1. 主の民を助け、導くために。
皆さんがここに集まっておられるのも、同じ目的だと私は確信しています。
神に近づくため、また病んでいる人、苦しんでいる人、疲れ果てている人が癒されるために、祈り、助け合うためです。
そして私たちは、昨夜あれほど多くの方々が癒されたと聞いて、本当にうれしく思いました。
集会の最後のあたりで、まるで大きな信仰の結びが起こったかのようでした。
今夜もそうであることを願っています。いや、できるならそれ以上に、多くの人が癒されますように。
ここ前の講壇から名前を呼んで祈ることができないまま癒される人も、たくさんいます。
けれど数日たって気づくでしょう。
あの軽い胃の不調が消えていることに。
心臓の悩みが、もうなくなっていることに。
それは、私たちの信仰の及ぶところまで、癒しが働くのです。
神を信じる信仰――それが、人々を癒すのです。
2. 少し遅くなりましたが――
できる限り多くの時間を、病んでいる方々のための祈りにあてたいと思っています。
日中は、ここにいる牧師たちが、信仰について、またどのように信仰を受け取るかについて語り、教えてくださいました。
私自身は、説教者ではありません。
私はただ……病人のために祈るために遣わされた者です。
一日中、祈りの中で時を過ごしています。
それをしなければ、夜の務めを果たすことができないのです。
断食し、祈り続けるということは、正直に言って、命を削るようなものです。
少し前に、ある人がこう言いました。
「ブラナム兄弟、あなたは一体、いつ休まれるのですか?」
私は、休んでいません。
けれど、もし真実に、忠実に生き続けるなら、
いつの日か、休みが与えられると信じています。
あちら側の川を渡るとき、
神が、そこで私を休ませてくださる場所を用意していてくださることを――
私は、そう願っています。
3. 私たちは、他の人のために生きなければなりません。
「互いの重荷を負い合いなさい。そうしてキリストの律法を全うしなさい。」
ですから、私たちは互いに対して、思いやる心を持たなければならないのです。
そして、自分にできることをすべてやり尽くしたなら――
夜、床に就くとき、
「自分は最善を尽くした」と知っている、その慰めを持って休むことができます。
私は、すべての人を信じさせることはできません。
それは不可能です。
イエス・キリストでさえ、地上におられたとき、そうすることはできませんでした。
信じる人は、ほんのわずかだということも、私は分かっています。
けれども、もし私が、福音のために何かを付け加えることができるなら――
誰かをこの道の途中で助けることができるなら――
それが、私がここにいる務めなのです。
4. 霊が落ち着くために――
そのために、少しだけです。
皆さんも、ここにいる人々の間に流れているこの雰囲気を、感じておられると思います。
確か、このテントは四千人ほど座れると聞いていますが、
今夜は、およそ三千五百人が、このテントの中に集まっています。
ということは、
ここには三千五百の魂があり、
三千五百の霊があるということです。
皆さんがこちらを見ておられる中で――
そして、今の私の状態では……
それを、はっきり感じるのです。
皆さんにも分かるでしょう。
非常に大きな引きがあります。
多くの人が、信仰を持っておられます。
時々、私は、ずっと後ろの席、私から遠く離れた方々とつながろうとします。
けれども、そこには――
何と言えばいいでしょうか……
私はそれを「交差する引き」と呼びたいのです。
こちら側も信じている。
あちら側も信じている。
この人が引き、あの人が引く。
あまりにも多くの信仰が集まっていて、
どこを見分けてよいのか、分からなくなるほどなのです。
5. このように、病んでいる方、苦しんでいる方々を、できるだけ私の周りに集めてほしいと。
そうすれば、余計な干渉を受けずに済みますから。
夜になると、人々が講壇を離れていくのを見て、
「なぜだろう」と不思議に思う方もおられるでしょう。
それは、あちらからも、こちらからも――
両方から来るからです。(分かりますか?)
とても難しいのです。
どこから来ているのか、見分けがつかないのです。
ですから、その一人を特定しなければなりません。
ほんのしばらく、その流れを見つめるか、
あるいは、その霊的な動きと近くで接触すると――
たいていの場合、そこから幻が現れ、
その人に何が起きているのかを告げるのです。
私は、誰が何の病を持っているのかを、もともと知っているわけではありません。
私はただ……
6. 私は自分の考えで何かをしようとはしません。
ただ、それが語り出し、何が問題なのかを告げるのです。
時々、座って見ていると、
何かが見えることがあります……
誰かが、ずっと私の前に立っているように感じるのです。
そのとき私は、あたりを見回して、
それがどこから来ているのかを探します。
そして――見つけるのです。
その人を見つけたとき、私は、それがどこにあるのかを知ります。
今も、私は一人の方を探しています。
今日の午後に、見た方です。
けれど、まだどこにおられるのか分かりません。
まだ見つけていないのです。
でも、しばらくしたら、
この会衆の中で、その方がどこにおられるのか分かるでしょう。
それは決して外れません。
必ず、ここにおられるのですから。
それは――
心臓に問題を抱えた、小さな赤ちゃんを抱いている女性です。
私は……必ず見つけます。
その方は、この場の中におられるのです。
7. だから私は、時々その人を探し回るのです。
そして――その人を見つけたとき、私は分かります。
「ああ、この人だ」と。
集会の最中でも、誰かが立ち上がるのを見ることがあります。
すると……その幻が、私の前に立つのです。
私は、その人がどこにいるのかを探し、
その人の振る舞いを見て、
そして、見ているとおりのことを、そのまま語るのです。
その人が私の前に立つときも、同じです。
たとえば、ここに座っているこの紳士――
茶色の……コートか、ジャケットを着ておられる方のように。
もしこの方が講壇に来られて、
私が一度もお会いしたことがなかったとしても、
私は、まるで普通に話しているかのように、その方に語ります。
私は、その方がどこに座っていたかを見ていますし、
その近くに、黄色い服を着た女性が座っているのも見えています。
そういうふうに、見えているままを語るのです。
まさに、今こうして話しているように。
しかし、不信や高ぶった霊があると、
それが妨げになります。
クリスチャンの友よ、
あなたは、これを信じたくないかもしれません。
けれど、これは真実です。
そして、これは新しいものではありません。
時代を通して続いてきた福音なのです。
イエス・キリストも、ヤイロの娘をよみがえらせるとき、
家から人々をすべて外に出されました。
何度も、そのようにされました。
あるときには、一人の人の手を取って、
群衆から離れ、町の外へ連れ出し、
静かな場所で語られました。
また、井戸のそばで、サマリヤの女と語られたときも、
弟子たちを去らせました。
主は、彼女が来ることをご存じで、語り始められたのです。
そして――
彼女と接触し、語り合ったあと、
主は、まっすぐ核心に入って行かれました……
8. 特に、講壇の上ではそうです。
まず最初にしなければならないのは、その人の魂との接触を得ることなのです。
そして、ひとたびそれがあなたに向かって振動し始めると、
聖霊の力が、その人の人生を通して、はっきりと識別し始めます。
すると、その全体像が、まるで絵のように、あなたの前に現れるのです。
ここで、こう思う方もいるでしょう。
「それは心理学ではないか」と。
もしそれが心理学だというなら、
パウロも、それを用いました。
彼は、ある人を見て、こう言いました。
「あなたには癒されるための信仰があると分かります。立ち上がりなさい。」
ある意味では、それは心理学とも言えるでしょう。
けれど、それはキリスト者のうちに働く、キリストの思いなのです。
私たちの思いでも、私たちの心理でもありません。
キリストの力、キリストの御心です。
「キリストの思いを、あなたがたのうちに持ちなさい。」
分かりますか。
それが働くとき――
人が知るのではなく、キリストご自身が知っておられるのです。
ここは、「識別」と「人間の力ではない」という点が、とてもはっきりしていますね。
続きも、そのまま行きますか?
9. できれば、九時前には祈りに入りたいのです。
そして、いつも言っていますが――
御言葉を読むことなしに、集会は完成しません。
昼も夜も、祈りたいと思っていて、
どうしても全部の方に手が届かないことがありますが……
ここに、一人の兄弟がいます。
彼は、いつも私の様子を見ていてくれています。
私は自分では分からないのですが、
彼は、最初の弱りが現れるのを見ると、
私を講壇から連れて下ろしに来ます。
でも、そのことで、この兄弟を責めないでください。
分かりますか。
彼は、ただ私を守ろうとしているだけなのです。
私は、あるところまでしか立っていられません。
そして、その時が来ると、
力が一気に抜けてしまうのです。
こんなことを言うのは好きではありませんが、
真実は、真実です。
命が、そのまま抜けていくような感じになるのです。
なぜなら――
それは、人間の働きではないからです。
人とは別の方の注ぎ、
その方が働かれるのであって、
私が働いているのではありません。
10. ……リンゼー兄弟、どうですか?
ああ、失礼しました。
リンゼー兄弟は、まだその写真をお持ちではないそうです。
でも、もしかしたら、明日の夜に持って来て、皆さんにお見せできるかもしれません。
見てみたい方は、どれくらいおられますか?……
リンゼー兄弟が、その写真についてのいきさつを話してくれるでしょう。
それは、ある論争の場でのことでした。
ただ、はっきり言っておきますが、
私は、議論はしません。
誰とも言い争いません。
もし神が、私の言っていることを証明してくださらないなら、
それは間違いです。
けれど、もし神が「それは正しい」と言われるなら、それでいいのです。
私は、議論したり、言い争ったり、
ああだこうだと揉めることを信じていません。
人はそれぞれ、自分の意見を持てばよいのです。
神が、私たち一人一人を裁かれます。
11. 「神の癒しが、今日のための教えとして聖書にあるのかどうか」
その聖書的根拠について、私に異議を唱えてきたことがありました。
けれど、私は……
それについて、何も言うことはありませんでした。
そして、そのとき――
人々は私を部屋に留めていました。
一人でいなければならなかったからです。
一日中、祈る必要があったのです。
もしそうしなければ、
私は幻を見ませんし、
何が起こるのかも分からないのです。
その日も、私は祈りの中にいました。
記者たち――新聞記者や雑誌の記者たちが来ていましたが、
私は彼らとは話しません。
私のマネージャーが、記者対応をします。
記者の方々に、何か悪意があるわけではありません。
ただ――
もし神の民に仕えるなら、
私は神と共に過ごさなければならないのです。
12. 「自分のために祈ってほしい」とお願いする立場だったなら――
病んでいるときには、
あなたが誠実に、最善を尽くして祈ってくれることを、私は望むでしょう。
ですから、
「自分にしてほしいと思うことを、他の人にもそのようにしなさい。」
そのとおりなのです。
それで――
ボスワース氏、ボスワース博士……
ここにおられる方のほとんどは、彼をご存じでしょう。
ボスワース兄弟を知っている方は、どれくらいおられますか?
ええ、そうですね。
彼は本当に、愛すべき年配のクリスチャンです。
この集会のマネージャーの一人でした。
とても穏やかで、福音に忠実で、
できる限り正しい歩みをする人でした。
私は、心から彼を愛しています。
その当時、
F・F・ボスワース兄弟は、
ヒューストンでの集会のマネージャーを務めていました。
私たちは、あの大きなコロシアムにいました。
ちょうど、テキサス建国百年祭が開かれる予定の場所です。
そこを使えるのは、ほんの数晩だけでしたが――
13. ドクター・ベストが、私に挑戦してきました。
新聞にまで出して、
「もし彼が私と討論しに来ないなら、
自分の信じていることを弁護するのが怖いのだ」
そう書いたのです。
そして、「本当は自分でも信じていないのだ」と言わんばかりでした。
けれど、それはただ、
サタンが私を揺さぶろうとしていただけです。
ですから私は、彼と議論するつもりはありませんでした。
ところが彼は、次の日も新聞に書き立てました。
「見なさい。あれが彼らの正体だ。
ペンテコステの人たちや“ホーリーローラー”たちは、
自分たちの言っていることを証明できないのだ」と。
それを見て、
ボスワース兄弟――もう七十三歳でしたが――
さすがに、黙ってはいられませんでした。
「ブラナム兄弟、私に行かせてください」と言ったのです。
ベスト氏は、三十歳ほどの若い人でした。
私は言いました。
「ボスワース兄弟、議論しないという条件なら、行ってもいい。」
彼は言いました。
「議論はしません。」
こうして討論会が開かれ、
新聞は大きな見出しで取り上げました。
ここで、私がホーリネスの人たち、
あるいはフル・ゴスペルの人たちについて思うことを言います。
教会の中では、
洗礼のことや、教えの細かな点で、
意見の違いがあるかもしれません。
けれど、本当の勝負どころになると、
彼らは心を一つにするのです。
そのときには――一つになります。
いつの日か、この古い区切りは取り払われ、
私たちは本当に一つになるでしょう。
神が、その日を早く与えてくださいますように。
神の国に生まれ変わった者は、
みな兄弟姉妹です。
家族の中で、兄弟同士が口げんかをするように、
時には言い争うこともあるでしょう。
しかし、生まれ変わっているなら、
私たちは皆、神の子どもなのです。
14. 飛行機や列車などで、何百マイルも離れた所から、
次々に集まって来ました。
新聞に「私が討論に出る」と載ったのを見て、
特別に来たのです。
そして、その夜……
ベスト氏は、写真家を一人雇っていました。
アメリカ写真家協会の会員だと言っていました。
彼はこう言ったのです。
「この老人を福音で打ち負かしているところを、
私の写真を六枚撮ってくれ」と。
それで、その写真家が来ました。
私は心の中で思いました。
これは、さぞかし大変な仕事になるだろう、と。
というのも、F・F・ボスワース兄弟は、
本当に静かで穏やかな人だったからです。
ボスワース兄弟が講壇に立つと、
一方のベスト氏は、声を荒げ、勢いよくまくしたてていました。
そこで、こんな質問が投げかけられました。
「今の態度は、バプテスト教会全体の立場なのですか。
それとも、ベスト氏個人の考えなのですか?」
実は、私はバプテストのゆりかごで育てられました。
ですから、バプテストが神の癒しを信じていることを、私は知っています。
それが教会全体の立場ではないことは、最初から分かっていました。
結局、彼自身も認めざるを得ませんでした。
それは――
教会の立場ではなく、彼個人の態度だったのです。
15. あの大きな会場は、ぎっしりと埋め尽くされました。
そして私は――
三階席に上がりました。
最初は行くつもりはなかったのですが、
そのときになって、行こうと思ったのです。
私は、三階バルコニーに立っていました。
すると、F・F・ボスワース兄弟が、こう言いました。
「私は、ベスト氏に、ただ一つだけ質問します。
エホバの贖いの御名は、キリストに適用されているのですか?
それに答えていただければ、それで十分です。」
キリストは、エホバ・ラファでした。
エホバ・マナセでした。
もしそうでないなら、
私たちは、別の救い主を探さなければならなくなります。
――それで、すべてが決着しました。
16. 会場の人々は笑い始め、拍手が起こり、
彼はそこに立って、何か少し説教のようなことをしようとしましたが……
それすら、うまくできませんでした。
完全に混乱して、身動きが取れなくなっていたのです。
一方で、気の毒なくらいですが、
年老いたボスワース兄弟は、その夜、本当に見事でした。
終始とても落ち着いて、
ただそこに立ち、彼を見ているだけでした。
そして最後に、少しやり取りがありました。
ベスト氏は、しきりにこう言い続けたのです。
「その奇跡を行う人を見せてくれ。」
するとボスワース兄弟は言いました。
「ブラナム兄弟は、自分を奇跡を行う者だとは主張していません。」
それでも彼は言いました。
「前に出て、何かやってもらいたい。」
ボスワース兄弟は答えました。
「彼は人前で見せ物のようなことはしません。
彼は、祈ることに時間を使っているのです。」
それでも彼は、
「それでも、会ってみたい」と、
しつこく言い続けていました。
17. 「彼は、この建物の中にいます。
もし前に出たいと思うなら、それで構いません。」
そのとき私は、
兄弟と一緒に、
私を案内していた四人の警備の人たち、
そして妻と赤ちゃんと共に、上の席に座っていました。
その瞬間――
何かが、私の上に降りて来るのを感じたのです。
私は立ち上がり、
講壇へ向かって歩き始めました。
講壇に着くと、私はこう言いました。
「私は、直接に、あるいは間接に、
何百万という人々に福音を語ってきました。
文書は世界中を巡り、
ラジオや実際の集会で、
何千人もの前で語ってきました。
しかし、私は一度たりとも、自分を“神の癒し手”だと呼んだことはありません。」
私は続けました。
「神の癒しを説くからといって、
それで神の癒し手になるわけではありません。
それは、救いを説いたからといって、
その人が“救い主”になるわけではないのと同じです。
もし、救いを説くことが救い主になることなら、
神の癒しを説くことは、癒し手になるということになります。
しかし、そうではありません。」
「私は、そのような主張はしていません。
私は、ただ語るだけです。
そして、もし私の語ることが真実であるなら、
神が、それを真実だと証明されます。
神は、真実を必ず裏づけられます。
けれど、もし私が偽りを語るなら、
神は、偽りを決して尊ばれません。
神は、いつも真実を尊ばれるのです。」
「私は、真実を語っています。
そして、神は、その真実をご存じです。」
――そのときでした。
聖霊の栄光が、場に降りて来たのは。
18. そこに立っていた写真家が、写真を一枚撮ったのです。
あとでそれを見たとき、
彼は、心臓発作を起こすかと思うほど驚きました。
このことは、集会の中で何度も起きています。
まるで大きな火の渦が動くように現れるのです。
少し前のことですが、
私は八月に、ジェファーソンビルのスプリング・ストリートの川辺で、
洗礼を授けていました。
何千人もの人々が立って見守っていました。
そのとき――
空から、それが降りて来たのです。
およそ一万人の人々の前で、はっきりと見える形で。
それは、私が立っている場所まで降りて来ました。
その中から、声が響いていました。
川岸では、何百人もの人が気を失いました。
新聞は大きく報じました。
「洗礼中の牧師の上に、神秘的な星が現れる」。
また、ある晩、建物の中で語っていたときのことです。
下に三千人ほど、上の席にも二千人ほどが座っていました。
私は、最初の一人として、
小さな男の子のために祈り始めました。
その子は足が不自由で、
ポリオのために、両足がこのように縮こまっていました。
私は、その小さな子を腕に抱き、祈っていました。
すると、
光が、私の顔の前で急に明るくなったのです。
私は心の中で、こう思いました。
「管理の人が、照明をつけたのだろう。」
そこは催し物をする場所でもありましたから、
「まあ、仕方ないか」と思いました。
けれど同時に、
「祈っている最中に、
人の顔に光を当てるなんて、
紳士的でもなければ、
クリスチャンらしくもないな」と思ったのです。
それでも、私は祈り続けました。
すると、
光は、ますます明るくなっていきました。
会衆は皆、頭を下げ、深い静けさの中にありました。
私は顔を上げました。
すると――
それが、部屋の中をふわりと降りて来たのです。
明けの明星が、
私のいる場所へ、まっすぐに。
私は、その小さな子を抱いていました。
それは、
ちょうど私のいるところまで降りて来て、
そこに留まったのです。
19. ただ、床に触れたその瞬間――
あの子の、こう曲がっていた小さな足が、
まっすぐに伸びたのです。
前の席に座っていた母親は、顔を上げ、
叫び声を上げて、
そのまま気を失い、床に倒れました。
すると、その小さな男の子は、
講壇から飛び降り、
母親を呼びながら、走り出したのです。
そのすぐそばで、
ナザレン教会の若い女性が、
ベビー・グランドピアノを弾いていました。
ナザレンの人たちは、少し感情表現が豊かですね。
ここにナザレンの方はおられますか?
……いますね。
いいことです。
時々、叫べるくらいの信仰は、ちゃんと持っていますから。
その女性は、
金髪の、とても感じのよい若い方で、
ピアノを弾いていました。
ところが、それを目にした瞬間、
両手を高く上げ、
顔が真っ白になり、
親しい知人だったこともあって、
大声で叫びながら、
ピアノの前から走り去ってしまいました。
彼女が弾いていたのは、
The Great Physician Now Is Near
――皆さんも聞いたことがあるでしょう。
すると、その場で、
およそ五千人の人々の前で、
象牙の鍵盤が、ひとりでに動き続けたのです。
The great Physician now is near,
The sympathizing Jesus,
He speaks to drooping hearts to cheer,
No other name but Jesus.
一節や二節ではありません。
最初から最後まで、すべてが、
誰にも触れられずに演奏され続けました。
その瞬間、
何百人もの人々が、
泣き叫びながら、
ハンカチを握りしめ、
次々と祭壇へ押し寄せました。
「神よ、罪人の私をあわれんでください!」
20. そして、その夜――
それの写真が撮られたのです。
多くの人は、
「あれは心理的なものだ」と言いました。
しかし、その写真を撮った人物は、
テッド・キッパーマンという名の、正統派ユダヤ人でした。
また、その場に、
ミスター・エアーズというローマ・カトリックの人物もいました。
彼は、そこに立って、嘲笑していたのです。
前日には新聞に記事を書き、
私を「催眠術師だ」と言い、
あらゆる侮辱的な言葉を並べ立てていました。
ところが、その人物は――
本当に、心臓発作を起こすかと思うほど、
打ちのめされました。
彼は、ライス・ホテルに入ろうとしましたが、
私が滞在していた場所には、入れてもらえませんでした。
翌朝、その写真は、
著作権登録のために、
ワシントンD.C.へ空輸されました。
公表される前に、
FBIの検査を受けなければならなかったからです。
そして調査には、
全米で最高とされる専門家、
ジョージ・J・レイシーが呼ばれました。
彼は、その写真を二、三日間保管し、
修正や加工、
あるいは何か不正な点がないかを、
徹底的に調べました。
もし少しでも手が加えられていれば――
その写真は……
21. 彼はこう言いました。
「完全に正当です。この光は、確かにそこにあり、写真に写り込んでいます。」
そして、その写真一枚一枚について、
詳しい公式の報告書を書き添えました。
――そこに、それははっきりと写っているのです。
それから、人々は私にこう尋ねました。
「これを売りたいですか?」
私は答えました。
「いいえ、結構です。
もしイエス・キリスト、神の御子が、
私のそばに立ち、
ご自身の写真を撮らせるほどに思ってくださったのなら、
私は、その方を売り物にすることはできません。」
分かりますか。
それで私は、その写真をスタジオに委ね、
あとは彼らの判断に任せました。
すると彼らは、
「何らかの形で費用を回収しなければならない」と言いました。
そこで私は条件を出しました。
誰でも――貧しい人でも、
望むなら手に取れるような形で出すこと。
それが、私の願いでした。
22. 「人類の歴史の中で、超自然的な存在が写真に撮られたのは、これが初めてだ。」
人々は、
「聖人のまわりに光が描かれている絵は、
画家が後から描き足したものだ」
と、よく言ってきました。
不信仰な人たちは、そう言うのです。
しかし彼は言いました。
「それは、確かにそこに存在していたに違いない。
なぜなら、カメラの光学レンズ、機械のレンズは、
心理的なものを写すことはできないからだ。
それは――そこにあったのだ。」
私は今夜、心から感謝しています。
あの同じ火の柱、
あの雲――
それが何であれ、
今もなお、同じであることを知っているからです。
まもなく、その写真を皆さんにもお見せできるでしょう。
もしかすると、
この集会のために、何枚か持って来られるかもしれません。
もしそうなれば、
どうぞ、自由にご覧ください。
そして私は、
この偉大な神の教会の一員として、
皆さんと共に数えられていることを、
本当に感謝しています。
この教会は、
完全な福音のために立ち、
義のために立ち、
この終わりの時代における聖霊の力のために立っています。
私は、皆さんに感謝しています。
そして、神が私に、
皆さんと共に数えられ、
あなたがたの兄弟と呼ばれる機会を与えてくださったことに、
心から感謝しています。
そうです。
あなたと私は、兄弟姉妹なのです。
23. 本当に多くのことが起こりました。
あまりにも多くて、
この建物の中で語り尽くすことができないほどです。
偉大な奇跡や出来事が、数え切れないほどありました。
これから集会が終わるまでの間、
毎晩、少しずつ御言葉を読み、
皆さんに何かをお伝えしたいと思っています。
さて、今は――
病んでいる方々のために祈る時間です。
残り、およそ四十五分ほど、集会の時間があります。
今夜、祈祷カードを持っている方すべてに手が届かないかもしれません。
今、ここには、百人ほどの方が
祈祷カードを持っておられると思います。
もし今夜、あまり多くの方に祈れなかったとしても、
明日の夜、あるいは明日の午後には、
リンゼー兄弟とホール兄弟が、
まだカードを持っている方々のために祈ります。
ですから、
明日の午後の集会にも、ぜひお越しください。
この兄弟たちの語る言葉を聞いてください。
彼らは、
どのようにキリストを受け取るかについて、
はっきりと教えてくれます。
ここで起こることは、
ただ解放される、ということです。
神の賜物が、あなたからそれを追い出すのです。
けれど、
それを受け取り、保ち続けるためには、
信じる信仰が必要です。
ただ信じて、それを持ち続けなければなりません。
24. 自分の手さえ前に出しても見えない人たちが、
講壇に来るのを見てきました。
ところが、五分もしないうちに、
この同じ聖書を手に取り、
一章を読み上げるのです。
けれど、三日、四日たって、
また元どおり、最初と同じように
完全に目が見えなくなって戻って来る人もいます。
なぜでしょうか。
不信仰な人たちの中に出て行き、
信仰から離れ、
サタンに入り込む余地を与えてしまうのです。
ここで賜物のもとで読めたなら、
外に出ても、どこでも読めるはずです。
神は、全地を覆っておられるのですから。
ただ、神を信じ続けなさい。
「それは不思議だ」と言う人もいるでしょう。
いいえ、そうではありません、福音の説教者よ。
私は、今、少し反発を感じました。
覚えておいてください。
霊的なものは、霊によって識別されるのです。
ある人は、今夜ここで、
聖霊のバプテスマを受け、
真のクリスチャンになることができます。
明日も、立派なクリスチャンでしょう。
けれど、一週間後には、
酒場で酔いつぶれているかもしれません。
そうではありませんか。
それは、神への信仰を失い、
元に戻ってしまったからです。
癒しも、まったく同じことなのです。
25. 私が、ここで人々が解放される、
あるいは何が問題なのか、
なぜそれを受け取れないのかが語られる、と言うのは、
神が私に語られたことが真実だと信じているからです。
そして、これまでの年月、
神はずっとその言葉を裏づけてこられました。
今も、そうされると私は知っています。
なぜなら、私はそれを信じているからです。
心を尽くし、
魂を尽くし、
からだを尽くし、
思いを尽くして――
ただ信じなさい。
そして、あなたも信じなさい。
もし今夜、祈祷ラインであなたの番号が呼ばれ、
神があなたの心を示し、
語りかけ、
ここで解放を与えてくださったなら――
証しは、ただ一つだけにしなさい。
「神が癒してくださった」、それだけです。
もし一度でも、
反対側――否定的な側に証しをしてしまえば、
それは、前よりも悪い状態で戻って来ます。
必ずです。
ですから、覚えておいてください。
その条件で受け取れないなら、最初から来ないでください。
来ない方がよいのです。
なぜなら、
ここでそれを指摘されること自体が、
皆の前で、つらいことになるからです。
ですから、来ないでください。
聖書にはこうあります。
「行って、もう罪を犯してはならない。
さもないと、さらに悪いことが起こる。」
分かりますか。
――行って、もう罪を犯してはならない。
26. 最初の罪は、エバによって犯されました。
なぜなら、彼女が神の御言葉を信じなかったからです。
そのとおりでしょう。
今夜、すべての問題は、ここにあります。
――神の御言葉を信じないことです。
ここに書かれているとおりに、神の御言葉を信じるなら、
ほかに何も必要ありません。
けれど、人々の信仰を励ますために、
神は賜物を与えられます。
それらは、御言葉を大きくし、
御言葉について証しするためのものです。
ですから、もし、
どんな賜物であれ、
どんな御使いであれ、
神の御言葉に従って語らないなら、
それは正しい御使いではありません。
そのとおりです。
それは、正しいものではありません。
しかし、
イエス・キリストについて証しし、
聖書に従って語るなら、
それは神からのものです。
それが、
ヨハネの第一の手紙
に書かれていることです。
27. マルコの福音書5章、あるいは――失礼、
ルカの福音書5章です。
そのあと祈りに入り、祈祷ラインを始めます。
さて、群衆が神の言葉を聞こうとして、
イエスに押し迫って来たときのことです。
(ああ、あなたもその場にいたかったと思いませんか。)
イエスは、湖のほとりに立っておられました。
そして、湖畔に二艘の舟があるのをご覧になりました。
漁師たちは舟から降り、
網を洗っていました。
イエスは、そのうちの一艘――
シモンの舟に乗り込み、
岸から少し漕ぎ出すように頼まれました。
そして舟に座り、
そこから群衆に教えられました。
話し終えると、
イエスはシモンに言われました。
「深みに漕ぎ出し、網を下ろして漁をしなさい。」
するとシモンは答えて言いました。
「先生、私たちは一晩中働きましたが、
何も獲れませんでした。
しかし、お言葉ですから、網を下ろしてみましょう。」
神が、この御言葉に祝福を加えてくださいますように。
28. 主は、癒し、そして語っておられました。
私は、主にお会いできたらどんなによかっただろうと思います。
あなたも、そう思いませんか。
主は歩いておられました――
悲しみの人、病を知っている方。
聖書には、
「私たちが慕うような美しさはなく、
姿においても望ましいものはなかった」
と書かれています。
おそらく、背も高くなく、
繊細に見える方だったのでしょう。
当時「美しい人」と言えば、
肩幅が広く、がっしりした体格の人でした。
けれど、主には、
人が見て慕うような外見の美しさはありませんでした。
しかし――
ああ、その内にあったものは、何だったでしょうか。
主は、湖畔へ下って行き、そこで語られました。
すると、人々は皆、
その言葉を聞こうとして集まって来ました。
私は、こんな光景を思い描きます。
一晩中、網を引き、
何も獲れずに疲れ切ったペテロが、
切り株のようなものに腰を下ろし、
がっかりしながら言うのです。
「まあ、あの人が何を言うのか、聞いてみよう。」
けれど――
主が語り始めたとき、
何かが違っていました。
主は、
どの人とも違う語り方をされたのです。
29. 主が、少しずつ、少しずつ、前へ進んで来られる。
群衆はますます増え、
やがて主は舟に乗り、岸から少し漕ぎ出されました。
主は、シモンの舟を借りられたのです。
語り終えると、主はシモンに言われました。
「さあ、深みに漕ぎ出し、網を下ろして漁をしなさい。」
主は、あなたから何かを借りるとき、
必ず百倍にして返してくださるお方です。
そうではありませんか。
だから今夜、
あなたの信仰を、主にお渡しなさい。
かつて、小さな男の子が、
魚を手にして主のもとに来ました。
そこには、五千人、いやそれ以上の人が立っていました。
その子が持っていたのは、ほんのわずかな魚でした。
手の中にあるものは、取るに足りないものでした。
けれど――
それが主の御手に置かれたとき、どうなったでしょうか。
それは、五千人を養ったのです。
主の御手の中で。
ですから今夜、
あなたが持っているほんのわずかなものを、
主の御手にお渡しなさい。
そして――
深みに漕ぎ出し、網を下ろしなさい。
(イエス・キリスト)
30. 「主よ、私たちは一晩中働きましたが、何も獲れませんでした。」
――それは、本当に落胆する状況です。
彼らは漁師でした。
勘でやっていたのではありません。
海のことも、月の具合も、
魚がどこにいるかも知っていました。
彼らは、そのガリラヤの海で育った者たちです。
同じ水域で、一晩中骨折って、
それでも一匹も獲れなかったのです。
けれど、彼はこう言いました。
「主よ、しかし、お言葉ですから、網を下ろしてみましょう。」
――そこに、秘訣があります。
あなたも、
国中のあらゆる医師のもとを回ったかもしれません。
祈祷ラインにも出たかもしれません。
牧師に祈ってもらい、
献身的なクリスチャンたちにも祈ってもらったかもしれません。
できることは、すべてやった、というところまで来ているかもしれません。
でも今夜、こう言いなさい。
「主よ、お言葉ですから、今ここで網を下ろします。
もう何かを試すのはやめます。
今、この瞬間、ただあなたを信じ、
あなたのお言葉をそのまま受け取ります。
私は、今、網を下ろします。」
そうすれば、
間もなく、引きが感じられるでしょう。
網はいっぱいになります。
喜び、救い、癒し、
そして神からの祝福で。
(イエス・キリスト)
31. 私が探していた方です。
チェック柄の服を着て、ここに座っておられるご婦人です。
あなたの赤ちゃんは、心臓に問題がありますね。
――そこで泣いておられるあなたです。
もしそれが事実なら、手を挙げてください。
もし違っていれば、手を挙げてください。
……はい。
そのとおりですね。
もう、恐れないでください。
あなたの赤ちゃんは、今、大丈夫になります。
――ほら、見てください。
私は、たまたま振り向いただけです。
すると、何かが強く私を引きました。
姉妹、
あなたは、たった今、祈っておられましたね。
そうでしょう。
……そして、そちらに座っておられる方、
あなたは、その子のお父さんですね?
はい、そうです。
あなたは、ここから遠い所から来られたのですね。
違いますか。
そして、また帰らなければならない――
そのとおりですね。
さあ、今、赤ちゃんを抱いて、
もう心配しないでください。
たった今、叫びのように出たのが、それだったのです。
その小さな赤ちゃんは、もう大丈夫です。
恐れることはありません。
神が、あなたの祈りに答えられました。
イエス・キリストが、そうされたのです。
神が、あなたを祝福されますように。
32. 私は、そのご婦人がチェック柄の服を着ているのを分かっていました。
それで、ずっとこのあたりに座っているご婦人を見ていたのですが、
赤ちゃんが見えなかったのです。
けれど、そのご婦人は、
小さな赤ちゃんを腕に抱いているはずでした。
こんなふうに――
小さくて、
頭がつるっとしたような、
まだ髪の少ない赤ちゃんです。
それで私は、
「赤ちゃんはどこだろう」と思って、
赤ちゃんを探していました。
少し前に、
向こうの方で赤ちゃんが泣いて、
お母さんが抱き上げて、外へ出て行くのが見えました。
私は、よく見ましたが、
その赤ちゃんではありませんでした。
でも、私は分かっていました。
ここにいる、ということを。
大丈夫です。
ただ祈りなさい。
神が語ってくださいます。
そして、
神が私に、あなたに何を伝えるべきかを教えてくださいます。
33. 父なる神よ。
あなたは、なんと優しく、愛とあわれみに満ちておられることでしょう。
あなたがここにおられ、
私たち一人一人を愛しておられることを、私は知っています。
神は、実にそのひとり子をお与えになったほどに、世を愛されました。
それは、御子を信じる者が、
一人として滅びることなく、
永遠のいのちを持つためです。
ああ、あなたが、
荒野にあったあの岩であることは、なんと真実でしょう。
モーセが岩を打つと、
死にかけ、滅びかけていた民のために、
水がほとばしり出ました。
その荒野の岩と同じように、
今日、私たちにも――
すでに打たれた岩があるのです。
救いの水が、
罪を愛し、滅びつつある人々のために、
今も、ほとばしり出ています。
「すべて、疲れた者、重荷を負う者は、わたしのもとに来なさい。」
「地の果てのすべての者よ、わたしのもとに来て、飲みなさい。
満たされなさい。」
34. 私たちがまだ異邦人で、
神から遠く離れ、
あわれみもなく切り離され、
本性において罪人であり、
キリストなき墓、神なき永遠へと向かっていたその時に――
あなたは、私たちを愛してくださいました。
そして、キリストは、私たちの罪のために、私たちに代わって死なれました。
今や、私たちの罪を携えて、
罪のいけにえとして神の御前に進み、
私たちの代わりに、
その身をささげてくださいました。
その魂は、よみに置かれました。
しかし、
聖なる方が朽ち果てることはあり得なかったのです。
神は、三日目によみがえらせてくださいました。
ああ、今夜、主は大祭司として、
御座に着いておられ、
私たちのために、とりなしをしておられます。
ご自身の血をもって、
主は、神の御前に入られました。
今は、
私たちが何になるのか、まだ明らかではありません。
けれど、
主が現れるとき、私たちは主と同じ姿になることを知っています。
主を、あるがままに見るからです。
主よ、それは近いと信じます。
来てください、主イエスよ。
今夜、
あなたの民の上に、
優しい愛とあわれみをもって動いてください。
病んでいる者、必要を抱える者、
すべてを癒してください。
高ぶった心を砕いてください。
「涙をもって種まく者は、喜びをもって刈り取る。
尊い束を携え、必ず帰って来る。」
私たちを、あなたの御心のままに、
形づくり、造り変えてください。
まだ救われていないすべての人々を祝福し、
今夜、御言葉によって、
あるいは神の御霊によって、
自分の誤りを悟らせ、
へりくだってあなたのもとに来させ、
心をあなたにお献げすることができますように。
すべての病人が癒されますように。
私たちは、
あなたの愛する御子、イエス・キリストの御名によって
これをお願いいたします。
アーメン。
35. はい、分かりました。
Aのカードですね。
1番から100番まで。
……昨夜は、どこまで行きましたか?
15番?
1番から15番でしたね。
では、今夜は
85番から100番までにしましょう。
36. 祈祷ラインが整う間に、
今ちょうど手に入ったこの写真をお見せしたいと思います。
これは、ブラナム兄弟が先ほど話しておられた、
頭上に超自然的な光が写っている写真です。
この写真が撮られた直後、
私はすぐに手配をして、
ネガを疑問文書鑑定官である
ジョージ・レイシー氏
(テキサス州ヒューストン)に持ち込みました。
私は彼にこう尋ねました。
「あなたは、科学のあらゆる手段をお持ちですね。
このネガに、偽造があるかどうか分かりますか?
重ね焼きはありませんか?
二重露光はありませんか?
フィルムが、何らかの方法で“加工”されていないか、分かりますか?」
彼は答えました。
「完全に分かります。」
そこで彼は、そのネガを引き取りました。
彼はその分野の専門家であり、
相当な費用もかかりましたが、
研究室で何時間もかけて徹底的に調べました。
そして――
自らの署名を添えて、
そのネガが
完全に、絶対に、本物である
と宣言したのです。
ここで、もう一言付け加えさせてください。
この写真は、敵対的だった写真家によって撮られました。
彼は、集会に反対する発言をしていた人物で、
そのことは新聞にも載っていました。
しかし、彼自身も、
誰よりも驚いた一人だったのです。
彼らは正統派ユダヤ人でした。
ですから私は、
これを単なる出来事ではなく、
確認であり、裏づけであると受け取っています。
そしてブラナム兄弟自身も、
これを「自分が超自然的である証明」だとは考えていません。
これは、
世界の人々に神の癒しをもたらすという、
彼の奉仕とメッセージの確認
なのです。
友よ、
私は聖書は真実だと信じています。
ですから今夜、
ブラナム兄弟が奉仕されるとき、
私たち皆が神の御霊のうちにあって、
今夜ここに超自然的な御業があることを悟りましょう。
それは、
人々を癒すだけでなく、
魂を癒し、
人々をイエス・キリストのもとへ導くためです。
では今、
あのコーラスを歌いましょう。
「Only Believe(ただ信じよ)」
ただ信じよ ただ信じよ
すべては可能 ただ信じよ
ただ信じよ ただ信じよ
すべては可能 ただ信じよ
どうぞ、お掛けください。
37. それが、その背景です。
そうしてくだされば、ありがたいです。
さあ、皆さん、静まりましょう。
ここで、はっきり言っておきたいことがあります。
今から言うこの言葉について――
私は、これらの集会のことで、責任を逃れるつもりはありません。
外にいる方々にも、これが伝わることを願っています。
友よ、
私は狂信者ではありません。
もし今夜、私が死んだとしても、
私が語ってきたことは、真理として証しされてきました。
あの写真は、その一つを決定的に封印するものです。
神が、
私が語ってきたことが真実であると、立証しておられるのです。
分かりますか。
それは、私ではありません。主ご自身です。
皆さん、ここで見えましたか?
皆さん全員、見えましたか?
リンゼー兄弟、
あとで書籍テーブルに戻しておいてください。
皆さんが、よく見られるように。
それから、
写真のコピーを用意できるかどうかも、手配しましょう。
少し前のことですが、
ある病院に入院していた女性が、
その写真を机の上に置いていました。
彼女は、私を見ていたのではありません。
主の御使いを――
この、光輪のような姿で見ていたのです。
すると彼女は言いました。
「その写真が動き始め、
そこから抜け出るようにして、
自分の上に留まった」と。
彼女は起き上がり、
癒されて家に帰りました。
ですから――
それは……
それは私ではありません。
主なのです。
私はただ、
事実と真理だけを語っています。
38. 懐疑的な人、不信仰な人、
頭を下げるよう求められても従わない人について、
私は責任を負いません。
私がそう言ったのを、
皆さんご存じですね?
分かる方、手を挙げてください。
……ありがとうございます。
では、皆さんが証人です。
神を軽んじることは、非常に危険なことだからです。
今、神はここにおられます。
人々に触れ、
癒し、
健やかにし、
失われ、必要を抱えている人々を救うために。
私たちは、
その御業がなされることを願っています。
ここに、
懐疑的な思いで来ている人はいないと、私は信じています。
ですから、
本当に静まり、祈る心でいましょう。
ある人は言います。
「神の癒しなんて、信じない」と。
けれど、
もし自分が信じていないなら、
信じている人の邪魔をすべきではありません。
――それだけです。
39. 私たち皆が、エリヤのように携え上げられるわけではありません。
ヨシュアのように、太陽を止めることもできないでしょう。
エノクのように、午後の散歩に出て、そのまま神と共に家へ帰り、死を味わうことなく去る――
そんなことも、私たちにはできないかもしれません。
けれど――
それができる人の邪魔をしてはなりません。
それだけは、やめましょう。
さあ、皆さん、静まりましょう。
ところで、
なぜ私がこの時計を外すのか、
不思議に思った方もいるでしょう。
気づいておられましたか?
振動で、この時計が完全に止まってしまうのです。
今、修理に出している時計もあります。
ロンジンですが、
誰かが私にくれたものです。
どんな力なのかは分かりませんが、
ここにいると、時計が止まってしまうのです。
40. 患者の方は、こちらへお連れください。
祈祷カードをお持ちでない方も、
ただこちらを見つめ、
心を尽くして信じていてください。
それで結構です。
こんにちは、姉妹。
これはマイクが二つありますか?
もし一つでよければ……
それとも、こちらの方がいいでしょうか……。
さて、
祈祷カードというのは、
列を整えるためだけのものです。
それだけです。
皆が一斉に押し寄せないようにして、
一人一人に公平な機会を与えるためです。
でも、
信じるなら、カードは必ずしも必要ではありません。
では、もう一度、
共に祈りましょう。
私……
41. 今、あなたが近くにいてくださることを、私はお願い申し上げます。
今夜のすべては、
あなたの導きにかかっていることを、私たちは知っています。
私たちは、
永遠へと向かう者たちです。
頭を垂れ、
自分たちが取られたちりに向かってひれ伏しています。
そして、
もしイエス・キリストがすぐに来られなければ、
いつの日か、再びそこへ帰ることになります。
そして今夜から、
何千年も先の時に、
私たちの魂は、
どこか永遠の中に存在していることを、私たちは知っています。
私たちは、
心からの誠実さをもって、
自分たちが知るかぎりの形で、
福音――
すなわち、聖霊の力とその現れによる福音を、
人々にもたらそうとして、ここに集まっています。
それが、しばしば誤解されることがあっても――
父よ、
今夜、多くの人が信じることができるように、
どうかお与えください。
そして、
あなたのこのへりくだったしもべを助け、
人々の病と、
その背後にある原因を、
正しく識別することができるようにしてください。
42. 私たちは、
あの愛らしい小さな赤ちゃんが癒されたことを、
心から感謝いたします。
あなたは、すべてをご存じです。
あなたが語られたことも、
すべてをご存じです。
あの子は、
もうしばらくしか生きられないとされていました。
しかし今、命が与えられました。
私たちは、
あの尊い母親の祈りに、
あなたが答えてくださり、
それを明らかにしてくださったことを、
心から感謝します。
これから先、
彼女はこの祝福を、
何年たっても思い起こすことでしょう。
今、父よ、
敵に立ち向かうこのとき、私を助けてください。
私たちは皆、
そのようなものに対して弱い者であり、
影響を受けやすい者であることを、
私は承知しています。
ですから、
神の御子、イエス・キリストの血が、
私たち一人一人を囲んでくださいますように。
敵が、
どこからも入り込むことができず、
終わりの日に完全な滅びを待つ
外の暗闇へと追い出されますように。
父よ、
今、私は前に進み、
イエス・キリストの代表として、
敵に立ち向かいます。
その御名によって、
これをお願いいたします。
アーメン。
43. 少し前へ来てください。
……少しだけ、手をお借りしてもいいですか。
はい、ありがとうございます。
では、こちらを見てください。
あなたは、一生懸命に信じようとしておられますね。
信じたいと願っておられる。
心から主を愛していますか。
今、大切なのは、
あなたの信仰を、正しい位置に置くことなのです。
私は、あなたの問題が何であるかは、もう分かっています。
けれど、
私はあなたを、
本当に癒され、健やかになることができる場所へ導きたいのです。
それこそが、あなたの願いでしょう。
あなたは、
自分の唯一の望みが、キリストにあるということを、
分かっておられますね。
なぜなら、
これまでそれに手を出し、
医者にもかかり、
あれこれしてきたけれど――
キリストを見いだし、
そのあわれみを見いださない限り、
そこに望みはないからです。
44. 私のこのスーツを着て主ご自身が立っておられたら、
主は、あなたに何をなさると思いますか。
きっと、
あなたのどこが悪いのかを告げ、
手をあなたの上に置いて、
こう言われるでしょう。
「お母さん、痛みますか」と。
けれど、主は今、
高い所に上り、
人々に賜物を与えられました。
あなたは、それを信じますか。
さて――
あなたが今、心の中で考えていること。
私は、あなたの心を読んでいるのではありません。
ただ、
「この人は、何を言うのだろうか」
と、あなたは思っておられる。
では、お伝えします。
あなたの問題は、胃の不調です。
それが、あなたを悩ませていますね。
そのとおりでしょう。
食べ物を避けている様子が見えます。
けれど、時々、
とても空腹になって、食べたくなる。
食べられるものと、
食べられないものがある。
焼けるような痛み。
神経の問題も告げられています。
それが、潰瘍の状態を引き起こしています。
さらに、
胆のうからの漏れもあります。
もう一つあります。
最近、だるさが出てきていますね。
特に午後になると、
とても弱くなる。
横になっている様子が見えます。
(イエス・キリスト)
45. 何かがここで起こるようにと祈っておられましたね。
ひざまずいて――そうです、そのとおりです。
私は、あなたが立っておられた場所も見ました。
夕方、窓の方を見つめて立っておられましたね。
そうでしょう?
私は、考えて言っているのではありません。
見えているままを、そのまま語っているだけです。
今はもう、それは止まりました。
そのとおりですね、お母さん。
さて――
今、私が最後の言葉を語ったとき、
何かがあなたの上を通り過ぎましたね。
スッと、覆うように来た。
不思議な感覚が走ったでしょう。
――それが、
あなたの信仰が働いた瞬間です。
あなたは、もう胃の不調を持っていません。
イエス・キリストが、あなたを癒されました。
さあ、よく見てください。
[テープ欠落部分]
46. 私は神にお願いしようと思います。
ここにいるすべての人から、
あらゆる苦しみと、あらゆる病を取り去ってくださいと。
私は、神がそうしてくださると信じています。
あなたも、そう信じますか?
それでは――
杖を投げ捨てなさい。
車椅子から立ち上がりなさい。
どんな状態であっても、
起き上がって、歩きなさい。
父なる神よ。
あなたの御子、イエス・キリストの御名によって、
今、この会衆の中で働いてください。
私は、
あなたの民を縛っているすべての悪霊の力を叱責します。
今、放しなさい。
解放しなさい。
そして、
癒しの力のために、
イエス・キリストに栄光ある賛美がささげられますように。
ハレルヤ!