神は彼の賜物を証しする
ハモンド インディアナ州 アメリカ合衆国
説教番号: 52-0713E
日付: 1952年7月13日(52-0713)
1. ああ、今、私の心は何と満たされていることでしょう。
天の父なる神様、私は心のすべてをもってあなたを愛しています。
あなたの御霊が、この建物の中を確かに動いておられます。
私の魂は、まるで引き上げられていくかのようです。
エホバなる神よ、今ここに来て立っておられるお方よ。
あの火の柱の姿で現れておられるあなたを、
この世は否定することができません。
人々はそれを見ています。
それは科学的にも証明され、教会もそれを信じています。
神よ、あなたは毎晩語られ、
これが真理であることを、はっきりと証明しておられます。
私たちはこの世にあっては取るに足らない者で、
しばしば見下される存在かもしれません。
しかし神よ、私たちはキリスト・イエスにあって
確かに受け入れられていると信じています。
そして主は、その恵みによって、私たちに聖霊を与えてくださいました。
私たちはこのお方を愛しています。
三位一体の第三の位格であり、
私たちの心の奥深くを燃やしてくださる聖霊を、
私たちは心から愛しています。
聖霊様、あなたの尊い導きに感謝いたします。
そして、どのようにして私をこのハモンドへ導いてくださったか、
そのすべてに感謝します。
神よ、昨夜のあの大きな出来事の中で、
どうかあの若い女性を祝福してください。
彼女を用い、あちらの地で、
失われた魂を次々とあなたのもとへ導く者としてください。
それをお与えください、主よ。
今夜、どうか降りて来てください、主よ。
そして今夜が、計り知れないほど豊かに満ちあふれる夜となりますように。
私は、真理である事柄から、ほんのわずかなことを語ったにすぎません。
しかしあなたは、それが確かに正しいことを示してくださいました。
神よ、これが、
神のさばきが下る前の、
私にとって最後のハモンド訪問となるかもしれません。
けれども、もしそうであるなら、
私は自分にできる限りの声をもって、
すべての人に語り尽くしました。
そしてあなたご自身もまた、
私が語ったことが真理であると証ししてくださいました。
神よ、これらすべてを、ここから先、あなたにお委ねします。
私はこの集会、今週の残りの期間を通して、
あなたに仕え、あなたが語られたいと願われるように語るため、
自分にできるすべてを尽くして進んでまいります。
どうか、ここにいる一人ひとりを祝福してください。
今から一週間後、日曜の夜が来る時、
私たちの中に、弱っている者が一人もいませんように。
それをお与えください、主よ。
あなたの御子イエスの御名によって、お願いいたします。
アーメン。
2. 先ほどバクスター兄弟から伺いましたが、
皆さんが今日の午後、あるいは今夕、
私のために愛の献金を取ってくださったとのことでした。
正直に申し上げて、私はそれを受けるに値する者ではありません。
それでも、心の底から感謝いたします。
本当にありがとうございます。
そして、神の恵みによって、私は皆さんにお約束します。
先ほど午後にもお話ししましたが、
私はここ七か月間、集会を持たずに過ごしてきました。
その間にも、もし…
ビリー・ポールも家族を持っており、
私の生活費や諸経費は、正直なところ非常に大きなものです。
3. ですから、そのことを心から感謝いたします。
そして私は、与えられたそのすべてを、
自分の知る限りにおいて、一セント残らず、
神の栄光のために用いることをお約束いたします。
そしてそのお返しとして、
皆さんがこのような心で行ってくださったすべてのことに対し、
神が百倍の祝福をもって報いてくださるよう、私は祈ります。
神は、必ず皆さんに報いてくださると、私は確信しています。
4. そして、私たちの負債がすべて返済でき次第、
手元に残る一銭一銭を、小さな基金として積み立てます。
そしてそれが整い次第、まっすぐに南アフリカへ、
さらにインドへと向かい、
許される限り、できるだけ遠くまで出て行くつもりです。
できるだけ早く必要な資金を整え、
アフリカに福音のメッセージを携えて行きたいのです。
私たちはアフリカを愛しています。
なぜなら、最後に行った六週間の集会で、
十万人もの回心者が起こされたからです。
そのうちの一日だけで、
三万人がイエス・キリストを個人的な救い主として受け入れました。
一日で、三万人です。
皆さん、それを聞いてうれしくありませんか。
考えてみてください。
三万人というのは、
ペンテコステの出来事の十倍にあたります。
そうでしょう?
ペンテコステでは二千人…[不明瞭箇所あり]
しかし、ここでは一日に三万人、
それが一週間続いたのです。
これは本当に驚くべきことではありませんか。
このようなことは、世界の歴史において、
一度も繰り返されたことがなく、
かつて起こったこともありません。
ですから、私たちが集める小さな小銭一つひとつが、
どこに使われているのかを、私たちははっきり知っています。
私はそれを自分自身で確認しています。
そのすべてが、純粋に福音のためだけに用いられていることを、
確かにするためです。
なぜなら、私は人々に対して責任を負っているからです。
そして私は、できる限りのことをして人々を助けたいと願っています。
それが、私がこの地上に遣わされている使命――
一人ひとりを助けることなのです。
5. 今夜、もし何か方法があるなら……
ここから下に降りて行って、
あそこに横たわっている、床に伏した二人の女性のところから
始めたいと、心から願っています。
ここには、小さな手押し車に乗って聖書を持っている男性がいます。
車椅子に座っている女性もいます。
あそこには松葉づえが置かれていて、
手足が萎えてしまった女性もおられます。
そして上の方には、
あの押し車に乗った二人の少年が座っています……[不明瞭箇所]。
ああ、どれほど願うことでしょう。
ただ下に降りて行って、こう言えたなら、と――
「見てください。神は私を召し、
癒しの賜物を与えてくださった。
だから、あなたに手を置くだけで、
足の不自由な人を歩かせ、
盲人の目を開き、
耳の聞こえない人を聞こえるようにできるのだ」と。
そうできたら、どんなによいでしょう。
しかし、今夜、神はそのようなものを私に与えてはおられません。
それはカルバリにあるものです。
それはイエス・キリストによるものであって、
私のうちにあるものではありません。
もしそれが私自身にあるものだったなら……
私は、行けるところならどこへでも行っていたでしょう。
私は人々を愛しています。
かつて、私には友だちが一人もいなかった時期がありました……。
来週の日曜の午後か夕方、
もし神のみこころなら、
私の人生の証しをお話ししたいと思っています。
そうすれば、私が少年時代、
本当に友だちのいない子どもだったことが、
皆さんにも分かるでしょう。
6. 私は若い頃、酒を飲むこともせず、
芝居や娯楽の場所に出かけることもありませんでした。
本当に、目立たない存在でした。
いわば、壁際に立っているような人間だったのです。
周りの人たちは皆、
煙草を吸い、踊り、騒ぐことを楽しんでいました。
では、私は彼らにとって何だったでしょうか。
……そういう存在だったのです。
そして私が回心し、教会の一員となると、
今度は人々から
「狂信者だ」とか、
「時代遅れの人間だ」などと言われるようになりました。
[一部不明瞭]
しかし、先ほど午後にもお話ししたように、
ここ数年になって、
私はようやく、神を愛し、神を信じる人々と出会うことができました。
それも、私と同じように信じている人々です。
神は神であられる――
昨日も、今日も、そして永遠に変わることのないお方であると、
そのように信じている人々です。
7. そして、そのように主を愛する人々と共に、
主とお会いできること――
それはまるで、手にぴったり合った手袋のようなものです。
自然で、違和感がなく、心にしっくり来るのです。
私は、人々を心から愛しています。
だからこそ、こう祈るのです。
「神よ、私は何をすればよいのでしょうか」と。
皆さんが日々働きに出ている間、
私はどこかで、
皆さんのために祈っているかもしれません。
神に願い求めているのです。
どうか、もっと多くの恵みを与えてください。
そして、
何らかの形で人々を助けることができるよう、
さらなる力と強さをお与えください、と。
今は、そのことを十分に理解できないかもしれません。
しかし、あの日――
すべての冠が授けられるその時、
私は、皆さん一人ひとりの頭に
冠が置かれていくのを見るでしょう。
そして私は、少し後ろに立ち、
喜びの涙を流し、むせび泣くことでしょう。
皆さんが、最後までたどり着いたことを知るからです。
その時、私はこう期待しています。
主が振り向いて、皆さんにこう言われるのを――
「彼は、あなたのために祈っていた。
できる限りのことを、すべて行ったのだ」と。
分かりますか。
それは、私にとって、
何にも代えがたいほど尊いことなのです。
もしかすると、
これは誤解を招く言い方に聞こえるかもしれません。
「ブラナム兄弟、それは行き過ぎではありませんか」と
思う人もいるでしょう。
しかし私は、これらのことが必ず実現すると信じています。
私たちは主とお会いするのです。
主はイエスです。
地上におられた時と同じイエス――
食べ、飲み、共におられた、あの同じ主です。
そして私は信じています。
私たちも今と同じ姿で、
ただし、もはや死ぬことのない者として――
「この朽ちるものが、朽ちないものを着る」のです。
8. 改めて、皆さんの献金に対して、
魂の底から感謝いたします。
本当にありがとうございます。
私は、神の栄光が現されるよう、
自分にできる限りのことを行うつもりです。
今、私は最善を尽くして、
再びその働きの場へ戻ろうとしています。
先ほど午後に、幻についてお話ししましたね。
私は、どこかで大きな集会を持つことになると確信しています。
それはおそらくインド、ボンベイの近くだと思います。
そこには三十万人もの人々が集まるでしょう。
その集会で、何人が救われるのか――
それは分かりません。
しかし、おそらく十五万人、
あるいは二十万人ほどが回心するのではないかと思います。
そして、今日の午後と今夜に残された、
小さな余りのすべては、
その目的のために用いられます。
その日、
神が皆さん一人ひとりに、
行ってくださったすべてのことに対して
報いてくださいますように――
それが、私の祈りです。
9. さて、今夜はこの建物の中も暑く、
もう間もなく九時になります。
本来なら、ここに用意していた聖書箇所から
少しお話しするつもりでした。
しかし今、聖霊が私に
「それはせずに、祈りの列を始めなさい」と
語っておられるように感じます。
ですから、これから病んでいる方々のために
祈りを始めたいと思います。
昨夜は、神が私をこのハモンドに遣わされた、
特別な集会の夜でした。
皆さんも、そのことを理解しておられると思います。
そして、それ以降、御霊の働きは……[不明瞭箇所]
すべてが変わりました。
今は、まったく別の段階に入っています。
これから来る一週間は、
過ぎ去った一週間を、はるかに上回るものになると
私は信じています。
本当に、そう信じています。
それでは、祈りましょう。
神に助けを求めましょう。
お願いし、信じるなら、
神は必ず働いてくださいます。
それでは皆さん……
今から次の日曜の午後までの間は、
おそらく、語ることはごくわずかになるでしょう。
10. 実は今日の午後、レストランでも、
一人の人に出会いました。
少し前まで、そこに座っていたのですが、
そのレストランの中で、
主の御使いが非常に近くにおられるのを感じました。
私の真正面に、一人の男性が座っていました。
その人は私のことを知りませんでしたが、
私は、彼が何に苦しんでいるのかが分かりました。
そして、ふと目を向けると、
そこに座っていた一人の女性の上を、
幻がはっきりと通り過ぎていきました。
その時、若い牧師の友人が私のところに来ましたので、
私は彼にこう言いました。
「トムズ兄弟、今この時、
主の御使いが本当に近くにおられますよ」と。
分かりますか。
それから私は、妻を連れてそこを出て、
ただ車であちこち走り回っていました。
その場を離れ、
少し前まで外で待っていたのです。
集会に入って来て、
礼拝の備えをするためでした。
今はもう……
何かを考えたり、
あれこれする余裕はほとんどありません。
ほんの一言、二言でさえ、
それがこの臨在を失わせてしまいそうに感じるほどです。
私は、今夜、
神がその御子イエス・キリストを
大いに現してくださることを、
心から願っています。
11. それでは……
どうしても、この聖書箇所だけは読ませてください。
私は毎晩、必ず聖書朗読をしたいと思っています。
というのも、皆さんがそれぞれのご家庭で、
毎日少なくとも一章は聖書を読み、
そして祈るようになってほしいと願っているからです。
いいですか。
いつも、そうしてください。
それが、昔ながらの、
本当の意味でのクリスチャン家庭です。
そして神は、私たちが今のアメリカにおいて、
原子爆弾よりも、
もっと必要としているものが
まさにそれであることをご存じです。
私たちにとって最も必要なのは、
神の愛と力によって囲まれた「砦」です。
それは、どんな原子力よりも、
はるかに勝るものです。
そう思いませんか。
――祈りです。
さて、それでは。
ヘブル人への手紙、第11章、4節から読みます。
今は、ただ御言葉として、朗読させていただきます。
「信仰によって、アベルはカインよりも優れたささげ物を神に献げました。
そのことによって、彼は義と認められたという証しを得たのです。
神が、彼のささげ物について証しされたからです……」
――
神が、その賜物について証しされた。
12. ここに、今夜が初めての方はどれくらいおられますか。
初めて来られた方、どうぞ手を挙げてください。
……ああ、何百人もおられますね。
さて、バクスター兄弟から聞いていますが、
通常、私たちの集会では、
ボズワース兄弟か、あるいはバクスター兄弟のいずれかが、
聖霊の働きについて、
皆さんに分かりやすく説明をしています。
本来であれば、私はその説明を省いて、
そのまま壇上に上がり、
集会を始めるところです。
しかし……
実は、つい先週、私は彼らにこう言ったのです。
「なぜ自分がハモンドにいるのか、分からない」と。
けれども今は、分かりました。
それで、しばらくの間、
私自身が話をしていました。
語る中で、
何かを見いだすことができるかもしれない、
どこにその理由があるのかを、
はっきりつかむことができるかもしれない、
そう思ったからです。
そして、それが分かり、
神の御名があがめられました。
ですから、これから先は、
運営に当たっている兄弟たちが語るようになります。
私は、病んでいる方々のために祈ることに専念します。
毎晩、
もしかすると短く聖書を朗読し、
それからすぐに、
病人のための祈りを始めることになるでしょう。
13. さて、愛するクリスチャンの皆さん。
まずはっきり申し上げますが、
私は神癒し主ではありません。
どの人間もそうではありませんし、
医師であっても同じです。
癒しはただ一つ、神から来るものだけです。
皆さんも、そう信じておられますね。
では、少し説明させてください。
今、すべての病気は……
直接的、あるいは間接的に、
罪によってもたらされたものです。
これは、必ずしも
あなた自身の罪という意味ではありません。
親の世代の罪、
受け継がれてきたものによる場合もあります。
それがあり得ると思われますか。
神はこう言っておられます。
「わたしは父の咎を、子に、また子の子に、
三代、四代にまで及ぼす」と。
そう書かれていますね。
ですから、病はそこから来るのです。
実際、罪が存在する前、
病気は存在しませんでした。
罪が入る前には、
病もなかったのです。
では、これを少し分かりやすく、
一つの例で考えてみましょう。
たとえば、ある病気――
腫瘍や、がんを例に取ります。
多くの場合、腫瘍は悪性化して、
がんになります。
ここで、少し立ち止まって、
よく聞いてください。
これから祈りを受け、
癒しを願っている皆さんのためにお話しします。
14. さて、がんについてですが――
まず「がん」というのは医学用語で、
語源は「カニ(crab)」を意味する言葉から来ています。
「足がたくさんある」という意味です。
がんには、さまざまな種類があります。
赤いがん、肉腫(サルコーマ)のがん、
その他にも多くの種類があります。
たとえば「ルゴース(rugose)型のがん」は、
主に女性の乳房にできるもので、
まるでパンケーキを何枚も重ねたように、
盛り上がって広がっていきます。
肉腫のがんは、
おそらくその中でも最も悪性のものの一つでしょう。
では、ここで
「がんとは何か」を見てみましょう。
まず第一に、
それは「増殖したもの」、つまり「成長物」です。
よろしいですね。
それは一つの「小さな体」です。
しかし、その体になる前に、
まず「細胞」にならなければなりません。
そして、その細胞が増え、発達していって、
初めて「体」になるのです。
では、ここで一つ、
皆さん自身のことを例に考えてみましょう。
皆さんも、かつては、
私もそうでしたが、
本当に小さな、目にも見えないほどの
小さな種のような存在でした。
皆さんも同じです。
そして、正しい結婚を通して、
人としての成長の場に置かれた時、
その小さな小さな細胞――
人の目では見えないほど小さな細胞が、
そこから成長を始めました。
顕微鏡で見ると、
それは細い糸のように見え、
その中央に、
やがて一つの結び目のようなものが現れます。
それが背骨となる部分です。
そこから、
皆さんが最初に持っていた
そのたった一つの小さな細胞が、
自らを増やし始め、
細胞の上に細胞を重ねるようにして成長していきます。
そして、聖書が語るとおり、
「それぞれの種は、その種類に従って」実を結びます。
鳥は鳥を生み、
犬は犬を生み、
人は人を生みます。
すべては、
それぞれの種に従って――です。
15. そして病気も、同じ原理なのです。
肉腫は肉腫として、
赤いがんは赤いがんとして、
またその他のさまざまな増殖したものも、
それぞれ自分の「種類」に従って成長していきます。
では、少し戻って考えてみましょう。
私たちは最初、
ほんの小さな存在として始まりました。
やがて成長し、
最初はレモンほどの大きさになり、
そして九か月を経て、
通常の赤ちゃんとしてこの世に生まれてきます。
そこから細胞は発達を続け、
ついには、
あの一つの小さな細胞が、
今日ここにいる
あなたという存在にまで成長したのです。
皆さん、それは事実ですよね。
間違いなく、そうなのです。
16. では今度は、
皆さん自身を例に取って、
少し「診断する」ように考えてみましょう。
そうすれば、
もう一方――つまり病の正体が、
よりはっきり見えてきます。
今、皆さんを一つ一つ分解していくとします。
細胞を一つずつ、
さらにその細胞を分けていくと、
ついには、
あの小さな「一つの種」のような存在に戻ります。
では、その「種」とは何でしょうか。
それが、次の問いです。
そこまで戻りましたね。
さらにそれを細かく見ていくと、
「種」とは、
ごく小さな一つの細胞であることが分かります。
それは存在する細胞の中で、
最も小さいものです。
それは自然の一部ですから、
見ることはできます。
しかし、光を通したレンズが映し出せるのは、
その小さな細胞が、
ほぼ限界なのです。
さて、その「種」は生きています。
そして、もしその
「最後の細胞」をさらに越えて行こうとするなら、
そこにはもう
「光」があります。
それは、霊の領域に入るということです。
では、がんはどうでしょうか。
がんもまた、
母の胎内で人が成長するのと同じように、
体の中で成長していくのです。
17. たとえば、ここに私の手があります。
今のところ、ここにはがんはありません。
けれども、将来どうなるかは分かりません。
では、がんは何によって起こるのでしょうか。
一つの原因として、
打撲――つまり強くぶつけることが、
がんのきっかけになる場合があります。
傷ついたその小さな細胞は、
正常な状態から外れてしまうのです。
――言ってみれば、「後戻りする」のです。
これは、バプテストにとっては
少し大きな言葉かもしれませんね。
しかし、実際に起きていることは、まさにそれなのです。
それは教会でも同じです。
教会の中に、
霊的に後戻りしてしまった人がいると、
注意しなければ、
その影響が全体に及んでしまいます。
体も同じです。
その細胞が傷つき、
本来の秩序から外れてしまう――
それが起こるのです。
18. さて、サタンについてですが……
今、この手の中には、がんの細胞は一つもありません。
けれども、何らかの原因によって、
そこにがんが入り込むことはあり得ます。
それは、体の内側かもしれません。
女性の腺、胃、肺、
あるいは、どこであっても起こり得ます。
しかし、どの場合でも、
最初は必ず、
ごく小さな一つの細胞から始まります。
そして、その細胞が存在するためには、
やがて「光」に現れてこなければなりません。
もしそのがんが、
体の内側にある腫瘍や、
白内障、あるいは何らかの増殖したものだとするなら、
それはあなたの命とは別の、
ごく小さな「いのち」が、
細胞を発達させながら成長しているということです。
今、その腫瘍やがんが、
これくらいの大きさになっているとしましょう。
では、それは何をしているのでしょうか。
成長しているのです。
細胞を増やしながら、発達しているのです。
つまり、それは生きているのです。
皆さんも、そう思われますね。
では、それは何なのでしょうか。
その背後、そのもっと下に目を向けると、
それは「がんの種」から来ていることが分かります。
それは、がんのいのちであり、
ブラナム兄弟は、
それを「悪しき霊の働き」と理解しています。
私は、この点について、
これを神の御言葉から外して、
「それは真実ではない」と言える人がいるなら、
ぜひ聞いてみたいと思います。
19. よく聞いてください。
聖書には、こう書かれています。
「耳が聞こえず、口のきけない霊が、その人から出て行った」。
たとえば今夜も、
ここ壇上で証しをした女性や、
他の場所におられる方々のように、
耳が聞こえず、話すことのできない人がいます。
その人は、
「うー、うー」と声を出すことしかできません。
耳も聞こえず、言葉も出ない状態です。
さて、医師はその人をレントゲンにかけます。
すると、
たとえば骨がずれていたり、
声帯や聴覚に関わる神経の上に
何かが圧迫しているのが見えるかもしれません。
その神経が、
まるで電線の接地が切れたように、
エネルギーを遮断されている状態です。
医師はそのレントゲンを見て言います。
「分かりました。ここです。
手術をすれば直ります。
この骨を元の位置に戻せばいいのです」。
そうすれば、
エネルギーが再び流れ、
その人は聞こえるようになり、
話せるようになります。
それが事故や外傷によるものであれば、
医学的な処置で説明がつきます。
しかし、
もし医師が調べても、
何も見つからない場合はどうでしょうか。
その時、医師はこう言います。
「原因は分かりません。
ただ、耳が聞こえず、口がきけないのです」。
20. そこで私は、こう問いかけたいのです。
では、その女性が耳が聞こえず、
話すことができなくなった原因は何なのでしょうか。
医師はこう言います。
「鼓膜につながる神経のエネルギーが、
どこかで遮断されているのです」。
それは、たとえば――
私のこの手のまわりに、
目には見えない透明な帯が
ぐるりと巻きついているようなものです。
見えないけれど、
そのままにしておくと、
やがて手はこわばり、
色が悪くなり、
痛みを覚えるようになります。
しばらくすると、
この指に大きな傷ができたとしましょう。
医師が来て、それを包帯で巻きながら、
こう言うのです。
「ブラナム師、
腕をレントゲンで調べましたが、
ここから先の神経は、
もう死んでしまっています」。
そこで私は尋ねます。
「先生、
なぜ神経が死んでしまったのですか」。
すると医師は答えます。
「分かりません。
そこに特別な理由は見当たりません。
私には理解できないのです」。
21. それと同じことが、耳にも起こるのです。
体全体が死んだわけではありません。
では、なぜ耳だけが働かなくなったのでしょうか。
なぜ声帯のところだけが止まってしまったのでしょうか。
何が、それを起こしたのでしょうか。
それについては……
説明ができないのです。
それは、人の知識の及ばない領域だからです。
私には、それを説明することができません。
なぜなら、医師が扱えるのは、
五つの感覚――
目で見えるもの、
手で触れられるもの、
それだけだからです。
医療の世界は、
見えるもの、触れられるもの、
感じ取れるものを対象に働きます。
それ以外のものについては、
見ることも、触ることもできません。
ですから、何を対象にすればよいのかが分からないのです。
さて、ここに一つの事実があります。
この人は、耳が聞こえず、話すことができません。
そして、それを物理的に妨げているものは、
何も見当たりません。
では、何がそれを起こしたのでしょうか。
友よ、ここで私は、
神の御言葉の光の中でお話しします。
そこには、目に見えない力があります。
それは悪しき霊の働きです。
レントゲンには映りません。
しかし、それは確かに存在し、
神経のエネルギーを遮断しているのです。
それは超自然的な存在であり、
耳の鼓膜に向かう働きを止め、
そのエネルギーを断ち切っているのです。
22. さて、神癒しという観点から言うなら、
信仰の祈りが、この目に見えない力を動かします。
そして、もし自然が本来の働きを取り戻すなら、
耳の鼓膜は再び活性化し、
その人は聞こえるようになるのです。
イエスは、それを
「耳が聞こえず、口のきけない霊」と呼ばれました。
皆さんは、イエスが正しかったと信じますか。
イエスは、ご自分が何を語っておられるかを
よくご存じだったと思いませんか。
もちろん、そのとおりです。
さて、がんについても見てみましょう。
白内障は目に起こるものです。
がんというものは、
いわば「掃除屋」のような存在です。
地上の掃除屋が
死んだものを食べるように、
がんもまた、
不純なもの、死んだものを食べます。
地上のものは、
天のものの型(ひな型)です。
まさに、そのとおりです。
がんは、
不純なもの、死んだ組織を食べ、
食べながら命を奪っていきます。
血を吸い取りながら、
人を弱らせていくのです。
では、ここをよく見てください。
ここに、
神によって定められた「命の種」を持つ人がいます。
その命の種――
一つの小さな細胞から始まった命が、
あなたという存在を生み出しました。
ところが、その体の中に、
これくらいの大きさのしこりがあるとします。
それは、
あなたの命とはまったく別の、
もう一つの命の集まりです。
それは、あなたの体の中で生き、
血を吸い取り、
命を奪っていく存在です。
それは、人を殺すものなのです。
23. では、それをあなたに与えたのは誰でしょうか。
愛に満ちた天の父なる神が、
そのようなものをあなたに与えられるはずがありません。
それは悪しき者から来たものです。
そして神の御言葉は、
それが悪しき霊の働きであることを、
はっきりと宣言しています。
では、神癒しとは何をするのでしょうか。
神癒しは、
時に「奇跡」として現されます。
確かに、そうです。
私は、
疑う人がいれば誰にでも見せることのできる、
新聞の記事を持っています。
私の書いた本を手に取って、
シカゴ・サン・タイムズ紙に連絡していただいても構いません。
それが事実かどうか、
直接確かめることができます。
その時、
記者たちは壇上に立ち会っていました。
ある人の顔にがんがあるのを、
彼らは実際に見ていたのです。
私が祈り、
そのがんを戒め、
主イエスに癒しを願った時、
そのがんは変化し始めました。
赤く、生々しく、
血のにじむような状態になったのです。
――それは報道されています。
どうぞ、確かめてください。
書いて問い合わせてもいいですし、
直接話を聞いてもいいのです。
その後、
それは黒く変わり、
乾いて、
そして剥がれ落ちました。
それは、
私の足元に転がり落ちたのです。
その場にいた新聞記者は、
それを目の前で見て、
こう言いました。
「少し、そのまま動かないでください」。
そして写真を撮り、
その記事は、
国中に広がっていきました。
24. 今、お分かりでしょう。
今お話ししたような出来事――
それは「奇跡」です。
しかし、癒しの場合は少し違います。
たとえば、ここに悪性のがんがあるとします。
それが体の中に存在している。
そこで私たちは、あなたのために祈ります。
できる限りのことをし、
ほかの人々も共に祈ります。
では、その時、何が起こるのでしょうか。
それは、
がんがそのまま成長し続けるということではありません。
医師がそれを切除できるのであれば、
それはとても良いことです。
根まできちんと取り除くことができるなら、
それでよいのです。
それは医師の務めです。
そのために医師は訓練を受け、
そのために学校があり、
病院があるのです。
そして、それもまた、
神が私たちに与えてくださった
「知識の木」による恵みなのです。
人を助けるために、
何かをすることができるように――
神はその知識を与えてくださいました。
25. もし腕を骨折したなら、
医師のところへ行き、
その腕を正しく整えてもらうのは当然のことです。
そしてその上で、
神に癒しを求めて祈るのです。
それが正しい順序です。
しかし、ここで考えてみてください。
もし、そのがんを
医師が切除できないとしたらどうでしょうか。
根が四方に広がっていて、
取り除くことができない場合です。
その時に残されているのは、
ただ一つ――
全能の神だけです。
現時点では、
その「種」そのものを完全に滅ぼす薬は
まだ見つかっていません。
私は、神がいつか、
それを見いだす知恵を
人に与えてくださると信じ、祈っています。
では、
神癒しの場合、何が起こるのでしょうか。
神癒しにおいて取り扱われるのは、
がんという「形」そのものではありません。
その体の中にある
がんの「命」 です。
最初に成長を始めた、
あの種の中にあった命――
その命が、
イエス・キリストの御名によって戒められ、
取り去られるのです。
すると、
その体(形)は、
しばらくの間、
そこに残ることがあります。
たとえば――
ここに座っておられるこの女性を、
仮に一つの例として考えてみましょう。
もし私が、
神の癒しという方法で
彼女をこの地上から取り除こうとしたなら、
彼女の「命」を呼び出すだけで、
体はその場に倒れるでしょう。
体は、今と同じように
そこに残ります。
しかし、どうなったでしょうか。
その人は、命を失ったのです。
同じことです。
十分な時間が経てば、
その体は、
もはや活動を続けることはできません。
26. さて、祈りを受けた患者さんに、
最初に起こることは何でしょうか。
多くの場合、
すぐに体が楽になったように感じます。
気分がよくなるのです。
「感謝します、主よ。
ブラナム兄弟、
長い間食べられなかったのに、
今は何でも食べられます」
――そう言われることがあります。
しかし、ここで少し注意が必要です。
ほんの少し、立ち止まってください。
通常の経過として、
こうした状態は、
およそ七十二時間ほど続くことがあります。
ここにおられる多くの方は、
そのことをご存じでしょう。
ここで一つ、例えを出します。
ここに、狩りをする方はおられますか。
野生の獲物を狩ったことのある方、
手を挙げてください。
……はい、結構おられますね。
では、
今日シカを仕留めて、
「このシカはこれくらいの重さだ」と
仲間に話したとします。
でも、翌朝、
そのシカをはかりに乗せる時には、
同じ重さにはなっていません。
そうですよね。
肉屋さんがここにおられても、
あるいは葬儀に関わる方がおられても、
同じことをご存じのはずです。
27. 人の体というものは……
たとえば、義眼や入れ歯などがある場合、
それらは取り外されます。
なぜなら、体は最初の約七十二時間の間、
縮み始めるからです。
だんだんと、小さくなっていくのです。
しかし、一定の時間が過ぎると、
今度は逆に、体は膨らみ始めます。
それは、体が変質し、
衰えていく過程に入るからです。
道ばたに倒れている小さな動物を
思い浮かべてみてください。
車にひかれて死んだ動物が、
そのまま太陽の下に
七十二時間ほど置かれていると、
最初よりも重くなります。
体重が増えるのです。
人の体も同じです。
衰えが始まると、
体は膨らみ、重くなっていきます。
これは動物でも、
人でも、
どんな肉体でも同じです。
人の肉であれ、
他の生き物の肉であれ、
衰え始めると、
必ず膨張していくのです。
28. 多くの場合――
十のうち九つは、
患者さんがその後どうすればよいかを
きちんと教えられていないために、
そこでつまずいてしまうのです。
「とても楽になりました。
本当に気分がいいです。
素晴らしいです」
そう言われます。
ところが、
およそ七十二時間ほど経つと、
体の具合が悪くなり始めることがあります。
気分がすぐれなくなり、
こう言うのです。
「癒しを失ってしまった。
ブラナム兄弟は
『主の御名によって』と言ったはずなのに……」
しかし、それは――
癒されている一番よいしるしなのです。
なぜなら、
その“原因となっていたもの”が
すでに死んでいるからです。
死んだものは、
やがて膨らみ始めます。
考えてみてください。
もし、
私の手ほどもある肉の塊が
体の中にあり、
それが内部で腐敗し始めたとしたら、
どうなるでしょうか。
血液は、
その不純物や感染を
体の外へ運び出そうとします。
そのために、
発熱やだるさが起こることがあります。
皆さんも、それをご存じですね。
血液の流れは、
体を清めるためにあるのです。
神は、その目的のために
血液という仕組みを
私たちの体に与えてくださいました。
それなのに、人は言います。
「癒しを失ってしまった」と。
いいえ、兄弟姉妹。
その時こそ、癒しが起こっているのです。
ところが、
その途中でつまずき、
疑いを抱いてしまうと、
こう言ってしまうのです。
「神様は、
私を正しく扱ってくださらなかった」
――そのように。
29. 不信仰を取り除いたその信仰は、
もう一度、あなたを立ち上がらせます。
ですから、
イエス・キリストの側に立つと決めたなら、
その場所に留まりなさい。
そして、その信仰に生き切るのです。
神が語られたことは真理です。
それ以外のものを恐れる必要はありません。
サタンには、
あなたの癒しについて
何一つ口出しする権利はありません。
彼と議論してはいけません。
言い争ってもいけません。
ただ、無視して、立ち去りなさい。
もし相手にすると、
彼は昼も夜も、
あなたを巻き込もうとします。
彼はこう言うでしょう。
「お前は癒されていないだろう」。
その時、
「いや、サタン、聞いてくれ」と
言い返してはいけません。
ただ、こう言えばいいのです。
「立ち去れ。
私はお前の話など聞かない」。
そして、そのまま歩き続け、
こう言いなさい。
「ありがとうございます、主よ」。
それでいいのです。
何も気に留める必要はありません。
30. さて……
医師は、あなたの体について、
解剖学的なことを説明することができます。
しかし、私は――
私の働きは、霊の領域にあります。
それが、私の仕えている分野です。
私の人生の大きな部分は、
この世の人々がほとんど知らない、
別の次元の中で営まれています。
私はそれを、主の御名によって語っています。
人々は、それを理解できません。
無理もありません。
説明しようとしても、
説明のしようがないのです。
私は、誰一人として癒したことはありません。
これまでも、
そしてこれからも、
誰かを癒すことはありません。
それは、他の誰であっても同じです。
なぜなら、
神ご自身がこう言っておられるからです。
「わたしは、あなたのすべての病を癒す主である」。
ですから、
病院で起こる癒しも、
それは神から来る癒しです。
どのような形であれ、
癒しが起こるとすれば、
それは必ず神から来るのです。
もしそうでないとするなら、
神が誤ったことを語られた、
ということになってしまいます。
しかし、そうではありません。
癒しは、神から来るのです。
それが、
あなたの信仰にかかっているのです。
ですから、
今、よく注意して聞いてください。
31. 私が皆さんを助けるためにできることは、
ただ一つだけです。
それは、神から与えられた聖なる賜物によるものです。
その賜物は、
私が生まれて間もない――
ほんの数分しか経っていない時に、
神によって与えられたものでした。
実は、
私の母が、たしか来週こちらに来る予定です。
できることなら、
壇上に上がってもらい、
その時に起こったことを
証ししてもらいたいと思っています。
あの日の朝に、
何が起こったのか――
母自身の口から、
皆さんに語ってもらいたいのです。
私には、
とても優しい、年老いたアイルランド人の母がいます。
そして、このことは、
私自身が何かをしたわけではありません。
神がなさったのです。
それは、
私のために与えられたものではありません。
私を通して、
ここにいる皆さんのために
働くためのものです。
主は、
それを至るところで確証してくださいました。
ですから、
皆さんがこれを迷信のように受け取らないためにも、
私にできることは一つだけです。
それは、
私が見せられることを、
そのまま語ること――
それだけなのです。
32. たとえば、今この時、
もし私がフィラデルフィアの街角に立っていたとしましょう。
私は自分が意識を保っていて、
通りに立っていることを分かっています。
それでも、こんなふうに語ることがあるかもしれません。
「私は、ある講堂を見ています。
人々が集まっていて、
暑い夜で、
皆が扇いでいます。
青いシャツを着た一人の男性が
私の前に立っています。
その人は、
何か小さな椅子のようなものに座っていて、
誰かに押されて動かされているようです。
そして、
聖書を手にしています……」
――それだけです。
その光景が、
そのまま私から離れていくこともあります。
すると私は、
今ここに立っているのと同じくらい自然に、
こう言うでしょう。
「どこかで講堂を見ました。
こんな様子でした……」
それ以上でも、それ以下でもありません。
私が語れるのは、
ただ自分が見たことだけなのです。
それは、
全能の神から与えられた
聖なる賜物によるものです。
言葉でうまく言い表すのは難しいのですが、
私が意識して語る限りにおいて言えば、
神は、
物事がそのように起こるよう、
あらかじめ定めておられる――
私は、そのように理解しています。
33. ちょっと考えてみてください。
ここにいる皆さんの中で、
これまでに夢を見たことのある方はどれくらいいますか。
手を挙げてみてください。
……ほとんどの方ですね。
では、もし私がこう言ったらどうでしょう。
「さあ、今すぐ夢を見てください」と。
できますか。
――できませんよね。
不可能です。
それと同じように、
私が自分の意思で、
この女性のために、あるいはあの男性のために、
幻を見ることはできないのです。
夢を与えるのが、
あなた自身ではないのと同じです。
誰がその夢を与えるか――
それは、あなた次第ではありません。
どれほど望んでも、
それを決めるのは、
与える側です。
神が与えられるかどうか――
それは神ご自身のご判断です。
そうでしょう。
それと同じことが、
ここでも起こっているのです。
さて、ここにいる方の中には、
先ほど手を挙げられた方の中でも、
「私は夢を見たことがない」という方もおられるでしょう。
ただ深く眠り、
夢をまったく見ない人もいます。
今、私はあえて、
この話をしています。
なぜなら、
ここには、
私と議論しようとする人がいることも知っていますし、
まだ理解できない人がいることも、
分かっているからです。
34. こういうことです。
ここに、人の意識があります。
それが、今あなたが生きている「意識の領域」です。
科学では、
夢を見ている時、
人は「潜在意識(無意識)」の状態にある、と教えられています。
夢を見ている人を、
実際に見たことがありますか。
自分では、
「一晩中ずっと夢を見ていた」と思うでしょう。
けれども、実際には、
それほど長い時間ではありません。
[ブラナム兄弟、指を鳴らす]
ほんの一瞬です。
その短い間に、
たくさんの夢を見たように感じるだけなのです。
夢を見ている人は、
完全に深い眠りに入っているわけではありません。
一方で、
ここにいる皆さんの中には、
夢をまったく見ない人もいます。
そういう人の潜在意識は、
眠っている間でも、
そこまで表に出てこない位置にあるのです。
それは、
あなたが選んだことではありません。
どうすることもできないのです。
あなたは、そのように生まれたのです。
何かが、
あなたの上に主権を持ち、
あなたをそのように造られました。
あなたには、それを変えることはできません。
そして、
夢を見る人も同じです。
それも、
自分で選んだわけではありません。
それをコントロールすることはできないのです。
それは、
あなたの潜在意識の働きなのです。
35. では、ここで一つ、皆さんにお尋ねします。
よく聞いてください。
私たちが眠っている時、
今こうして働いているこの「意識」が
活動を休む瞬間があります。
その時、
私たちはこの意識の領域を離れて眠りに入り、
いわゆる「夢の世界」へと入っていきます。
そしてその中で、
この意識の中で経験したこと――
自分が起きている時にしたことを、
夢の中で思い出したり、
夢として見ることがあります。
そうですよね。
そして、
そこから目を覚まし、
再びこの最初の意識の領域に戻ると、
夢の中で見たことを覚えている。
何年も前に見た夢のことさえ、
覚えていることがあります。
そのとおりですね。
しかし一方で、
夢を見ない人たちもいます。
そういう人たちは、
生まれつき、
潜在意識がもっと奥に位置していて、
眠っている間も、
そこまで表に出てこないのです。
これは、たとえ話として言っていますが、
そのような人たちは、
ほとんど夢を見ないのです。
36. さて、幻を見る者――いわゆる先見者というものは、
神ご自身が遣わされる存在です。
その人の潜在意識は、
遠く離れたところにあるのでもなく、
また今話しているこの意識の奥深くに沈んでいるのでもありません。
それは、すぐここにあります。
その人は眠りに入るのではありません。
ただ、一つの意識の状態から、
もう一つの意識の状態へと移るだけなのです。
そして、
私たちが「夢の世界」と呼んでいるその領域で、
神は時に、
夢を通して人々に語られます。
皆さんは、それを信じますか。
神は、
ネブカデネザル王に夢を与え、
ヨセフにも夢を与えました。
また、イエスの養父であったヨセフにも、
夢を通して語られました。
神は、
終わりの日に、
「年配の者は夢を見、
若い者は幻を見る」と約束されました。
神は、そのように秩序を定めておられるのです。
さて、
幻を見るということについてですが、
それは私がどうこうできることではありません。
誰かが私に手を置いて、
「さあ、これで幻を見る賜物を受けなさい」
と言ったわけではありません。
それは、
私がそれに値したからでもありません。
神が、
そのように定められたのです。
そして、
それが確かにそうであると分かった時、
私は主の御名によって、
ここに立つようになりました。
それは、
主が私を遣わしてくださったからです。
皆さんが、
神を信じることができるよう、
少しでも助けるためです。
分かりますか。
今、
私の言っていることが理解できた方は、
どれくらいおられますか。
……それで結構です。
37. さて、ここで皆さんにお尋ねします。
イエス・キリストは、ご自分を「癒し主」だとは言われませんでした。
そうですね。
主はこう言われました。
「わたしが行っているのではない。
わたしのうちに住んでおられる父が、みわざを行っておられるのだ」。
これは正しい理解でしょうか。
そのとおりです。
ここで、一つの聖書箇所を引用したいと思います。
ヨハネによる福音書第五章、
ベテスダの池のところで、
足の不自由な人、病んでいる人、
目の見えない人たちのそばを、
イエスが通り過ぎられた場面です。
よく聞いてください。
ユダヤ人たちがイエスに問いただしました。
主が、病んでいた一人――
たとえば、あの病にあった人を癒されたことについてです。
その時、イエスはこう言われました。
「まことに、まことに、あなたがたに言う。
――よく聞きなさい。
これは、あなたの主であり、私の主であるお方の言葉です。
『まことに、まことに』
――これは、“まったくそのとおりだ”“疑いの余地はない”という意味です。
『子は、父がしておられるのを見て行う以外には、
自分からは何もすることができない。
父がなさることは、すべて子もそのとおりに行うのである。
父は子を愛しておられるから、
ご自分がしておられるすべてのことを子に示される。
そして、あなたがたが驚くような、
これらよりもさらに大きなわざを示されるであろう』」
――ここで言われているのは、
ただ一人の癒しのことだけではありません。
それ以上の、
神の御業全体について語っておられるのです。
38. それで、よろしいですね。
では、イエスご自身の言葉によれば――
そして私は、その言葉こそ真理だと信じていますが――
イエスはこう言われました。
「父がわたしに示されるまで、
わたしは何も行わない。
父が示されたことを、
そのとおりに行うのだ」。
これは、ヨハネによる福音書五章十九節です。
その理解で正しいですね。
そして、
「イエス・キリストは昨日も今日も、
いつまでも変わることのない方です。
しばらくすると、世はもはやわたしを見なくなるが、
あなたがたはわたしを見る。
なぜなら、わたしはあなたがたと共におり、
あなたがたのうちにいるからである」
――主はそのようにも言われました。
つまり、
イエス・キリストは、
ご自身の教会の中に、
ご自身の民の中に来られるのです。
主ご自身は、
父なる神の右の座に着いておられます。
しかしそこから、
聖霊――
三位一体の第三の位格である聖霊を送ってくださいます。
その聖霊が、
人間の内に住み、
人を通して働き、
初めにイエスがなさったのと
同じわざを現されるのです。
それによって、
イエス・キリストは、
「昨日も、今日も、
いつまでも変わることのない方」
であることが示されるのです。
39. それで、正しいですね。
「あなたがたは、わたしを見る」と言われたのは誰でしょうか。
――信じる者たちです。
「あなたがたは、わたしを見る。
わたしは、あなたがたと共にいる。
あなたがたの間にいる」。
つまり、
どこかで、
誰かを通して、
その働きが現される、ということです。
主はこうも言われました。
「わたしは、世の終わりまで、
あなたがたと共にいる」。
それは真理でしょうか。
――そのとおりです。
では、もし今夜、
私たちがイエスを探すとしたら、
どのようなお方を探すことになるでしょうか。
それは、
「わたしは自分からは何もできない。
父が示されることだけを行う」
と語られた、
いのちの主です。
その理解で正しいですね。
ですから、
もし私が主の御名によって証しし、
「イエス・キリストは、
昨日も、今日も、
いつまでも変わることのない方であり、
その臨在が今ここにあり、
同じことを行われる」と語って、
それが実現しなければ、
皆さんは、
「彼は間違ったことを語った」と言ってよいのです。
しかし、
もしそれが実現するなら――
その時、
皆さんは神の前に、
御子イエス・キリストを信じる責任を負うことになります。
イエス・キリストは、
昨日も、今日も、
いつまでも変わることのない方なのです。
それは真実でしょうか。
それでは、
祈りましょう。
40. 父なる神様。
私は、自分が死すべき人間であることを知っています。
いつの日か、あなたの御住まいのもとへ行かなければなりません。
その時、私は震える思いで立つことでしょう。
ただ、信仰によって、
あなたが私を受け入れてくださると信じています。
私は、最善を尽くしてきましたが、
それでも自分がふさわしくない者であることを知っています。
生きることさえ値しない者が、
ましてや神の御言葉を宣べ伝えるなど、
本来はできない者です。
しかし、主イエスよ、
今夜ここには、
何千人もの人々が座っています。
彼らは関心をもって集まり、
暑さの中で扇ぎながら、
ここに留まっています。
人に見せるためではありません。
あなたを愛しているからです。
私は、
あなたが私に
このハモンドへ行くよう命じられたので、
ここに来ました。
そして、
あなたの愛する御子イエスを高く掲げるために、
自分にできる限りのことをしています。
主よ、
あなたご自身が証ししてくださいます。
私は、自分の力や能力、
あるいは自分の内にある何かを、
一切誇っていません。
あるのはただ、
神の聖霊だけです。
父なる神様、
私はこれまでの夜を通して、
そのことを人々に
できるだけ分かりやすく伝えようとしてきました。
そして、
これからの夜も、
もしそれがあなたのみこころであるなら、
ただここに来て、
病んでいる人々のために
祈ることに専念したいと願っています。
41. しかし今夜、この場に集っている皆さんの前で、
はっきりと申し上げます。
あなたのしもべの内には、
人を癒す力など何一つありません。
あるのはただ、
御子イエス・キリストに向けられた
人々の信仰だけです。
それ以外の道を通って上ろうとする者は、
盗人であり、強盗です。
主よ、
その日、
私は決して
盗人や強盗と呼ばれたくはありません。
私は、
自分の戦利品をあなたの御足もとに置き、
こう言いたいのです。
「主イエスよ、
私はあなたの御霊の導きに従い、
自分にできる限りのことを行いました」と。
さて主よ、
今夜も、
私たちはここに集っています。
この集会も、
すでに十日、あるいは十二日ほど続いています。
今夜の聴衆は多くはありません。
天候も暑いです。
しかし、
あなたは毎晩ここにおられました。
そして、
ご自身を現してくださいました。
ですから、
もし私が明日ハモンドを去り、
あなたが私を別の場所へ呼ばれたとしても、
この場に集った人々は、
あなたが確かに証しされたことを
知ることになるでしょう。
私たちが巡ってきた各地、
多くの人々が集まったその場所で、
世の人々は知ることになります。
さらに、
科学の世界においても、
人々は顕微鏡や紫外線などを用いて調べ、
そしてこう言うでしょう。
「これは真実である」と。
42. それでは父なる神様、
人々が信じることを妨げているものは何でしょうか。
主よ、今夜、彼らに信仰を与えてください。
この建物の中に、
二倍の分け前の信仰を注いでください。
今夜、多くの人がこう言えますように。
「今夜こそ、心を開こう。
今夜こそ、本当に信じよう。
もし、この弱く小さな者が
壇上で語ったことが真実であるなら、
イエス・キリストよ、
あなたご自身が私に語ってください。
そして、彼に私のことを示してください。
そうすれば、私は分かります」。
主よ、それを成してください。
そしてその後、
あなたの聖霊が、
あなたのしもべの上に臨み、
聴衆の間を、
二階席を、
この建物の隅々を、
信仰を求めるところへと
進んで行かれますように。
主よ、
あなたが望まれるところに、
信仰を見いだしてください。
そして、
あなたのしもべに幻を見させてください。
それによって、
私が人々に語ることができますように。
あなたが、
井戸のそばの女にされたように、
ナタナエルにされたように。
また、
ろばがつながれていたことを示された時や、
口に銀貨をくわえた魚を示された時のように。
今夜、
あなたの大きな愛を
明らかにしてください。
主よ、
私はあなたのしもべとして、
へりくだって待ち望みます。
自分自身を、
あなたの奉仕のために
完全に委ねます。
神よ、
今夜この建物の上に、
揺るがない信仰の覆いを
与えてください。
そして、この集会が終わる時、
エマオから帰る人たちのように、
人々が喜びながら言えますように。
「道々、
私たちの心は
燃えていたではないか」。
とても美しく、
信仰の頂点に立つ祈りです。
人に強制しない
神ご自身の働きを待つ
聖それでは父なる神様、
人々が信じることを妨げているものは何でしょうか。
主よ、今夜、彼らに信仰を与えてください。
この建物の中に、
二倍の分け前の信仰を注いでください。
今夜、多くの人がこう言えますように。
「今夜こそ、心を開こう。
今夜こそ、本当に信じよう。
もし、この弱く小さな者が
壇上で語ったことが真実であるなら、
イエス・キリストよ、
あなたご自身が私に語ってください。
そして、彼に私のことを示してください。
そうすれば、私は分かります」。
主よ、それを成してください。
そしてその後、
あなたの聖霊が、
あなたのしもべの上に臨み、
聴衆の間を、
二階席を、
この建物の隅々を、
信仰を求めるところへと
進んで行かれますように。
主よ、
あなたが望まれるところに、
信仰を見いだしてください。
そして、
あなたのしもべに幻を見させてください。
それによって、
私が人々に語ることができますように。
あなたが、
井戸のそばの女にされたように、
ナタナエルにされたように。
また、
ろばがつながれていたことを示された時や、
口に銀貨をくわえた魚を示された時のように。
今夜、
あなたの大きな愛を
明らかにしてください。
主よ、
私はあなたのしもべとして、
へりくだって待ち望みます。
自分自身を、
あなたの奉仕のために
完全に委ねます。
神よ、
今夜この建物の上に、
揺るがない信仰の覆いを
与えてください。
そして、この集会が終わる時、
エマオから帰る人たちのように、
人々が喜びながら言えますように。
「道々、
私たちの心は
燃えていたではないか」。
43. 彼らは一日中、
主と共に歩いていながら、
それが主であることに気づきませんでした。
けれども、
あの食卓で、
主があることをなさった時、
彼らは主だと分かったのです。
天と地を創造された神、
永遠のいのちの創始者、
すべての良い賜物を与えてくださるお方。
どうか今夜、
人々のために、
何か特別なことを行ってください。
それによって、
人々が見て、
信じることができますように。
もっとも、
人は必ずしも
「見なければならない」わけではありません。
主は言われました。
「見ないで信じる者は、
さらに幸いである」と。
しかし主よ、
あなたの御言葉を宣言し、
成就してくださるために、
今夜、
ご自身を現してください。
あなたは、
昨日も、今日も、
いつまでも変わることのない方です。
そして、
あなたが行われたわざを、
私たちも行う――
そのように、
あなたは語られました。“
44. 父なる神様。
私は、自分があなたのへりくだったしもべであると告白します。
どうか今、
このへりくだったしもべを通して、
あなたの御言葉を高めてください。
私は砕かれた霊をもって待ち望み、
へりくだって、
あなたの祝福を求めます。
イエス・キリストの御名によって。
アーメン。
さて、今夜ここにいる皆さんの中で、
「信じるために来た」と言える方はどれくらいおられますか。
心を開いていますか。
受け取る用意がありますか。
ここで一つ、
この規模の集会だからこそ、
言っておかなければならないことがあります。
私は、すべてを知っているわけではありません。
正直に言えば、
てんかんのような症状については、
私には分からない部分がある、
そう感じることもあります。
そして、
病の人々のために祈りがささげられている間、
もしあなたが
批判的な心でここに留まっているのであれば、
私は、この建物に残らない方がよいと申し上げます。
なぜなら――
もし私の語っていることが真実であるなら、
あなた自身が、
人々から離れていく
さまざまな霊的影響に対して、
無防備な状態になるからです。
もし、これが聖書に基づく教えでないと言うなら、
私は、
何が聖書的なのか分からなくなってしまいます。
45. 私たちは、これまでの集会で、
何度もそのような場面を見てきました。
ですから、皆さんにお願いします。
今は、
一人ひとりが厳粛な思いで座っていてください。
もし、何かが起こり、
サタンがどのような形であれ
働こうとするようなことがあっても、
決して騒がず、
静かに心を保ち、
祈っていてください。
そのまま、
静かに座っていてください。
神は、
この場所で、
必ずあなたを守ってくださいます。
ただ、
私のために祈ってください。
こう祈りながら――
「神よ、
私たちは、
あなたの現れを待ち望んでいます」。
動かないでください。
走り回らないでください。
ただ、静かに座っていてください。
ここは、
霊的な集会です。
聖霊が、
クリスチャンの人々の間に
臨在しておられる集会です。
ただし、
一つ覚えておいてください。
霊が人から離れる時、
それは、
次に宿る場所を得るまで、
非常に不安定な状態にあります。
これは、聖書が教えていることです。
あの時、
彼らはこう言いました。
「どうか、
あの豚の中に入らせてください」。
46. 今夜は、
カードの記号は L ですね。
何番まででしたか。
百番まででしょうか。
では、今夜は
Lの1番から始めましょう。
L―1です。
最初の二十人、
いえ、二十五人ほどにしましょうか。
二十五人で十分でしょう、
バクスター兄弟。
それでは、
L―1からL―25までのカードを持っている方、
カードを裏返して、
番号を確認してください。
該当する方は、
まず立ち上がってください。
さて、
皆さん、隣同士で座っておられる方、
毎晩のように見かけますが、
誰かが隣の人を軽くつついて、
「この人は耳が聞こえにくい」とか、
「この人が必要だ」と知らせていることがありますね。
どうか、
周囲をよく見てください。
係の人たち、
担架や簡易ベッドにおられる方々を
確認してください。
お互いのカードを見てあげてください。
もしかすると、
カードを持っていない方もおられるかもしれません。
今日の午後遅くにカードを配りましたので、
数は多くありませんでした。
さて、
ここにいる皆さんの中で、
本当に祈りを必要としていて、
もし神の臨在が現れるなら、
今夜、全能の神に癒していただきたい
そう願っている方は、
手を挙げてください。
……ああ、
なんということでしょう。
ほとんど全体です。
どこを見ても、
手が挙がっています。
47. さて、親愛なるクリスチャンの皆さん。
今、前に来ている最初の方々は、
ほかの人たちのための証しでもあります。
この集会では、
実際に壇上に来られる人は、
ほんの一部にすぎません。
それは、
神の御霊がここに働き始める
“きっかけ”のようなものです。
もし、
それがなくても始まるなら、
それでも構いません。
しかし大切なのは、
この最中に、
皆さんが祈っているなら、
神はこの会場のあちらこちらに
御霊を送ってくださる、ということです。
そして、
何が起こるか知っていますか。
私が油注がれている時、
あの光が動くのが見えるのです。
その光は、
ある人の上に留まり、
そして現れ出て、
その人の状態を示し、
それから去っていきます。
それが、
私が人々を呼び出す方法です。
時には、
ただ名前を呼ぶ前に、
すでにそれが見えることもあります。
主の御使いが、
祈っている聖徒のそばにおられ、
その人に信仰を与えるために、
何かを示そうとしておられるのです。
時には、
その人がすでに癒されているのを見ることもあります。
そして、
もう一度その光が動くのを見て、
私が語りかけた時、
それがその人に
どのような影響を与えるかを見ます。
もし、
再びその動きが見えれば、
私は、
そこで起こったことを
はっきりと語ります。
もし見えなければ、
そのままにして、
「主があなたを祝福されますように」
そう言って終わります。
それ以上は分かりません。
しかし、
はっきりと癒された姿を幻で見る時、
それはまったく別です。
その時は、
確信をもって語ります。
それ以外の場合は、
その人のために祈り、
祝福を求めます。
そして、
神がご自身を現されるのを
委ねるのです。
さて、
ここにいる皆さんの中で、
「今語られたことが真実だと知っている」
そう言える方は、
新しく来た方々のために、
手を挙げてください。
……ご覧になりましたか。
初めて来られた皆さん。
私の言っている意味が、
分かるでしょう。
48. これは私個人の受け止め方かもしれません。
もしかすると、
私の見方が違っていると言う人もいるでしょう。
けれども、
私にとっては、
これは揺るがない事実です。
――主イエス・キリストは、
昨日も、今日も、
いつまでも変わることのないお方です。
これまで、
この働きが
どれほど批判され、
攻撃されてきたか――
皆さんがその経緯を見てきたなら、
また、その結果を知っているなら、
分かるはずです。
ここにいるバクスター兄弟は、
もう四年か五年ほど、
私と共に働いてきました。
これまで、
どの場所であれ、
どの時であれ、
この働きが攻撃された時には、
必ず全能の神が介入してこられました。
そうでしょう、バクスター兄弟。
そのとおりでしょう、ボズワース兄弟。
もしそれが事実なら、
人々のために、
手を挙げて示してください。
……ご覧ください。
全能の神は、
いつもその場に立たれます。
そして、
その後に何が起こるかを、
よく見ていてください。
49. ですから、恐れないでください。
恐れは、悪しき者から来るものです。
主イエスは、
何度も、何度も、
「恐れるな」「恐れるな」と言われました。
そのとおりですね。
神は、
あなたに恐れることを望んでおられません。
神が望んでおられるのは、
信じることです。
ですから、
皆さん一人ひとりが、
心を一つにして信じてください。
全員が同じ思いで――
一致して信じてください。
さて、
祈りのカードは出ていますか、ポール。
四、五枚ほど出ていますね。
カードの記号は L です。
耳が聞こえない方、
話すことが難しい方の周りを
よく見てください。
4番が見当たりません。
それから、
ほかにも抜けている番号があります。
誰か、
番号を間違えて持っていないか、
周りを確認してください。
ビリー、
番号はどうなっていますか。
……分かりました。
L―1からL―25までです。
4番がいません。
ほかにも、
途中で抜けている番号があります。
もし、
L―1からL―25のカードを持っている方で、
まだ列に並んでいない方がいれば、
今すぐ前に来てください。
そうしないと、
順番を逃してしまいます。
周りを見てください。
もしかすると、
耳が聞こえない方、
話すことが難しい方で、
呼びかけが分からず、
そのまま座っておられる方がいるかもしれません。
(※やり取りあり)
……分かりました。
50. 今、二人ほど前に出ていくのが見えましたね。
そこの、髪に花をつけておられる小柄なご婦人、
あなたのカードは何番ですか。
列に来られる方ですか。
……ああ、
誰かを探しておられるのですね。
分かりました。
それで大丈夫です。
さて、皆さんに一つ、
どうしても気をつけていただきたいことがあります。
もし、
お隣の方が耳が聞こえない、
あるいは話すことが難しい方で、
呼びかけが聞こえなかったとしたら、
その方の順番が過ぎてしまうことがあります。
そうすると、後になって
「カードは持っていました。
だから、明日の夜に来るものだと思っていました」
ということが起こるのです。
しかし実際には、
その方の順番は、
すでに呼ばれていた――
そういう場合があります。
すると、
後から私の事務所に手紙が届きます。
「ブラナム兄弟、
私はカードを持っていたのに、
自分の番が回ってきませんでした」と。
ですから私は、
この点をとても大切にしています。
私は、
神の前に正しくありたいのです。
この働きにおいて、
いい加減なことや、
不誠実なことはできません。
私は、
これらのことを
敬虔に、
慎重に、
そして誠実に取り扱わなければなりません。
それが正しいかどうかを、
常に確かめながら進める必要があるのです。
51. では、よろしいですね。
二十五人、全員そろいましたか。
……はい、結構です。
さて、覚えておいてください。
もし聖霊の油注ぎが私の上に臨み、
さらに続けることができるようであれば、
次は L―25からL―50 を呼びます。
その方々は、次に備えていてください。
正直に言えば、
どれくらい続けられるかは分かりません。
昨夜は、完全に倒れてしまいましたから。
どこまで許されるかは分かりませんが、
もし続けられるようであれば、
今ここで、次の呼び出しをしておきます。
L―25からL―50 の方々です。
今すぐ立っていただくと、
人数が多くなりすぎますので、
そのまま座っていてください。
それでは、
静かに頭を垂れ、
一言、祈りましょう。
主よ、
天と地を創造された神。
信じているあなたの子どもたちに、
どうか憐れみを与えてください。
私たちは、
主イエスの再臨の日が
近いことを信じています。
そしてこの時代において、
多くの人々が不信仰へと向かっていることも、
私たちは理解しています。
しかし、
そのような人々が現れることも、
御言葉に示されていることです。
必ず、
信じない者たちが存在する――
それもまた、
私たちは知っています。
かつて、
パリサイ人やサドカイ人の上にあった霊、
あの時代の人々に働いていた霊が、
今もなお存在していることを、
私たちは悟っています。
それらは、
表向きは宗教的に見える霊であり、
今も人々の中に
働いているのです。
52. 神よ、
心を尽くし、魂を尽くして、
あなたに感謝をささげます。
あなたが、
私をこのようなところから救い出してくださり、
あなたの復活の完全さを
信じることができるようにしてくださったことを、
感謝します。
私は知っています。
この弱い心臓が鼓動するたびに、
それは一拍ずつ、
いつか必ず通らなければならない
あの大きく、暗い扉――
「死」と呼ばれる場所へ
近づいていることを。
その時、
私はどうするのでしょうか。
父よ、どうか今、
私がその時に備えて生きることができますように。
あの扉の前に立つ時、
恐れに屈する者ではなく、
あなたの義を身にまとい、
大胆に入って行くことができますように。
私は、
こう確信して
その死の扉を通りたいのです。
――私は、
キリストを知っている。
その復活の力を知っている。
そして、
主が呼ばれる時、
私は死人の中から
よみがえるのだと。
とても静かで、強い信仰告白ですね。
癒しや奇跡を超えて、
最終的に行き着く場所――
復活の希望が、
はっきりと置かれています。
この祈りは、
集会の一瞬を越えて、
読む人一人ひとりの人生そのものに
問いかけてくる言葉だと思います。
53. 神よ、
どうか今、このように生きさせてください。
それをお与えください、主よ。
私一人だけでなく、
今夜、あなたが私の前に集めてくださった
このすべての人々にも、
同じ恵みを与えてください。
ラッパが鳴り響くその時、
私たちが皆、
死者の中からよみがえりますように。
あるいは、
もしその時も生きているなら、
一瞬にして変えられますように。
そして今、主イエスよ。
あなたの愛に満ちた憐れみによって――
あなたの預言者が祈るように、
私は心を尽くして願います。
どうか今夜、
この建物の上に、
癒しの翼を広げてください。
そして、
神の栄光のために、
偉大なみわざが
ここでなされますように。
主よ、
この祈りを受け取ってください。
私はそれを、
あなたに完全に委ねます。
イエス・キリストの御名によって。
アーメン。
54. はい、分かりました。
今、私は一つの光を見ました。
カメラのフラッシュだったと思います。
お願いがあります。
どうか、この間は、
フラッシュ撮影はお控えください、兄弟姉妹。
(※「病人のために祈っている間は、写真撮影をご遠慮ください」)
皆さんもご存じのとおり、
神の御使いは「光」として現れます。
そして、その光が動く時、
私はそれに引き寄せられるのです。
それは、
私が一つの場所から別の場所へ
導かれているように感じるからです。
そのため、お願いしているのです。
私は、
皆さんを愛しています。
決して、
誰かの気持ちを傷つけたいわけではありません。
しかし、これはすべて
神の栄光のためなのです。
光が動くと、
私の注意は
自然とそこへ向かいます。
なぜなら、
それ自体が「光」だからです。
今、
私はその光を見守り、
待っています。
先ほどフラッシュを見た時、
「もう光が会衆の中に現れたのだ」
そう思いました。
まだ、壇上の方々のために
祈り始める前でしたから。
しかし、
その光が誰の上にも留まらなかったので、
私はそれが反射だったのだと分かりました。
55. ですから、
写真は後で、
この時間が終わってから
いくらでも撮っていただいて構いません。
どうか今は、
少しだけお待ちください。
皆さん、
そのまま穏やかに、
神の御霊に満たされ、
祈りの中にいてください。
さて……
こちらのご婦人。
あなたは最初の方ですので、
少しだけお話しさせてください。
私はあなたを知りません。
おそらく、
私たちは初対面ですね。
これまで一度も
お会いしたことはありません。
ですから、
まず少しだけお話しします。
その間に、
もし主が来てくださるなら……。
それは、
私が決めることではありません。
すべては主次第です。
けれども、
主はこれまで一度も
私を失望させたことはありません。
そして私は、
主が来てくださると信じています。
なぜなら、
今夜ここにいる人々を見てください。
皆、
待ち、
見守り、
期待しているからです。
主は来られます。
そして来られるなら、
主は、
かつて地上におられた時と
同じイエスとして
働かれるのです。
井戸のそばで
あの女性に会われた時、
主はまっすぐに、
彼女の問題の核心を示されました。
どこに問題があるのかを
語られたのです。
もし彼女に腫瘍があったなら、
主はまず、
「水を飲ませてください」と
言われたことでしょう。
56. 彼女はこう言ったでしょう。
「ユダヤ人が、サマリア人の女に話しかけるのは
普通のことではありません」。
――そうです。
主はまず、
ただ会話をしておられたのです。
見てください。
あなたは人間です。
私も人間です。
私たちはそれぞれ、
人としての霊を持っています。
ところが、
この油注ぎが私の上に臨む時――
それは、
神から遣わされた御使い、
あるいは、
神の賜物として与えられた
「使者」の働きです。
それは、
神の一部、
神の御性質の現れでもあります。
その時、
私たちは、
自然の領域から
超自然の領域へと移ります。
そして、
その中間において、
あなたの霊が私に語り、
私は、
この朽ちる唇を通して
あなたに語り返します。
そこには、
二つの油注ぎがあります。
ただし、
はっきりさせておきたいことがあります。
私があなたを祝福するのではありません。
その御霊ご自身が、
あなたを祝福するのです。
私は、
そのための器にすぎません。
57. そして次に大切なのは、
あなたの霊が、それを受け入れる姿勢にあるかどうかです。
もし、
不信仰の霊が心を占めているなら、
その祝福は受け取れません。
その場合、
示されることはあるかもしれません。
何が問題かを知らされ、
そのまま送り出されることもあるでしょう。
しかし、
あなたが信じ、
この二つの霊――
あなたの霊と、
神から来るその霊とが
一致するなら……。
分かりますか。
そこには霊的な戦いがあります。
こちらでは、
悪しき霊が叫び、
懇願し、
抵抗しています。
一方で、
神の御霊がここに立ち、
それを見つめておられます。
どちらが働くかは、
私たちの霊がどちらに向いているかに
深く関わっているのです。
私は信じています。
もし私が語ったことが真実だと、
あなたが心から信じるなら、
必ず何かが起こります。
それは、
起こらざるを得ないのです。
この意味が、
分かりますか。
それから、
私がマイクを口元に近づけているのは、
よく
「声が小さくなって、
会衆に聞こえなくなる」と
言われるからです。
そのために、
こうしているのです。
58. 今、
皆さんは何かが起こっていることを
感じておられるでしょう。
――そうです。
それです。
今、
こちら側から
波のように来ています。
会衆の皆さん、
主の御名によって語ります。
あそこに掲げられている写真、
ワシントンD.C.にある、
あの「主の御使い」の写真――
今、その御使いが、
私のすぐそば、
右側に立っておられます。
私よりも
はるかに大きな御方です。
ここに立っておられるこのご婦人も、
そのことを感じておられます。
ご婦人、
ひとつお尋ねします。
あなたは、
この場にいる人々の中では
知られている方かもしれませんが、
私はあなたを知りません。
けれども、
あなたは今、
「何かが起こっている」ことを
感じておられますね。
もしそれが事実でしたら、
手を挙げてください。
――そうです。
それが、
主のご臨在です。
59. 先日の晩、
私はある出来事を見ました。
そのことは、
ほとんど誰も知りません。
ここにおられた、
ある牧師の方が、
あの油注ぎが臨んでいる時に、
近くへ来ようとされたのを見ました。
ただ、
「何が起こるのかを見たい」と
思われたのです。
どうですか、先生。
そのとおりですね。
私が知っているとは
思われなかったでしょう。
あなたは、
好奇心からではありませんでした。
それを求めておられたのです。
さて、
姉妹、あなたについてお話しします。
あなたは、
慢性的な頭痛に悩んでおられますね。
いつも頭が痛む。
――そのとおりです。
私は、
あなたが何度も
こうして頭に手を当てている姿を見ました。
また、
あなたはよく読書をされます。
本か、雑誌か、
何かを読んでおられる。
私は、
あなたが部屋で椅子に座り、
何かを読んでいるのを見ました。
(ご婦人が答える)
――それは、そのとおりです。
私が見たのは「本」でした。
その時、
あなたは頭痛がして、
こうして頭を押さえていました。
そして、
あなたが読んでいたのは
私の本でした。
それは事実ですね。
――はい、事実です。
その時、
あなたは強く意識されました。
けれども、
そのことを知っているのは
あなた一人だけでした。
しかし、
神はそれをご覧になっていました。
あなたはその時、
こう思ったのです。
「もし集会に行けたら、
もし祈ってもらえたなら、
この頭痛は止むかもしれない。」
その瞬間から、
あなたの中に
信仰が芽生え始めました。
――それは、事実ですね。
では、
あなたの信仰を
さらに確かなものとするために、
もう一つお伝えします。
この頭痛の原因は、
女性特有の問題から来ています。
これまで、
別の説明を受けてこられたでしょう。
「偏頭痛」などと
言われたかもしれません。
しかし、
それは正確ではありません。
私は医師を否定するつもりはありません。
けれども、
自分が何を語っているのかは
分かっています。
そして、
あなたが
「これは神から来ている」と
知るために、
もう一つお伝えします。
あなたは、
この教会の教派には属していません。
けれども、
教会に属しておられます。
――それは
クリスチャン・サイエンスですね。
そのとおりですか。
――はい。
私は、
あなたが
クリスチャン・サイエンスの
リーディング・ルームに
おられるのを見ました。
だから、
あなたがそこに属している、
あるいは関わっていることを
知ったのです。
もしそれが事実なら、
手を挙げてください。
60. では、こちらへ来てください。
もし私が神にお願いするなら、
神はあなたを癒してくださると
信じますか。
これは、
いわゆる「心が体を支配する」といった
ものではありません。
全能の神の力が、
その苦しみを去らせるのです。
信じますか。
――では、
これからの生涯、
神に仕えていきますか。
全能の神よ。
私は、
この女性の周りを
あなたの光が巡るのを見ました。
今が、
彼女の癒しの時であると
信じます。
真心から、
へりくだって申し上げます。
神の御霊が、
この女性の上に臨みました。
ああ、主なる神よ。
天と地の創造者、
永遠のいのちの与え主よ。
あなたは
「信仰による祈りは、
病む者を救い、
神がその人を起き上がらせる」
と約束してくださいました。
主よ、今夜、病む人々のために祈る中で、
どうか同じように働いてください。
この女性を癒してください。
長い間、彼女を苦しめ、
悩ませてきた頭痛。
彼女はあらゆる方法を試みましたが、
解放されませんでした。
しかし、サタンよ。
あなたは医師からは
隠れることができたかもしれない。
けれども、
神からは隠れることはできない。
神は、あなたがどこにいるかを
すべてご存じです。
生ける神の御子、
イエス・キリストの御名によって命じます。
この女性から出て行きなさい。
さあ、こちらを見てください。
姉妹、今、その苦しみはありませんね。
――もう去りました。
このまま行きなさい。
信じ続け、
信仰のうちに歩む限り、
それは戻ってきません。
神が、あなたを祝福されますように。
61. では、こちらへ来てください。
私たちは面識がありますか。
おそらく、
あなたのことを私は知りませんね。
……少し失礼します。
今、
油注ぎの中で、
体が少し揺れるような感覚があります。
(ご婦人が答える)
――この集会で初めて、
私を見たのですね。
そうですか。
それなら、
本当に初対面です。
すみません。
今、
何かが起こっていました。
私はそれを見ていたのです。
先ほど、
同じように頭を押さえている方を
見ました。
最初は別の方かと思いましたが……。
――そうです。
そこに座っておられる、
黄色いブラウスを着たご婦人です。
その方を、
幻の中で見ました。
あなた、
副鼻腔(サイナス)の痛み、
あるいは頭痛で
苦しんでおられませんか。
もしそのとおりでしたら、
立ち上がってください。
――そうですね。
それは事実です。
あなたは、
何度もこうして
頭に手を当て、
副鼻腔のあたりが
痛むのですね。
――そのとおりです。
あなたは、
全能の神の御子、
イエス・キリストを
信じますか。
それでは、
主イエス・キリストの御名によって、
神の祝福をあなたの上に祈ります。
その痛みが去り、
二度と戻ってきませんように。
神が、
あなたを祝福されますように。
……あなたは、
祈っておられましたね。
きっと、
何かを心から求めて
おられたのでしょう。
62. 先ほど癒されたあの女性に関わっていた霊が、
去っていくのを私は見ました。
それが一瞬、私のそばを通り過ぎ、
その時、
何かが私を動かしました。
そして目の前に、
頭を押さえている別の女性の姿が
見えたのです。
最初は、
同じ方だと思いました。
しかし、
そうではありませんでした。
――そこに座っておられる、
あの有色人種のご婦人でした。
ですから、
失礼しました、姉妹。
……
本当に、
正直言って、この場に居てなお疑う人達は、
自分自身を恥じ入るべきです。
63. こちらへ、もう少し近くに来てください。
あなたは、この集会で初めて私を見た、と言われましたね。
それなら、
私はあなたのことを何も知りません。
人として、
知っていることは何一つありません。
……けれども、
一つ分かることがあります。
あなたは、
信じる人です。
クリスチャンの女性ですね。
それは、
あなたの霊が歓迎しているからです。
つまり、
あなたが信じている、ということです。
分かりますか。
今、
あなたは何かが起こっていることを
感じておられますね。
それは油注ぎです。
心配はいりません。
あなたを傷つけるものではありません。
むしろ、
助けるためのものです。
……はい。
――少しお待ちください。
あなたは、
手術を受けたことがありますね。
それは、
胆石か、
そのようなものでしたね。
(ご婦人が答える)
――そのとおりです。
そのあたりでしたね。
ここですか。
――はい。
それは病院で行われましたね。
――そのとおりです。
そして今、
その影響で、
食事がうまく取れなくなっている。
胃の調子が
悪くなっているのですね。
もしそれが事実なら……。
……はい。
姉妹、
こちらへ来てください。
主は、
近くにおられますか。
64. 主イエスよ。
創造主なる神、
父なる神よ。
どうか近くに来て、
サタンによって苦しめられてきた
このあなたの子を祝福してください。
今、
私はこの姉妹に手を置き、
私たちの愛する主イエス・キリストの
みことばを覚えて祈ります。
主はこう言われました。
「これらのしるしは、
信じる者たちに伴う」。
ですから、
心から祈ります。
この姉妹が家に帰り、
何でも食べられるようになり、
完全に癒されますように。
主イエス・キリストの御名によって、
これを求めます。
アーメン。
さあ、姉妹。
主はあなたによくしてくださる方ではありませんか。
なんと麗しいお方でしょう。
私が、
あなたの状態について
どうして知り得たでしょうか。
私は、
人としては何も知りません。
今見ていた幻も、
すでに私から去り、
消えてしまいました。
もちろん、
この場全体には
まだ働きが続いています。
あちらこちらから
引き寄せられるような感覚があります。
けれども、
私が語ったことは、
すべて事実でしたか。
――はい、
まったくそのとおりです。
それなら、
安心して家に帰りなさい。
(ご婦人が言う)
「手術を受けたのは、
一昨年の十一月で、
胆石が三つありました。」
――そうですね。
手術を受けられました。
では、
もう大丈夫です。
家に帰りなさい。
あなたは癒されていきます。
神が、
あなたを祝福されますように。
65. では、
次のご婦人をお連れください。
皆さん、
今はできる限り、
静かに、敬虔な心でいてください。
神を礼拝する思いで。
落ち着いていてください。
何気ない動きやざわめきは、
ここでは妨げになります。
どうか、
心を込めて見守ってください。
こんにちは、姉妹。
……少し説明させてください。
私が奇妙な振る舞いをしていると
思わないでくださいね。
時々、
自分が今どこに立っているのか、
一瞬分からなくなることがあります。
誰かが前に来られたりすると、
「この方が次の患者さんだろうか」と思い、
それでブラザー・バクスターの方を
見ることもあります。
またある時は、
主が私を
会衆の中へ導かれることもあります。
その場合、
私はそのまま
客席の方へ行くことになります。
……正直に言って、
これ以上、
自分でもうまく説明することは
できません。
66. あなたは、
私を主のしもべだと
信じてくださいますか。
(「信じます」)
ありがとうございます。
私がそれをお尋ねしたのには、
理由があります。
主は私に、
こう言われました。
「人々に、
あなたを信じさせることができたなら、
その上で、
真心から祈りなさい」。
それゆえに、
お聞きしたのです。
私は、
あなたのことを何も知りません。
神がご存じであるように、
私自身は、
あなたについて
何一つ知りません。
そして、
もし私が癒そうとしても、
それはできません。
私には、
あなたを癒す力はありません。
何が悪いのかを
知ることさえできません。
私は医師ではありませんから、
調べるには検査が必要でしょう。
レントゲンにかけ、
それでも分からないかもしれません。
けれども、
神の御霊は、
すべてのレントゲンの主です。
神は、
すべてをご存じです。
時間の流れをさかのぼり、
最初から最後まで、
すべてを見通しておられます。
あなたは、
それを信じますか。
67. さあ、よく聞いてください。
今、
あなたと私の間に、
暗いものが立っています。
雲のように、
漂い、動いています。
私は、
それが何であるかを知っています。
そして、
それが人々に
何をしてきたのかも知っています。
あなたは、
神経のことで
悩んでおられますね。
精神的な不安、
落ち着かない思いに
苦しんでおられる。
時には、
「自分は正気を失ってしまうのではないか」
と感じることもありますね。
――そのとおりでしょう。
私は、
あなたの心を読んでいるのではありません。
けれども、
それは事実です。
……大丈夫です。
泣かなくていいですよ。
今、
それはあなたから去りました。
あなたの信仰が、
祈りを待つことなく、
あなたを完全にしました。
さあ、
安心して家に帰りなさい。
あなたは、
健やかな、
元気な女性として
生きていきます。
神の祝福が、
あなたの上にありますように。
これが信仰です。
疑わず、
ただ信じなさい。
68. 皆さん、どうか静かに、敬虔な心でいてください。
少しでも動きがあると、
その一瞬、私の集中が妨げられます。
こんにちは。
少しだけ、お話しさせてください。
私たちは面識がありますか。
――いいえ、
まったくの初対面ですね。
私はあなたを知りません。
今、私が知っているのは、
ここに一人の女性が立っておられる、
それだけです。
けれども、
あなたも私も、
同じく限りある命を持つ者として、
いつか必ず、
全能の神の御前に立ち、
自分の人生について
説明する時が来ることを知っています。
あなたは、
病を抱えておられます。
すでに検査を受けましたね。
女性特有の病、
それも――
女性の器官に関わる癌です。
少し驚かせてしまったかもしれません。
けれども、
私は真実を語らなければなりませんでした。
そして、
もう一つ見えています。
あなたは、
まだクリスチャンではありません。
まだ、
救いを受けておられない。
あなたは、
主を受け入れていないままの
魂です。
どうか、
正直に答えてください。
――これは真実ではありませんか。
私は、
あなたに真実を語っていませんか。
今、あなたは
分かり始めているはずです。
この病は、
神の外にあるままでは、
あなたの命を奪ってしまう。
あなたを救うことができるのは、
神だけです。
今、
主はここにおられます。
あなたは、
この方を受け入れたいですか。
あなたのために死なれ、
あなたが救われるために
命を捨てられた、
主イエス・キリストを、
あなた自身の救い主として
受け入れますか。
今、
この方を受け入れますか。
もしそうなら、
人々への証しとして、
手を挙げてください。
――今、
イエス・キリストを
あなたの救い主として
受け入れますか。
69. 天の神よ。
この若い女性を祝福してください。
彼女の命を奪おうとして
すぐそこまで忍び寄っていた
この恐ろしい悪しき霊が、
今、彼女から離れ去りますように。
彼女は今、
あなたを受け入れました。
自分の罪を思い、
涙を流しています。
けれども今、父なる神よ、
あなたの前に立ちはだかるものは
何一つありません。
あなたはこう言われました。
「わたしのもとに来る者を、
わたしは決して退けない」。
赦すことを喜ばれる、
愛に満ちた父よ。
あなたは今夜、
この子を呼ばれました。
この病、
この悪しきものは、
あと半年ほどで
彼女の命を奪おうとしていました。
しかし今、主よ、
私たちは
あなたの癒しの力を
心から感謝します。
どうか彼女が、
あなたのぶどう畑で働く者と
なりますように。
主は言われました。
「わたしの言葉を聞き、
わたしを遣わされた方を信じる者は
永遠のいのちを持ち、
さばきに遭うことなく、
死から命へと移っている」。
父よ、
今ここで、
新しい命が生まれました。
彼女の魂のために、
そして癒しのために、
私たちは感謝します。
主イエス・キリストの御名によって。
アーメン。
この祈りは、
恐れ → 悔い改め → 赦し → 新しい命
という福音の流れが、とても明確です。
言葉は強いですが、
中心にあるのは一貫して
父なる神の憐れみと救いですね。
70. 姉妹よ、
あなたは今、キリスト者です。
あなたはこの列に来た時、
罪と咎の中にあって死んでいました。
しかし今、
キリスト・イエスにあって生きる者として、
新しいいのちをもって、
この列を去って行くのです。
あなたは、
癌からも癒されました。
行きなさい。
神があなたを祝福されますように。
あなたは、
心から信じていますか。
私は、
あなたにとって見ず知らずの者です。
あなたのことを何も知りませんし、
これまで一度も
お会いしたことはありません。
ですから、
私たちは互いに他人です。
けれども、
一つ分かることがあります。
あなたは、
クリスチャンです。
あなたは、
私を神の預言者だと信じますか。
――信じますね。
私が今そう言った時、
何かがあなたを打ったでしょう。
それが、
私の前に来た幻でした。
では、
あなたの状態をお伝えします。
少し不思議に思われるかもしれません。
また、
このような混じり合った会衆の前で
言うことを
私は本意とはしません。
けれども、
害になることではありません。
あなたには、
皮膚に関わる問題があります。
ある特定のものに触れると、
反応してしまうのです。
衣類――
例えば、
ストッキングのようなものが
足に触れると、
かぶれてしまう。
――そうですね。
もしそれが事実なら、
手を挙げてください。
……そうです。
発疹が出るのですね。
こちらへ来てください。
天の神が、
あなたを癒してくださいま
71. ナザレのイエスよ。
私は、この女性がベッドのそばに座り、
ストッキングをはこうとして、振り向く姿を見ました。
いのちの主よ。あなたの預言者として、私はこの姉妹に手を置きます。
彼女は、私のキリストにある姉妹です。
それゆえ、主イエス・キリストの御名によって命じます。
サタンよ、今夜、この女性から出て行きなさい。
彼女の中にある、このアレルギー――血に作用し、
反応を起こさせているそのものが、
今この時、
彼女の血から去りますように。
そして、
完全に癒されますように。
主イエス・キリストの御名によって、
これを祈ります。
あなたは言われました。
「人々に信じさせ、
その上で、
真心から祈りなさい」。
72. 私は言いました。
「人々は、私を信じないでしょう」。
すると、
あなたは言われました。
「これらのしるしによって、
彼らはあなたを信じる」。
ですから今、
私は真心から、
この姉妹をあなたにお委ねします。
この時から、
彼女が完全に癒されることを、
主イエス・キリストの御名によって宣言します。
アーメン。
さあ、姉妹。
神があなたを祝福されますように。
もう、
ストッキングのことや
その症状について
心配する必要はありません。
神は、
必ずあなたを
健やかにしてくださいます。
――それで大丈夫です。
73. 若い姉妹、
あなたは信じていますか。
少し、
気持ちが高ぶっていますね。
でも大丈夫です。
私は、
あなたを助けるためにここにいる、
あなたの兄弟です。
今あなたの状態を知っているのは、
この霊的な働きだけです。
そして、
あなたを本当に助けることができるのも、
このお方だけです。
あなたは、
自分が語っている
その聖書を信じていますね。
(ご婦人が答える)
――ええ、
あなたが信じていることは、
私にも分かります。
でも……
私が今言ったことで、
少し驚いたでしょう。
さて、
もう一つお伝えします。
あなたは、
胃の調子が悪く、
それに悩まされていますね。
また、
緊張や重圧から来る
神経の不調もあります。
ほかにも、
いくつか問題があります。
けれども、
少し前までのように、
何の心配もなく
健康を楽しみたいと思いませんか。
――そのとおりですね。
では、
こちらへ来てください。
74. 父なる神よ。
あなたのしもべとして、
私はこの女性に手を置きます。
ここ、この壇上に、
全能の神の御使いが
立っておられることを覚えつつ、
彼女を祝福し、
彼女のために祈ります。
神の御子、
イエス・キリストの御名によって、
彼女を癒し、
健やかにしてください。
どうかこの祈り、
真心からの祈り、
しもべによる切なる祈りを
お聞きください。
主イエス・キリストの御名によって、
これを願います。
アーメン。
神があなたを祝福されますように、姉妹。
さあ、行きなさい。
健やかに生きていきなさい。
では、次のご婦人。
あなたは信じますか。
この問いをするのは、
あなたの霊が
どのように応えるかを見るためです。
「信じますか」と言った時、
もし心が偽っていれば、
それは示されます。
けれども、
あなたは今、
考えておられますね。
私は、
あなたの心を読んでいるのではありません。
ただ、
あなたは今、
「この人は私に何を語るのだろう」と
思っている。
先ほどの女性に起こったことを見て、
そう感じているのです。
あなたの問題は、
胃のことではありません。
先ほどの方とは違います。
あなたには、
腫瘍があります。
――そのとおりですね。
もし私が、
主イエスにお願いするなら、
主はあなたを癒してくださると
信じますか。
主は言われました。
「信仰による祈りは、
病む者を救う」。
あなたは、
私が主を愛していると
信じますか。
――信じますね。
では、
私があなたのために祈るなら、
主がその祈りを
聞いてくださると
信じますか。
それなら、
こちらへ来てください。
あなたは、
これからの生涯、
真心をもって
主に仕えていきますか。
75. 全能の神よ。
私は、あなたの御名によって、
この女性を祝福します。
あなたは言われました。
「地上であなたが縛ることは、
天においても縛られ、
地上であなたが解くことは、
天においても解かれる」。
その鍵は、
教会に与えられています。
それゆえ、
聖書の権威に基づき、
今ここに臨在しておられる
復活の主イエス・キリストの権威に基づいて、
また、その御使いがこれらを現しておられることを覚えつつ、
私は宣言します。
「この女性のうちにある腫瘍よ、
呪われよ。
主イエス・キリストの御名によって、
彼女から去れ。」
――そのまま、
「主よ、ありがとうございます」と
言い続けていなさい。
神は、
あなたが手術を受ける必要がないように
してくださいます。
こんにちは。
神があなたを祝福されますように。
主は、
あなたの祈りを聞いておられました。
そちらで祈っておられた方――
そう、あなたです。
あなたは、
座ったまま、
頭を垂れて祈っていましたね。
神は、
その祈りを聞かれ、
私をあなたの方へ向け、
あなたに語らせたのです。
さあ、
こちらを見てください。
――誤解しないでください。
これは命令ではありません。
ペテロとヨハネが
「私たちを見なさい」と言った時と
同じ意味です。
また、
エリヤが
「もし私がヨシャパテの存在を
尊んでいなかったなら、
あなたを見もしなかっただろう」
と言った、
あの時と同じです。
76. あなたがこちらを見たのは、祈っていたからです。神が、あなたに私の注意を向けさせたのです。もし神が、あなたの問題を私に示してくださったなら、
あなたは癒しを受け取りますか。――もし神が、何が問題かを明らかにされたなら……。
あなたには、出血に関わる問題がありますね。――そのとおりですね。
手術を受ける予定があるのではありませんか。――そうですね。
直腸に関わる、何らかの手術を勧められている。――そのとおりです。
もしそれが事実なら、立ち上がってください。……はい。
それなら、家に帰りなさい。今から、癒されてます。
神は、あなたの祈りを確かに聞かれました。
さて、姉妹。あなたは、先ほど立っておられた時、
それを見ていましたね。その瞬間、何かがあなたの上に
臨んだでしょう。とても不思議な、言葉にしにくい感覚。
――そうですね。その時、神はあなたを癒されました。
あなたは長い間、女性特有の問題を抱えてきましたね。
慢性的な痛み。特に、
左側に強く出る。――そのとおりです。
それは、誰にも言えないことでした。
部屋の中で、浴室で――あなたは今、
私が何を言っているか分かっていますね。
なぜなら、あなたが今考えていることと、
私が心に浮かんでいることが同じだからです。
――それを知ることができるのは、神だけです。大丈夫です。
あなたは癒されました。安心して、自分の道を歩んでいきなさい。
主イエスが、あなたと共におられ、あなたを健やかにしてくださいます。
こんにちは、姉妹。
あなたは、
信じますか。
77. 今、
神は会衆の中へと
働きを広げ始めておられます。
私は、
あちらにいるあの女性から、
再び主の働きが流れ出ていくのを
感じています。
――
「見よ、そして生きよ」。
あなたは、
このみことばを信じますか。
このみことばは、
聖書にあります。
ヨハネによる福音書十四章十二節。
この書の著者である
イエス・キリストご自身が
こう言われました。
「わたしのしている業を、
信じる者たちもする」。
これは真実ではありませんか。
あなたは、
主が今夜、
私を遣わし、
あなたの前に
主ご自身を表すために
立たせておられると
信じますか。
それなら、
私にできることは
ただ一つです。
主が示されることだけを
語ること。
それは、
主が地上におられた時に
なさったことと同じです。
そして今も、
主はここにおられ、
同じように働いておられます。
あなたの問題が見えています。
もし私がそれを語ったなら、
あなたは
主をあなたの癒し主として
受け入れますか。
――あなたは、
関節炎に悩んでいましたね。
それが事実なら、
手を挙げてください。
……はい。
では今、
主をあなたの癒し主として
受け入れましたか。
それなら、
家に帰りなさい。
その症状は、
去らなければなりません。
神が、
あなたを祝福されますように、姉妹。
どうしましたか。
心配する必要はありません。
私は言ったでしょう。
神があなたを
祝福すると。
今、
何が起こっているか、
分かりますか。
――先ほど言ったように、
あなたが考えていたことと、
私の心にあったことは
同じでした。
それでよいのです。
さあ、
そのまま進みなさい。
それで正しいのです。
78. こんにちは、姉妹。
あなたは、私を神の預言者だと信じますか。
あなたには、
いくつかの苦しみがありますね。
一つは、
心臓の不調です。
それが、
あなたを悩ませてきました。
それから、
もう一つ――
(※テープの欠落箇所)
しかし今、
あなたには信仰があります。
今のこの信仰の状態に、
そのまま留まることができるなら、
その苦しみは
あなたから去っていきます。
それができますか。
――主が、
あなたを祝福されますように。
心臓のことも、
もう心配はいりません。
行きなさい。
(※途中不明瞭箇所)
皆さん、
どうか静かに、敬虔な心で。
神よ、
どうか憐れみをもって、
この女性を癒してください。
あなたの御霊が
彼女の上にあり、
完全にしてください。
サタンよ、
主イエス・キリストの御名によって、
この女性から出て行きなさい。
――こちらを見てください。
声は聞こえていますか。
心から信じていますか。
――それでよい。
主は、
あなたを癒されました。
安心して行きなさい。
すべては、
もう大丈夫です。
あなたは、
本来の状態に戻りました。
79. 姉妹……
こうしてあなたがそこに立っておられる姿を見ると、
あなたがもう若い女性ではなく、
白髪も混じり始めていることが分かります。
きっとこれまでの人生は、
決して花道のように楽なものでは
なかったのでしょう。
――それがどのようなものであったか、
私はまだ知りませんし、
今お伝えすることもできません。
けれども、
神はここにおられ、
あなたの問題を明らかにすることがおできになります。
私はあなたのことを思い、
心から気の毒に感じています。
そして私は、
主イエス・キリストにある
あなたの兄弟です。
私は、
あなたを助けたいのです。
私を信じてくださいますか。
もし神が、
あなたと私のところに
愛をもって臨んでくださり、
兄弟姉妹として向き合うこの場で、
あなたの問題を私に示してくださるなら――
そのために私が祈るなら、
神があなたを癒してくださると
信じますか。
父なる神よ。
この姉妹のために祈ります。
どうか彼女を癒し、
健やかにしてください。
私は彼女に手を置き、
神の御子、
イエス・キリストの御名によって、
この祝福を求めます。
彼女を癒してください。
アーメン。
さて、
長い間あなたを苦しめてきた
この心臓の不調が、
今、去ると信じますか。
あなたは、
良くなると信じますか。
――そのとおりです。
あなたは癒されます。
神が、
あなたと共におられますように。
80. 二階席の皆さん、
あなたは主を愛していますか。
心を尽くして主を愛していますか。
主を信じなさい。
主は、あなたがどこにいようとも、
必ずそれを成し遂げてくださいます。
私があなたにお願いするのは、
ただ一つ。
私が語ったことが真実だと、
信じてほしい、それだけです。
――これは、
ただ感情を吐き出しているのではありません。
ああ、もしあなたが
霊において生きていたなら。
神の祝福がありますように、兄弟。
今、信じるなら、
その喘息の状態は去り、
あなたは癒されます。
信じますか。
……では、
神の祝福がありますように。
もう行って大丈夫です。
そこのご婦人。
はい。
この建物に私が入ってから、
あなたはずっと私を見ておられましたね。
姉妹、
そこにいらっしゃって結構です。
見たところ、
あなたは健康そうに見えます。
しかし、少し前に私は見ました。
あなたは背中に痛みを抱えていますね。
――そのとおりではありませんか。
先ほど、
主はすでにあなたを癒されました。
あなたは、もう良くなっています。
大丈夫です。
信仰を保ちなさい。
81. えっと、「あなたは、自分に何が起きているか分かっているでしょう。がんです。あの人があなたに告げたとき、私はそれを見ました。
あなたに残された生きる道は一つしかありません。それは、イエス・キリストによるものです。
あなたは、主を救い主として信じますか。
生涯をもって主に仕えると約束できますか。
これまで主をどのように扱ってきたか、恥ずかしいと思いませんか。
あなたは、私が主の預言者であると信じますか。
たとえそうしようとしても、あなたの人生を私から隠すことはできません。
さあ、今、家に帰るのですか。
あなた自身を、今、神に明け渡しますか。
見なさい。あなたはかつて神を知っていました。
かつて神との経験がありました。
しかし、あなたは神から離れ、去って行った。
そして、このがんは、あなたを家に連れ戻すために臨んだのです。
今、主を受け入れる準備はできていますか。
今、このお方をあなたの救い主として受け取りますか。
もう二度と離れず、残りの日々をすべて主のために生きると約束できますか。
もしそうするなら、手を挙げなさい。」
82. 「全能の神よ、あなたは、この哀れな子の告白をご覧になっています。
この子は、放蕩息子のように道を踏み外し、世の豚小屋の中、ぬかるみの泥の中をさまよってきました。
哀れな小さな者です。今、サタンが彼女に襲いかかり、その命を取ろうとしています。
それが彼のやり方です。人の目をくらませ、そして命を奪うのです。
しかし、恵みによって、あなたは今夜、この集会へと彼女を押し出してくださいました。
そして、この場、この演壇に立つことができるように取り計らい、彼女の心の奥の秘密が明らかにされました。
神よ、彼女の背信をお赦しください。
あなたは『わたしは背信した者と結ばれている』と言われました。
父よ、どうか……
あなたはまた、『わたしのもとに来る者を、決して捨てはしない』と言われました。
主よ、今夜、彼女が自ら進んで、へりくだって来ています。
あなたは決して彼女を見捨てたことはありません。
彼女が、あなたを捨てたのです。
これまでずっと、あなたは彼女を愛し、語りかけ、呼び続けてこられました。
それでも彼女は、離れたままでした。
神よ、今夜、私が『帰って来るのか』という言葉を用いたのは、そのためなのです。」
83. 「神よ、どうかこの時から、彼女があなたと共に、またあなたの教会と共に歩み、あなたのために生き続けることができますように。
今、原因が明らかにされた以上、次は癒やしがなされなければなりません。
サタンよ、呪われよ。
イエス・キリストの御名によって、『がん』と呼ばれる者よ、この娘から出て行け。
神の預言者として、私を見なさい。
私が『帰って来る』『離れていた』『振り返っていた』という言葉を用いた理由はそこにあります。
今、あなたの罪は赦されました。
そして、あなたのがんは癒やされました。
さあ、行きなさい。もう罪を犯してはなりません。
神があなたと共におられます。
――ちょっと待ちなさい、ご婦人。大丈夫です。
そこに座っている小さなご婦人、白い服を着て、胃の病を持っているあなたです。
一番上の列、あそこにいる、胃の病のある方。あなたは癒やされたいですか。
あなたも、神から離れていました。
もし今夜、悔い改めて、家に帰るなら、神はあなたを癒やしてくださいます。」
84. 「そして、そこに座っているあなた。赤い、目立つ服を着て、私を見つめている方。
あなたは、私を神の預言者だと信じますか。
あなたは、その光の下にいます。だから私はあなたに語りかけているのです。
私は、そこに暗い影があるのが見えます。
あなたは、私を神の預言者だと信じますか。
――信じますね。
あなた自身のことではありませんね。
いいえ、あなたは、ある子どものことを心配しています。そうでしょう。
腎臓の病を持った子どもです。
神がその子を良くしてくださると信じますか。
あなたが今、思っているその小さな子どもを、神が癒やしてくださると信じますか。
もし信じるなら、神はそれを成し遂げてくださいます。
神をあなたの癒やし主として受け入れるなら、そうなるのです。
神を信じなさい。
何一つ疑ってはなりません。
神は、必ずそれを実現されます。」
85. 「神はあなたを祝福します、姉妹。あなたは、そこに立っている間に――その場で癒やされました。
主があなたと共におられます。
神を信じなさい。
あなたは信じますか。
主の御使いは、今、ここ二階席の別の方のところへ移られました。
その時、私は誰であるかをはっきり見ることができませんでした。
神を信じなさい。
あなたは心から信じますか。
そこの男性。あなたは、その喘息から解放されたいですか。
そうですか。
もしそうなら、手を挙げなさい。
イエスをあなたの癒やし主として受け入れますか。
――それでよい。さあ、帰りなさい。神があなたを良くされます。
そこの方、上の方に座っている黒人の男性。心臓の病がありますね。
それから、脚にも何か発疹のようなものが出ているでしょう。
――そのとおりです。
あなたも、家に帰って癒やされます。イエス・キリストがあなたを癒やされます。
神があなたを祝福されます。
あの後ろに座っている、貧血のあるご婦人も、信じるなら癒やされます。
神を信じなさい。
さあ、信じますか。」
86. 「こんにちは、姉妹。小さな男の子を抱いていますね。
あなたは、私を主の預言者だと信じますか。
姉妹、私はあなたの息子を癒やすことはできません。それは不可能です。私は人間です。
しかし、神はあなたの息子を癒やすことがおできになります。
あなたは、私を主の僕として信じますか。
その赤ちゃんは、生まれた時から、体に青みが現れる、心臓の病を持っていましたね。
その子は、今も心臓の病で苦しんでいますね。そうですね。
それは本当ですか。
――「そのとおりです。」
こちらへ来なさい。
天におられる神よ、どうかこの小さな男の子に憐れみを注いでください。
私は、この子を祝福します。
イエス・キリストの御名によって、すべての罪を赦し、この子をあなたの御手にお委ねします。
どうか、この子が生きて、死ぬことがありませんように。
イエス・キリストの御名によって。アーメン。
神が……(不明瞭)」
87. 「よろしい、姉妹。
あなたは、私を主の預言者だと信じますか。
あなたは、そう信じるべきです。なぜなら、あなた自身が、すでに奉仕者(ミニスター)だからです。
そうですね。
では、私があなたが奉仕者だと、どうして分かったのでしょうか。
――そのとおりです。
あなたは、婦人の病で苦しんでいますね。
――『はい。』
それは事実ですね。
――『本当です。』
そのとおりです。
あなたは家に帰って……
あなたは、喉にも問題がありますね。
――そうでしょう。
――『それを癒やしてほしいのです。』
あなたは、ほかのことよりも、喉が癒やされることを望んでいますね。
――そうですね。
――『福音を宣べ伝えるためです。』
福音を宣べ伝えるために、です。
あなたは奉仕者であり、喉の病を持っています。
そして、そこに座っているもう一人の奉仕者がいます。
あそこです。アッセンブリーズ・オブ・ゴッドに属している方ですね。
そうでしょう、兄弟。
あなたは、私とは全くの他人ですが、同じく重い喉の病を持っています。
そうですね。
しかし、あなたがた二人とも、主イエスの御名によって、家に帰って癒やされなさい。」
88. 「姉妹、あなたは、そのがんから解放されたいですか。
――『はい。』
そうですか。
では、今すぐ、イエスをあなたの癒やし主として受け入れなさい。
そして、こう言いなさい。
『主イエスよ、私はあなたを信じます。』
神があなたを祝福されます。
さあ、行きなさい、姉妹。癒やされて帰りなさい。
見なさい。主は、ここにおられます。
信じることができるなら、すぐ近くにおられるのです。
この建物全体が、琥珀色の光に包まれつつあります。
あちらこちら、至る所です。
神を信じなさい。
心を尽くして、主を信じなさい。
なぜ、がんのことで恐れているのですか。
あなたも、そしてあなたのご主人も、二人とも、それを恐れてきました。
あなたのすぐ後ろにいる、その男性と女性。
そうです、あなたがた二人に話しています。
もし癒やされたいなら、主イエスの御名によって、立ち上がりなさい。
――そのままでよい。
あなたは、心から信じますか。」
89. 「そこの簡易ベッドに横たわっている方々は、どうですか。信じますか。
あなたは、私を信じますか。
そこに座っているご婦人。
少し前に、私はあなたを見ました。
あなたは、あそこに横たわっているあの少女のことを、気にかけていましたね。そうでしょう。
私は、その子を癒やすことはできません。
こちらを見なさい、若いご婦人。
あなたは、私を神の預言者だと信じますか。
姉妹、このまま横たわっていたら、あなたは死にます。
病は胃にあります。そうでしょう。
しかも、非常に重い状態です。
神のほかに、あなたを助けるものは何もありません。
私の言葉を、少しでも信じてくれますか。
全能の神の御使いが、今、あなたの寝台のそばに立っています。
私は、あなたの検査の様子を見ています。
そして、彼が語ることを聞いています。
人々は、あなたにすべてを伝えていません。
何かを隠しています。
しかし、よく聞きなさい。
もし、イエス・キリストをあなたの癒やし主として信じ、受け入れ、
そして、生涯、主に仕えると約束するなら――
あなたは、そうしますか。
――『します。』
それなら、神の僕として、私はあなたに命じます。
イエス・キリストの御名によって、床を取り上げ、家に帰りなさい。
そして、癒やされなさい。
恐れてはなりません。
あなたには力があります。
心配してはなりません。
立ち上がりなさい。家に帰りなさい。
――ご婦人、もう一度言います。
ここに横たわり続けることは、死です。
イエス・キリストの御名によって、起き上がりなさい。
――今です。
決して、神の御霊に逆らってはなりません。
この中で、癒やされたいと願う人は何人いますか。
手を挙げなさい。」
90. 「全能の神よ、あなたの御子、イエス・キリストの御名によって、
今この瞬間、これらあなたの民の上に、あなたの祝福を注いでください。
そして、一人ひとりを癒やしてください。
私は今、彼らすべてを祝福します。
ここにいる、すべての病める者が癒やされますように。
サタンよ、主イエスの御名によって、彼らから出て行け。」