1. 少し前にここを出たばかりなんです。たしか4時ごろに出たと思います。それから、また何人かの友人たちに会いに行かなければなりませんでした。そして7時5分過ぎに戻ってきて、すぐまたここへ来なければなりませんでした。
ですから、ネヴィル兄弟、まだ説教のテキストを探しているような状態なんです。
2. [ネヴィル兄弟が言う。「ビル兄弟。」]
はい。
[「少しお知らせをしてもよろしいですか?」]
もちろんです、ネヴィル兄弟。
[ネヴィル兄弟が話す。]
3. しかし今晩は、ダニエル書の方へ移りましょう。聖書をお持ちの方は、ダニエル書12章を開いてください。そこから少し読んで、ダニエル書の中にある神の御言葉について、少しお話ししたいと思います。
4. そこには、昔ながらの尊い信仰をなお保ち続けていた者たちは、それほど多くありませんでした。私はダニエルが好きです。なぜなら彼は、バビロンへ下って行った時、自分の心の中で、信者であり続けることを決意していたからです。そして王の食物などによって自分を汚すまいとしたのです。
さて、そのことこそが……。ダニエルは異邦人に対する預言者でした。ダニエルは、異邦人の時代が起こり、そして倒れていく、そのすべてを見たのです。彼は最初に……彼は「異邦人の預言者」と呼ばれました。彼自身が異邦人だったわけではありません。しかし彼は、異邦人の摂理の時代を初めから終わりまで見たのです。金の頭から始まり、鉄と粘土の足に至るまでです。
そして彼はその中を通っていきながら、自分の心に、王の食物によっても、王の事柄によっても、自分を汚すまいと決意していたのです。
5. そして、この4人の信者が一緒になると、私が想像するには、おそらくしばしば共に祈祷会を持っていたことでしょう。ちょうど私たちがするように。私たちは、共通のものを持っているから一緒に集まるのです。
ご存じのように、昔からこういう言い回しがあります。「同じ羽の鳥は群れをなす。」いや、古いことわざですね。そしてこれは、なかなか良いことでもあります。「同じ羽の鳥は群れをなす。」
そのことを嬉しく思いませんか。もちろんです。「同じ羽の鳥は群れをなす」のです。
6. その話していた人が言いました。
「さて、あなたはこれをどう思いますか。」
すると、ひとりの黒人の兄弟が立ち上がって言いました。
「それは、聖書が言っているそのままのことです。主は行って、獄にいた魂たちに宣べ伝えられたのです。」
その人が言いました。
「それは何だったと思いますか。」
兄弟は言いました。
「それは、ノアの日に箱舟が備えられていた間、神の寛容の中でも悔い改めなかった魂たちのことです。ちょうど聖書が言っている通りです。」
すると彼は言いました。
「いいえ違います。それは、この教会が、これらの教派の中にいるペンテコステ派の人々に宣べ伝えて、彼らを獄から連れ出すということです。」
その兄弟は言いました。
「さあ、よく見てください、兄弟。そこにはペンテコステのことなど一言も出てきません。ただ、主が行って、獄にいた魂たちに宣べ伝えられた、と言っているだけです。」
そこで私は言いました。
「アーメン、その通りです。」
するとその牧師は私の方を振り向いて言いました。
「同じ羽の鳥は群れをなす、ということですね。」
私は言いました。
「その通りです。尊い同じ信仰を持つ兄弟たち、聖書が言っていることこそ真理だと、そのまま信じる者たちです。」
7. ご存じでしょう、故郷を離れている時に、自分と心を同じくする人を見つけるのは良いことです。自分のそばに立ってくれる人、本当に良い友を見つけることは、なんと尊いことでしょう。
ああ、異国の地で、自分の友となりたいと思い、愛してくれて、そばに立ってくれる人を見つけるなら、それは本当に大きな価値があります。特に、自分がよそ者である時にはなおさらです。
そしてこの兄弟たちは、自分たちの町から連れ去られたのです。彼らの町は焼かれ、すべての器や、神の聖なる物はバビロンへ運ばれ、ネブカデネザル王の宝物庫に納められました。
彼は、それらを持ち去った……そうです、偉大な異邦人の王でした。
8. しかし、それでも神には、ご自分の手を置いて、
「これはわたしのしもべである」
と言うことのできる信者がまだいたのです。
神はいつの時代にも、どこかに証人を持っておられました。神は、ご自分のための証人を欠いたままには決してなさいません。たとえ時には、たった一人にまで少なくなったとしても、それでも神にはいつも、ご自分の手を置いて、
「これはわたしのしもべであり、わたしが告げる通りに行う者である」
と言うことのできる人がいたのです。
さて、私たちはそういうことが好きなのです。
9. これは、本当の信者が主イエスを自分の救い主として本当に受け入れた時に、どのような所を通るのかを示す、とても美しい実例です。信者はいつも試みに遭わされます。サタンは今でも、試す働きをしているのです。
しかしそれは、あなたを助けるために起こるのです。あなたの益のためなのです。
「神のもとに来るすべての子は、試され、懲らしめられ、むち打たれなければならない。」別の言い方をすれば、少し打たれ、正されるということです。そして、もし神が私たちに懲らしめを与えられた時、それに耐えることができないなら、私たちは私生児であって、神の子ではないということになります。
さて、本当に自分の信仰を天に向けて定めている人は、この地上で何が起ころうとも、なお信仰を天に向けて定めています。
友人が彼を見捨てるかもしれません。家族が彼を見捨てるかもしれません。牧師が彼を見捨てるかもしれません。しかし、彼を見捨てないお方が一人おられます。それは神です。
そして、あなたの心が定まっている時、私はそれが好きなのです。
10. 過去のものを捨て去り、彼は上からの召しの目標に向かって進んでいたのです。それこそ、私たちがしているべきことです。それこそ、教会がしているべきことなのです。
そして私が見るところ、神はサタンが彼に試みを与えることを許されました。ああ、彼らは火によって試されました。彼もまた、獅子の穴によって試されました。しかし、どの場合にも、神は彼らを勝利者以上の者として連れ出されたのです。
「正しい者には多くの試みがある。しかし神は、そのすべてから彼を救い出される。」
なんと素晴らしいことでしょう。私たちはどれほどそのことを感謝しているでしょうか。
試練、患難、試み、そのすべてが益となるように働いているのです。やがて神は、あなたに信頼を置くことができるとご覧になるようになります。そしてその時、神はあなたのために大いなることをしてくださるのです。
11. 彼は自分の民から離れ、自分の町の外におり、自分の教会からも離れ、見知らぬ国にいました。それでも神は彼を用いられたのです。
ですから、あなたがどこから離れていようとも、自分の愛する者たちすべてから離れていようとも、あるいは自分の教会から離れていようとも、あなたはなお、神の御手の中にある器となることができます。
神は、証しのためにでも、また神が望まれるどんなことのためにでも、あなたを用いることがおできになるのです。
12. ああ、私は時々それを読んで泣いてしまいます。数日前も、あの部屋で読んでいた時、ただ座り込んで、赤ん坊のように泣かなければなりませんでした。立ち上がって椅子の周りを歩き、椅子に手を置き、また聖書を見下ろすと、また泣き崩れてしまいました。そしてまた椅子の周りを歩き、もう一度それを見ました。
私は思いました。
「ああ神よ、この中には、それに信頼を置き、それを信じる勇気を持つすべての男、すべての女に対する永遠のいのちがある。永遠のいのちがあるのだ。」
そして主は言われました。
「あなたがたは聖書を調べている。それらの中に永遠のいのちがあると思っているからである。そして、それらはわたしについて証しするものである。」
聖書を調べなさい。
神の御言葉は、私たちの足もとの灯です。もし私たちが導かれるべきであるなら、それは、私たちを勝利から勝利へと導く道を照らす光なのです。
13. ですから私たちは、戦いや試みに対しても感謝すべきなのです。それは、神が私たちに勝利を得る機会を与えてくださっているということなのです。
ああ、なんと、それを思うと少し元気になりませんか。分かりますか。戦いがやって来る。誰かがあなたのことを悪く言う。病があなたに臨む。もしかすると神は、あなたを癒し、ご自分の恵みをあなたに示すために、そのような軽い患難を許されるのかもしれません。
そして、それによって神が何を意味しておられるのかを、あなたに分からせてくださるのです。
神はあなたを愛しておられます。
14. 羊飼いが一匹の羊を抱えて歩いていました。すると誰かが尋ねました。
「なぜその羊を抱えているのですか。」
羊飼いは言いました。
「この羊は足を折っているのです。」
「どうしてそうなったのですか。崖から落ちたのですか。」
羊飼いは言いました。
「いいえ、私がその足を折ったのです。」
その人は言いました。
「それでは、あなたはその羊の足を折るなんて、残酷な羊飼いですね。」
羊飼いは言いました。
「いいえ、私はこの羊を愛していたのです。」
そしてこう言いました。
「この羊は道をそれて行ってしまい、私の言うことを聞かせることができませんでした。ですから私はその足を折りました。そうすれば、この羊に特別な注意を払うことができるからです。そしてその後、この羊は私を愛し、私について来るようになるのです。」
15. 医者が「もう何もできません」と言った時、その時に神は私たちをご自分の懐に抱き寄せて、こう言われるのです。
「見なさい。わたしはあなたを愛している。あなたをよくならせてあげよう。」
分かりますか。ああ、それを思うと、人生が少し良く感じられるではありませんか。
ああ、主はなんと偉大なお方でしょう。なんと素晴らしい羊飼いでしょう。そうではありませんか。
ダビデがこう言ったのも不思議ではありません。
「主はわが牧者なり。われ乏しきことあらじ。主は静かな水のほとりに私たちを導き、私たちの魂を回復し、私たちの杯をあふれさせ、敵の前で私たちに油を注いでくださる。」
あなたは、敵の前で油を注がれたことがありますか。証しをしているうちに、あなたの杯があふれて煮え立つほどになるような、そんな経験です。分かりますか。
敵の前で油を注がれるというのは、なんと素晴らしいことでしょう。
16. そしてネブカデネザル王が死ぬ前には、草を食べるようになり、髪の毛は鷲の羽のようになり、爪は鷲のかぎ爪のようになりました。神は彼に、本当の王が誰であるかを知らせなければならなかったのです。
彼の死後、孫のベルシャザルが王位を継ぎました。そして彼は、ネブカデネザル王よりもさらに悪い者でした。
ある夜、彼らは大きな宴会を開き、すべての高官たち、役人たちを呼び集めて、大きな騒ぎをしていました。そしてその宴会の最中に、彼らは人をやって、神の聖なる器を持って来させました。ただ神をあざけるためでした。
そして主の器から、自分たちの神々に向かって酒を飲み、乾杯したのです。
17. しばらくの間は、あなたの小さな愚かなことを続けていられるかもしれません。しかし、その線がどこにあるのかを、よく知っておいた方がよいのです。
主が、何かについてあなたを引き止められたことはありませんか。主は私たち皆にそうなさいます。手綱を引いて、
「もうここまでだ」
と言われるのです。
その時からは、自分が何をしているのか、よく注意した方がよいのです。もしあなたが、その線の方へ踏み越えようとしているならなおさらです。
18. すると、天から一本の手が現れ、壁にこう書きました。
「メネ、メネ、テケル、ウパルシン。」
その意味は、
「あなたは秤に量られて、足りないことが見出された」
ということです。
誰もそれを解き明かすことができませんでした。それは未知の言葉だったのです。しかしそこには、解き明かしの賜物を持つ人がいました。ダニエルです。
そこで彼が呼ばれて来て、それを解き明かし、王に何が起こるのかを告げました。そして神は、その国、バビロンを滅ぼされたのです。
19. 注目してください。なんと完全なことでしょう。どうか、よく近づいて聞いてください。
彼はまず、王の夢を解き明かした時、野に立っている像を見ました。彼は霊的な人でした。夢を見、幻を見、夢を解き明かしました。神が彼と共におられ、誰もがそのことを知っていました。
そして彼がその幻を見た時、金の頭、銀の胸、青銅のもも、そして鉄の足がありました。注目してください。それぞれの王国は、だんだん硬くなっていったのです。ネブカデネザル王の王国は、金の頭でした。彼はそれを解き明かし、それらの王国が終わりに至るまで、どのように互いに続いていくのかを、まさにその通りに王に告げました。
そして注目してください。金は最も柔らかく、次が銀、次が青銅、そして次が鉄です。だんだん硬く、だんだん冷たく、だんだん遠ざかっていきます。注目してください。
そのすべてのただ中で、ダニエルはその像を見続けました。すると、山から一つの石が切り出されました。それは人手によらずに切り出された石でした。その石が転がって来て像に当たり、それを砕き、夏の打ち場のもみ殻のようにしました。そして風がそれを吹き払いました。
するとその石は大きな山となり、全地と海を覆いました。それは、主イエスの来臨を表していたのです。そしてそれは今、間近に迫っているのです。
20. 人はあなたのすぐ隣に立っていても、あなたには命にかけても見えないようなものを見ることがあります。その通りです。ある人は言いました。
「私はそんなことは信じません。何も見たことがありませんから。」
それは、あなたが見るためのものではなかったからです。
パウロと一緒に行った人たちもそうでした。パウロが馬から打ち落とされ、地面に、まるで泥と水の中に倒れたようになった時、彼らの誰一人として、その声を聞かず、その幻を見ませんでした。パウロはそれを見たのです。誰も見ませんでした。
また、あの星もそうです。すべての天文台の上を通って行ったのに、博士たち以外は誰も見なかったのです。
そのように、神が特定の人々に見せるよう定められたことは多くあります。他の人々には見えないのです。ああ、私はそれが好きです。神がその無限の知恵の中で、ある事柄が起こるように予定し、あらかじめ定めておられる時、それはあなたのすぐ隣に座っている人に起こることもあり、あなたはそれについて何も知らないのです。
ドタンを見てください。エリシャがドタンにいた時、彼らはそこですっかり取り囲まれていました。シリアの軍隊が、預言者エリシャを探しに来ていたのです。というのは、シリア人たちがイスラエルに戦いを仕掛けようとしてやって来るたびに、イスラエル人たちが待ち伏せしていたからです。
そこでシリアの王は家臣たちを呼び集めて言いました。
「さあ、ちょっと待て。誰がこちら側で、誰がイスラエル側なのだ。私の側に、イスラエルへ、我々がどこから攻め入るのかを知らせているスパイがいるに違いない。彼らはいつも我々を待ち構えているではないか。」
すると、一人の人が少し霊的なものを持っていて、こう言いました。
「いいえ、わが父よ。そうではありません。預言者エリシャです。彼は、あなたが寝室で次に何をしようとしているかまで知っているのです。」
アーメン。
ああ、原子力の力が揺さぶり始める時、私は、神の御言葉が私たちにどこへ逃れるべきかを告げてくれていることを本当に幸いに思います。岩なるキリスト・イエスへ逃れなさい。その中にいるすべての人は、安全で守られています。何ものもあなたを害することはできません。原子爆弾も、コバルト爆弾も、その他の何ものも、神に守られた者に触れることはできません。
安全で、守られ、錨を下ろしているのです。私たちがキリスト・イエスにあって持っている望みは、なんと素晴らしいものでしょう。
21. しかし、シリアの軍隊がドタンの周りをすっかり取り囲んでいるのを見た時、彼は言いました。
「わが父よ、あそこをご覧ください。なんという大軍でしょう。私たちは囲まれています。」
さて、それが自然の見方です。すべてが悪い方へ向かっているように見える時、誰かがあなたを指さして、あれこれと言う時、医者が「あなたは良くなりません」と言う時など、それが人間として自然に考えることなのです。
「ああ、これはもう終わりだ。」
しかしエリシャは言いました。
「私たちと共にいる者は、彼らと共にいる者よりも多い。」
その時、その預言者の……いや、そのしもべゲハジがどのように感じたか、想像できるでしょう。彼はエリシャを見て言いました。
「でも、私には誰も見えません。」
エリシャは言いました。
「神よ、この若者の目を開いてください。」
そして神が何かをなさるとすぐに……ここです。受け取ってください。神が彼の霊的な視界を開かれた時、預言者の周り一帯に、火の戦車と火の御使いたちが立っていたのです。
なんと彼は見たのです。火の戦車は、そのシリアの軍隊よりも、何千倍も多かったのです。山々は火に包まれていました。火の御使いたち、火の馬、火の戦車がそこにあったのです。
そして聖書は言っています。
「主の御使いは、主を恐れる者の周りに陣を張る。」
22. もし今晩ここにいる一人の人に、人々の目を打って開かせ、
「見なさい。今晩この幕屋の周りに立っているものを……」
と言う力があったなら、どうなるでしょうか。あなたは生涯、この場所の一員になるでしょう。確かにそうです。
時には、それを肉の目で見ることはできません。しかし、その働きかけを感じることはできます。何かが近くにあるという感覚、何かがそばにあることを示す第六感です。
今朝、主が耳の聞こえない人々の耳を開き、ポリオで不自由だった人々を、まるで何も悪いところがなかったかのように、ここで歩かせておられるのを見たでしょう。
それは何でしょうか。それは香……いえ、感覚です。第六感です。何かが近くにあることを意識する、霊の感覚なのです。
神に信仰を持ちなさい。
23. ある時、トマスは言いました。
「その脇腹に私の手を差し入れさせてください。」
イエス様は言われました。
「あなたは見たので信じた。まだ見ていないのに信じる者たちは、どれほど大きな報いを受けることでしょう。」
それが今晩の私たちです。見ることなしに信じる者は、誰であってもです。
そして注目してください。それからエリシャは、その状況のただ中へ歩み出て行き、彼らに言いました……。まず彼はそこへ出て行き、聖書は、彼が彼らを盲目にした、と言っています。盲目にしたのです。そして彼らのところへ、そのまま歩いて行きました。
私の知る限りでは、彼らは皆、完全な視力を持っていました。しかし聖書は、彼らが盲目であったと言っているのです。
数日前の夜、ある小柄な男の人が私に言いました。
「もしあなたが神の人なら、私を盲目にしてみなさい。」
私は言いました。
「あなたはもう盲目です。」
そうです。すでに盲目だったのです。
24. 「あなたがたはエリシャを探しているのですか。」
彼らは言いました。
「はい。」
エリシャは言いました。
「さあ、私について来なさい。あなたがたを彼のところへ連れて行ってあげよう。」
エリシャが彼らにそう言ったのです。では、彼らは何に対して盲目だったのでしょうか。彼らは、その人こそが神の預言者であるという事実に対して盲目だったのです。そのことが見えていませんでした。そしてエリシャは、彼らをまたまっすぐ待ち伏せの中へ導いて行きました。
「さあ、来なさい。エリシャを見せてあげよう。」
そう言いながら、彼らをそこへ連れて行っていたのは、エリシャ自身だったのです。
そして彼らが見回して、自分たちが取り囲まれていることに気づいた時、王は言いました。
「わが父よ、彼らを打ち殺しましょうか。」
エリシャは言いました。
「あなたは捕虜を取って、その者を打ち殺すのですか。彼らに食べ物を与えて、自分たちの国へ帰してやりなさい。」
それこそが戦争を解決する方法です。そうではありませんか。確かにそうです。ああ、なんということでしょう。もし今日、私たちがその原則を取り入れるなら。自分の敵に食べ物を与えること。あなたに悪を行う者に善を行うことです。アーメン。
そこで今、盲目ということが分かるのです。
25. ダニエルは前もって見ました。彼は預言者でした。主の来臨を見ました。終わりの時が来るのを見ました。異邦人が始まるのを見ました。
そして注目するなら、異邦人の時代は偶像礼拝で始まりました。彼らは野に立てられた大きな偶像を拝んでいました。人の像です。私は、それはダニエル自身の像だったと思います。というのは、ネブカデネザル王は彼をベルテシャザルと呼びましたが、それは彼の神の名だったからです。
そして彼は、義なる聖い人の像を拝むことから始めたのです。しかしダニエルはそれを拒みました。ヘブルの子ら、シャデラク、メシャク、アベデネゴもそうでした。
それが、異邦人の時代が導入されたあり方でした。そしてそれは罪に定められました。金の頭は、像への礼拝によって始まり、それを強制される形で始まったのです。そして最後は、超自然的な手書き、超自然的な言語によって終わりました。それは、超自然的な理解だけが理解できるものでした。アーメン。
異邦人の王国はそのようにして始まり、そして同じようにして終わるのです。その通りです。超自然的な働きと、超自然的な解き明かしによってです。
私が何を話しているか、皆さん分かりますね。超自然の働きのことです。
ああ、なんと素晴らしいことでしょう。今晩、皆さんが超自然を信じていることを、幸いに思いませんか。はい。
26. 彼は言いました。
「メシヤが来られる。彼は第七十週に預言される。それは三年半であり、その半ばに断たれる。」
つまり七年です。
「七十週があなたの民のために定められている。」
おおよそ七年がユダヤ人に対して残されているのです。
彼は言いました。
「そして君なるメシヤが来られ、七週、七日の半ばに預言される。そして彼は断たれる。荒らす忌むべきものがその場所に立ち、異邦人たちがエルサレムの城壁を、ひと時と、ふた時と、半時の間、踏みにじる。」
さて、メシヤ、すなわちイエス様が来られた時、主はちょうど三年半、宣べ伝えられ、そして犠牲として断たれました。日ごとの供え物は取り去られ、荒廃をもたらす忌むべきもの、すなわちオマルのモスクが、今日、聖なる神殿のあった場所に立っています。オマルのモスクは、まさに神殿が立っていたその場所に立っているのです。
そして主は、異邦人の摂理の時代が終わるまで、彼らがエルサレムを、エルサレムの城壁を踏みにじるであろうと言われました。しかし異邦人の終わりにおいて、ユダヤ人にはなお三年半が残されているのです。
さて注目してください。これは預言的歴史の中で、最も印象的な事柄の一つです。私は聖書の預言を知っているなどとは主張しません。しかしこれは、まるで新聞を読むようです。もっと明白なのです。
そして、ここで読むことは、私たちが真理であると知っていることです。
27. 神がパロの心をかたくなにして、彼らを連れ戻されたように、神はヒトラーの心、ムッソリーニの心、その他の者たちの心をかたくなにされ、ついに彼らをパレスチナへ追い戻されたのです。
彼らは帰って来て、再び国民となりました。そして1947年5月6日、二千五百年ぶりに、ユダヤ人の旗がイスラエルの上に掲げられました。世界で最も古い旗が、二千五百年ぶりに初めて掲げられたのです。
そして主は、終わりの日にエルサレムの上に旗印を掲げると言われました。それは、時が近づいていることを示すためです。
そして注目してください。少し前に私は、あちらから来た預言的なフィルムを見ました。そこでは、ユダヤ人たちが何千人も飛行機で運ばれて来ていました。皆さんも新聞などで見たでしょう。『Look』誌や『Life』誌もそれを取り上げていました。何千人ものユダヤ人が戻って来ているのです。
そして彼らに尋ねました。
「何のために戻って来ているのですか。」
年老いた不自由な人々を、若い者たちが背中に負っていました。
「あなたがたは、自分の祖国へ死ぬために戻って来ているのですか。」
彼らは言いました。
「いいえ、私たちはメシヤを見るために戻って来ているのです。」
イエス様は言われました。
「いちじくの木が芽を出し、またほかのすべての木々も芽を出すのを見るなら、時が近いことを知りなさい。」
……いや、春が近い、夏が近いということです。
「そのように、これらのことが起こるのを見たなら、頭を上げなさい。あなたがたの贖いが近づいているからです。」
28. ああ、少し前に、私が知る限り最も信頼できる権威ある人の一人と話していました。そして彼が、この国と共産主義に関する事柄を語った時、それはあなたをひざまずかせるほど震え上がらせるものでした。その通りです。
どれほど内部から食い荒らされていることでしょう。もはや堅固なものは何もありません。私たち自身の国の中でさえ、ほとんどそうです。
私が知っている、立ち続けるただ一つの堅固なものがあります。それは岩なるイエス・キリストです。
私たちは、揺り動かされることのない御国を受けているのです。そして、他のすべてが崩れ落ちているこの日に、私たちには堅固な土台があります。主イエス・キリストです。
友の皆さん、その中へ入りなさい。それは嵐の時の避け所です。
なんと素晴らしいことでしょう。
29. 聖書は、エルサレムがばらのように咲くと言いました。そして彼らがその地にどのように灌漑を施してきたことでしょう。
また預言者は語って言いました。
「その日、水が北から来る。」
その時には、そこには水がありませんでした。泉もありませんでした。しかしここ数年の間に、谷々に水が湧き上がる大きな泉が出てきました。そして彼らは灌漑を進め、その地は、その広さから見れば世界でも有数の農業地帯の一つとなっています。
さらに、死海の中には、これらの大きな化学資源がすべてあります。その底には、世界中の富をもってしても買い尽くせないほどの化学資源が見いだされています。化学物質、ウラン、その他あらゆるものが、死海の底にあるのです。そしてそれは今、イスラエルに属しているのです。
30. それだけではありません。ほかの木々も芽を出しています。共産主義も芽を出しています。反キリストも芽を出しています。そして神の教会も芽を出しているのです。
教会は再び、その力の中へ咲き出そうとしています。食い尽くす虫がその一部を食い、食い荒らす虫がその一部を食い、かみ砕く虫がその一部を食い、群がる虫がその一部を食いました。
しかし神は言われました。
「それは再び生きる。」
今、教会は芽を出しているのです。木々が芽を出しています。ダニエルはそれを前もって見て、喜んだのです。
31. 「その時、あなたの民を守る大いなる君、ミカエルが立ち上がる。また、国が始まって以来、その時までかつてなかったほどの悩みの時が来る。しかしその時、あなたの民、すなわち書に名が記されている者はみな救い出される。」
ああ、なんということでしょう。あなたの名が主の書に記されていることを、嬉しく思いませんか。
ダニエルはここで、彼が「日の老いたる者」のもとへ来られるのを見ました。その髪は羊の毛のように白かったのです。そして書物が開かれ、彼らはその書物に基づいて裁かれました。すべての人が書物によって裁かれたのです。
それが、大いなる白い御座の裁きです。
32. 家に帰ったら、明日11章を読んでみてください。北の王が下って来る様子を見ることができます。それはほかでもなくロシアであり、つむじ風のように押し寄せて来るのです。そして、エルサレムの門の近くで、ハルマゲドンの大いなる戦いが行われることになります。
注目してください。ああ、私はこれが好きです。
「その時、あなたの民は救い出される。」
書に記されている者はみな、すなわち小羊のいのちの書に名が記されている者は皆です。
「大いなる君ミカエルが立ち上がる。」
何のためにでしょうか。あなたの民のためです。よろしいですか。
「また、地のちりの中に眠っている者の多くが目を覚ます。」
いつでしょうか。これらの時が起こる時です。
「ある者は永遠のいのちへ、ある者は恥と永遠の軽蔑へと至る。」
33. それは、あなたが自分の人生の中で、イエス・キリストをどのように扱うかによって決まるのです。
もしあなたが主を愛し、新しく生まれ、主の御霊を持っているなら、あなたには永遠のいのちがあります。もしそうでないなら、あなたには永遠のいのちはありません。
もしあなたの名が小羊のいのちの書に記されているなら、あなたには不滅のいのちがあります。もしそこに記されていないなら、あなたは認められないのです。
それは何でしょうか。これらすべての預言は成就しており、すべてが、まさにこの時に至るまで来ているのです。
34. それに続いて、主はメディアとペルシアが来ると言われました。彼らはバビロン王国を継ぎました。そして彼らは誰に移って行ったのでしょうか。ギリシア人、アレキサンダー大王です。
そしてそれは何に移って行ったのでしょうか。ローマです。そしてローマは全世界に分かれていきました。東ローマと西ローマ、あの二本の脚です。
そして彼は、足の指には鉄と粘土があると言いました。十本の足の指、十の王国です。そして彼は、それらは混ざり合わないと言いました。ただ互いに婚姻関係を結ぶだけです。ローマ主義とプロテスタント主義です。
そして、このことが存在するその日に、山から人手によらず切り出された石が転がって来て、その像を粉々に砕きました。そしてその石が、像に取って代わったのです。
35. 私はちょうど海外から戻って来たところですが、どの国を見ても、皆おびえて震えていない国はありませんでした。次に何が起こるのか、彼らには分からないのです。
しかし今晩、私たちは次に何が起こるのかを知っていることを、感謝しているではありませんか。
主イエス・キリストが、栄光と威厳のうちに再び来られます。そして、小羊のいのちの書に名が記されている者は皆、愛する者たちと共によみがえり、空中で主にお会いするのです。
ああ、なんと素晴らしいことでしょう。
だからこそ、私たちはこう言うのです。
「私たちの望みは、イエスの血と義以外の何ものの上にも築かれていない。
私の魂の周りのすべてが崩れ去っても、
主こそが私たちの望みであり、支えである。」
36. もちろん、ミカエルとはキリストのことでした。天において、悪魔と御使いたちの戦いを戦われたお方です。サタンとミカエルは共に戦った……いや、互いに戦ったのです。
そして今、
「その時に」
と主は言われました。
「書に名が記されている者はみな救い出される。そして正しいことを行った者たちは……」
ここを見てください。
「そして、賢い者たちは大空の輝きのように輝き、多くの者を義へ導く者たちは、星のように、永遠に輝く。」
37. 兄弟たち、私は朝、外へ出ます。私は早起きするのが好きです。皆さんも早く起きるのが好きではありませんか。
兄弟たちと一緒に山にいた時のことを覚えています。朝とても早く、4時ごろに起き上がって見ると、向こうに明けの明星がかかっていました。
夜明けの直前は、本当に暗くなるものです。今、私たちは闇が集まって来ているのを見ています。それは何でしょうか。光が闇に押し迫っているのです。どちらか一方が退かなければなりません。
夜の間に這い回っていたすべてのものは、太陽が昇ると、光が差す時に、隠れ場へ逃げ込んでいきます。
夜と闇……いや、夜と光は、同じ建物の中に同時に存在することはできません。そこは闇であるか、光であるかのどちらかです。そして光は、闇よりもはるかに力があります。
同じように、キリストはこの世のすべての悪よりも、はるかに力あるお方です。
さて、科学者たちによれば、光が差し始める時、闇は凝縮され、闇は光と戦うために、そのすべての勢力を集めるのだと教えられています。しかし光は勝利し、前へ進んで来るのです。
38. 彼は自分のすべての敵、すべての仲間たち、つまり私たちの敵たちを集めています。そして彼らを一つに集め、大きな頭の下に積み上げています。それが獣の刻印です。
教会的な領域においては、教会連合、すべてが一つになり、自分たちを大きな組織にしています。カトリック主義と同じようにです。
そしてこの世の帝国も互いに一つになり、政治的な領域において、あちら側で大きな頭を形作っています。それは共産主義と呼ばれるものです。
しかし、神のいのちはなおも押し進んでいるのです。
39. クリスチャン教会、生ける神の教会が油注がれているのです。力が彼女に臨んでいます。彼女は聖霊を受けているのです。
昨年、フルゴスペルの領域では、百五十万人の回心者がありました。長年にわたってこの地を動かしてきた中でも、最も大きなものです。
私たちはもう路地裏にいるのではありません。ハレルヤ大通りに出ているのです。もう殻の中にいるのではありません。
昨年、フルゴスペルの群れの中で、百五十万人の回心者がありました。カトリック主義やその他すべてをしのいだのです。
ああ、なんということでしょう。これは何でしょうか。光が集まっているのです。
大いなる癒しの集会が、地球全体をくまなく巡っています。ハレルヤ。
はるかフォルモサでも、癒しのキャンペーンが行われています。はるか日本でも、癒しのキャンペーンが行われています。北の凍てつく地方でも、癒しのキャンペーンが行われています。世界中で、癒しのキャンペーンが行われているのです。
ハレルヤ。あらゆるところで人々が聖霊を受けています。私たちは終わりの時にいるのです。
40. そして悪魔は言います。
「今こそ私の時だ。」
彼は自分の勢力を集めています。教会連合を作り、それを止めようとしているのです。
彼らは言います。
「彼らはただ騒がしいだけの連中だ。中身など何もない。あれは全部、熱狂主義だ。超自然の働きなどというものは存在しない。」
ところがその同じ時に、アメリカ医師会の長が新聞に記事を書いて、こう言ったのです。
「全能の神を信じず、神を助け主として受け入れない者が、病室に入って病人に仕える権利などない。」
また『クリスチャン・ヘラルド』誌が先月、医師たちにインタビューして記事にしました。それは、もし私が自分で誇ろうとして書いたとしても、とても書けないような内容でした。
これは何でしょうか。
すべてのただ中で、神はご自分の敵にさえ、ご自身の栄光を証しさせられるのです。はい、その通りです。
医者は言いました。
「私たちにできるのは、ただ助けとなる処置を施すことだけです。しかし、癒すお方は神です。」
私は言いました。
「あの偉大な人たちが、私たち愚か者の群れがずっと前から知っていたことを、ようやく見つけ出したのです。」
その通りです。
いつか栄光の日の一つに、あなたがたは分かるでしょう。遊女を淑女に変え、酔いどれを紳士に変えるこの力、この臨在こそが、彼らをこの地上から引き上げ、携挙において栄光の故郷へ連れて行く、まさにその力なのです。
その時には遅すぎるかもしれません。多くの人にとっては、遅すぎるかもしれないのです。
41. 民のためにです。彼は諸国民のために立ち上がるのではありません。民のために立ち上がるのです。
「また、地のちりの中に眠っている者の多くが目を覚ます。ある者は永遠の恥と軽蔑へとよみがえる。しかし、賢い者たち、そして多くの者を義へ導く者たちは、世々限りなく星のように輝く。」
ハレルヤ。
幕屋であろうと、小さな家であろうと、私は何を気にするでしょうか。向こうでは、私のために宮殿が建てられているのです。
いつの日か、私に会いに来てください。
42. 私は外へ出て、あの大いなる明けの明星が向こうに動き始めるのを見たことがあります。明けの明星は何を告げているのでしょうか。明けの明星は、やがて来る太陽の最高の光を反射しているだけなのです。そうではありませんか。
明けの明星があれほど明るい理由を、皆さんご存じでしょうか。それは、太陽がそれにとても近づいているからです。太陽が迫って来ているのです。そして明けの明星は、太陽の到来を告げ知らせるのです。
よろしいですか、あなたがた明けの明星たちよ。今こそ、主の来臨を告げ知らせる時です。輝きなさい、明けの明星たちよ。早く起き上がりなさい。それは、「御子がまもなくここに来られる」と告げているのです。
私たちが見上げて、明けの明星が空にきらめいているのを見る時、それは、まもなく太陽が輝き出すという意味です。
そして私たちが、神の明けの明星たちが立ち上がり、イエス・キリストの復活の栄光へ向かって輝いているのを見る時、それは、あの至高のお方が近づいておられることを示しているのです。
光が集まっています。しかし明けの明星は叫びます。
「持ちこたえなさい。夜明けまでもう長くはありません。持ちこたえなさい。夜明けまでもう長くはありません。ただ持ちこたえ続けなさい。」
マーフィー姉妹たちがよく歌っていたように、
「ただ持ちこたえ続けなさい。夜明けはもうすぐ来る。」
夜明けまで持ちこたえなさい。
今、明けの明星たちはこの世に輝いています。大いなる闇と、天からの大いなる雷鳴、すなわち主の来臨の直前に、この世を照らしているのです。
43. さて、主は言われました……。私はその明けの明星を見て、こう思いました。
「ああ、明けの明星よ。」
ある日、ウッズ兄弟と私がそこに立っていた時、私は下の方を見ました。彼はちょうど火を起こしたところで、私たちは朝食を作ろうとしていました。
私は振り向いて明けの明星を見ました。そして杉の茂みの中へ歩いて行きました。松の木々の間を風がささやくように吹いていました。そこに立って、朝の新鮮な空気を吸うと、とても良い気分でした。少し霜が降りていて、かなり冷え込んでいました。小川まで下りて水を一杯汲んで来ても、戻る前に凍ってしまうほどでした。
その松の木々の中で立ち、両手を上げました。そして明けの明星を見つめながら、こう思いました。
「ああ、見てごらん。45年という年月が私に何をしたことか。」
私は言いました。
「ああ、見てごらん。しわが寄ってきた。私の手もしわだらけになってきた。髪は抜けていき、歯もなくなっていく。ああ、45年という年月が私に何をしたことか。」
しかし私は言いました。
「でも、あちらを見てごらん。あの明けの明星は、神がそれを御手から吹き放ち、『輝け』と言われたその日と同じように、今も美しく、明るく輝いている。」
44. 「しかし神は約束してくださいました。もし私たちが賢くあり、多くの人々を義へ導くなら、私たちは永遠に星々よりも輝くのだ」と。
私は思いました。
「明けの明星よ、今あなたは輝いている。しかし、私たちがそこへ着くまで待っていなさい。」
ハレルヤ。永遠に星々よりも輝くのです。
そして私は、夜明けの少し前に、その風が丘を下って来て、松の木々の間を笛のように吹き抜けながら、こう歌っているのを聞くようでした。
川の向こうに一つの地がある
私たちはそこを、麗しき永遠と呼ぶ
そして私たちは、信仰の定めによってのみ
その岸にたどり着く
一人また一人と、私たちはその門をくぐり
不滅の者たちと共に住む
あなたと私のために
あの金の鐘が鳴る時に
なんと偉大なことでしょう。
「賢い者たちは多くの人々を義へ導き、そして彼らは永遠に、世々限りなく、星々よりも輝く」のです。
45. ああ、なんということでしょう。私の内にあるすべてをもって立ち上がり、神の栄光のために輝かせてください。
すべての重荷をかなぐり捨て、聖霊が、ご自身の力と栄光を、福音の宣教と病人の癒しを通して流し出すことができるように。死者の中からよみがえられたイエス・キリストを証しするためにです。
ああ、なんということでしょう。永遠に、永遠に。
しかし、ダニエルよ、あなたは終わりの時まで、この言葉を秘め、この書を封じておきなさい。多くの者が行き巡り、知識は増し加わる。
それから私ダニエルが見ていると、見よ、ほかに二人の者が立っていた。一人は川のこちら側の岸に、もう一人は川の向こう側の岸に立っていた。
そしてその一人が、亜麻布を着た人に言った。
[聖霊です。]
その人は水の上にいた。
[民と群衆です。人々の上におられる聖霊です。]
ああ、ハレルヤ。聖霊です。
黙示録15章、16章には、水とは「厚みある群衆、多くの民」を意味するとあります。そしてここに、白い亜麻布を着た一人の方がおられ、水の上でご自身を揺り動かし、御手を天に上げ、永遠に生きておられる方を指して誓っておられるのです。
これらのことが起こる時、もはや時はない、と。
ハレルヤ。もはや時はないのです。
これらの国々が崩れ、こうしたことが起こっていくのを見る時、神の奥義はすでに成し遂げられている、と誓われたのです。
46. あなたの内におられる神、栄光の望みが輝き出ていること、聖霊のバプテスマです。
それから彼は言いました。
「これらのことが起こる時、もはや時はない。」
ダニエルは言いました。
「自分の神を知る民は……。」
「終わりの日には、多くの者が行き巡り、知識は増し加わる。しかし、自分の神を知る者たちは、終わりの日に大いなる働きをする。」
彼らは大いなる働きをするのです。
ああ、今晩、信仰による大いなる働きが、世界中で次々と現れています。あらゆる国々で、大きな集会が開かれ、目の見えない者が見えるようになり、耳の聞こえない者が聞こえるようになり、足の不自由な者が歩いています。
あらゆる立場の人々が入って来ています。そして彼らは聖霊を受けているのです。貧しい者や乞食だけではありません。百万長者も、その他あらゆる人々もです。
神は一人一人を取り上げ、ご自分の衣を着せ、婚宴への招待を与えておられるのです。
そして大祭司メルキセデクが、いつの日か来られます。そして私たちは、栄光に満ちた大いなる日の一つに、神の御国で、主と共に新しくコミュニオンにあずかるのです。
ああ、今晩、私は招かれていることを本当に幸いに思います。はい、その通りです。
いつかの大いなる日、いつかの素晴らしい日、もはや時はなくなるのです。
47. 神は人を、ご自身のかたちに造られました。
ヨブが自分にはいくらか知恵があると思った時、神はヨブに言われました。
「あなたはどこにいたのか。わたしが世界の基を据えた時……いや、それを据える前に。神の子らが共に歌い、明けの明星たちが喜び叫んだ時、あなたはどこにいたのか。」
明けの明星たちは喜び叫んだのです。
それらの輝く者たちは喜び叫びました。なぜなら彼らは、いつの日か、この地上に幕屋を持ち、王メルキセデクが神の義のうちに来られ、ご自身のいのちを与えて、私たちを再び神へと贖い戻してくださることを見たからです。そして私たちは、永遠に、世々限りなく、星々よりも輝くのです。
「わたしが世界の基を据えた時、あなたはどこにいたのか。あなたがどこに結びつけられているのかを告げよ。それらが何の上に立っているのか、わたしに言ってみよ。」
主は言われました。
「身を引き締めよ。わたしはあなたに、一人の男に語るように話したい。」
するとヨブは、死人のように顔を伏せて倒れました。彼はそれに耐えることができなかったのです。神がそこにおられたのです。
そこなのです。
「わたしが世界の基を据えた時、あなたはどこにいたのか。」
48. 私たちはかつて山でちょっとした火事を起こしていました。早朝に火を燃やそうとしたとき、私は外に出て棒を投げると、火が煙になってしまいました。少し煙が出ているのと同じくらい、どこかに火があることは確かです。私がしなければならない唯一のことは、帽子を取って扇ぎに行くことです、そしてそれはついに追いつきました。
それが今日の教会に必要なことであり、ペンテコステの日に降ったような力強い突風をもう一回煽り、再び信仰に煽り、栄光のうちに主イエス・キリストを迎えることを受け入れることです。
49. 人々の心は恐れのために衰えています。恐れ、恐れです。
ああ、誰が最初のコバルト爆弾を投げるのでしょうか。何が起こるのでしょうか。数時間のうちに、全世界が滅ぼされてしまうでしょう。
しかし私たちは、それが飛行機から落ちるか落ちないかのうちに、神の御前にいるのです。その通りです。
それは何になるのでしょうか。何もないのです。
けれども私たちは、この古い肉の衣を脱ぎ捨てます。私たちはそれを脱ぎ捨て、立ち上がり、永遠の賞をつかみ取り、空中を通り過ぎながら叫ぶのです。
「さらば、さらば、麗しき祈りの時よ。」
すべては終わり、私たちは故郷へ帰ります。この古い体を横たえ、それを、あちらにある朽ちることのない冠と衣と交換するのです。
老人も老女も、若い人へと戻され、永遠に生きるのです。不滅の輝きの中で、主イエス・キリストの御前にある栄光の通りを歩き回るのです。
そして歌います。
「いと高きところに、神に栄光あれ。主は私たちのただ中で、大いなることをなされた。」
50. いちじくの木が芽を出しているのを見なさい。
ほかの木々が芽を出しているのを見なさい。
諸国民が芽を出しているのを見なさい。
聖霊の教会が芽を出しているのを見なさい。
ペンテコステ(聖霊降臨)が繰り返され、戻って来ているのを見なさい。
同じしるしと不思議が現れているのです。
ハレルヤ。
祈りましょう。
51. 私たちは感謝いたします。主は今ここにおられ、生きておられ、永遠に生きておられ、私たちの告白の上にとりなしをしてくださっているからです。
私たちは、主の癒しの力のゆえに感謝いたします。その力は、主よ、私たちを火の中から取り出された燃えさしのように救い出してくださいました。墓から私たちを連れ出し、私たちを立ち上がらせ、私たちの力を新しくし、この暗闇の中で進み出て輝くことができるように、力を与えてくださいました。
父よ、このことのゆえに、私たちはあなたに感謝いたします。
52. 病んでいるすべての人々を癒してください。栄光をお受けください。この小さな幕屋を祝福してください。人々を祝福してください。牧師であるネヴィル兄弟を祝福してください。すべての執事たち、役員たちを祝福してください。主よ、どうかお許しください。あなたの癒しの御手を彼らの上に置いてください。
そして、もし悪魔が入り込んで、小さな不和を起こすようなことがあるなら、主よ、ギレアデの乳香によって、すぐにそれを癒してください。主よ、どうかお許しください。
彼らの上に油注ぎの油を注いでください。彼らの心をへりくだらせ、魂を優しくしてください。彼らが主イエスの足跡に従って歩むことができますように。
もし身体的なことが彼らに起こり、病になることがあるなら、神の御使いがそばに立ち、イエスの血を適用してくださいますように。どうかお許しください。
すべての病を癒してください。
53. 何百万もの人々が死につつあります。今日、十四万四千人の異教徒が、キリストを知らないまま死んでいきました。
愛する神よ、私を助けてください。私たち皆を共に祝福してください。そしていつの日か、主よ、私たちをこの地からよみがえらせ、キリスト・イエスにあって、あちらの天上の所で、あなたの御座に共に座らせてください。
父よ、どうかお許しください。その時まで、健康と力が私たちのものとなりますように。
イエスの御名によってお願いいたします。アーメン。
ああ、私は主を見たい
その御顔を仰ぎ見たい
そこで永遠に歌いたい
主の救いの恵みを
栄光の通りで
私の声を上げさせてください
すべての思い煩いは過ぎ去り
ついに故郷へ帰り
永遠に喜ぶのです
この地を旅しながら
私は歌いつつ進みます
魂たちをカルバリへ
あの真紅の流れへと指し示しながら
外からも内からも
多くの矢が私の魂を刺します
けれども私の主は私を導いてくださる
主によって、私は必ず勝利するのです
ああ、私は主を見たい
その御顔を仰ぎ見たい
そこで永遠に歌いたい
主の救いの恵みを
栄光の通りで
私の声を上げさせてください
すべての思い煩いは過ぎ去り
ついに故郷へ帰り
永遠に喜ぶのです。
54. バプテストの方は何人いますか?手を挙げてください。
長老派の方は何人いますか?手を挙げてください。
ナザレンの方は何人いますか?手を挙げてください。
ペンテコステ派の方は何人いますか?手を挙げてください。
ルーテル派の方は何人いますか?手を挙げてください。
まあ、私たちはみなここにいます。見てください。いろいろな人たちが入り混じった、大きな群れが、みな一つの場所に座って、天の所で、その祝福を喜んでいるのです。
さあ、メソジストの方はバプテストの方と握手してください。バプテストの方はルーテル派の方と握手してください。さあ、後ろを向いて、お互いに握手してください。そしてこちらに向き直ってください。今からこれを歌いましょう。
魂をカルバリへ、
深紅の流れへと導きながら、
外からも内からも、
多くの矢が私の魂を刺し貫く。
けれども、私の主は私を導いてくださる。
主によって、私は必ず勝利しなければならない。
ああ、私は主にお会いしたい。
その御顔を仰ぎ見たい。
そこで永遠に、
主の救いの恵みを歌いたい。
栄光の通りで、
私の声を高く上げさせてください。
すべての思い煩いは過ぎ去り、
ついに御国に帰り、
永遠に喜び続けるのです。
55. みなさんが一つになったような気持ちにさせてくれませんか?
ここにクリスチャンの方は何人いますか?手を挙げてください。
主イエス・キリストを信じている方はみな、手を挙げてください。
ああ、なんということでしょう。なんと素晴らしいことでしょう。
さて、これから私たちは別れて、それぞれの家へ帰って行きますが、祈りをもって行きましょう。
さあ、私たちの懐かしい閉会の歌を歌いましょう。
知っている方は何人いますか?
「イエスの御名を携えて」です。
さあ、みなさん一緒に歌いましょう。
イエスの御名を携えて行きなさい、
悲しみと苦しみの子よ。
その御名はあなたに喜びと慰めを与えてくれる。
行く所どこへでも、それを携えて行きなさい。
尊い御名、ああ、なんと甘美なことか。
地の望み、天の喜び。
尊い御名、ああ、なんと甘美なことか。
地の望み、天の喜び。
聞いてください。
イエスの御名にひざまずき、
その御足もとにひれ伏し、
私たちの旅路が終わる時、
天において、王の王として主に冠をお捧げするでしょう。
尊い御名、ああ、なんと甘美なことか。
地の望み、天の喜び。
尊い御名、ああ、なんと甘美なことか。
地の望み、天の喜び。
ここです。私がみなさんにしてほしいことは。
イエスの御名を携えて行きなさい、
あらゆる罠から守る盾として。
誘惑があなたの周りに集まる時、
その聖なる御名を、祈りの中で口にしなさい。
尊い御名、ああ、なんと甘美なことか。
地の望み、天の喜び。
尊い御名、ああ、なんと甘美なことか。
地の望み、天の喜び。