1. 最も聖く、義なる神よ、あなたの愛と慈しみのゆえに感謝いたします。
それは私たちにとって、いのちにまさるものです。
どうか今夜、特別な方法で私たちに会ってくださり、あなたの祝福を与えてください。
私たちの愛する救い主が、その大いなる差し伸べられた御手をもって、病める者、苦しむ者に仕え、また今夜、罪の道に疲れた人々に歓迎の手を差し伸べてくださるのを、私たちが見ることができますように。
そして、その人たちを、彼らが迎えられている父の家へと招き入れてください。
また、まっすぐで狭い道から迷い出てしまった人々をも、あなたが覚えていてくださるようにお願いいたします。
どうかその人たちも再び父との交わりへ帰って来ることができますように。
そして今夜、主よ、人々の耳を開いて福音を聞かせてください。
また語る者の唇に油を注ぎ、きよめてください。
どうか私たちを、ただあなたの栄光のために用いてください。
この礼拝の終わりに、それぞれの場所へ帰って行く時、エマオから来た人々のように、
「道々お話ししてくださった時、私たちの心は内に燃えていたではないか」
と言うことができますように。
私たちは、あなたの御子、主イエスの御名によってお願いいたします。
アーメン。
2. ルカによる福音書第17章、26節からです。
「ノアの日にあったように、人の子の日にもそのようなことがあるでしょう。
人々は食べ、飲み、めとり、とつぎなどしていましたが、ノアが箱舟に入ったその日、洪水が来て、彼らをみな滅ぼしてしまいました。
また、ロトの日にあったようにも、そのようなことがあるのです。
人々は食べ、飲み、売り買いし、植え、建てていました。
しかし、ロトがソドムを出たその日、火と硫黄が天から降って、彼らをみな滅ぼしてしまいました。
人の子が現される日にも、まさにそのとおりになるのです。」
そして、テキストとして、創世記第19章22節から取りたいと思います。
「急いでそこへ逃げなさい。あなたがそこへ着くまでは、私は何もすることができないのだから。」
もう少しブラナム兄弟らしい語り口に整えるなら、こうもできます。
「今夜は聖書から少し読みたいと思います。
ルカ17章26節からです。」
「ちょうどノアの日にあったように、人の子の日にもそのようになる。
人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていたが、ノアが箱舟に入ったその日、洪水が来て、彼らをみな滅ぼしてしまった。
またロトの日にもあったように、人々は食べ、飲み、売り買いし、植え、建てていた。
しかしロトがソドムを出たその日、火と硫黄が天から降って、彼らをみな滅ぼしてしまった。
人の子が現される日にも、まさにそのようになるのである。」
「そしてテキストとしては、創世記19章22節を取りたいと思います。」
「急いでそこへ逃れなさい。あなたがそこへ着くまでは、私は何もすることができないのだから。」
3. そして今夜は、その続きを話したいと思います。
私たちは、全能の神のさばきが近づいている、その熱い風を感じることができます。
こうしたことを感じ始める時、私たちは、自分たちがどのような時代に生き、どのような時を通っているのかを、よく見つめるべきなのです。
少し前、私はインドを訪れる特権にあずかりました。
そして、私がインドに行く少し前に、大きな地震がありました。
私はインドの新聞で読んだのですが、その地震が来るおよそ二日前には、何かがおかしいということを、彼らは感じていたようでした。
大きな建物の裂け目に住み、大きな石の壁沿いに巣を作っていた小さな鳥たちがいました。
インドには石の壁が多いのです。
その裂け目に巣を作っていた小鳥たちは、みなその壁を離れました。
また、午後になると大きな建物のまわりや、大きな石の壁のそばの日陰に集まっていた牛たちも、地震の約二日前になると、みな野原の真ん中へ出て行って立っていたのです。
お分かりでしょう。
そこには何かがあったのです。
神は、ご自分の小さな鳥たちや動物たちの面倒を見ておられたのです。
4. そして神は、ご自分の造られたものすべてを支配しておられるのです。
私はこう考えていました。
もし神が、小さな鳥や、牛や、羊にまで心を配り、滅びが襲う前にそれらをそこから連れ出されたのだとしたら、なおのこと、ご自分の御霊によって生まれ、その血によって洗われたご自分の子どもたちのことを、どれほど深く心に留めておられることでしょうか。
神は彼らのことを心にかけておられるのです。
そして、小鳥たちにその住みかを離れるよう警告されたように、私はまことに、神が今日ご自分の民にも警告しておられるのだと信じます。
私たちは、神の来臨が間近に迫っているその大いなるしるしを見ています。
そして私は、この終わりの日に、神がご自分の民に集まるよう命じておられ、大いなる呼び集めが起きているのだと信じます。
5. 「教会は患難の前に行くのか?」
です。
さて、もう皆さんが思っている以上に遅い時に来ています。
あまりにも遅くなっていて、私はアメリカではもう、ほとんど遅すぎるくらいだと信じています。
私たちはまさに、道の終わりに来ているのです。
そして今朝、バビロンとその状態について説教していた時、今夜は聖書からいくつかのことを取り上げて、私たちがどれほど主の来臨に近づいているかを示すのが、とても良いことだと思いました。
そして私たちは、肉の目をもって見ても、何かがまさに起ころうとしていることが分かります。
人々の間には、このような騒ぎと混乱があります。
もうリバイバルを持とうとしても、なかなか難しいほどです。
教会は教派の隔てのためにあまりにも分かれていて、互いに激しく対立しています。
そしてクリスチャンたちも、どこか神経質になり、動揺しているように見えます。
しかし皆さん、ご存じでしょう。
不思議なことですが、私たちの主は、こうしたことが起こり始めたなら、あなたがたの贖いが近づいているのだから、上を見上げなさい、と言われたのです。
そして私たちは、主の大いなるあわれみが私たちに示されているのを見ます。
また、主の大いなるしるしと不思議の御手を見ています。
あと数分もすれば、私たちの目も開かれて、それを見守ることになるでしょう。
そうして私たちには、この上なく厳粛な慰めが与えられるのです。
すなわち、聖書の神は今日もなお生きておられる、ということです。
そして神はご自分の子どもたちを愛しておられます。
神は彼らに警告を与えておられるのです。
そして霊的な思いを持つ者たちは、そこから出て来るのです。
6. 「ノアの日のように、またロトの日のように」
と言われました。
さて、どの時代の節目においても、神は常に、さばきの呼び声の前に、あわれみの呼び声をお与えになるのです。
さて、皆さんが歴史に目を向けるなら……。
私はこの一週間、またここ二、三週間、教会の古代史、すなわちニカイア会議直前のニカイア以前の教父たちについて学んでいました。
そしてその後、彼らは千五百年の暗黒時代におけるカトリック教会の形を作り上げて行ったのです。
そして私は、そのニカイア以前の文書の中に、彼らが今日の私たちと全く同じようなものを持っていたのを見たのです。
ああ、なんと歴史は繰り返すのでしょう。
そして教会の状態、人々の状態、時代のしるしを見ると、それらは至る所に記されているのです。
7. ひとりの御使いを、ひとりの預言者を、ひとつのメッセージを送られるのです。
そしてこれまで毎回そうであったように、それはことごとく退けられてきました。教会はそれを受け入れようとしないのです。
ノア……。ここで主はノアについて語っておられます。
そしてノアは百二十年のあいだ宣べ伝えました。
そのメッセージはあわれみであったのに、人々は彼の教えに耳を貸しませんでした。それは彼らを救うためのものであったのに、それでも彼らは聞こうとしなかったのです。そして、もしこれが今日の時代の実に鮮やかな姿でないというなら、何でしょうか。さて、皆さんはこう言うかもしれません。
「ブラナム兄弟、どうして『美しい』などと言えるのですか。今あなたが私たちに描いているのは、こういう姿ではありませんか」と。
けれども、それは美しいのです。
なぜなら、主イエスはまもなくご自分の教会のために来られるからです。
そしてこの混乱の中から出て、主の祝福に満ちた栄光の中へ入るということは、神のどんな被造物にとっても考え得るかぎり最も美しい思いなのです。
そこでは、老いた者は若くなり、病める者は永遠に癒され、もはや悲しみも心痛もなくなるのです。もしこれが私にとって考え得る最も美しいことでないなら、他に何があるでしょうか。あの集められる時を待ち望む者たちにとって、それはなんと幸いなことでしょう。
8. 主は、「その時代を手本として見なさい」と言われたのですから、少しそこへ戻ってみましょう。
さて、カインとアベルのことですが……。
カインがアベルを殺し、その後セツが彼の代わりを取った時、私たちはそこに、神が約束されたあの種、すなわち
「女の種が蛇の種の頭を砕く」
と約束されたその種を、サタンが滅ぼそうとしていたのを見るのです。
サタンは、その王なる種を滅ぼそうとしていたのです。
そして、アベルを滅ぼした時、自分はそれを成し遂げたと思ったのです。
しかし神は、その代わりにセツを起こされました。
これは実に美しい型です。
すなわち、王なる種として来られるキリストの死と復活の姿なのです。
説教調に少し寄せるなら、こうもできます。
さて、イエスがノアの日へとさかのぼって語られたことに、私たちは目を留めます。
主は、「その日を手本として取りなさい」と言われたのです。
それで、少しそこへ戻ってみましょう。
さて、カインとアベルですが、カインがアベルを殺し、その後セツが彼の代わりに立てられた時、そこに私たちは、神が約束してくださったあの種、
「女の種は蛇の種の頭を砕く」
と約束されたその種を、サタンが滅ぼそうとしていた姿を見るのです。
サタンは、その王なる種を絶とうとしていたのです。
そしてアベルを滅ぼした時、自分はやり遂げたと思ったのです。
しかし神は、その代わりにセツを起こされました。
それは、やがて来られる王なる種、キリストの死と復活を示す、なんと美しい象徴でしょう。
9. 彼らは教会に通う人々でした。
そしてカイン自身もまた、教会に通うような人でした。
彼は主を礼拝しました。
祭壇を築きました。
教会に属していました。
自分のなすべきことも果たしていました。
人が彼を見れば、あらゆる点で、まことの信者のように見えたのです。
しかし、人には三つの種類しかありません。
信じる者、不信者、そして信じるふりをする者です。
そして今夜も、この世はその人たちで満ちているのです。
カインは、まさに信じるふりをしていたのです。
そして彼の子孫からは、教会に通う大きな集団、たいへん宗教的な人々が出て来ました。
さて、これは非常に異例なことですが、気づきましたか。
彼の側からは、文化的で、教育を受けた人種が出て来たのです。
聖書ははっきりそう述べています。
彼らは町を建て、偉大なことを成していたのです。
科学はカインの子孫から出て来ました。
そして偉大な科学者たち、医者たち、優れた人々はカインの子孫から出て来たのです。
一方、もう片方は、貧しく素朴な農民のような人々でした。
しかし彼らは、自分たちの神が現実に生きておられると信じる人々でした。
ああ神よ、私をその群れの中に数えてください。
10. そして大きな教会の側が、まるで勝ったかのように見えたのです。
ちょうど今日と同じようにです。
というのも、科学が……。
そしてもう一つの大きなことに、彼は「彼らは建てていた」と言いました。
歴史の中で、今ほど建築が盛んな時代は、かつてありませんでした。
これは終わりの時のしるしの一つです。
これほどまでに建てる時代を、私たちはこれまで持ったことがなかったのです。
そして今では、この小さな町でさえ、もうウサギ狩りに行く場所が十分に見つからないほどです。
どこも住宅地になってしまいました。
ただ建て、また植えているのです……。
そして、もし私たちが目を開くなら、それは終わりが近いことを示す、神の道しるべの一つなのです。
少しだけ説教調を強めるなら、最後はこうもできます。
「それは、終わりが間近に迫っていることを示す、神の立てられた道しるべの一つなのです。」
11. 今ではモスクワに立ったまま、ルイビルのフォース・ストリートの真ん中へ向けてミサイルを発射することができ、しかもモスクワを一歩も離れないのです。
そしてそれは、地面に深さ百七十五フィートの穴をあけ、その破壊はそこから百五十マイル四方にも及ぶのです。
それほど大きな穴になるのです。
そのうち三発もあれば、全世界を滅ぼし、この地球を軌道から揺り動かすことさえできるでしょう。
科学――分かるでしょう、それがどちら側についているか。
それは悪しき側についているのです。
神は、ご自分の子どもたちに、自分たちの持つすべてのことについて神を信頼するよう求めておられます。
しかし私たちは、人の手を頼りたがるのです。
私は、組織を作って
「これが道だ」
と言うどんな教育ある人々の集まりに望みを置くよりも、キリストの上に望みを築き、その恵みとあわれみの上に厳かに立っているほうがよいのです。
キリストは言われました。
「わたしは道であり、真理であり、光(命)である。
わたしによらなければ、だれひとり父のみもとに来ることはできない。」
12. それはまた、世界的な争いの大きな時代でもありました。
そして、まさにそのただ中に……。
彼らは、おそらく私たちが今持っている以上の科学の世界を持っていたに違いありません。
彼らはピラミッドを建てたのです。
私たちには、あのピラミッドを建てられるようなものは一つもありません。
もしあなたがその近くに行ったことがあるなら……。
私はエジプトのものや、メキシコのものを見ましたが、それらは街区ほどもの高さがあり、その大きな石は何百トンにもなるような巨石です。
それがあの巨大な建造物の頂上にまで積み上げられているのです。
しかも、それらはあまりにも正確に切り出されていて、かみそりの刃一枚入るすき間さえありません。
それほど見事に切り整えられていたのです。
ああ、なんという科学の時代でしょう。
そしてまた、それは地球の中心に対してあまりにも正確に据えられているので、太陽がどこにあっても、その周囲には決して影ができないのです。
私は、現代の科学をもってしても、果たしてそれに並べるかどうか疑わしく思います。
しかしイエスは言われました。
「その日のようであったように……人の子の来る時にも、そのようになる。」
少しだけ説教調に寄せるなら、最後はこうもできます。
「しかしイエスは言われました。
『あの日にそうであったように、人の子の来臨にもまた、そのようになる。』」
13. そして気づいてください、彼は人々にあざ笑われたのです。
またイエスは、ロトの日のようにもなる、と言われました。
ロトの日には、人々は食べ、飲み、めとり、とつぎ、植え、建て、売り、買っていました。
ああ、今日ほど商業化した時代は、かつてありませんでした。
中古車の売り場や、あらゆる物があふれています。
今年、冷蔵庫を買って四百ドルか五百ドルほど払ったとしても、来年になると、もうだれも欲しがらないのです。
流行遅れになってしまうからです。
商業の世界が、あなたをどれほど締めつけているか、分からないでしょうか。
今年、車を買う。
そして来年買える車と比べても、たぶん性能はそれほど変わらない。
それでも千ドルも値が下がってしまうのです。
なぜかと言えば、ラジエーターのキャップを変えたり、何かつまらない小さな変更を加えたりするからです。
それはただ、聖書を成就させるための売り込み文句にすぎないのです。
「ノアの日のように……またロトの日のように……。」
少しだけ説教調に整えるなら、最後はこうもできます。
「それはただのセールストークにすぎません。けれども、そのことさえ聖書を成就しているのです。『ノアの日のように、またロトの日のように。』」
14. 神のメッセージは、終わりの時の直前には、いつでも救い出しのメッセージなのです。
聖書を通して調べてみなさい。
ノアは救い出しを宣べ伝えました。
しかし人々は彼を笑い、あざけり、さげすんだのです。
そしてその日のようであったように、今日もまたそのとおりです。
そして、キリストが死者の中からよみがえられたこと、しかも御自身が約束されたとおりに、御自身を現してくださるのだというメッセージを携えて出て行くと、人々は今日も、そのメッセージに対して、あの日と全く同じことをするのです。
ロトはソドムへ出て行き、自分の親族に御使いのメッセージを聞かせようと最善を尽くしました。
しかし彼らはロトをあざ笑い、彼がふざけているのだと言いました。
ああ、なんとこれはこの時代の姿そのものでしょう。
神の救い出しのメッセージを人々のところへ持って行くと、彼らはこう言うのです。
「おまえは宗教をもてあそんでいる。」
「何かをまねしようとしているのだ。」
全く同じ型の人々です。
私たちはなんという時代に生きているのでしょう。
なぜなら、彼らは自分たちだけが救われるのだと思っているからです。
自分たちだけが福音を宣べ伝えているのだと思っているのです。
しかしイエスはこう言われました。
「信じる者には、これらのしるしが伴う。」
これは私のことばではありません。
主ご自身のことばなのです。
15. 手短に、あなたにぜひ気づいていただきたいのは、そのメッセージがどんな種類のものであったか、ということです。
ああ、これは私の心をただ震わせます。
ソドムとゴモラは、道徳的にあまりにも汚れ果てていて、倒錯した者たちが至る所にいました。
しかし、その最後の大いなる滅びの直前に、神はひとりの預言者をそこへ遣わされたのです。
そしてまた、神はひとりの御使いをもそこへ遣わされたのだ、と私は思うのです。
そして私は、あなたにその御使いのメッセージに目を留めてほしいのです。
アブラハムは、主にある軽んじられた少数の者たちと共に、その道を選び取りました。
彼は土地のやせた荒野へ出て行ったのです。
一方ロトは下って行って、その町の長のような立場になりました。
彼は罪の中にありながらも、大人物になっていたのです。
私は、そんなに人気者になるより、神の前に正しい者でいたいと思います。
しかしロトはたいへん人気がありました。
そして彼は町の門に座っていました。
彼は、何が中へ入るべきか、何が入るべきでないかを裁く立場にいたのです。
そのようにして彼は、自分のいのちを淫行のただ中へ投じながら、しかも自分の町でそうしたことが行なわれているのを知っていたのです。
少しだけブラナム兄弟らしい説教調に整えるなら、最後はこうもできます。
「そこに彼はいたのです。淫行の中へ自分のいのちを投じながら、自分の町の中でそうしたことが行なわれているのを知っていたのです。」
16. 無修正の番組、あらゆる種類の愚かさ、意地の悪さ、乱れ……。
ああ、彼らがその気になれば、そうしたものを止めることもできるのです。
けれども、そうしたくないのです。
そしてまた、彼らにはそれができないのです。
なぜなら、神が「このようになる」と言われたからです。
もし彼らがただ目を開いて、理解することさえできるなら……。
そして気づいてください。
その大いなる重大な時が来る直前、アブラハムとサラは樫の木の下に座っていました。
ある日、彼らがそこにいると、サラは人々がやって来るのを見て、急いで天幕のほうへ行きました。
なんという違いでしょう。
今日の女性たちとは、まるで違います。
そして、ソドムではなおさら、どれほど違っていたことでしょう。
男たちが家に帰って来る時間になると、彼女たちはみな短い服を着て外へ出て、芝刈り機を押しに行くのです。
なんという違いでしょう。
少しだけブラナム兄弟らしい説教調に寄せるなら、最後はこうもできます。
「なんという違いでしょう。全く別の時代です。」
17. そしてそうした時、その人たちが近づいて来て、アブラハムは彼らを見ました。
彼らはどこか少し、普通ではない不思議な人たちのように見えました。
そしてそのうちのおひとりが、語る方のようでした。
その方が座ってアブラハムと話し始めると、アブラハムは言いました。
「どうぞここにお座りください。私は行って少し水を取って来て、あなたの足を洗いましょう。
また少しパンをこねて支度をし、少しばかり肉を用意いたします。
それから、あなたは旅を続けて行かれたらよいでしょう。」
そして彼は群れの中へ走って行き、肥えた子牛を見つけてほふり、サラには少しパンをこねて菓子を焼くように言いました。
そして彼はそのお方と語り合ったのです。
私は、どういう形であれ、アブラハムはあれがどなたであるかを知っていたのだと信じます。
そして、語っておられたそのお方は、天幕に背を向けておられました。
その方こそ、その日の使者だったのです。
そしてその方は言われました。
「アブラハムよ、わたしは約束のとおりにあなたを訪れよう。
わたしがあなたに約束を与えてから二十五年になる。
そして、わたしはその約束を守り通す。」
ああ、主の御名はほむべきかな。
少しだけ説教調に寄せるなら、最後はこうもできます。
「そして、わたしはその約束にとどまり続ける。」
「ああ、主の御名はほむべきかな。」
18. 終わりの日に、ご自分の御霊をすべての肉なる者の上に注ぐと。
そして神は、その約束を守り通されるのです。
イエスも約束をなさいました。
「わたしのしているわざを、あなたがたもするようになる」
と。
そして主は、その約束を守り通されます。
主は義なる方だからです。
そしてアブラハムはその方を見つめました。
するとその方は言われました。
「来月の今ごろ、いのちの定めの時に従って、わたしはあなたを訪れよう。
そしてサラは、わたしが約束したその子を産むことになる。」
少し説教調に寄せるなら、最後はこうもできます。
「そしてサラは、わたしが約束したその赤子を抱くことになる。」
19. その時サラは、御使いの後ろ、天幕の内側にいて、そこで笑ったのです。
すると、その御使いは天幕に背を向けたままで、こう言われました。
「なぜサラは笑ったのか。」
それが、その使者だったのです。
ああ、私が何を語っているか、お分かりでしょうか。
あれはいったい、どんな精神感応だったというのでしょう。
その方は天幕に背を向けておられ、サラはその中にいて、ただ微笑んだだけでした。
それなのに、その方は
「なぜ彼女は笑ったのか」
と言われたのです。
その方は知っておられたのです。
そして、それこそがソドムとゴモラが焼かれる前の、最後のメッセージでした。
兄弟よ、もしあなたが今夜それを聞く耳を持つなら、これもまた、この世界が焼かれる前の最後のメッセージなのです。
その御使いの性質を見てください。
あの御使いはだれだったのでしょうか。
それは神でした。
覚えていてください。アブラハムはその方を
「主」
と呼んだのです。
そして、そこでの訳は エロヒム、すなわち
「偉大にして力あるエホバ」
です。
それは、再び肉に現されたイエス・キリストでした。
20. 「それがそうだったと言うのですか……。いったいどうやって、あの方はそのからだを得たのですか。」
どうしてでしょう。
ただ二人の御使いを呼び、ひと息吹きかけられただけで、原子も、カルシウムも、カリウムも一つに集まり、ガブリエルがその一つのからだに入り、もうひとりの御使いがもう一つのからだに入ったのです。
そして神は、ご自身のためにも一つのからだを造られたのです。
その聖なる御名はほむべきかな。
今夜、私は本当にうれしく思います。
ご自身の住まわれるためのからだを造ることのできる、その同じ全能の神がおられることを知っているからです。
私の信頼はこの方にあります。
いつの日か、この方が、約束してくださったとおりに、このからだをもよみがえらせてくださるのです。
そして神は、あの時そこでなさったのと全く同じことを、今私たちのただ中でしておられるのです。
(ああ、栄光ある御名をほめたたえます。)
私たちに警告を与え、私たちに語りかけ、備えをするように告げておられるのです。
もちろん主はこう言われました。
「しばらくすると、この世はもはやわたしを見なくなる。
しかし、あなたがたはわたしを見る。
わたしはあなたがたと共に、いや、あなたがたの内にいて、世の終わりまでいるからである。」
私たちは、なんという時に生きていることでしょう。
少し説教調に寄せるなら、最後はこうもできます。
「私たちは、なんという時代に生きているのでしょうか。」
21. 火をもたらしたその御使いこそが、その奇跡を行なった方だったのです。
そして私たちはみな、この世が次には火によって滅ぼされることを知っています。
そして、ソドムとゴモラへ遣わされたその御使いについて……。
イエスが何と言われたかを見てください。
ああ、そこに来ると、私の魂はただ震えるのです。
「ノアの日のように、人の子の来臨にもそのようになる。」
その御使いは何をしたのでしょうか。
その方は、見分ける御霊を持っておられました。
そしてこう言われたのです。
「その時そうであったように、人の子が天から現される時にも、そのようになる。」
見えるでしょうか。
ちょっと考えてみてください。
今、私たちのただ中に立っておられるのは、その同じ神の御使いなのです。
それはほかでもない、聖霊の姿をとっておられる主イエス・キリストなのです。
その方が、私たちのただ中におられるのです。
そして、あの時……。
その方は神でした。
そしてそれが、滅びが来る直前の、その方のメッセージだったのです。
22. その方は下って行って、人々を救い出そうとされました。
けれども彼らは、その方の言うことを聞こうとしませんでした。
そして今日も、私たちの国において、私たちの民の間で、全く同じことが起こっています。
私は、集会の中で、私たちの主イエスがしるしや不思議、そして大いなることを行なってくださるのを見る特権にあずかってきました。
そして人々は、実際に演壇に立ち、偉大で、不死で、無限なる神がそこに臨在し、同じ種類の奇跡を行なっておられるのを、少しの疑いもなく知っているのです。
それなのに、彼らはそこに立ったままガムを噛み、そして何事もなかったかのように演壇を降りて行くのです。
心を動かされることもなく、まるで気にも留めないのです。
少し説教調に寄せるなら、最後はこうもできます。
「何の関心も示さず、まるで気にもかけないまま立ち去って行くのです。」
23. もし人に少しでも霊性というものがあるなら、あるいはその人のうちに神の御霊があるなら、主イエスがまさに御自身の言われたとおりのことを行なわれるのを見た時、その心はあまりにも強く揺り動かされて、もはや黙っていることなどできないはずです。
その人は、そのメッセージをもって国中に火をつけるようになるでしょう。
主は言われました。
「あの日々にあったように、そのようになる。」
そのメッセージは出て行きました。
しかし人々は、それをただ笑い、あざけっただけでした。
まるで、だれかがつまらない作り話でもしているかのように受け取ったのです。
けれども、それはあわれみのメッセージでした。
それは恵みのメッセージでした。
それは救い出しのメッセージだったのです。
ああ、何ということでしょう。
そして、その朝、御使いはロトに、メッセージを与えた後でこう言いました。
「急ぎなさい。ここへ来なさい。
あなたがここへ来るまでは、私は何もすることができないのだから。」
24. 祈りの列がありますので、ここは少し短くしなければなりませんが。
御使いが何と言ったか、気づきましたか。
「あなたがここへ来るまでは、私は何もすることができない。」
それは何だったのでしょうか。
それは救い出しのメッセージだったのです。
天から火のひとかけらでも落ちる前に、ロトはソドムから出ていなければなりませんでした。
そして天から雨の一滴でも落ちる前に、ノアは箱舟の中に入っていました。
それと同じように、原子爆弾がこの国を打つ前に、教会は携挙されて、主イエスに会うために上って行くのです。
そして、もしスプートニクやミサイルがすでに配置され、引き金が引かれる備えまで整っているのなら、御使いたちもまた、みな整列して立っているのです。
ハレルヤ!天の大いなる回廊は、すでにいっぱいです。
琴はみな調律されています。大いなる楽団も、すでに備えを終えています。
生ける神の教会のための帰郷の時は、もう間もなくです。
その教会は、主の来臨を待ち望んできたのです。すべてのものは整えられています。私は本当にうれしいのです。私はもう、あまりにも疲れています。
ああ、あの大いなる時を思うと……。そして、この時代の節目において、私たちにも一つの分が与えられていたのだと考えると……。
覚えていてください。「人の子の来臨にもそのようになる。すなわち、人の子が天から現される時である。」今、思い出してください。雨が降る前に、ノアは箱舟の中にいました。火が降る前に、ロトはソドムの外にいました。
なぜなら御使いは、こう言ったからです。
「あなたがここへ来るまでは、私は何もすることができない。
わたしの手には、引いて天から火を降らせる、その取っ手が握られているのだ。」
そして私は、それがまさにこの通りだと思うのです。
滅びの御使いは、原子爆弾を持つロシアの手を押さえているのです。
教会が、キリストの一つの大いなるからだとして集まるまでは。
「あなたがここへ来るまでは、私は何もすることができない。」
ああ、これが祝福された確信でなくて何でしょう。
そして、すべてのものが整えられているのを見るなら、教会の帰郷もまた整えられているのです。
ここに、同じメッセージを携え、同じしるしを行ない、同じ不思議を現される神の御使いがおられます。
すべてのものが整えられているのです。
25. そして今、それがここにあるのです。
私たちは終わりの時に来ています。
この時代の分岐点は、もうここにあります。
教会にとって、帰郷の時はもう近いのです。
批評家たちは、あざけり、笑いものにし、さげすんでいます。
ちょうどネブカデネザル王やベルテシャザルの時のように。
またノアの日のように。
ロトの日のように。
そして今日もまた、彼らは同じことをしているのです。
「あなたがここへ来るまでは、私は何もすることができない。」
ここで、あなたに気づいてほしいのです。
ロトは、自分を滅ぼすものの中から出て来ました。
そしてノアは、自分を救うものの中へ入って行きました。
それは教会の型です。
私たちは、この世から出て来るのです。
そして、今私たちが生きているこのエルヴィス・プレスリーやアーサー・ゴッドフリーの時代から離れるのです。
この世から出て、キリストの中へ入るのです。
この世から出るのです。
この世に属する者たちは、この世と共に滅びます。
しかしキリストの内にある者たちは、キリストと共に帰って行きます。
「キリストにあって眠った者たちを、神は、主が来られる時に、主と共に連れて来られる」のです。
私たちは安全のために、この世から出て、キリストの中へ入るのです。
少しだけブラナム兄弟らしい説教調に寄せるなら、この一文はとても自然です。
「私たちは、この世から出て、身の安全のためにキリストの中へ入るのです。」
26. 「しかし、あなたがここへ来るまでは、私は何もすることができない。」
私はそのことばが好きです。
急ぎなさい、逃れなさい。
そのメッセージは切迫しています。
「急げ、急げ、逃れなさい。」
主の御名はほむべきかな。
イエスは、この福音が宣べ伝えられると約束されました。
そしてそれは、もう長い年月にわたって宣べ伝えられてきました。
そして今、それは終わりの時に来ているのです。
最後の大いなるしるしです。
御使いたちが
「急げ」
と叫ぶその直前、その方は振り向いてこう言われました。
「なぜサラは笑ったのか。」
滅びの御使いはこう言われました。
「わたしは彼らの罪について聞いた。
そして、それが本当かどうかを見るために下って来たのだ。」
そして、そのとおりであることを見いだされたのです。
そのメッセージは、恵みであり、あわれみであり、救い出しでした。
しかし同時に、
「急げ、急げ」
だったのです。
ああ、子どもたちよ、うなだれて座り込み、あれこれ思い惑っていてはいけません。
急ぎなさい、急ぎなさい、すぐに。
時はもう迫っているのです。
どこへ走るのですか。
小鳥たちがしたように、外へ逃れるのです。
この現代の大きなバビロンの壁、この大きな古い教派の壁から離れなさい。
そこでは
「今は時が違うのだ」
と言っています。
また、
「神の癒しなどというものはない。奇跡などない」
と言う、大きな不信仰の教会の壁から離れなさい。
そうした壁から離れなさい。
それらは崩れ落ちるのですから。
それらは滅びと敗北の中へ落ちて行くのです。
なぜなら、私の神がそう言われたからです。
向こうのカルバリのただ中へ走りなさい。
鳥たちが木へ逃れたのなら、あなたもその木へ行きなさい。
すなわち、キリストが十字架につけられたあの木へ。
そこで、主のあわれみのただ中に身を置き、この嵐が過ぎ去るまで神に叫び求めなさい。
「急ぎなさい、逃れなさい、ここへ来なさい。
あなたが出て来るまでは、私は何もすることができないのだから。」
主は、あなたを待っておられるのです。
少しだけ説教調をさらに強めるなら、最後はこうもできます。
主は、今もあなたを待っておられるのです。
27. ああいうたぐいの芝居が始まったら、そのテレビから離れなさい。
ロックンロールが流れ始めたら、そのラジオを切りなさい。
婦人らしくふるまいなさい。婦人らしく装いなさい。
男らしくふるまいなさい。男らしく装いなさい。
クリスチャンのように語りなさい。クリスチャンのように生きなさい。
すべての橋を焼き払ってしまいなさい。
急ぎなさい、出て来なさい。
滅びはもう間近です。
神はもう、うんざりしておられるのです。
ああ、それはあなたが思っているより、もっと遅い時なのです。
その時はもう迫っています。
御使いのあわれみ……。
そのメッセージを携えて来られたあわれみの御使いが、今夜ここにおられるのです。
あなたはそれを信じますか。
教会は患難時代の前に行かなければならないのでしょうか。
見て下さい。イスラエルはゴシェンに入り、エジプトは暗やみの中へ入りました。イスラエルは約束の地へ向かいました。しかしエジプトは暗やみの中に落ち、ついには紅海に葬られたのです。
28. それは、あなたにとって最後の機会になるかもしれません。
そして覚えていてください。
私たちは、ミサイルが備えられているのを見ています。
そのことを耳にしています。
新聞でも読んでいます。
全世界が震えています。
神が言われたすべてのことが、そのとおりに成就しつつあるのです。
それなら、どうなのでしょうか。
「人の子が天から御自身を現されるその日に……。」
人の子が現されるとは、何のことでしょうか。
それは、
「イエスキリストは昨日も、今日も、いつまでも変わることのない方です」
が現されることです。
見てください。
21節……いや、30節でした。
「まさにそのように、人の子が天から現される日にも、そのようになるのです。」
少し説教調に寄せるなら、最後はこうもできます。
「人の子が現されるその日にも、まさにそのようになるのです。」
29. イエスが地上におられた時、主はご自分を癒し主だとは
主張されませんでした。主はこう言われました。
「わざを行なっているのはわたしではない。わたしの父である。
しかしわたしは、父が示されることだけを行なうのだ。」
ヨハネ5章19節で、主はこう言われました。
「まことに、まことに、あなたがたに言う。
子は、父がしておられるのを見るのでなければ、自分からは何事もすることができない。」ピリポのことに目を留めてみてください。
彼が最初に回心した時、主イエスがその務めを始められたその初めに、何が起こったでしょうか。
さあ、人の子がどのように御自身を現されるのか、見てみましょう。
もし主が昨日も今日も、いつまでも同じであるなら、昨日なさったように御自身を現されなければなりません。
もし同じ方として御自身を現されるなら、同じメッセージを現されなければなりません。
静かにして、よく見ていなさい……。
少し説教調に寄せるなら、最後はこうもできます。
静かにして、そして見守っていなさい……。
30. ペテロが主のもとに来たのは、主の宣教が始まってからでした。
その時、彼はまだペテロとは呼ばれていませんでした。
別の名で呼ばれていたのです。
そして彼が主のもとに歩み寄ると、主はこう言われました。
「あなたはシモンであり、あなたの父はヨナである。」
あの年老いた漁師は思ったことでしょう。
「どうしてこの方が私を知っているのだろう。」
それから、ベツサイダ出身のピリポもまた……。
彼は山を回って向こう側へ行き、木の下で祈っている友人ナタナエルを見つけました。
そしてこう言ったのです。
「来て見なさい。私たちは見つけたのだ。
ナザレのイエス、ヨセフの子を。」
さあ、主がどのように御自身を現されたかを見てください。
すると彼は言いました。
「ナザレから、何か良いものが出るだろうか。」
ピリポは言いました。
「来て、見なさい。」
これこそ、人が他の人に与えられる最良の答えです。
批判するのではなく、自分で来て確かめてみなさい、ということです。
ああ、今日、私たちがただそれほど誠実でありさえしたら。
そして彼は、その道すがら、ナタナエルに説明し始めました。
こう言ったのです。
「ほら、ペテロだよ。昨日、あの人――ケパ、あの年取った漁師を知っているだろう。」
「うん、知っている。」
「彼がこの方の前に歩いて来ると、この方は、彼がだれであるか、そして彼の父親がだれであるかを言い当てたのだ。」
31. 「見なさい、まことのイスラエル人である。この人のうちには偽りがない。」
どうして主に、彼がイスラエル人だと分かったのでしょうか。
ギリシャ人たちも皆、同じような服装をしていて、見た目も同じようでした。
それなのに、どうして主は彼がイスラエル人だと分かったのでしょう。
主は、肉に現された神だったのです。
主は何をされたのでしょうか。
見つめ、そして彼を見抜かれたのです。
彼は言いました。
「ラビ、いつ私をご存じになったのですか。」
主は言われました。
「ピリポがあなたを呼ぶ前、あなたが木の下にいた時、わたしはあなたを見た。」
すると彼は言いました。
「これで決まりです。
あなたは神の子です。
あなたはイスラエルの王です。」
イエスは言われました。
「わたしがこれをあなたに言ったから、信じるのか。」
そして言われました。
「あなたは、これよりもさらに大きなことを見るようになる。」
しかし、不信仰な教会員たちは、そばに立っていました。
ああ、実に敬虔そうに、また実に堅苦しいほどに、確かにそうして立っていたのです。
彼らは大した教育を受け、神学の学校での豊かな学歴も持っていました。
そして彼らは言いました。
「この男は占い師だ。
ベルゼブルだ。」
イエスは言われました。
「あなたがたがそのことをわたしに向かって言うなら、わたしは赦そう。
しかし聖霊が来て、同じことを行なう時、それに逆らう一言でも、この世でも、来たるべき世でも、決して赦されることはない。」
32. その人は長血を患っていました。
そして彼女は群衆の中をかき分けて来て、主の衣にさわりました。
なぜなら彼女は心の中で、
「このお方にさわることさえできれば、私はよくなる」
と言っていたからです。
彼女は主にさわりました。
そして群衆の中へ戻って行って座ったのか、あるいはどうしたのか、とにかくそこへ身を引いたのです。
するとイエスは振り向いて、こう言われました。
「だれがわたしにさわったのか。」
するとペテロは主をたしなめました。
「ご覧ください、群衆みんながあなたにさわっているではありませんか。
それなのに、どうして『だれがわたしにさわったのか』などと言われるのですか。」
しかし主は言われました。
「いや、わたしは弱くなった。」
力――すなわち、活力が主から出て行ったのです。
そして主は、その目をもってあたりを見回し、ついに彼女を見つけ出されました。
主はどうやってそれをなさったのでしょうか。
それは、私たちには分かりません。
しかし主は、昨日も今日も、いつまでも変わることのない方なのです。
そして主は、そのような仕方で、御自身をユダヤの民に現されたのです。
少しだけ説教調に寄せるなら、最後はこうもできます。
「そして主は、そのようにして御自身をユダヤ人たちに現されたのです。」
33. 美しいサマリヤの女でした。
ご承知のように、人には三つの民族しかありません。
すなわち、ユダヤ人、異邦人、そしてサマリヤ人です。
ハム、セム、ヤペテの民です。
そしてサマリヤ人は、半分ユダヤ人で、半分異邦人でした。
(いつそれが始まったか、覚えているでしょう。彼らがその女たちと結婚した時からです、などと。)
そして、この若い女がそこへやって来ました。
私たちの国では、これはふしだらな女のことだと考えられていますが、そうではありませんでした。
そこにいるインドから来たこの青年が、そのことを話してくれるでしょう。
これは東洋の書物なのに、あなたがたはそれを西洋の教育で読もうとしているのです。
34. そこにはメソジスト教会の監督がいました。
そして、そこに立っていた人たちは皆こう言ったのです。
「ブラナム兄弟、どうか私たちに、あなたが宣教師だとは言わないでください。
私たちは聖書について、あなたがたアメリカ人がこれから先どれほど知るよりも、もっとよく知っています。」
そして、それは本当なのです。
彼は言いました。
「私たちは、あなたがたの国が一つの国になる二千年も前から、聖書を持っていたのです。」
そのとおりです。
聖トマスが下って来て宣べ伝えた、その聖トマス教会は今でもそこにあります。
しかし彼はこう言いました。
「けれども、神があなたがたを訪れて、この聖書を再び生きたものとしてくださった、と私たちは聞いています。
私たちが知りたいのは、そのことなのです。」
そこなのです。
この世は、生けるパンに飢えているのです。
35. 「女よ、わたしに飲ませてください。」
すると彼女は言いました……。
当時そこには隔てがありました。
けれども主は、そこに何の違いもないことを彼女に分からせようとされたのです。
神は、すべての人を一つの血から造られたのです。
そして主は言われました。
「もしあなたが、だれと話しているのかを知っていたなら、あなたのほうからわたしに求めて、飲み水をいただいたことでしょう。」
そして会話は続き、ついに主は彼女の霊をとらえられました。
それから主は、彼女の問題が何であるかを見抜いて、こう言われたのです。
「行って、あなたの夫を呼んで、ここへ来なさい。」
さて、ユダヤ人がそのように告げられた時、どうなったでしょうか。
ユダヤ人は言いました。
「あなたは神の子です。」
そのとおりです。
では、サマリヤ人は、そのように告げられた時どうだったでしょうか。
主は言われました。
「行って、あなたの夫を呼んで、ここへ来なさい。」
すると彼女は言いました。
「先生、あなたが預言者であることが分かります。
私たちは、メシヤ、すなわちキリストと呼ばれる方が来られる時には、その方がこうしたことを私たちに告げてくださることを知っています。
でも、あなたはどなたなのですか。」
主は言われました。
「あなたに話しているこのわたしが、それである。」
すると彼女は町へ走って行き、こう言いました。
「さあ、来てごらんなさい。
私がしてきたことを言い当てたひとりの人がいるのです。
この方こそ、あのメシヤではないでしょうか。」
36. なぜでしょうか。
それをこの日のために残しておかれたのです。
主がここで言われたのは、まさにそのことです。
「人の子が天から御自身を現される日には……。」
主は今、あわれみのために、教会に御自身を現しておられるのです。
次に主が御自身を現される時は、そのメッセージを拒んだ者たちへのさばきと滅びのうちにおいてです。
私たちに神のあわれみがありますように。
さあ、ほんのしばらく祈りましょう。
(「優しき声で、呼ばれる」をお願いします、ガーティー姉妹。)
少しだけ祈りの導入として自然に整えるなら、最後はこうもできます。
神が私たちをあわれんでくださいますように。しばらく祈りましょう。
37. あなたがたの期待している気持ちが、私には感じられるのです。
そして私はただ、こう思うのです。
ああ、ほんのしばらくでいい、自分自身にも、そして神にも、正直になってみてはどうでしょうか。
あなたは本当に、急いでここから出たいと思っているでしょうか。
今夜ここには、ひとりの方が臨在しておられます。
その方の名は、主イエスです。
その方は、あなたのための切符を持っておられるのです。
そしてあなたがしなければならないことは、ただその方にあなたの心を渡すことだけです。
そうすれば主は、それをご自身の血で洗い、すべての罪と疑いからきよめてくださり、主が来られる時には、あなたをその天へ連れて行ってくださいます。
そして、その時は朝まで来ないとは限らないのです。
スプートニク……。
妨げるものは何一つない、と科学者たちは言っています。
あなたも毎日のようにラジオやテレビで、それらの科学者たちへのインタビューを耳にしているでしょう。
彼らは、今この瞬間にも、この世界が吹き飛ばされるのを妨げるものは何もない、と言うのです。
ただ一杯のウォッカが入り、ひとつのレバーが引かれれば、それで終わりです。
急ぎなさい。
このメッセージは切迫しています。
急ぎなさい、逃れなさい。
あなたのいのちのために走りなさい。
そこから出て来なさい。
この現代のバビロンから出て来なさい。
その壁から離れなさい。
あなたの心を何かが引いているのを感じませんか。
もしあなたが本当に霊的で、神があなたに語っておられるなら……。
たしかに、あの小さな鳥たちに語られた神は、あなたにも語ることがおできになるのです。
38. ここには、人々を祭壇のまわりに集めるだけの場所がありません。
けれども、ただ手を挙げて、
「神よ、どうか私をあわれんでください」
と言ってくださればよいのです。
神の祝福がありますように、兄弟よ。
神の祝福がありますように。
ああ、まあ、会堂のあちらこちらで手が挙がっています。
どれほど多くの手が挙がっているのか、私には分かりません。
「どうか私をあわれんでください、ああ神よ。
これが私の手です。
私は逃れたいのです、主よ。
朝になる前に、私は叫び声を聞くことになるかもしれません。」
私は外を見ました。
すると虹が空に浮かんでいて、人の子が来られることでしょう。
その時、自分の機会を逃してしまっていたとしたら、何と恐ろしい日でしょう。
あなたは自分の教会のすぐそばに立っていたのではありませんか。
ああ、あなたはこう言うでしょう。
「母はこれに属していました。」
それでもよいのです、兄弟よ。
それでもよいのです、姉妹よ。
しかし、お母さんの救いが、あなたを中へ入れてくれることは決してありません。
お母さんは一つの時代に生き、そしてあなたは別の時代に生きているのです。
主のメッセージを聞きなさい。
そして御霊の警告に耳を傾けなさい。
39. 天幕の内側でサラが笑った、そのことを見分けられたあの方、主の御使いは。
さあ、頭を垂れたままでいてください。
私は、あなたがた一人一人のために祈りたいのです。
あなたが手を挙げた時、何をしたことになるのでしょうか。
こう言うかもしれません。
「ブラナム兄弟、それに何か意味があるのですか。」
もちろん、あります。
もしあなたが本気でそうしたのなら、それは死といのちの違いを意味するのです。
このメッセージは切迫しています。
今、この場で手を挙げてくださらないでしょうか。
「神よ、どうか私をあわれんでください。」
あの小さな女の子に、神の祝福がありますように。
そのご婦人に、神の祝福がありますように。
あなたにも、あなたにも。
坊や、あなたにも。
あなたにも。
若い人よ、あなたにも。
この祭壇のあたりにいる小さな子どもたちまでが、その小さな手を挙げています。
ああ、神がその小さな心を祝福してくださいますように。
あなたはこう言うかもしれません。
「この子たちは、そんなこと分かっていないでしょう。」
ああ、いいえ、分かっています。
イエスはこう言われました。
「小さな子どもたちをわたしのもとに来させなさい。
妨げてはならない。
神の国は、このような者たちのものなのだから。」
この子たちは、大人になるまで生きないかもしれません。
けれども、彼らは逃れることでしょう。
おそらく私たちが通って来なければならなかったあの大きな苦しみの多くを、彼らは通らずに済むのです。
少しだけ自然に整えるなら、最後はこうもできます。
40. あなたが手を挙げる時、それは、あなたの内に何かがあって、もう決断を下したということを示しているのです。
もしあなたの内に
「手を挙げなさい」
と言うものがなかったなら、あなたのからだはただの死んだもののままだったでしょう。
それは御霊だったのです。
それであなたは手を挙げたのです。
神はそれをご覧になりました。
御霊が、あなたに手を挙げさせたのです。
神の祝福がありますように。
そして後ろにいる小さな子どもたちにも。
そこには小さな有色の子どもたちもいます。
神があなたがたの小さな心を祝福してくださいますように、かわいい子たち。
神はあなたがたを愛しておられるのです。
本当にそうです。
私たちは、いつの日かここを去って行くのです。
それがいつになるのか、私には分かりません。
けれども、その時は来ます。
急ぎなさい、今こそすぐ。神の御国に入りなさい。
41. 「まあ、そんなことは前にも聞いたことがある。」
けれども、それを聞くのが最後になるかもしれないのです。
今度こそ、その時にしなさい。
神の祝福がありますように、後ろにいる若いご婦人。
こうした古い現代的なものすべてから離れなさい。
こうした古い壁から離れなさい。
それらはみな、やがて崩れ落ちるのです。
このロックンロールも、こうしたあらゆるものも、この世と共に滅びて行きます。
どうかあなたがこの世の中に含まれてしまわないように。
そこから出て来なさい。
神はご自分の教会を迎えに来ようとしておられます。
そして神は、あなたを選ばれたのです。
だからこそ、今あなたに語っておられるのです。
このメッセージは切迫しています。
急いで来なさい。
今、祈りつつあるこの時に、心から真実になって、神のあわれみを求めなさい。
42. ここには、これまで神の力の働きを見たことのない人々がいるかもしれません。
しかしその人たちの心の深いところで、何かがこう語ったのです。
「手を挙げなさい。わたしだ。」
そして彼らは、切迫した呼びかけがあるのを感じ取っています。
また、自分のまわりを見渡し、何かがまさに起ころうとしていることを悟るだけの思慮も与えられています。
小さな子どもたちも、その多くが小さな手を挙げました。
神よ、どうかその子たちをあわれんでください。
年老いた者たちも、中年の者たちも、手を挙げました。
十代の若者たちも手を挙げました。
彼らはあわれみを求めているのです、神よ。
そして私は、キリストの最初の現れがあわれみであることを知って、なんと感謝していることでしょう。
第二の現れはさばきです。
ああ神よ、今夜あわれみを受け取ったこの人たちのために、感謝いたします。
あわれみの道を選んだこの人たちのために。
「幸いなるかな、あわれみ深い者たち。
その人たちは、あわれみを受けるからである。
幸いなるかな、義に飢え渇く者たち。
その人たちは、満たされるからである。」
43. そして彼らが、隠されることのない丘の上に置かれたろうそくのようになり、これから後に関わって行く学校や、さまざまな場所に光を与える者とならせてください。
それをかなえてください、主よ。
彼らが、神の栄光のために輝く光となりますように。
彼らを祝福してください。
そしていつの日か、さらに良い世界で、主よ、私たちがみな神の大いなるその食卓、あの婚宴の晩餐の席を囲んで会うことができますように。
あなたの御霊を、私たちの上にとどめていてください、主よ。壁ぎわに立っている人たち、前室にいる人たち、またそのあたりで手を挙げている人たちをも祝福してください。主よ、彼らと共にいてください。彼らは今夜ずっと立っていて、手足もこわばり、痛みを覚えていることでしょう。それでも、どうかあわれみを注いでください。これらのことをかなえてください。
44. 神の御使いたちが、それを彼らの心にあまりにも現実なものとしてくださり、その一つも取りこぼすことがないようにしてくださるよう、私は祈ります。
そして彼らこそ、その実なのです。
私は彼らをあなたにささげます。
そしてあなたが彼らをイエスにお与えください。
なぜなら、彼らはあなたから主への愛の贈り物だからです。
だれひとり、彼らをその御手から奪い取ることはできません。
なぜなら、神より大いなる者はだれもいないからです。
そして私は、イエスが彼らを迎えに来られるその時まで、あなたが彼らを堅く安全に守ってくださるよう祈ります。
そして、残っている人たちも急ぎますように、主よ。
急がせてください。
このメッセージは切迫しているからです。
滅びが来る前に、私たちは急いで出て行かなければなりません。
そして今、主なる神よ、どうかあなたの御使いを遣わしてください。
あの、アブラハムと共に座られたその同じ御方を。
(かなえてください、主よ。)
そして、サラが天幕の奥で何をしていたのかを言い当てることのできた、その御方を。
あの方こそ、契約の御使いでした。
あの方こそ、火が降る前にあわれみをもたらした御使いでした。
今この時にも、ほとんどいつでも火は落ち得るのです。
全世界を二つに引き裂くほどの原子が、すでにそこにあるのです。
どうか今夜、その御方が来て、私たちにあわれみを与えてくださいますように、主よ。
私たちはこれを、イエスの御名によってお願いいたします。
アーメン。
45. 私はそれを愛しています。
では、それを一度歌いましょう。
「やさしく静かに、イエスは招いておられる」を。
皆さん、主に向かって手を挙げましょう。そうしてくださいますか。
やさしく静かに イエスは呼んでおられる
あなたを 私を
罪ある私たちにも あわれみと赦しがある
あなたにも 私にも
帰ろう 帰ろう
疲れた者よ 帰ろう
真心こめて やさしくイエスは呼んでおられる
ああ罪人よ 帰ろう
46. それは良いことです。
皆さんがここに来てくださったことを、私は本当にうれしく思います。
さて、私は自分が癒し主だとは言いません。
私が言いたいのは、イエスは死んでおられるのではなく、生きておられる、ということです。
私は癒し主ではありません。
癒し主などというものはいないのです。
キリストは、すでにあなたを癒しておられます。
「その打たれた傷によって、あなたがたは癒された」のです。
しかし、ここで初めて来られた方々に、ひとつお尋ねしたいのです。
皆さんの中には、教会に通っておられる方もいるでしょう。
先ほど祈りのために手を挙げられた方も多くおられました。
もし、まだ定まった教会がないのでしたら、ここブラナム・タバナクルに、どうぞいらしてください。
ここには、私たちの愛するオーマン・ネヴィル兄弟がおられます。
敬虔な方であり、聖書から真理だけを教える人です。
私たちの交わりの中へ、あなたを心から歓迎します。
私たちは、ひとつの教派ではありません。
ここにいる、ただの教会、交わりなのです。
「私たちは、メソジスト、バプテスト、長老派、ペンテコステ派、ルーテル派――そうした違いを越えて、みなあなたを愛するクリスチャンです。」
そして、あなたが自分に合った教会を見つけてくださるよう祈っています。
もしここへ来られないのであれば、どこかで良い教会の家を見つけてください。
本当に福音が語られ、神の御霊によって養われることのできる、そういう場所を見つけてください。
47. もし主イエスが死者の中からよみがえられたのであり、そして私があなたがたに真理を語ったのであるなら、神はその御言葉に対して、ご自身でそれを真実なものと示す責任を負っておられるのです。
そうでしょう。
ああ、どうかそれを信頼することを恐れないでください。
これは、聖書が真理であるか、そうでないか、そのどちらかです。
もしこれが真理でないなら、これはこれまで書かれた中で最大の欺きです。
なぜなら、これによって何百万という人々が欺かれてきたからです。
私は何度も、片手にコーランを、もう一方の手に聖書を持って、イスラム教徒たちの前に立ちました。
そして言ったのです。
一方が正しく、もう一方は誤っている。
本当に神である神が、語ってくださるように、と。
恐れてはなりません。主は決してあなたを見捨てず、決してあなたを離れないのです。
48. そして主は、時の終わりの前に再び来て、同じことをなさると約束されました。
主は、それをご自分の教会を通してなさると言われたのです。
さて、主はこう言われました。
「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。」
さて、木そのものが実を結ぶのではありません。
枝が実を結ぶのです。
もしそれがかぼちゃのつるなら、かぼちゃを実らせます。
もしそれがすいかのつるなら、すいかを実らせます。
もしそれがメロンのつるなら、メロンを実らせます。
もしそれがぶどうの木なら、ぶどうを実らせます。
もしそれがクリスチャンの木であるなら、それはキリストを実らせるのです。
すなわち、キリストのいのち、キリストのわざを現すのです。
分かるでしょう。
それなら、私たちの霊は何かによって生かされ、動かされなければならないのです。今夜、私はその方のうちにいることを本当にうれしく思います。
49. ご存じのように、私はもう四十八歳です。
年を取った者です。
そして私はもう二十七年間、説教してきました。
肩ももう前かがみになってきました。
ああ、かつてこの通りでビー玉遊びをしていた、あの小さな少年のままではもうないのだと、私はよく分かっています。
けれども、ただ一つ、私が知っていることがあります。私は主のしもべだということです。私は、この世の何を知るよりも、それを持っていたいのです。ほかのものに、いったい何の益があるでしょうか。
50. あなたがたの前でも、そして神の御前でも、正しく、誠実で、真実であろうとして、自分にできる限りのことをしてきたのです。
神がいつも私たちを見ておられることを、私は知っているからです。
さて、もし私にできるなら……。
今、あなたがたに言います。
今夜のこの短いメッセージ、私は早く切り上げようとしました。
しかし私は、神がその残りの部分をあなたの心に取ってくださるよう祈っています。
急ぎなさい、急ぎなさい、急ぎなさい。
できるだけ早くバビロンから出なさい。
この世にとどまっていてはなりません。
そうした愚かなものから離れなさい。
出て来なさい。出て来て、キリストにあって自由になりなさい。
そうしたものから離れなさい。
なぜなら、どんな時に、何も残らなくなるか分からないからです。
この地上には、ただ粉じんだけが残り、ただガスだけが残り、この古い世界が粉々に吹き飛ばされてしまうかもしれないのです。
それは、この礼拝が終わる前にでも起こり得るのです。
しかも、それは少しも聖書に反することではありません。
むしろ、それはただ聖書を成就するだけなのです。
福音はすでに宣べ伝えられました。
ここに、最後のメッセージが来ています。
51. アメリカは、もう自らその恵みの日を罪によって失ってしまったのです。
まさにそのとおりです。
あなたがたの聖書に印をつけて、私が正しいか間違っているかを調べてみなさい。
この二年間、アメリカはずっと下り坂をたどって来たのです。
ビリー・グラハムが、少し前の朝食会でこう言いました。
彼は聖書を高く掲げて言ったのです。
「ここに基準がある。
パウロは一つの町に入って行って、ひとりの回心者を得た。
そして翌年また戻って来ると、そこには三十人になっていた。
しかし私は一つの町へ行き、二万人の回心者が出るようなリバイバルを持つ。
それなのに、六か月後に戻って来ると、二十人いるかどうかも分からない。」
何が問題なのでしょうか。
池の中には、ただそれだけの魚しかいないのです。
神が世の基の置かれる前から知っておられ、永遠のいのちへと予定しておられた者たちは、ただそれだけなのです。
最後のひとりが入って来た時、それで終わるのです。
箱舟の中に入った鳥たちも、ただそれだけでした。
その箱舟の中に入ったさまざまな動物たちも、ただそれだけでした。
そして神がその戸を閉ざされたのです。そうして残りの者たちは外に残されました。入ろうとしても、もう入れなかったのです。
52. なぜなら、異邦人に対するあわれみの戸は、いつ閉じられてもおかしくないからです。
さて、今、私がしていることですが、こうして語っている間に、私は語ってきました。
けれども、たとえ何時間説教したとしても、それは私たちの愛するキリストのひと言ほどの重みも持たないでしょう。
しかし、私が語ってきたことについて言えば、それは真理を語ったか、あるいは偽りを語ったか、そのどちらかです。
もし私が偽りを語ったのなら、神はそれに何の関わりも持たれません。
しかし、もし私が真理を語ったのなら、神は必ずご自分の御言葉を裏づけてくださるのです。
(何枚だと言いましたか。五十枚のカードを配ったのですか。)
少しだけ説教調に寄せるなら、こうもできます。
53. 主がそうしてくださる、と私は言っているのではありません。
そうしてくださるかもしれないし、そうでないかもしれません。
しかし、あなたがたに私に対して正直であってほしいのです。
今ここで、この列に入りたいと思う人はどれくらいいますか。
会堂のどこにいても、手を挙げてみてください。
この建物の中にいて、この列に入りたいと思う人は皆、手を挙げてください。
では、最初はだれになるのでしょうか。
そんなことはできません。
ですから、列を保つために、カードを配らなければならないのです。
さて、彼は五十枚のカードを配りました。
それでは、そのカードのあちこちから呼んで行くことにしましょう。
そうすれば、だれにでも列に入る機会が与えられます。
さて、大事なのは、ここで何が起こるかではありません。
ここで何が起こるかです。
分かるでしょう。
大切なのは、ここ〔前に出ること〕ではなく、ここ〔心の中〕なのです。私に触れることではなく、主に触れることなのです。
54. では、どうやってあなたは、自分が主に触れたと分かるのでしょうか。
主が、ちょうどあの時そうされたように、まっすぐ応答してくださることによってです。
もし主が昨日も、そして永遠に同じ方であるなら、昨日なさったのと全く同じように、また御自身を現されなければなりません。
ですから分かるでしょう。
ユダヤ人たち、またあの人々に対する最後のメッセージの時、主はどのようにそれをなさったのでしょうか。
さて、これが最後の……。
もし主が、教派を通して何か別のやり方で御自身を現されるなら、主は不公平な方になってしまいます。
主は教派の中で御自身を現されたことはありませんでした。
なぜなら、主の時代には教派というものがなかったからです。
主は、今朝私たちが語ったように、超自然的なしかたで御自身を現されたのです。
壁の上に書かれた文字、その解き明かしのようにです。
主は昨日も今日も、いつまでも変わることのない方です。神が今、あなたがたと共にいてくださいますように。
55. それでは、祈りのカード1番をお持ちの方、手を挙げていただけますか。
自分のカードを見てください。
寝台に寝ていて起き上がれない方などもおられるでしょうから、皆さん、互いのカードも見てあげてください。
それはただの小さなカードです。
たしか、これには私の写真さえ載っていないと思います。
ただの簡単な小さなカードです。
1番の方、どこにおられますか。
はい、では、その場で立っていただけますか、旦那さん。
2番の方、手を挙げていただけますか。
こちらのご婦人ですね。
3番の方、手を挙げてください。
56. おそらく、これが人生で初めての出会いなのでしょう。
それなら、主なる神は私たち二人のことをともに知っておられます。
主はあなたのことをすべて知っておられ、私のこともすべて知っておられます。
しかし、もし主がその親切によって……。
たとえば、私があなたに
「あなたは病気です。でも、よくなりますよ」
と言ったとしましょう。
あなたには、それを疑う権利があります。
会衆もまた、それを聞いて戸惑うのは当然です。
もちろんです。
あなたが持っているのは、ただ私のことばだけだからです。
しかし、もし聖霊が来て、この人に、彼がした何かのこと、つまり私にはまったく分からない過去のことを告げられるなら、この人はそれが真実かどうか知ることができるでしょう。
それなら、もし主が過去にあったことをご存じで、そのことが正しいのなら、これからのことも告げることができるはずです。
そして、それもまた正しいのです。
あなたもそう信じるべきでしょう、コックスさん、そうではありませんか。
そこに座っておられるコックス夫人。
たまたま今、お見かけしたのです。
あちら、ケンタッキーから来ておられる方です。
この教会のどこかにおられるウッド夫人のお母さんです。
癌が、このあたりの顔を食い尽くしていました。
そして私は北の森のほうから下りて来るところでした。
すると妻が電話してきて、こう言ったのです。
「ウッド夫人ほどひどい姿の人を、私はこれまで見たことがありません。」
ウッド夫妻は、私の無二の親しい友人です。
それで私はその婦人のところへ行き、そしてそこから戻って来た時には、
「主がこう仰せになられる」
がありました。
すると、その癌は死んだのです。
ほら、そのご婦人がそこに座っておられます。
今では、何があったのかほとんど分からないほどです。
コックス夫人、どうか立っていただけますか。
皆さんに見てもらえるように。
鼻の片側全部が、そしてそのまわりも、癌に食われて、目のところまで達していたのです。
後ろの会衆の人にも見えるように、少し向きを変えていただけますか。
癌でした……。
主はいつも正しいのです。
決して間違われることはありません。
57. もし主が、井戸のところの女に対してなさったように、またピリポがナタナエルを連れて来た時になさったように、それを明らかにしてくださるなら、皆さんは信じますか。
この人は、私が彼について何も知らないことを知っています。
私も両手を挙げています。私は彼について何も知りません。
そして彼も、私を知らないのです。
それなら、もし主がそれを明らかにしてくださるなら、皆さんはそれを受け入れますか。
どれくらいの人がそうするか、手を挙げてみてください。
主があなたがたを祝福してくださいますように。
58. ですから、あなたが判断してください。
そして、見ておられる方なら分かるはずですが、この人は目を閉じています。
ですから、これはテレパシーではあり得ない、ということがお分かりになるでしょう。
そのまま目を閉じていてください。
もし私たちの主イエスが、それを明らかにしてくださるなら、私たちは主に感謝するでしょう。
しかし、今私の前に立っているこの人がここへ来た理由は、彼が祈りを求めている霊的な事柄のためです。
それは真実です。
もしそれが正しいなら、手を挙げてください。
そうすれば、人々にも分かるでしょう。
さあ、信じますか。
私はこの人を生まれてこのかた一度も見たことがありません。
しかし、ここにそれが現れました。
何かが彼の心を悩ませているのです。
さて、私がもっと彼に話しかけて行けば、さらに多くのことが語られるでしょう。
ですから、静かにしていてください。
あの御使いは何をされたでしょうか。
その方は背を向けておられました。
そしてこう言われたのです。
「なぜサラは笑ったのか。」
すると彼女は言いました。
「私は笑っていません。」
するとその方は言われました。
「いや、あなたは笑ったのだ。」なぜなら、彼女は恐れていたからです。
59. ひとりの女の人が立っているのが見えます。
この人がここへ来た主な理由は、その人のためです。
それは彼の妻のためなのです。
しかし、その人は彼と一緒には来ていません。
そして彼女は婦人病を持っています。
女性特有の病気です。
それに背中にも問題があります。
それが真実です。
あなたはこの町の人ではありません。
メアリーズビルという別の町から来ています。
そのとおりです。
家に帰りなさい。そして、あなたが信じたそのとおりになっているのを見なさい。主の御名によって、そのようになります。
神があなたを祝福してくださいますように。
そのハンカチも、もう奥さんに当てるためには要りません。
あなたは彼女のためにそれをポケットに入れて持って来ていましたが、もうそれは必要ありません。
60. お名前は知りませんが、あなたは、以前あそこの後ろの入口のところに立っておられたご婦人です。
あなたがこのタバナクルに初めて来られたころ、主の御使いが私のところに来られ、全く秘密であったことを明らかにされました。
そしてあなたは癌をいやされたのです。
そのとおりです。
しかし、今あなたに何が起きているのかは、私には分かりません。
私は知りません。
あなたもそれをご存じです。
あなたに何の問題があるのか、私には全く分からないのです。
けれども、主がそれを明らかにしてくださるなら、あなたはそれを受け入れますか。
あなたは自分自身のためにここに来ているのではありません。
あなたは、ひとりの子どものために来ているのです。
そしてその子は苦しんでいます。
その苦しみは背骨にあります。
立ち上がれない、あるいはそのような状態です。
そして私は、その子の両親がロザリオを持っているのを見ます。
その人たちはカトリックで、年配の夫婦です。
それは……その子の祖父母もまたカトリックです。
そしてあなたは、その子のために立っているのです。
あなたのハンカチを取って、それをその子に当てなさい。
疑ってはなりません。
あなたの願っていることは、そのとおりに与えられます。
今、心を尽くして信じなさい。
信じますか。
61. 私たちはお互いに見知らぬ者同士です。
しかし、主イエスは私たち二人のことをよく知っておられます。
さて、ここにはまさに一つの完全な姿があります。
これはヨハネ4章の場面そのものです。
ここには有色人種の女性と、白人の男性がいます。
あの日には、サマリヤ人とユダヤ人でした。
二つの民族です。
イエスは彼女に、そこに何の違いもないことをすぐに分からせました。
私たちは皆、神の造られたものなのです。
私たちが住んでいる国や、肌の色が違うことは、何の問題でもありません。
神は、ご自分の民をそのように造られたのです。
神は人を、白く、黒く、褐色に、黄色く、赤く造られました。
神はそのように造られたのです。
それは神のなさることです。
そして神は、私たちすべてを愛しておられます。
しかし、ここにはまさに完全な一つの姿があります。
これまで一度も会ったことのない二人が、今初めて会っているのです。
しかも、違う人種同士です。
さて、私はあなたが信じる者であることを感じます。
あなたはクリスチャンです。
なぜなら、あなたの霊が歓迎されているからです。
そして、あの神の大いなる御使いは、正しくないものを歓迎することは決してありません。
もちろん、そんなことはありません。
あなたは、あそこにあるあの写真を見ますか。
あの写真の中の御使いを。
私が立っているところの上にある、あの光を。
今あなたが感じているその感じを起こしているのは、それなのです。
ちょうど今、それがあなたの上に降りて来ているのです。
(ちょっと待ってください、ガーティー姉妹。
何かあるようです。
このご婦人のことを、まだちょうど正しくつかめないのです。)
62. 神経が高ぶるのです。
物を落としてしまうのです。
そのとおりです。
それから、あなたには霊的な問題もあります。
あなたはそれを解決しようとしていて、しばらくの間ずっとそのことで祈ってきました。
それもそのとおりです。
これが「主がこう仰せになられる」です。あなたには関節炎があります。
私は、あなたが寝床から起き上がろうとしているのを見ます。
ゆっくりと、とくに朝になるとそうです。
それに、背骨にも問題があります。
脊椎の trouble です。
これが「主がこう仰せになられる」です。
あなたは、私を神の預言者だと信じますか。
シモンのことを知っておられたその同じ神が、あなたのことも知っておられると信じますか。
もし神がそれを明らかにしてくださるなら、あなたは強く信じる者となって、自分の求めているものを受け取れるようになりますか。
人はあなたをナニーと呼んでいます。
あなたの姓はジョンソンです。
そして、あなたはニュー・オールバニに住んでいます。
主イエスの御名によって、家に帰って、元気になりなさい。
63. ご婦人、私たちはお互いに見知らぬ者同士ですね。
そのとおりです。
皆さんにも分かるように、どうか手を挙げて、私たちは見知らぬ者同士だと言っていただけますか。
さて、主なる神は私たち二人をともによく知っておられます。
そして、もし主がこの願いをかなえてくださるなら、あなたはそのことで喜ぶでしょう。
さて、皆さんの中にも、信じ始めた人たちがいます。
今なお、あちらにいるこのご婦人の前に、ひとりの白人の男性がずっと見えるのです。
それは、そこに座っているあの人です。
あなたには……。
それでいい、そのままそこにいてください。
あなたには腎臓の問題 があります。
背中にも 問題 があります。
それに胃にも 問題 があります。
そのとおりです。
では、信じて行きなさい。
もうそれがあなたを悩ませることはありません。
ただ信じなさい。
あなたの信仰に、私は今問いかけているのです。
それを信じてみなさい。
どれくらいの人が、心からそれを信じますか。
それでは、仰ぎ見て、生きなさい。
64. そして、それであなたがたにとって永久に決着がつくでしょうか。
ご存じのように、私はこれから集会があります。
明日にはここを発たなければなりません。
そしてバージニアへ行き、そこで大きな集会があるのです。
ですから、ここに立ってあまり弱ってしまいたくはないのです。
それでは、このご婦人と少しだけ時間を取りましょう。
信じますか。このご婦人がどなたであれ、そのあとに重く暗い影のようなものがつき従っているのが見えます。
ああ、それは悲しみです。
あなたは最近、ひとりのお子さんを失いました。
赤ちゃんを亡くしたのです。
そのとおりです。
そのとおりです。
そしてもう一つ、あなたは婦人病で悩んでいます。
女性特有の病気です。
それに背中に悪い所もあります。
さらに、何か発作のように、気を失うようなこともあります……。
ああ、てんかんです。そのとおりです。あなたもこの町の人ではありません。
ここへ来るのに川を渡って来ました。あなたはルイビルから来ています。
住んでいるのは、西オーク通り1754番地です。
あなたの名前は、マーガレット・クインです。そのとおりです。
少しだけ自然な日本語に整えるなら、後半はこうもできます。
65. 天地の創造主よ、
このご婦人に、彼女が求めているものをお与えください。
私は、この敵が彼女から去るように、イエスの御名によって命じます。
アーメン。
神の祝福がありますように、ご婦人。
もう疑ってはいけません。
さあ、行って、あなたが願ったものを受け取りなさい。
心から信じますか。
こんにちは、旦那さん。
これが私たちの初めての出会いだと思います。
主なる私たちの神がここにおられて、あなたの願っていることを行ない、与えてくださると信じますか。
私はあなたの勇気を尊敬します。
あなたは正しい願いのためにここに来たのです。
酒も、たばこも、やめたいのですね。
もうそれはあなたから離れました。
行きなさい。神の平安があなたと共にありますように。
神があなたを健やかにしてくださいますように。
私はあなたの勇気を尊敬します。
「もし信じることができるなら、すべてのことは可能である。」
66. あちらへ行って、主をほめたたえなさい。
そうすれば、そこから解放されます。
ただ心から信じて行きなさい。
聖書はこう言っています。
「もし信じることができるなら。」
静かにしていてください。
神がしておられることは真実だと信じなさい。
私はあなたを知っています。
ですから、ただあなたのために祈ることにします。
あなたの trouble は分かっています。
主なる神よ、
このご婦人をあわれんでください。
そして、この願いをかなえてください。
イエスの御名によってお願いいたします。
アーメン。
ちょっと思い出せませんが……。
あなたの名前はベイカーでしたか。
そうですね。
今思い出しました。
神の祝福がありますように。
さあ、そのまま進んで行きなさい。
そして心から主を信じなさい。
では、どうぞ。
少しだけ自然な日本語に整えるなら、最初はこうもできます。
67. 私たちは見知らぬ者同士です。
そのとおりです。
あなたは夕食を食べたいのですね。
ずっと抱えてきたその胃の問題、あの潰瘍から解放されたいのですね。
では、行って食べなさい。
そして、イエス・キリストがあなたを健やかにしてくださいますように。
私はあなたを知っています。
そして、あなたの 患いが何であるかも知っています。
あなたは、私がそれを知っているとは思っていないでしょうが、私は知っています。ですから、あなたはここタバナクルに来ているので、そのことは口にしません。けれども、もしただ信じるなら、その関節炎はあなたから去ります。
そのまま進んで行きなさい。神の祝福がありますように。「神に感謝します」と言いましょう。
68. それに、胃の問題 もあなたを悩ませています。
主イエスがあなたを健やかにしてくださると信じますか。
それなら、行きなさい。
そして神の平安があなたの上にとどまりますように。
ただあなたに手を置いて、私たち皆で心から、神がそれをしてくださると信じたいのです。
たぶん私は、あなたには見知らぬ者でしょう、ご婦人。
あなたは私を知っていますか。
この教会に来ておられるのですか。
そうですか。
しかし私は、あなたを見たことがありません。
もちろん、たくさんの人がここへ来ますから。
では、信じて行きなさい。
そうすれば、その婦人病はあなたから去ります。
あなたが持っている、その女性特有の 問題です。
信じますか。
それなら、行きなさい。
神があなたと共にいて、あなたを助けてくださるでしょう。
私はそう信じています。
69. 主がそのこわばりを取り去り、あなたを健やかにしてくださると信じますか。
その関節炎をです。
では、そのままあちらへ戻って行きなさい。
そのことで主に感謝し、主をほめたたえなさい。
そうすれば、よくなります。
ご婦人、あなたは神経の問題 で悩んでいるのですね。
それは精神的な神経の高ぶりです。
ひどく弱ってしまい、発作のような苦しみもあります。
とくに夕方遅くなると、そうです。
サタンはあなたに、気が狂ってしまう、とまで語りかけてきました。
そのとおりです。
しかし、それは偽りです。
あなたはよくなります。
それはただ、あなたが今入って行こうとしている時期のことにすぎません。
更年期です。
どの女性もそこを通らなければなりません。
けれども、あなたはもう大丈夫です。
信じますか。
それなら、行って神に感謝しなさい。
賛美を歌いなさい。
喜びなさい。
そして健やかになりなさい。
70. 私もあなたには見知らぬ者です。
おもしろいことに、私があの方にそう言った時、それは同時にあなたからも離れて行ったのです。
なぜなら、それこそがまさにあなたの trouble だったからです。
神経の trouble です。
さあ、そのまま道を進んで行きなさい。
そして心から信じなさい。
そうすれば、あなたはよくなります。
アーメン。
行って、心から信じなさい。
私はあなたを知っています、ご婦人。
お顔は知っています。
けれども……。
神があなたをいやしてくださると信じますか。
今、あなたがどなたか分かりました。
あなたはここタバナクルに来ておられるご婦人ですね。
神があなたをいやしてくださると信じますか。
では、あなたのために祈らせてください。
主なる神よ、
天地の創造主よ、
どうかこのご婦人を健やかにしてください。
イエスの御名によってお願いいたします。
アーメン。
疑ってはいけません。
そのご婦人の名前が今すぐには思い出せませんが、どなたかは分かっています……。
71. 信じていますか。
では、本当に静かにしていてください。
深い敬意をもっていてください。
こちらのほうにいる、だれか。
私はイエス・キリストの御名によって、あなたの信仰に挑みます。
これを信じなさい。
そこに手を挙げている有色人種のご婦人。
ご婦人、あなたは、私を神のしもべだと信じますか。
もし神が、あなたの trouble が何であるかを私に明らかにしてくださるなら、あなたはそれを受け入れますか。
あなたは、自分自身のためと、その小さな女の子のために祈りを求めています。
目のためです。
そこに座っている、その子の目です。
そのとおりです。
その子の上に手を置いて、心から信じなさい。
そして主なる神よ、
この人たちがそれを受け取ることができますように祈ります。
イエスの御名によって。
アーメン。
72. 見てください。
そこにいる黒髪のその男性のそばに、主の御使いが立っておられます。
たしかこの教会に来ておられる方だと思いますが、はっきりとは分かりません。
旦那さん、もし私があなたを知っているとしても、神がそれを明らかにしてくださらない限り、あなたに何が悪いのかは分かりません。
しかし、主のあわれみのいくらかが、今ここに立っているのです……。
そして、あなたの足には潰瘍があります。
左足です。
そのとおりです。
あなたの信仰が、何かに触れたのです。
では、そちらの一角にいる皆さんはどうですか。
信じますか。
それなら信仰を持ちなさい。
疑ってはなりません。
73. ご婦人、祈りのカードをお持ちですか。
その小さな男の子のすぐ後ろ、列の端に座っておられる方です。
あなたです。
祈りのカードを持っていますか。
持っていないのですか。
あなたは、私を神の預言者だと信じますか。
もし神が、あなたの問題 が何であるかを私に明らかにしてくださるなら、その時あなたはそれを受け入れますか。
あなたには心臓の患い があります。
そして、あなたの隣に座っているその方がご主人で、その人には腺の trouble があります。さあ、行って信じなさい。
だれが主を信じますか。ここに座っておられるこの有色人種の男性はどうですか。旦那さん、信じますか。
あなたは、私を主のしもべだと信じますか。
あなたは祈りを求めているのですね。
もし神が、私を通してあなたにそれを明らかにしてくださるなら、あなたはそれを受け入れられると信じますか。
あなたには副鼻腔の問題 があります。それに、ヘルニアもあります。
そのとおりです。そこにおられる皆さんの中で、ほかに信じる人はいますか。
74. 姉妹よ、あなたは手を挙げていますね。
主から何かをいただきたいのですね。
あなたは、私を主のしもべだと信じますか。
あなたが苦しんでいるのは、声の trouble です。
そのとおりです。
主があなたをいやされたと信じますか。
あなたのすぐ前方、そこです。
脇のほうを見ておられる、ちょうどあなたの前、列の端のほうです。
そこに、1、2、3、4、5人ほど向こうにいる方。
あなたには甲状腺の 問題 があります。
神があなたを健やかにしてくださると信じますか。
では、すぐ後ろのほう、列の端に座っておられる男性はどうですか。
この列の一番端の、その方です。
あなたには潰瘍性大腸炎があります。
そのとおりです、旦那さん。
神があなたをいやしてくださると信じますか。
それなら立ち上がって、主イエスの御名によってそれを受け取りなさい。
神の祝福がありますように。
私はあなたを見たことがありません。
あなたは私には見知らぬ方です。
しかし神はあなたをご存じです。
皆さん、一人一人、それを信じますか。
75. また地上に立って、人の心の思いの秘密を知っておられた、あの同じ御方が、今ここにおられると信じませんか。
この世界が再び滅びによって焼かれる、その直前において、あの同じ神がここにおられるのだと、信じませんか。
それなら、その方を受け入れましょう。
その方を信じましょう。
今この時、その方を私たちのいやし主として受け入れましょう。
どれくらいの人が、それを信じますか。
本当に信じる人はどれくらいいますか。
手を挙げてください。
はい、今度は手を下ろしてください。
聖書はこう言っています。
「これらのしるしは、信じる者に伴う。」
それでは、もしあなたがたが信じる者なら、互いに手を置きなさい。
隣の人のために祈ってください。
そして、祈ってもらっている人の隣の人は、その人のために祈ってください。
今、それぞれが互いのために祈りなさい。
この会堂のどこにいてもです。
私はこの信仰に挑みます。
76. もうそのことは気にしなくてよいのです。
あなたはいやされました。
そこの、前立腺の 問題 を持っている旦那さん。
夜中に何度も起きていた方。
もうそれも気にしなくてよいのです。
もうその必要はなくなります。
神の祝福がありますように。
私はあなたがたに、信じるという行為をするよう挑みます。
そうしますか。
それなら祈りなさい。
それぞれ自分の仕方で祈りなさい。
だれかに手を置いて、隣の人のために祈りなさい。
その間に、私はあなたがた皆のために祈ります。
主なる神よ、
天地の創造主よ、
永遠のいのちの創始者よ、
あらゆる良き賜物の与え主よ、
今この時、あなたの御霊をこの人々の上に送ってください。
私は悪魔のわざを断罪します。
悪魔は、今や暴かれたからです。
サタンよ、おまえはもう彼らを縛っておくことはできない。
彼らの信仰は今、高く上っている。
彼らは互いに手を置いている。
そして私はおまえに告げる。
おまえはこの戦いに敗れたのだ。
そして、さばきはもう目前にある。
イエス・キリストの御名によって、彼らから出て行け。
イエスの御名によって、彼らを離れよ。
主を信じますか。
手を挙げて、あなたがたのいやしのために主をほめたたえなさい。
もし足の不自由な人がいるなら、立ち上がりなさい。
キリストがあなたを健やかにされます。
もし足なえや、手の不自由な人がいるなら、その手を挙げなさい。
もうすべて終わったのです。
ここに、足の不自由なご婦人が立ち上がっています。
主をほめたたえます。
皆で、
「主をほめたたえよ」
と言いましょう。
アーメン。
ネヴィル兄弟。