分離の水

The Waters Of Separation

分離の水

メイコン ジョージア州 アメリカ合衆国

説教番号: 55-0606

日付: 1955年6月6日(55-0606)

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1. あの「Only Believe(ただ信ぜよ、すべてが可能だ)」という古い賛美を聞くと、世界中、あらゆる国々の言葉、さまざまな教会や人々の中で、あの曲に導かれて何度も説教台に立ったことを思い出します。
さて、今晩の礼拝に入る前に、時間も限られておりますので、少しの間、私たちの王の王に心を向けて、頭を垂れて祈りましょう。
天の父なる神様、
今晩、私たちは主イエスのお名前によって、あなたの御前に出てまいりました。
まずその御名を掲げます。なぜなら、主の御名によって何かを願うなら、それをいただけると約束されているからです。
私たち自身には義がありません。自分の力では何一つ誇れるものはなく、ただ憐れみを求めてまいります。裁きではなく、憐れみを。
主よ、どうか今夜、私たちに憐れみを注いでください。
私たちの罪と咎を赦してください。もしかすると、これが地上での最後の夜になるかもしれません。明日には、あなたの家に召されているかもしれません。
ですから神様、今のこの時、まだ備えができていない者や、罪の中にある者がいたら、それを今すぐ取り除いてください。
私たちが死の時、そしてこの世を離れる時に、何の恐れもなく旅立てるように。
また今夜、病んでいる方々、苦しんでいる方々を思い起こします。
どうか、御霊が豊かな憐れみをもって今夜臨んでくださり、病める者、悩める者をすべて癒してください。
主よ、どうかそれを成してください。
再び赦しを願います。そして今から御言葉に入りますので、それを人々の心に届けてくださり、信仰のために築き上げてください。
このすべてを主イエスの御名によってお祈りします。アーメン。
さて、明日ですが……実は今晩、そうなるかと思っていたのですが、まだお見かけしておりませんが、ムーア兄弟が来て、私たちのために語ってくださる予定です。
今晩は、私としてはあまり普段やらないことをしようと思っておりまして、少しお話しさせていただいた後に、病の方のために祈らせていただきたいと考えております。
この月曜の夜、小さな集まりではありますが……
少し申し上げておきたいのは、この奉仕は、私に与えられている主の御業の中でも、少し違った性質を持っています。
同じ御霊によって導かれていますが、賜物が違えば、油注ぎの現れ方も異なります。
説教しているときには、自分の内側が高められていくように感じますが、
一つの幻を見るということは、時に六時間力いっぱい説教するよりも、心身に影響を与えるものなのです。
何かが、自分から持っていかれるような感覚です。
ですので、ムーア兄弟が急いで来てくださることを、私は本当に願っております。私には彼の助けが必要です。

2. そしてこの集会が終わり次第、私たちはすぐ飛行機でスイスのチューリッヒ、そしてスウェーデンへ向かい、そちらでの集会を始めます。まさにこの集会の翌日ですから、かなりハードなスケジュールがしばらく続くことになります。その後はカナダをはじめ、各地を巡っていくことになります。
それから、トムズ兄弟についてですが……まだ直接お話しはできていないのですが、奥様が明日こちらに来られると伺っています。そうですね、トムズ兄弟? 遠く南アフリカから、この地に来ている彼に会うために来られるそうです。
あとでジャック兄弟が来られたら、彼に任せて、トムズ兄弟のことについて少しお話ししたいと思っています。彼がアメリカでされている働き、また南アフリカで人々のためにしておられることについてです。
彼は私たちがアフリカで集会を行っていた時、ほとんどの集会におられ、主の偉大な御業を目の当たりにされました。
今晩、私が呼ばれた時に聞いたのですが、彼は午後に聖書の教えのクラスを持っておられたそうです。
トムズ兄弟は、聖書に基づく神の癒しについて非常に深い知識を持っておられます。
彼は、私の古い友人であるボズワース兄弟や、トミー・オズボーン兄弟、そしてそのほか当時の偉大な教師たちと共に学んできた方です。
ここで、ボズワース兄弟に敬意を表して申し上げますが——今、生きている人の中で、聖書に基づく神の癒しについて彼ほど知っている人は、私は他に知りません。
F・F・ボズワースを知っている方、どれくらいおられますか? 手を挙げてください。
——やはり、ですよね。世界中のどこへ行っても、彼の名前は知られています。
おそらく今週、彼もここに来られると思います。
実は、ボストンからも招待をいただいておりまして、1万2千人収容の大きなホールで、3週間だけ、週100ドルで集会を行ってほしいと。考えられますか? 献金を数回取れば、それで十分まかなえるとのことでした。
けれども私はすでに先の予定がびっしり入っており、そのお招きには応じられませんでした。
また、南アフリカのショーマン兄弟——たしか牧師協会の会長を務めておられる方——も、私たちがスウェーデンを出発した直後に現地を離れ、共に働くために合流される予定です。そしてまたアフリカへ戻り、タンガニーカやその他の地域を巡って、世界中で御言葉を伝える働きを続けていく予定です。

3. なぜなら、信仰は「聞くこと」から来て、「聞くこと」は神の御言葉によってくるからです。
さきほど、トムズ兄弟が聖書から御言葉を朗読されていましたが、それは本当に心から感謝しています。
今夜は、それに続けて少しだけ読ませていただきたいと思います。
エペソ人への手紙、第5章からです。私はこのエペソ書が大好きなんです。皆さんもそうでしょう?
きっと、ここにおられる牧師先生方は特に、うなずかれると思います。
もしこのエペソ書がなかったら、私はこのテーマにどう取り組んだらよいか、正直なところ分からなかったと思います。
ご存じのように、この神学的な教えには2つの大きな流れがあります。一つはカルヴァン派、もう一つはアルミニウス派です。
私はご承知の通り、バプテストですので、基本的にはカルヴァン派の考え方に属しています。
でもね、どちらの学派も行き過ぎてしまうことがあるんですよ。
片方は一方に偏りすぎて“行き着いてしまい”、もう片方もまた別の方向に“行き着いてしまった”。
でもこのエペソ書は、両者をもう一度真ん中に引き戻して、しっかりとした幹(スタンプ)に戻してくれるんです。
だから私は、このエペソ人への手紙が本当に好きなんです。
神学の上でも、私たちをちゃんと整えてくれる、そんな書だと思いますね、兄弟姉妹。
エペソ書、本当に素晴らしいですね。

4. 「夫たちよ、キリストが教会を愛して、教会のためにご自身を捧げられたように、あなたがたも妻を愛しなさい。
それは、御言葉による水の洗いをもって、教会をきよめて、聖なるものとするためである。」
──この「御言葉による水の洗い」、ここが今夜の主題です。
「分離の水(The Waters of Separation)」というテーマで語らせていただきます。
さきほど兄弟が旧約聖書から読んでくださいましたが、そこに戻って、御言葉から少し学びたいと思います。主が導いてくださればのことですが。
さて、多くの方々は旧約聖書を「もう古いもの」として、軽く見てしまいがちです。けれども実は、旧約こそが新約の「影(かげ)」なんです。
私はいつも思うのですが、新約の理解を深めるには、旧約をしっかり見ることが必要です。
もし旧約が「影」だとするなら――たとえば、自分の背後に太陽があって、前方に自分の影が映っているとき、その影を見ることで、ある程度自分の姿が分かりますよね?
それと同じように、旧約聖書は新約聖書の「影」なんです。
だから私は、旧約の視点から学ぶことで、新約の本当の姿をより明確に捉えることができると信じています。

5. ちょうどモーセがエジプトへ下り、神の民をそこから連れ出したその頃の出来事です。
神様は憐れみ深く、ご自身の民が罪を犯した後にも、もう一度ご自身と和解できる道を備えておられました。
これは、本当に素晴らしく、美しい旧約の型(タイプ)なのです!
ここで、ぜひ皆さんに見ていただきたいのです。
モーセがイスラエルの民を救いに行ったとき、神がどのように奇跡を行われたか。
民は、その時代、ちょうど今の時代に似たような状態に陥っていました。
ちなみに、エジプトからカナン(パレスチナ)への旅は、今日の教会の旅路の型なのです。
あの時、彼らは「肉体的に導かれた」わけですが、
私たちは「霊的に導かれている」のです。
神学校などではよく、「約束の地=天国」と教える先生もおられますが、私はそうは思いません。
私にとって、約束の地とは至福千年(ミレニアム)を象徴しているのです。
なぜなら、彼らはその地に入ってからも戦いや苦しみがあったからです。
そして今の教会の状態は、ちょうどイスラエルの民がカデシュ・バルネアにいた時のようだと私は思います。
彼らが「光に歩むことを拒んだ」あの時、
道に迷い、さまよっていたように──
今の教会もまた、そのような時代にあるのではないでしょうか。

6. あなたが知っているだけなら、友よ、それは霊的なことです。 あなたはすべての人が彼らの中に精神を持っていることを認識しなければなりません。 そして、その人があなたの人生を支配している霊の種類、キリストに対して異なった行動をしたあなただけを見ることができれば、あなたは自分自身を恥じることになるでしょう。
あなたがどんなに服を着ていて、どれほどよくても...あなたが人々にどれほど人気が​​あるとしても、それでもあなたの心の中で...もし神が鏡をあなたの心に向けることさえできれば。

7. つい最近のことですが、ある方が私に尋ねてこられました。
それはカナダのカルガリーでのことでした。一人の少年が精神の病で拘束衣(ストレートジャケット)を着せられて連れてこられたんです。
会場の後ろから彼らが入ってきたとき、その少年は叫び、ののしり、暴れて……私はあんなの、生まれて初めてでした。
お父さんがなんとか押さえつけようとしていて、やっと中まで来たとき、その少年が私を見てこう言ったんです。
「ウィリアム・ブラナム、お前には俺に構う資格なんかない!」
すると父親が驚いた顔で言いました。
「この子は自分の名前すら分からないんです。なのに、あなたの名前をどうして?」
私はその子からかなり離れたところに立っていました。
でも彼は私を罵り続け、「お前に俺はどうにもできない!」と叫んでいました。
私は会場の皆さんに、しばらく敬虔な心で静かにしていただくようにお願いしました。
係の方々が彼を連れ出そうとしたそのとき、
私は主の御霊——主の使いがそこに現れて動き出すのを見たんです。
それで私はこう言いました。
「今、彼をこちらに連れてきてください。ただ少しだけです。」
彼を連れてこようとすると、少年は暴れ、泡を吹き、噛みつこうとし始めました。
拘束衣を着せられたまま、なんとか前まで連れてこられました。
そしてそのとき、幻が現れたんです。
その子がそうなってしまった原因——それは、父親がかつて犯した罪によるものでした。
そのことが明らかになると、父親はその場で倒れ込み、涙を流して悔い改めました。
そして、あの邪悪な霊が少年から出て行ったそのとき、
あの夜、スタンピードグラウンドに集まっていた何千、何万もの人々が目撃したんです。
まるで大きな黒い影のクモのようなものが、ふわっと空中を漂いながら、静かに場を離れていったのです。
ああ、なんと静かな時間だったことでしょう。
その霊は、建物の中をくるっと回り、そして外へと出て、消えていきました。

8. 最近では、ある女性から出ていく霊を見たのですが、それはまるでコウモリのような姿をしていました。
脚の下には大きな毛が垂れ下がり、羽は真っ直ぐ上に広がっていました。
それはまさに邪悪な霊でした。
そして多くの場合、外見はどれほど美しく見えても、内側をのぞき見ることができたなら、そこに何が住んでいるかがわかるのです。
私たち人間は、霊に支配されているのです。
さて、イスラエルの民に目を向けましょう。
神はアブラハムに約束されました。
「あなたの子孫は400年間よその地に寄留し、その後、強い御手によって彼らを連れ出す」と。
そしてモーセという名の男が生まれました。
非常に特別な子供でした。
もちろん私はこう信じています——
賜物と召命は悔い改めとは無関係に与えられる、と。
自分で努力して「何者か」になろうとしても、それはできません。
人は、自分の存在以上のものにはなれないのです。
この点については、「レイター・レイン(後の雨運動)」の兄弟たちの中には、按手によって賜物を与えるという教えを持っておられる方がいますが、私はそこには少し聖書的に異議があります。
私の信じるところでは、人は神から生まれ、神が教会の中に必要なものを置かれたのです。
それは人間が決めることではなく、神がされたことです。
どれだけ「こうなりたい」と望んでも、自分の意志だけでは変えられないのです。
たとえば、私はどんなに「茶色い目がいい」と思っても、私の目は青です。変えられないのです。

9. 私たちは、神が与えてくださったものを用いて、できることを忠実にするしかないのです。
神が私たちに定めてくださった召しに従って生きるならば、
そこにとどまり、忠実であるならば、神はあなたを用いてくださいます。
けれども、自分の領分を越えて何か別のことをしようとすれば、
どこかでつまずいたり、破綻してしまうでしょう。
いつだってそうです。そしてそれが、人間というものなのです。
昔からずっと、人間はそうして失敗を繰り返してきました。
モーセが出て行ったとき——
彼は特別な子として生まれ、不思議な子供でした。神は彼と共におられました。
そして40歳になったとき、
モーセはきっとイスラエルの民も「自分が彼らの救出者である」と理解するだろうと思いました。
けれども彼らは理解しませんでした。
そのため、イスラエルの民はさらに40年も奴隷状態のままとどまることになったのです。
しかしその後、モーセが再び現れ、エジプトで奇跡を行い始めたとき、
神は確かに彼と共におられました。
そして神の民を導き出したとき、聖書にはこう記されています:
「多くの入り混じった民も共に出て行った。」
そうです。超自然的なことが起こると、あらゆる種類の人々が集まってくるのです。
肌の色、階級、知識、国籍に関係なく、
人はみな、「その時空の幕の向こうに何があるのか」を見たくなるのです。
誰でも、自分の立っている場所を越えて、「もっと向こう」を見たいと思うものなのです。

10. そこには、フルゴスペル系の中でもよく知られたある牧師がいて、大きな教会を持っています。
その日、その先生が礼拝に出てきたのですが、いつもながらとても立派な身なりをしていました。
私はというと、会場の横からこっそり入って、コートの襟を立てて目立たないように座っていたんです。
隣には、長老派の牧師が一人、私の隣に座っていました。誰も私が誰かなんて知りませんでした。
その先生(フルゴスペル系の)は私の親しい友人でもあります。
話が進む中で、その長老派の牧師が私にこう言いました。
「ねぇ、あれがキリストのしもべの姿に見えますか?」
私は言いました。
「私は彼の裁き手じゃありませんよ。私には、ちゃんとしてるように見えますけどね。」
すると彼は続けてこう言いました。
「でもね、あの神の癒しっていう熱狂、あれはどうも受け入れがたいですね。」
「ここを通って行った連中もいましたよ。昔、長老派教会は西海岸一帯を押さえてたんです。あちこちに大きな教会を持ち、堂々たる信徒数、まさに西海岸を代表する教会でした。」
「それがある時、クリスチャン・サイエンスがやってきてね。『心が物質を支配する』みたいな、精神的な教えを広めたんですよ。それで長老派は一気に弱ってしまったんです。」
「今度はこの“神の癒し”とか“奇跡”とか、また何か始まったようですね。」
私は言いました。
「ちょっと、あなたが誰だか存じませんが……」
すると彼は名乗りました。
「私は長老派の牧師です。」
私はにっこりして言いました。
「では私はバプテストの説教者です。」
それで私は、こう言いました。
「もし長老派の皆さんが神のみこころの中にとどまり、御言葉を忠実に教えてきたならば、
こんな『極端な教え』が入り込む隙はなかったはずです。」
「人々がそんなものに惹かれていく理由は、あなたがたが柵を下げてしまったから、
つまり、空腹の子どもたちに命のパンを与えることを怠ってしまったからなんです。」
「今はそういう時代です。
彼らが本物の御言葉から食べられないなら、
ゴミ箱からでも、どんなものからでも、何かを食べようとします。
なぜなら、彼らは飢えているからです。」

11. 神の子どもたちは、「主がこう言われる」と記された
まことの神の御言葉によって養われなければならないということです。
神の癒しは正しいものです。
魂はそれを渇望しているのです。
もしそれが正しいかたちで与えられなければ、
悪魔はそれを偽って別のかたちで差し出してくるのです。
人々は霊的に飢えている。
そしてそれが真理であることを、心の奥底では知っているのです。
神とともに歩もうとする者は、その真理に触れ、気づかされます。
霊的なものに触れたとき、
人はみな、「その時空の幕の向こう」を見たくなるんです。
自分がどこから来たのか、どこへ行くのか、そして今どこに立っているのか。
それを知りたくなるのです。
けれど、それを本当に教えてくれる唯一の書物がある。
それがこれ——聖書です。
この書は、あなたが誰なのか、どこから来たのか、そしてどこへ向かっているのかを教えてくれます。
この地上で、それを本当に語ってくれる書物は、聖書だけです。

12. イスラエルの民がエジプトを出て旅立つとき、「入り混じった多くの民」も一緒に上っていきました。
そして、そのことが後に問題の原因となったのです。
しかしそれでも、神は主権的な憐れみによって、
「誰一人滅びることなく、すべての人が悔い改めに至ることを願って」
逃れの道をいつも備えてくださるお方です。
それは、ノア以前の時代(洪水前の世)にもそうでした。
モーセの時代、イスラエルを呼び出された時にもそうでした。
主イエスの時代も同じでした。
そして今この時代、神のさばきが地に下ろされようとしているこの終わりの時にも、
神は逃れの道を備えておられるのです。
神は今もご自身の民を呼び出しておられます。
それは、来たるべき神の怒りから逃れたいと願い、神の備えた道を進もうとする人々です。
どうか今夜、また今後この神の御前に立つことになるすべての方々が、
これから地上に下ろされる大いなる怒りの中に取り残されることがありませんように。
それは、ただの苦しみではありません。逃れる道は、一つしかないのです。
神が備えられた、その道に従うこと──
それ以外に、逃れるすべはありません。

13. もし今すぐ、神がこれらの国々にさばきを送られないとしたら、
神はソドムとゴモラをよみがえらせて、彼らに謝らなければならないことになります。
……そうです、それほどに私たちは今、道の終わりに来ているのです。
神は正しいお方です。
だからこそ、今この時代に人々が何事もなかったかのように行っている悪を見逃したままでいるなら、
過去に滅ぼされた者たちに対して、神は不公平になってしまいます。
それはあり得ないことです。
ですから、私たちは道の終わりに来ているのです。
だからこそ、あなた自身の霊的な状態を、日々毎時間ごとに点検しなければなりません。
いつその時が来るか、誰にも分からないのです。
神は逃れの道を備えておられます。
御言葉の説教、しるし、不思議、すべてを通して語っておられます。
ある者には説教の賜物を、ある者にはしるしの賜物を、
そして教会の中にそれぞれの賜物を並べて、誰一人滅びることがないように備えてくださっているのです。
にもかかわらず、多くの人々はそれらに目もくれずに突き進んでいくのです。
まるで何も見えず、何も聞こえていないかのように。
でも、もし彼らが気づくことができたなら、
彼らの魂の中には、サタンの霊が宿っていて、その人生を支配しているのだということがわかるでしょう。
それ以外の説明は、ありません。

14. 個人的な体験も交えて、皆さんが本当に“それ”が何なのか理解できるように。
さて、イスラエルの民が荒野に入って、そこで様々な困難に直面したときのことを思い出してください。
それでも私たちの愛なる天の父は、誰一人として滅びることを望まず、
この終わりの時代が来る前から、数々の型(タイプ)を用意してくださっていたのです。
神はモーセとアロンにこう命じました。
「傷のない、真っ赤な雌の子牛(赤い牝牛)を取りなさい。
首に軛(くびき)をかけられたことのないもの。
それを大祭司の前で屠り、その灰を分離の水(Water of Separation)として用意しなさい。」
さあ、この過程を少しだけ、一緒にたどってみましょう。
まず、「牝牛」というのは犠牲の動物であり、
それは主イエスご自身の型です。
重荷を負う者、労するしもべ、働きに出ていく労働の牛の象徴です。
そして、その牝牛は「完全な赤毛」でなければなりません。
一点の斑点も、混じり気もなく、「まったくの赤」。
私たちにとって「赤」という色は、
世の中の感覚で言えば、危険を表す色であり、
しばしば「注意」「警告」「危険信号」として使われます。
けれども、聖書において赤は、贖いを意味する色です。
「赤」は神の贖いのしるし、また時にはさばきのしるしでもあります。
アダムの時代から、聖書の物語をずっと見ていくと、
一筋に赤い線が流れているのが分かります。
それは「血」──贖いの血の流れです。
それなのに、主イエスの流された血を、なぜ人々はそこまで避けようとするのでしょうか?
主の苦しみを見れば見るほど、
どうしてその血に近づこうとしないのか、私は本当に不思議でならないのです。

15. それで、私は、それは奇妙ではないかと思いました。 彼らは仲間の血に足を踏み入れないように細心の注意を払っていますが、毎日、まるで何もないかのようにイエス・キリストの血の中を歩いています。 それを不聖なものとして数え、ただ歩いているだけで、無関心です。 血を説く:彼らは血の説教であなたの顔を真っ直ぐに笑います。

16. そして、私はたまたまそこに、頭の後ろの周りにほんの少しの髪の縁がある、色のついた老人に気づきました。 彼はこのように胸に帽子をかぶって歩き回っていました。 そして彼はのような小さなガラスの檻を見渡しました。 そして、彼は一気に後退し、ジャンプしました。 そして目を閉じて彼に気づき、そこで彼は小さな祈りか何かを言っていました。
私は立ってしばらくの間彼を見て、古い闇に驚いた。 彼は頭を上げて、「主よ、ありがとう」と言いました。 彼は再び振り返った。 涙が彼の頬から流れ落ちた。
私は、老人が何を見ているのだろうかと思いました。 私はあそこを歩いて彼の居場所に行きました。 そして私は「こんばんは、おじさん」と言いました。
彼は言い​​ました、「どうしますか?」
そして私は「あなたに質問したい」と言いました。 私は言いました 「私は牧師です 何があなたに戻って、あなたが祈っていたその祈りを言ったのですか?」
彼は「ただそこを見下ろしてください」と言いました。
そしてそこを見下ろして、「ドレスしか見えない」と言いました。
彼は言い​​ました、「あなたはそこにそのしみが見えますか?」
私は「はい、先生」と言いました。
彼は「私の周りに奴隷ベルトの跡があります」と言いました。 彼は言い​​ました、「それはアブラハムリンカーンの血です。 そして、そこに横たわっているその男の血が私から奴隷のベルトを外しました。」 「あなたも少しワクワクしませんか?」と言いました。
私は手を挙げて言いました、「神様、どうもありがとうございました。 有色人が彼から奴隷ベルトを奪うことからアブラハムリンカーンの血の考えに飛びつくことができるならば、彼を束縛から外して彼に自由を与えたイエスキリストの血にクリスチャンは何をすべきでしょうか。 それがどうあるべきか。 ああ、私のことを考えると!

17. 赤は私たちにとって「罪」を意味します。 赤:「あなたの罪は深紅色のようですが、赤です。」 しかし、あなたは赤を取り、赤から赤に目を通すと、それは白になります。 あなたはそれを知っていましたか? 赤を赤で見ると白に変わります。
そして、それは神がイエス・キリストにおいてなされたことです。 イエスの血が流され、私たちの赤い罪を彼の血を通して見ている神は雪のように白くなりました。 「あなたの罪は緋色のようですが、それでも雪のように白くなります。」
ああ、考えてみると。 その美しい実例は、神が人々の罪が準備をされたのを見ることができなかったのです。

18. だから、私は祈りに近づかないでください。 そして、私は離れて祈っていました、そして、あなたが最初に知っていることは、私たちが食べるとき、私たちはそこに小さなレストラン、小さなダンカードレストラン、そしてそこにいる小さな女性のところに行きましたとても素敵で、見栄えが良く、きれいに見える人々でした、そして彼らはとても素敵で、おしとやかで、演技をして歩き回っていました。
そしてしばらくして、日曜日に来て、彼らは閉じて教会に行きました。 彼らは皆とても宗教的でした。 そして彼らは閉じて教会に行きました。
それで、私はお腹がすいた。 その日の午後は癒しの礼拝をするつもりはなかったので、説教するつもりでした。 そして、私はサンドイッチを取りに行ったほうがいいと思いました。なぜなら、私は数日前から食べていないからです。
私は行き、小さなレストランは閉まっていたので、道を渡って、彼らが言うところの一般的な小さなドライブインの場所に行きました。 そして、私がドアを歩いていると、私の年齢くらいの警官が立っていて、40歳くらいの男性が腕を女性の周りに持って、スロットマシンを弾いていました。 そして、ギャンブルはオハイオ州では違法です。 彼らは法律です。
私は、この世界は何に来るのだろうと思いました。 兄弟たち、誰もが共産主義を恐れています。 誰もがロシアがやってくるのか、ドイツがやってくるのかを恐れています。 どの国も私たちを鞭打つことを恐れないでください。 彼らは私たちをむち打つつもりはありません。 私たちは自分自身を鞭打ちしています。 私たち自身のモラルが私たちを汚染しているのです。 それを傷つけるのはリンゴをつつくロビンではありません。 リンゴを腐らせるのは核心にある虫です。 私たちの間の私たち自身の道徳は、私たちを殺しているものです。 キリストを拒絶し、私たちのように生きる:それが私たちを殺しているのです。

19. 私は後ろを振り返ると、若いウェイトレスが後ろに立っていて、とても下品な服を着ていて、何人かの男の子は腕を彼女の周りに半分酔って、彼らがしてはいけないことをしていました。 私は、ああ、私のと思った! ここから出させてください。 そして、たまたま右を見ると、祖母になるのに十分な年齢の、おそらく65歳以上の老婦人が座っていました。 彼女はそれらの汚い服、少し短い服を着ていて、彼女の顔には紫色に見えるものがあり、彼女の足指の爪も同じように塗られていました。 かわいそうな古いもの、彼女の肌はしわが寄っていてぶら下がっていて、髪は本当に近く、そしてそれが灰色であったところは青いように見え、すべてが縮れていました。
そして、私は、それはひどいことではないかと思いました。 そして、2人の老人と一緒に座っていて、彼らは酔っていました。そのうちの1人は夏に大きな軍隊の上着を着ていました。
そして私は言いました 「ああ私の! 私は言いました、「神様、どうしてあなたはそれを我慢できますか?」私は言いました、「なぜあなたはそれを地表から拭き取らないのですか?」
それから私はそれを考えてそこに座っていました、そして突然。 何かが私を襲い、主は私に座るように言われました。 私はドアの後ろの隅に行き、祈り始めました。 私は、主よ、あなたは単に全体を引き裂くように見えると思いました...私の小さなレベカと私の二人の少女サラは、そのような下でこの世で育てられなければならないのでしょうか? 私のような罪人が震えるとき、どうしてそんなことを考えるのに耐えられるのかと思いました。

20. そして、私はそれが何であるか疑問に思いました、そして、私が近づいたとき、私は自分自身を男の子として見ました。 そして、私が罪を犯すとき、私はイエスが私と神の間に立っているのを見ました、そして彼の血はバンパーとして機能します。 私が何か間違ったことをするたびに、それは彼を襲うでしょう。 そして彼は言いました、「父よ、彼を許してください。 彼は自分が何をしているのか分かりません。」 そして、私は何か他のことをしました、そしてそれはちょうど私を保つために車のバンパーのようでした。 神は罪に耐えられません。 あなたが罪を犯した日、あなたは去りました。 それだけです。 しかし、イエスの血が私を守り、神の怒りを私から守っていたので、私の罪がそれを捕らえました。 そして彼は言いました、「父よ、彼を許してください。 彼は自分が何をしているのか分かりません。」
そして私は見て、「主よ、私の罪はあなたをそのように扱っていますか?」と言いました。 そして血が彼の顔を流れ落ちました。 私はもう少し近くまで這い上がった。 そして、そこで本を見て、私の名前が一番上にあり、あらゆる種類の罪がそれに書かれていました。 私は「許してくれませんか?」と言いました。 彼は彼の側に触れて「許された!」と書き、それを彼の後ろの忘れられた海の後ろに投げました。 そして私は、「主よ、あなたに感謝します」と言いました。
彼は言った、「今、私はあなたの罪を許すことをいとわなかったが、あなたは彼女の罪を非難したいのです!」

21. 彼女はしゃがんで周りを見回し、タバコを吸っていました。これは女性ができる最低のことだと思います。 そして、彼女はタバコを吸っていました。 彼女は「ああ、こんにちは」と言いました。
私は「ちょっと話してもいいですか?」と言いました。
彼女は「私には付き合いがある」と言いました。
私は言いました 「そのようではありません ちょっとお話ししたいと思います。」
彼女は「座って」と言いました。
私は「私は福音の説教者です、女性です」と言いました。 彼女はタバコを投げた。 そして私は「私の名前はブラナム兄弟です」と言いました。
彼女は言った、「あなたはここにいる男じゃないの?」
私は「はい、奥様」と言いました。
彼女は「この状態でごめんなさい」と言いました。

22. 彼女は私に彼女の話をしました、そして教会に行って正しいことをした昔ながらのメソジストの両親と一緒に、彼女がかつてクリスチャンの家で育った方法である石の男の心を挽くのに十分でした。
彼女は夫と結婚しました。 彼は飲み始めました。 彼女には娘がいて、彼ら自身も教会の会員でした。 そして、彼女が間違った道をどのように進んだか。 彼女は言いました、「私は恵みの日を罪を犯しました。」
私は言いました、「ほら、あなたはまだ主イエスを尊敬していますか?」
彼女は言いました、「そうです、先生」。
私は言いました、「それなら彼はあなたを離れていません。」 私は「いいえ、彼はまだあなたを憐れんでいます」と言いました。
「彼は私をこのように正しく迎えてくれると思いますか?」と言いました。
私は「はい、奥様」と言いました。 私は彼女を手に取り、その場所にひざまずきました、そして兄弟、私たちが彼女を主イエスに導いたとき、私たちはその場所を祈りの集会に分けました。 はい!

23. しかし、あなたが去ろうとするときはいつでも、あなたは今夜わからない、あなたはこの世界からあなたの旅を離れなければならないかもしれません。 それからあなたは神の前に行きます、そしてあなたはすでに裁かれています。 「原因、あなたは彼を裁いた方法によって裁かれているのです。
さて、赤....神が赤を見下ろすとき、彼は赤を見ません。 彼は白く見えます。 「あなたの罪は緋色ですが、雪のように白くなります。」

24. あなたがそれがイエスをどのように表しているかに気づいたら。 彼が来たとき、彼は決して世俗的な秩序に身を任せませんでした。 彼はパリサイ人やサドゥディーの側に立ったことはありませんでした。 彼は両方から自由にとどまった。 彼は両側に神を宣言しました。
そして別の言い方をすれば、彼女は大祭司の面前で殺されなければならないということです。 司祭は未経産牛が殺されるのを見なければなりません。
そして、カイアファスが彼に宣告したときなど、イエスもそうでした。 そこで彼は大祭司の前で殺されました。ゴルゴタの真上で、彼は神殿から見て、彼が死んでいくのを見ることができました—大祭司の前で。
なんて素晴らしい絵でしょう。 それが主イエスについてどのように語っているのか。 そして、彼は指を取り、血を拾い、会衆のドアの真ん中に、ドアを横切って7本の縞模様を作らなければなりません。 彼らの前に行くために何かが死んだことを認めない限り、誰もドアに入ることができなかったこと。 それは主イエスの公の証しでした。
ああ、友よ、私はあなたにそれをとてもひどく見てほしい。 公の証言! 7つの教会時代を表す7つの縞模様。 イスラエルによって、7つの教会が古くなりました。 私たちは最後に、ラオデキア人です。
そして、すべての教会時代に、彼は世界の基礎から殺された子羊でした。 それからそれは燃やされることになっていた。 体全体が焼かれ、分離の水が作られ、水と混合され、法廷の外の清潔な場所に保管されました。
注目してください、それは表されました...分離の水は今神の言葉を表しています。 みことばによって、水で私たちを洗ってください。 みことばは分離の水です。 キリストはいけにえの獣でした。 そして彼は順番に死にました…
あなたは病気の人がこれを聞いています。 キリストはみことばを成就するために死にました。 彼はみことばでした。 「初めに言葉があり、言葉は神と共にあり、言葉は神でした...そして言葉は肉体にされ、私たちの間に住まわれました」そしてこれが言葉であるように、分離の水を作って死にました。
これがキリストです。 ここにあるすべての言葉は、神自身が活字で書いたものです。 あなたの心にそれを受け取り、あなたがそれを受け取った後に何が起こるかを見てください。
神の約束をしてください。 これを聞いてください、そうすればあなたはこの声明を出すことができます。 それは録音、すべてにあります。 しかし、私はこれを言い、誰にでも挑戦します。このみことばの神の約束に対する正しい精神的態度は、それが何であるかに関係なく、それを実現させるでしょう。 神がそう言われたら、あなたはそのみことばに対して正しい精神的態度を取り、何が起こるかを見てください。 神は御言葉を守る義務があります。 彼はそれを誓った。 数晩でそれについて説明します。

25. 兄弟たち、私はその種のやけどを少し知っています。 しかし、それはあなたにとって良いことです。 裁判所の外の清潔な場所に保管しました。 それは、罪人が交わりに入る前に罪人を罪から切り離すことだからです。 通知してください。 それから人が罪を犯したとき、彼が最初にしたことは、分離の水に来ることでした。 彼の旅の途中の信者、そして彼は私たちの旅のように何か間違ったことをしました。 そして、分離の水のために燃やされることになっていたこの未経産牛は、杉、緋色、そしてヒソップを一緒に燃やしていました。 私たちは数夜でそれを拾い上げます、主は喜んで、それが何であるかを見てください。
シダーウッド。 多くの人々はキリストがハナミズキの十字架で死んだと言いました。 私たちがそれに入る時間があったらいいのにと思います。 ああ、そしてそれが常に血をまき散らすヒソップは生きた根でした、彼らは引き上げた、賢者ブラシ、根を引き上げた、そしてそれと一緒に置かれました。 そのすべてが神の役職について語っています。 シダー、緋色、ヒソップ; ちょうど父、子、聖霊のように、神の頭の役職です。 同じ神が父権、子孫、聖霊の神権時代にどのように生きたか。 すべて同じ父、同じ神。 そして、それらの森のそれぞれが同じもの、同じ神をどのように表していたか。
注目してください、それはまた神の癒しを表しています。 モーセが戒めに戻ったとき、彼が癲癇の癒しを命じたとき、鳩はどのように殺されたか、そしてこの緋色、ヒソップ、そして杉の木の上に。 彼らの病気からの分離。 彼らの罪からの分離と同じです。 神はいつでも、すべての時代において、いつでも癒しの準備をしてきました。
モーセがイスラエルの子供たちを連れて行ったとき、彼らはモーセをからかったり大騒ぎしたりし始めました。 「コラはモーセと同じくらい良い人です。 そして、彼のほかにもっと聖なるものがあります。」そしてこれすべて。 そして彼らは彼らがした道を進み始め、神と神の僕に対してつぶやきます。 そこに蛇がやって来て彼らを噛みました、そしてモーセは彼らのために介入しました、そして神は彼に真鍮から蛇を作るように言われました。 それは複合的な理由によるものでした:彼らの冗談を許し、彼らの病気や蛇に刺されたことを癒すためでした。
イエスは後でやって来て、「モーセが荒野で真鍮の蛇を持ち上げたように、人の子も持ち上げなければならない」と言われました。

26. 偉大な動物が今夜ここに私を持っていて、彼の足が私の中にあった場合、私を切っただけですが、彼の口は私を悩ませていませんでしたが、彼が....彼の足が私の中にあった場合、私が試す必要はありません彼のつま先を切り落としたり、足を切り落としたり、彼が私を突き刺しているものを切り落としたりします。 彼の頭をノックして、すべてを殺します。 そうです。 そして、あなたが頭の中で罪を打つとき、あなたはそれで病気を殺します。 それはすべて同時に殺されなければなりません。 それらを分離することはできません。 アーメン。 私は自分自身を「改善」しているのではありませんが、アーメンは「そうなる」という意味です。 大丈夫です。
私はそれを信じています。 聖書には、私が実行するのに十分な信仰を持っていないという約束がたくさんあるかもしれません。 しかし、それはまだです....それはとにかく同じです。 私はそれを信じています。

27. なぜ、150年前、私たちがフランスで過ごした最も偉大な科学者の1人が、「もし人が1時間に30マイルという驚異的な速度で行ったとしたら、重力が彼を地球からすぐに連れ去ることを証明した」と言ったのです。 兄弟、彼らは今日それに注意を払っていません。 彼らは1時間に1600マイル進んでいますが、それでももっと速くなろうとしています。 しかし、それの問題は、科学によって、彼らは進んでおり、私たちの説教者たちはじっと座っているということです。 それだけです。 彼らは原子を分割できるまで上に移動します。 しかし、私たちが神の癒し、または別の名前を付けるとき、「ムーディーがそれについて言ったことを見るでしょう。 何とか博士が言ったこと。」 彼らは彼らの年齢で大丈夫でした、私たちは次に進みます。 科学はここまでしか登ることができず、後退します。 私たちは、神の検索不可能な約束、未開発の資源、その先を手に入れました。 しかし、それは、彼らの思考の学校がそれを教えたかどうかを振り返って見なければならないということです。

28. 通知してください。 どのように....ここでしばらく前に、彼らは私に言いました....私は説教していました。 ある男がやって来て言った、「ねえ、説教者、私はあなたに何かを言いたいのです。 あなたは「人は心の中で考えている」と言い続けます。」
私は「聖書はそう言っています」と言いました。
「まあ、彼らは聖書を書いた、彼らはただ無知だった、ほら」と言いました。 「そのようなものはありません。....あなたの心の中に考える精神的な能力はありません。」と言いました。 「あなたは頭と脳で考えます。 あなたの心が考えるものです。」 言いました、「それはあなたが考えるところです。 あなたの心には精神的な能力はありません。」
私は言いました。「それがどこにあるかはわかりませんが、神はそれが心の中にあると言われました、そして私はそれを信じています。 私が知っているのはそれだけです。」

29. だから、それが今日の人々の問題です。 あなたは分離の水である教会に来ます。 大丈夫です。 みことばを聞いてください、それはとても良いことです。 あなたは自分の罪から離れてしまいます。 しかし、あなたは知的な信仰を持って出かけます。 それがあなたが信じられない理由です。 それがあなたが戻って自分のやり方で罪を犯す理由であり、あるリバイバルから別のリバイバルに耐えられない理由です。 もしあなたがその知的信仰をあなたの脳を通してあなたの心に移すならば、それは新たな誕生とともに現実になります。 その後、それはそこにとどまり、永遠に固定されます。 神は聖霊によってあなたを封印しました、そしてそれはそれを永遠に解決します。

31. そして私は「大丈夫」と言いました。
彼は言った、「信じる以外にどうしたらいいの?」 彼は言い​​ました、「アブラハムは約束の父でした、そして彼が……彼は神を信じました、そしてそれは義のために彼に負わされました。 アブラハムは信じる以外に何ができるでしょうか?」
私は言いました 「その通りです 彼にできることはそれだけです。 しかし、神は彼の信仰の確認として、彼に割礼の印を与えました。」 そして私は言いました、「エペソ人への手紙第4章30節は、 『神の聖霊を悲しませないでください。そうすれば、あなたは贖いの日まで封印されます』。 あなたがキリストをよみがえらせて告白し、あなたが彼を知的信仰で信じていると言い、神があなたに聖霊を与えたことは一度もないとしたら、彼はあなたの信仰をまだ確認されていません。」 アーメン。

32. 大丈夫です。 分離の水。 みことばを聞きに来てください。 ちょうど同じように、通常人々が来ます...私は知っています、私は街を通り抜けて、これらの大きな家を見ました。 感謝しています。 しかし、あなた方は誰もいませんが、3部屋の家に住んでいます。 それがあなたが住むことができるすべてです。あなたはただ3部屋の家に住んでいます。 神がここにいたとき、彼は三部屋の家に住んでいました。 それはあなたが住むことができるすべてです。最初はあなたのキッチンです。 次はあなたのダイニングルーム...または、リビングルームです。 そして次はあなたの寝室です。 ベッドルームが3つか4つ、またはダイニングルームがいくつかあるかもしれませんが、実際には、それは単なる余分な部屋です。

33. それが今日の世界の問題です。昔​​の昔ながらのママが子供や物のために祈っていたのではなく、今夜は子供と一緒に出かけて、喫煙し、飲み、彼らのように続けています。 。 それが私たちが少年の滞納を得た理由です。 彼らは私たちが彼らよりも文明化されていると話します。 私はそれを疑っています。 私たちは確かにそのように行動しません。 それは真実の1つです。
あの昔ながらのタイプが好きです。 なぜ、兄弟、彼らはケンタッキーの非識字について話しているのですか。 私たちが丘の中腹に立っていたとき、私は彼らの中で古い山々と、そこにあるそれらの古いママたちに、大きくて古くて長いボンネットをつけて説教しました。 そして周りの女性たちは彼らをからかっています。 「彼らを見てください。 彼らは古いモデルかそのようなもののように見えませんか?」

34. 見て! 私にも2人の女の子がいます。 何が出るかわかりません。
私は彼らがこのあたりでさえこれらの庭に伸びて配置されているのを見ます。 私は南部がそれを許すとは思っていませんでした。 びっくりしました。 路上でレイアウトして、彼らは少し古着を着て、日焼けをしました。
私、子供たちはそれをするかもしれません。 私は彼らがそうしないとは言いません。 しかし、兄弟、彼らは日焼けをしますが、それは私の父の息子で、私ができる限り強くバレルスラットで日焼けさせ、彼らを連れてきます。それは彼らが得る日焼けのようなものになるでしょう。 そして、それが今日私たちに必要なのは、もっと古風で、神から送られた、聖霊であり、神の御霊の第二生まれのバプテスマです。 みことばのために、血の下で説教すること—分離するキリスト中心のこと。 キリストは罪を憎んでいます。 聖霊は罪を憎みます。 人々が罪を憎むのも不思議ではありません。人々が聖霊を憎むのも不思議ではありません。つまり、暗闇の中を歩いているとき、光を愛することができないからです。 アーメン。 それは本当です、そしてあなたはそれが本当であることを知っています。

36. そこで、ルースのその話、ほんの少し(私たちのレッスンから少し離れて)。彼女が戻ってきたとき、彼女を見てください、そして彼女は彼女の財産をすべて失っていました。 彼女が持っていたすべてのものが奪われていた。 彼女は貧しく、何も残されていませんでした。 そして、彼女が入ってきたとき、彼女は彼女の神々(異邦人教会のタイプ)を捨てた若いルースを送りました...ナオミと一緒に住むために彼女の神々を捨てました。 彼女が住んでいた場所には、彼女は住んでいました。 彼女が死んだところで、彼女は死ぬでしょう。 そして彼女の神は彼女の神になるでしょう。

37. 野外のルース、貧しい—教会のタイプ。 私たちは、律法の下で生まれたユダヤ人を通して、ユダヤ人の教会からやって来ます。 キリストは死にました。 私はそれがユダヤ人の血だと思っていました。 私はそれを修正しなければなりませんでした。 彼はユダヤ人でも異邦人の血でもありませんでした。 彼は神の血でした。 彼の母親はユダヤ人でした。 彼の父は神ご自身でした。 血は男性の性から来ています。 それは創造的な血であり、性的なものではありませんでした。 それは神の血でした。 彼はユダヤ人でも異邦人でもありませんでしたが、神は肉体で現れました。 それから、彼が地上にいたとき……彼が歩いているのを見てください。
さて、ルースに戻って、ちょっと待って、それを見てください。 ボアズが彼女を見たとき、彼は彼女に恋をしました。 そして彼は彼女にその畑を離れるのではなく、そこにとどまり、しっかりと集めるように命じました。 それは、一度キリストに来たすべての信者に神がなさることです:神と共にいてください! 教義のあらゆる風に乗っ取られてはいけません。 キリストと共に正しいままでいてください。

38. そしてその夜、彼女は彼がその夜、収穫者の納屋で小麦をまき散らしていたときのところに行きました。 ボアズは横になった。 そして、彼が横になったとき、ルース(これに気づいてください。)はこの男に身を任せることを恥じませんでした。 本当の真の生まれ変わった教会として、今夜は、神の聖霊の呼びかけに身を委ねることを恥じません。 この男と一緒に納屋に行き、彼に信頼を与えました。 キリストに来るすべての人は、両側ですべてを捨て、主イエス・キリストに完全な信仰を置かなければなりません。 あなたのお母さんが何を言っても、あなたのお父さんが何を言っても、これが何を言っても、ママが何を言っても、あるいは誰かが何を言っても。 キリストを信頼しなさい。 恐れることはありません。
彼女は入って来ました。そして、彼女がその信頼を与えていることを知ったとき、彼は自分のローブで覆うために彼女の上に彼のローブを投げました(あなたはそれが何を意味するかを言う必要はありません:もちろん聖霊)。 そして彼は言いました、「さて、あなたは続けます。 日が暮れるとき、私はあなたを迎える前に親族の仕事をしなければなりません。」

39. そして、霊に戻った神がどのように肉体で現れ、人間の形をとり、人類の親族になったのかを見てください。 苦しみが何を意味するかを知ること。 病気の意味を知ること。 誘惑が何を意味するかを知るために。 神は人間になり、人間と親族になり、人間を自分自身に贖うためになりました。 ああ、どうして、もしあなたがそれだけを見ることができたなら、罪人、今夜、それはあなたの心を溶かすはずです。 神が、その先に戻って、初めに:聖なるものを見てください。 彼がモーセと一緒に火の柱として山の頂上を歩いたとき。 誰かが山に触れた場合、彼は殺されなければなりません。 神は人間の心に入ろうとしています。
神が次にしたことは、肉体に現れました。 キリスト! 神はキリストの中にいて、世界をご自身と和解させました。 彼はここで男として生まれ、贖いの代償を払うために親族を作りました。 それから彼は彼の霊が聖霊の形で自由に戻ってくるためにそこで殺されました。 神がキリストに空にされたすべてのこと。 神のすべての偉大な永遠はキリストに空にされました。 そしてキリストがそうであったすべて、彼は教会に空にされました。 そして、男性と女性は、神から与えられた特権を主張し、その真実に立つことを恐れています。

40. キリストは昨日も今日もそして永遠に同じです。 あなたの親族の贖い主である神ご自身が、この地上で肉体を作り、罪を取り除き、道を清め、彼が再び彼の被造物と交わることができるようにしました。 アーメン。 あなたの中の神、栄光の希望。 聖霊そのものが、人間の心に入り、罪と非難を取り除き、あなたを癒し、あなたを元気にし、そして彼との交わりをします。 あります。
ボアズは...にならなければならなかった、そして彼は親戚だった。 そして、公の証言をするために……ナオミと彼女が失ったすべてのものを彼が贖ったのは公の証言でなければなりませんでした。 アーメン。 私は少しおかしな行動をすることを知っていますが、私はそれを助けることができません。 私がその素晴らしい絵を考えるとき、私の心は泡立ちます:彼がルースを得るためにナオミをどのように償還しなければならなかったか。 彼が彼女を償還しなければならなかったとき、彼は彼女が失ったすべてを償還しなければなりませんでした。

41. 彼は彼女が持っていたすべてのものを彼女に償還した。 彼は靴を脱いで公の看板を作りました。出入りするすべての人が、ナオミが失ったものをすべて償還したことを知っているかもしれません、そして彼は完全に所有していました。 なんて美しい絵でしょう。
ゴルゴタにぶら下がっている古い頑丈な十字架であるキリストは、罪の罰を支払われました。 「彼は私たちの罪のためにそこで負傷しました、彼は私たちの不義のために傷つけられました、私たちの平和の懲罰は彼にありました、そして彼の縞模様で私たちは癒されました。」 人類がアダムで失ったものはすべて、キリスト、神、彼自身が人類と親族になり、それを彼の造り主に取り戻したときに贖われました。 失われたものすべて、彼は再び贖われました。 なんて素晴らしい絵でしょう。 病気の人、見えますか?
それから彼は今夜ここにいます、彼の偉大な聖なる存在、彼の偉大な8月の存在の中で、人々の間を移動し、あなたにそれを信じて欲しいのです。 それがあなたがしなければならないすべてです、ただそれを信じてください。 ただそれを信じて、彼がそれを和解させるのを見てください。

42. 神はミニスターを送り、みことばを説教するために彼らに油を注がれます。 彼は素晴らしい贈り物をいくつか送ってくれます。 彼は何人かを教会に、最初に、預言者...あるいは、最初に、使徒、そして教師、そして伝道者、そして預言者などを置きます。 教会を完成させるためのこれらすべてのもの。 彼の言葉を送った。 彼らはそれを説教します。 それは分離の水です。 ここに他の人たちがやって来て、彼らの職務を遂行します。

43. 今日、私は少し長すぎると言われました、そして私はもう過去の時間を過ごしました。 私はとどまるつもりはありませんでした。 たぶん、明日の夜、ムーア兄弟がここに来て、彼は説教をして、すぐに来て病人のために祈り始めることができます。

44. しかし、私は今夜あなたに話します、小さなカプセルではなく、カルバリーに目を向けてください、500年だけでなく、永遠にあなたは彼の前で不滅の体で生きるでしょう。 そして、あなたは一つのことを支払う必要はありません。 すべての価格はすでに支払われています。 あなたがしなければならない唯一のことは、手を挙げて、「主イエスよ、私はそれを心から信じ、今それを受け入れます」と言うことです。

45. 頭を下げている間、アリーナの周りで、今それについて考えてほしい。 分離の水、みことばの説教、しるしとしての主イエスの引き上げ。 あなたは今、謙虚にそして優しく彼のところに来て、彼の足元でお辞儀をしてこう言いませんか?「主イエス様、私の心の中で、私は長い間皆混乱してきました。 でも今夜はもう少しよく理解できたと思います。 私は聖霊が私に話しかけたと信じているので、私は今あなたを私自身の個人的な救い主として受け入れたいと思います。 そして、神はその見返りとして、私に約束の聖霊を与え、あなたの王国に私を封印してくれますか? 私が今持っているこの知的信仰を取り、聖霊によって私の心にそれを置くことによってそれを実現させてください。」

46. [テープ上の空白のスポット] ...彼を受け入れる人々にとって彼は永遠の命であると信じるでしょう。 父よ、今夜それを認めてください。あなたは世界中で非常に多くのことをし、あなたが私たちと一緒にいるというあなたの間違いのない証拠の素晴らしいしるしと不思議を示しています。 投げられたすべての人が、男性の考えの変化する砂の上で揺れ動きましたように。 彼らが今夜それをすべて脇に置いて、「主イエス様、私は何度も来たかもしれませんが、今夜、私は心を尽くして来ます。 主よ、私は今来ます。」

47. 「私は世界の終わりまであなたと一緒にいます。」 彼は昨日も今日も永遠に、原則として権力は同じです。
さて、もしイエスが今夜ここに立っていて、私がここに座っているこの男を私に連れてきて、彼が病気で、そしてイエスが私にくれたこのスーツを着てここに立っていたらどうでしょうか? さあ、よく聞いてください。 もし彼がここに来て、今このスーツを着てプラットホームに立っていたら、彼が私にくれたとしたらどうでしょう。 今、彼はあなたを見回し、おそらくこの女性がここにいるのを見るでしょう、私は彼女がこの小さな病気の赤ちゃんを膝の上に寝かせているのを見るでしょう。 そして私は、ここに横たわっている女性と、担架やベビーベッドに横たわっている女性がいます。
もし彼がここに立っていたら、彼は何をしますか? 彼は「ここに来て、私にあなたを癒させてください」と言うでしょうか? 彼はそれをすることができませんでした、彼はすでにそれをしたので、彼はそれをすることができませんでした。 分かりますか? 彼はすでにそれをしました。 「彼の縞模様によってあなたは癒されました。」 彼は言い​​ました、「あなたは私があなたのためにそこで死んだと信じていませんか? 私、それがあなたの病気のために死んだ私だと信じていませんか? 私があなたの罪のために負傷したと思いませんか、私の縞模様であなたは癒されましたか? わたしの言葉が信じられないのですか?」
ほら、彼にはできない…それは人間にはできないこと、人間は罪を許すこと、そして人間は病気を癒すことはできないことの一つです。 彼らは神がすでにしたことをすることはできません。 分かりますか? あなたはそれをすることはできません。 あなたはカルバリーでのキリストの完成した仕事を信じなければなりません。

48. ヨセフ、キリストはヨセフにいました、あなたはそれを信じますか? そして、ヨセフは予見者として生まれました。 彼はビジョンを見て夢を解釈しました。 彼はそのように生まれました。 彼の兄弟は彼を嫌っていました。 それは今日でも同じことであり、常にそうでした。 常に。 しかし、彼は予見者でした。 彼の他の兄弟は彼と同じくらい良かったが、残りの兄弟はそうでしたが、彼はそうでした。 しかし、彼は霊的には予見者でした。 神は彼を予見者にされました。
そしてキリストは、彼がこの地上にいたとき、偉大な癒し手であるとは主張していませんでした。 彼はただ「私は父が私に指示したことだけをします」と言いました。 そうですか? 彼は聴衆を見て、彼らの心の中にあるものを認識しました。 彼は誰かに「あなたの信仰があなたを完全にした」と言いました。 なぜあなたは心の中で推論するのですか? そうですか? それが彼がこの地上でしたことです。
そして、彼が死からよみがえられたので、彼は同じことをすることができます。 彼は「私と同じことを、あなたもするでしょう」と言われたからです。 そして、もし彼が今夜それを繰り返すなら、 もし彼が直接ここに来て、人間の目には見えないなら、あなたは時々それを幻で見ることができます。
彼らはここでそれの写真を手に入れました、あるいは何千人もがそれを何度も見ているものがあります:光。 私にとって、それはイスラエルの子供たちを導いたのと同じ火の柱です。 イエス・キリストは昨日も今日もそして永遠に同じです。 分かりますか? そして、それは私ではありません。 私はただグループで彼を代表しています。 彼はここにいます。 それもあなたと一緒です。 それはみんなと一緒です、ほら。 彼は今夜ここにいます。 そして、それらのいくつかは説教者に送られます。 それらの牧師の何人かは私が今夜取ったテキストを取り、それから本当の説教をすることができました、しかし...そして...彼らは説教者として呼ばれたので、見てください。

49. そして、もしキリストが今夜来るなら、ここでこのプラットホームに来てください。 そして、私が電話をかけるとき、このプラットフォームの向こう側に、彼がそこに出てカードを配ることなく、注文などを受け取ることができるかどうか...私はあなたに尋ねたいです:私がここに人々を連れてくることができるかどうかプラットフォームで、主イエス・キリストがこの人々の聴衆の中に来て、彼がそこで行ったのとまったく同じことを実行するのを見るでしょう、あなたはそれを喜んで受け入れ、神に感謝し、あなたの信仰を置いてもらいますその中で正しいですか? きっとあなたはそうするでしょう! その後、あなたがそれをするなら....
彼にこれを聞いてみましょう...誰かに電話する前に、または他の何かに電話する前に、彼に聞いてみましょう....その少年はカードを配りませんでした。 ただ、私たちが誰かを並べる前に、私たちが誰かを並べる前に、あなたにビジョンを見せてくれるように彼に頼んでみましょう。 それは十分に公平だと思いませんか? さあ、祈りましょう。

50. そして、私は祭壇に電話をかけて去るつもりだったと感じていますが、どうやらあなたが欲しいものが他にあるようです。 父よ、私はあなたがこの問題で私を助けてくれることを祈ります。 どうしたらよいかわかりませんが、何かが原因でプラットフォームを離れることができません。 そして、私がこれを言ったように、私はこの時に祈ります、あなたが私を助けて、これらの人々を訪ねてくださいますように。 あなたが私に彼らに言わせようとすることは何でも、私は今、主よ、あなたに身を委ねます。 そして、もしあなたがあなたの偉大な霊を送り、あなたのしもべに油を注ぐなら、私たちはとても幸せで感謝するでしょう。 そして、聴衆は一度にすべて癒されることができました、父よ。 あなたがこれをイエスの御名によって、あなたの愛する御子に与えてくださることを祈ります。 そして彼の栄光のためだけに。 アーメン。

51. さて、そこに戻ってきたあなたに、私はあなたがあなたの交わりにすぐに来て欲しいのです。 同じことです。 それは御霊の交わりです。 私たちは皆、今キリストの中にいます、ほら。 私たちは一緒に天国の場所、キリスト・イエスに座っています。 彼は素晴らしいではありませんか?

52. そして、彼は今夜、このプラットホームでここに来ることができます。 私が彼の僕として彼に服従することができれば、彼はあなたに何を言うべきかを私に言うことができます。 そうです。 あなたはそれを信じますね?
そして、もし彼がそれをするなら、あなたは、友達、私があなたに言ったことを見るでしょう…。あなたは私があなたに真実を言ったと信じますか? そして、真実は何ですか? あなた方一人一人がすでに癒されていること。 あなたはそれを受け入れる必要があります。 それだけです。 そして、私があなたにそれを言った、そして神がそれが真実であると確認したなら、あなたは確かにそれを進めるのに十分な信仰を得ましたね?

53. パウロがこれらの言葉を話している間、彼は人を見つめ、彼に目を留めて、「先生、私はわかります」と言いました。 そうですか? 分かりますか? 聖書的に! さて、彼が彼の祝福を加えてくださいますように。 ああ、なんて時間だ! いつの日か、皆さんにお会いすることができました。 そして全能の神は、あなたがその写真で見るその光が、私が今いる場所から2フィートではなく立っていることを知っています。 それは真実です。 それは私の右側、ここに移動しています。 彼の恵み、彼の憐れみ! 彼が真実を立証するかどうか私は彼に尋ねています。

54. 神よ、今夜は憐れんでください。 主イエスよ、あなた自身を現してください。 あなたはここにいます。 私たちはあなたを愛しています。 私たちはあなたを信じています。 そして、私はあなたがここにいることを知っています。 主よ、あなた自身をこの聴衆に知らせてください。 あなたはこの聴衆を知っています。 私は彼らを知りません。 しかし、あなたがしもべであることを彼らがあなたについて真実を語ったことを彼らが知ることができるように、私はこれを私たちの主イエス・キリストを通して祈ります。
神を信じなさい。 イエスは、ある日木を通りかかったとき、その上に実が見られなかった、と彼は言いました。彼はそれを踏みつけたり蹴ったりする必要はありませんでした。 彼は言った、「これからはだれもあなたから食べない」。 そして、それから食べる人は誰もいませんでした。 乾きました。 「神を信じなさい。 もしあなたがこの山に言い、感動し、心の中で疑うことなく、あなたの言うことが実現することを信じるなら、あなたはあなたの言うことをすることができるのです。」

55. なるほど……はい、神に感謝します。 男が座って私を見ているのが見えます。 彼は祈りの中にいます。 彼と私の間で、軽くて筋が動くようになります。 その男は重苦しい男です。 彼は私を正しく見ています。 彼は心臓の問題で苦しんでいます、その男はすぐそこに座っています。 そうです、先生。 あなたは今家に帰ることができます、元気な人。 あなたの信仰があなたを癒してくれました。
あなたのすぐ隣に座っているあのかわいそうな女性。 私には、このように見てください、姉妹。 あなたは私が神の預言者であると信じています...それともしもべですか? 心からそれを信じますか? もし神があなたが何のためにここにいるのかを私に知らせてくれるなら、あなたが問題を抱えているなら、神があなたの問題は何であるかを私に教えてくれるなら、あなたは私を彼の僕として信じますか? あなたはそうしますか?
あなたの問題はあなたの足にあります。 そうじゃないですか? さて、それは真実ではありませんか? そうすれば、立ち上がることができます。 イエス・キリストはあなたを元気にします。 アーメン。

56. そのようなことはあなたの隣に座っている女性に衝撃を与えました。 あなたはそれを心から信じますか? あなた、私を見てください。 私が彼の預言者であると信じますか? 私があなたに真実を言うなら、あなたは信じますか? あなたはそれが真実であることがわかるでしょう。 そうすれば、あなたは私があなたに真実を言っていると信じるでしょう。 神の光があなたの上にかかっています。 あなたは腎臓の問題に苦しんでいます。 そうです。 あなたの足で立ってください、あなたはうまく家に帰ることができるからです。

57. 言って! あなたに何か言いたいです。 あなたは自分の状態に気づきます。 あなたの名前はジョンソンです。 ベアトリス・ジョンソン。 あなたはここジョージア州マコンの1920年のジェフデイビスストリートに住んでいます。 そうですね。 あなたは今、あなたの癒し主のために主イエスを受け入れますか? 彼に手を挙げてください。
父よ、主イエスであるあなたの御子の名において、私はこの女性にかかっている死の霊を非難します。 そして、彼女があなたの栄光のために癒されますように。 私はここにいるすべての男性と女性に、今今信じているすべての人に、イエス・キリストがここにいて、神の御子であり、あなたが今あなたの足元に立ち、彼をあなたの癒し主として受け入れるようにお願いします。
全能の神、生命の作者、あなたはあなた自身を現しました。 ここですべての人を癒してください。 そして、私はすべての病気を非難します。
出てこい、サタン。 私は神の御子イエス・キリストの名において、あらゆる悪霊を叱責します。