私達の為に創られた神の方法(道)

God's Way That's Been Made For Us

私達の為に創られた神の方法(道)

ジェファソンビル インディアナ州 アメリカ合衆国

説教番号: 52-0900

日付: 1952年9月(52-0900)


1. さあ皆さん、一緒に。しっかり声を出して、高らかに歌いましょう。
♪ 驚くばかりの恵み
なんと甘美な響き
この身のような者をも救ってくださった
かつては失われていたが、今は見いだされ
盲であったが、今は見える ♪
それでは、頭を垂れて祈りましょう。
天の父なる神よ、
私たちがあなたのもとに近づくことのできる、この大いなる特権を感謝いたします。
まず、私たちはキリストによらなければ、あなたのもとに来ることはできません。
それゆえ、私たちは祈りの先頭に、主イエス・キリストの御名を置きます。
そして、御言葉によって、あなたがそれに答えてくださることを私たちは知っています。
なぜなら、私たちは主の御名によって願い求めるからです。
私たち自身の義はなく、
自分たちにできることも、誇れるものも何一つありません。
ただ恵みによってのみ、
キリストの御名によって、こうして来て、願い求めています。
父よ、
今夜、この建物の中には、多くの罪人である男女がいるかもしれません。
あなたは罪人のために死んでくださいました。
どうか今夜が、
神が彼らの心に語りかけ、
恵みによって御国へと召し入れてくださる、その夜となりますように。
長い年月を、罪の中をさまよい、無駄にしてきた人もいるかもしれません。
しかし、どうか今こそが、その時、その時間となりますように。
2. 主よ、今夜、ビリー・ポールのために感謝いたします。
母を失った、あの小さく、哀れなわが子――揺り動かされ、翻弄されてきた子です。
主よ、今、彼に保証として聖霊を与えてくださったことを感謝します。
いつの日か、栄光のその日には、
私たちは再びママに会えること、
その時には、すべてが良くなることを、ありがとうございます。
ああ神よ、
今日、天使たちを通して、彼女にも知らせてください。
彼女は臨終のとき、あれほど泣きながらこう言いました。
「神に仕えなさい……
いつの日か、ビリー・ポールは一人前の男となり、
聖霊を受けるでしょう」と。
祈りは答えられました。
神よ、今、この子を祝福してください。
どうか、主なる方の足跡に従って歩みますように。
「パパ、僕はいま聖霊を受けたよ。とても幸せだよ」
そう言ったとき、
彼の小さな声が震えていたことを、私は忘れません。
神よ、
今夜ここにいる、まだ新生していないすべての人にも、
同じ体験がありますように。
どうか今夜、聖霊を受け取らせてください。
私たちが犯したすべての罪を、お赦しください、主よ。
病める者を癒し、
心の砕かれた者を包み、癒してください。
そして今、主よ、
私は今夜、どこから語り始めればよいのかさえ分かりません。
しかし、あなたが備えてくださることを信じます。
私はあなたを信じ、
人々の助けとなるものを与えてくださるよう願い求めます。
主イエス・キリストの御名によって、これを願います。
アーメン。
3. 「ここで少し、聖書を朗読したいと思います。イザヤ書35章です。
私の言葉は尽きることがあっても、神の御言葉は決して尽きることがありません。
それゆえ、聖書朗読なしに、どの礼拝も完全とは言えません。」
イザヤ書 第35章
荒野と荒れ地とは彼らのために喜び、
砂漠は楽しみ、ばらの花のように咲く。
それは豊かに花開き、
喜びと歌とをもって楽しむ。
レバノンの栄光がそれに与えられ、
カルメルとシャロンの麗しさが与えられる。
彼らは主の栄光、
われらの神の麗しさを見る。
弱った手を強め、
よろめく膝を確かにせよ。
心おののく者に言え、
「強くあれ、恐れるな。
見よ、あなたがたの神が来られる。
報復をもって、神ご自身が来て、
あなたがたを救われる。」
その時、
盲人の目は開かれ、
耳しいの耳は開けられる。
その時、足なえは鹿のように跳び、
口のきけない者の舌は歌う。
荒野には水が湧き出で、
砂漠には川が流れる。
乾いた地は池となり、
かわいた地は水の泉となる。
ジャッカルの住みかであった所には、
草と葦とが生い茂る。
そこには大路があり、
一つの道がある。
それは聖なる道と呼ばれ、
汚れた者はそこを通ることができない。
それは贖われた者のための道であり、
旅人は、たとえ愚かであっても、
そこに迷い出ることはない。
そこには獅子はおらず、
猛獣もそこに上って来ない。
それらは見いだされず、
贖われた者たちがそこを歩む。
主に贖われた者たちは帰って来て、
歌いながらシオンに来る。
永遠の喜びが彼らの頭にあり、
喜びと楽しみとを得、
悲しみと嘆きとは逃げ去る。
4. 主が、ご自身の御言葉の朗読に、祝福を加えてくださいますように。
それでは今夜、神の御心であれば、
ほんのしばらくの間、皆さんにお話ししたいと思います。
ここで時計を見ながら、
今夜はあまり長くならないように気をつけますね。
5. 今週の集会を通して、私は人々に、
恐れる必要はないということを示そうとしてきました。
悪魔が人に与えることのできる、最も悪いもの――
それは恐れです。
たとえ、がんを患っていたとしても、
もし恐れず、神が癒してくださると信じているなら、
それほど悪い状態ではありません。
神がそれを引き受けてくださるのです。
病気が何であれ、
もし恐れなければ――。
ですから、恐れというものは、サタンが人に置くことのできる、最悪のものの一つなのです。
さて今週、私は聖書によって、
神の御国から新しく生まれた人には、何一つ恐れるものがない
ということを証明しようとしてきました。
あなたは、イエス・キリストのうちにあって、完全に安全に、確実に守られているのです。
主はこう言われました。
「父がわたしに与えてくださった者は、みなわたしのもとに来る。
父が導かなければ、だれも来ることはできない。
そして、わたしのもとに来る者を、わたしは決して追い出さない。」
また、
「だれも彼らを、わたしの父の御手から奪い取ることはできない。
父より大いなる者はいない。」
さらに、
「わたしの言葉を聞き、わたしを遣わした方を信じる者は、
永遠のいのちを持ち、
裁きにあうことがなく、
死からいのちへと移っている。」
また、
「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、
永遠のいのちを持っている」
――将来持つのではなく、今すでに持っているのです。
「そして、わたしは終わりの日に、その人をよみがえらせる。」
それゆえ、
「あなたがたが贖われる日まで、
あなたがたが封印されているその神の聖霊を悲しませてはならない。」
そこです。
「贖いの日まで封印されている」 のです。
一つのリバイバルから次のリバイバルまで、ではありません。
贖いの日までです。
6. ああ、今朝、聖霊がどれほど力強く臨んで、
そのことについて私たちを祝福してくださったことでしょうか。
夜の九時半ごろから始まって、
今朝の一時半まで、ここに留められました。
本当に、主は私たちを祝福してくださいました。
さて今夜は、
ある一つのことについて語りたいと思います。
イザヤは、ここでこう言っています。
「そこには大路があり、
それは聖なる道と呼ばれる。」
そこで今夜の題は、
「神の道 ― 神が私たちのために備えてくださった道」
についてお話ししたいと思います。
7. さて、もし私がニューヨーク市へ行こうとするなら、
自分が地理的にどこにいるかを適当に判断して、
「よし、北へ行こう」と出発するのが最善ではありません。
最善の方法は、地図を手に取り、
その地図に従って進むことです(そうでしょう?)。
つまり、大きな道――幹線道路を進むことです。
もしそうしなければ、必ずトラブルに巻き込まれます。
神の御国には、近道はありません。
私たちはよく、近道をしようとしますが、
そうすると、どこかの池や沼にはまり込んで、身動きが取れなくなってしまいます。
それが、神の偉大で古くからある大路から外れてしまったときに起こることです。
神は、道を備えておられます。
神は、通るべき道、進むべき道を造ってくださっているのです。
8. イスラエルの子らがエジプトの地から出て来たとき、
彼らは神の道に従いました。
その道は、紅海へと導いていきました。
神がご自身の道を、あのような所へ導かれたというのは、
一見、不思議に思えます。
しかし、神の道は、その海のただ中を通っていたのです。
そして、その時が来ました。
対決の時が来て、
イスラエルは海の前に立たされました。
しかし、神の道は、海を越えて続いていたのです。
そこで神が、火の柱の中から見下ろされると、
海は恐れて退き、
イスラエルは乾いた地を通って渡って行きました。
神の道は、その中を通っていたのです。
9. それから主は、彼らを荒野へと導き、
マラの泉――「苦い」水のところへ連れて行かれました。
神が、ご自身の子どもたちを苦い水のところへ導かれるとは、
不思議に思えませんか。
しかし、それもすべて、道の途中なのです。
そして、彼らがそこに着いたとき、
その苦い水のための解決は、すでに岸辺に備えられていました。
モーセが一本の木を切り倒し、
それを水に投げ入れると、
水は甘くなったのです。
♪ ある者は水を通り
ある者は洪水を通り
ある者は深い試練を通る
しかし、すべては血によって通される ♪
これが、神がご自身の子どもたちを導かれる方法です。
神の道、神が備えられた道です。
もしイスラエルの子らが、
「この道を避けて、あちらから回ろう」としたなら、
必ず問題に陥っていたでしょう。
彼らは、雲の柱、火の柱に従わなければなりませんでした。
それが彼らを導いていたからです。
彼らは、それに従ったのです。
そして今夜の教会も、
ただ火の柱――聖霊に従いさえすれば、
必ずカナンに到達します。
神には道があります。
神は、備えられた道を持っておられるのです。
10. 人が進む道には、二つしかありません。
それは、自分の道か、神の道かです。
つまり、正しい道か、誤った道か、そのどちらかです。
そして、あなたの道は、常に誤った道であり、
神の道こそが、正しい道なのです。
自分の道にいながら、同時に神の道にいることはできません。
ですから、神があなたのうちにご自身の道をなさるためには、
あなた自身が、自分の道から退かなければならないのです。
その通りです。
神は、備えられた道を造られます。
人はいつの時代も、自分の道を造りたがってきました。
エデンの園で、神は人を、
何一つ不足することのないように造られました。
人は完全でした。
しかし、人は自分の道を望んだのです。
手を出したかった。
自分で確かめたかった。
そして、ひとたび堕落すると――
これは今週、聖書の学びで見てきたことですが――
人は自分で宗教を作りました。
神が与えてくださるのを待たずに、
自分で作ったのです。
しかし、彼はすぐに分かりました。
自分の宗教、自分の覆いは、役に立たなかったのです。
これが、いつの時代も変わらない人間の姿です。
人は自分の道を望む。
しかし、神には道がありました。
人は、いちじくの葉を集めて、
自分と妻を覆いました。
しかし、神の御前に出たとき、
それでは通用しないことが分かったのです。
友よ、私は言います。
これまでにも、そして今夜も、
多くの人が人生の道の終わりに来て、
自分が握りしめてきた
その浅い宗教が、
何の役にも立たないことを知るでしょう。
新しく生まれること以外に、通用するものはありません。
イエスはこう言われました。
「人は、水と御霊によって生まれなければ、
決して神の国に入ることはできない。」
「決して」です。
メソジストであろうと、
バプテストであろうと、
長老派であろうと、
何者であろうとも、
水と御霊によって生まれなければ、入ることはできません。
「生まれる」とは、変えられるということです。
人は、生まれる前に、死ななければならないのです。
ですから、
あなたは自分自身に死に、
キリスト・イエスのうちに、再び生まれなければなりません。
それが真理です。
11. さて、ここで気づいてほしいのですが、
彼(人)は自分の道を作ろうとしていたのです。
今朝も学びましたが、
カインが自分の道を作ろうとしたことを見ました。
彼は、りんごや、梨や、桃や、かぼちゃ――
何であったにせよ――
それらを持って来て、祭壇の上に置き、こう言いました。
「さあ、主よ。ここに祭壇を築きました。
教会を建てました。
私は良い教会員です。」
分かりますか。
「毎週教会に行っています。
ここに来て、祭壇を築き、
供え物をその上に置きました。
さあ、これからひざまずいて祈ります。
主よ、どうか私を受け入れてください。」
しかし、神は彼を受け入れられませんでした。
そして、その同じ古い宗教的霊が、
今日もなお、教会のただ中に生きています。
まったく同じものです。
これ以上ないほど宗教的でありながら、
神については、
ホッテントット族がエジプトの騎士について知っているほどにも
分かっていないのです。
これは真実です。
宗教的霊です。
スターリンが反キリストだなどと思ってはいけません。
聖書はこう言っています。
その二つの霊は、
あまりにも近く似ているため、
可能であれば、選ばれた者さえも惑わすと。
12. 私たちは、イスカリオテのユダが、
弟子たちと一緒に下って行き、
喜びながら福音を宣べ伝え、
叫び、声を上げ、
ほかの弟子たちと共に大いに盛り上がっていたことを見ます。
マタイによる福音書 第10章です。
彼は、弟子たちにぴったりと付き従っていました。
しかし、その内側は、悪魔が宿った者でした。
ちょうど、
イエスが神の受肉であったように、
彼は悪魔の受肉だったのです。
それは、エデンの園における
カインとアベルと同じです。
しかし、ペンテコステに上って、祝福を受ける時が来たとき、
彼は自分の正体を現しました。
そして今日でも、
新しく生まれることや、
聖霊のバプテスマを受けることについて語り始めると、
十人に九人は、
その霊が自分の色を現します。
自分が何者であるかを示すのです。
彼らはこう言います。
「それは狂信だ。
そんなものはやめておけ。」
兄弟よ、
それこそが、今日、神が人のために備えられた道なのです。
ハレルヤ。
13. 見てください。
神はいつの時代も、備えられた道を造ってこられました。
神は、道を造られる責任を負っておられるのです。
神は、自然のためにも道を造られます。
では、なぜこの国々に、あれほど大きな洪水が起こるのでしょうか。
それは、人が森林を切り倒し、
木々を伐採し、水が一気に流れ下るようにしてしまうからです。
さらに下流にダムを造り、
川床をせき止めてしまう。
すると、どうなるでしょうか。
水は行き場を失い、あふれ出します。
人が自然に手を加えるからです。
神は、もともと備えられた道を造っておられました。
洪水が起こる原因は、そこにあるのです。
神が完全に造られたものに、人が手を加えると、
それは不完全なものになってしまう。
その通りです。
14. 例えば、カモを見てみましょう。
私は山に狩りに行くとき、季節になるとカモを見るのが好きです。
秋になると、私は山に入ります。
すると、カモたちはルイジアナあたりや、
南の湿地帯から北へ上って来て、
そこに落ち着き、巣を作り、小さなカモの子を育てます。
やがて、その小さな連中も育ち、
九月ごろ――ちょうど今の時期か、九月の終わりごろになるでしょうか――
すっかり大きくなります。
ところが、その小さな雄ガモ――
まだ一度もその池を離れたことがないのです。
生まれてからずっと、その池にいただけ。
まだ一年にもなっていません。
しばらくすると、山の上に霜が降り、
少し雪が舞い、
冷たい風が山を越えて吹き下ろしてきます。
その小さなカモは、それを感じるのです。
どこにも行ったことがない。
その池しか知らない。
まだ若いカモです。
ところが、彼は首を上げ、
小さな鳴き声を上げながら、
池の真ん中へ泳ぎ出て行き、
「ガァー、ガァー」と鳴き始めます。
すると、その池にいるすべてのカモが、彼のもとへ集まって来るのです。
池にいるカモたちは、
彼が生まれつきのリーダーであることを知っているのです。
そして、その小さなカモは、
羅針盤も、地図も、何も持たずに、
その池を飛び立ち、
まっすぐに、できる限り一直線に、
ルイジアナの稲田へと向かって飛んで行くのです。
15. どうやら、クリスチャンにも、少なくともカモくらいの分別はあってよさそうなものですね。
そう思いませんか。
その通りです。
「それは本能でしょう」と言う人がいるかもしれません。
いいえ、違います。
彼らは、神が備えられた道を行っているのです。
神が彼らに、
そこへ導くための道――本能を与えられ、
彼らはそれを信じて従うのです。
ところが神は、人に聖霊を与えてくださったのに、
人はそれを拒み、
自分の道を行こうとする。
しかし、神は私たちのためにも、備えられた道を持っておられるのです。
ハレルヤ。
私は今夜、
この集会と、ここ数夜のリバイバルのあとで、
なんだかとても「宗教的」な気分になっていますよ。
よく見てください。
ほら、そこにあります。
そうです、その小さなカモは、
ちゃんと下へ飛んで行くのです。
16. それから、もう一つ言わせてください。
もし新聞に
「明日は良い天気になるでしょう」
と書いてあったとして、
あなたが狩りに出かけ、
ウサギたちが草むらに身を寄せて落ち着いているのを見たら、
そんな新聞の記事など、気にしないほうがいい。
新聞よりも、
ウサギの行動を見なさい。
また、あの年老いた雌ブタが、
丘の北側からワラを引きはがし、
それを向こうの南側へ運んで、
丘の南側に寝床を作っているのを見たらどうでしょう。
あのブタは、
この世のどんな新聞解説者よりも、
よく分かっているのです。
その通りです。
彼女には本能があります。
冷たい北風が吹き下ろして来るのを避けるために、
南側へ回り込んでいるのです。
ああ、本当にその通り。何てこと。
17. もしブタでさえ、
冷たい風を避けるだけの分別があるのなら、
聖霊を持っているあなたは、どうでしょうか。
ハレルヤ。
それが、あなたの本能なのです。
その通りです。
神は、彼らに本能を与えられました。
それは、彼らのために備えられた神の道なのです。
彼らは、神が備えられた道の中で生きています。
花を見てみなさい。
花が枯れるとき、
それは地に落ち、土の中に入ります。
しかし、それで終わりではありません。
また生き返るのです。
神は、花のためにも備えられた道を造られました。
そして、花はそれを信じているのです。
18. 神は、いつの時代も備えられた道を造ってこられました。
その道は、いつも心地よい所を通るとは限りません。
時には、苦難を通ることもあります。
しかし、それでもなお、それは神が備えられた道なのです。
神は、とにかくその道を造られるのです。
かつて、神が備えられた道の中にいた一人の人がいました。
その人は、獅子の穴を通らなければなりませんでした。
しかし、彼は神の道を通ったのです。
そして神は、彼を再びそこから連れ出されました。
ハレルヤ。
19. 私は、ある朝、バビロンに座っている
ヘブルの三人の若者の姿が目に浮かびます。
彼らは、偶像にひれ伏すことを拒みました。
その通りです。
彼らは言いました。
「どんな音楽を鳴らそうと構わない。
コルネットも、ラッパも、好きなだけ吹け。
だが、私たちは、あなたがたの偶像にはひれ伏さない。」
ハレルヤ。
どうか、
シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴのような者が、
もっと起こされますように(そうです)。
この世のものに、
ひれ伏むことのない者たち。
私たちは、
それに迎合する必要などありません。
神は、聖霊によって、私たちを自由にしてくださったのです。
ハレルヤ。
その通りです。
20. さあ、今度は、あの場面を一緒に見てみましょう。
少しカメラをあちらへ向けて、見てみることにしましょう。
ある朝、
あそこに立っているあの若者たちの姿が見えます。
彼らは言いました。
「さあ、聞いたか。
王はこう言った。
『偶像にひれ伏さない者は、
火の燃える炉に投げ込む』と。」
その夜、彼らは徹底的に祈りました。
そして翌日、
偶像の前にひれ伏す合図の音が鳴り響いたとき、
彼らは――
その像に背を向けたのです。
すると王が近づいて来て、言いました。
「お前たち、あれを見たか?
本当に、そんなことをしたのか?」
「はい、しました。」
「よし、それなら、
炉を、これまでになく七倍も熱くせよ。」
21. さて、これは不思議なことではありませんか。
炉の口へと続く 桟橋(通路) が、そこに設けられていました。
その朝、バビロン中が赤く染まり、
火はごうごうと音を立てて燃え盛っていました。
私は、現代人のようなネブカデネザル王の姿を見ることができます。
彼はそこに座り、こう言ったのです。
「さあ、
あの連中から、
聖霊の宗教など、焼き尽くしてやろう。」
ああ、そうです。
悪魔が、あなたを焼こうとしないなどと思ってはいけません。
必ず、そうしてきます。
しかし、覚えておきなさい。
聖霊ご自身が、火なのです。
22. さあ、よく見ていてください。
神の道は、その桟橋をまっすぐ進んで行きました。
私は、
シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴが、
まるで死への行進のように歩いて行く姿を見ることができます。
シャデラクが言うのが聞こえます。
「アベデ・ネゴ、しっかり祈り切ったか?」
「うん、祈った。」
「よし、それならいい。」
「本当に、神の道の中にいるか?」
「はい。
神は御言葉の中で、
偶像にひれ伏してはならないと言われました。
だから、私たちはそうしません。
神は、この火の炉から、
私たちを救い出すことがおできになります。
しかし、たとえそうされなくても、
それがどうしたというのです。
私たちは、ひれ伏しません。
神が備えられた道を行きます。」
誰かが言うのが聞こえます。
「本当に、それが神の備えられた道だと確信しているのか?」
「はい。」
ハレルヤ。
また、こう言う人もいるでしょう。
「でも、もしかしたら、
あなた一人よりも、
あの大勢の人たちのほうが正しいのではないか?」
「いいえ。」
「聖書がそう言っているのです。
だから、私たちはそれに立ち続けます。」
こうして彼らは、
その桟橋をまっすぐ進んで行きました。
私は、その熱を感じることができます。
あまりにも激しい熱で――
彼らを連れて来た者たちが、
その熱によって命を落とすほどでした。
23. 彼らは、もう炉の中に足を踏み入れようとしていました。
その時点でも、
神は、まだ一言も語っておられません。
それでも彼らは、
神が備えられた道を歩き続けていました。
炉の口の、まさに目の前まで来ました。
そして、
今にもその火の燃える炉の中へ踏み込もうとした、その瞬間――
……私は今、
目の前に、実に暗く、重い光景が浮かんでいます。
神に忠実に生きようとし、
神が備えられた道を歩んでいる人々が、
今にも焼き尽くされようとしている――
その光景です。
なんという絵でしょうか……。
24. よく見てください。
地上で何かが起こっているときには、
同時に、天でも何かが起こっているのです。
少し、上を見上げてみましょう。
そこで何が起こっているのかを、見てみようではありませんか。
私は、
王の威厳ある衣をまとって、座しておられる主の姿を見ることができます。
ハレルヤ。
そして、まず右の方から、
ミカエルと呼ばれる、大いなる御使いが来るのが見えます。
天には、そのような御使いがいるのです。
ご存じでしたか。
彼が主のそばへ駆け寄り、
こう言うのが聞こえます。
「主よ!」
彼は剣をさやから抜き取り、
こう言うのです。
「今朝、バビロンをご覧になりましたか。
神が備えられた道を歩んでいる人々がいます。
彼らは、今朝、
自分たちの証しを命をもって封印しようとしているのです。
私たちの兄弟たちが、
今にも焼かれようとしています。」
そして彼は言います。
「私を下へ遣わしてください。
この光景を変えてみせます。」
私は、それができたと信じます。
確かに、彼にはできたでしょう。
しかし、主がこう言われるのが聞こえます。
「いや、それはさせられない。
ミカエルよ――
おまえは立派な御使いである。
だが、剣を収め、
そこに立っていなさい。」
25. すると、もう一人の御使いがやって来ます。
その名はウォームウッド(苦よもぎ)。
水を苦くする者です。
彼が進み出て、こう言うのが聞こえます。
「主よ、ご覧ください。
あそこを見下ろしてください。
私は水を司る権威を持っています。
あなたは、洪水以前の滅びのときに、
その権威を私に委ねられました。
そして私は、ノアとその家族を除いて、
全世界を洗い流しました。
今こそ、
私を下へ遣わしてください。
バビロンを地図から消し去ってみせます。」
すると主が、こう言われるのが聞こえます。
「ウォームウッドよ、
おまえにそれができることは分かっている。
それはその通りだ。
だが、今回はおまえを遣わすことはできない。
これは“人の業(ひとわざ)”なのだ。」
(笑)
26. ああ、私は、主が立ち上がられるのを見ることができます。
彼らは、まさに最後の一歩を踏み出そうとしているところです。
すると主は、向こうにかかっている
大きな雷雲に向かって、こう言われるのが見えます。
「こちらへ来なさい。」
ああ、何ということでしょう。
それは、主に従いました。
私は、主がこう言われるのを聞きます。
「東の風も、西の風も、北の風も、南の風も、来なさい。
この雷雲を運びなさい。
わたしは、おまえたちを馬のように駆って、
この雷雲を戦車のようにして、
今朝、わたし自身がバビロンへ下って行く。」
ハレルヤ。
私は、主が稲妻をつかみ、
それを天に走らせるのを見ることができます。
ちょうどその時――
彼らが、神の備えられた道を歩みながら、
最後の一歩を踏み出した、その瞬間です。
そして、彼らが炉の中へ入った、まさにその時、
主はいのちの海のそばを通り、
一本のなつめやしの葉を取られ、
彼らのそばに立って、
その風をあおいでおられたのです。
ハレルヤ。
人が、神の備えられた道を歩むとき、
主は、必ずそこにおられます。
その通りです。
27. 昔々、
向こうのほうに、
「いかさま」だと言われた年老いた説教者がいました。
昔のホーリネス派の説教者で、
その名はノアでした。
彼は言いました。
「いいか、雨が降るぞ。
嵐がやって来る。」
すると人々は、あちこちで言い回ったのです。
「おい、あの“聖霊かぶれ”の年寄りの話を聞いたか。
『雨が降る』だってさ。
地上に雨なんて降ったことがないじゃないか。
それなのに、雨が降るだと?
いったい、その水はどこから来るんだ?
よし、科学を持ち出して調べてみよう。
上に水なんてあるのか?
……いや、何もないじゃないか。
どうしたんだ?
あの年寄りの説教者は、頭がおかしくなったんじゃないか。」
しかし、神がそう言われたのです。
神は言われました。
「ノアよ、箱舟を造りなさい。
あなたの家族を救うため、
人々を救うために。」
そしてノアは、
それをするだけの分別を持っていました。
それだけのことです。
彼は来て、
箱舟を造ったのです。
28. ある日、街角の商売人たちが集まって、
こんな話をしているのが聞こえてきます。
「なあ、あの“雨が降る”って話、聞いたか?
あの年寄りの“いかさま”説教者が言ってるやつだ。
雨が降るだって?
そんな話、聞いたことあるか?
それで自分は、神の備えられた道にいるつもりらしいぞ。」
――彼は、確かにそこにいたのです。
アーメン。
すると、ほどなくして、
雷鳴がとどろき、稲妻が走りました。
私は、あの大きな年老いた母ラクダが、
空を見上げて言うのが見える気がします。
「ねえ、お父さんラクダ、今の音、聞いた?
あれは雷よ。
ノアが言っていた通りだわ。
箱舟へ行きましょう。」
そして、丘を越えて、
彼らは箱舟へ向かって行きました。
そこへ、
お父さん馬とお母さん馬、
そのほかの動物たちも、
つがいごとに、次々と箱舟の中へ入って行きました。
そして、
神が戸を閉じられ、
雨が降り始めました。
ノアは、神が備えられた道の中にいたのです。
中には、丸太につかまりながら、
「これで流れて行けばいい」と言った者もいました。
しかし、私は言います。
嵐が本格的に荒れ始めたとき、
上へ上がって行ったのは箱舟でした。
ハレルヤ。
なぜなら、
彼らは神が備えられた道の中にいたからです。
神は、
備えられた道を歩む者を、必ず祝福されます。
神は、丸太を備えられたのではありません。
これでも、あれでもありません。
神が備えられたのは、箱舟だったのです。
29. そして今日、兄弟姉妹の皆さん、
神は、男にも女にも、備えられた道を持っておられます。
それは、
神の御子イエス・キリストを通る道です。
主は、あのカルバリの丘で死なれ、
その血によって、私たちは罪の赦しを受け、
さらに、
神が私たちを御子キリスト・イエスのうちに受け入れてくださったという承認として、
聖霊のバプテスマを受けることができるのです。
私たちは、
キリスト・イエスのうちにあって、完全に安全に、確かに守られています。
ハレルヤ。
30. どうせ私のことを
「ホーリー・ローラー(熱狂的な信者)」
と呼ぶつもりなんでしょうから、
それなら、もう今から呼んでおいたらいいでしょう。
いいですよ。
私は、かなりいい気分です。
さあ、続けましょう。
31. あなたは、これを信じますか。
これこそが神の道であり、唯一の道です。
それは、
メソジストの道でもなく、
バプテストの道でもなく、
長老派の道でもなく、
ペンテコステの道でもありません。
それは、キリストの道です。
キリストこそ、神が備えられた道。
キリストこそ、神が備えられたいけにえ。
主は、
エホバ・ラファ(癒す主) であり、
エホバ・ジレ(備える主) であり、
エホバ・マナセです。
アブラハムがイサクをささげようとしたとき、
彼はその場所を
エホバ・ジレと名づけました。
それは、
「主は、ご自身でいけにえを備えられる」
という意味です。
そして、そこにおられるのが、
神の御子です。
アーメン。
神は、いつも逃れの道を備えてくださいます。
その通りです。
32. かつて、エリシャという名の年老いた説教者が、
あの地で説教していました。
彼は立ち上がり、国中を見渡して、こう言いました。
「こんなひどい有様は、見たことがない。」
あの王は、顔を塗りたくったイゼベルという女を妻に迎えました。
顔に塗った化粧の量ときたら……。聖書の中で、
顔に化粧をしたと明確に記されている女は、ただ一人、イゼベルだけです。
そして、神が彼女に何をなさったか、知っていますか。
神は彼女を犬に食わせられました。
私の知る限り、それは彼女一人だけです。だから、
顔にたくさんの化粧をした女を見たら、
何と呼べばよいか分かりますか。「こんにちは、“犬のえささん”」です。
それが彼女の姿なのです。ああ、聞いてください、兄弟。
私はつい最近、アフリカから戻って来ました。
ああいうものは、異教の系統から来ているのです。
異教徒たちは、自分たちの体や顔を塗ります。
しかし、兄弟よ、人が本当に神と正しい関係に入るとき、
そんなことを教える必要はありません。
本人が、恥ずかしく思うようになるのです。ハレルヤ。
その通りです。
33. 「こりゃあ、そのうち、
イスラエル中の女たちが、みんな真似し始めるぞ。」
そこでエリヤは言いました。
「主よ、天を閉じてください。
何か手を打ってください。」
すると神は語られました。
「よし、エリヤ。
こうしなさい。
下へ行って、アハブに告げよ。」
そして、
一人の年老いた説教者が、そこを歩いて来ました。
大きな羊皮を体にまとい、
顔は、毛虫のようにもじゃもじゃのひげに覆われていました。
彼は王の前に立ち、こう言いました。
「私が命じるまで、
露さえも、雨さえも降らない。」
ハレルヤ。
彼は、神が備えられた道の中にいたのです。
その通りです。
すると王は言いました。
「ああ、出て行け、この狂信者め。
我々は、何をしているか分かっている。」
34. 年老いたエリヤは言いました。
「主よ、私はどうすればよいのでしょうか。
私は、あなたが言われたことは行いました。
あとは、あなたが道を備えてください。」
すると主は言われました。
「向こうのケリテ川のほとりへ行って、そこに座りなさい。」
「分かりました。
とても厳しい場所ですが、
あなたが『そこへ行け』と言われるなら、
私はそこへ行って座ります。
あなたの道がそこへ導くなら、
私はその道を歩みます。」
そして彼は行って、そこに座りました。
すると彼は言いました。
「さて、主よ、
ここで私は何をすればよいのでしょうか。」
主は言われました。
「そこにいなさい。
ただ、そこに留まりなさい。」
35. そして、あなたが最初に知っていることは、しばらくすると、彼は空腹を覚え始めました。
そこで言いました。
「主よ、少しお腹がすいてきました。」
すると、一羽のカラスが飛んで来たのです。
人々の中には、こう言う者もいました。
「見ろよ、あの丘の上に座っている
あの“ホーリー・ローラー”の年寄り説教者を。
あんなところに座っていて、
正気じゃないんじゃないか。
あの炎天下に座っていたら、死んでしまうぞ。
まったく、狂信者だ。」
ところが、やがて
国中の水は干上がってしまい、
飲み水がどこにもなくなりました。
しかし、エリヤは違いました。
彼が飲みたいときには、
ケリテ川に身をかがめて水を飲めばよかったのです。
そして、空腹になると、
カラスがサンドイッチをくわえて飛んで来て、
「さあ、エリヤ」と差し出すのです。
あなたは言うでしょう。
「そのカラスは、どこからそれを持って来たんですか?
ブラナム兄弟、そんなこと本当に信じているんですか?」
はい、信じています。
その通りです。
「カラスが、三年六か月もの間、
エリヤに食べ物を運んだと、本気で信じているんですか?」
私は信じています。
「じゃあ、それをどこから持って来たんですか?」
分かりません。
ただ一つ、分かっていることは、
そのカラスがどこかから持って来て、
エリヤに渡し、
エリヤはそれを食べて、
三年六か月を生き延びた、ということです。
その通りです。
私は、それを信じています。
36. それと同じことです……。
人は言います。
「何がそんなにうれしいんだ?
どうして腕を振ったりするんだ?」
分かりません。
ただ一つ分かっているのは、
カルバリがその代価を払ってくださり、
聖書がそれを教え、
聖霊がそれをもたらし、
そして、私がそれを受け取った――
それだけです。
ハレルヤ。
どこから来たのかさえ、分かりません。
でも、確かに、ここにある。
ハレルヤ。
その通りです。
どこから来たのか説明できませんが、
ちゃんと届いたのです。
ああ、何ということでしょう。
それは、上着が前よりもよく体に合うようなものです。
本当にそうです。
ハレルヤ。
まあ、そんなに驚かないでください。
「ハレルヤ」とは、「私たちの神をほめたたえよ」という意味です。
アーメン。
それは、「そのとおりです」という意味です。
ああ……本当にそうなのです。
私には……ただ――。
37. 人々は言いました。
「どうして、あんな所に座っているんだ。
あいつは気が狂っているんじゃないか。」
ところが、
食事の時間になると――
さあ、来ました。
「エリヤ、どうぞ。
こちらが朝ごはんです。」
彼は、今夜ここにいる人たちの半分よりも、
よほど恵まれていたかもしれません。
というのも、
今夜ここにいる人の中で、
召し使いを何人も持っている人が、
果たしてどれほどいるでしょうか。
ところがエリヤには、
毎食ごとに食べ物を運んでくる“召し使い”がいたのです。
それが、カラスたちでした。
ハレルヤ。
栄光。
神は、どこかに食堂を持っておられたのです。
そこで用意し、調理し、
それをエリヤのもとへ送られました。
ハレルヤ。
その同じ神は、今も生きておられ、治めておられます。
エリヤは、
神が備えられた道の中に留まりました。
神が言われました。
「そこへ行って、座りなさい。」
だから彼は、そうしたのです。
それ以上のことは、何も知らなかった。
ただ、従っただけです。
これをどう思いますか。
本当だと信じますか。
それは真実です。
アーメン。
その通りです。
38. ある日、小さな女の子が通りを歩きながら、
こう言っていました。
「ハレルヤ。ハレルヤ。」
彼女は、ちょうど聖霊を受けたばかりだったのです。
すると、
道の角に座っていた年老いた不信仰者が言いました。
「おい、嬢ちゃん、
何がそんなにうれしいんだい?」
彼女は言いました。
「だって、イエス様が私を救ってくださって、
聖霊で満たしてくださったんです。
とっても幸せなんです。」
するとその男は言いました。
「その手に持ってるのは、何だい?」
「聖書です。」
「それを信じてるのか?」
「もちろん。」
「全部かい?」
「全部です。」
「じゃあ、ヨナの話も信じてるのか?」
「はい。」
「クジラが人をのみ込んだって話も、
本当に信じてるのか?」
「はい、信じてます。」
男は言いました。
「じゃあ、それを信仰以外の方法で、どうやって証明するんだ?」
すると彼女は言いました。
「天国に行ったら、
ヨナ兄弟に直接聞きます。」
それを聞いて、その不信仰者は言いました。
「もし、ヨナ兄弟が天国にいなかったら、どうするんだ?」
彼女は、にっこりして答えました。
「その時は、あなたが彼に聞いてください。」
ハレルヤ。
彼に残されている場所は、ただ一つ。
地獄です。
神の道を拒むなら、
行き先は地獄しかありません。
そうしなければならないのです。
それ以外の道は、ないのです。
だから、人は
どちらか一方の道にいるのです。
アーメン。
さあ、これで終わりです。
39. 私は、彼がそこに座り、
カラスたちが食べ物を運んで来るのを見ることができます。
それから、彼はそこを離れ、
ある日、丘を下って行きました。
すると神が言われました。
「さあ、小川は干上がった。
今度は、あそこにいる一人のやもめの家へ行きなさい。」
説教者にとって、
何という場所でしょうか。
しかし、神が「行け」と言われたのです。
それが、備えられた道でした。
彼は、丘を下って行きました。
そのやもめは、
イスラエル人ですらありませんでした。
そうです、違っていました。
それでも――
彼は、そこへ行ったのです。
彼女は、向こうへ歩いて行き……
そして彼も、
その丘を下って行ったのです。
40. 彼が丘を下って行くと、
庭に立って、薪を二本折っている年老いたやもめに出会いました。
彼は言いました。
「家に入って、
何か食べるものと、水を持って来てください。」
彼女は答えました。
「主は生きておられ、あなたの魂が決して滅びないように誓って言います。
家には、
私と息子が食べるための
小さなパンを一つ焼く分の粉しかありません。
今、この二本の薪を拾っているのは、
そのパンを焼いて、
息子と私で食べ、
それで死ぬためなのです。」
すると彼は言いました。
「まず、水を少し持って来なさい。
それから、そのパンを焼いて、
わたしに持って来なさい。」
ハレルヤ。
さて、彼女はどうするのでしょうか。
そこに、神が備えられた道があるのです。
「まず神の国とその義を求めなさい。
そうすれば、これらのものはすべて、あなたがたに加えられる。」
41. あなたは言うかもしれません。
「ブラザー・ビル、母が家を出て行ってしまいました。」
「夫が一緒に暮らしてくれないんです。」
「まず神の国とその義を求めなさい。」(ハレルヤ)
そうすれば、これらのものはすべて加えられる。
その通りです。
「でも、どうやってやればいいんですか、ブラザー・ビル?」
とにかく、やってみなさい。
イエスは言われました。
「わたしに従いなさい。」
その通りです。
目を一つにして、前を見なさい。
さあ、行きましょう。
42. そして、あなたが最初に知っていることは、彼女は中へ入って行き、
その二本の薪を取って折りました。
ご存じでしょう、
あの古いインディアンの薪の折り方を。
あれは、十字架の形です。
そして、その十字架の真ん中で火を燃やします。
そこが、火の場所でした。
その火で、 粗焼きパン(ホーケーキ) を焼いたのです。
彼女は、そのパンを持って来て、
説教者に渡しました。
彼は、そこに立って、それを食べました。
そして言いました。
「さあ、今度は戻って、
あなたと息子のためにも作りなさい。
主はこう言われるからです。
『主が地に雨を降らせる日まで、
粉の入ったかめは尽きることがなく、
油のびんは決して空にならない。』」
ハレルヤ。
なぜでしょうか。
彼女が、まず神の国を求めたからです。
神が備えられた道を歩んだからです。
その結果、
神は彼女に報いられました。
これを信じますか。
その通りです。
43. かつて、兄弟を失った一人の女性がいました。
彼の名はラザロでした。
ああ、彼は本当に良い青年で、
彼女は彼を失うことが、どうしても受け入れられませんでした。
しかし、彼は死んでしまったのです。
彼女は、自分の牧師――いや、伝道者であるイエスに人を遣わしました。
彼女は、教会から出て来て、
持っているものをすべて捨てて従っていたのです。
彼女は、
「来て祈ってください」と、イエスに知らせました。
しかし、イエスはそのまま進み続けられました。
もう一度、人を遣わしました。
それでも、イエスは進み続けられました。
主は言われました。
「わたしは、父が示されない限り、何も行わない。」
父なる神は、
すでにイエスに、
ラザロが死ぬことを示しておられたのです。
しばらくして――
三日か四日ほど経ってから、
イエスはこう言われました。
「ラザロは死んだ。
しかし、あなたがたのために言うが、
わたしがそこにいなかったことを、わたしは喜んでいる。
だが、わたしは彼を起こしに行く。」
それを聞いて、
イエスが来られると知った彼女は、
家を出て、
主を迎えに行ったのです。
44. それが、神が備えられた道でした。
イエスに会いに行くことです。
その通りです。いつもそうなのです。
家に悲しみがあるなら、イエスに会いに行きなさい。
家に病があるなら、イエスに会いに行きなさい。
家に心の痛みがあるなら、イエスに会いに行きなさい。
ハレルヤ。
何であれ、必要があるなら、
イエスに会いに行きなさい。
会いに行くのです。
主は、すべての解決を持っておられます。
いいえ、
主は「処方」を持っているのではありません。
主は「完全な癒し(治療)」そのものを持っておられるのです。
アーメン。
そして彼女は、
主に会いに行き、
その御足もとにひれ伏しました。
45. 彼女は、かつて読んだ一つの物語を思い出していました。
それは、聖書の中に出てくる、シュネムの女の話です。
彼女は、エリシャという名の説教者に、深い心配りをしていました。
そこで自分の家の側に、
小さな部屋を作り、
そこに寝台と、燭台と、腰掛けなどを備えました。
エリシャが通りかかって、
彼女が説教者のためにしてきた
そのすべての善行を見ました。
什一も納め、
できる限りのことをしていたのです。
そこでエリシャは言いました。
「彼女に聞いてみなさい。
王に取りなしてやろうか、
それとも将軍に願い出ようか。」
彼女は答えました。
「私は自分の民の中で満ち足りています。
何も問題はありません。」
するとエリシャは言いました。
「では、彼女のために、
わたしに何ができるか、もう一度聞いてみなさい。」
そこでゲハジが言いました。
「彼女は不妊で、子どもがいません。」
するとエリシャは言いました。
「行って彼女に告げなさい。
『主はこう言われる。
来年の今ごろ、
いのちの時にしたがって、
あなたは男の子を抱くだろう』と。」
そして、
そのとおりになったのです。
46. その子は、十一、二歳ほどに成長しました。
ある日、ちょうど昼ごろ、
彼は父親と一緒に畑に出ていました。
おそらく、日射病にかかったのでしょう。
彼は叫び始めました。
「頭が痛い。頭が痛い。」
父親は、
しもべの一人に命じて、
その子を家に連れ帰らせ、
母親のひざに座らせました。
しかし、正午ごろ、
その子は死んでしまったのです。
なんと、ふさわしい行動でしょうか。
彼女は、その子を抱き上げ、
預言者が横になっていた寝台――
説教者の寝台の上に寝かせました。
行くべき、正しい場所でした。
預言者の寝台の上に置いたのです。
そして彼女は言いました。
「今すぐ、ろばに鞍を置きなさい。
前へ進みなさい。
私が言うまで、決して止まってはいけません。」
47. 私はこれが好きです。
「前へ進みなさい。止まってはいけない。」
その通りです。
ただ、進み続けなさい。
問題はここです。
私たちは、途中で立ち止まり、
あまりにも多くの人と話し過ぎる。
社交の集まりで立ち止まり、
あれこれと用事を作り過ぎるのです。
「お裁縫の会」だの、
「縫っては縫って、〇〇さんの噂話」だの――
分かるでしょう、ああいうやつです。
そういうものが、
いつの間にか教会の中に入り込んでしまう。
本当は、
そんな雑多なものは全部洗い流して、
神が送ってくださる、昔ながらのリバイバルを持つべきなのです。
天が開かれるまで祈り通し、
激しい風のように聖霊が来て、
この場所と人々を満たすまで。
アーメン。
それこそ、私たちに必要なものです。
彼女は言いました。
「止まってはいけません。」
48. すると夫が言いました。
「あの人は今、カルメルにはいないぞ。
今日は新月でも安息日でもない。」
彼女は答えました。
「すべて順調です。」
彼女は、ただ預言者のところへ行きたかったのです。
それで、まっすぐ進み続けました。
エリシャは彼女を見て言いました。
「あれはシュネムの女だ。
何かがおかしい。
だが、何が起こっているのか分からない。」
彼女が駆け寄って来ると、
彼は言いました。
「あなたは無事か。
ご主人は無事か。
子どもは無事か。」
彼女は答えました。
「すべて順調です。」
私はこれが好きです。
彼女は、神が備えられた道を歩んでいました。
「今は、すべてが大丈夫です。」
そして、それから――
彼女は事の次第を打ち明け始めました。
エリシャは言いました。
「行きなさい。
わたしの杖を取って、
それを子どもの上に置きなさい。」
――あるいは、
ゲハジに命じて、
そう言わせたのです。
しかし彼女は言いました。
「私は、あなたを離れません。」
そこで、
預言者自身が戻って来ました。
彼は祈り、
部屋の中を行ったり来たりし、
自分の体を、その死んだ子どもの上に伏せました。
すると――
その子は、生き返ったのです。
49. その女、マルタは、
シュネムの女が、
神がその預言者の中におられることを悟っていたのを知っていました。
そして、
もし神が預言者の中におられるなら、
なおさら、神は御子の中におられるはずだと。
だから、
もしイエスのところへ行くことができるなら、
そこに解決があると、彼女は知っていたのです。
それで彼女は走って行き、
主の前にひれ伏しました。
彼女は言いました。
「主よ、もしあなたがここにおられたなら、
私の兄弟は死ななかったでしょう。」
――それが、主が何者であるかを、彼女は知っていたからです。
そして彼女は続けました。
「しかし、今でもなお、
あなたが神にお願いになることは、
何でも神がしてくださると、私は知っています。」
ああ、私はこの言葉が好きです。
「今でもなお、
あなたが神にお願いになることは、
何でも神がしてくださる。」
これは、
神が備えられた道を知っている人の信仰です。
50. それは、今夜にも当てはまります。
あなたは言うかもしれません。
「私は罪人です、ブラナム兄弟。」
それでも、今なお――
あなたが神に願うことは、神がしてくださいます。
「罪人の私をあわれんでください。」
神は、そうしてくださいます。
病んでいるなら、
「主よ、あわれんでください。」
今なお、神はそうしてくださいます。
「医者に見放されました。
しかし、今なお、主よ。」
「私は五年間、歩けませんでした。
しかし、今なお、主よ。」
「いつからか分からないほど、聞こえません。
しかし、今なお、主よ。」
「いつからか分からないほど、声が出ません。
しかし、今なお、主よ。
あなたが神にお願いになることは、
何でも神がしてくださる。」
なぜなら、
主イエスは、今、父なる神の右の座に着き、
あなたの告白のために、とりなしをしておられるからです。
ハレルヤ。
「今なお、
あなたが神に願うことは、
神がしてくださる。」
51. すると主は、
その小さな御姿をまっすぐに起こして、こう言われました。
「あなたの兄弟は、よみがえります。」
彼女は言いました。
「ええ、主よ。
終わりの日の一般の復活のときに、
兄弟はよみがえることを知っています。」
主は言われました。
「わたしが、復活であり、いのちです。」
ああ……。
聖書はこう言っています。
「彼には、見るべき麗しさも、輝きもなかった。」
――か弱そうに見える、小さな御方でした。
しかし――
主がその身を正し、立ち上がられたとき、
そこにおられたのは、神ご自身でした。
52. 主は言われました。
「あなたの兄弟は、よみがえります。」
そして、こう言われました。
「わたしが、復活であり、いのちです。
わたしを信じる者は、たとえ死んでも生きるのです。
また、生きていてわたしを信じる者は、
決して死ぬことがありません。
あなたは、これを信じますか。」
彼女は答えました。
「はい、主よ。
あなたが、この世に来られるべき神の御子であることを信じます。」
すると主は言われました。
「彼をどこに置きましたか。」
ここで、主は墓へ向かって歩き始められました。
——
イエスは涙を流された。
53. 少し前のことですが、
とても良い女性に、こう言われました。
その人はクリスチャン・サイエンスの信者でした。
彼女は、
イエスが神であること(神性)を信じていませんでした。
イエスは預言者であり、
良い人ではあったが、
神ではないと信じていたのです。
また彼女は、
イエスが処女から生まれたことを信じていませんでした。
彼らは、処女降誕を否定するのです。
54. それだけではありません。
ある調査によると、
アメリカのプロテスタントの説教者の八十五パーセントが、
処女降誕は作り話だと主張しているのです。
その通りです。
正直に言えば、
彼らの生き方を見れば、そう考えていることはすぐに分かります。
まさにそのとおりです。
彼らは、それを作り話だと信じているのです。
しかも、
それ以上の割合の人たちが、
イエスが目に見える形で再び来られることさえ、信じていません。
だからこそ、私たちにはリバイバルが必要なのです。
兄弟よ、よく聞いてください。
今日、リバイバル、リバイバルと、
あちこちで言われていますが――
私たちは、まだ本当のリバイバルを持ったことがないのです。
55. 少し前のことですが、
私は、ある人の後を追って調べたことがあります。
その人は、
「ある町へ行って、五千人が回心した」
と語っていました。
そこで私たちは(私一人ではなく、数人の牧師たちで)、
その後を追い、
カードを持って人々を訪ねて回りました。
ところが、
三十日もたたないうちに、
本当に救われたと言い続けている人を、三十人も見つけることができなかったのです。
あなたは、どう思いますか。
私は、こう思います。
それは回心(コンバージョン)ではなく、
ただの良心のとがめ(コンヴィクション)だったのです。
人が本当に神の御霊によって新しく生まれるとき――
それは、そんなものではありません。
今日、私たちに必要なのは、
ただ人を前に呼び出すような集会ではありません。
必要なのは、
神が送ってくださる、昔ながらの、
聖霊によるリバイバルです。
それは、
昔ながらの、
空のように純粋で、
罪を打ち砕き、
血によって洗われる宗教です。
アーメン。
それは、
盗んだ工具を返しに行き、
本当の悔い改めをさせるような信仰です。
その通りです。
56. すると彼女は言いました。
「では、こう言いましょう、ブラナム兄弟。
イエスが、ただの人間にすぎなかったことを、私は証明できます。」
私は言いました。
「どうぞ。
もしあなたが、イエスが神ではなかったと証明できるなら、
私はそれを受け入れましょう。」
彼女は言いました。
「ええ、イエスは神性を持っていませんでした。
ただの人間だったのです。
それを、聖書によって証明できます。」
私は言いました。
「もし聖書によってそれを証明できるなら、
私は受け入れます。」
彼女は言いました。
「準備はいいですか。」
私は答えました。
「できています。」
57. 彼女は言いました。
「ヨハネによる福音書11章で、
イエスがラザロの墓に行かれたとき、
涙を流されたでしょう。」
私は言いました。
「それが、どうしたというのですか。」
彼女は言いました。
「それが、
イエスが、ただの人間にすぎなかった証拠です。
だって、泣いたじゃありませんか。」
私は言いました。
「よく聞いてください。
確かに、イエスは人でした。
しかし、ただの人ではありません。
イエスは、“神人(ゴッド・マン)”だったのです。」
神はキリストのうちにおられて、
世を御自分と和解させておられました。
その通りです。
主は、父の御心を行うために来られました。
そして、神が備えられた道を歩まれたのです。
主は、右にも左にも目を向けず、
神が言われたことだけを行われました。
イエスご自身が、
神の備えられた道だったのです。
58. ラザロのもとへ向かう途中で、
イエスは涙を流されました。
そのとき、主は確かに人として泣いておられたのです。
しかし――
四日間も死んでいた人の墓のそばに立ち、
皮膚は崩れ、
虫が体に入り込み、
悪臭が漂っていたその場所で、
主がこう言われたとき――
「ラザロ、出て来なさい。」
四日も死んでいた人が、
立ち上がり、再び生きたのです。
それは、
人以上の御業でした。
ハレルヤ。
その通りです。
主は、
泣いておられるときは人でした。
しかし、
復活を呼び出されたとき、
そこにおられたのは神でした。
59. 主が、あの夜、山を下りて来られたとき、
空腹で、食べるものを探して、木々を見回しておられたとき、
主は人でした。
飢えを感じておられたのです。
しかし――
五つのパンと、二匹の小さな魚を取り、
五千人の人々を食べさせられたとき、
それは人以上の御業でした。
それは、
肉となって現れた神の御業でした。
ハレルヤ。
60. その夜、
主が舟の中に横になっておられたとき、
衣から力が出て行ってしまい、
疲れ切って眠っておられたとき、
主は人でした。
荒れ狂う海――
まるで一万の悪霊が
「今夜こそ、あの方を沈めてやる」と誓ったかのように、
海は怒号を上げていました。
その小さな舟は、
大海の中で、
まるで瓶の栓のように翻弄されていたのです。
私は知っています。
そのとき、主は人として眠っておられました。
しかし、
弟子たちが叫びました。
「主よ、私たちが滅びるのを、
気になさらないのですか。」
すると主は立ち上がり、
舟の縁に足をかけて、こう言われました。
「静まれ。黙れ。」
すると、
海は静まり、完全な凪となりました。
それは、
人以上の御業でした。
ハレルヤ。
あれは、私の神です。
ハレルヤ。
その通りです。
主は、あのときも神であり、
今もなお、神であられるのです。
61. 主は、カルバリの丘に掛けられておられたとき、
人でした。
人々が、これ以上ないほどの言葉をもって
主に「敬意」を表したとき――
彼らはこう言いました。
「彼は他人を救ったが、
自分を救うことはできない。」
何という言葉でしょうか。
しかし、それは実に真実な証言でした。
もし主がご自分を救われたなら、
他の人々を救うことはできなかったのです。
だからこそ主は、
他の人々を救うために、ご自分を差し出されたのです。
主は、人として、
「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」
と叫ばれ、
人として死なれました。
その通りです。
しかし――
イースターの朝、よみがえられたとき、
主は、ご自分が神であることを証明されたのです。
だから、預言者はこう歌いました。
生きては、私を愛し、
死んでは、私を救い、
葬られては、私の罪を遠くへ運び去り、
よみがえっては、永遠に私を義とし、
いつの日か、栄光のうちに来られる。
ハレルヤ。
私は主を愛しています。
あなたも、そうではありませんか。
神が備えられた道を歩みなさい。
62. 私は、かつて博士たちが、
主の誕生を礼拝するために旅立つ姿を見ることができます。
彼らは支度を整え、
らくだに荷を積み始めました。
私は、ジム・ジョーンズだの、
ほかの連中だの、
ジョン・ドウだのが、
みんな一緒になって荷造りしているのを見るようです。
カードテーブルを横に並べ、
その上に、あれやこれやと積み上げ、
「さあ、イエスを礼拝しに行こう」と言って出発するのです。
ところが、
いざ行こうとしたとき、
らくだが歩けないことに気づいた。
それこそ、
今日の教会の問題なのです。
あまりにも多くのこの世のものを積み込み過ぎて、
前へ進めなくなってしまった。
その通りです。
63. 私は、彼らがそのまま出発し、
山のふもとまで来たのを見ることができます。
ところが、先へ進めない。
なぜなら、
「門は狭く、道は細い。
それを見いだす者は少ない。」
からです。
その通りです。
すると、
一人の年老いた男が、荷をまとめながら言います。
「私は身軽にしているんだ。
天国へ行く準備をしているからね。」
兄弟よ、聞いてください。
私は天国へ行くために“荷造り”しているのではありません。
私は“荷下ろし”しているのです。
ハレルヤ。
携挙が来るのです。
だから、すべてを手放しなさい。
聖書は言っています。
「あらゆる重荷と、
からみつく罪とを捨てて、
忍耐をもって、
私たちの前に置かれている競走を走ろう。」
――それが、
神が備えられた道です。
64. 私は、その年老いた男が出て行くのを見ることができます。
すると、妻がそばに来て言います。
「ジョン、どうしたの?
どこへ行くつもりなの?」
彼は答えます。
「主を礼拝しに行くんだ。」
妻は言います。
「どうして、行けるって分かるの?」
「分かってる。行くんだ。」
「でも、方位磁石も持ってないじゃない。
牧師免許だって持ってない。
一体どうしたの?
受け入れてもらえると思ってるの?
主を礼拝しに行くですって?」
「そうだ。」
「じゃあ、方位磁石を持って行きなさい。」
「いらない。」
「いらないですって?
じゃあ、どうやって行くの?」
65. 私は、その男が朝の星を指さしてこう言うのを見ることができます。
「私は、神が備えられた道を行くんだ。」
アーメン。
神は、博士たちを導くために、
一つの星を備えられました。
彼らには、方位磁石は必要ありませんでした。
必要だったのは、神が備えられた道――その星だったのです。
栄光。
そして――
博士たちを星によってキリストへ導かれたその同じ神が、
今夜、聖霊という形でここにおられます。
あなたを、
キリストへ、
新生へ、
聖霊のバプテスマへ導くために。
それこそが、
神が備えられた道なのです。
「人は、水と御霊によって生まれなければ、
神の国を見ることさえできない。」
さあ、
あなたは、それを受けましたか。
66. もう時間ですね。
ああ、まいった。
本当は、ここからが本番みたいな気がしているんですが。
ズボンのポケットに手を突っ込んで、
昔ながらのサッサフラスの説教者みたいに
ガンガン説教したい気分です。
なぜか分かりますか。
私は、これが大好きだからです。
アイスクリームもいいですよ。
でも、
腹にしっかり残る、
ベーコンと豆も必要です。
ただ甘いものだけじゃなく、
本当に身につくものが必要なんです。
それは、
イエス・キリストだけ。
それこそが、
今、私たちに必要なものです。
そう思いませんか。
本当に。
67. 神には、備えられた道があります。
今夜、あなたはその中にいますか。
あなたは、信じてから後に、聖霊を受けましたか。
私の親しいバプテストの友人たちよ、聞いてください。
皆さんもご存じのとおり、
私自身も、かつてはバプテストでした。
そして、ここにいる私の牧師も、バプテストです。
しかし、私は一つのことを伝えたいのです。
使徒の働き19章には、こう書いてあります。
「あなたがたは、信じてから後に、聖霊を受けましたか。」
それは、
「信じたときに受けましたか」ではありません。
「信じてから後に受けましたか」です。
その通りです。
もし、あなたがまだ受けていないなら、
それは、今夜、あなたのためにあります。
神には、備えられた道があるのです。
68. 兄弟姉妹よ、
自分の道を行こうとしてはいけません。
アダムのように、
いちじくの葉で身を覆おうとしてはいけません。
大洪水の前の時代に人々がしたように、
丸太につかまって流されようとしてはいけません。
ネブカドネザル王の道――
神の教会を迫害する道を行ってはいけません。
また、
人間が考え出した、
あらゆる形や方式、やり方――
そういう道を行ってはいけません。
私たちは、いくらでも例を挙げることができます。
パリサイ人たちのようにも、なってはいけません。
彼らは非常に宗教的でした。
こう言いました。
「私たちは高い地位にいる。
何か起これば、全部分かる。」
ところが――
神はそのすぐそばで、
ベツレヘムの飼い葉桶に一人の幼子をお生みになり、
この世に遣わされ、
やがてこの世の手によって処刑されました。
彼らは、
何一つ、分かっていなかったのです。
その通りです。
それが、
神が備えられた道なのです。
69. ああ、かつて一人の女がいました。
持っているお金を、すべて使い果たしていました。
ハレルヤ。
医者たちは、
彼女に何の助けもできませんでした。
彼女は、
長い年月、血の病を患っていて、
ある日、もう気を失いそうになっていました。
そのとき――
どこかでざわめきが起こるのを聞いたのです。
彼女は外を見ました。
すると、
そこに現れたのは、神が備えられた道でした。
その通りです。
ああ、何ということでしょう。
私は、
彼女が格式ばった、理屈ばかりのバプテストたちのそばを通るのを見ることができます。
彼らは言っていました。
「奇跡の時代はもう過ぎ去った。」
彼女はどうしたでしょうか。
彼らの足の間を、這って通り抜けたのです。
彼らは、どかざるを得ませんでした。
私はまた、
ブリガム・ヤングと、その多くの妻たちの前を、
彼女がそのまま通り抜けて行くのを見ることができます。
さて、
彼女は何と言っていたのでしょうか。
70. 人々が言うのが聞こえます。
「マルタ、どこへ行くんだ?
医者にも治せなかったじゃないか。
どこへ行こうって言うんだ?
あそこにいたのを見たぞ、あの……教師のところに。」
彼女は言いました。
「私は、神が備えられた道を行くの。」
「どこにそんな道がある?
まさか、あそこにいる、あの偽善者のことじゃないだろうな?」
「そこよ。
私は、そのまま進んで行く。」
彼女は、押されながら、
すり抜けながら、
回り込みながら、
ついに、その方のところまで行きました。
すると、
「この教派に属している者だ」とか、
「これはこうでなきゃいけない」とか、
いろいろな人たちが、彼女を押し戻そうとしました。
それでも――
彼女は、イエスのもとへ行きました。
ある者は言いました。
「ちょっと待ちなさい、姉妹。
肉を食べていたら、そんなことはできない。」
しかし彼女は、
神が備えられた道を行きました。
また別の者は言いました。
「蛇を取らないなら、だめだ。」
それでも彼女は、
神が備えられた道を行きました。
彼女が望んでいたのは、ただ一つ。
イエスのもとへ行くこと。
その通りです。
71. 私は、古(いにしえ)のダビデのことを思い出します。
ハレルヤ。そうです。
彼はこう言いました。
「主の恵み深さを味わい、これを見よ。
それは、岩から滴る蜜のようだ。」
私はよく、こんな情景を思い浮かべていました。
昔の羊飼いたちが、
腰の横に下げていた 小さな袋(スクリップ) です。
その中に、蜂蜜を入れていたのです。
羊の群れが病気になると、
羊飼いはその袋から蜂蜜を少し取り出し、
石灰岩の岩の上に塗りました。
そして、病んだ羊を呼び寄せ、
その岩をなめさせたのです。
病んだ羊は、
岩の上の蜂蜜をなめながら、
知らず知らずのうちに、
石灰岩そのものも一緒になめていました。
すると、どうなったでしょうか。
病んでいた羊は、癒やされたのです。
72. さあ、兄弟、よく聞いてください。
今夜、私はその蜜をいっぱいに詰めた袋を持っています。
でも私は、
それを
バプテスト教会にも、
メソジスト教会にも、
長老派教会にも、
ペンテコステ教会にも置きません。
それが属する場所――
キリスト・イエスの上に置くのです。
そして、
病んだ羊であるあなたが、
そこをなめに来れば、
必ず何かを受け取ります。
その通りです。
主をなめなさい。
あの年老いた人が言ったように――
主をなめなさい。
そうすれば、必ず受け取ります。
教会が何と言うかなど、
気にしなくていい。
キリストに目を向けなさい。
主に従いなさい。
なぜなら、
主のうちにこそ、教会があるからです。
私は言います。
神が備えられた道を歩みなさい。
主は、
「メソジストが道だ」とも、
「バプテストが道だ」とも、
ましてや他のどの教会が道だとも、
一度も言われませんでした。
主は、こう言われました。
「わたしが道であり、真理であり、いのちである。」
あなたは言うでしょう。
「では、自分が主のうちにいることを、
どうやって知ればいいのですか。」
聖書は言っています。
「私たちは皆、一つの御霊によって、
一つのからだにバプテスマされ、
そのからだの一部とされた。」
(第一コリント12章)
その通りです。
すべては、神の御霊によるのです。
73. 主の御国にあるものは、すべて私たちのものです。
主は、
小切手帳を丸ごと一冊取り出して、
その下にご自分の御名を書き、こう言われるのです。
「さあ、わが子よ。
必要なものは何でも、取りに行きなさい。」
アーメン。
遠慮することはありません。
しっかり書き込みなさい。
それを差し出して、こう言いなさい。
「ありがとうございます、主よ。」
ハレルヤ。
必ず、そのとおりになります。
「何事でも、
あなたがたが祈り求めるとき、
すでに受けたと信じなさい。
そうすれば、そのとおりになる。」
(マルコによる福音書 11章24節)
74. 小切手にサインしなさい。
「主よ、私は癒しが必要です。」
そう書いて、切り離し、
「イエスの御名によって、癒しを求めます。」と言いなさい。
そして、
「ありがとうございます、主よ。」
と言って、そのまま歩き出しなさい。
癒されると信じて。
その通りです。
ちょうど、
カラスがエリヤのもとに食べ物を運んだように。
それが、そこにあります。
「私は魂の救いが必要です。」
そのとき、どうしますか。
ただ書きなさい。
「『疲れた者、重荷を負っている者は、みなわたしのもとに来なさい。
わたしが休ませてあげよう』――
これは私のためです、主よ。」
小切手を記入しなさい。
「私は救いが必要です。
それをください、主よ。」
すると、
「ここにある。」
――
「ありがとうございます、主よ。」
そう言って、受け取って歩き去りなさい。
聖霊が必要ですか。
その通りです。
「エルサレムの町にとどまり、
上からの力を着せられるまで待ちなさい。
その後、聖霊があなたがたの上に臨み、
あなたがたは、
エルサレム、ユダヤ、サマリア、
そして地の果てに至るまで、
わたしの証人となる。」
あなたは、それを信じますか。
ならば、
小切手を書き、署名して、天に送ってみなさい。
何が起こるか、見てごらんなさい。
神は、必ず与えてくださいます。
それが、神が備えられた道なのです。
神は、
あなたに小切手帳を与えてくださいました。
だから、遠慮せず、
記入しなさい。
神は、約束されたのです。
あなたは、それを信じますか。
もちろんです。
神は、いつでも、備えられた道を持っておられるのです。
75. ある日、ヤイロという名の、
小柄な男がいました。
ああ、彼はいつの間にか、
不信仰な者たちの一団と肩を並べるようになっていたのです。
それは、今日、多くの説教者たちがやっているのと同じことです。
聖書はこう言っています。
「不信仰な者と、くびきを共にしてはならない。」
さて――
その次に、何が起こったでしょうか。
ところで、
それを言ったのは、誰でしたか。
……あなたですか?
76. 聖書はこう言っています。
「これらのしるしは、信じる者たちに伴う。
わたしの名によって、悪霊を追い出し、
新しい言葉で語り、
蛇をつかみ、
たとい死に至るものを飲んでも害を受けず、
病人に手を置けば、その人は癒やされる。」
これを、
今日の教会の半分で説教したら、
ドアから追い出されるでしょう。
その通りです。
それは、
神が備えられた道を知らないからです。
しかし、
それは主が言われたことなのです。
イエスご自身が言われたことです。
あなたは、それを信じますか。
はい、そうです。
もし主がそう言われたのなら、
私はこう言います。
「アーメン、私は信じます。」
私は、それが真理だと信じ、
主が言われたとおりの道を歩みます。
すると主は、
しるしと不思議をもって、それを確証してくださる。
その通りです。
だから、
あなたも同じようにしなさい。
ただ、そのまま中に入りなさい。
それは、すべての人のためです。
「だれでも望む者は、来なさい。」
さあ、来なさい。
神があなたを呼んでおられるのです。
だから、来なさい。
もう待つ必要はありません。
今夜、受け取りなさい。
77. 私は、その 小柄な男(ヤイロ) を見ることができます。
彼は、不信仰な者たちと自分を結び合わせてしまっていました。
イエスを愛してはいましたが、
どこか中途半端だったのです。
地位や体面、祝福を失いたくなかったのです。
分かるでしょう。
それで、彼は彼らの中に出入りしていました。
すると主は言われました。
「あの小さな男を見なさい。
わたしは彼を、永遠のいのちへと予定している。
それなのに、今、彼は不信仰な者たちと一緒にいる。
よし、わたしが整えてあげよう。」
そこで主は、
彼の娘が病気になるのを、そのままにされたのです。
彼は言いました。
「ドクター・ドウを呼ぼう。」
ドクター・ドウは娘を診察し、こう言いました。
「脈が弱くなっています、ヤイロ。
こうして、ああして、薬を投与しましょう。」
薬を与え、
あらゆる処置をしましたが――
娘は、そのまま死に向かっていきました。
そのとき、彼は言いました。
「もしかすると……
神には、備えられた道があるのではないだろうか。」
ああ……。
78. 彼は、これまで散々、神の癒しについて批判してきたその方のことを思い出しました。
あるいは、人づてに聞いてきただけだったのかもしれません。
彼は言いました。
「……そうだな。そうかもしれない。うん……。」
すると、周りの者たちが言いました。
「ヤイロ、あの人は偽善者だと思わないか?」
そのとき――
聖霊が語られました。
「違う。
あの方は偽善者ではない。
あなたは、あの方を信じている。」
彼は言いました。
「……ああ、分かった。
そうだな。
きっと、あの方は本物だ。」
79. ほら、これが境界線上を行ったり来たりしている説教者たちの姿です。
その通り。
ただ、恐れているだけなんです。
ああ、神よ、
あなたの中から「願い骨(ウィッシュボーン)」を取り除いて、
代わりに「背骨(バックボーン)」を入れてください。
私は、バディ・ロビンソンの証しが大好きです。
彼はこう祈ったと言いました。
「主よ、
のこぎり丸太ほどもある背骨を私にください。
私の魂の奥に、
大きな音を立てるほどの力を満たしてください。
そして、歯が一本残っている限り、悪魔と戦わせてください。
その歯がなくなったら、
死ぬまで歯ぐきで噛みつかせてください。」
私はこれが好きです。
本当にその通り。
彼はこうも言いました。
「昔、年老いたアライグマ猟犬を飼っていた。
その犬は、歯が一本も残らなくなるまでアライグマと戦った。
それでも最後は、
歯ぐきで噛みつきながら、キャンキャン吠えて戦ったんだ。」
私は、これが好きです。
その通りです。
ハレルヤ。
80. あなたは言うかもしれません。
「ブラナム兄弟、私はあまり教育も受けていません。
取るに足りない者です。
説教者たちは、私を相手にしてくれないでしょう。」
では、話を元に戻しましょう。
「闘いの中の犬の大きさではない。
犬の中にある闘いの大きさだ。」
それが、今も変わらない真理です。
立ち上がりなさい。
そして、今日、確かめなさい。
その犬が、そこに立ち続けるかどうかを。
81. ある日、年老いた酋長が旅立とうとしていたときのことです。
誰かが聞きました。
「調子はどうですか、酋長?」
彼は答えました。
「私の中には、二匹の犬がいる。
一匹は黒く、もう一匹は白い。
黒い犬は、私に悪を行わせようとし、
白い犬は、私に善を行わせようとする。」
「その二匹は、いつも争い、戦っている。」
私は尋ねました。
「どちらが勝つのですか、酋長?」
酋長は答えました。
「どちらに、より多く餌を与えるかによる。」
82. それは、まさにその通りです。
はい、その通り。
さあ、兄弟。
私ははっきり言います。
今夜、この世に必要なのは、
古い殻を打ち破るような、
本気の揺さぶりです。
83. ヤイロは言いました。
「ちょっと待ってください。」
娘の病状は、どんどん悪くなっていました。
彼女に残された唯一の望みは、
イエスのもとへ行くことだけでした。
そこで彼らは、
イエスのところへ向かって出発しました。
その道の途中――
私は、彼がそこへ近づいて行くのを見ることができます。
ちょうどそのとき、
血の病を患っていた女が癒やされたのです。
ヤイロは前へ進み出て、こう言いました。
「私の娘は、今、家で横たわっています。
司祭が何と言おうと、
誰が何と言おうと、私は気にしません。
どうか来て、娘に手を置いてください。
あなたが、娘の癒やしのための
神が備えられた道だと、私は信じています。
来て、手を置いてくだされば、
娘は良くなります。」
主は言われました。
「行こう。」
そして、主は彼と共に歩き始められました。
ところが、その途中――
家の方から、一人の男が走って来て言いました。
「ヤイロ、もう先生を煩わせないでください。
娘さんは、もう亡くなりました。」
ああ……。
私は、
ヤイロの小さな心臓が、
胸の中で跳ね上がるのを見るようです。
そのとき――
イエスの、あの優しく、憐れみに満ちた目が
彼の方を向きました。
そして、こう言われました。
「恐れるな。
ただ信じなさい。
そうすれば、神の栄光を見る。」
主イエスこそ、
神が備えられた道なのです。
84. 盲人のバルテマイという名の、年老いた男がいました。
ある日、彼は門のところに座り、施しを乞うていました。
季節は寒くなり始め、十月ごろだったでしょう。
すると、
通りの向こうから大きなざわめきが聞こえてきました。
彼は尋ねました。
「あれは何の音だ?」
すると、こう答える声がありました。
「ナザレのイエスだ。」
その瞬間――
彼は、もう何も考えませんでした。
彼は、
自分の上着を脱ぎ、
たたんで置いておくこともしませんでした。
目が見えないのだから、
普通なら、あとで戻れるように
ちゃんと置いておくはずです。
しかし彼は、
その上着を投げ捨てたのです。
なぜなら――
神が、道を備えてくださったと分かったからです。
彼は、その道をつかみに行ったのです。
彼は、前へ進みました。
すると、人々の中から言う者がいました。
「静かにしろ。座っていろ。
あの方は、お前なんかに構っている暇はない。」
しかし、彼はますます大声で叫びました。
「ダビデの子イエスよ、
私をあわれんでください。
私をあわれんでください。」
彼は、
押しのけられながらも、叫び続けました。
「私をあわれんでください。
あなたが、
私の目のための
神が備えられた道だと、私は知っています。
主よ、どうか、あわれんでください。」
その通りです。
85. 私はある日、盲人のバルテマイについての小さな逸話を読んだことがあります。
それによると、彼は何年もの間、目の見えない生活をしていました。
彼には、
一度も顔を見たことのない幼い娘がいました。
彼は毎日、街道に座って施しを乞うていました。
そのそばには、小さな子羊がいました。
当時は、今の盲導犬のように、
訓練された子羊が盲人を導いていたのです。
さらに彼には、
二羽の山ばと(山鳩) がいました。
その鳩たちは、くるくると宙返りをして見せ、
エルサレムへ入ってくる旅人や観光客の注意を引き、
人々は彼の杯の中に硬貨を落としていきました。
彼は盲人でした。
ある夜、
彼の妻が重い病にかかりました。
そこで彼は、主のもとに祈りました。
「主よ、
私は何も持っていません。
私は貧しい者で、盲人です。
あなたに差し出せるものは何もありません。
けれども、私はあなたを信じています。
どうか憐れんで、
この哀れな妻の命を助けてください。
もし彼女が生きるなら、
明日、私は山ばとを
いけにえとしてあなたにお献げします。」
その夜、
主は彼の妻を癒されました。
翌日、彼は祭司のところへ行き、
二羽の山ばとを、いけにえとして献げました。
その時、
彼の手元に残ったものは――
ただ一匹の子羊だけでした。
86. それから 間もなくして、
彼の幼い娘が病気になりました。
医者たちは、何もすることができませんでした。
彼は言いました。
「主よ、
私にはもう、たった一つしか残っていません。
それは、この子羊です。
しかし、私が一度も顔を見たことのない
この小さな娘を、
どうか癒してください。
もしこの子が元気になるなら、
私はこの子羊を、
いけにえとしてあなたに献げます。」
すると、
主はその幼い娘を癒されたのです。
数日後、
彼はその子羊に導かれながら、
通りを歩いていました。
そこへ、
大祭司カヤパがやって来て言いました。
「盲人のバルテマイ、
どこへ行くのだ?」
彼は答えました。
「大祭司さま、
私は神殿へ行くのです。
この子羊が私を導いて、
神殿へ連れて行ってくれています。
この子羊を、
いけにえとして献げるためです。」
するとカヤパは言いました。
「おお、それはできない。」
バルテマイは言いました。
「いいえ、できます。」
すると大祭司は言いました。
「ここに、子羊の代金をやろう。
それで別の子羊を買いなさい。」
しかしバルテマイは言いました。
「私は神に
“子羊”を約束したのではありません。
私は、
“この子羊”を約束したのです。
この子羊をです。」
すると大祭司は言いました。
「盲人のバルテマイ、
その子羊を献げることはできない。
その子羊は、
お前の“目”ではないか。
その子羊がなければ、
お前は見ることができない。
その子羊が、お前を導いている。
それがお前の目なのだ。
お前はその子羊を献げることはできない。」
そのとき、
その老人は少し震えながら、こう言いました。
「おお、大祭司よ。
神は、
盲人バルテマイの目のために、
ご自身で子羊を備えてくださいます。」
――神よ、彼の心を祝福してください。
そしてその直後、
彼はそれが通り過ぎるのを聞いたのです。
神は、すでに子羊を備えておられました。
――そこに、イエスがおられたのです。
87. 今夜、この方こそが、神の備えられた子羊です。
この方は、あなたの霊の目のために備えられた子羊。
あなたの魂のために備えられた子羊。
地獄からの救いのために備えられた子羊。
そして、天における栄光のために備えられた子羊です。
どうか、
私たちが祈る間に、
頭を垂れるその間に、
この方を受け取ってください。
88. 主なる神よ、
天と地の創造主、
永遠のいのちの源、
すべての良き賜物を与えられるお方よ。
どうか、この人々の上に
あなたの祝福を注いでください。
主よ、
この小さき者たちは、
言葉を整えてきました。
しかし私は知っています。
あなたには、すでに備えられた道があることを。
あなたはこう言われました。
「ノアの日にあったように、
人の子の来臨も、そのようになる。」
それは、備えの時、
御怒りから逃れたいと願う者たちのために、
逃れの場所が備えられる時です。
神よ、私は祈ります。
今この瞬間、
盲人の目のために備えられた神の子羊、
血の病を患った女の流血を止めるために備えられた子羊、
死んだラザロのために備えられた子羊――
その同じ子羊が、
ここにおられますように。
神よ、あわれみをお与えください。
このことを思うとき、
私は思い出します。
その同じ子羊が、
かつて私の盲いた目のためにも備えられたことを。
三年前、
メイヨー・ブラザーズ(メイヨー・クリニック)の医師たちは、
私にこう言いました。
「あなたが再び良くなる望みは、まったくありません。」
しかし、
神は子羊を備えてくださいました。
89. あなたが、
かつてグリーンズ・ミルで
御使いを遣わし、
「行きなさい。これをしなさい」
と語られたとき、
どうして私に、
無神論者と不信仰に満ちた
この大きな世界の前で、
それができたでしょうか。
しかし、神は子羊を備えてくださいました。
神よ、
ここにいる私の
小さな教会を思うとき、
主よ、私はそれを見つめながら考えます。
海を越え、
何千マイルも離れた地、
凍てつく平原や氷山のある場所――
私は、
孤独な部屋で何度も座り、祈りました。
ここへは決して来て、
私の手を握ってくれることのない人々のことを
思いながら。
床に敷き詰められた
古いおがくず、
風が吹くたびに
揺れる窓――
そんな場所で、
私は祈り続けていました。
90. 私は覚えています。
私の最愛の妻を連れて来て、
ここ、十字架の足元に横たえ、
彼女の葬儀を説教したことを。
そして、
彼女の腕に抱かれて横たわっていた
私の小さな赤ん坊の姿を
思い出します。
また、
数時間前に、あなたが聖霊で満たしてくださった
かわいそうな小さなビリー・ポールが、
あの朝、
彼女の墓のところへ下りて行き、
イースターの花を供えようとして、
泣き出したことを覚えています。
私はその小さな子を抱き寄せ、
こう言いました。
「神は、
子羊を備えてくださったんだ。
罪のための、いけにえを。
いつの日か、
この小さな墓は開かれ、
ママは出て来る。
そして、小さな妹も出て来る。
神は、必ず子羊を備えてくださっている。」
91. 神よ、いつの日か、
私の最後の説教が語り終えられたとき、
人々が私を一つの部屋に横たえることがあるでしょう。
袖口から脈が弱まっていくのを感じ、
冷たい死の潮がこの部屋に流れ込み、
窓は開かれ、
カーテンが風に揺れているその時――
主よ、そのとき、救命艇を押し出してください。
私は、
最後の旅に出ます。
ただ静かにシーツを広げ、
ふたが閉じられ、
そのシーツが私を覆うでしょう。
私は、
死の陰の谷を歩いて行きたいのです。
そして、
ヨルダン川に来たとき、
こう叫びたいのです。
「道をあけよ、ヨルダン。
今、渡って行く。」
主よ、
そのとき、
どうか救命艇を私のそばへ押し寄せてください。
私を受け入れてくださいますか、主よ。
そのとき、私を受け入れてくださいますか。
どうか私だけでなく、
今ここにいる一人ひとりも、
その時に受け入れてください。
主よ、それをお許しください。
その後、
私たちの多くは渡り終え、
楽園へ帰り、
永遠に生きることでしょう。
父なる神よ、
もし今夜ここに、
あなたを知らない男や女がいるなら、
このことの価値を知らず、
生まれ変わったこともなく、
神の備えられた道を
まだ見いだしていない者がいるなら、
どうか今この瞬間、
祈りの中で、
イエス・キリストの御名によって、
その道を見いださせてください。
アーメン。
92. 頭を垂れたままで、罪人の友よ。
神があなたの心を祝福してくださいますように。
内にいる方も、外にいる方も――
今ここに、聖霊がおられます。
あなたはこれまで、
神が備えてくださった逃れの道、
あなたのために備えられた道を、
受け取ったことがありますか。
それは、
あなたが何かをして得られるものではありません。
神ご自身が、あなたのために備えてくださったものです。
今夜、
それを受け取りませんか。
どうか、受け取ってください。
もしここに、
罪人の友がいるなら、
手を挙げてください。
「ブラナム兄弟、私のために祈ってください。
私は、
神が備えてくださった子羊を、
自分の人生に迎えたいのです。」
この場所には、
祭壇の前に出て来る余地がありません。
ですから、
ただ手を挙げていただくだけで結構です。
してくださいますか、罪人の方。
――神があなたを祝福されます、兄弟。
――神があなたを祝福されます、兄弟。
――そして、あなたも。姉妹よ、神の祝福がありますように。
後ろの方にいる方、
どなたかいませんか。
今度は、
私の右側の方にいる方。
――神があなたを祝福されます。
――神があなたを祝福されます。
――神があなたを祝福されます。
ほかに、
手を挙げる方はいませんか。
「私を覚えてください。
ああ神よ、今夜、
恵みを与えてください。
あなたの子羊のいのちを、
私に与えてください。」
――神があなたを祝福されます、姉妹。
私は、そこに座っておられるあなたを見ています。
外にいる方も、
前に来て、スクリーンに手を当ててください。
そして、こう言ってください。
「ブラナム兄弟、
私を覚えてください。
私は、
神が備えてくださった道を求めています。」