神によるモーセの任命
コナーズビル インディアナ州 アメリカ合衆国
説教番号: 53-0603
日付: 1953年6月3日(53-0603)
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1. 「天の父よ、あなたが私たちに、永遠に入るその前に、もう一日、こうして与えてくださったこの恵みを心から感謝いたします。
今夜、私たちは聖霊のご臨在の中で、神の御使いたちに囲まれ、この集いの中にあって、あなたの愛する御子、復活の主イエス・キリストの福音を語るために集められました。
主ご自身が、私たちを 『全世界に出て行きなさい』 とお遣わしくださり、
新しく生まれた信者たちに聖霊の力を示すようにと命じてくださいました。
そしてあなたは言われました、
『信じる者には、これらのしるしが伴う』 と。
主よ、この恵みに預かっていることを、今夜も心から嬉しく思います。
神よ、今夜どうか助けてください。
信じきれずにいる者が、復活の主キリストを全き信仰をもって受け入れ、真の信者となるように導いてください。
また病んでいる者、必要のある者をどうか癒してください。
病と苦しみをその身体から追い払ってください。
そして主の再臨が近づくこの時代に、古き良きリバイバルが、この地全体に再び燃え広がりますように。
この祈りを、主イエスのお名前によっておささげします。
アーメン。」
[録音の空白部分あり]
2. 「あの初めのときと同じように、サタンは今もなお実在しています。変わることなく、彼は今も悪魔です。さて、今から聖書の出エジプト記を少し読ませていただきます。ここには、神がご自身のしもべモーセを召し出し、遣わされる場面があります。モーセは偉大な仕える者、解放者であり、キリストの型であります。律法を与えられた者であり、祭司としての働きも担いました。
『見よ、わたしは使いをあなたの前に遣わし、あなたの歩む道であなたを守り、わたしが備えた場所へとあなたを導く。
その者に気をつけ、その声に従い、逆らってはならない。
彼はあなたがたのそむきに寛容ではない。
なぜなら、わたしの名が彼の内にあるからである。
しかし、もしあなたがその声によく聞き従い、わたしの命じることをすべて行うなら、
わたしはあなたの敵の敵となり、あなたを苦しめる者の敵となる。
見よ、わたしは使いをあなたの前に遣わす……』
(出エジプト記より)
そして同じ出エジプト記の第13章21節にはこうあります。
『主は昼は雲の柱をもって彼らの前を進み道を導き、
夜は火の柱をもって光を与え、昼も夜も歩むことができるようにされた。
主は昼の雲の柱も、夜の火の柱も、民の前から取り去られなかった。』」
3. 「これは、まさに神の民にとって大きな危機のただ中の出来事でした。
彼らはエジプトに“連れ去られた”のではありません。そうではなく、飢饉が彼らをそこへ追いやったのです。そして彼らは、あの地で四百年ものあいだ、捕らわれの身として過ごしていました。しかし、これらすべては神のご計画のうちにありました。神はまずアブラハムに語られ、
『あなたの子孫はよその地に寄留し、そこで四百年のあいだ苦しめられる。
しかし時が満ちると、わたしは力強い御手をもって彼らをそこから導き出す』
とお告げになっていたからです。神の御業も、神の約束も、すべてが見事にひとつにつながり、調和するのです。」
4. 「祈りの列に移る前に、少しだけ証しをさせていただきたいと思います。
ちょうど神の約束が成就しようとしていたその時、イスラエルの民はエジプトで豊かに暮らしていました。ヨセフが飢饉の七年の間、あの国を救ったゆえに、王の前で大きな信望を得ており、その恩恵のもとで人々は安泰に暮らしていたのです。神は彼らに好意を与えておられました。しかし、約束が成就する“その時”が来ると、ヨセフのことを知らない新しいパロが立ち上がりました。
そこから迫害が始まったのです。その迫害が、民を互いに寄り集まらせ、祈りへと向かわせました。いつの時代も、迫害は神の働きをより強めるものです。
歴史を通して、常に迫害の中で主の働きは進められてきました。
私は大きな確信を持って信じています。主の再臨の前に、私たちの小さな違いはすべて解決される、と。もしかすると神は、共産主義を用いて私たちを一つに集められるかもしれません。しかし、何かが起こり、私たちが同じ思いと心で一つになる時が来るでしょう。もし今、私たちが癒しのための信仰すら持てないなら、どうして“携挙の信仰”が持てるでしょうか?大きなことを信じる前に、まず小さなことにおいて信仰を働かせなければなりません。ですから、きっと何かが私たちに起こるのです……。それは神の摂理のうちにあります。私にはそれが何であるか分かりません。しかし私は最近、その“ひな型となるような出来事”を見ました。今夜はそのことをお話ししたいと思います。」
5. 「そして神がこの“小さな人”、モーセをお遣わしになった時のことです……。
彼は特別な生まれ方をし、特別な時代に生まれました。そして神は彼を隠し、守られました。それは、モーセを遣わすという神の選び、神の召しでした。モーセ自身にはどうすることもできません。彼は“モーセであるがゆえに”そうなったのです。神が彼の命を守られたのは、まさに“あらかじめ定められた御心”であり、神のご予定の中にあったことでした。やがて彼が人を殺してしまい、ミディアンの荒野でイテロの羊を牧していた頃……そのある日、神は燃える柴の中から彼に語りかけられました。そして言われたのです。『あなたの履物を脱ぎなさい。あなたが立っているその地は聖なる地であると。神がイスラエルという“自然の民”を導かれたその方法は、今日、神が“霊の教会”を導いておられる方法の完全な型です。当時、神はイスラエルを“しるしと不思議と奇跡”によって導き出されました。
そして今日もまた、神は“霊的イスラエル”を、同じようにしるしと不思議と奇跡をもって導き出しておられます。神はいつの時代も変わりません……。
しるしとは、神に常に伴うものです。なぜなら神は超自然の方であり、創造主だからです。神には不可能なことなど一つもありません。」
6. 「そして、人が神の霊によって新しく生まれると、その人は“神の子・神の産み出した者”となります。そのとき彼は、神と同じ種類の思いを持つ者となるのです。
キリストのうちにあった思いが、私たちのうちにも宿ります。その結果、私たちは“見えないもの”を信じ、“奇跡”を信じ、どんなことでも主が成してくださると信じる者になるのです。さらに聖霊が私たちのところに来てくださり、これらのことについて語り、導いてくださいます。愛するクリスチャンの皆さん、これらの集会の目的とは、ただひとつです。神の前において、他のどんな目的もありません。それは――あなたの信仰が奮い立てられ、あなたの魂の救いを信じる信仰へ、そしてあなたの身体の癒しを信じる信仰へと、引き上げられるためなのです。」
7. 「数週間前のことですが、私が所属している南部バプテスト連合の会長から、こう言われたのです。
『ブラナム兄弟、あなたの集会で私たちが気になっているのは、
“神の癒し”に時間を使いすぎて、魂への働きかけが足りないように思える、という点です』と。
彼らはケンタッキー州ルイビルで集会を後援したいと言っていました。
ルイビルには七十ものバプテスト教会があります。
私はその方に申し上げました。
『ご理解いただけていないようですが、私の集会での“神の癒し”は、あくまで“餌(えさ)”にすぎません。
魚に針を見せるのではなく、餌を見せるでしょう?』と。
『人々が、神がどのようなお方であるかを目にするとき、福音が彼らを捉えるのです。
その働きこそが“魂のため”なのです。』
彼は私にたずねました。
『あなたの集会では“回心者”が出るのですか?』
私は答えました。
『この七年間で、私の集会だけで三十五万人以上がイエス様を受け入れました。
他の働き人たちが続けた結果は含めずに、私の集会だけで、です。』
その答えに彼は黙り込んでしまいました。
『その人たちは、どこへ行くのですか?』と彼は言いました。
私は答えました。
『それぞれが望む教会へ行きます。』
彼は言いました。
『だいたいペンテコステ派に行くようですね。』
私は答えました。
『そうです。なぜならペンテコステ派は、この働きを信じ、この働きにやって来て、
そしてその道を歩むからです。
あなた方は信じないので来ない。だから受け取れないのです。
けれど、あなた方の中にも来る人たちはおり、彼らは実際に見て、信じて、そのまま進むのです。
ですから、もしあなた方が心を低くして……』と言いかけると、彼は遮ってこう言いました。
『では、クリスチャン・サイエンスや、いろいろな“イズム(異端)”についてはどう説明しますか?』
私は言いました。
『もしあなた方の教会が、本来立つべきところにしっかりと立っていたなら、
そのような“カルト”は生まれなかったのですよ。
皆さんが福音をしっかり宣べ伝えていたなら……。
人間というのは“超自然的な存在”なんです。
彼は神を求めて飢えています。
もし“神のまことの食物”を見つけることができなければ、
手に入るどんなものでも食べようとするのです。
彼の内側が“超自然的な存在”だからです。』
私はこう続けました。
『だからこそ彼は自動車を作り出し、発明をし、
ほとんど“創造する”かのようなことができるのです。
彼は“神のかたち”に造られた者なのですから。』
……これがその時の話でした。」
8. 「さて、今夜も言いますが──神は今も変わらず“神”です。神がイスラエルの民をエジプトから導き出された時、神は“ひとりの御使い”を遣わされました。
神は昔から、御業をなさる際には必ず御使いを用いられます。もちろん、神の御使いが拝まれたことは一度もありません。彼ら自身、拝まれることを許しません。真の神の御使いは、礼拝されることを拒むのです。しかし、神はどの時代においても御使いをお用いになってきました。最近、フルゴスペル教会に属するある良い兄弟が、私にこう言いました。『ブラナム兄弟、あなたが“天使が現れた”と言うのを、何度も聞きました。あなたの本も読みました。しかしね、息子よ、それは誤りだ。』私は言いました。『いいえ、先生、それは誤りではありません。』
彼は言いました。『今の時代、神が教会を天使によって導くことはない。
旧約時代──ダニエルや預言者たちは天使に導かれたが、終わりの時代の教会を導くのは聖霊だ。』私は言いました。『それは正しいです。しかし、それでもなお“天使”は存在します。』彼は言いました。『新約聖書の教理としては認められない、ブラナム兄弟。』私は言いました。『ああ、兄弟よ、もちろん新約にもあります。
処女マリヤのところに現れたガブリエルは、新約の天使ではありませんでしたか?』すると彼は答えました。『あれは聖霊が来られる前のことだ。』
私は尋ねました。『では、ピリポは“聖霊を受けていましたか”?』
『受けていた』と彼は言いました。私は言いました。『では、ピリポがサマリヤにいた時、“エチオピアの宦官のために”荒れ野のガザに行くよう告げたのは──
聖霊でしたか? それとも“主の御使い”でしたか?』あれは“主の御使い”であり、“聖霊”ではありません。さらに私は言いました。『では、パウロは聖霊を受けていましたか?』『もちろんだ』と彼は答えました。『では、ペテロは聖霊を受けていましたか?』『もちろんだ』と。『では、ペテロが牢に入れられていたとき、
マルコの家で人々が祈っていたあの時、牢の中に光のように現れ、鉄の扉を照らしたのは誰でしたか?“主の御使い”です。』そして私はこう続けました。
『では、十四日十四夜──月も星も見えず、嵐の中で“助かる希望はすべて失われた”と皆が思っていたとき……パウロは船倉に降り、しばらくして戻って来て、こう言いました。『しっかりしなさい。私が仕えている神の御使いが傍らに立ち、こう言われたのです。“パウロよ、恐れるな。あなたは必ずカイサルの前に立たなければならない。そして神は、あなたと共に航海している者たちを皆、あなたにゆだねられた。”だから兄弟たちよ、私は神を信じます。それは私に示されたとおりになるのです。』」
9. 「パトモスの島で、ヨハネ……。“主に愛されたヨハネ”が聖霊のバプテスマを受けていたことは、誰もが知っています。そして黙示録という書物全体は、ひとりの天使によってヨハネに啓示されたのです。ヨハネは、その天使の前にひれ伏して礼拝しようとしました。その天使はイエス・キリストとは別の存在でした。
すると天使は彼を止めました。そして主ご自身がこう言われました。
『わたし、イエスは、これらまもなく起こるべき事をあなたがたに証しするために、わたしの御使いを遣わした』と。その通りではありませんか?
ええ、そうなのです、クリスチャンの皆さん。神の御使いたちは“奉仕する霊”であり、神の御前から遣わされ、神の働きのために仕える者たちなのです。」
10. 「さて、これこそが私の集会の中心テーマ──
“イエス・キリストは昨日も今日も、いつまでも変わることのない方です”という真理なのです。
モーセが出発したとき、あの柴の中に燃えていた火……
神は彼に言われました。
『見よ、わたしは御使いをあなたの前に遣わし、
あなたが歩む道であなたを守り、
わたしが備えた場所へと導く。
その方に気をつけ、逆らってはならない。
彼はあなたがたの背きを赦さない。
わたしの名が彼のうちにあるからだ。』
聖書を読む皆さんならご存じの通り、
イスラエルの子らを導いた“火の柱”こそ、
“契約の御使い”でしたね?
その方はイエス・キリストでした。
『モーセは、エジプトの富よりも“キリストのそしり”を選んだ』と聖書は言います。
つまりモーセは、エジプトの宝を踏み越えてでも、
“キリスト”の価値を選んだのです。
あの火の柱こそ、キリストでした。
あの燃える柴の中におられたのと同じ御方──
同じ“契約の御使い”でした。
そしてその方は、時代を通して導き手であり続けています。
イエス・キリストは昨日も今日も、そして永遠に、同じお方です。」
11. 「ここにおられるほとんどの方が、私の生い立ちをご存じだと思います。
私はこれを、へりくだった心で、皆さんへの愛をもってお話しします。
ただ、神の御前で恵みをいただきたいと願っているからです。
いつか私がこの世の生涯を終え、この務めを終えて旅立つその日には、
この会場にいる誰と同じように、私も天国へ行きたいのです。
天国は、私にとって何よりも尊い場所だからです。そこには、私の妻がいます。
私の赤ちゃんがいます。愛する者たちがいます。そして、何千人もの友人たちがいます。私もそこへ行きたいのです。何よりも──私の主イエスがそこにおられるのです。私は主に会いたいのです。ですから私は知っています。もし私が偽り者であったり、欺く者であったりすれば、決して天の御国に入ることはできません。偽り者として、私は門前で退けられてしまうでしょう。そうなれば天国へ行くことはできません。しかし私は天国に行きたいのです。だからこそ、今夜ここに立っているのです。私の説教や教えが批判されることもあります。しかし私は、このすべてを聖書によって証明できますし、神ご自身が“しるしと不思議”をもって後押ししてくださっています。もし神が『そうだ』と語っておられるなら、
その後に誰が疑う権利を持つでしょうか?神が語られたのです。」
12. 「最近のことですが、テキサス州ヒューストンで起こった出来事を、
短い時間ですが、できる限り簡潔にお話ししたいと思います。私はヒューストンの大きな会場で集会をしていました。おそらく、八千人ほどが入っていたと思います。ここにおられる方の中にも、あの集会に参加していた方がいるかもしれません。その集会のさなか、市内のある牧師が──バプテスト・テンプルのベスト氏という方でしたが──新聞に記事を書き、『私はブラナムは宗教的いんちき者であり、この町から追い出されるべきだと思う』と公に書いたのです。
そして、自分こそがその役目を果たす者だ、とまで言いました。
……それが“キリストのしもべ”としてふさわしい言葉かどうかは、
ここでは触れません。彼は若く、学ぶべきことが多くあったのでしょう。
それは私自身も同じですし、ここにいる誰もがそうです。さて、フレッド・ボズワース兄弟──ここにおられるほとんどの方が彼をご存じでしょう──
彼はこの集会の管理をしていました。彼が私のところに来て、こう言ったのです。『ブラナム兄弟、これは恥ずかしいことではありませんか?彼に挑戦してやりましょう。』私は答えました。『ボズワース兄弟、言い争いで何かを成し遂げたなどいません。福音は争うためのものではなく、“生きる”ため、そして“信じる”ためのものです。批判をする一人に時間を使うより、祈りを必要とし、死にかけている何千という人々が、そこに横たわっているではありませんか。』するとボズワース兄弟は言いました。『わかりました……。』」
13. 「そして翌日、ヒューストン・クロニクル紙に、また大きな記事が出たのです(もちろん広告枠を使った有料記事でした)。
その記事には、こう書かれていました。
“ブラナムは、自分が教えていることを聖書の光のもとで弁護する勇気がない。
彼は自分の教えに自信がなく、チャレンジを受けるのを恐れている。“
つまり、私が彼の挑戦を受けなかったのは、恐れているからだ──と書かれていたのです。
その新聞を持って、ボズワース兄弟がホテルに飛び込んできました。
紙面を私の顔の前に突き出して、こう言いました。
『ほら、ブラナム兄弟! 私が言った通りでしょう? これを見てください!
何かすべきじゃありませんか?』
私は答えました。
『ボズワース兄弟……盲人が盲人を導くなら、二人とも溝に落ちるのではありませんか?
放っておきなさい。
争っても何の益にもなりません。』
すると彼は言いました。
『でもブラナム兄弟、公の場で、私たちが何を信じて立っているかを示すために、
何か行動するべきだと思うのです。』
私は言いました。
『私は誰とも争いません。それは単なる口論になります。』
するとボズワース兄弟は言いました。
『ブラナム兄弟、では私にやらせてください。』
その姿を見て、私はヨシュアを支えた“カレブ”のことを思い出しました。
彼は七十五歳ほどの年齢でしたが、
彼の目は燃えていて、「この山を私にください」と言ったあのカレブのようでした。
ボズワース兄弟は言いました。
『やらせてください。』
私は言いました。
『だめです、ボズワース兄弟。争いのためではありませんから。』
すると彼はこう言いました。
『ブラナム兄弟、私は絶対に口論しませんと約束します。
あの人は聖書の一節も持っていません。
それを人々の前で証明します。
それに、新聞記者たちが下で待っているのです……』」
14. 「私は日中ずっと祈り、主を待つ時間を大切にしていたので、
宿泊先はいつも秘密にしてありました。
しばらくするとボズワース兄弟が、
『ブラナム兄弟、行かせてくださいますか?』
と再び言ってきました。
私は答えました。
『ボズワース兄弟、私はあなたにそんなことをしてほしくありません。
けれど、もし“絶対に口論しない”と約束してくれるなら、行ってもかまいません。』
すると彼は、
『約束します。』
と言って、すぐに階下へ向かって行きました。
案の定、次の日の新聞は大騒ぎでした。
新聞は何でも書き立てるものです。
“教会の髪の毛が飛び交う大論争だ!”
“世紀のデベート!”
などと見出しを打ち立てました。
大きなサム・ヒューストン・コロシアムを借りて、
何千という人々が押し寄せました。
さて、フルゴスペルの人々の間でも、さまざまな意見の違いがあります。
ある人は千年王国があると言い、
別の人はないと言う。
主の来られ方についても違いがあり、
バプテスマの方法でも議論が起こる。
どの教派でも似たようなことがあります。
しかし、兄弟よ──
私が“いつか必ず一致が起こる”と信じている理由がここにあります。
その時、人々は
“ラクダのこぶが一つか二つか三つか”など、
細かい違いをまったく気にしませんでした。
信条の細部ではなく、
ただ一つの大切な原則──
“神の癒しの教え”
この一点で心を一つにしていたのです。
そして何千、何万という人々が、
全米のあらゆる地から押し寄せ、
その巨大なスタジアムを埋め尽くしたのです。」
15. 「その夜、ボズワース兄弟が立ち上がりました。
彼は言いました。
『私は、口論しないと約束しました。』
そして、その大ホールは何千もの人々でぎっしり埋め尽くされていました。
(その写真は、皆さんがお持ちの本の中にも載っています。)
ボズワース兄弟は続けました。
『私は口論を好みません。
しかし、私はここに六百か所の聖書箇所を用意しています。
これらは、
“キリストが今も、人々に対して昔と変わらない態度でおられる”
──つまり、
イエス・キリストは昨日も今日も同じお方であること
を証明するものです。
もしベスト博士が、この六百のうちのたった一か所でいい、
聖書を用いて反論し、間違いであると証明できるなら、
私は議論をやめて、その場に座り、
『私が間違っていました』と言いましょう。』
会場が静まり返る中で、彼は言いました。
『ではベスト博士、どうぞ。』
ベストは答えました。
『その件には、私が壇上に上がってから対処しよう。』
するとボズワース兄弟は言いました。
『では、博士に一つだけ質問します。
“はい”か“いいえ”で答えてくだされば、それで十分です。
それで決着がつきます。
そしてその後でブラナム兄弟に病人のために祈ってもらいましょう。
よろしいですか?』
ベスト博士は答えました。
『聞こうではないか。』
ボズワース兄弟は、非常に穏やかな声で、しかし鋭く、こう尋ねました。
『エホバの贖いの御名は、
イエス・キリストに適用されている──
“はい”ですか、“いいえ”ですか?』
──それで、すべてが決着しました。
もし博士が「はい」と答えるなら、
イエスはエホバ・ラファ(癒し主)であり、
エホバ・イルエ(備え主)であり、
すべての贖いの御名が主に属していることになる。
もしそれを否定するなら、
彼は“救い主”そのものを否定することになる。
それなら別の救い主を探さなければならない。
しかし、もしイエスがエホバ・イルエ(備えてくださる主)であるなら、
同じようにイエスはエホバ・ラファ(癒してくださる主)でもある。
贖いの御名はすべて、
神が人類のために与えた“贖いそのもの”であるキリストに属している。
そして──
イエス・キリストは昨日も今日も、そして永遠に同じお方なのです。
……すべては、その一言で終わりました。」
16. 「ボズワース兄弟は穏やかに言いました。
『ベスト博士、私の“いちばん弱い質問”にさえお答えになれないとは、少し驚いていますよ。』
しかし博士はただ、
『私が壇上に上がった時に答える!』
と繰り返すばかりでした。
そこでボズワース兄弟は言いました。
『わかりました。では私の時間をすべて差し上げますから、どうぞ壇上へ。』
司会者がベスト博士に講壇を与えると、
博士は「非常に立派な“キャンベライト派”の説教」を始めたのです。
私はバプテストの教えの中で育てられましたから、
何を語っているかはよくわかりました。
博士はこう主張しました──
「“この朽ちるものが朽ちないものを着る”その時、
それが“神の癒し”である。」
もちろん、私たちは皆それを信じています。
“復活の時には完全な癒しがある”──誰も否定しません。
しかし、ボズワース兄弟は静かに問いかけました。
『では、この地上での癒しはどうなのですか?』
もし、私たちが救いの保証──“証し”──を何一つ持たないのであれば、
どうして天の栄光の約束を確信できるでしょうか?
聖霊のバプテスマという心の内なる祝福は、
私たちが受け取った“保証金(アーンネスト)”、
つまり“救いの前払金”なのです。
もし“神の癒し”が存在しないというなら、
“身体の復活”という約束にも保証がないということになってしまいます。
その“前払金(アーンネスト)”がないのですから。
しかし、私たちは今、
救いの証し──聖霊の前払金──を受けています。
だからこそ、
癒しも復活も共に“贖いの一部”として、
今ここに働いているのです。」
17. 「しばらくすると、博士は何度も同じことを繰り返してばかりいたので、
司会者たちはついに彼を制止しました。彼は、ボズワース兄弟の質問に一つも答えられず、どんな聖書箇所にも反論することはできませんでした。
すると彼は腹を立て、振り返って、別の牧師の顔を平手で叩いたのです。
そして……博士はヒューストンのダグラス写真スタジオを雇って、
八×十インチの光沢写真を六枚撮らせるよう手配していました。
そのとき彼がこう言ったのです──『あの老人(ボズワース兄弟)を丸裸にして、皮をはいでやる。その皮を私の書斎のドアに掛けて、塩を塗り込んで、
“神の癒し”に対する記念にしてやる!』……クリスチャンらしい言葉ではありませんよね?彼はボズワース兄弟について、そんなことを言いました。しかし、実際に“皮がはがれる”ような出来事は、全く逆の方向に起こることになったのです。
そして……。」.
18. 「ベスト博士は言いました。
『こんなことを信じているのは、ただの狂信者ども──“ホーリーローラー”の群れだけだ!』
そのとき、レイモンド・T・リッチー(皆さんの中にはご存じの方も多いでしょう)が、
司会者に向かって手を挙げ、
『ひと言よろしいですか?』
と言いました。
司会者が、
『どうぞ』
と言うと、リッチー氏は次のように言いました。
『今この場にいるバプテストの牧師の皆さんに問います。
このベスト博士を、南部バプテスト連合は公式に派遣したのですか?
“はい”ですか、“いいえ”ですか?』
三万人の会場が、静まり返りました。
誰も答えません。
彼はもう一度尋ねました。
『では……皆さんは、彼をここに派遣したのですか?』
すると、ひとりの代表者が立ち上がり、
『彼は独自の判断で来たのです』
と言いました。
リッチー氏は言いました。
『それなら話はまったく別ですね。』
しかしベスト博士は言い放ちました。
『バプテストは、こんなナンセンスは信じない。
こんなのはホーリーローラーの群れだけだ。』
その時、ボズワース兄弟が静かに立ち上がり、
『少しよろしいでしょうか』
と言いました。
そしてこう問いかけました。
『この二週間の間に、
ブラナム兄弟の集会で“神に癒された”と証明でき、
しかもバプテスト教会で“正会員として良い状態の方”──
そのような方はここにおられますか?
おられましたら、どうかご起立ください。』
すると──
三百人が立ち上がったのです。
ボズワース兄弟は静かに言いました。
『博士、これについてはいかがですか?』
しかしベスト博士は答えました。
『誰だって、何とでも証しできる。
それが真実であるとは限らない!』
そこでボズワース兄弟は言いました。
『つまり……聖書による裏付けはできない、
証しによる裏付けもできない……
では、あなたは一体どうされるおつもりですか?』」
19. 「するとベスト博士は言いました。
『では、その“神の癒し手”とやらを連れて来い!
何かやってみせてくれ。
奇跡を行うところを見せてみろ!』
ボズワース兄弟は静かに、しかしはっきりと言いました。
『ベスト博士、私はそのような言い方を恥ずべきだと思います。』
そして続けました。
『ブラナム兄弟は、自分を“神の癒し手”だなどと一度も名乗ったことはありません。
もし“神の癒しを説く者”を“癒し主”と呼ぶなら、
あなたは“救いを説く”のだから、あなた自身が“救い主”と呼ばれるべきでしょう。
あなたは“神の救い主”と呼ばれたいのですか?』
ベスト博士は、
『もちろん嫌だ!』
と言いました。
ボズワース兄弟は落ち着いて答えました。
『ブラナム兄弟も同じです。
彼は“神の癒し手”と呼ばれたいとは思っていませんし、
自分がそうだと主張したこともありません。
彼は“聖書に神の癒しがあるから”それを説いているだけです。
聖書に根拠のないことは、誰も正しく教えられません。』
するとベスト博士は再び、
『奇跡を行うところを見せてみろ!』
と言いました。
ボズワース兄弟は静かに答えました。
『ブラナム兄弟は毎晩ここにいます。
彼は一度として“自分が奇跡を行う”と言ったことはありません。
彼は“病人のために祈る”だけです。
そして奇跡を行われるのは神ご自身です。』」
20. 「すると、ベスト博士はますます荒々しくなっていきました。
そのうち、司会者たちは会場を閉じ始めました。
ボズワース兄弟は静かに立ち続けていましたが……。
その時、私の兄が私に言ったのです。
私は最初、この場には降りて行かないつもりでした。
しかし、妻と兄、それに三、四人の警官たちと共に、
私はコートの襟を立てて顔を隠し、
こっそりと三十番のバルコニー席まで上がり、
そこでそっと座って様子を見ていました。
私は会場全体を見渡し、
特に“写真家たち”の動きを注意深く見ていました。
まず最初に、
ベスト博士はボズワース兄弟の鼻先に指を突きつけ、
その姿を写真家に撮らせました。
さらに、指を突きつけたまま反対側から撮らせ、
合計で六枚の光沢写真を撮らせたのです。
彼は六枚すべて撮らせました。
会場の周りには、多くの新聞記者たちも座っていました。
ただ、皆さんもこの会場をご覧になる通り、
集会では写真撮影が許可されていませんでした。
商業用に利用されることを避けるためです。
その時、ボズワース兄弟は静かに言いました。
『さて……ブラナム兄弟が会場におられることは知っています。
もし兄弟が望むなら、この集会を締めくくってくださってかまいません。』」
21. 「ボズワース兄弟は続けて言いました。 『しかし、ベスト博士──
私はブラナム兄弟が、そのようなこと(自分を癒し主と称すること)を一度でも言ったのを聞いたことがありません。彼の本は世界中の多くの言語に翻訳されていますが、どこにも“自分が癒し主である”とは書いていません。もし彼が望むなら、この集会を締めくくっていただいて結構です。しかし、望まれないなら、
無理に来ていただく必要もありません。』 彼はこう締めくくりました。
『ブラナム兄弟がこの建物のどこかにおられることは知っています。
しかし、どこにいらっしゃるかは誰も分かりません。』──私は、会場のずっと上の、三十番バルコニーに座っていました。まだ誰にも気づかれていませんでした。兄が私に言いました。『動くなよ、じっとしていろ。』私は小声で答えました。『ちゃんと座っているよ。』その時でした。静かなホールの中で、「ヒューッ……」と、何かが風のように通り抜けたのです。その瞬間、“立ちなさい”
という声のような内なる促しを感じました。私はそっと立ち上がりました。兄は慌てて言いました。『座れ、座れ!』しかし、妻が小さな声で言いました。
『今じゃない、今は止めないで……』すると会場のあちこちから嗚咽が聞こえ始め、人々が私のいる方向を見上げました。すぐに、数百人もの案内係たちが手をつないで列をつくり、私のところへ降りてこようとする群衆を抑えはじめました。彼らが衣服に触れようとして伸ばす手……その光景は、どんなに強い心を持った人の胸でも締めつけるほど、深い哀れみを呼び起こすものでした。」
22. 「そして私は、上のバルコニーからゆっくりと降りて行き、
そのまま講壇へと歩いて行きました。
私は人々の前に立ち、こう言いました。
『皆さん、こんなことが起こらなければならないことを、
私は心から残念に思います。
それから──
あなたがたの中で、ベスト博士に対して
かたくなな心を持つ必要はありません。
彼には“信じない”自由があり、
私には“信じる”自由があります。
それこそがアメリカという国であり、
その自由を守るために私たちは戦っているのです。
各々が自分の意見を持つ権利があるのです。』
そして私は静かに続けました。
『ただ一つだけ、
私は彼が“あの人々を気の毒に思う”と言ったのは、
どうしても誠実な言葉とは思えません。
というのも──
ついこの一週間の間に死にかけていた人たちが、
今は元気になってここに立っている。
医者もそれを認めています。
一方で、あそこに横たわっている人々の中には、
医者に完全に見放され、
希望を持てるものが何ひとつ残されていない者もいます。
そのような人々から、
“癒されるために残された唯一の望み”を
奪おうとしているのです。
私は、それを“心からの誠実さ”と
どうしても思うことができません。』
そして私はこう締めくくりました。
『しかし──
彼には彼の信じたいことを信じさせてあげましょう。』」
23. 『しかし、彼が私に “さあ奇跡を行ってみろ” と言った時、私はふと、主イエスが殴られながら、“もし預言者なら当ててみろ” と嘲られた場面を思い出しました。
神は、そのようなやり方では働かれません。』私は静かにこう続けました。『私はただ“真実”を語っているだけです。私は、小さな丸太小屋で生まれました。
母は私に話してくれましたが──生まれて間もなく、光──火の柱──がその部屋に入り、私のそばに立ったと言うのです。私は生後五分ほどの赤ん坊でした。
人生を通して、この方は常に“これから起こること”を告げてくださいました。
私はその導きから逃れようとしました。多くの牧師仲間からも“そんなものに関わるな” と忠告されました。しかしある晩、その方は“天使”として私のもとに現れ、語りかけられました。そして、“病の人々のために祈りなさい。
こうしたことが起こるだろう“と示してくださいました。
さらに聖書を引き合いに出し、それが “キリストの御霊” であると教えてくださったのです。』 私は人々に言いました。 『もし私が真実を語っているなら、
神ご自身がその真実を証してくださいます。神は決して“嘘”を証されません。
真実だけを証されます。もし私が真実を語っているのなら、神がそれを証してくださるでしょう。もし証されなければ、それは真実ではありません。』
そう語りながら、私は一瞬、言葉を止めました。その時でした。──あの方が来られたのです。幾千もの人々の上に、光が、火の柱が下って来られました。ちょうどその時、前日に新聞で私を最も激しく批判し、“甲状腺が消えたのは催眠術だ” と書き立てた、カトリックの写真家キッパーマン氏が、何かに突き動かされるように前へ走り出て、その瞬間を撮影したのです。私は静かに言いました。
『もう私が語る必要はありません。主ご自身が語られました。』そして私は、そっと身を翻して壇から下りました。」*
24. 「キッパーマン氏たちがスタジオへ戻る車の中で、仲間が彼に聞きました。
『さっきの光、あれをどう思う?』キッパーマン氏は答えました。
『わからない……何とも言えない。』するとアイレス氏が言いました。
『私はカトリックだから、ああいうことが起こるのは信じている。
だが、そういうことは“カトリック教会を通して”でなければ起こらない、
そう思っているんだ。』若いキッパーマン氏はアイルランド系で、
家系も代々カトリックだったようで、こう答えました。
『もし本物なら……結局のところ、彼(ブラナム)はいずれカトリック教会へ戻ってくるんじゃないか。』そんな会話を交わしながら、スタジオへと向かいました。翌日の新聞に載せるため、ベスト博士が注文した“六枚の光沢写真”を急いで仕上げる必要がありました。彼らはまず、ベスト博士がボズワース兄弟に指を突きつけている写真を現像液(酸の槽)に入れました。若い写真師たちはタバコを吸いながら座り、一人は二階の小部屋に行って簡易ベッドに横になり、そのまま眠ってしまいました。もう一人が暗室に入り、現像液からフィルムを引き上げてみました。最初の一枚──ベスト博士が指を突きつけた “あの写真”──完全に真っ黒のネガでした。二枚目──真っ白の空白。三枚目──また空白。六枚すべてが 空白 でした。彼は震えながら次のネガを引き上げました。それは、討論の最後に“念のため” で撮った写真でした。そして──そこには、私(ブラナム兄弟)の姿だけでなく、私の横に立つ “主の御使いの柱の火” がはっきりと写っていたのです。その瞬間、写真師の男性は 心臓発作 を起こしました。」
25. 「彼ら(写真師たち)は、ライス・ホテルまで私に写真を届けに来ようとしましたが、ホテルの入口には二人の警備員が立っていて、中へ入ることは許されませんでした。その夜の11時、その写真はワシントンD.C.へ空輸され、アメリカ写真家協会の正式な著作権登録のために送られました。新聞社はこれまで何度も私を撮影していましたが、その写真は“非公式”として扱われ、今回だけは“公式の認証”が必要だったのです。さて、この検証のために呼ばれたのがジョージ・J・レイシーでした。ご存じの方も多いと思いますが、彼は当時FBIで最も優れた指紋・映像分析の専門家であり、カリフォルニア州の研究所でも第一人者でした。彼はヒューストンに呼ばれ、徹底的な検証を始めました。使用されたカメラ、フィルム、設備──すべてを押収し、写真が撮られたコロシアムへも足を運び、一切の細部を調べ上げました。ネガは 3日3晩、紫外線照射などあらゆる検査にかけられ、
厳しい条件下に置かれました。そして4日目の午後──ついにレイシー氏から連絡が入り、『写真の分析結果を発表する』と言いました。会場には新聞記者がずらりと並び、私は通路のずっと後ろの方に座っていました。レイシー氏は、赤毛で体格のよい男性でした。彼は前に進み出て、会場を見回し、こう言いました。「ウィリアム・ブランナム牧師はどなたですか?」私は立ち上がり、「私です、先生。」と答えました。彼は続けて言いました。「ブランナム牧師、あなたもいずれは人間として死を迎えるでしょう。」私は静かに答えました。「承知しています。しかし神の恵みによって、その時に備えております。」彼は私に前に来るよう促し、こう告げました。「私は、これをあなたに提出します。」そして続けました。 「ブラナム牧師、私はこれまであなたを批判してきました。人々が“光を見た”とか“火の柱が現れた”と言っても、私はそれを“心理的な錯覚”だと考えていました。しかし──カメラの“機械の目”は心理状態を写すことはできません。光がレンズに確かに当たったのです。 そして彼は、歴史を変える一言を告げました。『世界の歴史の中で、“超自然的存在”が写真に写ったのはこれが初めてです。』さらに彼は言いました。 『これまで“不信心な者(hypocrite)”たちは“超自然的存在には科学的証拠がない”と言ってきました。しかし──もう、その言い訳はできません。これは“超自然的存在の実在”を証明する科学的写真です。』 その写真の一枚は、ワシントンD.C.の宗教美術館(Religious Hall of Art) に正式に展示されています。この写真は著作権で保護され、スタジオはすでに 数千枚以上 を販売しています。
26. 「レイシー氏はそのネガを私に差し出しました。私は静かに言いました。
『先生……もし、私の主イエスが、“世界の歴史で初めて”私のそばに立たれ、
ご自身のお姿を写真に映してくださったというのなら……私は、主をあまりにも深く愛しておりますから、その写真を“商売”のために使うことなど、
決してできません。』そして、私ははっきりと言いました。
『いいえ、先生──どんな理由であれ、この写真をお金にはしません。』
レイシー氏はこう言いました。 『これは10万ドルの価値がある写真だ。
おそらく、あなたがこの世を去った後に、さらに大きな価値を持つようになるだろう。そして、キリスト教文明が続く限り、この写真は永遠に残る。』
私は静かに答えました。『先生、どれほど価値があるとしても、
私は決して何も“商業化”しません。私は、人々のお金を求めて働いているのではありません。』それは真実でした。神がご存じですし、この世界の人々もまた、それを知っています。」
27. 「人々は、私に何千ドルものお金を差し出してきました。しかし、もし今夜200ドルを工面しなければならないとなったら、どこから出せばよいかさえ分かりません。私は“貧しく”この世に生まれ、“貧しいまま”この世を去っていくでしょう。それでも──私はこれまで、驚くほどの金額を申し出られました。
あるカリフォルニアの大きなワイナリーからは、乳がんで癒された女性の件で、
150万ドルのマネーオーダーが送られてきました。しかし私は、その小切手を“見ることさえ拒みました”。新聞にもその記事が大きく掲載されましたね。
“ブラナム、150万ドルの小切手を見ることを拒否”と。お金ではありません。
そんなもののために働いているのではありません。私は──主イエスを愛しています。そして、主を愛する唯一の方法は、あなたがたを愛することです。
あなたがたに正直であることで、私は主にも正直であるのです。
主の民に仕えることで、私は主ご自身に仕えているのです。私は真実を語ります。これまでも真実を語ってきました。」
28. 「さて──皆さん、見てください。あの写真ですが……明日の夜、ここにも実物をお持ちします。それは 大きな“火の柱” の写真です。どれくらいの方が、すでにご覧になったことがありますか?おそらく、多くの人が一度は目にしているでしょう。写真は著作権で守られていて、詳しい説明書も付いています。
その“火の柱”は、こうして腕で丸を作ったほどの太さがあります。研究者たちはこう記録しています。「琥珀色に輝き、燃え上がる炎のように見える。」写真を見ると、本当にそうです。私は願っています──どうか今夜も、ここに現れてくださいますように。実際、これまでの集会の中で、この“火の柱”は何度も、人々の見ている前で現れました。祈りの時に、会場の上に、はっきりと降りてきたことが何度もあります。そこで、私は会場に尋ねました。「この集会で、実際に自分の目で“その光”を見たことのある人はいますか?」何人もの手が上がりました。
「ほら、ここにもおられますね。そう、そのように──祈っている時、光は何度でも、本当にそこに降りて来るのです。」
29. 「そして──もし今夜、このインディアナ州コナーズビルで語っているこの瞬間が、私の“地上での最後の夜”となったとしても……私の証しは真実です。
荒野で、火の柱によってイスラエルを導かれたあの同じ神が、今日もなお、
“同じ火の柱”によってご自分の教会を導いておられます。そして今夜──
その同じ“火の柱”が、私たちのただ中におられます。昔、主がイスラエルを導かれたときと同じように、しるしと不思議、癒しと奇跡によって導かれました。
また主イエスが地上におられたときと同じように、今夜あなたがたの目の前で起こっているのと同じ御業を彼は行われました。今や主は、“目に見える火の柱”として、また“しるしと不思議”によって、イエス・キリストが
『昨日も今日も、いつまでも変わることのない方』であることを
証しておられるのです。科学の世界は、今夜、私が語ってきたことが真実であると認めました。天の神も、私が真実を語っているとご存じです。そして神ご自身が“しるし”によって私が語る言葉が真実であることを人々に証してこられました。もし私が今夜、この講壇からそのまま栄光の家へ帰ることになったとしても──私の証しは変わりません。私は真実を語ってきたのです。私はこれまで、直接または間接に、数百万人──おそらく八百万から一千万の人々と接してきました。」
30. 「世界中──何十万、何百万という人々が、主イエスが地上でなされたのと同じ“しるしと不思議”を超自然の領域で見てきました。もちろん、中には信じない人もいます。彼らは“信じることができない”のです。聖書がはっきりと、“彼らはその滅びに定められて生まれてきた”と語っている通りです。しかし──信じる者にとっては、イエス・キリストは昨日も、今日も、そして永遠に同じお方です。どうか主が皆さんを祝福してくださいますように。そして私は、私たちの主の御名によって、こう宣言します。“イスラエルを荒野から導き出した同じイエス、契約の使いであられたあのキリスト──ロゴスとして神から出て来られたお方──そのお方が今日もなお、教会を導いておられるのです。”牧師の皆さんは、この意味が分かるでしょう。あの方は、イスラエルを導いた“火の柱”としておられ、やがて人の肉体を取って地上を歩かれ、天に帰られ、そして“聖霊”として戻ってこられ、今夜も同じように、ご自分の教会を導いておられます。私は、本当に感謝しています。神がしるしと不思議をもってご自身を表してくださる、“信じる者たち”の群れの中に自分が置かれていることを──。どうか主が、ここにいるひとりひとりを豊かに祝福してくださいますように。」
31. 「そして皆さん──これを必ず覚えておいてください。私は“人々を癒す”などとは決して主張しません。私は“人々のために祈る”だけです。神が──それは私の望みではなく“生まれつき”、神の主権と、神のご計画と、神の知恵によって──
私を“先見者(seer)”として造られたのです。私は、自分が見たいから“見る”のではありません。私が見るのは、主が見せてくださるものだけです。私は、自分が知りたいことを知っているのではありません。主が示してくださることだけを知り、主が語られることだけを語り、主が命じられることだけを行うのです。どうか主があなたがたを祝福してくださいますように。私は祈ります──今夜、この集会の中で主が“目に見える形”で臨んでくださり、あなたがた一人ひとりにご自身を現してくださいますように。まず最初に、救い主として主が必要な方々へ。あなたがどれほど清く生きていようと、どれほど忠実に教会に通っていようと、どれほど宗教的に整っていようと──覚えてください。イエスを十字架にかけたのは、“聖なる宗教的な人々”でした。しかも彼らは“聖書を信じていた教会”だったのです。イエスはそのパリサイ人たちに「あなたがたの父は悪魔です」とはっきり言われました。宗教的であることでは救われません。清らかに見える生活でもありません。救いは“信仰”によるものです。しかしそれは単なる想像や宗教的感情ではありません。“生ける神ご自身との直接の接触”によって生まれる信仰です。その時、超自然のいのちが、あなたの“この肉体”の中へ注がれるのです。」
32. 「では、頭を垂れている間に。天の父よ、私たちが愛し、信じているあなた──
あなたが 昨日も今日も、いつまでも変わることのない方であることを
私たちは知っています。まず“御霊”として存在され、
荒野にて火の柱でイスラエルを導かれたあのナザレのイエス。
その方は地上に下り、人の姿を取って人を神へと贖い戻すために来られ、
やがて再び御父のもとに戻られました。そしてこの終わりの時に、
同じ聖霊として再び私たちのもとに来てくださっています。
ああ主よ、なんと感謝すべきことでしょう。今夜もあなたは、ここにおられます。どうか、あなたの大いなる祝福がここにいる全ての人々の上に
現されますように。そして──今夜という夜が “主の御臨在ゆえに忘れ得ぬ夜” となりますように。アダムの堕落した子孫である私たち、今この声を聞いているひとりひとりは、いつの日か必ずこの地上の塵へと帰らねばなりません。もしかすると明け方までに、私たちの魂は神のみ前に答えなければならないかもしれません。主よ、どうか全ての者に憐れみをお与えください。今夜語られたこれらの言葉が真理であることを、あなたがご自身で証してくださいますように。これらの言葉はまずあなたの御言葉から来ており、次に聖霊の力とご臨在によって裏付けられているのです。どうか信じる者の信仰をより深め、罪人には自らの状態を悟らせ、今夜こそ救い主としてあなたを受け入れる時となりますように。病んでいる人、助けを必要とする人々をどうか癒してください。そして、今夜あなたの賜物が教会の中に現れ、あなたが約束された通りの業がなされるのは──「わたしのすることを、あなたがたもするようになる。それよりもさらに大いなることをするようになる。」──主イエスのこの御言葉が成就するためです。どうか今夜、私たちをともに祝福し、助けてください。そして聖霊が、神の御言葉を確証する“しるし”を、ここにいる全ての人にはっきりと示してくださいますように。神の愛する御子、私たちの救い主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。」(テープに空白)
33. 「…わたしの内におられる父が、そのわざを行っておられるのです。」
ところが、ある時、主イエスはこうしたことが原因で人々に質問されました。というのも、あのベテスダの池に行かれた時、そこには多くの足なえ、目の見えない者、手足の曲がった者、弱った者たちが大勢いましたね。覚えておられますか? 手を挙げてみてください。——しかし主は、その誰ひとりも癒されなかったのです。
そして、ただ一人、寝床の上に横たわっていたあの男のところへ行かれて、彼だけを癒されたでしょう? 覚えておられますね?
愛と憐れみに満ちたお方なら、全員を癒されてもおかしくないように見えるでしょう。
けれど、よく見てください。ユダヤ人たちは主を問いただしました。
その同じ章の19節で、主はこう言われました。
「まことに、まことに(これは『絶対に、絶対に』という強い言い方です)、あなたがたに言います。
子は、自分からは何もすることができません。
父がしておられることを見て、それをそのままするだけなのです。」
その通りではありませんか?
ここにいらっしゃる方々の中で、それが聖書に書いてあると知っている方は?——ヨハネ5章19節です。
「父がなさることは何でも、子にお示しになる。」
そして主はこうも言われました。
「あなたがたが驚くような、もっと大きなことを父は子に示される。」
これは真実ですか?
34. さて、よく聞いてください。イエス様ご自身は、「父が幻(ビジョン)で示されること以外、何ひとつ自分では行わない」と言われました。では、ラザロの復活を見てみましょう。主は、ラザロが死ぬことを あらかじめ知っておられた のに、わざわざその場を離れられました。もちろん、人々はそのことで非難しました。
知らせが来ても、主は行かれませんでした。二度目の使いが来ても、主はそのまま別の場所へ行き続けられました。しかし、数日して主はこう言われました。
「われらの友ラザロは眠っている。」つまり、父がすでに何が起こるか示しておられた のです。何日後にそれが起こるかも、ご存じだったのです。弟子たちは言いました。「眠っているのなら、良いことではないでしょうか。」しかし主は言われました。「わたしは彼を起こしに行く。」そして墓の前で、こう祈られました。
「父よ、あなたがすでにわたしの願いを聞いてくださったことを感謝します。
しかし、周りに立っている人々のために、わたしは今こう言っているのです。」
正しいでしょう?主は 幻で見ておられた のです。さらに主は、人々の心の内を知っておられました。彼らが何を考え、何をしようとしているかも、ご存じだったのです。
35. ある人がこう言いました。
「ブラナム兄弟、あなたは会衆を見渡しながら、人々が何をしているか分かるでしょう。それは、人の心を読む“メンタル・テレパシー”じゃないんですか?」
もしそう言うのなら、イエス・キリストご自身も人々の思いを読まれました。
──“アーメン”が聞こえませんが(笑)、これは真理です。
聖書はこう言っています。
「主は彼らの思いを知っておられた。」
そうでしょう?
では「思いを知る」とは何でしょうか?
それは、道端で占いのように、
「手相を見て少し当たることを言う」
──そんな安っぽいものとは全く違います。
敵(サタン)は本物を真似るために、安価な偽物を置いているだけです。
神様にはサムエルという預言者がいました。
しかしエンドルの魔女も、ある程度似たようなことができました。
でも、彼女は 神からではなく悪霊から のものでした。
いつも「本物」と「偽物」があります。
偽りの福音が世に出ていきますが、それは
「敬虔そうに見えて、力を否定する」
──ただの形だけで、中身はないものです。
私が言いたいのはこれです:
イエス様は“超心理学的な心読み”をしたのではありません。
神の力が主のうちにあり、その力がすべてを行われたのです。
36. 聖書に出てくる「ウリム」を読んだことがありますか?
大祭司が胸のプレート──胸当て(ブレスプレート)を通して、神が語られたあのウリムです。神が御旨を示されると、その胸当ての光が変わったと書かれていますね。それが 神の声を示すしるし でした。すると悪魔はどうしたか。
その真似として クリスタル・ゲイザー(透視する水晶占い) を作り出したのです。ウリムとトンミム──皆さん牧師の方々はご存知でしょう。
人々はそれを見つめ、光が動けば神の承認だと知った。
これは 神の御言葉の型(影) です。
神が語られる方法は三つあります。1.預言者を通して2.夢を通して3.ウリムを通して
──そして今日も同じです。
聖書
啓示
預言者同じ三つの方法です。これ(聖書)が、今日のウリムです。だから、もしあなたが何か夢を見たり、幻を見たり、何か啓示を受けたと思っても、この御言葉(聖書)と一致しなければ、それは神ではありません。しかし、御言葉と一致するなら、それは神が語っておられるのです。イエス・キリストは昨日も今日も、いつまでも同じです。そして教会の中でも、同じ「火の柱」が、同じしるしと不思議を今も行っておられるのです。
37. では、主が皆さん一人ひとりを祝福してくださいますように。
どうぞ、心を込めて祈り続けてください。本当に、心から祈っていてください。
言葉遣いがうまくなくてすみません。
私は説教者ではありません。
私は病の人のために祈る者です。
では、主が皆さんと共にいてくださいますように。
さあ、しばらく頭を垂れて祈りましょう。
主よ、どうか今、憐れみを注いでください。
そして今夜、私たちをお助けください。
あなたの御霊が近くにおられ、
すべての人を祝福してくださいますように。
どこにいる必要な方々にも、どうか祝福をお与えください。
今、どうかあなたの御使いを遣わしてくださり、
ここに立たせてください。
聖書は、聖霊が来られる時、
「私たちに事を明らかにし、
これから起こることを示される」と言っています。
主よ、私たちはそれを信じています。
信じております。
ですから、どうか今、私たちを祝福してください。
そして、あなたが語られた御言葉を確認するために、
あなたご自身が来てくださいますように。
父よ、私はあなたについて証ししました。
今度は、私が真実を語ってきたことをあなたが証してください。
これは、主イエス・キリストの御名によって祈ります。
アーメン。
(テープ空白)
38. もしかしたら、近くに――このあたりに――不信者の方がいるかもしれませんね。
そこで、あなたにお聞きしたいのです。もし、あなたが不信のままでここに留まるなら、私は態度を変えるか、あるいはここには留まりません。主の御名によって警告します。これは、とても危険なことです。私はここで何時間でも立ち続け、世界各地の警察官や関係者からの証言をいくらでもお話しできます。
彼らが一つからもう一つへと“移っていった”ということ……。聖書を知っている人なら、誰でもそのことを知っています。それは本当です。ですから、どうか覚えておいてください。私は、批判する人や不信者の身に起こることには責任を負いません。もし数日後、何かが起こって、あなたの身にガンのようなものが現れるようなことがあっても、どうか私が言ったことを思い出してください。
しかし――もしあなたが“信じる者”で、敬虔にこの場にいるなら、その方には私は責任を持ちます。神の前に立つ者として、それは当然のことです。しかし、批判者には責任を持ちません。なぜなら、今、私たちは聖霊ご自身と関わっているからです。そして、どうか覚えてください。天の神が、この集会を見つめておられるのです。
39. そして、もし今、私たちの主がここに降りて来られて、
主が私にくださったこのスーツを着て、
今このプラットフォームに立っておられたとしましょう。
主は、この年老いた気の毒な婦人を御覧になり、
もちろん、その心は彼女に向かって大きく動かされるでしょう。
私はこの婦人に何が起こっているのか分かりません。
しかし、イエス様はご存じです。
けれども――
イエス様であっても、父が“何をするべきか”示されない限り、
その婦人のために何ひとつ行うことはできなかったのです。
しかし、もし主が、井戸の女にされたように、
しばらく彼女と話し、
彼女の霊に触れるなら――
主は彼女に何が起こっているのか、
どこに問題があるのかお分かりになるでしょう。
そうでしょう?
では、主においでいただきましょう。
どうか主の祝福が、私たち一人ひとりの上にありますように。
40. さて、姉妹よ、
ここにいる私の方をちょっと見て、少しだけ話をさせてください。
もちろん、あなたが眼鏡をかけておられるので、
誰にでも分かります。
例えば私が、
「ほら、あそこに寝ておられる麻痺の方々がいますね」
と言えば、誰でも見ることができます。
ですから、
「あなたは眼鏡をかけているから、目に問題がありますね」
と言うこともできます。
人はみな、
「そりゃそうだろう」と思うでしょう。
でも、それは違うのです。
それが本当の問題であるかもしれません。
しかし、私には分かりません。
けれど、もしそれが当たっているなら、
あなたは正直に証してくださると私は信じます。
あなたは誠実な方のように見えますから、
真理であれば、真理として認めてくださるでしょう。
そして今、
私たちは主の御前に共に来ています。
あなたは信じる者としてここに来られ、
私は信じる者としてあなたを迎えています。
そして、私たちが共に主の前に出ることで、
神がここで何かをしてくださり、
私があなたのために祈る助けとなり、
あなたがキリストを信じる信仰を持つ助けとなるように願っています。
もしかしたら、
私たちが共に主の御前で恵みを得て、
この必要の時に助けを受けられるかもしれません。
41. さて、私はこう思いますが、
私たちはお互いに初対面ですよね?
そうですね。会ったことがない。
ということは、
あなたはただ、ここに呼ばれて壇上に上がって来られたお一人にすぎません。
でもあなたの人生は…
神はあなたが赤ん坊であった時から、ずっとご存じであり、
今日まであなたを養ってこられました。
神はあなたに何が起きているか、
何が原因か、
どうなるのか、
すべてをご存じです。
しかし私は、何も知りません。
あなたも、それはお分かりですよね。
私が知る方法などありません。
でも主はご存じです。
さて、もし神が、
この小さな者(私)を通して、
あなたに語りかけてくださるなら…
今、私の声がこの拡声器を通って届くように、
器そのものではなく、その中を通る力が本当の働きをするのです。
ちょうど、電球が光を放っているように見えても、
光を出しているのは電球そのものではなく、
中を流れる電流ですよね。
電気のスイッチを切れば光は消える。
電球のせいではありません。
ただ流れが止まっただけです。
同じように、もしここで何かの光が照らされるなら、
私は単なる“電球”にすぎません。
そして、その光が示す真理はこれです:
「イエス・キリストは昨日も今日も、いつまでも変わることのない方です。」
42. そして、主がある時ひとりの女性と話されたときのことですが…
(例としてひとつだけ挙げます。実際にはもっと多くあったでしょう。聖書は、「もし全部を書けば、この世界もその書物を置いておく場所がない」と言っていますよね。)あのサマリアの女性とお話しになった時、主はまずこう言われました。「わたしに水を飲ませてください。」あれは、ただの会話のきっかけだったのだと、私は思うのです(これは私個人の理解ですが)。なぜその女性があの時間に井戸に来ていたのか、彼女の心を“つかむ”ためだったのです。そして少し話したあと、主はすぐに、彼女が抱えていた本当の問題を言い当てられた。その通りですよね?主は彼女に、「これがあなたの問題です」と告げられた。すると彼女は驚いて言いました。「あなたは預言者だとお見受けします。」そして街へ走って行き、「メシヤが門のところにおられる!」と人々に告げました。もしイエスが「昨日も今日も、いつまでも同じ方」であるなら、当然、今日も同じ働きをされるはずですよね。主の御霊が同じなら、行われる働きも同じです。さて、私は主を愛しています。主を信じています。そして、主が私たちを助けてくださることを願っています。
43. しかしね、何かが…そうです。
あなたはしばらくの間、病気でしたね——しかも、とても重い病でした。
そしてそれは…ガンです。
ちょっと、このマイクから離れて、少しだけお話ししてもいいですか?
【テープの切れ目】
さて、この女性のことですが…
神様はこの女性をよくご存知です。
そして彼女も、自分がもし神の助けを受けなければ、
死ぬしかない状況であることを分かっています。
神様の助けなしには、生き延びることはできません。
彼女が誠実な方であることも私は分かっています。
それは彼女が何か不道徳なことをしたとか、そういうことではありません。
ただ、混じった聴衆の前では話せない内容だったので、
マイクから離れて彼女にだけ伝えたのです。
そして、あの場所で起きたことを見たのは、
神様ご自身と、この女性だけです。
そうですよね、奥さん?
それは…本当のことでしたね?
——「はい、本当です。」
主はそのことをご存知です。
そして、ひとつの幻(ビジョン)がそこに開かれたのです。
さて、姉妹よ。
もし神が、あなたの過去に起きたこと、
長い年月の中にあったことを私に見せてくださり、
そのことを語らせてくださったのなら——
神はあなたの“これから”のことも示してくださるでしょう。
過去について語られたことが真実だとあなたが知っているなら、
未来について語られることも真実だと分かるはずです。
そうですよね?
たとえあなたが何歳であっても、
神はあなたを癒し、元気にしてくださることができます。
もしあなたが、ここにある神の啓示——
主イエス・キリストが今夜、みことばの中におられ、
信じるなら癒されると約束されている——
これを真理として信じるなら。
そして私があなたのために祈るなら…
主の使い(天使)がはっきりと告げてくださったのです。
「祈りの前に立ちはだかれるガンはひとつもない。」
これらのことは“賜物”にすぎません。
最も重要なのは、病人のために祈ることです。
それこそが、私が遣わされた目的です。
この賜物自体が誰かを癒すわけではありません。
44. さて、主はあなたの状態、あなたの人生、そして起こったことを、すべてあなたに示されました。それは神があなたに語られたことです。その“見えたもの”は、すぐに私から離れていきます。なぜなら、そこには新しいビジョンが入り、
外の人たちの必要や信仰が、私に向かって強く引いているからです。
でも、何であれ、あなたに語られたことは“真実”でした。
神が語られるとき、それは常に真実です。しかし、その啓示自体があなたを癒したのではありません。癒すのは“祈り”です。「信仰の祈りは、病む人を救う。」
では、あなたは心の底から信じますか?——「努力しています。」
よろしい。それでは、頭を下げましょう。
天のお父様、病がこの姉妹を襲い、彼女は今ここに立っています。主よ、あなただけが彼女を癒すことができます。私はあなたのしもべとして、ただすべてを御手におゆだねし、この年老いた母に憐れみを求めます。
神よ、どうぞ彼女と共にいてください。
私が彼女の上に手を置くとき、
その悪しき病、その苦しみ、
どのような名前であれ、
彼女を苦しめているものが
彼女から離れ、去っていくように祈ります。
これは、私たちの主イエス・キリストが
「病人の上に手を置けば、その人は癒される」
と語られたことを覚えての祈りです。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
さあ、神の祝福がありますように、お母さん。もう何も疑わないでください。
喜びながら、心から信じて帰りなさい。大丈夫ですね。
45. こんばんは。信じますか?さて、ご存じのとおり、あなたと私も今日ここでは“初対面”ですね。──「ええ、一度もお会いしたことはありません。」
そうですね。私も初めてです。(※テープの長い空白)では、あなたは今……信じますか?あなたは今、自分の身に起こっていることを感じ取っているはずです。
この場所に立ち、この“油注ぎ”が近くに臨んでいる時、誰でも分かるはずです──
何かが、確かに起こっている。霊的な動きがある。言い換えれば、あなたの心が今、何か“畏れと敬意”のようなものに包まれているはずです。何かがこの場に“近く”に存在している──あなたはそれを感じています。その通りです。それが、私がいつも語る“主の使い(The Angel of the Lord)”なのです。あなたが感じているその“感覚”を与えるのは、この御使いです。……いいえ、違いますよ。
あなたは今、「(これは)心を読んでいるだけではないか?」と心の中で思いましたね?気づかれなかったと思ったでしょう?でも私はちゃんと聞き取りました。
いいえ、これはメンタル・テレパシーではありません。
46. 兄弟、それは──“あなた自身”の病いではありません。あなたはとても神経的で、心が掻き乱されやすい方です。しかし、今日あなたがここに来られた理由となっている本当の問題は、家にいる奥様のことですね。そうでしょう?──「その通りです。」神様があなたを祝福してくださいますように。あなたの奥様は今、瀕死の状態で横になっておられます。──「ここにいる人たちはみんな知っています。」
ちょうどこの時間も、彼女は苦しみを和らげるための薬を与えられて、なんとか静かに横たわっている……その状態ですね。あなたには息子さんか、
誰か他に奥様のそばにいて看病している方がおられますね?
そうですよね。では、主はそのことをすべてご存じだということです。
兄弟、そのハンカチをお持ちですか?──「はい、ここにあります。」全能の神よ。あなたの御子イエスの御名によって、私はこのハンカチを、聖書の御言葉にならって祈りのうちに捧げます。あなたの御言葉、使徒行伝19章には、人々が“神から遣わされた預言者パウロ”の体からハンカチやエプロンを取って病人のもとに送ったことが記されています。人々は知っていました──神の御使いが彼とともに立っておられること。そして彼が祝福したものは祝福される、ということを。主よ、私たちはパウロではありませんが、あなたは変わらない主イエス・キリストです。今ここに非常に深刻な必要があります。この兄弟の、病み衰え、死に瀕している奥様のために、私は心から祈りを捧げます。父よ、私はあなたが何をなさるかを知りません。しかし、あなたがこの事柄に深く心を向けておられることを私は知っています。どうかこのハンカチが彼女に届くとき──あなたがイスラエルを導かれたあの日のようにしてください。約束の地に進もうとしたイスラエルを敵が遮り、ヨルダン川が立ちはだかったとき、ヨシュアが信仰をもって進み出ました。すると、栄光の柱の火がその川を見下ろし、その光に“脅かされたように”水は退き、イスラエルは約束の地へと渡ったのです。どうか神よ、このハンカチが彼女の体に置かれるその時、奥様の命を脅かしている“敵”が恐れをなし、退いていきますように。同じ柱の火が天からその場を見下ろし、その女性の命を救ってくださいますように。私たちはあなたを信じる子どもとして、主イエスの御名によって、この願いを祈り求めます。アーメン。
神様があなたを祝福してくださいますように、兄弟。どうか急いで奥様のもとへこのハンカチを持って行ってください。私たちも祈り続けます。
どうか良い知らせが届きますように。神様の祝福がありますように。
47. では、どうか静かに、そして“信じて”ください。疑いながら座っていてはいけません。神を信じてください。この場にいる人は、今この瞬間でも全員が癒されるのです。──いいえ、正確に言えば、あなたが「受け取ります」と信じるなら、
すでに“癒されている”のです。それは必ず成就します。ただ、神を信じてください。こんにちは、兄弟。私たちも“初対面”ですね?──「はい、まったく初めてです。」そうですね。あなたは集会に来られたことはあるけれど、私と直接お話ししたことは一度もありませんね。私も、あなたを“見た覚え”はまったくありません。あなたは、私が主のしもべであることを信じますか?──「はい、信じます。」私がお話ししてきたことが“真実”だと信じますか?(うなずき)では……これは私が勝手に言っているのではありません。あの御使いが私のもとに現れたとき、主ご自身がこう言われたのです。「もしあなたが“人々にあなたを信じさせ”、そして“祈るとき誠実であり続けるなら”、わたしは彼らを癒す。」私は答えました。「主よ、人々は私を信じません。私は学もありません。」すると主は言われました。「モーセにしるしを与えたように、あなたにも“しるし”を与える。そしてあなたは、人々の“心の内の思い”を知り、言い表すようになる。それらのしるしによって──(それは主イエスご自身が働かれるしるしであり、御言葉が真実であることを証するためのもの)──人々は信じるようになる。」
48. では、もしあなたと私が“初対面”であり、この男性(あなた)が私にとっても“まったく知らない人”であるのに、神があなたの状態──あるいは心にある事柄──を私に示してくださるなら、もう疑う余地はありませんよね?もしそのことが分かったなら、私があなたのために祈る時、神が必ずその願いをかなえてくださると信じますか?──「はい、信じます。」では、主がそのようにしてくださいますように。兄弟、神の恵みがありますように。
まず最初に、あなたが“自分自身のこと”よりも、別の誰かのことを深く心配しているのが見えます。それはあなたの身内の方ですね。女性の方です。その方は耳が不自由で、さらにリウマチのような痛みを抱えています。そして、あなた自身の身体にも別の問題があります──ちょっと待ってください。少しこちらへ来て話させてください。(※テープの途切れ。ブラナム兄弟が小声で説明する。)
──「はい、それはその通りです。」それは真実ですね?──「本当にその通りです。」ほら、それは“私”ではできません。神でなければ、知りようがありません。
──「これは神様がなさったことです。」ありがとうございます、兄弟。
主があなたを祝福してくださいますように。さあ、こちらへ来てください。今はもう、主があなたの願いをかなえてくださると信じますね?──「神様に、なんとかしてあなたのもとに来られますようにと、ずっと祈ってきました。どうやって来るのかも分かりませんでしたが、気づいたらここにいました。神様が導いたのだと思います。」
その通りです。神に感謝します。天の父よ、私はこの男性を祝福いたします。今、彼の心と信仰は高められ、その願いはあなたのもとへ届いています。荒野でモーセが青銅の蛇を掲げたとき、その蛇そのものが人を癒したのではありません。人々が“あなたの御言葉に従った”から生きたのです。父よ、今夜ここで私は同じ“従順のしるし”として、あなたがお命じになった通り、この兄弟に手を置き、彼自身の身体の癒しを、そして彼の愛する者の癒しを、主イエス・キリストの御名によって祈り求めます。アーメン。
さあ、若い兄弟よ、喜びながら帰りなさい。心から感謝をささげながら進みなさい。神はきっと、あなたのその信仰に報いてくださいます。主の祝福があなたの上にありますように。
(テープの切れ目)
49. けれども──最後にそれを実らせるのは、あなたご自身の“信仰”なのです。
ずいぶん長い間、あなたの心には“ある願い”がありましたね。
そうでしょう?私はあなたの心を読んでいるのではありません。
けれど、あなたは昔──まだ若い女性だったころ──神様に約束していたあることを、果たせなかったまま今まで来てしまった……そうですね?
それは本当ですね?あなたの赤ちゃんは腸に問題があります。
そうでしょう?どこか “麻痺したような状態” があり、
そして 食べたものを吐き戻してしまう。小さな体で、食べたものをすぐ嘔吐してしまう……そうではありませんか?もしすべてが真実なら、
皆さんの前で手を上げてくださいますか。(手が上がる)
私はあなたを知りません。あなたの赤ちゃんのことも知りません。
しかし──天の神がここにおられ、あなたに“示して”おられるのです。
では、あなたは信じますか?私が神に祈れば、この赤ちゃんを癒してくださると。そして、あなたは神が語られたことを従順に実行しますか?その心がありますね?天のお父さま。どうか、この女性と小さな赤ちゃんを祝福してください。主よ、二人とも完全に回復し、これからの人生すべての道をあなたにお仕えできますように。私は主イエス・キリストの御名によってこの祝福を祈り求めます。アーメン。
神様があなたを祝福してくださいますように。さあ、喜びをもって帰っていきなさい。神の慈しみと憐れみに感謝しながら。
50. さあ、皆さんで言いましょう。「神に感謝します。」では、どうか皆さん、心をしずめてください。……。ああ、この方は “耳が聞こえない(ろう)” のですね。
今、はっきり分かります。全能の神よ、いのちの与え主、あらゆる良き賜物の源であられる主よ。どうか、この男性の上にあなたの祝福を注いでください。この“聴覚を奪っている霊”──今この人を縛りつけようとしているこの“ろうの霊”に向かって祈ります。主イエス・キリストの御名によって、この耳を解き放ってくださいますように。そして今、私はこの“ろうの霊”に命じます。主イエス・キリストの御名によって、この人から出て行け。去れ。私の声が聞こえますか、兄弟?聞こえますか?──「はい。」では、こちらのマイクの前に来てください。聞こえますか?──「はい、先生。」では、こう言ってみてください。「アーメン」──「アーメン。」「私は主を愛します」──「私は主を愛します。」あなたは癒されました、兄弟。さあ、喜びながらお帰りください。「神に感謝します。」と皆で言いましょう。あなたは神が “がん” を癒してくださると信じますか、兄弟?主イエスよ、どうかこの男性を癒してください。彼が家に帰り、元気になりますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。神様があなたを祝福してくださいますように。さあ、喜びながら帰られなさい。神に感謝しながら。どうぞ、こちらへ。信じますか?──「はい、信じます。」あなたの問題は背中 にありますね?その通りです。神があなたを癒してくださると信じますか?──「はい、信じます。」主イエスよ、この女性を祝福し、癒してください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。神様があなたを祝福してくださいますように。さあ、喜びながら進んでください。主があなたを元気にしてくださいます。(テープの途切れ)
51. そこの席の女性……はい、あなたです。赤いコートを着ておられる方。
あなたも苦しんでおられるのですね?祈ってもらいたいと願っていましたね?
ええ、分かっていましたよ。さきほど、あなたが祈っていたのが見えました。
最初は何の病いかはっきり取れませんでしたが……今、はっきり分かります。
あなたは 関節炎(リウマチ) ですね。そうでしょう?それだけではありません。
静脈炎(フレブリティス) もありますね?その通りです。癒されると信じますか?
あなたたちは皆さん、彼女に関わりのある方々ですね?あなたたちも信じますか?では、あなた──彼女の隣に座っておられる方。あなたも 関節炎 ですね。
そうでしょう?そして、その横のあなた──あなたは 低血圧 で悩んでおられますね?その通りです。さらに、その向こうの女性──あなたも 関節炎。そうですね?
もしこれらがすべて真実なら、手を挙げて証してください。(手が挙がる)
そうです、あなたがた全員には“つながり”があります。家族、あるいは同じグループとして来られましたね。そしてあなたがたは別の町から来られました……オハイオ州から。そうですね?では、皆さん、今夜そのまま癒されて帰ってください。主があなたがた全員を祝福されます。
どうぞ、こちらへ。癒されたいのですね?よろしい。あなたは 喘息(ぜんそく) に苦しんでいます。──「その通りです。」では、主に感謝しながらお帰りください。癒されます。主イエス・キリストの御名によって、神の祝福がありますように。
あなた──心臓の問題を治していただきたいのですね?もしそう願うなら、
“主よ、ありがとうございます”とただ感謝しながら帰ってください。
そうすれば神様は、その心臓の痛みを取り去ってくださいます。
52. 今、信じますか?そこに──白っぽい上着を着て座って、祈っておられる方が見えます。あなたには、とても珍しい症状があります。突然ふらっと弱くなり、気を失いそうになる発作 があるのですね。そうでしょう?もし真実なら、手を挙げてください。立ち上がって、今、あなたの癒しを受け取ってください。
神様が祝福してくださいます。家に帰って、完全に癒されなさい。
そこの端に座って、主を賛美している小柄な女性──あなたは胸の痛み に悩んでおられますね?そうでしょう?そしてもうひとつ、胃の問題 も抱えています。
そうですね?それは 胃のガスが心臓のあたりを圧して不快感を起こしているのです。主があなたを祝福してくださいます。家に帰って、癒されなさい。
主イエスがあなたを完全に癒してくださいます。
皆で言いましょう。「神に栄光あれ!」
あなた──貧血 を取り除きたいのですね?そうですか。ではこう言ってください。「主よ、癒してくださってありがとうございます。」
その癒しを受け入れますか?よろしい。ならば、喜びながら道を進みなさい。
幸せに、感謝しつつ歩んで行きなさい。皆で言いましょう。
「神を賛美します!」
そちらの方──胆のうの病気 を治していただきたいのですね?もしそうなら、立ち上がって癒しを受けてください。神が祝福してくださいます。その通りです。アーメン。神を信じなさい。
53. では──どうぞ、兄弟。心臓の病気から解放されたいのですね?そのまま喜びながら帰りなさい。そしてこう言い続けてください「主よ、ありがとうございます。」
──「主よ、イエスさま、ありがとうございます。」その通りです。
心の底から信じなさい。
あなた──さっき後ろに座っていた方。貧血 から癒していただきたいのですね?
神があなたを癒してくださると信じますか?……はい、あなたです。
よろしい。では立ち上がって、主からの癒しを受け取りなさい。
そしてこう言ってください。「主イエスよ、ありがとうございます。」
神があなたを祝福してくださいます。その調子で信じ続けてください。
心臓の病い……腫瘍……ああ、神よ、どうか憐れんでください。
主イエスよ、この女性を癒してください。家に帰られたとき、
完全な健康が与えられますように。主イエスの御名によって祈ります。
アーメン。神様があなたを祝福してくださいます。
喜びながら帰ってください。
どうぞ、こちらへ。小さな兄弟──あなたは私を“神の預言者”と信じてくれますか?あなたは 糖尿病 を持っていますね?そうでしょう、坊や?治していただきたいよね?もしイエスさまがここにおられたら、きっとあなたに手を置いてくださいます。そしてあなたはきっと元気になりますね?では──主イエス・キリストの御名によって、癒されなさい。行きなさい、坊や。主があなたを祝福し、
完全に健康にしてくださいますように。
皆さんで言いましょう。
「神に感謝します。」
どうぞ、姉妹。心臓の問題から解放されたいのですね?癒されたいのですね?
では来てください。主イエスよ、この女性を祝福し、完全に癒してください。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。では、どうぞ。
54. 信じますか、姉妹?
神があなたを癒してくださると信じますか?
天のお父さま、
どうかこの姉妹を癒し、
完全に良くしてくださいますように。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。
アーメン。
神があなたを祝福してくださいます、姉妹。
そのまま帰っていきなさい。
──そして、あなたの病気が何だったか、分かりますか?
結核でした。
あなたは本当に深刻な状態でした。
しかし、
もし信じるなら、神があなたを良くしてくださいます。
そうですね?
では、喜びながら帰りなさい。
癒されたと信じて歩きなさい。
(録音の切れ目)
その通りですね?
兄弟、あなたは彼女が癒されると信じますか?
信じますか?
あなた自身の問題は──
背骨です。
そうですね?
椎骨がずれているのです。
もしあなたが神を信じ、
そして私を神のしもべと信じるなら、
私は神にお祈りします。
そしてあなたが信じるなら、
この場から立ち上がり、家に帰り、
元気に歩いて帰ることができるのです。
信じますか?
彼女の隣に座っているあなた──
彼女の上に手を置いてください。
主イエスよ、
なぜあなたがこの女性を示されたのか分かりません。
しかし、彼女はここに横たわっており、
長い年月、この状態にありました。
けれども、
あなたなら彼女を癒すことがおできになります。
神よ、
どうか彼女を癒し、
完全に回復させてください。
どうか、今この光景をご覧になって、
あなたのしもべである私の願いに応えてください。
彼女が起き上がり、家に帰り、
この病を完全に脱し、
再び健康を得て、
神に栄光をお返しできますように。
彼女には他に助けはありません。
しかし、神よ──
今この瞬間、
キリストの御名によって、
私は彼女の癒しを求めます。
アーメン。
神があなたを祝福してくださいます、姉妹。
あなたは、
癒されたと感じていますね?
はい、その通りです。
礼拝が終わったら、
そのままその寝台から起き上がり、
外へ歩いて行って、
家に帰りなさい。
55. 今この時点で、他の方々の中にも癒されたい方はいらっしゃいますか?
心配しないでください。──ほら、あの方が立ち上がりました。
背骨が麻痺していたのに、立ち上がっています。皆さんも同じように癒されることができます。では、手を上げて神に賛美をささげましょう。
癒しを受けたい方は、今そのまま前に来てください。立ち上がり、
癒しを受け取ると宣言してください。
主イエスよ、どうか今ここに立っている一人ひとりを癒してください。
今夜ここを出るときには、皆が癒されているようにしてください。
あなたの御霊が今、この場所に流れておられます。
どうかその力によって、彼らを完全に癒してください。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。