火の柱

The Pillar Of Fire

火の柱

ジョーンズボロ アーカンソー州 アメリカ合衆国

説教番号: 53-0509

日付: 1953年5月9日(53-0509)

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1. どうかあなたの教会を支えてください。
そして、月曜日の夜には、もう一度ここにおいでください。牧師先生方もぜひお連れして、「一緒に来ましょう」とお伝えください。
今度は、主の御心が許されるなら、創世記か出エジプト記から、いくつかの箇所を取り上げて、二晩ほど聖書から学びを分かち合いたいと思っています。
それから、水曜日の夜には再び癒しの礼拝を行います。
木曜日の夜には、ルイジアナ州シュリーブポートで集会が始まります。
そして日曜日の夜は、今のところ、シュリーブポートの市立公会堂での礼拝となる予定です。
その後、私たちは一旦帰宅し、次にインディアナへ向かいます。そこでは、四十三のフルゴスペルの教会が共にこの集会を支援してくださっています。
そして、その次の集会は、おそらく南アフリカのヨハネスブルグになるでしょう。
ですから、皆さん、どうか私のために祈っていてください。私はその祈りに心から頼っています。
2. しばしば、皆さん──
嵐が激しく吹き荒れ、あらゆる試練が四方から襲ってくるとき、私は
思い出すのです。
あのアーカンソーでの夜、ここ南部の皆さんが、私のために手を挙げて
祈ると誓ってくださったあの時のことを。
あの夜、あなたがたが「祈ります」と歌いながら見送ってくださった姿を。
私は信じていました。あなたがたが本当に祈ってくださっていると。
そして神は一度も、その祈りに応えることをお忘れになりませんでした。
炎のような試練の中でも、戦いが最も激しい時にも、主は私と共に
立ってくださったのです。
どんな困難にも立ち向かわなければならない中で、神は常に共にいて
くださいました。
おそらく、あなたがたにはそのすべてを理解することは難しいでしょう。
しかし、説明しようとしても、それは人の言葉で説明できるようなことでは
ありません。
ただ神ご自身だけがご存じなのです。
あなたがたはもしかすると、「献身の道は花園のように穏やかで
安らかなもの」と思われるかもしれません。
けれども、もしこの働きに伴う戦いと試練、そしてその背後にある
霊的な重圧を知るならば、きっと驚かれることでしょう。
3. ご存じのように、ほとんどすべての預言者や詩人たちは、世の中から「少し神経質だ」「変わり者だ」と見なされてきました。
そうでしょう? たとえばスティーブン・フォスターという人をご存じでしょう。
彼はアメリカに最も美しい民謡を数多く残した作曲家のひとりでした。
「故郷の人々(The Old Folks at Home)」、「スワニー河(Suwannee River)」、「懐かしのケンタッキーの我が家(My Old Kentucky Home)」──
きっと多くの方が耳にしたことがあるでしょう。
少し前、私はその「オールド・ケンタッキー・ホーム」を訪れました。
そこは、今私が住んでいる場所からほんの少し行ったところにあります。
館内には彼の肖像があり、「セラフィム(天使)が彼に触れて霊感を授けた」と説明が書かれていました。
私はその絵を見ながら、こう思いました。
「ミスター・フォスター、あなたは“頭”で霊感を受けたのですね。“心”ではなかったのです」と。
彼は時おり外へ出ては、インスピレーションを感じて曲を書き上げました。
しかし曲を書き終えると、その後にはいつも酔いに走ったのです。
そして最後には、もはや曲を書く霊感を失ったとき、召使いを呼び、剃刀を取って──
自ら命を絶ちました。
スティーブン・フォスターの悲しい結末でした。
4. 少し前のことですが、私はイギリスのロンドンにある
ウィリアム・カウパーの墓のそばに立っていました。
彼もまた「神経的だ」「少し狂っている」と言われた詩人のひとりです。
彼はあの有名な賛美歌を書いた人でした。
私はほとんど一生、聖餐式の時にこの歌を愛唱してきました。
There is a fountain filled with blood,
Drawn from Emmanuel's veins;
And sinners, plunged beneath that flood,
Lose all their guilty stains.
(「インマヌエルの血に満たされた泉あり。
罪人その流れに身を沈めるとき、すべての罪の汚れは洗い清められる」)
彼はこの歌を書き上げたあと、いつものように強い霊感に包まれました。
しかし、その霊感が去ったあと、彼は心の闇に捕らわれ、セーヌ川を探して
自ら命を絶とうとしたのです。人々は彼を「少しおかしい」
「気がふれたのだ」と呼びました。
そして、もうひとつ有名な賛美がありますね。
「O Love of God, how rich and pure(神の愛のなんと豊かで純なることか)」
──この賛美の最後の一節がどこで見つかったか、ご存じでしょうか?
それは、精神病院の壁に貼られていたのです。
そう、狂気と苦しみの中にあった人が、神の愛を綴ったのです。
多くの人はその意味を深く考えようとしません。
けれども、その言葉が生まれた場所こそ、人間の限界の中で神のがどれほど
真実であるかを物語っているのです。
5. 「それはソングライター達の話だろう」と、あなたは言うかもしれません。
では、預言者たちはどうだったでしょうか?
たとえばヨナを思い出してください。
彼が主の命令に従って旅に出たとき、神は彼に霊感を与え、
大魚の腹の中で三日三晩、生かすための「酸素供給」をさえ備えられました。
そしてヨナがニネベにたどり着いたとき──
三日三晩という奇跡のような守りののち、
彼は大きな力をもって神のことばを宣べ伝えました。
その町は、ちょうどアメリカのセントルイスほどの大きさだったといいます。
ヨナの預言のことばに触れた人々は悔い改め、
王から民にいたるまで、さらには家畜にまでも粗布をまとわせたのです。
けれども、彼の上にあった 霊の感動(inspiration) が去ったあと──
彼は木の下に座り、小さなひょうたんが枯れてしまったことでさえ嘆き、
「主よ、私の命を取ってください」と祈ったのです。
……そうではありませんか?
見てください。
ヨナもまた、霊感によって高く引き上げられたあと、
その力が去ったときに深く落ち込んだのです。
友よ、これは人間の理解を超えることなのです。
霊の高揚と沈黙のあいだには、私たちには計り知れない隔たりがあるのです。
6. ある時のことです。私は集会を終えて講壇を降りようとしたその瞬間、
その場で倒れ込んでしまったのです。
それを見た人の中にはこう言う人もいました。
「なんて馬鹿げたことだ。男なら堂々と歩いて帰ればいいじゃないか」と。
──ああ、もし彼らが本当に理解していたなら!
もしあなたがたにその重さが分かるなら!
「ブラナム兄弟、私も神から幻を見せてもらいたい」と言う人もいますが、
友よ、あなたは何を願っているのかを本当に分かってはいません。
理解していないのです。
聖書の預言者ダニエルを思い出してください。
彼はただ一つの幻を見ただけで、何日も頭を痛め、心を悩ませたと
記しています。
幻を見るということは、まるで別の世界に入るようなものなのです。
そのとき、人は自らを実験台のように捧げ、
人類のための犠牲者となるのです。
そして何より辛いのは、
神がくださったそのメッセージを人々が信じようとしない時です。
けれども、これはいつの時代も変わりません。
預言者たちは常に不信仰と戦ってきたのです。
私たちもまた、同じ戦いの中を歩まねばなりません。
7. 預言者エリヤを見てください。
エリヤは旧約の中でも最も偉大な預言者のひとりでした。
彼は山の上に立ち、天から火が降って供え物を焼き尽くすよう命じました。
そして──その通りになったのです。また、三年半の間雨が降らなかった
地に向かって祈り、天から雨を呼び戻しました。そうではありませんか?
けれども、その 霊の感動(インスピレーション) が去ったあと──
彼は荒野をさまよい、四十日間もどこにいるのか分からないほどでした。
神が彼を見つけた時、彼は洞穴の奥に隠れていたのです。
そうでしょう?
あのエリヤでさえ、一人の女の脅しの言葉に怯え、逃げ出しました。
その直前には、自らの手でバアルの預言者四百人を剣で打ち倒したというのに。
エリヤはかつて、国中の民を前にして神を嘲る者たちに立ち向かい、
バアルの祭司たちが自分を傷つけながら祈っていたとき、
彼らをあざけってこう言いました。「もっと大声で呼んでみたらどうだ。
もしかすると、お前たちの神はどこかへ出かけているのかもしれないぞ。」
霊の感動が彼の上にあったとき、
彼は神に敵対するものすべてに立ち向かう大胆さを持っていました。
しかし、その霊の力が彼を離れると、
たった一人の女の脅しの前に逃げ出してしまったのです。
そして彼は荒野をさまよい、神は彼に食物を与え、眠りにつかせ、
また起こしてもう一度食べさせられました。
聖書の記すところでは、彼は四十日四十夜のあいだ意識が朦朧とした
まま荒野を歩き、ついに神が彼を洞穴の中で見つけられたのです。
──そうでしょう?
ですから、友よ、あなたがたには分からないのです。
人はしばしば、自分が何を祈り求めているのかさえ知らないままに祈るのです。
そして忘れてはならないのは、 神の賜物と召しとは取り消されることがない(ローマ11:29) ということです。
8. けれども、私はこう信じています。
私たちは今、主の再臨の直前の時代に生きているのだと。
もしこの信仰を「狂信」と呼ぶなら、──そう、私は喜んでその“狂信者”と呼ばれましょう。しかし、友よ、私は確信しています。
神は今まさに、非常に速やかに、そして力強く御業を行おうとしておられるのです。
9. 今や、全世界が……落ち着きを失っています。
あなたは、これほどまでに人々が神経質になっている時代を見たことが
ありますか?ここにいる皆さんに率直にお伝えしたいのです。
この会場で夜ごとに説教しながら、私は聴衆の一人ひとりを
見つめてきました。そして感じるのです──この重い圧迫感を。
神経の病を抱えた人々が壇上に来られるときの、その霊的な重さを。
今この建物の中にいる方々のうち、少なくとも八割の人が神経的な悩み
を抱えているのです。
……これは事実です。
皆さん、どうか誠実にお答えください。
この中で、神経の不調を感じている方、男性でも女性でも、少年でも少女
でも構いません。どうか手を挙げてください。
──ご覧なさい、言った通りでしょう?
いったい何が起きているのでしょうか?
聖書はすでにこう語っています。「人々の心は恐怖のために衰え、心臓が
弱り果てる。」今日、心臓病は世界第一の病です。
恐れが人の心を支配し、地上には恐るべき光景が満ち、
国々の間には混乱と不安が渦巻いています。
海は荒れ狂い、大きな潮の波が都市の一部を押し流し、
岸辺を打ち砕いている──
すべては主の再臨の直前に起こると語られていたことなのです。
これは、全時代を通して最も偉大な舞台劇、
すなわち 主イエス・キリストの御再臨という出来事の幕が上がる前の
舞台装置なのです。考えてみてください。
野原で草を食む小羊がいるとします。
その小羊が突然、落ち着きを失い、怯え始めます。
なぜでしょうか? 彼の目には何も見えません。
けれども、背後の茂みの中には、じっと身をかがめた獅子がいるのです。
飛びかかろうと、息をひそめているのです。
──その見えざる危険を、小羊は霊的に感じ取っているのです。
これが今、人々を襲っている「神経の緊張」の正体なのです。
10. 終わりは、すでにここにあります。
──いつか? それは私には分かりません。
そして、誰にも分かりません。
もし「その時を知っている」と言う人がいるなら、
その人は知らないのです。
なぜなら、イエスご自身さえもその時を知らないとおっしゃったからです。
しかし私たちは知っています。
主がこう言われたことを──
「これらのことが起こり始めたなら、
頭を上げなさい。あなたがたの贖いが近づいているからである。」
今、私たちは時代の終わりに立っています。
私は、どんなことも誤って伝えたり、誇張したりしたくありません。
これまでそのようなことをした覚えは一度もありません。
私は常に、正直で、真実でありたいと願ってきました。
まず神に対して真実であるなら、
私は神の子どもたちに対しても真実であるはずです。
なぜなら私はよく知っているからです。
──神の民に仕えることは、すなわち神ご自身に仕えることなのだと。
主イエスはこう言われました。
「これら、わたしの最も小さい者の一人にしたことは、
わたしにしたのである。」
ですから今夜、私はこう申し上げたいのです。
友よ、
神がこの小さき者を、恵みによってあなたがたの中に数えてくださったのは、
神があなたがたに送ってくださった“何か”があるからなのです。
どうか、それを受け取ってください。
あなたの心がそれを拒まず、主からの賜物として受け入れますように。
11. 私は信じています──
イエス・キリストは、昨日も今日も、そしてとこしえに同じ方であると。
初めに神は人をお造りになりました。
ご自身のかたちに、すなわち霊なる神のかたちに。
神はまず、人を「霊の人」として造られ、
その後に「地のちり」から肉体を形づくられました。
私はこう信じています。
初めの人は、この地の上で動物たちを導き支配していました。
それはちょうど、今日、聖霊が教会を導くべきようにです。
しかし、その当時はまだ、土地を耕す者がいませんでした。
そこで神は人に五感を与えられました。
見る、味わう、触れる、嗅ぐ、聞く──
それらの感覚は、神と交わるためではなく、地上で生きるために与えられたものです。
神との交わりは、人の霊によってなされるのです。
けれども、人はその起源を失い、恵みの座から堕ちました。
すると神は、ご自身をへりくだらせて、
人のかたちを取り、人間の姿で地上に来られたのです。
それは人を再び神に贖い戻すためでした。
「神はキリストにあって、世を御自身に和解させておられた」──その通りです。
旧約における神は「ヤハウェ」であり、
新約における神は「イエス・キリスト」であり、
そして今日、私たちのうちに働いておられるのは「聖霊」です。
けれども──
それはみな同じ神、永遠に生きる唯一の主なるヤハウェが、
時代を通してご自身を現しておられるのです。
12. さて、神がイスラエルを荒野で導かれた時のことを思い出してみましょう。
私はここで、聖書の御言葉を少し読みたいと思います。
どうか心を込めてお聞きください。
神がモーセを遣わすときに与えられた使命のことばが、
出エジプト記第23章20節にあります。
「見よ、わたしはあなたの前に御使いを遣わし、
あなたを道中で守り、
わたしの備えた所へ導かせる。
(──さて、この御使いが誰であるか、よくご覧ください。)
その者に心して従い、その声に聞き従い、
逆らってはならない。
彼はあなたのとがを赦さないであろう。
わたしの名が彼のうちにあるからである。
しかし、もしあなたがその声に確かに聞き従い、
わたしの言うことをことごとく行うなら、
わたしはあなたの敵に敵し、あなたを攻むる者に敵しよう。
わたしの御使いが、あなたの先に立って行くであろう。」
では、この御使いの姿がどのよ うなものであったか、
もう少し見てみましょう。
出エジプト記第13章21〜22節 にこう記されています。
「主は昼は雲の柱のうちにあって彼らの前を進み、道を導き、
夜は火の柱のうちにあって彼らを照らされた。
彼らが昼も夜も進むことができるためであった。
昼は雲の柱、夜は火の柱が、民の前から離れることはなかった。」
13. これが、神のことばです。
では、その御使いとは誰だったのでしょうか?
それは―― 契約の御使い(the Angel of the Covenant) でした。
そして彼はイスラエルを導かれました。
旧約時代の出来事のすべては、
やがて成就する 新しい時代の出来事の「型(type)」 であったのです。
あなたはそう信じますか?
聖書はそう語っています。
「それらは来るべきものの影である」と──ヘブル書に書かれている通りです。
かつて神がイスラエルの民を 肉的(natural)に導かれたように、
今日、神は教会を霊的(spiritual) に導いておられます。
あなたはそれを信じますか?
彼らはエジプトから呼び出されるまでは単なる「神の民」でした。
けれども、呼び出されたその時から「神の教会(Church of God)」となったのです。
“教会(Church)”という言葉そのものが、
「呼び出された者たち(called out ones)」という意味なのです。
イスラエルがエジプトから呼び出されたように、
私たちもまたこの世から呼び出された者たち――
神に仕えるために選ばれた、特別な民なのです。
そして、もしイエス・キリストが「昨日も今日も、いつまでも同じ方」であるなら、
その同じ御使い――契約の御使い――こそが、イエス・キリストなのです。
聖書はこう語っています。
「モーセは、エジプトの富よりも、キリストにある富のほうを尊いとした。」(ヘブル11:26)
それゆえ彼は、エジプトを捨て、
すべてを離れてキリストに従い、仕える道を選びました。
キリストとはすなわち、 ロゴス(Logos)です。
初めに神から出て来られたお方──
それが火の柱(Pillar of Fire) のうちにおられたお方なのです。
14. では――神がどのようにしてご自身を現されたのか、私の思うところ
をお聞きになりたいですか?
ほんの少しの間、私と一緒に「小さな旅」に出かけてみましょう。
少しだけ時間をいただけますか?
どうか今は静かに、敬虔な心で耳を傾けてください。
──このことを、皆さんにはっきりと理解していただきたいのです。
さあ、思いの中で一緒に旅をしましょう。
「心のビジョン」で、いまから一億年前――いや、それよりももっと昔、
空にも星ひとつ存在しなかった時代へ、戻ってみてください。
何もありません。
光も、空気も、物質も存在しない。
けれども――そこには神が在(お)られました。
神は、永遠から永遠に至るまで神であられます。
始まりも終わりもなく、
形もなく、
無限に広がる御臨在そのものが「神」なのです。
今、私たちはその創造の始まりを“見ている”としましょう。
宇宙の果てまでも広がる静寂と光のない空間。
そこにあるのは――ただ神だけ。
まだ空気も存在しない。
何ひとつ造られてはいない。
けれども、
そのすべての存在の根源、
あらゆる自然、あらゆる被造物の最初の始まりこそ、
神そのものだったのです。
15. さて、聖書は私たちにこう教えています。
ロゴス(御言葉)は神のうちから出て来られたと。
言い換えれば──
神の全存在が、初めて“かたち”をとられたのがこのロゴスなのです。
神のうちからロゴスが出て行かれたその時、
それが神の最初の“御体”、つまり「神のかたちの顕現」でした。
では、そのお姿はいかなるものであったのでしょうか?
聖書は言います。
「いまだかつて、神を見た者はいない。」
どこにも、いつの時代にも、誰ひとりとして見た者はいません。
これからも、完全なる父なる神を人間の目で見ることはないでしょう。
けれども、その神から出たロゴス──それは
光の輪(ハロー)のような姿となって現れました。
私はそれをこう見るのです。
父の家の戸口の前に立つ幼子のような光が、そこに静かに佇んでいる。
そして、その光がゆっくりと動き始め、
御心のうちに、これから造られる世界の設計図を思い描かれます。
その時、まだ星ひとつありません。
何も存在しない空間の中で、神は御言葉を発せられました。
「光あれ。」
──その瞬間、ひとつの原子が破れ、
そこから太陽が生まれ、燃え上がりました。
太陽は何百万年、いや何億年もの間、燃え続け、
やがてその表面からひとつの塊が「シュウッ」と飛び出しました。
それが最初の星。
神はそれを見つめながら、しばらくの間その軌道を見守り、
そして「そこに止まれ」と命じられました。
すると、また別の星が飛び出し、
また同じように神はそれを止められたのです。
──いったい神は何をしておられたのでしょうか?
それは、神がご自身の最初の聖書を書いておられたのです。
すなわち、天の星座(Zodiac)。
星々をもって、
人の目に見える最初の 神のことばの書(神の啓示) を記されたのです。
16. 神は三つの聖書を書かれました。
ひとつは天に書かれた聖書(星座)、
ひとつはピラミッドに刻まれた聖書、
そしてもうひとつが、 紙に書かれた聖書(聖書そのもの) です。
今、神はその 最初の聖書――星座(Zodiac) を書いておられるところです。
その物語は、 乙女座(Virgo) から始まり、
獅子座(Leo) で終わります。──すなわち、
イエス・キリストの初臨と再臨を象徴しているのです。
もし時間が許されるなら、星々をたどっていくことで、
そのすべてを見て取ることができるでしょう。
神が天にそのように書かれたのは、
人が上を見上げるように造られたからです。
神は上におられるお方だからです。
そして、神が天にあるすべての体系――太陽系の秩序――
を書き終えられると、次にひとつの塊に目を向けられました。
それがこの地球でした。当時の地球は、まだ何もない氷の塊のような
星でした。神はその地球を太陽のまわりへと動かし始められました。
やがてその回転によって、
太陽の熱が氷を溶かし、
水が流れ出しました。
溶けた氷は大きな氷塊(アイスバーグ)となって流れ、
地表を削りながら動いていきました。
その結果――今日、地質学者たちが語るように――
テキサスやルイジアナの大地が形成されたのです。
氷河が通り抜け、削り取られ、
やがてその一部はメキシコ湾へと押し流されていきました。
17. さて、「地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、
水がその上にあった。」
──今、私たちは創世記第1章に戻っています。
そして神は、まず地上のすべての植物をお造りになりました。
やがて時が満ちると、神はご自身のかたちに人を造られたのです。
もし神が人をご自身のかたちに造られたのであれば、
それは当然、超自然の存在の秩序に属する存在であったに違いありません。
──その通りです。ところが、聖書は次にこう記しています。
「まだ人が土を耕す者としていなかった」(創世記第2章)。
そこで神は、今度は地のちりから人を形づくられました。
そのときの人は、もはや「神のかたち」ではなく、
地上の形を持つ存在として造られたのです。
彼にどんな姿を与えられたのか、私は詳しくは知りません。
もしかすると、手は猿のようであり、足は熊のようだったかもしれません。
しかし確かなことは、神がその人に五感を与えられたということです。
見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触れる――
それらの感覚は、神と交わるためではなく、
この地上の住まいと関わるために備えられたものでした。
18. そして神は、男のために妻をお造りになりました。
ところが、人は堕落しました。
その原因については、私にも私なりの考えがあります。
皆さんにもそれぞれの理解があるでしょう。
──しかし、どのような理由であれ、
人は確かに恵みの座から堕ちたのです。
その時、本来ならアダムが
「神よ! 父よ! あなたはどこにおられるのですか!」
と叫ぶべきところを、
実際にはアダムが神から隠れていたのです。
そして神のほうが呼ばれました。
「アダムよ、アダムよ、どこにいるのか?」
これこそが、今も変わらない人間の性質です。
人は神から逃げ、
自分を隠そうとするのです。
アダムは、いちじくの葉で自分を覆おうとしました。
──今日の人間も同じです。
人はいつも、自分で宗教という覆いを作ろうとします。
自分の努力や行いで救われようとするのです。
けれども、
人間には自分を救う力などありません。
まったく、どうしようもなく無力なのです。
──それが真理です。
私たちを救うことができるのは、
ただ神だけです。
主イエスはこう言われました。
「父が引き寄せてくださらなければ、
だれもわたしのもとに来ることはできない。」(ヨハネ6:44)
また、こうも言われました。
「父があらかじめ定めた者だけが、
娘となり、子となることができる。」
そして主は約束されました。
「わたしのもとに来る者を、
わたしは決して捨てない。
わたしは彼に永遠のいのちを与え、
終わりの日に彼をよみがえらせる。」
19. 今日、教会において最も大きな問題のひとつ──それは、恐れです。
人々はいつも不安におびえています。
けれども、恐れは悪魔から来るものです。
恐れてはいけません。
勇気を出しなさい。
あなたが恐れる理由など、何ひとつないのです。
本当に、恐れるべきものなど何もないのです。
(このことについては、今週の集会でさらに詳しくお話しします。
そこでは、「神がどのようにご自身を現されたか」をもう少し深く
見ていきましょう。)さて、話を戻しましょう。
人が自分を汚し、罪を犯したとき、
神がそれを回復するための唯一の方法がありました。
それは──神ご自身が人のかたちを取り、この地上に現れること。
すなわち、肉体の中に神が顕現され、
人の罪を取り除き、再び神との交わりの中にその人を戻すことです。
そのとき、人は再び神の子とされるのです。
それこそが、神がなされた完全な救いの計画なのです。
20. さて、神がイスラエルの子らをエジプトから連れ出して荒野を進ませた時、
何によって導かれたでしょうか?──火の柱によって、でしたね。
その通りです。聖書は明確にこう語っています。
主は彼らの前に進み、昼は雲の柱、夜は火の柱をもって導かれたと。
それこそが油注がれた御霊(アノインティング)、すなわち聖霊であり、
キリストご自身だったのです。イスラエルの民の前を進まれたのは、
まさにその方でした。
では、もしイエス・キリストが昨日も今日も、そしていつまでも変わる事
のないお方であるなら、そのお方は今も変わらないお方なのです。
同じお方、同じ御人格、同じ御霊──昔そうであられたように、
今もまったく変わられません。
そして、かつて神がイスラエルという教会を肉的に導かれたように、
今日、神は霊的に教会を導いておられるのです。
あなたはそう信じていますか?私たちは、今も荒野を旅する途中なのです。
私たちは約束の地へ向かう道の上にいます。
けれども、「カナンの地」とは天国そのものを
表していたわけではありません。
なぜなら、カナンにはまだ戦いがあったからです。
それは千年王国(ミレニアム)の型でした。
そうです、私たちは今、そのミレニアムへと向かっているのです。
私はそれを信じます。
そして、あの時イスラエルを導かれた同じイエス・キリストが、
今日も私たちを導いておられると信じます。
お方はいま、 霊のかたち(スピリットフォーム) でここにおられます。
主は言われました。
「わたしは神から出て来た。
そして再び神のもとへ行く。」(ヨハネ16:28)
「しばらくすれば、世はもはやわたしを見ない。
しかし、あなたがたはわたしを見る。
わたしはあなたがたと共におり、
あなたがたのうちにおる。
世の終わりまで、いつも共におる。」(マタイ28:20)
「イエス・キリストは、昨日も今日も、
いつまでも変わる事のない方である。」(ヘブル13:8)
──そうでしょうか?そして、もし本当にお方が同じであられるならば、
今もご自身を現し、私たちの前にその御臨在を示されるはずです。
21. さて──しばらく前、この地を通った時のことを、
皆さんはもうご存じでしょう。今ここで、どうかお願いです。
親愛なるクリスチャンの皆さん、
私は偽りを語っていないことを、神ご自身がご存じです。
主は、私の主権者なるさばき主(sovereign Judge)です。
そして、私はこの聖書を胸に当てて申し上げます。
もしかすると、私は今夜のうちにこの地上を去り、
神のさばきの御座の前に立つかもしれません。
その覚悟で、今この言葉を語っています。
私は、これを誇りや自慢として言うのではありません。
ただ、謙遜な思いで語っています。どうか皆さんに、
はっきりと理解していただきたいのです。私たち(この教会、この民)は、
誰かをだまそうとしているのではないということを。
私たちは真理を知っており、
そしてただ、その真理をあなたにお伝えしたいのです。
あなたをその真理から引き離そうとする唯一の者──
それは悪魔です。それ以外には、何もありません。
ですから今夜、あなたの信仰を確かなものにするために、
私はひとつの証拠をお見せしたいのです。
それは、これが真実であるということを示すための、
神ご自身によるしるしなのです
22. さて、神は今日も教会を導いておられます。
その導きの道の上に、私もまた生かされています。
私がまだほんの小さな赤ん坊だったころのことをお話ししましょう。
母が話してくれたことです。私は、生まれてからわずか三分ほどのころ、
山奥の小さな 丸太小屋(キャビン) で産声をあげました。
私の家族は、教会に通うような家ではありませんでした。
祖先はカトリックの出身でしたが、
両親も親戚も、もう何年も教会から離れていたのです。
その朝――母が私を腕に抱いていた時、
父が小屋の小さな戸を開けました。
それは窓ではなく、ただ外へ押し出すだけの板の扉でした。
ガラスなど入っていません。その小さな扉を押し開けた瞬間、
ひとつの光が、外からくるくると回りながら飛び込んできたのです。
その光は、およそ腕ほどの大きさの円を描きながら部屋の中を舞い、
やがて――母が私を抱いていたベッドの上に降りて来たのです。
23. これは純粋な、混じりけのない恵みです。
それは人の功績によるものではありません。
ただ神の恵み―― undeserved grace(値しない者に与えられる恵み) です。
あなたにも、私にも、何ひとつできることはありません。
すべては神のご計画なのです。神が語られた通りに、
その御業は必ずそのように成し遂げられます。
神はご自身の目的を定めておられ、それを変える者は誰もいません。
よく思い出してください。「神の賜物と召しとは、取り消されることがない」――そう聖書は語っています。あなたはそれを信じますか?
さて── イエス・キリストは、エデンの園で約束された「女の子孫」
でした。あなたはそれを信じますか?
その通りです。神は蛇にこう言われました。「彼(女の子孫)はおまえの
頭を砕くであろう。」次にモーセを見てください。
モーセは、自らの意思で預言者になったのではありません。
彼は生まれながらにしてモーセだったのです。
──そうでしょう?バプテスマのヨハネも同じです。
彼が生まれる七百十二年前、すでに預言者イザヤがこう語っていました。
「荒野で叫ぶ者の声がする。」
彼がまだ母の胎に宿る前から、
神はその使命を定めておられたのです。
さらにエレミヤに関しても、神はこう言われました。
「わたしはあなたを胎のうちに造る前から、あなたを知っていた。
あなたがこの世に出る前に、わたしはあなたを聖別し、
諸国民の上に立つ預言者として任命した。」(エレミヤ1:5)
そして主イエスは言われました。
「思い煩ったところで、自分の背丈を一キュビトでも伸ばせる者があるか。」わかりますか?私たちは、すべてをさかのぼって考えると、ただ一つの結論に行き着くのです。それは、すべては神の主権的な恵み(sovereign grace of God)によるものだということです。
24. さて、よく聞いてください。
私がまだほんの幼い少年だったころ、
聖霊が私に語りかけられました。
「決してタバコを吸ってはならない。
噛みタバコも、酒も飲んではならない。
どんな形でも自分の体を汚してはならない。
おまえが大きくなった時、わたしにはおまえにさせる働きがある。」
その時のことばは、今でもはっきり覚えています。
その後の年月の中で、私はできる限り誠実に人々に語ってきました。
心から真実をもって伝えようとしてきたのです。
けれども、多くの人々は私を誤解しました。
彼らは私の語ることをさまざまに呼び、
時にはこの世のあらゆる悪い名で呼んだことさえありました。
──それでも、私は語り続けました。
ある晩のことです。
インディアナ州グリーンズミルにある洞窟で祈っていた時、
そこに主の御使いが現れました。
その御使いはこう言いました。
「あなたは、病める人々のために祈る者として遣わされる。
そして、これから起こることをあなたに示そう。
恐れてはならない。
わたしは、あなたと共にいる。」
その言葉を受け取った私は、
すぐに立ち上がり、
国内を旅しながら人々に語り始めました。
「主がこう言われた、
そしてその通りになる。」
──そう宣言しながら、ジョーンズボロを通り抜け、
各地を巡っていきました。
そしてその通りになりました。
あの夜に語られた御言葉のすべてが、今や全世界で成就したのです。
25. 私がまだ若いバプテストの伝道者だった頃のことです。
初めてのリバイバル集会を開き、最初の回心者たち――およそ五百人を、
川でバプテスマしました。集会にはおよそ三千人が集まりました。
けれども、当時の私は本当に教育を受けていませんでした。
どれほどかというと――説教のあいだ、聖書を読んでくれていたのは
私の婚約者だったのです。(ええ、その通りです。
今夜もそれほど大して上達してはいませんよ。)
──しかし、こう申し上げたいのです。
神は教育によって知られるお方ではありません。
神は信仰によって知られるお方です。
知識によってではなく、
信じる心によってこそ、神はご自身を現されます。
思い出してください。エデンの園には二本の木がありました。
ひとつはいのちの木(Tree of Life)、もうひとつは
知識の木(Tree of Knowledge) でした。
人は「いのちの木」を離れ、「知識の木の実」を取って食べました。
そのとき、人は神から離れたのです。
そしてそれ以来、人は知識を追い求めることで、
ますます神から遠ざかっていきました。
でも、覚えておいてください。
神は知識によって知られるのではなく、信仰によって知られるのです。
──その通りです。
26. さて、よく聞いてください。
ある時、私はテキサスにおりました。
ある方―― ベスト博士(Dr. Best) という方がいて、新聞にこう書いたのです。
「宗教的な狂信者め、ウィリアム・ブラナムという男は神の人を装っている。こいつをこの町から追い出すべきだ。私がその役目を果たしてやろう」──と。
その記事を見たとき、私の責任者の一人である ボズワース兄(Brother Bosworth) が来て、私に言いました。
「ブラナム兄弟、よく聞け」と。
彼は論争を仕掛け、けしかけ、私にその件で議論しようと挑んできました。
しかし私は、そんな揉め事をする気はありませんでした。
私は争いを好まないのです。
神は私を病人のために祈ること、福音を語ることのために遣わされました。
その働きを行えば、必ず何千という人が信じるでしょう。
では、なぜ一人の狂信者を相手にして争わなくてはならないのですか?
放っておけばよいのです。
彼らは盲人の導き手となることを望む者たちかもしれません。
ならば、そのまま行かせておきなさい──と私は思ったのです。
27. ある人々は、
初めからさばきに定められている者たちです。
聖書がそう言っています。
彼らは救われることができず、初めから盲目で生まれた者たちなのです。
私たちは来週、そのことを聖書から詳しく見ていく予定です。
──この話は、あまり気持ちのよい内容ではないかもしれません。
けれども私は、聖書によってそれが真実であることを証明します。
彼らは確かに宗教的教師たちです。
そして、できるかぎり根本的(ファンダメンタル)な信仰を持っているように見えます。
──ええ、まさしくその通りです。
しかし彼らは、
神を知ることにおいては何も知らないのです。
それは、まるで「ホッテントット(未開の部族)」が
「エジプトの騎士」について何も知らないのと同じくらいです。
彼らは教理の要点や形式はすべて知っています。
聖書の「キーノート」も、外見の敬虔さも持っています。
しかし──
神ご自身を知ることはないのです。
聖書はこう言っています。
「敬虔の形を持ちながら、その力を否む。」(Ⅱテモテ3:5)
彼らは神の力、
聖霊の現れ、
癒しの御業――
そうしたものを拒みます。
しかし教会よ、よく聞きなさい。
あなたがたは何かを持っているのです。
ただ、その持っているものの使い方を知らないだけなのです。
──それが真実です。
28. さて、よく聞いてください。次の日、彼(ベスト博士)は新聞にもう一つの
広告を出しました。
そこには、こう書かれていたのです。
「あの連中がどんな連中か、これでわかる。
彼らは自分たちの“神の癒し”というものを、
神のことばの光に照らして調べるのを恐れているのだ。」
──まるで私たちが真理を避けているかのように。
その時、ボズワース兄が私のところに来て言いました。
「ブラナム兄さん、われわれの働きの評判のためにも、
この挑戦は受けるべきだと思います。」
しかし私は答えました。
「ボズワース兄さん、今ここには八千人の人々が集まっています。
そのうちの七千人は、癒しを求めて祈りを待っているのです。
私はあと二日しかヒューストンに滞在できません。
こんな頑なな男を相手にして時間を無駄にするより、
ここで病人たちのために祈るべきではないですか?」
私は続けました。
「私はそんな者と関わりたくありません。
神は私を議論のために遣わされたのではありません。
祈り、癒し、福音を語るために遣わされたのです。」
すると、ボズワース兄が静かに言いました。
「ブラナム兄さん、では私にやらせてください。」
彼はすでに七十五歳を超えていました。
その姿を見て、私はカレブを思い出しました。
「わたしは今日八十歳になったが、ヨシュアが剣を私の手に与えたあの日と同じ力を持っている。」
──私はその老人の信仰に深く心を打たれました。
「ボズワース兄さん、あなたを尊敬します。」
すると彼は笑って言いました。
「あの男には、一本の脚も、一本の聖書の根拠もない。
わたしが彼に証明してみせましょう。」
私は言いました。
「ただし、議論や口論はしないと約束してください。」
「約束します、絶対に争いません。」
「それなら……よろしい。」
29. それから、ボズワース兄弟がすぐに行動に移しました。
当時、私たちが宿泊していた ライス・ホテル(Rice Hotel) には、
記者たちを入れないという決まりがありました。
報道陣がドアに近づくことさえ許されなかったのです。
そこでボズワース兄は、わざわざホテルを出て、
記者たちのもとへ出向きました。
そして彼らにこう言ったのです。
「ブラナム兄弟は論争をしません。
けれども、わたしがその場に立ちましょう。」
すると、ほどなくしてヒューストン・クロニクル紙が
大きな見出しで記事を出しました。
“Ecclesiastical Fur Will Fly”
(「宗教界の毛皮が飛び交うぞ!」──つまり、大論争勃発!)
その記事が出たことで、
ヒューストン中が一気に注目することになったのです。
──しかし、この出来事を通して、
私は一つのことをはっきりと悟りました。
それは、あなたがたペンテコステの兄弟姉妹たちへの教訓です。
あなたがたは、
時に小さな教理の違いをめぐって、
互いに争ったり分裂したりすることがありますね。
けれども、ある日、それらのものはすべて取り除かれる時が来るのです。
──そうです。
あなたがたは実のところ、一つの大きな教会なのです。
神の目には、あなたがたは皆、ひとつの群れ、神の民なのです。
あなたがたの小さな違いなど、神の御前では何の意味もありません。
神にとって、あなたがたは 一つの「神の教会」 なのです。
30. さて、よく聞いてください。
その時、誰ももう気にしていませんでした。
自分が一つこぶのラクダに乗っていようと、
二つこぶのラクダに乗っていようと、
あるいは三つこぶでも四つこぶでも関係なかったのです。
また、「第一の雨(First Rain)」「第二の雨(Second Rain)」
「後の雨(Latter Rain)」「中間の雨(Middle Rain)」――
そんな呼び名もどうでもよかったのです。
その日、彼らはただ一つのことで一致していました。
それは、 「神の癒し(Divine Healing)は真実である」 という信仰です。
そして、彼らはその信仰のもとにひとつになって走り集まったのです。
大きなサム・ヒューストン・コロシアムは、
およそ三万人もの人々でぎっしりと埋め尽くされました。
彼らは飛行機で全国から駆けつけ、
自動車で夜を徹してやって来ました。
東からも、西からも、北からも南からも――
すべての道が、その場所へと向かっていたのです。
なぜでしょうか?それは、主ご自身が教えられた真理が、
今まさに試されようとしていたからです。
彼らはその信仰を守るために、
揺るがぬ覚悟で立ち上がったのです。
そしてついに――その出来事は AP通信(Associated Press) を通じて
全米に報じられました。人々は遠く東の果てからも、西の果てからも
飛んできました。そして、あの巨大なコロシアムは、
立錐の余地もないほど信仰に燃える群衆で満ちあふれたのです。
31. その夜のことです。兄が私に言いました。「今夜は下(会場)に行かないんだろう?」私は答えました。「ああ、行かないよ。行きたくもない。」
その夜、賛美の指揮をしていたのは サイア・ラムサー兄(Sire Ramsar)
でした。会場はすでに賛美の声で満ちあふれていました。
しかし――その時でした。心の奥で、何かが私に語りかけてきたのです。
「行きなさい。」私はその促しを無視できませんでした。コートを取り、
肩に掛け、それを頭まで覆うようにして出かけました。
妻と一緒に、静かに会場へ向かいました。
そして、会場のずっと上――サム・ヒューストン・コロシアムの
三階バルコニー席へと上がりました。
(もしあなたがあの会場を見たことがあるなら、どれほど高い場所かお分かりでしょう。)私はその上の方の席に座り、
人々の海を見下ろしていました。
私がそこにいることを知っていたのは、
私を案内してくれた二人の警官と、
妻、そして兄の三人だけでした。
私たちは、
静かに――ただ主のなさることを見つめながら――
その場所に座っていました。
32. さて、ボズワース兄弟が壇上に上がる時が来ました。
壇上には、多くの牧師たちが並んでいました。
その前に、 ラムサー兄弟(Mr. Ramsar) が賛美を導いていました。
やがて彼はマイクを取り、こう告げました。「さて、次はいよいよ今夜の
メインイベントです。」彼は少し間を置いて続けました。
「新聞で読んだのですが、
このヒューストンの町で、
ウィリアム・ブラナムという男を
追い出そうとしている人物がいるらしいですね。」
そして、少し声を張り上げて言いました。
「ヒューストンの皆さん!
もしあなたがたが、
神の人を町から追い出すよりも、
密造酒売り(bootleggers) を追い出すことに
もっと力を注いでいたなら、
この町はずっと良くなるでしょう!」
その瞬間、
会場全体が大きな歓声に包まれました。
まるで雷鳴のような叫びが、
三万人の観衆の中を駆け抜けたのです。
私は思いました。
「……ベスト博士はもう席を立ったな。」
私はただ静かに座っていました。
その後、 ボズワース博士(Dr. Bosworth) が壇上に呼ばれました。
主催者たちは、彼にまず話すよう求めました。
ボズワース兄弟は立ち上がり、穏やかに言いました。
「ベスト博士、ここに六百の聖書的質問があります。
この紙に書かれているすべてが、
キリストが今日も、地上におられた当時と同じ態度で、
病める者を顧みられていることを証明しています。」
そして、静かに続けました。
「もしあなたが、この六百の中のひとつでも、
神のことばによって反証できるなら、
私はこの壇上からすぐに降ります。」
──六百問。
そしてさらに言いました。
「また、もしあなたが聖書の中からたった一箇所でも、
“キリストが今は病人を癒さない”と示す御言葉を
見つけることができるなら、
私はこの壇上を潔く降りましょう。」
──なんという大胆な、しかし敬虔な信仰でしょう。
ボズワース兄は、その聖書全体をベスト博士の方へ静かに差し出しました。
33. するとベスト博士は立ち上がり、
「私が壇上に上がったときに、その件は片づけてやる」
と答えました。
ボズワース兄弟は静かに言いました。
「では結構です。ひとつだけ見せてください。
聖書の中から、たった一節で構いません。」
しかしベスト博士は、何も言いませんでした。
そこでボズワース兄弟は、もう一歩踏み込みました。
「では、ベスト兄弟。
わたしからあなたにひとつだけ質問をさせてください。」
そして、彼はこう尋ねたのです。
「 エホバの贖いの御名(Redemptive Names of Jehovah) は、
イエスに適用されていると信じますか?
“はい”か“いいえ”で答えてください。
その答えを聞いたら、私は壇上を降ります。」
しかしベスト博士は答えませんでした。
──答えられなかったのです。
ボズワース兄弟は繰り返しました。「もう一度尋ねます。エホバの贖いの御名は、イエスに適用されていますか?はい、ですか? いいえ、ですか?」
そして穏やかに、しかし確信をもって語りました。
「もしキリストが エホバジレ(Jehovah-Jireh) でないなら、
彼は“神の備えた犠牲”ではありません。
そしてもしそうでないなら、彼は神の御子ではありません。
しかしもし彼がエホバジレであるならば、
同時に彼はエホバ・ラファ(Jehovah-Rapha)――
すなわち“主なる癒し主”でもあられるのです。
彼は昨日も今日も、そして永遠に変わらない方なのです。」
その瞬間、会場の空気が変わりました。誰もがその言葉の真理を悟ったのです。
それで決着がつきました。永遠に決着がついたのです。
34. ベスト博士は、口から泡を飛ばしながら、激しく壇上を歩き回りました。
四、五度も行ったり来たりしながら、興奮のあまり、
近くにいたある牧師の口を平手で打ったのです。
その場には一瞬、ざわめきが広がりました。
小さな騒ぎが起こりかけました。
そして彼は怒りにまかせて叫びました。「その“神の癒し手
(divine healer)“をここへ出せ!彼に誰かを癒させてみろ!」
そのとき、ボズワース兄が静かに、しかしはっきりと立ち上がりました。
そして落ち着いた声で言いました。「恥を知りなさい、ベスト博士。」
「もしブラナム兄弟が“神の癒し”を説くゆえに“神の癒し手”と
呼ばれるのなら、あなたも“救い”を説くゆえに“神の救い主
(divine saviour)“と呼ばれるはずです。」
「あなたは自分を“神の救い主”などと呼ばれたくはないでしょう?
もちろん、あなたはそうではありません。」
「同じように、ブラナム兄弟も“神の癒し主”ではありません。
彼は神の癒しを説く者にすぎません。」
「キリストこそが癒し主(The Healer)であり、
キリストこそが救い主(The Saviour)なのです。」
「私たちはただ、御言葉をもって
その真理を指し示す者なのです。」
「今夜、あなたと私がここに立っている理由は、
それが聖書に書かれているかどうか――
それを確かめるためではありませんか?」
そしてボズワース兄は、一歩前に進み、静かに言いました。
「では、私にそれが聖書にないということを、
どうぞお見せください。」
35. ベスト博士は、私たちのことをただの 「聖霊に酔った連中(holy-rollers)」
や「狂信者」 だと思っていたようです。
しかし、やがて彼も知ることになりました――
私たちは霧の中をさまよってなどいない。
私たちは、自分たちがどこに立っているかを知っているということを。
彼は壇上を行ったり来たりしながら、落ち着きを失っていました。
その時、 レイモンド・リッチー牧師(Raymond Richie) が手を挙げ、
司会者(moderator) に声をかけました。
「一言だけ発言してもよろしいですか?」司会者がうなずくと、
彼は壇上に向かってこう言いました。
「今ここに、少なくとも十数名のバプテストの牧師たちが
この場におられるのを私は見ています。」
「そして、この会場には、
南部バプテスト連盟(Southern Baptist Convention) の
代表の方――この会の議長――もおられると聞いています。」
彼はその人の名前をはっきりと呼び、問いかけました。
「これは、
南部バプテスト連盟全体としての“神の癒し”に対する姿勢なのですか?」
──しかし、壇上の誰も答えませんでした。
沈黙。そこで、リッチー牧師はさらに問いを重ねました。
「このベスト博士は、南部バプテスト連盟から正式に遣わされたのですか?
それとも個人の判断でここに来たのですか?」司会者は、やや慌てた様子
で言いました。「お座りください、先生。」
しかしリッチー牧師は譲りませんでした。「司会者殿、あなたは私に発言の
許可を与えました。私は、まだ誰からもこの質問に対する答えを聞いて
いません。」彼はその場で堂々と立ち続けました。
そして再び静かに言いました。「では……」(その場の空気は張り詰め、
聖霊の臨在がひそかに動き始めていました。)
36. ついに、南部バプテスト連盟の代表者が立ち上がり、答えました。
「我々は彼(ベスト博士)をこの場に派遣してはいない。」
そうです。ベスト博士は自分の判断でここへ来たのです。
三万人もの聴衆を前にして、その事実が明らかになりました。
彼らははっきりと告げました。「いいえ、彼は自分で来たのです。」
リッチー牧師はうなずいて言いました。
「わかりました。ただ、それを確認したかっただけです。」
そして彼は静かに席に戻りました。
その直後、ベスト博士が再び立ち上がり、声を張り上げました。
「その“神の癒し手(divine healer)”をここに出せ!」
ボズワース兄は、落ち着いた声で応じました。
「彼(ブラナム兄弟)は神の癒し手ではありません。」
「彼の書物は十七の言語に翻訳されていますが、
彼自身、これまで一度たりとも自分を“神の癒し手”と
呼んだことはありません。
彼はただ病める人々のために祈るのです。
キリストこそが癒し主(The Healer) です。」
ベスト博士は食い下がりました。
「だが、あんたたちは“奇跡が毎晩起こっている”と看板を
出してるじゃないか!」
ボズワース兄は即座に、しかし穏やかに言いました。
「もちろんです。
奇跡(miracle) とは、人間の理性では説明できない出来事のことです。」
「超自然の領域(the supernatural realm)において、
ブラナム兄弟には、 神からの賜物(a gift) が与えられています。
それは、人の思いを知り、
何週間も、時には何か月も前から
起こることを予告する賜物です。」
「そしてそれは、一度も外れたことがありません。
それがまさに“奇跡”なのです。」
ベスト博士は、その言葉には何も言い返せませんでした。
するとボズワース兄は、辞書を持ち上げながら言いました。
「もし“奇跡”という言葉の意味について議論したいのなら、
ミスター・ウェブスター(Mr. Webster) の辞書を
開いてみるといいでしょう。」会場から笑いが起こり、
雰囲気は少し和らぎましたが、霊的な緊張はますます高まっていきました。
37. そしてベスト博士は、怒りをあらわにして叫びました。
「では、その男をここに連れて来い!彼に“奇跡”を行わせてみろ!
そして、その効果が一年間続くところを見せてみろ!」
「あんなものは、ただの思い込みだ!」
「おまえたちは 聖霊に酔った連中(holy-rollers) の群れにすぎん!」
「そんな“神の癒し”なんて信じているのは、そういう熱狂的な連中だけだ!」
「 本当のバプテスト信者(True Baptists) は、
そんなものを信じたりしない!」その時、ボズワース兄弟がすかさず
立ち上がり、落ち着いた声で言いました。
「失礼ですが、それは間違いです。」
「ブラナム兄弟は、今この瞬間もポケットの中に ミッショナリー・
バプテスト教会(Missionary Baptist Church) の会員証をお持ちです。」
そしてボズワース兄は続けました。
「バプテスト教会というのは 独立教会(sovereign) です。
その教会の会衆がその牧師の説教を支持する限り、
教団(コンベンション)はそれを認めるのです。」
しかしベスト博士は、さらに挑発的な言葉を投げつけました。
「ふん、そんなのは 堕落した連中(backsliders) ばかりだ。
“聖霊に酔った群れ”以外に、
そんなものを信じる奴らはいない!」
「本当のバプテストなら、
“神の癒し”なんて信じはしない!」
その言葉が会場に響いた瞬間、
三万人の聴衆の中から低いどよめきが起こりました。
多くの信者たちが静かに立ち上がり、
その言葉を否定するようにうなずき合いました。
38. すると、ボズワース兄が静かに手を挙げて言いました。
「ちょっとお待ちください。」「この会場の中で、この十日間の集会の間に
癒しを受けた方々にお尋ねします。皆さんの中で、バプテスト教会の
会員であり、その教会との交わりも良好で、医師の診断書などで癒しが
証明できる方――必要とあれば医師のもとへ行っても構わない、
『私は確かに癒された』と証言できる方は、どうぞお立ちください。」
その言葉が響くと、三百人以上の信徒が立ち上がりました。
一斉に立ち上がったその光景に、会場はどよめきました。
ボズワース兄はベスト博士に向かって、穏やかに尋ねました。
「さあ、これをどう説明されますか?」ベスト博士は顔を
しかめて答えました。「誰だって何とでも言えるさ。
そんな証言だけで真実になるわけじゃない!」
そう言い放つと、彼は壇上を歩き出し、なおも叫び続けました。
「その“神の癒し手”をここに出せ!彼をこの場に連れて来て、
奇跡を見せてみろ!」何度も何度も、同じ言葉を繰り返しました。
そして、その日の昼間――ベスト博士はこう豪語していたのです。
「今夜、あの老いぼれ(ボズワース)を壇上で叩きのめしてやる。
皮をはいで、塩をすり込み、自分の書斎のドアに“神の癒しの記念”として
張り付けてやるんだ!」
39. よく聞いてください。このベスト博士という人――
彼は“墓場(cemetery)”……いや、 神学校(seminary) を出たばかり
の学者でした。(会場に笑いが起こる)
――そう、「セミナリー」ですね。つまり、あらゆる神学的知識の角度
を知っていても、神ご自身を知らない人だったのです。
そして彼は、討論の「勝利の瞬間」を記録しようと考えました。
なんと、ヒューストンのダグラス写真スタジオ(Douglas Studios)――
これは アメリカ写真家協会(American Photographer Association)
に属する一流のスタジオですが、そこに依頼し、自分が
「ボズワースを打ち負かす瞬間」を撮影させたのです。
彼はその場で言いました。
「6枚の光沢写真(gloss prints)を撮ってくれ。
それを私の事務所のドアに飾るんだ。」
しかし、その カメラマン自身も批判者(critic) でした。
さて、その時――
ベスト博士は誇らしげなポーズを取りました。
指を突きつけ、ボズワース兄の顔すれすれまで押し出し、
こう言ったのです。
「この姿を撮ってくれ!
ちょうど今、この老人の皮をはいでいるところだ!」
そして、再び同じポーズを取りました。
傲慢な笑みを浮かべ、指を突きつけ、
まるで勝者のように見せかけて――。
カメラマンは6枚の写真を撮り終えました。
撮影が終わると、
その場にはすでに 『ルック』誌、『ライフ』誌、『タイムズ』誌
の記者たちや、多くの報道陣が集まっており、
彼の周囲をぐるりと取り囲んでいました。
その光景――まさに「人の目に見える勝利」を得たように見えました。
しかし、神はこの瞬間を永遠に覆す証拠として残されたのです。
そのカメラのレンズが、人間の傲慢ではなく、
神の臨在を捉えてしまったのです。
40. さて、会場の空気が少し落ち着き始め、
集会が終わろうとしていたその時――
ベスト博士が再びマイクを取りました。「さて、皆さん。
私はよく知っています。ウィリアム・ブラナムはこの会場のどこかにいる。
もし、彼が出てきてこの集会を閉じる(祈って終わらせる)なら、
それでもよい。だが、出てこないなら――私は彼を責めはしない。」
その言葉を聞いて、私の兄が小声で言いました。「絶対に動くな。
ここでじっとしていろ。」私は静かに答えました。
「分かってる。ちゃんと座ってるじゃないか。」
本当にそのとおり、私はじっと座っていました。
すると再び、壇上からベスト博士の声が響きました。
「彼が望まないなら出てこなくてもいい。
だが、私は知っている――彼はこの建物の中にいる。」
私はただ静かに座っていました。……その時です。
何かが私の心の奥で、はっきりと響いたのです。「立ちなさい。」
私は思いました。「いや、私は座っていよう。静かにしていよう。」
しかし再び、その声が明確に響いたのです。「立ちなさい。」
私は思わず立ち上がりました。
兄のハワードが慌てて言いました。「座れ! ブラナム、座るんだ!」
すると、そばにいた妻がハワードを制しました。
「やめて、ハワード。……見て。」彼女は私の顔を見て、
何かが変わっているのを感じたのです。
――表情が変わっていたのです。
それは、 もう私ではなく、主のご臨在が覆っていた瞬間 でした。
41. その時、人々が私の方を見上げ、叫び声と泣き声が一斉にあがりました。
およそ三百、いや四百人ほどの案内係たちが、
互いに腕を組んで人垣を作り、
私の衣服に触れようと押し寄せる人々を押しとどめていました。
私は手すり沿いにゆっくりと降りて、
群衆の間を通り抜け、静かに壇上へと上がりました。
そしてマイクの前に立ち、穏やかな声でこう言いました。
「皆さん、申し訳ありません。こうしたことが起きてしまうのは、
私の本意ではありません。」
「どうか、ベスト博士を悪く思わないでください。
彼にも彼の考えがあり、
私にも私の信じる道があるのです。」
「だからこそ、今、私たちの若者たちは 朝鮮(コリア)
で戦っているのです。――アメリカの『言論の自由』を守るために。」
少し間をおいて、私は続けました。
「けれども、ひとつだけ言わせてください。
彼が言うほど 誠実(sincere) だとは、私にはどうしても思えないのです。」
「彼はここにいる人々に『気の毒だ』と言いました。
しかし、この中には医者に見放され、数日の命と宣告された人々がいます。」
「それでも彼らはここへ来て、先週までは苦しんでいたのに、
今は元気に立っているのです。」
「そんな人々から、癒しの希望を奪おうとすることが、
果たして“誠実”と言えるでしょうか。」「私にはどうしても、
そうは思えません。」
42. 「けれども――」と私は続けました。
「私はただ真理を語る者です。私は“癒し主”ではありません。
ただ、真理の証人として立っているのです。」「もし、
私が真理を語っているなら、神ご自身がその真理を証明されるでしょう。」
「神は決して偽りを証明されることはありません。神はいつも
真実のうちに立たれる方です。ですから、もし私が真理を語っているなら
――その証しは神がなさるのです。」
その言葉を口にしたその瞬間―突然、空気が変わりました。
「ウウゥゥゥン……」という音とともに、
何かが建物の上から降って来るのを感じたのです。
―― 主の御使い(The Angel of the Lord)が
光の中に現れ、会場の中をゆっくりと降りて来られた のです。
会場全体が 静寂に包まれました。 何万人もの人々が、息を殺し、
ただその光を見つめていました。その時――本来、撮影は禁止
されていましたが、会場にいたダグラス写真スタジオのカメラマンが、
条件反射のようにシャッターを切ったのです。そのレンズは、
まさにその瞬間、 ブラナム兄弟の頭上に降りた“火の柱” を
とらえていました。私は静かに言いました。「主が語られました。
私から言うべきことは、もうありません。」
そう言って、私は壇上を降り、
警備の警官たちに守られながら、
静かに建物をあとにしました。
外では夜風が吹き、
車の中で私はただ黙っていました。
――神がご自身の真理を証明されたのです。
43. その夜――撮影を担当した キッパーマン氏(Mr. Kipperman)と
もう一人のスタッフであるアイリス氏(Mr. Iris)は、
撮った写真を持ってダグラス写真スタジオ(Douglas Studios)*
へ戻りました。二人は、その日のうちに現像を済ませようとして
いたのです。実は、彼らも批判的な立場の人々でした。
特にアイリス氏は、その日の新聞で私を「催眠術師(hypnotizer)」
だと書いた張本人でした。しかし、スタジオに戻る途中――
アイリス氏は少し沈黙した後、同僚にこう言いました。
「……なあ、もしかしたら、俺は間違っていたのかもしれない。」
「あの若者(ブラナム)の両親はカトリックだったと聞いた。
もし本当にあの“賜物”が神からのものなら、
あの青年はきっとカトリック教会に導かれるだろう。」
キッパーマン氏は黙って頷きました。
――彼もまた、心のどこかで何かを感じていたのです。
「俺はあの子を誤解していたかもしれないな。」
そうつぶやくと、二人はスタジオに着きました。
キッパーマン氏は二階の作業室へ上がり、
アイリス氏は写真の現像液を準備しました。
「ベスト博士が明日の朝にはこれを取りに来るだろう。
それまでに“証拠写真”を焼いておこう。」
そう言って、彼は撮影したフィルムを現像液に浸しました。
そして、しばらくのあいだ椅子に腰を下ろし、
一本のタバコに火をつけ、
静かに煙をくゆらせながら――
さっきの言葉を思い返していました。
「……もしかすると、本当に神のわざだったのかもしれない。」
44. さて、その夜遅く。キッパーマン氏が二階から降りてきて、
暗室に入り、写真を取り出しました。まず一枚目――
ベスト博士の写真。真っ白(blank)。二枚目――同じく白紙。
三枚目、四枚目、五枚目、六枚目……すべて真っ白。
あの高ぶった博士が、ボズワース兄の顔に指を突きつけて
ポーズを取った写真――一枚として残っていなかったのです。
そして、次の一枚を現像液から引き上げた瞬間――
キッパーマン氏は手を止め、顔が真っ青になりました。
そこに写っていたのは、ブラナム兄弟の頭上に降りた
「主の御使い」だったのです。彼はその場で心臓発作を起こしました。
同僚たちは慌てて私に電話をしましたが、私はその時すでに連絡の
つかないところにいました。すぐにその写真は夜の11時に
ワシントンD.C.へ送られ、著作権登録のための手続きが行われました。
その後、写真はカリフォルニア州へ送られ、世界的に有名な鑑定家、
ジョージ・J・レイシー(George J. Lacy) の手に渡りました。
彼は当時、FBI指紋鑑識課の最高責任者であり、
写真鑑定の分野では世界で最も信頼される専門家でした。
レイシー氏はこの写真をヒューストンのシェル・ビルディングに
三日間持ち込み、徹底的な鑑定を行いました。彼はこう言いました。
「三日目に、その写真を公開し、
そして“これは何か”についての結論を述べよう。」
その間、彼らは使用したカメラ、ネガフィルム、現像液――
すべてを調べ上げました。どんな角度から光を当てても、
どんな装置で分析しても――その光は消えなかったのです。
45. 三日後――。ついに、ジョージ・J・レイシー博士が部屋から出てきました。
彼は少し赤みのある髪をした、いかにも頑固そうで、冷静な男でした。
彼は一歩前に出て、鋭い声で言いました。「ブラナムというのは誰だ?」
会場の中央通路ほどの人数が集まっており、
私はその後方に座っていました。「私です。」
と答えると、彼は私をまっすぐに見つめ、言いました。「立ちなさい。」
私は立ち上がりました。すると彼はゆっくりと、
しかし力強く言葉を続けました。「ミスター・ブラナム、あなたも
すべての人間と同じように、いつの日かこの世を去るでしょう。」
私は静かに答えました。「承知しています、博士。しかし私は感謝
しています。イエス・キリストが私の代わりに死を負って
くださったことを。」会場が静まり返る中、レイシー博士は続けました。
「前に出てきなさい。」私はゆっくりと壇の前へ歩み寄りました。
博士は深呼吸し、低い声で言いました。「ブラナム牧師、あなたの集会
については聞いていました。そして私は今までこう言っていたのです――
“あれは心理的な現象(psychology)にすぎない。
群衆が光を見たというのは、集団的な錯覚だ。“ と。」
「私も、そう信じていました。」
「しかし、あのカメラの“機械の眼(mechanical eye)”は、
心理を写すことはできない。」
彼は一枚の写真を掲げました。
「これは、 本物の超自然的存在
(a genuine supernatural Being) である。
そして、人類の歴史の中で初めて、
このような写真が撮影されたのだ。」
「もはや、どんな 不信仰な偽善者(hypocrite) であっても、
“超自然の存在に科学的証拠などない”とは言えない。」
「なぜなら、
この写真はあらゆる科学的検証を経てもなお、
消えることなく残ったからだ。」
そして彼はその写真を私に差し出し、
こう結びました。
「私はこの写真を、あなたに正式にお渡しします。」
46. レイシー博士はその写真を私に手渡しました。
私はそれを アメリカ写真家協会(American Photographer Association) へ提出し、公的に登録されるよう手続きを取りました。
そして、誰かがそれを不当に高額で売買することのないように、
価格の制限も設けられました。
そのとき、レイシー博士は静かに言いました。「ブラナム牧師、出発される前に、ひとつ言わせてください。」その場の人々は皆、涙を流していました。
博士は写真を見つめながら続けました。「いつか、あなたがこの世を去った後――この写真は 十セントストア(安売りの店) の棚にも並ぶでしょう。」「けれども、それで良いのです。これは、私たち人間が手にした唯一の、
科学的に証明された“超自然の存在”の証拠だからです。」
「古代の画家たちは、救い主や聖徒たちのまわりに 光輪(ハロー)
を描きました。それを見て、不信者たちは“心理的な幻想だ”と笑いました。」
「だが、私は今、信じます。あの光は本当にそこにあったのだと。」
「これは心理現象ではない。カメラの機械の眼が、そのままの姿で
この光を捉えたのです。」そして彼は丁寧に、
その写真に添える 公式の証明文(statement) を書いてくれました。
「この写真は、あらゆる科学的検査に耐え、超自然的存在の実在を証明
するものである。」彼の署名入りのその文書と共に、私は写真を
提出しました。――それが、 あの有名な“火の柱の写真” です。
写真には、直径およそ三十センチほどの
黄金に燃える渦のような火の輪が写っています。
私は会衆に向かって言いました。「集会が終わったあとで、
どうぞ壇の前に来て、この写真をご覧ください。」
「私の事務所に手紙をくだされば、
その写真をお送りします。
一枚五十セントで、
レイシー博士の正式な証明文を添えてお届けします。」
そして私は静かに付け加えました。「神がご自身の真理を証されたのです。
すべての栄光は主に帰します。」。
47. けれども――私が申し上げたいのは、この写真そのものに何か“力”が
あるわけではないということです。「もし、イエス・キリストご自身が、この小さな者を愛してくださり、わざわざこの世に降りて来て、私の傍らで写真に写ってくださったのだとしたら――」「私は、そのお方をあまりにも深く愛しているがゆえに、その聖なる御姿を商業的に扱うようなことは決してしません。」
「あなたがたも、それを分かってくださるでしょう。」
「そうです、私はただそれを証として示すだけなのです。」
そして彼は写真を手に取り、
穏やかに微笑みながら言いました。
「この写真は、ここにいる シェブリー牧師(Mr. Shebley) から
一時的にお借りしたものです。先日、私からお渡ししたもので、
今夜、皆さんにお見せしたいのです。」「どうぞご覧ください――
この ゆらめく火の輪(milling fire) を。」彼は一呼吸おき、
静かに語りかけました。
「これは何でしょうか?」
「それは、かつてイスラエルの民を導いた 火の柱(Pillar of Fire) です。」
「そして、その同じ火の柱が、
今、ここにいる私たちの中にもおられるのです。」
「イエス・キリストは、
昨日も今日も、そして永遠に変わらないお方です。」
「――そうではありませんか?」
会場の中に、静かな「アーメン」の声が広がりました。
そして人々は涙を流しながら、その写真を見つめました。
48. そして――地上におられた時のキリストもまた、
「自分が癒す」とは決して言われませんでした。「彼は、人々の心の秘密を
知っておられたのです。そうでしょう?」そして今も、
まさに同じ働きがここ――アーカンソー州ジョーンズボロのこの小さな
集まりの中で行われているのです。「あの時と同じ主が、今もここに
おられるのです。」旧約の神が新約の神であり、イエス・キリストこそ、
イスラエルの民を導いたあの火の柱の主なのです。
そして今、同じお方がペンテコステの教会を導いておられる――
それが、ここにある証しです。科学的にも、しるしと不思議によっても、
それは明確に証明されたのです。「ああ、では――なぜ恐れるのですか?」
「なぜ疑うのですか?」「立ち上がりなさい。主を信じて、癒されなさい。」
「サタンは、できる限り長く、あなたの目に 覆い(ブラインダー) を
かけ続けようとします。しかし、もう眠っていてはいけません。」
「世界で最も偉大なことが、今まさにこの終わりの時代に、
私たちの目の前で起きているのです。」
「それは“しるしと不思議”によって証明され、
さらに“科学”によっても証明されたのです。」
「もし、私が今夜死んだとしても――
私の証しは、科学の世界にも、
クリスチャンの世界にも
はっきりと響き渡るでしょう。」
「――私は、神の御言葉によって
真理を語ったということを。」
「それはまぎれもない事実です。」
49. 何千、何万、いや、何百万もの聖徒たちが
これまで立ち上がってきました。
そして――
昨夜も、その御使いがこの壇上に現れたのです。
確かに、ここにおられました。
あの時、会場の中のある一人の女性が、
私が口に出す前にその姿を見たのです。
「あの光が会場の中に入って来るのを、
私はこの目で見たのです」と彼女は証言しました。
ええ、その通りです。
今も――この壇上からほんの三メートルほどの場所に、
同じ神の御使いが立っておられます。
これは真実です。
さて、友よ、どうかよく聞いてください。
「この働きがどこまで広がったかを見てください。
このしるしが世界中に及んだことを見てください。」
「恐れを、そして疑いを、
すべて心から取り除きなさい。」
「ただ、心を尽くして主を愛し、
主に仕え、主を信じなさい。」
そうすれば――
神ご自身がその約束を成就されるのです。
「あなたがたは信じますか?
神の御霊に導かれる者は、神の子であると。」
「そう信じますか?」
会場全体から「アーメン!」の声がこだまし、
その夜の空気は涙と賛美で満たされました。
50. さて――最後に、この近くで起きた小さな出来事をひとつだけお話しして、
今夜の証しを締めくくりたいと思います。よく聞いてください。
ある日のことです。私はテキサス州ダラスからの帰り道にありました。
(ジョーンズボロのすぐ近くを通るところでした。)
ところが、その日―― 激しい嵐(ストーム)に遭い、
飛行機はやむを得ずメンフィス(Memphis, Tennessee) に
緊急着陸しました。そこで航空会社が私たち乗客を、街の立派なホテル――
ピーボディ・ホテル(Peabody Hotel) に泊まらせてくれたのです。
(ああ、そうでしたね。あなたがあの時の方でしたか。
なるほど、今お顔を見て思い出しました。)
さて、このピーボディ・ホテルというのは、
私には到底泊まる余裕のない高級ホテルでした。
でも、その夜だけは航空会社の厚意で泊まることになりました。
翌朝、「翌日の便で出発します」と言われ、
私は朝早くに起き上がりました。窓の外では、ちょうど太陽が昇ろう
としていました。私は部屋でいくつかの手紙を書き終え、
「どこかポストを見つけて出してこよう」と思い立ちました。
ホテルを出て、まだ静かな朝の通りを歩き始めたとき――
私は自然と口ずさんでいました。あのペンテコステの賛美歌を。
♪ There are people almost everywhere,
whose hearts are all aflame,
With the fire that fell on Pentecost,
that cleansed and made them clean;
It's burning now within my heart.
Oh, glory to His name!
I'm glad that I can say I'm one of them. ♪
(訳:
世界の至るところに
心を聖霊の炎に燃やす人々がいる。
五旬節に下ったその火が、彼らを清めた。
今、その炎は私の心にも燃えている。
ああ、主の御名に栄光あれ!
私は言える――
「私もそのひとりだ」と。)
51. あなたも、この小さな歌を覚えていますか?
私はその朝、それを口ずさみながら歩いていました。
そして、心の中でこう思いました。
♪ They were gathered in the upper room,
All praying in His name;
They were baptized with the Holy Ghost,
And power for service came;
What He did for them that day,
He'll do for you the same;
I'm so glad that I can say I'm one of them. ♪
(訳:
彼らはあの日、
名を呼んで祈るため、
屋上の部屋に集まっていた。
聖霊が彼らに注がれ、
仕える力が与えられた。
あの日の御業は、
今のあなたにも同じように起こる。
ああ、私は言える――
「私もそのひとりだ」と。)
私は手に数通の手紙を持ち、
その歌を口ずさみながら通りを軽やかに歩いていました。
そして道を渡ろうとしたとき――
突然、何かが言いました。「止まりなさい。」
私は足を止めました。もう一度、はっきりと――「止まりなさい。」
それは、 あの方(The Voice) でした。
私は心の中で思いました。「……主よ?」
けれど理由は分からず、私はただその声に従って歩き出しました。
(テープの一部が途切れた後)
私は歩き続けました。歩いて、歩いて――どこへ行くのかも分からずに。
「誰かに郵便局の場所を聞こうか」と思いながらも、気づけばホテル
を通り過ぎ、さらにその先へ進んでいました。私はただ導かれるままに
歩き続けたのです。
52. しばらく歩くうちに、私はいつの間にか 黒人街(Colored district)
へと出ていました。見ると――太陽はすっかり高く昇っていました。
私の乗る飛行機は午前八時発の予定。
「もう間に合わない」と思いながらも、腕時計を何度も見ました。
けれど、そのたびにあの声が響きました。「歩きなさい。」
それだけでした。私はただその声に従って歩き続けました。
やがて、川のほとり近くの小さな集落へとたどり着きました。
あたりには古い木造の小屋が立ち並び、黒人の家族たちが暮らしている
地域でした。それはちょうど春の初め――
太陽の光がやわらかく降りそそぎ、
小屋の戸口にはバラの花が咲いていました。
その香りが風に乗って漂い、
空気はまるで祈りのように静かでした。
私は歩きながら、心の中で歌っていました。
♪ Only believe,
All things are possible,
Only believe. ♪
(訳:ただ信じなさい、すべては可能だ、ただ信じなさい。)
私は言いました。
「主よ……飛行機の時間が迫っています。」
それでも、「ただ信じなさい……」と自分に言い聞かせ、
さらに歩き続けました。私は歩きながら思いました。
「主は、私をどこへ導こうとしておられるのだろう?」
それでも――心の奥では、まだあの歌が響いていました。
♪ Only believe...Only believe... ♪
もう十五分、二十分ほど歩いたでしょうか。
私はただ、その御声に導かれて歩き続けたのです。
53. やがて私は、
小さな木の門の前に立ちました。
その奥には――
古びた 小屋(shanty) のような家がひとつ、
ひっそりと建っていました。
門のそばには、
アント・ジェミマのような、典型的な南部の黒人女性が立っていました。
彼女は頭に男物のシャツを布のように巻きつけ、
その腕を門の上にかけて、こちらを見つめていました。
彼女の頬には涙が伝っていました。
私は彼女から少し離れたところ――
建物の端くらいの距離にいました。
その時、私は歌うのをやめました。
ただ心の中で静かに、あの旋律を口ずさみました。
(♪ “Only Believe...”)
私はゆっくりと彼女の方へ歩み寄りました。
すると、彼女が言いました。
「おはようございます、牧師(パーソン)さん。」
私は驚いて言いました。
「おはよう、おばさん(auntie)。
でも……どうして私が牧師だと分かったんですか?」
彼女は静かに答えました。
「分かっておりました。」私はさらに尋ねました。
「どういうことです? 私のことを知っているんですか?」
すると彼女は首を振って言いました。
「いいえ、旦那さま。
でも、これからわたしの話を聞いてくださいまし。」
私は足を止めました。
「ええ、分かりました。お話しください。」
彼女は涙ぐみながら言いました。
「聖書の中に出てくるシュネムの女をご存じですか?
あの――年老いてからひとりの子を授かった女の話。
預言者エリヤが彼女に言いましたよね。」
私はうなずいて言いました。
「ええ、知っています、奥さん。」
すると彼女は胸に手を当てて、こう言いました。
「わたしは、あの女のような者なんです。」
54. 彼女はこう言いました。「主に約束をしました。
もし神さまが私に赤ん坊をくださるなら、
その子を主の栄光のために育てます――と。」
そして彼女は続けました。
「主は私に男の子をお与えになりました。
それで、私はその子を育てたのです。
私はずっとクリスチャンとして、
一生を通して主に仕えてまいりました。」
(※この部分でテープが一時途切れています。)
次に聞こえてきたのは、
彼女が静かに、しかし力強く言った言葉でした。
「天の神さまが、たった一人の黒人の洗濯女のために飛行機を
止めてくださった。それこそが、主権の恵み(sovereign grace)
というものです。」私は思わず足を止めて言いました。
「……なんですって?」すると彼女は優しく言いました。
「牧師さん、どうぞ家の中に入ってくださいな。」
私は頷きました。門を見ると、錆びた鉄の棒が、
ちょうど鍵の代わりのようにぶら下がっていました。
彼女がそれを外すと、私はその小さな白く塗られた柵をくぐり抜け、
中へ入りました。床には敷物もなく、
ドアの上には小さな手作りの札が掲げられていました。
「God bless our home(神がこの家を祝福されますように)」
私はこれまでに、三つの王の宮殿に招かれたことがあります。
また、アメリカで最も裕福な家庭にも何度か訪れました。
けれども――あの朝、あの黒人女性の小さな家ほど、
私が心から歓迎された場所はありませんでした。
どんな豪邸にもない、天の平安と温もりがそこにあったのです。
55. 私はその家に入っていきました。するとそこには大きな体をした黒人の
若者が一人、ベッドに横たわっていました。年の頃は十八歳くらい。
がっしりした体つきで、手には毛布をしっかりと握りしめ、
呻くようにこう言っていました。「うう……暗い、暗い……。なんて暗いんだ……。」
母親が言いました。「もう何日も、ああしているんです。ずっと
意識がないんです。夢の中で、どこか真っ暗な海を漂っているようなことを言って……どこへ行くのか分からない、と。」
彼女は涙をぬぐいながら、その息子の額にそっと口づけしました。
そして、頬を優しくなでながら言いました。「マミーの赤ちゃん……。」
なんという母の愛でしょう。
どんなに息子が弱っていようと、
何をしてこようと、その愛はなおも手を差し伸べるのです。
ブラナム兄弟は静かにこう語りました。「母の愛がこれほどまでに深いなら、では、神の愛はいったいどれほどのものでしょうか?」母親はなおも彼の頬を撫でながら、震える手で祈りをささげ続けていました。
56. 私は静かに言いました。「おばさん、祈りましょうか?」
すると、その神の聖徒のような老婦人が、
長年、洗濯板の前で生計を立ててきたその膝をゆっくりと床につき、
祈りの姿勢をとりました。彼女が口にした祈り――
それは、聞く者の魂を震わせるほどの真実な祈りでした。
「主よ、どうか私の赤ちゃんを死なせないでください。
この牧師さん(パーソン)のことは何も分かりません。
でも、あなたが私に“祈れ”とおっしゃったのです。
“祈って、この方が来るように”と。
だから、きっとこの方が祈ってくだされば、
あなたは私の子を救ってくださるはずです。
主よ、このままこんな姿で死なせたくはありません。
ありがとうございます、主よ。
あなたが今ここにおられることを、私は知っています。」
彼女の祈りが終わった時、
私は立ったまま涙を流していました。
その祈りに天の香りのようなものを感じたのです。
私はベッドに近づき、
その少年の足に手を当てました。
――氷のように冷たい。
もしこれまでに「死」を見たことがあるなら、
間違いなく、いま彼にその影が迫っていました。
私は一歩下がり、
静かに言いました。「もう一度祈りましょう、おばさん。」
57. 私はひざまずき、こう祈りました。「愛する主よ、なぜ私をここへ遣わされたのか、私には分かりません。けれど、昨夜あなたが飛行機を止めてまで私をここへ導かれたこと、今朝、郵便局に向かった私を再びこの場所へ戻されたこと――そのすべてをあなたがご存じです。主よ、今ここであなたの御心が成りますように。もしこれがあなたの使命の成就であるなら、どうかこの若者のいのちをお救いください。あなたの憐れみをもって、この者に触れてください。」そう言いながら、私は彼の両脚に手を置き、静かに神に願いました。その瞬間―彼の唇がわずかに動きました。「うう……マミー……マミー?」お母さんが顔を上げ、涙をぬぐいながら言いました「いま、あの子が初めて “マミー” って呼びました……!」
そして次の瞬間、少年ははっきりと言いました。「マミー……部屋が明るくなってきたよ……!光が……光が入ってくる!」わずか5分後――その少年は、ベッドの端に腰をかけ、母の手を握っていました。彼の顔には生命の光が戻り、
母の頬には感謝の涙が光っていました。
58. あの出来事から二か月、三か月ほどが経ったころのことです。
私は列車でアリゾナ州フェニックスへ向かって旅をしていました。
列車がある駅に停まり、私は少し食事を取ろうと、駅の小さなレストランへ向かいました。そのとき――どこからか声が響きました。
「パーソン・ブラナム!」私は振り向きました。
そこには、 赤い帽子(レッドキャップ) をかぶった青年が立っていました。
彼が手を振りながら言いました。「僕のこと、覚えてますか?」
私は首をかしげて答えました。「いや、すまないね。思い出せないんだ。」
すると彼は笑顔で言いました。「あの朝、死にかけていた黒人の少年です。あなたが主に導かれて来てくださったあの日、マミーの祈りに応えて、主があなたを送ってくださったんです。あのとき主は、僕を癒してくださっただけじゃありません。救ってくださったんです!今では僕、聖霊に満たされてるんです、パーソン!」
ブラナム兄弟は目に涙を浮かべながら、静かにこう語りました。「ハレルヤ!」。
59. 「それが何だと思いますか?それは、同じ聖霊です。
兄弟姉妹よ、あの時の、あの方とまったく同じ聖霊なのです。
世界中で――数え切れないほどの出来事が起こりました。
聖霊に導かれて起こった不思議の数々。
ああ、もし時間があるなら、その証を一つひとつ皆さんに語りたい。
けれど、私はただこれを言います。
イエス・キリストは昨日も今日も、そして永遠に同じお方です。
あの時、イスラエルを導いた神の御使い――
その同じ御使いが、今夜、この建物の中にもおられます。
あなたはそれを信じますか?」
(静寂)「それでは――頭を垂れ、しばしの間、
この方に語りかけましょう。」
60. 天の父よ、あなたがこの五年、六年の間に
成してくださった御業をすべて語ろうとすれば、
幾時間、いや、幾週間あっても足りないでしょう。
けれど、時は過ぎゆきます。
いずれ私は、その川辺へと下って行かなければなりません。
主よ、その時、どうか私を助けてください。
あの川のほとりで、
私が何の恐れもなくいられますように。
あの朝、舟が向こう岸からやって来るとき、
群れが静かに待っている中で、
私が備えられた者として立てますように。
(テープ欠損部分)「もしあなたがわたしのうちにとどまり、
わたしの言葉があなたのうちにとどまるなら、
求めるものは何でも与えられる。」主よ、これがあなたの約束です。今夜、
この会衆の前に立ちながら、私はあなたに感謝いたします。ああ神よ、
あなたがこの世の低く見られる者たち――貧しい者、不完全な者、罪深く、
それでも贖われた者たちを選び取ってくださったことを感謝します。
あなたはその血によって私たちを洗い清め、あなたの血の代価によって
ここに立たせてくださいました。そして、私たちに明けの明星を与え、
火の柱を与え、この荒れ野を導いてくださいました。
たとえ私たちが世に捨てられ、狂信者と呼ばれようとも構いません。
聖書はこう言っています――「キリスト・イエスにあって敬虔に生きようとする者は、皆、迫害を受ける。」だからこそ今夜、私たちは喜びます。
神の国のために、そのように数えられる者とされたことを。
61. 神よ、今夜、この場にいる病める人々の心から恐れを取り除いてください。
彼らが知ることができますように――あなたがここにおられることを。
主よ、あなたがこれらのしるしを現されるのは、
彼らと共におられることを証するためです。
今夜、科学の世界もそれを認め、教会もまたそれを知っています。
主よ、それなのに、なおもあなたの御言葉を疑うことがあるなら、
それは罪です。主よ、私たちを助けてください。
不信仰という罪――それは最初の罪であり、唯一の罪です。
神よ、どうか今夜、私たちを忠実にし、
あなたを信じ抜く心をお与えください。
すべての病める人を癒してください。
今夜、まだあなたを知らない魂を救ってください。
神から離れ、キリストを知らず、
神なきままに生きている者がいるなら、
どうか今、この瞬間に救い出してください。
そして、道を離れた者がいるなら、彼らが再びキリストを通して
神のもとへ帰ることができますように。
62. どうか今、皆さん、頭を垂れてください。もし神が、
私の祈りを聞いてくださり、そして幻を与えてくださるお方なら――
主は今、私の祈りを止めて、こう告げられました。
「今、彼らに尋ねなさい」と。
ですから、皆さんが祈っておられる間にお伺いします。
この中に、まだキリストを知らず、
新しく生まれ変わる経験をしていない方がおられますか?
もしそうであれば、どうぞ静かに手を挙げてください。
「ブラナム兄弟、私のために祈ってください。
神が私にも、新しく生まれる経験を与えてくださるように」
神があなたを祝福されますように。そちらのあなたも――あなたも、あなたも。翼廊(サイド)にいる方々も? 神が祝福されますように。第二の翼廊の方々? ……ええ、神があなたを祝福されますように。会堂の後方におられる方々? 神があなたを祝福されますように。私にはあなたの手が見えます――そうです。
ほかにおられますか?
「ブラナム兄弟、私はキリストを必要としています。
それを今、悟りました。」
聖霊が、私にこれをするように促されました。
神があなたを祝福されますように。
神があなたを祝福されますように、兄弟。――ええ、見えます。
右側の列の方々、後方におられる方はいかがですか?
「私のために祈ってください」と言う方、手を挙げてください。
神があなたを祝福されますように、姉妹。見えます。
神があなたを祝福されますように、兄弟。
神があなたを祝福されますように、姉妹。
神があなたを祝福されますように。――ええ、見えます。
そちらの若い姉妹も、見えます。
神があなたを祝福されますように。
姉妹、神があなたを祝福されますように。
兄弟、神があなたを祝福されますように。
姉妹も――神があなたを祝福されますように。
あなたも、あなたも、あなたも。
そう――
今あなたに語りかけているのは、
私がここで示したあの神の御使い、そのお方です。
見えますか?主が何をなさっているか。
私は祈ります――今、神があなたにその恵みを与えてくださいますように。
63. 天の父よ、今、これらの人々の心は飢え渇いています。
どうか彼らが、今この瞬間に、
あなたを個人的な救い主として受け入れることができますように。
主よ、今、何かが起こりますように。
この集会が終わるとき、彼らがこの部屋に入り、
聖霊のバプテスマを受けることができますように。
主よ、それをお与えください。
手を挙げたすべての方々の誠実な心を感謝します。
どうかその一人ひとりを祝福してください。
主イエス・キリストの御名によって、
この祈りをお捧げいたします。
アーメン。なんという素晴らしさでしょう。
これこそが、私の愛する神の御霊の流れ方です。
ちょうど癒しの礼拝を迎えるとき――
心が柔らかくされ、砕かれ、涙があふれ、
すべての人が神の手の中で新しく造りかえられる――
そんな時の空気のように。
私は古風かもしれません。
けれども、私はあの涙とへりくだりの中にある古き霊の働きが
好きなのです。そうしてこそ、神は私たちをもう一度、
ご自身のかたちに造り直すことがおできになるのです。
私は――そのような瞬間が大好きなのです。
64. ああ……そこに座って涙をぬぐっておられる年老いた婦人がいますね。
神があなたを祝福されますように、ご婦人。小さなショールを肩にかけて――
まるで昔ながらの、やさしい母親のようです。その姿に、何か特別なものを感じます。ご婦人、少しこちらをご覧になれますか?
あなたはそこで祈っておられますね。
……では、誰か彼女にそっと伝えてあげてください。
あなたの患っているのは、お鼻のその部分ですね?
その鼻の箇所――そうですね。しかし、こういうことです。
あなたには多くの悩みがあり、それらのことがずっとあなたを苦しめてきました。そうでしょう?あなたは以前、その病から癒されたのです。
そうですね?ええ、そうです。けれども、あなたはその後、
不信仰な人々の中に身を置いてしまいました。
そうでしょう?それが原因で、その症状がまた戻ってきたのです。
(婦人がブラナム兄弟に話しかける)ええ、信仰を持ちなさい――
神を信じ続けなさい。そうすれば、それは再び離れていきます。
……それから、あなたにはもうひとつ気がかりなことがありますね。
私は見ています。あなたは何かを置いたまま忘れてしまう――
いわゆる記憶の薄れがあるのではないですか?
そうですね?もしそうなら、どうぞ手を挙げてください。
会衆の皆さんにも見えるように。はい、そうです。
あなたは物を置いて、どこに置いたか思い出せなくなる。
そうでしょう?その通りです。
ですが、私はあなたの心を読んでいるのではありません。
ただ――今、あなたの人生は光の中にあります。
隠すことはできません。さあ、神を信じ続けてください。
私がこのあと病人たちのために祈る間、神があなたにさらに言葉をくださるかもしれません。…主がここにおられます。
主の御使いが、今まさにこの場におられます。
65. (ブラナム兄弟)「ビリーはどこだ?ビリー、今夜は
どの祈りのカードを配ったんだい?」
「T-1から50までですか? ――よし、わかりました。」
「では、今夜はそのうち最初の15枚を持っている方、
すぐにお立ちください。できるだけ早くお願いします。」
「“T”です。祈りのカードのT番。ええと……
ご自分のカードを見てください。
一方の面には、私の写真とあなたのお名前が印刷されています。
その裏側に番号とアルファベットが書かれていますね。
それが “T” のカードです。
では、T-1をお持ちの方、どなたですか?
“T-1”の方?“T-2”、“T-3”、“T-4”、“T-5”、“T-6”……
そのまま順に、最初の10枚から15枚をお持ちの方は、
どうぞ前に出てきてください。
まず最初の10人くらいで結構です。
状況を見て、そこから続けましょう。」
(―この時、別の兄弟が案内のアナウンスを行う―)
66. ああ……皆さん、もしこの光景を見られたらと思います。
会場全体が、まるで乳白色の霧に包まれていきます。
ミルクのような輝き――。友よ、私は真実を語っています。
神がご自身の御霊によって、これをはっきりと証ししておられるのです。
ここにおられるのは、あの神の御使い、すなわち火の柱です。
かつて主イエス・キリストの上に立たれ、人々の心の思いを知り、
その御業をなされた同じお方です。ここにおられる――
それは同じイエス・キリストなのです。今夜、信仰を持ちなさい。
(会場が静まり返る)……では皆さん、しばらく立ち上がりましょう。
頭を垂れて、静かに――姿勢を変える意味でも――
一緒に 「Only Believe(ただ信じなさい)」 を歌いましょう。
Only believe, only believe,
All things are possible, only believe;
Only believe, only believe,
All things are possible, only believe.
67. それでは、皆さん、もう一度頭を垂れましょう。
少しの間――祈りの列を整えている間、私と一緒に、
静かにこの賛美をハミングしてください。(ブラナム兄弟が
ハミングし始める)さあ、こちらをご覧ください。
手を上げて――そうです。一緒に、このように歌いましょう。
「主よ、私はもう何もいたしません。ただ――今、信じます。」
Now, I believe, now, I believe,
(“あとで”ではなく、“今”信じます)
All things are possible, now I believe;
Now, I believe, now, I believe,
All things are possible, now I believe.
さあ――静かにお座りください。
……今、何かがこの教会の中で起こりました。
私はリード兄弟に言いました。
さあ、今こそ信仰を持ちなさい。
心のすべてをもって信じるのです。
私はいま、神のしもべとして、
病める人々のために祈ります。
もし私が語ってきたことが真実であるなら、
神は今、その真実をご自身の御声で証しされるでしょう。
もし私が真実を語っていないなら、
神は沈黙されるでしょう。
というのも――神は真理のためにのみ語られるお方だからです。
さあ、信仰を持ちなさい。神を信じなさい。
68. (ブラナム兄弟)「……こちらの方ですね? ――ええ、そうです。」
「少しだけ、あなたとお話ししたいのです、兄弟。」
「あなたがクリスチャンの方であることを感じます。けれども、私たちはお互いに初対面ですね。私はあなたを存じ上げませんし、今までお会いしたこともありません。ええ、私たちは“見知らぬ者同士”です。ですが、あなたには今、何かが起こっていることが分かりますね?そう――あなたは気づいておられる。
何かが、すぐそばに“いる”のを。では、それが何かをお話ししましょう。」「今、あなたの心を込めて信じてください。そうすれば、今起こっていることが分かります。これは――私が語ってきたことが真実であることを
神ご自身が証ししておられるのです。だからこそ、“あの方”はここにおられる。
そして、彼はこの教会の中にも、世界のどこにいても共におられるのです。」
「あなたは、私が主のしもべであると信じてくださいますか?
ええ、それが真実です。もし私にあなたを助けられる力があるなら、
兄弟、私はすぐにでもそうしたい。ですが――私はただの人間です。」
「けれども、“主のしもべ”として……それは、まるで光のようなものです。
たとえば、もし今この会場の明かりが消えたとしても、
あなたは『もう電気というものは存在しない』とは言わないでしょう?
ただ、どこかで配線が狂っていて、光が通じないだけだ――そう言うはずです。
それと同じことです。もし、私があなたのために神と“つながれない”としても、
それは神が不在だからではなく、私たちのどこかに“つながりの乱れ”があるからなのです。」しかし――もしその光が再び輝くなら、
それは神がスイッチを入れられたということです。
私には、それを自分で灯すことはできません。私には不可能です。
けれども――神はこれまで一度も私を見捨てられたことがありません。
そして今夜も、きっと神は私を見捨てられないでしょう。」
69. 「もし神が――私があなたのために祈る前に――
あなたの人生に関する何かを啓示してくださるとしたら、それは、神が今ここにおられることをあなたに分からせるためです。」
(手に一枚の写真を掲げながら)「ほら、これがその 証し(しるし) です。
この御臨在の中に、あなたは今、何か“神聖なもの”を感じていますね。
それは――敬虔な、畏れに満ちた感覚でしょう?そうですね?」
「もしそうであれば、会衆の皆さんにも分かるように、手を上げてください。
そう――それが真実です。」「それこそが、今あなたを助けることのできる唯一のものなのです。」「……あなたは腎臓の病気に苦しんでおられますね?
腎臓の痛み――そうですね?それから、膀胱にも問題があります。
医者にも診てもらいましたね。彼は何かを言いましたが――
頭を横に振って、確信が持てないようでした。それは、癌の可能性がある
と言われたのではありませんか?」「さらに――あなたは心臓にも疾患
がありますね。それも真実です。」(一瞬、沈黙が流れる)「……今、御臨在
が去っていかれました。さあ、私が語ったことは真実でしたか?
もしそれが真実なら、手を上げてください。」(男性が手を高く上げる)
「あなたは、主がここに立っておられることを信じますか?主はあなた
についてすべてをご存じです。あなたの罪は血潮の下に置かれています。
ですから、あなたに対する咎めは何もありません。今、信じる信仰がありますか?」「――では、こちらに来なさい。」
(静かに手を置いて祈る)「天と地の創造主なる主なる神よ、
永遠のいのちの与え主よ、このあなたのしもべの上に、
死の霊が襲いかかっています。しかし今、私はその者の上に手を置き、
彼のいのちを奪おうとする悪魔を叱りつけます。
この若き子を早すぎる墓へ送ろうとするその霊が離れるように――。
主よ、どうかこの者を完全に癒してください。私は彼の癒しのために祝福を宣言します。主イエス・キリストの御名によって――アーメン。」
「神があなたを祝福されますように、兄弟。喜びのうちに帰ってください。
あなたの回復の知らせを、ぜひ聞かせてください。」
70. 「どうか皆さん、敬虔な心でお静かにしていてください。決して疑わないで――信仰を持ちなさい。よろしいですか。」「私は今、ここに立っていることをちゃんと意識しています。けれども――
いま“それ”が、この建物全体を動いているのです。そうです、皆さん。なんという夜でしょう。この場にいる人々は、もし心を開くなら、今この瞬間に祝福を受けられるのです。」
71. 「こちらへ、少し来てください。」「あなたは信じますか?――心の底から。」
「私はあなたを知りません。おそらく初めてお会いしますね。
お名前は?(“ヤング”)――ヤングさんですねお会いできて嬉しいです、
姉妹。」「けれども、あなたは今、主ご自身の御臨在の中に立っていると信じますか?あなたが感じているこの“何か”は、ここに私(兄弟)が立っているからではありません。主イエス・キリストご自身がここにおられるからです。
あなたはそれを信じますか?」「私はあなたをまったく知りません。
今まで一度もお会いしたことがありません。ですから、もしあなたの人生について何かを知るとしたら――
それは神からの啓示以外にはありません。それは正しいですね?」
「そしてもし神が、あなたについてのことを私に示してくださるなら、
そして私が主の預言者であるなら、
主は望まれることを何でも私に告げることができるのです。そうですね?」
「……あなたは思っているよりも重い病です。あなたには卵巣に腫瘍があります。あなたは検査を受けましたね。医師がそう告げました――それは真実です。」「……ああ、今それが離れました。何かが起こりましたが、すぐにはつかみきれませんでした。」「――そこに、同じように腫瘍を持つ別の人がいます。
今、私がそのことを口にした時、光が一人からもう一人へと動いたのです。」
72. 「もう少しだけ、あなたと話したいのです。」
「あなたは神経の病もありますね?そうでしょう?」
「胃の不調もあり、その原因はその神経の緊張にあります。
あなたは、いつもたくさんのことを心配する人ですね。」
「ほら――とても神経が高ぶる時がありますね?
少し前のこと……あなたはお皿を洗っていて、
ほとんど手から落としかけたことがありましたね。
その時のことを覚えていますか?」「そして、あなたはそのあとひざまずいて祈りました。私がこの町に来ると聞いた時――あなたは神にこう言いましたね:
“主よ、もし私がその祈りの列に並ぶことができるなら、
あなたは私を癒してくださると信じます。“
それは本当ですか?」「そうですね。
あなたは確かに、その祈りを神にだけ告げたのです。
その場には、神以外に誰もいませんでしたね?それは真実ですか?」
「――では、信じてください。」「姉妹よ、私はあなたの癒しのために祝福を宣言します。キリストを信じる者として、癒しを受け取りなさい。
主イエス・キリスト、神の御子の御名によって――
あなたがここを出て、完全に回復するように祈ります。」
「さあ、これを信じてください。あなたの不調の原因は、
実は更年期に差しかかっていることにもあります。
それが神経を乱し、気分を不安定にしているのです。」
「けれども、もし神があなたの過去のことを
私に示すことができたのなら――神はあなたの未来のことをも
知っておられると思いませんか?」「過去を明らかにされた神は、
これからのあなたの人生も御手に収めておられます。ですから、今夜この場所を出るとき、喜びに満ちた心で神を賛美し、不安や恐れをすべて手放してしまいなさい。」「そうすれば、あなたは完全に癒されるでしょう。神の祝福があなたにありますように。」。
73. 「こんにちは。お元気ですか?」「私たちは――初対面ですね?」
(女性が話す)「ああ、そうですか。この集会の間に一度お会いしたんですね。あなたはピアノを弾く方なのですね?」
「なるほど。けれども、私とは個人的な知り合いではありませね?
私はあなたのことを何も知りません。」
「さて――あなたは私を神のしもべだと信じますか?」
「そう尋ねるように、主が私に言われたのです。
人々にそれを尋ねよ、と。」「よろしいですか。あなたを癒すこと――それは私自身にはできません。私はただの人間です。
けれども、あなたの人生を知っておられるのは神です。」
「……あなたは眼鏡をかけていますね。もちろん、それは誰が見ても分かることです。たとえば、あの座っている方が足を悪くしていると言うようなものです。しかし、あなたのように健康そうに見えても、内側に問題を抱えている場合――
それは“見えない部分”です。」「あなたの目に乱視(Astigmatism)があり、そのためにひどい頭痛を繰り返していますね。
それは正しいですか?」「そしてあなたは、お子さんのことでも心を痛めています。あなたはその子を失いかけことがありましたね?」
「さらに、その子の問題は――私はあなたの心を読んでいるのではありません。けれども、神が見せてくださるのです。
その子はまだ歩けません。年齢からすれば歩ける時期ですが、
それができないのです。それは真実ですね?」
「あなたは私を神の預言者と信じますか?
もし私が今ここで神に祈るなら、
その呪いは取り除かれ、祝福が訪れると信じますか?」
「こちらへ来てください。」「――全能の神よ、
私はこの女性とその幼子の上に手を置き、
主よ、彼女を祝福し、癒しをお与えください。
この母と子の上に、主イエス・キリストの御名によって
祝福を宣言いたします。アーメン。」
74. 「(この方が患者さんですか? そうですね?)」「こんにちは。」
(咳払いして)「すみません、少しお話しさせてください。」
「あなたは、ここで起こっていること――これらの出来事が神から来ていると信じますか?」「信じるのですね。ええ、それは人から来るものではありません。
他にどこからも来るはずがありません。神からです。」「主があなたを祝福し、
あなたの信仰に報いてくださいますように。」「さて、もし私が神の預言者であり、イエス・キリストが昨日も今日も、永遠に同じお方であるなら、
かつて荒野でイスラエルの民を導いた火の柱は、神の御子イエスの上にも臨み、
彼を導かれました。そして主はこう言われましたね――
『御父が示されることのほか、私は何もできない』と。そうでしょう?」
「その同じ方が、今もここにおられるのです。」「もし私があなたを知らないとしても――けれども、彼(主)がここにおられ、あなたと私がこうして話しているのなら、それはまるでサマリアの女と主イエスの会話と同じです。
主は彼女を癒すのではなく、まず彼女の“問題の根”を見出されたのです。
そうでしょう?」「私はその主が昨日も今日も、とこしえに同じ方であると信じます。神が私をこの世に生まれさせ、ある目的――つまり人々を祝福するために
立ち上がらせてくださったのです。それは、御使いによって授けられた神の賜物を通して行う働きです。」「あなたはそれを真実だと信じますか?信じますね?」
75. 「あなたの人生には――何か特別なことがありますね。はっきりと掴めそうで、
すぐまた暗くなって離れていく……。もう少し話させてください。」
「……そうです、見えてきました。そうですね、姉妹。あなたには直腸の病がありますね。それは正しいですか?」
「ええ、かなり深刻です。そしてもう一つ――腎臓、あるいはその周囲の腺の異常もありますね。」「それから、もう一つ……これは言ってもよいでしょう。
あなたには、どうしてもやめられない習慣があります。そうですね?
煙草を吸ってしまう――そうでしょう?」神があなたに憐れみをお与えになりますように。こちらへ来てください。」「――主なる神よ、天と地の創造主、永遠のいのちの源よ。この貧しい女性を私は幻の中で見ました。彼女は煙草を手放そうとし、涙を流しながら離れようとするのに、また戻ってしまう……。
主よ、この魂に憐れみをお与えください。」「ああ、汚れた霊よ!
この女性を煙草の束縛のかたちで縛っている霊よ!主イエス・キリストの御名によって命じる。この女から出て行け!」「――今、姉妹。
あなたはその束縛から解放されました。もう煙草を吸ってはいけません。
他の症状もやがて癒されます。あなたはもう大丈夫です。行きなさい。
主があなたを祝福されますように。」
76. 「主を賛美します。」「こんにちは、兄弟。私たちは――初対面ですね?」(男性)「はい、初めてお会いします。」「あなたは私を神の預言者と信じますか?」(男性)「はい、確かに信じています。」
「私はそれを誇って言うのではありません。ただ――あなたを助けたいのです。わかりますね?」「あなたのポケットにある小冊子を読みましたか?」(男性)「はい、読みました。」
「では、今ここで何が起きているのか、あなたは理解しておられますね?」(男性)「ええ、よく分かっています。」
「――以前のように、おいしく食べられる胃を取り戻したくはありませんか?」「私を神のしもべだと信じますか?」
「それなら、私の言うとおりにしてください。何でも食べなさい。」
(別の男性に向かって)「今、私がこの人にそう言ったとき――
あなたも全身が震えましたね?それは、あなたも同じ病を持っていたからです。」「さあ、行って夕食をおとりなさい。神を信じなさい。」
77. 「さあ、こちらへ来なさい、姉妹。信仰を持ちなさい。天の神ご自身が、
今あなたの目の前におられます。あなたは、その御臨在の中に立っているのです。あのとき、“あなたの罪は赦された”と女に言われた同じお方が、
今ここにおられるのです。」「こんにちは、姉妹。私たちは――初対面ですか?」
(女性)「いいえ。五年前に、ここでお会いしました。祈りの列に並び、その時癒されました。」「ああ、そうでしたね。けれども、今あなたと私の間に黒い影が見えます。それが揺れ、あなたが跳ねるのが見えます。
それが意味することはただ一つ――悪霊です。そしてそれは“神経の病の霊”です。
そうですね?」「あなたは時々、“もう気が変になってしまったのではないか”
と感じることがありますね?そうでしょう?
しかし――あれは嘘です。あなたは正気です。他の誰と同じように、完全に健全です。ただ、その悪しき者が、あなたを押し倒そうとしているのです。
けれども、どうかそれに耳を貸さないでください。」「私が主のしもべであることを信じますか?よろしい、では言わせてください。
あなたはずっと長い間、“一歩でも踏み出せたら、そこから何か始まるのに…”
と願ってきましたね?そうでしょう?私はあなたの心を読んでいるのではありません。しかし――あなたがそのように祈っていたことを
主が示してくださったのです。何度も心の中で『どこか一つ、始まりの場所さえ見つけられたら…』そう思っていましたね?」「ええ、今がその場所です。これがあなたの出発点です。神のしもべとして、命じます――」
「悪霊よ!イエス・キリストの御名によって命じる。お前は明らかにされた。
この女性から出て行け!」「――さあ、行きなさい、姉妹。喜びのうちに行きなさい。あなたは今、救われました。主があなたを祝福されますように。
あのものは、もうあなたに触れることはできません
78. 「さあ、こちらへ来なさい、姉妹。こんにちは。
あなたも、さっきの姉妹と同じ時に癒された方ですね。
あなたも同じ“神経の病”でしたね?そうでしょう?
あなたは癒されました。どうぞ、そのままお帰りなさい。
神の祝福がありますように。信仰を持ちなさい。
心の底から信じなさい。」「あの光――(ピラー・オブ・ファイア)が、ずっとあの角のあたりにとどまっているのが見えます。
理由は分かりませんが、祈られる方の上から離れるたびに、
必ずあの角のほうへ移っていくのです。さっきも、会衆の上を横切ってふたたびあの角に戻って行きました。そして、いまもそこに留まっているようです。ですが、なぜなのかは分かりません。
ですから――どうか、祈ってください。私には分かりません。
けれども、今は厳粛な心でいましょう。」
「皆さん、もう神を疑う権利はありません。もう、不信の理由はどこにもないのです。」「……あそこに座っているあの女性、
深い悲しみの中におられますね。彼女の家で何かが起こりましたか?誰かの死、あるいは大きな出来事があったのではありませんか?」「――姉妹。元気を出しなさい。勇気を持ちなさい。
イエスは生きておられ、今も統べ治めておられます。」
79. 「神を信じなさい。その赤ちゃんを連れてきてください。
さあ――誰がこのことに逆らうことができるでしょうか。地獄のすべての悪霊は敗北しました。すべての霊は、今やイエス・キリストによって
私のもとに服しています。すべては主の御手の中にあります。
さあ――何が起こるでしょう?」「小さな姉妹よ。あなたは主イエスを愛していますか?さあ、こちらへおいで。もしナザレのイエスご自身が
今ここにおられるなら――きっとあなたの上に手を置き、祝福し、
何が悪いのかを知り、あなたを癒されたでしょう。そうですよね?」
「あなたは信じますか?イエスさまがブラナム兄弟にあなたの病を示してくださることを?」あなたは、とても元気そうで、優しく、かわいらしい女の子に見えます。でも――そうではありませんね。喘息を患っていますね?」
「そうでしょう?夜になるとつらくなって、咳が止まらなくなってしまう。
そしてお母さんが夜中にあなたを起こして座らせ、
咳が落ち着くまで背中をさすってくれる――そうですね?」
「私はお母さんの姿が見えます。でもね――あなたは癒されるんですよね?」
「さあ、こちらへおいで。私の手は、主の御手にはほど遠いけれど――
いまここに立っておられる神の大いなる御使いが、
私の祈りを聞いてくださいます。それを信じますか?」
「私は、あなたを自分の娘のように思って主に願いをささげます。
さあ、ブラナムおじさんのところに来ておいで。」
「天の父よ、この小さな子を見てください。どうかこの小さな命から
この呪いを取り去ってください。主よ、この子が完全に癒されますように。
私はイエス・キリストの御名によってこの子を祝福いたします。アーメン。」
80. 「神を信じなさい。この赤ちゃんを連れてきてください。
さて、誰が神を疑う権利を持っているでしょうか?誰もいません。
……おいで、かわいい子。少しこちらに来なさい。
いいですよ、そのままで。さあ――見てください。
あそこにいます。あの方も、あの小さな女の子と 同じ病(喘息) で苦しんでおられますね?そうでしょう、兄弟?」
「姉妹、私はあなたを今まで見たことがありません。一度もお会いしていませんね。祈りのカードをお持ちですか?」(女性)「持っていません。
七年前、ここで 甲状腺腫(ごいしゅ) が癒されました。」
「ああ……神があわれみをお与えになりますように。
さっき、あの小さな女の子が通り過ぎたとき、
私は再び“喘息の霊”が跳ね返るのを感じました。
それで思いました。“今のはどこから来たのだろう?”と。
……ああ、この子の上にありました。
それは再びこの子に戻ってきていたのです。
それで私はこの子を呼び戻しました――
ですが、もうこの子は自由です。
そして戻ってきたその瞬間、私は再びその存在を感じました。
そこにいました。医者の目からは隠れるかもしれませんが、
神の御前から隠れることはできません。彼は暴かれたのです。
それは恐ろしい悪霊です。特にこのような、湿地の多い土地や重い空気の地域に
潜みやすいのです。神を信じなさい。私はただ、主が何をなさるのかを
静かに見守っていたのです。」
81. 「あそこに座って、いま祈っているあなた――痔の病を癒されたいと願っておられますね?そうですね?では、立ち上がってください。主イエス・キリストの御名によって、あなたの癒しを受け取りなさい。それがあなたの病でした。さあ、結構です。神があなたを祝福されますように。どうぞ、お座りください。」
「……あなた、目に何か異常がありますね、そうでしょう?
そして、あなたの隣に座っておられる奥さまは、
静脈瘤を患っておられますね?そうですか?――やはりそうでしたね。
私が先ほどから“光があの角に留まっている”と申したのは、このことのためでした。いま、あなたが感じているもの――それは主から来る御臨在の感覚です。
どうぞ、お互いに手を置きなさい。神があなたがたお二人を祝福されますように。」
82. 「サタンは暴かれた!さあ――来なさい、姉妹。
あなたは心臓の病を癒されたいのですね?では、そのまま歩き出して、
“主イエスよ、感謝します” と言ってあなたの癒しを受け取りなさい。
神がこの姉妹を祝福されますように。イエス・キリストの御名によって。
アーメン。」「あなたも、姉妹。あなたもご自身の病(心臓の不調)から
癒されたいのですね?さあ、そのまま歩きながら、
“神よ、私の癒しを感謝します” と告白しなさい。
そして主に従いなさい。神があなたを祝福されますように。」
「……あなたの場合は、どちらかというと神経の疲れ(nervous condition)の方が問題ですね。時々とても不安になって、気が立ったり、涙が出たりしますね?横になると、かえってひどくなってしまう。
これは心を読んでいるのではありませんが、あなたが前を通り過ぎた時、
主が“彼女にこれを伝えなさい”と示されたのです。
だから、もう心配しないでください。あなたは癒されます。
これからは神に感謝し続けなさい。」
83. 「さあ皆さん、『神に栄光あれ(Praise be to God)!』と言いましょう。さあ、こちらへ来なさい。あなたがたの中には、
『彼は人の心を読んでいるのではないか?』と考える人もいるかもしれません。しかし、私はこの女性の顔を一度も見たことがありません。姉妹、あなたの手を私の肩に置いてください。あなたは、私が 神の預言者(しもべ) であることを信じますか?そして、神がこの会衆の上からあなたに何の問題があるかを私に示すことがおできになると信じますか?もし私が主の御名によってあなたの病を告げるなら、あなたは信じますね?……それは糖尿病です。
そうですね?もしそうなら手を上げてください。はい。では今、主イエス・キリストの御名によって行きなさい。癒されなさい。神を信じなさい。心から信じなさい。神を信じなさい。そこの姉妹――
あなたは信じますか?こちらへ来てください。お母さんですね。
あなたは心臓の病と、体に 緊張(strain) がありますね?そうでしょう?あなたはつらい人生を通り抜け、多くの悲しみを経験してきました。さあ、いま主を信じて行きなさい。イエス・キリストの御名によって、癒されなさい。神を信じなさい。心のすべてをもって信じなさい。」
84. 「あの―― 首の腫れ物(甲状腺の腫瘍) を癒されたいですか、姉妹?
あなたは、それが癒されると信じますか?もちろん、ここからでもあなたの喉の様子が見えます。そうです、その通りです。私を見てください。
そして、私が 神の預言者(しもべ) であることを信じてください。あなたは、今そこに座って、「どうかブラナム兄弟が私を呼んでくれますように」
と祈っていましたね?そうでしょう?では、確かめるために――あなたの隣にいるのはご主人ですね?ご主人、こちらを見てください。あなたはどう思われますか私が神の預言者であると信じますか?あなたは 痔(piles) に苦しんでいますね?それは本当ですね?では、お互いに手を置き合って、イエス・キリストを癒し主として受け入れなさい。神を信じなさい。疑ってはいけません。信じなさい。」「あなた――そこの男性。私を見つめ続けておられますね。あなたは胃の病を持っていますね?ええ、胃です。そして頭にも何か異常がありますね?はい、そうです。でもそれは深刻なものではなく、あなたがまだ信仰をつかみきれていないだけです。あなたは何度も祈ってもらいましたね?そして、ラジオの癒し番組に手を置いたり、あらゆる方法を試してきましたね?そうですね?では――なぜ今、立ち上がって、主イエス・キリストの御名によって癒しを受け取らないのですか?アーメン!」「そして――そこの姉妹。あなたも同じようにしたらどうですか?立ち上がって、こう言ってください。『主よ、私は癒されます!このまま寝ていたら死んでしまうでしょう。でも今、私は立ち上がり、癒しを受け取ります!』立ち上がって癒されなさい。」
85. ここの誰かがあなたが今癒されることができると信じていますか? お互いに手を置いて、私に祈りましょう。 彼女に手を置いてください。 レディ、その喘息患者は喉の結核に行くことができます。 電話がかかってきています。 敬虔になりなさい。
さて、もし神が悪魔に聞かせるなら、神はここに立って、一つの祈りでこの建物のすべての悪魔を去らせることができます。 信じますか? 神を認めた使徒ペテロとその影が、家のてっぺんに立って幻を見た神が一緒にいることを知っていたために人々の上を通り過ぎ、人々がそれを信じたとしたら、信じないでください。同じ神が今夜私たちと一緒にいるということですか? すべての科学的証拠。
86. 私は力が尽きていくのを感じます。誰かが私の背中に手を置いています。――それがいつもの「そろそろ行きなさい」というしるしだと、私は知っています。
しかし、もしあなたが全身で信じるなら、悪魔はすでに暴かれています。
この中にいるすべての人よ、今ここには祈りの力に従わぬ霊など一つもありません。
ただ、あなたが信じさえすれば――それだけでよいのです。
私たちは、もし望むなら、一人ひとりをこの壇上に呼ぶこともできます。
けれど結果は同じです。誰一人として、自分の生涯を隠すことはできません。
兄弟よ、見なさい。あなたが癒されるには、あなた自身の信仰が必要なのです。
今、顔を上げてカルバリを仰いでください。
そしてこう祈るのです――
「天地を造られた主なる神よ、私は今、あなたを信じます。」
どうか信仰をもってください。
私はこれから、あなたのために祈ります。
87. 全能の神よ――いのちの創り主、すべての良き賜物の与え主よ。
どうか、あなたの民の上に豊かな祝福をお与えください。そして今、悪しき霊よ――サタンよ!主イエス・キリストの御名によって命じる。この人々から出て行け!私は主の御名により、おまえに命ずる。これらの人々から出て行け!