1. 皆さんにお会いしてから、しばらく時が経ちました。その間にも多くの大きな勝利があり、また多くの悲しみも過ぎ去っていきました。
しかし今夜もなお、私は神の御子イエス・キリストの血によって救われていることを、心から感謝しています。
そして今夜、再びここヒューストンに来て、これまでで最も長い集会の一つを奉仕できることを、とても感謝しています。
今回はここヒューストンで、十七夜連続の集会を持つことになっています。
これは、私たちの集会がより大きな働きになって以来、私がこれまで持った中で最も長い集会です。
どうか神によって、この集会が大いなる集会となることを信じています。
この期間の間に、苦しんでいる多くの人々、病んでいる人々、痛みの中にいる人々が解放されることを願っています。
また同時に、キリストから離れている人、キリストに対して無関心になっている人々が、この期間のうちに個人的な救い主としてのキリストを知るようになることを願っています。
そして何よりも、語られること、行われること、そのすべてを通して、神に栄光が帰されますように。
2. 今夜はあいにくの天気で、来ておられる方もまだ少ないようですが、この期間のあいだ、どうか私を助けていただきたいのです。
このような集会の間、私は皆さん一人一人とお会いすることが、思うようにはできません。というのも、私は多くの時間を祈りの中で過ごさなければならないからです。特に癒しの奉仕のような働きに備えるためには、祈りの中で整えられていなければなりません。
私はここに、皆さんを助けるために来ています。しかし、その助けは上から来るものです。もし他の人を助けたいと思うなら、私は絶えず神との交わりの中にとどまっていなければなりません。
本当を言えば、皆さん一人一人とお会いして、ゆっくりと個人的にお話しできたらどんなに良いだろうと思います。しかし、このような集会では、それはほとんど不可能なのです。
3. その時には、私たちが望むだけ互いに時間を共に過ごすことができるでしょう。もっと良い国においてです。そこでは、病んでいる人や苦しんでいる人のために忙しく祈る必要もありません。そこにはそのような人は一人もいないからです。
私たちはイエスのすぐ隣に住む者のようにして生きるのです。
そこには、もはや病も苦しみもありません。
神よ、このすべての悩みが終わるその日を、どうか早めてください。
その時、私たちは主を顔と顔とを合わせて見ることになり、そして、私たちが知られているように、私たちも知るようになるのです。
それこそが、私たちが目指しているものです。
そして今夜、私が努めているのも、その場所を私の住まいとすることなのです。
そしてできるだけ多くの人を、私と一緒にそこへ連れて行きたいと願っています。
それは本当に現実のことなのです……いや、今夜ここに私たちがいることよりも、もっと確かな現実なのです。
4. それから二晩ほど空いている日がありますので、その間に別の講堂を手配できるようにしたいと思っています。そしてその後、コロシアムへ移る予定です。私たちは、そこで大いなる時が持たれることを期待しています。
どうぞ皆さん、病んでいる人や苦しんでいる人を連れて来てください。
そして罪人たちも連れて来てください。
というのは、多くの場合、奇跡が行われたり、何か神の働きが現されたりすると、人々の心が変えられ、キリストに対する態度が変わるからです。
つい最近の集会で、これまで私が見た中でも最大級の悔い改めの招きがありました。
その時、二千人が一度にイエスを受け入れたのです。二千人もの人々がキリストのもとに来ました。
そして私は、その一人一人すべての人に、あのもう一つの国で会えることを信じています。
5. 特に祈りの列に並ばれる病気の方々には、「彼は高き所に上られた(He Ascended On High)」という小冊子を読んでいただきたいと思います。
もし五セントを持っておられなくても、どうぞそのまま受け取ってください。
というのも、私たちはお金のためにここに来ているのではありません。
私たちは皆さんを助けるためにここにいるのです。それが私たちの心なのです。私たちは皆さんを助けたいのです。
さて、私は自分が真実だと知っていることしか語ることができません。
もし私が真実を語っているなら、皆さんはそれを信じるべきです。
もし私が自分のことを語り、「神がこういうことをされた」と言いながら、神ご自身がそれについて証しされないなら、それは間違っています。
しかし、もし私が神がなされたことを語り、そして神が下って来て同じことを証しされるなら、その時は神を信じるべきではないでしょうか。
そうではありませんか。
6. そして、もし私が言ったことが、その通りに起こらないなら、この十七日間の集会が終わったあとで、町中を回ってこう言ってもかまいません。
「ブラナム兄弟は偽預言者だ」と。
しかし、もし神が、私が言ったことがその通り真実であると証ししてくださるなら、その時は、たとえ私を信じなくても、神を信じるべきではありませんか。
そうでしょう?
その時には、町を回ってこう言うことができます。
「主は正しい。主は私たちに真理を語ってくださった。主がこの働きを遣わしてくださったのだ」と。 ✨
7. 実際のところ、あなたを癒すことができるのはキリストだけです。
どんなに大きな賜物を持っていたとしても、癒しを与える方はキリストなのです。
ですから、あなたが癒されるのは、ただキリストによってだけです。
そこで今から、少し聖書を読み、この賜物がどのように働くのかについて、いくらか説明したいと思います。
そうすれば、皆さんがどのようにして来ればよいのかが分かるでしょう。
そして……こうしてみたらどうでしょうか。皆さん。
今ここにいるこの小さな集まり、たぶん千八百人か二千人くらいでしょうか。
もし今夜ここにいるこの人たちが、心を静めて、私が語ることが真理であるとそのまま信じるなら……
ヒューストンを揺るがすような集会になるでしょう。
その通りです。主がそれをなさるのです。
8. もしかすると、皆さんの中には、これらのことの中で理解できない部分もあるかもしれません。
正直に言いますと、友よ、私自身にも理解できないことがたくさんあります。
私はただ、それを受け入れているだけなのです。
神を理解しようとして、あれこれ考え過ぎてはいけません。神を完全に理解することはできないからです。
神は知識によって理解されるのではなく、信仰によって理解されるのです。
そうではありませんか。
もしペテロが、水がどれほど深いかとか、自分がその水の上を歩くことがどれほど不可能かを考え始めていたなら、決して水の上を歩くことはできなかったでしょう。
しかし彼は、ただキリストの御言葉をそのまま受け取り、水の上を歩いたのです。
私も、このことにおいて同じようにしました。
ただ主の御言葉をそのまま受け取り、そして進んでいったのです。
ですから、今夜、皆さんもただ主の御言葉をそのまま受け取ってください。
そして、もしあなたが罪人であって、まだ神の御言葉をどのように受け取ればよいのか分からないとしても、神はそのために私をここに遣わされたのです。
どうか、まずは私の言葉を信じてみてください。
そしてそれがその通りに起こるかどうかを見てください。
そうすれば、神があなたを祝福してくださることが分かるでしょう。
9. 天の父よ、今夜私たちは感謝しています。
そして私たちの心は、私たちの救いのゆえに喜びで満たされています。なぜなら、贖い主であるイエスが来て、私たちを祝福してくださったからです。
主は地上に来られました。メシアとして、罪ある肉の姿に似せて現れ、私たちの病をその身に負い、私たちの咎を担われました。そしてそれらをカルバリの十字架に負われたのです。
そして今は高き所に上られ、今夜も威厳なる御方の右の座に着き、私たちのために執り成しておられます。
主は私たちの大祭司となられました。私たちの弱さの感情に触れることのできる大祭司です。
今夜に至るまでに、すでに何百年という歳月が過ぎました。多くの主義が興り、狂信的なものも現れては消えていきました。
しかしなお、神の御子の栄光ある力は、今もなお数千人の人々の心の中で支配し、治めておられます。
主よ、今、私たちがこの大いなるリバイバルへと入ろうとしているこの時に祈ります。私たちは、ここヒューストンでその入り口に立っていると信じています。
どうか神の栄光が、私たちのただ中に降りてきますように。
足の不自由な人、盲人、苦しむ人、体の曲がった人、痙攣に苦しむ人、精神の弱さを持つ人、あらゆる病の人々が、ここで癒されますように。
そして何千人もの人々が祭壇の周りに集まり、あなたに心を捧げますように。聖霊が注がれますように。
主よ、この十七日間の集会だけで終わるのではなく、
それが続き、続き、さらに続いていきますように。
そしてついには、あなたの愛する御子が栄光のうちに現れ、
私たちもまた主と共に現れ、主の義の衣をまとい、主を仰ぎ見るその日まで。
10. 今夜、あなたの貧しくへりくだったしもべがここに立ち、あなたがなしてくださったこの偉大な御業を宣べ伝えようとしています。
どうかここにいるすべての聞く者に信仰を与えてください。
そして主よ、これらのことを行ってこられたあなたの御霊が、今夜この集会の中に臨み、語られたことすべてを証ししてくださいますように。
また、夜ごとにその御業が現されますように。
そしてここに、昔ながらのリバイバルが起こり、この町とすべての教会を揺り動かすものとなりますように。
何千人もの人々が神の国に生まれ入りますように。
父よ、これをお許しください。
私たちは、神の栄光のために、あなたの愛する御子、イエス・キリストの御名によって祈ります。
アーメン。 ✨
11. というのは、この御言葉が、今日神がどのように働いておられるかということに、いくらか関わっているからです。ここでは、神がそのしもべモーセに語り、彼を遣わしておられる場面が語られています。
もし書き留めておられるなら、出エジプト記23章20節から、23節の一部までをお読みください。
見よ、わたしは一人の御使いをあなたの前に遣わす。
彼は道であなたを守り、わたしが備えた場所へあなたを導くであろう。
彼に気をつけ、その声に聞き従い、彼に逆らってはならない。
彼はあなたがたの背きの罪を赦さない。
わたしの名が彼のうちにあるからである。
しかし、もしあなたがその声に確かに聞き従い、
わたしが語るすべてのことを行うなら、
わたしはあなたの敵の敵となり、
あなたの仇の仇となる。
わたしの御使いが、あなたの前を行くのである。
12. その時は、イスラエルの子らが神から離れ、神の戒めからも離れてしまい、ついには困難の中に陥り、エジプトで奴隷の状態に置かれていた時でした。
そこには大きな必要が生じていました。
というのも、人々が豊かに暮らし、何の不足も感じていない間は、そのまま何事もないかのように過ごしてしまうものだからです。
しかし、神の預言の時が来ると状況は変わります。
神はアブラハムに、彼の子孫が四百年の間、異国の地に寄留すること、そしてその後、強い御手によって彼らをそこから導き出すと約束しておられました。
そして、その約束の時が近づいたとき、
ヨセフを知らないパロが現れたのです。
どれほど不可能に見える状況であっても、約束の時が近づくと、神はご自身の預言の約束が成就するように、すべての状況を整えられます。
皆さんはそれを信じますか。
神はいつもそうなさいます。
いつでも……そのように働かれるのです。
13. かつてヨセフのゆえに、あの民がどれほど尊ばれていたかを。ヨセフはエジプトにいたあの若い王子のような存在で、夢を解き明かし、何度もエジプトを救った人物でした。そのため人々は彼をほとんど崇めるほどに尊敬していたのです。
それなのに、わずか四百年ほどの間に、人々は彼のことをすっかり忘れてしまいました。
しかし神の約束の時が近づくと、ヨセフを知らないパロが現れました。
そして彼はイスラエルの民の上に監督たちを置き、彼らに重い労働を課しました。
こうして民は重い重荷を負わされるようになり、監督たちのゆえに苦しみ、ついに神に向かって叫び求めるようになりました。
そして彼らがそのように叫び始めたその時、
神は一つの特別な出来事を起こされたのです。
14. 賜物は神によってあらかじめ定められているものなのです。
賜物と召しとは取り消されることがありません。
人は言葉でいろいろ言うこともできますし、これらのことを正しく働かせようとしたり、正しく信じようとしたり、うまく働かせようとすることもできます。
しかし、神ご自身がその背後におられなければ、それは本物にはなりません。
これはごまかしでどうにかできるものではありません。
サタンをごまかすことはできないのです。
サタンはだまされません。自分がどこに立っているのかを、はっきり知っていなければならないのです。
そして、賜物と召しは取り消されることがありません。
それらは生まれながらにして与えられているのです。
神はすべてを前もって見ておられ、何が起こるのか、ご自身の預言を知っておられます。
そして神は、そこで起こるべきことに備えて、こちら側で事を始められるのです。
イスラエルの民がこのような助けを必要とする時が来るのをご覧になったとき、神は一人の男の子を生まれさせました。
それは特別で不思議な誕生をした子で、名前をモーセと言いました。
もし聖書や日曜学校の話をご存じなら分かるでしょうが、彼は水の中から取り上げられたので、パロの娘によってモーセ(「水から引き上げられた者」)という名が与えられたのです。
15. モーセはきっと、イスラエルの民が自分が何のために遣わされたのかを理解してくれるだろうと思っていました。
しかし、人々はモーセを理解しませんでした。
ここをよく聞いてください、友よ。
神がご自身の民に対して働くとき、最も難しいことの一つは、
一人の人間に、もう一人の人間を信じさせることです。
これは神にとって、いつの時代でも非常に難しいことなのです。
一人の人間が、もう一人の人間を信じるということは、とても難しいのです。
人々は神を信じていました。
しかし、イエスが神の御子であるということを信じることはできませんでした。
彼らは神を信じていたのです。
けれども、イエスが神と等しいと言われると、「あの人は人間なのに、自分を神と等しくしている」と言ったのです。
どうしてあのような人がそう言えるのか、と彼らは思いました。
貧しい農民のような人、
家畜小屋の飼い葉桶で生まれ、
貧しい家庭に育ち、
一枚の着物しか持たず、
住む家さえなく、
「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。
しかし人の子には枕する所もない」
そのように言われたあの人が、どうして神の御子であり得るのか、と人々は思ったのです。
どうして自分が言っているような存在であり得るのか、と。
しかし、実際にそうだったのです。
そうではありませんか。
本当にその方だったのです。
16. しかし、彼らにとってはもう遅すぎました。
主を拒んだ者たちは、その行き先がすでに定められてしまったのです。
神は、しばしば人々が単純で、へりくだるためにそのようなことを行われます。
友よ、よく聞いてください。
あなたがより単純になればなるほど、神はあなたを扱いやすくなるのです。
私は教育に反対しているわけではありません。
教育そのものは良いものです。
しかし人は、ときに教育を受け過ぎてしまい、
自分は神よりもよく分かっていると思うようになります。
そしてその結果、目標を見失ってしまうのです。
キリストを知るためには、
自分の知識によって知っていると思っていることをすべて忘れなければなりません。
ただ子どものように来て、主を受け入れればよいのです。
それだけです。
それが、神を受け入れる方法なのです。
あなたがより単純になり、よりへりくだり、
自分自身や自分の考えから離れ、
ただ神の御言葉をそのまま受け取り、それを信じるなら――
これらのことは、あなたが理解して計算することによってではなく、信仰によって来るのです。
人間が神を理解し尽くしたことは、これまで一度もありません。
どんな聖徒も、どんな人も、神を完全に解き明かしたことはないのです。
だから、他の人ができなかったことを自分ならできると思ってはいけません。
それはできないことなのです。
ただ神を信じることです。
それが、神があなたに望んでおられることなのです。
神を理解しようとするのではなく、信じることです。
17. すると人々は言いました。
「だれがおまえを、私たちの支配者にしたのだ。
自分を何か偉い者だと思っているのか。」
しかし、それはモーセの態度ではありませんでした。
彼は解放者として遣わされていたのです。そして、今がその時であることを知っていました。
モーセはこう思っていたのです。
きっと人々は聖書を読み、アブラハムに与えられた約束を知っていて、その約束の時が近づいていることを理解しているだろう、と。
しかし人々は、それを読み取ることができませんでした。
(ちょっとお聞きしますが、私はこのマイクに近すぎますか。
後ろのほうで音が響いていませんか。
後ろのバルコニーの方々、私の声はよく聞こえていますか。
もし聞こえていたら、手を上げてください。
私はあまり大きな声が出ないものですから。)
18. ところが神の民は、それを理解しませんでした。
多くの場合、サタンは人々の理解の中に入り込み、心を鈍くしてしまうのです。
そしてそのために、人々は十回のうち九回は神を見失ってしまいます。
しかし神の約束は、そこに確かにありました。
モーセが彼らを解放するために下って来たとき、人々は彼を拒み、受け入れませんでした。
その結果、彼らはさらに四十年の苦しみを受けることになったのです。
そうではありませんか。四十年もの間、さらに苦しむことになったのです。
モーセは荒野の奥へ逃げて行きました。
しかしやがて、民がうめき、叫び求め始めたとき、神は再びモーセを召されました。
そして、かつて彼らが拒み、なおパロを自分たちの指導者として受け入れていたその同じモーセを、神はもう一度彼らのもとへ遣わし、彼らの指導者として、彼らの上に権威を持つ者とされたのです。
19. モーセは、荒野の奥で、義父エテロの羊を飼っていました。
そしてある日、燃える柴の中で御使いが彼に現れました。
その御使いは、モーセにメッセージをもたらすために下って来たのです。
そして同時に、モーセを導く者ともなる存在でした。
人間というものは……自分自身を導くことはできません。
道は二つしかありません。
自分の道か、神の道かです。
もしあなたが自分の道を歩いているなら、その時あなたは神の道から外れているのです。
神の道を見つけるためには、まず自分の道を忘れなければなりません。
人は自分自身を導くことはできないのです。
人間は、しばしば羊にたとえられます。
私たちは羊のような存在だと言われています。
もしここに羊を飼ったことのある人がいれば分かるでしょう。
羊が一度迷ってしまうと、まったく無力になってしまいます。
ただその場に立ち、鳴き続けるだけで、やがて死んでしまうのです。
それほど羊は、自分では何もできない存在なのです。
20. キリストこそが私たちの導き手です。
そして神はモーセの導き手でもありました。もっとも、神は彼を導くために一人の御使いを遣わされました。
「わたしはあなたの前に御使いを遣わす。
彼は道であなたを守り、
わたしが約束した場所へあなたを導くであろう。」
この御使いが、モーセの導き手となったのです。
そして奇跡を行ったのは御使いでした。
モーセ自身が奇跡を行ったのではありません。
モーセの中におられた神の御使いが奇跡を行ったのです。
お分かりでしょうか。
主の御使いが彼と共におられたのです。
その御使いが彼らを導き、奇跡を行ったのです。
さて、神はいつの時代でも、聖書の中を通して見ても、
御使いが民を導くように定めてこられました。
モーセの時があり、ダニエルの時があり、
そして他にも数えきれないほどの例があります。
歴史の流れの中で、ずっとそのように続いてきたのです。
21. 「しかしブラナム兄弟……」
(失礼します。)
「聖霊が来られてからは、もう御使いが教会を導くことはありません。個人を導くこともありません。
私たちを導くのは聖霊なのです。」
しかしそれは、御使いと聖霊の違いを誤解しているのです。
それは誤りです。
御使いは教会を導いてきましたし、
今もなお教会を導いているのです。
さて、皆さんにお聞きします。
ピリポが聖霊を持っていたと思う人は、手を挙げてください。
会場中で見てみましょう。
使徒ピリポが聖霊を持っていたと思う人はどれくらいいますか。
もちろん持っていましたね。
では、サマリアで彼に語りかけ、
ガザへ行く荒野の道へ行きなさいと言ったのは誰でしたか。
御使いです。
では彼は聖霊を持っていなかったのでしょうか。
いいえ、もちろん持っていました。
22. 教会の最初の説教、すなわちペンテコステの日に、あの最初の説教を語ったペテロです。
では彼が牢に入れられていたとき、
そこへ来て彼に触れ、外へ導き出したのは誰でしたか。
御使いです。
そうではありませんか。
では次に、使徒パウロが聖霊を持っていたと思う人はどれくらいいますか。手を挙げてみてください。
船が十四日間も嵐に翻弄され、もう望みはまったくないという時、
パウロは出て来て手を振りながら言いました。
「神に栄光あれ。元気を出しなさい。
私が仕えている神の御使いが、昨夜私のそばに立たれたのです。」
そうではありませんか。
では、ヨハネが聖霊を持っていたと信じる人はどれくらいいますか。
黙示録の全ての幻は、一人の御使いによって彼に示されたのです。
そうではありませんか。
23. 友よ、私たちは御使いを礼拝しているのではありません。
それは、神がご自身の仕える霊を教会に遣わし、人々に仕えさせておられるということなのです。
どんな人間も、神の前で誇ることはできません。
もし誰かが誇ることができたとしたら、それはイエスだったでしょう。
しかし主はこう言われました。
「わたしがそのわざをしているのではない。
わたしのうちに住んでおられる父が、そのわざをしておられるのだ。」
そうではありませんか。
人々は言いました。
「私たちは神を信じています。」
するとイエスは言われました。
「もし神を信じるなら、わたしも信じなさい。」
さて、このしもべのところに御使いが来たとき、こう言いました。
「もし人々にあなたを信じさせることができるなら……。」
ここが難しいところなのです。
「もし人々にあなたを信じさせることができるなら……。」
皆さん、どれくらいの人が神を信じていますか。
皆さんそうでしょう。
キリストを信じ、
聖霊を信じているでしょう。
24. 皆さんが神を信じ、キリストを信じ、聖霊を信じていることは、とても嬉しいことです。それはあなたがクリスチャンであることを示しています。
しかし、今私が皆さんに伝えようとしていることは、それとは少し違います。
そのことについては、後で祭壇への招きをするときに話します。
まずそれらを信じなければなりません。
もしあなたがそれらとつながっていなければ、このことを理解することは決してできないでしょう。
しかし、それらを信じていたとしても、
私が真実を語っていること、私の言うことが真実であることも信じなければならないのです。
イエスも同じでした。
人々が主を信じなかったために、イエスは奇跡を行うことがほとんどできませんでした。
その力は、人々の不信仰によって縛られていたのです。
そして、神を信じていたその人々こそが、
イエスを殺したのです。
そうではありませんか。
彼らは神を信じていました。
とても宗教的で、正統的で、非常に熱心な人々でした。
しかし、イエスを信じることはできなかったのです。
神を信じることはできても、
一人の人間を信じることはできなかったのです。
25. もちろんです。あなたはキリストを信じ、聖霊を信じています。
しかし、一人の人があなたの前に来て何かを語るとき、それを信じるのは難しいものです。
「あなたを信じてよいかどうか分からない。」
人はそう思うのです。
問題はそこにあります。
だからこそ、神はしばしば働くことができないのです。
同じことは、あなたの牧師にも言えます。
牧師があなたのところに来ても、あなたが牧師に信仰を持たなければ助けることができません。
あなたは、自分の牧師が神の人であり、神によって遣わされていると信じなければならないのです。
神のためにその働きをするように遣わされている人だと信じなければならないのです。
26. 歴史の時代を通してもそうですが、この働きは何度も弱くなってきました。
そのような時代の間に、がんが広がり、教会の中にも多くの病が入り込んできました。
本当に大変なことです。
今では、人々の八十パーセントが何らかの病を抱えていると言われています。
医療科学について言えば、私はそれを尊敬しています。
医者たちは素晴らしい働きをしています。薬を作っています。
そして……そうですね、薬は売られています。
まあ、それを使いたい人にとっては良いことでしょう。そうすること自体は構いません。
しかし、よく考えてみてください。
今の時代、私たちはこれまでで最も優れた医者を持っています。そう思いませんか。
そしてこれまでで最も良い病院があります。
また、これまでで最も進んだ薬もあります。
それなのに、これまでで最も多くの病気があるのです。
なぜでしょうか。
それは、これまでで最も多くの不信仰があるからではないでしょうか。
その通りです。
癒すことができるのは神だけです。
そして、よく見てみてください。
これほど多くの薬があり、手術があり、外科医がいるこの時代に、
人々は次々に「治療不可能な病気のための施設」を建て続けています。
そうではありませんか。
しかし、私たちの主イエスの前に来たもので、
主に勝るものは一つもありませんでした。
主にとっては、治らない病など存在しないのです。
すべてのことが可能です。
そうではありませんか。
そして主は、
昨日も今日も、いつまでも変わることのない方です。
それならば、
主にとって癒すことのできない病は一つもないのです。
27. 「神よ、私たちのためにこれをしてください。
あれをしてください。
私たちに救いを送ってください。」
そして神の民の中で、毎年何千人もの人々が、がんなどの病で亡くなっていました。
そのとき、神は彼らの叫びを聞かれたのです。
では考えてみてください。
神が、かつてエジプトで奴隷状態にあった民を解放するために救いを送られたように、
今、病んでいる人々のために救いを送ることができないはずがあるでしょうか。
神は、彼らの叫びを聞いたのと同じように、
あなたの叫びにも耳を傾けてくださるのではないでしょうか。
神は終わりの日に、
このようなしるしが伴う教会を持つと約束されました。
そうではありませんか。
では、終わりの日は今ではないのでしょうか。
今こそ、これらのことが起こる時ではないのでしょうか。
もう来ているのです。
私たちはそれを見ているのです。
アーメン。
それはここにあります。
あなたはそれを見ることになるでしょう。
28. というのも、それは難しいことだったからです。
彼は雄弁な人ではありませんでした。
話し上手でもなく、言葉が滑らかな人でもありませんでした。
むしろ口が重いと言われるような人でした。
しかし神は、その人をその働きのために定めておられたのです。
それは必ず成し遂げられなければならないことでした。
そこで神はモーセに言われました。
モーセは言いました。
「人々は私を信じないでしょう。」
すると神は彼に二つのしるしを与えられました。
神は言われました。
「あなたはこのしるしを行いなさい。」
それは、杖を地に投げると蛇になるというしるしでした。
そして神は言われました。
「もし彼らがそれを信じないなら、もう一つのしるしを与えよう。
もし最初のしるしを信じなくても、第二のしるしの声を信じるだろう。」
こうしてモーセには二つのしるしが与えられました。
彼を拒んだ人々が、彼が神によって遣わされた解放者であることを信じるためでした。
そうではありませんか。
この話が真実だと信じる人は、
「アーメン」と言ってください。
29. 今夜、奇跡は不可能なのでしょうか。
いいえ、不可能ではありません。
それらは、あの時と同じように今でも可能なのです。
もし神が、かつてエジプトの下にあった民を奴隷状態から解放することができたのなら、
同じ神が、病の束縛の下にある人々を解放することもできるはずです。
なぜなら、そのために主は死なれたからです。
それは贖いの計画の中に含まれているのです。
あなたは贖われているのです。
あなたが聖霊のバプテスマを受けるとき、それはあなたの救いの保証(手付金)なのです。
そうではありませんか。
言い換えれば、それは前払い金のようなものです。
もし、その前払いだけで私たちがこのような喜びを感じるのなら、
すべてを受け取るときには、どれほど素晴らしいことでしょう。
それは本当に栄光に満ちたものになるでしょう。そうではありませんか。
では、あなたは信じますか。
復活のとき、あなたがよみがえり、不滅の体を受けることを。
それを信じる人はどれくらいいますか。
神の癒しは、その不滅の体の手付金、保証なのです。
なんと素晴らしいことでしょう。
分かりますか、私が言っていることが。
それは、あなたが将来不滅の体を受ける証拠なのです。
あなたがそれを見るとき……。
30. 手足が曲がり、体がゆがんだままの子どもたちです。
しかし、あなたは自分の目で見ることになるでしょう。
その手や腕がまっすぐになり、普通の子どもとして歩いてこの壇を降りていくのを。
また、さまざまな病の状態でここに来る人々が、
癒されて壇を離れていくのを見るでしょう。
それは何でしょうか。
それは手付金なのです。
保証なのです。
つまり、その人がもしキリストの血の下にとどまり続けるなら、
いつの日か不滅の体を受けるということの保証なのです。
がんに侵されている人、
盲人、
耳の聞こえない人、
口のきけない人……
それはすべて、私たちの救いの保証なのです。
31. 私はとても貧しい両親のもとに生まれました。
本当に質素な家庭でした。
私はまったく教育を受けていません。
そして先ほど教育について話したときも、自分の無知を言い訳にしようとしていたのではありません。
私が言いたいのは、神を知るのに教育は必要ないということです。
神を知るために必要なのは、従順な心なのです。
私は貧しい環境で育ちました。
そして宗教的とは言えない家庭で育ちました。
しかし、私が生まれたその時から、ある出来事がありました。
それは私の善さによるものでもなく、両親の善さによるものでもありません。
神の前知によるものだったのです。
神がそれを起こされたのです。
なぜそうだったのか、私には分かりません。
おそらく神は、ご自身が望むままに選ばれることができるということを示したかったのでしょう。
それがバチカンのような場所からであろうと、あるいはごみの山の中からであろうと、神はそこから取り上げて用いることができるのです。
どこからであろうと、神はそうすることがおできになるのです。
32. この話は、多くの方がご存じでしょうし、読んだこともあるでしょう。
それがさまざまな形で現れたことについてです。
私がまだ小さな少年だった頃、だいたい十二歳くらいの時に、それははっきりとした形で現れました。
しかし最初に現れたのは、私が七歳くらいの時でした。
それは、木の中に吹く風のような形で現れたのです。
その後もしばらくの間、私は宗教のことなど何も知りませんでした。
ただ誰かから「神という方がおられる」と聞いたことがある、それだけでした。
それ以外は何も知らないまま、大人になるまで過ごしたのです。
そして回心して、バプテスト教会に加わりました。
それから5月7日のある日、家へ帰る途中のことでした。
その頃私はインディアナ州でゲーム・ウォーデン(狩猟監視官)として働いていました。
ところで今日、街で一人の男性に会いました。
おそらく今、この会場のどこかにおられると思います。
インディアナ州コリドンのプライスさんという方です。
私がその地域を巡回していた頃、彼の家に泊めてもらったことがありました。
今この建物の中におられるかもしれません。
まさかヒューストンの街で彼に会うとは思ってもいませんでした。
しかし彼と奥さんはここに来ておられます。
フロリダへ休暇旅行に行く途中で、この集会に立ち寄ってくださったのです。
33. そしてその日、それははっきりと目に見える形で現れたのです。
その方は、身長がおよそ六フィート(約180センチ)ほど、体重は二百ポンド(約90キロ)ほどの人でした。
それよりも数年前には、それは光の形で現れ、私のいる場所の上にとどまりました。
また何度も、星のような形で現れたこともあり、何千人もの人々がそれを見ました。
講堂の中で、はっきりとその姿が現れたこともありました。
さまざまな出来事が起こってきたのです。
しかしこの時、その方が来られたときは、一人の人の姿でした。
私は恐ろしくなりました。
その方は私の方へ歩いて来られました。
そしてこう言われました。
「恐れることはない。
私は神の御前から遣わされた者である。」
そして言われました。
「あなたの特別な誕生と、これまでの特別な人生は、
あなたが神の癒しの賜物を世界の人々にもたらすためであることを示している。」
さらにこう言われました。
「もし人々にあなたを信じさせ、
あなたが祈るとき真実であるなら、
あなたの祈りの前に立ち得るものは何一つない。」
そこで私は言いました。
「私は教育を受けていません、あなた。」
するとその方は言われました。
「私があなたと共にいる。」
そしてこう続けて言われました。
「あなたが人々の右手を、あなたの左手で取るとき、
それがしるしとなる。」
「そしてその時、あなたはそれを手に感じるようになる。」
(私はそれを“振動”と呼んでいます。)
「あなたはそれに慣れるようになるだろう。」
「そして人々の病気、体の中にあるものを語るようになる。」
そしてさらにこう言われました。
「もしあなたが……」
34. そうではありませんか。
ここにいる方で、以前私の集会に来たことのある方は手を挙げてください。
その時それが働いていたのを見た方、手を挙げてください。
今、ここで手を挙げている皆さんは、私の集会に来て、それが働いていたことを知っている方々です。
しかしそれは完全ではありませんでした。
というのも、私は病気をかなり推測して言っていたからです。
その感じがどのようなものか、まだよく分かっていなかったからです。
手に不思議な感覚を感じるのです。
しかし、ときには女性の病気と癌の感じがよく似ていて、区別がつきにくいこともありました。
どちらも同じように感じることがあったのです。
そこで私は言いました。
「私の手に見える変化が見えますか。」
そのように人々に見せながら進めていたのです。
35. 覚えておいてください。私は皆さんにこう言ったのです。
「その方は私にこう言われました。
『もしあなたが誠実であるなら、その時には人々の心の秘密や、彼らがこれまでの人生で行ってきた間違ったことなどが、あなたに示されるようになる。もしあなたが、私が与えるものに対して誠実であるなら。』」
私はそう言いましたね。
それを私が言ったことを覚えている人はどれくらいいますか。
さて、それが実際に起こったのです。
それは約三か月前、カナダのサスカチュワン州レジャイナで起こりました。
その晩、私は会衆に向かって今のように話していました。
その時、とても大きな集会が開かれていました。
その夜には、おそらく一万人近い人々が集まっていました。
場所は、スタンピードが行われる場所の近くにある、クイーン・ガーデンズのパビリオンでした。
私はそこで語りながらこう言いました。
「主は私にこう言われました。
もし私が誠実であるなら、いつの日か(私は毎回の集会でそう言っていましたが)、
人々の心の秘密が明らかにされるようになると。」
36. その時、私は壇上で水を一口飲もうとして後ろを向きました。
ちょうどその頃、祈りの列が作られていました。
私が水を飲んでいると、カナダでのマネージャーであるバクスター牧師が、ハンカチで私の額の汗を拭いてくれました。
そしてこう言いました。
「神の祝福がありますように、ブラナム兄弟。」
私は言いました。
「ありがとう、バクスター兄弟。」
それから私は向きを変え、彼は横へ歩いて行きました。
すると、祈りの列から連れて来られた一人の婦人が、マイクのそばに立っていました。
私はその婦人のところへ歩いて行き、こう言いました。
「こんにちは。」
彼女も言いました。
「こんにちは。」
その瞬間、何かが起こりました。
どこかで何かが起こったということが、すぐに分かりました。
それまで一度も感じたことのない感覚でした。
それは油注ぎでした。
しかし、それは普通に感じる聖霊の感覚とは違いました。
とても神聖な、厳かな感覚だったのです。
37. 彼女は普通の姿でそこに立っていました。
ところが、私は彼女の姿がだんだん小さくなって、後ろへ遠ざかっていくのを見たのです。
今から皆さんもここで、そのことが語られるのを聞くことになるでしょう。
そして私は、小さな女の子が見えました。
だんだん小さくなり、十二歳くらいの女の子になったのです。
その子は机のそばに座っているのが見えました。
そこで私は言いました。
「皆さん、何かが起こりました。
私は小さな女の子が見えます。」
するとその婦人の姿は、私の視界から消えました。
私は続けて言いました。
「小さな女の子が見えます。
彼女は部屋の中にいます……学校の教室です。
机に座っていて、鉛筆を……いや、ペンですね。
ああ……」
私は言いました。
「それが飛んで……
彼女の目に当たりました。」
すると、その婦人が叫び始めました。
そしてその幻は終わりました。
その婦人は言いました。
「ブラナム兄弟、それは私のことです。
私は右目が見えないのです。」
そして言いました。
「そのペンが……」
私は言いました。
「私は今まで、こんなことは一度もありませんでした。」
そして私は言いました。
「それでは……」
38. 今度は、十六歳くらいの若い女性が見えました。
彼女は全力で走っていました。
髪は二つに編まれていて、背中に垂れ下がり、
その髪には大きなリボンが結ばれていました。
彼女はチェック柄のワンピースを着て、
とても速く走っていました。
そして私は見ると、
大きな黄色い犬が彼女を追いかけていました。
そこで私は言いました。
「チェック柄の服を着た若い女性が見えます……」
私は目の前に見えているものを、そのまま語り始めました。
「彼女はポーチへ駆け上がります。
そして一人の女性が彼女を中へ連れて入り……」
すると、その婦人が叫び始めました。
彼女は言いました。
「それは私です。
学校へ行っていた頃の私です。
でも、そんなことは今まで一度も思い出したことがありませんでした。」
私は言いました。
「皆さん、ここで何かが起こっています。
何が起こっているのか、私にはまだ分かりません。」
そして私は言いました。
「では、あなたの手を貸してください、姉妹。」
私は彼女の手を取りました。
そして言いました。
「しかし……
振動は何も感じません。」
39. そしてもう一度顔を上げたとき、また別の光景が見えました。
白い家に向かって歩いてくる一人の女性が見えました。
その女性は、赤い納屋のような建物の方から歩いて来ていました。
彼女はエプロンをつけ、何かをこのように手に持ちながら、
ゆっくりと歩いていました。
私はその様子を見て言いました。
「一人の女性が歩いて来るのが見えます。」
そして言いました。
「姉妹、それはあなたです。」
その時は、彼女が同じ女性であることが分かる姿になっていました。
私は続けて言いました。
「今、その女性が階段を上がろうとしています。
右側には花壇があります。
階段はこのように上へ続いています。」
そして言いました。
「あなたの背中に問題があります。
階段を上がることができません。」
「体を横に傾けて、あなたは泣いています。」
そして私は、その女性がこう言うのを聞きました。
「もしブラナム兄弟の集会に行くことができたら、
それで終わるはずだ。」
私がそのことを言った瞬間、
誰かがその女性を支えました。
彼女は気を失いかけたのです。
そして意識が戻ったとき、
彼女の見えなかった目は正常になっていました。
背中も、
自由に動かせるようになっていました。
関節炎もなくなり、
まったく普通に体を動かすことができるようになっていたのです。
そこで私は言いました。
「何かが起こりました。」
40. 「ブラナム兄弟、今起こったことは、先ほどあなたが語っていた“起こると言われたこと”その通りです。」
すると会場中で人々が叫び始めました。
建物のあちこちで歓声が上がったのです。
その時、松葉杖がガタガタと鳴る音が聞こえました。
私は見ると、一人の若い男性が松葉杖でこちらへ来ていました。
足を引きずりながら、必死に進んできました。
彼は言いました。
「ブラナム兄弟……何をしたらよいか教えてください。」
私は言いました。
「兄弟……」
すると案内係が来て、彼を壇から下ろそうとしました。
彼は祈祷カードを持っていなかったからです。
そこで私は言いました。
「ちょっと待ってください。」
彼は言いました。
「兄弟……」
私は言いました。
「いったん戻って、祈祷カードをもらってきなさい。」
すると彼は泣きながら言いました。
「どうしたらよいかだけ教えてください。
それだけ知りたいのです。」
私は言いました。
「どう言ったらよいか分かりません……
ちょっと待ってください。案内係の方、彼を連れて行かないでください。」
そして私は言いました。
「あなたは今朝、レジャイナ・ビーチを出て来ましたね。」
私は彼の幻を見ていました。
「あなたはバスに乗りました。
バスのドアの上に“Regina Beach”と書いてあるのが見えます。」
「そして一人の男性と女性が、あなたが行くのを止めようとしていました。
それはあなたの父と母です。」
彼は言いました。
「その通りです。」
私は続けて言いました。
「そして別の男性があなたにお金を貸しました。
あなたの父のように見えますが……」
彼は言いました。
「それは叔父です。」
私はさらに言いました。
「今あなたは部屋の中にいます。
そこには出窓(ベイウィンドウ)があります。
あなたは横を見ています。」
彼は言いました。
「そこに座っているのが私の叔母です。
私はあのような部屋で暮らしています。」
そして彼は言いました。
「ブラナム兄弟、私はどうしたらよいのですか。」
私は彼に言いました。
「心から信じますか。」
彼は答えました。
「心から信じます。」
私は言いました。
「立ちなさい。
イエス・キリストがあなたを癒されました。」
すると彼の松葉杖が床に落ちました。
そして両足がまっすぐになり、
彼はそのまま建物の中を走り回りながら、
神をほめたたえていたのです。
41. 今に至るまで止まることはありません。
その通りです。
本当のことです、友よ。
「もし第一のしるしを聞かなければ、第二のしるしの声を聞くだろう」と言われた通りなのです。
それから数日後、私はカナダのオンタリオ州ウィンザーにいました。
その集会には一万四千人ほどが集まっていました。
その集会の中に、一人の男性がいました。
彼は、これらのことは作り話にすぎないと思っていたのです。
そこで彼は祈祷カードをもらい、
病気のふりをして祈りの列に並びました。
そして祈祷カードには、自分がいろいろな病気を持っていると書きました。
それを祈祷列の係の人に渡したのです。
私は祈祷カードを見ることはありません。
カードは下で配られ、係の人が扱うのです。
彼は心の中でこう思っていました。
「このことが本当かどうか、試してみよう。」
それで祈祷カードを出したあと、
彼は壇の前へ歩いて来ました。
私は言いました。
「こんばんは。」
彼は言いました。
「こんばんは。」
私は彼の手を取りました。
しかし振動は何も感じませんでした。
私は彼を見ました。
すると幻が見えました。
彼が二人の男と一緒に、テーブルを挟んで部屋の中でこの計画を立てているのが見えたのです。
そこで私は言いました。
「どうしてあなたは、そんなことを心の中で企んで、
人をだまそうとするのですか。」
そして言いました。
「神は今この瞬間にも、あなたを打つことがおできになります。」
42. 彼は叫びました。
「神よ、私を憐れんでください!」
私は言いました。
「どうしてそんなことをしたのですか、友よ。」
すると彼は言いました。
「ブラナム兄弟、私は……これはただの作り事だと思っていたのです。
本当に……私はそう思っていました。
私にも赦しはあるのでしょうか。」
――そして、赦しはありました。
43. 人々がこの壇の前に来るとき、これまでの人生で行ってきた醜いことや、恥ずかしいことが示されることがあります。
ですから、友よ、よく覚えておいてください。
これらのことは、この会衆の前で公に語られることがあります。
あなたがこれまでの人生でしてきたことが、この場で語られることもあるのです。
ですから、もし心の中に何かあり、
それが知られることを望まないなら、
祈りの列には並ばない方がよいでしょう。
ただし、完全な信仰をもって来るか、
あるいは神に赦しを求め、それをキリストの血の下に置き、忘却の海に投げ込んでいただくなら別です。
なぜなら、ここで語られることについて、私は責任を負うことはできません。
もしそれがあなたの人生の中にあるなら、
それは明らかにされるからです。
44. 神がそれを約束されたからです。
これまで一度も失敗したことはありませんし、
ここヒューストンでも失敗することはありません。
その通りです。
神は今もここにおられ、答えてくださいます。
では、それは何を意味しているのでしょうか。
あなたはこう言うかもしれません。
「ブラナム兄弟、それはどういう意味ですか。」
以前は、こういうことをはっきり言うのを少し恐れていました。
しかし今は、皆さんにお話しできます。
つまりこういうことです、友よ。
人々の病気は告げられます。
それははっきりと示されます。
そしてさらに、心の秘密も明らかにされます。
もし人々が最初のしるしを信じないなら、
その最初のしるしでは信じてもらえないなら、
第二のしるしが働くのです。
すると、その人の人生の中に入り込み、
その人の歩んできたことが次々と明らかにされるのです。
45. 少しの間、よく聞いてください。
友よ、それ自体が人を癒すのではありません。
それはただ、その人を信仰へと引き上げるためなのです。
人がここに来て、「私は信仰があります」と言うことがあります。
私はその言葉を信じて受け取ります。
しかし、今のように油注ぎの下にあるときには、
人はそれを偽ることはできません。
その人に本当に信仰があるかどうかが分かるのです。
人は、自分では信仰があると思っていても、
実は信仰がない場合があります。
そういうことはありますよね。
人がここで「信仰があります」と言っても、
それが本当の信仰の位置まで来ていないことがあるのです。
それは、楽器の弦を調律するようなものです。
弦を締めていくと、上の音とぴったり一致する瞬間があります。
そのとき、その楽器は整うのです。
それと同じで、
信仰がその正しいところに一致したとき、
その人を縛っているどんな悪霊も、
必ず手を離さなければならなくなります。
しかも、その人は必ずしもこの壇上にいる必要はありません。
その信仰が一致した瞬間、
あなたが座っているその場所でも、
どこにいても、神は働かれるのです。 ✨
46. 人々の信仰を呼び起こすこと。
つまり、神が人々を癒したいと願っておられることを見せるためなのです。
癒しそのものについて言えば、
それは あなたの神への信仰によるものです。
あなたの教会で、あなたの牧師が油を塗って祈ってくれることもできます。
そして、あなたが神を信じる信仰を持っているなら、
同じ結果が起こります。
その通りです。
癒すのは神です。
人間が癒すのではありません。
神こそが癒し主です。
これらの賜物は、
神が人々に対してどのようなお方であるかを示し、
人々が再び神を信じるようになるためのものにすぎません。
なぜなら、もしあなたが
自分の病んだ体のために神を信じる信仰さえ持てないなら、
どうして
携挙のための信仰を持つことができるでしょうか。
分かりますか。
人々にはその信仰が必要なのです。
47. 「わたしが地上に戻るとき、信仰を見いだすだろうか。」
ですから、信仰に満ちた教会がなければならないのです。
そして神は、人々の信仰を呼び起こし、信仰を引き出し、
信仰とは何かを示すためにこのようなことを送られたのです。
分かりますか。
それがこの働きの意味なのです。
それはそのようにして働くのです。
――(テープ欠落)
さて……あなたは祈祷カードを受け取ったとき、
とても喜んでいましたね。
ここでの最初の夜のことです。
あなたは本当に嬉しそうでした。
どうして私にそれが分かったのでしょうか。
その通りです、姉妹。
――(不明瞭部分)
しかし、あなたは私の近くに住んでいる人です。
ですから、これらのことが神からの真実であることを知っていますね。
そうでしょう。
その通りです。
それでは、もし今、あなたがこれをするなら、
つまり真剣に信じるなら……
(あなたは私が真実を語っていることを知っています。)
よろしい。
もし私が言うことを真実だと信じ、
その通りに行うなら、
その病はあなたから去り、
二度と戻ってくることはありません。
信じますか。
私はあなたが、
ここテキサスにいる間、いちばん幸せな人になってほしいのです。
そしてあなたがインディアナに帰ったときには、
そこでも二番目に幸せな人になってください。
なぜなら、
私はインディアナに戻るからです。
そのとき、またあなたに会うでしょう。
はい、姉妹。
――(テープ欠落)
48. かつて メイヨー兄弟(メイヨー・クリニックの医師たち)は、
「あなたが良くなる見込みは、この世にはまったくない」と私に言ったことがあります。
(テープ欠落)
「驚くばかりの恵みよ、その響きはなんと甘いことでしょう。」
今こうして話している間にも、
それはだんだん軽くなってきています。
ほら、ここに来ています。
まさに今、ここに立っています。
もう少しそのまま立っていれば、
あなたはとにかく癒されるでしょう。
なぜなら、
癒すのはあなたの信仰だからです。
それは今、上がってきています。
分かりますか。
ですから、幸せになりたいなら、
歌いながら帰りなさい。
明日には、もう本当に、
とても喜びに満ちているでしょう。
あなたはここで
その違いを感じるようになります。
そして、もしこの賜物の臨在の中で
それを感じることができるなら、
外に出ても同じように受け取ることができます。
なぜなら、
それを与えておられるのは
主ご自身だからです。
そうでしょう。
アーメン。
49. 私は先ほど、この女性と話していました。
彼女は近くの方ですし、いろいろ事情もあって、
私は心の中で 「主よ、この方に起こったことを何か示してください」 と願っていました。
すると、彼女が祈祷カードを受け取ったときの様子が見えました。
兄弟がそのカードを渡したとき、彼女はこうして……
本当に大きな喜びでいっぱいになったのです。
私はそれを見て、彼女にそのことを伝えました。
そして先ほど、この部屋に立っていたとき、
彼女は横の方をちらっと見ましたね。
そのとき、とても疲れたような感覚が彼女を覆いました。
そして、光がとても暗く感じられて、
彼女は 目を閉じたのです。
私はそのことも彼女に言いました。
そうでしょう、姉妹。
それは本当ですね。
こうしたことが、今 彼女の信仰を築いているのです。
数週間前、私たちの家の近くで起こった出来事のように、
同じように信仰が築かれていくのです。
もちろん、ある人はこう思うかもしれません。
「きっと誰かが彼にそのことを話したのだろう。」
しかし、そうではありません。
ここで皆さんに分かってもらうためなのです。
分かりますね、皆さん。
主は本当に素晴らしいお方ではありませんか。 ✨
50. 必要なのは 興奮ではありません。
必要なのは 落ち着いた、確かな信仰です。
神は、
ただ叫んだり、騒いだり、足を踏み鳴らしたり、走り回ったりするような
興奮の中で働かれるのではありません。
悪魔を追い出すために、
足を踏み鳴らして追い出すことはできません。
大切なのは、
自分がどこに立っているのかをはっきり知り、
その権威をもって命じることです。
そうではありませんか。
それこそが
神の力なのです。 ✨
51. 自分の体を傷つけたり、祭壇の上で飛び跳ねたりして、叫びました。
「おお、バアルよ!バアルよ!」と。
しかし、エリヤ はこう言いました。
「アブラハム、イサク、イスラエルの神、主よ。
今日、私があなたのしもべであることを知らしめてください。」
すると、天から火が降りました。
その通りでしょう。
それは当てずっぽうではなく、
知っているという権威なのです。
さて、皆さん、静かにしてよく見ていてください。
あなた方には、それがあまり大したことのように見えないかもしれません。
しかし、友よ、実際に癒されている人々にとっては、
それは本当に素晴らしいことなのです。
その通りです。
ですから今、私が祈る間、
どうか静かに、敬虔な心でいてください。
というのも、この小柄な女性は、
この癒しのために 千マイル以上も旅をしてここに来たのです。
52. ロバーソンでよろしいですね。
さあ、今この瞬間に、あなたはすべての悩みから解放されます。
明日には、あなたはとても気分がよくなっているでしょう。
そして今夜は、あなたにとって新しい時の始まりになります。
あなたは家に帰るとき、
笑顔いっぱいで、喜びながら帰ることになるでしょう。
私はそれをすでに見ています。
そして、あなたは良くなるでしょう。
そしてそのまま、その状態でいてください。
(テープ欠落)
敵はいつも誘惑しようとします。
しかし、主はその上に力をもってここにおられます。
そして今夜、ここに立っているこの場所で、
主の御霊がこの女性の上にすでに働き始めていることを私は知っています。
なぜなら、彼女には信仰があるからです。
しかし彼女は、
私があなたに祈り求めるのを聞きたいのです。
そうすれば、その後も信仰を持ち続けることができるからです。
癒しについて言えば、
彼女はすでに癒されていることを私は知っています。
しかし彼女は、
私があなたに祈るのを聞きたいのです、父よ。
私は、この隣人である女性に与えられたその信仰を
あなたに感謝します。
神よ、どうか彼女が
いつまでも癒されたままでありますように。
敵の力が、
もう二度と彼女を悩ませることがありませんように。
彼女とそのご主人が、
長く幸せな人生を送り、あなたに仕える人生となりますように。
主よ、これをお許しください。
そして今、
神の御子イエス・キリストの御名によって、
私はサタンを叱責し、
この女性から離れるよう命じます。
アーメン。 ✨
53. 会衆の皆さん、もう頭を上げてよろしいですよ。
今、違いを感じますか。
とても気分がいいでしょう。
そして、これからもずっとそのように感じ続けるでしょう。
ここでそのように感じられるなら、
外に出ても同じように感じられます。
そして、ジェファーソンヴィルに戻っても同じように感じるでしょう。
アーメン。アーメン。
さあ、皆さんで言いましょう。
「主を賛美します。」
神があなたを祝福してくださいますように、
ロバーソン姉妹。
アーメン。神の祝福がありますように。
さあ、神に賛美をささげましょう。
皆さん、「アーメン」と言いましょう。
それでは、次の方をこちらへ連れてきてください……。