聖霊にある質疑応答

Questions & Answers On The Holy Ghost

聖霊にある質疑応答

ジェファソンビル インディアナ州 アメリカ合衆国

説教番号: 59-1219

日付: 1959年12月19日(59-1219)

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1. 今夜は、ここ幕屋の仲間の一人であり、ユーティカにあるホーリネス教会の牧師であるグラハム兄弟が共におられることを嬉しく思います。また、ジャクソン兄弟も昨晩ここにおられたと思いますが…今も会衆の中におられると聞いております。はい、あそこにジャクソン兄弟が見えます。
ラデル兄弟は今夜来ておられるでしょうか?あの方も“62”の向こうにおられる仲間の一人です。こうして皆さんをお迎えできて嬉しく思います。そして…ああ、パット兄弟や、ここにおられる他のすべての兄弟姉妹の皆さんも。今夜ここにおられる皆さんすべてを、心から歓迎いたします。

2. さて、私の妻ですが…彼女は私の“矯正役”なんです。兄弟の皆さん、分かりますよね。昨晩、後ろの方にいた人たちが私の声を聞き取れなかったと言うんです。私がこのマイクに向かって話していたせいで、と。
それで、始める前にちょっと試してみましょう。これでどうでしょう?後ろの方、よく聞こえますか?それとも、こっちの方がいいですか?こっちの方がいい?ああ、そうですか。
さて、ハニー、今回はあなたに一本取られましたね。皆さん、こっちの方がいいと言っていますから。よし、それでいきましょう。ああ、まったく!これが“女性”というものですね。いいところを突かれました。こんなふうに一本取られるのは久しぶりですよ。だいたい彼女は正しいんです。

3. それで、テープのことですが、昨晩の分を除いては全部あります…。私はゴード兄弟に電話して、幕屋のためにそのテープを取りに来てもらうように頼んだのです。ところが、ビリー・ポールが車に乗って出かけてしまっていたと私は聞いたものですから、私の知る限り、そのテープは録られなかったのです。
それで、その一本を逃してしまいました。私はあれを教会のために、教会に残しておきたかったのです。つまり、私たちが何を信じているのかを、誰かが聞けるようにしておきたかったのです。

4. そして明日の朝は癒しの集会です。病んでいる方々のために祈ります。ただし、「あなたも、あなたも、あなたも前に来なさい」といったやり方はいたしません。それは正しくありません。まずカードを配り、その中から何人かをプラットフォームにお呼びします。そして聖霊が働き始め、明らかにされていくならば、その働きは会衆全体に広がり、会場にいる方々の中からも癒しが起こっていくのです。
そして明日の朝は、主が許されるなら、癒しの集会の前に少しお話しする予定です。
ああ、今、私の妻が笑っているのが見えます。ハニー、ちゃんと聞こえているかい?…ああ、聞こえているんですね、それなら良かった。彼女はいつも後ろの方に座っていて、もし聞こえないと、こうやって首を振るんですよ、「聞こえない、聞こえない」って。

5. そして明日の朝…いえ、明日の夜には、「ひとつのしるしが与えられた」という題でお話ししたいと思っています。
さらに、もし水曜日の夜ここにいることができ、主がお許しくださるなら、その晩は「私たちは東にその星を見て、彼を礼拝するために来た」という題でお話ししたいと思っています。ちょうどクリスマス・イブですからね。
それから、クリスマスの直後はクリスマス休暇の週に入ります。その時に、私たちは手紙を全部集めるのです。たいていメルシア兄弟たちがそれを全部取りまとめてくれます。そしてその手紙をすべて並べて、その一つ一つの上に祈り、世界のどこへ行くべきかを主が導いてくださるよう求めるのです。

6. しかし、主はどうもノルウェーへ導いておられるように感じます。なぜかは分かりません。「Man Sent From God」という小さな本をご存じでしょう。あれはノルウェーで最も大きな宗教出版物なのです。主があの地でなされたことを思ってみてください。私がそこに行ったとき、病人に手を置くことは許されませんでした。三晩そこにいましたが、手を置くことは許されなかったのです。しかし、それでも神がどんなことをなさるかをご覧ください。群衆はあまりにも多く、警察が馬に乗って人々を通りから整理しなければならないほどでした。私は病人に手を置きませんでしたが、彼らのために祈りました。そして互いに手を置き合うようにしてもらったのです。
さて……(誰かがブラナム兄弟に話しかける)ええ、もちろんそうします。
では、明日の朝ですが……今夜はまず、この質問に入りたいと思います。本当に良い質問がいくつもありますので、主がどれだけの時間それに導かれるか分かりません。
それから明日の朝は、ビリー・ポールか、ジーンか、レオのいずれかが、7時半から8時の間に来て祈りのカードを配ります。遠方から来られている方々に、もう一度お伝えしておきますので忘れないでください。もし祈りの列に入りたい方がおられるなら、できれば遠方から来られている方を優先したいと思います。

7. また町の人たちについては、「ああ、あの人たちは知っているから分かるんじゃないか」と言われます。さらに、「いや、あれは祈りのカードがあるからだ」と言う人もいます。では、祈りのカードを持っていない人はどうなるのでしょうか。
こういうことが、日ごとに繰り返されてきたのです。
(マイクから少し離れるように言われて)マイクから離れた方がいいですか?そうですね、私はいつも“真ん中の道”を行くようにしていますから、このくらいでやってみましょう。これでいいですか?よし、それでいきましょう。
実はこういうことなんです。この会場の音響設備はあまり良くないのです。本当に良くありません。でも今はそれを改善しようとしていません。なぜなら、新しい幕屋をすぐにでも建てたいと考えているからです。そのときには十分なスペースも確保できるでしょう(分かりますね)。この場所をもう少し広げて、いくつか設備も増やして、ここで集会を行う準備を整えたいと思っているのです。

8. 私は先ほど、どうしてカードを配るのか、なぜそうするのかについて話していました。それは秩序を保つためなのです。分かりますか。もし私が今ここに入って来て、「この婦人、この婦人、あの男性、それからこの婦人…」というふうに呼び始めたら、どうでしょう。そうなると少し…なかなか難しくなるでしょう。
それで、もしあなた方が……。私はこれまで何度もこうしてきましたし、明日の朝あまり人数が多くなければ、同じようにするかもしれません。「この中で町の外から来られていて、どこか具合の悪い方は、立ってください」と言うのです。

9. (マーシア兄弟が答える。)
おお、そうですか……彼は自分自身を助けに来たんですね。今日、私はあなたのガールフレンドと話しましたよ。だから、私には本当によくしてくれないといけませんよ。よし、それでいい。
その勇気は立派だと思いますよ、レオ兄弟。正しくないことがあれば、私たちにできる限り、最善を尽くして正しくしていこうではありませんか。
それで、町の外から来られていて、どこか悪いところのある方々に手を挙げてもらうのです。そしてその中の一人に意識を集中して、聖霊が働き始めるまでそのままにしておく。そうすると、その働きは会衆全体に広がっていくのです。ここでそれがなされるのを見たことのある方は、どれくらいおられますか。もちろん、たくさんおられますね。
ですから、どちらのやり方であっても問題ではないのです。ただ……。

10. 異邦人に与えられている福音は、「行い」ではなく「信仰」の福音なのです。分かりますか。昨晩もお話ししたように、
使徒行伝の中で、ペンテコステの日に聖霊が下ったときのことを見てください。ユダヤ人のところに行ったとき(19章5節)、彼らが受けるためには手を置く必要がありました。またサマリヤ人のところに行ったときも、手を置く必要がありました。
しかし、異邦人のところ、つまりコルネリオの家に来たときにはどうだったでしょうか。
「ペテロがこれらのことばを話している間に…」
そこには、手を置くことは一切ありませんでした。

11. しかし、ローマの百人隊長――異邦人ですね――はこう言いました。「あなたが私の屋根の下に来られる資格は、私にはありません。ただ、おことばを語ってください。」
それで十分だったのです。ここがポイントです。
また、スロ・フェニキアの女(実際にはギリシャ人ですが)が来たとき、イエスはこう言われました。「子どもたちのパンを取って、子犬に投げてやるのはよくない。」
すると彼女はこう言いました。「そのとおりです、主よ。でも、食卓の下の子犬でも、子どもたちのパンくずはいただきます。」
イエスは言われました。「そのことばのゆえに、あなたの娘から悪霊は出て行った。」
ですから、良いことばを語りなさい。誰かについて良いことを言いなさい。イエスについて語りなさい。真実で、誠実なことを語りなさい。そうすることが、悪霊を追い出す道なのです。
主はその少女のために祈られたわけでもなく、癒しについて何かを言われたわけでもありません。ただ、「そのことばのゆえに」と言われただけでした。

12. 「ハッティ、何でも欲しいものを求めなさい。あなたが持っている必要でも、望んでいることでも、何でもよい。これが本物かどうか確かめてみなさい。何でも求めなさい。そこに座って身を縮めている、あの足の悪い小さな妹の癒しでもよい。向こうの丘で苦労して掘り働きをしなくて済むように一万ドルでもよい。すっかり弱ってしまったあなたの体に若さが回復することでもよい。何でも求めたいことを、今この場で求めなさい。もしそれが今ここであなたに与えられないなら、私は偽預言者だ。」
これはすごいことではありませんか。
イエスは、「この山に向かって言いなさい…」と言われました。あなたがたも、今起こっていることについて聞いてきたでしょう。これこそ、私たちが今入りつつある働きなのです。私たちはもう、ずいぶん道の先の方まで来ています。主イエスの来臨は間近です。
そして私たちには、瞬く間に変えられて出て行くことのできる、携挙の信仰が教会の中に必要なのです。そうでなければ、私たちは出て行くことはできません。しかし心配しないでください。それは来ます。必ず来ます。
この教会の力が立ち上がる時、その力はその兄弟たちを引き上げるでしょう。あの教会の力が立ち上がる時も、その兄弟たちを引き上げるでしょう。また別の教会の力が立ち上がる時、他の兄弟たちを引き上げるでしょう。そしてその時、全体的な復活が起こるのです。
私たちはそれを待ち望んでいます。

13. 若者たちは皆さんの前でカードをよく混ぜますから、欲しい方は取ってください、という形になります。それから私が来たときには…主が示されるままに呼びます。もし主が「一人も呼ぶな」と言われるなら、私は一人も呼びません。すべてはその導きのままです。
そして、このミニストリーは、実のところ、だんだんと終わりに近づいています。もっと大きなものがやって来ているのです。覚えておいてください。これまでこの講壇から何度も語られてきたことですが、それは一度も外れたことがありません。
かつて「手のミニストリー」について話したのを覚えていますか。それがどんな働きをしたか。そして「心の思いを見分ける」働き、それが何をもたらしたか。では、次を見てください。「ことばを語る」こと、それが何をもたらすかを見てください。
私は数年前、この教会に向かって(幕屋の皆さんに話しています)、何かが具体的に現れ始める、と言いました。それが起ころうとしている、と。それが今、まさに現れ始めているのです。形を取りつつあるのです。
私たちはそのことに心から感謝しています。本当に、どれほど感謝していることでしょう。とても喜んでいるのです。

14. 誰かが、私が持っているこれらの本を見て、「賢い人は一冊あれば十分だ」と言いました。しかし私は賢い人ではありません。いろいろ調べるために、たくさん必要なのです。
これはディアグロットで、これは聖書、そしてこれはコンコーダンス(用語索引)です。ですから…
ただ主に助けていただき、これらの質問に対して、主の御心と御言葉に従って正しく答えられるよう導いていただこうではありませんか。

15. 主よ、私たちはこの三晩の間にあなたが私たちのためにしてくださったことに対して、心の底から感謝いたします。あの奥の部屋で、奉仕者たちが互いに手を取り合い、信仰が新たにされ、新しい一歩を踏み出しているのを見ることができました。電話で呼びかけがなされ、私たちの心は喜びに満たされました。
また、人々があなたの御言葉を見て、それが聖霊をどのように受けるかを一歩一歩はっきりと示しているのを知り、そして実際に聖霊を受けていくのを目の当たりにしました。そのことを心から感謝いたします、主よ。
あなたは私たちのために物事をとてもシンプルにしてくださいます。なぜなら、私たちはシンプルな者たちだからです。どうか神よ、私たちが常に自らを低くし、単純であり続けることができるよう助けてください。へりくだる者が高くされるからです。
そして、この世の知恵は神の前では愚かであり、神は宣教の愚かさを通して、失われた者たちを救うことを良しとされたのです。

16. ですから主なる神よ、どうか聖霊が私たちの上に臨み、これらのことを明らかにしてくださるよう祈ります。聖書には「求めなさい、そうすれば与えられる。探しなさい、そうすれば見いだす。たたきなさい、そうすれば開かれる」と書かれています。今まさに私たちはそれを行っております。主よ、あなたの憐れみの扉をたたいているのです。あなたの聖なる義の陰に立ち、私たちは神のキリストの血と聖霊を求めて願い出ております。
今夜ここに来ているのは、単にこの三晩の聖霊についてのメッセージの延長としてではありません。私たちは深い畏敬と真実な心をもって来ています。まるでこれが地上での最後の夜であるかのようにして来ています。あなたが私たちの祈りに応えてくださると信じて来ています。
主よ、どうか今、あなたの永遠のいのちによって私たちを満たしてください。あなたの御言葉に答えてくださるとき、聖霊が……ああ神よ、あなたご自身が私たちのただ中におられることを見いだした今、どうか今夜、私たちが願っていることを明らかにしてください。
それはただ、私たちの魂が安らぎ、心が平安を得て、神に対する信仰をもって前進し、約束された祝福を受け取るためなのです。
この祈りを、イエスの御名によっておささげいたします。アーメン。

17. 昨晩は多くの方がおられましたが、ほとんどが祈りのリクエストでしたね。そしてマーティン兄弟は、ヨハネ3章16節…いや、確かヨハネ3章だったと思いますが、「人は水と御霊によって生まれなければ、神の国を見ることはできない」という箇所について質問されました。そして、私が以前ヘブル人への手紙について送ったテープと比較しておられたのです。
昨晩、この後ろの部屋で彼にお会いし、正式にここで答える前でしたが、その場でその件についてお話ししました。
さて、昨晩ここにおられなかった方はいらっしゃいますか?手を挙げてみてください。ああ、ぜひ一緒にいていただきたかったですね。本当に素晴らしい時を持ったのです。聖霊が……。

18. これはこの幕屋で録音されているものであり、私たちは自分たちの会衆に教えているのです。ここにはさまざまな信仰を持つ牧師の方々も来ておられます。
ですから、この主題にもう一度少し戻りたいのです。昨晩ここに入れなかった私たちの仲間も、今夜は来ておられるのが見えますので、もしよろしければ、ほんの少しだけ昨晩お話しした内容を振り返らせてください。
それはペンテコステ、そして聖霊を受けることについてでした。

19. 英語の言葉というのは、しばしば一つの単語にいくつもの意味があります。たとえば「board」という言葉を考えてみてください。「彼を退屈させた(bore)」という意味にも取れますし、「食事代を払った(paid his board)」という意味にもなります。また「家の横の板(board)」という意味にもなります。こういうふうに、いくつもの意味があるのです。ですから、文全体の中で意味を取らなければなりません。
「see」という言葉も同じです。「理解する」という意味にもなりますし、「海(sea)」とも同音ですし、「見る」という意味にもなりますね。
このように言葉にはいくつもの意味がありますが、昨晩私が使徒行伝2章から取り上げた箇所で、「炎のような舌が彼らの上にとどまった」と書かれている、その言葉について、もう一度少し戻ってみたいと思います。
もしよろしければ、先に進む前に、ほんの少しだけそれを振り返ってみましょうか。

20. 今日でも、多くの人が、私の姉妹でさえ、何人も電話してきて、こう言ったのです…。モーガン姉妹のことですが…。昨晩も多くの方がここにおられました。モーガン姉妹は、もうだめだと見放されていた私たちの姉妹の一人で、16年か17年前にルイヴィルで癌のために死の宣告を受けていました。今夜も後ろの方に座っておられると思います。彼女は、私がマイクに向かって直接話していたので、よく聞こえなかったと言っていました。ですから、その方たちのために、これを少しもう一度たどりたいのです。
では、使徒行伝2章から読みます。
「五旬節の日がついに来て、皆が思いを一つにして同じ所にいた。」
さて、私は “one accord(一致して)” よりも、こちらの “one mind(思いを一つにして)” の方が好きです。というのは、人はたいていどんな題目についてでも一応の一致はできますが、ここでは彼らの思いそのものが一つだったのです。
「思いを一つにして、同じ所にいた。」
「すると突然、激しい風が吹いて来るような響きが天から起こり、彼らが座っていた家全体に満ちた。」
ひざまずいていたのでもなく、祈っていたのでもなく、座っていたのです。
「すると、火のような、分かれた舌が彼らに現れ、」
T-o-n-g-u-e-s ― “tongues(舌)” です。
“Divided(分かれた)” とは、「分けられた」という意味です。
「舌が彼らに現れ、火のようであって、ひとつが」
“one” ― 単数です。
「彼ら一人一人の上にとどまった。」
「そして彼らは皆、聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、ほかの国々のことばで語り始めた。」
“And” ― 接続詞です。
「皆、聖霊に満たされた」のです。
「さて、エルサレムには、天下のあらゆる国から来た敬虔なユダヤ人たちが住んでいた。」
「この物音が起こると、群衆が集まって来て、ひどく当惑した。というのは、めいめいが彼らの語るのを、自分の国のことばで聞いたからである。」

21. さて、「舌」と「言語」との間には大きな違いがあります。私たちにはどちらも同じように思えますが、ギリシャ語では「tongue」というのは、こういうものを指します、とブラナム兄弟が示しているわけです。つまり、耳がこれであるように、舌はこれ、ということです。分かりますか。これは「言語」という意味ではなく、あなたの体の一部である「舌」を意味しているのです。
もし注意して見れば、これは「火の舌」と訳されていますが、それは「舌のようなもの」という意味です。ちょうど火のひと舐めのように、細長く伸びた炎のようなもの、ということです。
ですから、ここをよく見てください。この強調点をしっかり見てください。そして、それぞれの箇所を見落とさないでください。
今夜は、ちょっとした実演のような形で進めてみましょう。そして、それをどう受け取るかは皆さんに委ねます。覚えておいてください。もし何かが受け入れがたい、あるいは違うと思われるなら、それは皆さんに委ねられています。
しかし、人が神から何かを受け取ることができるただ一つの道は、信仰によるのです。そして、あなたが何かを受け取る前には……。

22. 神と御言葉に対しても同じです。だからこそ、これらの幻や、あの火の柱、そういったすべてのことがあるのです。神がそれを約束されたからです。神がそう言われたのです。私は御言葉によってそれを試し、それが真理であることを知りました。そして御言葉に従うのです。
もしどこかに少しでも混乱があるなら、どこかに何か間違いがあるのです。なぜなら神は(よく聞いてください)、ご自身の定められた法則に反して働かれることは決してないからです。冬が夏に来ることはなく、夏が冬に来ることもありません。春に葉が落ちて、秋に芽吹くようなこともありません。それはあり得ないのです。

23. 確かに、その野原を照らすだけの電気は存在しています。そうです。この部屋にも、あの照明がなくても明るくできるだけの電気はあるのです。しかし、それを正しく扱わなければなりません。どれだけ叫び続けても、何も起こりません。でも、電気の法則に従って使えば、光が得られるのです。
神についても同じです。神は天地の偉大な創造主であり、昨日も今日も、そしていつまでも変わらないお方です。今もなお神であられます。しかし、神はご自身の定められた法則と指示に従うときにのみ働かれるのです。
皆さん、私はこれを言います。これまで一度もそれが外れたことを見たことがありませんし、これからも決して外れることはありません。

24. ルカによる福音書24章49節で、使徒たちに使命をお与えになりました。
彼らはすでに御言葉によって救われていました。主イエスを信じることによって義とされ、そして
ヨハネによる福音書17章17節で、イエスが言われたように聖別されていたのです。
「父よ、真理によって彼らを聖別してください。あなたの御言葉は真理です。」
そしてイエスご自身が、その御言葉でした。
さらに主は彼らに、病人を癒し、悪霊を追い出し、死人をよみがえらせる力を与えられました。そして彼らは喜んで帰って来ました。彼らの名は小羊のいのちの書に記されていたのです。これについても、これまで見てきましたね。
しかし、それでもまだ彼らは「回心して」いなかったのです。イエスは十字架にかかられる前の夜、ペテロにこう言われました。
「あなたが立ち返ったときには、兄弟たちを力づけてやりなさい。」

25. あなたは……聖別の段階で御霊によって宿された者となります。しかし、聖霊が内に来られるまでは、まだ御霊によって生まれたのではありません。その通りです。
赤ちゃんは母の胎内ですでにいのちを持っています。小さな筋肉がぴくぴくと動いています。それはいのちです。しかし、鼻にいのちの息を受けて呼吸するとき、そのいのちはまた別のものになります。違うのです。まさにそれと同じことです。
愛するメソジストの兄弟方、ピルグリム・ホーリネスの方々、ナザレンの方々、聖霊のバプテスマは聖別とは別のものです。聖別はきよめであり、いのちのための準備です。しかし、聖霊が来られるとき、それはいのちそのものなのです。
準備とは器をきよめることです。聖霊とは、その器を満たすことです。
聖別とは「きよめられ、奉仕のために取り分けられること」を意味します。聖霊は、その器を実際の奉仕の中に入れるのです。あなたは、神がきよめてくださった器なのです。

26. 神はご自身を低くされ、人のところまで降りて来られました。人はエデンの園で罪を犯し、神との交わりから切り離されてしまったため、そのままでは神に触れることができなかったのです。
それでどうなったかというと、神は人の上におられるしかありませんでした。雄牛や山羊の血では、人と神との交わりを回復することはできませんでした。ただ律法と規定によって、これから来るべき時――雄牛や羊のいけにえがささげられること――を影として示していたのです。
しかしやがて、神ご自身が降りて来られ、聖別された体の中に宿られました。女から生まれた処女降誕の体の中にです。それが神ご自身でした。
神が何をされたか分かりますか?ただ…私たちの間にご自身の幕屋を張られたのです。神はイエス・キリストと呼ばれる幕屋の中に住まわれました。私たちの間にご自身の幕屋を張り、共に住まわれたのです。
(これは明日の朝に詳しく語るつもりなので、ここでは控えておきますが…)
このようにして神は、私たちと共に住まわれたのです。

27. ヨハネによる福音書14章でこう言われました。
「その日には、わたしが父のうちにおり、父がわたしのうちにおられ、そしてわたしがあなたがたのうちにおり、あなたがたがわたしのうちにいることを、あなたがたは知るようになる。」
神が私たちの内におられるのです。では、その目的は何でしょうか。ご自身のご計画を成し遂げるためです。
神にはご計画がありました。人の間で働くことを望まれたのです。それでまず、イスラエルの子らの上にかかっていた神秘的な火、すなわち火の柱のうちにご自身を現されました。そしてその同じ火が、イエスのからだの中に現されたのです。
そして主は、ご自分がその火であると言われました。
「アブラハムのある前から、わたしはあるのだ。」
主はその火だったのです。さらにこうも言われました。
「わたしは神から出て来たのであり、また神のもとに帰るのである。」
そして、主の死と埋葬と復活の後、まだサウロと呼ばれていた聖パウロがダマスコ途上でその方に出会いました。そのとき主は、再びあの火の柱の姿に戻っておられたのです。その光が彼の目を見えなくしました。まさにその通りです。
そして今日も、ここにおられるのは同じ火の柱、同じ神であり、同じしるしを行い、同じわざをなしておられるのです。なぜでしょうか。ご自分の民の間で働いておられるからです。主は私たちの内におられます。
「今はあなたがたと共にいるが、やがてあなたがたの内にいるようになる。世の終わり、完成の時に至るまで、わたしはあなたがたと共にいる。」
主は私たちと共にいてくださるのです。

28. 私はこう信じます。どんな説教者であっても、神から遣わされた者であるとか、正しく任命された者であるとは言えません……なぜなら神は無限であり、神が一度なさることは、いつでも同じようにされるからです。
もし神が、彼らがペンテコステに行き、ペンテコステの経験を受けるまでは説教することを許されなかったのであれば、今日においても、どんな人であっても――個人的な強い願望や、ある組織によって任命されたからといって――聖霊に満たされるまでは、講壇に立つ権利はないのです。
それはまったくその通りです。なぜなら、その人は聖霊に満たされるまでは、何らかの組織の知的な理解によって人々を導いているにすぎないからです。しかし聖霊に満たされたとき、初めて彼は「鳩の食べ物」を与えるようになるのです。昨晩お話しした「子羊と鳩」のことを思い出してください。

29. それで彼らはどうしたでしょうか。男も女も合わせて120人ほどがいました。彼らは神殿の中の屋上の部屋、いわゆる「屋上の間」に集まりました。
ちょうどその時は、過越の小羊がささげられ、聖所がきよめられてから、ペンテコステ(五旬節)へと向かう時期でした。ペンテコステは収穫の初穂であり、いわば喜びの年、ペンテコステの祭りでした。
さて、私は東洋の国々にも行ったことがありますが、あちらでは建物の中に階段があることは少なく、外側に階段があることが多いのです。この神殿も同じように、外側に階段があって、それを上へ上へと登っていくと、小さな部屋にたどり着くのです。まるで倉庫のような、神殿の上にある小さな部屋、それが「屋上の間」です。
聖書には、彼らがそこにいて、戸を閉めていたと書かれています。なぜならユダヤ人を恐れていたからです。大祭司カヤパや、ポンテオ・ピラトたちがイエスを死に渡した後、主イエスを礼拝する者たちを捕らえようとしていたからです。いわゆる「クリスチャン」と呼ばれる者たちを一掃しようとしていたのです。
ですから彼らは戸を閉めて、そこでただ待っていたのです。

30. カリフォルニアのクリフトンズ・カフェテリアに行ったことがある方なら、地下にそのような「屋上の間」に似たものがあります。ゲッセマネの園に行く前に、東洋風の部屋に入るのですが、そこにオリーブ油を入れた小さなランプがあり、羊毛の芯で灯っているのを見ることができます。まさにそのような感じだったのです。
さて、彼らは外の階段を上って、上へ上へと登っていきました。そしてユダヤ人を恐れて、そこに身を隠したのです。イエスは「屋上の間に行け」とは言われませんでした。ただ「エルサレムで待て」と言われただけです。
下の家にいたのでは、いつ何が起こるか分かりません。彼らが来て捕らえるかもしれません。ですから彼らは、ずっと上の方にある小さな屋根裏の部屋のような場所に行き、そこに閉じこもりました。ユダヤ人が入って来られないように戸を閉ざして、そこで十日間待っていたのです。

31. 建物の外側に小さな階段があり、それを上って彼らはその小さな部屋に入っていきました。一方で、下の神殿ではペンテコステの祭りが行われていました。ああ、そこでは大きな賑わいがあったのです。
そして五旬節の日が満ちたとき、彼らは皆「一つの思い」になっていました。一つの思いで、神が約束を送ってくださると信じていたのです。
今夜ここにいる一人一人も、同じ思いに入ってみてください。何が起こるか見てください。それは必ず繰り返されるのです。彼らに与えられたのと同じ約束だからです。
彼らは何をしていたのでしょうか?指示に従っていたのです。神の定めに従っていたのです。「待ちなさい」と言われた、そのとおりに。

32. すると突然、激しい風のような響きが起こりました。実際に風が吹いたのではなく、「激しい風のような」ものだったのです。訳者の注釈については、あとで少し読みます。それは「激しい風のような」ものでした。言い換えれば、超自然的な風のようなものだったのです。ああ、彼らにはそれを感じることができたのです。その風は彼らの内に来たのです。
激しい風のようなものが起こりました。風そのものが吹き荒れたのではなく、何かが
「ゴォーッ」
と通るような響きだったのです。皆さんもそういうものを感じたことがあるでしょう。ああ、何ということでしょう。激しい風のようだったのです。
そして、それが満ちたのです。ここでは「すべての」とありますが、ギリシャ語では「家全体」となっています。大文字で書くほどの「全体」です。その場所の至るところ、あらゆる隙間、隅、裂け目にまで、それが満ちていたのです。
「兄弟たちよ、あなたが感じているものを私も感じますか」などという程度ではありませんでした。そうではなく、それは激しい風のように、その場全体に及んでいたのです。
よく見てください。
「激しい風のような響きが起こり、」
この “and” は接続詞です。ここをよく見てください。これを見落とすと、書いていないことを読んでしまうことになります。
「そして、…のような」
つまり、最初に起こったのは、激しい風のようなものが彼らの上に来た、ということです。
「そして」
昨晩も言いましたが、私が店へ行ってパン一斤と肉を買ったとしたら、それは二つ別のものです。パンは一つ、肉は別の一つです。同じように、彼らに臨んだその“響き”は一つのことであり、
「そして彼らに現れた」
彼らの前に現れたのは、
「分かれた舌」
だったのです。

33. 一つ目は、あのエメラルド色の光です。あれはまさにそのように見えるのです。分かりますか。
もう一つは、戒めが書かれたあと、その大きな火の柱から、小さな炎の先のようなものが飛び出していくのに気づきましたか。ご覧になりましたか。さて、私はペンテコステで起こったのは、まさにそのようなものだったのではないかと思うのです。
「彼らに現れた」とあるのです。ですから、それは彼らが見ることのできるものでした。聖書は「それが彼らの中に落ちた」とは言っていません。そうではなく、「彼らに現れた」と言っているのです。いわば、小さな炎の先のようなもの――ここではそう呼ぶことにしましょう――「舌」、つまりこの舌のような形をした、炎のひと舐めのようなものです。
先ほども言ったように、耳は耳ですし、指は指です。指という言葉は、何かを指で感じたという意味ではなく、「指のように見えた」ということです。耳であっても、それは何かを聞いたという意味ではなく、「耳のように見えた」ということです。
ここで現れたのは、話している誰かの舌ではありません。舌のような形をした火だったのです。

34. 「すると突然、激しい風のような響きが起こった。」
――これが3節です。
「そして、分かれた舌が彼らに現れた。」
ここで言っているのは、「分かれた舌が彼らの中にあった」とか、「彼らが分かれた舌で語っていた」という意味ではありません。そうではなく、「分かれた舌が彼らに現れた」のです。よく見てください。まだ彼らの上にさえ来ていないのです。ただその場にあって、この風のように部屋の中を巡っているのです。
「彼らに現れた、火のような、分かれた舌が。」
つまり彼らの前に現れたのです。
「火のような舌」
そして
「ひとつが」
――単数です――
「彼ら一人一人の上にとどまった。」
「彼らの中に入った」のではなく、
「彼らの上にとどまった」のです。
ここで、キング・ジェームズ訳だと少し印象がずれてしまうのが分かるでしょう。「裂けた舌が彼らの上に来た」とか、「彼らの上にとどまった」――キング・ジェームズではどうなっていますか?――「彼らの上に座した」となっていますね。しかし、もちろん火が上って行って“座る”わけではありません。
原文では、「彼ら一人一人の上にとどまった」となっているはずです。そうですね、正確に見ると……ええ、その通りです。
「彼ら一人一人の上にとどまった。」
つまり、ひとつの火の舌が、一人一人の上にとどまったのです。お分かりになりますか。
これが第二に起こったことです。
第一は、風のような響き。
第二は、火の舌が現れたこと。

35. すると一人が言います。「ああ!」
部屋のあちこちを見回すと、それは建物全体に満ちていたのです。そして彼らは言います。「見てごらん!」――火の舌が建物の中を巡るように現れてきたのです。
そして、その火の舌が現れました。ここで次を見てください。
「そして(And)」――もう一つのことが起こったのです。
「彼らは皆、聖霊に満たされた。」
これが第二に起こったことです。
ここで分かるでしょう。私たちはしばしばこれを逆にしてしまい、「彼らは火の舌を持ち、何かをぶつぶつ話し始め、それから外に出て未知の言葉で語り始めた」と考えがちです。しかし、聖書にはそのようなことは書かれていません。
友よ、聖霊を受けるときに「未知の言葉を話すこと」が必ず伴うとするなら、それは聖書とは違うことになります。
私はこれから少し後でお見せしますが、私は未知の言葉で語ることを信じています。しかし、それは聖霊を受けることそのものではありません。それは聖霊の賜物の一つです。
聖霊とは「霊」そのものなのです。

36. さあ 見て。さて、今忘れないようにイラストをもう一度撮りましょう。聖書によれば、上の部屋で待っていると、突然、突風のような音が彼らの上に聞こえました。それが聖霊でした。それが聖霊の現れだったと信じている人は何人いますか?風のように、超自然的な風。それから彼らは気づきました。そして、そこには小さな火の舌があり、そのうち百二十人が定住し、それぞれに降り始めました。何だったんだ?何だったんだ?火の柱は、神ご自身がご自分の民の間でご自身を分け、民の中に入ってくることでした。イエスはすべてを持っていました;彼は計り知れない御霊を持っていました;私たちは養子なので、それを測って手に入れます(私が言いたいことはわかりますか?)。彼の命、彼の永遠の命が入ってきました。さて、何が起こったのでしょうか?それから彼らは皆聖霊に満たされました。

37. そしてそれぞれがこう言おうとしていました、“聖霊が来ました。神の約束が私にかかっています。私は聖霊に満たされました。” そして彼はガリラヤ人であり、彼が話していたアラブ人かペルシア人で、彼の言葉を母国語で聞いた。
“私たちが生まれた舌の中で、私たち(未知の舌ではない)がどのように聞こえるのでしょうか?話している人たちはみんなガリラヤ人ではないでしょうか?” そしておそらくガリラヤ語を話していたのでしょう。… しかし、彼らがそれを聞いたとき、それは彼らが生まれた言語で書かれていました。そうでない場合は、この質問に答えてほしいのですが、ペテロはどのようにしてそこに上がってガリラヤ語で話し、群衆全員が彼の言っていることを聞いたのでしょうか?3,000人の魂がそこのキリストのもとにやって来て、ペテロは一つの言語で話しました。確かに!奇跡を起こしたのは神だった。ペテロよ、メソポタミアの住人、見知らぬ人、改宗者、そして全世界のあらゆる人々で構成された同じ聴衆に、そこに立っていました。。 ペテロは一つの言語で立って説教し、すべての人が彼の話を聞きました。三千人が悔い改め、すぐにイエス・キリストの名においてバプテスマを受けたからです。それはどうですか?

38. 今では、できません。… さて、コルヌの家で。… 覚えておいてください、昨夜私たちがサマリアに行ったとき、彼らが他の言語で聞いたことについて何も記録されておらず、それについては何も語られていないことがわかりました。しかし、彼らは三つの国籍の人々がいるコルネリオの家に行くと、異言を話しました。そして、彼らがそうしたとき、もしそうするなら、彼らはそれを理解しました」とピーターは言いました、最初にそれを理解したのと同じです。そして彼らは、異邦人が神から恵みを受けたことを知っていました。なぜなら、彼らは最初と同じように聖霊を受けたからです。ここで質問があります。数分以内にそれについて何かあります。基礎を築きたかったので、それが何であるかわかります。

39. もし耳が聞こえず、口がきけず、まったく話せなかったら、人はどうするでしょうか?彼は聖霊を受けることができるでしょうか?そもそも彼に舌がなく、その哀れな男が救われたかったらどうなるでしょうか?聖霊が洗礼であるならば。… そして、異言を話すこと、異言を解釈することなどの賜物はすべて、聖霊のバプテスマによって体に入った後に与えられます。なぜなら、それらの賜物はキリストの体の中にあるからです。

41. その後、マルティン・ルターによる最初の宗教改革が行われました。そして彼は出て行って、カトリック教徒が肉体を「文字通りのキリストの体」と呼んだ聖餐は、キリストの体を表しているだけだと言いました。そして彼は聖餐を祭壇の柵、あるいは階段に投げ、それを文字通りのキリストの体と呼ぶことを拒否し、説教しました。“義人は信仰によって生きる。” さて、カトリック教会の絶対的な指導者が「ノー」と言ったとしても、教会が彼に同意するとは期待できません。

42. ウェスレーが聖化と、そこから派生した多くの小さな分裂を説いた後、ウェスレー派のメソジストやナザレ人などが、彼らの時代を通じて火を燃やし続け、ペンテコステにやって来てこう言いました。“なぜ、聖霊は洗礼であり、私たちはそれを手に入れるために異言を話します。” 確かに。そして、それが起こったとき、ナザレ人やウェスレアン・メソジストなどがそれを信じるとは期待できませんでした。彼らはそれをしないだろう。彼らはそれを悪魔と呼んだ。よし。何があった?They begin to fall; Pentecost begin rising。彼らは落ち始める; ペンテコステは上昇し始める。今ではペンテコステが揺るがされるまで、この場所は上昇しています。それは組織されて出かけました、他に何も受け入れないでください。彼らは独自のルールと規制を持っており、それがそれを解決します。

43. 私の大切な兄弟であるオーラル・ロバーツ、トミー・オズボーン、トミー・ヒックス、そして彼らのように、私は始めることができません。なぜなら、教会は私に同意しないからです。彼らは言います、“彼は永遠の安全を信じています。彼はバプテストです;彼は聖霊の最初の証拠として異言を話すことを信じていません。あの男から離れろ!” ほら?

46. “外国語で話していた人々の声だったのか、それとも群衆を興奮させた超自然的な風の取引の報告や噂だったのかを判断するのは困難です。。”
彼らはそれを理解できませんでした。さあ 見て。それが人々だったかどうかは。…
説明だけします。ここには貧しくぼろぼろのガリラヤ人がたくさんいて、彼らは路上にいます。彼らはそのようなものを見たことがありませんでした。手を空中に上げ、上の部屋から階段を下り、そこに出て、ちょうどいっぱいでした。彼らはまだ話したことがありません、ほら。ここで彼らはそこを通って降りてきます。そして今、彼らはそこでよろめきながら歩き回っていたとしましょう。そして人々は言いました。… ギリシャ人が私に駆け寄ってきて、「“私はガリラヤ語を話します。”」と言いました あなたは彼に駆け寄って言います、“それで、どうしたの、坊や?”
“私は聖霊に満たされました。神の力はその部屋に落ちました。私に何かが起こった。ああ、神に栄光あれ!” そして、ここにいるもう一人の人は、アラブ人と話していて、ガリラヤ人がアラブ語を話していました。
さて、彼らはわかりません。群衆が集まったときに人々を惹きつけたのは突風だったのでしょうか、それとも彼らが話していた外国語で話していたのでしょうか?さて、聖書は正確にはそうではありません。。 見ることができるものが 2 つあります。部外者は言いました、「“私たちが生まれたすべての人を自分の言語で聞くのはどうしてですか?」” 彼らがそれを話しているとは書かれていませんでしたが、彼らはそれを聞いていました。

47. ペテロがこれらの言葉を話している間、彼らは言いました、「“人々と兄弟たち、救われるために私たちは何ができるでしょうか?”」 そしてピーターは彼らに公式を与えます。それがいつも起こることです、ほら。

48. もし誰かがこのテープを聞いたら、あるいはここにいる誰かが反対するなら、覚えておいてください、友好的にやってください、兄弟、私はあなたを愛しているからです。

49. まあ、誰が書いたとしても、私もあなたに同意するつもりです。彼らはそれを世界への呪いにしました。それは世界にとって祝福となるかもしれないが、彼らはそれを呪いにしてしまった。親愛なる皆さん、そのようなことはあなたが自分自身を見つめるものです。テレビが呪いであれば、新聞も呪いであり、ラジオも呪いであり、多くの場合、電話も呪いです。それはあなたがそこから作り出すものです。しかし、先日の夜、兄が言ったように、テレビにはもう番組はほとんどありません。お金が多すぎる。… 完全な福音を説く貧しい説教者には、テレビで番組を見る余裕がありません。だから…… 兄は先日の夜、どこかで、“ラジオの埃を払って” 誰か、または、“隅から持ち帰って番組を聴いて、と言ったと思います。” そうだね。

51. まあ、主の助けがあればできるかもしれません。神が悪霊であるという意味ではありません。しかし、すべての霊はすべて神に従います。そして神は、ご自分の意志に従ってすべてを機能させます。
さて、あなたの質問では、サウルを苦しめるために神から出てきた悪霊について話しています。彼は不機嫌で、衰弱した状態でした。..そもそも、彼は後退していたからです。そして、あなたが後退すると、悪霊が。.. 神は悪霊があなたを苦しめることを許してくださいます。

52. アハブは行って、四百人の預言者を連れて行き、全員が彼らに食事を与え、太らせ、すべてを保管していました。彼らは良い状態でした。そして彼らはそこにやって来て、全員が一致して預言して言った、「“上ってください、そうすれば神はあなたに勝利を与えてくださるでしょう」。ラモテ・ギレアデに上って行けば、神があなたのためにそれを取ってくださるでしょう。” そのうちの1人は自分で角を作り、例として走り回り始めました、 “この鉄の角によって、あなたはそれらを国から鉛直に押し出すでしょう; あなたのものです。”

53. “ああ、そうですよ” おそらくエイハブは言ったのでしょう。
しかしヨシャファトは言いました、“もう一つ持っていませんか?” 一つの合意で 400 個あるのに、なぜもう 1 つ?なぜなら、彼は何かが正しく聞こえないことを知っていたからです。
彼は言いました、“はい、もう一人います、イムラの息子がここにいます、” は言いました、“でも私は彼が嫌いです。” 確かに。いつでも彼の教会を閉鎖するでしょう。彼を国外に追い出すことになるよ、ほら。“確かに、私は彼が嫌いです。”
“なぜ彼を嫌うのですか?”
“彼はいつも私に対して悪を預言しています。” ヨシャファトはその時、何かがおかしいことを知っていたと思います。そこで彼は言いました。“上がってミカヤを迎えに行きなさい。”
それで彼らは彼を追いかけてきて、彼はここに降りてくるのです。.. それで彼が上って行くと、彼らは使者を送って言った、「“さあ、ちょっと待ってください」。さて、そこには400人の神学の博士がいます。Ph-double-LD など、国内最高の製品です。” 言った、“さて、この哀れな無学な男、あなたは聖職者全員に同意しないつもりはありません。”

54. それで彼はそこへ行きました。そして彼は言いました、「“上に行きましょうか?”」
彼は言いました、“どうぞ。” 「“今夜ください」と言いました。主と話し合わせてください。” それが好きだ。それでその夜、主が彼の前に現れ、翌日彼は上って行き、「上って行く」と言いました。彼は言った、「“どうぞ;しかし、私はイスラエルが羊飼いのいない羊のように丘に散らばっているのを見ました。」” ああ、私の!それで彼は風を吹き飛ばされた。
そして彼は言いました、「“言わなかったの?」 知ってた。彼はいつもまさにそうやって私に対して何か邪悪なことを言っています。”
なぜ?彼は御言葉とともに留まっていました。なぜ?彼の前の預言者、神の言葉はエリヤから来ており、本当の預言者である彼は言いました、“あなたが罪のないナボテの血を流したので、犬もあなたの血をなめるでしょう。” そして彼は彼に悪を言いました。エリヤは天国に行きました。しかし、彼はエリヤが神の言葉を持っていることを知っていたので、その言葉に留まりました。それが好きだ。御言葉とともにいてください。

55. 彼は言いました。“捕虜として向こうの檻の中に座っていると、それがわかるでしょう。”

57. 彼は言いました。.. 神は言いました。“あなたには私が行く許可があります。”
そして彼は下って行って、学校で訓練された宣教である偽預言者たちに働きかけ、彼らに嘘を預言させました。それは神の御心に従って働く偽りの霊でした。

58. あなた方の間には淫行があり、異邦人の間ではその淫行が名指しされていないとよく報告されています[教会の間ではそれについてどう思いますか?] 父親の妻を持つべきだ。
そして、あなたたちは膨らんでいて、[見てみましょう。確か2ページくらい読んだと思います。..] そして、あなたは膨らみ、むしろ悲しんでいません、[さあ、ここで少し待ってください。私は…… ええ そうよ。ええ。] 嘆きました [それだけです。] 膨らんで、そして。..嘆いていません、この行為を行った者があなたたちの中から連れ去られるかもしれないということ。

59. なぜなら、私は確かに、肉体には存在しないが、霊には存在しているので、あたかも私が存在しているかのように、この行為を行った彼についてすでに判断したからです
あなたがたは主イエス・キリストの名において、またわたしの霊が主イエス・キリストの力によって集まっているとき、
主イエスの日に霊が救われるように、そのような者を肉の滅びのためにサタンに引き渡すこと。
神は、この地上で神の体である聖なる教会に、(今は旧約聖書の後の新約聖書に)人々の間で非常に汚くて汚かったので、自分の父親の妻と一緒に住んでいた男に告げました。言った、“キリストの体にはそのようなものがあります。。 教会よ、あなた方は彼を悪魔に引き渡して滅ぼしてください。…” ほら?神はそれを許します。… そして、誰かに鞭を打つために、見なければならないことを成し遂げると、神は悪霊を彼らに解き放ち、彼らがその人を苦しめて連れ戻すでしょう。さて、この男のことは後で分かります。..

60. そしてここにいるこの少年はまっすぐになりました。彼は戻ってくる。コリント人への手紙第二で、彼が神の前で実際にどこで掃除をしたのかがわかります。
ヨブを見てください、完璧な男、公正な男です。そして神は、邪悪な悪魔が彼に襲い掛かり、彼の霊を完成させるために彼と他のすべてのものを懲らしめることを許しました。つまり悪霊は。… 神はご自身の計画とご意志を練るために悪霊を何度も使います。

61. さて、兄さん、妹さん、それは言えません。どこにも見つかるような聖書には聖書はありません。でも、自分の考えは表現できます。さて、これは神の恵みを信じるあなたを強めるでしょう。ご存知のとおり、その人は知りたいと思っています(これは非常に良い質問です、ほら)その人は、どのような復活が起こるのか、赤ちゃんがどうなるのか、携挙に行くために聖霊を持たなければならないのかを知りたいと思っています。。 先ほども言いましたが、その通りです。それは聖書によると。それが聖書の教えです。天国に行かないために。… なぜなら、聖霊に満たされた人々は最初の復活、選ばれた者だからです。そしてその残り物。… 残りの死者は千年も生きません。千年紀の後、二度目の復活、そして偉大な白い玉座の裁きを参照してください。それはまさに聖書の命令です。しかし、この人はこれらの赤ちゃんについて知りたいと思っています。つまり、彼らは生まれる前に聖霊を持っていたのでしょうか?彼らはそれを受け取りましたか?さて、それは言えません。

62. しかし、あなたは言うでしょう、“彼らは携挙して行くでしょうか?” さて、これは私自身の言葉です;これは私の考えです。やめてください。… 聖書ではこれを証明できません。でも見て。もし神が世界の建国前に、すべての人間が地球上に存在することを知っていたら。.. それを信じるか?神はすべてのブヨ、すべてのノミ、すべてのハエを知っていました。神は地上に存在するであろうすべてのことを知っていました。もし彼がそれを知っていたら。…

63. 神の予定や予知は、小さな赤ん坊たち(参照)、彼らが何をすべきかについてすべて知っています。そして彼は彼らが死ぬことを知っていました。彼は知っていた。神がそれを知らなければ何も起こりません。何も起こり得ません。… 善き羊飼いと同じように、彼もどのように入っていくのか。.. さて、これを聖書に当てはめると、聖書には誰々が書かれているとは言えません。考えから取っているだけです。

64. 妻は子供を産むことで救われるわけではありません。しかし、ここでテモテ第一 2 章 8 節に少しだけ目を向けましょう。そして、聖書がその子供について何と言っているかを調べてみましょう。さて、私はそれがカトリックの教義であり、カトリック教徒は女性は子供を産むことによって出産によって救われると言っていることに気づきました。でも、やめましょう。… そんなの信じない。テモテ第一第 2 章、第 8 節から始めて、少し読んでみましょう。よし 聞いてくれ。
同様に、あなたの女性たちが控えめな服装で身に着けていることも [私たちはそれを尋ねるべきではありませんよね?これを聞いてください。] 恥ずかしそうに [ふぅ!] そして冷静さ;彼女の髪、金、真珠、高価な配列を焼くことではありません。[兄弟たち、私はここであなたを助けていることを願っています。これらすべての新しいボンネットは毎日、または 3 日間続きますね?それはクリスチャンにはなりません。]
しかし(それは敬虔さを公言する女性になります)良い行いをします。
女性たちに黙って服従しながら学ばせてください。
しかし、私は女性が教えることや、男性に対する権威を奪うことを許すのではなく、沈黙することを許しているのです。
なぜなら、アダムが最初に形成され、次にイブが形成されたからです。
…アダムは騙されませんでしたが、騙された女性は罪を犯していました。
それにもかかわらず、もし[今、神は赤ちゃんを産む世界の女性と話していない。]もし彼女が信仰を続けるなら、彼女は出産で救われるでしょう[わかりますか?彼女が続けば。彼女はもう。… それが彼が話している女性であり、すでに救われている女性です。] そして、すべての禁酒による慈善と神聖さ。

66. さて、聖書を読んで、何が書かれているか見てみましょう。そして、この聖書を守るかどうか見てみましょう。私たちは常に聖書でありたいと思っています。コリント人への手紙第14章には。さて、その人は、人が異言を話した自分のメッセージを解釈することが聖書的であるかどうかを知りたいと考えています。“もしそうなら、コリント人への手紙 14:19 を説明してください。” 見てみましょう、14と19。はい、来ました。
しかし、教会では、私は。..未知の言語で1万語よりも、自分の声で他の人にも教えることができるように、自分の理解を持って5つの言葉を話します。
さて、次は27節です、彼らは知りたいのです。
もし誰かが未知の言語で話すなら、それは二人で、あるいはせいぜい三人で、それもコースで話しましょう。そして、一人の通訳に任せてください。

67. それゆえ、未知の言語で話す者は、解釈できるように祈ってください。
確かに。彼は自分のメッセージを解釈することができます。さて、もし私たちがただ。.. ただ。… ここですべて読んでみると、それがわかります。。 その章全体を読んでください。とても良いです、そしてそれを説明します。

68. さて、皆さん、今これを言う機会があるので、説明したいと思います。そして、もし私が誰かを傷つけたとしても、それは本気ではありません。混乱を招くつもりはありません。でも聞いて。ペンテコステ派の人々(それは私自身です;私はペンテコステ派です)が未知の言語で話すことに何の問題がありましたか。さて、問題は、彼らがそれを尊敬していないことです。そしてもう一つは、彼らはそれをランダムに手放したということです。彼らは御言葉には戻りません。

69. さて、お気づきでしょうか。… 今は発言していません。そして覚えておいてください、私は一言も反対は言いません。聖霊を冒涜するかもしれません。そして神は私がそれを間違って言わないことを知っています、ほら。しかし、私がこれを言っているのは、聖書を20年近く研究した後、皆さんに聖書の見解を提供したいからです。私は30年近く説教をしてきました。そして、私はすべてを乗り越えてきました、ただ乗り越えただけです;それがどのようなものだったのか想像できるでしょう。そして世界中のすべての人々と教義を監視しています。そして、それが私の興味だからそれを受け取るのです。それは私以外の人間にとっても興味のあることです。ここを出なければなりません。ここを出なければなりません。そして、もし私が偽預言者として行けば、私は自分の魂を失い、あなたの魂も私と一緒に失うでしょう。つまり、それは毎日のパン以上のものです;それは人気以上のものです;それは何よりも重要です;それは私にとって人生です、ほら。そして私は常に最も深い誠実でありたいと思っています。

70. さて、私は祭壇の呼びかけをしてきましたが、もし誰かが立ち上がって異言を話したら。ただ…… まあ、祭壇に電話するのはやめたほうがいいかもしれません。それはそれを止めます、ほら。

71. そして、彼らが未知の言語で話すとき、聖書は、彼らに自分自身—彼らと神に話させてくださいと言いました。未知の言語で話す人は自分自身を啓発します。さて、それは未知の言語です。方言、言語は異なります。“それらは何でもない、” 彼は言います、“しかし、音を作るものには意味があります。” トランペットが鳴ったら、それがどんな音なのかを知らなければなりません(…吹くだけです)。そうしないと、戦いに備える方法がわかりません。異言を話す人がいて、ただ “toot”(それだけです)だけなら、何をすればいいのか誰にもわかりません。しかし、それが起床を開始する場合、それは “起きる!” を意味します タップが吹いたら、それは“下がる、”を参照してください。電荷が吹く場合は “電荷を意味します。” 意味を与える必要があり、ただ一人で話すだけではありません。ですから、教会には通訳がいないとしても、通訳がいるのであれば、異言こそが教会に属するものなのです。

72. さて、少し考えさせてください。もし私がこれから来るこの教会の牧師になったら、もし神が私に牧師を召してくれたら、私はこう運営するでしょう。私はそこに贈り物を持っている人全員を見つけようとします。そして、サービスが始まる約1時間前に、それらの人々に一人で部屋で会ってもらうことになります。彼らを御霊の下に座らせてください。そして、最初にわかることは、1人が降りてくるということです。彼は異言を話す才能を持っています。そして彼は異言を話します。みんなじっと座っています。そして人は立ち上がって自分の言うことを解釈します。さて、それを教会に与える前に、聖書はそれを2人か3人の証人の間で裁かなければならないと述べています。さて、それは精神を識別する人々です(参照)。なぜなら、多くの場合、邪悪な力がそこに入るからです。パウロはそれについて話しました。しかし、そこには神の力も宿っているのです。悪が座っていない会衆を教えてください。神の子たちがどこに集まっているのか教えてください。サタンは彼らの真ん中にいません。すべてだ。だから、それに眉をひそめないでください、ほら。サタンはどこにでもいます。さて、ここにいます。誰かが異言を話します。さて、そこには識別の精神を持った三人が座っています。そして人は異言を話し、メッセージを伝えます。さて、それは聖書を引用することはできません。なぜなら、神は無駄な繰り返しを使わず、私たちに「見ないように」と言われたからです。だからそれはそうではありません;それは教会へのメッセージです。

73. インターです。… それから昨夜、聖霊が建物の中に落ちました、ほら。それは啓発のためです。私はそこに立って、人々に聖霊を受けなければならないと伝えようとしていました。そして悪魔が民の周りにやって来て、「“聞かないでください;じっと座ってください」と言いました 妹は言いました。”ビル、あなたが説教している間、私はとても幸せでした。立ち上がって壁を飛び越えられそうな気がしました。“
私は言いました、“立ち上がってジャンプしてください。” それだけです。
そして彼女は言いました、“でも、あなたがそうしようとしたとき、” そして言いました、“人々は叫び始めました、” 言いました、“それから私はただ自分が年老いた無価値な人間であると感じました。”
私は言いました、“それは悪魔です。それはサタンです。彼がそれをしに来たとき、” 私は言いました、“それならとにかく立ち上がるべきでした。” 私たちは神の祭司であり、霊的な犠牲を払い、唇の果実で神の御名を讃美します。

74. さて、預言と預言者の間には違いがあります。預言は次から次へと進みますが、預言者はゆりかごから預言者として生まれます。彼らは持っている“主はこう言われる!” 彼らを判断することはありません。彼らがイザヤやエレミヤの前に立っているのを見ません。彼らは預言者だったからです“主はこう言われます!” しかし、人々の間には預言の精神があります。サタンがそこに滑り込むので、それを見なければなりません。今。しかし、それは判断されなければなりません。

76. さて、それはいいですね。でもちょっと待って。そこには識別の精神を持った男が3人いるはずだ。彼らのうちの一人はこう言います。“それは主のものでした。” もう一人は言います、“それは主のものでした。” これは 2 対 3—2 人か 3 人の証人です。よし。彼らはそれを紙に書き留めます。御霊はそう言われたのです。よし。彼らは主に感謝しながら祈りに戻ります。

77. “それは主のものでした。” ある人は言いました。“それは主のものでした。” それからあなたはそれを書き留めます、“主はこう言われます、今夜、ある女性が入ってくるでしょう、あること、あること。” 霊の識別力を持つ者、そのうち二、三人がそれに自分の名に署名します。これらすべてのメッセージが与えられます。よし。

78. 私の救い主が死んだ十字架の上で、
罪から清めるためにそこで私は泣きました、…
…あるいは、本当に静かに、素敵な甘い歌。それは聖霊の存在を会議にもたらします、参照してください。よし。

80. さて、あなたがそのように入ってくると、最初にわかるのは、牧師が立ち去ることです。彼は新鮮だ。彼はあれやこれやに答える必要はありません。彼は宣教の露からすぐに出てきます。彼は聖霊の力の下にありました。彼はさらに多くの火の舌が集まっている場所へ歩いて行きます。今ではほとんど柱になっています(参照);彼女は動き回っています。彼はここから出て、これを拾います。“教会からのメッセージ: 「ジョーンズ兄弟、主は家から引っ越すように言われます。」 明日の午後2時にサイクロンが彼の土地を襲うだろう。彼の持ち物を取って逃げてください。'” ジョーンズ兄弟はそれを理解しています。よし。それは記録に残っています。“主はこう言われる、「今夜、誰々という名の女がここに来るだろう。そして、それは…彼女は誰々をやってしまったのだ。」”(先ほども言いましたが、ほら、そんな感じです。) わかりました、それは終わりました。それじゃ。彼らはすでに教会内での地位を獲得しています。よし。
それから彼はメッセージを受け取ります。まず最初に、彼は説教を始めます。何も中断する必要はありません。それはすでに行われています。さて、私たちは先に進みます。私たちはメッセージを説きます。

81. “ああ、そうです。どうしてそれを知ったのですか?”
“それは主から教会へのメッセージです。あなたが16歳のとき、ある特定の場所で、教会からお金を盗んで外に出て、それで新しい服を買ったのではないですか?”
“ああ、そうです。そうです。”
“それはまさに、今夜神が、異言を話す誰々兄弟を通して私たちに語られたことです。誰々兄弟は解釈しました。ここで誰々兄弟は、識別力について、それは主からのものであると言いました。そしてそれが真実です。”
“はい!”
“そして、「主はこう言われる」、それを正しなさい、そうすればあなたは癌を克服するでしょう。”

82. さて、彼らが言った後にそれが起こらなかったらどうなるでしょうか。すると、あなたたちの間に悪霊が潜んでいるのです。あなたはその邪悪なものを望んでいません。空がペンテコステ派の本物でいっぱいなのに、なぜ何か邪悪なものを望むのですか?悪魔から古い代役を奪わないでください。本物を手に入れろ。神はあなたのためにそれを持っています。それなら、あなたは福音の働きにおいて教会の助け手であるため、神がすでにあなたの正しさを証明するまで、もう集会を開いてここに何かを置かないでください。さて、それが何であるかを理解しましたか?

83. アフリカにいたとき、私はそれを信じませんでしたが、音を立てるものすべてに何らかの意味がありました。聖書には、意味や意義のない音はない、とあります。作られる音はすべて、何かにとって何らかの意味を持っています。だって、みんながこう言うのを聞くんです。.. 私はこう言うでしょう、“神の子イエス・キリスト。”
そのうちの1人は、“バババ、バババババ”と言うでしょう もう一回行きます、“ウープウープウープウープウープ。” そしてそれは、“神の子イエス・キリスト”でした。それは。… そして、私にとっては何の意味もありませんが、彼らにとって、それは私があなたに話しているのと同じ言語でした。ズールー族、コザ族、バントゥー族、その他あらゆるものの通訳がやって来たとき、言われたことはすべて誰もが理解しました。そして、これらの人々がただつぶやいているのを聞いて、それがたくさんのジャバジャバだと思っていることは、そうではありません。それは意味を持っています。したがって、私たちはそれを尊重し、その場所に置く必要があります。

84. 言ってください、“私にはできません。” 聖書には、できる、わかる、と書かれていました。それで解決します、ほら。彼に平和を保たせてください。
そして、すべてが順調に進むチャンスが来たら、聖霊が彼に飛びついてメッセージを伝えるなら、それを与えてください。まさにそうすべきです。すると、次のような解釈が浮かびました。“ここにはサリー・ジョーンズという名前の女性がいます(その女性がここにその名前でいないことを願いますが。…) サリー ジョーンズ、(参照)これが彼女の電話の最後の夜だと彼女に伝えてください。彼女がここに来る時間は短いので、神と和解してください。” さて、サリー・ジョーンズはそこに着くのと同じくらい早く祭壇に走ります(ほら)、それが彼女の最後の呼びかけだからです、ほら。それはメッセージや正当性の証明などを与えることです。

86. 質問: ブランハム兄弟、聴衆の多くがこれほど多くのものを与えるべきだと神が告げたと告げて、牧師たちが奉仕活動でお金のために長い努力をするのは正しいでしょうか?もしこれが正しいなら、知りたいです。あるいは、それが間違っている場合は知りたいです。これは私をひどく動揺させました。
さて、ほら、友達、私はあなたに言います。.. 私がどう思うかお話しします、ほら。さて、それはそれが正しいという意味ではありません。ひどいと思う。
さて、私はこう思います。神は私を野原に送りました。少なくとも、自分がそう見えるようになった時代を見てきました。.. そして、私にはまったくお金がありませんでした。そして私はこう言います、“コレクションプレートを渡すだけです。” そしてマネージャーが私のところに来てこう言いました、「“ほら、ビリー、今夜は赤字が $5,000 だよ、坊や」。ジェファーソンビルでそれを支払うお金はありますか?”
私はこう言うでしょう、“大丈夫です。神は私をここに送りました、そうでなければ私は来なかったでしょう、ほら。収集プレートを渡すだけです。” そして会議が終わる前に、誰かがこう言います。“ご存知のように、主は私の心に5,000ドルをこれに与えるようにと誓ってくださいました。” まず、そうするように導かれます。

87. そして、大臣たちがこう言うことさえ知っています。。 私は正しく立っていました。..少し前まで。.. さて、これはペンテコステ派ではありません、これは。.. そうですね、それは教会です、ほら、他の教会です。それは大きなキャンプミーティングでのことでした。ガーティ、あなたは私と一緒にいて、他にもたくさんの人が出席していました。そして彼らは午後中ずっと有名な宗派で過ごし—そのうち2、3教会(ここ市内の現代の教会など、通常の教会)で大きな大会で一緒に過ごしました—、午後中ずっと壇上に立って、神が作物を破壊し、子供たちにポリオを与えるなどと脅しました もし彼らがその会議に参加しなかったら。それはまさに真実であり、この聖書が私の前にあります。私は言いました。“それは神とその追随者に対する冒涜です。” 神があなたを遣わすなら、神はあなたの世話をするでしょう。神があなたを遣わしていないなら、その時は宗派にあなたの世話をさせてください。しかし、神があなたを遣わすなら、神はあなたの世話をするでしょう。

88. まあ、それがキリストに関するものなら、大丈夫かもしれません。でも、サンタクロースのことなら、私は彼を信じません。私はそれから成長しました。私はサンタクロースをまったく信じていません、ほら。そして、彼らが持っているクリスマスの小さなもののいくつかはばかげていると思います。しかし、彼らはクリスマスからキリストをすべて取り出し、サンタクロースを入れたと思います。
そしてサンタクロースはフィクションです。(子供たちに対するあなたの気持ちを傷つけていないことを願っています。) でも 教えてあげる。少し前、約25年、30年前、この街の牧師、私がよく知っているこの街の大きな教会の牧師、私の親友が私のところへ歩いてきたとき。そしてチャーリー・ボハノン(マイク兄弟、私の親友のチャーリー・ボハノンを覚えていますか)…. 彼のオフィスに座ってこう言いました。“もう子供たちにそんなことは言わないし、孫たちにもそんな嘘をつかせない。” 彼は言いました。“私の息子が12歳くらいになって、サンタクロースについて話しながら私のところにやって来ました。..” そして彼は言いました、“ハニー、言いたいことがあります、” 言いました、“ママ。..” ほら、彼が何をしたかを彼に話してください。それから彼が戻ってきた後、こう言いました。“それで、パパ、このイエスは同じものですか?”
真実を話せ。サンタクロースは、クリス・クリングル、または何年も前に子供たちに善行をしていたドイツの古いカトリックの聖人である聖ニコラスという仲間についてのカトリックの衣装です。そして彼らはそれを伝統として受け継いでいます。しかし、イエス キリストは神の子です。彼は本物であり、生きています。さて、最後の質問です。これは非常に。..

89. さて、私は彼にサンタクロースのことを話します。私は言います、“ええ、確かに、サンタクロースがいます; クリスマスの夜にパパを見てください。”
先日、私はそこにいて、見るために小さな女の子にそれを試しました。確かに一昨日返済されました。私は建物の中にいました。そして彼らはここクエーカー教徒のメイドのところに立っていました。そして私は食料品を買いにそこへ行きました。それで妻と私はそこにいました。そして、生後18か月ほどではない小さな女の子がいて、彼女はそこに立って歌っていました、“ディングルベル、ディングルベル。..” そして私は言いました。… 彼女の小さなスタンドで、小さなカートの後ろに座っています。私は言いました、“サンタクロースを探していますか?”
彼女は言いました、“それは私のパパです、ミスター。”
私は言いました、“あなたの小さな心を祝福してください、ハニー。あなたには知恵があります。”

91. それは本当に一度きりのことです。… ほら、今ここであなたは私たちの信仰、恵み、信者の安全、聖徒たちの忍耐力、むしろ聖徒たちの忍耐力を見守らなければなりません。ヘブライ人への手紙第6章4章から6章。さて、これを終えたらすぐに、神が私がそれをあなたに明確にするのを助けてくださることを願っています。ごめんなさい、今夜のメッセージを受け取りました。朝の礼拝でも同じことを説教するかもしれません。じゃあ行くよ。
さて、これは本物のステッカーです、ほら。さあ、見なければなりません。さて、覚えておいてください、私たちはこの教会で信じ、教えていますが、すべてが立ち上がって叫ぶこと、異言を話すこと、説教者と握手することすべてが永遠の命を持っているわけではありません。しかし、私たちは、もしあなたが永遠の命を持っているなら、神があなたに永遠の命を与えてくださったなら、あなたはそれを永遠に持っていると信じています。だって見て。そうでなかったら、イエスは。..偽教師を見つけたことになります。聖ヨハネ5:24で、イエスはこう言われました。“わたしの言葉を聞き、わたしを遣わした方を信じる者は永遠の命を持ち、決して裁きを受けることはなく、死から命へと移ったのです。” さあ、彼と議論してください。“父が私に与えてくださったものはすべて。… 父が彼を描く以外に、誰も私のところに来ることはできません。(聖書を引用しています。) 来るのはすべて。… 父が最初に彼を描いてくれる以外に、誰も私のところに来ることはできません。そして父が私に与えてくださったものはすべて私のところに来るでしょう、見てください。そして私に来るすべてのもの、私は彼らに永遠の命を与えます(聖ペテロ)。ヨハネ6章)、そして終わりの日に彼をよみがえらせます。” それが彼の言葉です。

92. そしてあなたはこう言います、“それでは、異言を持つペンテコステ派はどうですか、ブランハム兄弟?” 彼らは聖霊を手に入れたと思います。確かに彼らはそうしました。わかった、なぜ?見て。彼は良い神だと信じていますか?トーマスはある時こう言いました。“主よ、ご存じのとおり。..”
残りの者は皆、神を信じた。“ああ、私たちは彼が本物であることを知っています!”と言いました
“ああ、” トーマスは言いました、“いいえ、いいえ、信じられません。私がそれを信じる唯一の方法は、何らかの証拠を持っていることです。私は彼の脇腹と彼の手の爪の跡に指を突っ込まなければなりません。”
彼は良い神だ。彼は言いました、「“さあ、トーマス。」。はい、どうぞ。”
“ああ、” トーマスは言いました、“今私は信じています。”
彼は言いました、「“はい、トーマス、あなたが私を見て、私を感じ、私の側に手を入れた後、あなたは信じています。」 しかし、見たこともないのに信じている彼らの報酬は、どれほど大きいことでしょう。” 彼は良い神だ。もちろん、彼はあなたに心の欲求を与えてくれます。ただ彼を信じましょう。それはサタンにとって死の脳卒中だ。兄弟よ、人が神の言葉を信じるなら、それは毎回サタンを殺すことになる。人が神の言葉を信じるとき、それはサタンにとって最も大きな打撃です。先ほども言いましたが、“人は。..一人で生きるのではなく(イエス、先日の夜)、出てくるすべての言葉。..”

93. したがって、キリストの教義の原則を離れて、完璧に進みましょう[さて、最初に知っておいてほしいのは、パウロはここで誰と話しているのでしょうか?ヘブライ人。ヘブライ人への手紙を教えたヘブライ人と言われています。そうか?イエスを拒絶したユダヤ人たち。… 今捕まえられるか?彼はユダヤ人と話し、律法の影がキリストの一種であることを示しています。古いものはすべて新しいものの一種です。さあ、見てください。]…キリストの教義の原則を離れて、完璧に進みましょう;…

94. 聖霊に満たされた人は、自分が満たされているとは思っていませんが、神の御霊から生まれた人は罪を犯しません。なぜなら、神の種は彼の中にあり、罪を犯すことはできないからです。聖書にはそう書いてあるのでしょうか?だからそこにある。あなたは。… あなたが何をするかではなく、世界があなたについてどう思うかではなく、神があなたについてどう思うかです。できません。… 市長が時速40マイルで市内を走ってもいいという命令書を書いて、警察官が私を逮捕するにはどうすればよいですか?できない。神の前に絶えず血のいけにえがあり、神は私を見ることさえできず、私と神の前にバンパーがあり、血の盾があるとき、どうやって罪を犯すことができるでしょうか。なぜなら、私たちは死んでおり、私たちの命は神を通してキリストの中に隠され、聖霊によって封印されているからです。一体どうして神の目に何か悪いことをすることができるのでしょうか。“真理の知識を得た後、故意に罪を犯すなら(ヘブル人への手紙 10 章)、罪のために犠牲を払う必要はもうありません。” ここでは故意に罪を犯すことは不可能です(参照)。

95. …完璧。死んだ行いからの悔い改めと神への信仰の基礎を再び築かないこと
洗礼の教義、…按手、死者の復活、そして…永遠の裁きについて。
そしてこれは。..神が許せば、私たちはそうします、
[さて、彼らが始めたかったのは、4節目からです。] なぜなら、一度悟りを開き、天の賜物を味わい、聖霊にあずかるようになった人々にとって、それは不可能だからです
そして神の良い言葉と来るべき世界の力を味わった、
もし彼らが堕落するなら、彼らを再び悔い改めに更新してください。彼らが神の子を新たに十字架につけ、公然と恥をかかせるのを見て。
さて、あなたがそこで読んでいる方法からすると、人は聖霊を受け、その後後退して道に迷う可能性があるようです。しかし、彼にとってそれを行うことは不可能です。彼にはそれができない。もしそうなら、キリストは嘘をついたのです、見てください。一度悟りを開いた人には無理だ。さあ、ここで見てください。彼は何と話しているのですか?彼は国境を接するユダヤ人たちと話している。彼は決して、“聖霊に満たされている人”とは言いませんでした。彼は、“神の言葉を味わったことがあるなら、と言いました。”

96. そして、あなたはそれらの人々を見たことがあります。彼らはそこに留まり、出入りはしません。彼らは聖霊を高く評価しています。彼らは戻ってくるでしょう。そして、もしかしたら聖霊が何かをして、立ち上がって叫び、それについて床を飛び跳ねるかもしれませんが、彼らは決してそれを自分で受け取りたくありません。いやいや!そして彼らは言うでしょう、“ああ、はい、それは良いことです。ああ、今はそれについて知りません。” 境界線の信者。味わえるまではすぐ近くにいるのに、受け取れないんです。さて、彼らは完全に漂流するまで、ずっとそのようにぶらぶらしています。多くの人の名前を呼ぶことができます。幕屋にいて、同じことをしました。再び遠くへ落ちて、悔い改めへと新たにしてください。彼らには悔い改めはありません。彼らはただ御霊を悲しませて彼らから遠ざけました。彼らはずっと仲が良かったのに。..

97. そしてスパイが出かけた。ヨシュアはここで言いました、“さて、私はスパイを送りました。..” あるいは、モーセ、むしろ、“私はあなたの部族からそれぞれ 12 人、1 人のスパイを送りました。私は彼らを派遣して土地を偵察し、報告書を持ち帰らせました。” そうか?そして彼らが戻ってくると、12人中9人がこう言いました。“ああ、ここは良い土地ですが、ああ、慈悲、私たちはそれを受け入れることができません。ああ、私の!アモリ人がそこにいて、私たちは彼らの横にいるバッタのように見えます。武装した男たちだ。彼らの壁は大きいです。ああ、それも。… だって、あなたが私たちをここに連れてくるのではなく、私たちがエジプトの向こうで死んでいたらよかったのに。”

98. 幕屋は現在、カデシュ・バルネアに立っています。ほら、彼らは土地からブドウを味わうまでとても仲が良かったのです。彼らはブドウを食べます。ケイレブと彼らがブドウを持ち帰ったとき、仲間たちはブドウを少し取り出して食べました。“ああ、美味しいけど、私たちには無理です。” “神の良い働きを味わった人々、聖霊を味わった人々、聖霊の善良さを見た人々、聖霊を味わった人々、神の言葉を味わった人々。…” それを見て?彼らの誰も、誰も渡ることを許されませんでした。彼らは自分たちの土地、ここの荒野で亡くなりました。彼らは決して渡らなかったが、それを味わうには十分近かったが、それを受け入れるには十分な恵みと信仰がなかった。そういうことなんだよ。

99. 地は、しばしば降る雨の中で水を飲み、その水を着る者のために草や肉を産み、神から祝福を受けるからである
しかし、いばらやいばらを産むものは拒絶され、呪いに近い。その終わりは焼かれることになる。
さて、彼が何を言っているかわかりますか?さあ 見て。ここにこの質問がありました;今、そして私は終わります。この物体は何年も私を殺し続けました。

100. しかし、残りの部分は、2人の男性を見ました。1 つはメッセージを発し、もう 1 つはそれを解釈します。もう 1 つはメッセージを与え、もう 1 つはそれを解釈します。そして兄弟よ、彼らは正しかった。と思いました、“まあ!そんなの見たことないわ。” 私は言いました、“私は天使たちの中にいます。” 何も見たことがないと思いました。… 一人は話し、もう一人は。…

101. あまり見たことがなかったのですが、この辺りにあったもの、おそらくどこかに使命を持った女性が数人いたのでしょう。。 そして彼らは大騒ぎするでしょう;そして一方が他方を呼んでいます、“ノスリのねぐら、”そして。.. そういう感じで、お互いに大騒ぎしているんです。今は女性たちを無視したり、何もしなかったりするのではなく、ただ。… 干潮時でした。もしあなたたちのうちの誰かが。… 覚えてるだろ グラハム兄弟。当時あなたはまだ小さな男の子でした。そして、それがそうでした。そしてそれを聞いて、私は思いました。“ああ、天使たちを殴ってしまった。”

102. 彼は言いました、“どうやってやるの?” 彼は言いました、“あなたの名前は何ですか?”
そして私は言いました、“ブランハム。”
彼は言いました、“どこから来たのですか?ここ?”
そして私は言いました、“いいえ、私はジェファーソンビル出身です。”
彼は言いました、“まあ、それは大丈夫です。あなたはペンテコステ派ですか?”
私は言いました、“いいえ、先生、私はそうではありません。” 私は言いました、“私は聖霊を受けるペンテコステ派の方法を受け入れません。” 私は言いました、“しかし、” 私は言いました、“私は学ぶためにここにいます。”
彼は言いました。“まあ、それはとてもいいですね。” そして彼と話し、(井戸の女のように)彼の精神を捉えた彼は、本物のクリスチャンでした。兄さん、つまり彼は大丈夫だったんです。彼は良かった。さて、皆さん。… 私の会議に参加して、そのようなことが起こるのを見た人は何人いますか?そしてその男はまったく大丈夫だった。それで、私は思いました、“そこ!まあ、なんて素晴らしいんでしょう!”

103. 彼は言いました、“どうやってやるの?お名前は?” 私は彼に言った。そして彼は言いました、「“あなたはペンテコステ派ですか?”」
私は言いました、“いいえ、先生、正確にはペンテコステ派ではないと思います。” 私は言いました、“私はただ学ぶためにここにいるだけです。”
彼は言いました、“聖霊を受けたことがありますか?”
私は言いました、“わかりません。” 私は言いました、“皆さんが得たものによると、私はそうではないと思います。”
彼は言いました、“異言を話したことがありますか?”
私は言いました、“いいえ、先生!”
彼は言いました、“それならあなたはそれを持っていません。”
そして私は言いました、“まあ、そうだと思います。” 私は言いました、“わかりません。私はちょうど2年ほど説教を続けてきました、”そして私は言いました、“私はそれについてあまり知りません。” 私は言いました、“多分私は知りません。” 私は言いました、“理解できません。…” だって、私は彼をそこに抱きしめて(見て)捕まえようとしていたんです。そして、私がそうしたとき、もし偽善者に会ったことがあるとしたら、その一人がいました。彼の妻は黒頭でした。彼は金髪の女性と暮らしており、彼女との間に2人の子供がいました。そして異言を話し、それを可能な限り完璧に解釈しました。そして私は言いました、“さて、主よ、私は何に夢中になりましたか?” 天使たちからは、自分が何に興味があるのか分かりませんでした。私は言いました、“私は基本です;それは聖書でなければなりません。それは正しいはずだ。どこかに何か問題があります、主よ。どうしてそんなことがあり得るのでしょうか?”

104. そのうち約1500個がそこにあります。私は思いました、“私の、ああ、私の!” そのうちの2、3の集団が一緒に会っていました。私は思いました、“言ってください、私の!どうしてそんなことがあり得るのでしょうか?さて、この建物にいる偉大な聖霊は、このように倒れています。そして、ここで、あそこで起こっていることを見てください。彼らは異言を話し、解釈し、メッセージを完璧に伝えています。そして、彼らのうちの一人は偽善者で、もう一人は真の神の人です。” そして私は思いました、“さて、私は皆混乱しています。どうすればいいのか分かりません。”

105. そして、私たちは少し。… あなたのお母さんと私たち全員がさまざまな場所で会議を行っていました。当時、幕屋は開かれておらず、私たちはさまざまな場所で小さな会合を開いていました。そしてついにある日、幕屋が建てられた後、何年も経ってから、私は祈るためにグリーンズミルに洞窟に行きました。なぜなら、デイビス兄弟が論文で私について恐ろしいことを言っていたからです。私は彼を愛していた。何も起こってほしくなかったので、彼のために祈るためにそこへ行きました。そして私はそこに行き、洞窟に入りました。そして私はそこに約2日間滞在しました。そして私は言いました、「“主よ、彼を許してください」。彼はそんなつもりはない。” そして私は思いました、“ご存知のように。..” たまたま聖書を思いつきました。

106. なぜなら、かつて悟りを開いた人々、聖霊にあずかった人々にとっては不可能だからです
そして味見しました。.. 神の言葉、そしてこれからの世界の出来事。
私は思いました、“まあ、それには何も見えません。” 読み進めて、残りの章を読んでください。そこには何もありません。私は言いました、“まあ、それでそれで終わりです。” そして、私はこう見て、また戻って、それを手に取り、こう思いました。“さて、それは何ですか?” 私はそれを読み続けました、そして読み続けました、そして読み続けました、私は言いました、“まあ、理解できません。” それから私は続けました。… 私は読み続けました:
…一度悟りを開いた人にとってはそれは不可能でしょうか、…(それはここに降りてきて、ここにこう書いてある場所に来ます:)
そして、地は。..しばしば降る雨の中で水を飲み、それを着る人々にハーブ肉を産み、神から祝福を受けます:
しかし、いばらやいばらを生やしているものは拒絶され、呪いの対象となり、その裁きは焼かれることになる。
私は言いました、“それはどういう意味でしょうか?”

108. そしてしばらくすると、大きな雲が現れ、水が湧き出ました。そして、それがそこに落ちると、その小麦は飛び起きて叫び始めました、“栄光、ハレルヤ、主を讃えなさい!” 小さな悪臭雑草が飛び上がって叫びました、“栄光、主を讃えよ、ハレルヤ!” とげとそれらすべてが野原の上で踊り、叫び声を上げています。“栄光、ハレルヤ、主を讃えよ!” まあ、私は言いました、“それは理解できません。”

110. 彼は言った、「“彼らを一緒に成長させてください。そうすればその日、これらのとげとアザミは一緒に燃やされ、小麦は収穫者に送られます。」” さて、どれがとげなのか、どれがアザミなのか、どれが小麦なのかをどうやって知ることができますか?“その実によって、あなたは彼らを知るでしょう。” ほら、兄弟、姉妹、良い木は悪い実を結ぶことはできません。いずれにせよ、道沿いのどこかで、それはあなたに追いつくでしょう。それで、あなたは聖霊のバプテスマを求めています。。 誰がそれを書いたのか嬉しいです、ほら。

111. すべての聖書の中で、父、子、聖霊の名においてバプテスマを受けた人は一人もいません。カトリック教会がそれを始め、ルターで出てきて、ウェスリーで出てきて、ここまでやって来ました。まさにその通りです。しかし、聖書の秩序は主イエス キリストの名前です。それは使徒の洗礼です。それをして宗派に留まることはできません。そうだね。

114. したがって、ヘブル人への手紙 6 章で、パウロがヘブル人への手紙にこう語っているのがお分かりいただけると思います。“まあ、私たちはここまではあなた方に従います。” 彼らは上がってくるでしょう、わかりますか。言った、“さて、あなたは。..” 出てきて味わったもの。…

115. 私がここの壇上に立って彼のために祈ったのを覚えていますか?そこに行って部屋に入ると、心の中で何かが食べていました。私は部屋に入り、全員を連れ出してすぐに。.. エヴェレット兄弟がそこに横たわっていました。そして、あなたはこれを覚えているでしょう。私は入って行き、「“ブラザー・バスティ”」と言いました(私は彼を巨乳と呼びました。)

116. 私がそこに立って説教している間、ここにその光が差し込みます。その火の柱が私の目の前にぶら下がって、こう言います。“ここを出て森に行きなさい。私があなたと話します。” それは同じ日でした。..翌日、彼らは丘の上で私を見つけました。私はそこにいました;私は車を雑草の中に隠し、一晩中、そして翌日ずっと山の上で祈っていました。彼らのうちの何人かはそこにやって来て。..車を見つけてそこにやって来ました。それは、ここにいるグラハム・スネリング兄弟が聖霊と宣教への呼びかけを受けた日でした。

117. 言った、“そのうちの1人はガイ・スペンサーとその妻です。もう一人はそこにいるもう一人のスペンサーであり、彼らのものです。” そして、何が失敗するかをさまざまな人に話しました。
私は彼らに言いました;私は言いました、“誰も食べないでください。” 妻と私はそうではありませんでした。。 それは私たちが結婚する前のことでした。そして彼女は家に帰り、素晴らしい女性であるシスター・スペンサーと一緒に一晩中滞在しました。素晴らしい男、ガイ・スペンサーは靴の革を着た男と同じくらいいい男だ。そして彼はそこへ行き、オパールは言いました。「“さあ、見てください。…”」 彼女はメダにこう言いました。“さて、メダ、私はビル兄弟を信じています。” 彼女は言いました。“でも、オパールがお腹が空いたら、ハムと卵を食べなければなりません。” そこで彼女はそこに行き、ハムと卵を揚げて座って食べ、祝福を言い始め、テーブルの上に寄りかかり、泣きながらそれに触れることができませんでした。それから彼らは狩りに来ます。

118. そして私は病院、新しい病院に行きました(彼らがそれを何と呼んでいるかは忘れましたが、ニューアルバニーにあります)—新しい病院。そして私はバスティに会いに行きました。そして部屋に入ると、私は言いました。“バスティ兄弟。” 彼は言いました、“ビル兄弟。” その大きな古い握手で私の手を握りました。第一次世界大戦の退役軍人で、彼の前では言いませんでしたが、古い青いシャツの下で鼓動したのと同じくらい素晴らしい心でした。彼は私の手を握ってくれました。私は彼の家にいた;彼の家で食事をした;私が彼の兄弟だったのと同じように、彼の家で寝ました。彼の子供たちもみんな、私たちはただの血のつながった兄弟です。いい男。

119. しかし、私は病院に入りました。そこには癌でいっぱいのバスティが横たわっていたので、医師たちは彼を再び縛り付けることしかしませんでした。バスティは私に言いました。彼は言いました。“ビル兄弟、これは目的のためです。” 何かが起こった。私は言いました、“はい、巨乳です。” 私が話していたあの突風のようなスピリットが、入ってくるのを感じ始めます。彼は、「私がここに入ると、その隅に虹があり、その隅に立っていました」と言いました。虹は契約です;神の契約。その日、神はその山で私と契約を結びました。バスティ兄弟に手を置いて、彼のために祈りました。医者は言う、“彼は減っていくだろう。彼はただ倒れるだけだ。彼には何もない。彼は数日以内にいなくなるでしょう。” そして巨乳ロジャース。… それは何週間も何週間も前のことですが、今夜ここ教会に座っているバスティ・ロジャースは、これまでの人生で見たように健康で頑丈です。立ち上がれ、ブラザー バスティ。そこに彼がいる。皆さん、神を賛美しましょう。

120. すべては神の名において祈っています。
聖霊の洗礼を受け、
そして奉仕のための力がやって来ました。
さて、その日、神が彼らのためにしてくださったことは、
彼もあなたのために同じことをしてくれるでしょう。
“私もその一人です。”と言えるのがとても嬉しいです
私もその一人です
“私もその一人です。”と言えるのがとても嬉しいです
(ハレルヤ!)
そのうちの一人、私もその一人です
“私もその一人です。”と言えるのがとても嬉しいです
これらの人々はそうではないと主張かもしれないが、
あるいは世俗的な名声を誇る、
彼らは皆ペンテコステを受けました、
イエスの名において洗礼を受ける。
そして彼らは今、広く、そして広く、
彼の力はまだ同じです。
“私もその一人です。”と言えるのがとても嬉しいです
私もその一人です、私もその一人です
“私もその一人です。”と言えるのがとても嬉しいです
(ハレルヤ!)
そのうちの一人、私もその一人です
“私もその一人です。”と言えるのがとても嬉しいです
さあ、兄弟よ、この祝福を求めてください
それはあなたの心を罪から清めるでしょう、
すると喜びの鐘が鳴り始めるでしょう、
そしてあなたの魂を炎上させ続けます。
ああ、今、私の心の中で燃えています、
ああ、神の御名に栄光あれ。
“私もその一人です。”と言えるのがとても嬉しいです
(歌おう!)
ああ、そのうちの1つ、そのうちの1つ;
“私もその一人です。”と言えるのがとても嬉しいです
(ハレルヤ!)
そのうちの1つ、そのうちの1つ;
“私もその一人です。”と言えるのがとても嬉しいです
(そのうち何個ですか、手を挙げてください?
ああ、私の!ああ、私もその一人になれて本当に嬉しいです。)
そのうちの1つ、そのうちの1つ;
“私もその一人です。”と言えるのがとても嬉しいです
(ハレルヤ!)
そのうちの1つ、そのうちの1つ;
“私もその一人です。”と言えるのがとても嬉しいです
彼らは上の部屋に集まっていた
すべては神の名において祈っています。
彼らは聖霊のバプテスマを受けました、
それからサービスのための電力がやって来ました。
さて、その日、神が彼らのためにしてくださったことは、
彼もあなたのために同じことをしてくれるでしょう。
“私もその一人です。”と言えるのがとても嬉しいです
ああ、そのうちの1つ、そのうちの1つ;
“私もその一人です。”と言えるのがとても嬉しいです
(ハレルヤ!)
そのうちの1つ、そのうちの1つ;
“私もその一人です。”と言えるのがとても嬉しいです
さて、私たちが再びそのコーラスを歌っている間、皆さん一人一人が振り返って、そばにいる誰かと握手して、「“あなたもその一人ですか?”」と言ってほしいと思います よし。
そのうちの1人(あなたがそうであることは知っています、兄弟[名前は不明]
そうだと分かってる 兄さん [名前は不明]) [兄さん
ブランハムは近くの人々と握手する。]
…………..そのうちの1つ。
ああ、そのうちの1つ、そのうちの1つ;
“私もその一人です。”と言えるのがとても嬉しいです

121. それから兄が来て、この祝福を求めてください
それはあなたの心を罪から清めるでしょう、
すると喜びの鐘が鳴り始めるでしょう、
そしてあなたの魂を炎上させ続けます。
ああ、それは私の心の中で燃えている、
神の御名にすべての栄光あれ。
“私もその一人です。”と言えるのがとても嬉しいです
そのうちの1つ、そのうちの1つ;
“私もその一人です。”と言えるのがとても嬉しいです
(ハレルヤ!)
そのうちの一人、私もその一人です、
“私もその一人です。”と言えるのがとても嬉しいです
小さな女の子がピーターに言ったことを覚えていますか“あなたもその一人ではありませんか?” すごく嬉しいよな?ご存知のように、ペテロはペンテコステの日にこう言いました、“これです!” さて、私はいつもこう言ってきました。“もしこれがそれじゃなかったら、これを手に入れてよかった、それが来るのを待っている。” そうだね。これは嬉しいです。
なぜなら、私も彼らの一人だからです、私も彼らの一人です;
“私もその一人です。”と言えるのがとても嬉しいです
ああ、そのうちの1つ、そのうちの1つ;
“私もその一人です。”と言えるのがとても嬉しいです

122. 嬉しい明日が待っています
真珠の門が大きく開く場所、
そして私がこの悲しみのベールを越えると、
反対側で休みます。
いつか人間の親族の手の届かないところに、
いつか神はいつ、どこでしか知らない
死すべき命の車輪はすべて静止します、
それから私はシオンの丘に住むつもりです。

123. イエスの名を携えて、
悲しみと悲嘆の子
それはあなたに喜びと慰めを与えるでしょう、
どこへ行っても持って行け。

124. 明日の午後—明日の夕方—は幕屋で伝道的なメッセージが行われます。そして明日の夜、罪を悔い改め、バプテスマを受けなかった皆さん、プールは開かれるでしょう。私たちは主イエス・キリストの名において人々にバプテスマを授けます。

125. 名前を取って(鳴らして!) イエスがあなたと共にいること、
悲しみと悲嘆の子
それはあなたに喜びと慰めを与えるでしょう、
どこへ行っても持って行け。
尊い名(尊い名!)、おお、なんと甘いのでしょう!
地上の希望と天の喜び;
尊い名(ああ、尊い名!)、おお、なんと甘いことでしょう!
地の希望と天の喜び。
よし。今から牧師に奉仕を向けます。彼は、頭の中にあることを何でも、私たちに解雇するよう誰かに代わって言葉を発したり、話したりするでしょう。