彼を見付けた、来て見て下さい。
ジョーンズボロ アーカンソー州 アメリカ合衆国
説教番号: 53-0511
日付: 1953年5月11日(53-0511)
PDFダウンロード:
1. リード兄弟、ありがとうございます。今夜は少し声がかすれていますが、どうやら少し力を入れすぎて説教してしまったようです。あのような話し方をしたのは、もう何年ぶりだったでしょうか。けれども、私たちの主はすべてをご存じです。主はすべてのことを益のために働かせてくださいます。そうでしょう?
今夜、リード兄弟が私の代わりに語ってくださったことを、心からうれしく思います。そして皆さん、どうか心を合わせて祈っていてください。
今夜ここに集ってくださって本当にうれしいです。
この雨の夜にもかかわらず、皆さんが来られたということは、主を愛しておられるからです。もし主を愛していなければ、こんな夜にここにはおられないでしょう。中には外で立っておられた方々もいたと聞きました。それは、皆さんが主を愛している証拠です。人の心に主を求める願いが生まれるとき、神は必ずその人を見捨てることはありません。神は必ずそのような方々を祝福してくださいます。ですから今夜がすばらしい夜となり、病や苦しみの中にある多くの方々が、主イエス・キリストのうちに解放を見いだされるよう、
心から願っています。
2. リード兄弟、ありがとうございます。先ほど、声がかすれてしまった主な原因のひとつがわかりました。もう自分でもはっきり感じています。はっきり言ってしまえば――あの後ろの扇風機です。私はああいうのに慣れていないんです。
普通、私のように頭がはげている者というのは……(笑)
自然にはげた人の頭皮というのはとても硬くて、毛穴が閉じているものなんです。ところが私の場合は違うんです。理髪師が何かの薬を頭に塗ってくれて、そのせいで髪が抜けてしまったんです。それで、私の頭の皮膚はとても柔らかく、毛穴も全部そのまま開いているんですよ。ですから、ほんの少し汗をかいただけでも、もう大変なんです。すぐにこうなってしまいました。理髪師はフケを取るために薬を使ったんですが、髪の毛まで取ってしまったんです(笑)。もし自然な状態で毛穴が閉じていたなら、こんなことにはならなかったでしょう。
でも、そうではないんです。毛穴はまだ開いたままなんです。
それで、ある人が言いました。「トーマス式とか、何かの治療法を受けに行ったらどうですか?」と。私は言いました。「いやぁ、もう治療というものは十分すぎるほど受けてきましたよ」と。
3. ですから、大丈夫です。昨夜、私はあることに気づきました……。
ほんの少しでも立ち止まっているとき――その油注ぎが下るときに、自分がどれほどの緊張の中に置かれているか、誰にもわからないのです。
そのときには、体のすべての筋肉が張りつめます。
ここにこうして立っているだけでも、靴下まで汗で絞れるほどです。
ただ立っているだけで、そういう状態になります。それほどの霊的な重圧の中にいるのです。だから毎晩、家に帰ると、私はたいてい長い時間シャワーの下に立って、体の感覚を取り戻すんです。本当に、ものすごい緊張を通るのです。
人にはなかなか理解しがたいことです。私たちにはそれを理解することはできません。ただ、信じるしかないのです。神は「理解される」お方ではなく、「信じられる」お方です。理解できなくてもいいのです。私たちはただ、信じるのです。
4. 私たちは、この集会で皆さんとご一緒できるのも、あと二晩となりました(予定では)。
月曜日の夜というのは、皆さんにとって少し大変な夜かもしれませんね。
けれども、もし主が許してくださるなら、明日の夜も皆さんにお話しできることを願っています。
今夜は、聖書の御言葉を少し読みたいと思います。
どうか注意深くお聞きください。
ヨハネによる福音書の第1章、第44節からの箇所です。
ヨハネによる福音書 1章44節〜49節:
さて、ピリポはアンデレとペテロの町、ベツサイダの人であった。
ピリポはナタナエルを見つけて言った、
「モーセが律法の中に書き、また預言者たちも書いている方――
ナザレのイエス、ヨセフの子を私たちは見つけました。」
ナタナエルは彼に言った、
「ナザレから何か良いものが出るだろうか?」
ピリポは言った、
「来て、見てごらんなさい。」
イエスはナタナエルが自分の方へ来るのを見て言われた、
「見よ、まことのイスラエル人だ。その心に偽りがない者である。」
ナタナエルはイエスに言った、
「どうして私をご存じなのですか?」
イエスは答えて言われた、
「ピリポがあなたを呼ぶ前に、あなたがいちじくの木の下にいたとき、私はあなたを見た。」
ナタナエルは答えて言った、
「先生、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」
5. しばらくの間、頭を垂れて祈りましょう。天の父よ、
私たちは御言葉の中で知っています。
――神を愛し、その御旨に従って召された者には、すべてのことが益となる――
と。私たちはそのように信じる子どもたちです。
今夜、私たちは他のどんな目的でもなく、あなたの御名をあがめるため、
そして罪人たちがあなたを求め、あなたに呼ばわることができるようにと願って集まりました。どうか、あなたが彼らに憐れみを注ぎ、罪から救い出してくださいますように。それが、私たちの第一の願いです。そして次に、あなたの多くの子どもたちが病み、苦しんでいます。今夜ここにも、重い病に苦しむ人々がいます。心臓病、癌、結核……もしあなたが介入してくださらなければ、
間もなくこの地上の生涯を終えてしまうでしょう。あなたのしもべである医者たちは、できる限りのことをしてくれました。けれども、それでも止めることができないのです。
昔、モーセがエジプトのあらゆる知恵に通じた人であったとき、
あの荒野で青銅の蛇を上げなければならなかったように――
今もまた、同じように私たちはあなたの御力を仰ぎ見ます。。
6. しかし、その青銅の蛇が上げられたのは、二つの目的のためでした。
人々が罪の赦しを受け、また癒されるためです。
ですから主よ、今夜も私たちを助けてください。
あなたが地上におられたときに言われたように――
「モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられねばならない」――
その同じ理由のためにです。
すなわち、罪の赦しと、肉体の癒しのためです。
もしも“蛇”という影(しるし)でさえ癒しの力を持っていたなら、
その実体であるキリストには、
どれほどの力があることでしょう。
救いと癒しの両方がそこにあるのです。
あなたは言われました、
「モーセがそうであったように、わたしもそうである」と。
私たちはその真理を人々に示そうとしているのです。
そして今、あなたは教会に遣わされました。
使徒たちを、次いで預言者たちを、癒しの賜物を、奇跡を行う力を、
教師たちを、そして他にも多くのすばらしい賜物を――。あなたが高く昇られたとき、捕らわれを捕らえ、人々に賜物をお与えになりました。主よ、感謝いたします。あなたがこの時代においても、これらの賜物を教会に回復してくださったことを。それは、ノアの時代、洪水前の時代のように、不信仰で知識に誇る世に、あなたの力を示すためです。あの時代の人々は本当に聡明でした。
ピラミッドを建て、スフィンクスを造り、死体を防腐処理して、今もまるで生きているかのように残しました。彼らは偉大な知識を持っていました。
しかし、あなたは“愚かに見える説教”を通して、信じる者を救ってくださるのです。神よ、今夜どうか憐れみをおかけください。私たちに、信仰の家族を救うために、与えられたすべての道具を最大限に用いる力をお与えください。
これらのことを、あなたの愛する御子、イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。(ここに置かれている病者のためのハンカチに……)
7. 今夜はあまり長くお話しできませんが、
少しだけ皆さんの注意を――この信心深い一人の人、
ナザレ人イエスに会いに来たこの敬虔な方の言葉に向けていただきたいのです。
ピリポがナタナエルを見つけたとき――ピリポはイエスのもとで回心し、
イエスがなさっていることを見たばかりでした。それはイエスの働きの初期の頃のことでした。ピリポはイエスが行われているわざを見て、すぐに友人のところへ急ぎました。――まさに今日でも同じことではないでしょうか?私たちがイエス・キリストを見つけたとき、誰でも友人に知らせたくなるのです。(少し声を張りながら)後ろの方の皆さん、私の声はよく聞こえますか?このマイクで聞こえていますか?――ありがとうございます。そちら側の皆さんも聞こえますか?――ありがとうございます。ピリポが友人のもとへ行ったとき、その友人――ナタナエルは神を信じる人でした。とても敬虔で、教養のある立派な人でした。
イエスご自身も彼を見つけたとき、それをはっきりお認めになりました。ピリポは彼にこう言いました。「私が見つけた方――ナザレのイエス、ヨセフの子を見に来てください!」
8. するとナタナエルは、ナザレという町がどんなに堕落した場所であるかをよく知っていました。そこは盗人や強盗の多い、悪名高い町だったのです。それで彼はこう言いました。「ナザレから、何か良いものが出るだろうか?」
するとピリポは答えました。「来て、見てごらんなさい。」つまりこう言いたかったのです――「自分の目で確かめてみなさい。」それがいちばん確かな方法です。
そして私は思います。もし誰でも、モーセがそうしたように、靴を脱ぎ、どんな状況にあっても、心からの敬意をもって神に近づくなら――
9. 皆さん、私は今夜こう信じています。もし、どんな人でもこの時代に――あるいは今夜――神の前に、敬虔な心でこう言って近づくなら、「神よ、私は自分の考えを持ち込みません。ただ心をあなたに開きます。どうかご自身を私に現してください。私は、あなたを見たいのです。」そう願うなら、
神はご自身を求める人に必ずご自身を現してくださると、私は信じます。
神はこれまで、真剣に求める人を一人として失望させたことはありません。
さて、この二人の友人――ピリポとナタナエルが共に歩いて行く場面を想像してみましょう。おそらくピリポはナタナエルにこう言ったでしょう。「ナタナエル、今、あの方があそこで病人のために祈っておられるんだ。」この頃、イエスの評判はまだ国中に広まってはいませんでした。働きを始められたばかりの頃だったのです。そしてイエスは、ご自身を偉大な人物だとはおっしゃいませんでした。すべての栄光を神にお返しになっていたのです。
10. イエスは言われました、「わたしが行っているわざは、わたし自身のものではない。わたしのうちにおられる父が、そのわざをなさるのだ」と。
そしてイエスはこうも言われました――。彼の生涯を見てみると、
イエスはきわめて謙遜な方であり、悲しみを知る人でした。
学問の資格を持っていると名乗ることもありませんでした。
けれども、そのシンプルな教えは、当時のパリサイ人や学者たちを圧倒しました。彼らは神学的な知識に基づいて語るだけでしたが、イエスは神からの恵みを受けておられ、その語る言葉が神によって証しされていたのです。
――ここに“真理”があります。人が何かを語り、それを神ご自身が裏づけてくださるとき、そこに真理が立証されるのです。さて、ナタナエルがついにイエスのもとにやって来ました。彼は祈りの列の中に立っていました。ちょっと情景を思い浮かべてみましょう。イエスは病人たちのために祈っておられました。
多くの人々が次々と列に並び、主はひとりひとりのために祈っておられました。
そのとき、イエスはナタナエルが列の方から近づいてくるのを見られました。
そして言われたのです、「見よ、まことのイスラエル人だ。その心に偽りがない者である。」もし私がその場でそれを言い換えるなら、こう言うでしょう。
「ここに立っているこの人――私はこれまで会ったことがないが、
正直な人であり、真実な信仰者、誠実なクリスチャンだ」と
11. その言葉を聞いて、イスラエル人のナタナエルはたいそう驚きました。
彼は振り向いてイエスを見つめ、こう言いました。「先生(ラビ)、いつ私のことをご存じになったのですか?」“ラビ”とは、“師”あるいは“先生”という意味です。
今日で言えば“牧師”や“長老”のような呼び方です。ナタナエルはさらに言いました。「私はあなたにとって見知らぬ者なのに、 どうして私が信じる者だとおわかりになったのですか? どうして私が(今日の言葉で言えば)クリスチャンだとご存じなのですか?」するとイエスは答えられました。「ナタナエル、ピリポがあなたを呼ぶ前に―― つまりあなたがこの祈りの集会に来る前に、
あなたがいちじくの木の下にいたのを、わたしは見た。」
12. さて、これを現代の言葉に置き換えてみましょう。もし今日、ある学者がこの出来事を見たら、こう言うでしょう。「なるほど、あの人は心を読むのだな。メンタル・テレパシー(精神感応)だろう。」――そんなふうに言うかもしれません。しかし、その時代の人々も大して変わりませんでした。彼らも同じようにイエスにそういうレッテルを貼ったのです。「彼はベルゼブル、占いの頭(かしら)、悪霊の長だ」と。けれどもナタナエルは違いました。ナタナエルは正直な人でした。彼は、自分がこれまで出会ったことのない何か――神の臨在に触れたと悟ったとき、こう言ったのです。「あなたはキリスト、永生なる神の御子です。」そして彼はその場にひれ伏しました。するとイエスは言われました。「ナタナエルよ、わたしがあなたを木の下で見たと言ったから信じたのですか? わたしはあなたに、これよりもはるかに大きなことを見せるでしょう。」イエスはその後のご生涯においても、ご自身に栄光を帰すことは一度もありませんでした。ご自身を偉大だと語ることもありませんでした。常に、御自分の存在の源である創造主をあがめておられたのです。
13. イエスは肉体において神性そのものでした。神が乙女を覆い、その胎内にひとつの血の細胞を創造されたのです。私たちはみな知っています――子どもの命の源は、男性から来るということを。命の“もと”――いのちの種――は常に雄から与えられるのです。たとえば、雌鶏が卵を産むことはできますが、もし雄鳥と交わっていなければ、その卵は決して孵りません。春になると、古い雌鳥が巣いっぱいに卵を産むことがあります。しかし、もし雄鳥と交わっていなければ、その卵には命が宿らないのです。どれだけ温めても、どれほど翼で覆っても、決して孵化しません。彼女は巣の上に座り続け、やせ細って飛べなくなるほどになっても、
その卵は孵ることなく、やがて腐ってしまうのです。――私は思います。
これこそ、今日多くの教会に起こっている問題ではないでしょうか。友人たちよ、私たちは“命が宿っていない卵”を巣いっぱいに抱えているようなものです。
ただ人々を温めて、「教会員」と呼んでいるにすぎません。けれども、それらには霊的いのちがないのです。私たちはその巣をきれいにして、最初からやり直さなければなりません。――そう思いませんか?
14. もしあなたが“花婿なるイエス・キリスト”と真に交わりを持ち、超自然的に“新しく生まれて”いなければ、あなたは超自然を信じることはできません。
人が神の霊によって生まれるとき――神は創造主であり、その神の一部が私たちのうちに宿るのです。たとえば、私はチャールズ・ブラナムの一部です。
彼は私の父です。彼は私によく似ています――いや、正確に言えば、私が彼に似ているのです。私たちは体格もよく似ており、顔の特徴もよく似ています。
なぜなら、私は彼の子だからです。同じように、もし私の魂が神から生まれたものであるなら、その魂もまた神の性質に似たものになります。神のように、超自然を信じるのです。どんなことでも可能だと信じるのです。おわかりでしょうか?――「すべてを信じ、すべてに望みを抱く」――それがその性質です。ですから、もし人が本当に神と出会い、霊的に新しく生まれた経験をしているなら、
その人に「神の癒し」を語っても、もちろん信じるのです。「奇跡を信じますか?」と問われれば――「もちろんです」と答えます。なぜなら、その人は神の一部なのです。神とともになら、どんなことでも起こり得ると信じるのです。
そしてそれは迷信ではありません。
15. しかし、ただ神学の知識だけを持っている人はこう言うのです。「奇跡の時代はもう終わった」と。彼はそれを、自分の畑に雨水が流れ込まないようにする排水管のように、うまく押し流してしまうのです。
つまり、自分のところには関係ないと片づけてしまう。――なんと悲しいことでしょう。けれども、神は「それらが起こる」と言われました。そして実際に、今も起こっているのです。止めようとしても止められません。聖書がそう語っているのですから。それでも、多くの人はそれを信じません。今日も数の上では少数派かもしれません。けれども、思い出してください――イエスがこの地上におられたときも、人々はイエスを“狂信者”だと呼び、“気が変だ”と言い、“悪霊つき”とまで言いました。イエスご自身が言われました。「もし家の主人をベルゼブル(悪魔のかしら)と呼ぶなら、その弟子たちは、なおさらそのように呼ばれるだろう」と。けれども、イエスの生涯をよく見てごらんなさい。ある日、イエスは井戸のそばで一人の女に話しかけました。そしてその女性の抱えている問題を正確に言い当てられたのです。彼女は町へ戻って、人々にそのことを語りました。
その結果、町中の人々が神のもとにやって来たのです。
その後、ピリポがその同じ町に行き、人々にバプテスマを授け、素晴らしいリバイバルが起こりました。――主の働きを見てください!
16. 主がベテスダの池を通られたときのことを思い出してみましょう。
そこには、足の不自由な人、手足のねじれた人、盲人、あらゆる病人が横たわっていました。イエスはその群衆の中をまっすぐに通り抜け、
やがて一人の男を見つけられました。その人は寝床に横たわり、糖尿病のような病、あるいは他の重い病を患っていました。三十八年もの間、その苦しみに耐えていたのです。主はその男を癒し、そしてその場を去られました。
それを見たユダヤ人たちは、主を問いただしました(ヨハネによる福音書5章19節)。するとイエスは言われました。
「まことに、まことに、あなたがたに言う。子は、自分からは何事もすることができない。父がしておられることを見て、それをそのまま行うのである。
父がなされることは、すべて子にもお示しになる。あなたがたは、この人の癒しよりもさらに大いなることを見るであろう。」
――おわかりでしょうか?
イエスはまたこうも言われました。
「わたしがしているわざ――もうしばらくすると、世はもはやわたしを見ない。だが、あなたがたはわたしを見る。」
誰が見るのか?――信じる者たちです。そして主は続けて言われました。
「 あなたがたはわたしを見るであろう。なぜなら、わたしはあなたがたと共におり、さらにあなたがたのうちにおるからである。この世の終わりまで。」 ――変わる事のない同じイエス・キリストなのです。
17. そして、私――主のしもべとして、また、あなたがたも主のしもべとして、
私たちは今夜、兄弟姉妹として、神の子どもたちとして、ここで宣言します。
イエス・キリストは、今この建物の中におられます。想像してみてください――
あの日、エマオへ向かって歩いていた弟子たちの心にあった喜びを。彼らは一日中、主と語り合っていたのに、それがイエスだとは気づかなかった。しかし突然、主がご自身を彼らに明らかにされました。――それは、主が“あること”をなさった、そのやり方によってでした。その瞬間、彼らは主を知り、心から喜びにあふれたのです。想像してみてください。復活されたキリストと共に生きる、その驚くべきイースターの朝の喜びを。もし今夜あなたが、そのような状態にいないのなら――それは、神があなたに与えてくださった特権の下で、まだ十分に生きていないということです。あなたには今夜、使徒たちが味わったすべての祝福を
そのまま享受する権利があります。初代教会にあったすべてのものは、今も教会に残されています。なぜなら、教会の中にあったのは――イエス・キリストご自身だったからです。そして主はご自身の御言葉を約束されました。 「見よ、わたしは世の終わりまで、あなたがたと共におり、あなたがたのうちにおる。」
「わたしのするわざを、あなたがたも行うであろう。」
――これを信じますか?これが真理であると信じますか?では、頭を垂れて祈りましょう。
18. いのちの偉大なる主よ、私たちは今、あなたの御子イエスの御名によって、
あなたの御言葉に感謝を捧げます。私たちは思い起こします――
使徒たちがまだ“使徒”と呼ばれる前の頃のことを。ペテロがある夜、漁をしていたことを。アンデレやゼベダイの子らも共にいて、一晩中苦労しても、何ひとつ獲れませんでした。彼らは岸に腰を下ろし、網を洗いながら、
深く落胆していました。そのとき――岸辺の方から一人の麗しいお方が歩いてこられるのを見ました。その後ろには、何人かの男たちがついていました。
女性たちは洗濯をやめ、畑の男たちは牛の手綱を止めて、みなガリラヤの岸辺へと向かいました。その方の言葉を聞こうとして。――何かが違っていました。
彼には、神からの権威があったのです。話を終えたあと、イエスは彼らの舟の一つを借りられました。それは古く、魚のにおいのする小舟でしたが、その舟が、この世で最も尊い“講壇”となりました。主はその舟の上から群衆に語られました。そして舟を借りたあと、ペテロに言われたのです。「シモンよ、沖に漕ぎ出しなさい。網を下ろして、大漁を得なさい。」
19. 「大漁を得なさい、網を下ろしなさい」と言われたとき、シモンはこう答えました。「主よ、私たちはこの場所で一晩中網を引きました。 けれども、何も獲れませんでした。 しかし――あなたのお言葉に従って、網を下ろします。」――ああ、神よ、ここにあります!「主よ、あなたの御言葉によって。」たとえそこに何もなかったとしても、神の御言葉があれば、“何か”がそこに生まれるのです。私たちはそれが真理であることを知っています。主よ、あなたは御言葉を語られるとき、必ずそれを成し遂げることのできるお方です。今夜ここにいる多くの人々――おそらく、あらゆる病院を訪ね歩き、すべての医師のもとを訪ねたことでしょう。この町の中でも、また周囲の地域でも。助けを求めて、どこへでも行きました。けれども、彼らはいまだに病に苦しみ、死に向かっているのです。病の霊がその命をむしばんでいます。心臓病が命を奪いかけています。彼らは納屋の中や、森の中、あるいは祭壇の前で祈りを捧げました。愛する牧師や、さまざまな働き人が彼らのために祈りました。それでも――どうしても、つかみ取ることができないのです。
20. しかし主よ、どうか今この時こそ――彼らがペテロのように言える時となりますように。「主よ、あなたの御言葉に従って、網を下ろします。 今夜、あなたを信じます。 これがその夜です。 この時こそ、あなたに信頼します。これからは、心を天に向けて生きます。」私たちは御言葉の中で知っています。――あなたは今、威光の右に座して、 私たちの告白のために執り成してくださる大祭司であることを。私たちが「主がなされた」と信じて告白するそのとき、あなたはそのわざを行ってくださいます。しかしもし私たちがそれを告白しないなら、恐れて黙っているなら、あなたはお働きになることができません。ですから神よ、どうか今夜ここにいるすべての人――男も女も、少年も少女も――一人ひとりに、真の勇気と確信と信仰をお与えください。天を見上げ、そこにおられる神の御子が威光のうちに座しておられることを見いだす信仰を。そして、あなたの御霊が今も教会の中で力強く動いておられることを悟り、恐れずにこう言えるようにしてください。イエスの打たれた傷によって、私は癒されました。 私はそれを信じて進みます。」主よ、あなたは大祭司です。私たちがここで告白するその瞬間、あなたは天でその告白を受け入れ、認めてくださいます。しかし、それは私たちがまず“言う”まで、あなたにはなさらないのです。――「告白する」とは、「同じことを語る」という意味です。私たちは、主よ、あなたが語られたことをそのまま語らねばなりません。あなたはすでに私たちを癒してくださいました。ですから、私たちはそれを信じて受け取ります。どうか、神の使い――偉大なる導き手、聖霊を遣わしてください。今夜、あなたの教会を真理のすべてへと導いてください。そしてこの場に立つ、取るに足らぬ、不完全で、価値のないしもべをお助けください。人々の前であなたを正しくお示しできるように、どうかお導きください。
これらの祈りを、キリスト・イエスの御名によってお捧げします。
アーメン。
――〔録音途切れる〕
21. それでは,主は今ここにおられるのです。そうでしょう?主は言われました。「二人でも三人でも、わたしの名によって集まるところには、 わたしもその中にいる」と。どんなに小さな集まりであっても、たとえ二人、三人であっても――主はその真ん中におられるのです。そして、彼らが何かを求めるなら、それを受けると約束されました。――これは真理でしょうか? それとも違うでしょうか?イエスはこうも言われました。「もしあなたがたがわたしのうちにおり、わたしの言葉があなたがたのうちにあるなら、何でも望むものを求めなさい。そうすれば、それはあなたがたに成し遂げられるであろう。」また、「何でも祈り求めるものは、それを受けたと信じなさい。そうすれば、あなたがたにそれが与えられるであろう」とも言われました。ここで、御言葉の順序に注意してください。まず、今信じなさい。信じたとき、あなたはそれを“受けた”のです。そして、それが“あなたに与えられる”のです。主は、あなたがまず信じ、「すでに主がなされた」と口にするまで、何もなさることはできません。どうかこのことを、心の深く深くまで染み込ませてください。
22. では、どれくらいの方が今のことを正しく理解されていますか?ヘブル人への手紙3章1節を思い出してください。どんなに重い病であっても、どんな状況であっても、まず最初に「主がなしてくださる」と信じることが必要です。そして、主がすでになさったと告白すること。それをして初めて、主はあなたのうちで働き始めることができるのです。このことをご存じの方はいらっしゃいますか?あなたが祭壇に来て、罪の赦しを求めて祈るとき――それは、涙を流すからでも、言葉で告白するからでもありません。信じるからなのです。そして、信じたなら立ち上がり、証しをするのです――。さあ、よく聞いてください。あなたがキリストを受け入れて外に出ると、昔の仲間たちはこう言うでしょう。「お前、何も変わってないじゃないか。」けれども、あなたは自分の中では確かに変わったと信じている。ところがもし、あなたがこう言ってしまうなら――「やっぱり何も変わらなかったみたいだ」と。そのときは、もう一度祭壇に戻ってこなければなりません。
23. しかし――あなたが「信じて受け取った」と本当に信じるなら、あなたはこう言うのです。「はい、私はそうです。」そうして、あなたは自分がクリスチャンであると信じるのです。見た目では何も変わっていないように見えるかもしれません。それでも――あなたは信じるのです。そして、あなたがそれを信じ、それを告白するとき――あなたがキリストを告白すると、キリストもまたあなたを告白されるのです。なぜなら、主は何の上に働かれるお方でしょうか?――あなたの涙の上ではありません。あなたの悔い改めの上でもありません。あなたの信仰そのものの上でもありません。主はあなたの告白の上に働かれるのです。どれほど大きな信仰を持っていても、それに“行い”が伴わなければ、何の役にも立ちません。
なぜなら、「行いのない信仰は死んでいる」と聖書は言うからです。――そうでしょう?それは、霊を失った体が死んでいるのと同じです。ですから、あなたが「私はキリストを信じます」と言うなら、その信仰を受け取り、そしてそのように語りなさい。あなたは自分がクリスチャンだと信じ、私はクリスチャンです」と言い、クリスチャンのように行動し、クリスチャンと共に交わるのです。
すると、その信仰が“義”を生み出します。やがて誰もが、あなたがクリスチャンであることを知るようになります。なぜなら、あなたがその告白を保ち続けているからです。あなたはそのように生きているのです。街を歩くときも、
「まあ…たぶん私はクリスチャンかな」などと言わないでください。
そうではなく、胸を張ってこう言うのです。「私はクリスチャンです。」あなたが大胆にそれを語るとき――主もまた、あなたに対して大胆に証してくださるのです。
24. 主はあなたが語るとおりにしか、なさることができません。なぜなら、主はあなたの告白の大祭司だからです。主は今も、威光の御座の前におられます。
それは、ご自身の贖いの祝福が呼び求めるあらゆる恵みを、あなたに確実に与えるためです。それが、主がご自身の犠牲によって支払われた代価なのです。そして今、主はあなたのためにそこに立ち、あなたが「主がなされたことを受け入れます」と告白するとき、そのすべてをあなたに確かにしてくださるのです。――では、主は何をなさったのでしょうか?主は、あなたの咎のために傷つけられました。そうでしょう?では、一緒に御言葉を口にしましょう。「主は、私たちの咎のために傷つけられ、私たちの不義のために砕かれた。私たちの平安のための懲らしめが、主の上にあった。その打たれた傷によって、私たちは癒された。」そうでしょう?
25. ですから――もしあなたが疲れていても、不安であっても、心配していても、神経がすり減っていても、病に苦しんでいても、罪の中にあっても――どんなことであれ、心からそれ(主の御言葉)を受け入れ、「それは真理です。神は真実です」と告白するなら、神はその瞬間、そこにおられて、あなたのその告白を現実のものとしてくださるのです。しかしもし、あなたがそれを語ることを恐れ、その信仰に基づいて行動することを恐れるなら――どれだけ多くの人に祈ってもらっても、
決して癒されることはありません。まず、信じなければならないのです。主は、あなたが「主がなされた」と告白することの大祭司なのです。これを理解された方は手を挙げてください……そうです、それで正しいのです。主が働かれるのは、あなたが語るときだけです。祈ってもらったあと、あなたが言うのです。「はい、私は信じます。そうです、主よ。」けれども――心の底から信じていなければ、「信じます」と言うことはできません。もし口先だけでそう言うなら、それは正しいことではありません。本当に心の中で信じたときだけ、あなたは「信じます」と言うことができます。しかし、祈りを通してしっかりと確信を得、心の底から信じるに至ったなら――そのとき、あなたはこう言えるのです。「私は信じます。」
そしてその瞬間、あなたは受け取るのです。覚えていてください。主はそこにおられ、あなたが心の中で信じ、そしてそれを告白することを、必ず現実のものとしてくださいます。だから、どこへ行っても――自分の癒しを証ししなさい。語りなさい。信じなさい。そして人々に伝えなさい。
26. そして、皆さん――これ(信仰)は決して失敗することがありません。私はこれまで、ガン(特に癌腫〔カルチノーマ〕)が癒されたのを見てきました。ご存じでしょう、カルチノーマとはどんなガンかを。はい、それが癒されたのです。私たちはそのような事例の手紙を何十通も、何百通も受け取っています。医師の証明書付きの報告書も山のようにあります。足の不自由な人、歩けなかった人、盲目の人、ガンに侵されていた人――思いつく限りのあらゆる病が、癒されたのです。それが信仰です!御言葉を宣べ伝えるそれがひとつの方法です。しかし神は、他にも多くの賜物を備えておられます。どうか今夜、聖霊がここに臨まれ、
死からよみがえられた同じイエスが、今ここにおられることをあなたがたに示してくださいますように。そして神が、その御使いをこの卑しいしもべのもとに遣わし、あなたがたの前に神の御臨在をあらわしてくださいますように。神の祝福があなたがたにありますように。――さあ、姉妹、どうぞ。〔録音の一部欠落〕「わがたましいよ、主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ、その聖なる御名をほめたたえよ。わがたましいよ、主をほめたたえよ。主のすべての恵みを忘れるな。主はあなたのすべての不義を赦し、あなたのすべての病をいやされる。」そして私はこう言いました。 「人々が『主の家に行こう』と言ったとき、私は喜びにあふれた。」
27. お母さん、がっかりされましたか?あなたが座られるのを見ました。祈りのカードの番号が呼ばれなかったのですね?そうなのですか?あなたはその順番に入っていなかったのですか?(婦人が答える)ああ、入っていなかったのですね。
ええ、私はそのことを知る術がありませんでした。では、こうしましょう。
もしあなたが心から神のしもべとしての私を信じ、私があなたに語るイエス・キリストのことばを受け入れるなら、主はあなたを癒してくださいます。かわいそうに……。彼女が失望した表情で席に戻るのを見たのです。祈りのカードを手にしていて、何かされたのでしょう。私は思いました。「なんと気の毒な方だ。きっと自分は取り残されたのではないかと感じているのだろう」と。けれども――いいえ、そんなことはありません。神は誰ひとり取り残されることはありません。ここに立っているこの人々――祈りの列に並んでいる彼らでさえ、それが癒しを受ける保証ではないのです。ひとりも例外ではありません。そして、ここにいるこの会衆の中で、列の中にいる人々だけが何か特別なことを受けられるそういうこともまったくありません。神の癒しは、ここにいるすべての人のためのものです。あなたもそう信じますか?
28. では――もし私が、神の御霊によってここに立ち、あなたに「何の病であるか」を告げたなら、あなたは信じますか?信じてくださいますか?私はあなたのことを知りません。けれども、もし今、私がキリストの御霊によって油注がれているなら――ここにおられる神の御使いが、あなたに何が起こっているかを知っておられます。そして、もし私がそのことをあなたに告げたなら、あなたは癒しを受け入れますか?受け入れますか?あなたは胃の病を患っていますね。そうでしょう?もしそれが真実なら、立ち上がって「それは本当です」と証してください。
はい。では、もう家に帰って、好きなものを食べてよいのです。疑ってはいけません。信仰を持ちなさい。今、聖霊が私を導いておられます。そして今、ここにいるすべての霊は、イエス・キリストの御名によって、私の権威のもとにあります。今は、静かに、敬虔にしていてください(……さあ、ビリー、これは――?)
29. こんにちは。私たちは初めて会う者同士ですね、婦人。あなたは心から信じていますか?ええ、そうですか。もし私に、あなたを助ける力があるのなら、ひとりの伝道者として、何でもして差し上げたいと思います。私は、病に苦しむ人々を思うと、深い憐れみを覚えるのです。けれども、私ができる唯一のことは、あなたを主イエスのもとへ導くことです。癒されるのは、イエスご自身です。さて、あなたと私はこの地上では初対面ですが――それでも私は知っています。私たちは兄弟姉妹です。あなたはクリスチャンですね。それは真実ですね?ちょうど、主がナタナエルに言われたようではありませんか?「まことのイスラエル人だ」と。では、もう少しあなたに申し上げましょう。あなたはただのクリスチャンではありません。クリスチャンを導く教師、すなわち伝道者です。そうでしょう?
私は、あなたが講壇に立ち、御言葉を語っておられるのを見ます。あなたは神経的な霊に悩まされています。それがあなたに多くの苦しみをもたらし、説教をするときにも妨げとなっています。その原因をお教えしましょう。あなたはかつて自動車事故に遭いましたね。それが、この問題の始まりです。そうでしょう?
(婦人:「はい、そうです。」)では、あなたは今、主の御臨在の中にいることを信じますか?(婦人:「信じます。」)ナタナエルに語られた同じお方が、今ここにもおられると信じますか?(婦人:「はい、信じます。」)では、主イエス・キリストの御名によって行きなさい。あなたは癒されるでしょう。(〔聞き取り不能の言葉〕)
30. こんばんは。たぶん、あなたと私も初めて会う者同士ですね。(婦人:「はい。」)
そうですね。私もあなたのことを知りませんし、お会いしたのもこれが初めてです。けれども――今この場にはもうひとりの方がおられます。あなたも感じておられるでしょう。ご自分とは違う、何かのご臨在が近くにあることを。そのお方こそ、あなたのことをすべてご存じの方です。あなたの一生を養ってこられ、あなたのすべてを知っておられる主なる神です。あなたもまた、神経の病に苦しんでおられますね?(婦人:「はい。」)とても神経が高ぶっています。ひとつの原因は――ちょうどあなたが更年期に差しかかっているからです。(婦人:「はい。」)
それはあなたの年齢の女性によくあることです。けれども――どうか、聖霊がさらに自然の説明では片づけられないことをあなたにお示しくださいますように。
なぜなら、心理的な推測で「年齢的にそうなるのだろう」と言う人がいるかもしれませんが、私は心理学からこれを知ったのではありません。あなたもそれが分かるでしょう。私が今理解していることは――(〔不明瞭な言葉〕)――それは真実ですね?
31. あなたは何かを恐れておられますね。ガンではないかと心配しているのではありませんか?(婦人:「はい。」)そうですね?(婦人:「はい。」)あなたは手術を受けたことがありますね。いえ、それだけではなく、何度も受けていますね。(婦人:「はい。」)そうですね?(婦人:「はい、そうです。」)私は、あなたが病院から退院し、また戻り、また退院し、また戻る――その姿を見ます。少なくとも四、五回は病院に入院されたでしょう?(婦人:「五回です。」)五回ですね。
そしてもうひとつのこと。今も体の中に腫瘍がありますね。(婦人:「はい。」)
最近、診察を受けたばかりですね。(婦人:「はい。」)その腫瘍は直腸にありますね。(婦人:「はい。」)主よ、私たちの姉妹を憐れんでください。愛する神よ、どうか彼女を祝福してください。この時が彼女の癒しの時となりますように。どうか、彼女が元気になって帰ることができますように。これを、イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。(〔不明瞭な言葉〕)――姉妹、主の祝福がありますように。行って……(〔不明瞭な言葉〕)
32. どうか、敬虔な心でお聞きください。これはあなたの患者さんですか?失礼。
集会がこの段階まで進むとき、皆さんには理解しづらいことかもしれませんが……
今、私は二つの世界の間に立っているのです。でも、誤解しないでください。
私は正気ですし、自分が何をしているかも分かっています。ただ、非常に霊的な緊張状態に置かれているのです。説明しようとしても難しいでしょう。ですから、どうか敬虔にしていてください。さてあなたがその男性ですね?(男性:「はい。」)たしか、あなたと私も初めて会う者同士ですね?(男性:「そうです。」)
ではお尋ねします。あなたは、私を 神の預言者(しもべ) と信じますか?
(男性:「はい、信じます。」)そうですか。もし私がそのように召されている者であり、そして今ここに主の御霊が臨んでおられるなら――あなたは助けを求めてここに来られたのですね。けれども、私があなたを助けられるのは、主が与えてくださる分だけです。癒しそのものは、もうすでに主があなたのために十字架の上でなしておられるのです。私ができることは、あなたが信仰を持てるように助けることだけです。何か一言でも、何かのしるしでも、あなたの信仰を強めるために――それだけです。そうでしょう?(男性:「はい、そうです。」)あなたは胃の病に苦しんでおられますね?(男性:「はい。」)そうですね。今、あなたが私の前を通るように見えます。あなたは食べ物を選び、避けているのが見えます。
そして、医師のもとで腕に何か巻かれているのが見えます――ああ、それは血圧計です。しかし、あなたの場合は血圧が上がるのではなく、下がっている。つまり、低血圧ですね。それは正しいですね?(男性:「はい、そうです。」)はい、それは今、私から離れました。さて、もうひとつ。あなたが今最も必要としているものそれはイエス・キリストをあなた自身の救い主として受け入れることです。
そうでしょう?あなたはまだ、クリスチャンにはなっておられません。ちょうど、イエスが井戸の女に彼女の過去を示されたように――今、同じイエスがあなたに語っておられるのです。
33. あなたは今、イエスを受け入れたいと思いませんか?今、救い主としてお受け入れになりますか?(男性:「はい。」)では、あなたが確信できるように――
あなたの家庭のことについて、今、私に見えていることをお話ししましょう。
あなたには関節炎を患っている奥さんがいらっしゃいますね?(男性:「はい。」)
今、私はその方を見ています。あなたが連れてきたわけではないようですが……
彼女は背が低く、少しふっくらとした体型の女性ですね。(男性:「はい。」)
そうでしょう?男性:「はい、先生、そのとおりです。」)
そして、彼女はグレーのツーピースのスーツを着ていますね。(男性:「はい。」)
――そうですね?男性:「はい。」)それは真実ですね?(男性:「はい。」)
――あなたの罪は赦されました。兄弟よ、これからは心のままに食べなさい。
神があなたと共におられます。(〔不明瞭な言葉〕)
(――あの男性はどこへ行かれたのですか?〔不明瞭な言葉〕そうです、さきほどのあの方――彼は罪人でしたね?数分前に、ここにいたあの方です。
〔誰かがブラナム兄弟に話しかける〕ああ、分かりました。患者さんは……)
34. こんばんは。あなたと私も、初めて会う者同士ですね?私はあなたを見たことがありません。しかしあなたは信じますか?今、あなたが立っているのは、主の威光の御前であることを。あなたの兄弟(私)の前ではなく、主の御臨在の中に立っているのです。私はただのしもべです。ちょうど電流に仕える電球のようなものです。(あなたは理解されますか?)あなたは今、非常に苦しみの中にありますね。心配し、不安に押しつぶされそうになっている。なぜなら、あなたには 腫瘍(しこり) があるからです。そうでしょう?それは胸の腫瘍です。そうですね?それは左の胸にあります。そうでしょう?こちらへいらっしゃい。(祈り)
主よ、天と地の創造主、永遠のいのちの与え主、すべての良き賜物の源なるお方どうかこの地上のしもべに、あなたの祝福をお与えください。彼女はいま、癒しを待ち望んでいます。手術を前にして不安の中にあります。永遠の神よ、彼女を祝福し、助け、癒してください。これを、イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。
さて、あなたは今、生きると信じていますか?神があなたを祝福してくださいます。あなたが信じたとおりになるでしょう。主はこう言われました。「信じる者が病人の上に手を置けば、病人はいやされるであろう。」あなたのまわりに光が見えます。私は信じます。あなたは完全に癒されるでしょう。主イエスが……(〔不明瞭な言葉〕)皆さんは心から信じますか?神が、彼を信じる者たちを癒されるお方であることを?
35. あなたもまた、腫瘍がありますね、姉妹。それは首にありますね?はい。
彼女の中にあったその腫瘍の命が、今、彼女の体を離れていきました。
それが叫び声をあげて憐れみを求めながら、彼女の上に漂い、まるで黒い雲のように見えました。私はそれを見ました。そして、その上にもうひとつ、別の暗い影があり、下のものに向かって叫んでいました。姉妹、あなたの首に手を置いて言いなさい。「主イエスよ、私はこの癒しを受け入れます。」
どうか主があなたにあわれみを注ぎ、癒しをお与えになりますように。信仰を持ちなさい。敬虔でありなさい。さあ、兄弟、こちらへ。私たちは初対面ですね?
(男性:「はい。」)私はかなり弱ってきています。もし主イエスが今、私に語り、
あなたにどんな病があるかを示されたとしたら――あなたはそのとき、癒しを受け入れますか(男性:「はい。」)そうですか。あなたは糖尿病を患っていますね。
(男性:「そのとおりです。」)
あなたは、癒しを受け入れるとおっしゃいましたね?男性:「はい。」)
――主があなたと共におられますように、兄弟。そして――姉妹、あなたも同じようにしますか?(婦人:「はい。」)あなたは心臓の病を患っていましたね。
(婦人:「はい、先生。」)では行きなさい。主があなたを祝福されますように。
36. 姉妹、もし私があなたの病を言い当てたとしたら、あなたはそれを信じますか?
あなたは胃の病を患っていますね。――そうですね?では行きなさい。
主があなたを祝福されますように。さあ、皆さんで言いましょう。「神に栄光あれ!」では、しばらく頭を垂れて祈りましょう。
(祈り)主イエスよ、どうか今、私たちにあわれみをお与えください。私たちの罪と過ちをお赦しください。そして、ここにいるすべての者を祝福してください。これを、イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。――アーメン。
あなたは、神があなたを癒してくださると信じますか?
主があなたを祝福されますように。行きなさい。そして、完全に癒されますように。(〔不明瞭な言葉〕)神は、あなたに何が起こっているかをご存じであり、
あなたの未来も知っておられます。では、皆さん、言いましょう。「神に感謝します!」
次は、お子さんのためですね、姉妹。心から信じますか?お子さんの喘息が癒されることを願っておられますね。では、行きなさい。そしてただこう言いなさい。「主イエスよ、ありがとうございます。」
(〔不明瞭な言葉〕)
37. あそこに座っている姉妹そう、気管支炎を患っておられるあなたです。一番後ろの列の端の席に座っておられますね。もし望むなら、今すぐ立ち上がって、あなたの癒しを受け入れてください。主イエスは、ここで癒されたこの方と同じ瞬間に、あなたも癒してくださいました。神があなたを祝福されますように。(〔不明瞭な言葉〕)もう帰っても大丈夫です。
完全に癒されています。あなたは信じますか、兄弟?もし神が、あなたに何の病があるかを私に示してくださるなら――あなたはそのとき、癒しを受け入れますか?(男性:「はい、主をほめたたえます。」)あなたは腎臓の病を患っています。
(男性:「主を賛美します!」)そうです、それでよいのです。
あなたは信じますか、姉妹?あなたはこれまで、多くの病気を疑ってこられましたね。でも本当は、胃の病です。そして、心臓のあたりがひらひらと動く感じがありますね。何度も「心臓病ではないか」と思ってきたでしょう。けれども、それは違います。寝るときに症状が悪化するのは――それが神経性の症状だからです。胃から出たガスが心臓のほうへ流れていくことで、そのような感じを引き起こすのです。しかし、今、神があなたを癒されました。行きなさい。(〔不明瞭な言葉〕)
38. 姉妹、あなたは婦人科の病気を癒されたいのですね?では行きなさい。
あなたの癒しを受け入れなさい。さあ、次の姉妹、こちらへおいでなさい。
心から信じなさい。もしあなたが信じるなら、受け取ることができます。
今、私は「心臓」と言いました。列の端に座っていたあなた、何か感じましたね?そうでしょう?あなたも心臓の病を癒されたいのですね?そうですか。
では、立ち上がってください。そして、お二人とも癒しを受け入れなさい。
39. そこのあなた、兄弟。そう、そこに座っておられる方。あなたも心臓の病を患っていましたね?立ち上がってください。あなたも、今そこで同じ瞬間に癒されました。神があなたを祝福されますように。そのとおりです。主があなたを祝福されますように、兄弟。
どうか敬虔な心でいてください。あなたは神を信じますか?そこの小さな女の子、こちらを見てごらん。(〔不明瞭な言葉〕)そう、もうひとりの小さな女の子も。こちらを見て、いいですか、スウィートハート。ほんの少しの間、こちらを見てごらん。私は今、光が小さな子の上に留まっているのを見ました……
いや、違いました。それはあの婦人の上でした。そうです、あなたです。
あなたは、私が 主の預言者(しもべ) であることを信じますか?
あなたは……そうですね。白っぽいドレスを着ておられて、少しグレーがかっていますね。あなたには皮膚の発疹のような症状がありますね?医者はその正体がよく分からず、首を振って立ち去るのを私は見ました。それは脚のあたりにありますね?そうです、湿疹のようなものです。もしそれが正しいなら、手を振ってください。主があなたと共におられ、あなたを癒されますように。神を信じなさい。
(ビリー、次はこの婦人ですか?)
婦人、こちらをご覧ください。あなたは、私が主のしもべであることを信じますか?