テスティモ二― 証し
コーナズビル インディアナ州 アメリカ合衆国
説教番号: 53-0607E
日付: 1953年6月7日(53-0607)
1. こんばんは、皆さん。
今夜も再び、王なるお方に仕えるこの場に戻ることができて、本当に幸せです。
私たちの主イエス・キリストと、その尽きることのない愛、変わらぬ力、限りない恵みを代表して、ここに立っています。
主は初めであり、終わりであり、かつておられ、今もおられ、やがて来られるお方。
ダビデの根であり、その子孫でもあり、明けの明星、シャロンのバラ、谷のゆり。
あなたがどんなに良い言葉を尽くしても、すべての正しさと美しさの中におられるのが主です。
そして、私たちはその方にあって完全なのです。そうでしょう?
私たちはキリスト・イエスにあって完全なのです。
さて、今日の午後、私はあなたがたに御言葉を語りました。
今夜は病める者のためのいやしの礼拝です。
午後は私が福音を宣べ伝える時でしたが、今夜は神がそれが真実であったかを証明される番です。
人は誰でも説教したり、何かを主張したりできます。
けれども、それが真実かどうかを決定するのは神ご自身です。
神が語られ、「それは真実だ」と言われるとき、それが真理となるのです。
ヘブライ人への手紙11章2節にはこうあります。
「神はご自身の賜物を証しされた。」
それは確かに真実です。私はそれを信じます。あなたもそうでしょう?
神はご自身の賜物を証しされるお方なのです。
2. さて今夜、私は説教をするのではなく、証を分かち合いたいと思います。
少し聖書を読み、証をしてから、祈りの列を呼びたいのです。
ここにいる多くの方々は、明日の朝お仕事があるでしょう。
私も少し遅れて到着し、ビリーも私の後で少し遅れて会場に入りました。
実を言うと、来る途中の道で彼に出会ったのです。
私は車を運転してきて、途中で車を交換し、そのままここに向かいました。
丘を越えるとき、「Only Believe(ただ信じなさい)」という賛美が聞こえてきました。
ですから、私は少し遅れてしまいましたが、感謝の思いでこの場に立っています。
そして、明日の午後の礼拝をどうぞ覚えていてください。
それは「使徒行伝」の礼拝です。
私は常に「使徒行伝」とは、実は聖霊ご自身の働きだと考えています。
なぜなら、使徒たちを通して働かれたのは聖霊であり、その模範はすべての時代を通して示されているからです。
当時の聖霊は今も同じお方です。
そして、聖霊が当時の教会になされたことは、今の教会にもなされます。
もしこの教会が、あの初代教会のように従順であるなら、同じ結果が現れるでしょう。
そう信じますか?
そうです。
それはただ、私たちがキリストに従順であるかどうかにかかっているのです。
3. さて、神の偉大なる三位一体のご計画の中で――
それは三つの神ではなく、唯一の神が三つのご性質でご自身を現されたものです。
すなわち、「父なる神の時代」「御子なるキリストの時代」「聖霊のご支配の時代」です。
モーセと律法の下にあった「父なる神の時代」において、
もし人が神に従わず、その命令を破ったなら、死刑に処せられました。
そしてイエス様が来られたとき、こう言われました。
「人の子に対して言葉を語る者は赦される。しかし聖霊を冒涜する者は、この世においても、来るべき世においても決して赦されない。」
ですから、今夜、聖霊を拒むことは、モーセの時代に父なる神を拒むこと、
あるいはイエス・キリストが肉体をもってこの地上を歩かれた時にその方を拒むことよりも、
はるかに深刻なことなのです。
当時の人々は、父なる神を正しく理解していませんでした。
イスラエルの人々が戸口に血を塗ったとき、他の民は彼らを奇妙な人々だと思いました。
彼らはその後、宗教を制度として築き、やがてそれを普遍的な宗教にしてしまいました。
そして次にイエス様が来られたとき、
彼はその宗教体系の土台をすべて覆されました。
人々は彼を詐欺師だと思いましたが、彼こそまさに聖書が預言していたお方でした。
しかし、教会はその方を拒絶しました。
そしてイエスが天に帰られた後、聖霊が来られました。
けれども今、人々はイエスの名を唱えながら、聖霊を拒んでいるのです。
それはいつの時代も同じです。
今週、神の導きのもとでこのことをさらに深く学んでいきたいと思います。
そうすれば、皆さんもこのすべてが何を意味するのかをはっきり理解できるでしょう。
4. さて、使徒行伝第2章22節から読んでいきましょう。
主の御言葉の朗読に、ぜひ注意深く耳を傾けてください。
ペテロが語っています。
そのテーマは「イエス・キリスト」、そして時代は紀元33年、ペンテコステの日──聖霊が注がれたあの日の出来事です。
「イスラエルの人々よ、この言葉を聞きなさい。
あなたがた自身も知っているように、ナザレのイエス──あなたがたの間で神によって行われた奇跡と不思議としるしによって神から承認を受けた人──その方のことです。」
よく聞いてください。
ナザレのイエス──神に認められた方。
つまり、神が御子を立証されたということです。
「あなたがたの中で神によって行われた不思議としるしと奇跡によって、神はその方を承認された。そしてあなたがた自身がその証人なのです。」
私は言います。
1900年前、御自分の民の中で拒絶されたこのイエスは、
今夜も同じ御業を、聖霊のかたちをもって行っておられます。
そして今も当時と同じように、いや、それ以上に拒絶されています。
──まったく同じことが起きているのです。
さて、次にヨハネによる福音書第5章を読みましょう。
28節からです。
「これに驚いてはならない。時が来る。墓の中にいる者がみな彼の声を聞き、
善を行った者は命のよみがえりに、悪を行った者はさばきのよみがえりに出てくるであろう。」
「わたしは自分からは何もすることができない。聞くとおりにさばく。
わたしのさばきは正しい。なぜなら、わたしは自分の意志ではなく、わたしを遣わした父の御心を行うからである。」
「もしわたしが自分のことを証しするなら、その証しは真実ではない。
しかし、わたしのことを証しするもう一人がおられ、その方の証しは真実であることを、わたしは知っている。」
「あなたがたはヨハネのもとに人を遣わした。彼は真理について証しした。
だが、わたしは人の証しを受けない。
これらのことを言うのは、あなたがたが救われるためである。」
「彼(ヨハネ)は燃えて輝く光であり、あなたがたはしばらくの間、その光の中で喜んだ。」
よく聞きなさい。
「しかし、わたしにはヨハネの証しよりも大いなる証しがある。
父がわたしに与えられた業──わたしが行っているその業こそが、父がわたしを遣わされたことを証ししている。
そして、わたしを遣わした父ご自身が、わたしについて証ししてくださった。」
5. イエスはユダヤ人にこう語られました。
「あなたがたはわたしを裁く必要はない。
神はすでに、あなたがたがわたしをどう見るかによって、あなたがたを裁かれたのだ。」
つまりこういうことです。
「わたしは真理を証しするために来た。
そして、神が天から下ってこられ、それが真理であることを証明された。
父が御子の証しをされたのだ。」
その証しは真実です。なぜなら、聖書が御子について語っているからです。
イエスは言われました。
「イザヤはあなたがたのことをよく言った──
『耳があっても聞かず、目があっても見ない。』」
イザヤ書35章には、メシヤが何をなさるかが書かれています。
「そのとき足なえは鹿のように飛びはねる」と。
イエスは言われました。
「あなたがたは夕焼けを見て天気を判断できるのに、
時のしるしを見分けることはできない。
もしあなたがわたしを知っていたなら、あなたはわたしの日をも知っていたであろう。」
6. さて今夜、皆さん。
私が今読んでいるこの主イエス──このお方こそ、
今日この地上に生きて働いておられるお方です。
ご自身が語られた御言葉を、今まさに成就しておられます。
そして神は、これが真理であると証明しておられます。
疑う理由などありません。
もし疑うとしたら、それは単に「信じたくない」という心からでしょう。
この世で最も難しいことの一つは、
あることを長い間教え込まれた人が、
突然その考えを覆すような真理を見せられることです。
それがユダヤ人たちがイエスを拒んだ理由でした。
彼らは長い間、律法学者たちから一つの教えを受けてきたのです。
ラビたちは言いました。「それを変えることはできない」と。
しかし、聖書的に見れば、イエスこそが正しく、まさにメシヤだったのです。
けれども彼らは、人間的な考えに固執し、別の方法を立ててしまったのです。
そして今日も同じことが言えます。
私たちは神のなされる不思議な働きを前にしても、
自分の考えや形にこだわってしまうのです。
けれども神は、ご自身の定めた方法で、
その不思議を私たちに現してくださいます。
どうかそれを受け取り、喜びなさい。
7. さて、証をお話ししたいと思います。
先ほども申し上げたように、私のリバイバル集会のテーマはいつも同じです。
──「イエス・キリストは昨日も今日も、そしていつまでも変わる事がない」──
この真理を世界に宣言することです。
私は今、三度目の世界巡回の途上にあります。
これまでにあらゆる批評や批判を受けてきました。
サタンはイエス・キリストについてのこの証言を覆そうとして、
できる限りのことを仕掛けてきました。
しかしそのたびに、神は勝利を与えてくださいました。
一度も敗北したことはありません。
政府の調査官によっても検証され、
あらゆる国々でテストされてきましたが、
神は常にご自身の力をもって証明してこられました。
私の身には時に「肉体のとげ」、
つまりサタンの使いが付きまとい、
妨害したり、苦しめたりしますが、
聖霊によっていつも打ち破られてきました。
そして神は、常に勝利を得てこられました。
一度の集会で、何百人、何千人という魂がキリストに導かれたのです。
8. さて、イエスは言われました。
「もしわたしが自分で自分のことを証しするなら、その証しは真実ではない。
だが、わたしはもう一人の証しする方を持っている。」
ですから、もし誰かが来て「私は癒し主です」と言うなら、
その人は自分自身を証言しているのであり、
その証しは真実ではありません。
癒し主はただお一人──それは神です。
そして、神と人との間の仲介者もただ一人、
人として来られたイエス・キリストです。
この方こそ、神と人との間に失われた関係を
再び回復するために命を捧げられたお方です。
イエスは私たちの罪のために傷つけられ、
その打たれた傷によって、私たちは癒されました。
「彼は私たちのとがのために刺され、
その打たれた傷によって、私たちはいやされた。」(イザヤ53章)
イエスご自身が地上におられたとき──
もう一度、これを強調しておきましょう。
イエスは毎日あなたが通る通りを歩かれた、
ごく普通の人のように見えました。
彼は貧しい家に生まれ、布に包まれ、飼い葉桶に寝かされました。
9. 私は神殿のシメオンを思い起こします。
あの老人、信仰深い賢者は、聖霊によって「あなたは主のキリストを見るまでは死なない」と告げられていました。
ルカによる福音書第2章に、その記事が記されています。
シメオンはそれを恐れず、人々に語って回りました。
「聖霊がそう語られたのだ。私はキリストを見るまでは死なない」と。
聖霊は二つも三つもあるのではありません。
聖霊はただ一つ、永遠に同じお方です。
シメオンとともにおられたその聖霊が、今夜ここにもおられるのです。
想像してみてください。
八十歳を超える白髪と長い髭の老人、イスラエルの中でも尊敬される律法の教師。
非難されるところのない正しい人でした。
その彼が「私はキリストを見るまで死なない」と語り続けたのです。
当時の人々はどう思ったでしょうか?
きっと「シメオンは少し頭がおかしくなったのでは」と思ったに違いありません。
けれども彼には確かな理由がありました。
聖霊がそう言われたのです。
聖霊の言葉は真理です。
だから彼は証しし続けたのです。
神はいつの時代にも、必ずどこかにご自身を信じる小さな残りの民を持っておられます。
ノアの時代にはそれがたった一人の男であったこともあります。
それでも神は、信じる者を地上に残してこられました。
その者に手を置き、「これがわたしの僕である」と言われるのです。
シメオンも、その一人でした。
10. イエスがお生まれになったころ、人々はまだ新聞もラジオもテレビも持っていませんでした。
ニュースはただ人の口から耳へと伝わるだけでした。
その頃、東の国で数人の博士たちが、ヤコブの星が昇るのを待っていました。
彼らはその星を見て旅に出、ついに幼子のもとにたどり着き、礼拝を捧げました。
その子は、伝統的な絵のような生まれたばかりの赤子ではなく、二歳ほどの幼子でした。
ヘロデ王は、二歳以下の男の子を殺すよう命じました。
もしイエスが生まれて数時間しか経っていない乳児だったなら、なぜ二歳までを殺す必要があったでしょう?
彼が「幼子(child)」と呼ばれたのは、その年頃だったからです。
東方の博士たちは星に導かれてやって来ました。
そしてその頃、丘の上では羊飼いたちが夜通し羊の群れを見守っていました。
それは12月25日ではありません。
その日はカトリックが後に定めた日で、実際にはユダヤでは4月頃のことです。
12月のユダヤはインディアナと同じほど寒く、雪の中で羊飼いたちが野宿することはありません。
ですから、クリスマスの日付は人の決めた伝統に過ぎません。
イエスは12月25日にお生まれになったのではありません。
イスラエルに行けば、人々がその話を聞いて笑うのを見るでしょう。
11. さて、羊飼いたちが天使の歌声を聞いたとき、
彼らはベツレヘムに行き、見たことを人々に語り、キリストに出会いました。
ユダヤの律法では、母親は出産後8日目に清めのための供え物をし、
またその日に子どもに割礼を施さなければなりませんでした。
では、少し情景を描いてみましょう。
ユダヤのあちこちで、「星が現れた」「東の博士たちがやってきた」という噂が広まっていました。
通りでは人々が囁いています。
「またあの狂信的な連中が何か言っているらしいぞ」と。
しかし、それは真実でした。
12. 月曜日の朝だとしましょう。
神殿には長い列ができています。
何千人ものユダヤ人が礼拝のために集まり、その多くはローマの課税登録のために滞在していました。
その時代、ユダヤの地にはおよそ200万から300万人の民がいたといわれています。
ですから、毎日50人から100人もの赤ちゃんが生まれていたことでしょう。
そのため、神殿の浄めと割礼の列には、少なくとも50人の母親たちが犠牲の供え物を手に並んでいました。
ある裕福な婦人がいました。
彼女は上質なレースと絹の衣をまとい、銀の鎖につないだ小羊を携えていました。
腕には美しく包まれた赤ん坊を抱き、隣に立つ友人と楽しそうに話しています。
「まあ、なんて可愛い赤ちゃんでしょう」「あなたの服も素敵だわ」と。
人々の会話は穏やかで、日常の中の幸福が流れていました。
13. その列の少し離れたところに、一人の若い娘が立っていました。
年の頃は十八、十九。
顔にはベールをかけ、腕には幼子を抱き、手には二羽の山鳩──貧しい者のささげ物を持っていました。
人々の中には彼女を見てささやく者もいました。
「あれがマリアだ」「あの子は婚外の子だそうだ。ヨセフとは結婚もしていないのに、子どもを連れている。近寄るな、離れろ」と。
──それは、今日の教会のあり方にも似ています。
「近づくな、あの方とは関わるな」と言うのです。
けれども、マリアの腕の中の赤子を見てください。
それは高価な布に包まれてはいません。
粗末な布きれ──飼い葉桶の中にあった“布切れ”でくるまれていました。
「布きれ(スワドリング・クロス)」とは、牛をつなぐくびきの下で、首が擦れるのを防ぐために巻かれる布です。
その古い布が、壁の釘に掛けられていました。
赤ん坊を包むものが他に何もなかったので、マリアはその布を取って、幼子を包んだのです。
考えてみてください。
私たちは時に、着るものや飾るもので自分を飾りますが、
天の救い主は、そんなぼろ布に包まれてお生まれになったのです。
それが神のへりくだりであり、愛のしるしなのです。
14. 彼女は赤ん坊を抱いていました。
その小さく純真な心の中で、彼女はその子が誰のものであるかをはっきりと知っていました。
人が何を言おうと、マリアには確信があったのです。
今夜、私たち一人ひとりもまた、心の中にその御子を抱いています。
世の人が何と言おうと、自分が誰に属しているかを、私たちは知っているのです。
人々は距離をとって見ていました。
マリアは小さな赤ん坊を腕に抱き、布でくるみました。
その幼子こそ、世界の贖い主──天の神ご自身が肉体となって私たちの間におられるお方。
マリアはその小さな子を腕に揺らし、優しく語りかけていました。
彼女は心の中で確信していました──この子は聖霊によって自分に与えられた神の御子であると。
彼らは少しずつ列を進みました。
祭司が次の母親の名を呼びます。
まるで祈りの列のように、順番に進んでいくのでした。
15. さて、役半ブロックほどの少し離れた祈りの部屋を見てみましょう。
そこにはシメオンという名の老人の預言者が座り、聖書を読んでいます。
「私たちは皆、羊のようにさまよい、主は私たちすべての咎を彼に負わせられた。」神は彼に約束を与えておられました。
「あなたはキリストを見るまでは死なない」と。
そして今、まさにそのキリストが現れるとき、神が彼を呼ばれたのです。聖霊が語ります──「シメオン、立ちなさい。」
あなたは聖霊の導きを信じますか?
シメオンは立ち上がって言いました。「はい、主よ。」
すると聖霊は言われました。「よろしい、歩きなさい。」
彼は従いました。
「従順は犠牲にまさる」──そう言いながら歩き始めたのです。
どこへ行くのか知らず、ただ聖霊の導きに従って進みました。
神殿に入り、人々の群れを抜け、赤ん坊を抱いた母親たちの長い列にたどり着きました。そして、皆が「恥ずべき女」と呼んでいたあの若い母親の前に立ち止まりました。シメオンは幼子を腕に抱き上げ、涙が白いひげを伝って流れました。
そしてこう言いました。「主よ、あなたの御言葉どおり、しもべを安らかに去らせてください。私の目はあなたの救いを見たからです。」
彼がそう言えたのは、聖霊が彼に「キリストを見る」と約束していたからです。
彼はその約束を信じ、期待していたのです。
16. 人はおおむね、自分が期待しているものを得ます。
批判するために集会に来れば、悪魔は批判する理由をたくさん見せるでしょう。
祝福を求めて来るなら、神は祝福を与えてくださいます。
何を期待するかによって、あなたが見つけるものが決まるのです。
シメオンは主をお会いできることを期待していました。
そして神は、まさにその時、彼を導かれたのです。
聞いてください──「深き淵は深き淵を呼ぶ」とあります。
何かが心の奥で神を求めるなら、それに応える神の深みが必ずあるのです。
魚にヒレがあるのは、水が存在するからです。
水がなければ、ヒレは無意味です。
同じように、私たちの中に「もっと神を知りたい」という渇きがあるなら、
それに応える神の満たしが必ずあるのです。
ここにいる皆さんの中で、神の癒しを信じる方はどれほどおられますか?
たとえ聖書に一言も書かれていなかったとしても、
もし心の中に「神は癒すお方だ」という渇きがあるなら、
どこかに必ずその癒しの泉が開かれているのです。
17. さて、もうひとつの場面を見てみましょう。
神殿の隅に、アンナという名の老いた女預言者がいます。
彼女は昼も夜も神殿を離れず、主に仕え、祈り続けていました。
彼女の心は、イスラエルの贖い主を待ち望んでいたのです。
そのとき、聖霊が語られました──
「アンナ、立ちなさい。」
彼女は盲目でした。
しかし、聖霊に導かれて人々の間を進み、
まっすぐに幼子イエスを抱いたマリアのもとにやって来ました。
そして手を天に挙げ、神を賛美したのです。
彼女は盲目でありながら、キリストを見ることを信じ、期待していました。
聖霊が彼女を導いたのです。
シメオンとアンナを導いたのと同じ聖霊が、今夜あなたをも導いてここに連れて来られました。
あなたは聖書が神の癒しを教えていると信じています。
あなたはイエス・キリストが「昨日も今日も、そして永遠に同じ方」であると信じています。
その同じイエス、同じ聖霊が、あなたをもここに導いたのです。
もしあなたが今夜ここにいるなら、それは神が導かれたからです。
病を抱えているなら、信じなさい。
神はあなたを癒しの泉へと連れて来られたのです。
聖書は言っています──「渇く者は来たれ」。と
18. 私たちがスウェーデンにいたときのことです。
ここを出発する直前、私はひとつの幻を見ました。
おそらくここにいる方々の中にも、その証人がおられるでしょう。
渡航の1年ほど前のことでした。
私は幻の中で、一人の小さな少年を見ました。
髪は短く巻き、茶色の目をした可愛らしい子でした。
しかし、靴下からは破れた足がのぞき、足は潰れ、命を失って道路に横たわっていました。
その道の周りには松の木と岩がありました。
その晩、私はフロリダ州マイアミへ向かう途中で、
ボスワース兄弟、ゴードン・リンジー兄弟、ジャック・ムーア兄弟と会う予定でした。テント集会を開くためです。
その時、私はこの幻の話を彼らに語りました。
数日後、ある男性が息子を亡くしたと連絡してきました。
彼は「埋葬する前にぜひ見てほしい」と懇願しました。
私は行きましたが、その子は幻で見た少年とは違っていました。
その子は黒髪でよく整えられた8歳の少年でした。
私は彼の父親に言いました。
「いいえ、これはあの子ではありません。」
そう言って、私は慰めの祈りを捧げました。
その夜、私は遠くの群衆の中に人だかりを見ました。
そこへ行って、その小さな男の子を見ました。
その子は黒々とした髪をしていて、きちんとした服を着ていました。
しかし私は言いました。手を挙げてみてください。
(会衆の方を見回しながら)──ほら、見てください。
あれが起こるよりも一年以上も前のことでした。
私はここに、神がなさろうとしている別のことも書き留めています。
ここ、私の聖書の中に。
機会があればそれもお話ししましょう。
そして確かめてください、それがまさにその通りになるかどうか。
神がそう言われたのです。
ですから、必ずそのようになるのです。
19. それから私は行って、その小さな少年を見ました。
しかし言いました。
「いいえ、お父さん、この子ではありません。」
そう言って、その家族のために慰めの祈りを捧げました。
その後、私たちは旅を続け、インディアナに戻りました。
それから西へ向かい、カナダを横断し、トレドを通り、
ウィンザーの方へ上って、
再び南へ下り、ヒューストンを通って、やがて海を渡りました。
ある日、私は長い間断食していました。
私たちは「真夜中の太陽の国」と呼ばれる地にいました。
あの夜のことは、今でも決して忘れません。
午後、私たちはクオピオという町へ行きました。
そこには高い塔があり、かつてドイツ軍がどの方向から小さな町々を爆撃したのかが見える場所でした。
フィンランドの人々は、本当に優しく、謙遜な人たちです。
あの国は世界の戦場のような場所ですが、
彼らは何を得るにも神に頼るしかないのです。
それでも、彼らは世界の中で最も誠実な民のひとつです。
戦争で負った借金を今もきちんと返済しています。
どうやってそれを成し遂げているのか、私にはわかりません。
男も女も働きづめなのです。
ここに今夜いらっしゃるご婦人方の中には、
とても立派な服をお召しの方もいるでしょう。
けれども、フィンランドの女性たちを見てほしい。
分厚いスカートに大きなブーツ──夏でも冬でも、
ピッチフォーク(干し草を集める熊手)を手に外で働いています。
彼女たちには、アメリカの女性のようにビーチで日光浴をして
過ごすような時間はありません。
怠ける暇などないのです。
裁きの日、神の前に立つ時、一体どうなるでしょうか。
私は道のわきで、木陰に座る彼らを見ました。
彼らは小さなサンドイッチのようなものを食べながら、
その場でひざまずき、祈りの集会を開くのです。
ある場所では、私の前を通った兄弟たちが彼らにトラクト
(福音の小冊子)を渡していました。
そして、その人々はフィンランド語で書かれたそのチラシを読みながら、
集会のことを話し合っていました。
そこには、穀物を束ねる作業をしていた15人ほどの女性たちがいました。
彼女たちは手にしていた“ゆりかご”──穀物をすくう道具──を地面に置き、
その場で木の下に立ちながら、聖霊のバプテスマを受けたのです。
彼女たちは飢え、渇いていたのです。
人は、自分が渇くまでは水を求めません。
同じように、飢えていなければ、食べ物のありがたみもわからないのです。
魂が神に飢え渇くとき、
その人は初めて、生ける水といのちのパンを心から求めるようになるのです。
20. さて、見てください。
私たちはその塔の上にいました。
彼らの歌には、愚かしいものなどひとつもありません。
すべての歌がマイナー調で、静かに魂を打つのです。
彼らが歌っているその時、何かが私の心の奥深くに掘り始めるように感じました。私は塔を降りました。
すると、そこにひとりの酔ったイギリス人がいました。
彼は泣いていました。私は彼のそばに行き、英語で話しかけました。
「いやあ、英語を聞くのはうれしいですね。」
彼が酒を飲んでいるのを見て、私は尋ねました。「どうしたんですか?」
彼は答えました。
「今、あの歌を聞いたんだ。あれはいったいどんな人たちなんだ?」
私は言いました。
「彼らはクリスチャンですよ。あなたはどうです?」
彼は首を振って言いました。
「いいえ、先生。」
私は言いました。
「そんなふうにイエスを扱って、恥ずかしいとは思いませんか?」
彼は私に尋ねました。
「あなたの名前は?」
私は名乗りました。
彼は「ああ、あなたが“神の癒し手”か!」と言いました。
私は答えました。
「いいえ、私は“神の癒し主”のしもべです。病人のために祈っているだけですよ。」
彼は泣きながら言いました。
「私は本当は、こんなことしたくないんだ、先生。」
その場で私たちは彼をキリストのもとへ導きました。
フィンランドではタクシーも馬車で動いています。
ガソリンは1ガロンあたり約2ドル80セント。
中古のフォード(1940年式)でも4千ドルから5千ドルはする。
だから、フィンランドでは車を見ることはほとんどありません。
21. そして、私たちはアメリカ製の車で南へ降りていきました。
私たちの前を、30分ほど早く一台の1935年式フォードV8が走っていました。
その道には、車に慣れていない小さな子どもたちがたくさん横断していました。
二人の少年が道路を渡ろうとしたとき、車が見えました。
ひとりは右へ、もうひとりは左へ。
運転手は角を曲がるところで子どもたちを見てハンドルを切り損ねました。
ひとりの子どもはフェンダーにあごを打たれ、道路を飛ばされ、
木に叩きつけられて即死。
もうひとりは車の下に巻き込まれ、十フィートほど後方に投げ出され、
草の上に倒れました。
車はそのまま岩にぶつかって大破しました。
私たちが到着したとき、すでに三、四百人の群衆が集まっていました。
私は言いました。
「いったい何が起こったんだろう?」
ムーア兄弟とリンゼイ兄弟、そしてバクスター兄弟が確認に行きました。
まもなく彼らは戻ってきて言いました。
「小さな男の子が死んだんだ。そこに横たわっている。」
リンゼイ兄弟は泣いていました。
彼にも小さな息子がいるからです。
彼らは言いました。
「ブラナム兄弟、来て見てください。」
私は言いました。
「見たくありません。私にも息子がいます。
そして、もう二、三か月もこの地に滞在しており、
心が限界に近づいていました。
その前にはフランスやイギリス、他の多くの国々でも奉仕をしてきました。
私は言いました。
「どうか、あの子を見せないでください。
今の私には耐えられません。
集会が続いている中で、心が乱れてしまうのです。」
何千人もの人々が癒しを求めて集まっていました。
それでも、あの小さな体を目にしたら、
私は涙をこらえきれなくなるだろうと分かっていました。
だから、私は静かに言ったのです。「その子には会いたくありません
……どうか、行かせてください。」
22. 彼らはしばらく待っていました。そして彼らは霊きゅう車に彼らを
連れて行きたいか。誰かが他の一人を我々がそこに連れて行く前でした。
もうひとりの子はまだ生きていて病院へ運ばれましたが、
この子はすでに亡くなっていました。
「車の後部座席に乗せよう」と彼らは言いました。
私は外に出ました。
その小さな顔にはコートがかけられていました。
彼らがコートをそっとめくると——皆さん、それを見るのは本当に
辛いものでした。
その小さな体は押しつぶされ、変わり果てていました。
私は胸が締めつけられました。
その間、誰かが街へ両親を呼びに行っていました。
フィンランドでは多くの人が街に住み、郊外で働いています。
そして彼らはその子のお父さんお母さんを連れに行きました。私は思いました。
──ああ、この可哀そうなお父さんとお母さんが戻ってきて、この子を見つけた時、どんな気持ちだろう。
私は泣き出しました。
そこに英語を話せるのは、ムーア兄弟、リンゼイ兄弟、そしてバクスター兄弟と私だけでした。
23. 私はその小さな子の要る場所を離れようとしました。
すると、不意に誰かの手が私の肩に触れるのを感じました。
リンゼイ兄弟だと思い振り返りましたが、誰もいません。
それでも確かに肩に手の感触がありました。
もう一度歩き出しても、再びその手を感じました。
「これはおかしい……」と思いました。
もう一度振り返ると、少年の亡骸が見えました。
私はその子の顔をじっと見つめながら思いました。
──どこかでこの子を見たことがある。
通訳を通して尋ねました。
「この子は以前、祈りの列に並んだことがありますか?」
誰も知らないと言いました。
それでも私は確信しました。
──この子を知っている。
その子は栗色の髪にアメリカでは、
“クロップカット”と呼ばれる髪型をしていました。
小さなズボンに長い靴下、古い時代の少年の服装。
片方の靴は脱げ落ち、足は靴下から突き出ていました。
手は折れ、口は開き、大きな茶色の瞳は上を向いていました。
そのとき私は叫びました。
「ああ、わかった! この子だ!
兄弟たち、聖書を開いてごらんなさい!」
ムーア兄弟とリンゼイ兄弟が聖書を開きました。
私は言いました。
「杉の木、岩、八歳くらいの少年、明るい茶色の髪、大きな茶色の目、足が折れた、車の事故——
見てください、すべて一致しています。」
ムーア兄弟は叫びました。
「まさにその少年だ!」
私は言いました。
「そうだ、神が示されたのはこの子だ。」
その瞬間、神の臨在がぐっと近づいてきたのを感じました。
24. 私は人々に言いました。
「皆さん、静かにしていてください。」
通訳を通して語りました。
「アメリカで、主がこの少年が生き返ると示された。
そのことを私たちは聖書の余白(フライリーフ)に書き記している。」
人々の中には半信半疑で笑う者もいました。
無理もありません。その子はすでに30分以上も死んでいたのです。
私は言いました。
「もしこれが真実でなければ、私を偽りの預言者と呼んでかまいません。」
私はひざまずき、こう祈りました。
「天の父よ、あなたはまことの生ける神です。
あなたの御言葉は決して地に落ちることがありません。
今、あなたのしもべに示された御言葉を成就してください。
この子こそ、あなたが“立ち上がる”と語られた子です。
それゆえ──“死よ、この子を解き放ちなさい!”」
すると、少年は突然叫び声を上げて立ち上がり、飛び跳ね、走り回り始めました。
人々は驚愕し、涙を流しました。
私は言いました。
「その出来事を聖書に書き記した人はいますか?
フィンランドの公文書にも、役人の印と共にその証言が残っています。
神は確かにそう言われたのです!」
ハレルヤ! 驚くべき恵み!
地獄の悪霊たちですら、神の言葉を止めることはできませんでした。
25. ほんの少しだけ、もう少し話してもいいですか?
その夜、私たちはメッスハリの会場に入りました。
2万5千人が集まり、外には6ブロックにも及ぶ行列ができていました。
警察も兵士も総動員です。
私は車を数ブロック手前で降りました。
通りには小さなフィンランド兵たちが銃を持って立っていました。
彼らのほとんどは若く、まだひげも生えていません。
彼らの頬には涙がつたっていました——ロシア人も、フィンランド人も同じように。
26. 兄弟たち、聞いてください。
共産主義が本当に必要としているのは、“古き良き救い”の力です。
もしそれが示されるなら、世界の姿は変わります。
あのロシア人たちはフィンランド人を抱きしめ、
「私たちはそのような神を受け入れます」と言いました。
それが福音の力です。
ロッジ(結社)や制度ではありません。
ロッジに敵対しているわけではありませんが、ロッジの役割
があります。それは教会の場所を取ることはないのです。
教会とは、神の力が生きて働く場所なのです。
え、彼らはそこに立っていました。そして、あなたがもし救いや何かを取る時、
、敵同士のロシア人とフィンランド人の二人の男に抱擁をもたらすならそこには何かが起きているのです。その同じ力は国をも、世界をも変えることができます。
今夜、必要なのはただ一つ——イエス・キリスト。
彼こそ、あらゆる問題への答えです。
アーメン。それが癒しであれ、救いであれ、国々を共にさせる何であれなのです。
27. その夜のことを、今でもはっきりと覚えています。
(それからすぐに祈りの列が始まる予定でした。)
私たちはようやく会場の中に入ることができました。
人々は皆、静かに頭を垂れて立っていました。
私が通り過ぎるからではありません。
彼らが敬意を表していたのは、私が代表していたお方――イエス・キリストのゆえでした。
その夜、私は会場の奥の部屋に入りました。
その出来事の一部は、小冊子『神から遣わされた人(Man Sent From God)』にも記されています。
ただし詳細ではなく、「その夜、何が起きたか」という概要だけです。
その部屋は、メッスハリの建物の中にある、女学生たちの寮のようなところでした。
ふと私は音に気づきました。
ドアが勢いよく閉まる音がして、どこからか歌声が聞こえてきたのです。
♪ “Only Believe(ただ信じなさい)” ♪
その時、そこからひとりの小さなフィンランドの少女が出てきました。
背丈はこの会場にいるこのご婦人(とブラナムが指し示した)くらいの小柄な子でした。
彼女は全身が不自由で、歩くこともままならない様子でした。
胴の周りには大きな金属のブレース(支具)を装着し、
片方の足はもう一方より短く、まったく動かせない状態でした。
その足を支えるために、前後に金属の支えをつけ、
大きな靴の中でその足をぶら下げるようにしていました。
靴のつま先には金具の「スナップ」が取り付けられ、
そこから伸びた革のベルトが肩を通って、背中の支具に留められていたのです。
両手には松葉杖を持ち、こうして歩いていました。
まず二本の杖を前に突き出し、
次に小さな肩をぐっと持ち上げ、
ぶら下がった足を前に投げ出すのです。
そのたびに金属のブレースが足の代わりとなり、
わずかに体を支えて歩くことができました。
その姿は――なんとも哀れで、胸を締めつけられるものでした。
28. 後でわかったのですが、
その少女は戦争で両親を失った孤児でした。
国境付近の虐殺で、ロシア兵に両親を殺されたのです。
彼女は道をさまよい、人々が交代で世話をしていました。
ぼろぼろのスカートに、切りそろえられた髪。
大きすぎる古いドレスの裾は擦り切れていました。
顔は飢えのため青白く、目だけが輝いていました。
私は心の中で祈りました。
「神よ、この小さな者を憐れんでください。」
彼女は私を見ましたが、すぐに身を引きました。
街で「話しかけてはいけない」と厳しく言われていたからです。
それでも私は心の中で言いました。
「主よ、あの子を祝福してください。」
集会が終わると、私は通りに出て、持っていたお金でキャンディを買い、
子どもたちに配りました。
私は子どもたちが大好きです。
今夜ここにも、私の小さな娘が座っています。
小さなカボチャの種のように小さい。
私は子どもたちを愛しています。
抱きしめすぎて痛がらせるほどに。
29. 私はその哀れな小さな子のことを思っていました。
どうしてそんな姿になってしまったのか――そう考えると胸が締めつけられるようでした。彼女は少し後ろに立っていました。
まるで自分が何か悪いことをしたのではないかと思っているように、
うつむいていました。私はその子を見ました。
前を歩いていた二人の兵士はそのまま進み、
後ろの二人は立ち止まって様子を見ていました。
私はとっさに言いました。
「ちょっと待って! 少し待ってください。」
けれども彼らには私の言葉が通じません。
それでも私は分かっていました――あの子は何かを望んでいる、と。
彼女は私を見上げました。
小さな唇が震えているのが見えました。
顔を伏せたまま、それでもその瞳には「行きたい」という願いが見えました。
私は手で合図しました。
「おいで、ハニー」と。
彼女はうつむいたまま、私の指の動きを見つめ、
そしてにっこり微笑みました。
小さな松葉杖を前に出し、一歩一歩こちらへ向かってきます。
私はじっと立ったまま、何もせず見守っていました。
二人の兵士は壁際に下がり、静かにその光景を見つめていました。
少女は私のすぐそばまで来て、足を少し横に出し、
不自由な足を支えるようにして立ち止まりました。
そして、松葉杖を後ろに立てかけると、
小さな手で私のコートをつかみ、そっと引き上げ、
そのポケットのあたりに口づけをしました。
そしてそれを静かに下ろしたのです。
見上げたその顔には涙が伝い、
青く澄んだ小さな瞳がきらめいていました。
彼女は小さなスカートを少し広げて、
「キイトス(ありがとう)」と言いました。
ああ、私の心は激しく打ちました。
私はその子を見つめながら言いました。
「ハニー……」
その瞬間、私の前に 幻(ビジョン) が広がりました。
――その子が松葉杖も支具もなく歩いている姿。
私は思わず言いました。
「ハニー、主があなたを癒されたんだよ。」
彼女には私の言葉の意味が分かりませんでしたが、
私はもう確信していました。
「主があなたを癒されたのです。」
ちょうどその時、バクスター兄弟がドアのところで手を振っていました。
「ブラナム兄弟、こちらです!」と。
私は行かなければなりませんでした。
でも心の中では分かっていたのです。
あの子は必ず受け取る――癒しの時が来るのだと。
30. その夜、祈りの列が整い、群衆が中に入ってきました。
私は多くの人々を呼び寄せました。
主が働かれる様子を見始めるとすぐ、
何千人という人々が会場に座っていました。
彼らの席には「A・B・C・D・E・F」と番号が振られ、
バルコニーにまで人があふれていました。
主が動かれ、
幻(ビジョン)を見せ、
通訳がその意味を告げると、
人々は立ち上がって言いました。
「それはまったく真実です!」
彼らは祈ってもらうのを待たずに、
松葉杖を投げ捨て、歩き出したのです。
彼らは分かっていました。
神がそこにおられる ――それだけで十分だったのです。
やがて人々が帰り始めたころ、
私は言いました。
「もう少しだけ、あと数人呼びなさい。」
バクスター兄弟は言いました。
「ブラナム兄弟、それ以上はおやめください。」
私は答えました。「大丈夫です。何かが私にそうするよう
に語っているのです。」次に呼ばれたのは――
あの小さな少女でした。彼女はプラットフォームに上げられ、
松葉杖を手にして、ゆっくりとこちらにやってきました。
通訳はアイザクソン姉妹でした。
私は言いました。
「アイザクソン姉妹、私の言葉をそのまま繰り返してください。」
彼女は分かりました。と言いました。
彼女がそばまで来たとき、私は優しく言いました。
「小さなハニー、あなたの小さな心が祝福がされますように。
あなたはさっき寮で私に会いに来た女の子ですね?」
少女はうなずきました。
「イエスがあなたを癒してくださいます。
もう元気ですよ。
あちらへ行って、この男性たちに支具を外してもらいなさい。
腰に手を当ててごらん。
支具が外れるとき、
手があなたの足を撫でるように滑り降りて、
その短かった足と同じ長さになるでしょう。」
31. 彼女はゆっくりと歩いて行きました。
私は次の人を呼びました。識別がそこから離れた時、
すると――突然、叫び声が上がりました。
そこに、あの少女がいました。
頭の上に支具を掲げ、
松葉杖を手に持ち、
全力で走りながら神を賛美していたのです。
ああ、友よ――時を超えて、日を重ねて、
主イエスがなさってきたこと!
いつの日か、私たちは常緑の木々の下、
命の川のほとりで座るでしょう。
もはや戦いも、悲しみも、老いもないその日。
そこでは、年老いた父も母も若き日に戻り、
永遠に主と共に生きるのです。
この朽ちる体の原子が崩れ散っても、
その霊が再び戻るとき――
神の不滅のかたちとして再び形づくられるのです。
なんと素晴らしい日でしょう!
「わたしにはヨハネよりも大いなるわざがある。
父がわたしにゆだねられたそのわざが、
わたしについてあかししている。」
― イエス・キリストが言われました。
32. さあ、頭を垂れましょう。
我らの天のお父様、
この美しく涼しい夜、
星空の下で御言葉を囲むこの交わりを感謝いたします。
今日の午後の礼拝を感謝します。
今夜の祈りが、さらに多くの魂を救いへと導きますように。
主よ、私の思いはあの幻へ、
フィンランドの小さな子へ、
そして遠くアフリカの地へと向かいます。
あなたがその地でなされた不思議な御業、
何千人もの魂があなたを知るその光景を――。
神よ、今、私たちが再びアフリカ、インド、パレスチナへ向かう備えをしてくださっていることを感謝します。
時は短く、世は悪いと知りながら、
ここコナーズビルで、あなたの畑において全力で働かせてください。
今夜、すべての罪と不信を脇に置き、
ただあなたを見上げます。
どうか御言葉を確証してください。
「わたしがするわざを、あなたがたもする。
これよりも大いなるわざをする。」
父なる神よ、
御子イエス・キリストを聖霊のかたちで遣わし、
すべての心を満たしてください。
御使いよ、
この夜、来て語り、御言葉を確かにしてください。
イエス・キリストの御名によって祈ります。
アーメン。
33. 神はいつの時代も、ご自身の御言葉を必ず確証されるお方です。
――さあ、始めましょう。〔テープの切れ目〕
今夜、私は神の導きを心から祈ります。
主が約束された聖霊が、
今この時、私たちに近づいてくださいますように。
私はこれまで、フィンランドでの数々の体験を語ってきました。
主よ、あなたはご存じです。
あの収穫の地で、あなたがどれほど多くの奇跡と御業を
私たちの目の前で行ってくださったかを。
そして今――主よ、
このアメリカから遠く離れた国々にも、
アフリカにも、島々にも、
あなたの御手が及んでいることを私は知っています。
ですから今夜、天の父よ、
どうかこの地にも再び力強く臨んでください。
同じ御霊の力で、
あなたがフィンランドでなされたように、
ここアメリカの地でも、
再び大いなるリバイバルを起こしてください。
主よ、裁きが来るその前に――
もう一度だけ、私たちに憐れみを与えてください。
私たちは今まさに秤にかけられています。
この国は、
いつ爆弾が落ちてもおかしくない危うい時代を生きています。
人々の心には恐れと不安が満ち、
かつてない混乱が迫っています。
神よ、どうか憐れみを。
今夜ここに集まった私たちを祝福してください。
多くの人々がここに来ました。
彼らは神を慕い求め、
心から飢え渇いています。
どうか今夜、渇いているすべての魂が、
満たされて帰ることができますように。
批判する者には恥を、
信じる者には祝福を、
病める者には癒しを与えてください。
そしてすべての栄光が、
主イエス・キリストに帰されますように。
この祈りを、
私たちの救い主イエス・キリストの御名によってお捧げします。
アーメン。
34. 〔テープの途切れ〕……私自身には、何の力もありません。しかし――
もし神ご自身が語ってくださるなら、主は必ずその御言葉を確証されます。
そうではありませんか?――アーメン。
では、皆さん、今こそ信仰をもってください。心から信じるのです。
もしあなたが全身全霊で信じるなら、神は必ずそれを成し遂げて
くださいます。さあ、今ここで祈りながら、この会場のあちこちを見てください。あの奥のほう――ストレッチャーや簡易ベッドの並ぶところ。
私はそこに一つのベッドを見ます。この集会が始まってからというもの、
私の知る限り、そこに座った人々は皆、どんな病であれ――
たとえ足が不自由であっても、あるいは体が動かなくても――
皆、癒されて帰っていったのです。そうです。
彼らの中には、耳の聞こえない人、言葉の話せない人、
さまざまな病を抱えた人がいました。けれど――
主が臨在されるところでは、どんな病も、どんな束縛も、
御言葉の前には立ち上がることができないのです。
(何といわれましたか?)
35. では――皆さん、できる限り静まり、敬虔な心でお聞きください。
今、あなたに一つの重大な問いをさせてください。もし、
イエス・キリストご自身がこの場所におられたとして――
この私の主に頂いた着ているこのスーツをまとい、私の履いているこの靴を履き、目の前に立っておられたとしても――
主は、今なさっていること以上のことを
あなたにしてくださることはないのです。
なぜなら、キリストが地上におられたとき、
すでにご自身の血によって、あなたの癒しの代価を支払われたからです。
そしてあなたに、ただ「信じなさい」と命じられました。
――そうですよね?それ以上のことはできません。
主は二度、あなたを癒すことはなさらない。
一度、すでに癒されたのです。
だから再び同じことをなさる必要はありません。
主が十字架で死なれたその時、
あなたのすべての病は癒されたのです。
ですから、私を含め、どのミニスターであってもできることは一つです。
それは、あなたの目を――すべてに十分な犠牲であるキリストの御業へと
向けることだけです。――そうではありませんか?牧師は御言葉を通して
それを教え、「ここにあります」と示すことができます。
本来なら、それだけで十分なはずです。けれど――見てください、神の慈しみを。主はさらに別の方法で、ご自身を現してくださいます。
主は預言者たちやしもべたちを遣わし、
御霊の識別、癒し、奇跡の力をもって、
ご自身の民の中で御臨在を証明してくださいます。
祝福を通して。御力を通して。そして――
復活の力と大いなる御業をもって、
主ご自身がここにおられることを示してくださるのです。
36. さて、イエスは、彼がこの地上にいるとき、父が彼を示さない限り、彼は何もできないと言われました。 そうですか? 彼は人々の心の秘密を知っていました。 そうですか? 彼は少しの間人と話しました。 彼は彼らが何を考えているのか、彼らが何をしているのかを知っていました。 彼は彼らの考えを認識したと言った。
ええと、もし彼が昨日も今日もそして永遠に同じなら、彼は今日も同じように教会に住んでいます。 もし彼がそれをするなら、あなたはそれを信じますか? 主はあなたを祝福します。 さて、彼がそうするかどうかにかかわらず、それは神にあります。 これはただの神の賜物です。
今、私は批評家がここに立っていることを知っています。 しかし、私の親愛なるクリスチャンの友人、そしてあなた、私の批評家には、神が私に与えた神の賜物によって、あなたはそれを疑うことができます、あるいはあなたはあなたがしたいことを何でもする権利を持っています、しかし神の裁きにおいて、あなたは私があなたに真実を語ったのを見るでしょう。
神は何百万もの人々(科学界、アメリカ)の前で私たちが調査した最高の科学者を立証し、それは絶対に真実だと言いました。 科学はそれとすべての写真を撮りました。 ここにありました。 もちろん、私たちはそれらのことをさせません...。
私たちはそのようなものを日曜日に売買しません。 私たちは神の日を尊重します。 私たちはお金のためにここに来ませんでした。 私たちはあなたを助けるためにここに来ます。 それは私が神のおかげで私の会議をきれいに保ったことの一つです....それは決して....彼がお金を懇願し始めたマネージャーを見つけた場合、それはマネージャーが私と一緒にいる最後の日です。 神が必要を供給しないなら、それは私が家に帰る時です。 そうです。 他には何もありません。 私はあなたを助けるためにここにいます、そして私は私ができるすべてをしています。 そして今夜、私が人々に奉仕している間、私のために信仰と祈りを支持してくださるようにお願いします。
37. 大丈夫です。 さあ、ミスター。
私は時々そのマイクを正しく設定しようとするので、そうなるでしょう...時々私の声は...私がどこにいるのか、私がここにいるのか、どこか他の場所にいるのかわからないことがあります。
そして今、あなたと私は見知らぬ人であると思いますか? 私たちはそうです。 あなたは今日の午後の集会でここにいましたか? [「はい」]あなたはそうだった。 イエス・キリストに関して私がここで話しているのは真実だと思いますか? [「はい。」]そうです。 あなたはそれを信じています。 [「はい」]それはおかしくないですか? あなたがそれを言うとすぐに、本当に奇妙な気持ちがあなたに来ましたね? それが主の天使でした。 彼は今あなたと一緒です。 皆さんがそのような信仰を持っていたらいいのにと思います。
あなたは多くの問題を抱えていますね、兄弟? [「はい。」]あなたは人生でいくつかの手術を受けました。 [「はい。」]そのうちの1つは背骨にあります。 [「はい」]そうですね。 [「はい。」]そして、あなたは....血をテストしようとして、彼らがあなたの腕の周りに何かを置いているのを見ます。 血圧が低いです。 [「はい」]そうですか? [「そうです。」]あなたも非常に緊張しています—その背中の状態が原因です。 [「はい」]それは本当ですか? [それは本当です。]
大丈夫です。 ちょっとここに来てください。 誰か知っていますか?—そこにいる人はいますか? [「少し」]大丈夫です。 あなたはそれが男の真実であることを知っていますか、彼を知っているあなたは? 私は私の人生で彼に会ったことがありません。 ちょうど今、私は彼に何が言われたかをあなたに言うことができませんでした。 手術については別のことがあると私は知っています。 しかし、今、あなたは何が起こったのか疑問に思います、見てください。 それは別の次元に侵入していました、またはあなたがそれをそれと呼びたいのなら。 私はそれを「別の世界へ」と呼んでいます。 おそらく、彼が彼の人生で何をしたか、おそらく何年も前に何が起こったかについて彼に話しました。 しかし、それのすべての言葉は真実でした。 そうですか、兄弟? [「そうです。アーメン。」]
[ブラザーブラナムはさておき話します:あなたは声を聞くことができますか? 入ってくるのが聞こえますか...?]
38. あなたと私がもう一度話しましょう。あなたはそのようなタイプの人であるような誠実さを得たからです。 さて、あなたについて言われたことは何でも真実です。 そうですか? [「もちろん」]主が井戸で女性に話しかけたように、私はあなたに話しているのです。 彼は「私に水を一杯持ってきてください」と言いました。 彼がやろうとしていた唯一のことは彼女の精神を捕まえることでした。 それから彼は彼女が何をしていたかを知りました。 彼女は姦淫者でした。 そして彼は彼女に言いました。
そして彼女は、「なぜ、あなたは預言者だと思います」と言いました。 その話を覚えていますか? [「もちろんです。はい、先生。」]
あなたもあなたの家でより多くの問題を抱えています。 [「はい、先生。」]それはあなたの妻です。 そうですか? [「はい、先生。そうです。」]それは彼女の首に何かがあり、頭が痛いままです。 そうですか? それは真実ですか? [「そうです。」]さて、今、あなたは両方とも癒されています。 あなたは家に帰って元気になることができます。 神はあなたを祝福します。 主イエス様、私の兄弟を祝福してください。
39. [テープを破る。] ...本物の、ただ神に感謝している。
大丈夫、女性を連れてきてください。 来てください。 私たちが見知らぬ人だとしましょう、私たちは女性ですか? さて、神が人生に何があったかを知っているなら、神は人生に何が起こるかを知っています。 そして、神があなたの人生に何があったかを私に明らかにし、そしてあなたの人生に何が起こるかを私に教えてくれるなら....神が私に何があったかを教えてくれれば、あなたはそれが真実かどうかを知るでしょう。その人生の空間を生きました。 しかし、もし彼があなたにそれについて真実を語ったなら、あなたは彼が他の人について真実を語ったと信じるでしょうね? それの残りは本当だろう。 [「はい、先生。」]ありがとう、姉妹。
今、あなたは何かが起こっていることに気づいています。 あなたはそれを意識しています。 さて、それは何でもありません、それは……主の天使のその絵を見ましたか? 彼らがそれを持っていたときにあなたはここにいましたか...先週聴衆にそれを配りましたか? [「いいえ」]今夜ここにはいないと思います。 3万人がいるプラットホームに立って撮影されました。 アメリカ写真家協会がそれを取り上げました。 さて、それはあなたが感じるものです。 それは超自然的な領域にあります。
そして、私はあなたが非常に、非常に病気であることがわかります。 あなたは癌を患っています。 [「はい、先生。」]そうですか? [「はい、先生。」]その癌は子宮の中にありますね。 [「はい、先生。」]それは本当ですか? [「はい、先生。」]唯一のチャンスは神です。 そして、彼はチャンスではありません、彼は治療法です。 信じられますか? [「はい、先生。」]あなたはそれを受け入れますか? [「はい、先生。」]ここに来てください。
天のお父様、私は今、彼女に手を置いて、聖霊が彼女に来て、その癌を非難し、それを殺してくださいますように祈ります。 今夜、イエス・キリストの名において、彼女から追い出されますように。 アーメン。
神は今あなたを祝福します、姉妹。 幸せにあなたの道に行きなさい、喜んでください。 あなたの癒しを神に感謝します。
40. [テープを割ってください。] ...今、彼の霊で油を注がれています、あなたがあなたの人生を隠すのはちょっと難しいですね。 本当にそうなるでしょう。 今、私はあなたを癒すことができませんでした。 キリストがすでにそれをしたので、私がそれについてできることは何もありません。 しかし、彼はまだあなたにあなたの人生を語っていません。 あなたはあなたの人生を知っていますが、彼がカルバリーで死んだとき、彼はすでにあなたを癒してくれました。
ちなみに、あなたは自分自身の癒しを求めているわけでもありません。 それはあなたの夫のためです。 そうですか? [「そうです。」]その男はここで何か問題があります。 それは副鼻腔です。 そうですか? [「そうです。」]聞いてください。 あなたの夫もタバコを吸います。 あなたは彼に言いに行きます、主が今取り、その副鼻腔を癒し、彼を完全に元気にしてくださいますように。 彼がそれをするだろうとあなたは信じますか? [「私は彼がそうすることを知っています。」]
全能の神、命の著者、神の力がこの人に臨み、彼が癒されますように。 そして、主よ、彼女がこのプラットホームを去るとき、この女性が祝福されますように。 そして、彼らがイエス・キリストの名において、長い幸せな人生を送ることができますように。 アーメン。
神は今あなたを祝福します。 行って喜び、そして幸せになりましょう。 彼は得るつもりです....神はあなたを祝福します。 それで結構です。
「神に感謝します」としましょう。 私たちの主イエスがいつまでも近くにいることを私たちは知っています。 信じますか? 今疑わないでください。 信仰を持ちなさい。 ここにいる必要はありません。 ただそこにいてください。 大丈夫です。 ただ祈り続けなさい。 信仰を持ち続けなさい。
41. どうしますか? あなたは牧師だと思います。 あなたもあなた自身のためにここにいるのではありません。 あなたはここで他の誰かを探しています。 [「はい。」]私はそれが姉妹だと信じています。 そうですか? 彼女はある種の事故にあったか、頭を打たれたか、何か:何らかの形で彼女を傷つけました。 彼女にある種の気絶の呪文、またはそのような何か、またはのような停電の呪文を持たせました。 彼女がそれから出てくるとき、彼女は本当に病気になります。 そうですか?
あなたは神の教会に属していますか? [「はい」]そう思いました。 今すぐ行って、あなたの妹に手を置いてください。 主イエスは彼女を元気にします。 アーメン。 神はあなたを祝福します。
「私たちに勝利を与えてくれた神に感謝します」としましょう。 信じますか? 大丈夫です。
あの胸のトラブルを乗り越えたいですか、レディ? あなたがそれを受け入れたいのなら、あなたがただ信じるだけで神はあなたを元気にしてくれるでしょう。 それがあなたがしなければならないすべてです。
大丈夫、レディ、あなたは来ます。 あなたは心から彼を信じ、神があなたを元気にしてくれると信じていますか? あなたはそうします。 私は見ていました。 あの男がまた何かをしている。 しかし、それが何であったか、あなたは自分自身で心臓の問題を抱えました。 それがあなたの悩みです。 そうじゃないですか? 漏れている心。 あなたは神があなたを元気にしてくれると信じていますか? ここに来て、ちょっと待ってください。
さて、父よ、ここにいるこの若い女性のために、ちょうどここに、彼女の若い女性時代に。 あなたが彼女を祝福してくれることを祈ります。 そして、彼女が家に帰って元気になりますように、父よ。 私はこの目的のために、そしてこの目的のために彼女を祝福します。「彼らが病人に手を置くならば、彼らは回復するでしょう」と言ったイエス・キリストの大義。 イエス様の御名によって、彼女の癒しをお願いします。 アーメン。
さて、あなたは信じますか、姉妹? [「はい、そうです。」]それから続けてください。 心臓のトラブルを忘れてください。 残りの人生すべてを神に仕え、敬虔になりなさい。
42. さあ、レディ。 信じますか、レディ? 女性の悩みを乗り越えたいですか? それはしばらくの間あなたを悩ませてきましたね、レディ? [ブラナム兄弟はさておき話します。]それは本当ではないですか? [「はい」]あなたと神以外は誰もそれを知りませんでしたが、それは真実ですよね? さて、もし彼があなたが何をしたか、あなたがどこにいたか、そしてそれについてのすべてがあなたの何が悪いのかを知っているなら、彼の存在はここにあります。 そうですか?
さて、あなたはイエス・キリストの癒しを受け入れますか...? あなたはそうします。 それなら、神はあなたを祝福します。 行って証言してください。 そして、主イエスはあなたを祝福し、あなたを元気にしてくださいます。
「神に感謝します」としましょう。 敬虔になりなさい。
来てください。 さて、あなたは「ブラナム兄弟、あなたはそれらの人々の心を読んでいる」と言うかもしれません。 いいえ、違います。 ここでは、私はこの男を見たことがありません。 私の肩に手を置いてください。 私が神の預言者であると信じますか? [「はい、そうです。」]心から? [「心を尽くして」]もし私があなたに真実を言うなら、あなたは手を挙げて、それが真実であることを目撃しますか?神がここであなたの何が悪いのかを見せてくれるなら? [「アーメン」]あなたは心臓に問題があります。 違いますか? そうであれば、手を挙げてください。 さあ、イエスの御名によって、行って元気になってください。 アーメン。
私はそれが私に来るのを感じました。 「彼は彼らの心を読んでいる」と言った。 いいえ、違います。 それは神の力です! そうです。
43. 主はあなたを祝福します、姉妹。
レディ、その列の終わりに座って、このように見て、あなたは胃の問題を抱えていますね? よくなりたいですか? 私はあなたがそこに座って祈っているのを見ました。 私がここで祈ってからずっと信じていましたね。
大丈夫です。 あなたは今立ち上がることができます。 姉妹の胃潰瘍が胃にあり、酸っぱくなりました。 そうですか? あなたは今癒されています。 あなたは家に帰ることができます。
あなたの隣に座っている女性は、そこに座っていても肝臓に問題があり、肝臓の状態が続いています。 そうじゃないですか、レディ? もしそうなら、立ち上がってあなたの癒しを受け入れてください。 今、あなたも家に帰って元気になることができます。 主はあなたを祝福します。
神を信じなさい。
さあ、レディ。 心から信じますか? 信じますか、レディ? しますか? 神があなたの何が悪いのか教えてくれるなら、あなたはあなたの癒しを受け入れますか? あなたは糖尿病を患っています。 そうであれば、手を挙げてください。 今、あなたは元気になることができます。 主はあなたを祝福し、あなたを元気にしてくださいます。
「主に讃えあれ」と言います。 信仰を持ちなさい。
44. さあ、レディ。 乗り越えますか...? まあ、私の。 あなたが結核を持っているようには見えませんが、あなたは持っています。 あなたはそれを知っていますか? あなたはそれを意識していますか? [「私の{不明瞭な言葉}以来。」]私の。 確かに、外を見るとそのようには見えませんが、あなたはそうです。 はい、先生。 先日、私がここに来ると聞いたとき、あなたは部屋にひざまずいて、このプラットホームで起き上がることができれば、あなたは癒されるだろうと言いました。 そうですか? [「はい、先生。」]大丈夫です。 今、あなたはあなたの道を行くことができます....あなたの夫も病気です。 教えてください...彼にも癒されたことを伝えてください。 神はあなたを祝福します—あなたの両方。
信仰を持ちなさい。
腎臓に問題がありました、女性、とてもひどいです。 あなたはそれを乗り越えたいですか? [「はい、そうです。」]「イエス・キリストの癒しを受け入れます」と言います。 主は今、あなたを祝福します。 家に帰って、イエス・キリストの御名によって元気になりますように。
さあ、兄弟。 その胃のトラブルを乗り越えたいですか? よく作られていますか? 私を神の預言者として信じますか? [「はい」]それなら、食べたいものを食べに行き、癒しを神に讃えましょう。
信仰を持ちなさい。 まったく疑わないでください、しかし信じてください。
どうですか...? ああ、それはあなたです。 あなたも胃のトラブルがあります。 大丈夫です。 あなたも行くことができます。 それで、今、あなたはそれを長い間持っていました、レディ。 それは神経質な状態が原因です。 あなたは何年もの間それを持っています。 さあ、続けてください。 ただそれを忘れて、今、「ありがとう、主イエス」と言ってください。 そうです。 それが方法です。
神を信じなさい。 信じますか? さて、信仰を持ってください、そうすれば神はそれを実現させてくださいます。
45. あなたは糖尿病を患っていますね、すぐ後ろに座っていますか? そうですか? 大丈夫です。 今、立ち上がってください。 「主よ、私は私の癒しを受け入れます」と言います。 お父さん、主があなたを元気にしてくださいますように。 あなたはそこに座って周りを見回し、彼らの多くがあなたのために祈っていました、そしてすべて。 今、あなたは神を信じています。 神はあなたのためにそれをもたらすでしょう。
「神に感謝します」としましょう。
あなたは胃の問題を抱えていますね?—その女性はすぐそこに座っています。 はい。 あなたの隣の女性はそこに直腸の問題を抱えています。 そうです。 それは本当です。 二人とも癒されたいですか? 立ち上がってください。 神はあなたを祝福します。 あなたは二人とも今家に帰って元気になります。 良い主はあなたを本当によく祝福します。
あの女性の悩みを乗り越えたいですか、姉妹、そこに座っていますか? あなたも胃のトラブルがあります。 胃の消化性潰瘍(同じこと)はあなたを動揺させます。 そうですか? あなたも本当に緊張しているようです。 床を歩いて疲れているのが見えます。 それは本当ではないですか? そうであれば、そのように手を挙げてください。 さあ、立ち上がってあなたの癒しを受け入れ、主イエスの御名によって元気になってください。
大丈夫です。
46. さあ、レディ。 心臓のトラブルを乗り越えたいですか? ただ行って、「ありがとう、主イエス様」と言って、行って、元気になってください。 神はあなたを祝福します。
信じますか? 喜んで行きなさい。
神を信じなさい。
すみません。 何かがあります....誰かがかすかなと思います、または私は....ああ、はい、私はそうします。 2人の姉妹が一緒に座っています。 行の終わりにあります。 あなたは、ある種、気絶する呪文を持っていますね、レディ? それはあなたの妹があなたの隣に座っていませんか? あなたは両方とも私にとって見知らぬ人ですよね? そして、彼女は女性の問題を抱えています。 そうじゃないですか? 二人とも立ち上がってください。 お互いに腕をまわしてください。
主イエス様、私はあなたが彼らの両方を癒してくれることを祈ります。 彼らが今夜ここから家に帰り、イエス・キリストの御名によって完全に元気になりますように。 アーメン。
神はあなたを祝福します。
ここの列に戻ると、そこに座っている男性が見えます。 何か....ああ、それは結核で、ここの座席の端に座っています。この線のすぐ上、すぐ向こう側に。 あなたはそれを乗り越えたいのですか? 立ち上がってハンカチを振り回し、「主よ、ありがとう」と言ってください。 神は今あなたを祝福します。 あなたは家に帰って元気になることができます。 アーメン。
47. 信じますか? ああ、この会議で何が起こる可能性がありますか。 今何が起こる可能性があります! 子供たち、なぜあなたはあなたの主人を疑うのですか?
これはここの患者ですか? さあ、レディ。 大丈夫です。 レディ、あなたは私が神の預言者であると信じますか? [「はい、そうです。」]すみません。 私は弱くなってきています、ほら。 神が私を送ってくださったと信じますか? ああ、あなたは...この小さな男の子のためです。 そうですか? それはあなたの小さな孫です。 [「はい、先生。」]そうですか? [「はい、先生。」]それはちょっと奇妙なことです。 ああ、そうです。 養女の孫です。 [「そうです。」]そうですか? 喘息、そしてその目に何か問題があります。 そうですか? 家に持ち帰ってください。 お母さん、元気になるでしょう。 疑わないでください。
信じますか? 何人が癒されたいですか? 手を挙げてください。 さて、ちょっとの間、お互いに手を置いてください。
神よ、私は憐れみを祈ります、愛する神様。 主よ、貧しい人々を癒してください。 あなたは今私の状態を知っています。 あなたの霊が大きな力と機能を持って来ますように。 主よ、今この聴衆の上を移動する聖霊が彼ら全員に降りかかるように。 それらのすべてが今癒されますように。 私はイエス・キリストの名によって悪を追い払いました。
さて、兄弟よ、その御霊があなたの真上にいる間、しばらくの間神を賛美し続けてください。