聖霊に導かれて

Led By The Holy Spirit

聖霊に導かれて

ザイオン イリノイ州 アメリカ合衆国

説教番号: 52-0727

日付: 1952年7月27日(52-0727)


1. 「主イエス・キリストの御名によって、皆さまにご挨拶申し上げます。
その匹敵なき栄光と憐れみが、どうか皆さま一人ひとりの上に豊かにありますように。」
「お帰りになる前に、ブラクスター兄弟──少しここに残っていてください。あなたに、ひと言お話ししたいのです。」
「私はブラクスター兄弟と、もう何年もご一緒してまいりました。
特にこの五年間は、互いに本当に近いところで働かせていただきました。
私たちは、互いの間に決して消えることのないクリスチャンの愛を見いだし、深い交わりをいただいてきました。」
「本日の午後、私は イエス・キリストの神性 について語らせていただきました。」
「そしてブラクスター兄弟、もしご迷惑でなければ──
どうか、私の大好きなあの歌を歌っていただけないでしょうか。
その歌は、あなたと私の友人が作ったもので、
ある晩、霊感が彼に臨み、とうもろこし畑の中で書き上げた曲です。」
「“Down From His Glory(主の栄光より下り来たりし方)”──
どうか歌ってください、ブラクスター兄弟。」
「ありがとうございます、ブラクスター兄弟。」
(ブラクスター兄弟が挨拶し、“Down From His Glory” を賛美する)
2. 「私も、またあそこへ戻ってしまいました。
あの録音にしっかり入っていると良いのですが──
きっと、いつか再び耳にする日が来るでしょう。
そして、あの瞬間を長い間忘れずに覚えていると思います。
あの終わりの部分……あの姉妹たちが奏でた高いアルトの響き──
なんと見事だったことでしょう。」
「考えてみてください。
あの大いなる創造主が、私の救い主となってくださったのです。
ああ、なんということでしょう!
思えば思うほど、心が震えるのです。
神がご自身を低くし、この地上に降りて来られ、
肉体の中に宿られ、私を贖ってくださった──
失われ、まったく不十分で、不相応な私のために。
ただひとり、まことにふさわしい方が、
罪の生涯から私たちを買い戻すために来てくださったのです。」
「“目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの”
──本当にその通りです。
なんと驚くべき、なんと素晴らしいお方でしょうか。」
「さて、愛するクリスチャンの友よ。
神の平安があなたがたの上にありますように。
神の豊かな祝福が、このシオンの地に、あなたがたの上に、
いつまでもとどまりますように。」
「私は皆さんを、消えることのないクリスチャンの愛で愛しています。
私がシオンを覚えている限り、
私の心には必ずシオンとその人々への柔らかな思いが残るでしょう。
私はあなたがたのために祈ります──
主の再臨の前に、神がもう一度、大きなリバイバルを
この地にもたらしてくださるように、と。
主がそうしてくださると信じます。」
「その時を見たい……
国中の人々が再びシオンに集まってくるのを見る時を──
もしその時まで生きていられるなら、どれほど素晴らしいことでしょう。
祈り続け、顔を上げていなさい。
神は必ずご自身の時に、啓示してくださいます。」
3. 「私は主にあって、あなたがたのお役に立てることなら何でもしたい、
そのために自分をささげる者です。
私はよく人々にこう言っていました。
『夜がどれほど暗くても、雨がどれほど激しく降ろうとも、
私は必ず行きます。這ってでも行きます。どんなことをしても』と。
ところが、友が“何百万”とも言えるほど増えてからは、
その言い方を少し控えねばならなくなりました。」
「しかし、それでも私は、少しも優れた者になったとは思いません。
兄弟よ、以前と何も変わっていません。
私はあなたのために出来ることなら何でもしたいのです。
姉妹よ、同じです。
もし神がさせてくださるなら、いつでも喜んでそうします。」
「例えば──電話のことを考えてください。
かつて、私の電話は一台で一日に“六十四件の長距離電話”が鳴っていました。
昼も夜も、休むことなく……。
そんな量の電話に、私がすべて直接応じることは到底できません。」
「けれども、電話はみな記録されます。
電話口には婦人たちがいて、
用件を一つひとつ書き留めてくれます。
そして私は、それらすべてのために祈ります。
絶えず、絶えず祈り続けています。」
「そして神が、
『今すぐ、あの場所へ行きなさい』
と語られれば──
私はすぐに向かいます。
主が命じられることを、ただ行う。それが私の務めです。」
「あなたがたも、きっとその姿勢こそを喜んでくださるでしょう。
私はただ、聖霊の導きに従いたいのです。」
4. 「皆さんには分からないでしょう……
今夜、私の心の中では──言葉にできないほどの思いがあります。
私は時に“ある覆い”をかけなければならないのです。
と言いますのも、私は気質として、とても情に厚く、
どちらかと言えばメランコリーな人間なのです。
そのまま感情に任せてしまうと、
サタンがそこに付け入り、私を弱らせてしまうからです。」
「私は、そう、簡単に“泣き崩れてしまう”ような者です。
だから、このままあなたがたにさよならを言おうとすれば、
きっと数分のうちに涙がこぼれてしまうでしょう。
ですから、私は自分の前に“ひとつの壁”を置く必要があるのです。」
「けれども、はっきり言えることがあります。
神の真理が今、私の前にしっかりと立っています。
だから私は、あなたがたに“さよなら”とは言えません。」
「なぜなら──
私がキリストのうちに留まり、
あなたがたもキリストのうちに留まるなら、
私たちは、あちらの世界で必ず再会するのです。
そこには、もう“さよなら”など存在しません。」
「私たちはすでに、
自分自身をキリストという碇(いかり)につなぎました。
私は、これから野原へ、別の場所へ行かなければならないかもしれません。
そしてあなたがたも、それぞれの働き場へ向かわなければならないでしょう。」
「しかし──
神が私たち双方と共にいてくださいますように。
そして、また会える日まで、
主が私たちを守っていてくださいますように。」
5. 「この会堂の費用について、何人かの勇敢な兄弟たちが
助けとなる行動を取ってくださったと聞きました。
兄弟たちよ、本当にありがとうございます。
神があなたがたを祝福してくださいますように。」
「私たちは、財政を求めて働いているのではありません。
決して、決してそうではありません。
もし私の心が“金銭”に傾くようなことがあれば──
どうか神が私を助け、
その場から身を引いて、
再び神の前で心を正していただくまで
祈りに戻るだけの“紳士らしさ”を
私に保たせてくださいますように。」
「それは私の務めではありませんから。」
「しかし今、ほんの少しだけ、
切実に必要があるというのも事実です。
七か月ほど奉仕から離れざるを得ず、
数百ドルの負債を抱えることになりました。
これをまず整理しなければなりません。」
「そして、次に備えるべきものがあります。
海外に向けて──
神が“幻”を通して私を召しておられるその働きのために、
その予算を整えなければならないのです。」
「私は信じています。
すべてが整えられたその時、
神は私を海外の畑へと遣わしてくださる、と。」
「今日の捧げもののことですが……
ブラクスター兄弟が“愛の捧げもの”が集められたと言いました。
心から感謝します。
心の底から、ありがとうございます。」
「できるだけ早く──
主が許してくださるその時に、
私は再び“野原(フィールド)”へと出てまいります。」
6. 「ああ……私は、あなたがたの“囲炉裏の火”のそばで、
いつも温まっていたいのです。
いつも、ここ“家”のようなこの場所にいて、
皆さんと語り合い、
皆さんのご家庭にお邪魔して、
一緒に過ごしたいのです。」
「誰にも分からないでしょうが……
神は私の心をご存じです。
私は本当にそうしたいのです。
この会堂にいるお一人お一人の家へ、今夜でも伺って、
一晩お泊りして、
明日の朝に縁側に座ったり、
木陰に腰かけたりして、
あなたがたとキリストのことを語り合いたいのです。」
「けれども……
すべての人に対してそれをすることは出来ません。
お分かりいただけるでしょう?」
「そして──
主のために、そしてあなたがたのために、
私が“できる限り最善の者”であるために、
私は部屋に一人で留まり、
絶えず祈り続けるのです。」
「『神よ、どうか私を助けてください。
あそこに降りて行くとき、
あなたの代表として、
あなたの愛を人々に示す者とならせてください。
人々の助けとなる何かを、
あなたの愛が流れる道具として私を用いてください』
──そう祈り続けています。」
「さて、今夜の“愛の捧げもの”をしてくださった皆さんへ、
ひとつ御言葉をお贈りします。」
「主イエスはこう言われました。
『あなたがたが、これらわたしの最も小さな者(それは私のことです)にしたことは、
すべて、わたしにしたのである。
わたしを信じる弟子のひとりに、
たとえ冷たい水一杯を“弟子の名によって”与える者は、
決してその報いを失うことはない』」
「どうか主が、その捧げものを
百倍にしてあなたがたにお返しくださいますように。」
「心から……ありがとうございます。」
「私は知っています。
そこには“何の裏の思惑”もありません。
ブラクスター兄弟は、そういう方ではありません。
ただただ、皆さんにこう申し上げたいのです──
『ありがとうございます』と。」
7. 「そして皆さんに、ぜひ知っていただきたいのです。
この会堂を守ってくださっている管理の方……
(もし間違っていなければ、今ここに立っておられる方でしょう。
あるいは、ほかにもおられるでしょう。)
また、係の方々、案内係の方々、
牧師の方々、信徒の皆さん──
そして、ここにおられるお一人お一人。」
「中には、キャンプに“差し入れ”を送ってくださった方々もおられます。
皆さんのご親切には、心から感謝しています。」
「この会堂におられる、ある兄弟のことを
数分前にお見かけして思い出しました。
先日、私はレストランに行き、
妻と、バクスター姉妹と、子どもたちと一緒に食事をしていました。
会計をしようとしたところ──
すでに“誰か”が支払ってくださっていたのです。
その方が誰か、私は分かっていますが、
ここで名を挙げて、
その方を目立たせるようなことは望んでおられないでしょう。」
「クリスチャンは、そういうものを求めません。
“右の手のしていることを、左の手に知らせない”のです。」
「私は、すべてを心から感謝しています。
あなたがしてくださったことを、私も知っていますし、
神もご存じです。
どうか、これらの祝福が
ずっとあなたがたの上にとどまりますように。」
「そして──
遠く離れた暗い異教の地で、
戦いが激しく、四方からサタンが攻め寄せてくるような時でさえ、
私は必ず思い返すでしょう。」
「“シオンの人々が私のために祈ってくれている”と。」
「ありがとうございます。
神が皆さんを祝福してくださいますように。」
「もしジェファソンビルのあたりまで来られることがあれば、
どうか立ち寄って、私の手を握ってください。
私が家にいる時なら、
いつでも、どなたでも大歓迎です。」
8. 「では──
聖書を少し読み、礼拝にそのまま入っていくことにいたしましょう。
ルカによる福音書 2 章から読みたいと思います。
ここに記された“崇敬”(あがめる心)の場面は、
本当に美しく綴られています。
もちろん、聖書のすべての御言葉は美しく書かれておりますが……。」
「それでは、ルカによる福音書 第2章25節から読ませていただきます。」
『さて、エルサレムにシメオンという人がいた。
この人は正しく、敬虔で、
イスラエルの慰めを待ち望んでいた。
そして聖霊が、彼の上にとどまっておられた。』
『また聖霊によって、
“主のキリストを見るまでは死なない”と
彼に示されていた。』
『彼は御霊に導かれて宮に入った。
そして両親が、律法の定めに従って幼子イエスを連れて来たとき──』
『シメオンは、その幼子を腕に抱き、
神をほめたたえて言った。』
『主よ、
あなたの御言葉どおり、
どうか今、しもべを安らかに去らせてください。』
『私の目は、あなたの救いを見たからです。』
9. 「では、しばらく頭を垂れて祈りましょう。」
「永遠の神よ──
ああ、今夜、私たちはどれほどあなたを愛していることでしょう。
この民の前に立つとき、
私はしばしば思うのです。
『もし私の手に、
あなたの御子の血の“二滴”が、
杯の中に入れられていたとしたら──
カルバリの丘から流れ出た、
“あの”実際の血が私の手の中にあったとしたら、
私はどうしただろうか』と。」
「その杯を手にして立つなら、
涙は頬を伝って流れ落ちることでしょう。
主イエス・キリストの血を、
自分の手の中に抱えているのだと知るからです。」
「しかし今夜──
御前にあって、
聖書の御言葉に従うなら、
私はさらに“重いもの”を手にしていると信じます。
それは、
“あなたの血によって買い取られた人々”──
あなたの子どもたちだからです。」
「あなたはご自身のいのちよりも、
彼らを尊く思われました。
そのために、いのちを与えられました。」
「そして今夜、
この人々の前に立ち、
教える務めを担おうとしている私がいます。
父よ、
私はどのような者であるべきでしょうか。
私を形づくり、練り上げてください。
主よ、どうか私を造り変えてください。」
「私は感じています──
何か“大きな変化”、
あるいは“何かが近づいている”ような気配を。
どうかそれが、
民にとって益となり、
神の栄光となるものでありますように。」
「ここシオンで、
私はその気配を強く感じ始めています。
形が整えられつつあるように思えるのです。
まもなく、主よ──
あなたがそれを明らかにしてくださると信じます。」
10. 「そして今、父よ──
私はへりくだってあなたを待ち望みます。
今夜ここにいる一人ひとりのために祈ります。
牧師からこの建物の管理をしてくださる方に至るまで、
すべての方々の上に、あなたの祝福がありますように。
主よ、私が知るかぎりの最善を尽くして、
願い求めます。
どうか彼らが長く生き、
健やかで、喜びに満ち、
罪と病から守られた歩みを送ることができますように。」
「やがて──
偉大なあの国で、
大いなる“食卓”が整えられ、
救われたすべての時代の聖徒たちが
その席に集まる日が来ます。
そのとき私たちは、
互いに顔を見合わせ、
喜びの涙を頬に流すでしょう。
私は、賞を得るために戦い抜き、
血潮の海を渡り切った“古き勇士たち”を見つめ、
手を伸ばして握手し合うでしょう。
なんと主を賛美することでしょう。」
「その時──
麗しさに満ちた王が
私たちの間に現れ、
私たちの涙をぬぐい、こう言われるでしょう。
『もう泣かなくてよい。
すべては終わった。
今、わたしたちはここにいる。
主の喜びにあずかりなさい』と。」
「神よ、願わくは、
今夜この場にいるすべての人が
その大いなる“婚宴”の席に共に座れますように。
白い衣を着て、
王の王、主の主であられる方に
冠を捧げる備えができますように。」
「その時まで、主よ──
私たち皆が、“主人の仕事”(Master's work)に励む者でありますように。
今夜のこの礼拝、
そしてここで語られ、行われたすべてを
イエス・キリストの御名によっておささげします。
あなたが栄光をお受けになりますように。
アーメン。」
11. 「奉仕をしておられる兄弟たちよ──
御言葉を“宣べ伝えなさい”。
立ち上がり、前進しなさい。
もし“今こそ”語らなければならない時があるとすれば、
まさに今です!
ためらってはなりません。
どんなものにも妨げられないようにしなさい。
出て行きなさい。
近所へ向かいなさい。
どこかへ向かいなさい。
とにかく、動き始めなさい。」
「少し前、私はこう言いました──
ロシアでは、戦争が終わったあと、
人々が自分たちの麦を乾かしていました。
秋も深まり、もうすぐ雪が降るという時期でした。
彼らは夜も昼も休まず、
“ハロー”を引いて土を掘り起こしていたのです。
畑をきれいに耕し終える余裕などありません。
雪の前に、できる限りのことをしなければならなかったのです。」
「夜になると──
子どもたちがランタンを持って、
両親の前を走って照らし、
その後ろで母親も父親も、
ハローを引きながら、
地面をかきむしるようにして働いていました。
彼らには、ゆっくり耕す時間などなかったのです。
雪が、あまりに近づいていたからです。」
「私の声、聞こえていますか?
いちばん後ろの方、聞こえるなら手を挙げてください。
──はい、よく聞こえているようですね。
結構です。」
12. 「彼らには“待つ”という選択肢はありませんでした。
もし雪が降ってしまえば──
翌年は飢え死にの危険がある。
収穫がなくなるからです。
どうにかして、少しでも種を地に入れなければならなかった。
だから地面をかきむしり、種を放り込んだのです。
その作業を行うために、彼らは昼も夜も引き続け、
手にしたサンドイッチを食べながら、
休むことなくハローを引き続けました。
それでも“速すぎる”ということはありませんでした。
人間自身が、そのハローを引いてでもやらなければならなかった。」
「私はこう思いました──
『地面をかきむしっている……。
ここで種を入れなければ、収穫は来ない』と。」
「そして牧師兄弟たち──
もし“今こそ”神の畑をかき立てねばならない時があるとすれば、
まさに今です。
収穫を望むなら──
今すぐに種を蒔きましょう。
もう、時が沈みつつあります。
私が言っている意味を、やがて皆さんがはっきりと見る時が来ます。
その時は近いのです。」
「クリスチャンの皆さん、
今こそ動き出す時です。
どこに属しているか──
その“教派の壁”など気にしてはいけません。
神のために、外へ出て何かをしなさい。
明日の収穫のために、今日、種を地に落とすのです。
神があなたを祝福してくださいますように。」
13. 「さて、今夜の聖書朗読は──
ちょうどイエスが幼子として現れようとしていた、
その直前の場面でした。
そこに、シメオンという名の老人がいました。
年老いた“賢者”でした。
私は、彼の姿を思い描くとき、
まるでドクター・ダウイのような──
白く長いひげをたたえた、
威厳ある姿が浮かびます。
イスラエルでは名高い教師であり、
素晴らしい“教会の父”のような人物でした。」
「ある日、そのシメオンに聖霊が語られたのです。
──『おまえは、主のキリストを見るまでは死なない』と。
そして彼は、それを信じました。」
「彼らは、何年も何年も、
何世代にもわたり“キリストの到来”を待ち続けてきました。
しかし当時イスラエルは捕囚の中にあり、
その状況でどうして“キリスト”が現れるのかと
誰もが思うような時代でした。」
「けれども、聖霊が約束されたのです。
だからシメオンは恐れませんでした。
堂々と、こう言うことができたのです。
──『私は、キリストを見るまでは死なないのだ』と。」
14. 「私は想像できます──
まわりの人々がこんなふうに言っていたことでしょう。
『あの老人も、ちょっと歳をとりすぎたようだな。
何か頭の具合が良くないのではないか?
“キリストを見るまでは死なない”なんて言って歩いている。
考えてみなさいよ。
あんな百歳近い老人が、
“私はキリストを見るんだ”と言って歩いているんだから。
偉大な人々でさえ、
何世代にもわたりキリストを待ってきたんだぞ。
それを、あの老人が見ると言っているなんて……』」
「しかし──
彼は間違っていませんでした。
聖霊が“そう語られた”のです。
それこそが違いでした。
彼の心がおかしくなったのではありません。
彼は聖霊の声に耳を傾けていたのです。」
「聖霊が二つあるでしょうか?
いいえ、聖霊はただ一つです。
そうでしょう?
そして“当時の聖霊”と“今日の聖霊”は同じお方です。」
「イエスがベツレヘムでお生まれになったとき──
東方から賢者たちがやって来ました。
彼らは星を観察する者であり、占星術にも通じた人々でした。」
「彼らは“ひとつの星”を見たのです。
その星は、ありとあらゆる天文台の上を通り過ぎましたが、
どの天文台の学者も誰ひとりとして見ませんでした。
しかし、賢者たちは見ました。
なぜでしょうか?」
「彼らは、その星を“探していた”からです。
ヤコブの星──
預言者バラムが
『ヤコブに一つの星が上る』
と語った、その星です。
彼らはその預言を信じ、
その星を待ち望んでいたのです。」
「そしてその星は、
星を観察する専門家たちの頭上を通り過ぎながら、
彼らには見えませんでした。
しかし賢者たちは──
その星を追ったのです。」
「私は、彼らが“星を見た”と信じます。
皆さんはどう思われますか?
天文台の学者たちは見なかった。
しかし、東方の賢者たちは──
その星を見たのです。」
15. 「人は──求めているものを受け取ります。
もしあなたが今夜、
『私はきっと癒される』
と期待して来たなら、あなたは癒されます。
しかし期待していなければ──
普通は、何も起こりません。」
「もしあなたが、
『まあ、どんなものか見てみよう』
という気持ちで来たのなら、
あなたが見るのは、
まさにその“程度”のものだけです。」
「そしてもしあなたが、
『あれは正しくない、私はそう思う』
と言うなら──
悪魔は必ずあなたに
“正しくないように見える何か” を見せてきます。」
「しかしあなたが、
『主よ、私はあなたを信じます。
どうか私の心に祝福をください』
と願うなら──
あなたは祝福を受け取ります。
人は、期待したとおりのものを受け取るのです。」
「ですから、いつも期待していなさい。
主に何をしてほしいのか、
何を求めてここに来たのか……
その“期待したもの”こそ、
あなたが受け取るものになるのです。」
「さて、次の場面を思い浮かべてみましょう。
羊飼いたちが麓に降りてきたとき──
天使たちは誰のところへ行ったのでしょうか?」
「天使たちは、宗教家たちのところへ行ったのではありません。
カイアファのところにも、当時の大祭司のところにも行きませんでした。
天使が現れたのは──
『羊飼いたち』 のところでした。」
「そして天使はこう宣言したのです。
『今日、ダビデの町で、
救い主であるキリストがお生まれになった』」
16. 「そして羊飼いたちはやって来て、幼子を礼拝しました。
当時は、今日のようにラジオや新聞で知らせを広める手段などありませんでした。
ですから、この“出来事”はまだどこにも知られていなかったのです。」
「そして八日目になると──
母親は“清めのための捧げ物”を携えて来なければなりませんでした。
裕福な婦人は小羊を、
貧しい婦人は山鳩を捧げる決まりでした。
マリアは質素な捧げ物を持って来ました。
これは、母の清めと、幼子イエスの割礼のためでした。」
「さあ、ここで少し心の旅をしましょう。
まるで幻を見るようにして、二千年前に戻るのです。
だいたい、ちょうど二千年前のあの頃に。」
「当時のエルサレム、パレスチナの情景を思い浮かべてください。
人々は散らされ、
バビロンの支配下にありました。
その中で、ひとりの老人が歩き回りながらこう言っていたのです。
『聖霊が、わたしはキリストを見ると告げられたのだ』 と。」
「彼の姿を想像してみましょう。
今朝──
建物の奥の小さな祈りの部屋で、
聖書を開いている老人を。
今日は月曜日だとしましょう。」
「その頃、パレスチナには二百万から三百万人ほどのユダヤ人が住んでいたと考えられています。
そして、毎日多くの子どもたちが生まれていました。
一日に五十人、六十人、七十五人、百人……
あるいは、二百人、三百人かもしれません。」
17. 「さて──
八日目ですから、その日は“割礼の日”が行われます。
ですから毎日、こうして割礼を受ける赤ん坊たちの列ができるわけです。
この朝も、人々はそれぞれ自分の仕事に忙しくしていました。」
「では、少し背伸びしてその光景を見てみましょう。
そこには、百人ほどのユダヤの母たちが、
ずらりと一列に並んでいます。
ある母親は、小さな子羊を縄につないで連れてきています。
これは裕福な家の“捧げ物”です。
腕には、上等の布でくるまれた赤ちゃんを抱いています。
ほかの母親たちも、互いに話しながら、
喜びと誇らしさに満ちています。」
「では、その列をゆっくり歩いてみましょう。
あそこに──
よく名の知れた『夫人』が立っています。
彼女はかなりの富と身分のある人で、
赤ちゃんには見事な衣が着せられています。
まわりの人たちも、
『まあ、なんて立派な赤ちゃんでしょう!』
といった様子です。」
「しかし、もう少し列の端へ降りていくと──
ひとりの若い娘が立っています。
十八歳ほどでしょうか。
顔には薄いベールがかかっています。
彼女の腕には、
粗末な“布切れ”で包まれた赤ん坊が抱かれています。」
「もし私の理解が正しければ、
その布は“家畜のくびきに巻く布”──
牛が畑を耕すときに擦り切れないよう巻いておく、
あの布なのです。」
18. 「宿屋には、彼らのための部屋がありませんでした。
そこでマリアは、初めての御子を産み──
その小さなお体を包むものを探しました。
そして彼女は、牛の“くびき”に巻いてあった布をそっと取り外し、
その布で御子を包んだのです。」
「そのマリアの手には──
上等な子羊などありません。
洗われ、飾りつけられ、
大祭司に捧げるために整えられた子羊ではなく──
ただひとつ、
『山鳩』の、小さな、貧しい“捧げ物”だけが握られていました。」
「その時、人々がささやくのが聞こえます。
『あの女が誰だか知っているか?
あれは“あの子”を結婚の前に産んだ女だ。
近づくな。
あんな者のそばに立つんじゃない。』
口元を覆いながら、
『あれはただの娘だ。
ああいうのは——娼婦なんだ』
と囁いています。」
「しかし──
小さなマリアの心の中では、
自分が誰であり、
その腕に抱いている御方が誰であるか、
はっきり分かっていました。」
「あなたはこう言うかもしれません。
『なんと熱狂的な、なんと愚かな話だ』と。
けれど、覚えておきなさい。
真実を抱いている人は──
その心の奥底で“自分がどこに立っているのか”を知っているのです。」
19. 「さて──
マリアは列の中に立ち、
その腕の中の御子を見つめていました。
彼女は、すべてを心の中で受け止め、
静かに思い巡らしていたのです。」
「その小さな手には、
“山鳩の捧げ物”が握られていました。
一羽は屠られ、
もう一羽と共に、規定の清めの儀式に用いられます。
マリアはまわりの噂や声に耳を貸すことなく、
ただ、与えられた務めに心を向けていました。」
「その頃──
建物の奥深くには、
何千人というユダヤ人が集まっていました。」
トランペットの音が響き、
いけにえがささげられ、
祈りが捧げられ、
喜びと祭りの騒ぎが広がっていました。
「しかしその喧騒から遠く離れた
“祈りの部屋”の片隅に──
ひとりの老人が座っていました。
彼こそ、聖霊から“約束”を受けた男、シメオンです。」
「彼はそこに腰を下ろし、
古い巻物を読んでいました。
おそらくイザヤ書でしょう。
『私たちはみな、羊のようにさまよい、
主は私たち全ての不義を
彼の上に置かれた』
そんな箇所を読んでいたのかもしれません。」
20. 「ちょうどその時──
私は、聖霊がそっと近づいてシメオンに語りかける姿を見るようです。
『シメオン、立ちなさい。』」
「シメオンは巻物を巻き、そっと脇に置きました。
そして立ち上がりました。
聖霊が彼の上に臨まれたのです。」
「あなたは“人が聖霊に導かれる”と信じますか?
私は信じます。
そして、今もなお同じだと信じています。」
「シメオンは動き出しました。
『主よ、どうしたのですか?』
聖霊が答えます。
『シメオンよ、今朝、お前に知らせたいことがある。
わたしがお前に約束しただろう。
さあ、出て行きなさい。』」
「シメオンは言いました。
『どこへ行くのか分かりません。
しかし……行きます。』」
「こうして彼は人々の群れの中へ出て行きました。
押し分けながら、よろめくように歩みを進め、
聖霊に導かれながら、人々の間を通り抜けていきました。」
「人々は言いました。
『ほら、またあの老人だ。
頭がおかしいんだ。
“キリストを見る”なんて言って歩いてる。』
しかし──
キリストは“その建物の中に”すでにおられたのです。
彼らはそれに気づきませんでした。」
「シメオンは聖霊に導かれて、
“清めのために並ぶ女性たちの列”の方へ向かいました。
彼はその列に入り、
一人ひとりの前を通り過ぎ、
ついに──
あの、軽蔑され、拒まれていた若い母親の前に立ちました。
粗末な布にくるまれた赤ちゃんを抱いた、
あのマリアの前に。」
「聖霊が彼をそこへ導いたのです。」
「シメオンはその赤ん坊を腕に受け取り、
白いひげに涙を落としながら言いました。
『主よ……
あなたの御言葉どおり、
しもべを安らかに去らせてください。
私の目は、
あなたの救いを見たからです。』」
──なんという違いでしょう。
“聖霊に導かれた人”には。」
21. 「ちょうどその頃──
神殿にはアンナという名の老預言者がいました。
神学者たちの記録によれば、
彼女は“盲目”であったと言われています。
彼女は昼も夜も神殿にとどまり、
絶えず祈り、
民の罪のために執り成し、
“約束された方”を待ち望んでいました。」
「そのアンナの上にも、
聖霊が臨まれました。
彼女は待っていたのです。
その御方の現れる時を。」
「盲目の彼女が人々の間を進んで来ます。
あちらにぶつかり、こちらにぶつかりしながら──」
『どうしたんだい?』と周りの人が言っても、
アンナは止まりません。
「彼女は導かれるまま進み、
“女性たちの列”の方へ近づいていきます。
その列をひとり、またひとりと通り過ぎ──
ついに、キリストのおられる場所の前で足を止めました。」
「そこでアンナは、
手を高く挙げ、
神をほめたたえました。
聖霊に導かれた彼女は、
約束のキリストが来られることを信じ切っていたからです。」
「シメオンには、
“キリストを見る”という聖霊の証しがありました。
アンナは、
“キリストが来られる”という確信に満ちていました。」
その朝シメオンを導かれた聖霊、
その朝アンナを導かれた聖霊こそ、
今夜、あなたをこの場所へ導いた
“同じ聖霊”なのです。」
22. 「あなたは“神の癒し”を信じますか?
私は今日こう言いました──
『深きが深きを呼ぶとき、
その呼び声に応える“深き”が必ずあるのだ』 と。
もしあなたが“癒し”を信じているなら、
どこかに必ず “そのための泉” が開かれているのです。」
「そして、
シメオンとアンナを導かれた“同じ聖霊”が、
今夜あなたをここへ導いたのです。
ここ──
“聖霊が動いておられる場所”へ。
イエス・キリストが
昨日も今日も、いつまでも変わらない
お方であることを示すために。」
「では主よ……
おお、何が起こり得るでしょうか。
聖霊に導かれて
ここへ来られ、
この席に座り、
『神が私を癒してくださる』と信じ、
“期待して” 来たあなた。」
「さあ、あなたがた病んでいる人は──
今夜、癒されることを“期待している”のは何人ですか?」
(※手が挙がる雰囲気)
「よろしい。
あなたは“受け取る”でしょう。
受け取らざるを得ません。
あなたが信じ、
そして“期待”しているのなら──
それは起こるのです。」
「私はただ神を信じます。
あなたもそうでしょう?
神が言われることは真実です。
“どうやって起こるか” など
考えようとしないでください。
ただ──
信じなさい。」
23. 「思い出してください。
主の使いがザカリヤに現れ、
妻エリサベツによって“子が生まれる”と告げられた時のことを。
ザカリヤはこう言いました。
『そんなことは起こり得ません。
彼女は年を取りすぎていますし、
私自身も老いているのです。』」
「すると御使いは言いました。
『私はガブリエル。
神の御前に立つ者だ。
あなたがわたしの言葉を疑ったゆえに──
その子が生まれる日まで、あなたは口がきけなくなる。
しかし、わたしの言葉は
“定められた時”に必ず成就する。』」
「それでザカリヤは、
赤ん坊が生まれる日まで“口がきけないまま”でした。」
「やがて子が生まれ、
母エリサベツはその名を “ヨハネ” と呼びました。
人々は、
『本当にその名で良いのか、
父親に確かめよう』
と言って、ザカリヤに書き物を持って来ました。」
「ザカリヤは板に書きました。
──『その名はヨハネ』と。
神がすでにその子の名を決めておられたのです。」
24. 「さて──
聖霊、すなわち神の使いガブリエルが、
ナザレの町へと下って行きます。
そこには、
“ある若い娘” マリアがいました。
彼女は当時、ある年上のやもめと婚約していました。」
「そのマリアが──
東洋の風習で、
頭の上に水瓶を乗せ、
洗い場へ運んでいく途中でした。
細い道を歩いていたその時です。
突然、
“光” が彼女の前に輝きました。
マリアは立ち止まりました。
『これは……不思議だわ』
そう思ったその瞬間──」
「その光の中で“何か”が形を取り始めました。
彼女は目を凝らしました。
そこに立っていたのは、
大天使ガブリエル でした。」
「御使いは言いました。
『おめでとう、マリア。』
その声は処女である彼女を恐れさせました。
ガブリエルは続けました。
『あなたは女の中で祝福された人です。』」
「それは彼女を震え上がらせる出来事でした。
あなたでも恐れます。
私でも恐れます。」
「そして天使は更にこう言いました。
『あなたは、
男性を知らないのに、
子どもを宿すでしょう。』
彼女は言い返しませんでした。
議論しませんでした。」
『聖霊があなたの上に臨み、
あなたを覆われる。
その生まれる聖なる方は
“神の御子” と呼ばれるでしょう。』
「するとマリアは言いました。
『ご覧ください、私は主のはしためです。
どうぞ、あなたのおことばどおり
この身になりますように。』」
ただ“神のことばをそのまま受け取った”のです。
マリアのように
“神のことばをそのまま信じる者”をお与えください──」
25. 「マリアは──
まだ何の“身体的な証拠”もないうちから、
『私は赤ちゃんを宿しました!』と証しして歩いたのです。
男性を知らないにもかかわらず──
それでも彼女は言ったのです。」
「ああ、なんという信仰でしょう!
彼女にあったのは何ですか?
神のことば。
それだけでした。
しかし、それで十分だったのです。」
「マリアは言いました。
『私は赤ちゃんを授かりました。』」
人々は尋ねました:
「胎動を感じましたか?」
「いいえ、まだです。」
「本当に確かなのですか?」
「確かです。」
「でも胎動がなければ、
何の証拠もありませんよ。
どうして“授かった”と言えるのですか?」
マリアは答えました:
「神がそう言われたのです。
それで十分です。」
「はい。」
「何か“証拠”はありますか?」
「はい、あります。」
「何ですか?」
「神がそう言われたからです。」
私にとっても──
それで十分です。」
26. 「さて、マリアを見てみましょう。
彼女は急いで丘を登り、いとこのエリサベツの所へ向かいました。
ヨハネとイエスは“いとこ同士”です。
エリサベツはマリアの“従姉妹”にあたります。
天使はマリアに
『あなたの親族エリサベツも、身ごもっている』
と知らせていました。
それでマリアは、
“確かめに”彼女のところへ向かったのです。」
「するとエリサベツが出てきて、
マリアを抱きしめ、口づけし、こう言いました。
『ああ、あなたもお母さんになるのね!』」
マリアは答えます。
「ええ、そうなんです。」
ブラナム兄弟の語りを再現して、少し劇化してみると:
エリサベツ:
『神様があなたを訪ねてくださったのね、若いあなたに。
でも私は歳を取って……それでも主は恵みをくださったの。
今、私は六か月目です。でも……
私は少し不安なの。まだ胎動がないの。』
(※当時の風習では“胎動がない”=非常に不安な兆候)
マリア:
『聞いてください。
私も赤ちゃんを授かったんです。
神の使いが私に現れて、
“聖霊があなたを覆い、
あなたの胎から生まれる子は
神の御子と呼ばれる“
と告げられました。
私はその子を “イエス” と呼びます。』」
マリアがその挨拶(サルーテーション)を口にした“瞬間”です。
エリサベツの胎内で眠ったまま“死んだように動かなかった”
あの小さなヨハネが──
突然、喜び踊り始めたのです!
そう、“その言葉を聞いた瞬間”に。
27. 「“イエス・キリスト”という御名が
人間の唇から“初めて”語られた瞬間──
母の胎の中で死んだように動かなかった赤ん坊が、
命を受け、
聖霊のバプテスマを受けたのです。
ハレルヤ!」
再生された“教会”には、
なおどれほどの力があって然るべきでしょうか!」
「私は理解に苦しみます。
ああ……なんということでしょう。」
「主は言われました。
『もし彼らが黙るなら、
石が叫び出すであろう』
──これこそ、神の約束をそのまま受け取ることです。」
「どうして“授かる”と分かるのですか?」
「神がそう言われたからです。」
そして九か月が満ちたとき──
その子は生まれました。
なぜか?
神がそう言われたからです。」
「『あなたがたが祈って求めるものは、
すでに受けたと信じなさい』
神がそう言われたのです。」
いつでも、どこでも、どんな時でも
サタンを打ち破ります。」
あなたはそれを信じますか?」
28. 「今日の午後も語りましたが──
“イエス・キリストの神性”とは、
父なる神が御子のうちに宿っておられたということです。
神はご自身のすべてを、
その賜物を、
御子のうちに置かれ、
それを地上に現されました。」
「ところが、主がサタンと向き合われたとき──
その“賜物”を一つも用いられませんでした。
これは何を示しているのでしょうか?
“最も弱いクリスチャン”でさえ、
サタンに勝利できるということです。」
「サタンが来て言いました。
『もし(IF)──
もしあなたが神の子ならば、
この石をパンに変えてみろ』
その時、イエスは空腹でした。」
「しかしイエスはこうは言われませんでした。
『わたしは神の子だ。黙れ、サタンよ!』
とは言われなかったのです。」
「『It is written…(書いてある)
人はパンだけで生きるのではない。』」
(※御父の“ことば”を用いられた)
サタンがイエスを神殿の頂に連れて行ったとき──
主は再び言われました:
「It is written…」
サタンが主を高い山の上に連れて行ったときも──
主は言われました:
「It is written…」
「こうしてイエスは、
“神のことば”だけを用いて
サタンに勝利されたのです。」
「たとえ教会に
どのような“賜物”が与えられていなくても──
“御言葉”だけで
サタンは敗北するのです。」
「私が何を言っているか、お分かりになりますか?
これが真理だと信じる方は何人いますか?
──“神のことば”です。」
29. 「あなたが御言葉を見て、
それを信じ、
受け入れるなら──
翌日サタンがこう言って来ても、
『ほら、まだ病気だろう?まだ具合が悪いじゃないか』
あなたはこう言えばいいのです。
『It is written(書いてある)。
“書いてある”のだ、と。」
「私がメイヨー病院で“もう治らない”と言われたときも同じでした。
医者たちは、
『あなたはもう駄目です』
と言いました。」
「しかし私は言いました。
『It is written──書いてある。』」
『ブランハム先生、
あなたはもう回復できませんよ』
と医者は言いました。
私は答えました。
『It is written.
“あなたが願うものは何でも、
祈るときにすでに受けたと信じなさい。
そうすればそのとおりになる。“
私はそれを信じる』」
「するとサタンがまた来て言うのです。
『お前は治りはしない』
私は言いました。
『いいかい、サタン。
私の証しを聞いて神をあがめたいなら、
そこに立ち続けて見ていろ。
私は昼も夜も、力の限り神を賛美し続けるぞ!』
するとサタンはそこから逃げ出しました。
ええ、逃げていったのです。」
「そして今──
私は人生で一番体重があり、
人生で一番健康です。
なぜか?
“It is written(書いてある)”。
神がそう言われたのだから、その通りなのです。
それで決まりです。
神が言われたなら、私は信じます。」
30. 「イエスは言われました。
『あなたが願うものは何でも、祈るとき、すでに受けたと信じなさい。
そうすれば、そのとおりになる。』
私はそれを信じます。」
「そして私は、今夜あなたがここに来たのが、昔シメオンが導かれたように、
聖霊に導かれてのことだと信じています。
心の中で何かが引かれ、
“この集会には本物がある”
そう感じなければ、ここへは来なかったはずです。」
「あなたは毎晩見てきたでしょう。
新聞にも載り、あちこちで証しを聞きます。
がんで死にかけていた人が、癒された。
足の不自由な人が、歩いている。
盲人が、見えるようになった。
あなたも信じているはずです。
ほんのわずかでもキリストの命が心にあるなら、信じざるを得ません。」
「もし神が“全能の神”であるなら、神はすべてのことがおできになります。
もし“すべてのことができない”というなら、それは全能の神ではありません。
しかし──
神は全能の神です。
そして主イエス・キリストは、その御子であり、
昨日も今日も、いつまでも変わることのない方です。
私はそれを信じます。
あなたも信じますか?」
31. 「そして、こう“書かれている”のです。
『わたしが行う業を、あなたがたも行うようになる。
それより“さらに多くの”(greater・より大いなる…というより“もっと多くの”)業を、あなたがたは行うようになる。』」
「ある人がこう言っていました。
“ええ、ブラナム兄弟。『greater』と書いてあるんです。
キング・ジェームズ訳では『greater』なんですよ。“
私は言いました。
「では、その“greater”…より大いなるとは何ですか?
主は自然を静め、死人をよみがえらせ、病人を癒し、盲人の目を開かれた。
それらはすべて、御父がまず示されたからです。
主ご自身は、父が見せてくださらないことは、何ひとつなさらなかった。」
「その通りでしょう?」
「人々は言いました。
“なぜあれをしない? なぜこれをしない?
十字架から降りてみろ。
ほら、目隠しをして叩いたぞ、誰が叩いたのか当ててみろ。
それがわかったら信じてやる。“
しかし主は、人を喜ばせる“見せ物”のようなことはなさいませんでした。
お言葉のとおりです。
「わたしは、父がわたしに命じ、また“見せてくださる”ことだけを行う。」
聖書・ヨハネ5章19節にこうあります:
「まことに、まことに、あなたがたに言う。
子は、自分からは何もすることができない。
ただ、父がしておられることを“見て”行うだけである。
父がなさることは何でも、子も同じように行う。
父は御子を愛し、御自分のなさることをすべて示されるからである。」
32. 「そのとおりです。」
だからこそ主は、あの日ベテスダの池のほとりにいた、
あの無数の足萎え、手萎え、干からびた人々――
すべての人を癒されなかったのです。
父が示されたのは、ただ一人の男。
三十八年ものあいだ病の中にいた人――
糖尿病か何かで弱り果てていたその人に、
主はこう言われました。
「床を取り上げて歩きなさい。」
その人はすぐに歩き出しました。
では、なぜ他の人々は癒されなかったのか?
主ご自身が言われました。
「父がわたしに示されないことは、
わたしは行うことができない。」
そして主は昨日も今日も、いつまでも変わらない方です。
今日も同じように働かれます。
ある人が私にこう言いました。
「でもねブラナム兄弟、“greater works(より大きなわざ)”っていうのは、
世界じゅうに福音を宣べ伝えることでしょう?
イエス様は世界一周して説教できなかった。
だから私たちが greater works をしているんだ。」
私は言いました。
「では、福音とは何ですか?」
彼は答えました。
「ええと…その…御言葉のことですよ。」
私は言いました。
「兄弟、それだけではありません。
それは聖書が言う“福音”のすべてではありません。」
パウロはこう言っています。
「福音は、ただ言葉だけで来たのではなく、
力と、聖霊のあらわれとによって来た。」
そうです。
主がこう命じられた時――
「全世界に出て行って、すべての造られた者に
福音を宣べ伝えよ。」
それは同時に、
「聖霊の力を、あらゆる国で示せ」
という命令でもあったのです。
福音は言葉だけではありません。
御言葉は“生かされ”、
聖霊の力のあらわれによって確認されなければなりません。
そして私は言いました。
「もしあなたが“greater works”をしていると言うのなら、
当然、“lesser works(より小さなわざ)”もできるはずですよね?
病人を癒し、悪霊を追い出し、
主がなさったわざを行うべきでしょう。」
主はこう言われました。
「わたしのしているわざを、あなたがたも行う。」
そして――
「さらに多くのわざを行う。
わたしが父のもとへ行くからである。」
「greater」とは、
“より派手な”わざではなく、
“数が多くなる”という意味です。
信じる者が世界中に増えるからこそ、
主のわざが“もっと多く”行われるのです。
ああ、なんと素晴らしい主でしょう!
今夜、祈るとき、この方を信じましょう。
33. 全能の神よ、天と地の創造主、
永遠のいのちの源、
あらゆる良き賜物を与えてくださるお方よ。
今夜、私たちはここ、
イリノイ州ザイオンの町での集会の最終夜を迎えています。
神よ――
私の机の引き出しには、
ひとつの青い表紙の小さな紙束が入っています。
何ページにもわたり、
この町の男性たちの名や事業所の名前が書かれています。
私はこの町に戻って参りました。
あの夜のことを覚えています。
グレイス・ミッション教会を導いた最後の時、
私はこう言いました。
「私は戻ってきます。」
そしてあなたは、その願いを果たす特権を
再び私に与えてくださいました。
主よ、この集会が
今、彼らが理解している以上の祝福となっていますように。
どうかこの町の、どこか小さな火種から、
イエス様が来られるその日まで消えることのない
リバイバルが燃え上がりますように。
まさに今、このザイオンの町で、
必要としている“目覚め”が起こりますように。
どうか、主よ、成し遂げてください。
そして今夜、閉会にあたり、
あなたがこの小さなしもべに
再び来てくださいますように。
主よ、どうか私を大いに祝福してください。
あなたの御使いを遣わし、
大いなる幻を現し、
この民に語りかけ、
しるしと不思議を見せてください。
私には、あなたが何をなさるのか分かりません。
しかし主よ、あなたはすべてをご存じです。
祈りは物事を変える――
私はそれを知っています。
どうか今夜、この集まった民一人ひとりの上に、
特別な祝福をお与えください。
主よ、へりくだってお願いいたします。
救い主イエス・キリスト、
あなたの御子の御名によって祈ります。
アーメン。
34. 「さて……
彼は、私のすぐ背後の影になったところに座っています。
息子です。私は彼がそこにいるのも見えていませんでした。
カードの番号は……〔不明〕。
では今夜の祈りの列を、祈りのカードをお持ちの方からお呼びして始めましょう。
ビリーは、今夜になってから祈りのカードを配らなければなりませんでした。
午後には配る時間がありませんでしたので、夜に来て配ってくれたのです。」
(テープ空白)
「はい、それでは皆さん、よく聞いてください。
ポール、準備はいいですか?
では、その婦人をお連れください。
ああ……あの賛美は、本当に私の心を震わせますね。
“O How I Love Him, How I Adore Him.”
なんと麗しい賛美でしょう。
さて……あなたが今夜の患者さんですね、婦人。
婦人よ、私にあなたのためにしてあげられることが、何かひとつでもあれば――
どんなことでもしてあげたいのです。
しかし、私にはできません。
もし私の手の中に、あるいはこの体のどこかに、
あなたを癒す力があるなら……
あなたがこの壇上を降りる時、必ず“癒されている”と分かるようにしたでしょう。
間違いなくそうしてあげます。
それだけではありません。
あちらの車いすに座っているあの小さな女の子のところへ行き、
手を置いて癒してあげたい。
こちらにいる婦人のところにも行って癒してあげたい。
あの……両手を耳に当て、一生懸命聞こうとしている、
あのご老人のところにも行きたい。
この数日、彼がどれほど必死に聞こうとしているか見てきました。
彼の苦しみが何であるか、私は知っています。
今夜、神が彼を癒してくださることを信じています。
私は……心から、そうしてあげたい。
本当に、そうしたいのです。
しかし私はそれができません。
私は“人間”だからです。
あなたのご家族と同じです。
バクスター兄弟と同じです。
ここにいる、どの人とも同じ……ただの人間です。
しかし――
神は導いてくださいます。」
35. 「さて……
私は“賜物を持って”生まれてきました。
こうした賜物というものは、
手を置かれることによって与えられるのではありません。
賜物は、神の主権によって与えられるのです。
“賜物と召しは取り消されることがない”と言われています。
それは、神があらかじめ定めておられたことだからです。
賜物は――“生まれつき”のものなのです。
エデンの園において、
イエス・キリストは、女の“胤(たね)”として宣言され、
蛇の頭を砕くお方として定められていました。
モーセは、生まれながらにして“りっぱな子”であり、
バプテスマのヨハネは、
『荒野で叫ぶ者の声』として、
生まれる七百十二年前に、イザヤによって預言されていました。
また大預言者エレミヤについては――
彼が母の胎に形づくられる前に、
神がこう言われました。
『わたしはあなたを知っていた。
あなたを聖別し、
諸国の民への預言者として定めた。』
ご覧なさい。
これは“誰かが何かをしたから”ではありません。
神ご自身がなされたことなのです。
神の御わざです。アーメン。
その通りです。まったくその通りです。」
「さて……お分かりでしょうか。
私は“フルゴスペルの人々”について、
当初はよく知りませんでした。
少し警戒もしていました。
どうすべきか分からなかったのです。
しかし――
神が私を“彼らのところへ行け”と召され、
遣わされたのです。
彼らのことをよく知らないままで……。
だから、私は今ここにいるのです。」
36. 「私は、ここで皆さんを助けたい一心で立っています。
私が友に対して“偽善者”になるような者だとは、
あなたは思わないでしょう?
そうは信じないはずです。
あなたは、私がクリスチャンとして、
少なくとも“真実を語る人間”だと思ってくださいますね?
もし私が真実を語るなら、
神は私を助け、共にいてくださいます。
しかし――もし私が真実でないなら、
神は私と共におられません。
それだけは、はっきりしています。」
「私は、皆さんの前でイエスをお示ししたいのです。
自分はただの“しもべ”でしかない、と。
本当に――ただのしもべです。
それ以上の者ではありません。」
「そしてもし、今夜この身が死んで、
あの門の前に立ち、主がこう言われたとしても――
『お前は罪に定められる』と。
たとえ主が私を地獄へ送られても、
私はその地獄の中で手を上げて、こう言うでしょう。
『正しく、まことなるお方よ。
神よ、あなたは正しいお方です』と。
たとえ苦しみの中にあっても、
私は主をほめたたえるでしょう。
主はまことであり、
主のなさることはすべて正しいからです。」
「さあ、私たちは今、
神のみこころを求めて立っているのです。」
37. 「さて──
あなたは、私が主のしもべ、主の預言者であることを
信じてくださいますか?
今、私はあなたに、
“井戸端の女に語られたイエス様”のように、
普通の会話として話しています。
今夜の集会でお気づきかもしれませんが……
これまで、あなたは私の集会に来られたことがありますね?
前回来られた時には、
この“働き”はまだ現れていませんでした。」
「夜の集会では、
最初の方にはしばらくお話をします。
それは、聖霊の“油注ぎ”が臨むまで待つためです。
そして聖霊が来られると、
ふっと霊が開け、
“幻(ビジョン)”が見え始めます。
そこで初めて、理解が与えられるのです。」
「さあ、私の方を少しご覧ください。
あなたの心を読もうとしているのではありません。
ただ、“主イエス様のこと”を思っていてください。
私ではなく、主を心に置いていてください。
……はい、ありがとうございます。」
「あなたには腫瘍がありますね。
そうでしょう?
それだけではありません。
あなたは以前にも祈ってもらったことがありますね?
その時──
腫瘍の一部は癒されましたが、
一部は残りました。
私の集会で祈られた時のことです。
そうですね?
さあ、信じますか?」
「天の神がご存じですが、
私はあなたのお顔を覚えていません。
しかし今、“あなたのために祈っている私自身の姿”が
幻として見えました。
それは事実ですね?」
38. 「……はい、また見えてきます。少しお待ちなさい。
あなたには──女性のご病気もありますね。
そうでしょう?
それは“分泌のある症状”を伴いますね。
そうですね?
……背のあたりにその問題があります。
私は混合の会衆がおりますので、
そのために手をこの位置に置きました。
事実ですね?」
「それから──
あなたには“ねじれるような痛み”や“けいれん”が
胃のあたりの筋肉に起こりますね?
そうでしょう?
ええ、そうです。
医者は何もできないと言っていますね。
しかし、その“ねじれ”は今も起こる。
……ええ、はい……そうです。」
「あなたが声を出されると、
その瞬間、私の見ている“ビジョン”が一旦途切れます。
(わかりますか?)
ですから今、静かにしておいてください。」
「さて──
私が語ったこれらのことは、
すべて本当でしたね?
会衆の皆さんにも知っていただきたい。
私はこの婦人を存じ上げません。
今、何を彼女に告げたのかさえ覚えていません。
私はただ“神が示されること”を語っているだけです。
ビジョンが示したとおりに。
神は彼女のすべてをご存じです。
私は知りません──
しかし神が、今、
彼女に起こっていることを明らかにされたのです。」
39. 「では──
もし主のご臨在がこれほど近くにあるのなら、
わたしが主にお願いして、
あなたが癒されるよう求めたとき、
あなたは“癒される”と信じますか?
ここにいるクリスチャンたちも、
皆、共に祈ってくれます。
あなたは心から信じますか?
……はい、そうですね。
では、皆さん──
どうぞ頭を下げてください。」
「天の父よ、
ここに立つこの気の毒な女性は、
苦しみ、助けを必要としております。
どうか、心からお願い申し上げます。
あなたが彼女をお助けくださいますように。
主よ、どうか叶えてください。
あなたの御霊が彼女の上に臨み、
完全な癒しを与えてくださいますように。
私は、あなたの聖なる御言葉に基づき、
“信じる者が病人に手を置くなら、
その者は癒される“ と書かれているとおりに、
彼女の上に手を置きます。
主よ、どうか実現してください。
イエスの御名によって祈ります。
アーメン。」
「神さまがあなたを祝福してくださいますように、姉妹。
どうぞ、このまま喜びながらお帰りください。
そして、癒しの証しを、
ぜひ私にお知らせください。」
40. 「では──どうぞこちらへ、兄弟。
……よろしいですか。
あなたは──心の底から信じますか?
この集会の中で起こっていることが“神から出たもの”だと。
そう信じていますか?
……はい、信じるのですね。
では──もしあなたが心からそう信じているのなら、
私はあなたが“信仰を持つ”ためのお手伝いができるでしょう。
わかりますか?
あなたに必要なのは、ただ一つ──“信仰”です。
信仰が、すべてのことを行うのです。
「説教者が御言葉を語ります。
あなたは“御言葉を聞くこと”によって信仰を得ます。
信仰は“聞くこと”から生まれ、
聞くことは“神の御言葉による”のです。
この《聖書》が神の御言葉ですね?
そうでしょう?
まず第一に──これは神の御言葉です。
そしてこの御言葉は、
すべての人に向けて与えられています。」
「しかし──
人の人生の中に“何か”があって、
癒しを妨げている場合もあります。
そういう時、
神は“別のかたち”で助けを送られます。
つまり、
その人が正しい位置に戻り、
整えられ、
癒しを受けるための助けとなるように、
神は“みことばを伴って働く”のです。
そのようにするのが、
神のご計画──神の取り扱いです。
神は、そういうお方なのです。」
41. 「さて──
あなたと私は“初対面”ですね?
私にはあなたのことがまったく分かりませんね?
今週、あなたは集会には来ておられたようですが、
私はあなたを存じませんし、
紹介されたこともありません。
あなたについて知る術は、何ひとつありませんね?」
「では──
あなたは何か“必要”を抱えておられる。
苦しみか、病か、別の問題か……。
そして、
もし私があなたについて“何も知らない”にもかかわらず、
神があなたに関することを“お示しになる”のなら、
あなたはそれを心から信じますか?」
「……よろしい。
では今、私はあなたを見ていて──
別の病気と思っていました。
しかし、そうではない。
あなたの問題は“胃”ですね?
そうでしょう?」
「あなたの顔色を見て、
最初は“黄疸に似た病”かと思いましたが、
違いました。
あなたの病は胃です。
胃が悪いのです。」
「……それに、あなたは手術も受けていますね?
そうですね?
胃の一部を切除している。
その通りですね?
そして今も、
力が抜けるような発作や弱さが続いていますね。
ええ、そのとおりです。
あなたは、
主があなたを癒してくださると信じますか?
では、こちらへ。」
「天の父よ──
医者は彼に対してできることをすべて行いました。
しかし私は“医者が首を振る”のを見ました。
けれど主よ、
あなたはこの人を助けるために
今ここにおられます。
どうか、御霊が彼の上に臨み、
彼を祝福し、癒し、
完全に元どおりにしてください。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。
アーメン。」
「さあ、兄弟よ──
喜びながらお帰りください。
主イエスの御名によって、
あなたは癒される道を進むのです。」
42. 「では皆さん、ご一緒に──
『神に栄光あれ(Praise be to God)』と言いましょう。」
「まず最初に、私はこの方が“補聴器(トランペット型)”を耳につけておられるのを見ました。
ですから最初の判断として──
この方は“耳が聞こえない”、あるいは“かなりの難聴”であることが分かります。
では……」
「私の声は聞こえますか?
──はい、聞こえますね。
ではこちらへ来てください。
この補聴器を通して、私が話す声が届くわけですね。
ええ、それで結構です。
まず、あなたと少しお話をしましょう。」
「さて──
あなたは“イエス・キリスト”と“福音”についてどう思われますか?
その御業は素晴らしいものだと感じますか?」
「……はい、そう感じるのですね。
よろしい。」
「もしイエスが“神の御子”であられるのなら──
私たちはそう信じていますが──
イエスは“熱心に求める者に報いてくださる”お方です。
そして今夜、あなたは“助けを求めて”ここに来られました。
間違いなく、その必要は“耳”のことでしょう。
そうですね?
……はい、そうです。
耳──両方の耳に問題があるのですね?」
「……はい、両耳ですね。
分かりました。」
43. 「さて──
まず知っておいてほしいのですが、
私はあなたを“癒すこと”はできません。
分かりますね?
私自身には、
あなたを良くする力はありません。
どんな方法でも、
私にはあなたを治すことはできません。
私にできることは、
ただあなたのために“祈る”ことだけです。
それは理解しておられますね?」
「そして──
あなたには“イエスを救い主として受け入れること”が必要です。
正直に言ってください。
そうでしょう?
……はい、それが真実ですね。
あなたはまだキリストに回心しておられない。」
「これは、
あのサマリアの井戸端で主イエスが
『あなたの夫を呼んで来なさい』と言われたときと
同じ御霊の働きです。
イエス・キリストは、
あなたの“未回心の状態”をご存じなのです。」
「あなたには、
“戦争”か“軍隊”に関わる出来事がありましたね?
兵士でおられましたか?
……そうですね?」
「では──
あなたは私を“主の預言者(しもべ)”として信じますか?
では、こちらへ。」
「今、あなたはイエスを
“ご自分の救い主”として受け入れますか?
今夜から、
決して主を離れず、
残りの人生すべてを
主にお仕えすると約束しますか?
……はい?
では、
あなたは今──
イエスをあなたの救い主として受け入れたのですね?」
44. 「それから──
私は“最近のこと”として、
あなたがある習慣をしているのを
ビジョンの中で見ました。
あなたは──
罪の中にいる人ならよくあることですが、
タバコを吸っていますね。
しかし、
それとは決別しなければなりません。
もう、それを続けてはいけません。
あなたは今、
“クリスチャンとして歩む者”となったのですから。
神と共に歩む人生を始めなさい。」
「全能の神よ──
耳に補聴器を付け、難聴に苦しむこの男性に、
どうか憐れみを与えてください。
彼は今、
イエスを“個人的な救い主”として受け入れました。
どうか、主よ、
彼を癒してくださいますように。
神の霊が彼の上に臨み、
罪の呪いも、
病の呪いも、
難聴の呪いも取り去り、
彼を“キリスト・イエスにある新しい被造物”と
ならせてください。
全能の神よ、
この祈りをどうかお聞きください。
イエスの御名によって祈ります。
アーメン。」
「では──
その補聴器を外してみましょう。
さあ……いいですか?
……聞こえますか?
聞こえますか?
私の声が聞こえたら“アーメン”と言ってください。」
「……アーメン。」
「主を愛しますと言いましょう。」
「……主を愛します。」
「あなたは癒されました、兄弟。
あなたの罪も赦されました。
喜びながら帰りなさい。」
45. 「皆さん──『神に栄光あれ(Praise be to God)』と言いましょう。
主を愛しますか?
では手を上げて、
『主をほめたたえます(Praise the Lord)』と言いましょう。」
「人々は神をあがめました。
この男性は、癒されたばかりでなく、
“罪も赦された”のです。
死んでいた者が生き返り、
失われていた者が見いだされた──
神に感謝します。」
「さあ、兄弟、こちらへ。
あなたは、私を“主の預言者──
シオンに遣わされた預言者“と信じますか?
私たちは互いに見知らぬ者ですね?
私はあなたのお顔も存じませんし、
これまでお会いした覚えもありませんね?
──よろしい。」
「では、もし私が神の預言者であるなら、
神があなたのことを“示して”くださいます。
私はあなたを癒すことはできません。
しかし、いま──
あなた自身が“何か起きている”のを
はっきり感じていますね?
……そうでしょう?」
「では言いましょう。
あなたは“背中の痛み”に苦しんでいますね。
そうでしょう?
さらに──
“直腸の問題”もありますね?
痔のような症状です。
そうですね? 」
「それからもう一つ、
あなたには“手放すべき習慣”があります。
タバコですね。
それをやめますか?」
「……では、主イエス・キリストの御名によって、
癒されて帰りなさい。」
「皆さん、『神に栄光あれ(Praise be to God)』と言いましょう。
ああ、私は主を愛します。
主をあがめます。」
46. 「どうぞ、姉妹。
癒されたいのですね?
……(録音欠落)……
『神に栄光あれ!』」
「さあ、兄弟、こちらへ。
あなたは主を信じますか?
あなたも信じていますね、姉妹?
──ああ、今ここで 何でも起こりうる ……
(録音欠落)」
「兄弟よ、
その“心臓の病”から解放されたいのですね?
そうでしょう?
では今、癒しを受け取りなさい。
イエスの御名によって、
そのまま癒されて進みなさい。」
「皆さん、
『神に栄光あれ!』と言いましょう。」
「あなた──
“胃の病”もありますね?
そうですね?
では立ち上がって、
イエスの御名によって、
家に帰り、完全に癒されなさい。」
「その後ろの席の婦人──
あなたの“膀胱の病”も癒されます。
立ち上がりなさい、姉妹。
神があなたを祝福されます。」
「こちらの女性──
その男性のすぐ後ろに座っておられますね……
(録音欠落)
立ち上がりなさい。
そして家に帰り、
イエスの御名によって癒されなさい。」
「あなたが“それ”について夜眠れずに
思い悩んできたのを見ました。
そうですね?
──そうなら立ち上がりなさい。
(録音欠落)」
「そこの若い黒人の青年──
そう、あなたです。
あなたは悪魔に悩まされていますね。
そうでしょう?
サタンがあなたをずっと苦しめてきた。
あなたはまだ若い“回心者”ですね?
そうですね?
──解放されたいですか?」