1. けれども、ここのタバナクルでは、これらのテープは……。お気づきのように、これはただ親しい友人たちや、そのような方々のためのものなのです。
それでは、しばらく祈りのために頭を垂れましょう。
どなたか覚えて祈っていただきたい方はおられますか。頭を垂れたまま、ただ手を挙げて、「主よ、私は今日、必要を抱えています。あなたの恵みが必要です」と、その必要が何であれ、そう示してください。
2. そして、あなたの御子、また私たちの救い主が、もし私たちが御名によって何かを願うなら、それはかなえられる、と私たちに告げてくださいました。
それゆえ主よ、私たちが御来臨の影の中に生きており、今またあなたの憐れみの影の中に立っていることを知りつつ、どうか聖霊によって、私たちが何を願うべきかをあなたが選んでくださるようお願いいたします。
そして私たちは今朝、このように願うことは、あなたの御言葉にも、あなたの大いなる義にも、また憐れみと恵みにも反することではないと感じております。
すなわち、今日、聖霊による特別な訪れを私たちにお与えくださるように、と願うことであります。
聖霊が私たちのただ中に来てくださり、私たちの心の思いを見分け、私たちの弱いところを明らかにし、病をいやし、傷ついた心を包み、失われた者を救い、主の来臨に備えた民を整えてくださいますように。
主よ、この祈りをお聞きください。
3. 主よ、今朝のサンデースクールの学びにおいて、この朗読の文脈を明らかにし、それを私たちの心に示してくださるよう祈ります。
なぜなら、私たちがここに来ているのはただ一つの目的のためであり、そのただ一つの目的とは、あなたをもっとよく知ることだからです。
信仰によってクリスチャンとなっている私たちは、あなたをもっと深く知りたいと願っております。
まだクリスチャンとなっていない方々は、あなたを自分の救い主として知りたいと願っております。
病んでいる方々は、あなたを自分の癒し主として知りたいと願っております。
そして私たちは祈ります。どうか一人として、むなしくこの建物を去る者がありませんように。すべての願いがその通りにかなえられ、すべての望みが満たされ、すべての人が喜びにあふれますように。
そしてこの建物を出て行く時、エマオから来た人々のように、
「あの方が道々私たちに語っておられた時、私たちの心は内に燃えていたではないか」
と語ることができますように。
私たちはこのことを、イエスの御名によって願います。アーメン。
4. ふだん、私はこう気づいております。伝道集会では、だいたい二十分か三十分ほど語るのが、霊的なメッセージを投げかけ、そのあと祭壇への招きをするには最も良い印象を与えるのです。
しかし、今朝はサンデースクールですから、そのようにはしたくありません。
今朝は、時間をかけて御言葉について語るように、いっそう導かれているのを感じます。
5. 私の兄弟で、この教会の管理をしている者が、あそこの後ろにおります。あのように手を挙げて彼に知らせてくだされば、暖房を調整いたします。
私たちは、皆さんに楽にしていていただき、気持ちよく過ごしていただきたいのです。そして、御言葉に耳を傾けていただきたいのです。
私たちは、聖霊が神の御言葉を私たちに教えてくださると信じております。
それで、後ろの方の皆さん、よく聞こえますか。もしよく聞こえているなら、手を挙げてください。聞こえていますか。
それは良かった。
6. ここにいくつかの本文と聖句を書き留めてあります。ですから、まずローマ人への手紙、ローマ書第9章をお開きいただきたいと思います。
そして、聖句の学びとして、まずローマ9章11節からお読みしたいと思います。
「その子どもたちがまだ生まれもせず、善も悪も行わない先に、行いによらず、召してくださる方による神の選びのご計画が立つために、
『兄は弟に仕えるであろう』と彼女に告げられました。
『ヤコブをわたしは愛した。しかし、エサウをわたしは憎んだ』と書いてあるとおりです。」
神がこの聖書朗読に祝福を加えてくださいますように。
さて今、私の学びを支える題目として、次のことをテーマに取りたいと思います。
「神の御言葉を聞くこと、それを認めること、そしてそれに基づいて行動すること」
もう一度繰り返させてください。
「聞くこと、認めること、そしてそれから神の御言葉に従って行動すること」
7. そして、それらはどちらも宗教的な勢力です。
私は、この二つの大きな勢力が、まもなく正面からぶつかり合う時に来ていると信じています。
そして、この二つの大きな勢力は、イサクの二人の息子のうちに表されていました。
神がその無限の知恵のうちに、私たちに先立ってすべてのことを影のように示してくださったので、私たちはそれらのことによって、自分たちの前に何が横たわっているのかを知ることができるのです。
神はそれを実に明らかにしてくださいました。神とその御言葉、そしてその御性質と宇宙とは、あまりにも完全に一致し、見事に整えられているので、罪人でさえも、何かがまさに起ころうとしていることを見て取ることができるのです。
神はそのように備えておられます。
ですから、だれ一人として、言い逃れをすることはできません。
8. しかもその母は、処女の母でした……。
というのは、彼女は処女であり、神の約束の正しい種であるイサクに嫁いだ、美しいリベカだったからです。
そしてこの二人は、神を信じる、ささげられた、聖霊に満たされた信者であり、その結婚そのものが、あらかじめ定められて一つとされたものでした。
神はそれを前もって知っておられたのです。
それなのに、どうしてそのようなことが、同じ母から、同じ父によって起こり得たのでしょうか。
一人は非常に悪い者となり、もう一人は非常に善い者となったのです。
しかも、善い者が悪い者のように見え、悪い者が善い者のように見えたのです。
さて、これはまさに、いつの時代もそうであり、これからもそうである、神のご計画なのです。
神はご自分のご計画を変えることはできません。
なぜなら、神はそのご計画を完全なものとしてお立てになるからです。
それは神ご自身の一部だからです。
9. そして、いのちの木があったその同じ園には、死の木もまたあったのです。
私たちは今日それを、対照の法則として知ることができます。
すなわち、善があるところには悪があり、正しいものがあるところには誤りもある、ということです。
そして私たちは、自分たちの置かれている環境がどのようなものであっても、このどちらかの存在から離れてしまうことは決してできません。
なぜなら、パウロがこう言っているからです。
「善を行おうと願っているときに、悪が私のそばにある。」
罪人は決してクリスチャンから離れてしまうことはできず、クリスチャンもまた罪人から離れてしまうことはできません。
そこには常に、正しいことの証しがあり、また誤ったことの証言があるのです。
そして、あなたは自分で選択をするのです。
あなたはどちらか一方の側につかなければなりません。
10. 二人とも同じ種、すなわち約束であったイサクから出たのです。
(さて、この学びは少し長くなりますが、私が何を語っているのかを皆さんにはっきり見ていただけるように、十分な背景を述べておきたいのです。)
そして最初に生まれた息子、エサウですが……。
私たちは、彼らが母の胎内で言い争い、争っていただけでなく、まさに争いながら出て来たことが分かります。
エサウが先に出て来て、ヤコブはそのかかとをつかんでいました。
そしてその争いは今もなお続いているのです。
11. ですから、ここで土台としておきたいのは、神は選びによって召される、ということです。
それは必ずそうなのです。
あなたの父や母がどれほど立派であったとしても、どれほど善い人たちであったとしても、どれほどクリスチャンであったとしても、なおそれは、ひとりの個人としてのあなた自身、神の前におけるあなたの立場にかかっているのです。
この学びはそのことを教えています。
すなわち、この二人の子どもは、選ばれ、神に召された父と母から生まれたのであり、その母は処女であり、その父は聖なる人でした。
そしてついには、その人の種を通してイエス・キリストが来られることになっていたのです。
彼は死人の中から出た者のように生まれました。
その父は彼に先立って試されました。
そしてこのイサクの種を通して、全世界が救われると約束されていたのです。
そのような人から、しかもその血統があまりにも純粋であったために、アブラハムがサラをピリシテ人に渡してしまった後でさえも、神はそのピリシテ人が母に触れることすらお許しになりませんでした。
神はその家を打ち、「おまえは死んだも同然だ」と言われ、その血筋を純粋に保たれたのです。
そしてリベカもまた、正しい、聖なる、神に遣わされ、神に召された母でした……。
それなのに、その聖なる種から、一人の背教者と、一人の信じる者とが出て来たのです。
ご覧なさい。ですから、事の全ては神の召し、神の選びにかかっているのです。
12. それなら、神があなたに語りかけ、ご自分の食卓へ、ご自分の家へ来るよう招いてくださり、ご自分の息子、あるいは娘となるよう招いてくださる者は、どれほど深く感じるべきでしょうか。
それほど大いなることは、ほかにありません。
この二人の子どもを見ると、その性質において、一人は霊的な人でした。
それがヤコブでした。
そして肉的な人がエサウでした。
しかし、二人とも宗教的ではあったのです。
そして全時代を通して、まさに同じことが起こって来ました。
肉的なものと霊的なものです。
エサウは地の人を表していました。
つまり、生まれつきの、宗教心は持っているけれども、どうしても……できない人です。
それは彼のうちにはなかったのです。
彼にはそれができなかったのです。
世のもの、肉のものを越えて上ることができるものが、彼のうちには決してなかったのです。
しかしヤコブにとっては、それはごくたやすいことでした。
さて、ヤコブには一つの目的がありました。
それは、あの長子の権を切に求めていたということです。
どうやってそれを手に入れるかは問題ではありませんでした。とにかく、それを得さえすればよかったのです。
13. どちらも宗教的でなかった、とはだれにも言えません。彼らは確かにそうでした。
一方が偶像に仕え、もう一方が神に仕えていた、というのではありません。
彼らは二人とも神に仕える者たちだったのです。
ですから今、この主題について聖書をよく注意して見てください。
きっと皆さんの助けになると私は信じています。
今、
「『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者が入るのである。」
14. なぜなら、御言葉によれば、祝福と良いものとは長子の権のうちに置かれていたからです。
そしてヤコブにとって、それがただ一つの目標でした。
彼の心にあった唯一のことは、その長子の権を得ることだったのです。
ところがエサウは、それを軽んじました。
本来それを持っていた者が、それを軽んじたのです。いや、むしろそれを恥じていたのです。
しかしヤコブはそれを求めました。
どうやって手に入れるかはともかく、とにかく彼はそれを欲したのです。
今日の霊的な信者も、まさにその通りです。
どれほど人に笑われようと、どれほどからかわれようと、肉の思いの人にはどれほど愚かに見えようと、そんなことは気にしません。
彼のただ一つの目的は、その長子の権なのです。
彼は神のもとへ行きたいのです。
なぜなら、それが彼のうちに生まれついているからです。
彼にはそうせずにおれないのです。
15. しかし、長子の権利を見いだし、それを自分のものとした後、彼は変えられました。
それが、肉的なものの変化です。
その時彼はもはやヤコブではなく、主と共に戦った者、「主と戦って勝った君」と呼ばれるようになったのです。
今日の肉的な信者も、「ああ、教会に行って、正しいことをしてさえいれば、それで何が違うんだ?」と言います。
それがエサウの群れです。
彼はいまだに長子の権利をあざけり、それを軽んじています。
彼はそれを大事なものと思っていないのです。
しかしヤコブは、それを愛しました。
そして今日の霊的な男、霊的な女、永遠のいのちに来るよう神によって選ばれ、あらかじめ定められている人たちは、たとえ自分の持っているものを全部売らなければならなくても、たとえこの国中のあらゆる教会籍から自分の名を外さなければならなくても、それでもなお、その長子の権利を求めるのです。
それが彼らにとって唯一大事なことなのです――ただその長子の権利を得ること、それだけです。
どれほどへりくだらなければならないとしても、そんなことは問題ではありません。
祭壇のところでひれ伏して泣かなければならなくても、あちこちを駆け回ってでも、過去のことを正さなければならなくても、自分の持ち物を売らなければならなくても、自分の持っているものをすべて手放して旅人となり、寄留者とならなければならなくても、それでも構わないのです。
彼らは長子の権利を求めているのです。
彼らの関心はただ一つ、長子の権利、それだけなのです。
ですから、その人たちを責めてはいけません。
彼らには、そうせずにいることができないのです。
彼らはそのためにあらかじめ定められ、そのために選ばれているのです。
16. カインとアベル、エデンの園においてもそうでした。
エデンが造られた時、人が選び取るための木が二本ありました。
一方によっては知恵に至り、もう一方によってはいのちに至るのでした。
また二人の子ども、カインとアベルがいました。二人とも宗教的でした。
そのうちの一人は永遠のいのちを求め、信仰によって、カインよりもさらにすぐれたささげ物を神に献げました。
これは今日の教会の完全な型です。
すなわち、自然の教会と、霊的な教会です。
そして間違いなく、私は今まさにこの両方の種類の人たちに語っているのです。
そしておそらく、このテープによって、何万という人たちに語ることにもなるでしょう。
17. 彼らは、「私は教会に加わった。教会に行ってさえいれば、できるだけのことをしていれば、それで神が求めておられるすべてだ」といった、その小さなところをどうしても越えることができないのです。
まさにそれが、カインのしたことでした。
彼は行って祭壇を築き、ささげ物を備え、地の実りを持って来て、こう言ったのです。
「ここにあります、神よ。これが私にできる最善です。受け取るなら受け取ってください。そうでないなら、それでも構いません。」
今日の肉的な信者も、そのように信じています。
「主よ、私は教会に行きます。見つけられる中で一番良いグループに加わります。教会への分担も払います。正しいこともします。
さあ、これが私にできる最善です。やもめのために石炭を買うのを助けましょう。子どもたちに服をあげましょう。」
(それらはみな良いことです。それに反対することは何もありません。)
しかし、そこで終わりなのです。それだけなのです。
「もしあなたがそれを望まれるなら受け取ってください。望まれないなら、受け取らなくても結構です。」
これが、今日の肉的な教会の態度なのです。
18. アベルは、啓示により、恵みにより、その向こうを見ました。
そして信仰によって、カインよりもさらにすぐれたささげ物を神に献げたのです。そしてそれが、神の前に彼の義を証ししました。
同じことは、イシュマエルとイサクにも起こりました。
一人は肉による者であり、もう一人は御霊による者でした。
一人は奴隷女から出た者であり、もう一人は自由の女から出た者でした。
同じことは、イスラエルとモアブにも起こりました。
二つの大きな教会が向かい合ったのです。
そしてイスラエルが自分たちの約束の地へ進んで行こうとしていた時――すなわち霊的な教会、ヤコブの民、旅路にあるイスラエル――エサウの民が彼らを迎え撃ちました。すなわちモアブ、力ある教会です。
そしてその大教会の指導者バラムは、自分の兄弟を呪うために下って来ました。
しかし彼は、自分の兄弟を呪うことができないのを知ったのです。
彼は、その目の盲しさのために、あらかじめ定められた神のご計画を見ることができず、また神の御言葉を見ることもできませんでした。
まず、信仰は聞くことから来ます。聞くことは神の御言葉によるのです。
それから信者はそれを聞き、それを認め、そしてそれに基づいて行動します。
肉的な人もそれを聞くでしょう、その音は聞くでしょう。
しかし決して……。
「聞く」とは、それを理解することを意味するのです。
何かを見るとは、ただそれを眺めることです。
しかし、それを見えるというのは、それを理解することなのです。
「人は新しく生まれなければ、神の国を見[あるいは理解し]ることはできない。」
19. すると、不信者ではなく、信者たちが――イスラエルと同じ神を信じる信者たちが――出て来て、自分の兄弟を呪おうとしたのです。
なぜなら、彼は、自分の兄弟は確かに不義だと思っていたからです。兄弟が多くの悪いことをして来たのを見ていたからです。
しかし、ご覧なさい。彼は選びを見ることができなかったのです。
エサウとヤコブも同じです。
エサウのほうが、より良い人のように見えました。
彼は落ち着いて暮らし、慈善的なことも行いました。
年老いて目の見えなくなった父の世話をし、鹿の肉を取って来て面倒を見ていました。そして、良い息子だったのです。
肉的な信者たちも、宗教という面ではそのようなことをたくさんします。
慈善団体を助けたり、人々の病院代を払ってあげたり、宗教的な行いをしたりします。
しかし、私が語っているのは、そこではないのです。
20. そしてヤコブは、あらゆることをして来たのです――彼は背いた者のようでした。
しかし、それでも彼には成し遂げなければならない一つのことがありました。
それは、その約束、あの長子の権利を得ることでした。
ここにイスラエル、すなわちヤコブの子らが、同じ目的をもってやって来ます。
さて、いったいどちらが正しいのでしょうか。
バラムは七つの祭壇を築きました。イスラエルにも七つの祭壇がありました。
バラムは七つのきよい獣をささげました。イスラエルも七つのきよい獣をささげました。
ですから――儀式という面だけで見るなら――モアブはイスラエルと同じほど宗教的であり、エサウはヤコブと同じほど宗教的であり、カインはアベルと同じほど宗教的だったのです。
しかし、事を決するのは選びなのです。
21. エサウの子ら、霊的に言えばモアブ人たちは、イスラエルを見下してこう言いました。
「あいつらを見てみろ。あれは教団ですらない。ただの背いた者たちの集まりだ。天幕に住んでいるではないか。だが我々は大国だ。
あいつらは悪いことをして来たし、自分たちの中に何の組織も持っていない。ただうごめき回って、一人の預言者について行っているだけだ。」
しかし彼は、彼らの前を進んでいた青銅の蛇と、打たれた岩を見ることができませんでした。
彼は、呼び出され、選ばれたその群れが、約束の地へ向かって神の神的な秩序に従って進んでいるのを見ることができなかったのです。
今日も同じです。
人々はこう言います。
「あれはただのホーリーローラーの集まりだ。あれは、こうだとか、ああだとかいう人たちの集まりだ。」
しかし彼らは、それが神の御言葉の導きに従って進んでいるのだということを見ることができないのです。
イスラエルは約束の地へ向かって進んでいました。
神はご自分の御言葉の中で、その約束をしておられたのです。
22. それがどのようにして自分のものになるかは問題ではありませんでした。とにかく、それを得さえすればよかったのです。
それが一番大事なことだったのです。
どんな形で来ようと、そんなことは問題ではありませんでした。
彼はそれを欲していたのです。
どうしてもそれを持たなければならなかったのです。
そして彼はそれを得ました。
「義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満たされるからです。」
彼はその道を進んでいました。そして、それを追い求めていたのです。そして彼はそれを受けました。
イスラエルもまた、約束の地へ向かう道を進んでいました。
どれほど多くのモアブ人たちがいて、どれほど呪いを彼らの上にかけようとしても、彼らはまっすぐ約束の地へ向かって進んで行きました。
今日も同じです。
人々がどれほど多くの法律を作ろうと、どれほど訴追しようと、どれほど迫害しようと、どれほど悪いことを言おうと、どれほど「ホーリーローラー」と呼ぼうと、どれほどそうした悪口を言おうと、教会は前進して行くのです。
そうならなければならないのです――なぜなら、それは神の御言葉の中にとどまっているからです。
23. アハブは境界線の信者でした。彼には預言者がいました。彼らは異教徒でも偶像崇拝者でもありませんでした。彼らはイスラエルの預言者でした。しかし、彼らは皆、王アハブから教えられ、食事を与えられ、服を着せられました。そこは彼らがあらゆる政治的支援を受けた場所のようになった。
ヨシャファトは下って来て同盟を結びましたが、それは間違っていました。
不信者と決して付き合ってはいけません。私たちは、完全な福音を信じない教会の本に自分の名前を載せることは決してあってはなりません。決して!困るぞ。
そして彼らはトラブルに巻き込まれた。そしてこの義人は言った、「“まず主に相談して、ラモテ ギレアデに行くべきかどうかを調べるべきではないでしょうか?”」
では、セットアップがどれほど完璧だったかを見てください。“私たちはラモス・ギレアデを所有しています。それは私たちの財産であり、シリア人はそれを生ける神から奪いました。私たちは上ってこの土地を所有すべきではないでしょうか?” そして彼は、ヨシャファトがそれに騙されるまで、その演説をとても美しく、とても合法で、とても正義なものにしました!
24. しかし、神から選ばれた人、人です。。。。 “私の羊は私の声を知っています。” もしあなたが神の選出を受けているなら、それは決してあなたをつまずかせることはありません。
ヨシャファトは言った、義なる王は言った、“預言者はいないのか、主に相談できる?” アハブはそれなしで生きていました。
それが今日の教会の肉欲のやり方です。ああ、神学校には説教者、偉人、偉大な教授、知的、賢い、機知に富んだ、ああ、教会の自然な機知をはるかに超えた、あるいは教会の霊的な知恵がいっぱいいる。
25. さて、ヨシャファトは言いました、“預言者はいないのですか?”
ああ、もちろん、肉欲的な人はそれらを持っています。“確かに、あります。ここには神学校がいっぱいです。”
400人を育てた。さて、彼らは異教徒ではありません。彼らはエホバ神を崇拝する者です。上がってくると、彼らは言いました、“少し時間を過ごしましょう、そうすれば預言します。” そして彼らは皆集まりました。そして彼らは主の言葉を持って戻ってきて言った、「“主はこう言われる!”」 イスラエルの預言者。“主はこう言われる!上へ進みなさい。主はあなたと共におられます。そして、ラモテ ギレアデはイスラエルのものなので、それを取るでしょう。」” そして、首長の一人が代表として彼に鉄で二本の大きな角を作り、彼は押しに行きました。彼は言った、「“これでイスラエルを押し出すことになる。..あるいは、シリア人をラモテ ギレアデから突き落とすことになるだろう。」”
26. ヨシャファトは言った、“彼らは立派な服装をした人たちです。” 彼が次のようなことを言ったことは間違いありません。“彼らは知的で、私が今まで聞いた中で最も賢い男です。彼らは今に至るまで教育を受けています。彼らの立場は一致している。彼らの間には大きな団結があります。そして彼らは賢く、多くの真実を持っています。”
すべてのエラーには真実があります。これまでに語られた最大の嘘には、90[テープの破損]パーセントの真実が含まれており、サタンがイブに言った嘘でした。
27. さて、あの男は何と言ったと思いますか?“ここに最も賢い、最高の人が 400 人いるとき?彼らはここ荒野で半裸で走り回ったり、羊皮を巻き付けたりしているわけではありません。彼らは私が食事を与え、教育してきた男性たちです。彼らはABCを知らない男たちではない。彼らは学者であり、物事を知っています。彼らは昼も夜も巻物や預言を読み続けます。彼らは何が正しいのか知っています。私は彼らの準備を整えています、そして彼らは一致してここに立っており、そのうち400人が「上って行きなさい、主はあなたとともにおられます」と言っています ”
28. “ああ、” 彼は言いました、“はい、もう 1 つありますが、彼はその組織に属していません。彼は別の種類の男です。彼はただの反逆者だ。[彼はジェイコブのようなものです。] しかし、私たちは彼に尋ねるかもしれません。彼は預言者だと言われていますが、私はそれを疑っています。なぜなら彼はいつも私を罵倒し、あれこれ言ったり、私について良い預言をしなかったりするからです。” どうして彼はできたのでしょうか?
そこで彼らは言いました、「“彼を迎えに行きましょう」。彼はイムラの息子です。” それで彼らは彼を捕まえに行きました。
29. 彼は言いました。“神が私の口に入れて言ったことだけを言います。それ以外は何も言いません。”
それから彼がそこに上がって、彼らが彼に一晩与えた後、彼は言いました、“上って行きなさい、しかし私はイスラエルが羊飼いのいない羊のように散らばっているのを見ました。”
そしてエイハブは言いました、“言いませんでしたか?”
さて、400対1です。400 人の訓練を受け、賢く、教育を受け、知的な男たちが、1 人の小さな無知(私たちが彼をそう呼ぶでしょう)、ミカヤに対抗します。一人の男だが、それでもその一人の男は主の言葉を持っていた。それが違いを生んだのです。それらはすべて虚偽であり、虚偽であることが判明しました。なぜミカイアはそんなに違っていたのでしょうか?違うためには貧乏でなければならなかったのか?いいえ。ミカヤが変わったのは、御言葉に留まったことです!神の言葉は彼が残したものです。
30. それがジェイコブの考えでした。“そして、何があっても、その生得の権利を獲得しない限り、私は決して祝福されないことを知っています。その生得権こそが私が手に入れなければならないものなのです。”
しかし、エサウはそれを嫌っており、彼の子供たちは今日まで同じことをしています。彼らはそれを嫌っています。いつもそうだった。
31. ルーテル教会が出てきたとき。..。
32. ルーテル教会が誕生すると、マルティン・ルターは精神的な復興をもたらしました。彼のすぐ後ろにエサウが来て、それを整理し、2つを生み出すまで、それほど時間はかかりませんでした。
その後、メソジスト教会のジョン・ウェスレーが精神的な復興を遂げました。そしてその後、組織が組織化されていきました。2台生産していました。
そしてその後、ペンテコステ、リバイバルが起こります。そして今、彼らはそれを組織し、組織へと落ち着き、2つを生み出しました。
34. そして、それが今日の教会の動き方であり、精神的なものも肉的なものも、今も同じです。それは変わっていませんし、これからも変わることはありません。
36. 私がいつも話している小さな男の子のように、鉛筆から消しゴムを食べたり、自転車からペダルを食べたりします。彼には硫黄が必要だった。そして、そこに硫黄を切望する何かがある限り、まずどこかに硫黄が作られなければなりませんでした。彼が渇望する前に硫黄がなければならなかった。そして硫黄が彼を突き出し、彼は硫黄のところに戻りました。
39. 覚えておいてください、彼らが自然教会と霊的教会を結びつけている限り、彼らは決して祝福を受けませんでした。ヤコブはエサウから離れるまで祝福されませんでした。そしてアブラハムはロトから離れるまで祝福されませんでした。
40. 今日も同じ!あなたは神の癒しや神の力などについて話しますが、彼らはそれを笑います。同じ精神だ。それが世界を掌握している二人の偉大な精霊、宗教的な精霊です—信者と不信者、信者と作り信者、一方が他方になりすますこと。さて、アブラハムが別れたとき。..。
41. ロトの時代に何が起こったのかを見てください。ソドムにはロトがいて、よく定住し、知的に町の大人の一人、裁判官となり、門に座って人々を裁きました。彼の妻は市内のすべての社会に属しており、娘たちとその全員が有名人の間で結婚しており、知的で、高学歴で、賢く、機知に富んでいました。そしてアブラハムは樫の木の下のテントに住んでいました。しかしある日、二人とも面会を受けました。
42. そして、アブラハムの憐れみがなかったら、彼は決して呼ばれなかったでしょう。言った、“50 人の男を見つけられますか、惜しまないでしょうか?30人の男を見つけられますか?できますか。。。。。 10 個見つけたら?” 彼が行くのはそこまでだ。そして神は彼らの中に10人さえ見つけることができませんでした。
それもそのはず、“ノアの時代と同じように。” 覚えておいてください、ノアは教会のようなタイプではありませんでした。エノクは、艱難時代を経たのではなく、艱難時代が始まる前に翻訳されたのです。エノクは家に帰りましたが、艱難を経験しませんでした。ノアはやり遂げた。
43. “彼女はテントの中にいます。”
さて、そこに座って肉を食べ、牛乳を飲み、コーンブレッドを食べている男性。“奥さんはどこですか、サラ?” 神はどうしてそのことを知ったのでしょうか?彼はどうしてそれを知ったのでしょうか?考えてみてください。電話してください。..。 スピリチュアルな皆さん、これを自分の中に入れてください。神はどうしてそれを知ったのでしょうか?彼が見知らぬ人のように振る舞ったとき、服に埃がつきました。そしてアブラハムが言ったとき、“彼女はあなたの後ろのテントの中にいます”。..。
そして彼は言いました、「“私は [私、人称代名詞、私に行きます。この人、神はご自身を肉体的に知らせておられます。」 神様!アブラハムは彼をエロヒムと呼びました。] 。。。私は。訪ねてくるわ。約束を守るつもりだ。そして、人生の時期に応じて、私はあなたを訪ねます、そしてあなたは私があなたに話したこの男の子を持つことになります。” そしてアブラハム、百人;サラ、90人。
44. 彼はテントに背を向けていた。そして彼は言いました、「“なぜ彼女は笑ったのですか?”」 ああ、兄弟、そこにいるよ!
45. 呼び出されたアブラハムのグループを見てください。さあ 注目。そして彼は彼にこのしるしを与え、彼を信じました。そして彼は彼の前に消え、去っていきました。ああ、いつも別れや呼び声だったんだ!
48. しかし、自分をただの人間だと思っているこの男を見てください。彼はしばらくそのメッセージに従うだろうが、あまり手を出したくないだけだ。彼らの霊が見えますか?イエスは、「“それは本物に非常に近いものになるでしょう。可能であれば、まさに選挙で選ばれた[気づいていただければ]人を欺くでしょう。」” でもそれは無理だ。騙されるぞ。
さあ 見て。肉欲的な教会だけではなく、世の中にある教会、通常の日常的な肉欲的な教会、エサウのグループも同様です。
今、私たちはユダ・タリアン・グループを手に入れましたが、これははるかに裏切り者です。はるかに裏切り者であり、まさに祝福の手に渡ります。ヘブル人への手紙 6 章と 10 章にあるように、イエスはこう言われました。“一度、あずかる者を造り、来るべき世の力を味わい、これらすべてのことを行った。そして、もし彼らが真理の知識を得て、故意に背を向け、[故意に、それは何である?]、彼らが聖別された契約の血を数えて、不浄なことをした。”
49. そして彼は聖化されます。彼は叫び、主を賛美したり、いくつかのことをしたり、外に出て何かをしたりすることもできます。覚えておいてください、イエスはその日、そのタイプがそこにあるだろうと言いました。“多くの人が来て言うでしょう、「主よ、私は預言[説教]したではありませんか?」 私はあなたの名において悪魔を追い出したのではありませんか?』 イエスは、「私はあなたさえ知りませんでした、この不法行為の働き者よ」と言われました ” ほら、そこにあるよ。
50. あなたは言います、“聖書はそれが神の言葉だと言いました。”
さて、明らかにされた言葉は福音です。福音は言葉だけではなく、聖霊の力と実証を通して私たちに伝わり、その力を実証し、福音を生き返らせました。
51. 私は言いました、“確かにそれは本当です。「イエス・キリストは昨日も、今日も、そして永遠に同じです。」 ”
52. さあ、この若い説教者を見てください。彼は「“主よ、私は女性を見てきました」と言う場所にやって来ます。そんなことするべきじゃない。私は、ご存知のとおり、世の中のことをやってきたんです。そんなことするべきじゃない。私は競馬にお金を使ってきました。そんなことするべきじゃない。私は毎晩ショーを見に行っています。そんなことするべきじゃない。下品な写真なども好きで、部屋にはピンナップもありました。そんなことするべきじゃない。それは世界の事だ。主よ、私を聖別してください!”
そして主は言われた、“よし、そうする。” 彼はイエス キリストの血を注ぎ、彼を聖別します。
54. 彼は言いました、“わかっています。わかってる。でも、ほら、一つ言わせてください。”
彼は言いました、「“今すぐ説教してください!」 説教しろ!今がその時間です。あなたの影響力で、世界を揺るがすことができるでしょう。”
彼は言いました、「“いいえ、説教することはできません。」。ほら、教会は私を断るでしょう。私はそれを説教できませんでした。できなかった。” ああ、兄弟!
55. パウロは言いました。“私はイエス・キリストの福音を恥じていません。それは神の救いの力だからです。” それは教会の中で働く神の力です。
しかし彼は言いました。“私にはそれができませんでした。” この男は言いました、「“彼らは私をペンテコステ派だと思うでしょう。」。彼らは私を作るでしょう。。。。” 彼は言いました。“私の評判は台無しになるでしょう。” ああ、兄弟!
私には評判がありません。私は彼の—彼の評判について考えています、それがそれです。
58. あなたを傷つけたくはありませんが、私たちは最後までやり遂げています。私たちは今上がってきています、今はしごを素早く上がっています。
59. ショートパンツを履いた女性は私には決してクリスチャンには見えませんでした。聖書には、女性が髪を切ることは罪深く恥ずべきことだと書かれています。聖書の中で顔を描いた女性はただ一人—イゼベルでした。
男性の皆さん、クリスチャンの男性であるはずの男性たちに、妻にそうさせてはどうでしょうか?神があなたにその責任を負わせるとき!男性ではありません;肉欲的!“ああ、それなら外に出てこの教会に参加します [テープを壊してください] あなたはそれについて考えます。” それはまさに聖書が彼らがするだろうと言っていることであり、まさに彼らがやったことです。そしてそれが彼らが行うことです—妥協。
誰かが言いました。“ビリー、それを止めなければみんなを追い払うことになるよ。”
PSA42:7
行かないことが一つあります、聖霊です、それは神の言葉だからです。そして、真の運命づけられた信者は去らないでしょう、なぜならそれは彼の魂の糧だからです。彼はそれを愛しており、彼をそこから遠ざけることはできません。彼はジェイコブのように何でもするでしょうが、その生得権を望んでいます!彼はそこに立つでしょう。彼が持っているすべての友人に費用がかかるかどうか、仕事に費用がかかるかどうか、教会の会員に費用がかかるかどうか、すべてに費用がかかるかどうかは気にしません、彼はまだそれをするでしょう、なぜなら彼はそれを助けることができないからです。彼の中には何かがあり、彼を動かし、深淵への深い呼びかけがある。ああ、あなたはそこにいる、彼の中に何かがある。
61. 赤ちゃんは母親の子宮の中で生まれ、ある種の命を持っています。それが小さな生命です。..体の小さな細胞がそのようにねじれたり、蹴ったり、ジャンプしたりしています。しかし、それが生まれると、[ブランハム兄弟が叩く真似をして手をたたきます]ような状態になり、その後、彼は悲鳴を上げて、生きた魂になります。
63. さあ、次に進むのを見てください、二人の精霊。
64. そして、この二人が地球にいるとき、自然と精神、時には。.. 。これを見たことがあります。最後に、これを数分間言って終わりたいと思います。自然においても精神的にも、どちらかです。。。。。 さて、皆さんもこれを理解していただければ幸いです。さあ、できる限り静かで敬虔になってください。
66. 超感覚的知覚と同じように。それはこのスピリチュアリズムの一部のようなものです。それは、肉欲的で、遠く離れた、物事を信じている教会のいくつかのようなものです。。。。 彼らは言います、“なぜ、それは別の日のことでした。” 彼らは完全にアウトです。しかし、終わりの日にこの霊が本物の霊になりすますのを見てください。あなたの問題がどこから来ているのか。本物のものとまったく同じです、ほら;しかし、彼はそれを明らかにすることができず、それを保持することもできず、それを長持ちさせることもできませんでした。おお神よ!
67. なりすまし、それがずっとありふれたもの、なりすましです。イシュマエルとイサクを見てください、そして全員が落ち込んでいます、ほら、なりすましています。預言者モーセを見てください、そして預言者バラムを見てください、見てください。彼らがどうやって降りてくるかわかりますか?ユダを見て、イエスを見てください。
そしてイエスは、終わりの日のこの聖霊が神の印であると予言されました。さて、獣の刻印は何でしょうか?神の印章を持たない者には獣の刻印があったので、神の印章を拒否することになるでしょう。そして、それが 2 つの霊的なしるしであれば、そのうちの 1 つは神の真のしるしとなり、もう 1 つは背教となります。見えますか?
68. そして今日は真実に関する福音のメッセージを聞くことになります。今、あなたはあなたが望むなら自由になることができます。神はあなたに語りかけます。しかし、ここで境界線まで到達し、見渡して真実の知識を持ち、それから背を向けるとき、彼はあなたの耳を退屈させます、そしてあなたは常に知的な信者になります。あなたは信心深く教会に行きますが、聖霊を受けることはありません。ほら、それでは残りの日々はそのために奉仕してください。さて、獣の刻印か神の印です。そして、私たちはとても近づいています。
69. 神は言うでしょう、“これはあなたにとっての時間です。”
“私は聖なるローラーにはなれません。そんなものは欲しくない。” ほら、彼らはそれを認識していません。
私たちは集会に行き、偉大な聖霊が下っていきます。先日、私がそこに座っていたとき、あるビジョンが出てきて、まさに何を予測したのかが分かりました。私は言いました、“若い男がやって来ます。” “こっちへ来なさい” あのウェイターに合図した、“あなたは心臓に問題があり、探している。.. ”
“はい、まさにその通りです。”
“あの女性がそこに来るのが見えますか?こっち来い。乳房に腫瘍があり、左乳房にあり、体調が非常に悪いです。そしてあなたは罪人であり、そうではありません。。。。”
“まさにその通り。”
71. 今では。.. 。
72. 2日間、私はこれについて勉強し、祈ってきました。私は言いました、“主よ、教会にそう言うべきでしょうか?”
何か言った、“言ってみろ。時間が近づいています。言ってみろ!” 彼はすぐに私を引き離すだろうと感じているので、それを知っておいてほしいのです。
“誰も私のところに来ることはできません、” イエスは言いました、“父が最初に彼を描いてくださる以外に。ああ、あなたが神を持っていると言っていることは知っています、そしてアブラハムはあなたの父親に;しかし、私はあなたにこれを言います、あなたは悪魔の父親の一員です、”とイエスは言いました。宗教的な人、祭司、偉人、“あなたは悪魔の一員です、あなたの父親です”見てください。
73. ノアがこう言うなんて想像もできませんでした。“ねえ、知ってる?いつか雨が降るかもしれないので、外に出て箱舟を作ります。雨が降ったら、箱舟に乗ってすぐに移動します。そして、私は箱舟に乗って立ち去るつもりなので、何も気になりません。” 想像できますか?いや そうじゃなかった。もしそれがそれだったら(ああ、選ばれた人々が今それを聞いてくださいますように)、もしそれがそれだったら、聖書にあるように、最初の嘲笑者がやって来て、彼を嘲笑し、彼はハンマーを置いて立ち去ったでしょう。
今日の人々と同じように、それはイエスから始まり、見渡して真理を見ると、そこから後退します。彼らはそれに耐えられないのです。
あの著名な伝道者が言ったように、“それは私の宣教を引き裂くでしょう。” 私は聖霊が引き裂くような奉仕には興味がありません。引き裂かれるべきだ。さて、でもほら、それはプライドです—たくさんの男、たくさんの人。
ああ、注意してください、今これに。
74. “ノア、あなたは聖なるローラーです。”
“少しも気になりません。” 建てる。彼はそれを聞いて、それが神であることを認識していました。彼は聖書によってそれを判断しました、そしてそれはそうでした。いずれにせよ、彼はすぐに箱舟の上に建てました。
75. 彼は何をした?彼は幾何学と自分の知識人についてこれまで知っていたことをすべて忘れていました。それは彼を困らせたものだった。
それが今日教会を困らせている原因であり、御霊から生まれていない教育を受けた説教者が多すぎるのです。男性も女性も、イエス・キリストの力と復活を説くのではなく、知的なスピーチを聞くのが好きです。それが今日私たちを困らせているのです。これ以上高校や説教者への教育は必要ありません。私たちに必要なのは、何らかの宗派の人工神学ではなく、聖霊に満たされた神と呼ばれる人々です。神と呼ばれる人間が必要です。
76. ちょっと止めさせてください。これを浸透させてください。今日私が何を言っているかわかりますか?神の言葉はあなたの目の前で明らかにされていますが、あなたはそれに気づいていません。今、ソドムとゴモラのことを思い出し、終わりの日のキリストの約束を思い出してください。
77. “私はあなたにとって神となり、あなたは私にとって預言者になります” 彼は言いました。
そして彼は言いました、“私にはそれができません。”
彼は言った、「“それでは、あなたは神であり、アロンをあなたの預言者にしてください。」。とにかく行かなければなりません!”
彼は決して「“まあ、下に行って物事を正すべきかもしれない」とは言いませんでした
78. しかし、彼は聞いて、認識し、行動しました。“私はカラスたちにあなたに餌を与えるように命じました。そこに上がってください、チェリス著。”
79. “えっと、ご存知ですか?” 彼は言った。“私はエホバの信者なので、とにかくこれを行うことができます。” ああ、いや、そんなものになりすまさないで!いいえ、神があなたをエリヤと呼ぶまで、あなたはエリヤになろうとしないでください。はい 先生。“私はエホバの僕です!” そこにも700人がいましたが、誰もあえてそれをしませんでした。
それから雄牛を切って水を注ぐと、彼は言いました、“主よ、私はあなたの命令でこれを行いました。” ほら、他の誰でも試してみたなら完全に失敗だったでしょう。
それはあなたにインスピレーションを与えなければなりません!聖霊はそれをもたらし、あなたに明らかにしなければなりません。
80. しかし、兄弟、姉妹、聖霊があなたにその言葉を霊感したとき、あなたは席を離れる前にそれを手に入れるでしょう。あなたの中の何かが燃え尽きた。説教者はあなたにこれをしてあれをするように言う必要はありません。古い葉は落ちて、新しい葉がつきます。あなたにインスピレーションを受けています。説教者が聖書の真理を説いても怒ることはありません。きっと気に入るはずです。手を伸ばしてください。それはあなたの魂の糧です。
81. サタンは言った、「“これらの石をパンに変えて奇跡を起こしてください」。見せてよ、やってみろ。”
彼は言いました。“「人はパンだけで生きることはできない」と書いてあります。” ああ、私の!しかし、群衆がお腹を空かせたとき、イエスはビスケット5枚と小さな魚2匹を拾い、5,000匹に餌を与えました。ああ、ハレルヤ!私の言いたいことがわかりますか?
82. しかし、神があなたを呼んでくださるなら、神があなたを呼んでくださったので、世界で最も感謝する人になりましょう。そうすれば、それはあなたにとって現実になります。
84. あなたの信仰は大丈夫です、兄弟。あなたの信仰は素晴らしいです。しかし、そのことがあなたにインスピレーションを与えるまでは。。。。
85. 私の言いたいことはわかりますか?“Go” サインが点灯したら、大丈夫です。そのことがあなたに霊感を与えられ、神がそこで行ったようにそれを知らせてくださるとき、わかりました。しかし、神がそれを行うまでは、ユダのタリアンの集団がなりすまして、たとえば「“まあ、私も彼らと同じです」と歩いています。私もクリスチャンです。”
86. 彼は言った、「“パウロは知っていますし、イエスも知っていますが、あなたは誰ですか?”」
善悪が明らかになる時が来ています。それは今日のキリスト教徒に現れています。それは今日の教会にも現れています。それは今日の人々に現れています。私はあなたを長く抱きしめています—これがあなたに届いてほしいです。
87. 彼は何をした?彼は天使の声を聞いた。彼は、それがいつも彼に話しかけてきたのと同じ天使であることを知っていました—彼は認識しました。それから彼は行動した。上がって言った、「“勇気を出してください。昨夜、私がその僕である主の天使が私のそばに立って、この船では何も失われないというビジョンを私に示してくれたからです。」 勇気を出して、今すぐ夕食を食べに行きましょう。すべて大丈夫です。” アーメン。それがあなたにインスピレーションを受けたとき、神がそれを正したとき!
89. 私は言いました、“わかりました。”
言った、“彼はビジョンを見ますか。”
私は言いました、“はい。” 彼は、ウッド兄弟の息子デイビッドが、ちょうど3、4日前にバイクで転落した時のことを私に話してくれました。
彼は言いました。“ご存知のとおり、そういったことは家族にも起こるものです。”
私は言いました、“正義か悪のどちらかです。家族を追うのです。”
90. 私は言いました、“ほら、フレッド、自然のままに考えてみましょう。神はご自身の性質の中で働きます。ほら 何が起こったのか見て。東に太陽が昇った。それは。.. 我々が持つ最古の文明は中国です。” それは誰もが知っています。
私たちが持っている最古の文明は中国です。よし。そして文明はずっと西に移動してきました。さて、西海岸を出てまっすぐ渡ったらどこを出ますか?中国へ行け。その通り。終わりだ。聖書にはこう書いてありました。預言者はこう言っています。“夜も昼もなく、太陽が過ぎ去る日もあるでしょう。しかし、夕方[再びここに来る直前]には、太陽は明るくなるでしょう。” 同じです。。。。 イエスは、「“前者の雨と後者の雨が降るでしょう」と言われました。そして、後者の雨は、同じ季節に前者と後者の両方の雨を生み出します。” 終了時間です。
92. 政治、腐敗!民主党も共和党も、そしてすべてが低レベルだ。何なんだよ?移植片の束だ。生まれ変わっていない人は皆、悪魔から働いています。悪魔は言いました、「“世界中のすべての王国は私のものです”」そしてイエスは彼と議論したことはありませんでした。世界は悪魔に支配されている。そして、政府のために働く人は皆、クリスチャンでなければ悪魔の一員であり、悪魔のために働いています。これらの国々はすべて、イエス・キリストが来られるとき、イエス・キリストの手に落ちるでしょう。千年紀があるでしょう。
97. 戦争は終わった。ああ、彼らは一度石を投げ合い、石の斧で頭を殴り合いました。それから彼らは弓矢を撃ち、次にライフル銃、次に機関銃、そしてドイツで88丁、そして私たちと一緒に大きな銃を手に入れ、それから手榴弾と毒ガスを投げました。しかし、彼らは今水爆を手に入れました。戦争は終わりだ。どの国にもそれらがあるのに、これからどうするつもりですか?今日の小さな国でも、引き金をひねるだけで、それがすべてです、そして彼女はすべて上がります。戦争は終わりだ。アーメン。戦争は終わりだ。政治は終わりだ。
99. 道徳、もう道徳はありません。女性、悪の格好、テレビ、ハリウッドの悪人のあらゆる種類のものまね、あらゆる種類のもの、ファッションを通じてやって来ます。すべて最後に!
教育は終わり、政治は終わり、戦争は終わり、文明は終わりです。それらすべてが終わりです。さて、それでは何ができるでしょうか?次は?私たちはすべての終わりにいます。
100. あなたは言います、“ちょっと待ってください、ブランハム兄弟、あなたはラインから降りています。” もし私がそうなら、神は聖書を一線から外して書きました。この件に関してはミカヤでなければなりません。
101. “モリスって言ったよ!あなたはユダヤ人ですか?”
彼は言いました、“彼らは最も偉大な神嫌いなのです。”
私は言いました、“モリス、やめてください。..聖書の中で反キリストがエルサレムからどこから出てくるのか教えてください。反キリストはパレスチナからではなくローマから出てきます。”
彼は言いました、“そうですね、私は。.. .. 彼らは神を憎む者たちです。”
“はい、神は私たちが一日見ることができるように彼らの目を盲目にしたと言わなかったのですか?しかし、私たちの一日はもうすぐ終わります。”
彼は言いました。“ああ、ブランハム兄弟、私はそんなことは考えたこともありませんでした。” ほら、そこにいるよ。
102. ああ、それを知らせることができれば、何らかの形で押し下げることができれば!彼らはそれを見ません。彼らは目を持っていますが、見ることも、耳も、聞くこともできません。ああ、なぜ私たちは御霊においてこれほど鈍いのですか?さあ、これを聞いてください。すべては終わりだ。
104. 聖霊に満ちた教会を見てください。その小さなナンセンスをすべて振り払い、聖霊の中で(もちろん少数派ですが)上ってきて、聖霊の中で来ますが、聖霊がそこにいる場所までそのような場所に上っていきます。それはそこを通って動き、その道を進み、主を受け入れる準備ができています。彼女の主を受け入れる準備ができています。
そして残りの者たちは組織化され、世界に戻り、分裂し、連邦に戻り、カトリックの下で一つの偉大な南軍の長に昇進した。“そして獣にイメージが形成されました。” 画像、それに似たもの。カトリックと結成された教会連合で、二人は一緒に活動しています。“獣やその像と戦争をできるのは誰ですか?” 確かにそうではありません。どうすれば何時間もそれを経験できるでしょうか。
105. 世界は終わりを迎えています。もう我慢できない。戦争は終わった。もう戦争はできない。戦争が起きたら、最初の戦争だけが引き金を引く、それだけです。政治は腐っていて腐敗している。
108. 私自身もそこに行って彼らを見たことがあります。男女問わず、路上に出て続けてください。公園内でも、公園内で、屋外で、注意を払わずに性的関係を持ちましょう。イギリスも、残りの国も、見てください。それはここより悪くない。ここでも同じこと、ほぼ同じくらい悪いこと—警察などの理由で、ここでもう少し隠蔽してください。さて、でもただひどい!
109. 彼は言いました、“わかりました。”
それで彼らは丘を登りに行きました。そして二人とも手を後ろに回して丘を登りました。太陽が沈んでた。そこで老人は若い芸術家にこう言いました。「“息子よ、あなたはアメリカ人だ。”」
彼は言いました、“私は。”
彼は言いました、「“あなたは芸術の教育を受けるためにここに来ます。」。あなたは自分の人生の作品をアーティストにすることを目指していると思います。”
彼は言いました。“私もそうするつもりです。”
“あなたはクリスチャンだと認識しています。”
彼は言いました、“私はクリスチャンです。”
彼は言いました、「“そうですね、一つ聞きたいことがあります。」。私は他の人たちにも尋ねました。彼らもクリスチャンだと言っています。” 彼は言いました、「“何があなたをそんなに違うのですか?」 アメリカの他の少年たちやアメリカの少女たちと何が違うのですか?あなたたちがクリスチャンだと言っているのに、なぜあなたたちはそんなに違うのですか?”
彼は言いました、「“先生、太陽が沈む様子が見えますか?”」
彼は言いました、“私はそうします。”
彼は言いました。「“海のずっと向こう、ニューイングランドのある州、その州のある都市、その都市のある家に、私が忠実に生きると約束したある女の子がいる。」” 彼は言いました。“芸術の教育を受け、私に忠実に生きているあの女の子のところに戻ることだけが私の頭の中にあります。” 彼は言いました。“それが私の生き方、私のすることすべてです。”
ああ、兄さん、妹さん、なぜ私たちが何と呼ばれているか気にしないのか疑問に思うかもしれません。彼らが何を言おうと気にしない。
110. 私は言いました、“しかし、そこの海は静かになるでしょう、兄弟。” 私は言いました、“向こうの海の向こうに、天国と呼ばれる場所があります。この天国にはイエスと呼ばれる人がいて、ある日彼は私の罪をすべて取り除いてくれました。そして私は神に忠実に生き、神が私に望んでおられることを行うと約束しました。それが私が神の福音を恥じない理由です。それは救いに対する神の力です。” それがクリスチャンの生活を違うものにしているのです。彼が違うのは、違う生き方をしているからだ。
111. 落胆した友人よ、今朝、あなたは何か違う生き方、あなたを世界から連れ出す何かを持っていますか?あなたにとって全世界よりも意味のあることは、キリストのために生きることです?それがないなら、今受け取ってみませんか?ただ、教会に行って、「“私は良い人になりたい」とは言わないでください。” そんなことするな。あなたはクリスチャンになりたいです。あなたは。..もしあなたの心の中にいつも何かがあって、あなたにこう言っているとしたら、“あなたは正しくありませんが、私はあなたに正しくあってほしいのです”あなたはいつも、今ではない何かになりたいと切望していました、それは神があなたに呼びかけていることを知らないのですか?背を向けないで!“なぜなら、もしあなたがかつて悟りを開かれ、機会があり、最後にそれを断ったとしたら、罪のための犠牲はもう残らないからです。”
エサウと付き合うな;どんな費用がかかるかに関係なく、ヤコブと一緒に来てください。もしそれがあなたの家にかかるなら、あなたの仕事にかかるなら、あなたの夫にかかるなら、あなたの妻にかかるなら、あなたの子供にかかるなら、もしそれが何かかかるなら、生得権を手に入れましょう!それが重要なのです。そして、もしあなたが今朝それについてそう感じていて、この生得の権利を持ちたいと思っているなら、私はあなたにそれを与えることはできません。神はそれができます、そして神はあなたに話しかけている方です。手を挙げて、こう言ってくれませんか。“ブランハム兄弟、私のために祈ってください、私が望む生得の権利。” どこにいても神のご加護がありますように。“私が望む生得権。”
112. そして今日、この建物では、男性も女性も手を挙げ、少年も少女も、老若男女を問わず、手を挙げてこう言いました。“何かが私を引っ張っています。” おお神よ、彼らが決してそれを断らないようにしてくださいますように。彼らが教育を売り、偉大な真珠を見つけた男のように、得たものをすべて売りましょう。それは注目すべき偉大な真珠でした。それは最も偉大な真珠であり、彼はこの注目すべき偉大な真珠を買うために小さな真珠をすべて売りました。彼らが今朝世界から得たもの、世界での人気をすべて売り切れますように。
113. そしてここにいるこれらの人々、主よ、神よ、彼らを憐れんでください。彼らの多くは、罪、喫煙、飲酒、社交的な飲み物—ビールなど—、あるいは欲望を抱いたり、小さなピンナップを吊るしたりするなど、世界のものを望み、楽しんだりしながら、まだ世界のものの中を歩いています。、不潔な服装の若い女性。そして、路上で見ている遺体(そして、キリスト教徒と名乗って、人々を轢いて見ようとしている)は、おそらく24時間以内に、その女性の遺体が墓の中で腐り、虫やミミズが彼女の体と魂の器となって這い、悪魔の地獄の向こうで腐っていくことを知っている 彼女の生き方のために。それでも、彼女は小さなペイントされた唇を突き出して、くすくす笑ってあなたを笑いました。
114. そして今、聖霊が病人や苦しむ人々のためにこの集会に来て、今朝宣べ伝えられたこのメッセージ、来るべきこと、そしてすべてが終わり、イエスさえも教会で働いていることを人々に見てもらいましょう。主よ、今すぐにこの民をあなたの手に渡すことができますように。そして、聖霊が働き、人々の間を移動しているのを見たとき、私が説教したメッセージ、つまり私たちが終わりの時にあることが確認されますように。そして彼らが聞こえますように!彼らは聞いたことがあります。そして、同じイエスが、その時代にそうしたように、終わりの日に教会を通してそれをここで行っていることを彼らが認識してくださいますように。そして、彼らが自分の命、体、魂、霊を神に捧げることによって行動しますように。主よ、私はイエスの御名によってそれらをあなたに与えます。
115. [ブランハム兄弟が会衆内の人に話しかけます。] あなたは病気で困窮していますか?もし神が井戸の女にされたように、私に明らかにして、私が知らないあなたの悩みやあなたのことを教えてくれるなら、あなたは神を信じる信仰を持つようになるでしょうか?残りの皆さんも信仰を持つようになるでしょうか?初めて会うんですか?あなたは以前にも私を見たことがありますが、私はあなたにとって見知らぬ人です。そうか?わかりました、主なる神があなたの願いを叶えてくださいますように。
116. 心のトラブルがあなたから離れ、元気になると信じていますか?あなたはここの出身じゃないわ。あなたはレキシントンに戻り、主があなたにどんな偉大なことをしてくださったかを人々に伝えます。
117. ここに戻った誰かが手を挙げた。あなたでしたか、お嬢さん?神があなたの悩みを私に教えてくれると信じていますか?
最後にそこにいる兄弟は、少し前にそう言ったと思います。。。。 信じますか、兄弟?そうですか?そうすれば、その皮膚のトラブルはあなたを残し、あなたは大丈夫です。信じますか?癒されたと受け入れますか?手を挙げてください。よし。彼は私にとって見知らぬ人です。それは分かってるだろ パット。
118. 私の言いたいことがわかりますか?
私を知っている人はどうですか?心に何かあるから手を挙げて。皆さん、本当にたくさんいます。作れない; 来るしかない。ご存知のように、それはあなたの信仰です。
ジョージー・ブルース、彼女がそこに座っているのが見えます。あなたはいつも誰かのために何かを見つけようとしています、ジョージー。あなたは癌で治りました。心の中に疑問はありません。あなたがこの幕屋に来て、向こうのドアから出て行った日、聖霊が私に臨み、あなたと神と別の人以外には世界中の誰も知らない行為をそこであなたに話しました。そうか?そうだね。信じてくれるでしょ ジョージー?心に何かあるよ、ジョージー。神があなたの心に何が浮かんでいるかを私に教えてくれると信じていますか?
そうすれば、私を知っている残りの人たちは信じるようになるでしょうか?
119. ずっと後ろの誰かが手を挙げて、ずっと後ろ、ここに戻ってきました。あなた、あなたはどうですか?手を挙げましたか、あなたは私にとって見知らぬ人ですか?ここに座って私を見ているこの男、私はあなたのことを知りません。あなたは私が神の預言者、神の僕であると信じていますか?私が言ったことは真実である聖霊を信じますか?それを信じるか?信じるなら、それがあなたが持っている唯一のものです、なぜならあなたは癌に苦しんでいるからです。そうだね。あなたはこの街の出身ではありません。あなたはニューアルバニー出身です。そうです。そしてあなたは癌になりました。心から信じれば、あなたは元気になります。受け入れてくれる?手を挙げて。主が祝福されますように!
120. 手を挙げた?私はあなたにとって見知らぬ人ですか?そしてあなたは私にとって見知らぬ人です。あなたは神が私を知っていると信じていますか、それとも神があなたを知っていますか?神があなたの心に何があるのか教えてくれると信じていますか?あなたは誰かのために祈っています。それはあなたのお父さんです、心臓に問題があります。そうだね。そしてあなたは聖霊のバプテスマを求めています。“主はこう言われる。”
信じられるなら!
こんな感じで手を上げた小さな女性はどうですか?信じますか?あなたの問題は、手に発疹があることですが、孫のために祈っているのです。そうだね。その子は普通ではない。それは本当ですよね、お嬢さん?あなたは心からそれを信じています。私が“子供”と言ったとき、ちょっと待ってください。ああ、そこにいるよ。あなたの息子さんは交通事故に遭い、足が不自由になりました。私はあなたのことを知りません、お嬢さん、でもそれは本当です。そうだなら手を挙げろ。
121. 病気や困窮しているあなた、私は治せません。誰も癒すことはできない。聖霊を与えることはできません。しかし、癒し、聖霊を与えることができる方、彼はここにいます!やるのは彼だ。
122. 私たちの天の父よ、私が知る限り、私は見知らぬ人たちを皆経験し、自分が弱まり、与えているのを感じた限り、そして、おそらく選ばれた人々が今を見た時であると導かれたと感じました。主よ、あなたの御霊によって召され、召されることを許された彼ら一人一人がいますように。.. 。何か、彼らの信仰、彼らは(彼らの中には)思っていたよりも多くの信仰を持っていました。彼らはただ心の中で始めるだけです、そして。.. 。。
ある時、イエスが通りかかったとき、女性はイエスの衣服に触れました。イエスは振り返ってこう言われました。「“誰が私に触れたのですか?”
そして彼らは言いました、“そうですね、みんながあなたに触れました。”
彼は言いました。“しかし、私は自分が弱くなったと感じています。” そして彼はその小さな女性を見つけ、血液の問題を抱えており、彼女の信仰が彼女を癒したと伝えました。
そして聖書には、神は今日でも大祭司であり、私たちの弱さの感覚に触れることができると書かれています。聖書は、神は昨日も今日も永遠に同じであると述べています。そして、もし神が同じであり、同じ大祭司であれば、神は同じように行動し、同じことをするでしょう。
123. 主よ、ここにいるすべての病人が、生きているイエス・キリストがいることを知ることができるようにしてください。これらのハンカチが、行くすべての病気の体に祝福されますように。私は人々のために悪魔を非難します。私は彼を投げ捨てました。神の霊によって、信仰をもって、あらゆる疑いの影を投げ捨てました。そして、永遠の命を定められたここにいるすべての人が、この時間にそれを受け取りますように。あらゆる迷信、あらゆる小さな鎮火、世界のあらゆる小さなもの、あらゆる小さな重荷が。聖書が言ったように、“すべての重みと、そう簡単に私たちを悩ませる罪を脇に置きましょう; それは、私たちの前に設定されたレースを忍耐強く走るために; [何に?教会へ?組織に?] 私たちの信仰[今ここにある]の作者であり完成者である神の子イエス キリストへ。” 誰を神に見つめていますか。..。 それが真実だとわかっている言葉を受け入れる必要はありませんが、それでも今朝、その言葉が私たちにとって現実のものとなります!死んだのと同じイエスは死んでいません。彼は再び立ち上がり、2000年後、教会を頂点に導いています。ユダの霊が彼らの間で働いていますが、彼らが今、あらゆる舌と教義、すべてを脇に置いて、ユダを受け入れてくださいますように。
124. 病人が癒されますように。苦しむ人々が癒されますように。すべての心の願いが正されますように。許してください、全能の神よ。
125. さて、覚えておいてください、この機会を逃さないでください。私はここに2時間半以上滞在し、時間をかけて福音を伝え、それを完璧に伝えようと努めてきました。それから最後まで来ます。そして、テキストそのもの—聞く、認識する、行動する—が頭の上を通過しないようにしてください。聞いたことがあるでしょう。神の存在がここにあることを認識していますか?あなたを呼んでいるのは彼だと知っていますか?それからそれに基づいて行動してください。神様があなたとともにおられますように。祈りの季節を過ごしましょう。
ネビル兄弟、あなたは少し祈っています[空白]、どうぞ。