彼を見付けた、来て見て下さい。

We Have Found Him, Come And See

彼を見付けた、来て見て下さい。

ジョーンズボロ アーカンソー州 アメリカ合衆国

説教番号: 53-0511

日付: 1953年5月11日(53-0511)

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1. 今夜、リード兄弟が私の代わりに語ってくださったことを、心からうれしく思います。そして皆さん、どうか心を合わせて祈っていてください。
今夜ここに集ってくださって本当にうれしいです。
この雨の夜にもかかわらず、皆さんが来られたということは、主を愛しておられるからです。もし主を愛していなければ、こんな夜にここにはおられないでしょう。中には外で立っておられた方々もいたと聞きました。それは、皆さんが主を愛している証拠です。人の心に主を求める願いが生まれるとき、神は必ずその人を見捨てることはありません。神は必ずそのような方々を祝福してくださいます。ですから今夜がすばらしい夜となり、病や苦しみの中にある多くの方々が、主イエス・キリストのうちに解放を見いだされるよう、
心から願っています。

2. 普通、私のように頭がはげている者というのは……(笑)
自然にはげた人の頭皮というのはとても硬くて、毛穴が閉じているものなんです。ところが私の場合は違うんです。理髪師が何かの薬を頭に塗ってくれて、そのせいで髪が抜けてしまったんです。それで、私の頭の皮膚はとても柔らかく、毛穴も全部そのまま開いているんですよ。ですから、ほんの少し汗をかいただけでも、もう大変なんです。すぐにこうなってしまいました。理髪師はフケを取るために薬を使ったんですが、髪の毛まで取ってしまったんです(笑)。もし自然な状態で毛穴が閉じていたなら、こんなことにはならなかったでしょう。
でも、そうではないんです。毛穴はまだ開いたままなんです。
それで、ある人が言いました。「トーマス式とか、何かの治療法を受けに行ったらどうですか?」と。私は言いました。「いやぁ、もう治療というものは十分すぎるほど受けてきましたよ」と。

3. ほんの少しでも立ち止まっているとき――その油注ぎが下るときに、自分がどれほどの緊張の中に置かれているか、誰にもわからないのです。
そのときには、体のすべての筋肉が張りつめます。
ここにこうして立っているだけでも、靴下まで汗で絞れるほどです。
ただ立っているだけで、そういう状態になります。それほどの霊的な重圧の中にいるのです。だから毎晩、家に帰ると、私はたいてい長い時間シャワーの下に立って、体の感覚を取り戻すんです。本当に、ものすごい緊張を通るのです。
人にはなかなか理解しがたいことです。私たちにはそれを理解することはできません。ただ、信じるしかないのです。神は「理解される」お方ではなく、「信じられる」お方です。理解できなくてもいいのです。私たちはただ、信じるのです。

4. 月曜日の夜というのは、皆さんにとって少し大変な夜かもしれませんね。
けれども、もし主が許してくださるなら、明日の夜も皆さんにお話しできることを願っています。
今夜は、聖書の御言葉を少し読みたいと思います。
どうか注意深くお聞きください。
ヨハネによる福音書の第1章、第44節からの箇所です。
ヨハネによる福音書 1章44節〜49節:
さて、ピリポはアンデレとペテロの町、ベツサイダの人であった。
ピリポはナタナエルを見つけて言った、
「モーセが律法の中に書き、また預言者たちも書いている方――
 ナザレのイエス、ヨセフの子を私たちは見つけました。」
ナタナエルは彼に言った、
「ナザレから何か良いものが出るだろうか?」
ピリポは言った、
「来て、見てごらんなさい。」
イエスはナタナエルが自分の方へ来るのを見て言われた、
「見よ、まことのイスラエル人だ。その心に偽りがない者である。」
ナタナエルはイエスに言った、
「どうして私をご存じなのですか?」
イエスは答えて言われた、
「ピリポがあなたを呼ぶ前に、あなたがいちじくの木の下にいたとき、私はあなたを見た。」
ナタナエルは答えて言った、
「先生、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」

5. 私たちは御言葉の中で知っています。
――神を愛し、その御旨に従って召された者には、すべてのことが益となる――
と。私たちはそのように信じる子どもたちです。
今夜、私たちは他のどんな目的でもなく、あなたの御名をあがめるため、
そして罪人たちがあなたを求め、あなたに呼ばわることができるようにと願って集まりました。どうか、あなたが彼らに憐れみを注ぎ、罪から救い出してくださいますように。それが、私たちの第一の願いです。そして次に、あなたの多くの子どもたちが病み、苦しんでいます。今夜ここにも、重い病に苦しむ人々がいます。心臓病、癌、結核……もしあなたが介入してくださらなければ、
間もなくこの地上の生涯を終えてしまうでしょう。あなたのしもべである医者たちは、できる限りのことをしてくれました。けれども、それでも止めることができないのです。
昔、モーセがエジプトのあらゆる知恵に通じた人であったとき、
あの荒野で青銅の蛇を上げなければならなかったように――
今もまた、同じように私たちはあなたの御力を仰ぎ見ます。。

6. 人々が罪の赦しを受け、また癒されるためです。
ですから主よ、今夜も私たちを助けてください。
あなたが地上におられたときに言われたように――
「モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられねばならない」――
その同じ理由のためにです。
すなわち、罪の赦しと、肉体の癒しのためです。
もしも“蛇”という影(しるし)でさえ癒しの力を持っていたなら、
その実体であるキリストには、
どれほどの力があることでしょう。
救いと癒しの両方がそこにあるのです。
あなたは言われました、
「モーセがそうであったように、わたしもそうである」と。
私たちはその真理を人々に示そうとしているのです。
そして今、あなたは教会に遣わされました。
使徒たちを、次いで預言者たちを、癒しの賜物を、奇跡を行う力を、
教師たちを、そして他にも多くのすばらしい賜物を――。あなたが高く昇られたとき、捕らわれを捕らえ、人々に賜物をお与えになりました。主よ、感謝いたします。あなたがこの時代においても、これらの賜物を教会に回復してくださったことを。それは、ノアの時代、洪水前の時代のように、不信仰で知識に誇る世に、あなたの力を示すためです。あの時代の人々は本当に聡明でした。
ピラミッドを建て、スフィンクスを造り、死体を防腐処理して、今もまるで生きているかのように残しました。彼らは偉大な知識を持っていました。
しかし、あなたは“愚かに見える説教”を通して、信じる者を救ってくださるのです。神よ、今夜どうか憐れみをおかけください。私たちに、信仰の家族を救うために、与えられたすべての道具を最大限に用いる力をお与えください。
これらのことを、あなたの愛する御子、イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。(ここに置かれている病者のためのハンカチに……)

7. 少しだけ皆さんの注意を――この信心深い一人の人、
ナザレ人イエスに会いに来たこの敬虔な方の言葉に向けていただきたいのです。
ピリポがナタナエルを見つけたとき――ピリポはイエスのもとで回心し、
イエスがなさっていることを見たばかりでした。それはイエスの働きの初期の頃のことでした。ピリポはイエスが行われているわざを見て、すぐに友人のところへ急ぎました。――まさに今日でも同じことではないでしょうか?私たちがイエス・キリストを見つけたとき、誰でも友人に知らせたくなるのです。(少し声を張りながら)後ろの方の皆さん、私の声はよく聞こえますか?このマイクで聞こえていますか?――ありがとうございます。そちら側の皆さんも聞こえますか?――ありがとうございます。ピリポが友人のもとへ行ったとき、その友人――ナタナエルは神を信じる人でした。とても敬虔で、教養のある立派な人でした。
イエスご自身も彼を見つけたとき、それをはっきりお認めになりました。ピリポは彼にこう言いました。「私が見つけた方――ナザレのイエス、ヨセフの子を見に来てください!」

8. するとピリポは答えました。「来て、見てごらんなさい。」つまりこう言いたかったのです――「自分の目で確かめてみなさい。」それがいちばん確かな方法です。
そして私は思います。もし誰でも、モーセがそうしたように、靴を脱ぎ、どんな状況にあっても、心からの敬意をもって神に近づくなら――

9. 神はご自身を求める人に必ずご自身を現してくださると、私は信じます。
神はこれまで、真剣に求める人を一人として失望させたことはありません。
さて、この二人の友人――ピリポとナタナエルが共に歩いて行く場面を想像してみましょう。おそらくピリポはナタナエルにこう言ったでしょう。「ナタナエル、今、あの方があそこで病人のために祈っておられるんだ。」この頃、イエスの評判はまだ国中に広まってはいませんでした。働きを始められたばかりの頃だったのです。そしてイエスは、ご自身を偉大な人物だとはおっしゃいませんでした。すべての栄光を神にお返しになっていたのです。

10. そしてイエスはこうも言われました――。彼の生涯を見てみると、
イエスはきわめて謙遜な方であり、悲しみを知る人でした。
学問の資格を持っていると名乗ることもありませんでした。
けれども、そのシンプルな教えは、当時のパリサイ人や学者たちを圧倒しました。彼らは神学的な知識に基づいて語るだけでしたが、イエスは神からの恵みを受けておられ、その語る言葉が神によって証しされていたのです。
――ここに“真理”があります。人が何かを語り、それを神ご自身が裏づけてくださるとき、そこに真理が立証されるのです。さて、ナタナエルがついにイエスのもとにやって来ました。彼は祈りの列の中に立っていました。ちょっと情景を思い浮かべてみましょう。イエスは病人たちのために祈っておられました。
多くの人々が次々と列に並び、主はひとりひとりのために祈っておられました。
そのとき、イエスはナタナエルが列の方から近づいてくるのを見られました。
そして言われたのです、「見よ、まことのイスラエル人だ。その心に偽りがない者である。」もし私がその場でそれを言い換えるなら、こう言うでしょう。
「ここに立っているこの人――私はこれまで会ったことがないが、
 正直な人であり、真実な信仰者、誠実なクリスチャンだ」と

11. 彼は振り向いてイエスを見つめ、こう言いました。「先生(ラビ)、いつ私のことをご存じになったのですか?」“ラビ”とは、“師”あるいは“先生”という意味です。
今日で言えば“牧師”や“長老”のような呼び方です。ナタナエルはさらに言いました。「私はあなたにとって見知らぬ者なのに、 どうして私が信じる者だとおわかりになったのですか? どうして私が(今日の言葉で言えば)クリスチャンだとご存じなのですか?」するとイエスは答えられました。「ナタナエル、ピリポがあなたを呼ぶ前に―― つまりあなたがこの祈りの集会に来る前に、
あなたがいちじくの木の下にいたのを、わたしは見た。」

13. その卵は孵ることなく、やがて腐ってしまうのです。――私は思います。
これこそ、今日多くの教会に起こっている問題ではないでしょうか。友人たちよ、私たちは“命が宿っていない卵”を巣いっぱいに抱えているようなものです。
ただ人々を温めて、「教会員」と呼んでいるにすぎません。けれども、それらには霊的いのちがないのです。私たちはその巣をきれいにして、最初からやり直さなければなりません。――そう思いませんか?

14. 人が神の霊によって生まれるとき――神は創造主であり、その神の一部が私たちのうちに宿るのです。たとえば、私はチャールズ・ブラナムの一部です。
彼は私の父です。彼は私によく似ています――いや、正確に言えば、私が彼に似ているのです。私たちは体格もよく似ており、顔の特徴もよく似ています。
なぜなら、私は彼の子だからです。同じように、もし私の魂が神から生まれたものであるなら、その魂もまた神の性質に似たものになります。神のように、超自然を信じるのです。どんなことでも可能だと信じるのです。おわかりでしょうか?――「すべてを信じ、すべてに望みを抱く」――それがその性質です。ですから、もし人が本当に神と出会い、霊的に新しく生まれた経験をしているなら、
その人に「神の癒し」を語っても、もちろん信じるのです。「奇跡を信じますか?」と問われれば――「もちろんです」と答えます。なぜなら、その人は神の一部なのです。神とともになら、どんなことでも起こり得ると信じるのです。
そしてそれは迷信ではありません。

15. つまり、自分のところには関係ないと片づけてしまう。――なんと悲しいことでしょう。けれども、神は「それらが起こる」と言われました。そして実際に、今も起こっているのです。止めようとしても止められません。聖書がそう語っているのですから。それでも、多くの人はそれを信じません。今日も数の上では少数派かもしれません。けれども、思い出してください――イエスがこの地上におられたときも、人々はイエスを“狂信者”だと呼び、“気が変だ”と言い、“悪霊つき”とまで言いました。イエスご自身が言われました。「もし家の主人をベルゼブル(悪魔のかしら)と呼ぶなら、その弟子たちは、なおさらそのように呼ばれるだろう」と。けれども、イエスの生涯をよく見てごらんなさい。ある日、イエスは井戸のそばで一人の女に話しかけました。そしてその女性の抱えている問題を正確に言い当てられたのです。彼女は町へ戻って、人々にそのことを語りました。
その結果、町中の人々が神のもとにやって来たのです。
その後、ピリポがその同じ町に行き、人々にバプテスマを授け、素晴らしいリバイバルが起こりました。――主の働きを見てください!

16. そこには、足の不自由な人、手足のねじれた人、盲人、あらゆる病人が横たわっていました。イエスはその群衆の中をまっすぐに通り抜け、
やがて一人の男を見つけられました。その人は寝床に横たわり、糖尿病のような病、あるいは他の重い病を患っていました。三十八年もの間、その苦しみに耐えていたのです。主はその男を癒し、そしてその場を去られました。
それを見たユダヤ人たちは、主を問いただしました(ヨハネによる福音書5章19節)。するとイエスは言われました。
「まことに、まことに、あなたがたに言う。子は、自分からは何事もすることができない。父がしておられることを見て、それをそのまま行うのである。
 父がなされることは、すべて子にもお示しになる。あなたがたは、この人の癒しよりもさらに大いなることを見るであろう。」
――おわかりでしょうか?
イエスはまたこうも言われました。
「わたしがしているわざ――もうしばらくすると、世はもはやわたしを見ない。だが、あなたがたはわたしを見る。」
誰が見るのか?――信じる者たちです。そして主は続けて言われました。
「あなたがたはわたしを見るであろう。なぜなら、わたしはあなたがたと共におり、さらにあなたがたのうちにおるからである。この世の終わりまで。」――変わる事のない同じイエス・キリストなのです。

17. 私たちは今夜、兄弟姉妹として、神の子どもたちとして、ここで宣言します。
イエス・キリストは、今この建物の中におられます。想像してみてください――
あの日、エマオへ向かって歩いていた弟子たちの心にあった喜びを。彼らは一日中、主と語り合っていたのに、それがイエスだとは気づかなかった。しかし突然、主がご自身を彼らに明らかにされました。――それは、主が“あること”をなさった、そのやり方によってでした。その瞬間、彼らは主を知り、心から喜びにあふれたのです。想像してみてください。復活されたキリストと共に生きる、その驚くべきイースターの朝の喜びを。もし今夜あなたが、そのような状態にいないのなら――それは、神があなたに与えてくださった特権の下で、まだ十分に生きていないということです。あなたには今夜、使徒たちが味わったすべての祝福を
そのまま享受する権利があります。初代教会にあったすべてのものは、今も教会に残されています。なぜなら、教会の中にあったのは――イエス・キリストご自身だったからです。そして主はご自身の御言葉を約束されました。「見よ、わたしは世の終わりまで、あなたがたと共におり、あなたがたのうちにおる。」
「わたしのするわざを、あなたがたも行うであろう。」
――これを信じますか?これが真理であると信じますか?では、頭を垂れて祈りましょう。

18. あなたの御言葉に感謝を捧げます。私たちは思い起こします――
使徒たちがまだ“使徒”と呼ばれる前の頃のことを。ペテロがある夜、漁をしていたことを。アンデレやゼベダイの子らも共にいて、一晩中苦労しても、何ひとつ獲れませんでした。彼らは岸に腰を下ろし、網を洗いながら、
深く落胆していました。そのとき――岸辺の方から一人の麗しいお方が歩いてこられるのを見ました。その後ろには、何人かの男たちがついていました。
女性たちは洗濯をやめ、畑の男たちは牛の手綱を止めて、みなガリラヤの岸辺へと向かいました。その方の言葉を聞こうとして。――何かが違っていました。
彼には、神からの権威があったのです。話を終えたあと、イエスは彼らの舟の一つを借りられました。それは古く、魚のにおいのする小舟でしたが、その舟が、この世で最も尊い“講壇”となりました。主はその舟の上から群衆に語られました。そして舟を借りたあと、ペテロに言われたのです。「シモンよ、沖に漕ぎ出しなさい。網を下ろして、大漁を得なさい。」

20. これらの祈りを、キリスト・イエスの御名によってお捧げします。
アーメン。
――〔録音途切れる〕

23. なぜなら、「行いのない信仰は死んでいる」と聖書は言うからです。――そうでしょう?それは、霊を失った体が死んでいるのと同じです。ですから、あなたが「私はキリストを信じます」と言うなら、その信仰を受け取り、そしてそのように語りなさい。あなたは自分がクリスチャンだと信じ、私はクリスチャンです」と言い、クリスチャンのように行動し、クリスチャンと共に交わるのです。
すると、その信仰が“義”を生み出します。やがて誰もが、あなたがクリスチャンであることを知るようになります。なぜなら、あなたがその告白を保ち続けているからです。あなたはそのように生きているのです。街を歩くときも、
「まあ…たぶん私はクリスチャンかな」などと言わないでください。
そうではなく、胸を張ってこう言うのです。「私はクリスチャンです。」あなたが大胆にそれを語るとき――主もまた、あなたに対して大胆に証してくださるのです。

24. それは、ご自身の贖いの祝福が呼び求めるあらゆる恵みを、あなたに確実に与えるためです。それが、主がご自身の犠牲によって支払われた代価なのです。そして今、主はあなたのためにそこに立ち、あなたが「主がなされたことを受け入れます」と告白するとき、そのすべてをあなたに確かにしてくださるのです。――では、主は何をなさったのでしょうか?主は、あなたの咎のために傷つけられました。そうでしょう?では、一緒に御言葉を口にしましょう。「主は、私たちの咎のために傷つけられ、私たちの不義のために砕かれた。私たちの平安のための懲らしめが、主の上にあった。その打たれた傷によって、私たちは癒された。」そうでしょう?

25. 決して癒されることはありません。まず、信じなければならないのです。主は、あなたが「主がなされた」と告白することの大祭司なのです。これを理解された方は手を挙げてください……そうです、それで正しいのです。主が働かれるのは、あなたが語るときだけです。祈ってもらったあと、あなたが言うのです。「はい、私は信じます。そうです、主よ。」けれども――心の底から信じていなければ、「信じます」と言うことはできません。もし口先だけでそう言うなら、それは正しいことではありません。本当に心の中で信じたときだけ、あなたは「信じます」と言うことができます。しかし、祈りを通してしっかりと確信を得、心の底から信じるに至ったなら――そのとき、あなたはこう言えるのです。「私は信じます。」
そしてその瞬間、あなたは受け取るのです。覚えていてください。主はそこにおられ、あなたが心の中で信じ、そしてそれを告白することを、必ず現実のものとしてくださいます。だから、どこへ行っても――自分の癒しを証ししなさい。語りなさい。信じなさい。そして人々に伝えなさい。

26. 死からよみがえられた同じイエスが、今ここにおられることをあなたがたに示してくださいますように。そして神が、その御使いをこの卑しいしもべのもとに遣わし、あなたがたの前に神の御臨在をあらわしてくださいますように。神の祝福があなたがたにありますように。――さあ、姉妹、どうぞ。〔録音の一部欠落〕「わがたましいよ、主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ、その聖なる御名をほめたたえよ。わがたましいよ、主をほめたたえよ。主のすべての恵みを忘れるな。主はあなたのすべての不義を赦し、あなたのすべての病をいやされる。」そして私はこう言いました。「人々が『主の家に行こう』と言ったとき、私は喜びにあふれた。」

27. ええ、私はそのことを知る術がありませんでした。では、こうしましょう。
もしあなたが心から神のしもべとしての私を信じ、私があなたに語るイエス・キリストのことばを受け入れるなら、主はあなたを癒してくださいます。かわいそうに……。彼女が失望した表情で席に戻るのを見たのです。祈りのカードを手にしていて、何かされたのでしょう。私は思いました。「なんと気の毒な方だ。きっと自分は取り残されたのではないかと感じているのだろう」と。けれども――いいえ、そんなことはありません。神は誰ひとり取り残されることはありません。ここに立っているこの人々――祈りの列に並んでいる彼らでさえ、それが癒しを受ける保証ではないのです。ひとりも例外ではありません。そして、ここにいるこの会衆の中で、列の中にいる人々だけが何か特別なことを受けられるそういうこともまったくありません。神の癒しは、ここにいるすべての人のためのものです。あなたもそう信じますか?

28. はい。では、もう家に帰って、好きなものを食べてよいのです。疑ってはいけません。信仰を持ちなさい。今、聖霊が私を導いておられます。そして今、ここにいるすべての霊は、イエス・キリストの御名によって、私の権威のもとにあります。今は、静かに、敬虔にしていてください(……さあ、ビリー、これは――?)

29. 私は、あなたが講壇に立ち、御言葉を語っておられるのを見ます。あなたは神経的な霊に悩まされています。それがあなたに多くの苦しみをもたらし、説教をするときにも妨げとなっています。その原因をお教えしましょう。あなたはかつて自動車事故に遭いましたね。それが、この問題の始まりです。そうでしょう?
(婦人:「はい、そうです。」)では、あなたは今、主の御臨在の中にいることを信じますか?(婦人:「信じます。」)ナタナエルに語られた同じお方が、今ここにもおられると信じますか?(婦人:「はい、信じます。」)では、主イエス・キリストの御名によって行きなさい。あなたは癒されるでしょう。(〔聞き取り不能の言葉〕)

30. そうですね。私もあなたのことを知りませんし、お会いしたのもこれが初めてです。けれども――今この場にはもうひとりの方がおられます。あなたも感じておられるでしょう。ご自分とは違う、何かのご臨在が近くにあることを。そのお方こそ、あなたのことをすべてご存じの方です。あなたの一生を養ってこられ、あなたのすべてを知っておられる主なる神です。あなたもまた、神経の病に苦しんでおられますね?(婦人:「はい。」)とても神経が高ぶっています。ひとつの原因は――ちょうどあなたが更年期に差しかかっているからです。(婦人:「はい。」)
それはあなたの年齢の女性によくあることです。けれども――どうか、聖霊がさらに自然の説明では片づけられないことをあなたにお示しくださいますように。
なぜなら、心理的な推測で「年齢的にそうなるのだろう」と言う人がいるかもしれませんが、私は心理学からこれを知ったのではありません。あなたもそれが分かるでしょう。私が今理解していることは――(〔不明瞭な言葉〕)――それは真実ですね?

31. そしてもうひとつのこと。今も体の中に腫瘍がありますね。(婦人:「はい。」)
最近、診察を受けたばかりですね。(婦人:「はい。」)その腫瘍は直腸にありますね。(婦人:「はい。」)主よ、私たちの姉妹を憐れんでください。愛する神よ、どうか彼女を祝福してください。この時が彼女の癒しの時となりますように。どうか、彼女が元気になって帰ることができますように。これを、イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。(〔不明瞭な言葉〕)――姉妹、主の祝福がありますように。行って……(〔不明瞭な言葉〕)

32. 集会がこの段階まで進むとき、皆さんには理解しづらいことかもしれませんが……
今、私は二つの世界の間に立っているのです。でも、誤解しないでください。
私は正気ですし、自分が何をしているかも分かっています。ただ、非常に霊的な緊張状態に置かれているのです。説明しようとしても難しいでしょう。ですから、どうか敬虔にしていてください。さてあなたがその男性ですね?(男性:「はい。」)たしか、あなたと私も初めて会う者同士ですね?(男性:「そうです。」)
ではお尋ねします。あなたは、私を神の預言者(しもべ)と信じますか?
(男性:「はい、信じます。」)そうですか。もし私がそのように召されている者であり、そして今ここに主の御霊が臨んでおられるなら――あなたは助けを求めてここに来られたのですね。けれども、私があなたを助けられるのは、主が与えてくださる分だけです。癒しそのものは、もうすでに主があなたのために十字架の上でなしておられるのです。私ができることは、あなたが信仰を持てるように助けることだけです。何か一言でも、何かのしるしでも、あなたの信仰を強めるために――それだけです。そうでしょう?(男性:「はい、そうです。」)あなたは胃の病に苦しんでおられますね?(男性:「はい。」)そうですね。今、あなたが私の前を通るように見えます。あなたは食べ物を選び、避けているのが見えます。
そして、医師のもとで腕に何か巻かれているのが見えます――ああ、それは血圧計です。しかし、あなたの場合は血圧が上がるのではなく、下がっている。つまり、低血圧ですね。それは正しいですね?(男性:「はい、そうです。」)はい、それは今、私から離れました。さて、もうひとつ。あなたが今最も必要としているものそれはイエス・キリストをあなた自身の救い主として受け入れることです。
そうでしょう?あなたはまだ、クリスチャンにはなっておられません。ちょうど、イエスが井戸の女に彼女の過去を示されたように――今、同じイエスがあなたに語っておられるのです。

33. あなたの家庭のことについて、今、私に見えていることをお話ししましょう。
あなたには関節炎を患っている奥さんがいらっしゃいますね?(男性:「はい。」)
今、私はその方を見ています。あなたが連れてきたわけではないようですが……
彼女は背が低く、少しふっくらとした体型の女性ですね。(男性:「はい。」)
そうでしょう?男性:「はい、先生、そのとおりです。」)
そして、彼女はグレーのツーピースのスーツを着ていますね。(男性:「はい。」)
――そうですね?男性:「はい。」)それは真実ですね?(男性:「はい。」)
――あなたの罪は赦されました。兄弟よ、これからは心のままに食べなさい。
神があなたと共におられます。(〔不明瞭な言葉〕)
(――あの男性はどこへ行かれたのですか?〔不明瞭な言葉〕そうです、さきほどのあの方――彼は罪人でしたね?数分前に、ここにいたあの方です。
〔誰かがブラナム兄弟に話しかける〕ああ、分かりました。患者さんは……)

34. 主よ、天と地の創造主、永遠のいのちの与え主、すべての良き賜物の源なるお方どうかこの地上のしもべに、あなたの祝福をお与えください。彼女はいま、癒しを待ち望んでいます。手術を前にして不安の中にあります。永遠の神よ、彼女を祝福し、助け、癒してください。これを、イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。
さて、あなたは今、生きると信じていますか?神があなたを祝福してくださいます。あなたが信じたとおりになるでしょう。主はこう言われました。「信じる者が病人の上に手を置けば、病人はいやされるであろう。」あなたのまわりに光が見えます。私は信じます。あなたは完全に癒されるでしょう。主イエスが……(〔不明瞭な言葉〕)皆さんは心から信じますか?神が、彼を信じる者たちを癒されるお方であることを?

35. 彼女の中にあったその腫瘍の命が、今、彼女の体を離れていきました。
それが叫び声をあげて憐れみを求めながら、彼女の上に漂い、まるで黒い雲のように見えました。私はそれを見ました。そして、その上にもうひとつ、別の暗い影があり、下のものに向かって叫んでいました。姉妹、あなたの首に手を置いて言いなさい。「主イエスよ、私はこの癒しを受け入れます。」
どうか主があなたにあわれみを注ぎ、癒しをお与えになりますように。信仰を持ちなさい。敬虔でありなさい。さあ、兄弟、こちらへ。私たちは初対面ですね?
(男性:「はい。」)私はかなり弱ってきています。もし主イエスが今、私に語り、
あなたにどんな病があるかを示されたとしたら――あなたはそのとき、癒しを受け入れますか(男性:「はい。」)そうですか。あなたは糖尿病を患っていますね。
(男性:「そのとおりです。」)
あなたは、癒しを受け入れるとおっしゃいましたね?男性:「はい。」)
――主があなたと共におられますように、兄弟。そして――姉妹、あなたも同じようにしますか?(婦人:「はい。」)あなたは心臓の病を患っていましたね。
(婦人:「はい、先生。」)では行きなさい。主があなたを祝福されますように。

36. あなたは胃の病を患っていますね。――そうですね?では行きなさい。
主があなたを祝福されますように。さあ、皆さんで言いましょう。「神に栄光あれ!」では、しばらく頭を垂れて祈りましょう。
(祈り)主イエスよ、どうか今、私たちにあわれみをお与えください。私たちの罪と過ちをお赦しください。そして、ここにいるすべての者を祝福してください。これを、イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。――アーメン。
あなたは、神があなたを癒してくださると信じますか?
主があなたを祝福されますように。行きなさい。そして、完全に癒されますように。(〔不明瞭な言葉〕)神は、あなたに何が起こっているかをご存じであり、
あなたの未来も知っておられます。では、皆さん、言いましょう。「神に感謝します!」
次は、お子さんのためですね、姉妹。心から信じますか?お子さんの喘息が癒されることを願っておられますね。では、行きなさい。そしてただこう言いなさい。「主イエスよ、ありがとうございます。」
(〔不明瞭な言葉〕)

37. 完全に癒されています。あなたは信じますか、兄弟?もし神が、あなたに何の病があるかを私に示してくださるなら――あなたはそのとき、癒しを受け入れますか?(男性:「はい、主をほめたたえます。」)あなたは腎臓の病を患っています。
(男性:「主を賛美します!」)そうです、それでよいのです。
あなたは信じますか、姉妹?あなたはこれまで、多くの病気を疑ってこられましたね。でも本当は、胃の病です。そして、心臓のあたりがひらひらと動く感じがありますね。何度も「心臓病ではないか」と思ってきたでしょう。けれども、それは違います。寝るときに症状が悪化するのは――それが神経性の症状だからです。胃から出たガスが心臓のほうへ流れていくことで、そのような感じを引き起こすのです。しかし、今、神があなたを癒されました。行きなさい。(〔不明瞭な言葉〕)

38. あなたの癒しを受け入れなさい。さあ、次の姉妹、こちらへおいでなさい。
心から信じなさい。もしあなたが信じるなら、受け取ることができます。
今、私は「心臓」と言いました。列の端に座っていたあなた、何か感じましたね?そうでしょう?あなたも心臓の病を癒されたいのですね?そうですか。
では、立ち上がってください。そして、お二人とも癒しを受け入れなさい。

39. どうか敬虔な心でいてください。あなたは神を信じますか?そこの小さな女の子、こちらを見てごらん。(〔不明瞭な言葉〕)そう、もうひとりの小さな女の子も。こちらを見て、いいですか、スウィートハート。ほんの少しの間、こちらを見てごらん。私は今、光が小さな子の上に留まっているのを見ました……
いや、違いました。それはあの婦人の上でした。そうです、あなたです。
あなたは、私が主の預言者(しもべ)であることを信じますか?
あなたは……そうですね。白っぽいドレスを着ておられて、少しグレーがかっていますね。あなたには皮膚の発疹のような症状がありますね?医者はその正体がよく分からず、首を振って立ち去るのを私は見ました。それは脚のあたりにありますね?そうです、湿疹のようなものです。もしそれが正しいなら、手を振ってください。主があなたと共におられ、あなたを癒されますように。神を信じなさい。
(ビリー、次はこの婦人ですか?)
婦人、こちらをご覧ください。あなたは、私が主のしもべであることを信じますか?