1. あるものは木の上に、あるものは電信柱の上に、またあるものは畑のすぐそばの柵の柱の上に座っています。
そして私は思いました。「きっと何かの理由があって、主はこれを私の目の前に置かれたのだ。」
「これはちょうど集会の様子のようだ」と思いました。
ある人は遠くにいて、恐れきっています。集会の近くにさえ来ようとしない。
また別の人は、畑のすぐそばまで来て、そこに座っている。
しかし驚いたことに、そのかかしの腕の上に、大きな黒い鳥が二羽とまっていて、まるで何事もないかのように餌をついばんでいたのです。
他の鳥たちは、その周りを飛び回りながら、さえずり、騒ぎ立てていました。
2. 「どうして木から降りてきて食べないんだい? お腹がすいているんだろう?」
まるで飢え死にしそうなくらいなのに。
人々も同じです。霊的に飢えているのです。
「それなら、どうして……」
私は言いました。
「どうして木から出てこないんだ?」
もしその鳥が話せたなら、こう言ったでしょう。
「いやね、あの古いかかしを見てごらんよ。」
確かに、あそこにいちごがあることは認めざるを得ません。
「いちごはあるのか?」
あるのです。
霜で全部が枯れてしまったわけではない。
神に感謝します。
その霜は、すべての聖さを凍らせてしまったわけでもないし、
聖霊の働きをすべて止めてしまったわけでもないのです。
確かに何度か霜にやられたことはありました。
けれども私たちはそれを乗り越えてきました。アーメン。
ときどき、ちょっと驚かされることがあるだけなのです。
3. 見てください。ほかの鳥たちは、てっぺん近くまで来て、上からのぞき込み、きっといちごの香りまで嗅いでいたに違いありません。それなのに私は言うのです。
「どうして中に入らないんだ?」
「だって、あのかかしがあるじゃないか。」
でも私は言います。
「見てごらんよ。あのかかしの腕にとまって、あそこで一生懸命食べているじゃないか。目は生き生きとして、かかしの上に飛び乗って、そこに座って、いちごを食べている。」
兄弟よ、畑の中にいる者には罪の宣告はありません。それだけは確かです。
彼らは責められてなどいない。ただ一生懸命、食べられるだけ食べているのです。
キリスト・イエスのうちにある者には、罪の宣告はありません。恐れもありません。
古いこの世の恐れや疑いは、すべて過ぎ去りました。
あなたはただ心を開いて、食べられるだけ食べているのです。
そして、わかりますか?
古いかかしというのは、信じる者にとっては時に夕食の鐘なのです。食事の合図、恵みへの切符なのです。
ええ、その通りです。
ああいう光景を見ると……。
4. いつの時代も、神は奇跡を行われるお方でした。
リバイバルが起こるたびに、癒しが伴いました。マルチンルター、
ジョンウェズリー、イラ D. サンキー、ドワイト L ムーディー
ほかにも挙げればきりがありません。ジョン・ウェスレーの証し
少し前に私は、イングランドにあるウェスレーの記念の場所の近くに立ちました。
彼が神の癒しを説教していたとき、人々は狐を放ち、猟犬を放して群衆を散らしたのです。
ウェスレーは振り向き、その男の顔を指さして言いました。
「太陽が三度沈む前に、あなたは私に祈ってくれと頼むことになる。」
そしてその日の夕方、日が沈むころ、その男は腹部の激痛で死んだのです。
ウェスレーは彼のもとへ行くことさえできませんでした。
また、ウェスレーがアメリカにいたころのこと。
彼の記録によれば、ある女性のために祈りに向かう途中、馬がつまずいて転び、脚を折ってしまいました。
ウェスレーはポケットから油の瓶を取り出し、こう祈りました。
「全能の神よ、あなたはこの馬の体を、私の体と同じように造られました。私は行かなければなりません。」
そしてその馬に油を注ぎ、彼はそのまま乗って行ったのです。
これはウェスレー自身の言葉です。
ところが今日では、こうしたことを教会から追い出そうとする人たちさえいます。
兄弟よ、私たちは堕落してしまいました。
かかしは立っています。
しかし、その裏側に回り込めばいいのです。
5. 偽札があるということは、それが本物をもとにして作られたということです。本物の一ドル札がなければ、偽物も存在しません。
インドで船を降りると、観光客の前で見せ物のように、釘の上に横たわるヒンドゥー教徒を見ることがあります。けれどもその奥には、本当に自分の体を傷つけ、火の上を歩き、犠牲をささげる人たちがいるのです。
中には二十年もの間、手を下ろさずに上げたままにし、爪が手の甲を突き抜けそうになるほどになっても、魂の平安を求めて叫び続ける人もいます。
彼らは本当に犠牲的です。
ただし、礼拝の対象が誤っているのです。
そして一方では、ただの見せ物のように振る舞う者もいます。
私たちの中にも、同じようなことがあるのです。
6. 「ブラナム兄弟、もし聖霊がそれほど偉大なら、集会で立ち上がって叫び、神を賛美し、涙を流している人たちが、そのあと罪人のようなことをし、罪の場所へ行き、罪の中に生きるのを見たことがあります。あれは聖霊が彼らを叫ばせていたのですか?」
私は答えました。
「そうです。」
その人は言いました。
「えっ、そんな人の上にも聖霊が下るのですか?」
私は言いました。
「そうです。」
イエスは言われました。
「種をまく人が出て行って種をまいた。すると敵が来て、そのあとに毒麦をまいた。しもべが言った、『毒麦を抜きに行きましょうか。』主人は言った、『いや、毒麦を抜こうとすると麦まで抜いてしまう。両方とも一緒に育つままにしておきなさい。時が来たら、御使いたちを遣わして毒麦を集めて焼き、麦は倉に納めよう。』」
また、ヘブル書6章にはこうあります。
一度光に照らされ、天の賜物にあずかり、聖霊にあずかり、神の良いみことばと来るべき世の力とを味わった者が、もし堕落するなら、再び悔い改めに立ち返らせることはできない。彼らは自ら神の御子を再び十字架につけ、その血を汚れたものとみなすからである。
よく聞いてください。
雨はしばしば地に降り、それを潤し、整えます。
しかし、そこから出てくるのがあざみやいばらであるなら、それらはやがて焼かれるのです。
7. 同じ麦畑の中に、いばらやつる草、悪臭のする雑草など、いろいろなものが麦と一緒に生えているのです。
そして干ばつが来ると、つる草も麦と同じように水を欲しがります。
水は麦のために送られるのですが、つる草もまたその水を喜んで受けるのです。
しかし――
「その実によって彼らを知る」とあります。
集会では聖霊が建物いっぱいに注がれます。
けれども、キリスト・イエスにあって敬虔に生きる者こそが、倉に納められる麦なのです。
毒麦については――
それを裁くのは私たちではありません。
終わりのときに焼かれるのです。
お分かりになりますか?
だから、人が叫ぶからとか、主を賛美できるからという理由で、その人を判断してはなりません。
判断するなら、その人の生き方によってです。
もし正しい生き方をしていないなら、切り捨てるのではなく、祈ってあげなさい。
それが正しいやり方です。
そして、いらくさを麦の穂へと変えていくのです。
アーメン。
8. ある人は、集会に来る前から「何か批判するものを見つけよう」と決めています。
そうすれば、サタンは必ずそれを見せてくれます。
しかし、「何か良いものを見つけよう」と心に決めて来るなら、神がそれを見せてくださいます。
愛するクリスチャンよ、問題はあなたの態度なのです。ナタナエルの場合
4
Nathanael は、来る前から少し構えていました。
「ナザレから何の良いものが出るだろうか」と思っていたのです。
しかしイエスは彼を見て、彼が正直で善良な人であることをご存じでした。
イエスは言われました。
「見よ、これはまことのイスラエル人である。そのうちに偽りがない。」
もし今ここで祈りの列に並んでいる人を見て、私が言うとしたら、
「見よ、ここに本当のクリスチャン、正直な良い人がいる」と言うでしょう。
ナタナエルは驚いて言いました。
「どうして私のことをご存じなのですか。」
イエスは言われました。
「ピリポがあなたを呼ぶ前に、あなたが木の下にいるのを見た。」
ここが大切です。
ナタナエルはイエスを霊媒師だとは言いませんでした。
何か悪い力だとも判断しませんでした。
彼は言いました。
「ラビ、あなたは神の子です。イスラエルの王です。」
その瞬間、彼はイエスの従者となったのです。
態度が決定を生みます。
疑いで来るなら疑いを見つけ、
信仰で来るなら、神を見つけます。
9. イエスは力が出て行くのを感じられました。
しかし、あの人たちはどうでしたか。
主が預言者であると知りながら(井戸の女がそうであったように)、目隠しをして、葦で頭を打ち、
「もし預言者なら、誰が打ったか言ってみよ」と言いました。
彼らは何の力も感じませんでした。
なぜでしょう?
近づき方の問題です。
聖霊のもとに来るときも同じです。
もし誰かがふざけている姿ばかりに目を向けているなら、あなたは何の力も感じないでしょう。
しかし、それを心から取り除き、
かかしを後ろに押しやって、
「主イエスよ、これは私の心です。私はあなたのもとに来ました。あなたは私に何をしてくださいますか。」
そう言うなら、あなたは求めて来たものを受けるのです。
その通りです。
「義に飢え渇く者は幸いです。その人は満たされるからです。」
そのとおりでしょう?
アーメン。
ああ、私たちは主を愛しています。
なんとすばらしいお方でしょう。
10. ある人たちは、「これは霊媒術にすぎない」と言います。
兄弟よ、私について何を言われても構いません。
しかし、神について語るときは気をつけなさい。
もしあなたが間違っていたらどうでしょう?
もし間違っているなら、あなたは越えてはならない一線を越えてしまうかもしれません。
この世でも、来るべき世でも、赦されないことになるのです。
イエスは言われました。
「聖霊に逆らうことばを語る者は、この世でも来るべき世でも赦されることはない。」
これは主のことばです。
それと同じくらい重要なのは――
「人は水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることはできない。」
これらはすべて聖書のことばです。
だからこそ、私たちは「然り」は「然り」、「否」は「否」とし、
自分が何をしているのか、何を語っているのか、よく注意しなければなりません。
慎み深く、気をつけるのです。
11. しかし、私はその御使いを礼拝しているのではありません。
今も聞いておられる神が、私の唯一の審判者です。
私は一度も――
まずこれを言わせてください。
もし私が少しでも間違った方向へ進もうとしたなら、その御使いご自身が私を正されたであろうと、私は信じています。
なぜなら、私はその御使いが神から遣わされたと本当に信じているからです。
あなたは、私ほど確信をもって信じられないかもしれません。
しかし私は彼と語り、彼を知っているのです。
もし今ここに五十人立っていたとしても、私はその中から彼を見分けられます。
まず声で分かります。
そして姿でも分かります。
彼は……
私と同じように「人」です。
あなたや私と同じように人間的な姿をしています。
三十代くらいに見える、しっかりした体つきの方で、手を組んで立っている姿です。
もちろん、偽りの御使いがいることも私は知っています。
しかし、神から出ていない霊は、イエスが肉となって来られたことを告白しません。
それは誤った霊です。
確かに偽りの御使いはいます。
しかし、神について証しし、その働きが神からのものであると証明されるなら、私たちはそれを信じるのです。
12. そのとおりでしょう?
使徒の時代を通して、御使いは使徒たち、弟子たちと共に働いていました。
そして多くの場合、彼らは「光」の姿で現れました。
パウロの上に光が照り、彼は目が見えなくなりました。
使徒パウロとの出来事です。
また、ペテロが牢にいたとき、光が差し込み、主の御使いが現れて彼を導き出しました。
聖ペテロ のことです。
聖書の多くの箇所で、彼らは光として描かれています。
イスラエルの子らを導いた火の柱――それも同じです。火の柱と契約の御使い
4
イスラエルを導いたその御使いは、契約の御使いでした。
聖書教師なら誰でも知っていることです。
そしてその契約の御使いとは、キリストでした。
アーメン。
13. モーセは、エジプトの王座を継ぐこともできたはずでした。
けれども彼は、それを捨てました。
彼はエジプトの宝よりも、キリストのそしりを受けることを、はるかに大きな富と考えました。
そして王になる代わりに、火の柱に従う道を選びました。
燃える柴の中に現れた神の御使いに従ったのです。火の柱に導かれて
イエス・キリストは昨日も今日も、いつまでも変わることのない方です。
もしその方が火の柱の姿でモーセに現れ、イスラエルの子らを導かれたのなら、
自然的な旅路で彼らを導いたその方が、
今日、霊的な意味でご自分の教会を導くことができないはずがあるでしょうか。
彼らは約束の地へ向かっていました。
私たちも約束の地へ向かっています。
「わたしの父の家には住まいが多い。もしなければ、あなたがたに言っておいたであろう。わたしはあなたがたのために場所を備えに行く。そして、再び来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。」
さて、火の柱の中におられた神が彼らを導かれました。
そして地上におられたとき、イエスは言われました。
「わたしは“わたしはあってある者”である。」
それは、柴の中でモーセに語られた「わたしはある」と同じ方です。
さらに主は言われました。
「わたしがしていることを、あなたがたもするようになる。さらに大きなことをする。わたしが父のもとに行くからである。」
そして、イエスが地上におられたとき、人々が来ても、
主はご自分に癒す力があるとは主張されませんでした。
「わたしは自分からは何もできない。
子は、自分からは何もできない。ただ父がしておられることを見て、それを行うのである。父は子を愛し、ご自分のなさることを示される。」
ヨハネ5章のことばです。
主は何一つ、ご自分の功績として受け取られませんでした。
すべては父からの働きであったのです。
14. すべては超自然から来るのです。
主は言われました。
「わたしがしていることは、父がしておられるのを見てするのだ。」
ナタナエルが来たとき、父はすでにイエスに示しておられました。
ピリポが彼を見つける前、彼が何をしていたかを。
そして主は言われました。
「わたしがしていることを、あなたがたもするようになる。」
「さらに大きなことをする。わたしが父のもとに行くからである。」
それは、今も同じ御霊です。
それは、私がここにいるからではありません。
私は、そこにいる誰よりも特別ではない。
キリストがここにおられるのです。
聖霊がここにおられるのです。
神の御使いがここにおられるのです。
私はただの器、ただの口にすぎません。
モーセもそうでした。
イエスもまた、神の口として語られました。
そして主は、罪人である私たちを贖うために死なれました。
それは、神のご計画が、教会を通して時代を越えて進み続けるためです。
神に献身した奉仕者は、神が語るための通路となります。
福音を宣べ伝え、
病人を癒し、
しるしと不思議を示すための器となるのです。
栄光は人にではなく、
すべて神にあります。
15. けれども今や教会は分裂し、弱くなってしまい、
神は再び超自然的な働きをもって、ご自分の民に仕えようとしておられるのです。
人は何でも主張できます。
口で言うことは誰にでもできる。
しかし、それを神が確認されるかどうかは別問題です。
もし神がそれを真実として確認されるなら、
私たちは信じるべきではありませんか?
ですから、もし誰かが「ブラナム兄弟は霊媒師だ」と言うなら、
それは誤りだと伝えなさい。
私はクリスチャンです。
イエス・キリストの恵みによって救われ、
カルバリの贖いの血によって救われた者です。
そして、霊媒師が病人を癒し、
神の御名によって働くのを見たことがあるなら教えてください。
「でも、ブラナム兄弟、似ているように見える。」
もちろんです。
イエスが地上におられたときも、同じことを言われました。
彼らは主を霊媒師だと呼びました。
さて、聖書を見てください。
エッサイの家のろばがいなくなり、
その息子たちが探しに出かけました。
彼らは言いました。
「もしお金があれば、先見者サムエルのところへ行けるのに。
彼なら、ろばがどこにいるか教えてくれるだろう。」
少しおかしく聞こえますか?
けれども彼らは道でサムエルに会いました。
Samuel は彼らに言いました。
「家に帰りなさい……」
(続く内容では、失われたろばはすでに見つかっており、さらにサウルが王として油注がれることまで語られるのです。)
神が示すとき、それは霊媒術ではありません。
それは神の啓示です。
違いはどこにあるか?
源です。
どこから来ているかです。
もしそれが神から来ているなら、
それは神の御業なのです。
アーメン。
16. 本当は、ずっと前に神のもとに来て、
自分の立つ場所をはっきりさせておくべきだったのです。
聖書は言っています。
終わりの日には飢饉が来る。
それはパンの飢えではなく、水の渇きでもない。
神のことばを聞くことの飢えです。
人々は東へ、西へ、北へ、南へと探し回る。
しかし見つけられない。
だから、今のうちに、
聖霊によって神の国に封印されておきなさい。
混乱の時代だと言いますね。
しかし、これから来るのはもっと大きな混乱です。
聖書はこう言っています。
「それは、もしできるなら、選ばれた者さえも惑わすほどになる。」
そのとおりではありませんか?
だから今、立ち位置を定めなさい。
群衆の流れの中ではなく、
御霊の中に立ちなさい。
それが唯一、安全な場所です。
17. 「病人を癒したり、悪霊を追い出したからといって、その人がクリスチャンだという証明にはならない」と言う人がいます。
その通りです。
主は言われました。
「その日には、多くの者がわたしに言うであろう。
『主よ、主よ、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって力あるわざを行ったではありませんか。』」
しかしイエスは言われました。
「わたしから離れよ、不法を行う者ども。
わたしはあなたがたを知らない。」
よく聞いてください。
彼らは「自分たちはやった」と主張しました。
しかし主は「わたしはあなたがたを知らない」と言われた。
どういうことですか?
ただ「やった」と言っているだけで、
神との関係がなかったのです。
私に無断で小切手を書くことができますか?
できませんね。
銀行で照合すれば、すぐ分かります。
つまり――
名前を使うことと、
本当にその名に属していることは別です。
外側の働きよりも、
内側の関係が問題なのです。
神は奇跡よりも、
あなたとの関係をご覧になります。
18. 「多くの者が来て言うであろう。
『主よ、私はあなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって預言しました。』」
説教者もいるでしょう。
さまざまな働きをした人たちもいるでしょう。
しかし主は言われるのです。
「わたしから離れよ。不法を行う者ども。
わたしはあなたがたを知らない。」
ここが厳しいところです。
中には、肉的な思いで始めた人もいるかもしれません。
人気を得ようとしたり、
大きな教育や巧みな言葉で人を引きつけたり、
そこから利益を得ようとしたり。
しかし主は言われます。
「不法を行う者よ。」
不法とは何でしょう。
自分がすべきと知っていながら、それをしないことです。
そして、すべての人は知っています。
人は御霊によって新しく生まれなければならない。
聖霊を受けなければならない。
それを拒むことは、
旧約の時代にエホバを拒んだのと同じです。
あるいは、イエスを拒んだのと同じです。
同じ罰、いや、それ以上です。
聖霊を拒むことは、軽いことではありません。
口では語られます。
しかし本気で受け止められてはいません。
だからこそ、
表面的な宗教ではなく、
本当に御霊によって生まれることが必要なのです。
19. 悪魔はいつの時代も、生ける神の教会を狙ってきました。
主イエスも、この世に来られたとき、良い評判の中に生まれたのではありません。
不義の子だと言われるような重い噂を背負っておられました。
本来なら聖なる結婚のもとに生まれた御子であるのに、その影がつきまとったのです。
けれども主は、ご自分の心の中でご存じでした。
「わたしは神の子である」と。
兄弟姉妹よ、今夜あなたは、自分がどこに立っているかを知っています。
そしてもう一人、それを完全に知っておられる方がいます。
それは神です。
もしあなたの心が神の前で正しいなら、
本当に主のために生きなさい。
誠実でありなさい。
主を何よりも愛しなさい。
ほかのすべてが二の次になるほどに。
そうすれば、あなたは心を尽くし、力を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くして主を愛するようになります。
そのとき、神があなたを導かれます。
「正しい人の歩みは主によって定められる。」
あなたが真実に主に属しているなら、
主はあなたの足取りを整えてくださいます。
20. ラプランドでのことを思い出します。
私は一言も話せず、フィンランド人やスウェーデン人の半分も英語を話せませんでした。ラプランドでの集会
それでも聖霊が臨み、人々のことを次々に示されました。
人々は心を一つにし、神に叫び求め、
そこには大きなしるしと不思議がありました。
摩擦がなかったのです。
しかし時には、霊的に行き詰まることがあります。
心がまっすぐに定まらない。
知らず知らずのうちに、
信じたくないのに疑ってしまう。
だからこそ、
すべてを脇に置き、
心を尽くして信じることが必要なのです。
理屈でも、習慣でもなく、
全面的な信頼です。
今夜、私はこう言えると思います……
(外では、明日の夜に話すと言いましたが。)
信じるなら、
神は今も変わらず働かれる、ということです。
21. あの頃は、癒しの賜物は、その人の手を取ることで働いていました。
もし今夜、神が許してくださるなら、たとえば癌のケースで、私の牧師兄弟たちにお見せしたいのです。
それが人間の体にどんな影響を与えるかを。
それは、私自身の中に何か力があるということではありません。
悪霊の力が押し返してくる、その鼓動のような反応なのです。
人の手を取ると、ほとんど倍ほどに腫れ上がったようになり、
白く大きなものが表面を走るように見えることがあります。
何が起きているのか?
私には説明できません。
ただ、手がしびれてしまうのです。
しかし、それは神の癒しそのものではありません。
癒す力がそこにあるということでもありません。
それはただの「反応」です。
私の体が御霊によって油注がれると、
外にあるその病の霊が反応して押し返してくるのです。
ですから、もしここで足の不自由な人の手を取っても、
何も起こらないこともあります。
なぜなら、そこに活動している病の霊(感染のようなもの)がなければ、反応は起こらないからです。
もしそれがあれば、示されます。
22. もしこの働きに忠実であるなら、神はさらに進ませてくださり、人々が人生で何をしてきたかまでも示されるようになる、と。
そしてフェニックスの皆さんは、それが事実であることを知っています。
まさにそのとおりになりました。
聖書は言っています。
もしあなたがたの中に霊的な者、あるいは預言者がいて、その語ることが成就するなら、その言葉に耳を傾けなさい。
しかし、もし成就しないなら、それは主が語られたのではない、と。
つまり――
私が言いたいのはこれです。
神はここにおられます。
そして、語られたことを神ご自身が確認してこられました。
それは事実です。
そして私は信じています。
神はこれからも続けて確認してくださる、と。
人ではありません。
神が証明されるのです。
23. そのとき、この場にいる一人ひとりにお願いがあります。
どうか、私を助けてください。
私が一人の人と話している間、
あなたは祈っていてください。
今、初めて来られた方はどれくらいいますか?
毎晩、初めての方がたくさんおられます。百人、百五十人、いや二百、三百人になることもあります。
皆さんを心から歓迎します。
さて、ここに座っている方々を私は知りません。
天の神がご存じですが、私はあなたについて何一つ知りません。
ここに祈りのカードを持っている方が何人かおられるようですね。
カードには番号が書いてあります。
その番号は、ただ順番を整えるためのものです。
もし私が言うなら、
「今夜祈ってほしい方は皆立ってください」と。
そうしたら何が起こるか、わかるでしょう。
混乱になります。
だから番号で呼ぶのです。
しかし大切なのはカードではありません。
番号でもありません。
あなたの信仰です。
私が話している間、
心を一つにして祈ってください。
神が働かれるのは、
人の力によってではなく、
信仰の一致によってです。
24. 以前は、祈りのカードを牧師方に渡していました。
すると最初の牧師が自分の会衆をほとんど全部入れてしまい、それだけで集会が終わってしまうような状態になることもありました。
全員を通すのに五晩もかかることもありました。
もし誰かにカードを渡し損ねたり、外部の人に渡したりすると、
会衆がその牧師に不満を持つことさえあったのです。
それで次に、祈祷会方式にしました。
「先着順」です。
しかし、遠くから飛行機で来て、費用をかけて、
一日しか滞在できない人もいます。
その人たちは初日に来られなければ、カードはすべて配られてしまい、
集会の残りの日々は意味がなくなってしまうのです。
それでは公平ではありません。
そこで私は考えました。
毎日、カードを配るしかない、と。
そうすれば、誰にでも同じチャンスがあります。
牧師は責任を負いません。
誰も責任を負いません。
私自身も配りません。
兄弟や、あるいは息子に配ってもらいます。
今回は小さな息子が配っています。
子どもなら、皆さんも公平に受け取ってくださるだろうと思ったのです。
彼はカードを配ります。
そして私は、このプラットフォームに来るとき以外は、
誰がどの番号を持っているのか、まったく知りません。
それが公平なやり方です。
神の前では、
すべての人が同じ機会を持つのです。
25. 祈りのカードの番号を数えてもらっていました。
その子が止まったところから、
祈りの列を始めていたのです。
ところが、どうなったと思いますか。
自分の番を早くしてもらおうと、
小さな子どもを前に押し出して数えさせる人が出てきたのです。
「まさか」と思うかもしれません。
でも、実際にそうなってしまうのです。
だから、私にできる唯一の方法はこれでした。
ここに立って祈るのです。
「神よ、どこから祈りの列を始めましょうか。」
そして、示されたところから始めます。
昨夜のように、途中で止まることもあります。
人の知恵で整えるのではなく、
その場で神に尋ねる。
それが一番まっすぐなやり方なのです。
26. 私は、ある番号を呼びました。
順番通りではなく、
ただ心に浮かんだ番号を、ひとつ、またひとつと呼んでいきました。
家に帰ると、テーブルの上に手紙が置いてありました。
誰かが息子に渡したものでした。
そこには、ある女性の言葉が書かれていました。
「ブラナム兄弟、もうこれ以上耐えられません。
次は自殺しかありません。」
彼女は自分の状況を詳しく書いていました。
すると息子やシャーリット兄弟たちが言いました。
「兄弟、それは昨夜プラットフォームに来たあの女性です。」
説明は一致していました。
昨夜その女性は集会の中で癒されていたのです。
神がその番号を呼ばせたのです。
偶然ではありません。
ただ心に浮かんだ番号を呼んだだけ。
しかしそれが、自殺を思いとどまらせるための神の働きだったのです。
お分かりになりますか。
神はなんとすばらしいお方でしょう。
心から信じなさい。
神はそれを成就されます。
神は御言葉を、しるしと不思議をもって確証されます。
私たちはそれを信じています。
そして今も、
神はここにおられます。
すべてをなすことのできるお方として。
27. ああ、ずいぶん遅くなってしまいましたね。
実は、ホール兄弟にどれほど感謝しているか、まだきちんとお伝えできていませんでした。今日はあまりにも話しすぎました。この集会では、これまでの何回分もの集会より多く語っている気がします。
でも、フェニックスには特別なものがあるのです。
なぜかは分かりません。ただ、心の奥深くに触れる何かがあるのです。
子どものころ、学校でアリゾナのことを読んだのを覚えています。
いつかアリゾナへ行きたい、と強く願っていました。
そして実際にここへ来ると、
もう胸がいっぱいになるのです。
今朝、牧師の集まりで、あの素晴らしい交わりを見て、
私の心は兄弟たちへと自然に向かっていきました。
どうか皆さん、力を合わせてください。
互いに協力し合って、ここに大きな教会を築いてください。
一致の中に、神の祝福があります。
28. 以前から存じ上げていますが、本当に心の通った兄弟です。
長い時間をご一緒してきましたが、
彼は語るとおりに生きている人です。
それは大きなことです。
良い人、真実なクリスチャンです。
リンゼー兄弟は「Voice of Healing」の働きに戻られました。
多くの購読者がおり、その務めがあります。
ホール兄弟とは、この夏のあいだ多くの時間を共にするでしょう。
そしてバクスター兄弟とも合流します。
彼もまた立派なクリスチャン紳士です。
間もなく、アフリカへ向かう予定です。
それでは、皆さんに神の祝福がありますように。
これから祈りの列に入りましょう。
まず、しばらく頭を垂れて祈りましょう。
深く、真実な心で。
長く話しすぎたことをお赦しください。
今夜は、できるだけ多くの方のために祈りたいのです。
時に一人の方と長く話していると、
主がその人のことを次々に示されます。
しかし、最初の小さな信仰のしるしが見えたなら、
私はそこで送り出します。
なぜなら、癒すのは私ではなく、
その人の信仰だからです。
主を信じなさい。
主が働かれます。
29. 私たちはあなたを愛しています。
今朝の交わりの中で、あの若い人が前に出てきて、小さな箱から眼鏡を取り出しました。
それがなければ見えなかったのです。
けれども彼は、ここで触れられたのです。
数日前、あの会衆の中から彼を呼び出しました。
長い間、視力が失われつつあった。
そして今、人工のレンズをポケットに入れたまま、
聖霊の力によって、その目を通して見ている。
主よ、なんと感謝いたします。
「私は病気でした。糖尿病が命を奪おうとしていました。
でも今は癒されました。」
そう証しする声を聞きました。
この集会から次々と届けられる、
大きな証しの数々。
主よ、感謝します。
すばらしい交わりを、心から感謝します。
30. どうか今、この場所に聖霊が満ちてくださいますように。
主よ、長く語ってしまいました。
多くの者が語り、人々は長く座っています。
けれども私は感謝します。
彼らは疲れてはいません。
あなたを見るために待っているのです。
あなたを愛し、
あなたが動かれるのをまだ見なくても、信じてきました。
そして今、あなたはご自身をさらに近くに現し始めておられます。
やがて、私たちはあなたが現れるのを見るでしょう。
あなたは昔、御言葉によって私たちの父祖にご自身を示されました。
そしてこの終わりの日に、聖霊によって近づいてこられ、
今、超自然の癒しの現れの中に来ておられます。
次の段階は――
イエスが現れること。
主よ、なんと感謝いたします。
今夜ここにいる病める人々が、
心を一つにして信じることができますように。
一人残らず癒されますように。
あなたはご存じです。
このプラットフォームに来る人を。
外にあるカードの数も。
その病も。
その人の残された時間も。
今、信じなければならない人がいるかもしれません。
明日では遅すぎるかもしれない。
父よ、その群れの中から、
あなたの民を呼び出してください。
癒しの信仰をお与えください。
あなたの御子、イエスの御名によって祈ります。
アーメン。
31. 皆さんが頭を垂れてくださる姿を見ました。
外に立っている方々までもが、静かに頭を下げておられました。
それで分かります。
なぜ神がこのように働かれるのか。
そこには深い敬意があるからです。
私がここに来たからではありません。
私たちが心を一つにしたからです。
神が祝福してくださったのです。
私の心は喜びで満たされています。
さて、祈りのカードが出ています。
今日は百枚ですか。
いつもより五十枚多いですね。
今夜は、皆さんが許してくださる限り、
ここに立ち続けましょう。
そして、今……
ただ今、主の御霊が下って来られました。
今、触れられました。
神が私の審判者です。
今、この瞬間、御霊が私の上に降りてこられました。
私はそれを感じています。
手がしびれ始めています。
不思議な感覚です。
唇が重くなり、厚くなったように感じます。
時々、顔をこすっているのに気づくでしょう。
唇がふくらんだように感じるのです。
それはただ……
主が近くにおられるということです。
32. より多くの方に祈ることができます。
でも話し始めると……
気づいておられますね?
話せば話すほど、
御霊はさらに示し始めます。
家にいるときなど、
その人を座らせて、静かに語り始めると、
聖霊が一時間でも続けて語られることがあります。
それが、集会では私の滞在をできるだけ静かにしている理由です。
人が集まってくると、
それだけで力が抜けてしまうのです。
そして集会に立つころには、
ほとんど出し尽くしたようになってしまう。
だから、できる限り分け合うようにしているのです。
誰もが見て、
神を賛美し、
神を信じ始めることができるように。
さて、今日はQ-1から100まで配りましたね。
昨夜は1から始めましたか?
そうでしたね。
では今夜は、Q-25から始めましょう。
Q-25から35まで。
カードをよく見てください。
主が導いてくださいます。
33. ご自分の番号が来たら、カードを高く上げてください。
たとえば28番なら、27番まで呼ばれたらカードを見せてください。
案内係が迎えに行き、どこからでも列に入れてくれます。
友よ、これは信仰を生み出すための働きです。
力の現れです。
確かに、神の癒しの賜物とも言えます。
しかし、癒しを信じ、病人のために祈る者は皆、
ある意味で癒しの賜物を持っています。
けれども――
私が誰かを「癒す」ことはできません。
私にできるのは、
何が問題なのかを示されること、
なぜ癒されないのかを示されることだけです。
癒すのは神です。
よく聞いてください。
今呼んでいるのは、
Q-25から35までです。
カードを確認してください。
主が導いてくださいます。
34. 「Q-25から35まで」と。
(兄弟がアナウンスをする)
ありがとうございます、兄弟。
では、最初はQ-25から35までです。
この列が終わったら、
皆さんの信仰の様子を見ながら、
次の番号を呼ぶか、
あるいはあちこちから番号を選ぶかを決めます。
覚えていてください。
ここに上がること自体が重要なのではありません。
「この人を先に」とか
「誰それを呼ぼう」といったことはありません。
私には分かりません。
どこから始めるべきかも、どうすべきかも。
それを神に委ねています。
そして、この働きがする唯一のことは――
あなたの信仰を築くことです。
35. あなた自身が「神は祈りを聞いてくださった」と信じなければ、
何の効果もありません。
そのとおりでしょう?
しかし――
ここに立てば、
あなたのことを知らずにいることはできません。
何が問題なのか、
何があなたを縛っているのか、
時にはあなたの過去や罪までも、示されるでしょう。
それは神が私に与えてくださった賜物です。
神から預かったものです。
けれども――
癒しそのものは、
すでにイエス・キリストが成し遂げておられます。
誰もそれを「新しく」行うことはできません。
主はすでにカルバリで成し遂げられました。
私たちは預言的な働きを信じています。
神が語り、示されることを信じています。
しかし救いも癒しも、
その根源はキリストにあります。
信仰がそれを受け取るのです。
36. これが最初の方ですね。どうぞ前へ。
シャーリット兄弟、体調のすぐれない方がいたら、椅子を用意してあげてください。
皆さんにお尋ねします。
神を愛している方、手を挙げてください。
ありがとうございます。
その愛と信仰の中で、
主が今、ご自身の臨在をこの場に下してくださるよう、私は祈っています。
さて、ここに一人の兄弟が立っています。
スペイン系か、あるいはメキシコ系の方かもしれません。
彼に何が起きているのか、私は知りません。
私には分かりません。
主が示されなければ。
もし彼が信じるなら、
彼は癒されます。
もし信じなければ――
たとえイエスご自身がここに立っておられ、
私の服を着てここに立っておられたとしても、
彼は癒されません。
信じなければならないのです。
主はすでにすべてをなしておられます。
これ以上、何をなさる必要があるでしょうか。
今必要なのは、
信じる心です。
37. よく耳を傾けてください。
できるだけ多くの方に祈りたいのです。
しかし、もし御霊が私を止め、引きとめ、
信仰が半ばの方がいると、
そこから次々と示しが始まります。
あれもこれもと示され、
気づけば力が抜けていきます。
皆さんが私を見ています。
昨夜は少し大変でした。
私は、皆さんのために自分の命を注いでいます。
それを分かってください。
どうぞ、こちらへ。
……はい。
あなたはクリスチャンですね。
神を信じておられる。
私にもそれが分かります、兄弟。
ここに立っていて、不思議な感覚があるでしょう?
はい、そのとおりです。
38. イエスは彼を見て、「見よ、まことのイスラエル人」と言われました。
あなたも同じです。
ここに来たとき、もし信じていなければ、私はそれも分かったでしょう。
しかしあなたは信じる人です。
だから私は「あなたはクリスチャンです」と言いました。
同じ御霊が働いているのです。
さて、天の父が何を示してくださるか見てみましょう。
あなたは分かっています。
ここに何かがある。
ただの人間の力ではない。
そのとおりですね、兄弟?
(手を上げてください。)
皆さん、感じています。
ここに何かが近づいています。
私たちは今まで会ったことがありません。
人生で一度も。
けれども――
あなたの問題が見えます。
あなたはリウマチを患っていましたね。
……はい。
しかし今は違います。
あなたはもう自由です。
イエス・キリストがあなたを癒されました。
足を上げてみてください。
そのとおりです。
あなたは癒されました、兄弟。
勇気を持って帰りなさい。
皆さん、ご一緒に言いましょう。
「主をほめたたえよ。」
39. 彼は本当に素晴らしく癒されました。
さて、どうして私にそれが分かったのでしょうか。
彼は発作のような痛みを持っていました。
両腕が痛んでいた。
私は彼が家の裏で、腕をさすりながら座っているのを見ました。
椅子にもたれかかるようにして。
そしてまた、
彼がベッドから起き上がろうとしているのを見ました。
しかし、なかなか起き上がれない。
痛みがあったのです。
この方をご存じの方、手を挙げてください。
今言ったことが事実だと知っている方。
……はい。
そこに証人がいます。
これは想像ではありません。
幻の中で見せられたのです。
皆さん、お分かりでしょう。
どうか、静かに、敬虔に。
これは、私たちの主の上にあったのと同じ御霊ではありませんか。
主は言われました。
「あなたが来る前、あなたが木の下にいたのを見た。」
私は彼が家の裏に座っているのを見ました。
ベッドから起き上がろうとしているのも見ました。
同じ聖霊です。
なんと素晴らしいお方でしょう。
アーメン。
40. こんにちは、兄弟。
あなたは信じる人ですね。
……はい。
しかも、あなたは奉仕者ですね。
そして目が問題ですね。
そのとおりでしょう?
主があなたを祝福してくださいますように。
天の父よ、
この愛する兄弟を祝福してください。
彼の視力を回復してください。
彼の心はあなたへの愛で満ちています。
御子イエス・キリストの御名によって祝福します。
皆さん、ご一緒に。
「主をほめたたえよ。」
なんと素晴らしい主でしょう。
次の方、どうぞ。
こんにちは。
英語は少し話せますか?
……少しですね。
あなたはインディアンの方ですね。
そう思いました。
アパッチ族ですか?
またあなた方のところを訪ねたいと思っています。
サンカルロスの居留地に行ったとき、そこにおられましたか?
……そうですか。
私はインディアンの人々に深い敬意を持っています。
愛しています。
そして神もあなたを愛しています。
私たちは初対面ですね。
けれども、あなたは長い間病んでいましたね。
はい。
婦人病があります。
そして心臓にも問題があります。
ときどき動揺すると、
横になると特に心臓が苦しくなります。
息を求めるようにしているのが見えます。
そのとおりですね?
あなたは癒されました、姉妹。
イエス・キリストがあなたを完全にされました。
天の父よ、
この愛する姉妹を祝福してください。
彼女がその民の間で大きな証しとなりますように。
イエスの御名によって。
アーメン。
神があなたを祝福します。
どうぞ、癒されて行きなさい。
アーメン。
41. 「神に栄光あれ。」
どうか、引き続き静かに、敬虔な心でいてください。
もしここにアパッチ族の方がおられるなら、
サンカルロスからの電報は受け取りました。
月曜の朝早くに家へ戻り、妻を連れて、
夏の間カリフォルニアへ行かなければならないかもしれません。
もし行かなくてよいなら、
居留地で二、三日、皆さんと過ごしたいのです。
もしどうしても行かなければならない場合でも、
帰り道に一日でも立ち寄って、
サンカルロスの居留地の皆さんに会えたらと願っています。
もし宣教師の方がここにおられるなら、
できるだけ早く戻って、皆さんと共に過ごせるようにします。
もし望んでくださるなら、
しばらくの間、皆さんのところで協力牧師として仕えたいとも思っています。
ただ共にいて、少しでも助けになりたいのです。
私は、人々が押しやられるのを見るのが好きではありません。
私たちは、インディアンの方々に多くの負い目があると思っています。
神が彼らを祝福されますように。
これまで列を通ってきたインディアンの方で、
癒されなかった人を見たことがありません。
スペイン語圏の方々も同じです。
とても謙虚で、
語られたことをそのまま信じます。
そして、それこそが必要なのです。
単純で、まっすぐな信仰。
アーメン。
42. こんにちは、兄弟。
あなたが席に座っていたとき、
「今こそ自分が待ち望んでいた時だ」と思っていましたね。
そのとおりでしょう?
そして椅子に座っている間に、
とても不思議な感覚があなたを包みました。
そのときです。
あなたの心臓の問題は去りました。
もう家に帰って、主に感謝しなさい。
皆さん、ご一緒に。
「主イエスをほめたたえよ。」
さあ、あなたは良くなります、兄弟。
そのまま進みなさい。
神の祝福があなたの上にあると信じなさい。
信仰を持ちなさい。
ただ主を賛美しなさい。
すべて忘れて、
前に進みなさい。
約束はあなたのものです。
聖書で神が約束されたこと、
神のしもべを通して語られたこと、
それはあなたのものです。
アーメン。
忘れないでください。
信じることです。
43. 英語は話せますか?
もう少しこちらへ来てください。
あなたは主を愛していますね。
私はそう感じます、姉妹。
私がまた居留地に戻ったとき、
あなたが癒しの証し人になってくれたら、うれしいですね。
前にサンカルロスへ行ったとき、そこにおられましたか?
あの小さな黒い目の赤ちゃんを抱いていた女性を覚えています。
その子を私にくれと言ったら、「だめ」と言われました。
とてもかわいい赤ちゃんでした。
あなたは長い間、体調を崩してきました。
最初は神経が乱れ、
不思議な感覚や疲れ、落ち着かない感じがありました。
その後、口に何かこみ上げるようになり、
胃が痛み始めました。
今は胃の病です。
そのとおりですね。
神経の乱れ、いわゆる更年期の変化から来た
胃の消化性潰瘍です。
手をください。
主イエスはあなたを愛しています。
あなたが健やかになるために、主は死なれました。
私は主のしもべとして、
真実を伝えるために遣わされています。
信じますか?
今、祈ります。
家に帰ったら、もう心配せずに食べられます。
全能の神よ、
この愛する女性にあわれみを。
彼女は真実な信仰を持ってここに立っています。
あなたは彼女の状態を幻の中で示されました。
天の父よ、
今、御名によって祝福を注いでください。
この病が去り、
彼女が健やかな女性となり、
あなたの栄光を証しする者となりますように。
イエス・キリストの御名によって、
この病に去るよう命じます。
アーメン。
神があなたを祝福します、姉妹。
安心して帰りなさい。
もう大丈夫です。
皆さん、ご一緒に。
「主をほめたたえよ。」
ああ、なんと素晴らしい。