは、また私たちの信じているこの信仰は、どうして女性たちにドレスを着るように、あのようにふるまうように求めるのかしら。他の教会の人たちだっているでしょう。あの人たちはああいう服を着ている、あの不道徳な服を。それはどうしてなの? あの人たちが不道徳そのものだとは言えないでしょう。」
私は言いました。「それはその通りだ。私はだれをも裁くことはできない。しかし、彼らはその実によって知られるのだ。実際にその罪を犯していないかもしれない。しかし、その人たちの上には、不道徳へと駆り立てる霊があるのだ。」
14. 「女を見て情欲を抱く者はだれでも、すでに心の中でその女と姦淫を犯したのである。」
では、その罪人が姦淫を犯したことについて答えなければならない時、だれに罪があるのでしょうか。自分をそのように人前にさらしたその女です。あなたは貞潔という点では百合の花のように純潔であるかもしれません。しかし、もし不道徳な仕方で自分を人々の前にさらしたなら、たとえ行為そのものには無実であったとしても、あなたはある男にあなたについて悪い思いを抱かせたのです。それはあなたに責任があるのです。
イエスは、あなたは姦淫の罪を犯したことになると言われました。
そして、姦淫を犯す女は決して天国に入ることはできません。
15. しかしサタンは、この世のすべての国々は自分のものであり、自分の思うままにできるのだと、まさにイエス・キリストの面前で言ったのです。ですから、それらは皆サタンの道具であり、サタンの王国なのです。サタンはイエスに、「もしひれ伏して私を拝むなら、これらをあなたに与えよう」と言いました。
イエスは、千年王国においてそれらをご自身のものとして受け継がれることをご存じでした。それで、「サタンよ、退け」と言われたのです。神がすべての国々を主にお与えになること、そしてそれらが主のものとなり、一つの王国となることを、主は知っておられたのです。
16. 少し前、私はローマのサンタンジェロで、カタコンベを見たいと思いました。そして驚いたことに、またアメリカ人として戒めを受ける思いがしたのですが、そのカタコンベの入口の門に、こう書いてありました。
「アメリカ人女性へ。ここに入る前に、どうか衣服を着て、死者に敬意を表してください。」
一つの国がそこまで落ちてしまうとは、何とも恐ろしいことです――私たちがそんな所まで来てしまった時には。ですから、わかるでしょう、なぜなら……。
17. するとその人は、「私はアメリカ人ですよ、もちろんクリスチャンです」と言いました。そんなことは何の関係もありません。
ある晩、ボズワース兄弟も一人の女性にこう尋ねました。
「姉妹、あなたはクリスチャンですか。」
すると彼女は、
「言っておきますけど、私は毎晩ろうそくを灯しているんですよ」
と言いました。まるで、ろうそくを灯すことがキリスト教と何か関係でもあるかのようにです。
キリスト教とは、そのようなことから成っているのではありません。
そして神の教会もまた、そのような外側の見かけによって成り立っているのではないのです。
18. 私たちは、女性たちにそうしなさいと強制したことは一度もありません。男性たちに、酒を飲むなとか、のろうなとか、そういうことを無理に強いたこともありません。私たちはただ福音を宣べ伝え、聖書の型を示しているだけです。
ペンテコステの信仰や聖潔の信仰に入って来る多くの男性たちは、心の中ではそうでないのに、そうであると告白します。多くの女性たちも同じことをします。私たちは、彼らにそうしなければならないとは言いません。ただ型を示すのです。聖書が何と言っているかを告げるのです。
そして、もしその人が天からの霊によって生まれているなら、その人の霊はもはやアメリカ化されたものではなく、もはやドイツ化されたものでもなく、天のものとなっているのです。そこには神の国があるからです。なぜなら、私たちは別の王国、すなわち、礼節と聖さと力のある神の王国の中にいるからです。
19. そしてそれは、聖書の年代的な流れの中では、「メシヤの……メシヤの王国」と呼ばれています。言い換えれば、メシヤがご自身の支配の中にある一つ一つの人生を治めておられる所、すなわち、あらゆる立場の中から呼び出された人々の生活を支配し、その人々を一つの群れとして集めて、それをご自分の「教会」、あるいは「呼び出された者たち」と呼ばれるのです。
何と美しいことでしょう。
20. そして今日の神の教会も、まったく同じです。世のあらゆるものから呼び出され、あらゆる宗教的カルトから呼び出され、あらゆる教派から呼び出され、あらゆる宗教組織から呼び出されて、神と共に歩むのです。司教に支配されるのではなく、私たちが生きているこのメシヤの王国において、キリストによって治められるのです。
キリストが王です。
キリストこそ、そのお方なのです。
21. それゆえ、どんな団体であれ、どんな人々であれ、どんな集団であれ、神の王国を組織化しようとするなら、それは王に逆らうことになります。そして王に逆らうなら、それは王に敵対することです。もし王に敵対するなら、それは反キリストということになります。これはかなり厳しい言い方です。もう少し声が出れば、もっとはっきり説明できるのですが。それは反キリストなのです。
そして、もし少しの間私に付き合ってくださるなら、それを証明してみせましょう。反キリストの霊は、人々を一つの組織から別の組織へと移し、また組織へとまとめ上げようとします。しかし、それは決して神のみこころではありませんでした。人々は、私が組織に対して非常に強く語るので、いつもそれを問題にしてきました。しかし、私が打っているのは、その中にいる人々ではありません。私が打っているのは、「自分たちこそその民なのだ」と人々に思わせる、その支配的な霊なのです。
22. さて、キリストの神秘的なからだは組織化することはできません。キリストのもとに来る者はみな――この世から出て、キリストの中へ入る者はみな――その神秘的なからだの中へ入るのです。そしてあなたが、この呼び出された者たちの教会の中へ導き入れられ、この神秘的なからだの中へバプテスマされる時、あなたはそのからだの一員となるのです。
おわかりでしょうか。メソジストでもなく、バプテストでもなく、ペンテコステ派でもなく、ナザレンでもなく、ピルグリム・ホーリネスでもなく、カトリックでもない。イエス・キリストのからだなのです。
このことは、もう少し後で、そのさらに深い部分に入って行く時に、ほかの問いの中で、もう少し深く取り上げることにしましょう。
しかし、キリストのからだこそが教会なのです。
23. それと同じように、男であれ女であれ、聖霊によってキリストの神秘的なからだへ召される時、その人が聖霊に満たされるなら、このからだの完全な一員となるのです。なぜなら、神はキリストからその御霊を取り、キリストのからだをよみがえらせて、ご自身の御座に着けられ、そして再び聖霊を送り返して、キリストの神秘的なからだを形作られたからです。それは、主の来臨の時、婚宴において一つに結ばれるのです。
これは組織化できるものではありません。
それは奥義なのです。
24. 「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、どこから来てどこへ行くのか知らない。御霊によって生まれる者もみな、それと同じである。」
あなたにはそれを理解し尽くすことはできません。それはどこからか来るのです。それはメソジストではなく、バプテストでもなく、ペンテコステでもなく、どんな組織でもありません。それは誕生なのです。神の王国の中へ生まれることなのです。
ですから、それを組織化しようとするなら、それは反キリストへと導くことになります。なぜなら、キリストの教えに逆らうものは何であれ反キリストだからです。
25. さて、私は『ニカイア以前の教父たち』も、『殉教者の書』も、ヨセフスの著作も、ペンバーの『初代時代』も、また古代の多くの偉大な著述家たちの書物も持っています。しかし歴史のどのページを見ても、ローマ・カトリック教会が組織される以前に、組織された教会が存在したと書かれている箇所はどこにもありません。 そしてそれは一つの組織となったのですが、それは神に逆らうものでした。
さて、もしそのようなことが来るのであれば……。ああ、これを何とか皆さんにしっかり伝えられたらと思います。もしそのようなものが来るのであれば、それは実に大きな反キリストであるはずです。もし神が無限なる神であられるなら、そのことを前もってご存じないはずがあるでしょうか。神が無限であられるなら、こうしたことが来るのをご存じないはずがあるでしょうか。そして、もしそれがそのように恐ろしいものであるなら、神は前もってご自分の教会に警告を与えないはずがあるでしょうか。
ですから、私が組織の中にいる人々を攻撃しているのではなく、組織そのものと、その性質を打っているのだということを、今は少しでもよく理解していただければと思います。どの組織も、それは反キリスト以外の何ものでもありえないのです。
26. 「ちょっと待ってください。あなたは聖書以外のことは何も説教しないと思っていました。」
それでは、聖書自身に語らせようではありませんか。
では今、しばらく読んでみましょう。黙示録17章を開いてください。これは、呼び出された教会に与えられた、イエス・キリストの黙示です。黙示録17章です。できるだけ手短に進めていきたいと思います。しかし今、読む時によく注意してください。
「すると、七つの鉢を持つ七人の御使いのうちの一人が来て、私に語って言った、『さあ、来なさい。多くの水の上に座っている大淫婦に下る裁きを、あなたに見せよう。』」
さて、これはすべて象徴で表されています。なぜなら、これは封じられたイエス・キリストの黙示だからです。そうでしょう。それは隠された事柄であって、知性的な頭脳によって理解できるものではなく、聖霊によって、御霊の賜物を通して示されるものなのです。
「知恵のある者は獣の数を数えなさい。」
知恵のある者、すなわち知恵の賜物を持つ者は、これをし、あれをしなさい、とあるのです。
そして、これこそが啓示なのです。
27. 「私はあなたがたを清いおとめとしてキリストにささげた」
と言いました。
ところが今ここでは、評判の悪い大きな女について語られているのです。
「さあ、来なさい。見せよう」と御使いはヨハネに言いました。
「多くの水の上に座っている大淫婦に下る裁きを。」
さて、「多くの水の上に座っている女」 というのは非常に奥義的に聞こえますが、その意味はすべてここにあります。聖書自身がそれを説明しているのです。では同じ章の15節を開いてみましょう。そうすれば、この 「水」 が何を意味しているのかがわかります。
「御使いはまた私に言った、『あなたが見た水、すなわちあの淫婦が座っている所は、もろもろの民、群衆、国民、国語である。』」
28. さて、もし自然の意味で、ある女がそのように呼ばれるなら、私たちはその女が夫に対して不実であることを知ります。そう呼ばれるのは、まさにそのためです。つまり、一人の男に対しては忠実に生きているふりをしながら、実際にはその男に不忠実に生きている、ということです。そうでしょう。
それなら、これはキリストが自分の夫であると言いながら、その教理がキリストの教えに反している教会のことなのです。彼女は淫婦なのです。そして彼女は、民衆、群衆、国々を支配しています。
「さあ、来なさい。わたしは彼女に下る裁きをあなたに見せよう。」
これで、絵が見えてきました。
29. 姦淫とは何でしょうか。「汚れ、不潔であること」です。彼女は淫婦なのです。彼女には汚れがつきまとっています。そして、この世の富んだ者たち、王たち、諸国の大人物たち、また群衆までもが、彼女と姦淫を行い、彼女の悪にあずかってきたのです。
どこへ話が進んでいるか、おわかりでしょう。そうでしょう。
30. 「そこで御使いは、御霊によって私を荒野へ連れて行った。すると私は、一人の女が緋色の獣に乗っているのを見た。」
では、進みながらこれらの象徴を取り上げていきましょう。
さて、緋色とは「赤」です。赤は、一方では良い色でもあります。しかし他方では、評判の悪い色でもあります――赤い灯、危険を示す色です。緋色の…… 彼女は緋色、すなわち赤で身を飾っていました。――売春婦です。――そして一頭の獣の上に座っていました。
聖書において、獣は「力」を意味します。ご覧のとおり、多くの牧師たちがうなずいておられます。「その通り」と。なぜなら、彼らは聖書の教師だからです。獣は「力」を意味するのです。私たちは聖書の中で、黙示録13章やダニエル書に出てくるこれらの獣が、水の中から上って来るのを見ます。獣、すなわち力が、人々の中から現れて来るのです。
31. そしてそれは小羊のように見えました。しかししばらくすると、竜のように語ったのです。これがこの国です。これは必ず起こらなければなりません。いつの日か、彼らは過ちを犯して、間違った人物を選ぶことになるでしょう。彼らはヨセフを知らないヨセフ……いや、ヨセフを知らないパロを立てることになるのです。彼らは以前にもそれを試みましたし、もし今回失敗しても、またやるでしょう。ついにはそうなるのです。聖書がそのように言っています。
私は政治家ではありません。どちらの側も曲がっています。私は自分の票をイエス・キリストに投じています。私が関心を持っているのは、そのお方だけです。しかし言っておきますが、もしあなたの子どもたちのために何らかの自由を期待しているなら、今こそ眼鏡をぬぐって、はっきり見るべきです。 それがどれほど近いのか、私にはわかりません。祈ってください。 よろしい。
32. そこで御使いは、御霊によって私を荒野へ連れて行った。すると私は、一人の女〔教会〕が緋色の獣、すなわち冒涜の名で満ちた緋色の獣の上に座っているのを見た。その獣には七つの頭と十本の角があった。
「七つの頭」。さらに下っていくと、獣の上にあったその七つの頭は、その都が座している七つの丘のことだと書かれています。
では、七つの丘の上に建てられた都とはどの都でしょうか。
ローマです、そのとおりです。七つの丘の上に座している都です。ひとつの教会、ひとりの女、ひとりの淫婦――自分の力によって世界を支配するのです。
なぜ、これはもう新聞を読むのと同じくらい明白ではありませんか。
そうでしょう。確かにそのとおりです。
33. その女は紫と緋の衣をまとい――その女、すなわち教会は富んでいるのです――金と宝石と真珠で身を飾っていた。
彼らのうちのどこが所得税を払ったのか、言ってみてください。どこで何かの税を課されているのか、言ってみてください。自分たちのしたいことなら何でも通してしまうのです。それでも、その中に神の子どもたちがいることは確かです。もちろん、神にはそこにもご自分の子どもたちがおられます。
けれども同じことです。鍋がやかんを黒いとは言えないのです。プロテスタントはよくこう言います。
「カトリックは、あれを殺した、これを殺した、あの人も殺した」と。
では、ジョセフ・スミスを殺したのはだれですか。
私は彼に同意しているわけではありません。しかし、ここアメリカにおいて、私が自分の教えを語る権利を持っているのと同じだけ、彼にも自分の教えを語る権利がありました。
そして、ジョセフ・スミスを殺したのはメソジスト教会でした。
ソルトレイク・シティに行くと、大きな看板が立っています。
「メソジストの人たちよ、モルモンのコオロギに気をつけよ!」
そのとおりです。ジョセフ・スミスを撃ち殺したのはメソジスト教会だったのです。
ですから、カトリックのことで大声を上げるのはやめなさい。
もう少し見ていてください。聖書もまた、そのように語っているのです。
必要でしたら、このあとの流れも続けて訳します。
34. ――すなわち彼女の教理、彼女が人々に飲ませていたものです。地の王たちはそれを飲んでいたのです。
ジャガーズ兄弟のビタミン剤の話を信じられるような人なら――三十年も一人の男と結婚していて、たくさんの子どもまでいる女の人に水を振りかけて、また処女に戻し、その夜その夫との初夜に送り出せる、などということを――そんなことを信じる人なら、何だって信じられるでしょう。そうです。そんなことができると信じる人なら、何でも信じられます。しかし、地の王たちはそういうことを受け入れるのです。そうすれば自分が生きられるし、安心した気分にもなれるからです。
けれども、心の奥では、自分が腐っていることを知っているのです。
あなたをきよめるのは、イエス・キリストの血だけです。
しかし今、よく見てください。
彼女こそ最初の組織された教会だったのです。
聖書は、ここでそのことを語っています。
35. さて、よく見てください。私たちは皆これがローマ教会を指しているということに同意するでしょうし、ローマ側自身の書物、カトリック自身の書物も、それがローマ教会であることを認めています。彼ら自身の本がそう認めているのです。
私は 『われらの信仰の事実』 と呼ばれる本を持っています。これは司祭だけが持つものです。あるカトリックの婦人が私の側に改宗しましたが、その息子は司祭でした。そして彼女がその本を私にくれたのです。その後、その司祭の息子が彼女を再び教会へ戻らせたので、彼女はその本を返してほしいと言って来ました。しかし私は返しませんでした。証拠として取っておいたのです。自分が何について語っているのか、知っておきたかったからです。私は何かを語る時には、それを知らなければなりません。神がそのことについて私に責任をお求めになるからです。
36. では、これらの組織はどこから出て来たのでしょうか。そこに彼らの母がいるのです。初めから彼らはそういうものだったのです。
そこであなたは言うでしょう。
「それが反キリストだというのですね。」
その通りです。
では、それが反キリストであるなら、私たちの組織はどうなのか、ということになります。
淫婦も売春婦も同じことです。すなわち、姦淫を行い、淫行を行い、人間の思いや知性のゆえに、偽りのものを受け入れるのです。聖書にある通り、
「人間の戒めを教理として教える」
のです。
それが今日 教会 と呼ばれているものなのですが、それは 神の王国に逆らうものなので
37. それが、プロテスタントの人々の問題なのです。十分によいものを、そのままにしておけないのです。ただ……あちらで四十年前に聖霊が彼らの上に下り、力が注がれ始めた時、彼らは踊り、叫び、異言を語り始めました。けれども、それをそのままにしておかなかったのです。彼らはそれを組織化しなければなりませんでした。
それから一つの流れが起こり、彼らはそれを総会派と呼びました。さらに別の流れが起こり、イエス・キリストの御名について少しばかりの光を持つようになると、彼らはそれを新争点派と呼んで、外へ追い出しました。
それから彼らは P.A. of J.C.(イエス・キリスト・ペンテコステ諸集会) という組織を作りました。
さらに彼らの間に少し摩擦が起こりました。主が白い馬に乗って来られるのか、あるいはどのように来られるのか、ということでです。するとまた別の組織を作り、P.A. of W.(世界ペンテコステ諸集会) と呼びました。
ああ、何てこと。それから今度は 神の教会 が出て来ました。
そして彼らは預言によって分かれ、また組織化したのです。
そして、そうするたびごとに、あなたがたは神のみこころから出て行くのです。
それは反キリストの霊なのです。
38. そして、あなたが 「組織」 というものを見るたびに、ただこう覚えておきなさい――その上には 「反キリスト」 と書かれているのです。ここにそれが聖書にあります。これは、私に読める限り、できるだけはっきり書かれていることです。ここには、組織に属している大切な友人たちもたくさん座っておられます。私は、あなたが反キリストだと言っているのではありません。あなた方のことをそう呼んでいるのではないのです。けれども、その背後にあるもの全体について言っているのです。
そしてまるで悪魔がそれをこういう具合にねじ曲げてしまったかのようです。つまり、そういうものを持っていなければ、説教することさえ許されない、というようにです。それは、国々が持っているのと同じことです。あなたは国家なしでは一人の人間として立てません。どこかの国に属していなければならないのです。アメリカ人であるか、ドイツ人であるか、何かでなければならないのです。おわかりでしょう。すべてがねじ曲げられてしまっているのです。
39. もし時間があれば、ヘブル人への手紙11章を開いて、あの信仰の勇士たちがどのようであったかを見たいところです……アブラハムがどのように踏み出して、自分を旅人、寄留者と呼んだかを。彼は、この世は自分の故郷ではないと言いました。むしろ、神が設計し、造られる都を求めてさまよっていたのです。
そして、もし私たちがキリストにあって死んだのであれば、私たちはアブラハムの子孫を受け継ぎ、約束によって彼と共に相続人となるのです。
では、それは私たちを何にするのでしょうか。
旅人であり、さすらい人とするのです。
40. その両者は、根本的にはどちらも御言葉の上に立っていました。覚えていてください、バラムはイスラエルがささげたのと同じいけにえをささげました。七つの祭壇――神の求められる数です――七つのきよいいけにえ、七頭の雄羊、すなわち来たるべき義なるお方を指し示していたのです。根本的には、両者とも正しかったのです。根本のところでは、です。
しかしバラムが見損なったのは、イスラエルの中にある超自然的なものでした。あの教派を超えた群れの中にあるものを、彼は見損なったのです。彼らには定まった行き先があるようには見えませんでした。彼らはさすらっていました。しかし、どこかへ向かう道の上にいたのです。
それが今日の生ける神の教会なのです。世から見れば、それは組織されていません。しかしそれは、組織のきずなによってではなく、イエス・キリストの力と御霊によって、愛の結びつきによって一つに結ばれているのです。
41. 「私の大切な兄弟です」
と言うようになるのです。彼らは、一致していなければ共に歩むことはできないと分かるからです。
人々はこう言います。
「あなたはクリスチャンですか。」
「私はバプテストです。」
それでは、その問いへの答えにはまったくなっていません。
「私はクリスチャンですかって? 私はペンテコステ派です。」
それも、その問いへの答えにはなっていません。
もしあなたがクリスチャンであるなら、あなたは新しく生まれた被造物です。あなたは神の奥義の王国の中にいるのです。あなたの目はこの世のものに向けられておらず、上にあるものに向けられています。
そして、その時あなたは教会の中にいるのです。
それが教会なのです。
それは組織ではありません。決して組織にはなりえません。はっきり言っておきます。
生ける神の教会は、決して特定の一団体ではありえません。
それは組織にはなれないのです。
それは神秘的なからだ、すなわち聖霊でなければならないのです。
もう少し先へ進みましょう。時間があれば、まさにそのところへ入って行きます。
42. その著者はそれを 「メシヤ帝国」 と表現していました。
そしてまた、その著者はこうも言っていました。
「生ける神の教会が組織されるなどということは、決してない。組織とは、本来あるべきものに取って代わるために取り入れられ、採用されたものにすぎない。」
43. さて、おわかりでしょう、私は……と言っているのではありません。ペンテコステ派も、カトリックと同じように罪があるのですし、ピルグリム・ホーリネスも、ナザレンも、バプテストも、メソジストも同じです。
しかし、それらすべての教派の教会の中にも、神の子どもたちがいます。彼らはこの神秘的な王国に属しているのです。ただ彼らは、自分たちの心をそこへ引き寄せる何かが起こるのを待っているだけなのです。
私は今夜、その人たちが東から西から、北から南から出て来て、自分たちをそこから引き離し、礼拝しながら、主の来臨を待ち望んでいることを知っていて、本当に嬉しいのです。聖書は、終わりの日に彼らがそうする、と言っています。まさにその通りです。
そしてこう言っています。
「彼らは東から西へ、北から南へと走り回って、神の真の御言葉を求める。パンや水の飢饉ではなく、神の御言葉を聞くことの飢饉が来る。」
人々はあなたにこう言いたがります。
「こちらに加わりなさい。こっちに入りなさい。」
しかし、神の王国には、加わるものなど何一つありません。 あなたがそこに“加入”できるものは、ただの一つもないのです。
それは、教会の中へ生まれる経験なのであって、そこへ加入することではありません。
さて、このことは、もう少ししたらさらに触れるかもしれません。
ここに、まだいくつか聖句を書き留めてありますから。
44. だれがこれを建てたのか、つまりこの神秘的なからだをだれが始めたのか、ということです。
イエス・キリストです。
そして、この神秘的なからだのかしらは主ご自身です。主がその上の王なのです。ご自分のご支配の中で、ご自分のみこころを行っておられるのです。司教の支配でもなく、教会役員会の支配でもありません。メシヤご自身が王として、ご自分の領域の中で働いておられるのです。
それはいつ始まったのでしょうか。
ペンテコステにおいてです。
ペンテコステ派という組織ではありません。ペンテコステの体験です。
それが、あなたにとっての始まりなのです。
主はその到来について語られました。
何が起こるかを言われました。
そして、それが来ることを告げられたのです。
45. 「見よ。わたしは、わたしの父の約束をあなたがたに送る。だから、あなたがたは上からの力を着せられるまでは、エルサレムの町にとどまっていなさい。」
さて、主は来たるべき教会、来たるべき王国を約束されたのです。ではそのまま使徒行伝1章8節を開いてください。覚えていてください、主はまたマタイ16章18節で、この岩の上にご自分の教会を建て、よみの門もそれに打ち勝つことはない、と語られました。このことについては、あと少しで、別の主題に進みながら取り上げることにします。使徒行伝1章8節です。
「しかし、聖霊があなたがたの上に臨む時、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレム、ユダヤ、サマリヤ、さらに地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」
来たるべき証人たちの王国です。主の復活の証人、主の力の証人、主が生きておられることの証人です。
「あなたがたは、わたしの証人なのだ。」
さて、使徒行伝1章8節です。
46. 「そして神は、いっさいのものをキリストの足の下に従わせ、キリストを、いっさいのものの上に立つかしらとして教会にお与えになった。」
「教会はキリストのからだであり、すべてにおいてすべてを満たす方の満ちておられるところである。」
この教会を建てたのはだれでしょうか。
イエス・キリストです。
司教でもなく、どこかの人間の集団でもなく、教皇でもなく、人が作り上げたどんな権力でもありません。イエス・キリストが、それを力をもって来るご自身の王国として語られたのです。
「ここに立っている者たちの中には……」
マタイ16章で、
「まことにあなたがたに言う。ここに立っている者たちの中には、神の王国が力をもって来るのを見るまでは、決して死を味わわない者たちがいる。」
と言われました。
そのほんの数日後に、主は十字架につけられ、そして聖霊が下ったのです。
「ここに立っている者たちの中には、神の王国が来るのを見るまでは、死を味わわない者たちがいる。」
47. 主は言われました。
「父がご自身の権威のうちに置かれた時や季節を、あなたがたが知ることはない。しかし、あなたがたは力を受ける。」
使徒行伝1章です。
「聖霊があなたがたの上に臨む時、あなたがたは力を受ける。」
司教にされた後で力を受けるのですか。
説教者にされた後ですか。
教皇にされた後ですか。
祭司にされた後ですか。
違います。
「聖霊があなたがたの上に臨む時、あなたがたは力を受ける。」
それこそが、神が求めておられた証人なのです。
聖霊が臨んだ後の証人です。
「私は司教だ」という証人ではありません。
「私は牧師だ」という証人でもありません。
では何の証人なのか。
よみがえられた王の証人です。
それが、生ける神の真の教会なのです。
よろしい。
48. 「キリストは万物よりも先に在り、万物はキリストによって成り立っている。
また、キリストはそのからだなる教会のかしらである。キリストは初めであり、死人の中から最初に生まれた方である。それは、すべてのことにおいて、ご自身が第一のものとなられるためである。」
では、この教会のかしらはだれでしょうか。
イエス・キリストです。
それはどんな王国でしょうか。
メシヤの王国です。
組織ではなく、教会です。キリストをかしらとする神秘的なからだなのです。
ああ、私はそれが大好きです。
御霊のうちに歩み、王に従い、この世には愚かなものと見えても、神の目には尊い。御霊のうちに歩み、誤解され、笑われ、あざけられてもです。
「キリスト・イエスにあって敬虔に生きようとする者はみな、迫害を受ける。」
「あなたがたより前の預言者たちを彼らが迫害し、家の主人をベルゼブルと呼んだのであれば、その弟子たちをなおさら何と呼ぶことか。」
けれども、あなたは御霊のうちに歩み、この世のものに背を向け、どんな鎖にも縛られないのです。
「御子が自由にするなら、その人は本当に自由なのである。」
アーメン。
それが生ける神の教会です。
そして、それを建てたのはそのお方なのです。
49. 「聖霊があなたがたの上に臨んだ後、あなたがたはわたしの証人となる。」
では、教会とは何でしょうか。
キリストの神秘的なからだです。
それを建てたのはだれでしょうか。
主イエスご自身です。
それはローマで建てられたのでもなく、イングランドでジョン・ウェスレーによって建てられたのでもありません。カルヴァンによって建てられたのでもなく、アメリカで――バプテスト派として――ジョン・スミスによって建てられたのでもありません。またカリフォルニアでペンテコステ派によって建てられたのでもありません。
それは、メシヤの王国の王であるイエス・キリストによって建てられたのです。
それを建てたのは、そのお方です。
主こそ王なのです。
主は王でありたいと望んでおられます。
私たちを治めたいと望んでおられます。
主でありたいと望んでおられるのです。
50. 「救い主にはなっていただきます」
とは言います。けれども、主としては受け入れようとしません。
Lord とは、「所有者」「支配者」という意味です。
「主よ、私の心に入って、地獄から救ってください。けれども、私に何をすべきかは指図しないでください。」
それが人々の態度なのです。だからこそ……。
聖書が、「すべての食卓は吐いた物で満ちている」 と言っているのも不思議ではありません。
吐いた物が何かはご存じでしょう。
「犬が自分の吐いた物に戻るように」
とあります。
もし、これらの組織が最初からうまくいっていたなら、神はそれらを吐き出す必要はなかったはずです。ところが、神はそれらを吐き出されたのです。それなのに、またそこへ戻るなら、あなたがたは再び吐き気をもよおさせることになるのです。
主はこう言われました。
「あなたが熱いか、冷たいかであってほしい。だが、あなたは生ぬるいので、わたしはあなたを口から吐き出そう。」
あなたがたは、神の胃をむかつかせるのです。
そして神は、私たちを吐き出されるのです。
51. 歴史によって、一つでもそんなものがあったと示してみてください。
ひとりの人が、ある働きをもって立ち上がり、神はその人を祝福されます。ところが、気がついてみると、その人はそれをすぐに人間の手に引き渡してしまい、そこから一つの組織を作り上げるのです。そして、その時点でそれは死ぬのです。
歴史を調べてみてください。そこから再び立ち上がったものが一つでもあったでしょうか。
一つもありません。
なぜなら、それはみな、人々の間に働く反キリストの霊だからです。
52. 「主よ、今年はこれだけ多くの会員が増えました。」
しかし、会員が何人いるかなど、いったい何の違いがあるのでしょうか。
私たちが求めているのは、教会の会員ではありません。
私たちが求めているのは、神の王国の中に生まれたキリストのからだの一員です。
それは、人の意志によってではなく、神のみこころによって生まれるのです。人の霊によってでもなく、人の知性によってでもありません。
パウロはこう言いました。
「私は人の知恵をもってあなたがたのところへ来たのではない。神の御霊と、その復活の力をもって来たのである。それは、あなたがたの信仰が人の知恵や、人の言葉の巧みさの上に立つのではなく、イエス・キリストの復活の力の上に立つためである。」
彼はそのようにして来たのです。
神が私たちを助けてくださって、私たちも同じことを行えますように。
53. 私がまず思い浮かべる、この教会――すなわち神秘的なからだ――が教えるべき第一のメッセージは、悔い改めです。では、もう一度しばらくルカ24章を開いてみましょう。ルカ24章です。教会が最初にしなければならないことは、悔い改めることであり、また悔い改めを教えることなのです。
さて、イエスが地上を去ろうとしておられる時です。これは最後の章、主が地上を去ろうとしておられる場面です。ルカ24章46節。46節から読み始めましょう。
「こう書いてある。キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、
そして、罪の赦しを得させる悔い改めが、その御名によって、エルサレムから始まって、すべての国々に宣べ伝えられる。
あなたがたは、これらのことの証人である。」
そして、神に対する悔い改めと罪の赦し――ああ、ここはしっかり心にとどめておいてほしいのです。なぜなら、このあとすぐ、この「罪の赦し」について語ることになるからです――それが、すべての国々に向かって、主の御名によって宣べ伝えられなければならないのです。それはエルサレムから始まるのです。
「あなたがたはこれらのことの証人である。」
54. 「……苦しみを受ける」と、聖書は言っています。主こそ、預言者たちが語っていたそのお方なのです。主こそ、聖書全体がその方を中心に回り、その方に集約されているそのお方なのです。そうであるなら、何が教えられるべきか、何がなされるべきかを、主がご存じないはずがありません。
そして主は、悔い改めと罪の赦しとが、証しとしてすべての国々に宣べ伝えられなければならない、と言われました。それはエルサレムから始まるのです。
さて、組織はローマから始まりました。組織教会はローマから始まり、それからドイツへ行ってマルティン・ルターに至り、イングランドへ行ってウェスレーに至り、アメリカへ行ってジョン・スミスに至り、カリフォルニアへ行ってペンテコステ派に至りました。
しかし、教会はエルサレムから始まったのです。
神に対する悔い改めと、罪の赦しのためのイエス・キリストの御名によるバプテスマは、エルサレムから始まりました。
そして、「そうあるべきだ」 と主は言われました。
みながそこに到達する、とは言われませんでした。
それはエルサレムから始まるべきであり、全世界へ行くべきであり、宣べ伝えられるべきなのです。
しかし実際には、それはごくわずかしか行われていません。
けれども、それが主の言われたことです。
それが主のメッセージです。
それが教会のメッセージなのです。
それを教えている教会を私に示してみてください。
それがどこにあるのか言ってみてください。
見つかりません。
55. 教会が教えるべきことは、イエスは王であり、永遠に生きておられるということです。マタイ28章20節です。
「わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」
〔その通りでしょう。〕
ヘブル13章8節。
「イエス・キリストは昨日も今日も、いつまでも変わることのない方です。」
それが教会のメッセージです。
主のみわざを行い、主の復活を証明し、証人となることです。
では次に、使徒行伝5章32節を見てみましょう。彼らがそれを持っていたかどうかを見るためです。使徒行伝5章32節です。
「私たちはこれらのことの証人である。そして神がご自身に従う者たちにお与えになった聖霊もまた、その証人である。」
〔それは証しされなければならないのです。〕
56. 「よくよくあなたがたに言う。わたしを信じる者は、わたしのしているわざをするであろう。さらに、それよりも大きなわざをするであろう。わたしが父のみもとに行くからである。」
それが教会のメッセージなのです。
イエス・キリストは昨日も今日も、いつまでも変わることのない方であり、教会の中に生きておられ、教会の王であり、死人の中からよみがえられ、昨日も今日も、いつまでも同じお方です。
そして、主がなさったのと同じわざを行い、イエスがされたのと同じことを行うのです。
それが教会のメッセージです。
もし教会がそれを教えていないなら、その教会は何かの偽りの神学を教えているのです。
それこそ、イエスが彼らに宣べ伝えるよう命じられたことなのです。
57. また、どうすればこうした人々について見分けられるのでしょうか……。彼らはこう言います。
「いや、私は信者です。」
それでは、信じる者たちに対して、主がご自分の教会に与えられた最後の委任が何であったかを見てみましょう。マルコ16章を開いてください。マルコ16章を取って、主が教会に対して最後に語られたことが何であったのかを見てみましょう。そして、それによって、私たちが主の委任に従っているかどうかを確かめようではありませんか。マルコ16章、14節から読み始めましょう。
さて、その後、十一人が食事をしているところに、イエスはご自身を現わされた。
――これは主が復活された後のことです。――
さて、ここに教会に対する委任があります。よく聞いてください。最後の委任です。
私たち自身を確かめてみましょう。自分たちが本当に信者なのか、またこの教会の中にいるのかどうかをです。
その後、十一人が食事をしているところに現われ、主は、復活した自分を見た人たちの言うことを彼らが信じなかったので、その不信仰と心のかたくなさをお責めになった。
58. 私たちは、主が生きておられることを知っています。私たちのうちには、主の御霊の証しがあります。私たちは、主の力が会衆の上を動き、何万という人々に対して、主が地上におられた時と全く同じように、その思いと心を見分けられるのを見ています。
聖書が言う通りです。
「神の御言葉」――そして主こそ、その神の御言葉なのです。
「初めにことばがあった。ことばは神と共にあった。そしてことばは肉となって、私たちの間に住まわれた。」
また、
「神の御言葉は、もろ刃の剣よりも鋭く、力強く、骨の髄までも刺し通し、心の思いと志を見分ける。」
キリストは言われました。
「わたしがしているわざを、あなたがたもしよう。」
ほら、主がそれをなさるのを見てください。
主がそれをなさるのを見た人がどれほどいるでしょうか。
その通りです。私たちは、主がそれをなさることを知っています。
主は生きておられます。
主はここにおられます。
主は私たちの心の中におられるのです。
59. それは異教そのものです。
その通りです。そこには真理がありません。
ああ、私は「真理がない」と言っても、その人がそうしたかもしれないし、その人がきわめて誠実だったかもしれない、ということまでは否定しません。
しかし、神はそのようなやり方でご自分の教会を治められはしません。
神は決して、そのようなものを望まれませんでした。
60. 「ひとつ、あなたがたに尋ねたい。私はこれまであなたがたを裏切ったことがあったか。私はあなたがたの金を求めたことがあったか。主の御名によって語って、正しくなかったことを一度でも言ったことがあったか。神は、あなたがたに王を持たせたいのではない。神ご自身が、あなたがたの王でありたいのだ。」
すると彼らは言いました。
「おお、サムエル、その通りです。あなたは正しい。あなたは良い預言者です。あなたは私たちに真実以外のことを語ったことがありません。私たちから金を求めたこともありません。それらは本当です。けれども、私たちはほかの者たちのようになりたいのです。とにかく王が欲しいのです。」
サムエルは言いました。
「それはあなたがたに心の痛みと苦しみをもたらすことになる。彼はあなたがたの息子や娘たちを取るだろう。彼らを汚し、さまざまなことをするようになる。彼はそうするのだ。」
そして実際に、その通りになったのです。
それでもなお、彼らは王を欲しがったのです。
61. 「私たちはメソジストです、バプテストです」
と言わなければならないのです。
しかし、ただ 「私たちはクリスチャンです」 と言えばよいのです。
その通りです。「キリストのような者」 です。
主が死人の中からよみがえられた後でさえ、彼らはそれを信じなかったのです。
そして主は彼らに言われました。
〔この大いなる委任をよく見てください〕
「あなたがたは行って……」
どれほどの世界へですか。
〔会衆「全世界です」〕
ああ、私はてっきりエルサレムだけかと思っていました。
「これらのしるしはエルサレムだけのものだ」と言う人もいますからね。
「全世界に出て行って、福音を宣べ伝えなさい。」
62. ただの言葉ではありません。
パウロはこう言いました。
「福音は、言葉だけで私たちのところに来たのではなく、聖霊の力と現れとによって来たのです。」
福音とは、神の力であって、御言葉が語っていることを、その通りに実現させるものなのです。
「全世界に福音を宣べ伝えなさい。」
福音を、白人だけにですか。あるいは、褐色の人だけに、黄色の人だけに、黒人だけにですか。
「すべての被造物に」 です。
アーメン。
すべての被造物に。
それがその意味だと信じますか。
私は、ある日、神が一頭の雄牛を屈服させるのを見ました。
私は、神がスズメバチに刺させないようにされたのを見ました。
私は、一晩中死んだまま横たわっていたオポッサムを、神が生き返らせられるのを見ました。
すべての被造物です。
福音は、あなたが求めるどんなものに対しても効力を持つのです。
あなたは言うでしょう。
「それは間違っています、ブラナム兄弟。」
いいえ、間違ってはいません。
63. 「今後だれも、おまえから実を食べることがないように」
と言われました。そして、その木に対して福音が宣べ伝えられたのです。
アーメン。
私は今、実に信仰深い気持ちになっています。
すべての被造物に!
アーメン。
何に向かって宣べ伝えるのですか。
すべての被造物にです。
ああ、こういうことにもっと時間があったならと思います。さて――
「信じてバプテスマを受ける者は救われる。」
――「ああ、私は信じていますし、バプテスマも受けています。」それでよろしい、結構です――
「信じてバプテスマを受ける者は救われる。しかし、信じない者は罪に定められる。」
「ああ、私は信者でよかった。」
ちょっと待ってください。
「そして」
――この and は接続詞であって、文をつないでいるのです――
「そして、これらのしるしが……」
――ああ、あなたはしるしを信じないと思っていましたか。これはイエスご自身のお言葉です。このことについては主と論じてください――
「これらのしるしは……」
「ある時にはそうかもしれない」とか、「時々そういうこともある」ではありません。
「これらのしるしは、信じる者たちに伴うのである。」
さて、あなたが信じているかどうかを見てみましょう。
あなたの組織が信じているかどうかも見てみましょう。
彼らは、自分たちは信じていると言うかもしれません。
しかしイエスは言われました。
「これらのしるしは、信じる者たちに伴う。」
ところが彼らは、そのしるしを否定するのです。
「これらのしるしは、信じる者たちに伴う。」
どれほどでしょうか。
「わたしの名によって、彼らは悪霊を追い出す。」
64. 〔これは録音されているのです、わかるでしょう。私はいつもあなたがたにだけ話しているのではありません。ほかのだれかがこれを聞くことになるのです。〕
あなたがたは、自分たちは神を信じ、また自分たちの教会が福音を携えるように委ねられている、その委任を信じていると主張します。ところが、その最初のことこそ、神の癒しなのです。
イエスが弟子たちを遣わされた時、最初に何をお命じになりましたか。
マタイ10章1節です。
「病人をいやし、悪霊を追い出しなさい!」
そして、主がご自分の教会に最後に言われたことは何でしたか。
「病人をいやし、悪霊を追い出しなさい!」
アルファでありオメガ、ベニヤミンでありルベン、初めであり終わり、かつておられ、今おられ、やがて来られる方、明けの明星、ダビデの根また子孫。
ハレルヤ!
それがこのお方です。
その通りです。
「これらのしるしは、信じる者たちに伴う。すなわち、わたしの名によって、彼らは悪霊を追い出す。」
エルサレムだけでですか。
違います。
「全世界に、すべての被造物に。」
それは聖書ですか。
聖書がそう言っているのです。
それが教会のメッセージです。
全世界に、すべての被造物に、福音を。
そして、信じるすべての者に、これらのしるしが伴うのです。
65. そして、かわいそうなナザレン派の人たちよ、あなたがたは彼らを「異言を語る連中」と呼んでいる。あなたがたは、彼らと同じ教会に座ることさえしないではありませんか。ひどいことではありませんか。いったい天国へ行った時、どうするつもりなのですか。
イエスは異言を語りながら死なれたのです。彼らは言いました……。主は語られた、しかも別の言語で語られたのです。確かにその通りです。
「主はヘブル語で語ったのか。」
いいえ、そうではありません。
あれはヘブル語のことばではありません。
主は天のことばで語られたのです。
66. その小羊は、死にゆきながら、ほかのことばで鳴いていました。その血まみれの毛が自分自身の血に染められていくその姿は、向こうのカルバリで私たちの罪を負い、打たれ、引き裂かれ、死にゆきながら、ほかのことばで語っておられた神の御子を指し示していたのです。
「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」
67. 「わたしの名によって彼らは悪霊を追い出し、新しい異言を語る。」
主はそう言われました。
それが教会のメッセージです。
それが、主が教会に命じられたことなのです。すなわち、悪霊を追い出すことです。
「彼らは新しい異言を語る。
また蛇をつかむことがあっても、たとい毒を飲んでも、決して害を受けない。
病人に手を置けば、病人はよくなる。」
それが教会に与えられた委任です。
それが、本当に信じている教会なのです。
それはメソジストで教えられていますか。バプテストで、長老派で、カトリックで、ルーテルで、ナザレンで、ピルグリム・ホーリネスで教えられていますか。
いいえ、決してそうではありません。彼らはそれを否定しているのです。
栄光あれ!
なぜでしょうか。
彼らは組織されているからです。そして、そのためにそれを行うことができないのです。
その中には、それを信じている会員が大勢います。けれども、その人たちはそのことについて何も言えません。そんなことを言えば、破門されてしまうからです。
それは、反キリストの霊が彼らを組織化してしまったからなのです。
生ける神の教会は、自由に生まれたものです。
神の御霊によって生まれたのであって、どんな教派も必要としません。
彼らは、メシヤの王国の王に従うのです。
人が何と言うかを受け入れる必要などありません。
彼らは自由に生まれた者たちであり、御子によって自由にされた者です。そして、御子が自由にするなら、その人は本当に自由なのです。
これらのしるしは、その人たちに伴うのです。
68. 誰がそれを説くつもりですか?神は無知な者たちを連れて行くことができ、アブラハムの子供たちに石を立てることができます。神はやりたいことは何でもできる、神は神だ!そしてそれが彼のやり方です。イエスは来られたとき、カヤパに電話をかけませんでした。彼は司祭を一人も呼ばなかった。彼は一人の神学者にも電話しなかった。彼は漁師、牧畜民、そして無知で無学な人々を連れて行きました。聖書にはこう書かれていました“ペテロとヨハネはどちらも無知で無学でした”。しかし、神は彼らに神の国を与え、彼らを通して働き、賢くて力強い人々の目と心を混乱させることができました。彼らは言った、“彼らは自分たちが無知で無学な人間であることに注意を払ったが、彼らがイエスと一緒にいたことには注意を払わなければならなかった。” なぜ?彼らは神の霊を彼らに宿していました。彼らは神が行動するように行動していました。彼らは神が行ったことをしていました。それはまさに彼が起こるだろうと言ったことです。メシア王国。ああ、こういうことがあって本当に嬉しい!“これらのしるしは信じる者たちに従うであろう。” 確かに、兆候は彼らに従うでしょう。
69. そして彼は。..12人の弟子たちを呼び、汚れた霊に対抗し、彼らを追い出し、あらゆる種類の病気や病気を治す力を与えました。
彼の教会への最初の依頼。
71. ああ、あなたはこう言います、“ブランハム兄弟、でもこれらすべての教会を見てください。” それは接ぎ木された蔓です。これで、柑橘類を接ぎ木できます。オレンジの木にレモンをつければ成長します。それが男たちが接ぎ木したものだ。そして、これらの組織は男性が接ぎ木したものです。いつもレモンです。教会の名前にこだわっているから成長するでしょう。しかし、言っておきますが、もしその木が自ら別の枝を伸ばしたら、オレンジ色になるでしょう。そして、もし神の力が別の教会を設立するなら、それは別のペンテコステとなり、その背後に別の使徒行伝が書かれるでしょう—なぜなら、それは神の教会だからです。
72. 第二の教会が立ち上がれば、キリストの神秘的な体も同じしるしを持つでしょう。“しばらくすると、世はもうわたしを見なくなります。しかし、あなたがたはわたしを見るでしょう。わたしは、世の終わりまで、あなたがたのうち、すべての枝に、あなたがたと共にいるからです。” イエス・キリストは昨日も今日も、そして永遠に同じです。それが生ける神の教会です。それがその人です。それが彼の証人のようなものだ。
73. そして聖霊も臨まれるでしょう。..それは教会の教えとなるでしょう。イエスはルカ24:49でこう言われました。… 私たちはそれにすぐ近づいているので、ここで 49 節の 1 秒だけ目を向けましょう。第46巻と第47巻を読みました。49番目を見てください:
そして、見よ、わたしは父の約束をあなたたちに送ります。しかし、あなたたちが高いところから力を与えられるまで、エルサレムの町で[または待ってください、タリーは“待つ”という意味です]。
もしキリストが、聖霊を待つまで、3年半もキリストとともに歩んできた大勢の人々に福音を宣べ伝えさせなかったり、福音を宣べ伝えることができなかったりするなら、今日の教会は同じことをしなければなりません。聖霊を待ちなさい!
74. 私は言いました、“はい、奥様。”
彼女は言いました。“まあ、私たちはそんなことは信じていません。”
私は言いました、“あなたは神の言葉を信じていないからです。”
そして彼女は言いました。“私たちはマリアが私たちのために執り成しをしてくれると信じています。”
私は言いました、“それはまったく異教徒です。”
彼女は女神ではなかった、彼女は女性だ。“神の母”—どうして神は母親を持つことができたのでしょうか?“万歳、マリア、神の母。” どうして神は母親を持つことができたのでしょうか?彼女は神の子キリスト イエスを産みました。女性は創造者ではなく、男性の種を持っています。その人は創造者ではなく、神が命を創造します。それは神が子供たちを連れてくるように命じた単なる命令です。彼女は神の母ではありません。神には人生の始まりも終わりもなかったので、母親を持つことはできません。彼は永遠だ。彼女は神の母にはなれない。
75. 彼女は言いました、“それは正しくありません。”
私は言いました、“カトリック教会と使徒たちが聖書を書き、彼らはカトリック教徒だと言ったと言いましたか?”(私はそれに逆らいます。最後の使徒の死後、ニカイア公会議が終わるまでの300年間、カトリック教会は存在しませんでした。歴史のページを見せてください、あなたが望むものは何でも;あなたのカテキズムではありません、それは歴史と比較しないからです。そんなものはなかった。) しかし、私は言いました、“マリア。..聖書には、イエスの母マリアと残りの女性たちは、百二十人とともに、その階段を登って上の部屋に行き、聖霊に満たされなければならないと書かれていました。彼らは酔ったようによろめき、異言を話し、大酒飲みの集団のように振る舞うまで。聖書にはそう書いてありました。” 私はその詩を指で指して言いました、“読んでください。”
彼女は言いました、「“読みたくない」。読むべきではない。”
76. 彼女は言いました。“もし私がそのようなもので天国に行かなければならないとしたら、私は天国に行きたくないでしょう。”
私は言いました、“心配することはあまりありません。とにかく、あなたはそんな風には行かないと思います。あまり気にする必要はないと思います。” それはまさに神の霊です。
77. 4つ目は、“どうすればそのメンバーになれるのか?どうやって参加すればいいのでしょうか?” それが何であるかわかりますが、ではどうやってこの教会に参加すればよいでしょうか?あなたはそれに参加しません。参加できない、参加する方法がない、あなたはその中に生まれてきたのです!私はブランハム家に51年間在籍していますが、家族に加わったことはありません。私はブランハムとして生まれました。そしてあなたは神の息子、あるいは神の娘として生まれます。
78. パリサイ人の中に、ユダヤ人の支配者ニコデモという人がいました
同じことが夜イエスのもとに来て、イエスに言った、「ラビ、私たちは知っています。..あなたは神から来た教師です。…神が彼とともにいてくださる以外に、あなたが行う奇跡を行うことはできません。」
イエスは答えて言われた、「まことに。..」 私はあなたに言います、「人が新しく生まれなければ。..」本当に、私はあなたに言います、「人が新しく生まれなければ、彼は神の国を見ることができません」。
79. ニコデモは彼に言った、「人は年老いたときにどうやって生まれるのでしょうか?」 [あの肉欲的なのが見えますか?教師、偉大な人、司祭、老いて、生涯聖書を読んでいます]彼は二度目に母親の子宮に入り、生まれることができるでしょうか?[さて、それは今日耳にする知的教師の何人かと同じではないでしょうか?]
イエスは答えて言われた、「まことに。..」 私はあなたに言います、「人は水から生まれることを除いて[どうやって水に入るのですか?]」 水と。.. 霊よ、彼は神の国に入ることはできません。
80. That which is born of the flesh is flesh; and that which is born of the Spirit is spirit。肉から生まれたものは肉であり、霊から生まれたものは霊である。
私があなたに「あなたは新しく生まれなければならない」と言っていることに驚かないでください。
風が吹くところには、その音が聞こえますが、それがどこから来たのか、どこへ行くのかはわかりません。御霊から生まれたすべての人も同様です。
ほら、あなたはそれに参加しません。それは不思議なものです。あなたはキリストの神秘的な体に生まれました。そうやって入っていくのです。
81. なぜなら、私たちは皆、一つの御霊によって[結合され、記録されているのでしょうか?]からです [一つの組織?]に洗礼を受けました 1つの体、[キリストの体である]私たちがユダヤ人であろうと異邦人であろうと、絆であろうと自由であろうと、そして1つの御霊を飲まされているのです。
メソジスト派の精神でも、バプテスト派の精神でも、ペンテコステ派の精神でもなく、一つの聖霊によって!
私たちは皆、この中でバプテスマを受けています
血で満たされた泉、
イマヌエルの静脈から引き出された、
罪人たちが洪水の下に沈んだ場所、
罪深い汚れをすべて失います。
瀕死の泥棒はそれを見て喜んだ
彼の時代のあの泉
彼のように下劣な私でも、
私の罪をすべて洗い流してください。
82. どうすれば完璧になれるのでしょうか?あなたにはできない。あなたは罪の中で生まれ、不法行為の中で形作られ、嘘をつきながらこの世に来ました。しかし、あなたがキリストを罪の担い手として受け入れるとき、信仰によってキリストを受け入れるとき、あなたはキリストがあなたを救ってくださったと信じ、キリストはあなたの代わりに死んであなたの罪を負われたとき、神はあなたを受け入れ、あなたにバプテスマを授け、もう見ることができません。罪。祭壇に贖罪があるのに、どうして私は罪人になれるのでしょうか?
83. そして、神が私を受け入れて聖霊のバプテスマを授けてくださったとき、神は私が故意に罪を犯さないと確信してくださいました。アーメン!私は故意に罪を犯すつもりはありません。したがって、彼の息子は私のために償いをしました;そして、私が義とされ、彼が私を彼の体の中に連れて行ってくれた限り、私は罪人になることはできません—私は彼と一緒に救われました。私がすることではなく、神が私のためにしてくださったことです!それが福音です!
84. 少し前に、有名なバプテストの説教者が私にこう言いました。“ブランハム兄弟、アブラハムは神を信じました、そしてそれは義として彼に帰せられました。神を信じる以外に、彼は何ができたでしょうか?” 彼は言いました。“私たちは信じるときに聖霊を受けると信じています。”
私は言いました、“でもあなたは間違っています、正直に間違っています。パウロは使徒行伝 19 章で、そこに優れた牧師と改宗した弁護士がいるバプテスト教徒たちにこう言いました。「あなたは信じてから聖霊を受けましたか?」”
彼は言いました。“原文にはそんなことは書かれていません。”
私は言いました、“確かにそう書かれています。私は強調ダイアグロットを持っていますが、ギリシャ語とヘブライ語の両方のあらゆる翻訳でそれが書かれています。彼は言いました。「あなたが信じてから聖霊を受けたのですか?」” 私は言いました、“アブラハムは信じていました、それは本当でした。しかし、神は彼に割礼の印章を与えることによって、彼が自分の信仰を受け入れたというしるしを与えてくださいます。” そうだね。神は彼を受け入れたというしるしを彼に与えたので、彼は彼を受け入れたのです。
もしあなたが信じていると言い、まだ聖霊を受けていないなら、神はまだあなたを封印しておらず、あなたを信頼するのに十分な信頼をまだ持っていません。あなたが神のところに来るとき、神はあなたの救いの日まで聖霊であなたを封印します。それが教会のメッセージです。アーメン!
85. 行為、これが私たちがそれに入る方法です。これが教会の落成式です、使徒行伝第 2 章です。ペンテコステの日が過ぎ、最初のメッセージが教会に宣べ伝えられたとき、彼らは皆聖霊に満たされました。マリア、使徒たちは皆、聖霊に満たされ、異言を話し、酔った人々の集団のようにただ持ち歩いていました。そして、彼らはただひどい時間を過ごし、ただ叫び、神を賛美し、聖霊の衝撃でよろめいていたのです。彼らはそれが日曜日であろうと月曜日であろうと、何日であろうと気にしませんでした。彼らはただ叫んだり、話したりしながら、とても楽しい時間を過ごしていました。偉大な知識人たちはこう言いました。“この人たちは新しいワインに酔っているのです。”
87. ペテロは言いました、「“これは一日のうち 3 時間目なので、新しいワインでいっぱいではありません。」。しかし、これは預言者ヨエルが語ったことです。「終わりの日に成就する、と神は言われる。『わたしはわたしの霊をすべての肉なる者に注ぐ。あなたの息子、娘は預言し、わたしの侍女、女奴隷にはわたしの霊を注ぐ。あなたの若者は幻を見、あなたの老人は夢を見るであろう そして彼らは上の天と下の地にしるしを示すでしょう:主の御名を呼び求める者は救われるでしょう。”
“彼らはこれを聞いて心を刺され、ペテロと残りの使徒たち、人々と兄弟たちに言った、救われるために私たちは何ができるでしょうか?” これが教会の使命です。今、彼らはあなたがどのようにしてこの神秘的な体に入るのかを知りたいと考えています。よし。
使徒行伝第 2 章は、就任式の説教である 37 節から始まります。変えることはできない。変えることはできない。
聞く。
89. さて、これを聞いた彼らは心を刺され、ペテロと残りの使徒たち、人々と兄弟たちに言った、「私たちに何ができるでしょうか?」 [気をつけろ、彼は鍵を持っている。]
そこでペテロは彼らに言った、「悔い改めて、罪の赦しのためにイエス・キリストの名においてあなたたち一人一人にバプテスマを受けなさい。そうすればあなたは聖霊の賜物を受け取るでしょう」。
なぜなら、その約束はあなたとあなたの子供たち、そして私たちの神、主が召される限り遠く離れた彼らに対するものだからです。
それが処方箋です!治さないでください、患者を殺してしまいます。それが、これらの人々の多く“父、子、聖霊”がこれを話している問題なのです。彼らは多くの霊的な人々を殺し、間違ったことを試しています。
90. 彼らはそれらを振りかけます。スプリンクリングは売春婦の母であるカトリック教会によって叙階されました。すぐに売春婦のところに戻ってください。
要理要理にはこう書かれています“プロテスタントが救われるというものはあるのでしょうか?” “もちろん、カトリックの教義を認めているからということもあります。彼らは聖書を受け取らないでしょう。彼らは父と子と聖霊の名において洗礼を授けますが、そのための聖書を持っていません。” “しかし、カトリック教会がそれを始めたのです”と言い、彼らはそれを認めます。“カトリックの命令により、いくらか救われるかもしれない。”
そんなことないよ!誰もそのように洗礼を授けたことはありません。罪の赦しのために、イエス・キリストの名において、聖書に振りかけたり、注いだり、その他の方法で水に浸したりした人は誰もいませんでした。少し前に読んだのですが、後で読むと言いましたか?その悔い改めと罪の赦しは神の御名によって宣べ伝えられるべきです。エルサレム、ユダヤ人だけはどこへ?エルサレムから始まるすべての国、すべての世界へ。
91. あなたたち医者はどうですか?何か入れようとしているんですか?何も追加しないでください。そのまま受け止めてください。それが教会の使命です。そうやってあなたはそれに入ります。悔い改め、罪の赦しと聖霊を受けるという約束のためにイエス・キリストの名においてバプテスマを受けることによってです。さて、聖書にはそう書いてありました。
“教会に洗礼を受けましたか?教会に洗礼を受けましたか?
92. あなた方は皆、キリスト・イエスを信じる信仰によって神の子なのです。
ガラテヤ人への手紙 3:26?もしかしたら、ここで間違って書いたのかもしれません。それはコロサイ人かもしれません、コロサイ人を読んでみましょう。..私が行こうとしていた場所。コロサイ3:26かどうか見てみましょう。いいえ、3時26分はありません。ガラテヤ人への手紙 3:26、それは今何ですか?ほら、ほら、分かったよ。そうだね。読み続けてください、姉妹、ガラテヤ人への手紙 3:26、あなたが始めたのです。こちらは26、27、28です。さあ、よく聞いてください。[妹が読んでいます。]
あなた方は皆、キリスト・イエスを信じる信仰によって神の子なのです。
なぜなら、キリストにバプテスマを受けたあなた方の多くがキリストを身に着けているからです。
ユダヤ人もギリシャ人もいませんし、絆も自由もありませんし、男性も女性もいません。なぜなら、あなた方は皆、キリスト イエスにおいて一つだからです。
どうやってこの体に入るのか、どうやってそれをしてきたのか?聖霊によって洗礼を受け、キリスト イエスの体の中に入れられました。
93. さて、エペソ人への手紙、ここに行きましょう、それを読まなければなりません。エペソ人への手紙 5:25、今すぐ急いで。エペソ人への手紙 5 章と 25 章。さて、5と25です。いいえ、まだ間違ったことがありました。ここに書き留められていません。見てみましょう。したがって、説教者と司祭は。… ああ、そう。少し前にこれを急いで書き留めていたので、間違えたに違いありません。。 ああ、間違ったページを入手しました。アーメン。はい。よし。
94. したがって、人々よ、私たちが教会に来る方法は次のとおりです。悔い改め、罪の赦しのためにイエス・キリストの名においてバプテスマを受け、聖霊のバプテスマを受けるという約束によって。したがって、説教者が私たちをそこに揺さぶることはできません。私たちに誓いを立てることができる司祭はいません。しかし、私たちは救世主王国の王によってその中に生まれました。アーメン。
さて、これだけ、もう一つもらえますか、ここに私が持っていた場所があります。。 あと数分だけ私と一緒にいてくれる人は何人いますか?ただ…。 9時半、もう時間切れです。
95. さて、まずヨハネ3章と5章で、イエスはこう言われました。「人は水と霊によって生まれる。[『悔い改めよ。罪の赦しのためにイエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、あなたは霊によって生まれる。』]、水によって生まれ、霊によって生まれる。人はこれを悟らない限り、天の御国に入ることさえできない 彼は天の王国さえ見ることができません。“ そうすれば、あなたが水と御霊から生まれたなら、あなたは教会にいることになります。あなたが水と御霊から生まれていないなら、あなたは教会にいないので、天の国を見ることはできません。それはあなたにとって意味がありますか?まさにその通りです。
96. したがって、私は皆さんに理解していただきたいのですが、神の霊によって語る人は誰もイエスを呪われた者とは呼びません。そして。..誰も言うことはできません。.. イエスは主ですが、聖霊によってです。
98. 良い人は、クリスチャンと同じくらい良い教会員になれるのです。善良な人は、クリスチャン—善良な人、道徳的な人と同じくらい善良な市民になることができます。しかし、彼が死ぬとき、それだけです;彼が神の御霊によって生まれ変わらない限り。なぜなら、始まりがあったものにはすべて終わりがあるからです。
100. それでは、少し窒息させてください。そして、神があなたを会員に召さない限り、あなたは会員になることはできません。さて、あなたはそのことでどれほど幸せになるべきでしょうか。なぜなら、あなたは世界の建国前に運命づけられていたからです、そしてあなたの名前(ふぅ!) あなたの名前は、世界の建国前に、小羊のいのちの書、教会の書に書かれていました!それが聖書です。聖書には、反キリスト、組織、カトリック教会、その他の組織は、世界の建国前に小羊のいのちの書に名前が書かれていなかった地上のすべての人を欺くだろうと書かれています。イエスは言われた、“父がわたしに与えてくださったものはすべてわたしのところに来るであろう。” それは彼自身の言葉です。あなたがしたことではなく、神がなさったことです。
101. パウロは、神の意志によるイエス・キリストの使徒であり[司教の叙階によるものでも、組織によるものでもありません]、使徒であり[神の意志によって遣わされた使徒]であり、エフェソスの聖徒たち[聖別された者たち、あるいは聖徒たち]、そしてキリスト・イエスに忠実な者たちです
彼がそれを誰に話しかけているのでしょうか?すでに教会にいる人たちへ。あなたがキリストのうちにいるとき、あなたはキリストの体の中にあります。そうか?じゃあ君は教会の会員だね。
102. キリスト・イエスにおいて天上のあらゆる霊的な祝福を私たちに与えてくださった私たちの主イエス・キリストの神であり父である方が祝福されますように
神はどうやってそれをしたのでしょうか?彼は何をしたのですか?彼らはヨルダンに到着し、約束の地に入り、キリスト イエスの中で天の場所に座っていました。これは、“天の祝福とともに私たちを祝福してください”教会としての御言葉の教えであり、私たちが教会のような天の場所に一緒に座っているとき、キリスト イエスにある召された者たちです。キリスト イエスの中で生まれました。聖なる、呼び出された者たち。ああ、私の!何かを教えられる人!彼はコリント人と多くの問題を抱えていましたが、この教会とはそうではありませんでした。彼は彼らに素晴らしいことを教えることができた。よし。
103. [聞いてください、今この衝撃を与えてください] 彼が[過去形]で私たちを選んだように[最後のリバイバルで?それを正しく読んだでしょうか?]… 神が世界の基が置かれる前[世界の前、ここを見てください]、世界の基が置かれる前に、私たちを神の中に選んだように、私たちは聖なる者であり、愛において神の前に非難されることなくあるべきです:
プレデスティードを持って。…
私たちは何をしましたか?何もない。彼がやったことは私が見ていることです。彼はいつそんなことをしたのですか。..?世界が始まる前に、この神秘的な体の一員となるために、私たちを選び、神の書物や教会の書物に名前を載せてください。
そして、イエス・キリストがご自身の意志に従って、ご自身に子供を養子として迎えることを私たちにあらかじめ定めておられます
110. それが彼らが“バビロンと呼ばれる混乱に陥っている理由です。” 1 つ、“神のご加護がありますように、私は長老派教会員です。” “神様、私はメソジストです。” “神様を祝福してください、私は。…” 神を祝福してください、私はクリスチャンです!アーメン。それじゃ。どうすれば自分がそうだとわかるのでしょうか?これらのしるしは信者に続きます。ほら、身分証明書があるよ。言わないでください、“ちょっと待ってください、フェローシップカードを受け取ったと思います。” いいえ。何も持っていません。私のものはそこにあります。ここでこれを失うかもしれません;しかし、神は私に、世界が始まる前に、王国に入ってくるすべての人に私の身分証明書—をくれたと言いました。天国に保管されているので記録は正確です。とても嬉しいです。
誰かが言いました。“私は神を求めました、私は神を求めました。” それは聖書に反しています。それは神があなたを求めているのであり、あなたが神を求めているのではありません。神はエデンの園を上り下りして叫びました、“アダム、あなたはどこにいるのですか?” アダムが泣いているわけではありません、“神よ、あなたはどこにいるのですか?” 泣いていたのは神だった、“アダム、どこにいるの?”
111. さて、カトリックの皆さん、その一員になるためにしなければならない唯一のことは、イエス・キリストを受け入れ、御霊から生まれることです。バプテスト派、メソジスト派、長老派、ルーテル派、あなたが何であれ、ここで聞いてください。私がペンテコステ派のために取り上げているとは思わないでください。ペンテコステ派の反逆者は他の教会と同じくらい多くいます。まさにその通りです。彼らは名前と職業だけでやって来ます、それだけです。しかし、憑依、彼らはそれを持っていません。そうだね。なぜなら、あなたが御霊から生まれたとき、あなたは新しい被造物となり、神はあなたを息子として扱い始め、あなたは神の御霊に導かれるからです。あなたがどの組織に属していても、それはそうではありません。..それは過ぎ去る小さな古い世俗的な秩序にすぎません。しかし、あなたはこの偉大な神秘的なキリストの体の一員ですか?そうでない場合は、今夜、私たちが頭を下げて祈るときに、神を受け入れてくださいますように。