神を信じている
ジェファソンビル インディアナ州 アメリカ合衆国
説教番号: 52-0224
日付: 1952年2月24日(52-0224)
1. いつの日か 鎧を脱ぎ
安らぎの御家に住む時は来るだろうか
イエスが来られるその時まで
私たちは働き続ける
イエスが来られるその時まで
働き続け
その時 私たちは御家に集められる
地上に真の安らぎはなく
心を守る完全な住まいもない
この世は嘆きに満ちた荒れ野
ここは 私の故郷ではない
それでも
イエスが来られるその時まで
私たちは働き続け
ついに 御家へと集められる
私は安らぎを求めて
イエス・キリストのもとへ逃れた
主はさまようのをやめよと言われ
御胸に寄り頼めと招かれた
主が私を御家へ導いてくださるまで
イエスが来られるその時まで
私たちは働き続け
やがて 御家へと集められる
救い主のそばを選び
もう迷うことはない
主と共に 死の冷たい流れを越え
天の御国へと至る
イエスが来られるその時まで
私たちは働き続け
そして 御家へと集められる
2. 「それでは讃美歌227番、『美しい束を集めて』を歌いましょう。
この賛美歌が好きなのは、宣教の歌で、心が奮い立たされるからです。
さあ皆さん、一緒に歌いましょう。
この古い賛美歌、好きな方はアーメンと言ってください。
素晴らしい!では、そろって。」
今日 喜んで収穫の野へ出て行こう
美しい束を 集めながら
朝明けから夜になるまで
力を尽くして働こう
美しい束を 集めながら
束を集めよう 美しい束を
束を集めよう 美しい束を
主をほめよ 私たちは向かっている
尽きることのない日の国へ
美しい束を 集めながら
山でも 丘でも 平地でも
穀物を刈り取ろう
美しい束を 集めながら
近くでも 遠くでも働こう
決してひるまず 恐れずに
美しい束を 集めながら
(さあ皆さん、一緒に!)
束を集めよう 美しい束を
黄金の束 美しい黄金の束を
主をほめよ 私たちは向かっている
尽きることのない日の国へ
美しい束を 集めながら
3. 「ちょっと待ってください。
さあ、もう一度あの部分に来たら、
『主をほめよ、私たちは向かっている』のところで、
(天を指さして)
『尽きることのない日の国へ』
――そうして歌いましょう。
では、コーラスをやってみましょう。さあ、行きましょう!」
主をほめよ 私たちは向かっている
尽きることのない日の国へ
美しい束を 集めながら
「さあ、もう一度いきましょう。いいですね。」
私たちは歌い 祈り
主の御声に従いながら
美しい束を 集めて行く
異国の地を進みつつ
主が命じられることを行いながら
美しい束を 集めて行く
束を集めよう 美しい束を
束を集めよう 美しい束を
主をほめよ 私たちは向かっている
尽きることのない日の国へ
美しい束を 集めながら
4. 「よろしければ、皆さんお立ちください。
いのちの主よ。
私たちは今、聖書と呼ばれる書の中において、
今朝、まるで一枚の生き生きとした絵を見るように、あなたを仰ぎ見ます。
それは、美しい日曜日の朝、
あなたが山の上に座り、弟子たちを周りに集め、
彼らに『幸い』について――
彼らがなすべきことを教えておられた、その情景です。
あなたは言われました。
『柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです。
心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。
また、人々がわたしの名のために、あなたがたをののしり、迫害し、
偽ってあらゆる悪口を言うとき、あなたがたは幸いです。
喜びなさい。大いに喜びなさい。
天において、あなたがたの報いは大きいのです。』
このようにして、あなたは私たちに教え、
また、このように祈るべきだと示してくださいました。
(ブラナム兄弟と会衆、共に祈る)
天にましますわれらの父よ
御名があがめられますように
御国が来ますように
みこころが天に行われるとおり
地にも行われますように
われらの日ごとの糧を
きょうもお与えください
われらに罪を犯す者を
われらが赦すごとく
われらの罪をもお赦しください
われらを試みにあわせず
悪より救い出してください
国と力と栄えとは
とこしえにあなたのものです
アーメン
5. 「それでは、各クラスは所定の場所に着いてください。
大人のクラスの方々は、できれば前の方へお進みください。
その間に、男の子たちは『雲と火』をお願いします。
(テープ一部欠落)
さて、前の方にまだ空席があります。
後ろの方におられる皆さんの中で、もしよろしければ、
どうぞ前へお越しください。
ご存じのように、この幕屋は……
音響がそれほど良いとは言えません。
あちらにある柱や、天井から下がっている梁の間で
音が反響してしまうのです。
ですから、少し近くに来ていただければ助かります。
前にいくつか席がありますので、
ご希望の方はどうぞ遠慮なくお越しください。
歓迎いたします。」
6. 「それでは今、創世記22章、そして ローマ人への手紙4章 をお開きください。
この主日学校の教えとして、癒しの奉仕の前に、今朝は短いメッセージをお話しします。
まず、創世記22章です。
聖書が必要な方はいらっしゃいますか?
もしお忘れになった方がいましたら、学ぶために一冊欲しい方は、手を挙げてください。
後ろに何冊か用意してあります。
ご希望でしたら、案内係(アッシャー)がすぐにお持ちします。
はい、何人か手が挙がっていますね。
ロイ兄弟、兄弟方、少しの間来て、後ろの方から配っていただけますか。」
7. 「こちらにおられるハーヴィー姉妹、
イリノイ州 Danville から来られた
G・H・ハーヴィー姉妹ですね?
息子さんもご一緒ですか?
はい、わかりました。少し後で、彼のために祈りをいたします。
はい、結構です。
それでは今から、少しお話しするか、主日学校の時間に入りましょう。
ここでは慣例として、主日学校のレッスンを持っています。
ただ、私が家にいる時はたいてい、
病人のために祈る奉仕がある関係で、
皆さんが譲ってくださって、
私が主日学校を担当することになっています。
そして、この部分が終わりましたら、
続いて牧師が朝のメッセージを語られます。
ですから、できるだけ早く――
主が許してくだされば、
11時までには、この壇上をお渡しできるようにしたいと思います。」
8. 「今、多くの祈りの願いがあります。
私は皆さんのために、いつも、どこにいても祈っています。
ですから、どうか皆さんも、私のために祈ってください。
私がこの時期、こんなに長く家にとどまっている理由があります。
それは、約束したとおり、次の奉仕に進むための
神の御心、その道を求めているからです。
私は主を急かしているのではありません。
主はすべてをご存じです。
ただ私は、
『何をすべきか』『次にどこへ進むべきか』を
幻によって示してくださるよう、お願いしているのです。
アフリカから戻って以来、
幻が与えられたのは一度だけでした。
それは、ある朝のことで、
その日中に二、三度、同じ幻が繰り返されました。
そして私は、
今、主が近くにおられると信じています。
幻というものは、
多くの場合、ひとまとまりとなって与えられます。
聖書を見てもわかるように、
昔の兄弟たち――
たとえば ダニエル や
ヨセフ の上にも、
幻が一度に続けて臨み、
その後、しばらく何も起こらない時期がありました。」
9. 「私はしばしば、自分がこれまで行ってきた奉仕のやり方が、
果たして正しかったのだろうか、と考えることがあります。
一晩に、せいぜい十数人、多くても二十人ほどのために祈る一方で、
外には何千人もの人々が待っている。
そのことが、いつも心に引っかかっていました。
そして、
『それは違うのではないか』
『神は私に、病を置くためではなく、
サタンの力を打ち破る権威を与えられたのではないか』
という思いが、繰り返し心に迫ってきたのです。
それで、先週の水曜日の夜、
私はここ Tabernacle に来ました。
人々が集まっていたので、
私は主の前に、ひとつの“羊の毛皮(しるし)”を置くようにして祈りました。
『主よ、私はこれまで、一度も――』
私はいつも、まず人々にこう尋ねてきました。
『信じていますか?
どれほど信じていますか?
私がこれを行えると信じますか?』
そんな問いを重ねてきました。
そして、人々を壇上に上げ、
幻が与えられるまで待ち、
何が起きているのかを正確に見てから、
それをそのまま宣言してきました。
しかし、それはあまりにも時間がかかり、
ほとんど人々のところへ行き着くことができなかったのです。
けれども、数日前、私は考えていました……。」
10. 「何度も私は、壇上に立っていて、
そこに十万人ほどの群衆がいる、ということがありました。
すると、ある瞬間、
自分でも驚くほどの大胆さが、内側から湧き上がってくるのです。
そして私は、そのまま悪霊に向かって呼びかけ、
それを追い出してしまう。
そのたびに、私は思いました。
『これは不思議だ』と。
それから、私は考え始めました……。
皆さんの多くは、私の小さな本を読んでくださっていると思います。
そこには、数々の出来事が書かれています。
ある夜、Portland でのことです。
一人の男に取りついた悪霊が――
ああ、何ということでしょう。
体重が三百ポンド(約136キロ)はあろうかという男が、
施設から出てきた精神を病んだ人でしたが、
壇上へ向かって走ってきたのです。
彼は叫びました。
『この偽善者め!
俺がどれほどの男か、見せてやる!』
そして壇上に駆け上がり、
私の首を折ろうとしました。
周りにいた五百人の牧師たちは、
恐れて後ずさりしました。
彼は腕を振り上げて言いました。
『お前の体の骨を、一本残らず折ってやる!』
私は体重百二十八ポンド(約58キロ)。
彼は三百ポンド、
胸板も厚く、実に力強い男でした。
本当に、その言葉を実行できる力を持っていました。
そのただ中で――
何かが私の上に動いたのです。
私は彼のところまで、静かに歩み出ました。
彼は言いました。
『今夜、お前のその弱そうな体の骨を、全部折ってやる!』
私は言いました。
『あなたは神の御霊に挑戦した。
それゆえ、今夜、あなたは私の足元に倒れる。
主の御名によって。』
そこに、二つの預言が語られました。
彼は私に突進してきて言いました。
『どっちが誰の足元に倒れるか、見せてやる!』
彼は近づくと、私の顔に唾を吐きかけ、
大きな拳を振り上げました。
その瞬間、私は言いました。
『サタンよ、その人から出て行け。』
すると彼は、両腕を振り上げて叫び、
そのまま私の足元に倒れ込みました。
警官たちが引き離さなければならないほどでした。
彼は、私を信じてなどいませんでした。
信仰もありませんでした。
それでも私は知りました。
大胆な挑戦が必要な時がある、ということを。
私はこれまで、
来る人すべてのために祈ってきました。」
11. 「先日の夜、ここに人々が集まっていました。
一人の女性は、話すことができませんでした。
しかし、その悪しき力が挑まれた途端、
彼女は普通に話し始めたのです。
また、ここに、
喉に大きな甲状腺腫(こぶ)を持った女性がいました。
私は彼女のところへ歩み寄り、こう言いました。
『サタンよ、私はあなたの力を打ち破る権威を持っている。
あなたは、この人から離れなければならない。』
そして私は言いました。
『もう去りました。
それを信じますか?』
彼女は答えました。
『はい、信じます。』
そこで私は言いました。
『それでは、家に帰って、
首のまわりにひもを巻いて、その大きさを測りなさい。
そして三日ごとに、そのひもを切って、
どれだけ小さくなっていくかを見てください。』
一日目は、これくらいありました。
二日目には、これくらいに。
三日目には、これくらいまで小さくなっていました。
――はっきりと縮んでいたのです。
同じひもです。
彼女はそれを持って、この壇上に持って来ました。
その時から、
私は、そのことが心に強く迫ってくるのを感じ始めました。
そして私は、
『主よ、これはあなたの神的な御心なのでしょうか』
と、ただ神に尋ねているのです。
そして、先日の朝……」
12. 「私には、生後八、九か月ほどの小さな娘がいます。
サラという子で、とても可愛い、愛らしい子です。
でも、私はあまり一緒にいてあげることができません。
正直に言えば、私は彼女を甘やかしています。
いつも腕に抱いてばかりいるのです。
皆さんもそうするでしょう。
あの小さな愛の塊に、
私がどれほどたまにしか会えないかを知っていたら。
家にいる時、ほんの時々会えるだけなのですから。
ですから……ええ、私はずいぶん甘やかしていると思います。
その頃、彼女は歯が生え始めていて、
とても具合が悪くなっていました。
赤痢にもかかっていたようです。
流行っていましたから、
皆さんのご家族の中にも、同じ症状の方がいたかもしれません。
激しく吐いて、下痢もして、本当に重い状態でした。
その夜、彼女は泣いていました。
母親はあまりに疲れていて、目を覚ましませんでした。
私も、最初は起きませんでした。
私はここから二つ目の部屋で眠っていました。
母親とサラは向こうの部屋、
小さなレベカと私は別の部屋で寝ていました。
その晩、ビリー・ポールは祖母の家に泊まっていました。
すると私は、突然目を覚ましたのです。
そして思いました。
『なぜ、こんなふうに目が覚めたのだろう?』
その時、私は御声を聞きました。
『赤ちゃんのところへ行って、水を飲ませてあげなさい。』
私は部屋へ行きました。
サラは泣いていました。
ずいぶん長い間、泣いていたようです。
小さなベッドの中で、
母親を起こすこともできなかったのでしょう。
私は、入る途中でコップに水を汲んで行きました。
するとその小さな子は、
ほとんど一杯分の水を飲んでしまいました。
赤痢であんな状態だったのに、です。
私は思いました。
『なんて素晴らしいことだろう。
主は、なんと優しいお方なのだろう。』
これは二度目だったか、
いえ、三度目だったかもしれません。」
13. 「ある時、Sioux Falls にいた時のことです。
その時、サラはまだ生後三か月でした。
彼女はベッドの上に寝かされていました。
母親は、何人かの人と話すために外へ出ていて、
私は集会に出かける準備をしながら、
洗面所でひげを剃っていました。
ちょうど、こうして剃っていた時、
私は主の使いの声を聞きました。
『すぐに、赤ちゃんのところへ行きなさい。』
私はカミソリを置き、走りました。
本当に、あと三十秒遅れていたら、
彼女は落ちてしまっていたでしょう。
彼女は高いベッドの上に寝かされていました。
ちょうどこのくらいの高さです。
両腕が――
転がるように動いていて、
頭はベッドの縁から垂れ下がり、
腕もずるずると滑り落ちていました。
私は全力で走り、
まさに落ちるその瞬間に、
彼女をつかみ取りました。
主は、なんと愛に満ち、
なんと優しいお方でしょう。」
14. 「それから少し後のことですが、
一人の若い女性がいました。
今朝ここに座っているかもしれませんが、
姿は見えませんね。
彼女は時々しか来ません。
彼女は、インディアナ州 New Albany にある教会のメンバーです。
とても名の知れた、立派な教会です。
私はそこへも行ったことがあります。
彼女は――
精神的な問題を抱えていました。
一種の神経症のような状態です。
町の外へ出ることすらできず、
どこかへ行こうとすると、
叫び出し、泣き出してしまうのです。
私は、二度か三度、彼女のために祈りました。
しかし、どういうわけか、
その悪霊に挑むことができなかったのです。
何かが、それをさせないようにしていました。
理由はわかりません。ただ、できなかったのです。
彼女は、近所に住んでいる看護師の友人と親しく、
その人と一緒に来ていました。
けれども、状態は悪くなる一方でした。
その状態が、もう八年も続いていたのです。
そして先日、彼女は再び来ました。
私は彼女に言いました。
『姉妹、私に分かるのは、
どこかに原因がある、ということだけです。
それが何なのかは、私には分かりません。
もし、ここへ来ることができるなら……』
すると彼女は言いました。
『もう何度も祈ってもらいました。
牧師にもです。
その牧師が、
「ビリー兄弟のところへ行って、
何と言われるか聞いてきなさい」
と言って、私をここへ送ったのです。』
私は言いました。
『姉妹、私もあなたの牧師と同じですよ。
私にも分からないのです。』
そして、こう尋ねました。
『すべての罪を、告白しましたか?』
彼女は答えました。
『すべてです。』
15. 「彼女は主日学校の教師で、
とても良いクラスを持ち、立派な働きをしていました。
けれども、ただ一つ、
それが彼女の上に影のように掛かっていたのです。
私は、どうしたらよいのか分かりませんでした。
皆さんも想像できるでしょう。
本当に、どうしてよいか分からなかったのです。
そこで私たちは、彼女を別の部屋に連れて行きました。
私は言いました。
『さあ、こちらへ来てください。』
誰かが来ると、私たちはすべてを止めます。
私は彼女を一つの部屋に入れ、腰を下ろし、
系図の話や、始まりのこと、
時代の流れなど、
いろいろなことを話し始めました。
そして、彼女の様子を見ていました。
それは、ちょうどその朝のことでした。
神は、いつも決定的な瞬間におられるのです。
しばらくすると、
私は外を見て、
一つの幻が近づいてくるのを見ました。
速く走る自動車が見えたのです。
私は言いました。
『あなたの状態は、自動車と関係があります。』
彼女は言いました。
『いいえ、私は事故に遭ったことはありません。』
私は言いました。
『そのまま、へりくだって、少し待ちなさい。
私は、あなたが車の中にいるのを見ています。
そして、列車にぶつかりそうになるのです。』
すると彼女は跳ね上がり、
『ああ!』と叫びました。
私は続けました。
『そうです。
しかも、その時あなたは夫と一緒ではありません。
別の男性と一緒にいます。
あなたの夫は、その当時、戦争で海外にいました。』
そして、私はさらに語り続けました。
『あなたが行ったこと、
不道徳な行為です。
あなたは、その一部は夫に話しましたが、
すべては話していません。』
すると彼女は叫び出し、
両手で顔を覆いました。
私は言いました。
『あなたは、少し前に扁桃腺の手術も受けましたね。
そして麻酔をとても恐れていました。
その下で、口を滑らせて
真実を話してしまうのが怖かったのです。』
彼女は叫び声をあげ、
床に倒れ込みました。
彼女は言いました。
『それは、真実です。』
私は言いました。
『そんなものをぶら下げたままで、
どうして前に進めるでしょうか。』
彼女は言いました。
『私は神に赦しを求めました。』
私は言いました。
『あなたは神に対して罪を犯したのではありません。
あなたは、夫とその誓約に対して罪を犯したのです。』
そして言いました。
『それを正しに行きなさい。
それから、また来なさい。
その時、私はその悪霊を制することができます。
――分かりますか。』
16. 「それから私は言いました。
『ところで、あなたのご主人ですが――』
私は、一度も会ったことのないその人の姿を描写しました。
そして言いました。
『ご主人にも、あなたに対して告白すべきことがあります。』
私は続けました。
『もし信じられないなら、電話をして、会う約束をしなさい。』
彼女は部屋に行き、電話をかけました。
そして二人は、道の途中で会いました。
やがて二人は戻って来ました。
頬を涙で濡らしながら、
互いに赦し合っていたのです。
その時、悪霊は彼女から去りました。
そして彼女は、完全に自由になりました。
私は言いました。
『私は、その悪霊に向かって叫び、
怒鳴り、追い出そうとすることもできたでしょう。
しかし、それでは決して出て行かなかったでしょう。
それが正されるまでは。』
『分かりますか。
原因を見つけなければ、治療法は見つかりません。』
17. 「医者のところへ行って、
『頭が痛いんです』と言うと、
医者はアスピリンをくれるかもしれません。
でも、それではまた痛みは戻ってきます。
もしかすると、
その頭痛は胃の不調が原因かもしれません。
あるいは、どこかに感染症があって、
それが熱を起こし、頭痛を引き起こしているのかもしれません。
ですから、もう一度診てもらい、
医者はその症状をずっと突き詰めて診断し、
原因がどこにあるのかを見つけなければなりません。
そして、その原因が取り除かれて、
初めて問題が解決するのです。
それは、
穴の空いたバケツに水を注ぐようなものです。
どれだけ水を注いでも、
下からどんどん漏れてしまいます。
まず、その穴を塞がなければならない。
――そういうことです。」
18. 「さて、ここで私は立ち止まっています。
私は何をすべきなのでしょうか。
私の集会で一番大きな問題は、
多くの場合、
『自分は祈ってもらえなかった』
と人々が感じてしまうことなのです。
私は、すべての人のために祈っています。
祈りの中で、彼ら一人一人を主に委ねています。
それでも人々は言います。
『もし、あなたが私に触れてくれさえすれば』
『もし、こうしてくれたら』
と。
そして、彼らは、
そうした目に見えることが起こるのを見ているのです。
確かに、それは正しいのです。
聖書は言っています。
『彼らは病人に手を置き、
そうすれば病人は回復する。』
―― マルコの福音書 16章 です。
私は、それも試しました。
列を作り、人々を通らせ、
一人一人に手を置いて祈りました。
しかし、もしその人の人生が、
聖霊によってくまなく調べられ、
中に何か妨げがないかが明らかにされていなければ、
その人たちは
『自分は祈ってもらえなかった』
と感じてしまうのです。
ここに、私の秘書が座っていますが、
彼女は手紙を受け取っています。
事情を知っていますね。
――そのとおりです。
人々は、
祈られなかったと感じてしまうのです。」
19. 「さて、ここで私は、大きな壁に直面しています。
もし私が――説教者としては大した者ではありませんが――
人々に、神の前に完全に正直にならなければならない
ということを分からせることができたなら、
イエス・キリストによって、
どんな悪霊の力でも打ち破る権威が与えられると、
私は信じています。
ペテロ と ヨハネ が、
美しの門 を通った時、
彼らはその人に、
『信者かどうか』
『どういう人か』
など、何も尋ねませんでした。
ペテロは言いました。
『金銀は私にはない。
しかし、私にあるものをあなたにあげよう。
イエス・キリスト の御名によって、
立ち上がって歩きなさい。』
彼はその人を起こし、
足首の骨に力が入るまで支え、
その人は歩き出して行きました。
今、私はこの点を、
深く学んでいます。
どうか、私のために祈ってください。
――祈ってくださいますか?
ありがとうございます。
神があなたがたを祝福されますように。」
20. 「それでは今、創世記 22章 をお開きください。
祈りの奉仕の前に、レッスンとして、
ここから少し読もうと思います。
さて、どこから始めましょうか……。
まずは、少しお話しすることにしましょう。
こうしましょう。
ローマ人への手紙 4章 も開いてください。
今日は、信仰について少し教えたいと思います。
これは、私たち皆が、もっともっと必要としているものですね。
そうではありませんか。
信仰というのは――
それは単なる「証拠」ではありません。
信仰そのものが実体であり、
また、私たちの肉体の感覚では宣言できないものの証拠なのです。
私は、このことを教えることで、
皆さんの信仰が刺激され、
引き上げられ、
神がその中に働き、
祝福を注ぐことができるレベルにまで、
高められたらよいと願っています。」
21. 「それでは、創世記 22章 の
8節あたりから読み始めましょう。
これは アブラハム に関する箇所です。
彼は最初、アブラムと呼ばれていましたが、
のちに祭司的な名、あるいは父としての名を受け、
アブラハムと呼ばれるようになりました。
それは、『多くの国民の父』という意味です。
では、よく聞いてください。
『アブラハムは、
全焼のささげ物のための薪を取り、
それをその子 イサク の上に載せ、
また、火と刃物を手に取った。
こうして二人は、ともに進んで行った。』」
22. 「なんと劇的な場面でしょうか。
主の来臨の 約一八七二年前、
神が前もって示し、語り、
一つのたとえを備えようとしておられる場面です。
アブラハム は、すでに年老いた人でした。
九十歳を越えており、
実際には、アブラハムは百歳、
サラ は九十歳でした。
それは、閉経から四十年も過ぎた年齢で、
彼女のうちの命は、すでに死んだも同然でした。
また、アブラハムのうちの命も、
その年齢では、同じく死んだような状態でした。
その時、神は九十九歳の彼に現れ、
こう言われました。
『アブラハムよ、わたしの前を歩み、完全であれ。』
考えてみてください。
百歳で、です!
そして神は、
これから起こることを彼に告げられました。
『すべての国々は、あなたによって祝福される。
なぜなら、わたしはサラによって、
あなたに一人の子を与えるからである。』
――百歳で、です!
23. 「それから、聖書はこう語っています。
アブラハムが、どのようにいけにえをささげ、
日が沈むまで、その上に来る鳥を追い払っていたか。
そして、闇が臨み、
神の霊が降って来て、彼に語られたことを。
そして、アブラハム は、
神を信じました。
そこで私は、
この主題を取り上げたいと思います。
『神を信じること』
――あるいは、
『神の御言葉を、そのまま受け取ること』
についてです。」
24. 「さて、アブラハム には、
私たちが今日持っているような
『多くの証人の雲』はありませんでした。
というのも、アブラハム自身は、
ユダヤ人の父でありながら、
カルデヤ人であり、
ウル の出身だったからです。
彼は、自分の民の中から呼び出され、
見知らぬ地を歩むよう命じられました。
これは、今日のクリスチャンの歩みを、
なんと美しく予表していることでしょう。
私たちもまた、
この世の交わりの中から出て、
かつて歩んでいた土地とは『異なる』――
つまり、
この世に対して異質な歩みをするように召されています。
私たちが今日『地』と呼ぶのは、
キリスト者としての歩み、
キリストと共に歩む道です。
この世のものから自分を分かち、
主と共に歩む道です。
アブラハムは、それを信仰によって行いました。
彼は、どこへ行くのかも知らずに、
異国の地で寄留者として歩みました。
ただ一つ、神が言われたことは、
『アブラハムよ、出て行きなさい。
わたしが示す地へ行きなさい。』
そして彼は、
神が設計し、建てられる都を待ち望んでいたのです。」
25. 「もしこれを、私たちの自然的な生活の中で言い表すなら、
それは本能と言うかもしれません。
しかし、私たちはそれを
『聖霊の導き』 と呼びます。
神は、アブラハムを
彼の民の中から、
彼の地から、
自分の故郷から呼び出されました。
そして彼は、
見知らぬ地に住み、
自分が旅人であり、寄留者であると告白しながら、
一つの都を求め、
一つの都を見つめて歩んだのです。
ああ、なんとこのことは、
今なお、神の子どもたちの中に
流れ続けていることでしょう。
神が設計し、建てられる都を探し求める――
その系統、その思いが、
今も生きているのです。
そして、
神はアブラハムを祝福されました。」
26. 「そして彼が本当に年老いた時、
神はこう言われました。
『アブラハムよ、あなたはわたしの前を歩み、完全であった。』
そして、どのように彼を祝福し、
増し加えようとしておられるかを語られました。
しかし、自然の側から見れば、
サラによって子が与えられるなど、
まったく不可能なことでした。
命のあらゆる力は、すでに尽きていたのです。
サラは九十歳、
アブラハムは百歳でした。
もし今日、医者のところへ行って、
『百歳の男性と九十歳の妻が、子どもを持つことになった』
などと言おうものなら、
どうなるでしょうか。
おそらく、
『この老夫婦は、少し頭がおかしくなっている』
と言って、
どこかの精神病棟に入れられてしまうでしょう。
しかし――
あなたは状況を見てはならない。
約束を見るのです。
分かりますか。
もし状況を見始めるなら……」
27. 「これは、たとえば、
ここに車椅子に座っておられる女性や、
がんを患っておられる皆さんにも、
まったく同じことです。
医者が言います。
『もう治りません。』
もしあなたがそれを信じるなら、
あなたは治りません。
しかし、あなたは
神の約束を見る必要があるのです。
ある年配の男性のところへ、
私たちは呼ばれました。
彼は言いました。
『兄弟、私の赤ん坊のために祈りに来てください。
黒色ジフテリアで、心臓にまで及んでいるのです。
心電図でも、心臓が完全に落ちてしまい、
もう終わりだと言われました。』
ところが、
私たちは赤ん坊のところへ行って祈ることを、
許されませんでした。
中へ入ろうとすると、
インターンの医師が言いました。
『だめです!だめです!
あなたにも子どもがいるでしょう。
そんなことはさせられません。』
それでも、
神を信じ、粘り強く訴え続けました。
その父親はカトリックの人でした。
彼は言いました。
『もしこの子が今、死にかけていて、
司祭が最期の儀式をするために来ていたら、
あなたは中へ入れるでしょう?』
『司祭には子どもがいませんから。』
『それは、問題ではありません。
これは、教会の最期の儀式と同じくらい、
神聖なことなのです。』
――すると、
『……分かりました。』
と、言われたのです。
28. 「ついに中へ入り、
赤ん坊のそばにひざまずき、
とても簡単な祈りをささげました。
赤ん坊に手を置いて、こう祈りました。
『天と地の神、
すべてを創造された主よ。
あなたは、このいのちの上にある
サタンの力を打ち破る、
神的な権威を私たちに与えてくださいました。
イエス・キリストの御名によって、
サタンよ、この子から出て行け。
この子は生きる。』
そう言って、私は振り返りました。
すると父親は、
『主よ、感謝します!感謝します!』
と叫びました。
母親たちも笑い出し、喜び始めました。
若い看護師は動揺していました。
彼女は言いました。
『あの……信仰を持つのは結構ですが、
その赤ちゃんは今、死にかけているのですよ。
どうして、そんなに平然としていられるのですか。
あなたは医師の言葉を誤解しています。
医師は、“赤ちゃんは死にかけている”と言ったのです。
もう一日以上、意識がないのですよ。』
すると、その年老いた父親は言いました。
『いや、私は医師の言葉を誤解してはいません。
確かに、“赤ちゃんは死にかけている”と聞きました。』
看護師は続けました。
『でも、この心電図を見てください。
この心臓の状態では、
これまでの医学の歴史の中で、
回復した例は一つもありません。
信仰を持つのは良いことですが、
もう何もできません。
信仰では、どうにもならないのです。』
その時、その老父は、
落ち着いた指先で彼女を指し、
静かに言いました。
『あなたは、その表を見ている。
私は、神の約束を見ている。』
――その男の子は、
今では結婚しています。
その後も赤ん坊は、
およそ二十四時間ほど、
そのまま横たわっていました。
しかし、突然、
あの心臓が動き始めたのです。
そして、回復していきました。
分かりますか。」
29. 「神の約束がひとたび与えられるなら、
神はそのすべての約束を成就させるために、
自ら誓いと責任のもとに立たれるのです。
神は、ご自身の御言葉以上の存在ではありません。
もしその御言葉が効力を持たないなら、
神ご自身も効力を持たないことになります。
――それが神なのです。
信じますか?
それが神です。
聖書はこう言っています。
ヨハネの福音書 1章
『初めに言(ことば)があった。
言は神と共にあった。
言は神であった。』
私もまた、
自分の言葉以上の者ではありません。
そして、あなたも、
自分の言葉以上の者ではないのです。」
30. 「もし私が、ここに一握りの小麦を持っていて、
それをこの机の上に置いたなら、
それはただの小麦のままです。
何も起こりません。
しかし、その小麦を地に蒔けば、
一ブッシェルにもなる小麦を実らせるかもしれません。
見えますか。
命の胚(はい)は、その小麦の中にあるのです。
けれども、その小麦は、
地に落ちて死ななければなりません。
イエスが言われました――
あるいはパウロだったかもしれませんが、
『一粒の麦が地に落ちて死ななければ、
それはただ一粒のままである。』
これは、神とその御言葉のことです。
その御言葉が、
心の中にしっかりと錨を下ろした時――
ああ、これをぜひ分かってほしい。
その御言葉は、
語られたとおりの実を、必ず結びます。
そうする以外に、あり得ないのです。
なぜなら、それは神だからです。
しかし、
『ああ、御言葉は知っていますよ。
そうですね、確かに正しいですね』
と言うだけなら、
それは一握りの小麦が、
ただそこに置かれているのと同じです。
休眠したまま、何も起こりません。
『聖書は読んでいます。』
――それだけでは、動かないのです。
けれども、
その御言葉を錨のように下ろし、
『はい、主よ。
これは私のためです』
と言うなら、
必ず何かが起こります。
そうならざるを得ないのです。
それまでは、
それはただの「書かれた言葉」です。
しかし、ひとたび錨が下ろされたなら……!
31. 「さて、アブラハムは、
自分の体の状態を見つめることはしませんでした。
彼は言いました。
『分かりました、主よ。子どもが与えられるのですね。』
この点については、
まだ何時間でも語り続けることができますが、
あまり時間を取りすぎないようにしましょう。
さて、ついに、
小さなイサクが生まれました。
そして、その子を受け取った後のことです。
おそらくその頃、
アブラハムは百十五歳から百二十歳くらい、
イサクは十五歳から十八歳ほどだったでしょう。
その時、神は言われました。
『アブラハムよ。
あの山へ、その子を連れて行き、
いけにえとしてささげなさい。』
考えてみてください。
彼はすでに約束を受け取り、
『多くの国民の父』と呼ばれ、
その唯一の子、
その約束の種を得ていたのです。
ところが神は、
『その子を連れて行き、
それをささげなさい』
――つまり、
『断ちなさい』
と言われたのです。
なんという試みでしょうか。
ああ、まさに二重の確認です。
『あなたは年老いていたが、
わたしを信じた。
それで、わたしはこの子を与えた。
そして今、
この子によって約束が成就すると、
あなたは考えているだろう。
しかし今、
その子を連れて行き、
殺しなさい。』
32. 「もしアブラハムが、こう言ったとしたらどうでしょうか。
『主よ、少しお聞きしたいのですが。
私はもう百二十歳ほどの老人です。
やっとこの子を与えられました。
サラもあまりに年老いて、
歩くのも大変なほどです。
私は杖に頼らなければ歩けません。
それなのに、この若い息子を、
あなたは私に殺せと言われるのですか。
それでは私の心は引き裂かれてしまいます。
しかも、この子によって
“多くの国民の父”になるという約束は、
どうやって成就するのですか?』
しかし、アブラハム は、
少しもよろめきませんでした。
彼はただ言いました。
『はい、主よ。』
彼はその子 イサク を連れ、
歩み出しました。
どうなるのかは、分かりません。
けれども、それを問いただすことは、
彼の務めではありませんでした。
彼は、ただ従ったのです。
33. 「ここにおられる車椅子の女性は、
『私はどうやって歩けるようになるのですか』
と言うかもしれません。
長い間、体が不自由だったのかもしれません。
それは私には分かりません。
また、別の方はこう言うでしょう。
『医者から、もう助からないと言われました。
ブラナム兄弟、私は死ぬのです。』
しかし、
今、私たちが語っているのは、
その次元の話ではありません。
それは自然の領域のことです。
もし、あなたがそれを見つめ続けるなら、
決して生きることはできません。
あなたは、
神が与えられた約束を見る必要があるのです。
それが約束です。
――分かりますか。
あなたの内側の人のことなのです。
この外側――
この肉体は、罪です。
知っていましたか。
あなたの体そのものが、罪なのです。
だから、この体を完全にしようとしてはいけません。
それは罪だからです。
知っていましたか。
聖書はこう言っています。
詩篇 51篇5節
『見よ、私は咎のうちに生まれ、
罪のうちに、母は私を身ごもりました。』
つまり、
この外なる人ではなく、
内なる人が、
神の約束をつかまなければならないのです。」
34. 「そして、その魂も同じです。
魂は一度死に、神によって新しく生まれるまでは、死ぬものです。
『罪を犯す魂は死ぬ』とあります。
しかし、
『わたしを信じる者は、永遠のいのちを持つ』
とも書かれています。
つまり、その人の内には、
死ぬことのないいのちが宿るのです。
それは、天から流れてくる流れのようで、
人の内側にある“核”のようなものです。
そこが、神に属する部分であり、
その部分が、この体を動かすのです。
しかし、この体が完全なものになる前に、
御霊がこの体を神に従わせる必要があります。
そのために、戦いが起こります。
それは絶え間ない戦いです。
パウロ も言いました。
『私が善をしようとすると、悪がすぐそばにある。』
―― ローマ人への手紙 7章
この戦いは、
肉と霊との戦いです。
私たちは、パウロ以上になることはできません。
ところが人々は、肉を見るのです。
『医者がこう言った。だから、私はそう信じる。』
――それが、どれほど罪深い態度か、分かりますか。
そのようでは、神に仕えることはできません。
35. 「あなたには、感覚とは別に、魂があります。
神は、感覚をもってご自身を信頼させるために、
それを与えられたのではありません。
神は、ご自身の御霊を与えて、
それによって信頼させられるのです。
感覚というものは、
ただ接触するためのものにすぎません。
見る、味わう、触れる、嗅ぐ、聞く――
それだけです。
しかし、あなた自身とは、
あなたの内に生きている霊のことです。
その霊が新生し、
古い人が死に、
新しい人が生まれた時、
その人は神から出たものとなります。
その時、あなたは神の子となり、
創造主の子孫となるのです。
だからこそ、
不可能なことを信じることができるのです。
なぜなら、
あなたは奇跡を行われる神によって造られており、
その方の一部だからです。
――あなたは、
その方の一部なのです。
36. 「私にとって、酒を飲むことは、自然なことだったはずです。
父が飲んでいましたし、
タバコを吸うことも、自然なことだったでしょう。
父もそうでしたし、
私の前の世代もそうでした。
人は言いました。
『どうして、あなたはタバコも酒もやらなかったのですか。』
それは――
私がまだ少年で、
そういうことを始める前のことでした。
聖霊が下って来て、
『それをしてはならない』
と言われたのです。
そこに、回心があったのです。
――最初から、です。
そればかりではありません。
もっとずっと以前、
私が生まれたその朝、
神の使いが、
私のいるところの上に立たれました。
その時、
地の中にあった種は、
いがぐり(cocklebur)から変えられたのです。
――分かりますか、
私の言っていることが。
外側が変えられたのではありません。
種そのものが変えられたのです。」
37. 「分かりますか。
その内側に霊があり、
そこから不滅のいのちが流れ出るのです。
それで、
『神の御霊によって生まれた人は、罪を犯しません』
と書かれているのです。
――ここで、御言葉がはっきりします。
また、
『一度きよめられた礼拝者は、もはや罪を犯したいという欲望も、
罪の意識も持たない』
ともあります。
旧約では、
礼拝者は来て、いけにえをささげ、
そして外へ出て行き、
同じ罪への欲望を持ったままでした。
しかし、ここでは違います。
よく聞いてください。
ヘブル人への手紙 はこう言っています。
『この場合、礼拝者が神の御子の頭に手を置き、
神の聖別の力によって罪がきよめられる時、
その人の内には、
もはや罪を欲するものが残らない。』
――ああ、いのちはそこにあるのです。
その時、あなたは
エホバの子孫となります。
そうなると、
サタンは、
私の父を傷つけずに、私を傷つけることはできません。
あの小さな子どもを傷つけようとしたら、
まず私を傷つけなければならないでしょう。
同じです。
あなたの子どもを傷つけることは、
あなたを傷つけることなのです。
そして、
神は
『だれ一人として滅びることも、苦しむことも望まれない』
お方なのです。」
38. 「しかし、この肉体が完全なものになる前に、
この肉体もまた、魂が死んだように、死ななければならないのです。
神は、もともと、
男女がこの地上に子どもを生むことを、
完全な御心として定められたのではありませんでした。
ご存じでしたか。
神は、人をご自身の手で、
地のちりから造られました。
堕落の後――
この点については、私は少し独特な考えを持っていますが、
議論はしません。
――堕落の後になって、
女性が子どもを産むようになったのです。
神は彼女に言われました。
『あなたがいのちを世から取り去ったゆえに、
あなたはいのちを世に送り出さなければならない。』
そして、
それがどのようないのちであったかを見てください。
性によって、欲望によって、肉によって生まれるいのちでした。
39. 「しかし、この体が死に、
地に帰り、ちりに戻る時、
神はその中から不滅の霊を取り出し、
神の国――
あるいは御座のもと、楽園へと移されます。
そして、イエス・キリスト の再臨の時、
そこに座っている私の母も、
すでに去って行った私の父も、
この同じ体をもう一度受けることはありません。
神は、
完全で、不滅で、決して死ぬことのない体を、
新しく形造られるのです。」
40. 「さて、アブラハムはイサクを連れて、
山へ向かって歩き始めます。
それでは、9節を読みましょう。
『そして彼らは、
神が彼に告げられたその場所に来た。
アブラハムはそこに祭壇を築き、
薪を並べ、
その子 イサク を縛り、
祭壇の上の薪の上に載せた。』
この場面の直前を思い浮かべてみてください。
彼らが家を出て行く時、
アブラハムは サラ に、
どこへ行くのかを告げなかったのだと思います。
もし告げていたら、
彼女は叫び声を上げていたでしょうから。
私は、
サラの胎の中で起こった奇跡は、
アブラハムの信仰によるものだった
と信じています。
なぜなら、
サラはその約束を疑い、
それを聞いた時、笑ったからです。
それでも、
アブラハムは信じた。
その信仰が、
約束を実体へと変えたのです。」
41. 「ですから、こう言われているのです。
『信仰による祈りは、病んでいる人を救う。』
――それは、一人ひとりの祈りです。
また、
『正しい人の、熱心な祈りは、大きな力がある。』
―― ヤコブの手紙 5章 です。
ああ、もしあなたが知っていたなら。
あなたの手の中に、
キリストがその御名と共に与えてくださった権威があることを。
クリスチャンであるというだけで、
この世で最も力ある武器が、すでに与えられているのです。
祈りです。
祈りは、すべてを変えます。
神の御心さえも動かします。
実際、そうでした。
ある人に『死』が宣告された後、
彼は祈りました。
すると神は、預言者に言われました。
『戻って行って、
わたしは彼の祈りを聞いた、と告げなさい。』
―― ヒゼキヤ のことです
(イザヤ書 38章)。
見えますか。
だから、祈りなさい。
手放してはならない。
しっかりと、つかみ続けなさい。
42. 「最近、ビリー・グラハム が取材を受けました。
今日は マットソン=ボーズ が、
私の本を持って、ビリー・グラハムのところへ行き、
インタビューをしているところです。
そして今、
ワシントン にある、
あの大きな講堂で、
彼の後を継いで来てほしい、という話も来ています。
――それは、実現可能です。
しかし、
それが父なる神の御心でしょうか。
そこが問題なのです。
また昨夜、
シアトル からも連絡が来ました。
大きな集会が計画されていて、
アル・フェラー大尉 が迎えに来ると言っています。
福音集会をぜひ、というのです。
――しかし、
それは父の御心でしょうか。
それが、
次に問うべきことなのです。」
43. 「ボルチモア からも連絡がありました。
一万人収容の講堂を、無料で使わせてくれるというのです。
一銭も払う必要はありません。
さらに、五百人の牧師たちが署名した紙が、
今、家に置いてあります。
『私たちは百パーセント後援します。
どこでも、祈りに立っています』と。
――けれども、
私はこう祈ります。
『父よ、どこへ行けばよいのでしょうか。
あなたが示してくだされば、私は行きます。』
――それが次なのです。
それから、ビリー・グラハム が、
こう言ったそうです。
『私が成功した理由を、何だと思いますか。』
私は言いました。
『分かりません。』
すると彼は言いました。
『私は、とても小さな集会を続けていたのです。』
彼は、ロサンゼルス で、
小さなテントを張って、
小さな集会をしていました。
すると、ある大学全体が断食して祈り始め、
神は十五人ほどの新聞記者を送り、
その集会は記事となって、
全米に広がったのです。
私も、最初にこの働きを始めた時、
教会にこう言いました。
『ひれ伏して、祈り続けてください。』
すると神が動き始めました。
気がつくと、
アフリカから、
世界中から、
電話がかかってくるようになったのです。
どうして、そこまで届いたのでしょうか。
私は知りません。
祈りが、上って行ったのです。
祈りなさい。
祈る時、信じなさい。
それだけが重要です。
信じなさい。
44. 「アブラハム は、年老いても信じました。
神が『行きなさい』と言われると、彼は従ったのです。
今、私は彼の旅路を見ることができます。
しもべたちと小さなろばを連れ、
神の山へ向かって出発する姿です。
――ああ、私はこの場面が大好きです。
よく聞いてください。
彼は、しもべたちに言いました。
『あなたがたは、ここにいなさい。
私と若者は、あちらへ行って、そして戻って来る。』
――ああ、何という言葉でしょう。
すみません、時々、感情が込み上げてしまいます。
『私と若者は、戻って来る。』
――どうやってかは、分かりません。
彼は、
『私は上へ行って、彼を殺すのだ』
と思っていたのです。
それでも、
何らかの方法で、必ず戻って来ると知っていました。
その腰には、刃物が差し込まれていたのです。
そして彼は、
薪を イサク の肩に載せました。
イサクは、
アブラハムに導かれて、
丘を登って行きました。
――なんと美しい予型でしょうか。
彼のひとり子が、
丘へと連れて行かれる。
しかも、
自分が横たえられることになる祭壇の薪を、
自ら背負って登って行くのです。
これは、
神がご自身の御子を、ゴルゴタ へ送られたことの予型です。
木の十字架を背負って――
その十字架こそ、
後に釘付けにされる十字架でした。
そして、
神は、ご自身の御子を惜しまれなかった。
45. 小さな イサク は、あたりを見回して言いました。
「お父さん。
ここには祭壇も火もあります。
でも……いけにえは、どこにあるのですか。」
アブラハムは答えました。
「神ご自身が、いけにえを備えてくださる。」
彼は、ひとり子を縛り、
祭壇の上に載せ、
刃物を抜き、
そのいのちを取ろうとしました。
――「神よ、あなたが与えてくださった子です。」
刃物を振り下ろそうとした、その瞬間、
御使いが彼の手をつかみ、叫びました。
「アブラハム、アブラハム!
その手を止めなさい!」
するとその時、
荒野の中で、
一匹の雄羊が鳴く声がしました。
角が、低木に引っかかっていたのです。
アブラハムは急いで走り寄り、
その雄羊をつかみ、
息子を解き、
身代わりとしてその雄羊をささげました。
すると神は、
アブラハム に語られました。
「アブラハムよ。
今、わたしは知った。
あなたが、わたしを愛していることを。
あなたは、わたしに何一つ、惜しまなかった。」
46. 「では、本文として、13節と14節を読みましょう。
『アブラハムが目を上げて見ると、
見よ、後ろに一頭の雄羊がいて、
角がやぶに引っかかっていた。
アブラハムは行って、その雄羊を取り、
その子の代わりに、全焼のいけにえとしてささげた。』
――この雄羊が誰を指しているか、分かりますか。
それはキリストです。
身代わりとしてささげられたのです。
『アブラハムは、その場所の名を
エホバ・ジレ と呼んだ。
それで今日に至るまで、
「主の山で、それは備えられる」
と言われている。』
47. 「エホバ・ジレ (アドナイエレ)――
それは、神の最初の贖いの御名でした。
エホバ・ジレとは、
『主は、いけにえを備えられる』という意味です。
神は、
エホバ・ジレであり、
エホバ・ラファ(癒す主)、
エホバ・ニッシ(勝利の主)でもありました。
このように、
神には七つの複合的な贖いの御名があります。
人のいのちの身代わりとして、
神は一頭の小羊を取り、
備えられたいけにえとしてささげられました。
そして、
イサクにおいて、すべての国々が祝福される――
そのイサクから、
ついに イエス・キリスト が生まれました。
聖書は言います。
『私たちはキリストにあって死んだ者であり、
アブラハムの子孫となり、
約束による相続人である。』
―― ガラテヤ人への手紙 3章
ここに、その答えがあります。
それは、私たちの体のことではありません。
体においては、
私たちは異邦人であり、
体は罪の中にあります。
しかし、魂において――
新しく生まれ、
忠実なアブラハムの上にあった同じ御霊によって生かされるなら、
その系統、その“流れ”が、
私たちの内に
神を信頼したいという願いを起こさせるのです。
ただ、
体は恐れます。
だからこそ――
もし私たちがアブラハムの子どもであるなら、
父アブラハムのようでありましょう。
48. 「エホバ・ジレ――
『主は、いけにえを備えられる。』
神は、実際にそのいけにえを備えられました。
それでは、ローマ人への手紙 4章17節から読みましょう。
『――(こう書いてあるとおり、
「わたしは、あなたを多くの国民の父とした」)――
彼が信じた神の御前でのことである。
その神は、死んだ者を生かし、
無いものを有るもののように呼ばれる方である。』
――分かりますか。
ですから、私たちクリスチャンは、
神に語りかけるとき、
見る、感じる、味わう、嗅ぐ、聞く――
そうした感覚に基づいては語りません。
ただ、神を信じるのです。
それが、アブラハム において、
義と認められた理由でした。
49. 「感覚というものは、この世の道具です。
そう信じますか。
もちろん、神はそれらを支配することがおできになります。
しかし、感覚は、天の父と交わるために与えられたものではありません。
神は肉体を持たれる方ではないからです。
神は霊であり、
私たちは霊によって、信仰によって神と交わるのです。
たとえば――
私にまだ髪があった頃は、父と同じように少し波打っていました。
父は目が近く、深い青い目でした。
人は言います。
『あなたはお父さんに似ている』
『お母さんに似ている』と。
私の祖父は、この幕屋を建てた人です。
『あなたはお祖父さんに似ている。
話し方も、性質も似ている』
と言う人もいます。
それは何でしょうか。
世代を通して受け継がれてきた“系統(性質)” が、
私の中にあるからです。
小さな女の子を見て、
『お母さんにそっくりね。
しぐさまで似ている』
と言うことがあるでしょう。
それと同じです。
もし私たちが、
天の父なる神から生まれたのなら――
その神は、
『無いものを有るもののように呼ばれる方』です。
(ローマ人への手紙 4章17節)
ならば、その性質が、私たちの内にもあるはずです。
――分かりますか。
だからこそ、
真に献身したクリスチャン、
全面的に神に委ねている人は、
見えるものや感じるものではなく、
神が語られたことを見つめます。
見えるもの、感じるものに従うのは、
地上的な人の歩みです。
肉に従って歩むなら、神を喜ばせることはできません。
私たちは、
御霊に従って歩むのです。
50. 「神は、すでにご自分の義務以上のことを、すべて成し遂げてくださいました。
預言者を送り、祭司を送り、
そして――御子を送られました。
さらに、聖霊を送ってくださいました。
神は、なすべきことをすべて行い、
そのうえ、ご自身にかけて誓い、
これらのことを必ず成就すると約束されたのです。
さて、神がここ(内側)に深く、豊かに入ってこられるとどうなるでしょうか。
――分かりますか。
あなたの内に神が増えれば増えるほど、
あなたは神を信じることができるようになります。
なぜなら、そこに神ご自身が増えるからです。
この内側を耕せば耕すほど、
あなたは、さらに神を信じることができるようになります。
それは、ちょうど子どもと同じです。
幼い頃は、ほとんど何も分かりません。
しかし、成長するにつれて、
だんだんと理解が増していきます。
神についても、同じです。
そして、その時――
内にあるこの霊が、
天の父なる神の性質を帯びてくるのです。
それは、
私が地上の父から、その性質を受け継いだのと同じように、
神から生まれた者として、神の性質を受け継ぐということなのです。」
51. 「さあ、よく聞いてください。
――ああ、私はこれが大好きです。
『死んだ者を生かし、
無いものを有るもののように呼ばれる神。』
分かりますか。
神は、どうやってこの地――
今朝、あなたが座っているこの地を造られたのでしょう。
神は、語られたのです。
アーメン。
見えますか。
神が語られると、
世界は存在するようになりました。
つまり、
今ここにあるこの世界そのものが、
神の“語られた御言葉”なのです。
そして、神は
ご自身の御言葉を信じられました。
ここです。
よく見てください。
もし、
神があなたの父であり、
あなたがその子孫であり、
しかも神があなたの内におられるなら、
その神は、
あなたの内で、ご自身の御言葉を信じられるのです。
たとえ――
見えなくても、
感じなくても、
味わえなくても、
触れられなくても。
神は、それを信じられる。
なぜなら、
あなたの内におられる神が、
ご自身の御言葉を信じておられるからです。
分かりますか。
だから、
あなたは
見えるものを見るのではありません。
神が語られたことを見るのです。
52. 「人は、下を向いて歩むとき、
あまり勝利を持つことができません。
これは、はっきり言えます。
神は、熟練した外科医を通しても、
医薬品を通しても、
奇跡を行われます。
行っているのは人ではありません。
神なのです。
詩篇 103篇3節には、こう書かれています。
『わたしは、あなたのすべての病を癒す主である。』
癒しは、
神以外のどこからも来ません。
ある人は言います。
『悪魔も癒すことができる。』
いいえ。
悪魔は癒すことはできません。
彼にできるのは、
それらしく見せかけること、
主張することだけです。」
53. 「ある人が、私に反論してこう言いました。
『ブラナム兄弟、でもイエスは言われましたよね。
「その日には、多くの者がわたしに言うだろう。
『主よ、私たちはあなたの名によって悪霊を追い出したではありませんか』
と」――だから、それだけでクリスチャンだとは言えないでしょう。
「信じる者には、これらのしるしが伴う」とあるだけですから。』
すると、ある兄弟が言いました。
『ちょっと待ってください。
それが、あなたがた宗教的な人たちのやり方です。
あなたがたは、
聖書の本当の意味を見落としている。
心の中で常に誤り、
人間の伝統を教えとして教えているのです。』
彼らは、
イエスが神の子であることを見抜けませんでした。
そして、
『彼はベルゼブル(悪霊のかしら)だ』
と言ったのです。
彼らは、
イエスこそがそのお方であると明確に指し示していた
聖書の預言を、
見ようとしなかったのです。
そこでイエスは言われました。
『偽善者たちよ。
あなたがたは空模様を見分けることはできるのに、
時のしるしを見分けることができない。
もし、あなたがたが分かっていたなら、
わたしを知り、
わたしの時代を知り、
起こるはずのことを知っていたはずだ。』
54. 「そして私たちは今日、
終わりの日に、これらのことが起こると
神が約束しておられたのを見ています。
それなのに、人々はどうしたのでしょうか。
――盲目になっているのです。
それらの悪霊の力は、
宗教的な領域の中にさえ入り込んでいます。
彼らは言いました。
『あなたは、“イエスは何も言われなかった”と言うが、
私たちは悪霊を追い出した。』
しかし、
イエス・キリスト は言われました。
『わたしは、あなたがたを知らない。』
――彼らは、
実際にはしていないことを、
していると言っていたのです。
ある人が、
ある教派の教会の人でしたが、
こう言いました。
『ブラナム説教者が一人癒したなら、
私は十二人癒してみせる。』
私は言いました。
『もし私が一人癒したのなら、
あなたも十二人癒せるでしょう。』
彼は言いました。
『あなたが言うような賜物を持っているなら、
病院へ行って、
「病人たちよ、みんな起き上がって出て来い」
と言えばいいではないか。
みんな従うはずだ。』
私は言いました。
『あなたは福音説教者ですか。』
彼は答えました。
『はい、そうです。』
私は言いました。
『では、密造酒場へ行って、
「みんな救われた。さあ、出て来い」
と言ってみなさい。』
彼は言いました。
『彼らが私を信じるなら、できます。』
私は言いました。
『私も同じです。』
――そこです。
御言葉への信仰なのです。
あなたが、
誰かを救うことができるわけではありません。
救いの福音を説くからといって、
あなたが神的な救い主になるわけではない。
同じように、
私が神癒を説くからといって、
私が神的な癒し主になるわけではありません。
すべては、
神が語られた御言葉への信仰なのです。
55. 「私はこう確信しています。
私たちの中には、
他の人より多くの信仰を持っている人がいます。
そして、そのような人は、
信仰の弱い人のために祈るべきなのです。
しかし、
正しい生き方をしていないなら、
その祈りからは身を引いたほうがよい。
悪魔は、
その祈りをあざ笑うでしょう。
けれども、
正しく生き、
正しく行い、
正しく振る舞い、
神を信じているなら、
あなたが語るとき、
サタンは震えます。
なぜなら、
神は誓いをもって、
その祈りに責任を負うと約束されたからです。
――それは真実です。」
56. 「さあ、よく聞いてください。
アブラハムは、今や年老いた人でした。
百歳を過ぎ、
神はすでに彼にこの息子を与えておられました。
それから十六年、十八年が過ぎ、
彼は百十八歳、百二十歳ほどになっていたでしょう。
その時、神は言われたのです。
『今、その子を連れて行き、ささげなさい。』
それでも、
アブラハム は、
約束において、少しもよろめきませんでした。
よく聞いてください。
彼は神のようでした。
なぜなら、
彼の内に、神の一部があったからです。
――信じたからです。
それでは、ローマ人への手紙 4章18節を読みましょう。
『彼は、望みえないときに、なおも望みをもって信じ、
「あなたの子孫はこのようになる」と言われたとおり、
多くの国民の父となるために信じた。』
――希望など、まったく無い状況でした。
それでも、
彼は「望みによって信じた」のです。
ここで示されている信仰は、
状況が好転することを期待する信仰ではありません。
状況が完全に否定していても、
なお神の言葉に立ち続ける信仰です。
それが、
アブラハムの信仰であり、
私たちが受け継いでいる信仰なのですね。
ChatGPT の回答は必ずしも正しいとは限りません。重要な情報は確認す「さあ、よく聞いてください。
アブラハムは、今や年老いた人でした。
百歳を過ぎ、
神はすでに彼にこの息子を与えておられました。
それから十六年、十八年が過ぎ、
彼は百十八歳、百二十歳ほどになっていたでしょう。
その時、神は言われたのです。
『今、その子を連れて行き、ささげなさい。』
それでも、
アブラハム は、
約束において、少しもよろめきませんでした。
よく聞いてください。
彼は神のようでした。
なぜなら、
彼の内に、神の一部があったからです。
――信じたからです。
それでは、ローマ人への手紙 4章18節を読みましょう。
『彼は、望みえないときに、なおも望みをもって信じ、
「あなたの子孫はこのようになる」と言われたとおり、
多くの国民の父となるために信じた。』
――希望など、まったく無い状況でした。
それでも、彼は「望みによって信じた」のです。
57. 「さあ、19節を聞いてください。
(上着を着て、杯を手に取るような気持ちで、よく見てください。)
『彼は信仰において弱くならず、
自分のからだが、すでに死んだも同然であることを、
考えなかった。』
――分かりますか。
あなたの父、アブラハム――
あなたはキリストによって、彼の子どもなのです。
その父アブラハムが、
体が“死んだも同然”の時でさえ、
自分の体を考えなかったのなら、
今朝、生きているあなたの体については、どうでしょうか。
分かりますか、言っていることが。
それは、
キリストが来られる前のことでした。
贖いが成し遂げられる前、
聖霊が注がれる前、
多くの証人たちがそろう前のことです。
それでも、
アブラハムは神を信じました。
『信仰において弱くならず、
自分の体を考えなかった。』
だから、
あなたの病気を考えてはいけません。
神がその病について、何と言われたかを考えなさい。
58. 「もし私が、
メイヨー・クリニック の医師たちに
『あなたはもう終わりだ』
と言われた時、
自分の体の状態を考えていたなら、
私は本当に終わっていたでしょう。
しかし私は、
自分の体を考えませんでした。
自分の病気を考えませんでした。
医者が何と言ったかも、考えませんでした。
私は、神が何と言われたかを考えたのです。
あの頃、
私は目が見えず、
眼鏡をかけて、
この辺りを歩き回っていました。
床屋に行っても、
眼鏡を外すと頭が震えてしまい、
まともに髪を切ってもらえなかったのです。
一度、椅子に座っても、
頭が震えてしまうので、
理髪師は他の人の髪を切り、
それからまた私のところへ戻って来る、
そんな具合でした。
もし私が、それを見つめていたら、どうなっていたでしょうか。
しかし私は、
自分の目の見えなさを考えませんでした。
神を知ったとき、
私は、
神が語られたことだけを見たのです。
59. 「医者は私に言いました。
『固形物を一口でも食べたら、命に関わる。』
その頃、母はここに座っていて、証人です。
私は麦湯と裏ごししたプルーンジュースだけで、
ほとんど一年を生きていました。
『固形物を一口食べたら死ぬ』
――そう言われ続けていたのです。
その時、私は聖書を読み始め、
魂の中で神を見いだしました。
そして、そこにこう書いてあるのを読みました。
マルコの福音書 11章24節
『何事でも、祈って求めるものは、すでに受けたと信じなさい。
そうすれば、そのとおりになる。』
その家では、
それまで食卓で祈りがささげられたことは一度もありませんでした。
父は隅に座っていました。
私は言いました。
『祈ってもいいですか。』
母は振り向いて、泣き出しました。
父は、どうしてよいか分からなかったのです。
私は言いました。
『神よ。』
テーブルの上に聖書を置いて、こう祈りました。
『もし私が死ぬなら、
あなたを信頼して、家に帰ります。
あなたの御言葉は、こう言っています。
私は今、
医者の言葉を取るか、
あなたの言葉を取るか、
どちらかを選ばなければなりません。
私は一年間、医者の言葉を取ってきました。
しかし、良くなるどころか、悪くなる一方でした。
私は、もう医者の言葉を考えません。
私は、あなたの言葉を考えます。』
そして、
私は食事の祝福を祈りました。」
60. 「その食卓には、豆とコーンブレッドと玉ねぎがありました。
私はそれを一皿取り、食べ始めました。
最初の一口が胃に入った瞬間、
ほとんど死にそうになりました。
吐き戻さないよう、口を手で押さえなければなりませんでした。
何度も込み上げてきては、飲み込み、
また込み上げてきては、飲み込みました。
しかし私は、
自分の胃の状態を考えませんでした。
神が何と言われたかを考えたのです。
感じたことではありません。
実際には、焼けるように苦しかったのですが。
私は通りへ出て、
よだれを流しながら、こうして歩いていました。
人が聞きました。
『ビリー、具合はどうだい?』
私は答えました。
『素晴らしい!』
日が過ぎ、週が過ぎました。
それでも私は、
胃を押さえながら、溝の中に立って働き、
土を踏み固めながら、
『ああ、イエスをどれほど愛していることか!』
と歌っていました。
食べ物は何度も込み上げ、
頭がふらついて、
ほとんど仕事にならないこともありました。
人が言いました。
『今朝はどうだい、ビリー。病気か?』
私は言いました。
『いいえ。とても気分がいい。』
後になって、私が証しをした時、
ある人が言いました。
『あの時、あなたは嘘をついた。』
私は答えました。
『いいえ、嘘はついていません。
私は、この肉体の感覚について語っていたのではありません。
それらは死んだものです。
私は、イエス・キリスト によって
自分を癒された者として数えていたのです。
私は、
主が語られたことを取っていた。
だから、心の中では、本当に素晴らしかったのです。』
――これです。
自分の体を考えてはいけません。
病気を考えてはいけません。
それらは悪魔のものです。
神の約束を考えなさい。
61. 「少し前に、ある人がこう言いました。
『いいですか、あなたは贖いの中に神癒を説くことはできません。』
その人は、なかなか賢いバプテスト派の説教者でしたが、
この点では、的を外していました。
彼は言いました。
『贖いについては議論しませんよ。
あなたには、立つ場所がありません。
これは非常に基本的な教理ですから。』
私は言いました。
『あなたのほうこそ、立つ場所がありません。
ここに、あなたの前に、
この問題を一気に決着させる聖句があります。』
『 彼は、私たちの背きの罪のために傷つけられ、
私たちの咎のために打ち砕かれた。
私たちに平安をもたらす懲らしめが彼の上にあり、
その打ち傷によって、私たちは癒された。』
―― イザヤ書 53章5節
私は言いました。
『この御言葉を、どこに当てはめるのですか。
カルバリの十字架以外に、どこがありますか。』
62. 「私は言いました。
『あなたは、七つの複合的な贖いの御名が、
イエス・キリスト に属していると信じますか。』
もし、
それらの御名がキリストの中にあり、
彼がそれを成就されたのでなければ、
彼はエホバ・ジレではありません。
――エホバ・ジレとは、
『神が備えられた犠牲』のことです。
それを認めるか、
さもなければ、
彼が神の御子であることを否定するしかありません。
しかし、もし彼がエホバ・ジレであるなら、
彼は同時に、
エホバ・ラファ――
『癒す主』でもあります。
なぜなら、
七つすべての複合的な贖いの御名――
『私たちの勝利』
『私たちの旗』
『私たちの盾』
『私たちの守り』
『私たちの癒し』
『私たちの救い』
『備えられた犠牲』
――そのすべてが、彼の中にあったからです。
そして、
彼が カルバリ の十字架で死なれた時、
権威と支配を打ち破り、
よみがえって、両手を上げ、
『完了した!』
と言われました。
ハレルヤ!
悪霊は震え、
地獄は揺れ動きました。
――それは、日ごとの勝利の型です。
さらに、
復活の朝に、彼は立ち上がり、言われました。
『わたしは死んでいたが、今は生きている。』
ここにおられるのです。
エホバ・ラファ。
エホバ・マナセ。
エホバ・ジレ――
『神が備えられた犠牲』。
――彼は、
何も言い返すことができませんでした。
63. 「そこでイエスは、こう言われました。
『モーセが荒野で青銅の蛇を上げたように、
人の子もまた上げられなければならない。』
―― ヨハネの福音書 3章14節
荒野で、
モーセ が
青銅の蛇を掲げた時、
それは 一つの型(予型) でした。
その光に目を向ける者は、
皆、生きたのです。
青銅の蛇は、
裁かれた罪の象徴でした。
蛇そのものではなく、
裁きの下に置かれた姿です。
同じように、
イエス・キリスト もまた、
十字架の上で掲げられました。
罪を持たれなかったお方が、
罪の姿となって上げられたのです。
だから主は言われました。
『それを仰ぎ見る者は、滅びず、永遠のいのちを持つ。』
64. 「――[テープ欠落]――
『私は自分の言葉を守らなければならない。
あなたは死ななければならない。』
その哀れな男は震えていました。
主人は言いました。
『殺す前に、何かしてやれることはあるか。』
『水を一杯ください。』
主人は水を持って来ました。
男はそれを手に取りましたが、
震えていて、とても持ちきれません。
主人は言いました。
『待て。落ち着け。
お前がその水を飲むまでは、
私はお前を殺さない。』
ところが、その奴隷は、
水を地面に投げ捨てました。
さて、主人はどうするでしょうか。
もし彼が正しい人で、
自分の言葉を守る人なら――
どうしても、その男を殺すことはできません。
自分の言葉が、彼を縛ってしまったからです。
もし言葉を破るなら、
彼は正しい人ではありません。
だから、国の法律がどうであろうと、
彼はその奴隷を自由にしなければならないのです。
同じです。
イエス・キリスト がこう言われました。
『何事でも、祈って求めるものは、
すでに受けたと信じなさい。
そうすれば、そのとおりになる。』
(マルコの福音書 11章24節)
主は、それを守らなければなりません。
なぜなら、
主は正しい方だからです。
だから、
北極星に錨を下ろすように、
御言葉にしっかりとつかまりなさい。
――それが、主の御言葉なのです。」
65. 「少し前のことです。
ある青年が、
学ばなくてもよいようなことまで学ぶために、
ある神学校へ行っていました。
その間に、
彼の年老いた母親が病気になりました。
近所の人で、フル・ゴスペル教会に属している人がいて、
こう言いました。
『牧師を呼んで来て、祈ってもらいましょう。
とても良い、正しい人で、
神を信じている方ですから。』
彼女は言いました。
『分かりました。』
医者は、もう何もできませんでした。
そこで、その牧師がやって来て、
年老いた女性のために祈りました。
彼は、
ヤコブの手紙 にあるとおり――
あるいは
マルコの福音書 16章 にあるとおり、
『彼らは病人に手を置き、病人は回復する』
という御言葉に従って、
彼女の上に手を置いて祈ったのです。
すると、
数日後には、
その女性は起き上がり、
家の仕事をするまでに回復し、
完全に良くなりました。
66. 「その息子が、大学から家に戻って来ました。
母親がとても元気そうなのを見て、
彼はうれしくなり、こう言いました。
『お母さん、元気にしていたかい?』
母は答えました。
『ええ、とても元気よ。
ああ、そうだ、あなたに話していなかったことがあるわ。
あなたがこの四年間いない間に、
私は病気になったの。
それでね、
お隣の○○さんはフル・ゴスペル教会の人なんだけれど、
その牧師さんが来て、
マルコの福音書 16章 にあるとおり、
私に手を置いて祈ってくれたの。
そしたら、良くなったのよ。
医者は、
私があの病気の時には、
何もできなかったの。
でも、こうして元気になったの。』
すると息子は言いました。
『お母さん、ひとつ教えておきたいことがある。
大学では、こう学ぶんだ。
マルコ16章の最後の九節は、霊感を受けたものではない。
あれは後から付け加えられたもので、
霊感を受けた聖書の言葉だという歴史的証拠はないんだ。』
すると、その小さな母親は、
突然、手を挙げて叫びました。
『ハレルヤ! ハレルヤ!』
息子は驚いて言いました。
『お母さん、どうしたんだい?』
母は言いました。
『もし神さまが、
“霊感を受けていない”と言われている言葉で
私を癒すことがおできになるなら、
霊感を受けた言葉なら、
どれほどのことをなさるかしら!』
――そういう事なのです。
もし神が、
「霊感がない」と言われる言葉でさえ
それほどのことをなさるなら、
霊感を受けた御言葉では、
いったい何をなさるでしょうか。
67. 「終わりの時代に向けて、教会に与えられている約束は、六百以上もあります。
そして、それらは必ず成就します。
神の力は、今もまったく同じだからです。
イエス・キリスト は、
『昨日も、今日も、いつまでも変わらない方』です。
『祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。
そうすれば、そのとおりになる。』
『あなたがたがわたしにとどまり、
わたしの言葉があなたがたにとどまるなら、
何でも望むものを求めなさい。
そうすれば、かなえられる。』
『わたしのすることを、あなたがたもする。
いや、それ以上のことをする。
わたしが父のみもとに行くからである。』
『見よ、わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。』
『二人または三人が、わたしの名によって集まり、
心を合わせて何事かを求めるなら、
それはかなえられる。』
――兄弟よ、もう迷う必要はありません。
それは神の御心なのです。
あなたを妨げているのは、
ただサタンだけです。
神を信じなさい。
68. 「望みえない時にも、なお望みをもって信じた。
それは、『あなたの子孫はこのようになる』と語られたとおり、
彼が多くの国民の父となるためであった。
彼は信仰において弱くならず、
自分の体がすでに死んだも同然であることも、
またサラの胎が死んでいることも、
考慮に入れなかった。
――状況ではない。
――誰かが何と言ったかでもない。
『同じ病気で誰かが死んだではないか』
そんなことは考慮しなかったのだ。
サラも、その中に含まれていた。
神はサラに直接約束を与えたのではなく、
アブラハムに約束を与え、サラはその中に含まれていた。
同じように、神は イエス・キリスト において約束を与え、
私はその中に含まれ、あなたも含まれている。
彼は不信仰によって神の約束を疑うことなく、
かえって信仰に強められ、神に栄光を帰した。
そして、
神が約束されたことは、必ず成し遂げることがおできになる
と、完全に確信していた。
それゆえ、それが彼の義と認められたのである。
しかし、それが彼のためだけに書かれたのではない。
私たちのためでもある。
すなわち、
私たちも、死人の中から
私たちの主イエスをよみがえらせた方を信じるなら、
義と認められるのである。
主イエスは、
私たちの罪のために引き渡され、
私たちを義とするために、よみがえられた。
――兄弟よ、
これで悪魔は完全に行き詰まる。
一年三百六十五日、こう言えばよいのだ。
『おまえは嘘つきだ。ここに御言葉がある。
私は癒された。』
69. 「もし誰かが近づいて来て、あなたに手を置き、
あることをして、あなたが癒されたとしたら、
それはあなたをそれほど鼓舞しないかもしれない。
しかし、ここが大事な点だ。
『信じる者は、今すでに癒されている』 ということだ。
もし神が天から降りて来て、
はっきりと目に見える奇跡で、
一瞬のうちに私を癒してくださったとしても、
それよりもはるかに大きいのは、
神の約束を見て、それを心に受け取ることなのだ。
そこに立って、こう言えることだ。
『イエスは今、私を癒しておられる。
私は御言葉を受け入れた。
それは私の心の中にある。
主は今、父なる神の前で私のために執り成しておられる。
私は必ず良くなる。』
これこそ、神が喜ばれる姿だ。
御言葉の上に立ち、
『それは真実だ。
主は今も、毎日、私を癒しておられる』
と言い続けることだ。
あの甲状腺腫(首のこぶ)の女性も、そうだった。
私は彼女に、ただ一つの“行動”を与えただけだ。
すると、それは消えていった。
無理に何かをさせたわけではない。
彼女は喜んで言った。
『見て! 見て!』
次の日には、これくらいに小さくなり、
その次の日には、さらに小さくなった。
彼女はそれを全部並べて見て、
『これは…間違いじゃない』と言った。
そう、それだ。
そこに答えがある。
70. エリヤが天を閉ざして、三年の間、雨が降らないようにした時、彼はこう言いました。「三年六か月の間、雨よ降るな」と。
そして彼は、あの細い、やせた年老いた膝の間に頭をうずめて祈ったのです。
たぶん、もし今朝そのエリヤがあなたの家の玄関に立ったなら、あなたは追い返してしまったでしょう。
髪はぼさぼさ、何とも言えない姿で、羊の皮切れを体に巻きつけ、手には油の入った壺と一本の杖。それだけを持って、彼はやって来たのです。
そして彼は、座るたびに膝をつき、頭を膝の間に入れて祈りました。
「神よ、問題はもう取り除かれました。イスラエルは悔い改めました。主よ、来て、雨を送ってください。」
ちょうど先日あの女の人がそうであったように、罪が取り除かれた時、私は言いました。
「サタンよ、あなたはもう彼女を縛ることはできない。」
そうです、それで終わりです。
「来てください、主よ。もう問題はありません。」
彼は六度祈り、戻って来ました。しかし、それでもやめませんでした。彼は祈り続けたのです。
そしてしばらくして、彼のしもべが上って行って見て来て、戻って来て言いました。
「ご主人、手のひらほどの小さな雲が見えます。」
71. だって、空は――三年六か月もの間、雨が降らなかったのです。
青銅、青銅は神のさばきを語ります。青銅の祭壇、神を忘れた国に下されたさばき。
青銅のような空です。
これを語る時間があればいいのですが……。
しかし、もしそうしたなら、不信仰な者はそれをつかみ取って、彼に投げつけたでしょう。
「それだけ? それだけしか送れないのか!」と。
そうです。
しかし、エリヤは最初の“輪”が動いた時、何を見たのでしょうか。
ああ、何ということだ!
彼は言いました。
「私は、豊かな雨の音を聞く。」
雲は、あれほどしかなかったのです。
あんな小さな雲で、どうして一国を潤すことができるでしょうか。
なぜなら、その空はあまりにも熱く、
「シュッ」と一瞬で蒸発してしまい、
水蒸気はすぐに消えてしまったはずだからです。
しかし、エリヤが最初のしるしを見た瞬間――
あの最初の、ほんの小さな、かすかな動きを見た時、
彼は言いました。
「私は、豊かな雨の音を聞く。」
それは、ただそれほどの雲しかなかったにもかかわらず、です。
72. 兄弟よ、私は信じています。まさに今この瞬間、
聖霊の力がこの部屋にあり、ここにいるすべての病人を癒すことができると。
もしあなたが、人の手ほどの雲を感じ取ることができるなら、
叫び、声を上げてこう言いなさい。
「私は、完全な癒しの音を聞く!」
神は、そうせざるを得ないのです。
しかし、もしあなたがそれを拒んで、
「私は何も受け取らなかった」と言うなら、
それは消えてしまいます。
地獄の熱い波、不信仰と疑いが、あなたの魂からそれを吹き消してしまうのです。
けれども、もしあなたが、あの小さな種のひと粒を受け取ったなら、
それの上に立ちなさい。
それはジブラルタルの岩のようなものではありません。
それは「永遠の岩」です。
そこに立ちなさい。そうすれば、あなたは
「豊かな雨の音」を感じるでしょう。
あなたは神の子です。
サタンがあなたにその苦しみを負わせたのです。
しかし、あなたは知っています。
キリストは、すでにあなたがた一人ひとりを癒しておられるのです。
73. ある罪人が祭壇に来て、こう言います。
「ブラナム兄弟、あの……私のために祈ってください。良くなりたいんです。でも、どうしても……。祈ってください。」
そして、そのまま自分の席に戻って行く。
次の晩、
「救われたい人はいますか?」と呼びかけると、
彼は立ち上がる。
「君は救われたいのかい、若者?」
「はい、そうです。」
「じゃあ、どうして救われないんだ?」
「分かりません。」
すると言うのです。
「君はただ……悪魔に捕らえられているんだ。それだけだ。
君は正しく生きたいと思っている。だが、正しく生きさせまいとする霊、力が、君を縛っているんだ。」
74. さあ、ハレルヤ、ここにそれがあります!
だからこそ、本当の神の人が「自分が誰かを癒せる」と言うことを、神は決してお許しにならないのです。
キリストが、それを成し遂げられたのは、十字架で死なれた時でした。
私は誰ひとり救うことはできません。
他の誰も、誰かを救うことはできません。
救えるのは神だけです。
そして神は、あなたを「これから」救うことはできません。
なぜなら、もうすでにそれを成し遂げておられるからです。
あなたがしなければならないことは、ただそれを受け取ることだけです。
私は二十年前に救われたのではありません。
私は、千九百年前に救われたのです。
ただ、二十年前に、それを受け取り、受け入れたのです。
もしそうでなかったなら、
私が最初の罪を犯したその瞬間に、
神は私を地の面から消し去っておられたでしょう。
なぜなら、神はそう言われたからです。
そして、神はご自分の約束を必ず守られるのです。
私は千九百年前に癒されたのです。
しかし、それを受け取らなければならないのです。
75. そして、私が十二歳の時に救われることを妨げていた、ただ一つのもの――
それは、私の上に覆いかぶさっていた霊、悪魔でした。
「もう少し待て」と、そう言い続けていたのです。
あなたが、分別の年齢に達した時に救われなかった理由も、同じです。
一つの霊です。
人混みの中にいると、その霊があなたの上を漂い、
いつまでもあなたの上に留まって、あなたを縛っていたのです。
あなたは、正しいことをしたいと思っていました。
正気を持っている人で、正しく生きたいと思わない人など、一人もいません。
しかし、正しくさせまいとする「何か」があるのです。
そうでしょう?
それが悪魔です。
ハレルヤ!
キリストは、あなたの癒しも、あなたの救いも、すでに代価を支払ってくださいました。
76. さあ、ここです。備えなさい。
主はご自分の教会に、悪霊を追い出す使命をお与えになりました。
そこにあります。
「わたしの名によって、彼らは悪霊を追い出す。」
あなたが誰かを癒すのではありません。
あなたは、その人から悪魔を追い払うのです。
そうすれば、その人は、わたしがすでに成し遂げた癒しを受け取ることができる。
その通りです。
説教者たちが壇上に立ち、福音を宣べ伝えると、悪霊は散って行きます。
すると、その人は悔い改めの場に来て、罪の示しを受け、こう言うのです。
「私は救われたい。」
説教者がその人を救ったのではありません。
彼は悪魔を追い出したのです。そうです。
そして、その人は救われたのです。
彼は来て、自分の救いを受け取ったのです。
77. 同じことが、神の癒しについても言えるのです。
今朝ここにいる病んでいる人たちよ、これを信じなさい。
あなたが新しく生まれ、神の息子、神の娘であるなら、
キリストはすでにあなたを癒しておられます。
今朝、あなたが完全に良くなることを妨げている唯一のもの――
それは、あなたの上に覆いかぶさっていて、
神がすでにそれを成し遂げられたという約束を、
あなたが心から信じて外へ踏み出すことを許さない霊です。
その通りです。
さて、これが私の使命です。
これが、神が私にお与えになったものです。
そして、神を信じるすべての福音説教者に与えられているものでもあります。
その霊を打ち破るための、力と権威です。
私は心から信じています。
今この瞬間、この場にいるすべての悪霊の力は、すでに打ち破られていると。
私はそう信じています。
今ここにいるすべての病人が、すでに今、何かが違うと感じていると信じます。
それが本当なら、
病んでいた人は手を挙げてください。
――見なさい。
あなた、どうしましたか?
その悪霊は、あなたから離れたのです。
離れなければならないのです。
「信仰は聞くことから始まり、聞くことは神の言葉による」のです。
イエス・キリストは、あなたのために死なれたのです。
78. あなたは、今すぐ癒されることができます。
それは、この使命を果たすためです。
今朝ここにいる病んでいる人たち、あるいは病を負ってここに来た人たちよ。
神の御霊があなたの上にある今、
神の御霊を感じているその間に……。
――ああ、すみません。もうずいぶん時間が過ぎてしまいました。
ここに来た時、病んでいたすべての人に、前に出て来てほしい。
私がこの使命を果たすためです。
私は、主に対してその義務を負っているのです。
そして、私の証しですが――
私は、誕生の時に神の御使いが私に現れ、
十二歳の時に使命を与えられ、
そして数年前に世に遣わされ、
これらのことを語るように言われました。
それは、世界中で反論の余地がない事実です。
悪霊ども、不信仰な者、懐疑論者、不可知論者、
現代主義者、共産主義者、その他あらゆる者たちが、
さまざまな言い方でこれを攻撃してきました。
ある者は言いました。
「それは霊媒術だ。」
別の者は言いました。
「それは悪霊の働きだ。」
また別の者は言いました。
「それは精神的なテレパシーだ。」
しかし、そのたびごとに、
全能の神が私の前に立ち、それを打ち破ってこられました。
その通りです。
どこへ持って行っても、どの国であっても同じです。
私が入ったすべての国、ほとんどすべての町で、
「それは精神的テレパシーだ」と言って、
私はそれと戦わなければなりませんでした。
そこで私は言うのです。
「それが精神的テレパシーだと思う人は、全員ここから出て行きなさい。
私のことを知っている人も、全員出て行きなさい。
そして、患者だけを連れて来なさい。」
すると、また言うのです。
「それは霊媒術だ。」
私はこう答えます。
「もし私が霊媒術によって、魂をイエス・キリストに導き、
悪霊を征服しているのだとしたら、
あなたは、あなたの持っているもので何をしているのですか。
イエスは言われました。
『その実によって、あなたがたはそれを知る』と。」
「霊媒術者が悪霊を追い出すのを見たことがありますか。
決してありません。
そして、それが事実です。」
私は言います。
「イエスは言われました。
『その実によって、彼らを知る』と。」
「この数年間、神の恵みによって、
私は三十五万人の魂をキリストに勝ち取りました。
あなたは、何をしましたか。」
79. ある男がここで私に会って、こう言いました。
「ある女の人が、あなたは――あなたは悪魔で、
あなたのしていることはすべて悪魔によるものだ、と言っていました。」
その人たちは、この教会から離れて行き、
それに引きずられて出て行った者たちも、ひとかたまりになっている、というのです。
私は言いました。
「あなたは、何をしたのですか。
実を見せてください。」
「あなたはそこから始めたが、
神はそれを根こそぎにされたのです。」
そして言いました。
「『わたしたちの天の父が植えられなかった枝は、すべて抜き取られる』とあるではありませんか。」
80. 私がこの幕屋を、この角地に建てた時のことです。
今朝あなたがたが立っているこの説教壇の真下――
そこは、かつて池だった場所で、
私はここで、石膏草や古い雑草の山の上にひざまずいて祈っていました。
その時、神は言われました。
「わたしは、これを祝福する。」
すると、偽預言者たちが立ち上がって、こう言いました。
「私は、自動車が出たり入ったりするのを見た。」
「石が、次々と運ばれて行くのを見た。」
それは、二十年前のことです。
そして今日、この場所は今もなお前進し続けています。
これからも進み続けるでしょう。
なぜなら、ここは、祈りの汗と涙、
そして神の約束の上に建てられたからです。
これは、必ず勝利します。
「この岩の上に、わたしはわたしの教会を建てる。
陰府の門も、それに打ち勝つことはできない。」
――そこにあります。
そうです。
人々の言うことに、耳を貸してはいけません。
私は、人が何も分かっていないのに語る言葉を聞くことの愚かさを学びました。
私は、ただお一人の方の声に耳を傾けます。
それは、全能の神です。
イエスは言われました。
「これからは、わたしの名によって求めなさい。
父に、わたしの名によって求めなさい。そうすれば与えられる。」
私は、それを信じています。
81. ある時、テキサス州ハーリンジェンでのことです。
私は……これを語るのを避けようとしていたのですが、
どうしても心が燃えてしまうのです。
そこに人々がやって来て、
――それは私の小さな資料帳にも残っていますが――
「FBIが来て、あの男を暴く。あれは悪魔だ」と言ったのです。
ヒューストンの少し上のあたりだったと思いますが、
そこの牧師たちが何人も集まって、
大量のビラを作り、それを講堂中にばらまきました。
そして、こう言ったのです。
「彼は魔術師シモンだ。
魔術師シモンのように、悪霊を追い出している。
それは魔術だ。」
その夜のことです。
そこでは、すでに二人の若い娘が癒されていました。
彼女たちは泣きながら証しをしていました。
すると人々が言ったのです。
「もう帰った方がいい。怖い。」
「FBIがブラナム兄弟を捕まえたらしい。」
すると、あの娘のことを見ていた一人の人が言いました。
「あなたが彼女の上に幻を見た時、
あの娘は正気に戻ったじゃありませんか。」
そして彼は言いました。
「わ、私が……もしかしたら、私が問題を引き起こしたのかもしれません。」
私は言いました。
「あなたは怖がっているんだね。」
そして言いました。
「あなたは、癒し主としての神を見たでしょう?」
「なら、戦士としての神を見なさい。
戦いの中におられる神を見なさい。
神が、戦いにおいて、どれほど偉大な戦士であるかを見なさい!」
82. そしてその夜、私は前に出て言いました。
「この集会に関わっているすべての人――
バクスター兄弟、私の同労者、癒された二人の若い娘たち、
そして、今日『あなたがたもその一味だ』と言われた牧師たち――
全員、建物の外に出てください。」
彼らは建物の外に出ました。
私は言いました。
「さて、ここに一枚の紙があります。
講堂の管理人が、外へ行って集めてきたものです。
車の上から何千枚も拾い集め、
小さなメキシコ人の子どもたちを雇って回収させたものです。」
「ここには、こう書いてあります。
『今夜、この男は魔術師シモンであり、
FBIによって暴かれる』と。」
私は言いました。
「よろしい。FBIよ。
私は今、主イエス・キリストの名によって、この演壇に立っています。
今すぐ前に出て来て、私を暴きなさい。」
「もし私が、全能の神の聖書から外れたことをしているなら、
ここに来て、それを暴きなさい。」
「どこにいるんですか?」
何千人もの人々が座っており、
会場は泣き声に包まれていました。
私は言いました。
「私はFBIを待っています。
あなたがたの配った紙によれば、
今夜、私を暴くはずだったのではありませんか。」
私はしばらく待ちました。
その時、あの霊が出て行くのを感じたのです。
私は言いました。
「それはFBIではありません。
私は犯罪者ではありません。」
「これまで、FBIの捜査官が私の集会に来るたびに、
彼らは――救われて帰って行きました。
彼らの上官であるアル・フェラー大尉でさえ、
私の集会で救われたのです。」
そして私は言いました。
「いいえ、FBIがそんなことをするはずがありません。」
83. 私は言いました。
「これは何かと言えば、背信した二人の説教者だ。」
私は見ました。
聴衆の上に、大きな黒いものがぶら下がっているのを。
それが、こうして動いて、二階席のほうへ上がって行くのを見たのです。
私は言いました。
「そこだ。そこに座っている。
一人は白いスーツ、もう一人は灰色のスーツを着ている。」
すると彼らは、こうして頭を下げました。
私は言いました。
「下を向くな!
私を暴くつもりだったんじゃないのか。
どうやら、暴かれるのは別の人のようだ。」
そして言いました。
「あなたがたは、背信した二人の説教者だ。
この働きとは何の関係もない。」
さらに言いました。
「もし私が、あなたがたの言うように、
魔術師シモンであり、魔術によって悪霊を追い出しているのなら、
そして、あなたがたが神の前に聖く正しいのなら、
壇上に降りて来なさい。」
「もし私が魔術師シモンなら、
私はここで倒れて死ぬだろう。
しかし、もし間違っているのがあなたがたなら、
あなたがたが倒れて死ぬだろう。」
「さあ、降りて来なさい。
どちらが正しいか、はっきりさせよう。」
――その通りです。
私は彼らに挑戦を突きつけたのです。
しかし彼らは、ずっと頭を下げたままでした。
私は言いました。
「そんなふうに頭を下げるな。」
そして私は言いました。
「皆さん、今、どちらが正しく、どちらが間違っているか、
お分かりでしょう。
彼らは恐れているのです。」
すると彼らは、
二階席の上のほうから、
できるだけ早く外へ出て行きました。
私は言いました。
「ああ、出て行くのが見える。
もしかすると、こちらへ降りて来るのかもしれない。」
しかし彼らは、階段を駆け下り、
建物の外へ、全力で逃げて行きました。
私はその場に立って待ちました。
そして言いました。
「さあ、見ていよう。
壇上に来させなさい。
神が、誰が誰であるかを示されるだろう。」
その通りです。
私は言いました。
「もし私が偽りであるなら、
神はそれを偽りとして明らかにされる。
しかし、もし私が正しいなら、
神は必ず、正しい方を証しされる。」
84. ヒューストンでも同じでした。
あのバプテストの説教者が、私を悪霊だと言った時のことです。
しかし、主の御使いが下って来られた時、
何が起こったか、あなたがたは見たでしょう。
それからどうなったか、分かりますか。
私たちは、彼らを二度と見ることはありませんでした。
その夜、主はハーリンジェンにおいて、
今も語り継がれている勝利を与えてくださったのです。
「わたし、主がこれを植えた。
わたしは昼も夜もこれに水を注ぐ。
だれにも、わたしの手からそれを奪わせはしない。」
85. さあ、みんな、すぐにピアノに着いてくれ。
病んでいる人、病を負っている人は、今すぐ祭壇の周りに集まりなさい。
残された時間は、あと十分ほどしかありません。
私たちは今、主イエスの御名によって、
あなたがたの周りにまとわりついている
あらゆる悪霊の力から、あなたがたを解き放ちます。
「わたしは、彼らにわたしの名と権威を与える。」
[テープ欠落]……
私はこれを試みています。
なぜなら、神が私にそうするよう定めておられると信じているからです。
私はそれを信じています。
ただ、人々がそれを信じてくれさえすればよいのです。
もし、これがうまくいかなければ、
私は、主の前に置いた“羊毛”に従って、
また元に戻り、
幻に示された通りに、
一晩に一人、二人、三人――
手が届く人だけに仕えることになるでしょう。
86. 皆さんは、私の集会に出てきました。
あなたがたは誰一人として、
それが完全でなかった場面を見たことはないはずです。
それが示すのは、あなたの罪がどこにあるか――
それだけです。
それ以上のことはしません。
癒しは、すでにあなたのものです。
それを妨げている唯一のものは、罪です。
もしかすると、あなたの生活の中で正しくない何か、
あるいは、信じることを妨げている悪霊が、
あなたの上にとどまっているのかもしれません。
しかし、もしそうでないと言うなら、
それは、イエスが間違ったことを言われた、ということになります。
イエスはこう言われました。
「信じる者には、すべてのことが可能である。」
そうでしょう?
ということは、問題は神にあるのではありません。
それは、あなたの内にあるのです。
87. もし私がここで、
「ここに――必要な人のために――一ドル札が置いてありますよ」と言ったとしましょう。
たしか、持っていると思います。……はい、ありますね。
もし、ここに一ドル札が置いてあるなら、
それは、困っている人のためにすでに備えられているということです。
そうであるなら、
取りに来さえすれば、それはあなたのものです。
私は、それ以上、何かをする必要はありません。
ここに置いたのです。
そうでしょう?
同じように、イエスは十字架で死なれた時、
すでにあなたを癒されました。
「彼は、私たちの背きのために傷つけられ、
その打ち傷によって、私たちは癒された」
――過去形です。
あとは、あなた次第です。
来て、受け取りなさい。
それは、あなたのものなのです。
私は信じています。
「わたしの名によって、彼らは悪霊を追い出す。」
私はそれを信じます。
主は以前にも、それを私に行わせてくださいました。
そして、今朝も、そうしてくださると信じています。
あなたは、そう信じますか?
88. よろしい。では、こちら側の端の人たちは、少し後ろへ下がってください。
私が祈れるように、そして私が祈り、悪しき霊を追い出す間に、
人々があの壁沿いの席へ戻れるようにするためです。
兄弟たち、こちらのほうへ詰めてください。
さあ、よく聞きなさい。
中途半端に信じたり、いい加減にやって、いったい何の意味があるでしょうか。
あの車椅子に座っていたご婦人はどこですか。
あなたです、奥さん。
なぜ、そこに座っている必要があるのですか。
イエス・キリストは、すでにあなたを完全にされたのです。
間違いありません。
少し前に、ある男性が女性の手を引いているのを見ました。
あそこに立っているあの方だと思います。
おそらく奥さんでしょう。足が不自由か、何か障害があるのでしょう。
奥さん、そのような状態でいる必要はありません。
また、ある婦人が言いました。
ここに小さな娘さんがいて、
何かがおかしく、さまざまな病気があり、
耳が聞こえず、口もきけず、目も見えない、
そういった状態だと。
しかし、そのような必要はないのです。
さあ、頭を下げましょう。
私は、あなたがたに信じてほしいのです。
89. おお神よ、私たちの天の父よ。
私は今朝、あなたのしもべとして、御前に進み出ます。
主よ、私は御言葉を宣べ伝えてきました。
それは私の言葉ではなく、あなたの御言葉です。
そして私は、あなたがここにおられ、
人々を癒し、健やかにしてくださるお方であることを知っています。
愛する神よ、私は、あなたがそれをなしてくださると信じています。
どうか、あわれみをお与えください。
主よ、これらの幻ができる唯一のことは、
人々の罪を明らかにすることにすぎないことを、私は知っています。
しかし、主なる神よ、今この瞬間、
聖霊ご自身がそれをなしてくださいますように。
どうか、一人ひとりの心の中にある妨げを、明らかにしてください。
もし、その人生の中に何かの罪があるなら、
今この時、イエス・キリストの御名によって、
それが赦されますように。
そして主よ、今日ここに集まっているこの人々が、
先日の夜の人々と同じように、
一人ひとり完全な解放を受けますように。
今朝、彼らが癒され、
水曜日の夜には、
喜びに満ち、叫び、賛美しながら戻って来ますように。
父よ、どうかそれを成し遂げてください。
今、私はあなたの御言葉の権威に基づいて、
前に進み出て、
あなたの御言葉を成就するために、
イエス・キリストの御名によって、悪霊を追い出します。
90. さて、サタンよ。
お前がこの人々を縛っていることを、私は知っている。
暗く、陰鬱で、忌まわしいものとして、彼らの上に覆いかぶさり、
「まあ、試しにやってみよう」と言っているのだ。
しかし、私はお前に語る!
私は今朝、この人々と神との間に立っている。
全能の神のしもべとして立っているのだ。
私の罪は、イエス・キリストの血によって取り除かれている。
私は、神の御子としての彼を信じる、
神からの信仰によって立っている。
そして私は宣言する。
まず聖書が宣言しており、
私は聖書が語るように語る。
彼はカルバリにおいて、
お前が持っていたあらゆる力を完全に打ち破られた。
また聖書は、
主が地上におられた時に持っておられたこの使命を、
時代の終わりまで、弟子たちが担うのだと語っている。
私はその弟子である。
ゆえに今朝、私は代表として来ている。
イエス・キリストの代理として、その働きにおいて立っている。
私は、主に代わって遣わされている。
そして、私が人々の上に手を置くたびに、
お前の力は砕かれ、
その人は自由となり、ここを出て癒される。
私は挑戦する。
イエス・キリストの御名によって、
そしてその血によって、私は立つ。
私が手を置くすべての人から、
お前は去れ。
それは、私の聖さによってではない。
私の名によってでもない。
私の名など、お前にとっては何の力もない。
私の聖さも同じだ。私は何も持っていない。
しかし、お前は私の名は知らなくても、
「イエス」という御名は知っている。
だから、お前は出て行かなければならない。
私は、お前に命じている。
私は今、挑戦に出る。
もしお前が、これらの人々の誰か一人でも縛ろうとするなら、
神ののろいがお前の上に下るように。
出て行け。
これらのクリスチャンたちから、手を離せ。
人々を悩ませ、縛り、病ませ、
病気を与えてきた、
その汚れた、忌まわしい手を離せ。
イエス・キリストの御名によって、命じる。
91. [テープ欠落]……
神の御子イエス・キリストの御名によって、
私はあなたに命じます。
その御名によって立ち上がり、
完全に良くなって家に帰り、
神に栄光を帰しなさい。
立ち上がりなさい。
皆さん、顔を上げてください。
[テープ欠落]……
全能の神よ、永遠の命の創始者、
すべての良い賜物の与え主よ。
ここに立っているこの人の上に、あなたの祝福を注いでください。
この人は知っています。
これが、自分が再び普通の人として生きられる、
人生でただ一度の機会であることを。
腰も手足もこのような状態で、
これまで松葉杖に頼って歩いてきました。
しかし彼は、家に帰り、
神の栄光を証ししたいと願っています。
ここに来るために、長い道のりを走って来たのです。
父よ、私は祈ります。
この時が、彼が心の中でこう言う時となりますように。
「他の人ができたなら、私にもできる。
あなたは、他の人たちのためにそうされたのと同じように、
私のためにも、解放するために死んでくださったのだ。」
父よ、どうかそれをお与えください。
それゆえ、この人の体を不自由にしてきた悪霊よ、
私は信仰の挑戦をもって、お前に立ち向かう。
この一騎打ちにおいて、お前に挑む。
神の御子イエスの御名によって、お前に命じる。
この人から出て行け。
92. 皆さん、どこにいても、静粛で敬虔にしていてください。
今、この兄弟はその状態にとどめられています。
少し待ってください。これは彼の責任ではありません……。
友よ、落ち着いてください。ざわつかないでください。
主の臨在が近くにあります。
内にも外にも、できる限り敬虔でいてください。
この気の毒な人は、ここに来たのです。
もし今、神が助けてくださらなければ、
彼は二度と松葉杖なしでは歩けなくなるでしょう。
これは……。
彼はここに来ましたが、
もし癒されなければ、これまで以上に悪くなってしまうでしょう。
おそらく、癒されなければ、
人に担がれて外へ運び出されなければならなくなるでしょう。
なぜなら、サタンは、
もし彼を打ち倒すだけの力を見いだすことができるなら、
徹底的に打ち倒そうとするからです。
ですから今、結果は二つに一つです。
サタンが彼を完全に打ち倒すか、
あるいは、神が彼を解放し、完全に健やかにされるかです。
さて皆さん、
ここにいる方で、
神が御子キリスト・イエスを通して、
今夜、私を用いてこの人を解放するために遣わされたと
信じる人はどれくらいいますか。
――よろしい。
では、心から敬虔にし、
頭を下げたままでいてください。
93. あなたは、心からそれを信じますか、兄弟。
この古い松葉杖を取って、車に放り込み、家に帰り、
明日はそれを肩に担いで、
あなたの町の通りを行ったり来たりしながら、
神のために証しをする――
そう信じますか。
兄弟、あなたに残されている人生を、
神の栄光のためにささげなさい。
主に仕えると約束しますか。
あなたは主に仕えるでしょう。
実は、あなたは最近、すでにそのことを考えていましたね。
(そうでしょう?)
もっと神と近く歩みたいと、考えていたはずです。
この前、あなたはこう言いました。
「もし神が私を癒してくださるなら、
私はもっと主に近く歩みます。」
――その通りです。あなたはそう言いました。
もう一つあります。
最近、あなたは車に乗っていましたね。
そして、そのことについて、誰かと話していました。
あなたは後部座席に座っていて、
前の席には一人の男性がいました。
それは本当ですか。
あなたは道を下っていて、
小さな丘を越え、右に曲がりながら、
その話をしていた。
それは事実でしょうか。
私は、あなたの心を読んでいるのではありません。
兄弟、これは神です。今、神が示しておられるのです。
そして今、あなたは、
私が語っていることを感じ始めています。
今が、あなたの解放の時です。
94. 全能の神よ、
今、あなたの臨在の力がここにあるこの時、
この人を解放するために立っておられるあなたの前に、私は立っています。
おお永遠の神よ、命の創始者よ。
あなたの祝福を、この人の上に注いでください。
私は、あなたの御子の御名によって、彼を祝福します。
主よ、イエス・キリストを通して、それをお与えください。
この人、私の兄弟の体を不自由にしてきた悪霊よ。
彼はすでに告白しました。
彼の隠されたことは明らかにされました。
彼は今、歩くためにここに立っています。
お前は、もはや彼を縛ることはできない。
彼は神に栄光を帰したいのだ。
私は、お前に挑戦する。
イエス・キリストの御名によって。
御使いを通して私に与えられた癒しの賜物によって、
神の御子イエスの御名によって、お前に命じる。
この人から、出て行け。
――さあ、出て行った。
皆さん、どこにいても、頭を下げたままでいてください。