1. [テープに空白あり]
彼らは一つとなっております。
あなたは私たちの救い主、私たちの神、そして私たちの癒し主です。
ああ主よ、この建物を揺り動かすほどの力をもって来てください。
…の大いなる注ぎを与えてください。[テープに空白あり]
すべての心が地上のものを超えて、
第七の天へと引き上げられ、
地の事柄を越えたところで生き、また存在することができますように。
今この時、聖霊を遣わしてくださり、
このことの確信を今夜、私たちに与えてください。
私を助けてください。
今この瞬間、この朽ちる唇を通して語ってください。
私たちはこれを、生ける神の御子、
イエス・キリストの御名によって求めます。
アーメン。
2. 今夜この中におられる目に見えないお方を、
私たちははっきりと見ることになるでしょう。
さて、ここで聖書を読みますが、
この当時、イエス様の働きはたいへん広く知られるようになっていました。
その働きの約七割は、神の癒しに関するものでした。
主は、ご自分の権威を見せびらかすために人々を癒されたのではありません。
聖書の言葉を成就するために、癒されたのです。
多くの人々が主のもとに来て、
「しるしを見せてください」と願いました。
そのとき主は言われました。
「偽善者たちよ。あなたがたは空の様子を見分けることはできる。
だが、時のしるしを見分けることはできないのか。」
「空が赤く曇れば、荒れ模様になると言う。
夕日が澄んでいれば、天気がよいとも言う。」
「それが分かるなら、今がどんな時代なのか、分かるはずではないか。
預言者たちがすでに語っていたのだから。」
イザヤはこう言いました。
「足の不自由な者は鹿のように跳ね、
口のきけなかった者の舌は喜び歌う。」
その預言が成就する日、
それがまさに彼らの生きている時代だったのです。
神が御子キリスト・イエスについて証ししておられる、
その現れを見る日だったのです。
3. キリストはご自分について、
「私は…」――あの「私はあのあってあるものであると、
はっきりと宣言されました。
律法ではこうあります。
「二人または三人の証人の口によって、すべてのことは確立される。」
主はご自分が何者であるかを語られました。
そして、神がその内にあって証しをされたのです。
それなら、それは確かなことです。
今夜も同じではありませんか。
主が訪れておられたあの時代、
人々は昔、モーセと共に荒野を歩まれたエホバを信じていました。
しかし主は言われました。
「神を信じているなら、わたしをも信じなさい。」
神はキリストのうちにおられ、
世をご自分と和解させておられたのです。
主はこう言われました。
「あなたがたは、あの時、御霊の形でおられた神を信じた。
今、父はわたしの内におられる。」
「わたしは父の内におり、
父はわたしの内におられる。」
「わたしのしているわざのゆえに、
わたしを信じなさい。」
4. 「神は何でもおできになると信じています。」
正気のある人なら誰でも、
神がすべてをおできになることは分かっています。
もし神がすべてをおできにならないなら、
そのお方は全能の神ではありません。
しかし全能の神であるなら、
すべてをなさることができるのです。
では、今夜の問題は何でしょうか。
人々は、神を何百万マイルも遠くにおられるかのように思い、
そこを見上げて探しているのです。
けれども神は、今ここに、
あなたがたのただ中におられます。
よく考えてみてください。
あなたが愛しているお方、
あなたが仕えているお方が、
ここにおられるのです。
主はこう言われました。
「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、
わたしもその中にいる。」
これは他のどの聖書の言葉と同じく、
まことに真実な御言葉です。
5. そして今、神はそれを人々の前に現しておられます。
もしあなたがその幻をつかみ、
それを信じるなら、
今夜があなたの癒される夜になります。
しかし、もし疑うなら――
たとえキリストご自身が、
私のこの服と靴を身につけてここに立っておられたとしても、
[テープ空白]
あなたは今と同じまま、病んだままで帰って行くでしょう。
主は、あなたの意志に反して救うことはなさいません。
あなたの意志に反して癒すこともなさいません。
あなたが信じなければならないのです。
主がおられること、
そして熱心に求める者に報いてくださるお方であることを。
アーメン。
その通りではありませんか。
主は今夜、癒すためにここにおられます。
では、なぜある人を癒し、
他の人をそのままにされるのでしょうか。
違います。
神のみこころは、あなたがたの誰一人として
癒されずに帰ることではありません。
また、誰一人として
救われずに去ることでもありません。
主は死なれました。
[テープ空白]
私たちを贖うために来られたのです。
そして――
病は、罪の結果として来たものです。
罪が入り、そこから病が来たのです。
6. 切り離しなさい。
縁を切り、そこから離れなさい。
神は、罪とその支配に属するものを、
すべて断ち切られました。[テープ空白]
人の上にあったその重荷を…[テープ空白]
キリストが十字架で死なれたとき、
完全な解放が成し遂げられました。
すべてからの解放です。[テープ空白]
罪から自由にされ、
病からも自由にされたのです。
それはただ――
十字架のキリストを通してです。[テープ空白]
その通りです。
では、なぜなお縛られたままでいるのでしょうか。[テープ空白]
なぜ神がすでに自由にしてくださったものを、
もう一度背負おうとするのでしょうか。[テープ空白]
さて、その前に語った牧師が、
人々の信仰を築き上げようとしていました。
奇跡を行われる神について説教していました。
そして彼はこう言いました。
「生まれつき盲目だった人々の目を、あなたは見てきました。
ここに立って光を数え、それが何色かを言い当てているのを。」
「耳の聞こえなかった人が聞き、
口のきけなかった人が語り、
足の不自由な人が立ち上がった。」
長い間苦しんでいた人々が――
7. 車椅子に乗った奥さんを連れていました。
その奥さんは、十六年間ずっと車椅子のままだったのです。
飛行機で連れて来たのです。
そして祈りを受けてから、ほんのしばらく後――
彼女は通路を歩き回り、
神をほめたたえていました。
翌晩、その男性が祈りの列に並びました。
私はそれが彼だとは知りませんでした。
手を取ってみると、何の反応もありません。
ふと顔を上げると、彼は涙を流していました。
そして言いました。
「ブラナム兄弟、私は少し偽善者のようなことをしてしまったかもしれません。
でもあなたが貧しい方だと聞きました。
主のために、ささやかな献金をお渡ししたいのです。」
私は言いました。
「私は献金は受け取りません。」
すると彼は言いました。
「では、これは小さな小切手です……」[テープ空白]
「ただ祈ってくれたからというだけではありません。
あそこに座っているのが、十六年間足の不自由だった私の母です。」
私は言いました。
「私が癒したのではありません。
キリストが癒されたのです。」
彼は言いました。
「ですが、ここに。
小切手を書いてきました。」
五千ドルの小切手でした。
彼は石油業を営む人で、それだけのことができる人でした。
私はそれを破り捨てました。
受け取りたくなかったのです。
私が欲しいのは、あなたのお金ではありません。
あなたの信仰なのです。
8. あと数年もすれば――
五年以内かもしれないし、
もう少し長いか、短いかもしれませんが――
あなたがたのお金は、
それが書かれている紙ほどの価値もなくなるでしょう。
何の値打ちもなくなるのです。
今日のロシアでは、
千ドル札を壁紙のように貼っている家があると言われています。
それほど価値がなくなっているのです。
南部連合の時代もそうでした。
あっという間に紙くずになったのです。
そして私たちも、同じ方向へ進んでいます。
先日マイアミで、ある宣教師が私に話してくれました。
彼はロンドンの通りを歩いていたそうです。
私たちがロンドン・ホールへ行く前のことでした。
「ポケットに六百ポンド入れていた」と彼は言いました。
当時のドルにすれば相当な額です。
けれども、
その六百ポンドでは、
自分の娘が欲しがった小さなクッキー一つ買えなかったのです。
なぜなら、まず“配給切符”が必要だったからです。
配給制度だったのです。
――獣の刻印。
その印を持つ者でなければ、
買うことも売ることもできない。
それはここにも来ます。
よく耳を傾けていなさい。
私がまたここへ戻ってくる前に、
あなたがたはそれを見ることになるかもしれません。
それはもう戸口のところまで来ています。
終わりは近いのです。
9. 家や土地のことを思い煩ってはいけません。
来られるキリストのことを考えなさい。
今や、キリスト以外に希望を置けるものは何もありません。
その通りです。
私たちの未来のすべては、
主の再臨にかかっています。
それは、すでに眠った者たちの希望であり、
今生きている私たちの希望でもあります。
さて、よく聞いてください。
あの集会で、あの牧師は語りました。
[テープ空白]
奇跡を行われる神について。
初めに神が天と地を創造されたこと、
そして荒野で青銅の蛇を掲げられたことについて語ったのです。
するとある人々は、そうした主張を聞いて言いました。
「そんな話を誰が聞いたことがあるのか。」
聖書で証明できない、と言うのです。
しかし神はモーセに命じて、
一つの蛇を造らせました。
なぜでしょうか。
人々がそれを見上げることができるようにするためです。
それは人間の性質なのです。
人は何か“見えるもの”を必要とします。
目で確かめられるものが欲しいのです。
自然の目は、
何かを見ようとするのです。
10. 神が、その蛇の上に
ご自分の癒しの賜物を置かれたのです。
信じますか。
神はそうなさったのです。
もちろん、見ても信じない人もいました。
けれども、見て信じた人もいました。
そして信じて見上げたとき、
蛇の毒は取り除かれました。
すると、ほかの人々も見て信じ始めました。
そのとき彼らは悟ったのです。
神があの蛇を通して証ししておられる。
ご自分がエホバ・ラファ、癒し主であると。
そして神は今もエホバ・ラファです。
「かつてあった」お方ではありません。
「わたしはある」お方です。
過去の神ではなく、
今ここにおられる神です。
現在形の神です。
さて、青銅の蛇を見上げて癒された――
それは確かに奇跡でした。
そしてその後、
青銅の蛇の時代が過ぎると、
神は御使いを遣わして、
水の池の上に下られました。
11. あの青銅の蛇は、
誰のためにも祈ることはできませんでした。
手を置くこともできませんでした。
それでも人々は、
その蛇のうちに神を認めたのです。
神の賜物を。
池もまた、
誰のためにも祈ることはできませんでした。
しかし神は、その池の上に御使いを置かれました。
そしてそれを信じて中に入った者は癒されました。
その通りでしょうか。
これが奇跡を行われる神です。
そしてさらに彼は語りました。
神はキリストのうちに住まわれました。
また神は、ご自分の賜物をペテロにも与え、
パウロにも与えられました。
彼らの影の上に人々が入るだけで、
癒されたのです。
その通りでしょうか。
人々はその中に、
奇跡を行われる神を認めたのです。
そして彼は言いました。
「昔、イスラエルが四百年の間エジプトで寄留していたとき、
神は彼らに解放を約束された。」
そして時が来たとき、
彼らが解放を必要としていたとき、
神はその約束を成就された。
彼らに解放を与えられたのです。
今、神の民は癒しを必要としています。
そして神は賜物を送ると約束されました。
それならば――
神がご自分の御言葉を守られるということは、
疑いのない事実ではありませんか。
もちろんです。
神は必ず御言葉を守られます。
12. 「人はどんな主張でもすることができる。
だが、もし神がそれを証しされないなら、
それは間違いだ。」
[テープ不明瞭部分あり]
もしどこかに行って、
腰を下ろし、
昔ながらの、聖霊に満ちた、神に属する説教を
静かに聞くことができるなら――
私は持っているものを何でも差し出してもいいと思います。
ああ、本当に。
[テープ空白]
しかし実際には、
そこへ行くと、
人々の思いはみな「癒し」に向いているのです。
そして、病人のために祈ることになる。
13. 明日の晩はもっと早く来て、
もっとたくさん聞きたいと思います。
それは私を助けてくれます。
励まされるのです。
私はああいうのが好きなのです。
良い説教者の語るのを聞くのも好きです。
ああ――
あの朝、イエス様が海辺に降りて行かれ、
神がご自分を通して何をしておられるのかを語られたとき、
その場で聞くことができたならと思います。
あの朝、主の声を聞けたなら。
あなたもそう思いませんか。
主が海辺に下られると、
人々は神の御言葉を聞こうとして、
主のまわりに押し寄せました。
さて、よく聞いてください。
「信仰は聞くことから来る。
聞くことは神の御言葉による。」
その通りでしょうか。
そして主ご自身が、その御言葉でした。
初めに言(ことば)がありました。
神から出たロゴスです。
そしてその言が肉となり、
私たちの間に住まわれました。
主は地上に現された神の御言葉そのものでした。
信じますか。
主はそこにおられ、
人々は御言葉を聞いて立っていました。
さて、その中のある姉妹たちは――
[テープ空白]
14. 「川のほとりで集会がある」と聞いて、
川へ下って行った人たちがいました。
兄弟たちの中には、
その朝、畑を耕しに行かなかった人もいました。
仕事に出ずに――
[テープ空白]
キリストの話を聞くために、川へ行ったのです。
しかし中には、
主をキリストだとは信じなかった人もいました。
ちょうど今日でも、
癒しがあなたのためのものだと信じない人がいるのと同じです。
賜物の回復を信じない人もいます。
けれども、
信じないからといって、
それが真実でなくなるわけではありません。
誰かが聞きます。
誰かが信じます。
彼らは主を神の御子だとは信じませんでした。
しかし神は主を通してご自身を現し、
しるしと不思議によって証明されました。
主は終わりの日に、
あざける者たちの教会があると約束されました。
その通り、私たちはそれを見ています。
しかし同時に、
しるしが伴う教会もあると約束されました。
それもまた、私たちは見ています。
その通りです。
今夜も、
どちらか一方なのです。
ここにいる私たちは皆、
どちらかの側に立っています。
その通りです。
15. 人々が主の話を聞こうとして押し寄せたとき、
そこに漁師が二、三人いました。
一人はシモンでした。
私はいつも思うのです。
主はそのときすでに、
これから起こることをご存じだったのだと。
シモンがそこにいることも、
すべて分かっておられたのです。
彼らは一晩中網を打っていました。
けれども、一匹も魚が獲れなかったのです。
この砂漠地帯の皆さんは、
あまり漁のことはご存じないかもしれませんね。
けれども、とにかく――
魚を釣って何も獲れないというのは、
本当にがっかりするものです。
ほら、笑っている方がいますね。
漁師の方がここにもおられるのでしょう。
一晩中働いて、
何も獲れなかった。
そして彼らは、岸に座って網を洗っていました。
そのとき私は、ペテロがアンデレに
こう言うのを想像します。
「ほら、あの“神の癒し手”が来るぞ。」
もうずいぶん噂を聞いていましたからね。
「さあ、何を言うのか聞いてみようじゃないか。」
彼が切り株の上か何かに腰かけて、
川のずっと奥の方に座っている様子が目に浮かびます。
ちょうど、
初めて集会に来た晩の、
少し懐疑的な人のように。
できるだけ後ろの方に座って、
様子をうかがっている。
何が起こるのか、
見てやろうという顔で。
16. 神がご自分を通して人々を癒すと約束されたこと。
イザヤの預言が成就したこと。
来るべきお方、メシヤはこの方であるということ。
そのようなことを語られました。
ほかの地方で、
神がご自分を通してどのように癒してこられたかも話されました。
そしてそのときも、
主を通して癒しがなされ、
救いと解放が人々にもたらされていたのです。
その様子を私は目に浮かべます。
あの年老いた使徒たちが、
腰かけていた石や木切れを拾い、
少しずつ前へ詰めていくのです。
ああ――
私も、もう少し近くへ行きたいと思います。
あなたもそうでしょう。
ペテロがこう言うのが聞こえるようです。
「さあ、アンデレ。
もう少し前へ行こうじゃないか。」
そして気がつけば、
座っていた木切れをそのままにして、
群衆の中に立って、
主の声に耳を傾けているのです。
17. あなたもそうでしょう。
主は律法学者のようには語られませんでした。
権威をもって語られました。
だれかの言葉を引用するのではなく、
「わたしはこう言う」と語られたのです。
さて――
私はシモンがこう言うのを想像します。
「あの方の語り方には、
何かがある……」[テープ空白]
「私はあの方が好きだ。
あの語り方が好きだ。」
そして彼は、
もう少し近づいていきます。
やがて主が語り終えられたとき、
主はシモンの舟の中におられました。
そしてこう言われました。
「シモン。」
ああ――
そのとき彼は何を思ったでしょう。
「シモン、沖へ漕ぎ出しなさい。
深みに舟を出して、
網を下ろしなさい。」
これは少し妙なことに聞こえます。
「深みに出て、網を下ろせ、ですって?」
「ちょっと待ってください。
私たちは漁師です。
岸に糸を垂らしている素人じゃありません。」
「魚を獲るにはどうすればいいか、
潮の様子や時間も分かっています。」
「昨夜はこのあたりを一晩中漁しました。
けれども一匹も獲れなかったんです。」
考えてみてください。
一晩中働いて、
何も獲れなかったのです。
さて――
ここで注目してください。
これは信仰の試しです。
神はいつも、
人を信仰の試しに通されると、私は信じています。
まず試されるのです。
すべてを試しなさい、とあります。
そして本当のクリスチャンは、
信仰の試しを喜びます。
[テープ空白]
18. [テープ空白]
これは大きなことではありませんか。
使徒がこう言ったと、私は信じます。
「私たちの試練は金よりも尊い。」
考えてみてください。
神はあなたが病気になることをお許しになったのかもしれません。
それは、あなたが証し人となるためかもしれないのです。
主があなたを癒し、
あなたが御言葉の上に立つためです。
そして反対に出会ったとき、
あなたは言えるのです。
「私は知っている。」
少しの疑いもなく、
はっきりと知っている、と。
ああ――
「あなたがたは、エルサレム、ユダヤ、サマリヤ、
地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」
証人とは何でしょうか。
何かを実際に経験した人です。
どこかに行き、
何かを見た人です。
その通りでしょうか。
さて、覚えておいてください。
証人は、実際に目で見た証人でなければなりません。
人づてではだめです。
もし裁判所へ行って、
「街で事故を見ました」と言っても、
窓ガラス越しに見ただけなら、
正式な証人にはなれません。
その場に、
自分自身がいなければならないのです。
二重にぼやけて見ていてはだめです。
はっきりとした証人でなければなりません。
さて――
そこに座っている姉妹よ、
目が悪くて眼鏡をかけているあなた。
もし目が良ければ、
その眼鏡は必要なかったはずです。
では考えてみてください。
神がその視力をその状態にお許しになったのは、
証しを与えるためだったとしたら、
どうでしょうか。
主がそれを回復し、
あなたが証し人となるためだったとしたら。
それは素晴らしいことではありませんか。
主が来られ――
19. 人々はそう言いました。
「彼が罪を犯したのか、それとも父親か。」
主は言われました。
「この場合は、どちらでもない。
神のみわざがこの人に現れるためである。」
神は証人を求めておられるのです。
神はあなたを癒すために、
癒しの賜物を送られました。
それはあなたが外へ出て、
証し人となるためです。
そして信仰の試しに立ち向かうのです。
歩み出て、
神から与えられた特権を主張しなさい。
その通りです。
さて――
主が言われました。
「沖へ漕ぎ出しなさい。
深みに出て、網を下ろしなさい。」
主はあの人を教育しておられたのです。
やがて彼には、
大きな試練が来ることになります。
覚えていますね。
ほかの者たちもそうでした。
けれども彼は、
その前に学ばなければならなかったのです。
20. その病があなたにあるのは、
神があなたを導いて、
「神はおられる」という所へ、
そして「熱心に求める者に報いてくださるお方だ」という所へ
連れて行くためかもしれません。
あなたの信仰を形づくるために、
その病が許されたのかもしれません。
そしてあなたは、ここフェニックスでも、
ダグラスでも、
どこから来られたとしても、
こう言えるようになるのです。
「私は知っている。
誰が何と言おうと関係ない。
私は知っている。
神は癒し主だ。」
ここにいる中で、
神の癒しによって癒された人はどれくらいいますか。
知っていますか。
それは本当でしょう。
アーメン。
本当です。
あなたがたはその証人なのです。
ああ――
さて、ここを見てください。
主は言われました。
「さあ、沖へ漕ぎ出しなさい。網を下ろしなさい。」
そこでペテロは言いました。
「主よ、私たちは一晩中働きました。」
つまり、
この水域をくまなく漁ったということです。
「何度も網を打ちましたが、
一匹も獲れませんでした。」
ここをつかんでください。
「しかし、あなたのお言葉ですから、
網を下ろします。」
分かりますか。
「人間としてできることは全部やりました。
知識も、経験も、能力も、
もう限界です。」
「しかし、あなたのお言葉ですから、主よ、
網を下ろします。」
21. あなたは医者にかかったかもしれません。
手術も受けたかもしれません。
できることは全部やったでしょう。
これまで祈りの列に並んだこともあるかもしれません。
しかし今夜、こう言うのです。
「あなたのお言葉ですから、主よ、
今夜私は網を下ろします。」
「今夜、私は網を下ろしに来ました。」
もしかしたら、こう言う人もいるでしょう。
「そこに魚はいない。」
「ペテロ、あなたは一晩中網を打った。
そこに魚がいないことは分かっているじゃないか。」
けれども、神が
「網を下ろせ」と言われたなら、
神はそこに魚を置くことができるのです。
分かりますか。
今夜も同じです。
医者が「あなたは良くならない」と言っても、
神の御言葉が「あなたは癒される」と言うなら、
神は何でも置くことができるのです。
新しい細胞を造ることもできる。
新しい目を造ることもできる。
新しい鼓膜でも、
必要なものは何でも。
神はそれをそこに置くことができるのです。
信じませんか。
22. 創世記のあの時代に――
神はエホバの御名で、
全能の神として現れました。
ヘブル語では
「エル・シャダイ」と言います。
それは「乳房」、
すなわち「養い、満たす方」という意味です。
母親が赤ん坊を養うように、
いのちを与え、
力を回復させるお方。
アブラハムは九十九歳でした。
子どもはいませんでした。
サラは八十を過ぎていました。
二人には何も望みがないように見えました。
しかし神は言われました。
「わたしはエル・シャダイである。」
「わたしは養う者である。
わたしは全能の神である。」
言い換えれば――
「あなたがどれほど弱っていても、
わたしは再び力を与えることができる。」
神は今も全能の神です。
今夜もエル・シャダイです。
あなたは言うかもしれません。
「私はもう年です、ブラナム兄弟。
癒しは私のためですか。」
はい。
アーメン。
「だれでも望む者は来なさい。」です。
「私はメソジスト派です。」
どこに属していようと関係ありません。
信じるなら、癒しはあなたのものです。
エル・シャダイ、全能の神。
「主よ、網を下ろします。」
あなたは言うでしょう。
「私はもう年です。
この病、この婦人科の問題を、
何年も抱えています。」
「医者にもかかりました。
できることは全部やりました。」
けれども――
「あなたのお言葉ですから、主よ、
私は網を下ろします。」
23. 御言葉があります。
神の御言葉は、癒しがあると言っています。
癒しはあるのです。
[テープ空白]
だから今夜、
「主よ、私は網を下ろします」と言えるのです。
[テープ空白]
あの長血をわずらっていた女のことを思い出してください。
彼女は長い間苦しみ、
持っているものをすべて医者に費やしました。
しかし、少しも良くなりませんでした。
これ以上どうしようもない、と言われたかもしれません。
祈ってもらったこともあったかもしれません。
供え物もささげたかもしれません。
[テープ空白]
祈りの列はあまりにも長く、
彼女は前へ進むことができませんでした。
[テープ空白]
そこで彼女は心の中で言いました。
「もしあの方の衣の裾にでも触れることができれば、
私は癒される。」
そして群衆をかき分け、
主の衣の裾に触れました。
[テープ空白]
主は振り向いて言われました。
[テープ空白]
ペテロが言いました。
「ご覧ください、こんなに大勢の人が押し寄せているのに――」
しかし主は言われました。
「わたしは感じた。
力がわたしから出て行った。」
友よ――
そのとき主は弱くなられました。
主は今夜も同じです。
24. 彼は正気を失っていました。
希望はすべて消え去っていました。
家族も離れ、
墓場や荒れ野をさまよっていました。
まさに悪霊の住みかのような、
死の場所です。
ああいう所を、
悪霊は今も好むのです。
さて――
医者たちも彼を助けることができませんでした。
彼らはお手上げでした。
[テープ空白]
けれども彼は、
神がメシヤを送られることを
どこかで知っていたのかもしれません。
そして主に出会ったとき、
彼は正気に戻りました。
主は今夜も、
あのときと同じ神です。
友よ、目を覚ましなさい。
今の時は――
[テープ空白]
神の賜物、
神の力、
神の約束が、
今夜、ここに立っています。
「だれでも望む者は来なさい。」
もしそれが他の人に働いたなら、
神はそれを証ししておられるのです。
そして神が証ししておられるなら、
それは真実です。
それを通り過ぎさせてはいけません。
神の御言葉をそのまま受け取りなさい。
はい、その通りです。
25. 十二歳になる小さな娘がいました。
その子が死んでしまったのです。
イエス様は、その父――ヤイロの家へ向かっておられました。
娘を癒すために。
しかし途中で知らせが来ました。
「娘さんはもう亡くなりました。
もう先生を煩わせるには及びません。」
そのときの彼の顔を、私は思い浮かべます。
ああ――
「娘は死んでしまった。」
そう思ったでしょう。
彼は一瞬、
不信仰な人々の側に立ってしまいました。
けれども心の奥では、
どうしてもイエスを信じたいと思っていたのです。
今夜、この町にも、
全き福音を信じたいと願っている人が大勢います。
けれども、自分の立場を恐れているのです。
そうです。
本当は欲しいのです。
「グロリア・ア・ディオス!」と
声をあげるほどの救いを持ちたいのです。
そのような人はたくさんいます。
しかし問題は、
誇りや体面の方を、
神の愛するキリストよりも
大切にしてしまうことです。
ああ――
けれども主はここにおられます。
今もキリストです。
そして主は証明されました。
神が備えられた道を通って来る者には、
聖霊を与えてくださることを。
アーメン。
その通りです。
そして同じように、
神が備えられた道を通って来る者を、
主は癒してくださいます。
26. ヤイロは打ちのめされていました。
「娘は死んだ。もう先生を煩わせるな」と言われたのです。
そのとき、主のあの聖なる目が彼に向けられました。
そして言われました。
「恐れるな。ただ信じなさい。」
ああ――
主はご自分がどこに立っておられるかをご存じでした。
その子がよみがえることを知っておられました。
なぜならヤイロは、
あれほど多くの疑う者たちの中にあって、
それでも主のもとへ来るほどの、
真実な信仰を持っていたからです。
彼らが家へ戻る途中の様子が目に浮かびます。
誰かが言ったでしょう。
「ほら見ろ、あの“神の癒し手”はどうだ。
言った通りじゃないか。」
「教会に恥をかかせただけだ。」
けれども主は、
その声に構わず進まれました。
部屋に入ると主は言われました。
「娘は死んだのではない。眠っているのだ。」
人々は主をあざけり笑いました。
今もなお、
主を笑う人はいます。
そして主は彼らを外へ出されました。
今日も同じです。
神の永遠の力、
全能の力をあざける者は、
御国の外に置かれるのです。
その通りです。
27. 主は中へ入られました。
ペテロとヤコブとヨハネだけを残し、
他の者はすべて外へ出されました。
[テープ空白]
なぜなら、
そこには人間的な希望は何も残っていなかったからです。
人の力は退き、
ただ主だけが立っておられました。
主は彼らの信仰をご存じでした。
しかし、ここをつかんでください。
主は権威をもっておられました。
その力は、
この朽ちる肉体から出て、
霊の領域へと及びました。
そして、
何時間も前に去っていた少女の霊を、
その霊の世界から呼び戻されたのです。
あの領域へ――
今夜、私は感謝しています。
あの同じお方を知っていることを。
霊の領域から霊を呼び戻し、
再び命の中へと戻すことのできるお方を。
そして主は、ラザロの墓の前にも立たれました。
すべての望みは消えていました。
ラザロは四日も死んでおり、
墓の中で腐敗が始まっていました。
それでも――
人々はイエスが来られたと聞き、
外へ迎えに出ました。
[テープ不明瞭]
処女から生まれたその方、
全能の神――
[テープ不明瞭]
28. その通りです。
主が山から下りて来られたとき、
いちじくの木をご覧になりました。
実がなく、食べるものがなかったのです。
人々は言いました。
「彼は人のように空腹だった。」
そうです。
主は空腹を覚える人でした。
[テープ空白]
しかし、五つのパンで五千人を養われたとき、
それは神でした。
その通りです。
それは真実です。
私はそれが真実だと知っています。
またある夜、
舟の上におられました。
海の悪霊が一万も集まって、
主を沈めてやろうと誓っているかのようでした。
主は癒しの働きで疲れ、
舟の後ろで眠っておられました。
あれほど深く眠っておられたのです。
波と風が荒れ狂っても、
目を覚まされませんでした。
そのとき主は、
人として眠っておられました。
その通りです。
しかし、やがて起き上がり、
舟のへさきに立ち、
天を見上げて言われました。
「静まれ。」
そして波に向かって言われました。
「黙れ。」
風と波が従いました。
眠っていたときは人でした。
しかし風と波を静めたとき、
それは神でした。
その通りです。
29. 「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と叫ばれたとき――
それは死にゆく人としての姿でした。
しかし復活のとき、
それは神でした。
その通りです。
「わたしには命を捨てる権威があり、
またそれを取り戻す権威もある。
だれもわたしから取ったのではない。
わたしが自ら捨てたのだ。」
そのお方は今夜も同じです。
ラザロの墓のそばに立っておられたとき――
主は人として立っておられました。
弱さを持ち、涙を流して。
頬を涙が伝っていました。
ラザロをよみがえらせることができると
ご存じだったのに。
それは人としての感情でした。
人々への愛ゆえの涙でした。
しかし墓の前に立って、主は言われました。
「石を取りのけなさい。」
ここを見てください。
主はご存じでした。
人が果たすべき分があることを。
あなたにも、あなたのする分があります。
[テープ空白]
石を動かしなさい。
あのか弱い二人の女が、
石を取りのけました。
そして石が取りのけられたとき、
主ははっきりと声を上げられました。
「父よ、わたしの願いをいつも聞いてくださることを感謝します。
しかし、ここに立っている人々のために――」
30. ここです。
ここをつかんでください。
主は大声で叫ばれました。
霊の世界の奥深くへと届くように。
「ラザロよ!」
もし名を呼ばれなかったなら、
あのとき墓にいた者たちすべてが
よみがえったでしょう。
私はそう信じます。
それほどの権威でした。
「ラザロよ、出て来なさい。」
ああ――
腐敗はその主を知っていました。
霊もまた、その主を知っていました。
ラザロは四日間死んでいました。
その魂は永遠のどこかにあったでしょう。
どこにいたのか、私は知りません。
あなたも知りません。
それを論じる必要はありません。
しかし確かなことは一つです。
神の御子の声を聞いたのです。
四日間死んでいた男が、
再び立ち上がったのです。
主は昨日も、今日も、
いつまでも同じです。
信じますか。
「それでも、主よ、
あなたのお言葉ですから、
私は網を下ろします。」
31. その聖徒は旅路の終わりにこう言いました。
「私は良い戦いを戦い、
走るべき道のりを走り終え、
信仰を守り通した。」
「今や、義の冠が私のために備えられている。
主がかの日に、それを授けてくださる。」
そして去っていくとき、
彼はさらにこう言いました。
「死よ、おまえのとげはどこにある。
墓よ、おまえの勝利はどこにある。」
何という挑戦でしょう。
「死よ、どこにいる。
降りて来い。私を脅せるか。」
そこに六フィートの土があるのを見て、
彼は言いました。
「墓よ、おまえの勝利はどこだ。」
「見せてみろ。」
「私はおまえに答えを持っている。
エルサレムに空の墓があることを、私は示せる。」
アーメン。
主は今夜もキリストです。
「死よ、おまえのとげはどこにある。
墓よ、おまえの勝利はどこにある。」
そして、パウロと共に私は付け加えたい。
「病よ、おまえはどこに立つのか。
私たちの神の前で、立てる場所があるのか。」
32. 「主よ、あなたのお言葉ですから、
私は網を下ろします。」
この命の車輪が止まるとき、
あなたがどのように私の魂をここから取り上げられるのか、
私は分かりません。
けれども、あなたのお言葉ですから、主よ、
暗い永遠の中へも、
あなたを信頼して入って行きます。
「主よ、だれかの祈りを通して、
どのように私を癒されるのか、
私には分かりません。
けれども、あなたのお言葉ですから。」
あなたは言うでしょう。
「それは御言葉にあるのですか。」
あります。
「信じる者には、これらのしるしが伴う。
わたしの名によって悪霊を追い出し、
新しいことばを語る。
蛇をつかんでも、
毒を飲んでも害を受けない。
病人に手を置けば、いやされる。」
その通りでしょうか。
「あなたのお言葉ですから、主よ、
私は来ます。
どう起こるのか分かりません。
けれども、ここにおります。」
神を理屈で解こうとしてはいけません。
御言葉をそのまま受け取りなさい。
33. 舟は波に揺さぶられていました。
やがて主が水の上を歩いて来られるのが見えました。
彼は言いました。
「主よ、もしあなたでしたら……」
[テープ空白]
自分で何を言っているのかも、
よく分からなかったでしょう。
しかし主は言われました。
「来なさい。」
ペテロは思ったかもしれません。
「主よ、ここは四十尋(ひろ)もある深さです。
どうやって歩けるのか分かりません。
水の上を歩くなんて、
空の上を歩くのと同じくらい不可能です。
でも私は、
水の成分を先に計算しようとはしません。
下に板があるかどうかも確かめません。
あなたが『来なさい』と言われたなら――」
「あなたのお言葉ですから、主よ、
ここに私は行きます。」
その通りです。
34. 十九世紀以上の証明を経た今夜のあなたはどうでしょうか。
ハレルヤ。
兄弟よ――
[テープ空白]
御言葉を理屈で解こうとするのではなく、
[テープ空白]
「主よ、私はあなたをそのまま受け取ります。」
[テープ空白]
昔、御言葉をそのまま受け取った若者たちがいました。
恐れませんでした。
バビロンにいたヘブル人の若者たちです。
ダニエルは心に決めました。
王の食物で自分を汚さないと。
シャデラク、メシャク、アベデネゴも同じでした。
そして勅令が出ました。
ある像を拝まない者は、
七倍も熱くした炉に投げ込まれる、と。
さて――
試練がやって来ました。
35. [テープ空白]
明日が来ます。
そしてその次の日も来ます。
そのとき、試練がやって来ます。
心配しなくてよいのです。
ここにいる中で、聖霊を受けた人はみな、
数日のうちに試練が来たのではありませんか。
その通りでしょう。
癒されたとき、
その中にいた悪霊の力は弱まり、
その影響は死に始めます。
しかし試練はやって来ます。
サタンは戻ろうとします。
汚れた霊が人から出て行くと、
乾いた所をさまよい、
そして戻って来ると書いてあります。
しかも、自分よりも悪い七つの霊を連れて。
その通りでしょうか。
ここをよく見てください。
家が掃き清められ、
整えられていなければならないのです。
ここが大切です。
戻って来たとき、
家が整えられ、掃き清められているのを見つける。
そしてそのとき――
聖霊がその中におられれば、
彼を追い払うのです。
36. 彼らは祈っていました。
王の命令など気にしませんでした。
その脅しを恐れませんでした。
彼らが知りたかったのは、
「主はこう言われる(THUS SAITH THE LORD)」でした。
そして顔を向けて――
[テープ空白]
いつもと同じように祈ったのです。
よく注意してください。
勅令は出されました。
王の印が押されれば、
それは取り消すことができません。
三人のヘブル人は焼かれることになりました。
ネブカデネザル王が言うのが聞こえるようです。
「この“聖なる連中”に、
ここでどう振る舞うべきか教えてやろう。」
「誰がここで支配しているのか、
思い知らせてやる。」
しかし心配しないでください。
その時代は、また来ます。
その通りです。
もう戸口のところまで来ています。
ああ――
あなたは今、
その影の中に生きているのです。
37. 「この若者たちがどうなるか見てみよう。あの聖霊の宗教が何をするのか試してやろう。あれを焼き尽くしてやる。」
兄弟よ、それはこれまで多くの人の中から焼き払おうと試みられてきました。
しかし、聖霊を焼き出すことはできません。
なぜなら、聖霊ご自身が火だからです。
その通りです。
彼らはヨハネからそれを煮出そうとしました。
熱い油の中で煮ても、彼からそれを取り除くことはできませんでした。
煮出すこともできない。
脅して追い出すこともできない。
走らせて追い出すこともできない。
それは、そこに留まるのです。
「彼らを火の炉に投げ込め。」
そう言う声が聞こえてくるようです。
ネブカデネザル王が、最高の衣をまとい、王の装束を身に着け、座についている姿が目に浮かびます。
「さあ見ていろ。
試練の中で彼らが叫ぶのを見ていろ。」
(※テープの空白部分)
…そして今日のこの癒しの集会の後でも、同じような声があるでしょう。
しかし――
「あなたのみこころのままに。」
その通りです。
ダビデとゴリアテのように。
38. ああ、どんなに反対が大きく見えようとも――
「おまえは武具をまとったペリシテ人として私に向かって来るが…」
(テープ空白)
「私は万軍の主、イスラエルの神の御名によって、おまえに立ち向かう。」
ここです。
サタンは言う……
医者たちは皆、「あなたはもうだめだ」と言う……(テープ空白)
しかし私は来る。宣言しながら来る。
「この目的のために、主は成してくださったのだ。」
「私はおまえに真っ向から立ち向かう。
おまえには、私に対する何の力もない。
なぜなら、私は自由だからだ。
キリストが私を自由にしてくださったのだから。」
39. 手を後ろで縛られ、死への行進として、火の炉へと連れて行かれる。
あの足場を登っていく姿が見える。
大きな穴の頂へと上っていく。
その朝――(テープ空白)
炎は高く燃え上がっていた。
あの壮絶な光景が目に浮かびます。
少しここで注目してください。
よく聞いて、そして祈ってください。
今、彼らがその炉へと向かって登っていくのが見えます。
ネブカデネザル王が上に座り、こう言っているのが見えます。
「さあ見ろ。
あそこへ行ったら、彼らがどう叫び声を上げるか見ていろ。」
これは揺さぶられる時です。
やがて、シャデラクがメシャクを見て言う。
「どう思う?」
熱気が押し寄せてくるのを感じ始める。
私たちも感じるでしょう。
心配はいりません。感じるのです。
メシャクが言うのが聞こえます。
「聞いてくれ。
私は気にしない。
私たちの神は、あの火から救い出すことができる。
しかし、主よ、あなたのお言葉によって、私は参ります。
あの火は、私たちを一瞬で焼き尽くすかもしれない。
しかし、主よ、あなたのお言葉によって、私は参ります。
私は何ものにもひれ伏さない。
私はあなたの御言葉をそのまま受け取る。
私は進む。」
よろしい。
彼らはさらに数歩進んだ。
ああ……
熱はあまりにも強く、
護衛していた者たちが気分を悪くするほどだった。
(テープ空白)
40. 彼らが歩幅をだんだんと狭めていくのが見える。
槍がさらに強く背中を押す。
「進め。進め。」
再びシャデラクが言うのが聞こえる。
「どう思う、アベデネゴ?」
「私は神の御言葉をそのまま受け取る。
私たちは知っている。
神が多くのことをしてくださったのを。
あの海を開き……(テープ空白)
私たちをここまで導いてくださった。
あの方はそれらを成された。」
そして、その日に生きておられた神は、
今日も生きておられる。
今夜、友よ。
あの時代からこちら側に、
私たちには何百年、何千年もの証しがある。
それならば、なおさら――
私たちはその御言葉を、そのまま信じてよいはずではないか。
41. そしてそこに立ち止まり、ついに炉の中へと投げ込まれる。
まるで誰も気にしていないかのように見える。
「どうだ?
あのエホバを信じているその宗教はどうした?
救い出してみろ。」
「ああ神よ、あのあざけりを見てください。
しかし、それでも――
主よ、あなたのお言葉によって、
私はこの最後の数歩を進みます。」
彼らが顔を上げるのが見える……
神はいつもご自分の民を気にかけておられる。
そう信じますか?
何かが起きているその時――(テープ空白)
天を見上げてみましょう。
あの時、上でも何かが起きていなかったでしょうか。
ああ……
御座に座して下を見ておられる主の姿が見える。
右の方へ何かが動くのが見える。
それは何か?
御使いだ。
彼らはその名をガブリエルと言う……(一部不明瞭)
バビロンで気にかけておられた神は、
今夜フェニックスでも気にかけておられる。
あの時は三人だった。
今夜フェニックスには何百人もいる。
主はここにおられる……(テープ空白)
祈りの列……(テープ空白)
「あなたのお言葉によって。」
私は自分の語ることについて裁かれなければならない。
あなたは自分の信じることについて裁かれなければならない。
42. わたしは大いなる水を解き放ち、
深淵のすべての水門を開き、
地を洪水で満たし、存在するものすべてを溺れさせた。
わたしを行かせよ。
バビロンを地の面から洗い流してしまおう……」
(テープ空白)
主はそれをなさる力を持っておられた。
そう思いませんか?
主にはバビロンを地の面から消し去る力があった。
威厳ある御方の声が聞こえる。
「そうだ、あなたにはできる……」
(テープ空白)
最後の瞬間……
彼らが最後の段を上るのが見える。
王が……聖徒たちの……(テープ空白)
御座から立ち上がられる姿が見える。
御座の上に立たれ、
遠くの大きな白い雲に向かって語られる。
「東風よ、来たれ。
北風よ、来たれ。
西風よ、南風よ。」
四方の風を呼び集められる。
「地に向かって吹け。」
天にあるすべてのものは、
主に従う。
43. 私たちは御言葉をそのまま受け取ることを恐れてはいないでしょうか。
主は言われた。
「来たれ。」
風はどうやって従うのか?
それは私が問うことではない。
御座のあたりから、大きな白い雲が現れるのが見える。
その大きな白い雲の上に主が立たれるのが見える。
神に栄光あれ。
稲妻のように。
主は言われる。
「東風よ、北風よ、西風よ、南風よ。
今朝、おまえたちをバビロンへ向かわせる。
わたしは、わたしの兄弟たちが窮地にあるのを見ている。
ウッドワームよ、あなたを行かせることはできない。
ガブリエルよ、あなたを行かせることはできない。
わたしが自ら行く。」
アーメン。
主が……(テープ空白)
空を横切って行かれる姿が見える。
そしてついに、その時を選ばれた。
ちょうど彼らが最後の一歩を踏み出した、その時――
「主よ、あなたのお言葉によって、
私たちは参ります。」
(レコードが飛ぶ・テープ空白)
ハレルヤ。
44. 恐れてはいけません。
御言葉をそのまま受け取りなさい。
「それでも、主よ、私はただ……(テープ空白)
しかし、主よ、あなたのお言葉によって、私は参ります。
あなたの御言葉をそのまま受け取ります。
ここにおります、主よ。
この最後の一歩をどう踏み出すのか、私には分かりません。
医者は、私はもうだめだと言っています……(テープ空白)
しかし、主よ、あなたのお言葉によって、私は参ります。」
どうなるのかは分からない。
「どうやって成るのかを試そうとしているのではありません。
主よ、あなたのお言葉によって、私は参ります。
わが手に持つものは何もなく、
ただあなたの十字架にすがります。
あなたの御言葉をそのまま受け取ります。」
頭を垂れましょう。
ああ神よ、今夜あわれんでください。
あなたは時代を通して癒し主であられました。
あなたは言われました。
「信じる者には、これらのしるしが伴う。」
この地上を去られる前、
あなたの口から語られた最後の言葉――
福音書に記されている最後の御言葉はこうでした。
「彼らが病人に手を置けば、病人は回復する。」
ああ神よ、
聖書はあなたが高き所に上られ、
人々に賜物を与えられたと語っています。
およそ千九百年が過ぎました。
(テープ空白)
(会衆がスペイン語で賛美。牧師がスペイン語で語る。)
※音声不明瞭のため省略
私は正直に言わなければなりません。
今、私の前に立っているものについて。
あなたは知っています。
あの病は悪霊です。
あなたはそれを癌、肺炎、結核と呼ぶでしょう。
しかしイエスはそれを「悪魔」と呼ばれました。
「悪魔」という言葉の意味は「苦しめる者」です。
魂を苦しめるという意味ではありません。
それについては、福音の説教と神の御言葉によって、あなたはすでに自由です。
そうでしょう?
私はそのために来たのではありません。
私は説教者ではありません。
私はあなたの体の癒しのために来たのです。
その苦しめる者を追い出すために――
あなたは御言葉を信じ、
それを語る人を信じなければ、
救われることも、聖霊を受けることもできません。
そうでしょう?
癒しも同じです。
同じ方法です。
45. そして明日の夜は、病んでいる方を皆連れて来てください。
明日の夜は、ここにとどまって、
全員のために祈り終えるまで続けます。
なぜなら、その次の夜は……(テープ空白)
私は、皆さん一人一人にお会いしたいのです。
特にスペイン語を話される皆さん。
あなた方の周りにいる方々を連れて来てください。
今はティフアナでは中に入ることができません。
今日、オレゴンから電話がありました。
ティフアナの祈りの列に、白人を一人入れることができるかと尋ねられました。
ティフアナでは、白人には一人だけの約束が与えられている。
それもスペイン語を話す人々のために与えられた一人……(一部不明瞭)
ですから、あなた方はここに来てください。
46. このスペイン語を話す皆さんのもてなしと友情に。
本来この集会はスペイン語の方々のためのものでした。
それでも皆が共に集まることを許してくださった。
私たちは彼らを愛していますよね、白人の皆さん。
そうでしょう?皆さん。
友よ、正直に言います。
私はここで見たような信仰を、
自分の民の間では見たことがありません。
本当です。
ああ、しばらくメキシコに行けたらと願っています。
しかし暴動の件で、まだ許可が下りません。
もし「リトル・ジョー」や、
ここにいる誰かが通訳してくれて、
しばらく滞在できたなら……
ああ……
神は国をひっくり返されると私は信じます。
本当にそう信じます。
なぜなら……
カトリックの人々は、
司祭が正しいと言うことを信じるように教えられているからです。
この建物の中にカトリックの方はいますか?
いれば手を挙げてください。
ほら、たくさんいますね。
さて、よく聞いてください。
カトリックの方は、
司祭が正しいと言えば、それを信じるように教えられています。
そうでしょう、カトリックの皆さん。
私も知っています。
私の家族もカトリックでした。
生まれも……
47. プロテスタントの人たちは、ただ信じると言います。
でも、この教会で信じられなければ、別の教会へ行きます。
しかしカトリックの人は、
カトリックである限り、そこに留まらなければなりません。
ここです。
彼らは信じるように教えられています。
神の癒しを信じるように教えられている。
そして「人」を信じるように教えられている。
その人が語ることは真実である、と。
だから、彼らがここに来て、
私が語るのを聞き、
そして、斜視の目がまっすぐになり、
耳の聞こえない人の耳が開くのを見ると――
それが神から来たものでなければならないと知るのです。
そして彼らは信じます。
時には、その場でひれ伏し、
足元に倒れ込むことさえあります。
彼らが、ただ形式的に通り過ぎるのを見たことはありません。
謙遜で、感謝に満ちている。
ああ……
そこに神が働かれるのです。
その通路の中で。
素晴らしいと思いませんか?
その通りです。
神はご自身の宝石を集めておられる。
私が何を言っているか、分かりますね。
48. プロテスタントの人たちは、ただ信じると言います。
でも、この教会で信じられなければ、別の教会へ行きます。
しかしカトリックの人は、
カトリックである限り、そこに留まらなければなりません。
ここです。
彼らは信じるように教えられています。
神の癒しを信じるように教えられている。
そして「人」を信じるように教えられている。
その人が語ることは真実である、と。
だから、彼らがここに来て、
私が語るのを聞き、
そして、斜視の目がまっすぐになり、
耳の聞こえない人の耳が開くのを見ると――
それが神から来たものでなければならないと知るのです。
そして彼らは信じます。
時には、その場でひれ伏し、
足元に倒れ込むことさえあります。
彼らが、ただ形式的に通り過ぎるのを見たことはありません。
謙遜で、感謝に満ちている。
ああ……
そこに神が働かれるのです。
その通路の中で。
素晴らしいと思いませんか?
その通りです。
神はご自身の宝石を集めておられる。
私が何を言っているか、分かりますね。
49. 耳には振動装置がつけられている。
生まれつきです。
覚えていてください。
この子は「聞こえる」ということを知らないのです。
今、ここにそれが起きようとしています。
さあ、今、何人が信じますか。
もちろん、ここに立っているこの子が、最初の奇跡になるでしょう。
今、ここに立っておられるのは、
私に語られたその方です。
たった今、それを感じました。
今も感じています。
もし私が真実を語っていないなら、
神が私の裁き主です。
あの夜、部屋で私に語られたその方が、こう言われました。
「あなたが今感じているこの感覚を感じるとき、
わたしはあなたのそばに立っている。」
主はここにおられます。
何人が、私がこのために遣わされたと信じますか。
どうかお願いします。
このマイクを通して私の声が
「頭を上げなさい」
と言うまで、頭を上げないでください。
内側も外側も……(テープ空白)
この小さな男の子のために祈ります。(テープ空白)
「すべてのことは可能です。ただ信じなさい。」
「ただ信じるなら、すべてのことは可能です。」
50. あの小さな女の子の足を見ていました。
祈る前、
彼女はその小さな足を、こんなふうに動かしていました。
そして、しばらくすると――
その小さな体から圧迫が抜けたとき、
彼女は他のどの女の子と同じように、
歩いて行ったのです……(一部不明瞭)