イエスを求めて

Seeking After Jesus

イエスを求めて

コナーズビル インディアナ州 アメリカ合衆国

説教番号: 53-0531

日付: 1953年5月31日(53-0531)

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1. 〔会衆が「Lord, I Believe(主よ、私は信じます)」を賛美しています。〕
……そして、神が何千、何万という罪人たちを招き寄せ、この方の大いなる身代わりの犠牲――カルバリーでの苦しみによって、主イエス・キリストの救いに与らせてくださるよう、心から願います。
どうかその魂が、罪なき方が罪ある私たちの身代わりとなって死んでくださった、その愛へと引き寄せられますように。
また、数え切れないほど多くの病める方、苦しむ方、悩みを抱える方、途方に暮れている方々……。
サタンが人々に負わせたあらゆる悪しきものを、どうか今週、神が取り除いてくださいますように。
そして彼らが癒され、喜びに満ちて家路につき、主に仕えて歩むことができますように。
2. 今週、皆さんがお祈りの中にとどまっていてくださることを心から願っています。
今夜は初日の集会ですが、ここには何か特別な空気があります。バクスター兄弟も、ビリー・ポール――私の息子も、きっと同じように感じていることでしょう。どこかアフリカでの集会を思い出させるのです。
アフリカでは、何度も競馬場のような広い場所に集まり、大勢の人が積み重なるようにして押し寄せてきました。そこでは、何万、何十万という人々が、少しでも礼拝にあずかろうと、体を寄せ合って集まってくるのです。
彼らは福音を、特に「解放の福音」を聞くことがほとんどありませんでした。
多くの宣教師たちは、ただ「心で信じなさい」という精神的な側面ばかりを伝えてきました。しかし――「神が今、解放のためにご自身を現しておられる」というメッセージが届いたとき、状況はまったく違ったのです。
正直に言いましょう。
私たちアメリカ人は、祝福をせき止めてしまう大きなコンクリートの溝を心に作ってしまいがちです。しかし、アフリカの人々は違います。彼らは両手を高く上げ、神の御手が触れてくださるのを待っているのです。
そして、そういうところにこそ祝福は降り注ぎます。
雨はすでに降っているのです。ただ、受ける準備さえ整えば良いのです。
二千年前においでになった聖霊は、今夜もここにおられます。
イエス・キリストは昨日も今日も、いつまでも変わることのない方です。
3. さて、私たちはどの夜も、皆さんをあまり長く引き留めないように心がけています。それは、翌日もまた集会に来られるようにするためです。
主が許してくだされば、今月の十日まで集会が続けられる予定です。
どうぞ皆さんの牧師先生方をお招きください。
福音のどの部分を強調しておられる先生であっても構いません。
たとえ超自然的な神の御業を信じない方であっても――それでも連れて来てください。どなたであっても歓迎します。喜んでお迎えします。
特に、病んでいる方、助けを必要としている方、そして罪人の方々をお連れください。私たちが探し求めているのは、まさにそういう方々なのです。
私たちがここにいる理由は、ひとりでも多くの方を神の御許に近づけるため――
ただ、それだけです。他に目的はありません。もしその目的がなければ、私は今夜だって家にいました。もし、この集会で罪人が救われると信じられず、また苦しむ者が助けられる希望がないのなら、私は家に帰っていたでしょう。
しかし私は信じています。神は私たちを助けてくださる、と。
そしてその通りになります――皆さんが祈ってくださるなら。
どうか、皆さんのご家庭すべてが祈りの部屋となりますように。
どこにいても、祈り始めてください。
この集会には三十数の教会が協力すると伺っていますが……今夜の人数を見ると、どこかで手がゆるんでしまったのかもしれません。
しかし、たとえそうであっても、私たちが信じ続けるかぎり、神が私たちを見捨てることはありません。さあ、心を強くしましょう。信仰において強く立ちましょう。私たちは、信仰を証明するために、こうした試練や、試しの時を通らなければなりません。「神のもとに来るすべての子は、神によってまず試され、懲らされる」と書かれている通りです。ですから、どうぞ祈りの心で来てください。
4. 今、少し聖書をお読みしたいと思います。
メッセージの語り手はバクスター兄弟ですが、夜の集会で神の御言葉を一度も読まずに終えると、どこか自分が気をゆるめてしまったように感じてしまうのです。
人である私の言うことは、どれほど心を込めても失敗することがあります。
けれど、神が語られた御言葉は決して失敗することがありません。
神の御言葉は永遠であり、変わることがないからです。
ですから私は、毎晩少しでも聖書を読むことを大切にしているのです。
今夜は、ヨハネの福音書1章から一部をお読みしたいと思います。
リバイバルの集会では、皆さんがしばしば聖書箇所に印をつけて読まれますね。
では、44節あたりから読み始めましょう。
そして今夜、私は説教というより、皆さんに少し「お話し」をさせていただきたいのです。
題をつけるなら――「イエスを求めて」。
ここには、主イエスの地上におけるご奉仕の初めの場面が記されています。
ヨハネの福音書 1:44-51
さて、ピリポはアンデレとペテロの町、ベツサイダの人であった。
ピリポはナタナエルを見つけて言った。「私たちは見つけました。モーセが律法に書き、預言者たちも記していた方――ナザレのイエス、ヨセフの子です。」
するとナタナエルは言った。「ナザレから何か良いものが出るだろうか。」
ピリポは彼に言った。「来て、見なさい。」
イエスはナタナエルがご自身のもとに来るのを見て言われた。「見なさい。まことのイスラエル人だ。その内に偽りはない。」
ナタナエルは言った。「どうして私をご存じなのですか。」
イエスは答えて言われた。「ピリポがあなたを呼ぶ前に、あなたがいちじくの木の下にいた時、私はあなたを見ていた。」
ナタナエルは答えて言った。「ラビよ、あなたは神の御子です。あなたはイスラエルの王です。」
そして、もし今夜これを「テキスト」と呼ぶなら――
もう皆さんよくご存じの御言葉、ヘブル人への手紙13章8節を挙げたいと思います。
「イエス・キリストは昨日も、今日も、いつまでも変わることのない方です。」
5. では、しばしの間、祈りのために頭を垂れましょう。
天の父なる神様。
今夜、私たちはあなたのひとり子、主イエス・キリストの尊い御名によって、あなたの御前に参りました。
父よ、あなたがある日、罪の人生から私たちを救い出し、御もとへと呼び寄せてくださったこと――その恵みを、今夜もあらためて心から感謝いたします。
私たちは罪のうちに生まれ、不義の中で形づくられ、この世に出てきたときから偽りを口にする者でした。
けれど、神はその選びと憐れみによって、私たちを御自身へと招いてくださいました。
主イエスご自身が言われました。
「父が引き寄せてくださらなければ、だれもわたしのもとに来ることはできない」と。
ですから、私たちを引き寄せ始めてくださったのは、あなたなのです、主よ。
私たちは、その御声に応えてあなたのもとに来ました。
そして主は言われました。
「わたしのところに来る者を、わたしは決して捨てない」と。
今夜も、あなたが私たちをご自分の子として受け入れてくださっていることを感謝いたします。
私たちは、この名、この特権に値しない者ですが、あなたの恵みによって与えられました。
その恵みを覚え、心から感謝いたします。
そして父よ、
今夜、聖霊によって与えられた天の特権を、私たちが豊かに味わうことができますように。
ここに書かれている御言葉――
「イエス・キリストは昨日も今日も、いつまでも変わることのない方です。」
――この御言葉が、今夜私たちの目の前で成就しますように。
罪人が救われ、病める者が癒され、あの日ガリラヤの海を歩かれ、風と波を静められた同じイエスが、ここに来てくださいますように。
ラザロを墓から呼び出されたそのお方が、今夜この集会のただ中に現れてくださいますように。
イスラエルの民を荒野で導かれた神の大いなる御使いが、
この場所に近づき、集うひとりひとりを祝福してくださいますように。
父よ、今夜、群れの牧者である主を待ち望みます。
かつて私たちは神から遠い他国人でしたが、今は御子の血潮によってあなたに近づけられました。
どうか、これらの祝福をお与えください。
今日ここにいるすべての者が、信仰と癒しと祝福を受け取ることができますように。
これらすべてを、あなたの御子、主イエスの御名によってお祈りいたします。
アーメン。
6. お話をできるだけ短く終えたいと思いますが、その前に皆さんにどうしてもお尋ねしたいことがあります。
この集会の最初にあたり、「神の癒しとは何か」――これを心に留めて考えていただきたいのです。
どうか、心をひとつにして、私の言うことに耳を傾けてください。
神の癒しというのは、誰かが思いついた神話のようなものではありません。
これは神の御言葉そのものです。
しかし、すべての人が受け取れるわけではありません。
聖書は、「彼らは見えないようにされている」と言っています。
そして、彼らはそうであるほかないのです。
聖書は、彼らがこの滅びに定められていたとも言っています。
つまり、彼らには信じる力そのものがないのです。
これは、とうもろこしの種と同じです。
もし種の中に命がなければ、どれほど良い肥料を与えても、決して芽を出すことはありません。
芽を出す命が、もともとその中に無いからです。
けれど、もしその種に命があるなら――
どんな土に植えても、必ず芽を出します。
7. さて、神の御霊によって生まれた人――
その人は内なる人において、神のかたちに造りかえられていきます。
神がこの世界をお造りになったとき、
主はただ御言葉を語られたのです。
ほかに材料があったわけではありません。
ただ「語られた」――それによってすべてが存在するようになりました。
この世界は神の御言葉によって造られました。
神が「〜あれ」と語られると、それは実体となり始めたのです。
今夜あなたが腰掛けているその地面さえも、
神の御言葉が形となったものなのです。
ご存じでしたか?
神がただ「〜あれ」と言われると、その通りになりました。
神はご自身の御言葉を信じられたのです。
主は全能の神であられます。
もし神がすべてを成すことのできるお方であるなら、
当然、どんなこともおできになるのです。
もしすべてをおできにならないのなら、それは全能ではありません。
しかし聖書ははっきりと告げています――
「イエス・キリストは昨日も今日も、いつまでも変わることのない方です。」
8. さて、バクスター兄弟は、午後の集会や夜の集会で、
御言葉から“神の癒し”を説明し、証明し、整え、示す働きをしてくれています。
この真理は世界中で試されてきました。
そして今もなお、これは人類のために神が備えてくださった方法なのです。
では今夜、皆さんにお尋ねしたいことがあります。
もしイエス・キリストが昨日も今日も、いつまでも同じでいらっしゃるなら――
そして、もし私たちが“別の何か”を語っているとして、
たとえば「電気」や「光」が、洪水前の世界と今日とで同じものであると言うのなら、
当時その光がどのようなものであったか、電気がどのように働いていたかの“記述”が必要です。
そして、その記述通りのものを、今日も探し求めなくてはなりません。
もし皆さんが、大勢の人混みの中から自分の親族を探すなら、
その人が誰であるか分かるような特徴や説明が必要ですね。
それがなければ、どれほど探しても見分けることはできません。
9. ここで、今夜の集会におられる多くの方々――特に、
神の癒しをよく理解しておられない方や、疑いをもって見ておられる方々のために、
はっきり申し上げておきたいことがあります。
私たちは決して自分たちを 「神の癒しを行う者」 だとは主張していません。
神の癒しの働きには、残念ながらたくさんの“熱狂”や“極端さ”が混ざりこんでしまうことがあります。
しかし、それはどんな分野にも言えることです。
教会の中にも、宗教的に極端に走ってしまう人がいます。
けれど、それは 神が真実でない という意味ではありません。
それは 本物のクリスチャンが存在する という事実をむしろ示しているのです。
偽札というものがあるのは、
その元となった“本物のお札”が存在するからですよね?
もし本物がなければ、偽札のほうが本物になってしまいます。
しかし、偽物が存在しているという事実は、
必ず本物がある ことの証拠なのです。
誰かがクリスチャンのふりをしているのを見ても、
それは“本当のクリスチャン”がどこかに確かにいる、という証しになります。
また、神の癒しをめぐって、
どこか極端で不健全なやり方が行われていることがあっても――
それは、本物の“神の癒し”が存在するからこそ、
そこから派生した偽物が出てくる、というだけのことなのです。
この世のあらゆるものに、
賛成と反対、肯定と否定、真実と偽り――
その両面が存在します。
神の癒しも同じです。
10. ここで皆さんにお尋ねしたいことがあります。
もし今夜、私たちが ナザレのイエス をお探しするとしたら――
皆さんに伺います。
聖書は、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたと教えていますが、皆さんはそれを信じますか?
信じますか?
もしイエスがよみがえられたのなら、
主は今夜も、約束通り 人々の間におられる はずです。
イエスはこう言われました。
「しばらくすれば、この世はもうわたしを見ない。
しかし、あなたがたはわたしを見る。」
では、「あなたがた」とは誰でしょうか?
これは信じる者――教会、クリスチャンのことです。
世界は見ません。
けれど、「あなたがた」は見るのです。
主はさらに言われました。
「わたしはあなたがたと共におり、
あなたがたの内にさえおる。
世の終わりまで。」
そうではありませんか?
聖書はすべてがぴたりと一つに組みあっています。
これこそが、
イエス・キリストは昨日も今日も、いつまでも変わることのない方
――その真理なのです。
11. では、主がどのようなお方であったかを見てみましょう。
主の性質、主のご品性、そして主のご奉仕のあり方をよく観察してみてください。
あの時に働かれたように、今も同じように働かれます。
あの時のお方が、今も同じお方であり、そして永遠に変わりません。
昔されたことは、今日もされます。
主は永遠に同じお方です。
イエス・キリストは昨日も今日も、いつまでも変わることのない方です。
そのご性質、そのご品性は、今も変わりません。
クリスチャンであると言う人は、
キリストのご性質を持っていなければなりません。
もしそうでないのなら、中に別の“性質”があるのです。それはキリストではありません。
たとえば、もし私が「自分にはジョン・ディリンジャー(有名な犯罪者)の霊がついている」と言ったなら、
皆さんは私が銃を持っていると思うでしょう。
そして、私のそばに座っているのは危険だと感じるはずです。
なぜなら、私は人殺しになってしまうでしょうから。
もし私が「有名なメカニックの霊が自分にある」と言ったなら、
皆さんは私が車の故障を見てすぐに直せると思うでしょう。
では、もし私が「キリストの霊が私の内にいる」と言うなら――
私はキリストのように生き、キリストのように振る舞わなければならないのです。
あなたもそうです。
あなたの性質、あなたの行いは、キリストのかたちに形づくられなければなりません。
そして、その性質を形づくるのは聖霊です。
聖霊があなたの内に来られるとき――
あなたが本当に「新しく生まれ」たとき――
聖霊があなたをキリストに似た者へと造り変えてくださるのです。
今夜、私たちに必要なのは、そのような教会です。
イエスが地上で歩まれたときのような、御父が示されたことを信じ、それが必ず成ると確信する教会です。
主は、父の御言葉によってサタンを打ち負かされました。
ご自身の力を使うのではなく、御言葉によって勝利されたのです。
12. ここで、皆さんにぜひ気づいていただきたいことがあります。
これはとても単純だということです。イエスが地上におられた時、主は「インマヌエル」、すなわち 「神が私たちと共におられる」 というお方でした。
「神はキリストのうちにおられ、世界を御自分と和解させておられた」――聖書の通りです。神はイエス・キリストの肉体のうちにご自身を現され、
そのお姿こそがインマヌエルでした。イエスが地上を歩まれたとき、
主は 神の力 を持っておられました。御父のご性質と御業を、御子のうちに完全に現されていたのです。しかし――主がサタンと向き合われたとき、
主は ご自身の力を一度も用いませんでした。主が使われたのは、御父の御言葉だけ でした。サタンはこう言いました。「もしあなたが神の子なら、この石に命じてパンにしてみよ。奇跡を見せてみろ。」しかしイエスは、ご自身の力で打ち負かそうとはされませんでした。主はただこう言われたのです。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出るすべての言葉によって生きる』と書いてある。」
(これは詩篇にも、申命記にも記されています。)主がどれほど御言葉を敬い、従われたかが分かりますね。「書いてある」――ただそれだけ。
13. サタンはイエスを神殿の頂に連れて行き、
まるで聖書を“上塗りする”ように言いました。
「こう書いてあるではないか……」
次に、サタンはイエスを高い山の上に連れて行き、
世のすべての国々とその栄華を見せました。
しかしイエスは、ただこう言われました。
「書いてある。」
主は、御言葉によって悪魔を打ち負かされたのです。
一度たりともご自身の力を使われませんでした。
これは、どんなに小さく、弱いクリスチャンであっても、
御言葉によって神の祝福に手を伸ばすことができるようにするためです。
あなたが、
「これは神の御言葉だ」と信じ、
その口で
「書いてある」
と告白するなら――
サタンは、
いつでも、
どこでも、
どんな状況でも、
必ず敗北します。
御言葉は必ず悪魔を打ち倒します。
これは絶対に確かなことです。
あなたが主の約束を信じ、
それを踏み出して用いるなら――
サタンは立ち向かうことができません。
14. さて、ここをよく聞いてください。神のどんな御約束でも――
その御約束に対して正しい“心の姿勢”を取るなら、必ず成就します。御言葉を正しく見つめ、「神よ、これはあなたの御言葉です」と受け取り、その御約束に対して 正しい心の態度 を持つなら、その約束は必ず現れます。なぜなら、
信仰には敗北がない からです。信仰は決して負けることがありません。
主イエスのご奉仕を見てみましょう。主はご自分を“大きな人物だ”とは決して称されませんでした。主は馬小屋で生まれ、この世を去られた時は死刑――十字架――という道を通られました。生涯に着替えがほとんどなく、枕する所さえ持たれませんでした。広く遠くに旅したわけでもなく、非常にへりくだった生活を送られました。貧しい人々の間に住まわれ、ごく普通の言葉を話されました。
主は世の中で“偉い人”ではありませんでしたし、ご自分をそのように主張されたこともありません。聖書はこう言っています。「主はご自身の名誉をとらず、名誉のない者となられた。」
15. 義足を作った人は、その技術で「名声」を得ました。
しかし――
本物の足をお造りになったお方が、この地上におられたとき、
主はご自身のために名声を求められませんでした。
入れ歯を作った人は、自分の仕事で名を上げました。
しかし――
本物の歯をお造りになったお方は、ご自身に何の名誉も取られませんでした。
人工の目を作った人は、その仕事で名を得ました。
しかし――
本物の目をお造りになったお方は、ご自分には名誉を取られませんでした。
それでも、そのお方こそ インマヌエル――
神が人と共におられるお方でした。
主はへりくだって歩まれ、
貧しい者たちの間に住まわれました。
聖書はこう言っています。
「一般の人々は、喜んで主イエスに耳を傾けた。」
しかしその一方で、
当時の“根本主義者”――宗教的に正しいとされた指導者たち――には
主は拒絶されました。
もう一度言います。
主は、当時の“正統”とされた人々から拒まれたのです。
その通りです。
最も聖く、最も宗教的と見なされていた教師たちが、
主を見ることができなかった のです。
彼らの目は覆われていたからです。
そして――
こうした霊は死にません。
形を変えながら、今日まで生き続けています。
16. 当時、宮の中では、宗教指導者たちが「上着のボタンはどうあるべきか」などと議論していました。
しかし、その頃――
遠い国から、星を見ながら旅してくる博士たちがいたのです。
あの時代にも、今日のような天文台がありました。
彼らは星で時刻を測りました。
どの町の城壁にも、星を見て時間を知らせる塔があったのです。
けれど、その星を見たのは、
博士たちだけでした。
だれも他には見ませんでした。
なぜでしょうか?
彼らは “待ち望んで” いなかったからです。
だから人々は言うのです。
「私は何も見なかったよ。」
――見ようともせず、探そうともせずに来たのです。
今日も同じです。
「神の癒しなんて、何も見えない。そんなものない。」
そんなふうに言う人がいます。
探していないのです。
信じていないのです。
ある人が私にこう言いました。
「ブラナム兄弟、私はあんなもの、何があっても信じませんよ。」
私は答えました。
「これは不信仰な人のためのものではありません。
信じる人のためのものです。」
そうです。
神の癒しは、信じる者たちだけのために与えられたものなのです。
それ以上でも以下でもありません。
17. イエスが地上におられたとき、
主はこの世の高い教育を受けていたわけではありませんでした。
しかし――
神の力 を持っておられました。
十二歳のときでさえ、
主は祭司たちの知恵を打ち負かしてしまわれたのです。
神が共におられたからです。
これこそが違いを生むものです。
神が、あなたと共におられるかどうか――それがすべてです。
そして主のご奉仕の初めにおいて、
四十日間の試みを受けられた後、
主はその誘惑に完全に勝利して出て来られました。
では、これから
主のご性質――キャラクター
を見ていきましょう。
なぜなら、私たちが探しているのは“このお方”だからです。
あなたの心の中に、
イエスとはどのようなお方か――その姿を思い描いてみてください。
当時の主がどのような性質、どのような働きをされたか。
それこそが、今夜の主であり、永遠に変わらない主なのです。
18. さて、ここでもう一つ気づいていただきたいことがあります。
イエスは、ちょうどその頃から有名になり始めておられました。
少しの病人を癒され、その噂が広まっていったのです。
すると、ピリポという名の男が救われました。
そして彼が本当に救われたことは、すぐに分かりました。
良い知らせ――救いの喜び――を見つけた時、
人は必ず友に伝えたくなるものだからです。
ピリポも同じでした。
救われるとすぐに、ある友人を探しに行きました。
その友はナタナエル――心から正しく、誠実な人でした。
ピリポは言いました。
「来てみなさい。
わたしが見つけた方を――
ナザレのイエス、ヨセフの子を。」
するとナタナエルは、
心の底からの正直さで、こう答えました。
「ナザレから、何か良いものが出るだろうか?」
ナザレは、当時とても評判の悪い小さな町だったのです。
ピリポは言いました。
「とにかく、来て見てごらん。」
19. では聞いてください。
少し“ドラマ”のように描いてみるので、心に情景を思い描いてください。
さて、ここから今夜のテキストに入ります。
貧しい大工の息子――生まれについて陰口を言われ、「私生児だ」と噂されていたお方。
しかしそのお方が、今ここで 神の御業 を行っておられる。
そのとき、一人の男が主のもとへ歩み寄ってきました。
ナタナエル――ピリポに連れられて来たのです。
イエスは、救われたばかりのピリポがナタナエルを連れて来るのをご覧になると、
ナタナエルに向かってこう言われました。
「見なさい。まことのイスラエル人だ。
そのうちには偽りがない。」
今の時代で言えば――
「この方はクリスチャンですね。信じる者ですね。誠実な人です。」
と主が言われたようなものです。
その言葉に、ナタナエルは驚きました。
「ラビ、あなたはいつ私をご存じだったのですか?」
――“先生”、あるいは“師よ”といった意味です。
イエスは言われました。
「ピリポがあなたを呼ぶ前に、あなたが木の下にいたのを、わたしは見ていた。」
その当時の博士たち、律法学者たち、宗教家たちはこう言いました。
「この男はベルゼブルだ。世界一の占い師だ。」
けれど、悪霊どもは言いました。
「あなたは神の子です。
イスラエルの聖なる者なのです。
私たちはあなたが誰か知っています。」
その点においては、宗教家たちより悪霊のほうが主を正しく認識していたのです。
悪霊どもは何度も言いました。
「私たちはあなたが誰か知っています。
神の聖なる方です。
なぜ、まだ時が来ないのに、私たちを苦しめに来られたのですか?」
しかし宗教家たちはこう言いました。
「あれはベルゼブルだ。
悪霊どもの頭だ。
魔術師たちの長だ。」
20. さて、よく見てください。
ある時、イエスは ひとりの女性がやって来るのを見られました。
主は弟子たちを町へ食べ物を買いに行かせ、
ひとり井戸のそばに残っておられました――
ヨハネの福音書4章に書かれている場面です。
その井戸はサマリヤの近くにあり、人々は水を汲みに来ていました。
その日も、ちょうど正午ごろだったのでしょう。
そこへ、ひとりの女性がやって来たのです。
おそらく評判の悪い女性――
売春婦だったかもしれません。
もしかしたら、夜遊びして遅くまで家に帰らず、
昼近くになってようやく起きて来たのかもしれません。
理由は分かりませんが、
とにかくその時刻に彼女はやって来ました。
しかし――
イエスは、彼女が来ることを知っておられたのです。
そして主は言われました。
「わたしに水を飲ませてください。」
すると女は言いました。
「ユダヤ人がサマリヤ人にそんなことを頼むのは、普通ではありません。」
二つの民族は、互いに交わりがなかったからです。
しかしイエスは言われました。
「もしあなたが、いま話している相手が誰かを知っていたなら、
あなたのほうから“その水をください”と言っていたでしょう。」
さて、ここで主が何をされていたのか、よく見てください。
主は彼女と顔を合わせて語りながら、
彼女の“霊”に触れておられたのです。
女は言いました。
「井戸は深く、あなたには汲む物がありません。」
イエスは答えました。
「わたしが与える水は、内側から湧き出る“生ける水”なのです。」
女は話題を変えて言いました。
「私たちの先祖はこの山で礼拝しましたが、あなたがたはエルサレムだと言います。」
こうして会話が続きました。
その中でイエスは、
彼女がどんな人で、どんな問題を抱えているのかを見抜かれたのです。
そして主は、
まっすぐにその問題に触れられました。
「あなたの夫を呼んできなさい。」
女は答えました。
「私には夫はありません。」
イエスは言われました。
「その言葉は正しい。
あなたには夫がいない。
あなたは五人の夫をもっていた。」
その瞬間、女は悟りました。
「先生……あなたは預言者だとお見受けします。」
そして彼女は町に走って行き、人々にこう言いました。
「私のしたことをすべて言い当てた方がいます!
このお方こそ、キリストではありませんか!」
イエスは彼女のすべてを語ったわけではありません。
ただ一つの秘密を言い当てられただけでした。
しかし――
その一つを神が啓示できるなら、すべてを啓示することもできるのです。
その通りでしょう?
女は叫びました。
「来てごらんなさい!
私のすべてを言い当てた方がいる!
このお方こそキリストではありませんか!」
21. もう一度、イエスを見つめてみましょう。
奇跡について語る前に、皆さんに尋ねたいのです。
主は憐れみに満ちておられたと信じますか?
愛に満ちておられたと信じますか?
これから少し“重い場面”を描きます。
どうか、病人のために祈り始める前に、しばらくの間、私に心を預けて聞いてください。
聖書の ヨハネ5章 を見てみましょう。
4章の次、5章です。
そこには「羊の門」のそばに、
ヘブル語で“ベテスダ”と呼ばれる池がありました。
そこには 多くの病んだ人々 が横たわっていました。
足の不自由な者
歩けない者
盲人
手足の枯れた者
――皆さん、聖書を読んでおられれば、これが真実であることを知っているでしょう。
彼らはそこに横たわり、水が動くのを待っていたのです。
なぜなら、ある季節になると 御使いが池に降りて水を揺り動かす と信じられていたからです。
さて、ここを見てください。
イエスは、その池のすぐそばを歩いて来られました。
では、少し“ドラマ”のように、
その情景を心に思い描いてみましょう。
22. そこには、ひとりの老人が立っていました。
目が見えず、こう叫んでいました。
「だれか、どうか私を池の中に入れてください…!」
歴史家なら誰でも知っています。
水が動くとき、
人々は互いを押しのけ、
ときには 刃物で刺し合ってでも
一番に池へ入ろうとしたのです。
なぜなら――
最初に入った者だけが癒される
と信じられていたからです。
水を動かす御使いはすぐに去ります。
癒されるのは ひとりだけ。
しかも、
月に一度か、二ヶ月に一度あるかどうか。
それでも彼らは 何年も、何十年も 待ち続けていました。
しかし、
今日の私たちはどうでしょう?
何百人もの人が一度に癒されても、
1時間すら待てない。
「ああ、何も起きない。これは本物じゃない」と言う。
――なんという時代でしょう。
――なんと信仰が変わってしまったことでしょう。
――なんと心の願いが変わってしまったことでしょう。
“すぐ結果が出なければ本物じゃない” と。
これが今の世界の姿なのです。
しかし、ここからが大切です。
イエスが、この大勢の病人の群れの中を通って行かれた時――
そこにいた人数は、
今夜ここにいる私たちの 30倍、40倍以上 ではありません。
「群衆(multitudes)」と複数形で書かれているのです。
1つの“multitude”で約2000人とする学者もいます。
その “群衆たち” の中には、
盲人
足の曲がった子どもたち
手足の枯れた者
寝たきりの人々
そんな人たちが何千と横たわっていました。
その中を、
インマヌエル――天の神が人の肉をまとって――
そのまっただ中を歩いておられたのです。
しかし主は――
その誰ひとりにも触れられず、誰ひとり癒されなかった。
愛に満ち、憐れみに満ちた主が、です。
聖書は「主は憐れみに満ちておられた」と言っています。
では、なぜあの足の不自由な者や盲人や病んだ者たちを
一人も癒されなかったのでしょうか?
ここが、
不信者たちがつまずくところです。
彼らは理解できないのです。
イエスは群衆の中を通り抜け、
一人の男のところへ来られました。
彼は長い間 「床に寝たきり」 の人でした。
病名は分かりません。
おそらく糖尿病か、前立腺の病気か、
何らかの慢性の病だったのでしょう。
その病になって 38年。
イエスは、
その男が長い間苦しんでいることを知っておられました。
そして主は言われました。
「あなたは、癒されたいのですか?」
その間、
盲人の母親たち、
水頭症の赤ん坊、
手足の曲がった者、
見捨てられた子どもたち――
イエスはそのすべての人のそばを、
通り過ぎて行かれたのです。
池のそばを歩き過ぎ、
ただこの一人の男のもとへ来られた。
イエスがそんなことをされるなんて、
あなたは想像できるでしょうか?
聖書は
「主はそうされた」
と明確に語っています。
そして――
イエス・キリストは昨日も今日も、いつまでも変わることのない方です。
人々は、
主の働きの “片側” だけを見てつまずくのです。
しかし聖書には、
こう書いてあります。
主は、その男が長い間その状態にあると知っておられた。
主は その一人 を癒され、
あとの何千人もの群衆を残したまま
その場を去られた のです。
これが聖書の真理です。
ヨハネ5章に、はっきり書かれています。
23. さて、ユダヤ人たちはイエスに問いただしました。
明日、ぜひ ヨハネ5章全体 を読んでみてください。
ユダヤ人たちは、
安息日に寝床を持ち上げて歩いた、この癒された人について、
イエスを非難していたのです。
では、ヨハネ5章を開きましょう。
19節 を見てください。同じ章です。
ユダヤ人たちが問い詰めるその場面で、
イエスはこう言われました。
「まことに、まことに、あなたがたに言います。
子は、父がしておられることを見なければ、自分からは何もすることができません。
父がなさることを、子も同じように行うのです。」
そして主は続けられました。
「父はさらに大いなる業をあなたがたに示される。
あなたがたが驚くためである。
父が働いておられるゆえに、わたしも働くのだ。」ここが大事です、皆さん。
イエス・キリストは昨日も今日も、いつまでも変わらない方です。
イエスは“神の癒し手”を自称されたのではありません。
「わたしは神の子である」
――そう言われたのです。
そしてそれは、その通りでした。
主はこう言われました。
「父が示されるまでは、わたしは何もできない。」
さらにイエスはこうも言われました。
「しばらくすれば、この世はわたしを見ない。
しかし、あなたがたはわたしを見る。
わたしはあなたがたと共におり、
あなたがたのうちにさえおる。
世の終わりまで。」そして、もう一つ大切な御言葉があります。
ヨハネ14章12節――
「わたしが行うわざを、あなたがたも行う。
それよりも大きなわざをも行う。
わたしが父のもとに行くからである。」
さらに主は約束されました。
「もしあなたがたがわたしにとどまり、
わたしの言葉があなたがたのうちにとどまるなら、
求めるものは何でも与えられる。」
これは本当でしょうか?
はい、真実です。
これは真理です。
主の御言葉は、真実であり、揺らぐことがありません。
24. では、もうお分かりでしょうか。
主が、すべての人を癒されたわけではなかった理由を。
イエスご自身の言葉によれば――
「父が示されるまでは、わたしは何もできない。」
つまり、
御父が“幻(ビジョン)”として示されることだけを行われたのです。
これは、「だれも肉において誇ってはならない」ためです。
すべての栄光は神に属し、
神はすべての上におられ、
すべての中におられます。
そしてイエスは言われました――
「わたしは戻ってきて、あなたがたと共にいる。」
主は死からよみがえり、
今も人々の間に生きておられ、
ご自身の教会の内で働いておられます。
真に信じる教会は、
イエス・キリストが昨日も今日も、いつまでも同じであることを見ているのです。主がもし今夜、肉体をもって地上におられたとしたら?
私のように物理的な体でここに立たれたとしたら――
しかし実際には、
主は“聖霊”というかたちでここにおられます。
神は、御子イエスの体を栄光の右に座らせ、
その代わりに“聖霊”を契約として地上に遣わされました。
そして私たちは、
聖霊のバプテスマによって封印され、
神のいのち(ゾーエ、Zoe)を内に受けた者となったのです。
その瞬間、私たちは
神の子とされました。
だからこそ、
御言葉に触れると心の奥底が「アーメン」と応えるのです。
「それは神の御言葉だ。
私は信じる。」
私たちは――
信じる者です。
25. もし今夜、イエスが私のスーツを着て、
私の靴を履いて、この場所に立っておられたとしても――
神が“なせ”と示されないかぎり、
どんな人も癒すことはできません。
主は言われました。
「子は、自分からは何もできない。
父がしておられることを見るときにだけ、それをする。」
皆さん、主は真理を語られたと信じますか?
もちろん、その通りです。
では、聖書の場面をよく見てください。
ある時、二人の盲人が道で主を呼び求めました。
しかしイエスは、そのまま通り過ぎられたのです。
――なぜでしょうか?
主はまだ 彼らのための“御父の示し”を見ていなかったからです。
主はそこから家に入られました。
すると、人々がその盲人たちを家の中に連れてきました。
そこでイエスは、彼らの目に触れながら言われました――
「あなたがたの信仰のとおりになれ。」
主の“信仰”ではなく、
彼ら自身の信仰 が鍵だったのです。
また、ある女性が
主の衣のすそにそっと触れたとき――
イエスは振り向いてこう言われました。
「あなたの信仰が、あなたを救ったのです。」
主ご自身の“信仰”とは言われませんでした。
「あなたの信仰」 です。
26. では、ここで話を戻しましょう。もしイエスご自身が、
今夜この場に現れて、“昨日も今日も同じ方”であることを示されるなら――
主は昔も、周りの人の思いを悟っておられました。そうですね?
人々の心の思いを知っておられたのです。ロバ(小さな雌のロバ)がどこに繋がれているかも知っておられました。魚の口にコインがあることもご存じでした。
しかし主は、父が示されること以外、何一つなさらなかった。
かつて人々は、主が預言者であると知っていながら、主の顔に布を巻きつけ、
葦の棒で打ちつけて、こう言いました。「ほら、預言者なら、今誰が打ったか当ててみろ!」しかし主は、人々の遊びに付き合いませんでした。主は道化ではありません。彼らは「盲人が盲人を導く」ようなもので、いずれ自分で穴に落ちるでしょう。主は今日も、同じです。イエスは見世物ではありません。ステージショーをするお方ではなく、救い主、癒し主 であり、ご自身の民とともにおられるお方 です。主は今夜も、この教会のただ中におられます。バクスター兄弟が皆さんにお話しましたように、天から遣わされた“聖なる賜物”のことがあります。
これを謙遜をもって申し上げますが、私は幼いころから、神が私を“病める者のために祈る者”として遣わされたと語られました。そのことはバクスター兄弟が、
おそらく今夜も皆さんに話されたことでしょう。彼は初日の集会で、よくこの証を語ります。
27. もし今夜、イエス・キリストが
ほんとうに私たちのただ中におられるのなら――
そしてあなたが主イエスと父なる神を敬い、
心から神に願い求めるなら、
神は、昔と同じように、
この場であなたにご自身を現してくださいます。
主は教会に多くの賜物を与えられました。
ひとりひとりに違った賜物を置かれました。
たとえば――
ある者には、
知られざる言語(異言)で語る賜物 が与えられ、
別の人がその言葉を 解き明かす賜物 を持つ。
そのとき語られる言葉は、
ある人に直接向けられた神のメッセージとなり、
真実であることが証しされます。
ところが聖書はこうも言っています。
「みなが異言で語るだけでは、
まるで野蛮人の集まりのように聞こえてしまう。」
しかしこう続けます。
「もしひとりが預言し、
心の秘密を明らかにするなら、
人はひれ伏して
『確かに神はあなたがたのうちにおられる』と言うだろう。」 つまり、あのコリントの教会に働いていたのと同じ御霊が、
今夜も教会のただ中に働いておられるのです。
「イエス・キリストは昨日も今日も、いつまでも変わらない方。」
だから主がここにおられるなら、
昔と同じお方、同じご性質、同じ働き を現されるのです。
28. さて、皆さんに一つお尋ねしたいことがあります。
主が今夜ここに“現れてくださるかどうか”――
それは、私には分かりません。
すでに時間もかなり過ぎていますし、
この後の集会で、もっと多くを語ることもできるでしょう。
ですから、ぜひ毎晩お越しください。
しかし今夜、この小さな集まりにおいて、
皆さんに尋ねたいのです。
これまでに、私の集会に来られたことのある方はいますか?
……ああ、ありがとうございます。
その方々は、いま私が何を話しているか分かっておられます。
では、まだ来たことのない方に申し上げます。
もしイエスが、
この場に超自然的なかたちでご自身を現し、
地上におられたときと同じ御業をなさるなら、
あなたがたには――
もう疑う理由など、どこにも残らないはずです。
そのときは、
心のすべてをもって信じ、
主の書かれた御言葉を受け入れるべきです。
主はカルバリーで、
あなたの罪のために死んでくださったのです。
もしあなたが罪人なら、
今夜、あなたの人生を主にお渡しください。
そして、
“その打たれた傷によって、あなたは癒された”――
それはすでに十九百年前に成し遂げられています。
だから、ただ受け取りなさい。
癒しを受け取って、喜びながら帰れば良いのです。
29. 私たちの多くは、もう二十五や三十を過ぎています。
人生の最も良い時期を通り過ぎた者も少なくありません。
しかし、
私たちは皆、やがて神のさばきの座に立つのです。
だからこそ、
昼のうちに、主のために何かを成しましょう。
どうか――
腰の抜けた信仰者にならないでください。
もし神が真実なら、
その証を、たとえ自分の血ででも
しっかりと刻みつけようではありませんか。
もし神が本当に神であるなら、
その方にお仕えしなさい。
もし神が神でないのなら…
そのまま遠ざかっていればよい。
もし主の御言葉が、
「イエスは昨日も今日も、いつまでも変わらない」
という真理に立っていないのなら、
聖書は誤りです。
もしイエスが、
「世の終わりまで、あなたがたと共にいる」
と言われたのに、
今ここで昔と同じ御業を現されていないのなら…
それも誤りです。
しかし――
誤りではありません!
これは真理です。
神は、あなたの信仰の挑戦に応えてくださるお方です。
どうか主が皆さんを祝福してくださいますように。
それでは、頭を垂れて祈りましょう。
30. 天の父よ、
今夜、私たちはここインディアナの高い地に集っております。
主よ、あなたはこれまで――
世界の果て、国々の彼方、
遥かな海の向こう、
密林の奥地、灼けつく砂漠、
大通りにも、裏道にも、
王の宮殿にも、
そして最も小さく慎ましい家にも――
偉大な御力をもってご臨在くださいました。
今、この集会の初めにあたって、
雨露をしのぐ屋根を与えられていることを
心から感謝申し上げます。
そして、この場を整え、
用意してくださった方々を
どうか豊かに祝福してください。
主よ、この場所は本来、
別の目的で使われていたかもしれません。
しかし今、
どうかここを聖別してください。
スタジアム全体が、
あなたの聖なる御手によって清められますように。
神の御使いたちが、
この会場の至るところに配置につきますように。
すべての悪しき力は退けられ、
聖霊が完全な自由をもって働かれますように。
永遠の神よ、
どうか天の大軍勢を送り、
恐れと疑いを追い払い、
この集会を力強いものに変えてください。
聖霊が人々の心に語りかけ、
何千という魂が救われ、
多くの者が癒され、
しるしと不思議と奇跡が現れますように。
明日、人々が街に出て、
「主の栄光を見た!」 と証ししますように。
どうか、
古き良き復興(リバイバル)がここから燃え広がり、
この地方すべてを揺り動かし、
主の来臨までに多くの魂がキリストに帰りますように。
主よ、どうかお聞きください。
天の父よ、
私たちは自らをこの尊い御血で買い取られた
愛する民の前に立つにふさわしい者とは思っておりません。
しかし、
あなたご自身が、
私たちがここに立つことをお定めになりました。
ですから、父よ、
あなたのお名前のゆえに、私たちはここに立っています。
どうか今夜、
神の御使い――聖霊を遣わしてください。
そして、
国を震わせるようなしるしと不思議 が起こりますように。
長年、
説教し、祈り、道を整え、
信仰を守り通してきた牧師たち、
クリスチャンたち――
どうか彼らの教会が今、
祝福の波にあふれますように。
そして、
多くの魂が救われますように。
主よ、彼らが語り続けてきた御言葉を、
あなたの御霊によって確認してください。
これらすべてを、
主イエス・キリストのお名前によってお祈りします。
アーメン。
31. さて、クリスチャンの友の皆さん。祈りの前に、どうしても申し上げておきたいことがあります。集会ではしばしば、並外れた出来事 が起こります。
バクスター兄弟がすでに説明してくれたように、
私は皆さんの兄弟であり、ただの人間です。けれども、神の御霊が働かれるとき、何が起こるかは私にも分かりません。だから――その時が来たら、どうか全員、静かにしていてください。できるかぎり、敬虔な心で、落ち着いていてください。もしこの中に、「批判しよう」という思いの方がおられるなら、
どうか近くに座らない方が良いでしょう。なぜなら――もしこれが、
あなたがそのように呼ぶなら「神の御霊」の働きであり、汚れた霊が人々から出て行く時、批判者はその影響にさらされやすいからです。
そして、はっきり言っておきますが――批判、または不信の結果について、私は責任を負いません。悪霊というのは、実に無力な存在です。
今週は「悪霊論(デモノロジー)」についても語りますが、悪霊とはただの力なき霊であり、しかし働きとしては確かに存在するものです。聖書を知る人なら分かる通り、悪霊は人から出て行くと、
別の宿る場所を探します。そのことは、使徒行伝の19章 にも書かれています。
またイエスご自身も言われました。 「汚れた霊がその人から出ていくと、乾いた場所をさまよい、また戻って来る。」 これは真理です。だからこそ、私は皆さんにお願いしたいのです。信じてください。静かにしていてください。祈ってください。そして、どうか私のためにも祈ってください。
主が皆さんを豊かに祝福してくださいますように。
32. 〔バクスター兄弟が、祈りのカードの配り方や、
皆さん全員に順番が回るための方法をすでに説明してくれました。〕
けれども――
祈りのカードそのものには、
何の力もありません。
今夜ここにおられる方で、
祈りのカードを持っていない方でも、
こちらを見て、
神を信じ、
信仰を持つなら――
あなたの信仰に、神は必ず応えてくださいます。
これは真実です。
どうか、
心の中にあるあらゆる迷信や先入観を脇に置き、
ただこう言ってください。
「天のお父さま、私は心の底から信じます。」
そうすれば、
神はその信仰に応えてくださいます。
神は私にこう言われました。
「もしあなたが人々に“あなたを信じさせ”、
祈るとき誠実であるなら、
わたしは働く。」
だから私は、
皆さんにお願いしたいのです。
どうか信じてください。
そして、私が祈るとき、
心から誠実に受け取ってください。
ただし、
今夜、神がどれほどのことをされるか――
それは天の父の御心次第であり、
私には分かりません。
〔ブラナム兄弟が横の奉仕者に話しかける〕
「病人はこの辺りに立っていただきましょうか?
あまり多くは一度に扱えませんから。
どこから始めましょうか……?」
〔録音の途切れ〕
33. 盲人のことを思い出してください。
主は、大勢の中からその一人の盲人の手を取って、
町の外まで彼を連れ出し、そこで癒されました。
そうですね?
ペテロも同じです。
ダルカスが死んでいたとき、
未亡人たちは泣き、声をあげて嘆いていました。
しかしペテロは――
家にいた人を皆、外へ出したのです。
そうですね?
そして、静まり返ったその部屋で、
ひざまずいて祈りました。
エリシャを見てください。
死んだ子どもを生き返らせたときも同じです。
そこには
「神とだけ向き合う場所」
――それが必要だったのです。
もちろん、この外には
あらゆる種類の霊が働いていて、
それらと向き合わなくてはなりません。
しかし、
周囲が静まり返り、
神だけと向き合う時、
主の働きはまったく違うかたちで現れます。
さて今夜――
もしイエス・キリストが
ここにご自身を現し、
“昨日も今日も永遠に同じ方”であることを
証明されるなら――
この中でどれほどの方が、
それを真理として受け取り、
他の人に伝え、
祈りの人となる と決心されますか?
……神が皆さんを祝福してくださいますように。
会場全体――
100パーセントの手が上がりました。
ありがとうございます。
どうか神が皆さんを大いに祝福されますように。
今ここにおられる主イエス、
私たちの命を御手に握っておられる方 が、
どうか今夜、
皆さんにこの特権を与えてくださいますように――
これが、私の心からの祈りです。
34. では、よろしいでしょうか。〔ピアノを弾ける方はおられますか?〕
今夜、皆さんには心をひとつにして信じてほしいのです。そしてもしよければ――
お姉さん、どうか静かに弾いてください。“Only Believe(ただ信じなさい)”
あるいは、“Abide With Me(ともにいてください)”そのような賛美がよいでしょう。皆さん、神の御霊は音楽の中にも来られると信じますか?
エリシャのことを思い出してください。彼が一度、心がざわつき、霊の中で落ち着かなくなったとき――彼はこう言いました。「ヨシャパテ王のためでなければ、
わたしはあなたを見ようともしない。」そうですね?しかし続けて、こうも言いました。「それでも、 harp(楽師)をここへ連れてきなさい。」そして音楽が奏ではじめたのです。教会での音楽を信じない方は、この場面をどう思われますか?
音楽が流れ始めたとき、主の霊が預言者の上に下ったのです。
35. では、皆さん――厳粛な心で、信仰をもって いてください。今、マイクを少しこちらに出します。……ええ、こうしておけばよいでしょう。私が、今この位置に立つ理由は、皆さんには説明してもきっと全部は理解されないと思います。けれども――ときおり私は“半ば無意識”の状態に入るのです。自分がどこにいるのか、
ほとんど分からなくなることがあります。皆さんの中に、幻(ビジョン)が人に何をするか理解される方はいますか?聖書を思い出してください。ダニエルはただ一つの幻を見ただけで、何日も心が乱れ、弱り果てました。つまり、これは
神から来た“聖なる賜物” なのです。そして、どうか誤解しないでください。私は誰も癒すことはできません。そんなことはできませんし、私の力ではありません。癒しは、すでにイエスがしてくださったこと。救いについても同じです。
私はあなたを救えませんし、誰も救うことはできません。それもすでに、
キリストが成し遂げてくださったこと。あなたはただ、その御業を“受け取る”だけです。しかし――「預言者としての働き」これは別なのです。それは私自身のものではなく、神が与えられた“賜物” だからです。(ブラナム兄弟が脇の奉仕者に向かって何か話す)
36. 会衆の皆さん、
私が知るかぎりでは――
ここにおられる皆さんは、ほとんど全員、私には見知らぬ方々です。
ただ、
あそこに私の教会の ロバーソン夫妻 のお姿が見えます。
その隣には ウッド夫妻 もおられます。
妻もこの建物のどこかにいるはずですが、
まだ見つけていません。
私の右手には、
ミシガン州ダワジャックから来た ライアン兄弟 が座っておられます。
それ以外は――
私は、どなたも存じ上げません。
この前の列に、小柄で黒い上着を着た方がいますが、
どこかでお会いした気がするものの、
お名前は思い出せません。
それだけが、私に分かる範囲のすべてです。
ですから、皆さんどうか
心を静め、敬虔にしていてください。
心をキリストに向け、
信じ続けてください。
会衆の皆さん――
どうか落ち着いて、
神に栄光をお返しください。
そして明日、
今日の出来事を証ししてください。
これから何が起こるか、
順序はすべて整えました。
明日には理解できるでしょう。
どうか心静かに、敬虔に、
主に感謝の賛美をささげてください。
ああ、それから——
後ろの席に、私の教会に通っている若い兄弟が座っています。
こちらの列にも、別の若い兄弟がいます。
けれども、
もし数分後にこの講壇に来られたとしても、
私はきっと彼のことが分からないほど
“霊の領域”に入ってしまうでしょう。
37. では、よろしいでしょうか。まず、この婦人にお話ししたいと思います。
もし、この会話の途中で何かが起こったとしても、どうか妨げないでください。
誰かが癒されたなら、神を賛美するのは――その後で なさってください。
今、私の前には一人の婦人が立っています。私はこの方を知りません。
しかし、神はこの婦人を完全に知っておられます。私は知らなくても、
神はご存じです。この方のすべてを知っておられます。
もし――イエス・キリストが昨日も今日も、そして永遠までも同じ方
であるなら、イエスはこの婦人に何が問題であるかをご存じのはずです。
ちょうど昔、井戸のそばで出会ったサマリヤの女のことをすべて知っておられたように。あるいは、ピリポがどこでナタナエルを見つけたかすべて知っておられたように。
ですからもし、今夜ここに聖霊が臨んでおられ、この婦人について昔のように“啓示を与える”なら――そこには超自然の力が働いていることが明らかになります。
そしてそのとき、皆さんはこう確信できるでしょう。「イエス・キリストは昨日も今日も、いつまでも変わらない方だ」その通りです。まさにその証しとなるのです。
38. では、よろしいですか、ご婦人。少しだけ、お話をさせてください。
最初の患者さんのときは、いつも少しだけ難しいのです。このマイクを持ちますが、ときどき自分がどれほど大きな声で話しているかわからなくなることがあるからです。ただ、私はあなたに少し質問をさせていただきたいのです。
あなたは答えてくださるだけで結構です。何をしようとしているのか――
あなたには分かっておられるでしょう。
あなたは女性で、私は男性です。そして私は、あなたがクリスチャンであると思います。あなたの“霊の雰囲気”がとても温かく迎えてくれているからです。
そして、あなたもご存じの通り、私にはあなたを助ける力はありません。
私はただの人間、あなたの兄弟にすぎません。しかし、もし私がこれまで申し上げてきたことが真実であり――そして、それが真実かどうかを神ご自身がご存じであり――すべての栄光と賛美をふさわしいお方、イエス・キリストに帰するならば、私はこう主張できます。聖書は真実であり、イエス・キリストは昨日も今日も、いつまでも変わらないお方である。
ですから、もし主が昔、サマリアの井戸の婦人に語られたなら、今夜も同じイエスがおられるわけです。そして主は、私たちの身体を用いてさまざまな御業をなさいます。あなたはそう信じますか?
……信じますね。では、そういう事なのです。
39. それはあなたを傷つけるものではありませんよ。分かりますか――いま、あなたは“何かのご臨在”の中にいるのです。それを、あなた自身が感じたでしょう。
これはただ、主のご臨在なのです。主がここにおられます。私が 主のしもべであることを信じますか?信じますか――心のすべてで。ええ、ありがとうございます。あなたはこの地方の方ではありませんね。ここへ来られたのです。そしてあなたが恐れているもの――それは ガン です。そうでしょうか?あなたは前にも、
どこかで祈ってもらったことがありますね?そうですね?そのガンは のど にあると言われましたね?そうでしょう?そしてあなたは……神があなたを祝福してくださいますように。ええ、そうです。あなたは、せき上げた小さなかけらを
何かに入れて取っておきましたね?そうではありませんか?アルコールに入れて――証しとして保管してきましたね?ほんとうですか?ええ……神があなたを祝福してくださいますように。そのまま続けなさい。そうすれば、あなたは癒されます。【祈り】わたしたちの天の父よ、どうかこの婦人を豊かに祝福してください。
いま家に帰るとき、完全にいやされた者として帰れますように。
イエス・キリストのみ名によって祈ります。アーメン。神様があなたを祝福してくださいますように、姉妹。恐れずにお帰りなさい。
(婦人が何かを言う)瓶の中に入れて持っておられるのですね。ああ、神に感謝します。
40. さあ、皆さん、敬虔な心で、そして全身で信じてください。
よろしいです。こんばんは、姉妹。あなたは信じますか?
私たちは互いに知らない者同士ですね?ええ、まったくの赤の他人です。
私はあなたを知りません。けれど、もしあなたの人生のことが何か示されるとすれば、それは“超自然的な何か”によらなければなりませんね?その通りでしょう?あなたは今――ここに、人間以上の“何かのご臨在”があることを感じておられる。そうでしょう?そう、それは主のご臨在なのです。あの撮られた写真――
光の柱の写真を見たことがありますか?ご覧になったことが?ええ、あれです。
あなたは今、そのご臨在が近くにあることを感じておられますね。
私が主の預言者であると信じますか?信じますね。あなたはとても心を乱されています。最近、医者に行き、X線写真を撮ってもらいましたね?
そうですね?あなたは ガンではないかと恐れておられました。でも――違います。それは 腸のあたり です。そうでしょう?それは腫瘍です。医者は “腫瘍” と言いましたね。あなたは「ガンではないか」と恐れましたが……腸の中の腫瘍です。そうですね?本当なら、手を上げてください。(婦人が手を上げる)
ほんとうですね。私は生まれてこのかた、あなたを見たこともありません。
あれは私が話したのではありません。あなたには私の声が聞こえたかもしれませんが、語っておられたのは主ご自身だったのです。それほど主が今、あなたの近くにおられるのなら――いまあなたの癒し主としてお迎えになりませんか?主イエスさま、どうかこの婦人を癒してください。ここから帰るとき、完全に癒された者として帰れますように。彼女の大いなる信仰によって癒されますように。イエスのみ名によって祈ります。アーメン。神様があなたを祝福してくださいますように、姉妹。さあ、お帰りなさい。主があなたを豊かに祝福し、癒してくださいますように。
41. 「いま信じますか?」
[テープ切れ]
あなたは、これ以上のことを見るでしょう。
信じてさえいれば、神の栄光を見ることになります。
神はすべてをご存じです。
さて、後ろの席の皆さんも――
こちらをご覧になって、
心から神を信じてください。
神があなたを癒されるかどうか見てみてください。
姉妹、あなたも信じますか?
そのまま信じ続けなさい。
主があなたに近づかれます。
信仰を持ちなさい。男性との対話
こんばんは、兄弟。主があなたを祝福してくださいますように。
どこかでお会いしたように思いますね。
お会いしましたか?
ああ、握手をしましたね。
あそこから出て来られたときでしょう?
そこに立っておられましたね?
そうですね?
あなたのお顔をどこかで見たと思っていました。
(男性)「ジェファソンビルのあなたのタバナクルでお会いしました」
ああ、私のタバナクルに来られたのですね。
すばらしい。
でも、あなたに何の問題があるのかは、私は知りません。
ただ神だけがご存じです。
さて、兄弟よ、
今ここで起きていることは、神から来ていると信じますか?
私の方を見てください、兄弟。
これらが神から出たものだと信じますか?
(男性)「癒しは神から来ると信じます」
その通りです。
もちろん、そうでなければなりませんね?
(男性)「はい、そうです」
私にそんなことができるはずはありませんね?
(男性)「いいえ、あなたにはできません」
ほかの人にもできませんね?
(男性)「いいえ、でも神があなたを通して働いておられると信じます」
ありがとうございます、兄弟。
私は今のように言うのは、
人々に“私を見てほしい”という意味ではありません。
あのペテロとヨハネが、美しの門を通るときに言いましたね――
「私たちを見なさい」 と。
つまり、
「顔を上げて、注意を払い、いま語っていることに心を向けなさい」
という意味でした。
さきほどエリシャの話も引用しました。
あのヨシャパテと不信者の王が同盟して失敗したときの物語です。
エリシャは言いました。
「もしヨシャパテの存在を尊重していなかったなら、
お前などに目もくれないところだ。」
しかし彼はヨシャパテを尊重したので、
主が何を語られるかを求め、
奥に入って幻を見て、
それを持ち帰り、
こう告げました。
「堀りを掘れ」 と。
ご存じでしょう? 聖書の物語です。
そのエリシャと共におられた同じ神が、
今夜ここにおられます。
信じますか?
(男性)「はい、信じます」
あなたは信じていますね。
42. いま、私はあなたに語りかけています――ちょうど主が井戸のそばの女に語られたように。私はあなたの“霊”とコンタクトをとろうとしているのです。あなたは、私が心を読み取っているとは思いませんね?(男性)「いいえ、先生、思いません」いいですね、決して読んでいません。私はただ、あなたを助けようとしているだけです。あなたは完全に“衰弱しきって”います。全身が弱ってしまっている。そうでしょう?(男性)「その通りです」何度も手術を受けてきましたね?
そうですね? 少なくとも5回か6回ほど。(男性)「3回手術しました」
そして、前立腺の問題がありますね? そうでしょう(男性)「はい、そうです」
あなたは以前、祈りの列に並んだことがありますね?(男性)「あります」
私の集会以外でもでしょう?(男性)「その通りです」その祈ってくれた人は、髪が明るい砂色で、顔が丸くて短いタイプの男性……たぶん、 アレン氏(A. A. Allen) でしょう。(男性)「そうです」そうですか? 本当に?(男性)「その通りです」いま申し上げたことは全部真実でしたか?(男性)「真実です」
全部ですか?(男性)「100パーセントです」100パーセント真実。よろしい。では、兄弟よ、これらのことを知っていた何かが、ここに“いる”ということですね?(男性)「そうです」私にそれを示した“何か”があるのです。兄弟、それを「イエス・キリストは昨日も今日も、永遠に変わらない」その方がご自身を表しておられる証拠だと受け取りますか?そして、ご自身の癒し主として受け入れますか?(男性)「信じます。はい、先生」よろしい。では頭を下げてください。全能の神よ。あなたの御子、主イエスをこの地へ送られたお方よ。主が昇天される前に残された最後の言葉を、私たちは覚えております。「信じる者には、これらのしるしが伴う。彼らが病人に手を置けば、病人は癒される。」主よ、私たちの不信を助け、この兄弟を今夜お癒しください。彼の神経を落ち着かせ、血圧を正常にし、彼が家に帰って完全に癒されますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。神様があなたを祝福してくださいますように、兄弟。喜びながらお帰りなさい。(ブラナム兄弟がその男性に小声で言う)神の祝福がありますように。ありがとうございます。本当に感謝します。
43. どう思われますか?
信じますか?
神がいま、ここにおられて“それ”をなさると信じますか?
あなたも病気ですね?
あなたも必要があって来ている——そうでしょう?
高血圧で苦しんでいますね。
違いますか?
もし正しければ、手を挙げてください。
……その通りですね。
では、いま癒しを受け取られませんか?
どうしてあなたがそこに座っていて、何の病気か私が知ったのでしょう?
さっきの男性も高血圧でした。
そして、彼からそれ(高血圧の霊)が離れたとき、あなたからも離れたのです。
ですから——あなたは癒されました。
神があなたを祝福されますように。
もう行ってよいですよ……。
神を信じなさい。
もしこれを信じるなら、あなたはさらに大きな御業を見るでしょう。
ただ、神を信じなさい。次の女性へ
こんばんは、婦人。
あなたは信じますか?
あなたはクリスチャンですね。
もし、イエス・キリストが、私のような取るに足らないしもべを通して、
あなたに何が起きているかを“そのまま”示してくださるなら——
井戸端のサマリヤの女に語られたように、
あなたの病を“言い当て”てくださるなら——
あなたは、主をあなたの癒し主として受け入れますか?
あなたと私は赤の他人ですね?
どこかで一度、私を見かけたことがあるだけでしょう?
ただそれだけで、
あなたの生涯や病のことなど私は何も知りませんね?
(女性が「はい」と答える)
では、
主が“何があなたに起きているか”示してくださるなら、
あなたは癒しを受け取るのですね?
……主がそれを叶えてくださいますように。
そうです。
神がいま、示してくださいました。
あなたは “心臓の病” を持っています。
そうですね?
では、あなたはどうすると言いました?
——“癒しを受け取る” と。
では、そのままお帰りなさい。
癒されます。
よく聞いてください。
神があなたの過去を知っているなら、
将来のことも当然、ご存じです。
いま喜んで信じてお帰りになり、
その信仰を証し続けるなら、
あなたの心臓の病は去ります。
過去をご存じの方は、未来もご存じですから。
ですから、今申し上げた通りにしなさい。
あなたは癒されます。
主なる神があなたを祝福し、
完全にお癒しくださいますように。アーメン。
44. こんばんは、兄弟。あなたは心の底から信じますか?——はい、信じますね。
私たちは初対面ですね?あなたは、私を一度見ただけ……そうですね。
こうした小さな集会では、時に友人たちが来てくれたりもしますので、私はよくこうして確認するのです。今夜は、油注ぎが“スッと降りてくる”感じが、
いつものように強くはありません。知らない場所で、人々も緊張しているからでしょう。ですから、少しだけあなたとお話しします。私は、あなたの人生を人間的に知っているわけではありません。何も知りません。あなたは眼鏡をかけていますが、それが問題なのかどうか、そんなことは言いませんよ。……いいえ。
あなたの問題はそれではありません。あなたと私の間に、ひとつの“影”が見えます。映像のように、あなたが 食卓から離れていく姿が見える……
あなたは“胃の病”を患っていますね。正しいなら、手を挙げてください。
(男性が手を挙げる)そうですね。では、真実であることをもう一つ示しましょう。少し、そのまま立っていてください。……いま、別の“叫び”が聞こえました。
客席の上の方からです。あそこに座っているご婦人、後方の列の、まっすぐ私の正面——あなたも“胃の病”がありますね。立ってください。……ええ、その通りです。いま、“光”があなたの上にとどまりました。あなたの場合は、非常に珍しい症状です。胃に酸が足りない——酸不足ですね。そうでしょう?もし正しいなら、手を左右に振ってください。(女性が手を振る)はい。お二人とも、癒されました。家に帰って、好きなものを召し上がりなさい。神があなたを祝福されますように。
神を信じなさい。イエス・キリストは昨日も今日も、いつまでも同じお方です。
今、主の御霊があなたがたに降りてきています。信仰が高められていくのが分かります。それが、私にさらに大きな自由を与えるのです。
45. あなたは信じますか、姉妹。
私たちは初対面ですね?
——その通りですね。
あなたは、これまで本当に多くの苦しみを通ってこられました。
そして今も、深くつらい苦痛の中にあります。
がん……そうですね。
もしそれが真実なら、手を挙げてください。
(姉妹が手を挙げる)
そうです。
では、こう考えてみてください。
魚の口の中に“銀貨のある場所”さえ知っておられた神様が、
あなたのからだに何が起きているか、ご存じないはずがあるでしょうか。
また、
五人の夫を持っていたあのサマリヤの女性のすべてを言い当てられた主が、
あなたの状態を知らないはずがあるでしょうか。
——主の御臨在は、
いま、ここに確かに近いのです。
そう信じますか?
これはただ一つのことを証しするためです。
聖書に書かれたことは真実である、ということ。
主は聖書にこうおっしゃいましたね。
「病人に手を置けば、彼らは癒される。」
——これは真実ですか?
そうですね。
では、こちらへ来てください。【祈り】
全能の神よ。
あなたの御言葉、
そして御子イエス・キリストの御言葉を証しするために、
私はこの姉妹の上に手を置きます。
この悪しき霊に命じます。
『イエス・キリストの御名によって、この人から離れよ』。
アーメン。
神様があなたを祝福してくださいますように。
信じて帰りなさい。
そして、ぜひ良い知らせを聞かせてください。
信仰を持ち続けなさい。
46. こんにちは、姉妹。あなたは信じますか?私が主のしもべであると信じますか?
では、こちらを見てください。——私が主の預言者として立っていると、そう信じますか?……はい、信じますね。あなたには糖尿病があります。
そうでしょう?そして、あなたのご年齢の女性に特有の、他の問題もありますね。……わたしが言っていること、お分かりでしょう。ここで詳しく言うわけにはいきませんが、それは真実ですね?それを知っているのは、
この世界で、神さまおひとりだけです。そうでしょう?
——はい、それでよいのです。では、こちらへ。主なる神よ。いま、この姉妹の上にあなたの御霊の油注ぎと祝福が豊かに臨みますように。
どうか彼女が家に帰り、完全に癒されますように。イエス・キリストの御名によって、この祝福をお祈りいたします。アーメン。——神があなたを祝福されますように。信じて帰りなさい、姉妹。あなたは信じますか、姉妹。心の底から信じますか?
私が神の預言者であると、そう信じますか?——私たちは初対面ですね?
そうです。私はあなたのことを何も知りません。あなたはとても“神経が張りつめる”ような状態ですね。突然、強い不安や、胸のつかえるような感覚が襲ってくる。そうでしょう?——それは更年期の症状です。しかし、もうひとつあります。
あなたは 貧血です。血が不足していますね?そうでしょう?
カルバリーには、あなたのための“天の輸血”があります。それを信じますか?
では、こちらへ来てください。
イエス・キリストの御名によって、この姉妹が癒されますように。
家に帰り、完全に回復しますように。アーメン。神さまがあなたを祝福されますように。信じて帰りなさい。
47. あなたは信じてきましたか?
いま、全能の神がここにおられます。
その御臨在が、確かにここにあります。
それを信じますか?
——ならば、
あらゆる悪霊は、いま神の御霊の前に服従しています。
サタンのどんな力も、神の霊の御前では無力であり、
主の御前に隠れるものは何ひとつありません。
アーメン。
人がどう言おうと構いません。
しかし 神はご存じです。
信仰を持ちなさい。
(テープの切れ目)
……主イエスの御名によって、
この場所のどこにいる人でも、
私はあなたの信仰に挑みます。
私が語ってきたことが真実であると信じますか?
神が御使いを遣わされたということを信じますか?
私はただ、
真実を証ししているだけです。
そして神ご自身が、それを真実だと“証明して”おられます。
もはや——
あなたには疑う権利はありません。
人間なら、何を証言することもできます。
でも、それは“人間の言葉”です。
しかし、
神が降りて来て、それが真実だと示される時、
あなたは神を信じなければならないのです。
もし信じないなら、
あなたの上に、
今見たよりももっと悪いことが起こってきます。
聖書はこう言っています。
「行って—and (何を?) no more」
——“罪を犯すな”。
“罪”とは何でしょう?
不信です。
「行って、もう不信を抱くな。
さもないと、もっと悪いことが起こるだろう。」
48. この小さな男の子は……?
こんにちは、坊や。
まあ、なんて可愛いんでしょうね。
さあ、ここへおいで、ハニー。
少しだけお話ししたいんだよ。
ほら、あなたの小さなお手々を握らせてね。
さあ、ブラナム兄弟の方を見てごらん。
日曜学校は好き?
——うん、好きなんだね。
イエス様のことは愛している?
——そう、愛しているんだね。いい子だね。
もし、イエス様が今夜、この場所に“肉体を持って”立っておられたら……
たとえば、ここで緑色のスーツを着ておられたとしたら——
今の時代におられるなら、他の人と同じような服装をされたでしょう。
そして、もしイエス様がここに立っておられたなら、
あなたに何が起きているかをすべてご存じでしょう?
そうだよね?
そして、
「何が悪いのか」をあなたに告げてくださるでしょう?
そうでしょう?
そのあとで、イエス様があなたに手を置かれたら——
あなたは癒されるでしょう?
そうだよね。
では、ブラナム兄弟の方をもう一度見てごらん。
私はあなたのことを知りません。
——ねえ、坊や、私はあなたを知らないよね?
お母さん、この子はあなたの息子さんですか?
やはり、そうですね。
この子はあなたの可愛い坊やですね。
はい、分かりました。
では、お母さん——
私を、神の預言者として見てください。
私を信じますか?
——はい、信じますね。
よろしい。
この boy は 心臓に問題があります。
——そうですね?
リウマチ熱が心臓に及んでいるのです。
これは、神さま以外にはどうすることもできない状態です。
——そうでしょう?
心臓の“弁”が侵されていますね。
——その通りですね?
あなたにそう言ったお医者さんは、
背が高い男性のドクターでしたね?
——そうですね?
もしこれらがすべて真実なら、
手を挙げてください。
(母が手を挙げる)
どうして私がその医者を“見た”のでしょう?
——今、ここに“幻の中で”その医者が、
あなたのそばに立っているのが見えるからです。
では、お母さん、
あなたは、この子が癒されると信じますか?
49. お母さん……あなたも苦しんでおられますね。胸のあたりが“ふっと締めつけられるような”、息がつまるような発作がありますね?——そうでしょう?
それは真実ですね?それから、あなたの末の子——女の子にも問題があります。
首のところ……小さな腺(せん)が腫れている。そうですね?それも真実ですね?全能の神よ。あなたの御子、主イエス・キリストをこの世に遣わされた神よ。どうか今夜、この小さな家族を祝福してください。どうか、この坊やが回復し、これから先、長く、幸せな年月を生きられますように。母親も回復しますように。小さな娘さんも癒されますように。主よ、あなたの御霊を送り、今夜、この場におけるこの御奉仕があなたによって確証されますように。そして、この人々を癒してください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。神さまがあなたを祝福してくださいますように、坊や。さあ、行きなさい。主があなたを守られますように。お母さん、こちらへ。この赤ちゃんに手を置かせてください。主イエス・キリストの御名によって——この子に癒しが臨みますように。さあ、お母さん、喜んで帰りなさい。それから……ここを見てください。あなたの胸を締めつけているものの正体は、“神経の疲れ”です。あなたはとても神経が張りつめています。そして、子どもたちのことを思うあまり、心がすっかり疲れてしまっているのです。でも、もう大丈夫。すべてを神さまの御手にゆだねなさい。この子たちはよくなります。疑ってはいけません。心の底から信じて行きなさい。神さまがあなたを祝福してくださいますように。
50. イエス・キリストは昨日も、今日も、いつまでも同じお方です。主イエスは、いまもまったく同じお方です。その御前に立ちふさがるものは、何ひとつありません。主はインマヌエル——よみがえり、今も人々の間に生きておられます。
神を信じなさい。主は地上におられたとき、いつの時代でも“不人気”でした。
これからも、再臨まではそうでしょう。しかし——世をさばいたその同じ御言葉が、ノアを救いました。そして今夜、世が拒むこの聖霊が、教会を救うのです。
アーメン。神を信じなさい。さあ、兄弟、こちらへ。神を信じて。疑わないように。いましがた、私の教会の姉妹——ロバーソン姉妹——あなたの上に 神の霊が立たれる」のを見ました。彼女に何があるか、私は知っています。ロバーソン姉妹、神があなたを祝福されますように。どれだけの方が、この場所に展示されている写真を見たことがありますか?世界中でただ一度、
“科学的に証明されて撮影された、超自然的存在の写真” です。見たことがある方は手を挙げてください。——ええ、たくさんおられますね。
あの写真は、今、ワシントンD.C.に保管されています。
51. あなたが患者さんなのですね、兄弟。
——私たちは初対面ですね?
私はあなたを知りません。
(患者が何か答える)
ああ……ただ“集会で私を見た”ことがあるだけなのですね?
なるほど。
では、私たちは互いにまったくの見知らぬ者——
そうですね?
でも、こうして立ってみると分かります。
あなたはクリスチャンです。
はい、兄弟、私は心からそう信じます。
いや、それだけではありません。
あなたは“福音の奉仕者”——牧師ですね?
——その通りですか?
(「はい、そうです」)
そして、あなたはずっと悩んでおられる。
この額(ひたい)のあたり……副鼻腔の病です。
副鼻腔炎ですね?
——そうでしょう?
もしそれが真実なら、手を挙げてください。
(「はい、そうです」)
では、兄弟——
主が今、あなたのすぐそばに立って、
あなたを祝福しようとしておられるのを信じますか?
(「はい、信じます」)【祈り】
ああ神よ、
どうかこの御子のしもべである兄弟を祝福し、
癒してください。
イエス・キリストの御名によって、
この癒しを求めます。
アーメン。
神があなたを祝福されますように、兄弟。
喜びながら帰りなさい。
信じ続けなさい。
(ブラナム兄弟、小声でスタッフに)
「今、何人呼びましたか? 十人? 十二人? ……十人?」
では、もう五人呼んでみましょう。
(テープ切れ)
52. 今夜は——あなたの人生を変える“その時”になるかもしれません。いったい、どうして信じないことができるでしょうか?信じないためには、こうしなければならないのです——目をつぶり、背を向けて、「神よ、あなたは偽りを語っている」と言わなければならない。信じないでいられるのは、完全な不信者(インフィデル)だけです。ああ、そんな人でも宗教的な形だけは持っていることがあります。
しかし、神の力の前に立つなら、否定できません。信じなければならないのです。信仰を持ちなさい。神が成し遂げてくださいます。さあ、来なさい、姉妹。
その“がん”から解放されたいのですか?——そうですね?では、キリストからの癒しを、いま受け取りなさい。家に帰って、「主よ、私はいま信じます」と言いなさい。二、三日したら、知らせてください。それから——あなたは、今から約七十二時間後に“気分が悪くなる”でしょう。でも、それを“心配してはいけません”。
恐れずに、そのまま通り抜けなさい。そのあとの状態を、また私に知らせてください。
53. さあ、来なさい、姉妹。信じますか?その“貧血”の状態から解放されたいですか?こう言いなさい——「カルバリーから流れる血をいただきたいです」
そして、主イエス・キリストの御名によって、癒されなさい。いま、心の底から信じるのです。家に帰って、「主よ、私はいま、心から受け取ります」と言いなさい。そしてそのまま——癒された者として歩きなさい。
神を信じなさい。信じますか?人々と話せば話すほど……わたしには“何が何であるか”が次々と見えてきます。体が弱ってきます。もう全体が“渦を巻くように”、
ぼんやりと回って見えるのです。
そこの小柄な姉妹——あなたはポリオを患ったことがありますね。そうでしょう?あなたには癒せなかった。けれど、あなたは今そこに立って祈っていましたね。神がその願いを叶えてくださいますように。
そして——寝台に横になっている姉妹。あなたは“神経の崩れ(ノイローゼのような状態)”で苦しんでいますね?そうでしょう?——その通りです。悪魔に負けてはいけません。もし今夜、信仰を働かせるなら、あなたは家に帰って、必ず良くなるのです。私はあなたを癒すことはできません。しかし——あなたは神の前に“隠れることはできません”。今は何一つ、隠れおおせるものはありません。神がここにおられ、すべてを明らかにされます。イエス・キリストは、昨日も今日も、いつまでも変わらないお方です。信仰を働かせなさい。外側へ伸ばしなさい。
信じなさい。
54. 「こんにちは、兄弟。私たちは初対面ですね?私はあなたを知りません。
……あなたの人生は、とても“奇妙で複雑”な道のりでしたね。あなたの後ろに“暗い影”が一本、ずっとついてくるのが見えます。最初、私はこう思ったのです——
“ああ、この方は牧師なのだろう”と。でも、あなたは“牧師になりたかった”のですね。あなたは試みた……しかし、その決断を少し長く先延ばしにしてしまった。
そうですね?それから……あなたは事故に遭いましたね。自動車事故でしょう?そうですね?その事故のせいで、あなたの話し方は壊れてしまった。
言語の障害(言葉のもつれ)ができた。そうでしょう?そして、もう一つ。
私はあなたが何かを“かけ隠そうとする”ように見えます。それは記憶です。
あなたは物事をうまく覚えていられない。そうでしょう?あなたは本来——
“牧師になるべき人”でしたね?そうですね?——よろしい。
神は、それも赦しておられます。さあ、今行きなさい。
そして、主イエス・キリストの御名によって、癒されなさい。
そしてそのまま——福音を宣べ伝える者として歩みなさい。
神があなたを祝福されますように。神があなたと共におられます。
信仰を持ちなさい。
55. 「こちらに、小柄なご婦人が――ちょうど このように手を挙げて 座っておられますね……。あなたは祈っていましたね。長い間、ずっと“神経の悩み”がありましたね、姉妹。そうでしょう?あの女性が、たった今いやされた時、あなたも同じ瞬間にいやされていました。それは“精神的な神経衰弱”で、あなたをずっと不安定にさせてきました。そうですね?その横に座っておられるご婦人。あなたの“白内障”も、ずっと癒されたいと願っていましたね?そうでしょう?そして……あなたには“腸の問題”がありましたね。それは腫瘍です。そうでしょう?あなたは以前“腎臓”を悪くしていました。そのために、体全体が不調でしたね。それは本当ですか?もしそうなら、立ち上がって、あなたの癒しを受け取りなさい。
――皆さん、どうして今、神を信じようとしないのですか?信じられますよ。
信じるなら、立ち上がり、イエス・キリストを“あなたの癒し主”として受け取りなさい。祈り 「全能の神、いのちの与え主よ。今、御霊(みたま)を送り、
この会場にいるすべての人をイエス・キリストの御名によって癒してください。
聖霊が今ここで、すべての悪しき霊、不浄の霊を追い出し、人々を完全に良くしてくださいますように。イエスの御名によって。アーメン。」 奇跡が日常に起こる瞬間ごらんなさい!ストレッチャーにいたあのご婦人が、今、立ち上がり、
担架から降りて、“癒された体で”家に帰ろうとしているではありませんか!
神に栄光あれ!さあ、皆さん。主に賛美をささげましょう!