1. どうか興奮しないでください。これは何か特別なことではありません。これはただ、アフリカへ送る祈りの布なのです。これらは全部、小さく切って祈りの布にするためのもので、今晩ここでその上に祈ってほしいと頼まれたのです。それに加えて、封筒に入ったものもあります。ですから、これら全部を主におささげしようと思ったのです。
これは全部、私に先立ってアフリカへ送るために、小さく切られるのです。皆さんもお分かりでしょうが、これをあのくらいの大きさずつに切れば、何千枚もの祈りの布になります。先日フレッド兄弟が、小さな封筒一つほどの中に七百枚持って来られました。ですから、これがどれほどたくさん作られるか、お分かりいただけるでしょう。
2. さて、こうしたリバイバル集会が始まると、いつも多少の波立ちのようなものが起こるものです。そこで今晩は、この教会の皆さんのためにも、そうしたことが少し落ち着く助けになればよいと思ったのです。というのも、ときには何か語られても、教会の皆さんにはそれが十分に理解されないことがあるからです。ですから今回は、皆さんが自分で質問を書けるようにしたのです。
では、私のもとに来た質問をお読みします。同じような内容のことをお持ちなら、改めて書かなくてもよいでしょう。
一つ目は、
「ローマ7章25節を説明してください。」
次は、
「あなたは、人は神に非常に近く歩むなら、罪を犯さずに生きることができると言われました。」
「復活のとき、私たちはどのような姿になるのでしょうか。」
「ブラナム兄弟、あなたが教えてこられた指示にすべて従ったとき、その人は次に何をしなければなりませんか。そして、どのようにして聖霊を受けるのでしょうか。」
「ヘブル6章4節を説明し、ヘブル10章26節と比較してください。」
そして、
「この世の基の置かれる前の予定説とは何を意味するのですか。また、そのようなことは聖書のどこに書かれていますか。」
3. さて、今晩の質問は以上です。今こうして少し前置きのような時間を持っている間に、もしほかにも質問があれば、どうぞ出してください。私たちはただ、できる限りお答えしていきたいのです。つまり、教会の皆さんの心の中に、何かについて疑問があるなら、私たちは知っている限り最善を尽くしてお助けしたいのです。
そして、どうかいつも覚えていていただきたいのですが、私がここで語ることを、「これが絶対に真理であって、ほかに間違いはない」と言っているのではありません。それは、私が知る限りにおいて、これこそ確かな真理だと信じていることを申し上げているのです。けれども、ほかのどんな人間と同じように、私も間違うことがあり得ます。ただ私は、ジャクソン兄弟、ただ自分に正しいと思える通りに説明しようとしているだけなのです。分かりますね。マイク兄弟、聖書の中で自分に見える通りに、ただ……。
そして、こうしたことを学ぶとき、私はただ一か所だけから取るようなことはしません。創世記までさかのぼってそこから取り出し、それを黙示録まで、聖書全体をまっすぐ通して見ていくのです。
4. それはちょうど、大きなジグソーパズルのようなものです。もっとも……もし私の言い方が間違っているなら、神が赦してくださいますように。聖書は、ジグソーパズルにたとえられるようなものなのです。箱の中でばらばらになって、入り混じっているのです。そして、それを正しく組み合わせるのは聖霊なのです。私たちにはそれはできません。
さて、聖書に九百六十九通りもの別々の解釈があるわけではありません。なぜなら、聖書には「聖書は私的解釈によるものではない」と書かれているからです。それは、書かれている通りのものなのです。私たちはただ、それをそのように信じるのです……(ありがとう、パット兄弟。)聖書に書かれている通り、それが私たちの受け取るべき仕方なのです。
ですから、もしこちらで何か別のことを言わせようとするなら、今度はあちらでは同じことを言わなくなってしまいます。そうでしょう。つまり、聖書そのものが、こちらでも自分で答え、あちらでも自分で答え、さらに別の箇所でも自分で答えるようでなければならないのです。そうして一つ一つがそれぞれの場所にきちんと収まり、全体がぴったり合うようになるのです。
5. ある晩ここで熱くなって、そのまま外へ出てしまったのです。そして車に乗り込んだ時、もう体がとても熱くなっていたので、そのまま窓を開けてしまって、ずっとそのまま家まで帰ったのです。たしか木曜の夜か金曜の夜だったと思います。そしてその次の晩には、もう……その翌日から少し声がかれ始めたのです。何というか……そうですね……。
いや、病気ではないのです。熱もないし、具合が悪いわけでもないし、風邪でもありません。ただ、たくさん語って、強く説教して喉を痛めたところへ冷えてしまって、喉頭炎のようになっているだけなのです。
でも、あと一日か二日もすれば良くなるでしょう。たぶん日曜日には、また兄弟を助けに下りて来られるかもしれません。兄弟の説教が終わった後で、私はまたあたりを見回して、ほかに何が残っているか見てみることにします。
6. 今、私の義理の娘がここに座っています。彼女が私の義理の娘だから言うのでもなく、ここにいるから言うのでもありませんが、彼女は私の知る中でも本当にすばらしい娘の一人です。ロイスは実に立派な娘です。彼女は大きなものを振り捨てて、そこから出て来たのです。神を礼拝しない家族の中から出て来なければならなかったのですから。あの子がそういう中で育たなければならなかったことを、私は気の毒に思います。
そして今、彼女は聖霊を求めています。ほとんど立っていられないほど断食し、聖霊のために断食し祈っているのです。
私の妹、デロリスもこう言いました。
「ビル、私はただ……教会に力があった時、」と言って、
「もう飛んで行ってしまいそうな気がしたのよ。」
そして、
「みんなに聖霊が下り始めた時、私はただそこに座って、あたりを見回していたの。」
と言ったのです。そうでしょう。そこで、そのことについての質問が、今晩ここに入っているのです。
それで、もしかするとこれは、教会が受ける助けになるかもしれないと思ったのです。もちろん、水曜の夜の祈祷会をこんなふうなものにしてしまいたいわけではありません。しかし、まず教会がこれらのことを十分によく理解するようにしておきたいのです。分かりますね。その前に……。
7. ――しかもその方は、アッセンブリーズの本部から来られた方なのです――
そしてこう言われました。
「私は生まれてこのかた、ずっとそのことが気になっていました。」そして、
「人生で初めて、これについて本当に納得がいきました。」と言われたのです。
その方は、奥の部屋で私に会いに来られました。そこに座っておられた、医学博士でした。
8. 「あの集会の中でいちばんよく分かったのは、聖霊が集会の中に来て、ご自身を分け与えられた、あの説明でした。」と。つまり、神がご自身を御自分の民の間に分けておられる、ということです。まさに、その通りなのです。
そして、神の民がまた一つに集まり始めると、そこに一致があり、力があるのです。そうでしょう。そして、神の民が完全に一つに集まる時、その時に復活が起こるのだと私は信じています。聖霊がそれを集め始める時、携挙の時が来るのです。もちろん、それは少数派の中で起こるでしょう。けれども、そこには大いなる集まりがあるのです。
9. ハイチの大統領が、国の民兵隊による護衛つきで、私に招待状を送って来たのです。あちらでは今、騒乱が起きているのです。それで彼が望んでいるのは、私たちがこの種のミニストリーを携えて来ることなのです。彼は、昨年私たちがサン・フアンにいた時に、それがそこで行われたと聞いたのです。
そして彼は、自分の国を救うものはそれしかない、と思っていると言いました。そうでしょう。
今、もしここにカトリックの友人が座っておられるなら、私はあなたを侮辱するつもりでこう言っているのではありませんし、そういう意味では決してありません。けれども、カトリック教会がハイチを支配しようとしているのです。お分かりでしょう。
そして、今それを救いうるただ一つのものは、プロテスタントの、揺り動かすようなリバイバルなのです。そうでしょう。それは本当に良いことで、私はそのことを感謝しています。それで私は彼にこう伝えました。クリスマスの週と、その後の数日間、つまり明日の後から、私たちは少し断食し祈って、主がどちらへ導かれるかを見ようと思います、と。
10. そして、これらは小さなリボンのように切られて、集会に先立ってアフリカへ送られることになっています。どれほど多くの人々が……。あなたがそちらへ行くと聞くと、人々がどれほど祈りの布を求めて来るか、おおよその見当はつくでしょう。そうでしょう。再びつながりができるのです。
ですから、これらはまた小さな布に切られて、いろいろな人々のところへ送る準備ができているのです。
それで、生ける神のこの大いなる教会とともに、今しばらく頭を垂れましょう。
そして皆さんそれぞれのやり方で、神がこれらの布に油を注いでくださるよう祈ってください。まず私は、次の聖書の御言葉を引用します。
「人々はパウロの身につけていた手ぬぐいや前掛けを病人に当てると、悪霊はその人々から出て行き、病は去って、彼らはいやされました。」
11. そして今夜、教会はあなたを礼拝するために集まりました。私たちは、尋ねられた質問に答えるために来ています。これらのことが人々の心の中で疑問になるのは、その人たちの真実さと心のゆえです。主よ、私たちは知っています。もし何かが私たちにとって分からないままであるなら、その疑問がある限り、決して信仰を持つことはできません。ですから、私たちは疑問を残したくないのです。
主よ、私たちは、私たちの民の間に、そしてこの教会の中に、聖霊のバプテスマが必要であることを見ています。そして彼らの心の中に、どんな疑問も残したくありません。私たちはすべてがはっきり示されることを願っています。そうすれば、それが来る時に、それが何であるかを知り、また、それが自分たちのためのものであることを知ることができるからです。
12. 私はアフリカを去ったあの日から、心のうちに安らぎを持つことができません。あの哀れで打ちひしがれた人々が、あのような悲惨な状態の中にいて、迷信に縛られた暮らしをしていることを知っているからです。呪術師は人骨を指の間で鳴らしながら悪霊を呼び求めています。ああ、何という場所でしょう。
それなのに、ここアメリカには美しい教会があり、大きな立派な建物があります。神よ、それに比べて、あの貧しい人々がどれほど助けを必要としていることでしょう。彼らが集会にやって来て、一人の上にまた一人と折り重なるようにして横たわり、その中には、あなたを知っていると言われる誰かから、ほんの少しでも御言葉を聞こうとして、そこで横たわったまま死んでいく者さえいるのを見ます。
主よ、メッセージと手紙が今アフリカ全土に広がっていくにつれて、彼らの心は再び燃え始めています。まるで火が、再びあちらこちらで灯り始めているかのようです。
13. そして今、何千もの人々が願いを送って来ています。彼らは、私が祈った祈りの布をすぐに送ってほしいと求めているのです。ここにあるこれらの小さな封筒の中には、助けを必要としている人々へ送られる小包とともに、私たちの祈りの願いが入っています。
ああ、天と地を造られた天の神よ、どうかお願い申し上げます。主よ、イエス・キリストの御名によって、この布の一針一針を聖別してください。
そして、あなたの聖霊がその一針一針とともに行ってくださいますように、主よ。
そしてそれが病人や苦しむ者の上に置かれる時、悪霊が彼らを離れますように。
これらの多くが送られて行く、あの密林のことを思います。そこでは、人々が悪魔を拝んでさえいるのです。
神よ、どうか彼が立つ場所を一つとして持てないようにしてください。彼がその村々を去り、人々が主イエスを知る知識へと導かれますように。主よ、それをかなえてください。
彼らの病がいやされ、彼らの悩みが正され、彼らの魂が救われ、そして神の力が何にもまさって現されますように。
父よ、それをお許しください。
私たちはこの布の一針一針を、一つのものとして送り出します。
主よ、今夜ここには小さな火の舌がたくさんあります。そして私たちは共に、このためにあなたへ祈りをささげます。これが置かれるすべての人が、ことごとくいやされますように。
イエス・キリストの御名によって。アーメン。
14. それは良かったです。ここにもう一つ教会堂ができたら、どんなにうれしいことでしょう。こういう小さな仕切りのようなものが声を押さえてしまって、声が途切れ途切れになり、ほとんど聞こえなくなってしまうのです。
さて、今夜もまた、私はあるところへ近づいているのを感じています……。
ウッド兄弟、忘れないうちに言っておきますが、あのハンカチを持っています。あなたが誰かのためにハンカチを私に渡してくださいませんでしたか。いや、あなたではなかったかな。誰かが私にハンカチを渡して、ポケットに入れて身につけていてくださいと言ったのです。それで私は、この集会の間ずっとそれを持っていたのです。誰だったのか分からないのですが。私は、あなたが
「これを誰かのためにポケットに入れて持っていてください」
と言ったのだと思っていました。
[ネビル兄弟が、そのハンカチのことをブラナム兄弟に説明する。]
それでしたか。ジャクソン兄弟、誰かのためのハンカチをお持ちでしたか。これがそれですね。
はい、分かりました。では、ジャクソン兄弟、必要でしたら、これはここに置いておきます。
とにかく、誰かが私にそれを渡して、
「これをポケットに入れて持っていてください」
と言ったのは覚えているのです。
それで私は上着のポケットに入れて、そのまま忘れていたのです。
15. ほら、日曜の朝にそこへ少し触れたのですが、その時、私の心の中に何かが燃え上がったのです。けれども、その時はもう別のメッセージがかなり進んでしまっていて、そこからもう一度取り上げることができませんでした。ですから、主が望まれるなら、日曜の朝か、あるいは日曜の夜、そのどちらかに、それを取り上げたいと思っています。ネビル兄弟と私は、その時間について相談することにします。
そして今、ネビル兄弟も言われたように、私もまた、クリスマスに際して皆さん一人一人が覚えていてくださったことを感謝したいのです……カードをありがとうございました。スペンサー兄弟姉妹、あなたがたのも受け取りました。そしてここにおられるほかの皆さんから送っていただいたカードも、いろいろ受け取りました。本当に感謝しています。また、贈り物やいろいろなお気持ちも、本当にありがたく思っています。
妻も、私も、そして子どもたちも、皆さんに感謝しています。
私たちとしては、皆さん一人一人にクリスマスプレゼントを贈れたらどんなによいかと思いますが、説教者にとってそれはなかなか難しいことですね。これだけたくさんの方々にお贈りするとなると、私にはとてもできそうにありません。そうでしょう。私はただ……。
できることなら、子どもたち一人一人に何か贈ってあげたいくらいなのです。本当にそうしたいのです。でも、なかなかそうもいきません……。牧師というものは、そう簡単にはできないのです。あまりにも人数が多いのですから。
けれども、私も、またほかの者たちもきっと皆そうだと思いますが、私たちは自分たちの会衆を本当にありがたく思っています。そして、皆さんがしてくださったことの中で、私が最も大きいと思うことの一つは、皆さんの愛と、この一年、ここで皆さんの牧者の一人である私に置いてくださった変わらぬ信頼です。
ネビル兄弟、それはあなたにも向けて言っているのです、愛する兄弟よ。
そして、ネビル兄弟がいつも示してくださるあのすばらしい霊――
「どうぞそのまま前に進んでください、ブラナム兄弟。ここに講壇があります、どうぞそのまま使ってください。神をほめたたえます、私は座って聞くのが好きなのです。」
というような、その霊です。
私はそれが好きなのです。本当に好きなのです。あの、ネビル兄弟のへりくだった、無私のあり方が。
そして、あなた方全ての信仰、そして義が、、、
16. これから大きな日程に入る前に、あちこちで点々とした集会がいくつかあります。たしかケンタッキー州グラスゴーのあたりで一晩、あるいはケンタッキー州キャンベルズビルで一晩、それからケンタッキーの別の場所でも……たしかウィロー・シェイドだったと思いますが、そこでも一晩あるはずです。そういうふうに、まずは点々とした小さな集会が続き、それからまた本格的な伝道の働きに戻っていくことになります。予定がきちんと整い次第、どんな集会になるかはすぐに皆さんにお知らせします。
けれども、先日の晩、私はもう一度、新たに自分を神に献げました。
そして、神の助けと神の恵みによって、死ぬまでこの務めのくびきの中にとどまるつもりです。そうです。
それをしたのは、今から三十年ほど前のことでした。
そして私はずっとその中にいました……。
けれども時には、あまりにも疲れ果てて、自分を越えてしまうほどになるのです。もうこれ以上進めない、というところまで行ってしまうのです。お分かりでしょう、皆さんはただここで見ているだけです。けれども、向こうで、あちらで、こちらで、実際どれほどのことがあるのかは、なかなか分からないのです。
それも、一つの町からだけではありません。いや、一つの州からでもありません。アメリカ合衆国だけからでもないのです。世界中からなのです。そうでしょう。世界を巡って、です。
そして今夜も、おそらくそうした多くの人々と何らかのつながりがあるでしょう。私は出会ってきましたし、接してきましたが、それは何千人という単位ではなく、何百万人なのです。そうでしょう。
そして、そのうちどれほど多くの人が病んでいるか、皆さんは驚くでしょう。
彼らは呼び求めています。
そしてそれが、大きな重圧となるのです。
17. そして神の助けと恵みによって、皆さん一人一人に、心からのよいクリスマスがありますように。
そして、どうか私の言うことを覚えていてください。
これはサンタクロースのためではありません。これはイエス様のためなのです。
そうでしょう。
クリスマスとは、「キリスト」のことなのです。
昨夜、私たちは子どもたちに、飾りつけられた家々やいろいろなものを見せながら車で走っていました。それは本当にとてもきれいでした。
でも私は思ったのです。もし自分の家に何か書くとしたら、私ならこう書きたい、と。
ネオンサインでこうです。
「キリストを信頼することが、あなたのクリスマスの中にありますように。」
その通りです。
クリスマスの中に、キリストを取り戻しましょう。
18. 私たちは、たいへん、たいへん真剣な思いで、また心からあなたの前に来ています。
主よ、この愛する人々は、自分たちの心にあるこれらの質問を差し出しました。そしてこの建物の中には、まだほかにも多くの思いがあるかもしれません。
彼らは、自分たちはいったいどうすればよいのかを知りたいのです。
そして父よ、私はあなたの代わりとしては、実に取るに足りない者です。
けれども、どうかあなたの御言葉を知ることができるよう、私を助けてください。そうすれば、それが一つ一つの質問に対して、満ち足りた答えをもたらすことになるでしょう。
ですから私たちは、これをあなたの御手にゆだねます。
そしてあなたの御名によって、これを願います。
アーメン。
19. パット兄弟、まずはこれから始めることにしましょう。
そして、ほかの皆さんも、もし質問があれば、それを書いてここへ出してください。
紙をお持ちでなければ、パット兄弟が紙を持って来てくれるでしょう。
あるいは、私も、できる限り最善を尽くしてお答えできれば、喜んでそうしたいと思います。
20. 少しユーモアのある問いのようにも聞こえますが、れっきとした質問です。
質問:
「あの豚の中に入った霊たちは、今どこにいるのでしょうか。イエスがあの日、あの狂人から追い出して豚の群れに入ったあの霊たちは、今どこにいるのですか。」
さて、パット兄弟、私の知る限りでお答えすると……。
まず最初から、これは悪霊論に入ることになりますね。悪霊論というのは大きな お話です。(さあ、皆さん、時計を見ていてくださいよ。一つの質問にあまり長くかかりすぎないようにね。)あの悪霊の力、あの霊たちは、最初はレギオンと呼ばれた一人の男の中にいました。
そうでしたね。そして彼の名がレギオンであったのは、ヘブル語でレギオンが「多くのもの」という意味だからです。そうでしょう。
つまり、その中にはたくさんの霊がいたのです。
そして、その愛すべき男の中にいたそれらの霊たちは、彼を狂わせていました。
もし皆さんが正気を失った人を見たことがある、あるいはそういう人に対処したことがあるなら分かるでしょうが、そういう人たちはしばしば非常な力を持っています。なぜなら、彼らはそれほどまでに悪魔に取りつかれているからです。
もし、だれかが正気を失った場にいたことがあるなら分かるでしょう。ああ、そういう人を押さえるには、何人もの屈強な男が必要になるのです。
しかも彼らは、自分本来の力の二倍、三倍もの力を出すのです。
21. そうでしょう。
まさにその力が彼の上に臨んで、何年も不具のまま横たわっていた人を、神の力のうちに歩かせるのです。
骨はまっすぐに伸び、手は伸ばされ、そして彼は歩くのです。まるで若く新しい人のように。なぜなら、聖霊の力がその人の上にあるからです。
さて、この人の場合、それらの霊はあまりにも邪悪だったので、人々はその男を鎖で縛ったのですが、彼はそれを引きちぎってしまいました。
そして聖書には、彼がそれを引き裂いたとあります。
彼を縛っておけるものは何一つなかったのです。
彼は本当に、非常にひどい状態でした。
なぜなら、彼の中には一軍団の悪霊がいたからです。
そして、イエスが海を渡ってゲラサの地へ来られ、墓場の近くを下って行かれた時……
その人はたいへん凶暴でした。
ただし、それはその男自身が悪かったのではありません。お分かりでしょう。
その人そのものは、もともとはちゃんとした人だったのです。
22. そういう人を見ても、決してその人自身だと思ってはいけません。その人の中にいる悪魔なのです。
あの晩、オレゴンで壇上に上がって来て、私を殺そうとしたあの狂人もそうでした。あの人が私のところへ来た時、ほとんど一万人の人々の前で、私の顔に唾を吐きかけ、「草むらの蛇め」と罵ったのですが、あれは……あの人自身がそうだったのではありません。
その人は、食べ、飲み、眠り、おそらく家族も持ち、愛情も持っている、一人の人間なのです。ちょうど私やあなたと同じようにです。
けれども、そうさせていたのは、その人の中にいた悪魔だったのです。そうでしょう。そして、悪い態度で悪魔を追い出すことは決してできません。
それには愛が必要です。
そして愛こそ、この世にある中で最も力強い力なのです。
よく見ていれば分かりますが、悪魔はいつでも憎しみです。
憎しみは悪魔から来るのです。
ですから、だれかが人を憎んでいるのを見るなら、覚えていてください。人を軽蔑したり、嫌ったりするのは、恐ろしい悪魔の働きなのです。
そんなことをしてはなりません。
23. 「天にまします我らの父よ」
と祈りなさい、と言われました……。
そしてそのあと、こうも言われました。
「もしあなたがたが心から、おのおのその兄弟の過ちを赦さないなら、あなたがたの天の父も、あなたがたの過ちをお赦しにならない」
と。わかりますね。ですから、そうしてはならないのです。
しかし今、悪魔が憎しみの力を作り出して、私を殺そうとして壇上へ飛び出して来させた場合のことです。肉体的に言えば、その男にはそれが十分できる力がありました。いや、何倍もの力があったのです……。おそらく彼は、私のベルトのあたりを二本の指でつまみ上げるだけで、私を持ち上げることさえできたでしょう。というのも、その男は260ポンドか270ポンドはあったからです。身長も6フィート半、あるいは7フィート近くもある、大柄な男でした。
その男は、少し前にも通りの向こうで一人の説教者を拳で殴りつけ、鎖骨と顎を折り、重傷を負わせて入院させていたのです。彼はとにかく説教者を憎んでいました。
そして、そのまま私を殺そうとして、まっすぐ壇上へ駆け上がって来たのです。
24. そして今でも、あの哀れな人たちの中には、精神病院の中で、クッションの張られた鉄格子や独房の壁に頭を打ちつけている人たちがいます。
覚えていてください。悪霊は決して死にません。
悪霊はいつまでも生き続けます。
けれども、やがて悪霊も死ななければならない時が来ます。
その時、彼らは完全に滅ぼされるのです。
しかし今は、彼らは生きていて、世代から世代へと人間に働きかけています。
あるものは、がんという形で、
あるものは、てんかんという形で、
あるものは、結核という形で現れます。
彼らは肉体の中に入り込みます。
けれども、どうも人の中に入り込まない限りは、力を発揮できないようなのです。
彼らは人を通して働かなければならないのです。
そしてそれは、もう一つの考えへとつながります。
すなわち、聖霊もまた地の全面をおおっておられるけれども、あなたや私の中に入るまでは、ほとんど働くことができない、ということです。
神は、あなたと私にかかっておられるのです。そうでしょう。
聖霊は……地は神の御霊に満ちているのです。御霊は注がれています。
けれども、それが働くことができるのは、私たち人間の中に入って、そこで働く時なのです。
25. ですから、彼がごく穏やかな形で働き始める時には、まず罪の中から始めます。
もし彼が人を、ただ義人のまま、ただ善人のままにしておけるなら、
「そのまま善い人でいればいい」
というところで留めておけるなら、
そしてそのまま死ぬまでそこに留めておけるなら、それこそ彼の望むところなのです。
なぜなら、その人をもう押さえたことになるからです。
どれほど義しくても、どれほど善良でも、どれほど道徳的でも、どれほど清くても、どれほど正直でも、新しく生まれなければ、決して天国には行けないからです。
イエス様がそう言われたのです。
ですから、そこには例外はありません。
あなたは生まれなければならない。新生しなければならない。
そうでなければ、天国に入る道はまったくなく、キリストのもとへ来ることもできないのです。
さて、少し前に私は、皆さんの中に別の質問を起こすかもしれないことを言いました。
それは、私が教えてきたことで、つまり……
私は永遠に燃え続ける地獄というものがあるとは信じていない、ということです。
聖書はそのような永遠に燃える地獄を教えてはいないと、私は信じています。
なぜなら、もし地獄が永遠であり、そこへ行く人々が永遠に罰せられるのだとしたら、その人々が永遠に罰せられるためには、永遠の命を持っていなければならないからです。
そして、永遠の命はただ一つしかありません。
それは神のうちにある命です。そうでしょう。
ですから、彼らは滅びに至らなければならないのです。
つまり、その肉体的な部分は滅ぼされ、
それから、その霊的な部分も滅ぼされるのです。
それは完全に消し尽くされるのであって、もはや何も残らないのです。
聖書はそれを、
「根も枝も残らない」
と呼んでいます。
彼らは完全に取り除かれてしまうのです。
26. とはいえ、永遠の命そのものは皆が同じように持つのです。
聖書には、地の王たちが自分たちの誉れと栄光を都の中に携えて来ると書かれています。
これは、新しい地にも王たちや治める者たちがいることを表しているのです。
イエス様も弟子たちにこう言われました。
弟子たちが、
「私たちは父も母も、すべてを捨ててあなたに従いました。それで私たちは何をいただけるのですか」
と言った時、
主は、「まことにあなたがたに言います。あなたがたは十二の座に着いて、イスラエルの十二部族をさばくようになるのです」
と言われました。
つまり、これから来る世界には、今とは違う新しい秩序があるということです。
しかもそれは、この世のどんなものよりも、ずっとすばらしいものです。
そこにはもう罪はありません。
けれども、それでも都には治める者たちがいて、すべてのことが永遠の命の中で正しく営まれていくのです。
27. そしてその後、完全に、まったく滅ぼされるのです。
このことは、どうかよく覚えておいてください。
メモを取っている方は、これを書き留めておいてください。
そして、私がこう言ったということで、はっきり記録しておいてください。
永遠の命は一つしかありません。
私たちはその永遠の命を求めているのです。
そして、永遠の命を持っておられるのは神だけです。
永遠の命には二種類あるのではありません。
永遠の命はただ一つです。
そして、その命だけが本当に永遠に生きるのです。
これもぜひメモしておいてください。
始まりがあったものには、必ず終わりがあります。
始まりがあったものには終わりがあるのです。
そして、始まりがなかったものだけが、終わりを持ちません。
では、始まりがなかったものは何でしょうか。
それは神だけです。
そして、あなたが復活にあずかることができる道はただ一つです。
その永遠の命が、あなたの内にあることです。
そうでしょう。
あなたが再びよみがえることができるのは、初めのなかったものがあなたの中にあるからです。
それ以外に、戻って来る道はありません。
そして、あなたが聖霊を受けた時、あなたの内には、決して始まることがなく、また決して終わることもない命が宿るのです。
その命があなたの内にあるのです。
その時、あなたは永遠の命を持つ者となり、神の息子、神の娘なのです。
そうでしょう。
そしてあなたは、神が死ぬことができないのと同じように、もはや死ぬことはできません。
なぜなら、あなたは神の一部だからです。
28. それも、まさに今のこの話につながって来るのです。
あなたは神の一部になるのです。
そしてもし神が、あの大きな火の柱の中からご自身を分けられ、その小さな炎の舌のようなものが、そこにいた一人一人の上に出て行ったのだとするなら――
そして神は、今もなお同じことをしておられるのです。
私たちはそれを、自分たちの経験によって証明できます。
また、聖書の教えによっても証明できます。
さらに、科学的な調査や写真によっても、それがそうであることを示すことができます。
つまり、神はご自身を御自分の民の間に分けておられるのです。
イエス様はこう言われました。
「わたしが生きるので、あなたがたも生きるのです。」
私たちは死ぬことができません。
クリスチャンにとって、死というものは本当の意味では存在しないのです。
主はまたこう言われました。
「わたしを信じる者は、たとえ死んでも生きるのです。
また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。」
そうでしょう。
死ぬ……
29. さて、肉体的には、私たちはこの目に見える体から離れます。
それは、まだこの体が罪の支配の下にあるからです。
けれども、私たちの霊は神からのものであり、神から切り離されることは決してありません。
なぜなら、私たちは神の一部だからです。
こうして私たちは、またあの神の思いというところへ戻って来るのです。
神がなさることは、すべて完全であり、永遠です。
そして、神がご自分を礼拝する民の王国のために思いを表された時、
その神の思いそのものが永遠なのです。
そうでしょう。
それらが滅びることは決してありません。
神の言葉は一つ一つすべて永遠です。
イエス様はこう言われました。
「天地は過ぎ去る。天も地も過ぎ去ることはある。だが、わたしの言葉は決して過ぎ去ることがない。」
そうでしょう。
御言葉は、神とともに永遠なのです。
そして、
「もしあなたがたがわたしにとどまり、わたしの言葉があなたがたのうちにとどまるなら……」
とあるように、
私たちはその御言葉の一部となり、その命の一部となるのです。
なぜなら、私たちは
その肉の肉、骨の骨、命の命
だからです。
そうなると、私たちは神ご自身が滅びることができないのと同じように、もはや滅びることはできません。
それが聖霊なのです。
30. 彼は国中あちこちを回って来た人です。
そして彼は、私の親しい友人であるオーラル・ロバーツ兄弟の大きな支援者でもありました。彼のテレビ放送をあちらでずっと支え、ほかにもいろいろな働きを助けていたのです。
けれども彼は先日、私にこう言いました。
「ブラナム兄弟、私はジャガーズ兄弟の学校にも行きました。あちこち、いろんな所へ行きました。三か月も外にいて、探し求めていたのです。どの場所にも行ってみましたが、結局はみな同じところに戻ってしまったのです。
何をしても、これをしたらどうだろうか、あれをしたらどうだろうか、ここではどうすべきだろうか、自分はそうなのか、そうでないのか――そんなふうで、確信の持てる場所がどうしても見つからなかったのです。」
そして彼は言いました。
「でも、あなたの教えを聞いた時、それでついに決着がつきました。」
つまり、
「礼拝する者は、一度罪からきよめられたなら、もはや罪の良心を持たない」
ということです。
その人は、死から命へと移されたのです。
そしてその内には永遠の命が宿っています。
ですから、その人は神が死ぬことができないのと同じように、もはや死ぬことはできないのです。
まさに聖書の通りです。
その人は永遠に守られているのです。
なぜなら、その人は永遠の命を持っているからです。
31. 罪を犯せば、その罪のために懲らしめを受けるのです。
その通りです。
けれども、永遠の命がそこにある限り、その人は永遠に生きるのです。
イエス様はこう言われました。
「わたしの言葉を聞いて、わたしを遣わされた方を信じる者は、永遠の命を持っている。そしてさばきに来ることがなく、死から命に移っている。」
――ヨハネ5章24節ですね。
そうでしょう。
またこうも言われました。
「父がまずその人を引き寄せなければ、だれもわたしのもとに来ることはできない。」
そして、
「父がわたしに与えてくださる者はみな、わたしのもとに来る。」
その通りです。
「父がわたしに与えてくださった者は、みな来る。そして、そのうちの一人も失われることはない。わたしはその人に永遠の命を与え、終わりの日にその人をよみがえらせる。」
――ヨハネ6章です。
ああ、なんと祝福された確信でしょう。
そうすると、もうびくびくしながら歩き回ったり、いつも不安でいたりする必要はないのです。
32. そして、子どもである以上、神は私たちを正されます。
ちょうど私が自分の子どもを正すように、また皆さんが自分の子どもを正すようにです。
子どもが間違ったことをしたら、正しますね。
私の子どもたちが悪いことをしたなら、父親として彼らを正すのは私の務めです。
それと同じで、もし神の子どもたちが悪いことをしたなら、父である神が彼らを正されるのは当然なのです。
だから、このことをよく覚えていてください。
あなたは正されます。
けれども、あなたが神の子どもである限り、
この世の者たちはあなたに手を出さないほうがよいのです。
その通りです。
なぜなら主はこう言われたからです。
「わたしを信じるこれらの小さな者の一人にでもつまずきを与えるくらいなら、首にひき臼をかけられて海の深みに沈められるほうが、まだましである。」
その通りです。
そんなことをした者に、どんなさばきが来ることでしょうか。
33. あの人から出て行って、彼を狂人のようにしていた霊たちは、今でも同じことを人々の中でしているのです。
そうでしょう。
ああいう霊は、何千、何万といるのです。
そして悪魔は、ちょうど少しずつ効いてくる阿片のように入って来ます。
たとえば小さな女子生徒を引き込む時のようなものです。まず最初にすることは、タバコを吸わせることです。そうでしょう。
まずそれで足を踏み入れさせるのです。
次に、もう少し強いものへ進ませます。
そしてその先には、まずマリファナがあり、
そこからさらに本当の麻薬常習へ入っていくのです。
それがどうなるか。
人を狂わせるのです。
ついには気が狂ってしまい、悪魔に完全につかまってしまうのです。そうでしょう。
34. それは彼のごくやわらかい、初歩の形なのです。
もし悪魔が、あなたがかなり賢くて、この先を見抜きそうだと分かれば、彼はそれをそれ以上進ませないこともあります。
つまり、タバコのところで止めておくのです。そうでしょう。
なぜなら、そこで十分長く縛っておけさえすれば、それでよいからです。
そうしているうちに、あなたの命を取り去ることができるからです。
もちろん、神が許される時まではあなたは行けません。けれども、あなたは説教を何度も聞き、メッセージを何度も聞き、何度も心を打たれ、何度も警告を受けることになるでしょう。
それでも、もし悪魔がただあなたをそこからそらし続けて、
あなたの心をほかのこと――たとえば人気者でいたいとか、これがどうしても必要だとか、そういうこと――に向けておけるなら、
彼はそのままあなたをそこに縛っておくのです。
そして、ついにはあなたを取り去ってしまいます。
あるいはまた、ただ教会に加わらせて、
「私はこれから善い人になろう」
「新しいページを開こう」
「教会へ行って、教会員になろう」
と言わせるだけでもよいのです。
もし悪魔があなたをそこにとどめておけるなら、
それだけで十分なのです。
まだあなたをつかんでいるのです。
なぜなら、イエス様はこう言われたからです。
「まことに、まことに」
――つまり、本当に、本当にということです――
「あなたがたに言う。人は水と御霊とによって生まれなければ、決して神の国に入ることはできない。」
必要でしたら、次もこのまま「わかりやすく、でも説教の勢いは残す」感じで続けます。
35. 今日の午後、ある兄弟――ウッド兄弟でしたが――と話していたのです。少し出かけていて、気分をゆるめ、今夜話せるだけの声を保つために、なるべくしゃべらないようにしていた時でした。
さて、見てください。
ここに、立派な大きなとうもろこしの粒があるとしましょう。国じゅうでいちばん見事な粒です。いや、とうもろこしでも穂でも、好きなように呼んでくださってかまいません。
それをクラーク郡の品評会へ持って行けば、私は青いリボンをもらうでしょう。
それほど見事なとうもろこしなのです。今まで見た中で最高に完全なものです。
青いリボンを取るでしょう。
それをフロイド郡へ持って行っても、
ハリソン郡へ持って行っても、
州の品評会へ持って行っても、
全国へ持って行っても、
どこでも青いリボンを取るでしょう。
それは最も完全なとうもろこしの粒だからです。
科学者たちも大きなレンズでそれをのぞき込み、調べるでしょう。
そうでしょう。
そこには、ちょうどよい量のカリウムがあり、ちょうどよい量のカルシウムがあり、ちょうどよい水分がある。
その粒の中に入っているすべてが、まさに完全なのです。
さて、そこであなたはこう言うかもしれません。
「これを植えたら、また完璧な粒ができるはずだ」と。
それでその粒を地に植えます。
けれども、そのとうもろこし――その完全な粒に、いのちの胚芽が入っていなければ、それはそこに лежって腐って終わりです。
それで終わりなのです。
どれほど完全であっても、二度と生き返ることはありません。
どれほど完全でも、新しいいのちがその中に入っていない限り、決してよみがえることはないのです。
36. 今から言うことは、だれかの気持ちを傷つけるためではありません。ここは教会です。ここは私の幕屋ですし、私はここでは鳥のように自由に話せます。そうでしょう。
このことを、どうかしっかり覚えていてください。
人は善良であることができます。
十分の一をささげることもできます。
正直であることもできます。
やもめを助けることもできます。
孤児を助けることもできます。
教会員であることもできます。
そして、そういう人について、何一つ欠点を見つけられないことだってあります。
何か必要が起これば、すぐに自分のポケットに手を入れ、持っている最後の一銭まで取り出して貧しい人に与えるのです。
どんな時でも、良い時も悪い時も、あなたのそばに立ってくれるでしょう。
いわゆるほかの人たちがあなたを見捨ててしまうような時でさえ、その人はあなたの友でいてくれるのです。
それでもその人は、聖霊、すなわち永遠の命で満たされていない限り、なお神の国の外にいるのです。
その通りです。
それほどまでに、これは重大なことなのです。
だからこそ私は、自分の教会にこのことを分かってほしいと願っているのです。
そして、どうか私がただ賢そうに振る舞おうとしているのだ、などと思わないでください。
私が言おうとしているのは、悪魔はそれほどまでに人を欺くということなのです。
本当に巧妙に欺くので、人をまるでクリスチャンのように振る舞わせることさえするのです。
キリストをまねるようなことまでします。
それも、選ばれた者たちにさえ見分けがつきにくいほどにです。
聖書は、それらが非常に近いものになると言っています。
あなたは善人になるでしょう。
あなたは……
37. 今、はっきり分かるように、いくつか例を挙げてみましょう。
こうした霊のことを話している間も、私たちは聖書の中にとどまっていたいのです。
エサウは、どういう見方をしても、ヤコブよりずっと立派な人でした。
さて、そのエサウに比べると、ヤコブは――神よ、この言い方を赦してください――まるで、ちょこまかした小男みたいなところがありました。そんな感じです。
よく見てください。
彼は何だったでしょうか。
小さな告げ口屋のようであり、しかも大うそつきでした。
もし私の言い方が間違っているなら、神が赦してくださいますように。
けれども、彼は実際、うそをつきました。
しかも、人を出し抜く者でした。
あれほどの者はなかなかいないほどです。
まだらの枝を取って水の中に置き、あちらのはらんだ羊や家畜が、まだらの羊やまだらの家畜を産むようにして、それを自分のものにしようとした時のことを見てください。
彼は何をしましたか。
エサウの着物を着て、羊の毛皮を身につけ、ほかにもいろいろして、盲目の父のところへ行ったのです。
その父は預言者でした。
そうでしょう。
そして彼は、父の前でエサウになりすましたのです。
その通りでしょう。
ですから、まあ言ってみれば、ずいぶん抜け目のない者だったのです。
本当にそうでした。
そしてエサウは……。
いや、そんなふうに言うべきではなかったかもしれませんね。
そういう意味で言ったのではありません。
今の言い方は取り消します。
彼は……その……。
何と言ったらいいか分かりませんが、皆さんには分かるでしょう。
心の中で考えてみてください。私は……。
彼は神の大いなる人でした。
ですから、彼について悪く言いたいのではありません。
そうでしょう。
ただ私が言いたいのは、彼がした小さな行動の面なのです。
どれほど抜け目がなかったか、見てください。
うそつきだったか。
ええ、確かにうそをつきました。
かなりひどいものでした。
けれども、彼はいったい何をしようとしていたのでしょうか。
38. エサウは善い人でした。道徳的でもありました。
今日で言えば、立派な教会員のような人です。
では、彼は何をしていたでしょうか。
彼は狩人でした。外へ出て行って……。
もちろん、あの時代には、それが生計の立て方でもあったのです。
彼は父のために群れの世話をしていました。
彼の父は盲目でした。
預言者――主の預言者が盲目で、自分の息子に欺かれたのです。
預言者ですよ。
イサクです。キリストはその系統から来られたのです。
彼を預言者と呼んでもよいのです。
聖書がそう言っています。
それなのに盲目だったのです。
では、なぜ彼は自分をいやさなかったのでしょうか。
そして、なぜ彼には、それがエサウではなくヤコブだと分からなかったのでしょうか。
そうでしょう。
神は、ご自分の預言者たちに何もかも全部を知らせるわけではありません。
神は、ご自分が知らせたいことだけを知らせるのです。
そうでしょう。
その時、神は一つの計画を進めておられました。
そして、その中で働かなければならなかったのです。
神は……
もしあなたが自分を神にゆだねるなら、
神はあなたを、ご自分の計画の中へきちんと組み込んで働かせてくださるのです。
39. この人が何をしたかを見てみましょう。
エサウは出て行って、年老いて目の見えないかわいそうな父の世話をしようとしました。
それに対してヤコブは、一見したところ、父に何が起ころうとあまり気にしていないように見えます。
けれども、ヤコブにはどうしても欲しいものが一つありました。
それは、長子の権利でした。
何が起ころうと、
どんな方法で手に入れなければならなくても、
どんな立場に身を置かなければならなくても、
彼が気にしていたのは、その長子の権利だけだったのです。
そしてエサウについて、聖書は
「彼は自分の長子の権利を軽んじた」
と言っています。
聖書がそう言っているのです。
さらに聖書には、
「あなたがたの中に、あの悪い者エサウのように、長子の権利を軽んじて、一杯の食物と引き換えにそれを売ってしまうような、みだらな者、俗悪な者がいないようにしなさい」
とあります。
では、長子の権利とは何でしょうか。
それは、受けるべき権利のことです。
私が今あなたがたに言おうとしているのは、そこなのです。
この聖霊こそ、あなたの長子の権利です。
それがあなたの受けるべき権利なのです。
それは、神から与えられたあなたの権利です。
ところが今日、人々はこう言うでしょう。
「私は教会に行く。そこらの人と同じくらい善い人間だ。
でも、あんなホーリー・ローラーみたいに振る舞うなんて、まっぴらだ。」
それこそ、あなたはエサウだということです。
そうでしょう。
まったく同じことなのです。
長子の権利を軽んじているのです。
エサウは、それを一杯の食物と取り替えてしまいました。
そしてあなたは……
いや、あなたと言うのではなく、この世は、それをそれよりもっと安いものと引き換えに売ってしまっているのです。
40. けれども、見てください、もし善良さで決まるのだとしたら……。
だれかが、あの天幕のそばに数日でも一緒にいたなら、きっとエサウのほうを選んだでしょう。そうでしょう。
でも、ヤコブの心の中には、あの長子の権利への願いがあったのです。
彼はほかのことはどうでもよかった。
あの長子の権利が欲しかったのです。
彼が欲しかったのは、それだけでした。
そしてエサウのほうは、感じのよい人でありたい、
ちゃんと世話をし、
何でもきちんとやり、
すべてをきちんと整えておきたい、
そういう人でした。
彼は本当に、きわめて律法的にきちんとした人でした。
エサウは、何もかもがちゃんとしていてほしかったのです。
けれどもヤコブが欲しかったのは、ただ一つでした。
それが長子の権利であり、
彼が気にしていたのは、それだけだったのです。
そしてエサウは……。
二人の子に何が起こったか、見てください。そうでしょう。
しかもヤコブからは、十二人の族長が出ました。
そこから、イスラエルの十二部族が生まれたのです。
そして神は、ヤコブをご自分の子と呼ばれました。
私の言っていることが分かりますか。
41. あなたの体面よりも、
あなたの人生よりも、
あなたの仕事よりも、
あなたの持っているどんなものよりもです。
それを受けるまでは、立ち止まってはいけません。
あなたはそれを受けなければならないのです。
それは、あなたにとって何にもまさるものでなければなりません。
あなたはこう言うかもしれません。
「でも、仕事場の人たちが……」
「主人が……」
「家族が……」
そんなことを恐れてはいけません。
それを第一にしなさい。
ほかのものはみな、あとにしなさい。
それを最優先にしなさい。
「まあ、いつかそのうち受けるでしょう、ブラナム兄弟。」
――いつかそのうちではありません。
今です。今がその時です。
「ほかの何かをする前に、まずそれを第一にしてください。今、それを受けさせてください。」
必死になることです。
それが、あの質問への答えにもなるでしょう。
あなたがそれを求めて本当に必死になり、
これがなければだめだ、これを受けるか、それとも死ぬかだ
というところまで来た時、
その時に、あなたはそれを受けるのです。
42. あなたがその人をご存じだったかどうかは分かりません。
その人は、がんをいやされたのです。
ところが、人々は彼を追い出しました。
そして彼がイエス・キリストの御名によってバプテスマを受けた時、彼らは本当に彼を追い出し、庭へ放り出したのです。
それで彼はメソジスト教会へ行って加わりました。
ところが、彼がイエスの御名によってバプテスマを受けていたことが分かると、今度は真冬の零度の天気の中へ、いやオハイオでは零下十度ほどにもなるその中へ、彼を外へ追い出したのです。
ベッドを外へ運び出して、そこへ置きました。
(フリーマン兄弟、ヴァンス兄弟のことを覚えているでしょう?)
そして、ポンプの水まで外に置いて、こう言ったのです。
「ほら、ここに水は十分あるじゃないか。おまえをイエスの名で“もう一度”バプテスマするには、これで足りるだろう。」
43. 彼が言うには、その時ある人たちのところに、奥さんと一緒に身を寄せていたそうです。
そして、古い荷物をみんな、ぼろぼろの古いトラックに積み込んで、町を出て行こうとしていました。
その時、奥さんがこう言ったのです。
「ねえ、知ってる? あそこを出る前に、水を一杯飲んでおけばよかったわ。」
そして、
「のどが渇いたの。」
と言ったのです。
すると彼は、
「おい、あそこに水道があるじゃないか。」
と言いました。
でも奥さんは、
「いいえ、もっとましな場所まで行ってからにしましょう。」
と言ったのです。
それで、もう少し先へ進みました。
すると彼は、
「ほら、また水道があるよ。」
と言いました。
けれども彼女は、
「そのまま行ってちょうだい。」
と言うのです。
ところが、田舎の方へ出てしまうと、もうポンプがありませんでした。
そして彼は言いました。
「そのころには、彼女はもう、水を飲みたくてたまらなくなっていたんだ。」
それからしばらくして、ずっと向こうの畑の中に、古い田舎のポンプが見えたそうです。
かなり離れた畑の真ん中で、牛の群れの向こう側にありました。
それで彼女は、その牛たちが怖かったのです。
でも彼女はこう言いました。
「レビ、もうどうしても飲まないとだめ!」
それで彼は車を止めました。
すると、車がまだきちんと止まりきらないうちに、彼女はもう飛び出していて、柵を横切って走って行ったそうです。
どうしても水が必要だったのです。
そして、神があなたにとってそのくらい現実のものになり、
あのように渇いて、
神でなければもうだめだ、神でなければ死ぬしかない、もうこれ以上耐えられないというところまで来たなら、その時、何かが起こるのです。
その時こそ、あなたは神と本気で向き合うようになるのです。
その時に、それは起こるのです。
44. そしてそれらの霊は、しばしば非常に宗教的なのです。
今、あなたはこう言うかもしれません。
「宗教的、ということですか?」
そうです、その通りです。
聖書を教えることさえするのです。
本当にそうなのです。
よく見てください。
イエス様は、聖なる祭司たちの一団のところへ来られました。
彼らは律法を文字どおり守っていました。
しかも、きわめて宗教的でした。
けれどもヨハネは彼らに向かって、こう言いました。
「まむしの子らよ」
――つまり蛇のことです――
「だれが、迫り来る御怒りを逃れよとおまえたちに教えたのか。」
そしてイエス様も、彼らをご覧になって、こう言われました。
「あなたがたの父は悪魔です。」
それは、神がそう言われたのです。
彼らはできる限り宗教的だったのに、です。
覚えておいてください。
悪魔は、その人間を取っても、その霊までは取らないのです。
そして神も、その人間を取られても、その御霊は取られないのです。
そうでしょう。
聖霊はあなたの人生の中に入って来て、あなたの霊を聖別し、あなたを通して生き、あなたに生きる力を与えてくださいます。
けれども、あなたの霊が先へ行く時、その霊は神のもとに保たれます。
しかし、あなたの上にあった聖霊は、また別のだれかの上に来て、さらに別のだれかの上に来て、また別のだれかの上に来るのです……。
45. そしてその七百年後……いや、八百年後でしたね、それがバプテスマのヨハネの上に来て、彼をあのように行動させたのです。
エリヤがどんな人だったか、見てください。
大きくて毛深い男で、ひげも顔じゅうに生えていて、羊の皮をまとい、まるで毛むくじゃらの生き物のような姿でした。
顔を突き出すようにして、荒野をどんどん歩いて行き、腰には一切れの皮を帯のように巻いていたのです。
もしそんな人があなたの家の前に来たら、どうでしょう。
きっと、
「まあ大変、早く警察を呼んで! こんな人がうちの前に立っている!」
と言ったでしょう。
けれども、その人は主の預言者だったのです。
まさにそうでした。
そして彼が死んだ後、その御霊の二倍の分がエリシャの上に来ました。
さらに、その八百年後には、それがバプテスマのヨハネの上に来て、ヨハネをまったく同じように行動させたのです。
なぜなら、それはエリヤの霊だったからです。
46. それによって、聖霊が何であるかが分かるのです。
そうでしょう。それが聖霊のすることなのです。
聖霊はあなたを柔和にし、へりくだらせ、赦す者にするのです。
もしあなたにひげがあったとして、それを人に引き抜かれ、
顔に唾を吐きかけられても、しかもあなたには天使の大軍を呼ぶ力があったとして、それでもなお、そのことができますか。
あなたの顔に唾を吐きかけているその人たちを、愛のために赦すことができますか。だれかがあなたのところへ来て、「おい、偽善者!」
と言って、あなたの顔をぴしゃりと打ったとして、
その人の赦しを祈ることができますか。そこに、あなたが聖霊を持っているかどうかの試金石があるのです。そうでしょう。
だれかが、聖霊を持っていると言いながら、
人から悪く言われると、時にはこう言います。
「たとえ最後の日になってでも、あの人に仕返ししてやる。」
ほら、そこです。そこで、自分の聖霊が本物かどうかを確かめるのです。
主はこう言われました。「人々が、わたしの名のために、偽ってあなたがたをあしざまに言う時、あなたがたは幸いです。」それなのに、あなたは仕返しをしに行くのですか。いいえ、そうではありません。
「喜びなさい。大いに喜びなさい。あなたがたより前の預言者たちも、そのように迫害されたのです。」そうでしょう。
47. もし良いことが言えないなら、何も言わないことです。
ただ、そのままにしておきなさい。
そうでしょう。
そして一人になった時、その人のために祈りなさい。
私の人生の中で、あの日あそこで聖霊が自分の内に入って来られたのだと分かる助けになったことが一つあるとすれば、それはまさにこのことでした。
私は短気で、激しやすく、両方の血筋ともアイルランド気質でした。
ですから、しょっちゅうけんかになって、まともに食事もできないくらいでした。口はいつもだれかに殴られて腫れていました。出るべきでないところで飛び出して行っては、またやられるのです。
今でも何本か歯が欠けていて、詰め物をしています。
言うべきでない時に口を出してしまって、あれこれ言ってしまったからです。
そうでしょう。
いつも問題ばかり起こしていました。
それで私は言ったのです……。
だれかが私にこう言いました。学校の先生でした。
私は言いました。
「先生、ぼくは……ぼくは……どうにもできないんです。」
そうでしょう。
私はいつも問題を起こしていたのです。
そして私は、
「どうにもできないんです。」
と言いました。
かわいそうな年老いたテンプル先生――ついこの前、栄光の中へ行かれましたが――
その先生がこう言ったのです。
「まあ、ほら、おいで、坊や。」
先生は私をひざの上に乗せ、腕の中に抱きしめて、泣き始めたのです。
あんなふうにだれかから愛されたのは、その時が初めてでした。
年老いたその婦人は、私を抱きしめたまま泣いてくれたのです。
そしてこう言いました。
「ビリー、先生はあなたのために何かしてあげましょうね。小さなひもを一本あげるから。」
そして、
「もし男の子たちがあなたに飛びかかって来たら……」
48. それに、私の身なりは本当にひどいものでした。
髪のことでもからかわれました。
今とほとんど同じくらい長くて、顔のあたりまで垂れていたのです。
それで、本当につらい思いをしていました。
みんな私を殴ったり、平手打ちしたりしました。
だれかが腹を立てると、そこらを歩いて来ては私をつかまえ、叩き倒したのです。
私はそこへ来るだけで、そうなったのです。
それで、そのうち……けんかになり、
ナイフを使うようなけんかまでしましたし、ほかにもいろいろありました。
そればかりか、ウィンチェスター銃を持ち出して、それを撃とうとしたこともあります。
自分を殴って、もう立っていられないほどにした四、五人の少年たちに向けて、続けざまに撃ち込もうとしたのです。
もし神がおられなかったなら、私はその一人残らず殺していたでしょう。
地面に落ちていた弾を拾い上げて、また銃に込めたのです。
その弾は、何事もなかったかのようにちゃんと撃てる状態でした。
私は、五人の人間を……
いや、五人の少年を殺すところだったのです。
49. それで先生がこう言いました。
「この小さなひもを持っていなさい、ビリー。
そして腹が立った時には、立ち止まって、そのひもに九つ結び目を作るのよ。」
そして、
「そうしたら、そのひもを先生のところへ持って来なさい。きっと、そのころには怒りはおさまっているはずだから。」
と言いました。
私は言いました。
「ウェイレン先生、先生って本当にやさしいですね。」
そして、
「やってみます。」
と言ったのです。
(いや、ウェイレン先生じゃなくて、テンプル先生でしたね。今ウェイレン先生と言ってしまいました。ウェイレン先生というのは、ここで一度教えていた別の先生でした。)
それで、そのひもをポケットに入れました。
ところが、校庭に出て五分もしないうちに、だれかが私を一発殴ったのです。
それで私は、さあやり返そうとして……。
ポケットに手を入れて、そのひもをつかみました。
そして、一つ結び目を作ろうとしたのです。
でも、ひもを放り投げて、そのまま飛んで行きました。
そうでしょう。
とてもそんなことはできなかったのです。
それで私は、
「ぼくは絶対クリスチャンにはなれない」
と言いました。
けれども、よく聞いてください。
あの晩、オハイオ通りのあの場所で、聖霊が私の中に入って来られた時、それであの短気は終わったのです。
あれで決着がついたのです。
私は、
「自分には絶対できない。クリスチャンにはなれない。あれだけはどうしても乗り越えられないからだ」
と言っていました。
「これは自分の中に生まれついているものなんだ。」
とも言いました。
「親父は短気だったし、母も半分インディアンの血が入っていて、丸のこぎりとでもけんかしそうなほど気が強かった。
だから自分も、だれかが向かって来たら、ただでは済まさない。
それだけのことだ。」
そう言っていたのです。
「たとえ踏み台に上ってでも相手を殴らなければならないとしても、きっとそうする。」
――そんなふうに思っていたのです。
50. なぜですか。もうあの時の私ではないからです。
ここで私が言おうとしていることは何でしょうか。
何かが起こったということです。
あの古い力、あの昔のウィリアム・ブラナムは死んで、別のものが入って来たのです。そしてそのために、私は自分の敵に対してさえ、かわいそうだと思うようになったのです。だれかが私に何か悪いことをした時でも、私はその人に逆らう祈りはしません。その人のために祈るのです。
それこそが、あの晩ニューイングランドで、こちらでのことが起こる前に、聖霊が与えてくださったしるしでした。あの時主は力を与え、
「あの人々に対して、あなたの願うことを語りなさい」と言われたのです。
彼らがしたことを思えば……。けれども私はそこを見下ろして、こう言いました。
「私はあなたがたを赦します。」まさに、それこそ主が望んでおられたことだったのです。そうでしょう。自分の敵を赦しなさい。そうでしょう。
人を悪くしてしまうのは、こういう霊どもなのです。
その様な霊に気をつけなさい。
51. それほど危険だったので、だれもその道を通れなかったのです。
けれども、ある日、それよりもっと強い力がそこを通られました。
彼は憎しみ、悪意、悪魔――それも一つではなく、一軍団もの悪霊に取りつかれていました。大きな男でした。人々は兵隊のような者たちを連れて行って、彼を鎖でつなごうとしたのですが、彼はその鎖を引きちぎってしまいました。
悪魔が彼の中にいたのです。彼はそこにいたのです。
もしそういう見方をするなら、彼はジェファソンビル高校では、きっと大した人気者になっていたでしょう。本当にそうです。
そこにあの大男がいたのですから……。
いや、今の十代の子たちの中にも、そんな見方をする者がいるでしょう。
「うわあ、あいつ、ほんとに男らしいな。」というようにです。
でも私は、体重が二百ポンドもあって、男らしさなんて一オンスもないような男を見たことがあります。それは男ではありません。ただの獣です。わかりますよね?
52. 聖書が言うように、私たちが慕うような麗しさは何もなかったのです。
まだ三十歳ほどなのに、五十歳にも見えるようなお方が、ある日その道を歩いて来られたのです。
すると彼は、その方に向かって走り出しました。
そして、
「こんな小さなやつなら、ひとひねりにしてやる」
とでも言わんばかりでした。
けれども、ああ、何ということでしょう。
そのお方に出会った時、彼はその足もとにひれ伏したのです。
それほどまでに、あの悪霊どもが彼を支配していました……。
さあ、ここを見てください。
あの日……彼はそれほどまでに悪魔に取りつかれていたのです。
ここで、皆さんのためにこのことを入れておきたいのです。
その人は、あまりにも完全に悪魔に身を明け渡していたので、悪魔が彼の舌を使って語ったのです。
同じように、あなたもまた、あまりにも完全に神に身をゆだねるなら、神があなたの舌を使って語ることができるのです。
その通りです。
私が言いたいのは、そこなのです。
これまで私が語ってきた説教で、少しでも意味のあるものがあったとすれば、それは、私が自分を明け渡し、ウィリアム・ブラナムを脇へどけて、キリストが入って来て語り始められた時なのです。
そうでしょう。
そして主は、言葉をもって語ることがおできになるのです。
53. 彼はその悪い霊にあまりにも深く支配されていました。
そして、その霊は彼をそれほど強くつかんでいたのです。
けれども、その悪霊どもは、自分たちの時が来たことを知っていました。
なぜなら、彼らは愛そのものに出会ったからです。
そうでしょう。
それで彼らは、言わばこう言ったのです。
「こいつを試してみよう。」
さて、ここで何が起こったかを見てください。
彼らはこう言いました。
「おまえがだれか、私たちは知っている。」
「どうしてそんな小さな体に入っているのだ。そんな弱々しく見える小さな男の姿で。」
「なぜそんなふうにして来るのだ。」
「私たちは、おまえがだれか知っている。おまえはイスラエルの聖なる者だ。それなのに、なぜ……。」
――ここをよく見てください。
もし悪霊に将来の苦しみがあるなんて信じられないなら、この悪霊ども自身がそれを告白しているのを聞きなさい。
彼らはこう言いました。
「どうして時が来る前に、私たちを苦しめに来たのだ。」
彼らは、自分たちに将来の苦しみがあることを知っていたのです。
「どうして時が来る前に、私たちを苦しめに来たのだ。」
そうでしょう。
するとイエス様は、
「おまえの名は何か。」
と言われました。
主はすでにご存じでした。
けれども、彼ら自身にそれを言わせたかったのです。
すると彼らは、
「私たちはレギオンです。私たちは大勢いるからです。」
と言いました。
そしてさらに、
「もし私たちをこの人から追い出すのなら……」
54. イエス様は、そんなにたくましく見える方ではなく、弱々しい小柄な人のように、そこに立っておられました。
それに対して相手は、ほとんど軍隊でも押さえられないような男です。
鎖でさえつなぎ止めておけなかったのです。
分かりますか。
問題は肉体の力ではないのです。
大事なのはそこではありません。
あなたの人生の中にある聖霊の力こそが大事なのです。
それで悪霊どもは言いました。
「その時が来る前に、私たちを苦しめないでくれ。」
そして、
「もし私たちを追い出すなら……」
――ここで、その意地の悪さ、その邪悪さを見てください――
「もし私たちを追い出すのなら、ただそのまま世界へ放り出さないでくれ。どこか別の人間に入れるかどうか分からないから。」
つまりこういうことです。
「私たちはだれかの中にいたい。何かをしたい。もっと悪いことをしたいのだ。」
それが悪魔です。
「あいつには仕返ししてやる……!」
ほら、それが悪魔です。
「必ずやり返してやる。」
そうでしょう。
よく覚えていてください。
そこに立っているのは、あなたの兄弟そのものです。
でも、その人に悪魔が乗ってしまっているのです。
「何かひどいことをさせてくれ。
このことで、あのゲラサ人たちを苦しめてやれる。」
――悪霊どもの頭の一つは、そんなふうに言ったのかもしれません。
そして、
「あそこの豚の群れに入らせてくれ。」
と言ったのです。
55. 「行くことは許す。だが、この人から出て行け!」
ああ、何ということでしょう。あんな小さなお方が、あの大ぜいの悪霊の軍勢に向かって語られたのです。
「この人から出て行け。おまえたちは行くことは許されている。」
すると悪霊どもは豚の中に入り、その豚どもは発作を起こしたようになりました。豚どもを狂乱状態に追い込み、そのまま川のほうへなだれ込んで行って、川で溺れ、川の中で息絶えてしまったのです。そうでしょう。
さて、そうなった時……もちろん悪霊どもはその人たちから出て行ったのです。なぜなら、その結果として豚が死んだからです。ただ豚どもを狂乱させたのです。まるで人が発作を起こすように、豚どももそうなったのです。
誰かがかんしゃくを起こすのを見たことがあるでしょう? まあ、まさにあれがそうなのです。あれはまさに悪霊どものしわざです。あの豚たちに起きたのが、それなのです。もし誰かがかんしゃくを起こしているのを見たなら、
「ああ、そうか。ガダラで何が起きたのか、今わかった」
と言えばよいのです。わかりますか。まさにその通りなのです。そこにさらに少し悪霊が入り込めば、その人を完全に正気でなくしてしまうのです。なぜなら、医者も言うように、怒りは狂気の第一段階だからです。メイヨーでもそう言っています。狂気の第一段階だと。
パット兄弟、少しきつい言い方だったかもしれませんね。ですが、私にはそれが一番よくわかる言い方なのです、まったく思いがけずに出た言葉ですが。では、よろしい。
56. そうしなければなりません。… 忘れてしまいました。先日それを手に入れたときに調べてみたのですが、それが何なのか忘れてしまいました。できればこの親愛なる人の質問に答えましょう。ローマ人への手紙 7:22、わかりました。25、ごめんなさい。ローマ人への手紙7章。… そのとき私は一度に2ページをめくりました。
私たちの主イエス キリストを通して神に感謝します。So then with the mind I myself serve the law of God; but with the flesh the law of sin。だから、心で私自身が神の律法に仕える; しかし、肉で罪の律法。[さあ、ちょっと待ってください。その読み方が正しくありませんでした。] 私たちの主イエス キリストを通して神に感謝します。それで、心で [ええ、そうです。] 私自身、神の律法に仕えています。しかし、肉には罪の律法があります。
58. 彼らは嘘発見器を取ることができます。。 私の親友であるロビンソン弁護士が後ろに座っているのが見えます。そして、あなたがそれが行われたのを見たことがあるかどうかはわかりませんが、私はたまたまそれを持っています。..試してみてください。..それは一度私に着せられました、ここにいるこの主の天使について。そして彼らはあなたに嘘発見器を置き、あなたは。..自分の知る限り、できる限り最善を尽くして、とても優しく滑らかにして、あれやこれやのことをしなかったことを告白しようとします—犯罪者。その嘘発見器はすぐに引き返して、あなたが嘘をついていると言うでしょう、ほら。なぜ?彼らが嘘発見器で拾うのはあなたの神経の振動です、ほら。教えてくれるわ。なぜ?人間は本来の始まりに嘘をつかせられませんでした。あなたを嘘をつかせるのは罪と悪魔です、ほら。
あなたのメイクは嘘をつくことではありません。それがあなたが再び生きなければならない理由です、なぜならあなたは永遠に生きるために作られた(創造された)からです、常に生きてください。しかし、罪が入り込んで肉体に死をもたらしたのです。そして、罪が入り込んで肉体に死をもたらすとき、当然のことながら、肉体は死ななければなりません。しかし、そこには永遠の命が宿ることがあります。この霊があなたの中で変わり、永遠の命が得られるとき。神は終わりの日にその体を再びよみがえらせます。彼はそうするだろうと言った。
59. 聞きたいんだ。ここにいる皆さん、何かが起こるとすぐに分かるような場面を何度も見たことがあるでしょうか。それは不可能に見えましたが、それが起こることはわかっていました。そんなのあった?それがその信仰であり、その潜在意識の働きです。[さて、ここが少し暖かくなってきたら、ちょっと暖かすぎる場合は、ガジェットを下に下げてください。]
60. 何かを見たことがありますか、それを見て、たとえば、“まあ、私には見えません、” ほら。“見えないだけです。” わかってないってことか ほら ほら。わかってないだろ。見ることは“理解することです。” しかし、目で見れば何でも見えます。しかし、あなたの中にあるものがあれば、あなたは理解します。それでわかります、わかります。神の目であなたは見ています。…
62. さて、私の心の中では、聖霊がこう言われました。“あなたは約束を守ります。” しかし、肉は言いました、“あなたは疲れすぎています、”ほら。
さて、肉体は言います、“さて、その必要はありません、あなたはかわいい小さなものです;あなたは学校で最もかわいい小さなものです。さて、あなたのあの聖なるローラーの母親や狂信的な父親にはまったく注意を払わないでください。あなたは学校で一番かっこいい女の子です。” “あなたは最も美しい男の子、最も見栄えの良い男の子、最も体格の良い男の子です。あなたは市内で最も人気のある人です。” ほら、あなたはメンバーにそれに屈服しますが、どこから出てきますか?毎回ホーンの小さな端を見てください。
63. ほら、もしそれが罪人のためにそうするなら、それは病気にも効果があるのではないでしょうか?“神の縞模様によって私たちは癒された”ことを知っている心の中の神の御霊の律法。彼らは悪魔なので、その体の病気を彼らに従わせる力を持っています。そこにいるわ。ふぅ!それほど深いところにクリームが付いています。言っておくが。それだ ほら。
64. 私は言いました、“悪魔。彼はあなたがそれを受け取る準備ができているのを見ました。彼は言いました、「彼女に少し水をやります”ふぅ、“彼女を少し扇いで、少し冷やします」ほら。でも、ああ、そのときあなたは立ち上がります!神から与えられた権利を主張してください。” ポールが言いたかったのはそういうことだったんだよ。“いつも、” 彼は言った、“私が善を行うとき、悪は存在する。”
65. お知らせ!朝から始めて、行くと言えます。。 さて、主は私を会議のために特定の場所に行くように導いてくださいました、そうですね、兄弟、あなたはただすべてが起こっているのを見ているだけです。あるいは、私の家に行かせてくれたら、長距離電話がかかってくるかもしれません。病人のために祈らなければなりませんでした。小さなジョセフが私の首の上に登ってくれます。サラは私に質問したいと思うでしょう。ベッキーはピアノを弾き始めます。私は言います、“しー、しー、しー!” 手を置いてください、“ねえ、し、し、し、行きます。.. パパは病人のために祈るつもりです。” “さて、パパ、見てください;ジョーがこれをやったのです。。” ほら、始めさせてください。そして祈りが終わるとすぐに、彼らはおもちゃを手に入れ、同じように甘くて清潔になりました。悪魔だ。確かにそうです。
66. もし小さなマーサが小さな足を踏み鳴らし、走り出して小さな鼻を向け始めたら、服を着なくなるまで彼女を殴ってもいいでしょう。とにかく彼女はそうするでしょう。しかし、あなたはただ神の前に横たわり、その子の魂を神のために主張するだけです。ただそこにいてください。それが私が知っている中で最高のことだと信じています。はい 先生!それが私が知っている最良の治療法であり、祈りです。
67. さて、私の大切な友人よ、エペソ人への手紙第 1 章を 1 つだけ取り上げましょう。正しく答えられない限り、これについてはあまり時間はかからないと思います。それでは、エペソ人への手紙第 1 章から読み始めましょう。
さて、まず最初に言いたいのは、予定説は訓練を受けていない会衆の前で牧師が使うには悪い言葉だということです。である。使わない。時々ここ教会で。… しかし、観客の中、大きな中では。… あらゆるものがあらゆるものから積み重なっているところに、私はその言葉を見ます。私はいつも “予知” という言葉を使います。なぜなら、予定説は神についての予知に過ぎないからです。神は無限です、予知によってすべてを知っていました、さもなければ神は無限ではありません、ほら、ほら。彼は何が起こるかを知っていた。したがって、予知によって神は予定することができます。それが、神がそうしないだけだと私が信じている理由です。。
68. さあ 注目。したがって、これらすべてが予知であることがわかります。イエスが生まれる712年前。..ヨハネが生まれる前、イザヤは幻の中でイエスを見て、イエスは荒野で泣いている人の声だと言いました—712年。エデンの園から、イエス・キリストよ、世界の建国前。…
69. 使徒パウロ。… [さあ、彼がこれにどう対処するか見てください。私はポールのこのやり方が好きです。私はポールが好きです、あなたはどうですか?ああ、彼はキリストの素晴らしい僕でした。さあこれを見てください。]
パウロは、神の意志によりイエス・キリストの使徒となり、エフェソスの聖徒たちと、キリスト・イエスに忠実な者たちのために遣わされました。
注意、これは世界に向けられたものではありません。これは部外者に向けられたものではありません。これはイエス・キリストにある教会(ああ、素敵じゃないですか?)、イエス・キリストにある教会へのものです。今、どうやってイエス キリストに入るのですか?一つの御霊によって、私たちは皆、一つの体にバプテスマを受けます。そして彼はこれを外の世界ではなく、聖霊に満たされた人々(参照)に向けています。
私たちの父なる神と主イエス・キリストから、あなたに恵みと平安がありますように。
私たちの父なる神が祝福されますように。..神と。..私たちの主イエス キリストの父よ、彼はすべての天の場所で私たちを祝福してくださいました。..そしてキリストにある天の場所での霊的な祝福:
70. 私たちの父の神が祝福されますように。.. 天上のあらゆる霊的な祝福を私たちに与えてくださったイエス キリスト。… [私がそれを読んでいるかどうか見てみましょう—それを正しく引用しています。] 私たちの主イエス キリストの神であり父である方が祝福されますように。キリスト イエスの天の場所で私たちにあらゆる霊的な祝福を与えてくださいました。[今、キリスト イエスの天の場所に集まっています。]
彼によると[さあ聞いてください!準備はいい?] [私はあなたに説教しました。]世界の建国前に、神が私たちを選んでくださったように、…
71. 今、あなたはこう言います。“そうですね、私はキリストの中にいると信じています。” もしそうなら、あなたは聖霊を受けています。それがあなたがキリストに入る唯一の方法だからです。コリント人への手紙第一 12:13(参照)… コリント人への手紙第一第12章。よし。“なぜなら、私たちは皆、一つの御霊によって一つの体(キリストの体)にバプテスマを受けているからです。” 今だ!それから私たちは一致して天の場所に一緒に座り、聖霊が私たちの間を移動し、私たちに教え、偉大なことを示し、物事を実現します。ああ、なんて場所なんだ!
彼は言った、「“さて、そのように呼ばれたあなた、私はあなた、選ばれた者たちに話したいのですが、神は世界の建国前に私たちを神の中で選んでくださったのです。」 考えてみろ!神は世界の建国前に私たちを神の中に選びました。神は世界の建国前から、私が今夜これと同じテーマを話すことを知っていました。彼は無限だ。そして世界が存在する前は。… おお!ふぅ!今すぐ聖霊を手に入れましょう。御言葉がそれをもたらすでしょう、見てください。そういうわけで、”ペテロがこの言葉を話している間に、聖霊が彼らに降りかかりました。“
73. 世界が存在する前、惑星が存在する前、太陽が存在する前、月が存在する前、光が存在する前、何かが存在する前、それがまだ神であったとき、神の考えの中に神があったとき、神の永遠の考えは、あなたが地上にいることを知り、罪があることを知るために、予定説と予知によってあなたを選びました。
75. あなたはそうではありません。..教会。… 私は、永遠のこちら側で、あなたが何であるか、あなたがどのような立場にあるのか、神があなたを置いたこと、御霊に満ちた人々であることを私たちがどのように認識するか信じていません。あなた方は神の子です。なんだ、天使は僕だ。息子さんですね!天使はあなたにメッセージしか伝えることができませんが、あなたは行動しなければなりません。アーメン!あなたは現場の俳優です。あなたは息子よ。天使たちはあなたにメッセージを伝える僕です。ここで言いました、“私はあなたにこのメッセージを持ってきました、そうしてください、そしてそうしてください。これは父からのものです。持ってきますよ、はい!” 彼はそれだけだ。アーメン!あなたたちは神の息子であり娘です。私たちを運命づけていた!さあ、ちょっと見てください。
彼が持っているように。..彼は私たちを選んだのです。.. [さて、私たちは選択しませんでした。。 どうすれば彼を選ぶことができるでしょうか?4000億年、100万年、10億年、1兆年前、どうして私は彼を選ぶことができたのでしょうか?しかし、彼は私を選びました。アーメン!ああ、ウッド兄弟、それだけです。] 世界の建国前に、私たちが聖なる者となるために、彼を選びました。[さあ、自分で聖者になろうとしないでください。できないのですから。] そして、愛をもって彼を責めることなく:
ああ、兄弟、それはほんの数分前にここで見た質問に答えるでしょう。どこかで見たんだけど…。 ああ、そう。あなたは言いました、“人はどうして神よりも上に生きることができるのでしょうか。..罪を犯さずに神の近くに住むことができるのでしょうか。” これを聞いてください:
…聖なる。..世界の基礎から、私たちは聖なる者であり、愛において彼の前に非難されることなくあるべきです:
76. 田舎で時々、ある男が、ある男がこの教会に来ます。先日、兄の家に座っていました。彼は言いました “ビル兄弟に何か起こったらどうしますか?” 彼は言いました。“喜んで胸を突き出して彼のために弾丸を受け止めます。” あなたのために死ね。それは愛です。彼らほど偉大な愛には、兄弟のために命を捨てる人はいないのです。
77. 私たちを運命づけていたのです。.. [さて、運命づけられたという言葉があります。] イエス・キリストの御心の喜びに従って、イエス・キリストがご自身に子供を養子にすることを私たちにあらかじめ定められました。
それはどうですか、マイク兄弟?それは素晴らしいと思いませんか?彼はあなたを愛していました。彼は世界が存在する前からあなたを愛していました。神はあなたの性質を知っていました;神はあなたの弱点を知っていました;神はあなたの習慣を知っていました。彼はあなたのこと、あなたがどうなるかをすべて知っていました。そして、神が偉大な宇宙のすべてをありのままに見つめたとき、神はこう言いました。“私はあなたを選びます。” そして、神がそうしたとき、人生の斑点が存在する前に、あなたは神とともに永遠です。聖霊を受けると、あなたは永遠になります。なぜなら、あなたは神とともにいて、神の一部だからです。私の言っている意味が分かりますか?あなたは神と同じくらい永遠です、なぜならあなたは。..
79. 言った、“あなたの勝利はどこですか?” しかし、彼には例がありました。彼はカルバリを振り返って言いました。“しかし、私たちの主イエス・キリストを通して私たちに勝利を与えてくださった神に感謝します。” そこにいるわ。ああ、それは感情を揺さぶらなければなりません;それはそうしなければなりません。
80. パウロは言いました。「“もし私たちが未知の言語で話したら、無学な人はどうやって。..」 彼が祝福されているとき。..もし彼が祝福されるなら、どうして彼は「アーメン」と言えるでしょうか?” ほら、自分が何を言っているのかを知らなければなりません。解釈や啓示によるものでない限り、未知の言語。… そうすれば、“アーメン!” と言うことができます 理解できれば。彼は自分が何を言っているのか分かっている。ほら?
81. そして、彼らが祈っている間に、霊が聴衆の中に一人の上に降りかかり、彼は預言しました、“主はこう言われます、あなたは戦わないでしょう; じっと立ってください!(アーメン!) ある道を下って、そこで彼らに会いましょう。” そして神は彼らの間に混乱を引き起こし、彼らは互いに殺し合った。そこにいるわ。世界の建国前にキリスト イエスにあって選ばれることを運命づけられています。今。
82. ヨハネ第一 1:8 から 10 を見てみましょう。もう少し時間があったら、これらを見てください。。 持っていたけど、受け取らなかったんです、皆さん。出ようとしていたのに…。 じゃあ しばらくしたらジョンを見つけるわ。もちろんヘブライ人の反対側になります。よし。ヨハネ第一 1:8 から 10—ヨハネ第一 1:8 から 10。
もし私たちが「私たちには罪がない」と言うなら、私たちは自分自身を欺き、真実は私たちの中にありません。
もし私たちが罪を告白するなら、神は忠実で公正であり、私たちの罪を赦し、すべての不義から私たちを清めてくださいます。
もし私たちが罪を犯していないと言うなら、私たちは彼を嘘つきにします、そしてその言葉は私たちの中にはありません。
83. He that committeth sin is of the devil; for the devil sinned from the beginning。彼は罪を犯す者は、悪魔の; 悪魔は、最初から罪を犯したからです。この目的のために、神の子は悪魔の業を滅ぼすために明らかにされました。[私が話していたこと、ほら、神はあなたをあらかじめ定めているのです。]
Whosoever is born of God does not commit sin; for his seed remaineth in him: and he cannot sin, because he is born of God。神から生まれた者は罪を犯さない; 彼の種は彼の中に残っているので、彼は罪を犯すことはできません。
それはまさに御言葉が言っていることです。さて、ここで見ていただければ。
もし私たちが「私たちは罪を犯していない」と言うなら、私たちは彼を嘘つきにします、そしてその言葉は私たちの中にはありません。
さて、こう言う人もいます。“さて、ここにはただの良い女の子か良い男の子がいます。彼らは最初から罪を犯したことがなかった。” あなたは罪の中で生まれ、不法行為の中で形作られ、嘘をつきながらこの世に来ます。あなたがこの世に生まれたとき、あなたは嘘つきであり、泥棒であり、そこにあるすべてのものであり、すべての罪です。..泥棒ではありません、なぜならあなたは盗んでいないからです。しかし、あなたは嘘をついていないので、嘘つきではありません。しかし、あなたが生まれたとき、その霊はあなたの中にあります。なぜなら、あなたは世の人だからです。それが、改革や改革ができない理由です。死んで生まれなければなりません。そして、磔刑なしでは出産することはできません。あなたは復活することはできません;キリストにあって復活するには、世界の事柄に十字架につけられなければなりません。
86. 待って、これが良いことだ。あなたたち女性は、あまりにも平坦に聞こえるなら、これを許してください(参照)…主張してください。母親:命はあるけど、それでもその赤ちゃんは生まれない。しかし、その赤ちゃんを正しく扱い、自然のルールに従えば、その赤ちゃんは正常に生まれます。しかし、すべてを自然の法則に適用せず、硬い打撲傷や打撃、あるいは何かを起こすと、それが台無しになってしまいます(参照)。赤ちゃんが生まれる前に死んでしまいます。
87. 今、教会は霊的なビタミンを摂取すべきです。そしてビタミンはここにあり、本全体がビタミンでいっぱいです。そして、あなたはスピリチュアルなビタミンを摂取し、学び、それが赤ちゃんを出産に導いているに違いありません。私の言いたいことがわかりますか?
88. そして、時々そうなるのです。… 聖霊を受け取る準備はできていますか?あなたは苦労しています;あなたは配達されることを望んでいます。今、ここにいて、聖霊のバプテスマを望み、それが何であるかを本当に知り、それに入りたいと思っている人が何人いますか?誰が聖霊のバプテスマを望んでいますか?手を挙げて。ほら、あなたは苦労している、あなたは望んでいる。..あなたは配達されたいのです。必要なのは、ちょっとした福音のお尻叩き、ちょっとした何かです [ブランハム兄弟が手を叩き合わせます。] そしてあなたは叫びます、“栄光!” そしてそれが起こったら。… あなたが私が気が狂っていると思っているのはわかっていますが、私たちにはキリストの心があり、それはいずれにせよ世界にとって狂気です。何かが叫び、その霊があなたを襲います。それからそれはただ来続けます。
89. さて、御霊の小さな引っ張りを感じると。… あなたは人生よりもそれを望んでいます。..あなたは自分の人生よりもそれを望んでいます。それはあなたにとってもっと意味のあることです: “持つか死ぬかです。” 最初に何かを手に入れるとわかること。あなたは思う、“それだ、主よ。” コルクを引き抜きます。ふぅ!彼女が来たぞ!消えた!ああ、私の!無料!おお!私の!“ アイゼンハワー大統領がそこに座っているかどうかは気にしません、あなたは言います、”神に栄光あれ [不明瞭な言葉]。“
90. 彼らは皆そこに座っていましたが、突然、激しい風が吹くような音が天から聞こえてきました。彼らが座っていた家全体が満員になり始めます。何かが起こり始めます。彼らはその建物から出て行きました;ドアを投げ開け、そこに入った階段を下りました。酔った男たちの集団のように、彼らが御霊に従って行動することをよろめきながら、ただ叫びながら続けました。
彼らは言った、「“この男たちは酔っている」。彼らに耳を傾けてください。ドアの外を見ているあの卑怯者、十字架刑の際にイエスを否定したあの卑怯者を見てください。「私は彼のことさえ知りませんでした」と言いました 小さな女性は言いました、「あなたのスピーチはあなたを裏切っています。」。あなたも彼らの一人です。'” 言った、“彼は呪って、「私は彼を知らない」と言った。”
91. さて、確かに、あなたには永遠の命があります。
さて、これを説明するために。“もし私たちが罪を犯していないと言うなら(「すべての人が罪を犯し、神の栄光に達していない」)、私たちは神を嘘つきにします。” 彼はあなたが罪を犯したと言いました。罪を犯していないと言ったら。…
92. そのとき、私たちはそれを次のように読みます。“もしあなたが罪を犯していないと言うなら、あなたは彼を嘘つきにし、キリストは私たちの中にいません、ほら、ほら。さて、それは。… ほら、自分が罪を犯したと言うとき。..罪を犯していないと言うとき、あなたは間違っています。あなたは生まれ変わらなければなりません。
93. さて、罪とは何でしょうか?誰がそんなことを言ったの、誰か?不信仰。聖書にはそう書いてありました。罪はただ一つ、それは不信仰です。そうだね。“信じない者はすでに罪に定められている、” 参照。だから一つの罪は。…
さて、もしあなたが言うなら、“さて、ちょっと待ってください。彼らは昔、そのような聖霊を受けていたかもしれないと思いますが、私はそうではないと思います。”
“しかし、兄弟よ、聖書には「約束はあなたとあなたの子供たちに対するものです」とありました。” “わかってるけど。…” あなたは罪を犯しています。あなたはそこで罪を犯しています。あなたは神の言ったことを信じていません。
94. “そうですね、私たちはそれを教えられています。…” 何を教えられても構わない。聖書にはこう書いてありました。.. 彼は言った、「“すべての人の言葉を嘘にし、私の言葉を真実としましょう。」” よし。あなたはこう言います、“まあ、基本的に彼は同じですが、私はそうではありません。。 つまり彼は同じということですか?” “そうです、教会でイエスがここにいたときと同じことをしているのです。”
“ああ、それは信じられない。” あなたは罪を犯しています。あなたは罪を犯しています。そして、神、聖霊から生まれた人は、そのようなことを言わないでください。そして、もし彼が聖霊を持っていると言って、そのようなことを言ったとしたら、それは彼が聖霊を持っていない証拠です。彼が何をしたかは気にしない。もし彼が神の癒しを信じないなら、復活の力を信じないなら、聖霊が最初の時代にまさにそうであったように私たちに注がれることを信じないなら、昨日、今日、そして永遠に同じ神、使徒たちが行ったのと同じことが今起こっていて、異言を話し、喜び、その他すべてのこと; もし彼らがそれを信じないなら、 彼は神から生まれたのではない。なぜなら、神から生まれた者はそのようなことをしないからです。それが彼らが神から生まれたかどうかを見分ける方法です。
95. あなたは言います、“彼らがここでしたように、私たちは聖霊を受けると信じていますか?私はここ聖書の使徒行伝第2章を読んでいたのですが、そこにはこう書かれていました。「聖霊を注いだとき、彼らは酔っているかのようによろめき、外に出て、その人々の言語で話したり、そのようなことをしました。酔っている人のように振る舞い、教会は彼らが酔っていると思った。」 今日、バプテスト教会、バプテスト教会、メソジスト教会、長老派教会、それが何であれ、私たちが聖霊を受けるとき、私たちはそんなことをしているとは思えません。” “まあ、言っておくけど、それは12人だけのものだったんだよ。” 彼は罪を犯している。聖書にこう書かれているので、彼は神の霊から生まれたのではありません。“神の霊から生まれた人は信じません。彼は信者です、そしてそれはできません。。” なぜ?なぜ?ああ、ここだ。鳩は彼の中にいて、彼を導いています。For the Spirit of God is in him, and he cannot deny it; he cannot。神の霊は彼の中にあり、彼はそれを否定することはできない。それが神の霊であるなら、神はご自身の言葉を否定しません。自分の言葉を否定したら、私は嘘つきになってしまいます。そして、もしあなたが神の霊を手に入れたと言って神の言葉を否定するなら、それは神が嘘つきであるか、あなたが嘘つきであるかのどちらかです。そして聖書は言いました、“すべての人の言葉を嘘にし、私の言葉を真実としましょう。” そして、神の御霊から生まれた人は、神の言葉に同意することはできません。彼はそれが正しいと言わなければなりません。彼は他に何もできない。いいか これが真実だ。
96. 神から生まれた者は罪を犯さない。子孫のために。..
神の種とは?約束は…… アブラハムは。…の種を持っていました。今の種は何ですか?キリスト。キリストは神の種ですか?そうでない場合、彼は誰の種ですか?よし よし。彼は神の種だ。
神の種は彼の中に残ります。聖霊は、会ってから会うまでではなく、永遠に留まるようになります。さて、もしあなたがこれを書き留めたいなら、エペソ人への手紙 4:30: “贖いの日まで封印される神の聖霊を悲しんではなりません。” 神の種は彼の中に残り、彼は神から生まれたので罪を犯すことはできません。彼は神の言葉を信じないことはできません。
98. 質問: 復活において私たちはどのような似姿になるでしょうか?
降りたときと同じように。まさに、復活。… これを考えてみてください。この本は床に落ちます[ブランハム兄弟が本を落とします。]、そして私はこの本、別の本を取り出して交換します。それは復活ではありません。復活とは “倒れたのと同じものを持ち出すことです。” イエスは復活されたのか?彼らは彼を知っていましたか?イエスは彼らと同じイエスと一緒に立っていたのでしょうか?“そして、取り上げられたこの同じイエスは、あなたが見たのと同じ方法で再び来られます。” 復活はあなたが死ぬときと同じです;それがあなたが立ち上がる方法です。You die as a human in flesh; you rise as a human in flesh。あなたは肉において人間として死ぬ; あなたは肉において人間として立ち上がる。まさにそれです。つまり復活も同じです。あと 2 時間かけて取り組むこともできますが、始めないほうがいいでしょう。
99. なぜなら、かつて悟りを開き、天の賜物を味わい、聖霊にあずかった者たちにはそれは不可能だからです
そして神の良い言葉と来るべき世の力を味わったので、
もし彼らが堕落するなら。..悔い改めのために再び自分自身を新たにするために;彼らが神の子を新たに十字架につけ、公然と恥をかかせるのを見て。
それはそのまま進み、それが何であるかを伝えます。。 さあ 見て。先日の夜、それを食べました。それを説明したとき、ここに何人いましたか?わかりました、それではそれが何であるかわかります。ほら、それは境界線の信者たちです。
102. …もし私たちが真理の知識を得た後に故意に罪を犯すなら、罪のための犠牲はもう残らないでしょう。
さて、そのうちの 1 つはあなたがそれを味わったところであり、もう 1 つはあなたがそれを受け取り、知識を得た場所です。では、もしあなたが罪を犯したら—何?信じない。さあ、二人ともどのように読んでいるかを見てください。“真実の知識を得た後、故意に信じないなら。…” ちょっと待ってください、ここで説明させてください。
もし私たちが堕落して、自分自身を新たにするなら。…
…かつて悟りを開き、天の恵みを味わい[それを味わった、参照]、聖霊にあずかる[参照]人々にとっては、それは不可能です。
そして神の良い言葉と来るべき世界の力を味わったのです。
そして彼はここでこう言っています。「もしあなたがたが、地に雨が降り注ぐように、いちじくのように、いちじくのように、いちじくのように、聖霊が降って、ああ、あなたがたは他の者たちと同じようにそれを楽しんだ。しかし、手を入れて、そこに下って、主のために働くことに関しては、 そして、それについて何かをする、いいえ、いいえ、それはできません、ほら。そうすれば、神の霊があなたの中にないことがわかります。それから、あなたはついに自分自身を締め出します。“誰の端が焼かれるのか。”
103. なぜなら、もし私たちが故意に信じないなら[さて、私の聖書では、それがどこにあるのかをここにマークしています。。 ここには “m” の余白があり、次のように書かれています: sin —不信仰、故意、見て、見て。] 故意に。.. 真理の知識を得た後、罪のための犠牲はもう残っていません。[すべてがあなたに良くされ、神があなたにそれを捧げた後、あなたが立ち去って故意に神を断るならば。.. 参照。]
しかし、ある恐怖に駆られた者は、裁きを求めて激しい憤りを感じ、それが敵を食い荒らすであろう。
モーセの律法を軽蔑した者は、二、三人の証人の下で容赦なく死んだ:
…神の子を踏みにじり、聖別された不浄な契約を数えた者は、たとえふさわしい者であっても、どれほどひどい罰を受けるだろうか、とあなたは思う。恵みの働きにもかかわらず行われたのでしょうか?[ああ、なんてことだ!]